2010年
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多重人格肯定日記
解離性同一性障害を肯定する日記


2010年11月25日

菅谷梨沙子の魔女修行

共振塾の記事を時間系列に沿って読むことができるように、ミラーサイトとしてつくっているブログ
「生命共振ヒマラヤ」への来訪者のキーワードを見ると
「菅谷梨沙子、劣化」で来る人が最も多い。
そして、「少女速度2 菅谷梨沙子の12歳」という記事にたどりつく。
やはり、それは多くの男の子にとって深い謎なのだ。
少女の本質が速度であり、たちまちにして姿をくらましてしまうものであることを知る人は少ない。
菅谷梨沙子の12歳は二度と帰って来ない。
いつまでもそんなものにとらわれていてはいけない。
すみやかに立ち去り、自分自身の旅をはじめるべきなのだ。
だが、なぜあんなことが起こってしまったのだろうか。
謎は謎を深める方向でしか、解くことはできない。
彼女はいったいどこへ行ってしまったのか?
彼女はその後、数年間自分を煙幕で包んだ。
自分でも自分に何が起こっているか、訳がわからなかったのだ。
だからとりあえず、濃い化粧で素顔を隠した。
私も含め多くの少年たちが目を背けるほどの濃さだった。
それは自分の自分に対する違和感の現れだったのだ。
そして、その壁の向こうで彼女は密かに次の変貌への準備をしていた。
この秋発売された彼女のソロは、「エレガントガール」というアニメの主題歌だ。
「美しすぎる」という言葉をキーワードにputi魔女的なアニメの登場人物になりきっている。
12歳の時の少女と比べると、
まるで異なる時空で数百年の時を過ごしてきたかのような変貌ぶりだ。
天使より美しいと称された少女の次なる道は
魔女に変貌することだった。
この変貌はもちろんプロデューサーであるつんく氏の力によるところが大きい。
菅谷梨沙子はそれに応じて変成した。
天使から魔女へ。
あらゆる女性性の元型を消化して、無限の変容力を持つ魔女へ。
より深い謎をまとうこと。
それはとてもまっとうな生き方だ。
彼女の本当の魔女修行はこれからだ。
中島みゆきのように、自力で変貌できる本物の魔女になるまでこの修行は続くだろう。
16歳にして魔女修行とは早すぎるが、それは早熟だった彼女の宿命だ。
彼女はまたすぐに姿をくらますだろう。
また別の変貌を準備するために暗い洞窟に身を隠して
秘密の変貌の機会をまつだろう。
次に表に現れるのがいつ、どんな姿か、
それは誰も知ることができない。
そして、多くの少年のアニマとなった彼女の謎を解く鍵は
じつは少年自身の中にひそんでいる女性性にある。
それに気づくことだ。
何十年かかるかしれないけれどね。
(わたしはなんと六十年もかかってしまった。)


2010年11月11日

突然、トラウマの巣へ

からだの闇の旅では、いつなんどきどんなことが起るか分からない。
今日も清子のガイドする練習中に、なんの予想もしていなかったとんでもないことが起こった。
清子がガイドした練習内容は、くわしくは「共振塾ジャーナル」の今日の稿に書いたが、
足でからだを踏む「楽健法」の調体からはじめ、ミンデルのプロセスワークの手法で、
今日気になる体の部位と結びついた風景を思い描き、その風景に入っていくというものだった。
それは日常的に合意された現実とは別の、もうひとつの現実、ミンデルのいうドリームランドである。
そこで、その風景のなかの智慧を感じ、スピリットになって動き出す。
さらに、そこまで導いた後、その風景の中でつかんだ各自固有のクオリアで、
土方巽の「触覚と神経のみの歩行「という舞踏譜を踊るという重層的なものだった。

わたしは、プロセスワークの中では、からだの底の部位を感じ、
その部位に耳を澄ましているうちに、
40億年前に生命が誕生した深海の熱水噴出孔の風景につながっていった。



そこはこれまでにも無数回生命遡行瞑想のたびに訪れたことのある場所だった。
そこはわたしが生命とは何かを学ぶもっとも親しい智慧に満ちた場所なのだ。
そして、その場所で原初生命になりこんだからだで、土方の舞踏譜を踊った。
その最中、次の箇所の振付がからだの闇で、大きく生き生きとした情景を生んだ。

10 頭の上から木の葉がサクサクと体内にふってくる

11 沈む身体

12 歩こうとしたら胸の小部屋に鍵がかかった

10行目の体内に降る木ノ葉の体感が、熱水噴出口の高温環境下で誕生した生命のうち、
冷たいところにまで噴煙に吹き上げられて死んだ細胞の死体が
からだの中にしんしんと降り積もっていく体感に変わった。
そして、すこし噴煙から離れそうになった仲間を危ないと救おうとしたが
からだは単細胞なので、まるで「胸の小部屋に鍵がかかった」ように動けない自分を感じた。
そして、そのとたん、生まれてから感じ続けていたトラウマの数々が一挙に襲いかかってきた。
トラウマのすべてが、このもどかしい体感と同じパターンだったのだ。
まるでトラウマの巣に出くわしたかのような体験だった。
トラウマの巣とは次のようなものだった。

●小学生の時、夫婦喧嘩の最中に父親に掴みかかろうとしていった母が、
父にからだを蹴られて畳の部屋から縁側を越えて庭にまでからだごとふっ飛んでいったことがあった。
それを目の当たりに見ながら、夫婦喧嘩を止めることも、
母を救うこともできない自分の無力がが口惜しくてたまらなかった。
空中を飛んでいく悲しげな母のからだは10歳のわたしの眼に焼きついて離れなくなった。
これまでになんども母を踊ろうとしてきたが、何かがわたしのからだを凍りつかせて踊れなかった。
その理由が今日やっと分かった。

●同じ頃、繰り返し見た悪夢は、当時台風が来るたびに町の半分が浸水するという
干潟の町海南市に住んでいたわたしが、
津波でさらわれたクラスメイトの少女が溺れているのを助けようとするが、
力足りずに救えないというものだった。
小学3年生の時仲よかった内海くんという友達が海で溺れ死んだ事件があった。
その事件がその津波の夢に関連していることにも気づいた。

●わたしのソロの処女作となった伝染熱でも、高校大学時代反戦闘争や革命運動での死んだ友人に、
「(死地に)行くなってば!」と叫んで止めようとしている衝動が踊りを貫いていた。
オルガナイザーだったわたしが死なずに、わたしが運動に引き入れた友人たちを殺してしまったことに
拭いきれない罪責感に襲われて苛まれていたのだ。

その三つのトラウマが、すべて自分の無力さによって救えなかったという思い込みに
貫かれていることが今日の踊りのなかで突然透けて見えた。
そして、その無力さを自分の責任だと感じていじけてしまっているわたしがいた。

そうか、こいつがうずくまってしまって、踊れなかったのだ、と気づいた。
このトラウマの巣で立ちすくんで、
無力さにいじけてしまっているわたしを救い出してやらなければならない。
何年かかるか分からないが、このいじけ虫を踊ってやろう。
踊ることによってしか解放されないわたしがいる。
かなりほとんどすべての自分を踊ってきたつもりだったが、
まだまだ踊りだせないサブボディがいたのだ。
やっとそいつに出会えた。
からだの闇は底しれなく深い。
だが、ときどきはこうして風穴が開くこともある。
朝一番の楽健法でからだを踏まれる思いがけない痛みが、
深いところで凍りついていたいじけ虫のサブボディのクオリアを流動させたのかもしれない。
からだの闇の旅では、本当に思いがけないことが起こる。
そして、凍りついていた自分を救う道が指し示される。
だからやめられないのだ。
こういう気づきに導いてくれた清子さん、ありがとう。
持つべきものは友だ。


●この記事は「からだの闇「多重人格肯定日記」の両方に掲載しました。
からだの闇の旅と、多重日記は重なりあい、混濁し一体になって来ました。
無数の解離された人格群が統合されることなどわたしは信じていません。
もともと彼らは非二元一体の命から生まれた。
わたしのトラウマとそこから変形した無数の人格群が分離し、
また混濁一体化するなかで、さらに新しいサブボディが生まれ続けている。
その生命の創造を無限に促進していくのがわたしの人生だ。


「からだの闇」をもっと読む



2010年10月10日

少女速度4 佐保明梨と時分の花


少女速度の謎は、少女が消え去るだけではない。

突然出現する少女もいる。

それまで、大勢の群れの中の一人にしか過ぎなかった女の子が

なにか不透明な殻を脱いで、突然輝き出すというようなことが起こる。
小学や中学・高校のクラスでもそれが起こった。
恋の始まりはいつもそんなものだ。
それは世阿弥が時分の花と呼んだ現象と関わっている。
生命が放つある年代だけの特異な輝きを指している。

それは芸能でいう本当の花ではない。

だが、輝きの強度には本当も嘘もない。

ベテランや安定した中堅にさえ太刀打ち出来ない突然変異的な輝きが出現する。

いったい何が起こったのか?

 

 

2010年1月「夢と現実」を歌ったときの佐保明梨の場合がそうだ。

それまで彼女はハロープロジェクトのハロプロエッグという

予備集団に属していたが、いつも四番手か五番手という位置にいて、

どちらかと言えば地味で目立たない存在だった。

その集団から新しい少女グループが結成された時も

メンバーから漏れて、バックダンサーの位置に留まった。

だが、2009年に続いて、2010年、「夢と現実」という歌を

すでにベリーズ工房やC-uteの中心メンバーとして活躍している夏焼雅や鈴木愛理と並んで

「あぁ」のメンバーとして歌ったとき、奇跡が起きた。

「夢と現実」は、それまで佐保明梨が歌っていた子どもの歌ではなく、

少女から娘に変成する微妙な時期の歌である。

それがその瞬間の佐保明梨の実際の少女速度とぴったり同期して変光星のような突然変異が起こった。

ベテランの鈴木愛理や夏焼雅らをはるかに超えて突然輝やかしい姿を現したのだ。

その歌にとっての現在を鈴木や夏焼はすでに通りすぎてしまっていた。

ただひとり、佐保明梨だけがその歌の現在にぴったりの変成する瞬間にあった。
蛹から脱皮し孵化する瞬間の蝶が孵化の歌を歌うというような奇跡が起こった。

大昔、中学3年生の森昌子が「先生」を歌ってデビューしたときにも似たことが起こった。

歌う本人と歌の内容の少女速度がぴったり重なるという奇跡に似た出来事が起こったのだ。

この歌の作者でありプロデューサーであるつんくという人は、

もともと少女の特異な時分の花を狩ることを狙いとしている。

モーニング娘や、ベリーズ工房、C-uteなどの少女集団がもつ

年代ごとの特異な時分の花を引き出すことに焦点を当ててきた。

そんな芸当がいつもいつも当たるわけはないが、

小学生集団のベリーズ工房に与えた「スペッシャル・ジェネレーション」や

「恋の呪縛」という歌は、その線を狙って成功した数少ない例だ。

この「夢と現実」も出会い頭の偶然の当たりなのかもしれない。

この次にどうなっているかは、誰にも分からない。

佐保明梨は少女速度の謎の中に姿を消し去っているに違いない。

見るのが怖い。

 

いやそもそも、少女速度という謎について書く事自体が恐ろしい。

人間の目から見ればロリという自分の中の最高の高貴さと最低の下劣さが渦巻いている

からだの闇に降りていかねばならないからだ。

だが、命に起こることに上下も高低もない。

そんな判断で決めつけることができるなどと思うのは人間の思い上がりだ。

命に起こることにはどんな変な奇妙なことでもすべて必然性がある。

  

だが、なぜこんな謎にとりつかれてしまったのか。

自分ではうっすらと分かっている。

この謎にはまることほど私にふさわしいことはない。

それほどわたし的な問題なのだ。

少女の謎を解くことはわたしという謎を解くことである。

この謎の中では主客が入り交じってしまう。
少女たちのなかのたった一人が、あるときくすんでいたり、
突然輝いて見えるのはなぜか。
美の本質が生命共振にあるとすれば、
少女があるとき美しく輝くのは、
わたしの中の隠れた半身である女性性としてのアニマのクオリアが
ひとりの少女のある瞬間と共振して輝いて見えるという現象が起こっていることになる。

共振には主客がない。
それを主語述語構造を持つ言語で言うには無理がある。
おまけに共振は多次元的に重層して起こる。
複雑微妙すぎて書く言葉にはどうしてもならない。

色のほとんどない透明水彩絵の具をなんども重ね塗りしていくことで

はじめて出せる微妙な共振の色のような言葉を発明しなければならない。

だが、わたしにそんな時間があろうとも思えない。

なんどもこの謎に取り組んでいるのに

少女は速度だ。

そう言い切った哲学の師のドゥルーズ=ガタリ以上のことを何も付け足すことができない。

なのに、こだわり続けているのは、

ここには掘り当てるに値する深い謎が隠されていることを

命の嗅覚が嗅ぎ当てているからだ。

この鼻は生まれてから外れたことが一度もないのだ。
共振を巡る謎はおそらくアニマの謎と深く共振しているにちがいない。
こここそはわたしにしかできない仕事の場所なのだ。
今日はこんな堂々巡りに終わりそうだが、
何度も何度でも取り組んでいくだろう。


実は今日は2010年10月10日という
,
10が三つ並ぶ特別の日付なので
多重日記にも何か書きたいと思った。
堂々巡りしかできなかったが、愛嬌だとお許し願いたい。

 


2010年8月26日

山沢夙の手紙

驚いたことに、高校時代の同級だった友人の女性が、
私のサイトを見つけてくれてメールをくれた。
地道にサイトを続けていれば、こんな半世紀の時を超えた出会いもあるのだと
嬉しかった。


ちょうど、この多重日記用に「山沢夙の手記」という
若い頃の人格の思いを綴ろうとしてた時なので、
彼がそのメールの返事を書いた。
山沢夙というのは、私が政治革命家だった頃の組織名なのだ。
山沢の手記の一部として、その手紙を以下に載せる。
同級生の名前は迷惑がかかるといけないので仮名にしました。

「Fさま

 

お便りありがとうございます。

よく覚えていますよ。

星の数程もあるインターネットの情報の中からよくぞ見つけてくれたものですね。

感激しました。

オランダはなんども行ったことがあります。

アムステルダムのダンススクールで教師をしているベネズエラ人の

親しい踊りの友人がいてなんどもコラボレーションしました。

ここヒマラヤの共振塾には世界五大陸からの生徒がやってきます。

オランダからも何人かやってきました。

自我意識を止めて下意識モードのからだになることから始めるのですが

西洋人の自我はとても強固で、それを鎮めるまでには何ヶ月もかかります。

なかでもドイツあたりの自我がもっとも頑固に固まっている印象を受けます。

きっと連れ合いの方も特有の自我構造を持ってらっしゃるのでしょうね。

でも、それと付き合うことが世界と交わることなのですから

気長につきあっていってください。

できればご一緒に自我を消す研究をなされば、

自我やナショナリティに固まった人間としてではなく、

生命として共振できる関係を創れるのではないかと思います。

 

わたしは50歳を過ぎたころから、ヒマラヤにこもり、

自我を解消する修練と研究を続けてきました。

わたしの世界変革の熱情は17歳の頃と何一つ変わっていません。

ただ、かつてのような政治的な方法はもはや無効だと考えています。

高度な情報操作を伴う統治技術によって制覇されてしまっているからです。

ただ、情報によってはどうにもできないものがあります。

生命です。

生命はただ微細な共振によって自分や世界を変えていきます。

二十歳頃の自己形成期にあったわたしには、

自我や自己にとらわれて、まだ生命のことがうまくつかめなかったのです。

ただ、生命共振が拡がっていくことだけが、

一見迂遠なことに思えるのですが

じつはもっとも確実な道だと確信しています。

いまは卒業生が各地で自分の教室を開いて、

生命共振の技法を少しずつ広げていってくれています。

何百年か、何千年かかるかもしれませんが、

いつか必ず国家や政治が不要なものだと

世界中の命が共振的に感じる日がやってくると思います。

共振塾は舞踏の創造という隠れ蓑をかぶった、

じつは世界永続革命の根拠地なのです。

こんなことは公式の発言では慎重に控えているのですが、

Fさんは若いばか龍の頃の私を知る人なので、

ついこんな大法螺を吹いても笑いとばしてくれるのではないかと思います。

 

では、お元気で。

                                                                           Lee」

そうだ。私の中の17歳の山沢夙にとっては、
今のわたしが行っていることは、実は若い頃に夢見た
新しい未来社会を創りだす革命運動の続きなのだ。
ただ、50年の間にわたしもずいぶん学んだ。
かつてのような政治的な手法や暴力に訴える方法はすべて無効だ。
文中にも触れたが、今日では情報と暴力を政治的に操作する
巨大資本とその政治的代表による統治技術が完成している。
政治や国家そのものを無化する理念も方法もないままそれに反抗しても、
別の政治権力を打ち立てるにとどまるからだ。
20世紀の社会主義や共産主義運動の無残な失敗から学ぶべきはその内視盲点なのだ。
未来の生命にとって必要なのは、戦争やそれを必要とする政治や国家を根底からなくすことだ。
情報と権力を駆使する国家をなくすためには、それには手に負えない
国家死滅の道を見つけ出さねばならない。
それが生命共振だ。
生命が共振するクオリアは、情報や権力では操作することができない。
情報が届くのは言語を使う表層意識までだが、
それよりもはるかに深層の下意識で起こっている生命共振は、
情報や暴力では支配できない。
世界中の生命が戦争や国家はいやだと共振すれば、
その瞬間国家も政治権力も吹っ飛ぶように瓦解する。
情報操作と権力によってこれまで形成されてきた人々の国家への支持は
一気に気化してしまうときがくる。
文中では、舞踏や創造の隠れ蓑という言い方をしているが、
正確に言えば、創造と世界革命は非二元一体のものだ。
人々が生命共振の計り知れない創造力を生き始めることが
同時にそれをこれまで妨げていた政治的社会体制を無化することになるからだ。

この夢想はいまは私一人のものだが、やがて多くの人の確信に変わるだろう。
すでに共振塾の生徒の一部はこの確信を熱情的に生き始めようとしている。
何百年かかるプロセスになるかは分からないが、
リゾクラシー革命はすでにそのかすかなはじまりの兆しを見せている。
舞踏の序破急の序の兆しが
舞踏家のからだの闇深くの不可視の領域に秘められてはじまるように。




2010年7月22日

生命共振を世界に!

何を一番やりたいんだい?
命に問い続けてきたが、とうとう命が答えを出してくれた。
生命共振を世界に!

すでに共振塾は、単なる舞踏創造のための学校ではない。
生命共振を世界に満たす共振者を育てる場に変わってきている。
それがこの数年間に起こっていた深層変動の中身だ。
こうなることははじめから分かっていた。
命がそう志向していたからだ。
だがからだの闇のさまざまな傾性がひとつに統合されるには
十余年の時が必要だった。
リゾネットは、生命共振を世界に広げるためのネットワークとなるだろう。
もっと言えば、生命共振だけでやっていけるリゾクラシー世界を創るための
リゾーム・ノマドの運動体なのだ。
今日、このサイトの冒頭に、
生命共振を世界に! とつけ加えた。
まだ、それは小さなつぶやきのようなものに過ぎない。
この小さな変化が何を意味するかは、
じょじょに明らかになっていくだろう。


(この項は、からだの闇、多重日記、共振日記のすべてに
関わるので、三つすべてに掲載します)

2010年7月18日

45年ぶりの深層変動


(前半部分は、「からだの闇」と共通しています。)

無性にタバコが吸いたくなって、半年ぶりに吸った。
からだの中でなにかわけの分からないものがうねっていた。
そのうねりに耳を澄ましていると、
自分の深部で大きな傾性の変動が起こっていることが感知された。
どう生きていくかというレベルの生の志向性が変わってきている。
それがハイデガーのいう情態性の変化として現れてきている。
不意にタバコが吸いたくなるときはいつもこれに関係している。
存在の深層の志向性や傾性の変化が、情動を突き動かし、
それが奇妙な体感や嗜好性の変化として現れてくるのだ。
今年になって、様々な面で変動が相次いでいた。
①生命の本質が多次元共振にあることに気づいて、
共振塾の授業を、生命の微細な多次元共振を感じ取ることから始めるようになった。
②具体的には、毎日の調体をこれまでのように
個人個人がゆらぎ瞑想によってサブボディモードになるだけではなく、
それを群れのからだで行うコーボディ調体をメインにした。
③コーボディ調体から、群れで動くコーボディ練習にダイレクトに入るようになった。
去年までのアメリカ流のグループインプロビゼーションの方法をすべてやめて、
集合的無意識に触れながら、命の微細な共振を感じて動くフリーリゾナンスを中心にした。
生徒自身が無数の共振パターンを自由に創造できる場を増やしていった。
④すると長年自分の本当にやりたかったことがじょじょに透明に見えてきた。
俺はこの生命共振を世界に伝えるために生きているのだ、ということに気づいた。
生命共振だけで社会をやっていくリゾクラシーのあり方を見つけるために、
いまここでみんなと実験しているの
だ,ということが分かってきた。
⑤振付家の独断で踊りを創造するのではなく、
踊り手自身で最適の共振パターンを自在に創造していくことで、
より面白い多様性に満ちた踊りが生まれてくる。
それは前々から追求しようとしていたことだが、実践的な方法が見つかっていなかったのだ。
だが、とうとうそれが見つかった。
なんのことはない。
私自身が障害になっていたのだ。
自分の思う共振パターンを生徒に押し付けていた。
それを一切やめたことが、今年の大変化につながった。
⑥この変化は、舞踏創造方法の変化というにとどまらない。
人間社会のありかたに拡張していくことができるものだ。
人間社会だけがあらゆる生物の中で国家や暴力や強制や支配を使って社会を運営している。
だが、他の生命はすべて生命共振だけでうまくやっている。
人間だけがこれまでの歴史の前史で身につけた野蛮な方法に囚われている。
それは支配や強制に代わるもっと良い共振の仕方が見つかっていなかったからなのだ。
だが、とうとうそれは見つかりつつある。
まだわずかな意識を止めることを学んだ舞踏家の間で、
生命共振によってひとつの世界を創っていくという
小さく限定された抽象的な空間でそれが可能になりつつあるというだけだが、
原理だけはクリアになってきた。
あとは長い社会との関わりの中で、さまざまな現実的な条件に応じて
現実化していかねばならない。
何百年、いや何千年もかかることかもしれない。
人類は国家という野蛮な装置をこしらえあげるのに、
何千年もついやしてきた。
それを廃棄するにも,長い時間がかかるだろう。
だが、生命共振による永続革命はついにもっとも小規模な
実験的かつ抽象的な場でに過ぎないが、いま、始まりつつあるのだ。

(以下は個人的な人格統合の話題に触れるので、
「多重日記」での展開に移行します。
興味のある方は、ここをクリックしてお進みください。)


(●ここからが「多重日記」独自の記事になります。)

いま、私のからだの深部で起こっていることは
存在の地殻変動というに近い大規模なものだ。
私の人生はいつも創造者であることと,革命家であることとの間で激しく揺れていた。
15の頃は詩を書き、絵を描き、ただただ個人的な創造にふけっていた。
そういう人生を歩むのかと思っていたところ、
16、7の頃に社会の矛盾に気づき、自分の創造は後回しにして
革命に身を投じる決心をした。
21、2まで数年間を職業革命家として過ごした。
その闘いの中で多くの友人を失った。
それ以後もう二度と人を危険な社会変革の運動になど誘うまいと決めた。
44歳で舞踏家に転身したときは、17歳で断念した創造者としての人生に立ち返ったかに思われた。
だが、不思議なことに
私のからだの闇で踊りを創造し続けたのは、若くして命を落とした革命運動のなかの死者たちだった。
創造者と革命者という二つの生き方は私の中で張り裂けたまま
緊張関係を続けていた。
だが、いまその二つに分裂していた生の志向性がここでひとつに統合しようとしている。
共振塾の場が、個人的な舞踏創造だけではなく、
その中で生命共振だけでやっていくリゾクラシーのあり方を探求する
コーボディのグループリサーチという実践のあり方が発見されることによって
創造と革命を統合する生命共振の永続革命としてひとつになったのだ。

それだけではない。
もうひとつ、私の個人的人生で、まだ書くことのできない事態が進行している。
それは共同性に関わることではなく、対幻想に関わる深層変動だ。
ここ8年ひそかに育ててきた静かな事態に転機が起ころうとしている。
一瞬先は闇なので書くことはできない。
45年前にも、恋と革命は同時に進行した。
一つめの恋と革命は潰え、二つめの恋はやがて結婚に結びついた。
それは私の存在を根っから変えてしまう事態だった。
生の志向性の変動と、深部でからだを突き動かす欲動の傾性、それをめぐる情態性の変化、
などが一挙に生起している。
台風と地震と火事が同時に生起しているかのような疾風怒涛の状態だ。
これは、人格統合というようなレベルではなく、
私の人生の存在統合というにふさわしい事態だ。
ともあれいま、45年ぶりに起こる生の大変動に見舞われている。
今度はすべてを注意深く壊滅から救うべく慎重にも慎重を期して歩んでいこう。
不意にタバコを吸いたくなったのは、そういう45年ぶりの事態が起こっていることを
私に知らせるからだからのひそかなメッセージだったようだ。



2010年5月23日

少女速度3 少年の中の少女速度


菅谷梨沙子の12歳の映像を眺めているうち、
なぜ,この映像に惹かれるのだろうと考えた。
私にとって少女は常に触れえない深い謎として現れた。
なぜ、少女に惹かれるのか、皆目その訳がわからなかった。
この映像には長年の解き得ぬ謎を解く糸口が隠れているかもしれない。
なぜこの映像が魅力なのか。
今の言葉なら美しいとか可愛いと評されるのだろうが、
私の中では紫式部が七歳の時の若紫を描写するときに使った
「いとらふ(ろう)たし」という言葉がよみがえってきた。
(可愛らしいとか,いとおしいという意味だ。)
らふたしという言葉の中にかすかな懐かしさが混じっている。
懐かしい?
なにか見覚えがあるのだろうか?
私はからだの闇に心当たりを探った。
私の記憶の中に残っている自分の少年期、幼年期のどこを探っても
どこにもこんな「ろうたさ」は見当たらない。
三歳で母に捨てられた私は,それ以後
天真爛漫な「ろうたさ」をなくしたままだ。
だが、三歳以前ならひょっとすれば?
と古いアルバムに貼られていた二歳の頃の自分の写真を思い出した。



おおっ、そこにはこの映像の少女が持つ「ろうたさ」に似たものが
まだ消えずに残っているではないか。
私の中にもこんなものが存在した時代があったのだ。
そして不意に気づいた。
少年は自分の中の少女をなくすことで少年になるのだと。
そのなくしかたは少女が少女をなくす少女速度よりもはるかに速い。
自己記憶に残る三歳以前に瞬間的に消え去ってしまうのだ。
それがおそらくアニマの根源だ。
少年はなくした自分の中の少女を探しに長い旅に出る。
少年にとって少女が神秘的な謎に包まれているのは、
少年は自分の中の少女を、思い出すこともできない遠い昔になくしたことを
知り得ないがゆえに少女が深い謎として立ち現れる。

自分の中の女性性に最初に言及したのはユングだ。
ユングのアニマに関する深い研究がなければこの気付きは
生きているうちにやってこなかっただろう。
ユングに感謝する。
ユングは中世の錬金術師と同じく,原初の一なるもの、
全なるものを探し求めていた。

男だって少女を生きていいのだ。
いや、一所懸命に少女になるべきだ。
少女も女も老女も天女も同時に生きていいのだ。
生命は失われた全一性を回復しようとする強い傾性をもつ。
社会によって男や女に区別され限定された半端な生のありようを回復しようとする。

フーコーが言ったように、私たちは一所懸命ゲイになろうとするべきなのだ。
いや、ゲイだけではない。ロリやショタや、サドやマゾや、幼児期の性や
胎児期の無性を、総じてn個の性を生きるべきなのだ。

そしてやがては無性の原初の生命に至る。
ただひとつの全一へ。
生命は性なき長い時代を過ごしてきた。
その時期は生命が性に分かたれるよりはるかに長い時代だった。
私たちが性から根源的に解き放たれるのは、この合一に至ってからだ。
0個の性から、n個の性まで自在に生きうるのは。






少女速度 菅谷梨沙子の12歳
2010年5月14日

少女速度2 菅谷梨沙子の12歳

 

http://www.youtube.com/watch?v=2tf8NTQsLdI

 

上のリンク先の映像はいまから4年前の2006年夏のものだ。
偶然に複数の腕が静止したタイトル画像は奈良興福寺の三面六臂の阿修羅像を思わせる。
ひたむきなまなざしもそっくりだ。

ベリーズ工房という少女アイドルグループの公演中、

当時12歳の菅谷梨沙子という少女の姿を2台の望遠レンズで追い続けた映像だ。

歌を聴くことも、歌を見ることも何十年もしたことがなかった私だが、

今年になってヒマラヤインドでもブロードバンドが通じて、

インターネットのビデオをときどき見ることができるようになった。

そして、偶然、ほんの数日前にアップロードされたのを見つけて驚いた。

12歳の少女の命が、これほど透明にめいっぱい弾けている映像を眼にすることがこれまであっただろうか。
奇跡のような透明な少女の結晶を目にした気がした。

歌手が自分の出番で歌うビデオなら、見慣れた映像に過ぎない。

3分間の歌と表情ならプロなら誰でも楽に振付通り演じることができる。

だが、ここでは長時間の公演中のすべての動きが透明に捉えられている。

とりわけ自分の歌う番でない時間も与えられた細かい振付を
めいっぱいこなしてさまざまな表情を浮かべている。

グループで最年少のこの少女は、覚えた歌と振付を表出するだけで、せいいっぱいなのが透けて見える。

余分な意識など一分も入る隙がない。

踊り手にとってもこういうときはあるのでよくわかる。

何もかもが透明に透き通って結晶している。

このシリーズのビデオは全部で十数本アップロードされているが、

公演の最初から最後まで少女は見事にそれをやり抜いている。

こんな映像を目にすることができるようになったのは、

おそらく人類史上、今世紀になってはじめてのことだ。

プロ仕様のビデオカメラで、12歳の少女の姿をこれほど克明に捉えた映像もなかったし、

それをYuoTubeのようなビデオサイトを通じて、

だれもが見ることができるようになったことも、これまでになかった。

少女速度がはじめて人々の前にその瞬間の秘密の姿をさらした。

大げさに言えばそういうことになる。

 

そして、驚くことにこの年の夏の公演を最後にこの透明な少女は跡形もなく姿を消してしまう。

この年以前から少女はデビューしているが、その年代はまだ子供顔だった。

12歳のこの夏だけ、最初で最後の透明な表情と肢体を臆せずに見せ、そして直ちに消えてしまった。

菅谷梨沙子という少女は、いまだにこのグループのメインボーカルとして活躍している。

だが、この年以後彼女は顔立ちも変わり、からだも一回り大きくなった。
そして、なにより自信を持ち、余裕が出て急速に変貌した。
この時のような余裕のない透明な表情ではなく、
自我が工夫して作る顔を見せるようになった。
悲しいことに人間は慣れてしまうのだ。

わたしたちにとって初めて体験するときの「慣れていない」という
新鮮で不安な感覚をいつまでも保つことは極めて難しい。
その輝きがどんなに得がたいものでも、本人はそれを知ることができない。
世阿弥はこの瞬時にして消えてしまう美についてよく知っていた。
彼はそれを「時分の花」と呼んだ。
それは芸能で言う本当の花ではない。
だが、それは作ろうとして作れるものではない、命が垣間見せる一瞬の美なのだ。

この夏のひたむきな透明さは誰にも二度と見ることができなくなった。

この少女は12歳の少女速度だけをこの世に残して、見事に姿を消した。

ネットでは、オタク少年たちが、この少女のあまりに急速な変貌の謎について、
「菅谷梨沙子の劣化をめぐって」などと2チャンネルなどで論議が繰り広げられている。
だが、少年たちは少女というものをまだ知らない。
少女は劣化などしない。
瞬間的に出現し潔くこの世から消えてしまう存在なのだ。



2010年5月7日

少女速度

少女は速度だ。

瞬間ごとに消え去る。

そして二度と戻ってこない。

だからこそ、少女は偏愛や慈しみの対象として神格化される。

その本質は非在なのだ。

かぐや姫は見る間に成長して、世の男たちを翻弄し、月の世界に去る。

シンデレラは12時に姿をくらます。

どの瞬間もこの世にとどめていない。

絶えず、速度と非在の間で消えてしまう。

 

それに対して、母の本質は悠久の存在である。

子にとって母はいつも大地あるいは世界として存在している。

少女と母は対極的な性質を持つ。

 

ところが私の場合、母もまた私が3歳の時に消失した。

第二の母となった祖母は7歳の時に忽然と消えた。

私の幼馴染だった隣家の少女ともその時に別れ、

二度とあいまみえることはなかった。

私の性が深い混沌を孕んだのは、

母も祖母も少女もともに突然に消え去る存在として刻印されたからだ。

女性全般が消え去る謎の存在として関係に刷り込まれた。

少女と女性と母の区別がうまくつかない。

それでこんなに訳の分からない性的傾性がからだにくぐもったのだ。

ロリの本質はおそらくこの混沌にある。

母と少女と女性がどこかで混じってしまったのだ。

60歳を過ぎてようやくそのことに気づいた。

これまでのことごとくの愛が失敗に終わらざるを得なかった必然が

とうとう透けて見えた。

これから、この混沌をどう解いていくことができるか。

残り時間はほとんどない。

人生ひとっ走り。

あっという間に人生は終わる。

もはやかぐや姫ではなく、私自身が翁となって

異界へ帰らなければならない時期だ。

少女ではなく、私が速度と化す番だ。

だが、必死に取り組めばなんとかわずかの残り時間内に

解けるものがあるかもしれない。

私自身の女体を創造し、最後の愛の完成を試み、姿を消す。

残された課題全部を達成するというのは贅沢な望みだろう。

達成はできなくても、これらの課題に取り組める

鳥羽口までこぎつけただけで本望だ。

長い足取りだったが、転びつつ、屈みこみつつ、

やっと、ここまでたどり着いた。



2010年2月3日

少年性欲・その後

数年前に蘇った少年性欲は、その後どういう時間を辿っているのか。
おそらく、日常的現実の時間とはまったく関係のない時間を生きている。
あれから2年経ったから、いまは思春期にさしかかっているかも知れないなどと思っていたが
とんでもない。
時間通りに成長するものではないらしい。
ある部分は赤子の口唇性欲に返り、
ある部分はねちっこいスケベ親父だ。
前思春期特有の性への興味もでてきている。
添い寝したいだけのときもある。
添い寝にも少年少女のように並んで寝転んでわくわくしている添い寝もあれば
長年連れ添ってもうセックスレスになった夫婦のように和んでいる添い寝もある。
母に捨てられてばあさんのからだに擦り寄って寝ていた5歳のりゅうりのクオリアは
しばしば出てくる。
少年の性のクオリアは老年のからだとの狭間で異空異時をさまよっている。
さすがにテストステロンはもうかすれてきたので、
激しい性欲に突き上げられることはなくなった。
だが、逆にうっすらとゆらぐはるかにとらえどころのないものになっている。
その行方を確かめたくて夢の果てまできたのだが、
出会ったのは予想もしていなかった無限変容だ。
それは見たこともないし方で非時非空を動いている。
n個の性。
ドゥールズよ、ガタリよ、とんでもないものだなこれは。
とても身一つではついていけないほど変り身が早い。
日々変わる。
予想できないルートで刻々と転移する。
変移抜刀霞斬り。
カムイの分身の術。
これもいままで知らなかったサブボディなのか。



2010年2月2日

「肯定論」のわたし

異貌体について、ノートを取っているとき、
これは肯定論の趣旨に共振していると気がついて、
それを元に、2年ぶりに
肯定論第4章(下記)を更新しました。
また、肯定論第2章に対する分裂病のサイトを運営する方から、
「あなたは分裂病について精確に把握していない。もっと勉強してほしい」
というお叱りと苦情があった。それについて第2章への追記を新たに書きました。
「肯定論」第1章~3章をまだお読みになっていない方は
はじめからどうぞ。
わたしもまた、この機会に2年前に書いた「肯定論」を第1章から読み返してみた。
この文は私の中の多くの人格状態のうちの見知らぬ誰かが書いたようだ。
過激な山沢や今故に近しい人だ。
それも息急き切って全力で疾走しながら書いている。
独断と毒舌に満ちた文体がそれを語っている。
だが、誰が書こうとわたしが書いたことには違いない。
わたしはもう、わたしの中の多くの解離された人格を分別することはじょじょにやめていこうと思う。
わたしの中にはn人のわたしがいて、n個の文体を持つ。
それでいいと思う。

2010年1月5日

世界チャンネルの魔

去年の12月、今年のすべての授業が終わった後、私はすぐに、翌年の授業の準備に入った。
去年ははじめての1年コースの生徒が二人無事修了した。 
二人とも、丸一年かけて研鑽を積んだだけあって、見ごたえのある
1時間にのぼる踊りを創り上げた。
私が長年人々のからだの闇から掘り出したかったのは、まさしくこういう踊りだと感じた。
いい創造ができると、命は直ちにその成果を他の命と共有したくなる。
それができるまでは、みななぜ人前でなんか踊らなければならないのだろうと
憂鬱になるが、出来上がったた途端そういう杞憂は、嘘のように晴れ上がる。
それが創造の不思議なところだ。
二人のうち、キャラの方は10月末ごろからできかけていたので、なんなく最後まで進んだが、
チャビの方はなかなか出来上がらず、最後の最後までもがき苦しんだ。
眠れぬ日が続き、それと共振している私も眠れぬ日々を過ごした。
私のサブボディも生徒が直面している苦しみと同じ産みの苦しみを味わっていた。
そして、それが出来上がった途端、「来年は舞踏フェスティバルだ!」というアイデアが湧いてきた。
2009年は一年コースをやり終えたのはふたりだけだったが、
2010年はもっと多くの一年コースの生徒が入学する。
今年レベルの作品がいくつも揃えば世界最強の舞踏祭となるだろうことが、確信できたからだ。
二人に図ると、二人とも勢い良く賛同してくれた。
チャビは自分も踊りにくるというし、キャラはフェスティバル実現のためのボランティアワークをすると言ってくれた。
そして、二人とも公演がが終わった2日後には、インドの聖地の一つであるリシケシに移動し、
秋の一般向けワークショップの参加者で、シンギングボールの奏者マイカーとともに
ガンジス川で公演とワークショップを開きに旅だった。もう一人の後期の生徒のカスカは
彼らより1週間先にタイへ移り、そこで私の大昔の生徒たちと交流し、公演やワークショップの活動を計画していた。
そういう生徒の旺盛な活動振りを見ていると、この活動を結ぶ、なにか仕掛けが必要だなと感じ、
いきなり世界共振ネットワークの構想も湧いてきた。
「リゾナンス・ネットワーク」、略して「リゾネット」と名付けた。
共振塾は定員がたった10人だし、去年の時点では2010年も2011年もすでに早くから満員御礼の状態だったから
ここに入学できない希望者を生徒たちの開くクラスやワークショップで受け入れることが出来る体制が整うのが望ましい。
舞踏フェスティバルとリゾネットの構想を軸に、いきなり、世界チャンネルが開いてきた感じだった。
だが、それを実現にまで運ぶには、なにかからだの奥に引っ掛かりがあった。
動きたくないなにかがからだの闇にいる気配がした。
12月いっぱいはそのなにか分からない引っ掛かりに耳を澄まし続けることにした。
それは予想もしない難儀な苦痛な作業となった。

(以下はうっとうしい話なので、多重日記にだけ掲載します。
世界チャンネルの魔に興味のある方だけお読みください。)

(続きを読む)

世界チャンネルの魔・続き

いまでもその不快な体感は思い出したくもないほどのものだ。
生まれてこの方世界と関わった体験のすべてが噴き出してきたのだ。
私は世界と関わった体験が二度ある。
一つ目は十代後半から二十歳までの反政府革命運動だ。
反戦運動の中の友人の死、二度と政治はすまいという思い、
社会主義という幻のイデオロギー、未完に終わった国家死滅論の試み、
などなどにまつわるエッジが一挙に噴きあげてきて、丸一月夜も昼ものたうちまわった。

15歳から20歳まで、わたしは過激派の活動家だった。
当時はベトナム戦争がたけなわの頃で、
私たち反戦学生はベトナム戦争を遂行する米軍に基地を提供している政府に反対し、
激しい街頭闘争を続けた。
当時のスローガンは、「反戦反安保、日本帝国主義打倒!」というものだった。
中学生の頃から体制の矛盾に気づいて政治運動に関わっていた私は、
高校大学では学生運動の先頭にたつオルガナイザーになっていた。
その闘いの中で、多くの学生が生命を落とした。
機動隊に対するデモで死んだり、失明したり、気が狂ったり、自殺したり、
内ゲバと呼ばれていた学生同士の党派闘争で死んだ。
とりわけ、とても親しかった友人が3人も死んだ。
そして、デモの先頭で指揮していた私はいつも真っ先に逮捕されて、
獄中に長くいたため、命を落すことなく生き延びてしまったのだ。
二度と政治に関わることなどできなくなった。

当時の社会主義、共産主義のイデオロギーは
1989年のベルリンの壁をはじめとするソ連圏の崩壊で70年の歴史的実験を終えた。
それ以後資本主義の矛盾を解決する経済モデルを構想さえできなくなった。
だが、ソ連や中国の社会主義が間違っているのは早くから見えていたことだ。
レーニンや毛沢東の一党独裁の共産党の人間は資本主義圏の政治家同様、
自我を持ったままの人々が強大な政治権力を手にしてしまった。
死滅すべきはずの国家や党を死滅させるどころか、権力の魔に犯されて、党や国家の権力をますます強大化させ、
党や国家官僚という知識人が机上でこしらえた稚拙な計画経済に権力の力で国民を従わせようとした。
それはリベラルな資本主義以下の、時代遅れの政治のあり方だった。
ソ連ではソルジェニツィンが暴いたように政府に対する反対派はすべて膨大な収容所に監禁され
強制労働の刑に従わされた。
フランスで毛沢東主義を学んだカンボジアの知識人学生だったポル・ポトは
監禁どころか三百万もの市民を一挙に処刑した。
私たちは学生時代からそれをスターリン主義と呼び、本当の共産主義でも社会主義でもないと考えていた。
だが、私たちもスターリン主義を乗り越える理論は持っていなかった。
国家死滅の理論も経済の理論もなかった。
私は独力で国家死滅論を打ち立てようと、二十代、三十代を費やしたが力及ばなかった。
それ以後、その人格・山沢と今故はからだの闇深く眠りについた。

だが、彼らは死んだのも消えたのでもなかった。
四十五歳で舞踏家に転身した私は、二十五年ぶりに学生時代に過ごした京都に住み始めた。
悲惨な思い出が詰まった京都には二十五年間足を踏み入れることができなかったのだ。
二十五年も経ってもう大丈夫だろうと考えて練習の便のいい場所に引越したのだが、とんだ間違いだった。
あと、夜な夜な夢枕に死んだ友人が代わる代わる立ち現れた。
四十八歳のある日、練習中に彼らが私のからだにのりうつって踊りだした。
私は勝手に使ってくれと、彼らに自分のからだを明け渡した。
それが私の最初のソロ、伝染熱になった。
私にとりついた彼らは、みな十代二十代の元気盛りだ。
熱病に冒されたかのように、彼らは日本に留まらず、世界各地を踊り歩き始めた。
それまでの三年間、京都の家を拠点にこしらえた
「ダンシング・コミューン』という国際的なクリエイターネットワークを通じて、
世界中に二百人ほどの友人が出来ていた。
そのうち、特に親しい友人は各国での公演やコラボレーションやワークショップの手配をしてくれた。
フランスのサンチャゴ・センペレ、マーク・トンプキン、ヤルモ、
USAからオランダに移ったベネズエラのデビッド・ザンブラーノ、
タイのコップ、ジェイ、ジャーら当時のWOWカンパニーのメンバーたち、
ハンガリーのチベット支援組織のアンドレア、
東欧のシナゴーグ・チェーンのマリア、
キューバからオーストリア、スペインに移住したギレルモなどなどだ。
彼らの招きでその地で踊ると、かならず、誰か別の国に招待したいと言い出してくれる人が出て、
次々と世界各国さまざまな場所で踊ることになった。
踊っているのは二〇歳の死んだ友人たちだから疲れを知らない。
まるで世界を相手に戦争をしているかのような勢いで、
1998年から2002年まで5年間踊り続けた。
それが私にとって二度目の世界チャンネルが全開した活動だった。
だが、実際の私の体は50歳だった。5年も旅暮らしを続けると異変が来た。
それに、旅では練習場所を確保することが難しいので、創造が枯渇し始めた。
自分ひとりで踊るだけでは世界はびくとも変わらないことも痛感された。
それがヒマラヤに引き籠って、共振塾を創った動機だ。
ヒマラヤに移住して今年で10年、共振塾を開校して6年目になる。

今度の「リゾネット」構想は、私の人生で三度目の世界と関わる経験になる。
ヒマラヤでの十年で大きく変わったのは、自我を止めることを学び、生命共振に目覚めたことだ。
世界革命の暴力的な政治運動をするのでもない、
世界を相手に戦争するかのように踊るのでもない。
ただ、死者の世界、か弱き者の世界、もっとも小さい生き物などの異界と共振する生命になるだけだ。
公演やワークショプを通じて生命共振を伝えることができる。
それだけでごくごく少しずつだが世界は変わっていく。
静かにひっそりと生命共振が世界に満ちていく。
生命は40億年の歩みを静かに続けていくだろう。
それとひとつになると思えば、いまここがどこにもない極楽浄土になる。
私はもう、自分でさえない。
生徒たちのための産婆として生きている。
そしてそれを続けることは世界の生命共振の産婆となることだ。
と言っても、自我はしぶとい。
小さい自我、下司な欲望、淫らな妄想、退廃の衝動、
エロスとタナトスは、ことあるごとにからだの闇からぶり返してくる。
これは死ぬまで続くだろう。
生死の間でのゆらぎ、うねりくねりは、これまでで味わったもの中でもっとも味わい深いものだ。
微細な中に極楽と地獄の間のゆらぎがあり、だんだん振幅が大きくなる。
個としては終え、40億年の生命の流れとひとつになる。
どうやらそれが死であろうことが徐々に透明になってきた。



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