ヒマラヤ・インド ダラムサラ ガイド

ヒマラヤ共振日記より
ヒマラヤの衛星写真を見る

Google Mapで ダラムサラを中心としたヒマラヤの衛星写真を見ることができます。

衛星写真が出たら、地図上の+マークでズームイン、−マークを押すとズームアウトして、ヒマラヤ全体の写真を見ることもできます。

これを見て、あらためてヒマラヤの壮大さを実感しました。
いつも眺めている5000メートル級の山など、
ヒマラヤ全体から見ればほんの端っこの
赤ちゃんのような山でしかないことが分かりました。

また、ズームインしていくと、
一軒一軒の家や木々までがくっきりと見える。
これじゃ、山奥に秘密の軍事工場など作っても
すぐ発見されてしまう。
アメリカの世界支配体制のおそろしさが思い知らされます。

衛星写真を見るには、 ここをクリック

また、Satelite表示から、Map表示に切り替えると、
デリーからの行程が分かる地図表示に切り替わります。

ここへ来ようとする人は、参考にしてください。


ステップイーグルの旅立ち

早春の晴れた日に、ヒマラヤでは
ステップイーグルの渡りが見られる。
特にここ、ダラムサラではよい上昇気流があるのか、
毎日何百羽という鷲が集まってきて、
おもむろに旋回しつつ上昇していく。
上空5000mほどの高度に達すると
しばらく旋回した後、イーグルは意を決したかのように
一路東に一直線に飛び立つ。
双眼鏡で見ていると、旋回上昇時のゆったり広げた翼から
突如わずかに首をすくめ、
両翼を少し縮めて高速滑空体勢に入る。
後ろを振り返ることもなくたった一人で旅立ち、
まっしぐらに東に向かう。
ネパールあたりまで飛んで、そこで
ヒマラヤを越え、モンゴルの大草原に移住するのだ。
その旅立ちの決意の瞬間は何度見ても
心深く揺さぶられる。

わたしもおそらくそのようにして日本を出てきたのだ。
今とは別の人格だったらしく、細かな記憶は何もない。
ただ、わたしではない何か大きな力に
突き動かされて日本を脱出した。
ここにいては命が危ないと感じたことだけは
からだの底に刻印されている。
ここは何か命が傷つけられる場所だと。

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●海への想い


マックロードガンジの町を久しぶりに歩くと
ずいぶん様子が変わっている。
一軒のレストランが海の魚料理を始めていた。
思わず小躍りしながら引き込まれた。
生きのいいマナガツオの料理が出てきた。
涙がこぼれるほど感動した。
私は和歌山の海辺で育ったから
からだが海のものをいつも恋しがっている。
潜在的にいつも海と共振したがっているのだ。
チベット人が国を離れてもいつも山と共振し続けているように、
私のからだは太平洋と切ないほど激しく共振し続けている。
身土不二とはこのことをいうのだろう。
ともあれ、この店ができて助かった。
毎週買うことにした。

ボンベイで水揚げされた魚がデリー経由で運ばれてくるという。
1100ルピーと少し高いが、
2000キロもの距離を越えて運ばれてくるのだ。
2000キロとは日本で言えば沖縄から北海道の距離だ。
インドは広い。
この暑い中よく腐らずにここまで届いてくれたものだ。

 
インド人の結婚式

インド人は共振好きだ。
村人の誰かが結婚したのだろうか、
ここ一週間も結婚式の音楽が流れている。
普通は二三日で終わるものが、
今回は異常に長い。
専門の楽団が音階の外れた音楽をかき鳴らす。
夜中までドンちゃんやっている。
この規模だと1000人あまりの親族が
入れ替わり立ち代わりやってきてたたずんでいる。
彼らはこうして何千年も同じやり方を続けてきた。
共振する心地よさはなにものにもかけがえのないものらしい。
遠くに住む人々もこのときとばかりに
仕事を休んで駆けつけてくる。
彼らにとっては仕事などより
結婚式に参加するほうがはるかに大事なのだ。
ただ、遠い血縁の雰囲気と共振しながら
その場にたゆたっているだけでよいのだ。
こういうインド人のやり方や価値観が
わかるまで何年もかかった。

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ヒマラヤの山々

標高5000〜6000mの山々
が連なるインド・ヒマラヤ山脈
の山ろく1800mのところに
本校は位置しています。
緯度が日本の奄美大島と
同じなので、一年中温暖な
すごしやすい気候です・

ゲストハウスと
レストラン


本校から徒歩10分から
30分以内に数十軒の
ゲストハウスがあります。

インド・ダラムサラ現地地図

デリーからのバスは、山ろくのダウンダラムサラ
か、アッパーダラムサラと呼ばれるマックロードガンジのどちらかに着きます。
そこから本校のあるジョギバラ村まではタクシー
で80ルピー(約200円)です。

ダラムサラの町と
付近の景色


地元のインド人とチベット
からの難民、そして各国
から訪れる外国人から
なる小さな国際村です。