多重人格肯定日記
解離性同一性障害を肯定する日記


2009年10月8日

二歳の赤子のひび割れ

生徒によるオープンワークショップの3日目は、ポーランドのカスカがガイドした。
たっぷりとヨガとストレッチを行った後、彼女は顔の変幻から、彼女の世界にガイドしていった。
砂漠、蛇、亀がいつもの登場人物だ。
突然シーンが海岸に変わり、彼女は両親に連れられた子供がビーチを歩いている、と言った。
その瞬間、私は二歳のときに海水浴場で、水着で映された私の写真を思い出した。
次の写真だ。


二歳の私と、結婚間もない両親

私は二歳の彼に尋ねた。「どんな海だった? 覚えているかい?」
だが、そのときに見た海がどんなだったか、何も思い出せなかった。
その代わり、とんでもないことに思いあたった。
わたしはその当時、両親と祖父母とともに暮らしていたが、表向き幸せな暮らしの背後に、
なにか別の現実が隠されているような気がいつもしていたことを。
わたしは終生目の前にある幸せな現実を信じることができなかった。
幸せであればあるほど、その幸せはニセモノで、
いつか本当の恐ろしい現実がその背後から顔を出すのではないかと怖れていた。
相手とどんなにいい関係になっても私はその幸せがかりそめのものだと感じて信じることができなかった。
そして、相手を信じられないと、いつかはその言われなき不信に耐えかねて関係は壊れていった。
自分のそのどうしようもない性質の悪さに気づいたのは長じてからだが、
私は今日、二歳の頃からすでに、その兆候を感じ取っていたことを思い出した。
私にとって世界ははじめからひび割れていたのだ。
赤子の頃から、父は私を置屋に連れて行って、私を酒の肴に芸者たちと戯れた。
まつげが長かった赤ん坊の私は、いつもまつげに何本マッチを載せられるかの遊び道具にされた。
5本載ったことがある。
それは家で母と過ごす時空とは完全に別の時空で、わたしはそれがいやで仕方がなかった。
いまでもプロの女性の匂い、おしろい、酒の匂い、下卑た笑い声などが頭にこびりついている。
置屋の坪庭には万両の赤い実がなっていた。
わたしは小さい頃からなぜか、万両が嫌いで仕方がなかったのだが、
それも芸者にかこまれて慰み者にされていた赤子体験の違和感から来るものだろう。
私には一歳年下の腹違いの妹がいる。会ったことはない。
一歳年下の腹違いの妹がいるということは、
私が母の胎内にいた頃すでに父親は芸者通いをしてつくっていたことになる。
胎内にいるときから、母はショックでかき乱され、赤子の私に十分かまう余裕はなかっただろう。
赤子の私は、母の抱き方とか、あやす声とかにどこかうつろなものを感じ取っていたのではないか。
それが、目の前にある現実を信じられない遠因になっている。
実際私の現実は赤子の頃から何度もひび割れ、私はそのつど見知らぬ異時空に放り出された。
3歳で父は芸者への不始末を清算するために家屋敷を売り払い、芸者の置屋に慰謝料を払い、
父母はそのまま私の目の前から消えた。
最初の異次元が開畳した。
祖母の下に残された私は、夜中に目を覚ましてはネズミのように必死で家中を母を探し回る夢にとりつかれた。
七歳の時には、こんどはその頃もう第二の母と慕っていた祖母が目の前から消えた。
第二の異次元開畳だった。
どうやら私にとってリアリティのある世界とは、目の前の世界ではなく、
その世界が壊れて、別の世界が顔を出す瞬間なのだ。
そういう世界像=自己像が二歳のころから刷り込まれていたのだ。
二十歳過ぎのころ、はじめて土方の舞踏を見て、その最後に舞台に敷き詰められた古畳の下から、
床下に何時間も潜んでいた舞踏手たちが水俣病患者のようにかじかんだ肢体で立ち上がったとき、
その異次元開畳ぶりに心底共振してとりこになった。
赤子時代以来の私の世界認識の仕方にあまりにぴったりきたからだ。
わたしの踊りが、異次元開畳に異次元開畳を繰り返す癖を持っていることが、不思議だったが、
二歳のころから刷り込まれていた世界像だったと思えば謎が解ける。
ともあれ、そのようにして、私はなるべくして舞踏家になったのだ。
それ以外の生き方では、異次元開畳の世界のリアリティを生きることができないからだ。




2009年10月5日

からだの闇の幾人もの私

からだの闇には幾人もの私がいる。
踊っている私、授業をしている私、サブボディの産婆の私、よふけにとぼとぼと歩いている私、
少年期性欲にふけっている私、生命への深い井戸を掘っている私、
絵を描く私、絵が描けない私、詩を思い出す私、水の音楽に聴き入る私、
夢見る私、妄想の幸せに恍惚となっている私・・・
そのうちの一人が広大無辺な砂漠のようなところに紛れ込んでいる。
見知らぬ奇妙な風景にさまよいこんだと思っていたが、
いつもこいつがいたことに気づいた。
すっかり忘れてしまっていたが、思えば若い頃の私は、こんなだった。
どこを歩いているのかも分からないままあてどなくさまよっていた。
ときどきこんなはぐれてしまうやつがいる。
もっとも生死ゆらぎのほとりに近づいている危なっかしいやつだった。
いまはもうそれほど危なくはない。
みんな私なのだから。
ひとりに囚われることはない。
てんでばらばらな私の全員がリゾクラシーをとことん楽しめばいい。
分散型統合。
リゾーム結合と離散。
だんだん自分の正体が分かってくる。
「俺はひとりの修羅なのだ」、と宮沢賢治がつぶやいた。
彼はそのとき自分の正体に直面した。
私はひとりのリゾームなのだ。
われながら、まったくお似合いの名前をつけたものだ。
いくつもに分散しているのが私だ。
「散乱する冬」という詩を17の頃に書いた。
あのころは自分がてんでばらばらに散乱していることに悩んでいた。
絵と詩と恋と革命に引き裂かれていた。
革命の最中に恋ごとにふけってしまうのではないかと予感していた。
まだ、解離は顕在化していなかったが、「散乱する自分」が私の私に関する基本感覚だった。
これをそのまま全部受け入れる。
なあんだ、簡単なことじゃないか。
これまでは、ありのままを受け入れることを知らなかっただけなんだ。

「僧侶」という吉岡実の詩がある。
四人の僧侶が天でばらばらなことをしている詩だ。
15の頃に読んで愛唱した。
「四人の僧侶
庭園をそぞろ歩き
ときに黒い布を巻き上げる
棒の形
憎しみもなしに
若い女を叩く
こうもりが叫ぶまで
一人は食事をつくる
一人は罪人を探しにゆく
一人は自涜
一人は女に殺される」

あの四人はみんな吉岡実だったことに今頃気づいた。



2009年10月4日

タナトス・死の本能

夜中にふと何もすることがなくなってタバコなどをふかしていると、
自分の命がやがてくる逃れようのない死に向かって
とぼとぼと歩いているような気がするときがある。
中学生の頃から、フロイドを読んできたが、
彼の言説の中でタナトス・死の本能だけは、うまく腑に落ちなかった。
エロス・生の本能ならば、実感的に感じられる。
だが、死に向かう本能など本当にあるのだろうか?
自分の中を探し回っても心当たりがなかった。
これは長い間の謎だった。
けれど今日ふと自分の姿がただ死にむかって
よぼよぼと当てもなく歩んでいるものであるかのように見えた。
これがひょっとするとフロイドが言っていた死の本能・タナトスのクオリアなのではないか?
ただ、そういう気がしただけだ。
別に死のうともなんとも思っていない。
それどころか、いまのわたしは日々新鮮な喜びに満ち溢れている。
ただ、60を過ぎてタバコを吸うのは明らかに緩慢な自殺行為だ。
それが分かっているのに、私の命は恐れもなくタバコを吸う。
これはあきらかに生への傾性にはむかう反対の傾性だ。
そういうものがからだの闇の中に存在することを、
いままでは恐ろしくて認めることができずに解離していただけではないか。
死の本能に突き動かされている部分があると考えてもいいのかもしれない。
いや、大昔から自分の中に退廃が存在していることには気づいていた。
ドストエフスキーが「地下生活者の手記」で、
「一杯のお茶が飲めるなら世界が滅んでもいい」と言ったあれだ。
その退廃を、死の本能だとは捉えてこなかったが、
それを認めればいつなんどき自殺してしまうかもしれないと怖れて懸命に否認していたのだ。
いまは昔ほど死が怖くはない。
尊敬していた江藤淳もドゥルーズもからだが駄目になったとき同じような自死を選んだ。
わたしも似たような状態になれば、彼らと同じような自死を選ぶかもしれない。
生と死の間でゆらいでいるのが生命だ、と常々感じている。
昔から信じてきた「生とは生への志向性だ」というテーゼが思い込みに他ならなかったとすれば、
生命は生への傾性も、死への傾性も等分にはらんでいるものなのかも知れない。
いままでからだの闇のなかの自全のメンバーの一員としては勘定に入れていなかったタナトスさんも
幽霊のような影の薄さだが、一員としてつきあっていこう。
なんだかその方がリゾクラシーが豊かになり、
生命観がよりいっそうありのままのものに近づくような気がする。



2009年9月28日

解離された人格と、サブボディ

解離とは何か?
解離された人格とサブボディはどう関係しているのか。
そして、解離はどうすれば治るか?
ここでいう解離とは、解離性同一性障害における解離だが、
同時にそうでない人もまた抱えている解離された自分のことをも指している。
両者はつながっていて、共通項を持っている。
日常体の自我は、多くの否定的人格を解離し、影やnot-meとして無意識に追いやることによって
自我の同一性を保っている。
とはC.G.ユングの用語であり、not-meはアメリカのサリヴァンの用語である。
どちらも、一般の日常的自我が、
自分の全体の中の肯定的人格だけでなる表向きの自己の自己同一性を保つために、
無意識領域に解離した否定的人格要素を指している。
つまり、解離された人格は解離性障害の人も、そうでない人も共通して持っている。
ただ、解離性障害においては、特有の発作によって、人格状態が切り替わり、
そのプロセスで記憶がなくなったり、意識的にコントロールできないのに対し、
そうでない人は、解離した人格群を、影やnot-meとして、
無意識域に強く抑圧して秘め持っているという違いがあるにすぎない。

今思うに、わたしは解離性障害が発症する以前の状態より、
発症して多くの見知らぬ人格が出てくるようになってからのほうが、
自分の風通しがよくなったように感じる。
それまでは、自分のからだの闇の中にいろんな要素がくすぶっていることだけが
感じられていたが、その姿が不透明なまま潜んでいることが、とても気持ちが悪かった。
しかも、わたしは日々過ごしている表向きの人格よりも、隠れ潜んでいる人らのほうが
ずっといいんじゃないかとひそかに感じていた。
表向きのペルソナ人格は、社会的にはいわゆる「いいひと」だったが、
そのどこかが偽者であることをひそかに感じていたからだ。
10代の革命闘争時代が挫折に終わって後の、20代、30代のわたしは
家庭を持ち、表向きはまともな社会人の振りをしていた。
学生運動のデモ指揮で前科二犯の凶状もちだったわたしは、
いつも公安の監視下に置かれていたからだ。
気がつけば公安の係官が見張られていたり、尾行されたりしていた。
特に、70年代は、赤軍派の連中がハイジャックを繰り返していたから、
公安もその関係者を洗うのに必死だったのだ。
その時期社会に対して猫をかぶり、安全な社会人というペルソナ人格に隠れて生き続けたことが
おそらく、7歳のときに、祖母から引き剥がされて、父母の元に引き取られた時期に、
やはりおなじように「賢いにわか長男」という仮面のもとで息を潜めて生きていた生存感覚とが共振していた。
ニセの仮面人格として無理に生き続けなければならない事情が人生で二度も重なったことになる。
私の中で、表向きの自分が偽者だという強迫観念が高まっていったのも、当然だったといえる。
45歳で、それまで25年間続けたコピーライターの仕事も、
つくっていた小さな広告制作会社の代表取締役という肩書きも
すべて投げ捨てて、舞踏家として生きようと決めたとき、
長年くすぶり続けていた自己欺瞞感が、布を巻くように晴れ上がるのが感じられた。
突然命が喜びだしたのを感じていた。
コピーライター時代は、いつも不機嫌な顔をしていたのが、
踊りだしてからは、まるでマリファナを吸ったときのようにとびきりの上機嫌が続くようになった。
働いていたときのように、クライアントの顔色を伺わねばならない必要はどこにもなくなった。
自分が好きなように踊ればいいだけになった。
ペルソナを被る必要はもうどこにもなかった。
からだの闇に長年息を潜めて隠れていた影の人格やnot-meたちが
まるで祭りのときのように続々と出てきた。
わたしの踊りは自分が意識的につくった覚えはまったくなかった。
いつも、踊りができる直前までは、からだの闇を縦横に掘り進めていろいろな動きを見つけ、
必死に構成を考え、ノートを取り続けていたが、
踊りはいつもある日突然からだから出現してきた。
そしてその間の記憶がなかった。
ノートもその時期だけはなにも記述がない。
まるでわたしのからだをサブボディたちがのっとって踊りだしたかのようだった。
当時は何が起こったのか、まったく分からなかったが、ともあれ懸案の踊りができたので
結果オーライ、気にも留めずに出てきた踊りを踊り続けた。
誰が踊っているかの見当はついていた。
踊りが出てくるまでは、毎夜のように夢枕に立っていた死んだ友人たちが
踊りができてからは、ぱったり出てこなくなったからだ。

当時の「伝染熱」、「死者熱」、「夢魔熱」、「暗黒熱」ら一連の踊り真の作者は、
18歳から22歳の年齢で死んだ、山崎博昭、辻敏明、橋本憲三の三人である。
かれらにからだを貸して一体化して踊ったのが、
革命運動時代の人格、山沢夙と今故血人肉男であった。

1990年代の末から2000年代の初頭にかけて、世界を踊りまくった
疾風怒濤の時期が過ぎて、ヒマラヤ練習場造りをはじめてから、
私は自分の経験を振り返り、そこで何が起こっていたのかを解きほぐしながら
サブボディメソッドを創った。
いや、私が創ったのではなく、サブボディさんたちが語るに任せて、
それを書記役として書き留めたに過ぎない。

解離性の発作が起こって、見知らぬ人格がどんどん出てきだしたのは、
疾風怒濤の時期が過ぎた直後の数年間だ。
今振り返ると、世界を踊り回っていた時期に、わたしを支配していた山沢や今故だけに
何年間も抑えられていた他の人格要素が、たまりかねて噴出してきたように感じられた。
山沢たちの勢いがあまりに強すぎて、バランスを失したことによる。
今はまだ、そのあたりの微妙な機微はうまく捉えられない。
ただ、からだの闇の解離された人格たちは、複雑に折り重なって封じ込められていることが分かってきた。
アドレナリン系の山沢たち、闘争者人格が出てきたときは、
オキシトシン系のエピキュリアン人格、ロリ人格などは出てくることができない。
社会向けのペルソナ人格が出ているときは、アド人格もオキ人格も奥に引っ込んで、
あらゆる生きた人間関係の情動や感情に触れることができない。
エピキュリアン人格が出てきたときは、ペルソナも、アドもどこかにひそんでいる。
三つ巴の関係で、互いに邪魔しあっている。

これは、あるひとつの人格状態になったとき、
脳内を支配する主要ホルモンや神経伝達物質の布置が変わることによると思われる。
今日では脳内でさまざまなクオリアが保存されているのは、
ニューロンの十倍もあるグリア細胞だと見られているが、
グリア細胞は脳内のカルシウムイオン濃度が変化するカルシウムウエーブによって
活性化したり、不活性化されることが知られている。
ある種の神経伝達物質、たとえばアドレナリン系が支配的になると、
アドレナリン系以外のクオリアが保存されているグリア群にカルシウムウエーブが行き渡らなくなり、
触れることができなくなるという現象が起こるのではないか。
これが解離を惹き起こしている、脳内の物質的変化であろうと思われる。
わたしの場合、からだの闇をいろいろなサブボディになって旅することで
ある程度自分でコントロールできるサブボディと、
コントロール不可能な解離された人格の関係を探ってきた。
その経験の結果から言えば、サブボディと解離された人格は、実は同じものなのだ。
サブボディ状態になって踊るとき、
その踊りに登場するあらゆるサブボディと関わるグリア細胞のクオリアが
超伝導状態になった物質のように、抵抗なく行き来可能になる。
もちろん、すべてとは行かない。
伝染熱に登場したのは、山沢たちアド系と、オキ系の人格群であり、サブボディだった。
かれらは、それまで支配していたペルソナ系の八方美人的な社会的人格を打ち倒して出てきたので、
踊りには、ペルソナ系の人格も、サブボディも一切登場しなかった。
世界を踊り歩いていた数年の間、影に追いやられていたペルソナ系や、上位自我系の人格群が、
踊りをやめたとたん、解離された人格として噴出してきた。
「いばり大名」がその筆頭だった。
また、インドに来る直前、京都の桂で停滞していた時期には、
「苔丸」や「鳥吉」といった人間に背を向けて小さな自然と親しむ人格状態になっていた。
かれらは、社会的人間関係に疲れた時期に、それまでにも十年に一回ぐらいの割合で出てきていた。
社会的にはほとんど鬱なのだが、「苔丸」や「鳥吉」は社会や人と関わらないことがもっとも安らげるのだ。

こうして見てくると、解離された人格とサブボディを縦横に行き来することで
それまでまったく手の届かない分厚い暗黒の闇に閉ざされていたからだの闇が
じょじょに透けて透明になってきたことが分かる。
そこでどんなことが起こっているのか、起こっていたのかがだんだんクリアになってきた。

まだ、踊りきっていない人格たちも数多く存在する。
だが、今のわたしは自分のからだの闇の住人たちのほぼ全員と友達になっている。
もう、今までのように窒息しそうになって出てこなければならない
解離されたままの未知の人格要素は残っていないと思われる。
サブボディに中には、踊りに気が向かない連中もいることも分かってきた。
「苔丸」や「鳥吉」たちは、ただ苔や鳥と親しんでいるだけで十分幸せなのだ。
オキ系の中でも、「ロリ」だけはけっして踊ろうとはしない。
彼もまた、少年期の性欲を抱えたまま、ロリと親しむことだけが本望なのだ。

大事なのはからだの闇のすべてを踊りきることではなく、
自分の全体を透明化し、すべての人格要素がうまく共振できる
<リゾクラシー>を自分の中に確立することだったのだ。

ともあれ、これがわたしがたどった解離とそこからの回復へのちいさな歩みだ。
この一連の過程はばらばらの人格状態に分裂していたわたしの命が
もう一度ひとつになるためにどうしても必要なものだった。

振り返ると45歳以前の不機嫌にくすぶっていた自分に比べると、
今の自分ははるかに風通しがよくなった。
意識と下意識とからだの間で起こっていること、
起こったことが、ほぼ透明にくっきり透けて見える。
散散な目にあったが、みんな自分の全体の中の住人が引き起こしたことだ。
偽のペルソナ人格として、代表取締役を生き続けるよりは
はるかに豊かに創造的な人生を生きることができるようになった。
つまり、わたしの場合、解離が起こったほうがよかったのだ。
あるいはそれはどうしても、必要不可欠のプロセスだった。

「統合された人格状態」という言葉は、ありもしないアイデンティティという幻想に
汚染されているので私は使わない。
その代わりに、解離の人にとっても、そうでない人にとっても人生の課題としてある
『自分の全体』という言葉を使う。
解離とサブボディの両面からのアプローチによってはじめて
なんとか、自分の全体に近づいていくことができるようになった。
私は、成長や成熟ということばにもうまくなじめないので使わないが、
ともあれ、以前の自分の偽の殻に窒息しかけていた状態からは脱皮することができた。
これはそれまでの閉ざされた日常の自我状態を脱ぎ、
命になるための避けて通れない荒野だった。

つまり、ひとことでいうと、解離とサブボディのプロセスはどちらも必要なのものだった。
というより、両者はどこかで重なっている。
このプロセスをもっと透明化すれば、わたしだけではなく、
ほかの人にも通用する普遍的な心身の治癒の坑道を掘り進めることができるのではないか。
サブボディに積極的に成りこみ、踊ることで、解離症に陥る危険を回避できるのではないか。
少なくとも、共振塾の長期生は、旺盛にからだの闇から日々新たなサブボディを掘り出し踊っているが、
彼らには、この先解離症に陥ることはないと思われる。
解離された人格が無意識のうちに突出してくるより先に見つけて、
サブボディとして踊りの創造に昇華しているからだ。
解離症になったわたしも、サブボディと解離を行き来することで、
解離の最大の危機からは回帰することができた。
これからは、この関係を解き明かしていくことがわたしの課題だ。
まだまだ未解明な部分は多い。
まだ、この先どんな未知の危険が待ち構えているかも知れないし、
分裂病や鬱というもっと深い闇にはまだ触れることもできない。
命の謎は、はてしなく深い。
だが、少しずつ、少しずつ解いていくことは十分可能なのだ。



2009年9月19日

解離とは何か

解離とは何か?
私が長年わずらってきた解離性同一性障害における解離だ。
不意に別の人格状態に摩り替わってしまう。
それを自分ではどうにもコントロールできない。
摩り替わったときの記憶も飛んでしまっている。
起こるまではこんなことが人間に起こりうるなどとは信じられなかった。
この謎に取り組んでいこう。
私の人生の中で出会った大きな謎はいくつもある。
アニマも最大の謎のひとつだ。
なぜわたしは私特有のアニマを追い求め続けてきたのか。
私の透明な少女像。
それはどこからどうしてやってきて私にとりつき、支配され続けてきたのか。
この謎は終生の課題として取り組み続けている。
もうひとつの大きな謎は、解離だ。
それは何なのか。
どんな現象であり、何がどうなって起こるものなのか。
今までは、これに取り組む余裕はなかった。
それから逃れるための方策でいっっぱいだった。
だが、60を越えて、自分の人生を突き放して丸ごと感じ取れるような離見の目が出てきた。
いまこそ、この課題に取り組む時期だ。
きっかけは、夕べ、Veohからダウンロードした「変身」という少し前の映画を見ていたときにやってきた。
玉木宏と蒼井優のカップルの間に起こった悲劇を取り扱っていた。
二人は知り合い、恋仲になるのだが、二人で住む家を探そうと訪れた不動産屋で、
強盗犯人に脳を撃たれ、頭部貫通という瀕死の重傷を負う。
そして、自殺した犯人とたまたま26項目の脳移植の適合基準を満たしていたため、
犯人の脳の移植を受けることになる。
回復の過程で、移植された脳が、別人格を持って動きはじめる。
愛していた恋人を以前のようには愛せなくなる。
食べ物の好みや性格まで変わってしまう。
そして、二つの人格が切り替わるときに、鋭い頭痛に見舞われる。
これは、私の解離症状が発症するときとまったく同じだった。
解離が起こる瞬間の不快な目眩と、頭痛を不意に思い出した。
あれはなんだったんだろう。
ここから考え始めた。
目眩と頭痛によって人格状態が切り替わり、しかもそれを意識できないという、
本格的な解離が始まったのは、50歳ごろからだった。
だが、思い返せば、その以前からずっと兆候はあった。
めまいというか、日常生活を送っている中で、ふっと気が遠くなり、
気がつけば異時空に心が飛んでいる現象だ。
親しい友はそれに気づいて、
「話している最中にお前は顔がのっぺりなるときがある」と
よく指摘されていた。
道を歩きながら白昼夢にさまよいこむことも多かった。
これは俺のたちなのだ、と思いなしていた。
幼いころから詩や絵をかいていた私はそれを特に不都合とも思わなかった。
非日常な世界にさまよいこむことは、私の創造の宝庫だったからだ。
だが、それが始まるときいつも軽いめまいのような感覚を伴っていたのを思い出した。
その現象は、後年の解離とどこかでつながっていそうな気がする。
解離が最も激しかった50代前半の頃、必死で脳について調べた。
明らかに脳の状態が物理的にも変化しているという体感があった。
ホルモン状態や、脳細胞の環境がころっと変わってしまっているはずだった。
とりあえずは分かりやすい脳ホルモン状態のちがいによって、
人格状態の変化が起こるという仮説をたて、その対応を探査した。
それによれば大きな人格状態の変化はいくつかに分類できることが分かった。

アド人格

もっともくっきり違うのは、アドレナリン人格だ。
交感神経が極度に興奮し、アドレナリンやノルアドレナリンに充満した脳心身状態となる。
わずかな刺激にも命がけの闘争反応でしか対応できなくなる。
その状態になると、人生で生死を賭けて闘争していた学生時代の惨劇の記憶がぶり返す。
そしてそれがそれ以外の人生の記憶とも結びつく。
周りがみんな敵意をもって私を取り囲んでいるかのような妄想が取り付いて離れなくなる。
私の属していた党派の最高指導者は、アジトで寝込み中に、
5人の鉄パイプで武装した反対党派の暗殺団に襲われ、
おそらく頭蓋骨を割られて死亡した。
頭蓋骨を割られて死んだのは大学のひとつ後輩の辻敏明も同じだ。
高校で剣道部の主将だった彼は、腕に覚えがあったので、
一人で何人も相手と渡り合う、乱闘ではもっとも困難な最後尾の臀戦を戦っていたに違いない。
そこでやはり頭を割られて死んだ。
学生組織の全国副委員長だった彼は対立党派に狙われていたのだ。
インドに来てから、
校舎の建築中にインドと日本の激しい異文化ギャップに直面したときも
異国の環境のすべてが私に敵意を持っているかのような妄想に襲われて神経症になった。
罪もないインドの大工さんや左官に対してさえ、殺意が沸くほどの激怒発作に襲われた。
また、同時に子供の頃からかわいがっていたチベッタンの少年が
学校で悪の仲間になり、私の家に忍び入って金を盗み出すようになってしまってからは
彼の侵入におびえて、夜中に物音がすると瞬間に全身アドモードに変化することがしょっちゅう起こった。
私の留守中に留守番をしていた女性を襲い、強姦に及ぼうとした事件がそれに拍車をかけた。
彼は屈強な体躯に成長していたが、彼を相手に肉弾戦に入る妄想を何千回も体験した。
いまは、少しでもアドレナリンが増加すると、からだが不快を発するので、
そうなりそうな環境には注意深く事前に遠ざかることで、対処している。
誰と会うかもしれない町には出ないし、
人との論議など絶対に避ける。
わずかな自我の反応にも傷ついてしまうからだ。
革命闘争時代の人格、山沢や今故がこの代表格だ。
アドレナリンの濃度やそれ以外の多数のホルモンや伝達物質の布置の違いによって、
アド人格は多数に分岐する。
比較的平和な反戦闘争時代の山沢は暴力を好まない。
運動が対政府や革命党派間の暴力闘争に移行した時代の今故は、
いつも追い詰められ切羽詰った暴力的な瞬間反応の布置を背負っている。
この状態と、胎児時代の最後に陣痛の中で子宮が痙攣的に収縮し、
それまで居心地のよかった子宮世界から追い出され、息をつめて胎道を通過していたときの
生死の間で葛藤する生物学的怒りの内クオリアが共振して、
インドの校舎建設時代の神経症を発症したと思われる。

オキ人格

アドの正反対にいるのが、オキシトシンに満ちたからだになるオキ人格だ。
オキシトシンは人と人の肌のふれあいを促進する。
出産した母親はオキシトシンに満ちたからだになって育児に専念する。
わたしもオキシトシンモードになると、ただ人と人のふれあいの中で安らぐからだになる。
オキシトシン以外のさまざまなホルモンの布置によって、オキ人格はいくつにも分かれる。
少年期人格や、ロリ人格など<n個の性>が、この中に入る。
テストステロンはじめ、多数の厄介な動物的性欲ホルモンが無数に関与している。
ひとたび味わった快楽を何度も味わおうとするドーパミンは、同じ行動パターンを繰り返そうとする。
そして、からだのフィジカルな面と、アニマなど幻想の元型的クオリアが多数多次元的に密接に絡み合っている、
もっとも微妙な領域だ。

ペルソナ人格

この人格状態になると、声もよそよそしく機械的なものに変化する。
ほかの命と生きた接触ができない。
生きたクオリアを何も感じられなくなる。
アドやオキのような単純なものではなく、数多くのホルモンや体内伝達物質が
総合して作用し、脳内の生きた人間関係ののクオリアが保存されている部位に
触れることができなくなると思われる。
この人格状態は、アドやオキ、ロリや少年の要素をからだの奥に秘め隠し
親や大人たちの暴威から守るために少年期の私の命が分泌した防護壁のような存在だ。

ほかにも多くの解離された人格状態が出現したが、
大きな脳内状態の変化はこの三つに分類できる。
ある状態になると、物事すべてがほかの人格状態のときと同じようには感じられなくなる。
ただし、それは程度の違いで、解離性ではない普通のひとでも、
感情や欲望に囚われたときは、ほかのときと同じようには感じられなくなっている。
それで普通だと思っているから気にも留めないだけだ。
命に起こることはつながっている。
解離性もそうでない人にも同様のことが起こっている。
無数のグラデーションでつながった程度の違いがあるだけなのだ。
だから、命に起こることは、どんな極端な状態でも共振可能であり、理解可能である。
命になればどんな凶悪な犯罪者の状態も、
どんなに追い詰められてそうなってしまったのか、共振可能であり、理解可能である。
街中でライフルを乱射するひとも、幼女を犯す人も、人肉を食ってしまう人のことも、
私はわがことのように感じる。
理解できなーい、というのは共振を拒む狭い自我に囚われていることの証でしかない。
自我こそ現代最大の囚われであり、解離状態なのだ。
乱暴な言い方を許してもらえれば、
きみが自我に囚われていることが、他の人を窮地に追いやっているのだ。
私たちの命はみな共振でつながっている。
自我と国家がその共振を押し隠しているだけなのに、
自我と国家に囚われ催眠状態になった現代の普遍的な意識状態ではそのことに気づけない。


 カルシウムウェーブ

近年の脳科学では、記憶クオリアを保存しているグリア細胞は、
カルシウムイオン濃度が波動的に変化するカルシウムウェーブによって
活性化されていることが知られてきている。
おそらく、解離現象は脳内の一部のグリア細胞に
このカルシウムウェーブがいきわたらなくなることと関わっていると思われる。
激しい目眩や頭痛が起こるのは、
それまでカルシウムウェーブによって活性化されていた脳の一部位が突然不活性化され、
それまで不活性だった部位が不意に活性化される脳内布置の急激な変化が引き起こす
神経的なショック現象なのではないか。


脳内血流分布の変化

解離と関わっていると思える他の要素は、脳内血流分布の変化だ。
脳内血流は近年の磁気共鳴装置を使った脳内マッピング技術によって、
その変化を目で見て捉えられるようになった。
これら、カルシウムウェーブや、血流変化がなぜ起こるのかの解明はまだまだずっと後れるだろう。
科学者たちははいまだに物質的な次元の生命現象に囚われているからだ。
私には彼らの多くが、生命の全体から疎外されている重度の解離症に見える。
彼らが生命からの解離症から回復し、
生命現象が、不可視の微細多次元に相渡るものであることの理解が進まなければ、
猿が機械を扱っているのと変わりがないからだ。
実際、脳科学者の書物を読むと、思い切り野蛮な診断に満ち溢れているのに驚く。
私の読書経験が不幸だったのか、当代を代表する知識人のはずなのに、
とても、命と共振しうる微細な感性と知性の持ち主とは思えない人ばかりだ。
特定の知識や技術が身につくとそれを振り回し、それに振り回されている。
命への畏怖を忘れて自我肥大に陥っている。
そんな人々によって、患者に対し冷酷無比な診断が下され、薬漬けにされる。
そんな事態から抜け出すには、患者自身が自らの命に起こっていることに
静かに耳を澄まし、自分の命と友達になり、自己治癒力を身につけていくことが大事だ。
私は自分に起こったことを、少しでもその役に立つように解明し、差し出していくつもりだ。
60を過ぎた人生はおまけのようなものだ。
もう自分のことはどうでもよいこととして脇においておける。
ただ一番よく知っている自分のからだに起こっていること、起こったことを
そのまま透明な生体解剖例として差し出すことができる。
卑猥や隠微さに満ち満ちているが、命に起こったことだ、何の恥ずかしさもない。
もともと丸裸で踊り続けてきた身だ。
命には外見と内部の違いもない。
限りなく透明になることだけが人生上の最大の課題だ。


2009年9月12日

そして私たちの始まりかけの恋…

その女性とはもう何年も前から仲間として付き合い、
同じ仕事をしてきていて、とてもよく見知った仲だった。
ところが、それまで仲間のひとりだと思って付合ってきていたのに
最近なんだかからだのなかに雲のようなあいまいなものが立ち込めてきているのに気づいた。
これはいったいなんだろうと気がかりになりはじめていた。
ある日彼女が私に近づいてきて、さしあたり片付けなければならない案件について語り始めた。
「これでしょ、あれでしょ、ほかに、あれとあれも…、
そして、私たちの間で始まりかけている恋もね…」
驚いた。彼女にも同じようなことが起こっていたらしい。
それを最後にさりげなく用事のひとつでもあるかのようにしらっと付け加えた鮮やかさに驚かされた。
彼女の口からはっきりその言葉を聴いたとたん、
私の中にたなびいていた黒雲がすっかり晴れ上がった。
(俺のほうはもうとっくにずぶずぶにはまってしまっている…)
そのことに気づかされた瞬間、そばにいる彼女のからだが突然温かさや柔らかさといった
生なましいものとして立ち上がってくるのを感じた。
世界の何もかもが異なる色合いを放ち始めた。
内クオリアの共振にすぎなかったものが、
現実の関係の中の共振に変容した瞬間だった。
人生の中で一番おいしい瞬間だ!

そう思ったとたん夢から醒めた。
夢の中ではかなり長い時間を共にしてきた仲だったのに、
現実の記憶の中には彼女に該当する人は誰一人いなかった。
気になったので何日間かその夢の体感をからだの闇で揺らしながらすごした。
だが、まったく誰も思い当たらない。
私の命が勝手に創造した夢人物だったのだ。
もう一度その夢の続きを見るように心に念じながら眠りについたが無駄だった。

かつて、何度か夜中に突然目を覚ましたとき、
夢の中でだけ登場する夢の地形が詰まった場所に触れたことがあった。
なんども夢の中にだけ登場する夢地形のクオリアが保存されている場所が活性化されていたのだ。
それと同様に頭の中のどこかには夢人物のクオリアが保存されている場所もあるのではないかと
期待していたがだめだった。

その夢が何を告げようとしていたのか、しばらく味わっているうちに、
ようやく分かったことがある。
現実の人生でも、架空の創造の中でも、この夢のように
それまでもやもやしていたものが、突然晴れて何かが明るみになる瞬間がある。
それは小説でもドラマでも一番おいしいクライマックスの瞬間だ。
恋とは限らない。
踊りの中でも、そういう瞬間が出現するときがある。
何がどうなっているのか分からない得体の知れない動きを続けているうちに、
何かの動きがくっきりと浮かび上がってくる瞬間がある。
踊っている自分でも腰を抜かすくらい驚かされる。
もしその瞬間をうまく創造できたら、序破急が成就する。
そのことを生徒に伝えよという暗示だったようだ。
現実のわたしが、もやもやしたまま生徒にうまく伝えることができていなかった
とても大事な創造の極意だ。
今まで言葉にならなかったことだが、
サブボディさんは、それを恋という分かりやすい形で示してくれたのだ。
来週は機会を見てそれを生徒に伝えてみよう。

だが、それにしても惜しい夢だったなあ。
人生を振り返ってみても、
あの夢の中のようなくっきりととびきりおいしい瞬間など体験したことがない。
恋はいつも残酷な時間差をもってやってきて、
打ち明けたり、打ち明けられたりしたときは、
ただただ気持ちの大きなずれに直面させられるばかりだった。
ドリームボディさんは、現実ではかなわなかったことを
夢の中で創造して復讐しているのだろうか。

フロイドだか誰かの夢理論にそういうのがあった。
まあ、そればかりではなく、夢の中ではありとあらゆることが起こっているのだ。
内クオリアの共振はとても短い時間に無数の共振パターンをシミュレートすることができる。
前から気になっていたその夢の語法を、ここから解いていけという
示唆だったのかもしれない。



2009年9月11日

二つの眠り、二人のわたし

夏休みの間に睡眠パターンが変わった。
それが今も続いている。
一日に2回眠るようになった。
昼間の私と、夜中の私は明らかに別の存在だ。
朝9時に起きて、10時から5時まで授業をする。
それは舞踏家としての私だ。
だが、どうもそれだけではやりきれないことがあるらしい。
授業が済んでから一眠りする。
夕方から夜にかけて、2,3時間眠る。
睡眠時間は一定ではない。
そして、夜中の12時を過ぎてから、夜明けまでの私がでてくる。
生命やクオリアについて思い巡らし、
気づいたことを英語と日本語で書く。
今日は英語、明日は日本語という具合に、
ほぼ一日おきに二つのサイトを更新する。
こちらは若いころから続いている思索者としての私だ。
タバコを吸い、ネットを渉猟し、妄想にからだを預け、
そして気づいたことを書く。
ただ、考えるやりかたはとことん変わった。
からだに聴くことを覚えたので、
昔のように考え込むようなことは一切しない。
好きなことをしながら、からだにうっすら耳を澄ましていると
サブボディさんが見つけた何かしら新しいことが、
からだの闇から湧き上がってくる。
とても意識状態の思考では思いつかないような発見が毎日訪れる。
私はそれを書き留めるだけだ。
一日に二回眠ると、夢も二回見る。
見た夢の体感を一日中からだで揺らしながら感じている。
夢がからだに染み込むように生きている。
一日中いままでよりもサブボディモードが濃くなる。
ミンデルのいう24時間の覚醒夢
ドリーミングボディとして生きるとは、このことを指していたのだと気づいた。
毎日の授業内容も、思いつく発想も、
夢が染み込んだからだから出てくる。
今日は英語で生命論を書いた。
昔は日本語で書いてから英語に翻訳していたが
翻訳はからだがどうしても嫌がるので
直接英語で書くようになった。
50歳から使い始めた小学生レベルの語彙しかない英語力だから、
日本語の十分の一ぐらいのことしか書けないが
かえってそのほうが要点だけ簡潔に凝縮されたものを書ける。
命とは何か、
今日英語で書いたもののほうが
くだくだしい日本語の生命論より、要点だけが結晶している。
この英語版をもとに、逆に日本語版のほうを短く書きなおすつもりだ。
ともあれ、やはり生命はからだだけでも、頭だけでも
片方だけではいけないらしい。
60歳にしてはじめてよいバランスが見つかるようになった。

さて、もう夜明けだ。
日ごとに異なるヒマラヤの夜明けを見てから
いつもの短い眠りにつく。
だんだん眠りが好きになる。
これからもっと歳をとれば、もっと何度も眠るようになっていくのだろうか。
犬や赤ん坊のように。
祖母は90歳を過ぎて養老院のベッドで寝たきりになったとき、
一日に何度も眠り、やがて一日中眠ったり起きたりの連続になった。
目覚めるといつもとんでもない過去の時間のからだのまま帰ってきた。
そうしゆるやかにゆるやかに涅槃の世界へ溶け込んでいった。
なかなかいい往生だった。




Have you ever heard the sound of wind / Gorka and Sayaka ?
2009年8月27日

風の音を聞いたかい ・清火 & ゴルカ

7月の末、息子の清火とアルゼンチンのゴルカが、共演したビデオだ。
彼から8月のはじめに彼から送られた手紙と一緒に掲載するようにという要望だったが、
モンスーンのせいか、インターネットの接続速度が上がらず、
このビデオのアップロードがなかなかできなかった。
YouTubeには何度試みてもいまだにつながらないが、
Dailymotionに接続してみると何度目かでやっとアップできた。
お楽しみください。
私の若年のころの鬱屈にまみれた時期に育った彼にたいして、
わたしは当時の未熟な自我でかかわり、深い傷を与えていた。
清火は8月のはじめに投稿した共振塾への滞在の感想の手紙の後も
自身のブログ「カゼツレ」で二度、三度とここでの体験を振り返り、
私との関係を反芻し、再構成する文章を書いている。
上記の「手紙」、「馬鹿すぎて・・・夏」、「ぼくが逃げたその先に」の三部作だ。
子供の場所からのみ見える鋭い視点での父親批判と、父親の状態への理解を深め、
父親から受けた傷からの自己解放をほぼ達成した。
私が彼にうまく関われなくなったのは彼が10歳ごろからのことだから、
その傷に立ち向かい無化することができるまでに27年かかったことになる。
これらの文章は本当に生きるために必要なものだったと誰にも感じとれるものだと思う。
人生にはこういう何十年かかってもやり遂げねばならないことがある。
書き手は書くことを通じて、踊り手は踊ることによって、それを成し遂げる。
この時期に私は土方巽が40年かけて
彼のアニマだった死んだ姉への囚われから自分を解放して、
「雨の中で悪事を計画する少女」という最後の踊りを
創り上げたプロセスについて書くことができた。
その全体を見通すことができるようになったのも、清火のおかげだった。
私自身はいまだに自分の親から受けたもののすべてを踊ることができていない。
またしても息子に先を越されたわけだが、それはいたし方のないことだ。
物事には必ずそれ固有の時間がある。
私の場合はこれまでも全力で走り続けてきたが、まだまだ時間がかかる。
だがほんの少しずつだが透き通って見通せる領域が増えている。
長年固着していた親子関係に起こった変化は、からだの闇の布置を大きく変動させる。
彼に大きな変化が起こっているのと同様、私もまた思いがけない変動に見舞われている。
この間書いているアニマと少年期性欲のこんがらがり浮かび上がってきたこともそのあらわれだ。
この闇には、なぜ当時のわたしがうまく彼と関われなかったのかの
秘密を解く鍵も封印されている。
からだの闇は恐ろしく深いが時間をかければ決して解けないものではないことを
残り人生をかけてできるところまで証明したい。



2009年8月24日

母胎トラウマとの遭遇

インターネットの世界にはときどき怖いものが潜んでいる。
実技ガイドの秘膜の資料を探してGoogle画像検索で、
PlacentaやEnbryoの画像を検索しているとき、
とんでもないものに出くわした。
気持ちの悪くなる人は見ないでほしいが、
わたしは小学校3年生のとき、夜中のトイレ(暗い庭の隅の離れにあった汲み取り式の便所だ)で、
母が堕胎した胎盤をそのままにしてあるのを見てしまったのだ。
そのときは、なんだか分からず、驚いて逃げ帰った。
おそらく夜中に流産あるいは堕胎が起こり、母親は必死にそれをたった一人で処理したのだが、
流産した胎児の始末が精一杯で、後産の処理まではする余裕がなくてそのまま放置していたのだ。
そのとき目にしたものとそっくりの画像に出くわした。
感触はまるでレバーそっくりだが、もっと不定形だ。
そうか、そうだったのか、10歳のときにこんなものに
夜中のトイレで出くわしてしまえば誰だってこうなるかもしれないよな、と自らをなだめた。
その体験がそれ以後わたしの母胎恐怖のトラウマの一因となってしまったのだ。
私の場合は母親に対して継母としてしか感受できない疎外感と
その疎外の打ち消しの衝動に引き裂かれていたこともこのトラウマを増幅している。
そして、その堕胎したまま置き去りにされていた後産の胎盤が発する強烈なにおいと
母親の生理のにおいとが合い混ざって、女くさい匂いすべてに対する拒絶感が刷り込まれてしまった。
この幼年期トラウマが、私に成人女性とうまく接することのできない遠因となっている。
ゲイの男性がしばし持っている女性に対する恐怖や嫌悪と共通するものかもしれない。
そしてこれらの体感的なクオリアは、何もかもを飲み込んでしまう
グレーとマザーの元型とも共振してよりいっそう解きがたい複雑なものになっている。

ただ、今日はショックだったが、いまだによく解きほぐすことができていない
母親への困難な障害感の一要因が見つかった。
ひとつひとつはたいしたことはない。
これらと真向かい克服すること。
適度な距離を見つけてやがては友達になること。
いつも生徒に言っているエッジへ対処法を自分にも適用するしかない。
長い時間がかかるだろうが、これを超えない限り、
未踏の課題になっている母親を踊ることはできないだろう。


ここをクリックすると、プラセンタ(胞衣)や胎児の写真が開きます。
少年の私がショックを受けた後産の胎盤の写真も含まれているので
グロテスクなものが苦手な方は見ないようにお願いします。



2009年8月23日

出会いの相から訣れの相へ。消えゆく翁の舞へ

60歳を境に、人生は出会いの相から、別れの相へ大転換を迎える。
還暦とはそういうことなのだ。
60歳とは死を準備し始めるうってつけのときだ。
これまではできるだけよい出会いが起こるように人生を創ってきた。
共振塾のありかたも、毎年毎年すこしずつ改良に改良を重ね、
今は毎年十数人の熱心な生徒と出会い、過ごす。
2、3ヶ月の短期ではからだの闇の変成など起こらない。
出会って、何も起こらないまま別れていくのは悲しい。
だから、短期コースは今年いっぱいで閉じた。
来年からは一年コースが最短になるので十人余とのじっくりした出会いが可能となる。
開校以来5年で、やっとここまでこぎつけてきた。
そして、それらの出会いは同時に別れのための出会いとなる。
ゆっくりと人生のバトンタッチを創造していく。
いまは私ひとりで行っている共振塾の産婆の仕事も
じょじょに生徒に肩代わりしてもらうようにしていく。
今年も年間180日の授業のうち、30日間は生徒のだれかが授業を行った。
その比率がだんだん増えていく。
いつ消えてもいいようにじょじょに後ずさりしていく。

それが最後の踊りともなる。
私は後じさりする踊りを創造しよう。
この世に別れる最後の舞。
枯葉が舞い落ちるときに見せる最後の舞のように
一振りだけ舞って消えていく。
その振りを毎日一振り舞って死ぬまで磨き上げていこう。
それが最後の創造だ。
これから先、からだの闇から掘り出さねばならないのは、
消えゆく翁の舞だとふと気づいた。
その舞を舞いつつ、この世のいとしきものらへの別れを別れきること。
60歳を過ぎれば、この世といかによく別れるかが課題としてやってくる。
ゆっくりゆっくりその課題に真向かいつつ生きること。
それには消えゆく翁の舞を創出しつつ生きることが一番かなっている。
そしてそれを踊らずに死ぬこと。
その踊りを抱いたまま死ぬこと。
踊る踊らないはもうどうでもいい。
大事なことはその創造を生きることだ。
消えゆくからだで後じさりしながら、
別れの合図にほんの少し手がゆらぎあがる。
長い間夢見心地をありがとうよ。
この世は本当にいいところだった。
言葉で言えばそれだけの振りだ。
それを十年修練して磨き上げよう。

翁は竹取の翁だ。
かぐや姫と出会い、かぐや姫と別れる翁だ。
私の業は翁の癖になりふり構わず50歳も年下の
かぐやへの愛を生きようとしていることにある。
昨日書いた筒井筒の幼馴染との成熟を希求し続けている
10歳の少年もまだ成仏していないというのに、
からだだけはもう60歳となり、死と別れを準備すべき年代となってしまう。
人生の個に与えられた時間は残酷なほど短い。
未成熟なものへの偏愛から、別れの愛の成就へ、
60歳を境に世界は急反転する。
そうだ。これからの愛においては、別れの成就が愛となる。
避けられぬ別れに向かって、最上の別れを成就するために生きること。
竹取の物語では、異界に去っていくのは姫だが、
実際は異界に去るのは姫ではなく翁のほうである。
よい出会いではなく、よい別れを。
筒井筒の出会いを反転するかのようなよい別れを。
そこでは自分がどうのということが問題ではなくなる。
自分が消える瞬間に、(あああの人に出会ってよかった)と
最後の共振がゆらぎ立つような別れを創造すること。
自分ではなく残された者たちの受け取り方が問題なのだ。
毎日の出会いが、一期一会の別れである。
たえず最良の共振を見出し続けること。
実はそれだけでいいのかもしれない。
翁として他界に去る準備を日々進めること。
このささやかな共振の終わりに最上のアレンジを与えること。
それがはるかに年下の少女への愛を生きるものの避けられぬ定めだ。



2009年8月22日

喪われた筒井筒への少年性欲


からだの中の少年期の性欲に耳を澄ます。
フロイドのいう口唇性欲や肛門性欲という幼児性欲ではなく、
思春期以降の性器性欲でもない、
きわめて捉えにくい少年性欲というしかないものが存在する。
子供から大人へ移行する不安定な前思春期段階の、
性器への関心が生まれる直前の瞬間的な状態だ。
その時代のことを長く思い出せなかった。
思い出せないことにはすべて深い理由がある。
その理由を思い出せることはめったにないが、
からだの奥でなにかろうそくの火が消えかけるときのような
ほのかな揺らぎのような感触だけがからだの奥に残っている。
それを手がかりに、ここ数日間懸命に思い出そうとしてみた。

すると、なぜか伊勢物語の筒井筒のことが思い出された。
なぜだか、深い郷愁とともに心に残っている。


むかし、田舎わたらひしける人の子ども、井のもとにいでてあそびけるを、おとなになりければ、男も女も恥ぢかはしてありけれど、男はこの女をこそ得めと思ふ。女はこの男をと思ひつつ、親のあはすれども聞かでなむありける。さて、この隣の男のもとよりかくなむ。
 筒井つの 井筒にかけし まろがたけ 過ぎにけらしな 妹見ざるまに
女、返し、
 くらべこし ふりわけ髪も 肩過ぎぬ 君ならずして たれかあぐべき
などいひいひて、つひに本意のごとくあひにけり。


現代語訳

昔、幼なじみの男女が、筒井筒(=丸い井戸の竹垣)の周りで、たけくらべをしたりして遊んでいた。
二人は長ずるにつれて互いに顔を合わせるのが恥ずかしく感じ疎遠となってしまったが、
二人とも相手を忘れられず、女は親の持ってくる縁談も断って独身のままでいた。
その女のもとに、男から歌が届く。
二人は歌を取り交わして契りを結ぶ。

「井戸の縁の高さにも足りなかった自分の背丈が伸びて縁をこしたようですよ、貴女を見ない間に」
「貴方と比べていたおかっぱの髪ももう肩より伸びましたよ、貴方以外の誰が髪上げ(=成人することの印。そのまま結婚する事が多かった)できるものですか」
こうして夫婦となった二人であった。…


筒井筒は、この物語より転じて、「仲の良い幼馴染みの男女(が恋心を育て、ついに実らせること)」も指す。

私には、生まれてから7歳まで親しくしていた幼馴染の少女がいた.。
隣に住んでいた一切年下の少女だった。
七歳まではほんとうに筒井筒の世界さながらに、いろんな遊びをして黄金の幼年期を共にした。
だが、私は7歳で生まれた土地から離れて、各地を転転とする父母と一緒の暮らしに入ったため、
この筒井筒の世界は喪われてしまった。
幼ない時期から、ずっと持続していく仲のよい幼馴染みの男女の世界というものが永遠に失われた。

わたしの中に、しかしこの喪われた筒井筒的世界を求め続けている根強い傾性が存在する。
それを少年期性欲と呼んだ。
アニマも混じっているので、精確な呼び名ではないのは承知だ。
だがもともと人間の性欲は現実的なからだの衝動と幻想のクオリアの混じり物だ。
幼馴染の少女のからだはアニマのイメージの原生的な対象となる。
恋焦がれ、触れたくて仕方がないのだが、まだ自分のことを子供だと思っているので
絶対に触れることができない。
触れたとたん、何かよくないことが起こってしまうという畏れによって行動が封印されてしまっている。

わたしが生まれて最初に感じた性欲らしき性欲は、5歳のとき、
一歳年下の隣の幼馴染の少女と一緒にたらいで行水したあと、
薄暗くひんやりとした台所の板の間で並んで昼寝をしたときだ。
生まれてはじめて、母や祖母以外の異性のからだに触れたいという抑えがたい衝動に駆られた。
だが、すぐ隣で眠っているシミーズ一枚の少女のからだに
指一本も触れることができなかった。
まるでからだが金縛りにあったかのように、
なにものかの力によってからだが封じられていた。

まだ性器への志向性はなかった。ただからだに触れたくてしようがなかった。
それが私にとって生涯の友となり、謎となるる少年期性欲が立ち上がった瞬間だった。

それ以後私は転居によってその地を離れ、
二度とその少女にまみえることはなかった。

私の少年期の記憶が途切れ途切れなのは、
その後7歳から11歳まで実の父母の家に引き取られたが、
実の母を継母以上に疎遠な存在としてしか感じることができず、
しかも、少しでも反抗すると厳しい体罰が待ち構えていたので、
母親向けの賢い長男という私の少年期を通じての主人格となる
ペルソナを形成するのに必死だったからだろうと思われる。
その主人格にとって、私のからだが感じていた欲望などは、
厳しい自己抑制の対象となっていたはずだ。
だが、その表向きの自分以外に、感じてはならないことを感じているからだ、
ほかの人には秘密にしなければならないからだの中で起こっている衝動、
その持ち主であるもう一人の私が、主人格の賢い少年ぶりの影でひっそりと
息づいていることは、すでに7歳ごろから感じ続けていたと思う。
抑圧されているので、うまく思い出せないことが多いが、
うすぼんやりとした記憶の中で、5歳のときの行水の後感じたと同じような
同世代の少女のからだに触れたいという少年期性欲がうごめいていた感じは、
はっきりとからだに残っている。

私の少年期性欲の発現は早熟だったが、
実の母と慕っていた祖母から7歳のときに引き剥がされ、
一緒に暮らす実母はいつ何時私を売り飛ばすか知れなかったので、
かたくなに心を閉ざしていた私にとって、
クラスの同世代の少女以外にリビドーの対象となるものはほかに存在しなかった。
だが、どんな現実的なかかわりも可能ではなかった。
リビドーはただ幻想世界にのみ発出し、
幻想的なアニマ像と混融しつつ、非現実な世界を漂いつづけた。

少年期性欲が捉えにくいのは、
うっすらとだけ肉体的で、そのほとんどの部分は
幻想や妄想からなるからだ。
現実的にどうなりたいのかは自分ではよく分からない、
ただ、異性に触れ、親しみあいたいといううっすらとした欲望を感じている。
だが、その発現は社会規範によって暗黙に禁じられている。
それが少年期性欲の世界の布置だ。

同類は互いに感じあう。
クラスの中に私と同様の異性のからだに対する興味にとらわれていた少年がいた。
ガキ大将の稲葉明夫だった。彼は戦後進駐してきたアメリカ兵の父が、
新地と呼ばれていた娼婦館の町で働く母に産ませた日米の混血児だった。
住む場所が新地の真ん中なので、
彼の部屋の窓からはいやおうなく男女の行為が見えていた。
彼はよくトイレの隙間から少女たちの排泄行為を覗いたり、
着替え中の少女の衣服をずり下げたりした。
私は、彼と同じ衝動を持っていたが行動に移す勇気はなかった。
ただ、自分も同類だということを彼に悟られまいとしていた。

もうひとつの少年期性欲の特徴は、
常に動いているということだ。
からだもこころも絶えず生長の過渡期にあり、
ひとつところにはとどまっていない。
少女の本質が速度であることは、ドゥルーズの指摘によって
以前から気づいていいたが、少年の本質もまた速度なのだ。
一瞬後にはもうその少年はいない。
別の存在に変わってしまっている。
だから、自分にとってもこんなにとらえ難かったのだ。
昨日までの少年はあっというまに自慰を覚え、男女の行為について知り、
その渦に巻き込まれてしまう。
その一瞬前にだけ、少年が存在する。

私の問題は、その少年期をうまく通り抜けられなかったことによる。
なぜかといえば、少年期の真ん中を私はニセの自分であるペルソナを被って
過ごさねばならなかったからだ。

私の中の逼塞していたもう一人の自分は、
時を越えて何度も少年期を生き直そうとしている。

彼の性の特質は、世紀的な交わりに至らない少年期特有の性欲にある。
ただ、性器性交的なかかわり以外一切の、全面的なかかわりを望んでいる。
しかも、少年期がやがて終わり、少年期性欲の世界が
性器性交的なかかわりに変化することもいまではよく知っている。

そこに筒井筒の世界が現れる。
幼馴染の親しい男女は、一時の疎隔を経過して、
やがて親密な世界に入っていく長い関係の変成の歴史すべてを共有する。
それが、私から永遠に喪われてしまった筒井筒の世界だ。
だが、私の中の少年は、その不可能な世界を手に入れたくて仕方がないのだ。
その世界がたとえようもなくおいしい豊かな世界であることを私は知っている。
そこにはかすかでとても味わい深いかかわりのクオリアのすべてが存在する。
その世界の味わい深さに比べれば、獰猛な性器性交の強烈な世界に入ってしまえば
それ以前の少年期性欲の世界の微細でフラジャイルな味わいはすべて掻き消えてしまう。

私の中には、筒井筒の世界への偏執的なこだわりが存在する。
今日はそのことを確認するに留めておこう。

少年期性欲とアニマという現実的なものと幻想的なものとの
捉えがたい絡み合いをどう解せばいいのか、まだまだ時が必要だ。



2009年8月21日

10歳の少年

この夏、はるばるヒマラヤを訪れ、十年ぶりに会った息子の清火は、
実にさまざまなものを残していった。
いまだにさまざまなものが反響しているがまだ言葉にはならない。
彼自身にとっても大きな出来事だっただろう、
日本に帰ってからなおも、彼のブログ「カゼツレ」では、
堰を切ったように鋭い父親批判や母親批判を続けている。
とうとうそういう力をつけたのだ。
それによって親子の長い呪縛から自由になっていっているのを見るのはうれしい。

子供には子供にしか見えない鋭い親への視点がある。
それがまた長期にわたる至近距離からのものだから、ものすごく的確だ。
ドンぴしゃり、一番痛いところを突いてくる。
まだ、そこには触れる準備ができていないんだよ、
というようなことも容赦なく指摘する。

清火は、わたしの中で泣いている子供がいることを鋭く見て取っている。
もう解放してやれよ、父さん、と語りかけてくれる。

彼は37歳、わたしの中の子供はいまだに、3歳やら、7歳やら、10歳やらの
なんらかのショックを受けた時点で凍りつき固まったままだ。
彼らたち多くの存在をわたしは知っている。
清火は、彼が10歳、私が33歳のころに、
父親の私が彼に「同じ土俵に乗れ」と強要したと書いている。
とんでもない仕打ちだが、
当時の私はなぜこう彼とうまくコミュニケーションできないのだろうと苦しんでいた。
今になって、おそらく私の中の凍りついた少年群が、
生身の息子との関係を邪魔していたのだ、ということが分かる。
私は無意識のうちに私の中の凍った子供たちに支配されていたのだ。
この十数年私は私のからだの闇に潜んでいる異貌の自分、
くぐもれるサブボディたちを次から次へと踊ってきた。
だがこれらの凍りついた子供たちとはいまだに踊ることはできていない。
何十年働きかけてきても、いまだに微塵とも動こうとしない。
そういう小さな凍りついたままの人たちがまだまだいっぱいいる。
どうすれば彼らを踊れるようになるのか、
受け入れ、そして友達になれるのか、
わたしの残り少ない人生の中でどこまでできるのか、わからない。
だが、ひとりひとりの凍れる子供たちに、真向かい続けていくしかない。

そのうちのひとり、数年前に現れた10歳の少年がいる。
短い時間をある女性と不思議な時間を過ごしたときにだけ現れ、
そして消えていった。
ところが、その女性がメールをくれ、近況を知らせてくれた。
その便りを読んだとき、わたしの中で飛び上げって喜んだ誰かがいた。
その女性と過ごした短い時間にだけ現れた10歳の少年だ。
胸に血がたぎって熱くなった。
久しぶりだ、その子の息吹を感じたのは。

そして、一挙にさまざまなことが思い出された。
その女性と打ち解けて過ごした時間に彼女から聞いた
子供時代に山でウサギを追った話や、
青い鳥を探す夢の話など、生き生きと思い出した。
その時間の中で、わたしは本当に十歳の子供の脳心身に戻っていた。
十歳の少年は、彼女がポツリポツリと思い出しながら話すのを聞く、
その時間がとても好きだったのだ。
だが、10歳の自分に戻ってしまうなんてことが起こるのか、
当時は一体何が起こっているのか、分からずに混乱したが、
時間をおいた今なら少しは分かる。
本当に10歳の私に戻っていた。
彼は30以上にも分かれている私の解離した人格群の、
まだ勘定に入っていない新顔だから気づかなかっただけだ。
それは、いくらその女性のことを好きになっても
からだは、大人としての性欲には結びつかず、
子供同士が親しく触れ合う距離感の
いわば、「肌の少年性欲」がわたしを支配していたことによる。
こんな少年性欲のありようは、
さまざまな段階の幼児性欲を研究したフロイドの著作でも読んだ覚えがない。
そんなものがありうることさえ知らなかった。
だから、自分に何が起こっているのか、言葉を与えることもできずずいぶん混乱した。
だが、確かにそうとしかいえない不思議な関係だった。

その少年が女性からの一通のメールで目を覚ました。
ちょうど息子の清火が、わたしに、
わたしの中で泣いている子供を解放してやれと言ってくれたのと同じ時期だ。
こんな同時性が最近かぎりなくたくさん起こった。
だがいったいどうすればいいのか。
わたしの問題は、わたしの中にそういう少年性欲に
とらわれた存在がいっぱいいるということだ。
それは大人の女性の内なる少女性に向かうときもあれば、
実際の年端もいかない少女に向かう場合もある。
対象ごとに少年性欲の現れ方が微妙に異なる。
アニマは目くるめく変容し続ける。
考えようとすれば気持ちの悪いめまいに襲われる。

これはいったいどういうことか。

おそらく、わたしの少年時代に、
まだ気づいていいない何かが起こっていたのだ。

母に向かうことを禁じられたリビドーは、
激しく同世代の少女たちに向かってほとばしり立っていたのだ。
非在の母親像から剥離し、虚空に反転したアニマ像は、
同世代の10歳の少女たちの像と共振をはじめた。
このアニマ像と、少年性欲のこんぐらがりが
わたしのロリ人格の正体だ。
当然、アニマも少年性欲も同世代の少女たちに受け入れられるはずもない。
それらはからだの闇深くに潜り、
満たされぬアニマと少年性欲を抱いたまま深海魚に変成して生き延びてきた。
そしていまだにアニマと少年性欲を同時に満たしてくれる存在を求めてさまよっている。
そんな存在がありうるわけもないのに。
ありえないものだけを求めるわたしのかわいそうなアニマと少年性欲。
そして60歳になっちまったフィジカルなからだ。
混交する無数の少女や女性たちとの関係の記憶とそこから飛び立つ無限妄想、
ありえたことと、ありえなかったことが交じり合い共振する、
とんでもなく奇妙なキメラ状の生物がわたしのサブボディだ。
あまりの奇怪さに、もはや笑うしかない。

『言葉と物』の冒頭にフーコーがおいたボルヘスの笑いを思い出す。
ボルヘスのあるテクストを読みながら、フーコーは思わず笑ってしまったという。
その笑いから、『言葉と物』という大著が出生した。

「そのテクストは、「シナのある百科事典」を引用しており、そこにはこう書かれている。
「動物は次のごとく分けられる。
(a)皇帝に属するもの、
(b)香の匂いを放つもの、
(c)飼いならされたもの、
(d)乳呑み豚、
(e)人魚、
(f)お話に出てくるもの、
(g)放し飼いの犬、
(h)この分類自体に含まれているもの、
(i)気違いのように騒ぐもの、
(j)算えきれぬもの、
(k)駱駝の毛のごく細の毛筆で描かれたもの、
(l)その他、
(m)今しがた壷をこわしたもの、
(n)遠くから蠅のように見えるもの」


書き写しながらも笑ってしまう。
ここには近代の知性では思考しえぬものが詰まっている。
とりわけ、lその他の後に付け加えられているmとnがぶっちぎりに秀逸だ。
昔はそれを外在化していた。
こんな世界はシナの百科事典の中にしかない、と安心しきっていた。
若気の油断だった。
60歳になって、これとそっくり同じものが
わたしのからだの闇に存在している。
というより、からだの闇とはこういう非論理に満ちた非二元世界なのだ。

わたしのキメラ状の性欲、
万華鏡のようにブチギレながら回るアニマ、
今しがた関係の壷をこわしたもの、
遠くから蠅の群れのように見えるリゾームのわたし、

さてさて、誰がいったいわたしを起こした?


清火のブログ「カゼツレ」の「手紙」「馬鹿すぎて、夏」「僕が逃げたその先に」を読む

2009年8月1日

29時間目の男

わたしは普段から宵っ張りだが、
この夏休みに入って、小数のヒマラヤに居残った生徒と
気楽に今までやったことのない授業の実験をする毎日になって、
ますます、眠る時間が不規則になってきた。

若いころは家族みんなが寝静まる午前1時以降が自分にとって
まるでロース肉のように最もおいしい時間だった。
吉本隆明にならって25時間目のロース肉の時間と呼んでいた。

だが、この夏は25時間目どころではない。
午前5時過ぎになって、はじめて出てくる見知らぬ男がいるのに気づいた。
そいつは、とても私とは思えない発想をするので、興味深くて
そいつが出てくるのを待つ追っかけになって毎日夜更かしをしている。
からだも頭もへとへとに疲れきって、
ほとんど落眠寸前の正体不明のからだになって瞬間にだけ出てくる。
そして、思っても見なかったことを突然思ったりする。
教師人格などの主人格が強い状態では出てくることができず、
意識がほとんどなくなりかけたときにだけ、瞬間摩り替わる。

実は昨日、「からだの闇」に書いた
「生命記憶40億年の不思議」という文のなかで、


これまでも授業の中ではそういってきた。
だが、今日はじめて命の不思議さに感嘆した。
本当にそうなのだ、と。
本当に細胞生命の中に、それらのクオリアが生き生きと保存されているのだ。
そして時を超えて発現することができる。


と書いたとき、生まれてはじめて何かを信じたような気がした。
そして、その信じるということを、体験したのは普段のわたしではなく、
その29時間目の男だった。

私は物心がついて以来、何事かを信じたことは一度もない。
信じるということがどういう心の状態を指すのかも知らない。
私にとって意識とはすべての言説を疑うことであった。
3歳と7歳のとき、父母や祖母にだまされて、世界をすりかえられたわたしは、
それ以来、安心して眠ることも、大人たちの言うことを真に受けることも一切なくなった。
いつも大人たちの言葉の裏に隠されている、
<知らされないほんとのこと>が何なのかにだけ嗅覚を振り絞っていた。

とりわけ、何かを信じるということは、母が自分の不幸を救うために
新興宗教を次から次へと渡り歩き、
すがるようにそれを信じようとしている姿を目の当たりにしていたせいか、
<信じる>ということは、何か、まがまがしいトリックに
自ら進んで身を投じる行為のように感じられた。

いつごろから、そんなふうに感じ始めたのか、よく覚えていない。
わたしは、3歳から6歳まで毎朝祖母の唱える般若心経を子守唄替わりに聞いて育った。
いまでも般若心経は空で覚えている。
それは心地よい響きを伴っていた。
だが、父の女道楽に苦しみ、ずたずたになっていた母は、幼いころ私の手を引いて、
天理教や、そのほか名前が定かではない数々の新興宗教の教会に連れて行った。
私はいまでも
「悪しきをはろうて、助けたまえ、天理王のみこと・・・」という
祝詞を唱えるときの、くるくると手のひらを返すしぐさを覚えている。
子供心に、まるでマジックのように感じられた。
中学になって母が創価学会の信者になって以来、
毎日唱える「南無妙法蓮華経」という題目は、
また懲りずに新しい呪いを唱えだしたのか、としか受け取れなかった。

父母、祖父母ら、周りの大人を信じない。
教師の言う戦後民主主義の理想も信じなかった。
大人たちが信じようとしているものなど、信じられるわけがない。
というより、信じるという行為そのものが、
まがまがしい自己トリックとして幼児の心に刻み込まれていた。

<信じる>ということから、根本的に疎外されていた。
あらゆる人間関係を信じられないから、
愛も信じられなかった。
人を好きになったことは無数回ある。
だが、そんな気持ちは日ごとに変わる。
わたしは中学のころからずっと日記を書き続けているが、
日記に出てくる好きな女の子のイニシャルは、
まるでルーレットの回転盤のようにめまぐるしく変化している。
いつもでも続く心などない自分の中の事実にいやというほど直面していたわたしは、
いまだに自分の愛も、相手の女性の愛も信じることができたことはない。
というより、信じるという心の状態がどんなものか、一度も体験したことがなかった。
この春から夏、毎夜、若いころの<最低の自分>を思い出して真向かおうとしていたが、
付き合っていた女性と別れるとき、いつも相手の愛が永遠であるはずはないという
思い込みによって、相手を<不信>するしかなかった自分のどうしようもなさに気づいた。
その点ではいまだに私は最低の男なのだ。

ところが一昨日出てきた29時間目の男は、
なんだか一つ一つの細胞が40億年の生命記憶を持っていることを信じていたのだ。
言葉ではうまくいえないが、天地がひっくり返るほど不思議な体験だった。

だが、いまだにうまく思い出せない。
そのとき、命を信じていた心の状態をいまはうまく思い出せない。
信じるということはいったいどういうことなのか。
この問いは私の人生にとって最後の難題であるようだ。
もし、自分の生まれ育った履歴をすべて初期化することができれば、
信じるというこころの状態が、どんなことか分かるかもしれない。
万一そうなれば、私は人生に成功したと胸を晴れる。
あるいはこの問いは、最期まで持ち越してしまう謎かもしれない。
そうなれば、私は自分の履歴に最後まで振り回されただけの間抜けな男として死ぬ。
信じることのできる愛を体験することができるか否か。
今まではそう考えていたが、あるいは、愛ではなく、
命を信じることが鍵なのかも知れない。
29時間目の男は、その謎を残して立ち去った。
今夜も明け方まで待っているが、出てくる気配はない。



2009年6月22日

共振停止の瞬間

ヘビースモーカーがいざなう若いころの最低の自分の記憶が
次から次へとよみがえってくる。
20代のころ、私は当時住んでいた長屋の窓辺で仕事をしていた。
勤めていた広告プロダクションから独立し、
一人で仕事を始めたころだ。
その日はいつになく窓辺で難渋していた。
それまでは私はコピーライターとして文を書くだけだったのが
独立してデザインまで一人でし始めた。
新しい分野にはそれなりの未知の困難が待ち構えている。
おそらくなにかデッドロックにぶち当たっていたのだ。
そのとき、窓辺に近所のいつも酔っ払っている男が近づいてきて
何かわけのわからないことを話しかけてきた。
突然私は「今、仕事してんじゃい、あっち行け!」と怒鳴った。
普段はその男の冗談などに相槌を打ったりしてわたしが
突然そんな態度をとるとは、自分でも驚いた。
男も驚いて立ち去った。
あとに苦い悔恨のようなものが澱のように残った。
(これはいったいなんだ? なぜ突然怒鳴ってしまったのか?)
それは私がそれまで小手先三寸だけでこなそうとしていた仕事に
からだごと食われ始めた瞬間だった。
仕事をしていない人々に対して、
自分は誰かに必要とされている仕事をしている。
それだけ価値があるのだという幻想に囚われた。
そして仕事をしていない弱者に対する共振が停止した。
私の中から立ち上がってくる最低の自分とはいつも
人に対する共振が停止した瞬間の痛い記憶を伴っている。
私はやがて、20代、30代を通じてじょじょに仕事の枠組みを広げ、
広告のプランナー、ディレクターから、商品のコンセプトを編み出すコンセプター、
企業全体の企業戦略を決めるコーポレイト・コミュニケーターへと
どんどん心身丸ごと取り込まれていった。
その段階ごとに人としての心や、命としての共振力を失っていった。
もう事細かには書かないが、すべての共振停止の瞬間がよみがえってくる。
仕事が拡大するたびに膨れ上がる思い上がり、自惚れ、自我肥大、
仕事ができない同僚に対して麻痺していく思いやり、遠ざかり、
仕事相手の企業の担当者の機械になってしまった心、
それに対応するために鎧を着た金属になっていく心、
コンピュータの開発をする技術者のヒューマノイドになってしまった脳、
機械と付き合い機械に喰われていく心、
売るための商品の論理にしか共振しない心、
それらすべてと交わるごとに人の心からも命の共振からも遠ざかっていった。
驚くべきことにそれらの瞬間のかすかな痛みがからだの闇にひそんでいる。
耳を澄ませばありありとよみがえってくる。

どうやら、スモーカーがいざなっているのは、
自分の中で共振が停止した瞬間を掘り下げよということらしい。
2、3日前の「私が見捨ててきた命」でも、
人の死に対して共振できない私の心に焦点が当てられている。
最低の自分に真向かい、自分の中で共振が停止した瞬間を掘り下げていけば、
生命共振を回復する道筋がみえてくるかもしれない。
どうやら私の命はそこまで引っ張っていきたいようだ。
私がそれを見捨てれば私の命の希望はそこで終わる。
私だけは私の命にとことん付き合っていこう。
私の命ではなく、これは命そのものからの声なのだ。



2009年6月21日

私が見捨ててきた命


深夜遅くまでタバコを吸い、変成意識状態になってくると
思い出せない砂の国に沈んでいた最低のわたしがからだの闇から次から次へと立ち上がってくる。

17歳のとき、気がつけば隣に寝ていた祖父が目をむき、口から泡を吹いていた。
一目でもう危ないとわかった。
そばについていて、少し眠った。
次の瞬間にはもう息がなかった。
虚空を睨んだまま目をむいていたその目蓋を手で閉じ、
口元の泡を拭いた。
その経験以外人の死に目に会ったことがない。
人の死はいつも遠くで起こる。
小さいころ育ててくれた祖母は養老院でいつの間にか死んでいた。
踊りを始めてから母は肺がんになり、がんが脳中枢に転移した。
もう助かりようがないと観念して以来一度も会いにいこうとしなかった。
母の死に目にも会わなかった。
母が死んだ日練習場でひとり母の死を踊った。
いや正確に言えば踊ろうと試みたが踊りにならなかった。
いまだ母を踊ったことはない。
そのしばらく後、父の死を遠くで知った。
一人残された母の妹にも死ぬ前の数年間一度も会いに行かなかった。
一日も休まず踊りを追求していて
家族の死に目に立ち会う時間をとろうとしなかった。
誰一人の家族の葬式にも出なかった。
もちろん一度も泣いたことがない。
20歳前後のころ多くの友人が反戦運動、革命闘争の中で死んだ。
そのときも憤りが湧くだけで悲しみを味わったことがない。
私の心は人ではなくヒューマノイドになっていた。
姿かたちは人の格好をしているが人の心を無くしていた。
人の死に対して悲しみの感情がぴくりとも動かなくなっていた。

それがなぜ起こったのか、いままでいろいろな自己説明を試みてきた。
3歳で両親に捨てられたとき人生で味わう悲しみを飽和の量まで味わってしまったので
それ以上はもう受け付けられなくなってしまったのだ、
という説明がもっとも腑に落ちるものだった。
悲しみの予感がすると、心がギイという音を立てて活動を終わる。
心の動きが終わるという体験を何度もした。
命が自分を守るために心を動かすことを終わるのだ。
変に心が動いてしまえば命にかかわるほどの打撃を受けてしまう。
その恐れとともに生きてきた。
命にとって生き延びるために心を犠牲にするしかなかったのだ。
だが、この説明ですべての辻褄が合うわけではない。
まだ解けない謎が残っている。
スモーカーさんは、その謎に向き合えと告げているようだ。
だが、まだ糸口さえ見つからない。


非二元域という謎

上に書いたことは、あくまで言葉による仮説だ。
上の文の中の命という言葉を自我に置き換えることもできるかも知れない。
心を止めてまで生き延びようとしていたのはわたしの自我だったのかもしれない。
あるいは命だったのかもしれない。
まるで反対概念のように捉えてきた命と自我がここでは交換可能だ。
非二元の闇の中では反対概念と思われていたものもひとつに混淆してしまう。
わたしが降りていこうとしているのはこの非二元域という謎なのだ。
からだの闇の底にはことばも概念も届かない非二元の闇がある。

ここはいったい何なのか?
そう問うことさえ意味をなさない闇がある。

この状態を味わっていると、どこかアドレナリンの味がする。
極度のアドレナリンがからだに満ちて闘争状態のからだになり、
悲しみや痛みが感じられなくなる。
そういうことが起こっているのだろうか?
悲しみを味わいそうな予感がする瞬間、わたしのからだはアドレナリンモードになる。
単にアドレナリンだけではない。アドレナリンともっとほかの
未解明の多数の要素が組み合わさってこの状態が引き起こされるようだ。
カルシウムイオンも関わっているだろう。
カルシウムイオン濃度の波が脳内を通り過ぎることで
クオリアを保存している一定領域のグリア細胞が活性化される。
だが、この状態では悲しみのクオリアが保存されている
グリア細胞の付近にはカルシウムイオンが届かなくなるようだ。
何かの力によって悲しみのクオリアが発現しないように強力に防護されている。
上の仮説ではその見えない仕組みを命あるいは自我と呼んでみたまでで、
どちらも無意味だ。

非二元域にはことばが通用しない。
記憶の痕跡さえ残らない。
胎児が分娩時の苦しみを覚えていないのは、
エンドルフィンなどの強力な脳内麻薬が充満してすべてを忘れさせるからだ。
何が起こったのかわけがわからなくなる。
そこは非時非空の国だ。
多くの解離性同一性障害を持つ人にとって、
極度の惨劇に見舞われた瞬間のことが思い出せなくなるのも
分娩時同様大量の体内麻薬が充満してからだを非時非空に連れ去るからだ。
だが、命の痛みはこの非二元域のどこかに時を超えて封印されているはずだ。

根底的な創造が起こるときもこれに似た状態になる。
根底的な創造は命の非二元域で起こる。
そして非二元域の布置が大きく変わる。
指圧の底でも同じようなことが起こる。
眠っていた自己治癒力や原生力がよみがえってくるのは非二元域からだ。
いいことも悪いことも、恐ろしく多様なことが非二元域で起こる。
そこにはいい悪いの区別も、現在と過去の区別もない。
非二元域の謎。
どうやら私の前にたちはだかっているのは、これのようだ。
最低の自分も最高の自分も境界のない非二元域でひとつになっている。
ヘビースモーカーさんという60歳のからだにとって悪魔のような存在が
実は命からの大事なメッセンジャーだった。
創造も自己治癒もここで起こる。
命の傷も、傷からの回復もここで起こる。
ここには認知さえ届かない。
認知できない闇がある。
だが、それを察知する微妙な知覚のようなものがある。
矛盾を承知でそれを透明覚と名づけた。
名づけられないものをそう呼んだ。
名前などどうでもよい。
ただここへはからだで降りていくしかない。





2009年6月19日

生き腐れの瞬間

先月からまた、しぶとくスモーカーさんが訪れてしぶとく滞在している。
30年の禁煙期間を越えて、ここまでしつこくたち現れるのは、
なにか重要なことを気づかせようとしているに違いないと受け入れてきた。
少し前に、喫煙していた20代、30代の頃の
最低の自分に真向かえということかと気づいた。
わたしはその頃の自我に囚われて周りの人を傷つけ続けていた自分のことを
すっかり思い出せなくなってしまっていた。
10代の政治運動家時代、
20-30代のコピーライター時代、
30代のトライアスリート時代、
40代の舞踏修行時代、
50歳前後の世界公演時代、
そして50代からのヒマラヤ時代と、
あまりに異なる世界から世界へと脱皮するように転生してきたので、
一時代もふた時代も前のことは自分のことのようには
思い出せなくなっていたのだ。
完全な記憶の解離が起こっていた。
だが、そこにはまだ解かねばならない課題がひしめいている、
スモーカーさんが伝えようとしていたのはそのことだった。

今日、30代の頃、自分が仕事に囚われて生きたまま腐っていった瞬間が
ありありとよみがえった。
全然忘れてなんかいなかったのだ。
ただ、何かによって封印されていただけだ。
広告のディレクターとして、あるがままの現実を商品の広告に都合のよいように
虚偽のアレンジをして見せる技術を身につけた瞬間だった。
その瞬間わたしは生きたまま腐ったのだ。
そのときの腐っていく感覚を切り捨て無感覚になった瞬間の体感を
からだが覚えていた。
住宅の広告だった。
新居を建てた家族を訪問して、見せ掛けの家族団らんを演出した。
親子二世代が一緒に住んでいる家族に、
ベランダでピクニックのように一緒にお昼を食べている絵を演出して写真に撮った。
「家族を幸福にする家」という私のコピーを絵にしたのだ。
あとからその家族から不自然な演出をされたと苦情が来た。
だが当時のわたしはその家族の不快感を理解しようとしなかった。
家族の真情より、商品広告の論理を優先させても
心が痛まないまでに腐ってしまったのに
それに気づくことができなくなった瞬間だった。
年若い頃のわたしは新聞テレビの世界が
現実よりも華やかに色づけられた虚偽の世界だということを
はっきり自覚していたのに、
自分がその虚偽に手を貸していることを忘れるような
神経麻痺に陥った瞬間だった。
だが、それから30年たった今でも命にはその瞬間の
生き腐れの痛みが刻み込まれていたのだ。

これは一体なんだろう?
何を告げようとしているのか?
しばらくもっと味わってみよう。
こういう生きたまま腐っていった瞬間の記憶が
まだまだからだに埋もれているかも知れない。
おそらく今もあの社会の中では当時の私のように
日々多くの若者が生きたまま腐っていっている瞬間を越えているに違いない。
生き腐るとはどういうことなのか?
人を生きたまま腐らせる社会とは何なのか?
自分が生きたまま腐っているのにそれに気づけない自我や意識とは何なのか?
どういう仕組みによってそういうことが可能になるのか?
最低の自分を掘り起こし真向かうことで、そのことにどう関われるのか、
ヒントが出てくるかもしれない。



2009年5月13日

脱皮という生き方

サイトで、孵化や脱皮の写真を集めて
メタモルフォーシスの先生として共振塾ジャーナルに掲載した。
昆虫や魚、両生類などを採集して飼育することに熱中していた
小学生時代や20ー30代の子育て時代を思い出した。
蝉や蝶の羽化の瞬間、魚が孵化する瞬間ほど感動的なものもめったにない。
合計何百時間もそれらの瞬間をうっとりと眺め続けていたことだろう。
それらの写真を眺めているうち、ふと私はこれらの小さな生き物たちに
ずいぶん大きなものを学んでいたことに気づいた。
人間も脱皮することができるのだという信念だ。
両親に打ち捨てられると、世界も自分もまったく変わってしまう。
無数に体験した引越しや転校の度にも新しい自分になってきた。
小学校から中学に進学するときも、中学校から高校に進むときも
私はいつも全校からただひとり遠く離れた別の進学校に行った。
そのつど私は別の自分に脱皮し変成してきた。
極度の引っ込み思案だった子が、
人前でマイクを握ってアジテーションをする青年にまで変わっていった。
30代でトライアスロンをはじめたときは
それまでの思想的な友人関係を投げ捨ててただの肉体になった。
踊りを始めたときは、仕事もスポーツの仲間もすべて捨てた。
世界で踊り始めたときは、京都で支えてくれていた心温かい友人仲間も
持っていた何千冊の蔵書も5冊を残してことごとく捨てた。
自己とはそのまわりの世界との関係パターンの総和に過ぎないことを
それらの体験から学んだのだ。
捨てられることによって自分が変わった体験は、
自分からそれらの関係をごそっと捨てることで、
世界も自分も変わることができることを教えた。
いったい何度私は脱皮してきたことだろう。

数え切れないが、大きな転換だけでも、
1. 乳児期の母親との世界
2. 3歳―6歳の和歌山での祖母との世界
3. 7歳―12歳の母親との海南市の小学校時代
4. 13歳のときの父親の女の芸者さんの家での暮らし
5. 14歳から15歳の大阪での中学校時代
6. 16歳から20歳の学生運動の世界
7. 21歳から30代にかけての家族づくりとコピーライターの時代
8. 30代から43歳までのトライアスロン時代
9. 44歳から48歳までの京都での舞踏修行時代
10. 49歳から52歳の世界ツアー時代
11. 53歳以降今日までのヒマラヤ共振塾時代

なんとこれらの時代のすべての移り変わりごとに、
私はそれ以前の関係の総体を切り捨て別れてきた。
各時期にまたがって付き合い続けた
対人関係はごく少数で一人か二人に過ぎない。
同性異性を問わず関係の総体を過激なまでに一気に脱ぐこと。
これが私が身につけた脱皮という生き方なのだ。
人と別れるるつらい思いもずいぶん味わったが、
脱皮の痛みは瞬間に過ぎない。
それよりもそのたびに新しい自分になれることの歓びのほうが何倍も大きかった。
各時期ごとに対人関係がごっそり変われば、私の発現する人格もころっと変わった。
前時代の記憶がザアザアと消え落ちるに任せて、
爬虫類に劣らないほど十数回も脱皮を重ね、そのつど昆虫並みの変態を遂げてきた。
最近でこそかなり記憶が戻ってきたが、
脱皮直後の数年間は、前の時代のことをすっかり忘れ、思い出すこともなかった。
思い出そうという気も起こらなかった。
そうしてもまるで他人か遠い前世のことようにしか感じられなかったからだ。
これが私の解離性人格障害の背景要因のひとつなのかもしれない。
行動的には解離性遁走という症状にも似ている。
遁走をしでかすのはいつも私の主人格ではない誰かだった。
ただ、そいつの勢いはとてつもなく強く、ほかの人格がそれを止めることはできなかった。
ただ、私の中のすべての分身がそいつがとんでもない方向に走り出すのを
(仕方がないなあ)という面持ちで消極的にだが支持していたようにうっすらと覚えている。
そういう意味ではすべてはリゾクラシーで決まってきたようにも思える。
いい悪いの問題ではない。
人に勧める気もない。
ただ、このようにしても人は生きうること。
自分を編みなおし、刷新できることは、伝える値打ちがあることかも知れない。
それまで持っていたものすべてを投げ打ってヒマラヤに来たことで
それまで何十年も自分のからだの闇に眠っていた創造的な下意識を
はじめて開くことができたのだから。
私にはこの生き方しかありえなかったのだと思う。





2009年5月4日

アニマ、アニムスからいかに自由になるか

私にとって、これが人生最後の問題だと長い間思ってきた。
私をもっとも抵抗不能な力で翻弄し続けてきた相手だからだ。
それが今朝、かつて付き合ったことのある女性が関係不能症になっていて、
その理由が彼女がアニムスに囚われていることを自覚できないからだ、という夢を見た。
その夢を寝床で思い出しているうちに、これまでの自分や私の関係の相手が
どんなふうにそれぞれのアニマ、アニムスに囚われていたかがいきなり透明に見え出した。
腰が抜けるほど驚いた。
人生最後の問題だと思っていたのに、それが解け出してきたからだ。
そうだ、そうだったのか。
関係がうまくいかないときはいつもどちらかのアニマ、アニムスが
実際の関係の中に割り込んできていたのだ。
私はことごとくの愛の失敗者だった。
その原因は、アニマ、アニムスが関係に割り込んできていることを
透明に見透かすことができず、ただそれに振り回されてしまっていたからだ、
ということにいきなり気づいてしまった。

それも、朝のほんの十数分のうちにすべての関係へのアニマ・アニムスの割り込み構造が
ほとんどすべて透き通って見えたのだ。
次のごとくだ。

だが、その前にユングが発見したアニマ、アニムスとは何かを手短かに紹介しておこう。
私自身長い間誤解していたし、実際、とても複雑なものなので、
誤解は必須だといっていいほどだからだ。

アニマとは、男性の中にひそむ女性的な要素であり、
アニムスは女性が秘め持つ男性的な側面である。
まず、この第一の定義をはずさないことが重要だ。
そののち、この秘められた異性的な側面が、幻想の中で理想の異性像に育っていく。
人の魂は生涯、理想の女性像を求めて、幻想の中をさまよい続けている。
アニマゆらぎと私は呼んでいる。
私にとってもっとも深い、人生の慰楽だ。
たとえ、現実に誰かと関係していても、たえずこのアニマを探してゆらぎ続ける幻想過程も休むことなく働いている。
そのため、この幻想の中の異性像が、現実の関係の中にしばしば強引に割り込んでくる。
そのプロセスはすべて無意識裡に進むため、最初は何が起こっているのか、なかなか気づけない。
それを解くには、フロイド、ユング、ミンデル、その他が取り組み発見した
転移、投影、ドリーム・アップなどの複合的な対人関係現象を探求しなければならない。
クオリアは常に時を越えて共振している。
アニマ像もまたクオリアだから、現実と幻想の二重性の中で震え続けているのだ。
転移や投影は、病的な現象でも特別のものでもなんでもない。
クオリアの現幻二重性非空非時性はクオリアにとっては自然な生理のようなものだ。
だが、それを透明に見透かせないと、とんでもない囚われに陥る。

アニマ、アニムスは、自分の中の異性的側面だと書いた。
同時に理想の異性像であるとも書いた。
それはどのように生成してくるのか。
それは実に多様な共振の中で生まれてくるが、
もっとも大きな要素は、最初の異性である、父あるい母との関係である。
だが、直接の関係だけではない。
むしろ現実ではない幻想過程のほうが重要な要素をしめる。
不在の父や母との関係といってもよい。
ここでいう幻想とは、現実の諸経験の中で生命が感じるクオリアのことを指している。
生命の感じるクオリアは、現実の三次元空間や四次元時空ではなく、
非二元・多次元の高次元異世界で生成している。
このこともまた、きっちり押さえて置かなければならない。
私がアニマ・アニムスを解くのにこんなに60年もの時間がかかったのは、
この非二元多時空世界の論理を見つけるのにことのほか手間取ったことによる。

人はみな、自分の両親について多様な像を持っている。
実際の母親父親についての記憶はすべて、彼らに関する幻想的なイメージと共振している。
いいお母さん像、いいお父さん像、通常母親イマーゴ、父親イマーゴと呼ばれるものだ。
そして、その反面、悪いお母さん像、悪いお父さん像ももつ。
アンチ母親イマーゴ、アンチ父親イマーゴと呼ぶこともできる。
だが、実際のイマーゴは、肯定的なイマーゴとアンチイマーゴとが混合一体化したものである。

たとえば、私のアニマ像は、一見母親とはまったく別の、透明な少女像としてやってくる。
それは成熟した女性であった母親を憎み、否定して生成したアンチ母親イマーゴである。
だが、同時に、母親をより理想化した諸要素をももつ。
理想化とは現実の母親に対する肯定であると同時に否定でもある。
イマーゴは否定かつ肯定という両義性を持つ。
というより、否定だの肯定だのという二項論理を使っていては
クオリアについていはなにも捉えられない。
実際には肯定でも否定でもなくそれらの混合クオリアが非二元・多次元の中で共振し、変容流動している。
ただ、言葉はすべて二元論に囚われたものなので、とりあえず、
無理を承知で二項論理言語を使っていることをご承知いただきたい。

アニマ、アニムスはこの理想の父母のイマーゴと、それを反面教師とした
アンチ父母イマーゴの両方との共振のなかで生み出される。
ここが、実に奇怪なほど複雑で、見落としやすいが、かならずその両義性をもつ。
というより、イマーゴ自身が現実の母親父親ではない、幻想のものなので、
現実の父母に対しては、かならず、現実の父母に対する否定の要素を含むものだ。
クオリアの世界は、肯定と否定が混合し同一化している非二元世界である。
イマーゴは、現実の父母に対する過剰な肯定と否定の混合の産物なのだ。
先に書いた非二元多時空世界では、二元論的な低次元論理はまったく通用しない。
それを適用とすればかならず、捉えそこなう。
むしろ、部分即全体、肯定イコール否定、自他一如、心身未分化、といった
日常界ではとんでもない非論理とされるものが、そこではより的確な論理である。
二元論的なツリー論理に対し、非二元・多次元のリゾーム論理の使い手にならなければならない。

そして、これらのイマーゴやそのほかの要素からくる女性像・男性像が、
時に触れ、実際に関係している異性との現実的関係の中に無意識裡に割り込んでくる。
これが転移や投影、ドリームアップだ。

男女が自分の関係相手に、無意識裡に自分のアニマあるいはアニムス像を投影し、
相手がそれに即応してくれないと、相手に失望したり、腹が立って非難したりする。
女性にとってのアニムスは、ユングが解明したように、
その女性が女性としてもっている感情的感覚的側面とは正反対の
男性的、論理的な側面として出現する。
女性が付き合っている男をいわゆる正論的論理で非難するのは、
彼女がアニムスに囚われているときである。

たとえば、私はある女性と長年付き合って、結婚してもいいと思うようになっていた。
だが、いよいよの段になって、女性は彼女が理想の男性的あり方と考えている
結婚の手順を踏むように私に迫った。
自分の結婚の相手は、それまで彼女を守り育てた父親に対し、正々堂々と
「娘さんをいただきたい」と申し込み、彼女を父親に庇護される存在から、
結婚相手の男性に庇護される存在へと連れ去ってくれるものでなければならないと考えていたのだ。
それが彼女の理想のアニムス像だった。
今の日本ではごくごく普通の結婚観であるかもしれない。
だが、わたしはそういう男性像は彼女の生きた心ではなく彼女が囚われている既成の価値観に他ならないと感じた。
そういう白馬に乗った王子様のようなアニムスに連れ去られることによって人生が展開すると考えるのは、
古臭いアニムスに囚われた女性像だ、それから脱皮してほしいと願った。
そのとき私は、常にこの社会の規範に恐れず立ち向かい、自分が信じる新しい女性像を創造しようと生きた
(と私が理想化している)母親イマーゴと共振しているアニマ像を彼女に投影し、
それにふさわしくないと失望してしまったのだ。
まさしく、現実の関係に、互いのアニムス、アニマ像が強引に割り込んできて関係を破壊しにかかったのだった。 
関係の相手である私に対し彼女のアニムスである王子様役やパーフェクトな指導者像を押し付け、
それに応じられないと見るや「人間失格」というような言葉さえ使って相手をなじり始めた。
それに私のアニマ像が反発し、亀裂がますます広がった。
関係の主役が彼女と私ではなく、アニムスとアニマにすり替わって格闘していた。
今だからこう言えるが、そのとき私はそういうアニマ、アニムス過程が割り込んできて
現実の関係を邪魔しているのだということにまったく気がつかなかった。
もしそれに気づいていれば、何とかすることができたのかもしれない。
だが、気づいたのはそれからずっと時間が経ってからだ。
そのときはただ、互いのアニマ、アニムスが暴威を振るうがままに翻弄され、なんとなくそぐわなくなって、
当然のことながら、その結婚話は頓挫した。

また別の女性との場合。
そのひとは普段は感情的に豊かな人だったが、
ときおり、彼女が感じるこの世の不正・不条理と闘う理想像を私に求め、
私が応じられないと人が変わったように頑固になり腹を立てた。
彼女はラジカル・フェミニストの論理にとりつかれて鬼のように私を責めはじめた。
この世にポルノが存在するのは女性を商品化する悪だ。
お前はなぜ、この世からポルノを撤廃する闘いをしないのかと、私をなじり続けた。
そのときも、わたしは彼女が自分の理想とするアニムスにとりつかれて、
それに即応しない私に対して腹を立てているのだということを、透明に見透かせなかった。
私は最初は彼女の言うことは何でも受け入れようと、サンドバッグ役を買って出て、
殴られるにまかせたが、いつまでもただサンドバッグとして殴られ続けるのに疲れていった。
そして、この世にポルノが存在するのはおれの責任ではない、
おれはポルノを撤廃するためにこの世に生まれてきたのでもない。もっとやりたいことがほかにいっぱいあると、
彼女のアニムスの論理に論理で対抗してずいぶん論議した。
だが、女性の中のアニムスの論理は、ただ正論だと強く信じられているので、議論などでは揺るぐものではない。
とうとう、彼女のアニムスとの味気ない論議に疲れた私は、別れるほかなかった。
そのときも、私は私で、彼女に投影していた透明な少女像という私のアニマ像が、
期待を裏切られ、失望するという、プロセスを踏んでいたのだ。
二重のアニマ、アニムスの投影合戦になってもつれてしまえば関係は崩壊するしかない。
もし、二人で互いの投影を透明に見透かし、それから解放されることができなければ、だ。
だが、そんなことが歳若い私たちにできるわけもなかった。
上に書いたプロセスは、それ以後何十年もたってからはじめて見えてきたことなのだ。

私があまりに深くアニマ像の囚われから、脱け出せなかったのは、
私の場合、母はひとりではなく、母親イマーゴが実母と祖母とに分裂していたことにもよる。
3歳で母との原初的一体世界から引き剥がされて祖母のもとで暮らし、
7歳以降、それまで暮らしていた祖母との世界から無理やり引き離された少年期の私は、
祖母こそが本当の母で、実母はニセの母であると感受していたところがある。
長い間母を憎んでいた。いや、愛しているのだか憎んでいるのだか自分でもよく分からなかった。
愛と憎しみがひとつになったやりきれないこんがらがりの中に囚われていた。 
母親イマーゴも、母のイマーゴと、祖母のイマーゴに分裂、交錯しながら生成している。
アニマ像にも、母親イマーゴと、祖母のイマーゴが混在して、あまりに深い不透明さに閉ざされていた。
現実に結んだ女性との関係の中に、それらがどう割り込んできていたかも、なかなか簡単には解明できなかった。
だからこそ、生涯をかけてその深い霧を晴らしたいと希求するようになったのかもしれない。

私のアニマは、女性にグレートマザーのような圧倒的に強力な不変の愛を求め、
それに愛され食べられてしまってもいいという側面と、
それと正反対の純粋無垢かつ未成熟な処女的透明性を求めているという両義性を持つ。
その両義を満たす存在などありえないのに、それを求めつづけ、
それを満たさなければ関係の相手として失格していると受け付けられないという無茶苦茶なものだ。
その不可能性の闇こそロリというもっとも昏いアニマの正体だ。

昔に比べれば少しは霧は晴れた。
いままで見透かせなかったアニマの割り込みがずいぶん見えてきた。
それだけでも大きな前進なのだが、晴れればいっそう暗くなるのがからだの闇だ。 
アニマは幻想的なクオリアだけではなく、からだのプロセスと密接にかかわっている。
アニマ酔いが私にとってのもっとも魅惑的な悦楽であるという囚われを解くにはそこまで降りなければならない。
アニマ幻想のクオリア性と、性欲やつながり欲、そしてそれを規定するホルモンや神経伝達物質の傾性といった
深く身体内部で進行しているフィジカルな過程との相互作用として総合的に解かなければ解いたことにはならない。
また、踊りのなかでそれらをどう創造に生かせるのかも大きな実践的問題だ。
もともと、今朝の夢は、数日前、長年実現したいと思っている透明デュエット
(既成の男女元型や恋愛典型などに囚われない生命のデュエット)の創造技法を発見したのだが、
その中で、アニマ・アニムス問題を解かねば、これ以上深められないという課題にぶつかった。
これに対して、サブボディさんが取り組みを進めてくれたのが今朝の夢に出てきたものだ。
これらについては、もう少し準備が整ってから稿を改めて書くことにしよう。

(この記事は、多重日記とからだの闇の双方にまたがるので、
両方に載せています)


2009年4月29日

父母未生以前の吾

夏目漱石の記す禅の公案に、
父母未生以前の吾
というのがある。

この公案を中学のときに知って以来、長い間うまく受け止められなかったが、いまではすんなり分かる。
私たちの命が、個に属するものではなく、父母未生以前から延々と続いているものであること、
個人の命は40億年の歴史をもつ生命の潮流からほんの一時だけ借り受けているものであるにすぎないという
深い真実へいざなおうとしているものだったのだ。

昨日神戸に住む弟から父母の写真と兄弟の写真が送られてきた。

ところで最近、母の遺品を整理していたら、
古い写真が出てきました。
Leeさんに役立つかどうか知りませんが、
お送りします。

父母の写真の裏面には、

「23.1.15
青い鳥が私達の頭上に飛んで
毎日 夢のような日々でした
三年後は如何に?
立身二十六才
喜久子二十三才」

と書かれています。

母は、幸福の中にある「不安」を見つめていたのでしょうか。
胸が痛くなります。


昭和23年1月23日というと、私の誕生日の9ヶ月前だから、
ここに写っている母の胎内にはすでに妊娠1ヶ月の胎児の私がいることになる。
漱石の公案とは少し違うが、
自己未生以前の父母、の写真というわけだ。
それをみていると父母のクオリアと響きあっているからだの闇のクオリアが大きく波打ち始めた。

父は戦争から帰って3年目、母も満州から引き上げてきて父と見合いし、結婚した。
この父母の写真は生まれてはじめてみた。
若い父はずいぶんイケメンさんだ。
「青い鳥が頭上に飛んで、毎日夢のような日々でした」と
母が浮かれているのもよく分かる。
そして、「三年後は如何に?」
という23歳の母の不安も的中した。

私には一歳年下の腹違いの妹がいる。
会いたいと思い続けたが会わないままお互いに人生を終わろうとしている。
父が新地の女性との間でつくった子供だ。
一歳年下ということは、私が母の子宮内でまどろんでいたころ、
父はすでにその女性との関係を始めていた可能性が高い。
私は何度も何度も母の子宮内にいたころの胎児の自分の記憶に成り込んで踊ってきた。
夢のような日々から、突然裏切られて転落した母の怒り悲しみはいかほどのものだったろう。
私のからだの闇には根拠不明の激しい怒りやもやもやしたものがひしめいている。
それが、母の胎内にいたころに嘆き悲しむ母から流れ込んできたアドレナリンをはじめとする
嘆き悲しみ怒りのホルモンの奔流を存分に浴びたことからくるものだと理解することではじめて納得がいくものだ。
見かけ上の平穏はいつも底板が抜けて異次元の闇に転落する。
それが胎児期以来の私に刻み込まれた根源的世界像だ。

私を妊娠中も、生んでからも母は女関係に走り続ける父と自分の運命を呪い続けた。
おそらく、平穏に子育てなどできる心身状態ではなかったに違いない。
突然暗転した運命を呪い、そこから逃れるためにありとある新興宗教に走った。
天理教、共産党、そして最後は創価学会の熱心な信者となった。
母はいつも自分の元にいないで、どこか遠くを見つめていた人だった。
救いを求めないでは生きられなかったのだ。

ところで、今の私はそんな父母に心底感謝している。
そういう胎児期以来の未曾有のごたごたのクオリアこそが
いまの異次元開畳にこだわる奇妙な私をつくってくれたからだ。
幼いころに母に捨てられ恨んだ心は、
去年60歳の誕生日に母を踊ったことですっかり消えた。
母を傷つけ続けた父を恨む気もない。父の行動もよく分かる。
戦争でどんなふうに父の心が壊れたか、私は知っている。
満州にいた初年兵の父らを残して、敗戦の情報をいち早くつかんだ軍の上層部が逃亡し、
迫りくるソ連兵を前に初年兵らだけで残された女子供を守りつつ殿戦を戦わなければならなかったこと。
その体験から、船長というのは、船が沈むときは自分も一緒に沈まなければならないのだ、
という倫理を父は幼い私に伝えた。
軍の上層部に対する不信は、戦後の日本社会に対する不信ともなり、
戦後すぐ国鉄の労働組合の革命的な組織に属した父は2.1ストを準備した。
だが、日本ではじめてのゼネストの試みはマッカーサーの命令で中止された。
結婚し、私をつくったころの父は、戦争にも革命運動にも挫折したぼろぼろの心身だった。
世界に何度も裏切られた男は、あとはもう女に走るぐらいしかできなかったのだ。
からだの闇の最奥の闇は性の闇だ。父も母もそこで没した。
母の性の暴暴の闇についてもいつか書くつもりだが、今日は紙面が尽きた。
父母が生きた性の闇が、私のからだの闇とも、いまだに共振し続けている。
ここまで深い闇に直面させてくれる父母はめったにいない。
かれらは社会の倫理道徳などに囚われることなく、ただまっとうに命に忠実に生きた。
時代社会におもねることのない反骨精神は父母の生き方そのものから受け継いだものだ。
こんなかけがえのない大事なものは、父母がいなければ誰からももらえなかった。深謝!
父母よ、やすからに眠れ。
あなたたちの生はしっかりと受け継いでいます。



2009年1月5日

幻の少女との対話・その3

自分の中の解離し分裂した二つの人格傾向が人生の各時期に交替して現れていることに
はじめて気づいたのは20代終わりのころだ。
その頃は解離性同一性障害などという概念もなかった。
これは、いったい何なのだ? 
それを解こうとして、Sの私と名づけたストイックな私と、
快楽のままに動くエピキュリアンの私(Eの私)との間での
自己コミュニケーションを試みる文章を書こうとしていた30代半ばのころの記録だ。
だが、書く世界では私は完璧に挫折した。
書こうとするものが、言葉になったとたんに別物に変容してしまう。
からだの中でのたうっていたはずのものが姿をくらまして消えてしまう。
それは絵にも描けない、音楽にもならない、当時の私にはどうしても捉えることのできないものだった。


自己コミュニケーションなんていってくれるけどね。

――おっ、いきなり中心に切り込んで来たね。

あんたのは、自分の辻褄を合わそうとしてるだけじゃない。
自分のご乱行や破綻や失態の、引き金を引いたのはこれこれの幼年期のトラウマであり云々と、
何とか自分は身をかわそうとしているふうに見えるわ。
――いや、俺にはその自分ってやつが捉えきれないんだよ、だから、…
どんなふうに?
――どんなふうにって…、自分の性の、後暗い、…
知ってるわよ、私を抱こうとしてたことくらい。
で、私が抱かれていれば、それは私に魅力がありすぎるからだなんて私が取り違えていたと思う?
女もそれほど馬鹿じゃない。
いつなんどき、いきなりあんたからあんたの性が立ち昇ってきたとしてもね、
ちゃんと太古からの男の女に対する衝動の積み重なりが、
いまこう現れているんだって、透かし見えるわ。
健康でも不健康でもないことよ。


また別の夜。…


とても淫靡だわ。あなた。
なによ、エピキュリアンの私とストイックな私とが分裂してるなんていんちきな仮説。
TPOに応じて下手糞な一人二役をやってるだけじゃない。
おまけにSの私はEの私をなじる検察官であると同時に、
女に対しては何もいえない唖のEの私を代弁する弁護士役をも買って出てるなんて。
見え透いてるわ。
その手でこれまで女を騙してきたのよね。
よおく分かった。もうその手は食わないわよ。

EのあなたもSのあなたも二人そろってあさましいのよ。
どっちもどっち。肉も魂も救われたいなんて、いけずうずうしいったらありゃしない。
二人手をたずさえて天国へ往ってしまったら?



私がいってあげよう。あんたに見えないものをちゃ。
浅ましいわ。私も。あんたの浅ましい魂胆に乗っかろうとしたんだかんね
。同じことよ。あんまり気にしないこと。

わたし、どうしたのかしらね。あんたの浅ましさに感染しちゃったんだろうか。
私にも欲望は生まれる。充足を求めてのた打ち回るやつがね。
                          どう? 安心した?
あんたのせいじゃないわ。気にしないことよ。
欲望はいつもあさましいものなのよ。
どうしてこんなものついてまわるのかしらね。



あんたはね。…性の戦士になるのが性に合ってるのよ。
(せいぜいのところ)
あんたはせいぜい性の戦士になれるだけの男なのよ。
――見限ってくれたね。よくもよくも酷薄に。



あんたという性のくらがり。
――おっ、愛する人!
ふざけないで。私がそのくらがり道に迷い込んでどんなに途方に暮れたことか。―― ……
言ってやろうか。あんたの前で私の性は開花しなかった。
そんなこというならぼくだってだよといいたいんでしょ。
ちがうわ。
涙にじむほどのことだけど、それは違う。
あんたは、私でなくっても暗がりのまま。暗がりに閉じ込められたままの暗がりの人だったと思うわ。
――かも知れないな。ご正解!というべきだろう。
あんたはその暗がりから出ようとしない。口先ではいくら言ってもね。
自己安住してるのよ! あんたの大嫌いなことばでお返しさせてもらうとね。
――自己安住?!
そうじゃないの。
あんたには居心地がいいのよ。その薄汚さが。
―― ……
黙るなよ!
――問い詰めてくれるんだね。いいよ。今日という今日は。存分にやってくれ。
そうよ。あんたのアニマも殺してあげる。
――できるもんか。
消してほしくないんだといいなさいよ。
その幻なしには生きられないんだって。弱弱しく嘆願しなさいよ。
――ご冗談を。そんなものを生きてるんじゃないよ。俺は…
お仕事を生きているんだって言いたいんでしょ。
永遠に仕上げられることのない お・し・ご・と?
――ぶちのめすつもり?
あんたがよくやったようにね。
――死ぬもんか。
当たり前よ。これぐらいで死なせてたまるか。
――マゾヒスティックな気分にさせてくれるなあ。
逃げるな。あんた。やられっぱなしのひと。
――逃げ道がないのは知っている。
やられっぱなしだということも知っている。知っていても何の役にも立たないんだ!
いまのままではね。
――じゃあ、これ以外のありようが俺にあるっていうのか?
見下げた人ね。教えてもらいたいの?
――きみは、きみは何だってんだ。
私は私の悲しみ。この悲しみを抱いたまま生きて死ぬ。それでいいの。
――俺だったらごめんだ。
なら、そのごめんじゃないを生きなさいよ。
――ありえらたね。…
ああ、もう!心底まで腐ってしまったの?
―― ……
そうなの? ほんとにそうなの?
――どんな可能性があるんだろう。…うた…
唄? ノーノー。あんたは唄えないうたうたい。
――え…
絵? 自分を台無しにする色しか知らないくせに。
――狂ってみせよか。
ほんとの狂気を知ってるならね。踊って見せてよ。
――お前だけを生きろって言うの?
それはあんたが決めること。
――生かしてくれるの?
たぶん殺してはあげる。
――滅びるしかないか。
でも、滅びるなら、どうせ滅びるんなら、この世のまがいもののすべてと心中したいな。
まずしい人ね。
――貧しさと汚さと低さ、そして卑しさだけが俺の真の所有物。
この期になっても他人の口真似しかできないの?
――空っぽ?
そうね。空っぽ。人間の抜け殻。ふぬけ。


幻の少女との対話の中で,
少女は架空の恋人から精神の娼婦から妻から女友達から大審問官のような存在にまで変容して荒れ狂う。
はじめは処女のごとく、なかばで娼婦になり、終わりは脱兎のごとし、いや大蛇から龍にまで変幻する。
安珍清姫の物語。それが私の女性観の元型になっている。
私が付き合った女性は必ずその変幻をたどった。
いうまでもなく、私の女性観の元型が彼女らをそう仕向けたのだ。
この女性元型と闘い、そこから解放されない限り、私は愛することから疎外され続けるしかない。

最後に少女が私を私の空っぽさにまで追い詰めて言う。

踊って見せてよ。

今日書き写すまで気がつかなかったが、その言葉が私を踊りの世界に突き出したのかも知れない。
この対話は踊りをはじめるより十数年以上も前のものだが、
その頃から私のサブボディは踊りへ私を押し出そうとしていたのかもしれない。

今なら、20代から30代の時期の、自分にとっての謎を言葉やその他の手段で
何とかつかもうとしていた努力がいかに無駄だったかがよく分かる。
なぜ踊りしかなかったのか、が。
からだの闇でのたうっているものを捉えるには、それにからだごとなりこむのがもっともいいのだ。
からだは意識からもっとも遠い媒体だからだ。
言語はもちろん、絵や音楽でも意識が勝ちすぎる
。意識で判断したとたんに二元世界に引き下ろされつまらないものに変質する。
このからくりが解けたのはようやく50代になって自己催眠を身につけ、
下意識の多次元変容世界と、日常世界の四次元に制約された世界との違いに気づいてからだ。
この頃は日常的現実以外の世界があるなどとは想像もつかなかった。
わたしが育った近代文化は、合意的現実以外の世界を全否定する貧しさに囚われていた。
そしてみんながそれに囚われているから、囚われていることにさえ気づく余地がない世界だった。


2008年12月28日

幻の少女との対話・その2

私は小学校六年生のときから、ずっと日記を書き続けてきた。
ノートの延べの厚さは2メートルにもなる。
だが、当時の未熟な自我や鬱屈する自己が書いたものは、
惨憺たる意識の錯誤に満ちていていまになっては無惨で読み返すことができない。
それに反して、20代からつけ始めた夢日記は今でも十分興味深く読み返せる。
読めば読むほど、夢の不思議な創造力に驚かされる。
また、目覚めているときのノートでも「水文字」と題された、
酔いの変成意識の中に訪れてくる幻の少女との対話も何冊か残っている。
これは、今のサブボディとの交流に似て、下意識状態での出来事が記述されているので、今読み返しても新しい発見が相次ぐ。
今日はその2。日付をつけていないが、やはり30代はじめのころに書かれたものだと思う。



なにか、いいたそうな感じね。それも、私にしかいえないこと。…
――うん。文章を書いてみようとおもったんだけど、何とも自分の文体がそぐわなくてね。
それでまたぞろわたしをよびだしたってわけ。
いいわよ、きいてあげる。ううん。きかせてちょうだい、あなたがどんなふうになったか。
――ううん、うまくは言えないんだけど、なんか自分が解(ほど)かれていったみたいなね。
白昼夢?
――うん、それみたいなもの。でも、せっかくその解かれようを書こうとしても、なんだか書くことばってのは、それをもいちど結んでいくみたいな感じになっちゃって、止めたんだ。
こわいんじゃないの?
――かもしれない。ことばにのりうつったまま、往ったきりになっちゃうかもしれないというこわさはある。…
いったいどんな感じなの?
――……
うん。……
――まあ、醒めて夢見てる、ってことみたいなんだけど。
そんな言い方しないで、どんなかんじなんか、言って。
――いいかい、すごく怖いんだよ。
いいわよ。いい、のよ。
――ほら、みんなのし紙つけて、紅白のヒモに結ばれたお中元品みたいな感じになってるとき、あるだろ。あれは社会の、社会化のヒモに結ばれてるんだよな。
そうよ。ツンとすましているときも、肩ひじ張ってるときも、みんな自分を守ろうとして、そうしてるのよね。
――それがね。嫌いなんだよな、俺はね。なんだか、みんな社会の言いなりになってる。弱いな。強ぶってても、社会化の力に負けて秩序に取りこまれてるだけじゃないかってね。俺の解かれた状態ってのはそうじゃないんだよな。裸のまま、この世に、自分の生存、あるってことだけが剥き出しになってる。欲望も何もかもあるがままにね。これはとても危ない、怖い状態なんだ。いつ破綻するかもしれない。…
…それでもね。オレはそれを堪えようとしている。

今日もひとり、捕まったよね。交通指導員みたいなふりをして、女の子らにいたずらしていたオトコ。…
――そうだよ。新聞の見出しみただけだけれど、オレには分かった。あいつは、あの剥き出しになってる感じにやられたんだって。

そして、そのときだれも同じようにならないのが歯がゆいんでしょ。
――うん。だからあいつは二人きりになって、下着を脱がした。…



――くるおしい、必死の行(ぎょう)にも似ている。色欲行者。今朝見た夢の女を呼び出したい。
――いもうとじゃなかったから、ねんさんだったに違いない。わたしが殺した男の。かばおうとしていてくれていたの? なぜ? なぜ? なぜ?

あんたがあんまり変わっていたからよ。あんたが殺したあいつはみんなから鼻つまみものだったし、憎まれて当たり前だったけど、あいつを殺そうなんておもいつめたのはあんたひとりじゃない?
ううん、でも、そんなこと、ちがう。わたしにも分からない。ふと、笑ってしまったのよ、あんたを見たとたん、笑いかけて、そして、何か助けになるようなことをしたくなっただけ。
――それにしては、かなりぽんぽん当たる、ボールみないな口調だったけど…
あれが私のやり方なの。あんただって、それで安心していたくせに。
――そうだ。そうだった。あんたがあんた自身のやり方で、自由にやってるって感じがとてもよかった。惚れちゃった。
すぐそんなこと口に出すのが、あんたのいちばんあさはかなとこ。だから私、突っぱねたのよ。あんたに分かってないのはね、女だって観念の世界でパァーッと、裂け果ててみたいのだってこと。
――日常の鬱屈から、自分を解放したいの?
すぐ、そんな言葉にして安息了解しなさんなって。パァーッと、したいってことと、鬱屈してるってことじゃ、ずいぶん違うでしょ。その違いが分からない限り、だめよね、永遠の推観論者さん。



――おひさしぶり。…じつはね、十年にいっぺんくらい逢うともだちになりたい、と思ってんだ。違う、一年にいっぺんかな。とにかくそれくらいの間隔をおいて、とても非日常的に逢う。だからつきあいたいというんじゃない。そんな馬力は出せないからね、つきあうとなると日常の一部になっちゃう。(ボクハモウダレトモソンナコトデキナクナッテイルカラ)高望みはしない。何年かにいっぺんだけでいい、会いたいんだけど、いいかい?

いいわ。なんだか気が抜けたビールみたいな提案ね。


ここではあまりうまく書けていないが、若いころから私は昼間の自分、仕事や家庭の中の自分のあり方とはうまく折り合いが取れなかった。当時はどうして自分の日常体から抜け出すことができるか、分からなかったので、昼間はただただ鬱屈し、深夜の酔いの中でのトリップや、妄想、ときたま妄想が現実になる情恋事故の中に逃げ込んでいた。
そこはあてどなく、予想もできない欲動がのたうつ理不尽な世界だった。
昼間の意識から見れば、ただただ汚く、低く、卑しいものに満ちた世界だ。
しかも、現実化すれば必ず触れた人や身近にいる人を傷つけてしまう。
死刑になった李珍宇や、大久保清、宮崎勤らのように、いつ何時欲望が私を拉っしさるか予測できない、ぎりぎりのところに突っ立って生きていた。
血反吐吐くような嫌悪と不快とともに、だが、決して自分の中にあるものを否定し去らず、エッジに真向かい続けたことだけが私にできたなにごとかだった。
それだけが自分の財産だった。
意識を止め、下意識の世界に潜りこみ、その創造的な可能性を生かす方法を見つけたのは、この時期からさらに十数年後のことだ。
自分の中のもっとも汚らわしく醜いと思えるものの中に、それとはまったく別な世界に通じる不可視の坑道が潜んでいる。

2008年12月25日

サブボディの前身――幻の少女との対話

この冬は若いころからつけている夢日記を読み返している。
もう何度目になるのだろう。
何度も何度もからだの闇の荒れ狂う荒野を耕すように読み返す。
20代のころの夢は性と殺人にあふれかえっている惨憺たるものだ。
自宅がいつの間にか暴徒の群れに取りかまれて応戦する夢、
無数の理不尽な殺人、それも対立者を殺すばかりではなく、
愛する自分の幼少の一人息子を夢の中で5回も殺している。
どうしてそんな夢を見たのか、60歳になってもいまだに腑に落ちない。
この腑におちないわりなさが、わたしをからだの闇の透明化に向かわせ続ける。

夢日記とは別にわたしは20代から30代のころ、
夜中に酔えば訪れてくる幻の少女との対話を続けていて、その会話の記録が残っている。
読み返すとそれは、下意識の別の性をもつ自分との対話、
ユングの言うアニマとの対話だったことが分かる。
彼が後年編み出したアクティブ・イマジネーション技法を当時の私は知らぬ間にあみだしていた。
20代の頃の私の昼の意識は、いかに国家を死滅させることができるかを探って、国家論に取り組んでいた。だが、深夜酔ってからの下意識の私は、延々と幻の少女、アニマとの会話にふけっていた。
それは今のサブボディの前身にあたっていることに気づいた。
30年前のからだの闇の坑道をたどり直してすこし掘り下げてみたい。


――白くなる。呑んでいると、酔いと不酔のあわいで一瞬意識が真っ白になる瞬間がある。そんなとき、必ず訪れる少女がいる。

あなたは、自分の汚い部分、卑小な心、一瞬頭を通り過ぎるけれど、自分でも目をそらしたり、つぶったりしてしまう情動の風みたいなものが気になって仕方がないようね。だから他人とそれについておしゃべりして気を紛らそうなんて魂胆、見え透いているわよ。
――そうだ。知ってるとも、そんなことに気がかりになって、いたたまれなくなるほどきたない心をしかと持っているのは俺だけだってこと。
とかいいながら、腹の底では、他の奴は、ことに女はその自分の汚さに気がついていないだけだ。うまく目をそらせているだけだ、と言いたいのでしょう。
――たまげた。よく知ってるね。
あてずっぽうのはったりよ、でもあなたって知っててわざと引っかかったみたい。
――見透かされている感じだね。あなたはいったいなにもの?
あててごらんなさい。
――ねえさん? いもうと? ううん違う。肉じゃない。血でもない。もっとまぼろしの……
そう、私は精神の娼婦。みんなそう呼んでいるわ。
――からだは販らないの?
なぜ、そんなことを聴くの?
――なぜって……
それは大事だからとっておきにしてるの。


また別の夜。


――酒が入らなくても、幻の少女を呼び出せるかどうかの実験。
……
――(幻の少女の代わりにむくつけき男が出てくる。
男は黙っている。男には、むくつけき自分自身を引き受けて生きている感じがある。)

そうよ。

――あっ、出た。
お化けみたいに言わないで。そんなことぐらい当たり前のことじゃないの。自分には自分自身しか引き受け手がいないから誰だって仕方なく自分を引き受けて生きているのよ。自分自身にさえ引き受けてもらえなけりゃ、あるがままの自分なんてたちまち幽霊みたいになっちゃうのよ。ちょうど、いまのあなたみたいに。
――今日はいきなりきついね。でもほんとにその通り。ぼくは自分にも自分をよく引き受けにくくて、ずいぶん幽霊みたいにさまよい出していたものだ。君に言われて途端に眼が覚めたようだ。
あなた自身が最近うすうすと感じていたことをはっきりいったまでよ。
――うん、そうかもしれない。
それにしてもあなたはまだ、自分で自分を引き受けられずに、自分の引き受け手をさがしてふらついていたときのみっともない自分の姿に気がついていないでしょう。
――あ!?
それはひどかったものよ。見てられなかったわ。


幻の少女はいつも、破れた初恋の少女や、会ったこともない腹違いの妹、いなかった姉さんなどに変幻して現れた。たぶん二十代の終わりか、三十代の初めだろうと思われるが、私は自分の生き方を見失い、愛する人を愛するしかたも分からずに、ありえない時空と偶然裂け目が開いてもんどり落ちる偶然の時空の間をあてどなくさまよっていた。大阪の環状線を何周もする夜もあった。たまたま出会った少女と話しこんだり、家までついて行ったりした。酒場でであった少女とホテルにもつれ込んだり、職場の少女の下宿に泊まり、友人の彼女や人妻と夜っぴいて戯れたりした。自分のからだの底でのたうつ性の暗がりが、身近な人を傷つけてしまう醜さにわれながら打ちのめされていた。見知らぬ力で私を突き動かすその汚さだけが私の確かな所有物だった。これはカフカの若き日の日記の言葉だが、私の所有物もそれ以外見当たらなかった。後年わたしはそれをからだの闇と名づけた。

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2009年
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