| 2007年 |
2007年9月11日 ●「人間は十二を越えたらもうだめさ」 「あの~、川のほうへいくにはどういけばいいんですか?」 庭に面した練習場で瞑想していると、 不意に日本語でそう問いかける人がいた。 日本人旅行者が学校の敷地に迷い込んだらしい。 その顔が母に似ていたので、あわてて正しい道に案内して 直ちに分かれようとしたが、 その女性が『ありがとうございます』といって つくり笑いをするときにほおに浮かびあがる皺が 母そっくりのところに出た。 ぎょっ。 ――間に合わなかった。 その瞬間、母のクオリアが すっかりわたしを浸してしまった。 母の笑顔、母の声色、母の匂いにまでむせ返った。 母のクオリアは常にわたしの命の周りの 時のない微細次元で共振し続けているに違いない。 ちいさなきっかけひとつでただちに命は それらの微細次元のクオリアとアクセスし、 すごくリアルなままいもずる式に出てくる。 (この仮説についてくわしくは『クオリア論』第6章「クオリアの非時性」を参照のこと) しばらく、なぜ、その人をあわてて遠ざけたのか、顧みてみた。 顔に浮かぶ社交用ペルソナ笑顔の皺がそっくりだった。 年のころは30代。 ちょうどわたしが母と再び暮らし始めて2,3年経った時期だ。 そのころわたしは10歳。 母が30歳代だったころの一切のクオリアがあふれかえってきた。 幼少期に祖母の元に預けられていたわたしは7歳で再び 母と暮らすようになったが、 当初は継母としか感じられなかった。 2,3年経ったその頃は、ようやく継母の母にも 慣れてきかけていた頃だったのだろうが、 ときおり家のなかに漂う母の女臭さにだけは 我慢ができなかった。 それは次のような思い出と絡み付いている。 女狂いの父に負けず、母もその頃からしきりに 婚外交渉を広げ始めた。 所属していた山口誓子系の俳句の句会にしょっちゅう出かけた。 海南市だったので、漁船に乗って網を引く漁をみたり、 島巡りなどをしていた。 わたしも何度か連れて行ってもらった。 「花いばら島汚さずに男女去る」 覚えていたはずの母の句だが、初句は定かではない。 とにかく母と男が島を訪れた。すんでのところで 性交にはいたらなかった、という句だ。 だが、母が句会で遠出する日に限って、 全国への行商で家を空けていた父が帰ってきて、 大喧嘩になった。 「まんがわるいのよぉ~」と何度も泣く母を見た。 だが、その頃、一度母は堕胎した。 離れの便所に処理し切れなかった後産が 気味悪く置かれていたのを 目の当たりにしてしまったことがあった。 後年になって母から直接聴いた話では 何人も男がいたという。 ともあれ、そんなことがあって、 女臭い女性は、大の苦手になった。 物理的な匂いも、女っぽすぎる態度も どちらもただただ瞬時に遠ざけの対象になった。 10歳の頃、母の女臭さへの厭悪が刷り込まれたわたしは 成熟した女性を愛することができなくなった。 わたしのロリータ人格の起源だ。 その直後わたしのロリ人格が10歳頃の生存感覚を 持ち続けているらしいこともからだの闇に感じた。 母への満たされぬ愛憎が、当時の同級生だった 10歳くらいの少女に投射され、転移したのだろう。 ロリの起源はどうやら母への愛憎に直結している。 ロリ人格が子供っぽいのも、 人格年齢を10歳と捉えれば腑に落ちる。 これまで何度も母を踊ろうとしたが、うまく行かなかった。 それもそうだ。母を思うだけで強烈な愛憎のクオリアにむせ返る。 60歳に近くなった今でも母のクオリアは扱うことができない。 10歳ころのわたしに退行してしまうからかもしれない。 あるいは、母にまつわるさまざまな性的人格はすべて 隠微な対なる関係の現場にしか出てこようとしない。 創造の舞台のような日のあたる場所を好まないところがある。 吉本隆明が「対幻想は共同幻想と逆立している」といったのも この辺のことと関係しているだろう。 このままでは死ぬまで母は踊れないままかも知れない。 一生、自分からは触れも制御もできないクオリアもあるのだ。 どうも、わたしの性的嗜好性には 10歳ころの年代に凍結してしまった部分があるらしい。 前からうすうすは分かっていたが、今日の不意の訪問者が 如実にそれを告げ知らせてくれた。 『人間は十二を過ぎたらもうだめさ』 ――清水哲夫のこの一行はわたしが若い頃から なぜか好きで無限回口ずさんだ詩句だった. ロリとは何の関係もない詩句だが、 いつのまにか自分の中のロリ人格が妙に共振して あたかも自分のテーマソングに取り入れていたことに気づいた。 |
2007年9月7日 ●多重なんて当たり前のこと いつも愛読している「ほぼ日刊イトイ新聞」に 糸井重里と中島みゆきの対談が連載されている。 そこで、中島みゆきが 自分の中のいろんな自分について語っている。 「 中島 特に「夜会」のときなんかそうですけれども、 “書いてる中島さん”は “歌う中島さん”のことを あんまり気遣ってないときがありますね。 で、それが入れ替わって、 今度は舞台上の中島さんになったときに憤りますね。 「なんだこれは?!」って。 「なんでこんなものわたしが覚えなきゃなんないんだ!」 って。一人で喧嘩してます。 (「夜会」とは中島さんが1989年に始めた、 通常のコンサートとはちがう形式の音楽劇のことです) 糸井 前にぼく、「夜会」の楽屋を訪ねたときに、 真っ先に訊いたことがあって。 寝そべってスタートしたときが あったじゃないですか。 中島 演出の中島さんが 「寝そべったらいいんじゃない?」 って言うんですねぇ。 「寝そべってみて、中島」 って軽く言うんですよ。 そしたら歌う方の中島さんがやってみて、 「寝そべって歌ってみろよ、おーい!」 って言うんですよね。ぶはははは。うーん。 」 中島みゆきほど自分のからだの闇をくまなく旅して回って 実にいろんな自分を見つけてきた歌手はいない。 実に千変万化する無数の人格がいる。 中島みゆきの長いファンなら誰でも知っていることだ。 そんな彼女にとっては自分の中に いろんな分裂した自分がいることくらい当たり前のことなのだ。 何もことさら解離だなどという必要もない。 受け入れればいいだけのことなのだ。 そしてそれを創造の糧にすればいい。 何人もいる方がよほど多彩な創造ができる。 解離性同一性障害などと名づけられて 同一性を回復しなければならないと思い込まされて 苦しんでいる世界中の人に伝えたい。 そんな馬鹿なことなどする必要はどこにもない。 そんなことをするのは、ホモのひとがヘテロのまねを しなければならない必要などどこにもないのと同じだ。 多重の人はたくさんの自分をただただ全部受けれ、 有利に活用すればいいだけなのだ。 人より何倍もの資源を持っていると思えばいい。 普通の仕事などではなく、自分なりの創造をやりぬく 人生を勇気を持って切り開けばいいだけなのだ。 わたしの手助けが必要な人がいれば、 いつでも受け入れる準備ができているよ。 全力で支援するさ。 何しろこの病気に限っては都合60年付き合ってきた。 そしてようやく自分の中の暴れ馬どもをようやく制御することに成功しかけている。 (このさき、どんな波乱があるかは分からないけどさ) この病気に無知な同一性患者の医者などに自分を任せてはいけない。 ホモの人がヘテロの人にからだを預けて治してくれと頼むことが 馬鹿らしいのと同じだ。 自分の特異性を信じてやることが一番大事なことなんだ。 われわれは人類が多様化されていく旗手なのだ。 |
2007年9月2日 ●命の力を信じて いつも訪れているlastmoonさんのサイトが 長いこと更新がなくなっていたので、 案じていたが、昨日久しぶりに更新されて、 結婚後、生まれてくるかもしれない新しい命のために 続けていた薬を止め、就職した新しい環境で 周りの人が自分を嫌っているという妄想に 襲われているということだった。 この妄想にはわたしもずいぶんやられて 何度も何度も死にそうになったことがある。 人ごととは思えずに、 lastmoonさんのサイトの掲示板に下記の投稿をした。 がんばってくぐり抜けられることを祈ります。 「 lastmoonさま しばらく更新がなかったので、なにか 異変が起こっているのではと案じていましたが、 就職して新らしい問題と闘っていらしたのですね。 結婚して新しい命のために 薬を止めたと知って感動しました。 よほど苦しいだろうに、自分の苦しさより 生まれてくる命のためにその苦しさと闘おうとする lastmoonさんの命の決断をとても貴重なものだと思います。 すごい妄想に襲われているようですね。 薬を止めた副作用の可能性があると思います。 わたしも思い返せば、ヒマラヤで学校建設のストレスから 極度の神経症に襲われたことがありますが、 そのときも長年続けていた睡眠薬のがぶ飲みを止めた 直後だったことに気づきました。 わたしが医者から処方されていた睡眠剤は、たしか 情動不安を引き起こし、暴力的発作に囚われるという 報告が相次いでヨーロッパではすでに何年も前に禁止されていた のに、日本ではその後も長く野放しにされていたという 悪名高いハルシオンという睡眠剤でした。 飲み続けて副作用が出る薬を、急に止めるとどんな副作用が出る のかは未知です。薬剤会社は患者を未知の結果の生体実験に使っ ていることになります。 わたしが襲われた神経症状も、周りのインド人の大工さんや 左官屋さんがわたしの意向を受け入れず、自分たちの利益ために 延々と工事を引き延ばしているという妄想でした。 その妄想はわたしの場合、激しい暴力的な発作を伴う怒り発作と なって襲いかかってきて、何度も周りの人を思わず殺しかけたこ とがあります。 他人に対する殺意がこみ上げるときは、すぐその殺意は自分にも 反転し、学校の14メートルの屋上から飛び降り自殺する発作に 何十回も襲われ、怖くて屋上に上れませんでした。 他殺衝動も自殺衝動も寸前のところで思いとどまれたので 今なお殺人者にも自殺者にもならずにすみました。 これらの妄想の根っこは、私たちが胎児だったころに 子宮収縮が始まり、永遠に続くかと思われる苦しみに直面したと き胎児が異変を察知し、悪いことを推測した体験をなぞっている ことにあるので、防ぐことはできません。 lastmoonさんが今陥っているように、これは妄想ではなく現実だ という確信に襲われれるのも、妄想そのものの特性です。 わたしも底までその妄想に囚われ、逃れることができませんでし た。 いまなら、見ず知らずのインド人の大工さんがわたしを憎んだり 、陥れようとするなどあり得ないと分かるのですが、当時はまっ たく周りの人がみんな悪人に見えました。 つらいでしょうが、これに耐えてくぐり抜けてください。 薬の影響はかならず、そのうちからだから抜けます。 どんなひどい妄想もかならず過ぎ去ります。 わたしは自分の体験からそれを学びました。 一生続くことは絶対ありません。 自分のからだの命の力を信じてください。 ではまた。 」 彼女の職場がどんな職場か分からないが、 日本の職場で働く人は多かれ少なかれ、現代の敵対的な自我に囚われている。 これは現代世界の人が無意識のうちに帯びている拘束だ。 神経症に襲われたときは、目の前の人の些細なしぐさにも、 潜在している無意識の対立的なクオリアに反応して 「理由もなく嫌われている」という妄想が生じるのは避けられない。 わたしの場合、日本の労働者に比べたらはるかに牧歌的なインド人の大工や左官屋さんにさえ 敵意を感じて、妄想を抑えられなかったのだから、日本ではなおのことだ。 lastmoonさんのサイトに行く lastmoonさんの日記を読む |
| 2007年8月22日 ●風邪、熱、真夜中のグレコ ここしばらく風邪気味だ。 うがいを欠かさず、喉のコロニーを 排除し続けていたが、 じょじょに風邪に押し込まれつつある。 すると、奇妙なことが起こりだした。 毎夜早く寝てからだを休めなければならないのに、 論理とは逆のことをしだす、ぐれた人格が現れ始めた。 からだのためには良くないが、 どことなく懐かしい人格だ。 昔は、夜更かし、酒、タバコ、 睡眠薬、妄想などがセットになっていた。 なんとなく、世の中に斜めにからだを向けて 退嬰的なことを志向する。 これは誰なのか? しばらく忘れていたが、 若い頃はこのぐれた人格状態は もっともなじみ深い人物のひとりだった。 どこへ潜っていたのか。 風邪気味で微熱が続き、どことなく退廃的な 雰囲気に惹かれている。 昨夜も朝5時まで満州のカンフーDVDを 繰り返し見て夜更かししてしまった。 とりあえず、名前だけ付けておこう。 真夜中のグレコ。 わたしの若年の退廃の象徴だ。 たしかに、何の役にも立たない人格だ。 自分をだめな方向へ方向へと追い込んでいく。 だが、この人格もまた、生き方が見つからなかった 若年の頃に、退廃する時を耐えるために わたしの命が編み出した生き物である。 どうすればいいのかは具体的に分からないが、 他の人格同様大事にしなければならない人格の ひとつであることは間違いない。 あらゆる創出を肯定されたときにだけ 命はその限界以上の創造力を はちきれるまで発揮するのだ。 生み出されたものには必ず出てくる必然性があった。 目先の狭い物差しで計って 命の創出物を切り捨てる愚を犯してはならない。 そんなことをすればそれこそ命がぐれ出してしまう。 真夜中のグレコは、 わたしの命がぐれだした記念物のようなものだ。 その頃わたしの自我は自分の命になにかとんでもない 無理な桎梏を強いていたのだ。 同じ愚を繰り返さないためにも、 グレコは大事な人なのだ。 |
| 2007年8月21日 ●転落のクオリア わたしにとって転落のクオリアほど 身に親しいものはない。 幼い頃から数え切れないほど、 棲んでいる星を追われて、 宇宙空間をまっさかさまに転落していく夢を見た。 中学の頃に詩を書き始めたときも 最初に書いたのが転落の夢だ。 母の世界を失い、祖母の世界から追われた体験が 繰り返し見る転落夢となった。 女性と別れたり離れ離れになったりするたび この転落のクオリアが蘇る。 自分のいる場所の底板が割れ、 異数の時空が顔を出す。 そここそが私のついの住処だとでもいうように。 日常体は重力のクオリアに囚われているが、 サブボディは重力からは自由だ。 子宮内や大洋を自由に浮遊するか、 それとも強力な重力に閉じこめられて身動きできないか、 転落夢、飛翔夢、遊泳夢など、 いつも違った重力のクオリアの中をさまよっている。 わたしの中でいつも真っ暗な空間を落ちていくやつ お前は誰なのか。 あまりに重要な人物なのに まだ名前も付けていなかった。 だが、このなんどもなんども転落していったやつが 一番最初に悟ったのだ。 どんなひどい転落体験でも まだ死んだことがないということを。 どんなひどい体験も通り過ぎるということを。 命は立ち直ることができるということを。 過去に何度も死んでしまいそうになったことがある。 今の学校の屋上から何千回飛び降りる衝動に駆られたことか。 だが、まだ死んでいない。 瀕死の神経症からわたしは立ち直った。 神経症も通り過ぎていくことを知った。 |
2007年8月16日 ●代替転換屋のうねりくねる欲望 「喉首伝う欲望をネクタイで締め……」 若い頃に読んだ清水昶の詩の一説だ。 この一行をかみ締めながら24歳のわたしは出勤したものだ。 ネクタイを締めなくなってからもう何十年も経つ。 欲望のほうも枯れてきて感じなくなっていたが 枯れるのではなく伏流していたらしい。 不意に欲望が喉首伝ってありありとうねってくることがある。 それで、わたしの欲望のありかについて 思い知らされた。 「代替転換屋」と呼んでいるわたしの分身人格がある。 幼いとき、母を見失い、 その後母と信じていた祖母をも喪失したとき、 わたしにとって別離の悲しみが飽和の量を超えた。 わたしの命はそのとき以来悲しみを味わうことを停止した。 悲しみに出遭いそうになると、命は機能不全になる。 感じるということを停止してしまう。 そして、わたしの中の<悲しみ処理班>として登場したのが、 アンドロイドのような機能を持つこの「代替転換屋」だ。 心を停止して、ただただ失ったものの代替物を超高速で探し出す。 17歳のとき、付き合っていた少女がいた。 ある日わたしの親友もまた彼女に恋していることを知らされた。 わたしは少女にそのことを告げ、どちらかを選ぶように頼んだ。 少女の答えは、「選ぶなんてできない」というものだった。 てっきりわたしを選んでくれるものとばかり信じていたわたしは その瞬間、無重力地帯に放り出された気がした。 そのとき気を失っている間に登場したのが「代替転換屋」さんだ。 翌日にはわたしは別の少女を好きになっていた。 当時はどうしてそんなことが起こったのか分からなかった。 わたしの中の悲しみ処理班の「代替転換屋」さんが 発動したなどとは当時は夢にも思わなかった。 その後もこういう謎の行動が起こることが何度かあった。 わたしの中の最大の守護神にして、 知らぬ間に人生を狂わしてきた最大の魔神。 それらがすべて「代替転換屋」の仕業だったと 気づくことができたのは50を過ぎてからだ。 関係に関することばかりではない。 インドに来て今の土地をリース契約しようとしたとき、 近所に住んでいたアメリカ人が嫌って妨害しようとした。 地主との交渉が暗礁に乗り上げかけたとき、 ある夜、「代替転換屋」さんが躍り出てきて、 世界中のほかの土地を片ッ端から検討し、 ついにハンガリーの田舎の土地に代替地を決めて その計画を一晩でつくり上げたことがあった。 ハンガリーのほうがヨーロッパの人々が参加しやすいから 学校経営も楽だというような企画趣旨もつくり上げて 私自身ほとんどそれに納得させられかけたことがあった。 とにかく動きがすばやい。 わたしの中の他のどの人格よりもすばやく活力的だ。 それもそうだろう。 三歳で母を失い、必死の眼で母の代替を探し回ったのが、 この「代替転換屋」の最初の活動だ。 そのころの体感だけは覚えている。 ものすごい速度であちこちを探し回っていた。 必死の眼だった。 いなくなった母を探す三歳の幼児の眼が血走る。 人生で何度か同じ目を持つ男女に会ったことがある。 そうか、お前もひどい目にあってきたんだね。 私達の命は暗黙の友になった。 七歳で祖母を喪失したときも、この「代替転換屋」が発動している。 そのときは隣に住む年下のみよちゃんとかくれんぼのとき 押入れに籠り、お医者さんごっこにふけった。 小便くさい幼児の股間のにおいをいつまでも覚えていた。 わたしの中のロリ人格が生まれたのは それが最初だったかもしれない。 「代替転換屋」は喪失した母への 欲望にとりつかれている。いや、不在の人の代わりに もっとも身近にいるものを親愛の対象とする習性がある。 60に近くなってようやく、 わたしの中の分身たちが登場したわけが透明に見えてきた。 欲望のうねりさえありありと分かるのだ。 見失った母への欲望と、その代替物へ変転する 欲望のうねりくねり。 そのうねりくねりが俺だ。 他の何とも取替えなど利かない紛れもない俺だ。 自分を引き受けるとは、このうねりくねる欲望を引き受けるということだ。 しかも、それひとつじゃない。そんなのが20人もいる! 厄介すぎてかえって笑い出してしまうほどだ。 楽しすぎるじゃないか! n個の性を生きるとは、自分の中の無数の欲望の質を 生きるということだ。 草木や花鳥にしか親愛を感じられない苔丸、魚吉、鳥麻呂たち、 彼らもまた、n個の性のうちの一員だ。 とてもまめな「すけこまし」もいる。 誰でもいい、相手にしてくれるなら、誰でも歓迎というやつだ。 これまでの人生でも瞬間風速的にしか登場したことがないが、 いることはいる。 「すけこまし」の喉首伝うありありとした欲望の味を覚えている。 「おまえがどんな性生活をしているか言ってみろ。 お前がなにものであるか言ってやろう。」 そう言い切ったフーコーは、 このありありと伝う欲望に正直に生きた。 おそらくその正直さでは誰にも負けないと フーコーは自負していただろう。 それが彼の強さだった。 ゲイのひとが一般に持つ、自分に正直になった強さだともいえる。 ヘテロの性愛のどれだけが、男女という元型や、 一夫一婦制の元型に無自覚に囚われた 不正直なものであるのかは、知らない。 だが、フーコーは向こう見ずにも言ったのだ。 「お前らは皆不正直者ではないか」、と。 すべての欲望に正直であること。 それらをすべて友として生きること、 それが透明になるということだ。 20の人格の性的嗜好の違いをすべて見透かし、 それぞれの違いの多次元的関係を透明に見るということだ。 そうすることで、そのうちのたったひとつの性への囚われから、 解放される可能性が見えてくるかもしれない。 |
| 2007年8月4日 ●男女という元型を脱ぐ 今週は転換の一環として、男女の転換を練習した。 アジアには、典型的な男舞の振る舞いと、 女舞の振る舞いとの違いがある。 インドネシアで出合った、 小さいころから民族舞踊にいそしんだ青年から、 手ほどきを受けた。 手のひらで空気を押さえるように、 親指方向に8の字型に回すのが男の舞で、 手の甲で風を受け流すように男舞とは反対方向に 肘から抜きながら8の字に回すのが女の舞だ。 脚の使い方にも同様の違いがある。 中東のベリーダンスでは、 骨盤を内へ内へと繰り入れるように回すことで女性性を強調する。 脚の踏み方の違いによって、からだに立ち上がる体感の流れも、 男舞と女舞との違いを感じ分けることができる。 私は昔、 「父は泣け、母は嗤えと云った」というタイトルの踊りを創ろうと 何年も取り組んだことがあるが果たせないままになっている。 女体へのなりこみの難しさのせいもあった。 お気に入りのドレスをあるときなくしてしまったショックのせいもあった。 男とは何か、女とは何かという底知れない問いに 迷い込んでしまったせいでもあった。 今ようやく、自分が突き当たっていた深い闇がなんであったのか 少しだけ透明に透けて見えてきた。 男女というのも私たちが囚われている<元型>だったのだ。 よくよくからだに感じ入れば、私たちの中には、 男と女以外に、子供とか幼児とか、赤ん坊とか、 胎児、老人、死者など、男女の枠に入らない性が無数に存在する。 それらは、未成熟な男女でもなく、役割を終えた男女でもない。 男女ではない別の性なのだ。 男と女の間には、無数の階庭がある。 男女の元型に囚われず、それら無数の性を生きること。 その昔、ドゥルーズとガタリが語った、 n個の性を生きよ、とはそのことだった。 その言葉を知ってから、十数年してそれが、 男女元型への囚われを脱ごうとするものであったことに気づいた。 男舞、と女舞の間には、無数の性の変幻がありうる。 胎児、幼児、少女、少年、天女、天使、老婆、老人、女形、男勝り、 ゲイ、レズ、ロリ、ショタ、バイ、サド、マゾ、各種のフェチ、 ――これらはすべてn個の性である。 自分が囚われている性を脱ぎ、 n個の性の踊りを発明せよ。 なんと楽しいことじゃないか。 すると、この課題はただちに私の 多重人格日記の領域と重なってくる。 私の30余の人格たちはそれぞれの性的嗜好性をもつ。 あるいは無性だ。 多重人格者はすでに世界に先んじて、 n個の性を生きはじめている人種である。 (この記事は共振塾ジャーナルと多重日記のどちらにも分類できるので 双方に載せることにした。) |
2007年7月22日 ●解離性人格を踊る からだの闇には実にさまざまなものが詰まっている。 そのうち、からだの原始的な生命衝動のようなものを聴くことから、 粘菌体や獣体などの原生体系の十体を見つけてきた。 また、自分のいくつもに解離しちまった人格分身を探求することで それまで見知らぬ異貌の自己を踊る十体が発見された。 そして、最後に自分と社会や国家との絡み合いの中で 発現してくる別系統の自分があることも発見した。 わたしは自分の中に発見したあらゆる解離性の人格を踊ろうとしてきた。 まだ、そのすべてを踊りきれているわけではない。 怒りにまみれた修羅系の人や、 母にまつわる自分は手ごわすぎて踊ることに成功していない。 だが、それ以外はほとんどすべて踊ってきた。 今日は自分の解離性人格障害と踊りとの関係について書こう。 この両者のかかわりには、まだ未解明の、 だが、切っても切り離せない関係がいっぱい秘められている。 これを書いているうちに、舞踏論の第11章 「生命・元型・十体」にまで発展した。 そして、書き上げた舞踏論のうちから、 解離に関する部分をこちらに再録しておくことにした。 ●異貌の自己たち からだの闇の底にnoto-meや解離された副人格、 劣等人格、影などという情けない名前をつけられ 封印されている異貌の自己がある。 それらから作った踊りのからだを異貌体と呼んできた。 これらはすべて、生命が幼少期に生み出した 未完成な自我の分身だ。 心身を縮小していくと出てくる侏儒(=小人)体、 眇めや、歪み顔から出てくる幼魔体、 ――わたしの分身で言えば、こすっからし、ネズミ、計算屋、 代替転換屋、テーブル返し、天邪鬼、甘えた、泣き虫―― 男女の性を転換したいというクオリアからでてくる女体…… 人によって無数の異貌の自己がからだの闇に潜んでいる。 わたしのからだの闇には30以上の異貌の人格が棲んでいる。 幼少期に発現されようとした生命衝動のうち、 多くは、親や教師など強い影響力を持つ大人から無視され、 選択的非注意のまなざしを差し向けられることで萎んでしまう。 いわば、生み出されようとしてうまく生まれ出られなかった 「失敗した自我」だ。 だが、いくら失敗自我だとしても、決して死滅はしない。 それらは現れる必要があったから生み出されたのだ。 それらの自我の分身たちは、 未熟な幼児期に大急ぎで形成された未完成な自我を携えながら、 からだの闇の奥深くで震えながら長いときを耐えてきた。 なんらかの生命衝動と未完成の自我との混合物が、 影やnot-meや副人格の正体だ。 それらの分身たちをインナーチャイルドや、 インナーベイビーという形で捉える人もいる。 サブボディメソッドでは、 インナーフィータス(内的胎児)にも注目する。 グロフの捉えた分娩前後の体験が、 下意識のからだに深く刻み込まれているからだ。 それらは仏教では前世の性として解釈されてきた。 シャーマニズムやアニミズム社会では、 もののけが取り付いたと理解される。 文化の違いによって、解釈は大きく異なるが、 どの文化もみな人間に起こる不思議な現象に取り組んできたのだ。 それらのどれにも依拠せず、それらを貫通しているものを 透明に見抜く眼を鍛えるほかない。 それらの影やnot-meや副人格のうち、 とくに幼少期に何らかの虐待を受ける環境で形成された分身は、 他の自我からは解離され、からだの闇深くに刻み込まれる。 それらが生まれた時期が幼少期であればあるほど、 また、虐待の程度が強ければ強いほど、解離度も大きくなる。 私の中の分身たちも、解離度の強い孤絶型の人格と 他の人格ともうまくやれる人格とが存在する。 それは、サイトで出会った多くの解離性の人の人格たちが 共通に持っている特徴だ。 だれともコミュニケートできない人格もあれば、 他の人格の状態を理解する人格、 仲介できる人格、通訳できる人格、 ただすべてを眺めて知っている人格などの違いがある。 また、解離された人格にまでは発展せず、 しへきや癖や囚われという部分的な傾向として 形成される場合もある。 それらもひとつながりなのだ。 これらの自我分身=異貌体の系統は、 さまざまな自我元型として現れてきた。 世の中の人が自分のアイデンティティとして 大事に抱えている自我こそ、今世紀最大の元型である。 そのバリエーションとして、影元型、童子元型、 トリックスター元型などの自我系統の元型がある。 ユングがタイプ論として分類した中では、 思考型のタイプがこの自我元型に入る。 フロイドの人格分類では、ナルシズム型の自我元型となる。 いずれも自我の思考チャンネルは、 二項論理という簡便かつ低次元の思考元型に囚われている。 異貌の自己を踊るということは、 未完成の未熟な自己を赤裸々に見せるということだ。 自我や超自我からさまざまなかたちの規制が下される。 みっともないものを見せるな! 俺とは関係ないぞ! ほどほどにしておけ! ――などと。 それらの自己規制と闘い、 無数の自我元型と抗い、 思考元型にゆがめられ、 やっと異貌の自己を踊ることができる。 だが、自我衝動と自我元型の間の謎ほど、 リビドーと元型の関係の中でも深い闇に包まれているものはない。 自我は、もっとも意識の中核であるかに思われているが その中心部は不透明で不可視の無意識に深く覆われている。 自我の中心には無意識が鎮座しているのだ。 わたしにとっても自我とその分身をめぐる 異貌体系の十体は依然もっとも深い謎だ。 だが、それを踊り続けることによってのみ、 自分という謎、命という謎を少しずつ解いていくことができる。 ●憑依するからだ 個と類との間で、あるいは個と社会の間で人間は引き裂かれる。 フロイドはここを超自我と自我やエスとの関係として、 吉本隆明は共同幻想と対幻想・自己幻想との関係として捉えた。 わたしはこの領域を憑依体系と呼ぶ。 個と社会との間では人類史を通じて無数の葛藤が起こってきた。 それらの葛藤はすべて遺伝子深く刻み込まれている。 他の力に動かされるクオリアは、くぐつ体へ、 他の人々のために闘うクオリアは、修羅体へ、 人間的な情をなくしてしまうクオリアは喪心体(ヒューマノイド)へ、 老いぼれ萎んでいくクオリアは、衰弱体へ、 性を転換して人のために転生したいというクオリアは天女体へ、 そして、自分の体を他の生命の媒体として明け渡していくクオリアは憑依体へ変容しようとする。 これらのクオリアはすべて個と類との間の葛藤のクオリアだ。 それらが、生命衝動と元型とのあいだでもみくちゃにされる、 それが人生だ。 生きた十体はそのもみくちゃにされる人生の現場から生まれる。 超自我系の元型は数が多い。 フロイドが指摘した、検閲官、裁判官、批評家といった常連から、 グレートマザー、老婆心、英雄、ペルソナ、アニマ、アニムス、 スピリッツ、精神など、ユングが研究した自己像元型の群れがある。 そのほかに、ユングが注目しなかったが重要なものに 世界像元型がある。 天国、地獄、大洪水、嵐、動乱、天空、地底…… そう、憑依体への衝動は これらの世界像=自己像にもみくちゃにされるなかから、 自分一個の条件を離れて、人のために生きる生へ転生したい という類への衝動から生まれてくるものだ。 旧宗教、新興宗教の区別を問わず、宗教の創始者となった人には、 現実人生で苦難の果てを体験し、類への転生衝動に駆られた人が多い。 だが、そういう衝動はすべての生命のなかに存在する。 仏教で、すべての生きとし生けるものの中に仏性がある とするのはそのことを指す。 生命はもともと個と類の一個二重の闇でゆらいでいるものだ。 類への転生の生命衝動と、無数の世界像=自己像元型の葛藤の中から 自分の憑依体を発明すること。 それが、類としての生を生きることにつながる。 |
2007年7月21日 ●コピーライター君、健在! やっと分かった。毎夜毎夜、 遅くまでサイトの更新をし続けているのが誰だったのか。 なんだか写真のトリミングなどにいやに細かいと思ったら、 長年雑誌やPR誌の編集をしていたコピーライター君が 出てきていたのだ。 45歳でダンサーに転生してから、 長年もう消えてしまっていたのかと思っていたら、 ちゃんと生きていた。 毎夜毎夜、授業が終わったあと、 やけにくそまじめにサイトの更新に情熱を燃やす 男が出てきていた。 ダンス教師のリゾームLeeとは、 まったく別の働き者の人格だった。 それに気づかなかった。 俺の中ではダンサーも、コピーライターも、 革命家の山沢も、ほとんど変わりがない。 ごくごく微細な変化だから、本人ですら すり替わったことに気づかない。 でも、性格がぜんぜん別人だ。 ダンス系の人は、事務系がまったく駄目だ。 学費の計算すらできない。 本人にすら気づかれないで 人格がすり替わっている。 しかしこれもいったい、 人格交替といえるのだろうか? あるいはこんなことはすべての人に 起こっていることではないのか? ほんとうは現代では、誰もが多かれ少なかれ 知らない間に解離性人格障害に なっているのではないのか? |
| 2007年7月10日 ●命の多次元ゆらぎと多重人格 多重人格と命の多次元共振性との間に 密接な関係があることが透けて見えてきた。 生命はきわめて多次元でゆらいでいる。 40億年前に生まれたときから、 重力、光、空気、水、音、無数種の分子、 などあらゆる物質、エネルギーと一挙同時に共振し、 そこから記憶された内クオリアとも同時に共振し続けている。 命はこのようなきわめて多次元的な共振のネットワークの中にいる 。 この命の多次元共振性が、 多重人格の基礎になっていることに気づいた。 わたしの多重人格性は、命の多次元ゆらぎという 普遍的な本質の発現形態のひとつなのだ、と。 それが解離しているかどうかは、その人格が生まれたときの 外傷の深さによるもので、本質的な差異ではない。 そう捉え返すことで、ずいぶん楽になった。 命はもともと多次元クオリアと共振しながら 多次元をゆらぐ存在なのだ。 命は、いやおうなく出会う対象や状況に応じて、 共振的に、多数多次元の生き方を創発していくものだ。 そして、再びよく似た状況に遭遇すれば、 その形質を発現してことに当たる。 即時遺伝子がその形質を発現するキーを出し、 細胞で状況に対応したたんぱく質が生成される。 多重人格のそれぞれが物質的・体質的に異なった性質を 持つことがあるのはそのためだ。 命は本質的に状態依存的であり、多重人格的なものなのだ。 多重人格とは命の創発作品である。 一つ一つの人格を認め、愛し、友達になることが大事だ。 命の多重人格性は多かれ少なかれ誰にもある。 捨て猫なども飼い主や状況が変わるたびに 別の人格(猫格?)に変化する猫を飼ったことがある。 幼少期に極度の緊張を強いられる外傷体験に出会うと、 そこでつくられた人格は解離することが多い。 記憶からさえ追放され、命の奥深くに刻印される。 だが、後に同様の状況に出会うと、 目つき、声音まで違う別の人格が発現する。 まだ未解明の問題は解離の程度の違いだ。 からだの闇に潜り、自全の旅をし続けているうちに、 わたしの中の30余の人格は、 それぞれに異なる解離度を持つことに気づいた。 どうしようもなく制御できない独立独歩の人格と、 そうでもない人格の違いがあることに。 これからこの解離度の違いについて考究するつもりだ。 それはどこから生まれるのか。 どこへ行くのか? |
| 2007年6月15日 ●樺美智子、安らかに眠れ! 今日は6月15日だ。 わたしのからだの闇に棲む幾人もの死者のうち、 もっとも早くになくなった樺さんの命日だ。 毎年6月と、学友山崎が虐殺された10月は、 いまだにからだが変になる。 1960年6月15日、日米安保条約に反対する全学連のデモに参加していた東大生樺美智子さんはデモ隊に警防で襲い掛かる警官隊の暴力によって絶命した。 そのデモには、和歌山から上京したわたしの母も参加していた。 9年前、わたしを、日本から飛び出すように促してくれたのは、夢に現れた樺さんの声だった。 わたしの中の死者たちの荒ぶる霊を安らげるため、ここにその文章を引く。 「 この6月15日、1960年6.15安保闘争デモで死亡した樺美智子さんが舞い降りてきて耳元でささやいた。 「Leeさん、もう嘘を踊るのはお止し」。 その途端に気づいた。 自分がいかに自己欺瞞的な踊りに陥っていたかを。 いろんなダンサーのネットワークをつくったりしているうちに、 嘘の丸いキャラクターが人前に出て、本音を見失っていた。 自分の中には眠っている20の異なる人格がある。 そいつらをすべて自分だと引き受けて解放してやれ。 そうだ、みんな俺だったんだ。 反戦運動のオルグだった17歳の俺。 1967.10.8 ベトナム反戦闘争で同級生山崎博昭 羽田デモで死亡。 その後、数え切れないほどの友人が機動隊との激突や内ゲバで死亡。 あるいは精神病で自殺。戦争の中の日付のない死。エイズの死。 民族紛争の死。家族の中の戦争の死。 そんなことを尻目に楽しいことだけ踊ろうとしても、 昔の死者たちが一緒に踊りに来てくれないのは当然だ。 俺のダンスはあらゆる世界に開いていく。 自分の中の死者たちと踊る。 死者の世界をパートナーに踊る。 自分の一番深い地下茎から踊る。 さらば!土方巽、安らかに眠れ。 野口三千三、安らかに眠れ。 父よ、母よ眠れ。 フーコー、ドゥルーズ、ガタリ、みんなみんな安らかに眠れ。 」 この文章は1998年6月15日に、小さなチラシに書いた。 そのときはまだ解離性同一性障害は本格的には発症していなかったが、 自分のからだの闇に20の人格が存在することは予感していた。 いわばわたしの中の、「一所懸命多重人格に直面しようとする旅」の始まりの記録だ。 わたしはこの旅で偽者の<自我という同一性>(=アイデンティティ)を脱ぎ捨てた。 同時に、自我を否定することのできないモダンダンスにかまけている人々と袂を分かった。 かれらの小さな自我の毒がわたしのからだにも回りそうだったからだ。 彼らと付き合うための偽のアイデンティティが、どんなに自分を欺瞞的に縛っているかを知らせてくれたのが夢枕に立った樺さんだった。 この社会に同化するための偽の自我の仮面を潔く脱ぎ捨てて、 多重人格に苦しむことこそ人としての本当の生であることを教えてくれたのだ。 ありがとう、樺さん。 おかげでわたしはヒマラヤに転生することができた。 安らかに眠ってください。 樺美智子さんの墓碑銘に記された彼女の詩「最後に」 「 誰かが私を笑っている 向うでも こっちでも 私をあざ笑っている でもかまわないさ 私は自分の道を行く 笑っている連中もやはり 各々の道を行くだろう よく云うじゃないか 「最後に笑うものが 最もよく笑うものだ」と でも私は いつまでも笑わないだろう いつまでも笑えないだろう それでいいのだ ただ許されるものなら 最後に 人知れずほほえみたいものだ 」 1956年 美智子作 樺さん、あなたがまだ微笑むことができないのを わたしは知っている。 世界は酷くなるばかりだ。 でも、希望がないわけじゃない。 待っててください。 わたしが、あるいはわたしの仲間が 微笑を届けることができる日まで。 (多重日記が書けた日は、 わたしのいくつにも砕け散る魂もほんの少し和らぐ。) 1960年安保反対闘争のビデオ 1967年ベトナム反戦羽田空港闘争のビデオ |
| 1960年 安保闘争 樺美智子虐殺死 |
| 1967年 ベトナム反戦 羽田空港闘争 山崎博昭虐殺死 |
| 2007年6月7日 ●弟からの手紙 もう7,8年も音信不通になっていた弟から 懐かしいメールが来た。 ネットで検索して見つけてくれたらしい。 踊っているわたしの写真を見てわたしだと確認できたという。 それで、わたしはこの世に兄として生まれてきたことを 不意に思い出させられることになった。 わたしは3歳で実母のもとから引き剥がされ、 大阪の父母や弟たちとは別に和歌山の祖母のもとで7歳まで育てられていた。 ところが、7歳のとき突然父母弟たちのもとに引き取られることとなった。 わたしは泣いて抵抗したが、母と祖母とが仕組んだ芝居にだまされて あえなく大阪の母の家に移送された。 そのときまでわたしは3歳で失った実母の代わりに、 祖母を母と信じていたのだが、7歳で第二の母である祖母との世界もまた失うことになった。 この二度にわたる母の喪失がわたしの特質を決定することになった。 住む星から落ち続ける悪夢や、 子宮の中で漂ううちそれがニセ子宮に変容する悪夢を見だしたのはそれからだ。 それまで、祖母のもとで甘えたの一人っ子として 育っていたわたしは突然わが身に降って湧いた 「にわか長男」という境遇を無理やり受け入れなければならなくなった。 母はスパルタ教育で見事にそれをやってのけた。 ほうれん草の赤い根っこの部分を生まれてはじめて食べさせられて 残したわたしを、母は「食べられないものなど出していない!」と 残すたび毎回お尻百叩きの刑を与えた。 わたしを打つ母も泣いていた。 父との不和でひん曲がってしまった自分の人生の悲哀を すべてこめてわたしの尻をいつまでも叩き続けた。 じっさい子供のわたしにとってその母の折檻はいつ終わるともしれない悪無限的な拷問に感じられた。 だが、夕食ごとに繰り返されるそのスパルタ的惨劇のおかげで、 短期間のうちにわたしは「大人の言うことをよく聴くかしこい長男」 というペルソナをつくり上げた。 そうしなければ新しい環境で生きていけなかったからだ。 かくして、わたしは父母教師にみせるペルソナと、 その仮面の奥でくぐもる幼少の人格群に解離された。 (弟たちに対して見せていたのも、おそらくこの 「かしこい長男」というペルソナ人格だけだったのではないか。 それ以外の下記のようなサブ人格の存在を、弟よ 君は気づいていただろうか。もし何か、片鱗の気配を感じ取っていたら教えてほしい。わたしにとってもまだ未知の人格が潜んでいるかもしれないから。) 解離された幼い人格群のうちには、 不在の母を探し続ける3歳のりゅうり以外に、 すぐさまいなくなった母の代替案を発明するたくましい代替転換屋、 大人を信用せず自我なきロリとのふれあいに生きるロリ人格、 自分のいた世界が根底から転覆されたと同じやりかたで 世界を扱いなおし、この世を転覆しようとしつづけるテーブル転覆屋、 世界を魔法にかけて変えてしまおうとするりゅうり大魔王など、 現実と幻想とを交錯する、とても奇妙な人格群が生まれた。 踊りを始めて、自分のからだの闇を掘る中で 「かしこいにわか長男」としてのペルソナの奥に解離され 潜んでいた分身たちがつぎつぎと躍りだしてきた。 彼らが次々とめまぐるしく出てきてくれるおかげでわたしの踊りは 自分でもたまげるほどとんでもなく多彩多様多次元的なものになった。 わたしも踊りを創るまでは自分のなかに そこまで奇怪で突飛なやつらが潜んでいるとは知らなかった。 だが、この自全にひそむ全メンバーを踊ることを通じて ようやくわたしは自分の全体と和解し、 それらすべてを含む世界とのつながりをも理解できるようになってきた。 わたしの幼少期の運命を決めた父母の不和、父の浮気も、 第二次世界大戦に20歳で徴用されて大陸で敗戦を体験し、 いち早く敗戦の情報を掴んだ上官たちが逃げ帰ったあと、 迫り来るロシア軍との殿戦を戦いつつ逃げ帰らざるを得なかった 父の鬱屈、刻み込まれた上官不振、 そして、敗戦後すぐの2.1ストに国鉄労働組合の活動家として参加し、 マッカーサーのスト中止指令であえなくつぶれた戦後革命の夢、 こういう挫折を積み重ねてきた父の人生にとって 養子結婚で入った母との新婚生活に順応できず、 赤線新地での婚外交渉に、第二の現実を見た父の生の屈折のリアリティを 受け入れることができるまでに何十年もかかった。 母の悲しみ怒り狂乱の元となった父母の関係も 戦後史全体のなかで受け入れると、 何もかも無理なかったことに思えてくる。 父母もまた戦争と戦後の混乱に振り回されていたのだ。 大本教、金光教、天理教、共産党、創価学会と 戦後日本の新興宗教のすべてにすがり、 父にもまさる多彩な性の遍歴を生きた母もまた、 全力でその乱流と抗い生き抜いていただろう。 そういう世界全体を踊ることができるようになって はじめて自分の全体を受け入れることができてきた。 もちろん、わたしのからだの闇は、 まだまだ制御不能の分身たちでにぎわっている。 これも楽しからずや、じゃないか。 60になってようやく、 自分を笑えるようになってきた。 父母よ、あんたたちが懸命に生きたおかげで 俺の踊りはとことん面白くなったぜ。 ありがたいことだ。 たった2歳違うだけで、わたしと弟たちとは、 決定的に異なる幼年期体験をもつ。 だが、いずれにせよ、 それらを透明に見透かすことができるようになるまでは、 人は意識の下で蠢くそれら不透明な力に支配されたまま生きるしかない。 弟よ、きみもまた、きみのやりかたで 自分の全体を透明に見透かしたまえ。 人生の中でこれほど面白いものがまたとないことだけは確かだから。 (わたしのからだの闇に棲む、30人格あまりの解離されたサブ人格については、 この「多重人格日記」の前身「行方不明者たちの日記」に詳述しています。 分身たちの面子は、時に応じて刻々と変化し、また、思い出して整理するごとに リフレーム(再編成)される。そのたびに少しずつ身近さが増す。自全の全メンバーと 友達になっていくプロセスをたどる。 統合というものがありうるとしたら、その長いプロセスの向こうにあるか、ないか、 いまではもうどちらでもよい気がする。多重のまま生きていても不都合が起きないよう 個人的な付き合いからは遠ざかり、生徒たちとの関係だけを生きることにしたからだ。 授業中にどんな人格が飛び出してきても、それは教材として使われ役に立ちこそすれ、 誰にも迷惑はかからない。 そういう多重のまま生きる生き方をようやく発明することができたことになる。) 『行方不明者たちの日記』を読む |
| 2007年5月30日 ●まだ見ぬアニマよ わたしにとって人生で最大の謎は なぜわたしはいつまでも、 まだ見ぬアニマを探し続けているのかということだ。 わたしが好きなのは、どんな顔立ちの、どんな体型の、どんな気立ての娘なのか? わたしに似合う少女は誰なのか? 誰がいったいわたしと愛し合ってくれるのか? わたしには幼少の頃から見失った女性があまりに多いので、 誰を探しているのか、なかなか見分けがつかなかった。 わたしには1歳違いの腹違いの妹がいる。 戦争から帰ったばかりの父が新地の芸者に孕ませた。 ずっと会いたいと思っていたがついに会ったことはない。 会えばきっと中上健二の『枯木灘』の主人公と同じように 腹違いの妹と交わっていたに違いない。 交わる以外関わりようがない関係なのだ。 また、妊娠9ヶ月で死産されたひとつ違いの美和子という妹がいる。 そして、3歳で母から捨てられている。 夢の中でも必死になって突然いなくなった母を探し続けた。 おそらくわたしの下意識は永遠に このいなくなった母を探し続けている。 6歳のときに生き別れになった幼馴染のみっちゃんもいる。 同じときに母代わりに育ててもらった祖母からも捨てられている。 彼女らから離れた7歳のときにわたしは隣のみよちゃんという年下の子と お医者さんごっこをはじめた。 アニマはこれらの女性のいずれか、 あるいはそのすべてと関係していると思われる。 物心ついて以来わたしがしている最大のことはいつも まだ見ぬアニマを探すことだった。 どこかにわたしに似合う人はいないか? 必死に探し続けているのがわたしだった。 小学校で探し、中学校で探し、行き帰りの電車の中で探し、 高校で探し、大学で探した。 群衆の中を探し、ディスコで、スキー場で、プールの中で、 デモ隊の中で、トライアスロン大会で、世界中の公演旅行で、 インドネシアで、韓国で、ハワイで、タイで、インドで、ネパールで、 ハンガリーで、フランスで、オランダで、ベルギーで、ベネズエラで、 写真集の中で、漫画の中で、アニメの世界で、ネットの中で、 空想の中で、夢の中で、一心に探し続けていた。 アニマを探すのがわたしの人生だったといってよいほどだ。 いまでは、おそらく、3歳のときに母に捨てられて以来、 突然いなくなった不在の母に囚われているということが透明に見えている。 だが、物心ついてい以来のわたしの実感では 母ではなくアニマなのだ 探しているのは自分の宿命のかたわれなのだ。 そこのところの見分けがとことんついていない。 わたしはいったい何を探し続けているのか? ユングによればアニマもまた、 集合的下意識から立ち上ってくる元型の一種だ。 自分の宿命のかたわれとはなにか? それはほとんど自分を探し求めていることに等しい。 だからいつまで経っても出会えるはずはないのだ。 永遠に探し続けるのがわたしだ、という気がする。 そのときもっともわたしは自己的である。 アニマを探しているときもっとも自分の元にいる。 それがわたしの性的性向かもしれない。 だがそれではあんまりではないか。 かくしてわたしはまた、アニマと出会うのかもしれない。 ユングは笑うだろう。 何回、自己の幻影と出会えば気が済むのだ、と。 出会った人が幻影でない保障はいったいどこにあるのか。 |
2007年5月29日 ●こうもり、工作者、粘菌リゾーム 「ことばで説明できなくてもからだで納得できることってあるでしょ。わたしはそれで動いているのよ」 昔ある女性とつきあい始めた頃、 二人で見た映画の感想をことばで交換しようとしたとき、 その女性が示した意外な拒絶反応がそれだった。 今から思えばわたしは、 それまであらゆる内的体験が言語に置換可能であるという 思い込みに囚われた文学系の知識人とばかり付き合っていたのだ。 そのときはじめて、そんな共同の思い込みの外側に棲む 異次元の感性と出会ったことになる。 その後わたしは人妻だったその女性と恋に落ち、 何年間かの非言語的な甘美を味わうこととなった。 1995年にスペイン人舞踏家サンチャゴ・センペレに出会い、 彼との交流の中で感じたものを『透明さについて』という 短い文章にして友人たちに配った。 そのとき、ある女性の舞踏家は 「Leeさんて、なんでもいったん言葉にしてから 理解しようとする人なのね」 という違和のこもった感想を漏らした。 そのときもわたしはまだ、言葉を介しない理解の世界が あることを知らなかった。 不思議なことだが、今に至るまでわたしの立場はいつも 両義的に分裂している。 踊りに転生したときわたしは、それまで付き合っていた 文学・思想系の友人たちに対しては 「俺はことばを信じない。からだのみを信じる」と、 断固たる「からだ」の立場を宣言し、 同時にからだの世界に棲む踊り手たちに対しては、 異常なまでにからだで起こっていることを 可能なかぎり言語化していく「ことば」の立場に立ち続けた。 これはかつて、谷川雁が、 「知識人に対しては断固たる大衆の立場に立ち、 大衆に対しては決然と知識人の顔を向ける工作者になれ」 と言った<工作者>の立場とそっくりだ。 ツリーとリゾーム、言語と非言語の間を自在に媒介する ツリーリゾーム論理をあやつる工作者。 谷川雁は1970年代にいち早く、そのころから気配を現し始めた 不可視の世界権力に立ち向かう論理を探ろうとして途中で斃れた。 世界権力は今巨大なグローバリズムとなって世界を覆っている。 わたしは彼の臨終の手からバトンを受け継いで走ろうとしている。 この世界権力を無化しうると信じて風車に突進するドンキホーテだ。 精神のリレーはこのようにして起こる。 ことばで言わなくても生命が共振しているので分かる。 そういえば、昔から、イソップのこうもりの話も 心に残っている。 獣と鳥との間で、 お前のアイデンティティはなんだ?!と突き詰められる こうもりになぜか同情していた。 生命の師と仰いでいる粘菌先生も、動物的な生活相と、 菌類的な生活相との間を往還する、分類学上の難問となっている。 わたしはアイデンティティというものの胡散臭さを 幼年期からかぎつけていた。 さんざん大人にだまされたわたしは、父や母のみならず、 世の中の人格者といわれる人々の二重底構造を見抜いていた。 うそだろう。 お前のアイデンティティなんて、 お前が信じる物語にすぎないじゃないか。 だからわたしは生涯をかけてアイデンティティを突き破る 多重人格になろうとしてきた。 幼い頃に受けた虐待によって、 わたしの幼い人格は無数の破片に分裂している。 思いがけないときにかれらは出現して驚かされる。 だが、わたしは、それを一生懸命肯定する道を探ってきた。 多重人格であるほうがほんとうで 単一の人格などに閉じこもっているほうがおかしいと信じて疑わないからだ。 すべての人の中に、多重人格の要素はある。 ユングが影と呼んだ劣等人格を秘め持っていない人などいない。 サブボディ共振塾では世界のどの国の人のからだの闇からでも おびただしいサブキャラクターが飛び出してくる。 それを肯定し、生きる道を切り開けばいいのだ。 そのほうがよほど楽しく健康的だ。 その人の魅力的な個性も創造性も、表に立つペルソナ人格ではなく、 影のほうに押しやられている。 わたしはいま、かつて、自分の性的性向を肯定して 「一生懸命同性愛者になろう。 ゲイは人間の新しい友情の形態なのだ。」 と言い切ったフーコーに倣って、 「一生懸命多重人格者になろう。 それは人間の新しい生存様式なのだ。」 といおう。 アイデンティティの外へ。 二元論の彼方へ。 リゾームになれ。 蜜蜂の群れ、モグラの穴、伝染熱となれ。 少女になれ。 ついに、たったひとつの秘密となれ! わたしのスローガンは、 きみの人生への応援歌になりうるだろうか? |
| 2007年5月14日 ●下痢のからだにはあの絵は耐えられない 今日は久しぶりに下痢だ。 インドでは毎度のことだが、朝から何も食べていない。 衰弱した体でおととい、 16歳の画家がゲリラ的にアップロードした絵を見ると 気持ちが悪くなり、いきなり削除してしまった。 耐えられなかった。 自分でもそうなんだから、よほど他の人には 気色悪い思いを押し付けているのではないか。 こんな憔悴したからだには、ヒマラヤの自然の写真が似合う。 昨日の日曜日は、サイトの編集を手伝ってもらっている 近所の高校生コンビ、バブルとキティが下の川まで 泳ぎに行くついでに写真を撮ってきてくれた。 静かな静かな生活を志向する人々がいる。 弱ったときはいつも出てくる 苔丸、鳥吉、魚助、虫麻呂たちだ。 わたしの中でもっとも静かな人々。 小学生の頃から、数年おきに定期的に出てくる。 インドに来る直前も、京都の桂の家の小さな庭に 近所の嵐山を歩いて採集した杉苔や、 檜苔、白毛苔などを植え続けていた。 一日苔や鳥を見ていた。 わたしの中でもっとも歴史の古い 生命共振志向の人々だ。 違う。そうじゃなかった。 本当に書きたかったのは 別の人格のことだ。 昨日一日、その人格とともにいた。 一日、どう書こうかと思案していた。 だがいまはまだ書けるときではないようだ。 もう少し隔離して守ってやらないと その人は生きていけない。 一番かそけき生を送る人だ。 一番書きたいことは、書けないことに属する。 こんなものなのだな。 私とこの世とのつながりは、いつもこんなふうにねじれきってしまっている。 |
2007年5月12日 ●往生際の悪いやつ 落眠する寸前のわたしのからだに素早くもぐりこんで、 夜中に絵を描くやつは誰だ? いったい何を描いているのか? ――生きているとはどういうことか、 ――私の命は何を創り出したいのか。 ただただ、そんなことを探っている。 人がみな、若いころ、自分とは誰かを求めて、 街やサイトをさまようように。 60近いわたしの中にも、まだまだ往生際の悪いやつがいる。 ほぼ自分とは誰かが確定しているはずなのに、 まだ、今ここにない、何かを求めている。 そいつが夜中に起きだして絵を描く。 無我夢中で探っているだけだ、まだ、いまのところは。 だが、この往生際の悪さは実に俺らしい。 常に自分の現在に満足できないのだ。 こいつが、私をこんなヒマラヤくんだりまで連れ出してきた 張本人かもしれない。 若い頃、自分は誰が好きなのか、 どういう女性を求めているのか分からずに、 街をさまよっていたことがあった。 手当たり次第に声をかけて話し込んだ。 インターネットができてからは、 サイトをさまよっていたこともある。 そういう遍歴で分かったのは、 捜し求めていたのは、自分自身だということだ。 自分が好きなのはどんな女性かという問いは、 実のところ、自分とは誰かという問いだった。 本当に好きな人に出会えれば 自分になれそうな気がしていたのだ。 ユングの言うアニマという魔に、 しっかりはまっていたわけだ。 その問題はまだすっかり解決したわけではないが、 今の私は命に出会いたい。 命とは何かを、しっかり握りしめてみたい。 私の命は無限変容を求めているのか。 サブボディダンスどころでは 追いつけないのか? ほぼ即興で数時間で描いた絵を見れば、 からだからあくがれ出でようとする魂と、 魂を保持しきれないからだが、 解離してバラバラになろうとしているかのようだ。 しかし、よくよく見れば、 16,7歳の頃描いていた絵とそっくりだ。 油絵と、コングラとの違いを超えて、 マチエールから、色使いまでそっくりそのままだ。 絵筆をコンピュータに替えても、 どんなに時を超えても、 描く人間が同じなら、同じ絵になるということだ。 するとこれを描いているのは、やはり16歳の俺ということか。 20代や、30代ではこれとは、また違った絵を描いていたからな。 スライドショーを眺めていて、少し分かった。 俺の命はからだの闇に棲む妖怪たちを すべて呼び出したいのだ。 16の頃からそうだったってことだ。 人間などにはとうに退屈していた。 あの頃書いていた詩もまた、 同じことを志向していたことを思い出した。 チャンネルを替え、年代を変え、手口を代えても、 命はひとつことを追求し続ける。 |
| 2007年5月4日 ●タバコ吸いの臨終 この冬に日本へ帰って以来、 30年ぶりにタバコ吸いのからだがぶり戻していた。 30年も続けていた禁煙を破り、 なぜ私のからだはタバコを求めだしたのか? この問いを問い続けていた。 おそらく、日本で自我モードに返ったことが 原因だろうと推測がついていた。 自我はいつも緊張の下にある。 悲しいまでに自他差別し 自分を守っていなければならない。 その緊張から3分間解かれる幻の 異次元体感を求めてタバコを吸うのだ。 タバコを求める体感をよくよく感じ分けると なにかを<誤魔化し>ているのだということが よく分かった。 ほんの少し緊張を誤魔化して ほっと一息入れたくなるのだ。 自我を誤魔化すといってもいい。 タバコを吸うことによる 心身の変化は瞑想で下意識モードに入る体感と どこかよく似ているという ミャンマーで最初に一口吸ったときの直観は正しかった。 30代のコピーライター時代に 日に200本も吸っていたのは 自我モードの緊張に加え 仕事を完遂しなければならないという 緊張に取り囲まれていたからだ。 チェーンスモーカーだから タバコ1本1分として、 日に200分も何かを誤魔化して、 そこから抜け出したい衝動に見舞われていたのだ。 あのころから自我と仕事にまみれた日常次元から、 異次元に脱出したいと 脳心身が求めていたのかもしれない。 そんなことだとは当時は微塵も気づかなかったけれど。 今の世界の人もまた 自我モードの緊張から 一時でも逃れたくなるのだ。 これは希望があるという証だ。 生命は現在置かれている自我状態を 欲しているのではないことの。 多くの人の命が潜在的な違和を感じていることの。 喫煙という嗜癖は、 自我のあり方を変えていくという希望の かすかなかすかな兆候と読めないわけではない。 これを突き止めたくてわたしのサブボディは、 タバコを吸ってみようとしたのかもしれない。 3ヶ月続いていた喫煙も、 今週のはじめに、この年齢で日に20本ものタバコを吸うのは 自殺行為であると不意に馬鹿らしくなってやめた。 タバコを吸っている間、 30代の頃の同僚や恋人の顔がよく浮かんだ。 煙にまみれた職場だった。 みんな何かを誤魔化したくて タバコを吸い続けていたのだ。 タバコを吸っている間、 授業で声がうまく出なかった。 やはり昔のからだに返ってしまっていたのだ。 タバコをやめた4月の第4週になって 突然また声が出るようになった。 おかげで、最後の週に他の人のサブボディの動きに 動きだけではなく体腔の声を共振させていく サブボディ=コーボディ劇場を 実現することができた。 タバコ吸い君が無事臨終してくれたおかげだ。 (いまも草葉の陰から生き返るのを狙っている のは知っているけれどね。) さあ、どうなることやら。 |
| 2007年4月26日 ●分身たちよ、百花斉放せよ! もういいのだ。 隠れていなくても。 わたしの中のnot-meたちよ。 くぐもり、逃げ隠れしてきた 幾十もの分身たち。 後もう、指で数えられるばかりの 寿命なのだ。 隠れていたって何の得にもならない。 この社会で仕事を持っていた若い頃は そうはままならなかった。 少しでも本声など口走れば 食い上げという恐れが待っていた。 子供が成人するまでは我慢せざるを得なかった。 だが、今のわたしにはもう恐れるものは 何一つない。 出ておいで。 無数の分身たち、影の人格、 ユングのいう劣等人格たちよ。 わたしの中から自由に躍り出て、 百花斉放せよ! ……………………………… ホントウニ、デテキテモイイノカイ? わたしの中の愛の失敗者、 10歳の少女を愛するロリコン分身が恐る恐る問う。 いいともさ! わたしの中の別人格、 小さな山奥の寺子屋みたいなものにすぎないが 一校の経営者であるわたしが答える。 いいともさ! そのせいで、入学希望者がたじろぎ 生徒が減ってもいいさ。 自分の全体に至ることのほうが よほど大切だとも! |
2007年4月21日 ●25時間目の分身たち いったい何人の人格がわたしを らっし去るのだ。 いつも25時間目を過ぎて 58歳のわたしが眠りにおちる瞬間を 見計らったかのように、 この数日間、16歳の絵描きや 17歳の過激派山沢夙がわたしのからだを のっとり、暴れまくっている。 おかげで今週は睡眠不足でくたくただ。 だが、わたしはむしろ喜んでいる。 わたしの中のあらゆる分身たちを否定しない。 それら全部がわたしだ。 どんどん出ておいで。 生き続けられる時間はもう限られている。 おまけに30代の頃のタバコ吸いまでがでてきた。 こいつの意図だけはわからない。 なにかチリチリと頭の中でイラついている体感に 関係してることだけはわかるのだが。 30年間の断煙を破ってまで、何をやりたいのだ? 17歳の頃わたしは小松川事件の李珍宇と、 朴寿南の往復書簡を読みふけっていた。 自転車で堤防を走る女子高生を押し倒して犯して殺した。 当時の性欲の嵐に噴き上げられているわたしには、 彼の反抗が他人事とは思えなかった。 現在の、米大学乱射のチョスンヒの犯行も、 他人事とは思えない。 米国やヨーロッパや日本の社会国家が持つ 主流派以外の人間を圧殺してくる力のことは 痛いほどわかる。 だからこそわたしはヒマラヤくんだりまで逃げてきた。 久しぶりに、チョスンヒの事件に関する 言説をネットで検索してみたが、 狂気だの、精神病だののひとことで済ましている。 怒りと憎悪で切り捨て、それで終わりだ。 いまのネットやブログは、 人の痛みに気づけない人によって占領されているかのようだ。 問題の根源が、そういう人と人の共振をなくした 今のエゴ優先の社会と国家の封圧力にあることに 気づいている人はいないかのようだ。 いったい誰も世界を滅ぼしたいという衝動に 駆られたことがないのだろうか。 誰もが母胎世界を滅ぼしてでも 生きようと誕生してきたというのに。 わたしたちはみな人生の最初に、子宮収縮の続く 恐怖の極限で、殺人に至る 世界破壊衝動を刻印されて生まれてくる。 それを発現せずに済んでいるのは たまたま機縁がなかっただけなのだ。 「心のよくて、人を殺さぬにはあらず。 機縁さえあれば 殺したくなくても千人万人を殺してしまうものだ。」 ――親鸞の言葉がこだまする。 |
| 2007年4月16日 ●お化けの<元型>心理 高校1年生の16歳のとき、中仙道を徒歩旅行した。 浅間山の山ろくに寝た。 友達と二人で10円玉ほどの明るさで光る 星空を見ながら徹夜で語り明かした。 一睡もしないまま、翌朝、浅間山に登った。 山道でおかしな事が起こった。 見るもの見るものがお化けに見える。 足元の石を見ると笑いかけて来る。 木の幹が見知らぬ人影に見える。 ススキが揺れると手招きする女性が現れる。 そうか、これが遠野物語に現れる幻覚の世界なのだ、 と気づいた。 遠野物語の主人公の多くは、 山奥で道に迷った猟師かきこりだ。 徹夜で山道をさまよっていると こういう幻覚が現れるのだ。 夕べから、コンピュータで 絵を描くときもこれが起こった。 単純なトーラスやメビウスの形を フォトショップで変形に変形を重ねていくと かならず、ひとがたや生きものが現れてくる。 円は目玉に、曲がる線は踊る足に ゆがむ楕円は叫ぶ口に見える。 人の映像チャンネルは、 不定形の形の中から 生き物のクオリアを読み取って共振してしまうのだ。 長い歴史の中で遺伝子に組み込まれているらしい。 原始的な反応なので、これもまた <元型>のひとつであろう。 昨日選んだ絵は、そういうものが 出現する面白さに囚われていた。 明くる日見ると、少し恥ずかしかった。 今日はなるべくこれらの<元型>に 囚われていないものを選んで取り替えた。 サブボディの踊りにも共通することだ。 ある動きがなにかの<元型>に見えるときがある。 動く本人が無意識裡に元型をなぞってしまうときと、 動いている本人はそのつもりがなくても 見るものの目に何かを意味するものに見えてしまうことがある。 踊りを創造するときは、これらの事情をすべて 離見する必要がある。 動きに忍び込む<元型>と、それが見るひとに 及ぼす効果を絶えず透明に見通すまなざしを 鍛えねばならない。 そして、透明なアブストラクトな形象の影に 異次元から奇妙な気配が見え隠れする あわいでゆらぐ、微妙な釣り合いの一点に立ち尽くすことだ。 そこで、見る人が何らかの<元型>を見て取ろうと 取るまいと、どうぞご勝手に。 あとは「面々の計らいにて……」の領域だからだ。 これは実に面白い課題だ。 |
| 2007年4月14日 ●50年目の絵心 16歳の高校一年生のとき、 わたしは大阪のお手前高校の美術部に所属していた。 今は詩人となっている同級だった佐々木幹朗が 美術部部長をしていた。 毎夏200号の油絵に取り組んでいた。 当時は自分の内臓感覚をキャンバスに ぶちまけたような絵を描いていた。 それ以後、政治の季節の中で わたしは絵筆を折り、詩を書くこともやめた。 自分のことではなく、世界のために生きようと 転生したのだ。 それもすぐ挫折せざるを得なかったけれど。 それから50余年経ったいま、 深夜に突然絵心が湧き起こって来た。 もう絵筆は握れないが、 ネットで面白い画材を見つけては フォトショップのフィルタを掛けて変形していく。 適当な変形パラメータを見つけ、変形を続けていくと やがて、画面にひとがたや異次元の生き物が出現し 面白いように表情を変え、踊りだす。 重力も規範もない異時空での踊りだ。 50年ぶりによみがえったわたしの絵心も踊りだした。 おおい、いままでどこで眠っていたのかい? ――サブボディのなかに折りたたまれていたのさ。 サブボディを開くと、突然予想もしないことが起こる。 そこは本当に時間のない国なのだ。 16歳のわたしがそのまま生きていたことを知らされた。 (上の絵は、昨年描いた数枚を除いて、 昨夜たった一晩で描いた。 十六の頃だって、一晩でこんなに何枚もの絵を描いたことはない。 まあ、コンピュータのおかげだといえばそれまでだが。 長生きはするものだと思った。 絵のタイトルは、元の図の出所を示している。 それらのキーワードでGoogleのイメージ検索をすると、 いろいろ出てくる。できるだけシンプルのものを選ぶといい。 まあ、Google検索で、面白い画材を見つけるのと、 フォトショップの限られた変形能力の癖を見つけて 使いこなせるようになるまでには、 多少の年季がかかったけれどね。) |
| 2007年4月12日 ●人生の分身たち これまで何十回人生を編み直してきただろう。 振り返れば、ジグザグの人生だ。 十五の詩人 十六の画家 十七の革命家 十八のオルガナイザー 十九の囚人 二十の死地 二十一の若夫 二十二の父 二十三の暗渠狂閑 二十四のスケコマシ 二十五の心無くし 二十六の化石 二十七のバードウォッチャー 二十八の笛吹き童子 二十九の旧石器削り 三十のエコロジスト 三十一の成人病 三十二のスイマー 三十三の登山家 三十四の高山植物 三十五のスキーヤー 三十五の淡水魚とミジンコ 三十六のダイバー 三十七のトライアスリート 三十八の秘め事 三十九の情事 四十の映画家 四十一の24時間遠泳 四十二の空転 四十三のロリコン 四十四の胸骨骨折 四十五の舞踏家転生 四十六の河原乞食 四十七のダンシングコミューン 四十八のバンコクダンス 四十九の世界行脚・死者と踊った 五十の誕生日はベネズエラで迎えた 五十一のシナゴーグ転戦 五十二の桂離宮 五十三のヒマラヤ転生 五十四の神経症 五十五の人格解体 五十六の共振塾開校 五十七の単独者 五十八の非空非時の愛 人生はいくつになっても 編み直し、可。だ。 そのことを歳を取りつつある友に伝えたい。 なかでも、四十五の舞踏家転生が 最大の転機だった。 老いぼれて動けなくなってしまう前にと、 死の飛躍を跳んだ。 五十五の解離性の人格解体が第二の転機となった。 人間の地獄を覗いた。 五十七で一人になれた。 五十八で自分に帰った。秘密を持った。 孔子のように、 心の欲するところに従ってのりを越えず というところに至るにはまだまだ遥かだが。 神経症と解離のおかげで、 この世の殺人者が追い詰められて、 心の境界を越えてしまう機微が透明に見えるようになった。 |
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