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| 2006年5月 | |
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2006年5月31日 11次元時空におけるひもの共振パターンは無限である。 存在するのは、ごくわずかな差異だけである。 隣のひもとこのひもの振動はごくわずかに異なる。 アイデンテティという幻を必死に守ることが彼らの生きがいだ。 全世界の「解離性同一性障害」と名づけられて悩んでいる人々、 うそっぱちの病名を返上しよう。 同一性などというものが存在するということ自体がまやかしなのだから、 堂々とわたしちたちの差異を楽しもう。 |
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2006年5月27日 ほぼ毎日読んでる「ほぼ日刊イトイ新聞」に、中沢新一が、東京青山の糸井事務所で「芸術人類学研究所青山分校」と銘打って、特別講義を始めるというニュースが出ていた。6月17日から月一回のペースで年末まで。50名という少人数で中身の濃いじっくりした講義が聴けそうだ。近くの人はぜひ参加することをお勧めする。心のもち方、意識の根本的なあり方から問い直し、人生を転換できる可能性を持つ講義をうけるチャンスなどめったにあるもんじゃない。こういうチャンスは逃したら当分やってこない。 |
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2006年5月19日 ●中沢新一の芸術人類学ヒマラヤにいると、日本での出来事も何が大事で、何が大事でないか、驚くほどくっきりと見えてくる。 中沢新一の仕事は、今の日本でもっとも注目すべき仕事だ。彼の切り開いた対称性人類学や芸術人類学の視点によって、わたしたちは、今後、人間がどのように変わっていくことができるのかについての、くっきりした見通しを持つことができる。こんな学問はほかにはない。彼の仕事は今後長い間人類の歩みをさきどっていくだろう。フーコーにならっていうことができる。「21世紀は中沢の世紀になるだろう。」と。 先年の『対称性人類学』に続き、今年の春から発足させた芸術人類学研究所の仕事に注目したい。そのサイトの冒頭に中沢が『芸術人類学とはなにか』という文を掲載している。下記をクリックして、ぜひ一度読むことをお勧めしたい。目からうろこが一枚落ちる。新鮮な目でこの世に向かうことができるから。 |
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2006年5月16日 今年のヒマラヤの気候は変だ。いつもなら5月は一滴の水も振らないカラカラの乾季なのに、今年は雨が多い。今日などもう雨期に入ったかのような振りっぷりだった。 そのせいか、カエルの声が元気だ。 その声をうつらうつら聴いていると、そのクオリアがいつも下意識瞑想に入ったときに真っ先に感じる甘露流と呼んでいるとても気持ちのいい体感にそっくりなことが感じられた。カエルも心地よい甘露流をからだに満たして合唱しているのだろう。 そういえば朝夕に啼く鳥のさえずりも同じクオリアだ。生命がf分の一ゆらぎで心地よくこの世と共振しているクオリアには共通するものがある。 牛の声、鳥の声、虫の声、カエルの声、すべてに共通しいているのは命が心地よさを感じて自然に共振していることなのだ |
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2006年5月13日 存在の根源が共振であること ひも理論のひもの共振によって このことはなかなか、 だが、一つだけ方法がある。 それが、下意識の多次元変容流動世界に棲息している 意識を止め、下意識とからだが一つに融合している サブボディは一日中内向体感クオリアを震えさせている。 内向クオリアが絶えず震えているのは、
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2006年5月11日 その文を書いている途中で気づいたことだが、内向覚にはいまだに謎が多い。 内向的クオリアは、普段は下意識の領分と捉えていいのか? 意識が外向チャンネルから情報を得ているとき、 そう考えると、腑に落ちることが多い。 鈴木澪さんが「多重人格者の、回復を目的とした日記」で おそらく、精神分裂病と呼ばれる人たちも、 中沢新一はこのことに気づいているようだ。 R.D.レインもこれに取り組んで肉迫していたが、途上でなくなった。 ミンデルはどうか。 別れなければならないときを迎えているようだ。 もうこれらの言葉は死語になりつつある。 |
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2006年5月10日 学校ジャーナルのほうにも書いたが、
5月コースの生徒達は全員 ――これは、彼女の人体が反応している
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2006年5月9日 ヒマラヤでの見ものの一つが嵐だ。 今日は雹から始まった。パチンコ玉大の氷のかけらが 続いてお決まりの雷鳴と稲光の饗宴だ。 この空の饗宴を見ながら、 すると、空中での放電現象が とりわけ、光や音というクオリアが、 微細7次元では、共通した共振パターンが維持されているのだ、おそらく。 だから、私達がクオリアを感じとることができるということは、 ヒマラヤの夜空を彩る天然花火の饗宴は終わりそうもない。 |
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2006年5月7日 マックロードガンジの町を久しぶりに歩くと インド人は共振好きだ。 |
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2006年5月6日●共振という観点あらゆることを共振という観点から見直す、
久しぶりにダラムサラの町に出た。 その目で世界を見ると、けものも鳥も虫も木々も、 あらゆるものは共振している。 根底的過ぎて、気がつかなかったのだ。 感じようとしたら、すぐ感じられるのに。 ものを見ることも共振ならば、見られることも共振、 やがて、いまはまだ仮説扱いのひも理論が、 共振ということがこの世の根本法則であるとすれば、 どちらが主で、どちらが従という区別がまったくなく、 意識は共振を知らない。 |
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