探体法20−3 <鮮深必>3 |
<必>の三要素 自分の命にとって本当に必要な踊り、生きるために必須の舞踏を見つけるのが、<必>の探体だ。 それは自分が囚われている諸問題に直面し、それに取り組み 自分がこれまで囚われてきた見えない力と対決し、そこから自分を解放する闘いの段階である。 それができると、からだの闇の見えない囚われを再編するような命にとっての創造となる。 すべての創造は常に命がこうむってきた圧力や制約によって生じたよじれを、 よじり返す命の<よじり返し>である。 と、<鮮深必1>で書いた。 これをもう少し詳しく述べよう。 よじれやよじれ返しを圧力や制約として捉えている限り、 よじれがすべての創造の父であり、 よじれ返しが創造のすべての母であるとはいい切れない。 だが、それらを生命が受け入れざるを得ない宿命のようのものと拡張して捉えれば、 命にとっての<必然的な創造>に至るには、次の三つの契機がある。 1 よじれ ひとつは、ここで述べているように、命がこうむってきた無数の圧力や制約条件と それによって生じたよじれをじっかりと捉えることである。 すべてのサブボディは社会や世界からの何らかの力によって 日のあたる場所で生きることを許されず、からだの闇の奥底に追い込まれてきた命の傾性である。 サブボディの被ったよじれをできるだけ微細に、忠実に捉えることから始める。 2 よじれ返し よじれの動きをどこまでも追求していくと、やがて命からのよじれ返しの動きが出てくる。 わかりやすく言えば、腕をねじられれば、命は反対方向に動いてそれから逃れようとする。 単に物理的な圧力だけではなく、自分のクオリアに生じたバイアスのようなものを感じる。 すると、よじれやバイアスや自分の制約に対してそれを打ち破る動きがでてくる。 そのよじれ返しがでてくる必然的なタイミングを捉えることだ。 どんな動きにもたったひとつの必然的なタイミングがある。 その瞬間を捉えればどんな見苦しい動きでも美に転化する。 それが序破急マジックだ。 3 非二元一如 よじれとよじれ返しをとことんやっていくと、 やがて、よじれもよじれ返しも何でもござれ、という境地になる。 自他や内外に囚われた二元的なツリーの世界では、よじれまたはよじれ返しとなるが、 命の棲む非二元の世界には本当はそんな区別などないことがわかってくる。 どんなよじれでもよじれ返しでもやってこい、 すべて踊ってやるというリゾームに転化する。 非二元一如の命に転生する。 それがどんな踊りになるかは各人の発明に属することだ。 ともあれ、鮮深必の<必>の踊り、 <生命にとっての必然的な創造>にいたるには、 上の三つの契機をたどることが必然だと思われる。 それによって命と世界との関係の全貌がはじめて顕わになるからだ。 サブボディの産婆になるひとは、自分を捨て去り、 各人の探体の進み具合に応じて、日々もっとも適切な調体と探体のメニューを組み、 どんなサブボディがどんなタイミングで出てこようとしているかに耳を澄まし続けることが必要だ。 それは困難に満ち、おびただしいサブボディの堕胎や流産を経験することになる。 産婆はその非を自分以外の誰にもかぶせることはできない。 サブボディ自体は胎児であり、 その宿主である各人も自分のからだの闇にサブボディがいるることなど知らないからだ。 すべての責を引き受けなければならないのが産婆の宿命だ。 堕胎や流産に出会うことほど悲しいことはないが、 またあらゆる苦難を乗り越えて、サブボディの誕生を迎えること程おおきな喜びもない。 それはその宿主が栄えある創造者に脱皮する瞬間だからだ。 産婆は天国と地獄の間をひっきりなしに行き来する稼業だ。 |
●関連技法 鮮深必 鮮深必2 |