無数体の歩行

寸法の歩行自体、すでに多数の次元を開き、往還するものだったが、
そこから、三人の歩行、無数体の歩行へと扱う次元数を増加し、
さらに高次化を進める。
舞踏とは命の棲む非二元かつ多時空の世界で踊られるものなのだ。
日常体が属す三次元や四次元の低次な時空で踊られるダンスとは異なる。
舞踏とダンスの本質的な違いがあるとすれば、その一点だ。
だからこそ、<次元数を増減する>という技法を身につけねばならない。



三人の歩行

灰柱の歩行で歩く。前に一人小さな寸法のサブボディさんが歩いている。
日常サイズの自分がその小さなさなサブボディさんのからだの糸を吊り下げている。
自分の背後にもうひとり巨大な自分が歩いている。
私のからだはその巨人のもつ糸で吊り下げられている。

一歩ごとに少しずつ膝を折って沈んでいく。
最後には最大限まで膝を折って歩く。
歩を進めるごとに重みや痛みが変わってくる。
やがて耐え切れない痛みに変わる。
それをすべて引き受けて歩く。
自分の死に向かって歩を進める。

前を歩く小さな自分が転ぶかもしれない。
それを糸で世話しながら歩く。
自分のことは心配しなくてもいい。
背後の大きな人が面倒を見てくれている。

古典的な舞踏の練習方法だが、
これは自我を捨てて後ろの自分に任せる訓練だったのだ。
前の小さな自分の自我を制御することを学ぶことを通じて
自分の自我をも制御する方法を学ぶ。


無数体の歩行―無数の異貌の自己を引き連れて歩く

からだの闇には無数の見知らぬ異貌の自己が棲んでいる。
前後の異なるサイズのからだとは、異貌のサブボディのことだ。
かれらはやがて、単に歩くだけではなく、
はいずり始めたり、地にもぐったり、
からだに這い上がってきたり、
空中をまといつきながら浮遊したり、
さまざまな形姿に変容していく。
それら無数のサブボディを引き連れて歩く。
それぞれのサブボディが、この世に現れたがっている息吹に耳を澄ます。
からだのあちこちに無数の息吹、無数のゆらぎが立ち込める。
やがて、サブボディたちが自分のからだに忍び込み、
のっとって動き出すだろう。
それまでの時間を、ゆらぎをたたえて歩を進める。

この歩行は、異貌体の練習を始める前にするとよい。
自分のからだの闇に潜む異貌の自分に出会い踊る。
異貌の自己とは、小さな時期に生まれたが、この世では生存を許されず、
やむなくからだの闇深く沈みこんだくぐもれる自分の分身だ。
ユングは影と呼び、劣等人格とも名づけた。
サリヴァンはノットミーと呼んだ。
ミンデルは第二プロセスと呼んでいる。
解離された人格群も、その一員だ。
私は彼らを総合して、異貌体、英語でヒドゥンボディと呼ぶ。
かれらはからだとひとつだからだ。
からだの秘関や秘腔に棲み続け
隙を見てはからだとひとつになって躍り出てくる。
小さいとはいえ、彼らの小さな自我は長年閉じ込められているうちに
巨大なエネルギーを蓄えている。
隙を見ては突然躍り出てくる。
その爆発的な速度は意識などでは追いつけない。
彼らを踊るにはそれに全身全霊で成りこみ、
内側から彼らの自我と格闘しながら、
からだを張って制御するしかない。
からだの闇にはそういう見知らぬ餓鬼が潜んでいる。
異貌体を踊るのは命がけの闘いになる。
まず、異貌体よりももっと穏やかな原生体に成りこむ練習を経たのち、
取り組みをはじめることができるようになる。
もっと強烈なアニマやアニムスの元型と取り組むことができるのは
どんな異貌体をも踊りこなせるようになってからだ。

かれらの小さな自我を制御することを学んでいるうち、
じつは今の日常体の自我も、もっと大きな自分、
ユングが<自己(セルフ)>と呼んだ
自分の全体によって制御することができることを知る。
自己になりこむことを通じて、自我の制御法を学ぶのだ。

その自己もまた、より巨大な40億歳の生命によって制御され守られている。
ホメオスタシスという恒常性を保つ生命の叡智をどの細胞生命も持っている。

異貌体の小自我―自我―自分―生命

次第にこういう多次元的連鎖を学んでいく。
自我も自己も一人ではない。
大きな生命共振の潮流に守られている。



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