探体法0 からだの底を見つける

からだの底とはなにか

自分のサブボディにとって、最も落ち着けるひとつのからだの形を創造する。
ボトムボディ(からだの底)と呼んでいる。
いつでもそこに帰ってくれば自分に帰れる、ふるさとの家のようなものだ。
自分に帰れる場所を見つけるのは大切だ。
そこに帰れば自分を見失わずにすむからだ。
ひとつそれを見つければ、そこから無数のサブボディが飛び立ち、
そして帰ってくることができる場所が生まれる。
多次元を変形流動しているカオスのようなからだの闇の中に、
創造の発生するひとつの特異点が生まれる。

脱力呼吸や、体底呼吸で、
からだ中からテンション(緊張)やインテンション(意図)を脱く。
一呼吸ごとに少しずつからだが溶け落ちていく。
床に下りたら、自由に転がり、最も落ちるける姿勢を探す。
ひとつ見つかればそれをとりあえず今日のボトムボディとして、
そこからからだの各部に聴く。
今日はなにが一番したいかい?
あるいは、どう動き出したいかい?
勝手に動き出せばそれに従う。
何も起こらなければ、秘肌、秘筋、秘関、秘腔などを順に意識して
どんなかすかな傾向が出てくるか耳を澄ます。
出てきた動きに、全脳心身で乗り込み、サブボディになりこむ。
ひとつの動きが終わればもとのボトムボディの形に戻る。
そして次の動きに従う。

「とりあえずの今日のボトムボディ」、と書いた。
そのとりあえずのボトムから、真のボトムに至る坑道を掘るのが次の段階だ。
何回も試行錯誤を繰り返していくうちに、
そのからだのかたちが自分のサブボディにとって必然な、
世界でただひとつのかけがえのないユニークなものに彫琢する。
これからが本当の創造になる。
からだの闇を掘り、そのボトムボディと、それまでに見つけた
原生体や異貌体などその他のサブボディとの関係を探る。
もっとも落ち着け、自分に帰ることのできるからだの底からは、
そこからほかのサブボディに自在に変幻していける細い坑道が通っている。
その変容の道筋を掘る。
本当にきみのサブボディにとって自分自身であるような、かけがえのない体を彫り上げる。
それが見つかればそこで心底から一休みして、また次の創造が生まれてくる。
自分の場所とはそういう特異点のような場所だ。
そここそ、とんでもない創造の泉なのだ。
面白いように次から次へと新しいサブボディが生まれ出てくるのがボトムボディの特徴だ。
それを見つければ、一生の友となるがいい。
それはきみにとっての創造の尽きせぬ泉なのだ。



拳骨礫岩との出会い

わたしにとって最初に見つかったからだの底は、石となづけた上の姿勢だ。
このからだに出会うことで、わたしの一生が決まったといっていいほどだ。
世界中のどこにも類例を見たことがなかった。
この姿勢から無数のサブボディが生まれ、かつここに帰ってきた。
振り付けと即興を合わせると、数十種類を超える踊りがここから生まれた。
なぜこの姿勢がわたしにとっての底になったのか。
わたしは小さいころ「内弁慶の外ネズミ」と祖父母に冷やかされつづけた。
それほど引っ込み思案で臆病な子供だったのだ。
3歳で母から捨てられ、安心できる最初の世界を失い、祖母の下で恐る恐る暮らしていた私にとって
外界は何が襲ってくるか知れないまるで異界だった。
わたしにとって最も親近感を抱いた生き物は海岸の岩穴に棲む
穴居動物といわれる種類の小動物だった。
からだ自体を固い岩や殻で殻で包み、入り口の穴から臆病な触手を恐る恐る伸ばす。
少しでも危険を感じるとさっと引っ込む。
ツリガネムシやラッパムシなどの触手も同じタイミングで縮む。
おそらくわたしはそれらの生き物になりこむことではじめて安心して自分だと感じることができた。
ラッパムシやミジンコになりこむ踊りをいくつも創った。
1997年の夏、東京で米井澄江さんが開いていた「夏季舞踊大学」という
ダンスワークショップの催しで親友のデビッド・ザンブラーノが私の大好きな
フライング・ローテクニックのクラスを開くので、2週間東京に滞在した。
その期間中、宿の近くを散歩していたとき、日本岩石公園という奇妙な庭を見つけた。
日本中から集めてきた奇岩怪石を配置している庭だった。
幼いころから鉱物岩石採集が大好きだった私は、一も二もなく飛び込んだ。
そして、運命の石に出会ったのだ。
拳骨礫岩と名づけた、こぶし上の礫が飛び出ている大きな礫岩だった。
九州のどこかの地から取り寄せたと記してあった。
あくる日から私はその拳骨礫岩になり込んだ。
それに成りこむとなにものから襲われても安心だ。
そこからはラッパムシも、クラゲも、拳骨も、火花も、獣も、アラジンの怪物も何でも飛び出すことができた。
そうだ、私は同時にその穴居動物である自分から脱け出たいとも非望していたのだ。
ついに自分のあらゆる要素が詰まったボトムボディに出会ったわたしは、
嬉々としてその無数に生まれてくる造形に取り組んだ。
とりわけ、その臆病な礫岩から、
フライングロー・テクニックでからだごと獣になって飛び出す対比が面白くてたまらなかった。
転がる拳骨礫岩からいきなり獣に変身してザンブラーノに飛び掛ると、心底驚いて面白がってくれた。
しかも、世界に類例のないたったひとつの形になりこむことができたので
個性化という点でも申し分なかった。
自信と自負を併せ持つことができたのだ。
最初のソロである「伝染熱」でも、この石に固まった姿勢から躍り出る踊りが生まれた。
その創造の成果を世界の人と分かち合うことに意義があると
名もない私が恐れを知らず世界ツアーを敢行する自信を持つことができたのも
この石と出会ったことによるとさえいえるかもしれない。
それほどボトムボディが重大な役割を果たしていたことに最近まで気づけなかった。
伝染熱を踊ってからもう十年以上になる。
気づきというのは哲学と一緒で、日が暮れてから飛び立つミネルバのふくろうなのだ。

ボトムボディのことをはじめは、静寂体と呼んでいた。
とにかく静寂になることができなければ、何も始まらないというのが、
からだの闇を掘りはじめて私の最初の発見だった。
忙しい意識に占領されて意識の領土になりさがっているからだから
忙しい日常意識を追い出して、からだそのものになること、と言い換えてもいい。
そうなってはじめてからだに耳を澄ますことができるようになる。

静寂体としてのボトムボディがみつかると、
そこからどんなチャンネルが開いてどんなサブシグナルをみつけて、
それに従うとどんなサブボディが出てくるか。
それらすべてのことが透明に見えてくる。
普段は無意識なままチャンネルが切り替わっているが、
その日常体の状態から、今どんなチャンネルが開いているか、
が自分で見えて、それをチェックすることができるようになる。
チャンネルに分化しているのは意識的な日常体の状態の特徴で、
ときには、日常体の八つの主要なチャンネル以外の秘肌などのチャンネルに分化していない
未分化な非二元の闇からサブボディがでてくるときもある。
そういうときはとりわけ調子がいいときだ。
日によってどんなチャンネルが開き、どのチャンネルが閉じているか、
つねに透明に見透かしていること。
それでサブボディの調子が分かるからだ。
私の経験では、未分化な秘肌の創造力が全開しているときがもっとも調子がいい。
命は未分化なからだの闇の住人だからだ。
ついで、できるだけ多くのチャンネルがつぎつぎと開くことができるときだ。
そういうときは生命まるごとの深いところから出てくる踊りを踊ることができる。
自分の生命とサブボディ・コーボディの調子をつねに透明に把握していること。
これが透明体になるための欠かせぬ修練だ。

★関連技法 静寂体になる

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