探体法20 <鮮深必>1 |
どうすれば、自分の命にとって本当の踊りを見つけることができるか? 長い間探しあぐねていた生徒へのサブボディ探体の指針が今年ようやく見出された。 探しあぐねている私に、ある夜ほとんど夢か現か分からなかったが、 わたしの最初のサブボディ舞踏であり、長年の親友となった「伝染熱」がささやいた。 「Lee, 迷うことはない。君が私を発見したのと同じ道を生徒にガイドすればいいのだ。」 十年前私は、自分の持つ10の囚われに直面し、それをひとつひとつ克服していく踊りを創った。 最初の問題はすっと立つ立ち方ができないことだった。 次の問題は自我に囚われない透明な目になれないことだった。 三つ目は若いころから上空から私に指令を送り支配してくる上位自我から逃れられていないことだった。 こういう風に自分が囚われている未解決の問題を十まで数え上げ、ひとつひとつの囚われから自分を解放する動きを創りつないでいった。 それが「伝染熱」となった。 だが、これまで私はその方法を自分だけに通用する特殊な方法だと思い込み、人に伝えてもしかたがないと考えていた。 だが、それが思い違いだった。 だれもが自分固有の問題に囚われている。 そこから自らを解放する踊りは必ずやその人にとって必然性のある踊りになるはずだ。 だが、わたしをためらわせていた問題はもうひとつあった。 その方法はとてつもない苦痛を自分に強いてくることだ。 その苦痛を生徒に強いることがどうしてもできなかった。 だが、共振塾をひらいて4年目にはいる今年は、すでに共振タッチや指圧やエッジワークで、生徒が困難な問題にぶつかってもそれを乗り越える原生力をよみがえらせる方法がかなり蓄積されている。それらを時機に応じて総動員すれば、なんとか生徒自身がそれらの苦痛を乗り越えていく力を身につけつつガイドしていけるのではないか。 なんといっても、自分の命にとって本当に生きるために必要な踊りを見つけることは、取り組む価値がある。 そこで、これまで、<鮮深響>と一般化していた探索方法を、思い切って<鮮深必>と転換した。 <響>とはからだ全体が響きふるえる踊り、ということで、それでも間違いではないのだが、一般的過ぎて焦点が結びにくいきらいがあったのだ。 すると、これまでわたしのためらいによってぼやけていた最後の段階が、 生徒にとって何を探したらいいのか、くっきり焦点が結ばれるようになった。 からだの闇には無数のクオリアが流れている。 その中でどんなサブシグナルを探せば、ほんとうの自分の踊りが見つかるのか? まず探体の第一段階は<鮮>のクオリアを見つける。 意識を鎮めて、秘関、秘筋、秘腔、秘肌などを開きつつ、からだをいろいろな方法で変化させて、命が新鮮だと感じられるサブシグナルを見つける。 ふと、珍しい、面白い、目新しいと感じるクオリアだ。 それを見つけたら、そのからだの感じに従い、付いていく。 からだ全体で乗り込み、極限まで増幅する。 それで第一段階のサブボディが見つかる。 この段階ではあらゆる方面に広げるといい。 第二段階は<深>の探体だ。 <深>とは、なぜか分からないが自分の深部に引っかかってくる動きだ。 からだの闇のクオリアはすべて時を超えて多次元的に共振しあっている。 その生命共振のネットワークが布置だ。 その中で、引っかかりを感じた動きは、布置のなかのいずれかの問題につながっている。 遠い昔にからだの闇に沈んだままのユングの言う「影」(=劣等人格、副人格)や、サリバンのいう「ノット・ミー」などの表向きの自分から切り離された、 解離された人格やくぐもりのいずれかと共振している。 もっと昔、乳児期や胎児期の生命傾向、さらに細胞生命に刻み込まれた原初生命記憶などと共振しているクオリアもみつかる。 それらの深部の生命共振のネットワークと響きあうクオリアを見つければ されに従い、増幅し、サブボディの動きに育て上げる。 それらは、原生体、異貌体などの重要なサブボディとなる。 これまではただ全般的にからだの闇に耳を澄まし、新鮮なクオリアを見つける練習だったのに対し、一気に深みに入ることになる。 そこではさまざまなエッジと出くわして当惑したり、思わぬ苦痛に出会うことになるので、共振タッチから指圧に進んで、からだの布置の変動からくる戸惑いを自分で癒し鎮めつつゆっくり進むことになる。 急いでは無理がたたってどこかで立ち往生してしまう生徒が続出するからだ。 その進展具合に注意深く耳を澄ませつつ、大多数の生徒がその次の段階に進む準備ができていると確信できたとき、 第3段階の<必>の探体に入る。 これまでに見つかっている<鮮>や<深>のサブボディを統合し、さらに 自分の命にとって本当に必要な踊り、生きるために必須の舞踏を見つける。 それは自分が囚われている諸問題に直面し、それに取り組み自分がこれまで囚われてきた見えない力と対決し、そこから自分を解放する闘いの段階である。 それができると、からだの闇の見えない囚われを再編するような命にとっての創造となる。 すべての創造は常に命がこうむってきた圧力や制約によって生じたよじれを、 よじり返す命の<よじり返し>である。 最初から難しい囚われに取り組む必要はない。 からだの闇には無数の囚われやくぐもりが存在しているので そのなかからまず今の自分に取り組めるかぎりの問題に直面し それをよじり返し、再編する。 再編するたびに、それまで手がつけようがない思われてきた問題も じょじょにほぐれてくる。 もしどうしても身動き取れないエッジにぶつかったときは、 共同のエッジワークでみんなで助け合う。 サブボディを生きるとはこのプロセスを無限に繰り返し、 らせん状に深めていくことである。 サブボディ舞踏とは命にとっての必須の踊りを求め続けることなのだ。 問題はあくまでテンポの適正さである。 サブボディを産婆するひとは、自分を捨てて生徒のサブボディ・コーボディにもぐりこみ、 そのかすかな産声に耳を澄まし続けなければならない。 早すぎた無理な要求は生徒をつぶしてしまうことになる。 遅すぎると誕生の最適の機会を逃してしまう。 サブボディの産婆になるとは、一生自分を捨て去っていく修行である。 これほど困難なことはないが、 またこれほど生きる値打ちのある生き方もまたとない。 |
●関連技法 鮮深必2 鮮深必3 |