生命好味楽瞑想


生命のあらゆるクオリアを好み、味わい、楽しむ瞑想。
好味楽とは、本居宣長が終生こよなく愛した山桜にたいする態度をのべたことばだ。
「これを好み、これを味わい、これを楽しむ」 

好きなものなら、あらゆる角度から味わいつくし、楽しみつくすことができる。
この態度をあらゆるクオリアに対し、広げていく。
あらゆるクオリアを好味楽する。
これだけで人生が千倍豊かになる。

一瞬一瞬のいまここのクオリアを徹底的に味わう。


極意はたったこれだけだ。

ゆらぎ瞑想で、意識を鎮め、あらゆるチャンネルのクオリアがうっすら等価に感じられるようになるまで続ける。

ひとつのチャンネルに囚われず、あらゆるチャンネルのクオリアを等価に感じられる状態を透明覚とよぶ。

透明覚は下意識と意識がゆるやかに半々につりあっている状態だ。
訓練すると、何を味わい咸じるか、志向的な方向を自分でゆるやかに変えていくことが出来る。

透明覚の志向性をゆっくりサーチライトのように回して、
からだが咸じているあらゆるクオリアを丹念に味わっていく。

体温、呼吸、内呼吸、重力、床の硬さ、皮膚の温かさ、冷たさ、
各部の筋肉の緊張の仕方、弛緩の具合、体内情報の流れ、
とりわけ、血液の酸性度や粘度を咸じとる首の辺りの血液成分知覚器官から
入ってくる情報がもっとも情動に直結してることを咸じる。
視覚、音像覚、などを始めとする八覚につぎつぎとサーチライトをあてていく。
それから五欲、生命ゆらぎ……。

なにもかも実に味わい深い。
どのように透明覚の志向性を動かすと
一つのクオリアから次のクオリアへつながって行くのかをじっくり観察する。
クオリア共振の類伸を味わう。

類伸とは、からだの中で自動的に起こっている連想ゲームのようなものだ。

なにか味わい深いクオリアが湧いてきたら、そっと寄添い共振しつつ、
からだごと乗り込んでいく。
<志向的増幅>だ。

ひとつのクオリア流が別のクオリアに<貫入>していったり、
ふたつのクオリアがひとつに<縮合>したり、
<分離>したり、
急激に<転換>したりするのを味わう。
クオリアの運動法則がだんだん分かってくれば、
どんな突拍子もないことが起こってもついていけるし、
先回りもできるようになる。

クオリア好味楽の達人になっていく。
これほど面白いものは人生にそうそうない。


実は、舞踏論で述べた最後の最後の舞踏としての
<臨生のまなざし>は、
このクオリアを好味楽することの対偶にある。

この世の日常に退屈しきっている観客に、
最もおいしいものがいまここの目の前にあることを告げ知らせるのが
<臨生のまなざし>だ。
舞踏者自身が死体となり、異界に属する存在になって
はじめてこの<臨生のまなざし>を届けることができる。

それは舞踏者から観客への最大の贈り物である。
その贈り物を届けることができるようになるまで、
この好味楽瞑想を続ける。



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