行方不明者たちの日記
2005-2006
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 2006年

2006年6月28日

「多重人格を創造に生かす――解離性同一性障害を肯定する日記」に改名

この日記をエキサイトブログからホームページ内に移管して、ようやく自分がやっていることの全体像が見通せてきた。

わたしは、自分の多重人格障害を、一般社会で言う治療の対象として捉えるのではなく、それを積極的に肯定し、創造に生かす道を切り開こうとしてきたのだ。

だから、多重人格を「解離性同一性障害」だなどととんでもない日常世界の価値観で規定されることを拒否する。アイデンテティ=同一性などというものは、それが有ってほしいと願っている、日常世界の主流派たちの世迷言に過ぎない。哲学の世界では、ドウルーズによって、40年も前に、ヘーゲル以来の「同一性」概念のインチキさは証明されている。いまや「同一性」などというありもしない概念をあたかもあるかのように詐称して患者に命名して苦しめているような不勉強な医者たちを教育しなおさなければならないときだ。

私はドゥルーズの差異の哲学、多様な差異を肯定する肯定の哲学を引き継いで、「解離性同一性障害」と診断され、規定され、否定されようとしている同病者たちのありのままを肯定して、自全のなかにあるすべての資源を創造の素材として、積極的に活用していける道を切り開く闘いを開始する。というより、すでにこれまで自分の20人格舞踏の創造や、「サブボディ共振塾」でやってきたサブボディ授業の本質がそれだったことに、ようやく気づくことができたのだ。

「行方不明者たちの日記」という名前はなぞめいていて好きなのだが、「多重人格を創造に生かす日記」に改名する。より直接的な名前のほうが、このサイトをはじめて訪れた人に対して親切だろうと考えたからだ。

多重人格は、この多様化している世界に適応するために人類が全体として新しい創発を行おうとしている試みの一環なのだ。

一昔前の農村のような単一社会なら、一生を一つの人格で通せたかもしれないが、人生80年となり、東西文化が融合し、世界旅行も手軽になりつつある現代社会では、その多様さに相応できる多様な人格をたくさん持っているほうが有利に生き抜けるのだ。それを証明することが俺の仕事だ。そして、それがよりいっそう生かされる「サブボディダンス」のような創造領域をどんどん切り開いていくこと。

ダンスだけではなく、絵画や、音楽でも、多重人格のほうが面白く味わい深いものがつくれるに決まっている。それは今のインターネットの世界で、一般人のサイトよりも、多重人格者をはじめとする心身に障害をかかえる人のサイトのほうがはるかに豊かで面白いことからも確証できる。芸術創造はより面白く味わい深いものがいつまでも生き残り、世界に伝わっていくものだ。

西洋を真似るだけの日本のモダンダンスやコンテンポラリーダンスが外国に伝わるためしはないが、独自の美意識を切り開いた土方の舞踏だけが全世界に広がったのを見ても、それは確かな話だ。

全世界の多重人格者たちよ、勇気を持って自分のすべてを肯定しよう、自信をもって自分の中のあらゆる資源を生かして未来の創造を切り開こう。

私の進むべき道が日々じょじょに明らかになってくる。自分を60年近くも取り巻いていた分厚い霧が晴れていく。迷いなき肯定は、なんと爽快なことか!

多重人格者諸君! 自分の中の多重な人格状態のすべてを肯定しよう、人格達の間の微細な差異を味わい抜ける繊細な感性は未来のものだ。昔の単一社会の人々には今わたし達が感知しているような微細な精神はありえなかった。単一社会で成立しいてた昔の「同一性」などという古代のまがい物にしがみつく鈍感な人々を私たちはむしろ笑い飛ばせばいい。

君のなかの微細な差異を好み、差異を味わい、差異を楽しもう。あらゆる差異の自己肯定からわたしたちの楽しい人生を始めよう。


行方不明者たちの日記  

2006年6月24日

否定人格とはなにか

夜中に寝酒を飲み、酔って眠りに落ちる直前に瞬間的に出てくる、否定人格がいる。超すばやい行動で、あっというまに強烈な否定を断行してしまう。夕べもでてきて、ある人を強く拒否してしまった。

今までにも何回か出てきて、最初のころはその否定のあまりの凄まじさに、たじろぎ驚き戸惑うばかりだった。だが長年この人格と付き合ってくると、すこし私の中の否定人格のことが分かってきた。

否定人格は、過去によほど強い否定を受けて傷つき、からだの闇深くへくぐもってしまった人格なのだ。

その否定人格が躍りだして来るときは、自分が受けた否定を、外界に対して返そうとする。自分の中にくぐもる強い否定を外界のなにかに投影してその対象を破壊しようとする。

彼らは、外界に投影した対象を否定しないと自分が否定されてしまうと思い込んでいるのだ。 

人が人を否定するときには多かれ少なかれこの自分の中にある否定を外部に投影するという仕組みが働いている。

この否定の由来を探ると、何らかの出来事の中で外界(親や教師やそのた子供時代の重要人物)に否定された体験(解離してしまっていて思い出せないが)、あるいはその積み重ねと、自分の自我によってノットミーとして否定され周縁化されてし合ったというふたつの要因が重なっている。外からも内からも二重に否定された存在なのだ。

この否定人格は、いつも外界(社会)から自分が正当に評価されていないという不満を持っている。憤懣の塊といってもいいほどだ。そしてこの否定人格は、否定に過敏で、外からもし自分が今やっていること、やろうとしていることを圧迫したり邪魔したりする気配を感じたら、最大限のオーバーアクションでそれに反撃する。ほとんど迫害妄想に対する過剰防衛となるほどに排撃する。そうかもしれないと分かっていても、逃れることができない。過去に少しでもうまくいかなかった状況には神経症的に恐れて近づこうともしない。それほどいつも圧迫され圧殺される恐怖妄想に囚われおびえているのだ。

一番の問題は、否定人格が誰によって否定されたことによって出現したのかの記憶をなくしていることにある。自分の出自に心当たりがない。だから、だれかれなしに見境なくそばにいるものや、自分の中の他の人格、時には自分の肉体さえ否定の対象としてしまうのだ。リストカットや薬のオーバードリンクや自殺などの自傷行為は、この否定人格が対象を捉え損ねて行ってしまうことなのだ。これだけは起こらないように危険からいつも遠ざかっていられるように配慮しなければならない。

以前は、うろたえるあまり、その人格が行う否定を自分がしたことではなく、その否定人格(ときに人を抹殺するほどの殺意さえ見せることがあるので殺人者人格と呼んでいる)がやったこととして受け止めてきたが、いまはその否定人格のやったことをも、自全の一員として、つまり自分がやったこととして引き受けようとする志向が出てきた。

これは、統合を志向する傾向かもしれない。

今のわたしには、否定人格の気持ちがうっすらと分かる。そして、否定人格がやってしまったことは、ほかの人格も多かれ少なかれ厄介な事態だと捉え、同様に志向していたことなのだ。だが、私の表て人格たちは最近過激な「肯定論」などを書き出して、とても否定などを断行する力がなくなっていた。そこで、にっちもさっちもいかなくなってしまっている事態を突破しようと、否定人格が行動して嫌な拒否役を引き受けてくれたという側面がある。わたしはこの否定人格を自全の一員として受け入れる。やってしまったことは引き受ける。 

現在の私は、一方で「肯定論」を書き進め、自全のすべてを引き受け肯定しようと、自分にもほかの人にも働きかけている自分がいる。

他方で、昨夜のような強い否定人格が出て、拒否を断行してしまうわたしがいる。からだの闇の多次元変容流動世界には、分別世界からみれば矛盾に見えることがいくらでも普通に起こる。その事実に自我や上位自我はたじろぎ我慢できない。以下は、私の中で実際に展開された自我(赤字)と、上位自我(青字)と、それ以外の自全らしい人格?(紫)との会話である。

自我:この矛盾をいったいどう解決することができるのだ?!

(俺の中の頓馬な二項論理(分別覚自我)が一瞬うろたえた。)

自我:こりゃ大矛盾じゃないか。

(それはお前が囚われている狭い二項論理にとってだけだ。うろたえるな。)

(そこに、老婆心の批評家が追い討ちをかけた。)

上位自我=批評家:すべてを肯定するだのという甘言に乗ってやってきた生徒が、お前の否定人格の餌食になって否定されたらどうするんだえ? この問題を解けない限りお前にはまだそんな活動をする資格がないのだ。

(――といつもどおり足を引っ張ってくる。

おなじみの二人組みだ。自我と上位自我。私の嫌いな二人組。)

(これを嫌っているのは誰だろう。自全か? 自全に人格ができ始めたのか?)

(だが、この自我と上位自我の二人組みで25年間も働き続けてきてくれたおかげで、今の俺がある。自我と上位自我に感謝!)

よい―悪い、敵―味方などの二項論理は、実際にクオリアが流動している多次元変容流動界の出来事のある瞬間を切り取り、意識が理解しやすいように二次元界に投射した低次元写像に他ならない。

 

こんな低次元な論理は使い物にならない。言葉や分別覚で判断してけりがつく問題ではない。わたしが言葉を信用しなくなったのはこの理由による。

西洋の論理も東洋の陰陽道も同じく低次元平面への写像に過ぎない。

多次元変容流動の世界の中には強い肯定も凄まじい否定も共に同時に存在する。それがタオだ。それでいて、自我が問題にするような矛盾によって、多次元変容流動の流れがさまたげられることはないし、上位自我が心配するようなことが起こることはめったにない。

それら多様な要素をかかえたまま、からだの闇の中を、多次元変容流動=タオはとうとうと流れていく。

多次元変容流動=タオそのものをあるがままに捉える透明覚を磨くしかない。

●多次元変容流動のタオ

多次元変容流動が日常界と接するところでは、多次元物体のいろんな形の切片が切り取られるように、無数の個別の出来事が発生する。

すべての出来事は、それをとりまく必然の事情によって起こったことで、わたしたちは、それをそのまま受け入ればいい。その結果だけを取り出して、どうこういうことに意味はない。

私たちはただ、多次元変容流動のタオを踊り続ける以外ない。

そのプロセスでは人を愛したり憎んだり、殺したり殺されたりの無数の出来事が生起する。そのすべてを受け入れるしかないのだ。

●踊るストリング

どうすればいいかだって? とにかく二項論理に囚われず、生き続け踊り続けるしかない。そして起こることのすべてを受け入れる。日常体に囚われることなく、踊るタオ、踊るストリングになるしかないのだ。

(この文は、「からだの闇を掘る」探究と、解離性の謎に挑む「行方不明者たちの日記」とのどちらの性格も持っているので、両方のページに収録することにした。同じ文でも、別の脈絡におかれると違った意味を持ってくることを味わってみたい。)


2006年6月23日

おかえりなさい

お帰りなさい、といってあげよう。

「行方不明者たちの日記」はながらく、このサイト外のエキサイトブログに置かれていた。このホームページで書いていることと、あまりに隔絶しているので、それくらい遠い距離を置いたほうが書きやすかったのだ。

だが、それはまるで解離性同一性障害である自分自身を、表人格たちが運営する「サブボディ共振塾ヒマラヤ」のホームページから、それこそ解離してしまっていることではないか。それをしている限りサブボディ共振塾の仕事も社会に向けた表向きの顔という域を出られないことに気づいて愕然とした。

そこで思い切ってこの日記をサイト内に取り込むことにした。それによって、自分の全体といつも直面することができるし、わたし自身が自全のすべてを肯定することができる道が開かれる。最近設けたサイト内検索の「キーワードツアー」によって、解離性に関する記述も検索対象になることができた。いままではこれらの記事はサイト内検索の対象外に置かれてきていたのだ。まるで解離性障害であることを自分から解離してしまっているような、自己欺瞞的な事態をこれで解消することができた。

ともあれ、今日は「お帰りなさい記念日」だ。

 

くぐもりについて

からだの闇の底のほうにくぐもれるクオリアの巣窟がある。

解離され、誰からも認められぬnot-meや、長年うずくまっているうちにむさくるしい妖怪に姿を変えてしまったクオリアの群れたちだ。

サブボディサイトの、図解ツアーという解説ページで、くぐもりについて書こうとしたが、くぐもりについて本当に書きたいことはそういう公衆向きの文体では書けないことに気づいた。

だから、こんなときのために、わたしにはこの裏ブログが必要なのだ。

 

私は20歳で革命運動から身を引いた。その直後に結婚し、すぐ子供ができてしまったため、労役仕事は、子供を飢えさせないためにほんの片手間仕事として餌を拾うつもりで始めたことだったが、いつの間にかそれが自分の中で主役を演じ、演じるどころか自分のなかの押しも押されもせぬ主人格面をしてのさばるようになってきていた。20歳から45歳まで、コピーライターや広告や商品開発のディレクターの仕事にのめりこみ、株式会社の代表取締役になってしまっていた。これがやりすぎだったのだ。

いつの頃からか、私は自分の表街道を歩く主人格のクオリアよりも、これらnot-meと化したくぐもりのクオリアたちににより親近感を感じはじめた。

世間とていよく調子を合わせ、合意的現実に適応している主人格はペルソナ=対社会的仮面にほかならず、むしろnot-me化し、自分の中でさえ周縁化されてしまった私こそ本当の私の破片ではないか。

 

若い頃から私は、ひとりで酔えばかならずこれらの周縁部を旅し、ろくでもない自分の分身たちを呼び出し遊んだ。

甘えた、女たらし、いじけ、なめり、腑抜け寸前のこれらの分身たちを私は愛した。

夢の中にもいろんなわたしが棲んでいた。これらはすべて夢日記に書きとめてあり、何度も読み直しているうちに、私の自全の多彩な登場人物群となって存在し始めた。

 

それら分身たちのほうが、コピーライターや代表取締役をしているペルソナの私よりはるかに人間味があった。そしていつのまにか、世間で生きるヒューマノイド化した私が生身の私を食みはじめ侵食しはじめていた。まぎれもない危機だった。

 

45歳で舞踏家になろうと決心したとき、すでに私のサブボディはこれらの危機を突破し、not-meらのくぐもりのクオリアをまとった分身たちをすべて統合する道が、踊りの中にしかないことに気づいていたのだろう。

 

それらの中には、私の人生の中で周期的に何年か置きにでてくるストイックな私(Sの私)と、エピキュリアンな私(Eの私)という主要二人格以外にも無数の人格バリエーションが存在する。それらすべてを解離された人格状態とみなすよりは、私の多彩な側面と呼ぶほうがふさわしいものもいる。あるいはユングの影という概念のほうがはるかに深く届いてくる場合もある。60年近くも生きてくればさまざまな波に見舞われる、その波を乗り切るためにさまざまな人格を必要とした。わたしは多くの医学的知識にも当たったが、一人の人間の複雑な変化や適応のすべてを解明できる理論などまだ存在していない。世の中に流布している今の低級な医学的概念などを当てはめて自分の複雑な状態を理解しようとするのは根本的に間違っていることに気づかされた。意識と下意識とからだの関係の闇は深く、誰もまだ解明などしていない。自分のことは自分で身をもって?んでいくしかない。

 

特に医学の用語でもっとも胡散臭いのが、同一性という概念だ。このブログを訪れてくれた「解離性同一性障害」と診断されて悩む友人達にアドバイスする。解離は確かに起こっている。解離は人間にとっての自然な適応の一つだ。

だが、同一性という用語だけは信じないほうがいい。同一性が存在するなどというのは、主流派の人々の信仰でしかない。その妄想でしかない<同一性なるものがDISODERである>などと人間を規定するのは暴力でしかないのだ。暴力に屈する必要はない。自分の状態は自分で引き受ければいいだけなのだ。自分で引き受ける以外、誰が引き受けてくれよう。

本当に存在するのは同一性ではなく、差異なのだ。あなたと私、私Aと私Bという状態の間に微細な差異が存在する。CDEFの間に差異が存在する。その差異が無数に存在するというのがこの世の真実のありかたである。

 

くぐもりについて書いているうちに、いつもの激しい人格が文章をのっとってアジテーションを始めた。この捩れこそ私であると引き受けよう。不思議に捩れた私、これが私である。悪いか?

ヒマラヤで一人で生きる私には、私が私そのものであることに誰に遠慮する必要もない。

日常世界のだれそれに遠慮しつつ生きねばならない桎梏を私はもはや二度と引き受けないだろう。

20の人格の世界どころか、200の異次元をゆらぎつつ2000の異世界をまとって踊るのが私だ。

積極的に行方不明者となること。わたしにはもう戸籍も必要ないし、国籍も要らない。私に親がつけた名前など覚えている人はもう回りに誰もいなくなって久しい。

サブボディモードになれば、もう自分などどうでもよくなる境地がやってくる。あの長いこと私を苦しめた自我から遠く、愛からさえ遠くはなれて、わたしはとても自由だ。

060522

風邪のときの不思議な生命体感

 

久しぶりに風邪を引いた。長いことからだのことを顧みず突っ走ってきたのが、ここに来て、突然真夏から猛吹雪へと気候が激変する日が続き、さすがのからだも、すこしやすむべ! とストライキを起こした感じだ。

 

野口さんの「風邪の効用」を思い出しながら、風邪になったからだの体感を聴いていると、風邪特有の奇妙な体感クオリアで泡立っているのが分かる。熱っぽいのと、重力感をなくして浮かれているようなのと、胸の辺りが苦しいのと、ときどき背筋に悪寒が走る、それらのクオリアが渦巻きのように複雑に折り乱れてざわついている。おなじみの風邪の固有症状だ。このなかでも特に背中をぞくっと走る悪寒に私はずいぶんなじみが深い。なんどもこの体感で踊りをつくろうとしてきた。ゾワゾワと名づけてある。背中がアルマジロの皮のように干からび変形し、割れて中から新しい生体が出てくるというものだ。まだ完成していない。風邪がなおればこのゾワゾワを正確に思い出すのが難しくいつも見失ってしまう。風邪のときはこんなに身近にいるのに。中学・高校頃書いた詩にもよく出てくる。きっと私のとって大事ななにかなのだ。忘れずにとっておく。いつかなにかとのつながりが見つかって謎が解ける日が来るものだ。

 

不思議なことにこういうときは、突っ走っている仕事師の山沢も、その裏に引っ付いている3歳のりゅうりも顔をださない。

ただ、なにも動くことを拒否してからだがよくなるのをじっと待っている剥き出しの生体としてのわたしがいる。

 

この人こそ、生まれたときのまんまの生命体なのだろうか。3歳と7歳のときに、母や祖母から捨てられて傷つくまえの私だ。この生命体にはまだ何の傷も付いていないようだ。ただ具合が悪くなったけものがひたすら隠れ家に潜んで治癒を待つように、懸命に治癒に向かってのみ進んでいる。

インドの建設工事のなかでわけの分からない無数の不都合にぶつかり神経症になったのも、この生体だったような気がする。あれだけ予測できない不如意に、何年も見舞われ続ければどんな健康な生命体だっておかしくなる。むしろ、あまりにおかしいことが続くので、ついに胎動Ⅲ期の子宮収縮が無限に続くかと思われる恐怖の中で、生物学的な怒りが湧いていくる現象とおなじだろう。あのときはあの神経症発作で、自分の身に降りかかった奇妙なものを必死で振り払おうとした。それはそれで世態としてごくまっとうな反応だったようにさえ思える。

 

わたしはこの私の中心にいる生命体のことをずいぶん信用している。これまでの人生でも何度も瞬間的な自殺の衝動に駆られたことがあるが、危険な場所から身を引く本能的衝動がきちんと身についていていつも私を守ってくれた。

この生存欲求の塊のようなものがわたしのうまれたときののままの人格だといえるだろうか。まだ、人格と呼べるどんな特徴も持っていないが。

 

もし、この人格というか、ピュアな生命体を土台として、すべての解離した人格達を再結集させることができたら、統合が成り立つということなのだろうか。だが、それはまるでフランケンシュタインをつくるような生体解剖となる。

今の私にその必要性を感じることはできない。

すでに50余年もいくつもの人格でなんとか生きてきたのだ。この3歳の生体が必死で編み出した分身の術なくして私の人生はなかったと思う。これらの分身たちを抱えたまんまのわたしがそのままのわたしだ。あえて統合などする必要はないだろう。

いまでは各人格とも自分の分をわきまえ、出てくるべきときにしか出てこない。――あるいは、現在のサブボディ学校を続けて突っ走っている強力なエネルギーを持った山沢夙=リゾーム Leeのもとに、すべての人格が程よく分を得て結集している、この状態が、ほぼ統合によって得られる効果と等しいため、統合の必要性が感じあられなくなったということかも知れない。

 

もちろん、分身は確固として独立したままだから、いつ何が起こるかはわからない。しばらく様子を見守っていくしかないだろう。問題は事故かなにかで今のつっ走りにストップがかかったときだろうな、怖いのは。

 

りゅうりのからだ

 

ここんところ、少し人格交替のあり方が変わってきた。20歳の山沢、3歳のりゅうりが、代表人格リゾームLeeのまわりに勢ぞろいして共存している感じに変わってきた。お互いに昔からよく見知ったやつだから驚くこともない。表街道をアドレナリンモードで突っ走っている獅子奮迅の山沢、その裏にぴったり張り付いているつながり欲の幼魔のりゅうり。俺の人生はっずっとこの構図のままだ。それがずいぶんくっきりしてきた。この正反対の両者が統合されることなどありえまい。死ぬまで共存していくだろう。

ただ、今日は朝から、アパートの狭い部屋で義理の妹と二人きりになって、みょうに疎遠な感じから突然もつれて抱き合ってキスしたまま畳の上にどうっと倒れる夢を見た。こんな性的な夢を見るのはひさしぶりだ。そして一日中この夢の体感のなかにたゆたっていた。一日中、妙につながり欲に囚われたりゅうりのからだになっていた。最近ではめずらしいことだ。りゅうりのからだになった日は変だ。やはり、りゅうりに乗っ取られている感じがする。仕事にならない。ある種の停滞感に包まれる。BBSにふけったりするのもりゅうり系だ。山沢ではない。

なるほどなあ。3歳のりゅうりのからだになると仕事ができなくなるのも当たり前だ。文章もかけないし、サイトの更新もできない。やはり周期的にゆらぎつつ交替しているようだ。そういえば今日一日少しからだが変な体感にまとい付かれていた。風邪かなと思って用心していたが、人格交替による体感異常だったようだ。

それにしても、リゾームLeeの周りに、すべての人格がもどってきて分かり合いつつ共存している状態になってきたこと自体はいい傾向なのではないか。このゆらいでいる状態をうまく制御できればいいのだが。

 

ひとり変なやつがいる

 

自分のなかにひとり変なやつがいる。時々出てくる。妙な宣伝やろうだ。俺に似合わず世間のコンセンサスに擦り寄るような言葉遣いをする。やけに大きく吹聴したりしたがる。政治をやっていた頃の後遺症か、長年コピーライターなんぞをしたために腐ってしまった根性なのか。

それが、山沢やら、リゾーム Leeらにまといつき紛れ込むから始末が悪い。

エキサイトの2ブログ以外の、FC2の「とびきり大事なことだけを」と、Livedoorの「透明舞踏ダンスVlog」に投稿した文章はそういうわけでとても味が悪い。人生で時々こういうことが起こる。昔書いていたダンスリゾーム通信も、こういう世間のコンセンサスにおもねる文体が出てきたので自分で嫌になってしばらく文章がかけなくなった。大昔古い友人たちと続けていた思想研究会で書いた、いくつかの文章も上ずっていた。なにか自分以外のものに自分を投影したり、他人を自分のドリーミングの世界に引き込んだりしていた。

しばらく、FC2とライブドアのブログは閉じることにする。もともと、宣伝めいた意図で設けられたブログだった。自分の中の誰かに瞑目……。

 

山沢とりゅうり

 

nichinichisoさんのブログにカーニバル理論について勇み足の書き込みをしたのがおととい、夕べは知らぬ間に夜中に思織さんのブログに書き込みをしていた。朝になってそれを忘れていてもう一度書き込んだ。ブログを見るとみっともなくふたつのコメントが重複している。記憶の欠落が出始めるとやばい。……からだの体感は残っているが定かな記憶がない。

まるで無意識裡に夜中に布団にもぐりこんで肌を触りに行くような振る舞いだ。これはいったい誰だろう。……りゅうりか。20歳の山沢が表街道で疾走しているとき、裏道で5歳のりゅうりがだれかれなしにすがり付いていく。これが高校時代俺がいつも恐れていたパターンだ。革命の蜂起前夜の最も決定的瞬間におれはおんなの部屋にしけこんでいるのではないか。いつもそれを予感していた。40年後の今になってこれが出かけている。nichinichisoさんに対しても、サイトの共振板に書き込んでくれて、親近感があふれていたのだ。やばい。りゅうりは男女構わず触れたくなっているのか。そういえばノルウェーのポールにも友情を感じていた。だが、表街道を突っ走る山沢は性的な欲望を遠ざけている。その反動がりゅうりの夜中の行動となって噴出しているのか。友情からからだの接触までたぶんからだの闇の中では地続きなのだ。フーコーがいったように、これは人類の新しい友情のありかたを創出していくクオリアにつながるのかもしれない。

ポールはミル・プラトーとなって世界にうねりをもたらしていくだろう。アメリカのカツさんや、東京のゆめる樹さんからも、共振掲示板へ書き込みがあった。不思議だ。不思議な感じにとりつかれている。掲示板やブログへのコメントの友情からさざなみのように飛び立つ未来の関係世界のイメージと、つながり欲に震えている肌寒い幼子の二人が融合し、混淆している。練習後みんなで露天風呂に入った体感も関係しているようだ。まさしく俺の中で天地共振が起こっている。

俺の中でいよいよサブボディへの変成が始まったのかも知れない。

 

疾走する20歳

いま、疲れを知らない活動をしているのは、紛れもなく20歳の山沢夙だ。37年も経っているのに、考えも感じ方も何一つ変わっていない。37年前の私は、政治闘争の中にいた。そして、水俣病にまつわる公害闘争や、沸き起こってきた障害者闘争には参加できなかった。窒素や行政のやり方には憤懣やるかたなく、参加したかったのは山々だったのだが、一切を政治革命の達成を優先させていたため、力をそちらにまわすことができなかったのだ。「ごめん、政治革命を達成したら、いちもにもなく駆けつけるから」と心の中で叫んでいた。

それほど、政治革命の達成の現実性を信じて活動していた。だが、それは達成されることはなかった。わたしは疲れきって倒れ伏した。

 

それから、37年経って、私はサブボディ舞踏学校をヒマラヤに開いた。舞踏学校にオランダのマリカが入学してきた。

彼女は赤ん坊のようなちいさな左手を持っている。とてもかわいい。

マリカは人柄も明るく、気立てのいい娘だ。

そのマリカが創っていた自分の踊りを、4日目に急に退屈だと言い出した。マリカの踊りは膣から皮膚がまくれ上がり、子宮が外界に露出するからだになり、悪夢に追いかけられるが、足が動かないというけっこう濃い踊りを創っていた。それが退屈だと。

「そうかい。じゃあ、いよいよ、その左手が踊りたがっているんだよ、左手に聴いてごらん」といった。左手の踊りは来週から取り組めばいいと思っていたが、そのときは意外と早くやってきた。

マリカは、大きな動きの後、左手の踊りを始めた。小さな手の甲がぴくぴく動くたびにこころの底から揺さぶられる。人間にはちいさなものをいとおしく思う感性が刻まれているのだろうか。そして、最後にはその手を口の中に入れ始めた。小さい頃からずっとそうし続けていたという。その踊りを創ってからなにかのつっかえが降りたのだろうか、マリカは半時間ほど泣いた。マリカのその踊りがもたらす強さは一緒にいたほかの生徒を強くゆさぶって、もっと深い踊りを探さねばと、突き動かしたようだ。今週はみんなの踊りが日ごとに急速に味わいが深くなっていった。マリカの不自由な左手の踊りにはなんという力が秘められているのだろう。

世の中の偏見のまなざしに長い間堪えハンディキャッパーという境遇に押し込まれてきたマリカのからだには強烈なくぐもりのクオリアが詰まっている。それは、こんなふうにある日世界の中心で踊りだして、世間から受けてきたものを世界に投げ返すことが必要なのだ。

世界中の心身障害者の方に呼びかける。

ヒマラヤへ来て、サブボディ舞踏を創りませんか。あなたが抱えもつ差異の深い味わいを世界に投げかける踊りを。かたちや機能がどんなに違っていても、それはわたしたち人間すべてが分かちもっている差異のひとつに過ぎない。私たちは互いの差異を味わいあうことで限りなく豊かになれる。差別されるいわれなどどこにもない。

それどころか、大きな違いを持った人ほど、人間界を豊かにする大きな価値を持つのだ。

そのことに自信を持とう。とびきり味わい深い強烈な踊りを創って見せることで世界中の偏見のまなざしをひっくりかえしていこう。

サブボディ技法とは、わたしたちが抱えているマイナスとされている札を、すべて一挙にプラスの札に転化する生存の技法なのです。

 

――サイトの舞踏学校ジャーナルにこう書いた。これは、まさしく、20歳の山沢夙が長年抱え込んでいた障害者闘争をできなかった悔いをいまようやく37年ぶりに果たそうとして起き上がったことを示している。世界中の障害者に呼びかけるなど、37年前の革命家がむくりとよみがえって昔の語り口でしゃべり始めた。ほかの人格には手を出さそうとさせない。私の中にいる20余人の人格の中でももっとも反骨的なエネルギーに満ち、激しくこの世に激突していく人格だ。疲れを知らずに神がかりで活動しつづける。今の私がまさにそうだ。連日の授業のあと、長い時間をかけてサイトに文や写真やビデオをアップし、世界中のメッセージボードに投稿する。睡眠時間が大幅に削られる。大昔と同じだ。闘争への組織化、同盟員の会議、徹夜のオルグ回り、それが終わってから翌日用のアジびらを書き、早朝に起きてガリ版印刷。校門でのアジびら撒きとアジ演説。いきなりの他党派との殴り合いにいつも備えていた。だが、どうやら、わたしは自分の中のさまざまな人格のうち、この山沢夙が一番好きなようだ。確かに瞬間風速で行動するからとても危なっかしいのだが、革命的警戒心も持ち合わせている。アドレナリンが最高度に高まった状態だ。この心身状態を維持するのは大変きつい。からだにとても負荷がかかる。命をすり減らしているだろう。だが、それもよしだ。このまま、ぶっ倒れるまで生きてそこで死のうと何の悔いもない。とうとう本当にやりたかったことをやろうとしている。

 

一期生の沙羅は、サブボディメソッドに触れて、パフォーマーとしての自分沙羅と、日常の自分小林愛子との自己統一をはかるきっかけをつかめたといった。それはまた、すごいことだねえ、といった。

だが、なんと私もまた今、37年前の山沢夙と、ダンサーリゾームLeeが長いときを超えて一つになろうとしている。ここでは予想できないすごいことがぶっ続けに起こる。

 

20歳の山沢夙という人格の持っていたクオリアは、きっと微細7次元で激しいエネルギーのまま共振し続けていたのだ。一度生まれたクオリアは励起状態を続けるのだ。

それが、マリカと出会うことによって、いきなり発現の可能性を与えられた。現実に噴出する、噴火口を見出した。

だが、これは共振論の課題だ。自分が舞踏からどんどん共振のほうへ向かっているのを感じる。

 

今の状態が、自己統合へ向かっているのか、それとも、山沢夙が乗っ取った状態なのかは、よく分らない。見守り続けるしかない。

 

どこにも書けないこと

 

どこにも書けないことを、書く場所ができれば、こんなすばらしいことはない。

それがこのブログになるのではないか。

人里離れた、廃屋同然のこのブログには、おとずれる人もない。

 

自分のパソコンの日記にさえ書けないこと――長生きしていると、そんなものも多くなった。

だが、そんなことをここに書けるわけがない。そうではなく、微妙な震えのようなもの。人格のあいだにある、ほんの少しの振るえ、それを捉えて書く場にしたい。

 

私のなかにたくさんいるアドレナリン系の人格の微細な差異を自分で捉えていく場にしよう。

 

山沢になると、神経の配りがすばしこくなる。抜け目ない政治家のそれになる。

 

昔敵対党派の革マル派の軍事部隊に寝込みを襲われ、鉄パイプで頭を割られて絶命した本多えんか氏の死にざまが襲ってくる。

一つ後輩の辻敏明もまた、革マル派に頭蓋骨を割られて殴り殺された。

高校からの親友だった橋本憲ちゃんは、革マル派に殴りこみにいくトラックが高速道路で故障し、車から降りたところへ、後続のトラックが激突してぺちゃんこになって死んだ。

いつも親しかった彼らの死が目の前から離れない。

 

ここインドの地も物騒だ。親しく小さい頃から面倒を見ていたチベッタン難民の青年が、学校で悪の仲間に入り、金目当てに何でもやるチッベタン愚連隊に変身してしまった。刑務所へぶち込まれても失うもの何もない彼らにはなんの薬にもならない。無用心だった我が家は彼らの格好のターゲットになって何度も襲われている。

 

彼らは金目当てに過ぎないのだが、それが、いつも殺人者に暴力で対抗する覚悟をして、用心していなければならない昔の環境と重なって私を眠らせない。死闘に対する最大限の警戒でしかこそ泥に対して迎えない。これが不適切な反応だといくら分っていても、からだは最大限に警戒し続ける。

 

死闘の準備を一刻たりとも忘れようとはしないのだ。当たり前のことだとも思う。私のように生死の間をすり抜けてくれば、死なないための警戒態勢をからだがひとりでにとってしまうのだ。ゴルゴ・サーティーンのようなからだだ。

 

ふたりでひとつなのだ

 

どうやら、疾走する20歳の山沢と、このいつも死闘の準備をしているからだは一つにつながっているようだ。死闘の準備をしながら、疾走していることになる。どちらもアドレナリンの極限亢進状態に状態依存付けされているのだろう。やっかいなことだが、これしか生きる道がないのなら仕方がない。これが俺が生きてきた人生から受けたものだとすれば、どうしようもないものだ。俺は選んでこの人生を生きてきたのだから。

 

 2005年



解離はなぜ止められないか

 

いつも解離が起こらないように見張っている。だが、一日中そうしていられるわけではない。とくにいい気分で一日を過ごして上機嫌でいるときは無警戒になる。そういうときを狙ってすばやく別の人格が滑り込む。そういうとき、解離はいつも意識が気づくより先に起こる。

今日も、一日空を見て上機嫌で過ごした。秋になるとヒマラヤの上空高く流れているジェット気流がほんのすこし腰を振るだけで、さまざまな気流の変化が起こる。高度によってさまざまな方向に流れる雲が重なり複雑なじゅうたんを織り成す。そういうのを屋上にしつらえたハンモックに転がってみていると一日飽きない。自分のからだの闇の中の気流が透き通るように感じられて気持ちがよい。

ところが、それで油断してしまったらしい。気が付くと破壊的人格に摩り替わっていた。ささいなことでいきなり同居人に毒づき、激しく否定する。そうしているときはしっかりそれが正しいと信じているから、引き返せない。引きとどめようとする人などどこにもいない。しっかり相手を傷つけてしまう。

同居人も手馴れてきたのか、すぐ目の前から姿を消し長風呂に入っている。

一時間ほどしてから、私も風呂に入る。そして、考える。いったい、この制御不能の人格交替をどうすればいいいのか。

 

これまで何度も、人格交替が起こる直前の気配を捉えようとしたことがある。たしかに少し前にいつも兆候がある。

・気分が妙に悪くなる

・出るぞ出るぞという気配がする

・からだの底で何かがうごめく気配がする

・ささやきが聴こえることもある

・人格交替が起こった後の暴力的な修羅場の光景が前もって浮かぶときもある

――などなどだ。

それぞれ、気分坊主、気配坊主、うごめき坊主、ささやき坊主、イメトレ坊主などと名づけていたこともある。一種独特の感じがあって慣れればすぐ分かる。ところが、それを感じてから、交替を制止することに成功したことは一度もない。今考えると、それらの兆候が感じられたときはすでにからだの底で人格交替が起こってしまっているときなのだ。気づいたときはすでに遅い。後の祭りというわけだ。場を外そうにももう次の破壊的攻撃的人格になってしまっているので、その場から立ち去ることができない。

破壊的人格がでて、発散してから、散歩に出たり、風呂へ入ったりして時間をかけて落ち着いていくことはできることもある。

最悪のときはその状態が何ヶ月も続くこともしばしばあった。

さいきんは、幾分周期が短くなった。だが、破壊的弧絶的人格にも色々あって、誰が出てきているのかよく分からないときが多い。自分がよくなっていっているのか、悪くなっていっているのか、判然としない。

 

このブログは、できるだけ自分も含め、解離性の人のためになるように書いているのだが、今日は収拾がうまく付かない。混乱の只中に立ち尽くしている。

 

なにせ、解離が起こるのは下意識界の心身でであり、その世界で起こることを意識がキャッチするのはいつも、それが起こってから0.5秒後だという、リベットの実験を知ってからは、もう意識で制止することが無理だと知って、太刀打ちしても仕方がないという気がしてきた。それよりも、日々の生活リズムを正しくするとか、意識でできることをしていこうと努めている。だが、今日書いたようにいい時間を送れて気分がいいときほど警戒が解けてやられやすくなるというパラドックスにぶつかっている。

 

これを読んだ解離性の経験者の皆さんは、このパラドックスに対して、どうされていますか。あなたの対処方法をお教えください。

みんな、症状が個別的で、そのままは当てはまらないかもしれないけれど、アドバイスをいただけるだけでも、励まされ力になるのでお願いします。

 

クオリアの幻現二重性

 

クオリアは、それを感じている本人にとって、

現実に目の前のものに対して生じているときも、

からだの闇に収蔵された過去のクオリアが共振しているときも

まったく同じように感じてしまう特性を持っている。

というより、クオリアはいつも

今ここの現実に対して生起しているものと、

過去の収蔵庫に収められているものが、

共振して二重に生起しているのだ。

 

日常意識が強いときは

私たちは今自分が感じているクオリアが

今ここの現実のなかで生起しているものだと

強く自覚しているため、混乱は起こらない。

だが、恐怖や怒りなど

過去に強い情動を引き起こされたのとよく似た体験をすると、

脳心身全体がその状態特有の

<状態依存的記憶>とともに、

特定の状態にセットされてしまう。

 

そうなると、今ここで起こっているクオリアと、

過去に引き起こされた強烈な情動に導かれたクオリアが

一緒になってからだを駆け巡り、

私たちを混乱の極に突き落とす。

 

これがクオリアの幻現二重性の怖いところだ。

あらゆる妄想の根拠がここにある。

いくらそう分かっていても、

からだの底から変わってしまうため、

からだは恐怖や怒りなどその状態特有の強い反応を示してしまうのだ。

 

そして、解離性障害をもつ場合には、

その状態特有の福人格にまですり替わってしまう。

からだを駆け巡るホルモンや情報伝達物質が

いっせいに切り替わる。

それは自分ではどうにも制御できないプロセスだ。

 

今日もそれが起こった。

 

1970年の怒れる男

 

長年この人格交替と付き合っていると、

切り替わる前にからだに何が起こるか、

だんだん予感が生じるようになって来る。

ああ来そうだな、と分かる。

今日もその予感が来た。

昼間、いつものように庭で一緒に食事をし、

暖かい秋の日差しを受けて午後いっぱいを過ごした。

『からだの闇を掘る』のほうのブログに、

新しい章を書き上げられたので、機嫌がよかった。

だが、同居人と同じ部屋にいるときに

「今日はブログに一章書けたのでいい気分だ」

と言うが何の反応もない。

よくあることなので

(なにか自分のことに没頭しているのだろう)

と気にしなかったが、

その後も別のことを言ってもやはり何の反応もない。

それが34度と繰り返されると些細なことなのに

だんだん不快な気分になってきた。

(あれ?おかしいぞ?)

と感じたときはもう遅かった。

 

夕食のとき

「今日何度かしゃべりかけたのに

無視されたので気分が悪いぞ」

と口火を切ってしまった。

堰を切ったように

「人間だと思えないような無反応振りだ」とか、

「人間だと扱われていないようだ」

とかと畳み掛けるようになじってしまった。

私は言葉で人を攻撃し始めるといつも

過激派学生時代のように

相手をぺしゃんこにしてしまうまで止まらなくなる。

同居人は驚き言葉を詰まらせて

何もまともなことを言い返せなかった。

「だとしたら、よほど私の状態が悪かったのでしょう、

それを察してくれないと」

などと、とんちんかんなことを言い返す。

それがまた、私を憤らせた。

すぐ謝ってくれれば気も収まるかも知れないのに、

これでは腹が立つばかりだとこじれてしまった。

ひとりで屋上へ行って

寒くなるまでハンモックに乗って月を見た。

そのときもまだ自分の中の誰が

出てきていたのか分からなかった。

 

いまここで、書いていると、

どうやら学生時代の反戦活動家・山沢夙らしい

と推測でき始めた。

だが、彼が出て来やすい状況はなにも思い当たらない。

こういうふうに、

自分では理解できない人格転換が頻繁に起こる。

これが怖いのだ。

どうやら、機嫌が悪くなると出てくるのが山沢夙人格らしい。

妙に怒りっぽくなっている。

……

そうか!山沢ではなく、今故(いまこ)だ!

……

学生時代にも、人格転換が起こっていた。

いつも上機嫌の精力的に

人間解放のための革命を目指していた山沢と、

運動が行き詰りかけた1970年ごろに、

突然怒りっぽい今故という別人格が

出てきていたのを思い出した。

あの当時は人格交替が起こっていたとは分からなかった。

彼は「死ぬ気で闘う気がないやつは出て行け!」

などと当時の私の党派の部室となっていた

学生寮の部屋の壁に大書した。

それに驚いた冷静な友人がすぐに

その苛立ちに満ちた私の落書きを消した。

あいつが出てきていたのだ。

あいつのことは私もよく知らない。

いつもごく短時間出てきては怒り散らし

関係を破壊するだけして、

すぐに行方をくらましてしまうからだ。

しかも最近ではごくまれにしか出てこないから予測が付かない。

だが、インドで工事し始めて

数々の予測できない困難にぶつかり始めた頃から

怒りの神経症発作と共に出てきていたのは

今故かも知れない。

今故の名前はくわしく言うと

「今故血人肉男(いまこちびとにくお)」

という。

まるで「酒鬼薔薇聖斗(さかきばらせいと)」

にそっくりの語感だ)。

あの頃の俺の中に

あの13歳の中学生と同じような破壊的な狂気が

芽生え始めていたのだろうか。

俺だけではない。

当時、行き詰る国家権力との闘争の中で

追い詰められた過激派学生たちの一部、

浅間山荘に立て籠もった連合赤軍や、

テルアビブ空港で機関銃を乱射し手りゅう弾で自爆した奥平剛士

よど号を乗っ取って北朝鮮に亡命した赤軍派らもまた、

今故と同じ怒れる荒御魂症状に陥っていたのではないか。

俺はその直後からだを壊して運動をやめたが、

続けていれば彼らと同様の行動に走っていたに違いない。

あの時走らなかった俺のからだの闇には、

だが、35年後の今なお

走り出そうとしているやつが棲んでいるのだ。

 

私は風呂に入り、深く呼吸する。

ただ、深い呼吸を続ける以外に、

自分の荒御魂を沈静化する方法はない。

 

1970年代のある冬私は、

佐渡島に渡り何週間かをかけて

海岸沿いを旅した。

毎日暗雲低く垂れ込める

荒れる灰色の日本海を見つめて歩いた。

それが当時の自分の手の付けようもない

暴々の内景にもっとも匹敵する風景だった。

いまなおあの海から離れられずに

歩き続けているやつがいる。

鎮まれ

ただ鎮まれ。

 

今日の坑道は思いもかけない時代につながった。

丸一日日向ぼっこをしながらカラスとトビと遊んだ、

安楽の日曜日の午後にいったいなぜ、

1970年から怒れる男が躍りだしてくるのだ?


からだの奥の見知らぬ男

 
モンゴロイド・ファイヤー

2002年秋、

インド、ダラムサラのチベット難民たちが主催する

「フリーチベットフェスティバル」

に招かれて踊った。

いつもからだの奥から

見知らぬ男が立ち現われる。

それが私の踊りだ。

自分でも謎だった。

その謎を解くためにこのブログを開いた。

謎は深まるばかりだ。

 

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