多次元ゆらぎ瞑想

多元的な生命ゆらぎの実相に触れる。

生命は実に重層的な多次元世界をゆらいでいる。
決して二元論的ゆらぎなどしていない。
そう見えるのは、私たちの脳が
二元論的思考の習慣に根深く
囚われているからである。

生命ゆらぎは超多次元で起こっている。
それは三次元空間や二元論的思考に囚われたわれわれの
ありとある二元論的解釈を受け入れることができるほど
深く多次元的である。

二元論的観念に囚われたときわれわれは
自分自身が次のようにゆらいでいると
自己解釈しがちである。

前―後ろ
右―左
元気―不元気
調子がいい―調子が悪い
からだが重い―からだが軽い
好きだ―嫌いだ
近寄りたい―遠ざかりたい
安心―不安

これは生命に対する完全な誤解である。
生命は二元論など知らない。
それどころか驚くほど高次元な世界に生きている。
人間の意識が囚われている
二元論などにおかまいなく
たとえばどの瞬間もつぎのようにゆらいでいる。

重い(重力とのゆらぎ)
   \
    明るい(光とのゆらぎ)
   /
寒い(温度とのゆらぎ)
   \
    ビビビ(音とのゆらぎ)
   /
面白い(情動ゆらぎ)
   \
    あれ?(記憶ゆらぎ)
   /
うねる(動きゆらぎ)
   \
    ぼおっ(夢とのゆらぎ)
   /
ふうっ(空気との呼吸ゆらぎ)
   \
    もごもご(音像ゆらぎ)
   /
ふわー(胎児の頃の羊水ゆらぎ)
   \ 
    お母さん・・・(幼児記憶ゆらぎ)
   /
どうしてるかな(遠い友人のクオリアゆらぎ)
   \
    …………

命はほんの一瞬間に、ざっとこれぐらいの多次元クオリアと共振している。
何百億もある脳細胞が、同時に無数の内クオリア、外クオリアと共振しているのだから、
意識などでは追い切れない。
意識はそれを無理やり二元論的言語思考の狭い世界に閉じ込めようとする。
意識がたどっているのは、
脳とからだの細胞が各瞬間に行っている無数の共振のうちの
何億分の一のごくごくわずかの部分のニューロン発火に過ぎない。
だが、意識は自分がすべてだと勘違いしている。
だから、意識は命の実態に触れることができないのだ。
二元論的思考法の習慣に囚われないように、
ツリー思考から離れ、
多次元連結的な
リゾーム思考の世界に降りていく。
ただ、命が無言で行っている多次元共振を感じるだけでいい。

これが瞑想でできるようになってきたら、
次には、それをからだの動きで行う
「調体6番 六道ゆらぎ」などの多次元調体に進む。


関連技法 「調体6番 六道ゆらぎ」

 サブボディ舞踏スクールホームページ |  

←BACK ■ NEXT→