2012年
 
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多重人格肯定日記
解離性同一性障害を肯定する日記


からだの闇を掘る
2012年12月12日 

行方不明者たちの消息

長い間消息を絶っていた行方不明者たちが
時折別の顔に窶して訪れたり、
見知った影の人格の奥に忍び込んで
その人格を瞬間的にのっとったりして
生き延びていることが分かりだした。
だから、彼らのあり方を、これまでのように
『多重人格』と呼んで一人ひとりを
異なる人格として実体化するだけでは
その本当のあり方をとらえることができない。
一つの人格は多くの異なる傾性をもつ。
その独特の統合の仕方が『人格』として現れる。
通常の人格はそれらの傾性のうち、統合できるかぎりのものらを
自分の<自己同一性=アイデンティティ>として
内在化して統合している。
その裏では、統合されなかった無数の傾性が
<無意識>として解離され自己像から外在化されている。
いわばもっとも深い解離に侵されている状態を
この社会では「健常な人格」、「自己同一性を持った人」として
認められている。
ようやくこの逆説に気づくことができた。
『解離性同一性障害者」とか、
『多重人格者』と呼ばれているひとは、
からだの闇の多くの傾性の異なる統合の仕方を持つ
ひとつひとつの『サブ人格』が複数存在し、
互いに解離して見知らぬ人として現れる現象だ。
だが、実際は、無数の傾性は多次元的に共振しており、
『人格』のような大きな塊になる場合だけではなく、
小さな傾性として断片化して存在し、いろいろな形で現れてくる。
彼らは時にからだの闇から吹きあげる
一陣の風のようにかすめて行ったり、
背後世界からの微かなシグナルとしてのみ
姿をあらわすこともある。
しかも断片化した傾性は多次元的に共振している。
もはやこれまでの二元論的な論理では捉え切れない。
ここでも私は新しい共振原理を発明する必要に迫られている。
実に何年もこの課題の前で足踏みを続けてきたが、
これ以上立ち止まっているわけにはいかない。
なんとかいまある手持ちの共振言語を駆使して
彼らの本当のあり方に少しでも近づきたい。

⋰ 






2012年12月6日 

コーボディ坑道の豊穣と魔界嵐

第5回舞踏祭は連日サブボディ=コーボディの舞踏公演が続いている。
今年は長期生にはサブボディソロ舞踏と、
サブボディ=コーボディのグループ舞踏の二つを創り、
一般向けのワークショップを幾つかガイドするという
三つの課題を課した。
こんな実験を行なっているのは世界でここだけだ。
わたしはなぜコーボディにここまでこだわるのか、
自分でもよくわかっていない。
ただ、そこが無限の謎と秘密と花が詰まった宝庫であるという
予感と嗅覚だけに従ってきた。
だが、今年の舞踏祭がはじまってようやく何が起こっているのかが見えてきた。
ここまできてようやくコーボディにこだわり続けた謎が解けてきたのだ。
コーボディ坑とは、自分の殻から出る坑道なのだ。
踊り手は連日他の踊り手が見つけた見知らぬ背後世界に入って踊る。
それが二週間続く。
そんなことをしていたら、自分の世界を見失ってしまうという恐怖を乗り越えて、
ノンシャランスに変容を続ける死者になる実践的な坑道なのだ。
大変なのはわかっている。
だが、カツ、ジオ、アクシの長期生は平気でそれをやり通す力をつけてきた。
一年目のクリスチャンもそれに果敢に喰いついて行っている。
一期目のソルヴァイもモニカも連日コーボディを踊り抜いている。
その中で見違えるように変わってきた。
今日のアクシとジオのソロは、それらの試練を乗り越え
からだに統合した実に濃密かつこれまでにない豊かなものだった。
そうだ。
わたしたちはなぜ自我や自己という元型に深く囚われているのか。
そのこわばった自我がコーボディ体験のなかで溶けてきている。
それを目の当たりにすることができた。
自我や自己という元型の謎を解く鍵はコーボディ坑に隠されていたのだ。
ようやく実践的に自己を脱いでいく道が見つかった。
この坑道をくぐり抜けない限り、舞踏家は自己という元型に囚われ続ける。
自我や自己を脱がない限り、生命の呼称で呼びうる舞踏には至れない。
もちろん、並大抵のことではない。
生徒は皆、困難なエッジに直面し、
それぞれ一週間ほど動けない期間を体験した。
だが、ここからさきに待ち構えているのは、
さらに困難な想像もつかない未知の闇だ。
この過程を産婆として全生徒のサブボディの生と死の葛藤を共有する中で、
わたし自身、生徒の体験する転移に対応しててひどい逆転移が起こった。
それどころか、転移や投影やドリーミングアップや憑依現象が、
一時に襲い掛かってくる非二元世界の疾風怒涛のような嵐に見舞われた。
ありとあるトラウマ、神経症、解離性多重人格症などの既往症が
メンゲンとしてぶり返し、舞踏祭直前には瀕死のからだとなった。
実際に死の恐怖に直面し、脳心身がこわばってしまう日が続いた。
いつかやってくるという死への恐怖ではない。
今すぐ誰かに侵入されて殺されるという妄想に襲い掛かられる。
それに対抗して侵入者を殺そうとする激烈な殺人鬼に変性する。
同時にその裏返しとしての自殺衝動、世界破滅衝動に見舞われるのが
私の神経症の特徴だったが、それがみごとにぶり返してきた。
これは予想もしなかったもので随分手こずった。
指圧の遠藤喨及師も、これに似た経験をされたことと思う。
師の言葉では患者の邪気を一身に引き受けて、
身動きが取れなくなる経験だ。
彼の場合は浄土宗の住職なので念仏三昧に打ち込むことで
のりこえたのだろうが、その道がない不信心のわたしは
それに替わる方法を見出すしかない。
邪気とはよく言ったもので、
わたしの場合もあらゆる魔や邪や悪霊などの
空恐ろしい元型が渾然一体となって襲い掛かって来るものだった。
私の場合は共振塾の建設過程で遭遇した脅迫神経症がぶり返し、
否定人格が極地まで亢進した殺人鬼と自死者に
同時に引き込まれる危険なものなので、もっとも始末が悪い。
これで終わりかとも何度も覚悟した。
ただ、その渦中で、以前の脅迫神経症の時にも手こずったにも関わらず
うまく捉えきれていなかった魔界嵐と名付けている現象が再現する中で
ひとつ新しい共振原理をつかみ出すことができた。
不機嫌、短気、怒りなどの否定人格のクオリアとからだのアドレナリンモードが
転移・逆転移、トラウマのフラッシュバックなどと混交し、
心身のクオリアが瞬時に共振的に増幅し、加速しあう現象だ。
物理的世界では起こり得ないほどの瞬間速度で
瞬間的に共振し、加速される。
<共振的加速>と名付けた。
この速度は意識よりも早いので、意識ではとらえることも
抑えることもできない。
まわりの人々にとばっちりを与えないように、
舞踏祭中はほとんど生徒から離れてひっそりと生き延びた。
どうやら、解離性の多重人格症に見舞われた十年前の事態は
まだまだ序の口だったらしい。
当時現れた否定人格、りゅうり大魔王、生命力龍といった
最深部のサブボディは独立した人格ではなく、
深部では混融一体化しているようだ。
だがその正体も知れず、いや、
おそらく正体などない分析不可能な未知のものが存在する気配がする。
いまだにどう乗り越えることができるのか、定かではない。
これまでに培った程度の透明覚では太刀打ちもできない
まったくの不透明な闇なのだ。
これから産婆として旅立つ長期生は、
やがていつかこのような非二元界の暴暴の嵐に出会う日が来るだろう。
それまでには、今年わたしが見舞われた恐ろしい闇への対応法を
見つけ出す必要がある。
この冬場の調体で、もっともっと微細なクオリアに耳を澄ます
坑道を掘削し、それを安全に通れるように、これまでの共振タッチ、
共振指圧、エッジワーク、めんげんワークなどに加え、
転移・逆転移ワーク、投影ワーク、ドリーミング・アップと
その逆のドリームド・アップワークなどを総合した
魔界嵐ワークをも見越した産婆道を切り開く必要がある。
産婆は自らの身体を犠牲にしてだけ、その道を切り開くことができる。
残された時間は少ないが、
これを乗り越えなければコーボディ坑道の未知の豊穣には
危険すぎて触れることができない。
冬場の大きな課題だ。
そしてそれは、来年取り組む予定の『病める舞姫』の非二元世界に
からだで入っていくという課題とも切り離すことができないほど
密接につながていることも見えてきた。
そうだ。土方も『病める舞姫』を書く前に
この魔界嵐を通り抜けたはずなのだ。
彼の場合は、70年代の暴力的な反政府闘争が
吹き荒れる中だったから、心的現象だけでは済まなかった。
実際に唐十郎率いる状況劇場の面々との呑み会で争いになり
若い劇団員にボコボコにされるという体験をしたことが
同行していて巻き添えを食ったある文学者が証言している。
当時は学生運動の末期に魔界嵐に巻き込まれて、
そういう発火寸前までに魂をズタズタに引き裂かれて、
すぐカッとなって手が出る若者がゴロゴロしていた。
それに比べて21世紀は見かけ上随分平穏になったが、
心身の惨劇がからだの闇深く潜行するように変わっただけだ。
どうやら波瀾万丈の大変な冬場になりそうだ。



 2012年10月25日

絶滅の頃を思い出せ



若いころ、20代ずっと、階段を降りるたびに
この言葉が口をついてでた。
これが出てくるとはいよいよ最悪の事態なのだ。
俺はいったい何度絶滅したことがあるのだろう。
胎内にいた頃から、絶滅こそが俺の友だった。
子宮の中から、母が半狂乱になって泣き叫ぶ声が聞こえた。
ネズミになって夜中に、消えた母を探し始めたのが4歳の頃。
偽子宮の夢を見だしたのは、7歳の頃。
星から墜ちる夢もやはり、7歳の頃。
思春期以降、失恋するたびに、絶滅のクオリアをしこたま呑んだ。
20歳で政治的・思想的に絶滅。
何度も何度も滅多打ちにあったが、
たまたま致命傷は受けなかった。
俺ではなく仲間が三人命を落とした。
20代はほとんど気を失って生きていた。
別れるたびに絶滅を繰り返した。
30代はからだが壊れるまで走り、泳ぎ、自転車を漕ぎ、
冬山スキーで急斜面に頭から突っ込みつづけた。
正気を取り戻したのは、踊りを始めた40代だ。
瀕死のクオリア、それがいちばん親しいものだとは、
よっぽど恵まれないやつだ。
だが、胎児期からそれに鞭打たれ鍛えられたおかげで、
どこまでも醜くしぶとく生き延びるすべを覚えた。

絶滅の頃を思い出せ。
(おまえはどの惨劇も踏み越えて生き延びてきたのだ。)
(だが、こんどはどうかな。今までで一番きつい。)
(内的に滅んでいくほどに、授業が充実するという
逆説だけが救いだ。)

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 2012年10月21日

忿怒こそ愛の極点



命が少年期特有の歪みに狭まっていく非望の夜は、
その頃共振していた言葉が次から次へと口をついて出てくる。
中也の「汚れちまった悲しみに」もそうだし、
太宰治の「忿怒こそ愛の極点」もそうだ。
少年期のまだうまく共振の仕方を知らない小児的なエゴの愛は
満たされなかったら、ただただ怒るしかできない。
さもなくば、中也のように自己厭悪に叙情するかだ。
振り返れば日本の文学者たちはなんとこぞって
うまく成熟できない自我を持ち合わせていたものだろう。
あるいは成熟を拒もうとしていたわたしが、
ことさら未成熟な文学者たちに共振していたということだろうか。
そして、なぜ、日本の文学的風土には自我を脱却するという課題を
引き受けようとする人が誰一人現れなかったのだろう。
いや、世界文学や思想をとってもそうだ。
自我や自己を克服しようとする思想はまだ現れていない。
自我や自己を脱ぎ生命になるという生き方は、
ここヒマラヤからはじめて行くしかないようだ。
ここ十数年のヒマラヤ暮らしの中で見つけた最大のことは
愛とは良い共振のしかたを見つけようとすることだ
という一点だ。
これに気づいたときは60年の愛の失敗の人生を覆っていた
暗雲が突然消え透明な空が開いた気がした。
今のところ、これだけは間違いないことのように思われる。
からだの闇を歩くには、なにひとつ頼れるものはない。
一歩一歩確かめながら歩を進めるしかない。
ただ、そこではあらゆるものがいろんな仕方で共振している。
そしてあらゆる共振には、無数の共振パターンがあり、
よりよい共振の仕方を追求しうる余地があるということ。
わたしの人生は60年でこのたった一歩だったのかもしれない。
あやうい一歩だ。少しでも油断をすればただちに、
太宰や中也の幼い自我の共振パターンの世界に呑み込まれかける。


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 2012年10月17日

いかに中原中也少年を救うか



中原中也少年を救う道は一つだけある。
欲望にもその自己否定にも囚われないという
全サブボディ=コーボディ肯定の道だ。
自分の中のあらゆる傾向、
あらゆるサブボディを肯定する。
幼いときにからだの闇に隠れ住まねばならなかった
サブボディがもっている未熟な小さいエゴも含めて肯定する。
まだ共振のしかたをうまく知らないことも肯定する。
原初の命はごくごく僅かな共振の仕方しか知らなかった。
まだ知らないことを否定しては、学ぶこともできない。
サブボディのちっぽけな自我に囚われた欲望も、
時間をかけて良い共振の仕方を学んでいくしかない。
生き延びる道は共振を学ぶしかない。


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 2012年10月17日

汚れちまった悲しみに


真夜中に目覚める少年は
中原中也の詩をつぶやいている。
少年は自分のちっぽけな愛と、
他者を汚してかえりみない悲しい欲望との区別がつかない。

汚れちまった悲しみに
汚れちまった悲しみに
今日も小雪の降りかかる

それから清水哲男を思い出す。

わたしはあきらめる
かがみこむほどの愛を
わたしはあきらめる
そして五月を



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 2012年10月10日

性を超えて生きる


せっかく40億年もの歴史を持つ命として生まれてきたのだ。
たまたま振り分けられた男や女という生物学的な性に
縛られたまま生きるのはもったいない。
男は女に、女は男にもなるべきなのだ。
幸い踊りの中では女体や男体に自在に変容することができる。
アニマやアニムスの謎にからだごと成り込むことができる。
踊り手だけの特権かもしれないが。
まして、他の人のまだ生まれていないサブボディの
産婆として生きることは、
母にもグレートマザーにさえもなることができる。
これほど豊かな生きかたはまたとないものだ。


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 2012年10月7日

生命の多次元共振性


ビザ=国家への囚われ


日本でインド雇用ビザを申請して、延々と書類の訂正を命じられ
ついに時間切れで断念せざるを得なかった、
悪夢のような国家と関わった2ヶ月の夏が終わった。
日本では予想もしていなかったダビッド・ザンブラーノや堀川久子さんらと
十余年ぶりの親交を取り戻して幸せだったが、その裏面では、
日本とインドを隔てるビザ=国家問題に向き合っていたわたしの
基本モードは反国家闘争の山沢夙だったろう。
自爆しそうなくらいの怒りと苦渋がからだの闇の底で渦巻いていた。
それがほとばしり出る瞬間に身をかわして、暴発しないように
細心の注意を払い続けることが必要だった。
若いころのようなヘビースモーカーとなり、
からだじゅうに警鐘のように毒を回し続けていた。
指圧の遠藤喨及師の言葉を借りれば、
「邪気」に満ちたからだになっていたのだろう。
世界中の悲惨な写真を集めてアップロードを続けていた。
だが、インドに帰ってきてなんだか、バランスが狂っていたことに気づいた。
特に、この記事の前項の「コーボディの深淵」がひどく偏っている。
そういう悲惨や不幸を過剰に晒してはならないのだ。
ビザ=国家問題に囚われすぎて、
それとは異なる面をあまりに無視しすぎていた。
命は多次元に共振しているので、どんな不幸や不運の中にも
正反対のクオリアがいくらでも輝いている。

フラマン細胞の幸福


極端な例になるかもしれないが、不幸のどん底でさえ命は
たとえば上に載せた多幸感に満ちたベリーズ工房のビデオのような
クオリアも同時に味わっている。
いや、その程度の二面的な対極性ではなく、微細に感じれば、
生のどの瞬間にも多次元に輝くカラビヤウの虹が散りばめられている。
絶望、至福、悪夢、ユーモア、死滅、再生、希望、苦渋、おちょろけ、
非望、オルガスムス、戦闘、祝祭、眠り、恍惚
、などなど
無数の多次元クオリアが共振している。
それを忘れたら嘘になる。
頭だけだとひとつの傾性に囚われてしまいやすい。
ヒマラヤに帰って、久しぶりに共振塾の生徒となって踊った。
からだが動き始めるとどんな惨めな25年間寝たきりの
フラマンの動きにもめくるめく歓喜があることを知った。
長年動けなかったからだが、ほんの少しでも動けることは
奇跡的な幸福なのだ。
極限まで衰弱したフラマンの細胞が恍惚にむせ返るほどになった。
からだを離れて飛び立つ魂がある。
頭を誰彼なしの股ぐらに突っ込み、母の死と恍惚を踊り、
自分の股ぐらからいろんな生き物を出産する地母神にさえなった。
踊るなかでリゾームのからだが戻ってきて教えてくれた。
この夏、命の多次元性をすっかり忘れていたことを。



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 2012年7月23日

山沢夙の出現


スイスを離れる直前、下記の文章を書いているうちに
17歳の革命家・私の中の山沢夙が、出てきて
どんどん話を拡げだした。
長い飛行機に乗る前かく文は、いつも遺書めいてくる。
いつも死に損なうか、乗り損なうか、瀕死の状態になるか、
60歳を越えてからの長旅がもたらす睡眠不足は
いつも不測の事態を惹き起こすからだ。
今回も何が起こるかもわからない。
だから、というわけでもないだろうが、久しく眠っていた
いろんな人格がわれもわれもと顔を出そうとする。
特に、山沢はエネルギーに満ちているので、勢いに乗って
昔の世界革命の夢の続きを辿ろうとする。
確か、関西の反戦高校生運動の機関誌名が
「コンミューン」だったはずだ。
「コンミューンは未来社会の萌芽形態だ」ということを
高校生の私たちは信じて、「戦闘的友情」だの
「思いやり深い人になりたかった」だのと、
めいめいの夢をふくらませていた。
はじめはそのままのタイトルにしていたが、あんまりなので
わたしの中の誰かが「未来の生命の萌芽形態」に訂正した。
だが、リゾクラシーを夢見、実験を続けているのは
山沢ではなく、まぎれもない産婆としてのわたしだ。
それに山沢が革命の見地から解釈を施した。
それが下記の文だ。
生徒のなかには、リゾクラシーなどというとほうもない
発想に呆れて引く人も出てくるかもしれない。
だが、このすべてがわたしの中の分身なのだから仕方がない。
わたしにとっては自分の中のサブボディも、
生徒の中のサブボディ同様全部受け入れるしかない。
さて、帰りの機中ではどんなサブボディが
長い眠りを覚まして出てくるだろうか。


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 2012年7月23日

未来の生命の萌芽形態


あらゆるものは共振している。
それぞれに特有の共振パターンを持っている。

自我、サブボディ、コーボディ、生命の
固有の共振パターン


自我に特有の共振パターンは主導することだ(英語ではドミナンス)。
サブボディに特有のそれは、まだうまく共振の仕方を知らないことだ(未共振、ディゾナンス)。
コーボディのそれは群れとしての共振だ(狭義のリゾナンス)。
生命の持つ共振パターンは無限である。あらゆる共振を含む広義のリゾナンスだ。
自我のドミナンスもサブボディのディゾナンスも、広義の生命共振に含まれる。
   特有の
共振パターン
 英語  
自我  主導   ドミナンス  広義の共振に含まれる
 サブボディ  未共振  ディゾナンス  広義の共振に含まれる
 コーボディ  群れ共振 狭義の レゾナンス  広義の共振に含まれる
 生命  広義の共振  広義のレゾナンス  広義の共振に含まれる


宇宙に存在するものは、すべて共振している。
ひも理論にいう最小サイズのひも(ストリング)から
銀河やブラックホールまで、
すべてはひもの共振パターンの違いによって生成する。
すべては共振しており、共振パターンは無数にある。
原初の生命は自己を複製できるという宇宙で生命だけが持つ
特有の共振パターンを持って生まれた。
宇宙史でおそらく私たちが知るかぎりはじめてのことだ。
しかも40億年間それを絶えず新しい共振パターンを創発し、
更新し続けてきた。
生まれた当初の初原生命は
ごくわずかな共振パターンしか知らなかった。
酸素とさえ共振できずに地中水中深く隠れ住んでいたのだ。
それが40億年の間に数えきれない新しい共振パターンを創発し、
無数の種に分化してきた。
だが、まだ水銀やカドミウムなどの重金属や放射能とは
うまく共振できない。
それらが生命に対して強い催奇形性を持つからだ。
うまく共振できないものとは安全距離を保って
良い共振方法が見つかるまで待つ。
それがたえず良い共振方法を探し続ける生命の
気の長い戦略だ。

自我はなぜ世にも貧しい共振パターンに縛られているのか

自我(エゴ)がもつ特有の共振パターンは、
たえず自分が主導し、判断し、決定しようとする点にある。
また、たえず自己を正当化しようとする物語を生成し続ける。
よいものは自我に属し、悪いものはすべて他者のせいにする。
自我は自分の基準で他者を規定し、否定する。
そういう特権を持っているという幻想に包まれている。
それは生命の持つあらゆる共振パターンの中でも
とても惨めな狭い共振の仕方である。
人間だけだ。こんなみっともない共振パターンに囚われているのは。
おそらく自我は人類の初期、数百万年前に類人猿から分岐して以来、
森や草原でもっともひ弱い種として存在を始めた弱小時代に
起源を持つ共振パターンであるに違いない。
か弱い種はそれぞれの仕方で自己を守る。
人類がか弱いのは単に物理的にではなく、
群れの持つ共同幻想にたいしてか弱い点にある。
その時代時代の共同幻想に対してそれに背いていないことを
絶えず自己正当化しなければ生きていけなかった。
古代ではそれに背けば直ちに死を意味した。
初期の小さな共同体はか弱い人類の小さな群れを維持するための
さまざまな共同幻想(教えや儀式)からなっていた。
トーテム、成人儀礼、先祖儀礼、埋葬儀礼などなどだ。
やがてそれが神話となり、部族国家の共同幻想に転化していった。
自我の起原は古いとはいえ、古代人の自我は今日に比べて
はるかに小さなものであったろう。
それが強大化し、普遍化するのは近代になってからである。
資本主義が単独化された労働者を必要とした。
近代西洋で発達した個人主義は、団結しない個人ばらばらの
労働者群を生産するための資本主義国家のイデオロギーである。
それを長年刷り込まれた近代的市民が自分たちを支配する
国家を支える構造が出来上がっている。
そのシステムには民主主義という美しい名前をつけられている。
現代とは、自我と国家が相補的に支えあう構造が完成した時代である。それを解いたのは近代以降の自我と国家の
<臣民的相補性>を発見したミシェル・フーコーである。
国家が死滅するにはそれを支える自我が変わらなければならない。
逆に言えば自我が変わり、消失すれば
それと相補的に支えあっている国家も存立基盤を失って死滅する。

ノマドリゾームにおけるリゾクラシーの実験


長い道程には違いない。
だが、生命はたえず良い共振の仕方を求め続けている。
やがては自我も国家もない未来社会が実現するだろう。
今、わたしたち舞踏家が、サブボディやコーボディに変容する
ノマド・リゾームという生き方を実験しているのは、
その未来社会の萌芽形態を見つけるためである。
言葉による議論を必要とする議会制民主主義は、
高度に発達した国家の情報管理技術によって操作される。
だが、情報は生命共振を操作することはできない。
ミンデルやエコロジストのいう深層民主主義(Deep Democracy)は
民主主義の虚偽から抜けだそうとする志向性を持つが
いまだに人間や民主主義という幻想に囚われている。
民主主義は国家の完成形態なのだ。
生命は人間という幻想を脱ぎ、民主主義という幻想から脱し、
国家支配そのものを消滅することを求めている。

未来社会の萌芽形態

人々が生命共振だけでうまくやっていく方法をみいだす
未来のリゾクラシーの萌芽形態ををすでにノマドリゾームでは
身につけつつある。
当初は最小限の言葉による交通を必要とするが、
じょじょに言葉を必要としない生命の瞬間共振が生まれつつある。
この実験が未来社会の実現につながっていく。
論議や情報操作なしに生命共振だけで何とかうまくやっていく
リゾクラシーの細部がこれから無数に発明されねばならない。
道は遠く、行く手には多くの未知の困難が待ち構えているだろう。
だが、生命は良い共振の仕方を見つけるまで
永遠に試行錯誤を繰り返しつつ、それを待つことができる。
この実験を生きることはおおきな生命潮流に参加することなのだ。
私たちは常に同行衆を求めている。
集まれ、そして実験と発明を続けて、分散していこう。
ノマドリゾームという新しい交通形態の萌芽が
いまや世界中にできつつある。
楽しいではないか。
未来の生命のために人生を実験で満たすのは。

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 2012年7月11日

母の消失

いつも人々が寝静まった真夜中にだけ
眠りから剥がれ落ちてむっくりと起きだすネズミという人格がいる。
生からはぐれて緩慢な自殺であるタバコを吸う別のわたしがいるように。
ネズミは真夜中に人目を忍んで必死に何かを探しているわたしだ。
その存在には大昔から気づいていたが、
その起源がどこにあるのか、なかなかつかめなかった。
目覚めるともう跡形もないからだ。
何を探しているのかも定かではなかった。
だが、今年の舞踏祭のさなか、
毎日の写真の編集が真夜中に食い込み
まるで若い頃のように一日の周期が
25、26時間にずれ込む生活が続いた。
二、三週間に一度昼夜が逆転する。
それがジェットラグのせいもあってスイスに来てからも続いている。
二三日前は朝の7時まで眠れず、ほんの1時間だけ眠った。
その起きがけに珍しくとてもエロチックな夢を見た。

大きな催しで大勢と合宿生活をしている。
その中である女性と不意に肌が触れ合う距離に入る。
なんだかしれないが引き寄せられるようにその女性に引き寄せられ
ぴったりと触れ合い親しみ合う距離に入る。
なぜだかその女性はその突然の距離を拒むことなく
むしろ暖かく静かに受け入れてくれているかのようだった。
めったに見ない至高の味わいの夢だったので
何日もその夢の感触をなぞっていた。

すると今夜真夜中に目が覚めたとき、
不意にその夢の自分とネズミがつながっていることに気づいた。
ネズミが探していたのはおそらくそのような
あたたかい肌のふれあいだったのだ。
それに気づいたのは、今週の月曜日、スイスのワークショップで
ドリームボデイを踊ることになった日、生徒みんなに一生で見た
一番強烈かつ奇妙な原生夢を思い出してもらいその夢の世界に
みんなで入り込み合うドリームボディワークの見本に、
私自身の原生夢である「ニセ子宮」の夢と、
「星落ち童子」の夢を続けて踊ってみせたことと
おそらく深く関係している。

「ニセ子宮」の夢は、最初あたたかく心地よい子宮の中の羊水のような
世界に漂っているのだが、
ふとその子宮がニセモノであることに気づいてパニックに陥る夢だ。
不意に子宮の手触りがほんものの子宮ではない
なにかザラザラした感触が混じっていることに気づいてしまうのだ。
踊っている最中に、昔「死者熱」を京都の永運院で踊ったときに
不意に出てきたからだからなにかを激しくこすり落とす動きが出てきて
(ああ、この動きはニセ子宮から脱出しようとする動きだったのか)
と気づいた。
原生夢は踊るたびに新しい発見がある。
何度でも踊るに値する必然の踊りなのだ。
「星から落ちる夢」は、小さな惑星の上に一人で立っているのだが、
不意に空の上かどこかから
「飛べ!お前は飛ばねばならない!」
という大きな声が聞こえてくる。
(飛べったって、どちらが上かしたかもわからないのに飛べないよ)
とたじろぐが、その声は
「どちらが上か決めて飛べ!上へ飛べばいいのだ!」
と威圧的に叫び続ける。
そこでたまらず、(ええいこっちが上だろう)と意を決して
飛び込み台のような板の上からジャンプする。
すると決まって真っ逆さまに無限の暗闇の中に落ちていく。
50歳の頃から何十回も踊ったことのある悪夢だ。
七歳の時に流行り熱で40度の熱を出した時にはじめて見、
その後も高熱を出すたびに決まってみる反復夢となった。
そのふたつの原生夢も、なぜそんな夢をみるようになったのか、
50歳を過ぎてその夢を繰り返し踊るようになるまでつかめなかった。
それというのも、わたしは三歳で一度母に捨てられた子であることを
長い間忘れてしまっていたからだった。
なぜか実の母とうまく関係できず、祖母が晩年寝たきりになった時
老人ホームへ放り込んでしまった母を許せず憎んでいた。
私は一面で母をとても愛していたが、
心の底のどこかで憎しみが混じっていてうまく関係できないことを
うまく処理できないまま身じろぎもできずにいた。
その夢を何十回も踊るようになってから、
50代の半ばで初めて どちらの夢も、
三歳で母に捨てられ、祖母のもとに預けられ、
七歳のときに母と信じてなついていた祖母にだまされて
母が弟たちと住む大阪の家に置き去りにされて、
実母のもとに返された、その体験に基づいていることに気づいた。
そして、63歳の今年、昼夜逆転する生活の中でその夢を踊って
はじめて、それがあの謎だったネズミという真夜中にだけでてくる
解離された人格とも関係していることに気づいた。
ネズミが真夜中に起きだして必死に探していたのは
三歳のときに突然目の前から消えた母だったのだ。
ネズミは、誰かそばに寝ている女性の寝床に滑りこみ
からだをまさぐり続けてきた。
四歳から七歳まではそばに寝ている祖母をまさぐり、
叔母の家に泊まったときは叔母のからだをまさぐり、
隣のみっちゃんという一つ下の幼馴染と行水したあと
並んで昼寝したとき、みっちゃんのからだに触れたくて
仕方がない衝動に襲われたが一指も触れることができなかった。
それが人生で最初にわき起こってきた性衝動だった。
高校の反戦運動の全国合宿で雑魚寝したときは
ネズミが夜中に目覚めて隣で眠る長野県から来た
女子高校生のからだをまさぐる夢を見た。
いや、生温かい膣の感触がいまだに残っているから
夢ではなく実際にパンツの隙間から指を挿入していたのかもしれない。
今日の夜中に目覚めた瞬間に、
二三日前に見たエロチックな肌の触れ合いに入る夢もまた
かつての真夜中のネズミの夢や衝動とひとつであることに気づいた。
それで夜中に起き出してこの文を書きだしたが、
書いている最中に、ネズミの存在と
先日踊ったふたつの原生夢とつながっていることにも気がついた。
それらすべてはひとつながりの非二元のものであることに。

三歳で母が消失した体験を持つわたしにとって、
アニマ像と消えた母や、消えた幼馴染の面影が混在一体となっていて
ユングの言う「アニマとは自分の中の異性的な反面の投影である」
という説だけでは納得出来ないややこしいからみ合いをもっている。
その長年の謎がほんの少しだけ透き通ってきた。

わたしがアニマという謎にこだわリ続けるのは、
アニマという元型への囚われが、
わたしのことごとくの愛が失敗してきた原因の
ひとつであるにちがいないからだ。
60代になってからでは、たとえ謎が解けたとしても
後の祭りになるのかもしれない。
まだ最後の愛の成就に間に合うのかもしれない。
だが、解かずには死に切れない謎なのだ..

幼い頃里子に出された夏目漱石が、
「母の喪失」という謎に囚われていたこと、
それが嫂への密かな愛につながっていることを抉りだしのは
評論家の江藤淳だった。
そんな途方もないことに目が行くとは、
その江藤もまた同じ謎に囚われていたからに違いない。
江藤は終生愛妻家に徹することによって、
その謎から解放されたかに見えていた。
(とてもああはなれないなあ)と羨ましく思っていたものだ。
だが、江藤は愛する妻に先立たれたあと、
病身のまま生きる意味を失って自死した。
果たして江藤は謎を解き終えたのだろうか。
それとも妻というアニマに囚われたまま死んだのだろうか。
自死の秘密は他人には解けるものではない。
謎は深まるばかりだ。

おお、気がつけば今日もまた眠れないまま空が白んできた。
ときおり見えるモンブランも今朝は黒い雲に隠れたままだ。

生きるとは命を削りながら生を成就し死に近づいていくこと。


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 2012年6月16日

鞘師里保、珠玉の序破急


鞘師里保には、モーニング娘9期オーディションで見せた
ダンスのきらめきからその才能に注目していたが、
先日YouYubeで1分間の即興ダンスにこめた、
天才的な序破急を見て唸った。
1分間の音楽を聞いてペアで踊るというルールだが、
司会者から、「途中であっち向いてホイを入れてよ」という
ムチャな注文もこなして、
たった1分間に多彩な序破急を入れてまとめあげた。

序は、 お得意の加速度のダンス。
8ビートの曲を16ビートに刻んで踊った。
最初に一番目を引く得意技をもってきて驚かすという
「とっぱなビックリ」という序の荒業だ。
これが身についているからできることだ。
破の1は、リズムが変わったところで、右手をリズムに乗せて沈ませていく。
となりの石田亜佑美もよく合わせた。
破の2は、「ラララライ」というお笑いコンビの体操で笑いを取る。
やる前にきちんと「ため」の間をとっていた。
破の3が、司会者の注文の「あっち向いてホイ!」
急が、息の合った高速ラインダンス。

と僅か1分間に五つもの見せ場をつくった。
こんな結晶度の高い序破急を即興で創れるのは
ただものではない。
共振塾ヒマラヤの舞踏ダンサーにも
見習って欲しいくらいなので、サイトで紹介することにした。
西洋には序破急の文化がないので、
なかなか身につかないのだ。
ヒマラヤの舞踏祭も無事すんだ今、
こういう息抜きの記事を書きたくなった。



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 2012年6月15日

樺美智子さん、ありがとう。

あれはもう、今から14年も前のことになる。
1998年の6月、樺美智子さんが夢に降りてきて、
とても大事なことを告げてくれた。
それがわたしの日本脱出のきっかけになった。
その時以来彼女は、
わたしにときどき大事なことを告げてくれる
世阿弥、土方とならぶ、賢者の一人になった。
その時の文章を思い出したので再掲します。
この時起こったことは、いまだに不思議な謎なのだ。


二十の人格、千の変幻虫へ


この6月15日、
1060年6.15安保闘争デモで死亡した樺美智子さんが
舞い降りてきて耳元でささやいた。
「Leeさん、もう嘘を踊るのはお止し」
その途端にきづいた。
自分がいかに自己欺瞞的な踊りに陥っていたかを。
いろんなダンサーのネットワークをつくったりしているうちに、
丸い嘘っぱちのキャラクターが前に出て、
本音を見失っていた。
自分の中には眠っている二十もの異なる人格がある。
そいつらをすべて自分だと引き受けて解放してやれ。
二十どころじゃない。
千のフェチ、千の狂気、千の死者。
そうだ、みんな俺だったんだ。
反戦運動のオルグだった17歳の俺。
1967年10月8日 ベトナム反戦デモで同級生山崎博昭死亡。
全共闘。
その後、数えきれないほどの友人が機動隊との衝突や内ゲバで死亡。
あるいは精神病院で自殺。
日本での緑の党づくりの失敗。
戦争の中の日付のない死。
エイズの死。
民族紛争の死。
家族の中の戦争の死。
そんなことを尻目に楽しいことだけ踊ろうとしても、
昔の死者たちが一緒に踊りに出てきてくれないのは当然だ。
俺のダンスは世界に開いていく。
自分の中の死者たちと踊る。
世界をパートナーに踊る。
自分の一番深い地下茎から踊る。
あなたも自分の根を踊れ。
そうすればきっとどこかに通じるワームホールが見つかるはずだ。
世界中をもぐらの穴だらけにしよう。
そこを伝染熱として駆け抜けよ。
・・・・・・
さらば! 土方巽、安らかに眠れ。
野口三千三、安らかに眠れ。
父よ、母よ、眠れ。
フーコー、ドゥルーズ、ガタリ、
みんなみんな安らかに眠れ。


このとき大風が吹いてわたしをかさらった。
この月、当時住んでいた京都市左京区の
古い日本家屋の家を劇場に変造して
「伝染熱」と「変幻虫」を踊ったのを皮切りに、
7月、タイ・インドで踊り、
8月、9月、フランスで踊り、
10月、ベネズエラで踊り、
12月、日本で踊った。
翌年も、翌々年も、そのコースを更に拡大して踊りまわる
3年間の世界ツアーがはじまった。
3年後から定住の地を探しはじめて、
ダラムサラ・ヒマラヤインドに共振塾を開いた。
わたしではない、なにか見知らぬ力がわたしを拉しさった。
その大旋風の源となったのが
樺美智子さんのひとことだった。
このことがなければ、今のわたしはない。
共振塾ヒマラヤも存在しない。
やはり、樺美智子さんはわたしにとって
炸裂姫なのだ。

樺美智子さん、ありがとう。
安らかに眠っているふりをして、
ときどきはまた、誰かの耳元で
とてつもない真実をささやくのでしょうね。



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 2012年6月15日

炸裂姫

からだの中にひとりの炸裂姫が棲んでいる。
脳の中に、かも知れない。
眠ろうとして横になっったとき、
突然脳の中で激しい炸裂が起こる。
強い物理的な衝撃を伴う。
最初は脳の血管が破れた衝撃だろうかと恐れた。
だが、もう数年になるがまだ脳溢血は起こっていない。
いったいなんなのだろう?
脳細胞が死ぬときのクオリアが脳全体に
衝撃波として共振するのだろうか。
いろいろ推測してみるが、まだ真相はつかめない。
幻聴の一種なのだろうか。
わたしにはもうひとつの持続的な幻聴が続いている。
絶えず、地虫の鳴くような音が鳴っている。
京都の西京区に住んでいた10年以上も前のことだ。
最初は実際の地虫、すなわちオケラの鳴き声だとばかり思っていた。
幼い頃和歌山ではよく聴いた。
だが、その土地を離れて地虫などいないところで寝ても
聴こえてくるので幻聴だと思い当たった。
幻聴とは、脳内のグリア細胞に保存された内クオリアが
勝手に共振して音として感知するものだ。
脳には幻想のクオリアと実際のクオリアを区別することができない。
脳にとっては聴こえるものは実際の物理的な音であれ
幻聴であれ、どちらも等しく音として感知される。
炸裂姫も、地虫と同じく幻聴の一種ではあろう。
だが、こちらのほうは激しい物理的な圧迫や
衝撃をともなうので、幻想の衝撃、
幻撃
とでも呼ぶしかない新種の幻聴なのだろう。
この幻撃に、炸裂姫という名をつけたのは、
謎の恐怖だからだ。
恐怖に姫という名をつけるのは、
台風に女性名をつける習慣と似ているのかもしれない。
私の三歳のころ、紀伊半島を襲ったジェーン台風という
大きな台風があった。
台風の間中、私はぐっすり眠り続けていて
まったく記憶はない。
だが、台風の激しい風雨から玄関のガラス戸に
内から畳を押し当てて防護していた祖父が風で舞い上がった
板に直撃されて頭が割れた。
頭から大量の血を吹く祖父を父が病院までおぶって運んだ。
父は、てっきりもう背中の祖父の命はないと覚悟していたと
大きくなってから聞いた。
だが、幸い祖父は一命をとりとめた。
頭を半分に横切る斜めの縫い傷が、
まざまざと衝撃の深さを語っていた。
わたしの炸裂姫もその恐怖とつながっているのかもしれない。
学生時代に頭を割られて命を落とした友人・辻敏明の
記憶が頭の中で炸裂しているのかも知れない。
からだの闇の謎は深い。
考えても分かることではない。
だが、あれこれ頭の中で共振ているクオリアを
透明に感じようと続けていると、
ときおりこれだ!という当たりに出くわすことがある。
それしか方法がない。
透明になること、
それしか。

今日は樺美智子さんの命日だ。
1960年6月15日、安保条約反対国会デモで、
警官隊にメッタ打ちにされて
命を落とした戦後最初の学生だ。
樺美智子さん、
安らかに眠っていますか?
わたしの中の炸裂姫の正体は、
あるいはあなたの無念とも共振してるのかも知れませんね。



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 2012年6月4日

岡龍二、山崎博昭、山沢夙!?

私はこのサイトの記事を、Livedoorブログの
「生命共振ヒマラヤ」というブログにも掲載している。
今日ふと、何気にそのブログに来た人の検索キーワードを見て驚いた。

なんと、岡龍二、山崎博昭、山沢夙という何十年も前の名前が上位を占めていた。
岡龍二はわたしの戸籍上の姓名だ。
踊りをはじめて、リゾーム Lee という名に変えるまでは、その名で生きていた。
山崎博昭は高校時代の同級生で、
1967年10月8日に、当時のベトナム反戦・佐藤訪米阻止闘争の中で、
羽田弁天橋の上で命を落とした。
山沢夙は、わたしの高校から大学時代に属していた過激派活動の中でのみ使っていた秘密のペンネームだ。
この名前を知っていいる人間は40年前の同志しかいない。
十指に満たない人数のはずだ。
誰か昔の同志が、ネットを検索してここまでたどり着いてくれたらしい。

古い友よ、今どうしているか。
俺は最大の迂回路を通って、当時と同じ世界変革を追求し続けているぜ。
戦争という現代最大の暴力は、今日では兵器だけではなく、
原発や、情報管理力に姿を変えて生命をおかしている。
それらの既得権力を守るために一握りの世界資本が国家を維持している。
国家は彼らにとってだけ必要なもので、生命にとってはまったく必要ないものだ。

世界を変えるためには、一見遠すぎる迂回路に見えるかもしれないが、
人間としての自我や自己を沈静化し、
生命としての共振を回復することがもっとも重要だ。
国家を支えているのは私たちのなかの「人間」という幻想だ。
人間の自我と、国家とが相補的に支えあっているのが現代の構造だ。
何十年も前にフーコーが発見した支配原理だ。
自我と国家は人類史の無明の時期に同時に生まれ、
数千年かけて育ってきた。
一挙同時に死滅するしかない。

昔の運動の中には、自我や自己を消すという発想がなかった。
むしろ覚えたての近代的自我を拡張して闘っていたのだ。
革命政治の中に巻き込まれたとき、私たちの未熟な世代は、
互いに小さな自我を、党派の自我に拡大して内ゲバの殺し合いをはじめて自滅した。
スターリンや毛沢東も彼らの自我を党権力に拡張し、
そしてそれを国家権力に無媒介に拡張して
スターリニズムという共産主義の奇形を生んだ。
国家の死滅や、権力の死滅という最終的な目標を
どうすれば実現することができるのかという
思想的な見通しがまったくなかったために
そういう陥穽に落ちこんでしまったのだ。

私はあの闘争の敗北の後、その原因を探る暗渠に潜った。
死に物狂いの、しかしまったく成果のない数十年を経た後、
俺は40代になってから、舞踏家に転生した。
わたしの処女作となった踊りの真の作者・山崎博昭や
やはり若くして内ゲバで死んだ辻敏明とともに
世界を踊り回った挙句に
今のヒマラヤ山麓に隠遁の地を見つけた。
それまで毎夜夢枕に立ち、何ごとかを語りかけようとしていた
彼らは俺のからだに憑依して踊りまくることで気が済んだのか、
夢魔はすっかり消えた。
それが俺のサブボディ(下意識のからだ)との出会いになった。
そこはチベット亡命政権のあるダラムサラという山村だった。
ダライ・ラマやインドの書を読み、瞑想や、自己催眠の方法を学び、
ユングやミンデルやジェンドリンの助けを借りながら、
自分なりにからだを揺らしながら下意識モードのからだになり、
日常意識を消す方法を見出した。
それが今のサブボディ・コーボディ技法の出発点になった。
7年前にここに小さな国際的な舞踏学校を建設し、
いまでは世界各地から熱心な生徒が集まってくるようになった。
彼らはここで、2,3年間、生命の創造性と共振性を発揮する方法を見につけ、
毎年世界に産婆として散っていく。
産婆とは他の人の自我や自己を鎮め、からだの闇に潜んでいる
サブボディの誕生を手助けをする人のことだ。
わたしがここで直接産婆できるのは、
生涯を合計してもたかだか千人に満たないだろうが、
彼らの活動を結ぶ世界的な生命共振ネットワークが生まれつつある。
何人もの古い生徒がすでに世界各地で拠点をつくり
活動を始めている。
千人が万人になり、何十万人に増える日も遠くない。
人間としての自我や自己を脱ぎ、
生命としての共振を生きる人々が
地球上に一定程度増えたとき、世界は自ずから変わるだろう。

奴隷制や封建制が人々を支配していた時代のさなかに生きていた人々にとっては
それがなくなることなど、想像もできなかったろうが、
それらはあっけなく消失した。
世界中の生命がそんなものは必要ないと感じ共振したからだ。

現代の国家がなくなることを、
現代の日常生活に囚われた人々は
想像もしないだろうが、
国家もまた時が来れば消失する。
生命にとって必要でないものは、
生命共振の力によって消えるのだ。

これがヒマラヤで見出したわたしの迂遠だが
もっとも確実に世界を変えていく世界革命戦略だ。

こんなことは普段は誰にもしゃべらない。
わたしひとりの胸裏に押し込めている秘密だ。
それをことばにする気にさせてくれたのは、
遠い友よ、きみのおかげだ。
きみならわかってくれるかも知れないと、
かすかに思った。
死ぬまでもう会うこともないだろうが、
元気でやってくれ。

ヒマラヤに来る気になったらいつでも大歓迎だ。
泊まる部屋もある。
朋あり、遠方より来る。また楽しからずや、だ。
数十年ぶりに語り明かそうではないか。



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2012年5月26日

中島みゆき こどもの宝


わたしは一日に小刻みに3,4回眠る。
うたた寝する前に聴いて,
一番不思議な深淵に連れ出されるのがこの曲だ。
何回聴いても違う坑道につながっていく。

(聴くにはここをクリック 
(wmaファイルを開けるプレーヤー(Window medea playerなど)が必要です。)


「見覚えのあるあの少年が
遠い昔を抜けだして
わたしに気づかず
わたしの隣で背伸びして佇んでいた
見覚えのあるあの少年が
遠い昔を抜けだして
わたしを知らずに
わたしにもたれて遥か未来を眺めていた
あの子の宝はなんだろう
あの子の願いはなんだろう
いまのわたしの願う宝は
あの子とおなじものだろうか
見覚えのあるあの少年が
遠い昔を抜けだして
わたしを見上げる
私は目をそらす
教えてやれることはまだない

あの子の宝はなんだろう
あの子の願いはなんだろう
いまのわたしの願う宝は
あの子とおなじものだろうか

見覚えのあるあの少年が
遠い
わたしを抜けだして
わたしを見上げる
私は目をそらす
教えてやれることはまだない」

あの少年とは中島みゆきのアニムスだろう。
人はだれもがからだの闇に棲むもう一人の異性の自分を持っている。
「遠いから抜けだした少年」が最終節で
「遠い
わたしから抜けだして
わたしを見上げる」
に変容することでその種が明かされる。
だが、そのアニマやアニムスと自分との関係は
無限に深い謎を秘めている。

わたしの中にも一人の少女が棲んでいる。
だが、会ったことも見たこともないので顔もわからない。
いきおいわたしたちはそのアニマ像を外部に投影する。
わたしたちが無意識に惹かれるのは
もうひとりの謎の自分にどこか似た子なのだ。

だが、この歌が導いていってくれるのは
もと遠い昔、
わたしたちが自分の中の異性と分離する前の
非二元一如の時代だ。
そのころわたしたちは何を願い、何を望んでいたのだろう。
思い出せない記憶の果ての果てへ問いかけてみる。

中島みゆきはその少年に
「教えてやれることはまだない」と結んでいる。
(教えてやれること?)
それも謎だ。
いつまでたっても教えてやれることなど
何一つ思いつかない。
それどころか、わたしにはその子に
教えてもらわねばならないことでいっぱいなのだ。
わたしはまどろみの中でその子に問いかける。
わたしときみはいつどこでふたつに分かれてしまったのだろう?
分かれる前にわたしたちが願い望んでいたことは何だったのだろう?
この問いにはどれだけ問こんでも
答えは返ってこないだろう。
だが、かすかなヒントでもいいから
なにかつかめないだろうかと問い続ける。

わたしたちはその子との一体であった時代を失うことで
いまのわたしになったはずなのだ。
そうだ。
この歌が導いてくれるのは、
わたしがわたしになる以前の命はどんなだったのだろう、
という遠い遠い問いだ。
そして、その命としてのわたしは何を願い望んでいたのだろう?

サブボディ・コーボディに変容し続けることで
問い続けているのもおそらく同じ問いだ。
日々無限に生命をさかのぼり、子どもとなり、赤子となり、
胎児となり、その前の無数の生命形態となり、
単細胞の原初生命となって命の願いを問う。


中島みゆきは命の謎に問い続けている
稀有な歌い手である。
何百回聴いても解けない謎を歌う人など
そうそういるもんじゃない。
こういう人と同じ時代に生まれただけで幸せだ。

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2012年4月5日

世界チャンネルの深淵

この何年間か、「世界チャンネルの魔」について
書き続けてきた。
このサイトの多重日記のファイルは、何度かのコンピュータのクラッシュの折に
失われてしまったものもあるが、
避難先のブログ「生命共振ヒマラヤ」の「多重日記」のカテゴリーには
いくらか保存されている。

なぜ、世界チャンネルが深く恐ろしいのか、
今年のこの一ヶ月間の出来事を統合してはじめてわかりかけてきた。
そこでは世界像と自己像がひとつに絡み合っている。
そして、世界=自己像が、地震や津波、戦争など天災や人災で
生命が押しつぶされそうになったとき、
一挙に時を超えて、今ここでのクオリアだけではなく
分娩時の生死の葛藤体験のクオリアや、
学生運動の壊滅の頃の危機感や、
悪夢の数々が現実と幻想の境界も時の境界も超えて、
ひとつに混濁一体化されて押し寄せてくるのだ。
まさしく多次元かつ非二元チャンネルである所以だ。
そして、そのとき生命は日常の意識や感覚ではなく
生命の深層の集合的無意識層にひそむ地獄や災難の元型クオリアや、
それよりもっと深い生命としてのおそれやおびえなどの祖型情動も
混合一体化される。
さらに時を超えて保存されている生誕時に胎児が体験する
胎道を通過するときの生死の葛藤体験で味わった
極限的な圧迫感や閉塞感などの母型的な体感クオリアや
ふるえやよじれ、すくみなどの母型体動クオリアもまた
混濁一体化されて土石流のようにぶりかえしてくる。
こういうことが起こるのが非二元の世界=自己チャンネルの特徴だ。
日常意識などはひとたまりもなく吹き飛んでしまう。
今日、何年かぶりに人間子宮ワークをやったおかげで、
これらの深層の複雑に重層化し混濁していた関連がすこし透けて見えてきた。

これまで、踊りの序破急の急で、世界チャンネルが開くと
一挙に踊りの味わいが深くなることに気づいていたが、
そこでは日常でかぶっている人間のころもなど吹き飛んで
裸の生命にされてしまうのだ。
まるごとひとつの生命チャンネルになるのだ。
生命の舞踏に至る道はかぎりなく深く遠い。
踊りが深くなることと引き換えに、
今回私が味わったようなわけの分からない非二元事態に襲われる危険がある。
その事態に対処できるよう生徒たちをすこしずつ鍛えていく必要がある。
産婆コースの必須科目がひとつ増えた。
こういう試練を経てサブボディメソッドと
その産婆技法が少しずつ安全なものになっていく。
時間がかかるが、しかたがない。

(「火急の男」からこの記事に至る一連の記事は
『からだの闇』にも重複記載します。)

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2012年4月5日

わかった。世界チャンネルが開かれたせいだ。

今朝、授業でたまたま人間子宮をワークをやった。
10数年前のベネズエラの国際クリエイター会議でやって以来、
むかしはいつも始めに行なっていた。
だがいつころからか、わたしのなかの誰かが嫌がりだした。
みんなで大きな子宮になって中にいる胎児を締め付けるとき
何だかからだがつらくて、いやがりだした。
なんとなく気が進まなくなったといってもよい。
だがわたしはからだのなかにこれまで見知らぬかすかな傾向が
現れると、その正体をつかむまで待つことにしている。
今日、ジャビエールとクリスチンがカロッタで穴蔵をみつけて踊ったので
これは彼らのサブボディが胎内遡行をしたがっているのかもしれないと
試しに二人にやってみたのだ。
すると、私の中に忘れていたつらい感じが立ち込めてきた。
うらいというか、きついというか、
とにかくとても嫌な体感なのだ。
それで気づいた。
この間私のからだの中にたちこめている急ぎ男のクオリアが、
胎内体験の世界チャンネルが開かれた結果急に活性化したのだと。
多分わたしはとてもひどい胎内時代を過ごしたのだ。
一歳切違いの腹違いの妹がいる。
ということは私が母の胎内にいた頃、父親は新地のおんなと付き合い、
母親はそれを呪い狂気寸前まで追い詰められていた。
フクシマショックで世界チャンネルが押し寄せてきたとき、
私の胎児時代のひどい世界体験が無意識裡によみがえって
私を浸潤していたのだろう。
世界チャンネルの深さと怖さを思い知った。
深い踊りを求めるあまり、
生徒の世界チャンネルを開くことを軽率に急いではならない。
スローダウン。
もっとゆっくりと歩むテンポを見出すことだ。







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2012年4月4日

誰が入ったいわたしを急かすのか 

わたしのなかにいつも全速力で走っていなければ気がすまない男がいる。
速いことがいいことだと、長く教育された。
答案用紙に「正しい」解答を埋める速度を求められる教育だった。
だが、そんな自分だけが速ければいいという
エゴイスティック『正しさ』とはいったいなんだ。
この世の教育がねじ曲がっていることに若いころは気づけなかった。
おまけに陸上競技部だったわたしにとってとにかく闇雲に走っていなければ
生きている気がしなかった。
若いころ広告業界でコピーライターとして働いていたときも
膨大な情報を一刻も早く消化して、要求されているコピーに
料理する速度に支配されていた。
40代のはじめに、それらの速度信仰がこの世から刷り込まれたものだと
気がつくまでトライアスロンにはまっていた。
20代の若者と速度を競い合えるのをよいことだという錯覚に囚われていた。
踊りをはじめたとき、それらの囚われから自分を解放したと思っていた。
なのになぜ今頃またそいつがぶり返してきたのか。
どこまで自我を鎮めようとしても、
自我は見知らぬ回路でいつのまにか自分の中に居座っている。
自我の持つ罠にはまだまだ底知れない狡猾さが潜んでいる。
何百万年も狡知を磨いてきた自我元型のもつ底知れぬ強力さによって、
自我が現代最強の元型としてはびこっている。
現代社会から遠く離れ、ヒマラヤに隠遁した私でさえ
やすやすと自我元型の狡知な罠にはまってしまうのだ。
膨大な情報速度に支配されている現代社会では、
自我の罠から身を剥がすのは並たいていのことではないにちがいない。
いくら鎮めようとしてもこちらの思わぬ仕方で湧き出てくる。
フクシマショックで、今年の共振塾の授業がかつてない速度で
世界チャンネルと真向かいだしたこととも関連しているだろう。
その速度をどこかでいいことだと受け取るわたしがいた。
だが、いざ本番の「静かな家」に取り組もうとしたとき
一部の生徒がまだまったくそれに取り組む準備ができていないことに気付いた。
それは生徒の責任ではなく、産婆たるわたしの落ち度なのだ。
生徒のからだの闇に耳をかたむけることを忘れ、
ただただなにかに急きたてられるように
先を急ごうとする男がわたしに取り付いている。
死期が近づいているのかとも疑ってみた。
なにかに苛立って一週間前からまたタバコをふかしはじめた。
タバコを吸っているから苛立ちから解放されないのか。
それともその逆の因果なのか。
いや、そんな単純な二元論的な因果関係などではない。
すべてが多次元的に超複雑に絡まりあい、一筋縄では解けない。
これをどう解きほぐしていくか。
自分が陥っている自我から身を解くなかで、
生徒の自我を解きほぐすヒントをつかめというサブボディさんからの示唆なのか。
どうやらそう受け取ることが一番まっとうなことのようにも思える。
いままでも陥った危機をそう捉えることでかろうじて切り抜けられたことがある。
そうだとすれば、サブボディさんのやりかたも一筋縄ではない。
こんな思いがけぬ意地悪な仕方でヒントをくれることもあるのですか。



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2012年4月2日

火急の男よ 

丸一日、嫌ないらだちにたかられた。
憎しみに近い怒りに囚われていた。
いったい自分に何が起こっているのか分からなかった。
今日の夜中になってようやくそいつの正体が見えてきた。
わたしの中に急ぎすぎる火急の男がいる。
危険人格だ。
40年前にも出てきたことがある。
当時の学生運動が危機に瀕し壊滅の危機にさらされていたときだ。
回りにいる同志諸君の危機に気づかず間の抜けた態度に
我慢がならず一人憤っていた。
今故血人肉男だ。
ほとんど気が違っていた。
「死ぬ気でこの危機を突破する気のないやつは直ちに出ていけ!」
とアジトの部屋の壁に大書した。
それを見つけた冷静な北本君が慌てて消してくれたので
人目にふれることはなかった。
かれは日毎たけり立っていく俺に狂気に気づいて
さり気なく気を配っていたのだ。
今北本はそばにいない。
自分のなかの北本くんを呼び出して自分で消すしかない。
火急の男は世界とのひとりよがりなせめぎあいに
自ら煽り立てられているのだ。
今年の共振塾のテンポはあまりにはやすぎる。
去年は「静かな家」にとりかかるまでに三月かけた。
ことしは三週間の準備期間でもうそれにとりかかろうとしている。
ここからさきは、生徒の一人が一日でも休んだら先に進むことができない。
毎日からだの闇の危険きわまりない深淵坑道を共に辿らなければならないからだ。
毎日直面する地形が一変する。
昨日は真っ暗な竪穴をよじり降りる技術が必要とされた。
今日はもう足場が無いのでパラシュートで飛び降りるしかない。
地下水面に着水したら、直ちに一緒に潜水技法を急ぎ身につけて
互いに離れないように水面下の洞窟を抜けなければならない。
明日は獰猛に襲いかかってくるトラウマの罠を避けながら
危険なジャングルを進まなければならない。
ひとりでも休めば足踏みをして待つしかない。
ただ待つこともできなかから、その日は予定していた探検を諦めて
別の回路を迂回しなければならなくなる。
そうとも知らず気楽に休む生徒に無性に腹がたって苛立ちに囚われていたのだ。
だがそれはその生徒の責任ではない。
こんな速度で授業を進めようとしているのは産婆たる俺の勝手だ。
生徒の知ったことではない。
生徒のからだの闇の状態に耳を澄ますことのできない
未熟な産婆たる私自身が引き起こしている事態だ。
わたしの未熟さはいまだにこの火急の男を制御できないところにある。
そういえば去年の前期の舞踏祭の折もこいつが出てきて生徒に腹を立てていた。
火急の男よ、
なぜそんなに急いでいるのか。
もうすぐ尽きる寿命を予感して焦っているのだろうか。
それとも世紀単位でしか変わっていかない世界史的な時間を
自分の数十年の生涯時間に圧縮したいという
子供じみた欲望に囚われているのか。
火急というわたしの中のくらがり。
闇の中の謎。
しばらくこの人に耳をすます必要が在りそうだ。
火急の男よ、
君は一体どこからきたのか。
なぜ今わたしの中に居座っているのか。
なぜ、四十年も経てやってきたのか。
いったい今までどこで何をしていたのか。

いや、数年前の強迫性神経症にかかったときも
こいつが関わっていたのかもしれない。
ほとんどなくしてしまったあの時の記憶をたぐり寄せなければならないのか。
自分のなかでもっとも触れたくない毒水のような記憶に、
もう一度首まで浸からなければならないのか。

そういえば、SF作家フィリップ・K・ディックのなかにも
この危険人格が顔をあらわしたことがある。
もう30年も前に読んだ小説なので題名は思い出せないが、
赤子の人格のまま、世界を変容させる能力を身につけてしまった
宇宙の大魔王のような人物だ。
火星という言葉がタイトルの一部に入っていたかもしれない。
何とかの瘢痕という題だっtかもしれない。
人々の先回りをして宇宙の植民地空間の時間を
どんどん古びさせていく魔法の使い手だった。
ディックの場合はLSDに侵されて出てきた可能性がある。
薬を使わず瞑想だけで下意識モードに変成するサブボディメソッドにも
それによくにた危険な症状になる可能性が潜んでいるのだろうか。
世界を自分の思い通りの速度で変えたいという火急の男の欲望は、
宇宙を自分の思い通りに支配したいというあの赤子大魔王の衝動とそっくりだ。
これは自我の普遍的な病いなのか。
サブボディ特有の未熟な自我の現れなのか。
それとも俺やディックのもつ個別の偏奇性なのか。
まだ見分けがつかない。
そのいずれであったとしても、この問題を解決しない限り
危険すぎてうかつに他のひとをサブボディに招待できないことになる。

産婆コースの同行衆はくれぐれも用心されたし。
今のところ言えるのはこれだけだ。
共振塾はペースダウンをして様子を見る必要があるだろう。
生徒の欠席はペースを落とせというシグナルなのかもしれない。
まだ十分にその準備ができていない生徒がいきなり世界チャンネルに
直面してしまっては予測のできない危険な罠にはまって
大変なことになる虞れもある。
火急の男をとにもかくにも鎮めるのが先決かもしれない。
だが一体どうやって?
神経症をおさめるときに発明した眼顔息声脳体混交術が役に立つだろうか。
何年もやってないのでうまくコツを思い出せるだろうか。
今年は冬場の調体のときのようなじっくりしたペースで
進もうとしていたはずだったのに、
フクシマショックに煽られてこういうことになったのではないか。
あの余波で火急の男が眼を覚ましたのか。
今は何も確定できることはない。

やれやれ、思いのほかきつい仕事になりそうだ。
一晩や二晩で何とかなりそうな問題ではない。
今日はこのへんにしておこう。



 
2012年3月31日

佐保明梨の転生 

判官贔屓というのか、
佐保明梨の行方がずっと気にかかっていた。
余程のオタクでないと佐保明梨のことなどもう誰も知らないだろう。
その佐保明梨が意外な輝きをみせてくれた。

幼い頃からハロプロというプロダクションの養成機関であるハロプロエッグに属し、
同輩や後輩たちが日の当たるモーニング娘やスマイレージのメンバーに
抜擢されていくなか、彼女はあと一歩というところで選にもれ、
かろうじて「あぁ」という臨時的なグループで2010年までは活躍していた。
彼女以外の他の二人のメンバーはハロプロの中でもトップクラスの歌い手であり、
若い彼女がその二人に伍して頑張っているのが好ましかった。
だが、不幸にもその二人はBuonoという別の三人グループと重複していて、
Buonoの人気が高まるに連れてあぁは、事務所の都合で整理されてしまった。
場をなくした彼女は、おそらく進退にそうとうなやんだ末に、
アップアップガールズ(仮)というふざけたネーミングを付けられたままの
いわば一線から落ちこぼれた7人メンバーに所属して活動を続ける道を選んだ。
そのグループはこのかん事務所の政策でKPOPの真似事をするという
情けない路線を進んでいた。
ところが、先日突然YouYubeに、「佐保明梨プロデュース公演」という
上記のビデオがアップロードされた。
何事かと見てみると、その7人グループの公演を佐保明梨が
セットリストや歌割り、踊りの振り付けに至るまでを考えて文字通り
プロデュースしたものだった。
その内容は16歳にしては完璧に近い見事なものだった。
普段日の当たらない7人のメンバーのカラーと人柄にあわせて
一人ひとりに似合いの歌を割り当て、振り付けでもかならず一人ひとりに
フォーカスを当てるように組み立てた細かい心遣いにみちたものだった。
7人の他のメンバーは発声もままならぬ人が多く、いかにも
落ちこぼれ集団の様相を呈していたが、構成の温かさがそれを救っていた。
おそらく他のメンバーも十分楽しめたに違いない。
佐保明梨は生命共振を産婆する能力を発揮したのだ。
いつのまにこんな才能を身につけたのだろう。
おそらく長い苦労の中で人気のあるものにだけスポットライトを当てる
事務所の商業的なやりかたを反面教師として学んだに違いない。
舞踏の創始者土方巽もまた、若い頃から学んだバレエや
モダンダンスの世界では冷や飯を食い続けた。
がに股の彼には到底スターダンサーになる道は閉ざされていた。
だが、うまく立てない、回れないというコンプレックスをばねに
われに非才あり、と開き直った。
立てないを踊り、回れないを舞う独自の衰弱体の舞踏を発明した。
その踊りはもっともか弱い生命や、病者、心身生涯者、
死者とさえ共振することができる。
舞踏は自分が持つマイナス札をすべて使って
創造というプラス札に転化する人類史上の発明なのだ。
佐保明梨もまた今後、これまでの苦労を生かし、
独自の創造者へいたる可能性を持っている。
そうだ。日の当たるモーニング娘。やスマイレージに入っていたら
絶対に開花することのできない生命の花が開いたのだ。
どんなマイナスもプラスに転化することができる。
自分のマイナスをぜんぶひっかぶって創造者に転生するのだ。
わたしもそうして歩いてきた。
佐保明梨の転生は、誰もが持つ生命の創造性を予感させてくれる
うれしいできごとだ。



2012年2月7日

最後の瞬間のクオリア 


虫くれだっている・・・・
数十年前に死んだ体だからな 
内臓が潰れたのか 
頭蓋が割れたのか 

橋本憲三
辻敏明 
本多延嘉 
山崎博明 

もう何百回も繰り返した彼らの最後の瞬間の体感が 一挙にぶり返してくるのは 
ひょっとすれば、今日が憲ちゃんの命日だったからだろうか
寒い日だったことだけ覚えている・・・・ 

少数のダラムサラで越冬している生徒と続けている冬場の調体は、 
からだの踊り場に絡み付いてくるクオリアを掘り進め 
7つのリゾーミングを終え、
いよいよ8つのチャンネルの堀り深め方の探求に入った。 
その初日の体感チャンネルを掘り始めたら、 
死んだ友人の死の瞬間の体感が蘇ってきた。 
それが、わたしの生命にとってもっとも強烈な体感なのだ。
数十年たった今でも。 
どんなつらい体験でも、何百回も繰り返しているうちに だんだん共振の仕方が定まってくる。
とくに自分のからだで踊れば死者も落ち着いてくる。
明日は動きのチャンネルだ。 
彼らの最後の瞬間のクオリアを踊ろう。

数十年前にこの世に生まれていなかった人々のために、註が必要だ。
1960年代から70年代にかけて
当時の反体制運動を行なっていた学生・青年労働者はいくつもの党派に別れ
党派間で内ゲバという死に至る暴力が発生した。
80人の学生が命を落とした。
わたしの親しい友人も。
1967年のベトナム反戦デモで死んだ山崎以外は皆内ゲバの犠牲者だ。
死んだ友人らのことはもう何千回も踊った。 

だが、今になって見に染みるのは死んだ友人のことだけではない。
当時の内ゲバではひとり殺すのに何人もで寄ってたかってなぶり殺すのが普通だった。
80人死んだということは、彼らを殺した人々が何百人かいるということだ。
わたしと同世代の彼らはいまも人を死に追いやった自分の一撃のクオリアを反芻しているだろう。
それは激烈に不幸な生だ。
わたしは彼らの長い長い苦痛を踊る。
踊らずにはいられない。
それが生命共振というものだ。
わたしが殺されも殺しもせずに、今生きているのはほんの偶然か奇跡のようなもので、
わたしがもう一、二年長く活動を続けていれば確実に殺される側か、殺す側かの
どちらかの生死の運命に見舞われていただろうことは確実だ。 
死んだ友も、殺した側に回ってしまった人々も、
皆わたしのすぐそばで生きていた奴らだからだ。


世界は変えなければならないのは確かなことだ。
だが、その方法は政治的暴力ではなく、生命共振によるべきだ。
歴史を大きく動かしてきた力は暴力ではなく、生命共振である。
国家や戦争や資本主義というような強大に見えるものも、生命共振に立ち向かえるものではない。
いつのまにか奴隷制がなくなったのも、封建社会が崩れたのも、生命共振の力によるものだ。
生命にできるのは共振だけだが、生命共振ほど強いものはない。
どんな情報統制や暴力によっても禁止することはできないのが生命共振だからだ。





(この記事は「多重日記」と「からだの闇」の両方に掲載します。
だんだん2つの日記の区別がつかなくなってきた・・・・)


 

妖怪変化の肉袋と化しても

2012年1月6日


産婆として生きるということがどういうことか、

やってみるまでわからないことばかりだった。

わたしは踊り手としての自分が死ぬに任せることによってしか産婆になれなかった。

踊ろうとすると、自我が出てしまうのをどうしようもない。

共振塾ではときどき長期生が授業をガイドすることがある。

そういう日は私は喜んで生徒に戻り、からだの闇を掘る。

だが、面白い踊りが出てきたときに限って、

((わたしを)見て、見て・・・)という幼子のような自我が出てくるのに気づく。

そういう自我を持ったままでは、ほかの人の体内の闇で息づいている
ごくかすかなサブボディの胎児の息吹に耳を澄ますことができない。

だからわたしは自分の踊り手としての可能性についてはもう

どうでもいいこととして断念したのだ。

踊り手が自分のからだを断念することがどんなにつらいことかは、
おそらく踊り手にしかわからないことだ。

自分が踊り手としては死んで、産婆に転生したつもりだった。
だが、おそらく耐え切れずにわたしのなかで、

自分のからだにたいする感情の解離が起こっていたのだ。

つらすぎる体験に対して、それをなかったことにしてしまう

解離機構が命には備わっている。

3歳の時に母に捨てられた悲しすぎる体験も、

わたしは50過ぎまで解離し完全に忘れ去っていた。

その解離によって多重人格になったわたしの命は

その解離機構を積極的に使いこなすまでになっていたのだ。

無数の解離がいまだにわたしのからだの闇には積もり積もっている。

自分にとって内視盲点になっていた自分のからだの変化に対する解離に気づかせてくれたのは

古い友人山田氏の容赦ない一言だった。

それはわたしの触れたくない内視盲点を突き刺す痛い言葉だったので、

反応もできずに一年間凍りついたままになっていた。

友人もわたしの凍結が気になっていたのだろう。

一年後にまた賀状の形で届けられた。

 

「昨年、再出国のとき私のひと言が不快な思いをさせて

しまったと思っています。それは「安楽にやってんのと

違う?」といった言葉です。

何を言いたかったのか少し詳しく説明しなければなり

ません。単身、インドに身を置いて生きていくのが、そ

のことだけで安楽なはずはありません。自身に対して壮

烈な決意もあって日々を過ごされているであろうとはわ

かっているつもりです。

あなたがインドで教場を開き、そこへ人々が集まって

くるのは、その必死の思いの対象としての導師のイメー

ジがあってのことです。それがきつい言い方ですが肉の

袋みたいな姿であってもいいのかなと私は思ってしまい

ました。

60億の細胞の一つ一つの細胞のいのちのはたらき、

各臓器体閾の各種それぞれの異なるはたらき

の限りなく多様な役割は誰に命じられるまでもなく多

様に演じ発火し、それはそのままリゾームとして体内

にあり外界とつながり、流動的な自分というものを浮

かべ流してゆきます。このような生命体の一つの帯域

としての自分の体を認識してみてください。

私はあなたにあって、なにやらアブナッツカシさを

感じました。間違っていたり思い過ごしであったらお

許しあれ。」

 

山田氏と始めて会ったのはわたしが

水泳やスキーやトライアスロンにふけっていた30代の頃だ。

その頃の私は筋骨隆々としたスポーツマンの体型をしていた。

24時間をぶっ続けで泳ぐ持久力もみにつけていた。

44歳という遅い時期に舞踏家に転身したわたしが、

踊り続けられたのはそれまでに蓄えていた体力を

貯金のように使っていたからだ。

50歳の頃、三年間で地球を三周するほど、

休みなく世界各国各地を踊り歩いた。

そのころのわたしの踊りは、

10代や20代で死んだ友人がわたしのからだを使って

世界を相手に戦争しているかのようなものだった。

そして、ある日ぱったりと踊れなくなった。

アドレナリンモードのからだは免疫機能を停止する。

さすがに命が危険を感じてストップしたのだ。

ヒマラヤに練習場を創り、共振塾をはじめてからは

わたしは自分のスポーツ体型をしたからだを脱ぎ去るために

一切の鍛錬をやめた。

スポーツマンのからだのままでは他人を威圧するだけで

すべての命と共振する衰弱体になれないからだ。

だが、長年かけて身についた筋肉の残骸はなかなか落ちず、

腹に脂肪だけが溜まる肉袋のようなからだに変身した。

昔と比べれば妖怪変化のように醜く変貌したわたしに

山田氏が危なっかしさを感じたのも無理はない。

わたし自身、自殺とスレスレの行為であることは

重々分かっていた。

だが、自我や自己を止めるとは、わたしにとっては

自分のことはもうどうでもよいものとして捨て去ることだった。

わたしの前に産婆に転生した人は誰もいなかったから、

ギリギリの危険を承知で引き受けることによってしか

産婆になる道を切り開くことが出来なかったのも事実だ。

これはこれから産婆を目指す人にとっても

解かねばならない大きい課題だ。

わたしのように極端に走らずに、

中庸の道を切り開いてほしい。

 

 

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