2008年
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多重人格肯定日記
解離性同一性障害を肯定する日記


2008年12月25日

サブボディの前身――幻の少女との対話

この冬は若いころからつけている夢日記を読み返している。
もう何度目になるのだろう。
何度も何度もからだの闇の荒れ狂う荒野を耕すように読み返す。
20代のころの夢は性と殺人にあふれかえっている惨憺たるものだ。
自宅がいつの間にか暴徒の群れに取りかまれて応戦する夢、
無数の理不尽な殺人、それも対立者を殺すばかりではなく、
愛する自分の幼少の一人息子を夢の中で5回も殺している。
どうしてそんな夢を見たのか、60歳になってもいまだに腑に落ちない。
この腑におちないわりなさが、わたしをからだの闇の透明化に向かわせ続ける。

夢日記とは別にわたしは20代から30代のころ、
夜中に酔えば訪れてくる幻の少女との対話を続けていて、その会話の記録が残っている。
読み返すとそれは、下意識の別の性をもつ自分との対話、
ユングの言うアニマとの対話だったことが分かる。
彼が後年編み出したアクティブ・イマジネーション技法を当時の私は知らぬ間にあみだしていた。
20代の頃の私の昼の意識は、いかに国家を死滅させることができるかを探って、国家論に取り組んでいた。だが、深夜酔ってからの下意識の私は、延々と幻の少女、アニマとの会話にふけっていた。
それは今のサブボディの前身にあたっていることに気づいた。
30年前のからだの闇の坑道をたどり直してすこし掘り下げてみたい。


――白くなる。呑んでいると、酔いと不酔のあわいで一瞬意識が真っ白になる瞬間がある。そんなとき、必ず訪れる少女がいる。

あなたは、自分の汚い部分、卑小な心、一瞬頭を通り過ぎるけれど、自分でも目をそらしたり、つぶったりしてしまう情動の風みたいなものが気になって仕方がないようね。だから他人とそれについておしゃべりして気を紛らそうなんて魂胆、見え透いているわよ。
――そうだ。知ってるとも、そんなことに気がかりになって、いたたまれなくなるほどきたない心をしかと持っているのは俺だけだってこと。
とかいいながら、腹の底では、他の奴は、ことに女はその自分の汚さに気がついていないだけだ。うまく目をそらせているだけだ、と言いたいのでしょう。
――たまげた。よく知ってるね。
あてずっぽうのはったりよ、でもあなたって知っててわざと引っかかったみたい。
――見透かされている感じだね。あなたはいったいなにもの?
あててごらんなさい。
――ねえさん? いもうと? ううん違う。肉じゃない。血でもない。もっとまぼろしの……
そう、私は精神の娼婦。みんなそう呼んでいるわ。
――からだは販らないの?
なぜ、そんなことを聴くの?
――なぜって……
それは大事だからとっておきにしてるの。


また別の夜。


――酒が入らなくても、幻の少女を呼び出せるかどうかの実験。
……
――(幻の少女の代わりにむくつけき男が出てくる。
男は黙っている。男には、むくつけき自分自身を引き受けて生きている感じがある。)

そうよ。

――あっ、出た。
お化けみたいに言わないで。そんなことぐらい当たり前のことじゃないの。自分には自分自身しか引き受け手がいないから誰だって仕方なく自分を引き受けて生きているのよ。自分自身にさえ引き受けてもらえなけりゃ、あるがままの自分なんてたちまち幽霊みたいになっちゃうのよ。ちょうど、いまのあなたみたいに。
――今日はいきなりきついね。でもほんとにその通り。ぼくは自分にも自分をよく引き受けにくくて、ずいぶん幽霊みたいにさまよい出していたものだ。君に言われて途端に眼が覚めたようだ。
あなた自身が最近うすうすと感じていたことをはっきりいったまでよ。
――うん、そうかもしれない。
それにしてもあなたはまだ、自分で自分を引き受けられずに、自分の引き受け手をさがしてふらついていたときのみっともない自分の姿に気がついていないでしょう。
――あ!?
それはひどかったものよ。見てられなかったわ。


幻の少女はいつも、破れた初恋の少女や、会ったこともない腹違いの妹、いなかった姉さんなどに変幻して現れた。たぶん二十代の終わりか、三十代の初めだろうと思われるが、私は自分の生き方を見失い、愛する人を愛するしかたも分からずに、ありえない時空と偶然裂け目が開いてもんどり落ちる偶然の時空の間をあてどなくさまよっていた。大阪の環状線を何周もする夜もあった。たまたま出会った少女と話しこんだり、家までついて行ったりした。酒場でであった少女とホテルにもつれ込んだり、職場の少女の下宿に泊まり、友人の彼女や人妻と夜っぴいて戯れたりした。自分のからだの底でのたうつ性の暗がりが、身近な人を傷つけてしまう醜さにわれながら打ちのめされていた。見知らぬ力で私を突き動かすその汚さだけが私の確かな所有物だった。これはカフカの若き日の日記の言葉だが、私の所有物もそれ以外見当たらなかった。後年わたしはそれをからだの闇と名づけた。


2008年12月18日

いつも二人いる

ようやく自分の構造がわかってきた。
基本的に全然違ったわたしが二人いる。
ひとりは刻苦勉励、いつも禁欲的に何事かを探求している。
20代のころに気づいたSの私、ストイックな私だ。
多くの時代で私の主人格であった。
ヒマラヤへ着てからは、教師人格の私、産婆に徹しようとしている私だ。
午前中はいまもこのモードだ。いわば昼の私だ。
今日も来年以降の共振塾のありかたを構想した。
ことしよりももっと生命共振を重視した内容になるだろう。
青年時代の「山沢夙」などの革命家人格も典型的なSの私であった。
結婚生活を維持していたのもこの系統だ。

もう一人はEの私、エピキュリアンな私だ。
ただただ自分の快楽だけを追求する。
3歳のころから女体をまさぐり続ける夢にとらわれている
「りゅうり大魔王」、「ロリ人格」系統の人格状態だ。
いつもその時々の主人格の裏をかいて、婚外や許されぬ関係の人との密通や情事や妄想を生きていた。
一言で言えば、夜の私。

昼は貞潔な淑女、夜は官能の娼婦。
人生のいつの時代でも私の根本構造はそうだった。
延々とこの相容れない二人が葛藤を続けてきた。
今はもう、互いに相譲れないこともわかっているので
昼と夜でわたしのからだを棲み分けている。
どうやらこれが私にとって最終的に安定した生存の形であるらしい。

だが、この主要な二人格状態の交替が起こっているとすれば、
それはフロイドのころから、捉えられていた意識と無意識の分裂、
それらの中心としての自我とエスの分裂にほかならない。
片方は現実原則に支配され、他方は快感原則を追い求める。
50代を過ぎてから、思いがけぬ解離が起こりだしたので
フロイドでは追いつかず、ユング、ミンデルを必要とし、
さらに多重人格理論を適用しないでは自分を理解できなくなった。
だが、今になって振り返ると、
解離された数々の人格もおおむねこの二つの大きな二潮流に分類可能だ。
これはいったいどういうことだろう?
フロイドの人間理解の射程に再び捉えられる私になったということか。
逃げても逃げてもフロイドは追いかけてくる。
「リビドーなんだよ、君を突き動かしているのは……」

2008年11月28日

端境期の自分

ようやく今年のわたしの仕事が済んだ。
あとは生徒から出てくる毎日の踊りを楽しむだけだ。
思いはすでに今年しきれなかったこと、来年の課題をめぐって虚空を遍歴している。
こういうときは、極端に現実から離れることができる。
いまの自分をすべて投げ出してまったく新しいことに向かうこともできるとさえ感じる。
日頃の共振塾の教師、あるいは産婆としての自分の生活には定着されない
ずれた端境期の自分が出てくる。
昨日顔を出した詩を書く私もまた端境期の自分の一人かもしれない。
あまりに違う自分に接するとさすがの私も気持ちが悪くなる。
だが、これに堪えねばありのままの現実に接することができない。
ヒマラヤでいるよりさらに文明から遠く離れて、
あてどなくどこかの国へ旅することも思う。
まだまだ見知らぬ世界がある。
この世には思いがけぬ時空が隠されている。
南インドの山奥、ミャンマー、タイの山奥、
そこでは予想もつかない時空で人々は生きている。
アニミズム、シャーマニズムが生きている。
全然別の共同性を人々は生きている。
サブボディ、コーボディの原型がそこにある。
学ぶことは多すぎる。
いや、ごくごく日常的に端境期の自分は出てくる。
不意に自我が出てきて、生徒に意地悪い気持ちが湧くことが年に何回かある。
後から思えば、私の自我が勝手に予定した段取りを生徒がたどらないときに
この意地悪い気持ちが出てくる。
だが、産婆が胎児の生まれるタイミングをプランすることはできない。
産婆としての私は分かっていても、端境期の自我はそれを知らない。
からだの闇から瞬時に顔を出す妖怪や悪魔のことごとくと友達になる。
ドイツ人の生徒が囚われている強い自我は、ヒットラーと通底する。
だがいじめない。ゆっくりゆっくりという呪文を唱える。
ネット右翼のたわいない自己喪失の構造が透けて見える。
良識ばかりを吐いている人の自己欺瞞がどこからくるかも透明に見える。
60歳の私のからだを死刑になった李珍宇や宮崎勤君を襲ったと同じ衝動が走る。
戦争帰りの若い父が新地の芸者に求めた欲望のあてどなさが分かる。
空ばかり見つめている離れ離れになった私の息子。
透明な少女たちが空から降り注ぐ21世紀。
かれらすべてもまたサブボディの一員だ。
これらのキメラ状の破片をすべて認めよ。
同一性などすべて嘘だ。
私たち全員、本当は限りなく分裂している。
命のはてしない謎を生きよ。




ヒマラヤの11月の空はジェット気流の踊り場になる。
長年凍りついていた言葉さえ封印から解かれて踊りだした。

2008年11月27日

天空幻想

11月のヒマラヤの激しく変容する空を眺めていると、
不思議な詩句が脈絡なくつぎつぎとこぼれてきた。

飛ぶ肛門
高速の膣
――これはドゥルーズ・ガタリの『ミル・プラトー』の一節だ。
それが40年余りツリー状に凍り付いていた私の言語を溶かす触媒となった。

飛ぶ肛門
高速の膣
燃える子宮でわたしは目覚めた
父は割かれた腹のまま立っていた
ねじくれた指で私の股間をまさぐるのは誰だ
くめくめと泣く叔母
密談する風が不意にはたと止んだ
よじれによじれる空
美少女たちが土砂降り雨のように降ってくるこのゆうべ

結界を破れ結界を破れ

日本語と英語で同時に湧いてくる
日本語はまだごろが悪いところを見ると
どうやら、英語脳が詩を書き始めたらしい
今朝生徒に頭脳の中に巣食っている境界をすべて溶かすような最後の調体をガイドした
その影響で自分の脳でも境界が壊れだしたのかもしれない
予想もしなかった共振現象だ。
13歳から19歳まで私は詩を書く少年だった。
40年も眠り込んでいた詩心が長い封印から解かれてよみがえるとは。
しかも日本語ではなく、英語で。
からだの闇ではいつどんな奇妙なことが起こるか、まったく予測がつかない。


Sky illusion

Flying anus
High speed vagina
Twiested silence
I woke up in the burning womb
Father was standing with cracked berry
Who does touch my penis with warped fingers
Aunt is crying slime slime
The winds who was secret talking suddenly stopped
Sky is twisted and twisted
Beutiful girls are falling down from evening sky
Break the spelled seal, break the folded secret


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2008年11月18日

からだの闇の非時の通路 (1)

からだの闇は、4次元時空からなる現実界とは別の異次元にある。
日常界のような一次元的時間が過去から未来へ流れているのではない。
生命がたどってきたすべての時が一堂に会している。
意識を止めないとそんなことは分からない。
意識はいまここの一次元時間に強く規制されているからだ。
ゆらぎ瞑想その他の方法で覚醒と睡眠のあわいでゆらぐ透明覚を開く。
すると、人生で体験してきたすべてのクオリアが等価に共振しあっているのが分かる。
小さな頃に母が私の名を呼ぶクオリアと、いまここで誰かが私の名を呼ぶクオリアに優劣はない。
いやむしろ、小さな頃の母の声のほうがはるかに強く染み付いている。
60歳を過ぎるとそういうことが分かってくる。
三つ子の魂百まで、という言葉が、この非時の事実を指していることも
長く生きないとつかめない。
若い頃はそれは信念のようなものを指しているのだろうと勝手に想像していた。
だが、信念などではない。すべてのクオリアがそっくりそのまま持続しているのだ。
そしてそれは意識で記憶しているものに限らない。

60歳を迎えることとなった今年の誕生日、私は少し離れた温泉地の河原で踊った。
からだの闇のサブボディたちがどんな動きを動きたいのかに任せた。
すると、サブボディはただただ胎児の頃の世界に潜り込もうとした。
私が十ヶ月たゆたっていた子宮内の世界でいったい何が起こっていたのか、
ひたすらそれをからだが追い続けていた。
そして、その動きは日ごろ私が共振塾で教えている土方の衰弱体とは似ても似つかぬ
奇怪な動きになった。
まるで煮えくり返るはらわたがそのまま出てきたような動きだ。
それで私はようやく知った。なぜ私が私になったのかを。
戦争から帰ったばかりの若い父と、満州から帰ったばかりの若い母との間は、
その外側の新地の芸者の世界に血漿を垂れ流している脳髄のように、
荒れ狂っていたのだ。
悲怒と愛憎でたぎりたった大量のアドレナリンが胎内に流れ込んだに違いない。
私は疾風怒濤、シュトルムウントドラングに胎児の時代から見舞われていたのだ。
わたしの態変奇矯な性格がどこから来たのか、これまで不明だった起源がすこしだけ明らかになった。
そして、胎児の時代に見舞われたアドレナリンの嵐は
その後の人生でも時と所を変えて何度も繰り返し味わうことになった。
世界を転覆せずには擱かない私の中の激しい否定感情も、
既成概念を疑い尽くす懐疑の根深さも、
その多くが胎児の時代に吸い込んだ大量のアドレナリンの嵐でかろうじて納得がいく。
彼らは私の中のアド系のサブ人格となった。

・ことごとくの価値観を転覆せずにおかない<テーブル返し>、
・ひとつの道が閉ざされるとたちまち別の抜け道を見つける<代替転換屋>、
・人々が寝静まると高速で見失った母あるいはアニマを探し回る<ネズミ>、
・17歳の情熱的革命家<山沢夙>、
・20歳の暴力的な潰滅主義者<今故血人肉男>、
・年齢不詳、正体不明の否定屋<否定人格>

これらの傾向を持つ人格は、乳児期や幼児期に始まったとは考えられない。
おそらく、かれらの起源はアドレナリンで荒れ狂っていた胎児界に根を持つ。
わけの分からぬ興奮の荒波に見舞われて、わたしは退治のころから疑心暗鬼で過ごしていたのだ。
そして、生まれてからも父とのことで情動不安定な母の元ですごした3歳までの期間に
これらの現実を信じない闇のサブ人格群が育っていったのだ。

60歳になった日にサブボディに任せて踊ったことで、
これまで起源が不明だったアド系のサブ人格群に少しだけ透明な見通しがついてきた。
闇の坑道をたどるのはなんともまあ、時間のかかることだ。



2008年11月8日

胎界性欲

性的欲望や衝動の多形的奇怪さに耳を澄まし続けてきた。
そして、昨日山道をゆっくり谷間で下っているとき、ふと気づいた。
わたしの性欲の根底的な傾向は、フロイドのいう小児性欲でも幼児性欲でも
乳児性欲でもなく、胎児性欲とでもいうのがもっともぴったりくることに。
私の性的傾向はホモでもヘテロでもなく、フィータスなのだと。 
性欲が特定の部位、性器や肛門や口唇に局限されないで、肌全体に広がっている。
あたかも胎内で羊水に触れつつ揺らいでいたかの状態を希求しているかのようだ。
それは実際の肌というよりは、秘められた肌、
Hidden skinに潜む欲動に領動されている。

しかもその胎界性欲が、60年の人生のあらゆる時期の性的欲望や
味わった快楽と共振して発現してくる。
性欲が多形変容的奇怪さを持つのはそのためなのだ。

ホモ、ヘテロ、フィータス、サド、マゾ、フェチ、ショタ、ロリータ、
糞尿、獣姦、死姦、自傷、他傷……の闇。
意識は拒否する。
「私にそんな傾向は微塵もない!」
だが、意識を消せば、生命はそのいずれのクオリアともかすかに共振しているのが分かる。
人間に起こることは必ず、共感可能であり、理解可能なのだ。

意識的記憶にはないが、細胞には人間以前の時代の生命記憶が内クオリアとして保存されている。
単細胞時代の接合や分裂、無性生殖や有性生殖のあらゆる衝動とも深く共振している。
多形的な性欲パターンのうち、ホモは無性生殖、ヘテロは有性生殖の衝動と
遠く響きあっているかもしれない。
そして、フィータスはそれらすべてを含むリゾーム的な接合や分裂の衝動と共振している。

ここまでくれば、性的欲望という言葉ではなく、
フロイドが使ったリビドーという言葉のほうがふさわしい。
リビドーレベルのサブボディになりこんで、
かつて欲望と呼んでいた多形変容の世界を旅することができるかもしれない。
いままでは、あまりにカオスの度合いが強すぎて、手がつけられなかった領域だ。
性的傾向はその基底部では生命傾向と区別がつかないところがある。
性の多次元変容度が強いのは、
性の衝動は生命の起源となった自己維持と創発の生命衝動とも響きあっているからだ。
この坑道をたどれば、
生と死の間でゆらいでいるエロスとタナトスの領域へ降りていけるかも知れない。
性よりもっと無明の、生命の闇へ。

私にとって、晩年のフロイドが導入したタナトス(死の欲動)は、
性的欲望の闇よりさらに深い闇だった。
そんなものがほんとうにあるのか。ありそうにも思うし、なさそうにも感じる。
そんなごくかすかな有と無のあわいへ降りていこう。

ハイデガーはこの無明の闇へ問うた。
有とはなにか。時とはなにか。
この闇では今なお若きハイデガーの問いがこだましている。
有への問い、時への問いは、生命とはなにかという問いの中で、
無への問い、非時への問いに共振し、ふくらんでいく。

かすかなかすかな原初生命クオリアが発生の瞬間でいまなおふるえている。
死から生への跳躍はいかに起こったか。
生と死、有と無、時と非時のゆらぎの中で生命は生まれた。
その原初の体感に耳を澄ます。
初源の生命が感じた最初の生命衝動とはどんなものだったのか。

胎界性欲は、原初生命衝動と深く共振している。
そこでは性欲と生存欲の境界がない。
だからだったのだ。それがとてつもなく味が深いのは。

(この記事は、からだの闇と多重日記の両方にまたがるないようなのでどちらにものせています。)

2008年10月22日

りゅうり大魔王

わたしのからだの闇でもっとも強い影響力を持っているのは、
もっとも幼いときに出てきて解離したりゅうり大魔王の系列だ。
ときに代替転換屋となり、ときにこすっからしとなり、ネズミとなる。
世界を相手にテーブル返しを企てるのもいつもりゅうり大魔王だ。
サブボディの中でももっとも化身応身の数が多いのは、
シヴァからビシュヌ、仏陀まで変身するヒンドゥーの最高神と似ている。
今回の踊りで、直接姿を現さないなあと思っていたが、
ほんとうはりゅうり大魔王がすべてを裁配しているのかも知れない。
わたしの人生の布置をもっとも自分に快適なように編集しているのもりゅうり大魔王だし、
踊りを創っているのも、その実はりゅうり大魔王だったのかもしれない。
わたしの踊りが変転に継ぐ変転を繰り返す癖が強いわけが自分でも不思議だったが、
流転王であるりゅうり大魔王が真の作者だとすれば何の不思議もない。
自分の姿に似せて踊りを創ってきたのだ。

2008年10月5日

リゾクラシーがタバコを止めた

3ヶ月にわたるヘビースモーカーの滞在は、多くのことをもたらしてくれた挙句、
ある日役目が終えたことが判明するとさりげなく去っていった。
もちろん、それまではすごく粘り強く居座り続けていた。
わたしはいつも、私を構成する60兆の細胞のうち、だれがいったいタバコを欲しているのかを感じ続けようとしてきた。
喉や肺の細胞はあきらかに喫煙のせいで咳き込み、ただれ、障害が出かけていた。
喫煙は日に40本を越す日もあったので、もはや通常の白血球の働きでは、
日々発生しているイニシエーターと呼ばれる初期癌化細胞の発生を食い止められる範囲を逸脱しているのではないかと予感された。
喫煙は緩慢な自殺である。その危険が実感されるようになって来た。
その危険を冒してでも、なおタバコをすいたいのは誰たちなんだい?
おそらく頭の中で、ほんの少しいらだち、きしみに耐えかねているごく少数の神経細胞だけがタバコによる一時の逃避行を欲していた。
肺や喉で癌の危険にさらされている内皮細胞が、60兆全体の細胞の共振を勝ち取るか、それとも脳内の一群のタバコを欲する神経細胞群が
今日の戦争をし続けるアメリカの産軍構造体のようにあの手この手の情報操作で居座り続けるか、の勝負だった。
私はその帰趨を眺めていた。
自分の中のどの生命傾向にも権力を与えないことだけに注意を払った。
とりわけ、こういうときに力を出しやすい自分の中の良識派がはばかることには注意した。
タバコを駄目とするエコロジー派や迷惑論者が私の中にもいる。
私は自分の中の善意や正義感が実は最悪の人々であることを知っている。
そういう人のいうことに従ったら人生はめちゃくちゃになることをいやというほど知らされた。
それでもこういうときはそういう善意や正義の人々が勢いを得てのさばりだしてくるのだ。
そういう人たちが権力を握る事態だけは避けようとした。
どんな傾向であれ、生命の中でひとつの傾向が権力を占めたらリゾクラシーは死ぬ。
あらゆる生命傾向を肯定することの中にしかリゾクラシーはない。
わたしのなかでスモーカーがどうなるか、
その帰趨にはリゾクラシーが本物かどうかがかかっていると感じられた。
たかが私の中で60兆の細胞のリゾクラシーが働かないとしたら、
そんなものが世界変革の原理として通用するわけがない。

いったい禁煙の瞬間、何が起こったのか、つぶさには分からない。
だが、ほどなく結果は出た。
タバコを吸いたいという脳細胞の一部の欲望は存在し続けたが、
60兆の細胞のリゾクラシーによって、彼らへの支援がやんだ。
腕がタバコに手を伸ばすことをやめた。
指はマッチを擦ろうとしなくなった。
からだの他の部位がタバコを吸いたいという脳の一部の神経細胞に従わなくなったのだ。
というより、からだの他の多くの細胞のほとんどが、
タバコを望んでなどいないことに気づいたようだった。
それによってごく少数派でしかないことが明らかになったヘビースモーカーは、
役目を終えるやいなや再びからだの闇の奥深くに帰っていかざるを得なかった。
それが今回のヘビースモーカーをめぐる60兆の細胞のリゾクラシーの顛末だ。

おそらく世界の戦争が終わるときもこれに似た経過をたどるだろう。
なお権力にしがみつく政治家は戦争を遂行しようとするが、
兵隊として戦争に行こうとする人が減ってしまって実行不可能になる。
だれもが国家を支えようとしなくなる。
そのようにして国家も政治も裸の王様であることが明るみに出る。
世界中の人々がリゾクラシーに従って世界を変えるのはごく簡単なことだ。
だれもが戦争を望んでいないことが生命共振によって、世界中の人に実感される。
それだけで世界は変わるのだ。


2008年10月3日

自己破綻寸前の自我


30年ぶりに訪れたスモーカーの滞在は3ヶ月続いて先週去っていった。
滞在中、私の中の自我の荒廃と退廃を数限りなく見せつけ、これでもかといわんばかりに
自分の醜さを思い出させてくれた。
喫煙時代の小さな自我にとらわれた欲望や衝動の野放図さ、淫靡さの限りを見た。
何とおぞましいものばかりで私は成り立っているのかと愕然とした。
しかも驚愕的だったのは、それらがすべて忘れられた過去にあるのではなく、
今ここ現在の私の中にあるという事実だった。
日々の私はただそこから目をそらしているだけであることを知った。
スモーカーはそれを告げにやってきたのだった。
自分が産婆稼業に徹するストイックな教師人格であるという思い込みの影で
わたしは言葉では書くことができないほどの醜悪さのかたまりにすぎない。
ほとんど打ちのめされるまでに自分のからだの闇で解離されていた部分に三月たっぷり直面させられた。
ストイックな教師人格が大きくなればなるほど、それと正反対のエピキュリアン人格たちも大きくなり、いつも人生の半分を支配してきた。
しかも私はそれを知っているのだった。知っているのにただ見ないことにしていた。
表人格にとっては、それは存在しないが、表裏でゆらぐ裏人格にとっては、火を見るよりも明らかだ。
表人格がそれに気づきかけると<自己欺瞞>という言葉が浮かぶ。
だが、それは自己欺瞞ですらない。自己はいつも破綻寸前の状態でゆらいでいる。
多次元を変容流動している命にとってすべての生命傾向の間でつじつまが合うことなどない。
つじつまが合っていると感じられるとしたらそれは強力な表の自我人格が他をしびれ眠らせることに成功している状態であるに過ぎない。
自己欺瞞などという二元論にとらわれた善悪倫理言語を使っては取り違える。
自己欺瞞などというとき、何かしらよい自我がどこかに存在するという錯覚にとらわれている。
自己欺瞞などではない。
自我も自己も幻想である。
自我はもともと自己破綻し続けているのだ。

先週タバコをやめた後数日は、ふとタバコを吸いたくなる衝動に襲われることがあった。
そのときいったいこれはどういうときに訪れるのかつぶさに観察してみた。
するとタバコを吸いたくなるのは、自分が定着されていず、どこかに不安定さを感じているときだと気づいた。
そして、今日になってさらに、自分のいろいろな傾向に引き裂かれて自分が破綻しそうになっていると感じているときにタバコを吸いたいという衝動がこみ上げてくることに気づいた。
この<自己破綻寸前の状態>という感じは、数十年にわたる私の喫煙歴のすべての時期を通じて最もぴったりと当てはまる隠れた体感であったことに思いあたった。
若いころからもいつも頻繁にこの自己破綻の感じに襲われ、直ちにそれから逃れるためにタバコに逃げ出していたのだ。
30代の最盛期は日に200本吸っていたが、まさしくそのころは日に200回も自己破綻に見舞われていたことになる。
どんなに仕事や趣味に熱中していても、自分が本当にしたいことをしているのではないことを、からだは知っていた。
からだがきっちり知っていることを当時の自分が知っていたことも知っている。
だから自己破綻からすたこら逃げ出していたこともよく知っている。
まさにそのとおりだったのだ。
何十年もたってからタバコを吸う衝動に対するぴったりした言葉が見つかった。
そしてこの自己破綻寸前という言葉こそ、
現代の自我と国家の状態を言い表わすのに、いかにもぴったりした言葉だということにも気づいた。
気づきはいくつもの領域を超えて共振しつつやってくる。

『ヒマラヤ共振日記』に、世界経済の破綻をめぐる蕩尽伝説さんの鋭い指摘を引用しながら、
書いたことだが、ここでは同じ問題を自我の破綻の側から書いたことになる。
世界の破綻と自我の破綻が共振している。
自我はもはや破綻寸前である。
どんな凶悪犯罪や悲惨なことが起こっても現代の自我はそれが自分のことだと感じることができない。
自分が破綻しかけていることにうっすらと気づきかけた傷つきやすい感性が
その気づきの恐ろしさから目をそらすために逃げこむのが私の場合喫煙だった。
逃げ込むのはタバコに限らない。無数の嗜癖の選択肢がある。
お菓子やうまいものや、おしゃれや映画、セックス、自慰、
心の状態をほんの少しでも変えてくれるものなら何でもいい。
現代では無数の情報というきめ細かい逃げ込み寺がびっしりと用意されている。
情報にはあらゆる自我の破綻をつくろうための手立てでいっぱいである。
それだけ無数の自我という幻想の自己破綻のパターンが満ちているからだ。
だが何かを闇雲に求めて癒されようとしているとき、
自我はひとしく破綻寸前なのだということを感じ取ってほしい。

現代とは自己破綻寸前の国家と、自己破綻寸前の自我が、ゆらゆらとつりあっている時代だ。
だが、もうすぐそれも終わる。
アメリカを中心とする世界体制を支えてきた嘘がすべて透けて見える時代になった。
歴史のことだから、<もうすぐ>が何十年か何百年かは、いまは図れない。
だが、破綻の兆候があらゆる場面で明るみになってきた。
経済はもっとも正直だから、ビビッドに反応してこけた。
だが、壊れているのは経済だけではない。
戦争政治も同時にそれを支えてきた嘘も、もはや覆い隠せなくなっている。
アメリカの軍事産業と、そのおこぼれにありつきたい日欧の亡者だけが戦争を欲しているのだ。
社会心理はもっと微妙だが、共同幻想がこけるときの勢いは経済の比ではない。
ベルリンの壁も、スターリン主義国家の擬制も歴史でいえばいわば一日で消えたのだ。
現在のアメリカや日本の国家の擬制も消える日には一日で消える。
そして、現代の共振を忘れ、壊れた自我によって生きるのではない、
新たな生の可能性を求める人々が増えてくるだろう。
1968年にも同様のことが世界同時に起こった。いまのようにインターネットなどない世の中でさえそうだった。
今日ではインターネットを通して生命と生命の間に見えない共振が起こっていることが世界同時に透き通って見える。
世界中で同じ傾向のある事柄がどんどん起こっていくだろう。
それはこれまで覆い隠されてきた自己破綻寸前の国家と、自己破綻寸前の自我をめぐるものだ。
国家と自我の間に横たわる経済や社会の広範囲な領域で、この進行性の自己破綻はますます加速度的に明らかになっていくだろう。
そしてある日、歴史はぱたりと変わるのだ。
まるで大きな日めくりがまくれるようにくっきりと。


『共振日記』を読む

●●● 2008年8月19日

自我という退廃

30年ぶりに訪れたスモーカーの滞在はまだ続いている。
もう2ヶ月になる。
60歳のからだに毒が回っていく。
そろそろ限界だが、まだその真の意図には気づけない。
なにかまだ未解決のままの課題が喫煙をしていたころの若年期から
申し送られてこようとしている気配だけは感じられるのだが、
それがなにか、なかなか焦点が結ばない。
若いころの私は、恋と革命、性と反国家をめぐって生きあぐねていた。
60年代の反政府運動が壊滅して以来、たったひとりで暗渠にもぐって
国家死滅の理路を探り、愛恋と性に振り回されて、狂簡していた。
だが、ひょっとすると、当時はまったく意識できなかったが、
若年のわたしの最大の問題は、自我という人間の退廃状態に
まったく無自覚に翻弄されていたことにあるのではないかと、
夜の湯船の中で気づいた。

このごろ授業では毎日のように、胎界遡行瞑想や生命遡行瞑想を行っている。
胎児のころの私たちは自我も自己も持たなかった。
ただ子宮に包まれて世界と共振していた。
その生命にとって、自我が刷り込まれるということは、
とても不自然なことなのではないか。
私たちは自我のような出来損ないの意識ではない
別の心の持ち主になれるのではないか。
自他区別、対立、競争、差別、あらゆるものは自我と国家のセットからやってくる。
それがセットで刷り込まれるのが私たちの人生だった。
だが、きっと必ずこれ以外の生存の様式を発明できるはずだ。
わたしのからだの闇からの使者・スモーカーが告げようとしているのは
若年期の自我の来歴を掘れ、おまえの出来損ないの自我は
いったいどのようにして出来上がってきたのか、と問いかけているように聴こえる。
私にこの厄介な問題を解くことができるかどうか、
そんな時間があるのかどうか分からないが
からだの闇から声には従うしかない。
フーコーも晩年の『性の歴史』で、「自己への配慮」という巻を設けて
この問題に取り組もうとしていた。
わたしにはもう彼のように古代の文献に取り組んだりする時間も環境もないが
たった一つの材料として、私の自我の生成の歴史が
幼年期から青年期にかけての闇の中に詰まっていることだけは確かだ。
ゴミ箱をひっくり返して漁るような作業になる。
とても気が進まないがいつも、もっとも大事な課題はこの感触とともにやってくる。
最も避けたい事柄の中に、もっとも貴重なものが隠されている。
これだけは60年かけてつかんだ真実だ。
ここを掘るしかあるまい。

(この記事は「多重日記」と「からだの闇」の両方にまたがるので
どちらにも掲載することにする。
不便なので統合したほうがいいかもしれないのだが、
そうすると何かしら書きにくくなるような気がするので、
しばらくは間口を多いまままにしておく。
私の書く文章をたどってくれているごく少数の読者の方には
迷惑千万なことだろうことは承知の上だけれど、
からだの闇はリゾーム状の迷路なので、そこを掘る坑道も
あっちから掘ったりこっちから掘ったり、
いきおい迷路状の多数坑にならざるを得ない。
ご勘弁ください。)


●●● 2008年8月16日

疾走する8月

今月は突っ走った。
息することさえ忘れて衰弱体を追い詰めた。
生徒をも追い詰めた。
原生夢のなかの生命ふるえから、きしみゆらぎ、無限細分化リゾームへ。
衰弱の極へ。
ついてこれない生徒も出てきた。
生徒が一人でも欠けると悲しさにとりつかれる。
朝寝の癖のついた生徒を叱った。
I need all of you everyday!
これはとても正直な思いなのだ。
私に何かが憑いていた。
8月だからか。
無数の死者が行きかう8月。
誰がやってきてもおかしくない。
山沢か、今故か? 辻か、山崎か?
今日は勢いで英語版の舞踏論を一章書き上げた。
タバコを500本くらい吸った。
ほとんど自殺行為だ。
退廃の底ではじめて生まれるものがある。
死にかけつつ踊る。
最後の愛をあきらめる。
年老いてからの年離れた少女への恋は、
かぐや姫への翁の愛と同じく、
その終わりを覚悟できなければやってはならない。
やがて近くこの世を去る身だからだ。
ちゃんと終わりを準備すること。
それがもうこわくない。
遣り残したことはあまりに多いが、それをやるのは何も自分でなくともよい。
執着と諦念は一個二重だったのだ。
夜更かしが極限を超えると、錯乱気味の変成意識になる。
通常の理路を通らずに意識が走る。
心身無辺。自他悠々。横超縦泳。欲情無碍。永劫回遊。
若いころから私はこの変成意識がとっても好きだったのだ。
かたじけなくこわばった理路に囚われた日常意識よりも
こっちのほうがよほど生き生きとしてリアリティがある。
そこではとんでもないことが起こる。
ありとあるタブーが破れることに気づいていた。
今頃そんなことに気づく。
私は何にも変わっていない。大昔からサブボディを生きてきた。
60歳を過ぎて、からだの闇の謎は解けつつも深まるばかりだ。




●●● 2008年7月30日

過去のクオリアと時を超えてゆらぎなおす

ここ数日毎夜青年期に書いた詩や日記を読み返していると、
当時のままのありありとしたクオリアがそのまま再現されるのにおどろく。
当時と同じようにタバコを吸い、夜更かしし、極限まで疲れ果てたからだになると、
からだごとその時代に帰ってしまう。
そのころの命が感じていたゆるえやゆらぎのなかに連れ戻される。
まるでタイムスリップしているかのようだ。
こんなことが起こるのは、命に保存されている内クオリアとは、
途方もないエネルギーで微小空間で振動し続けている
ひもの共振パターンによっているという仮説以外に説明がつかない。
それはおそらく脳のグリア細胞のなか、いまは何の存在意義も見つかっていない
微小管の内部の空洞に保存されているのだろう。
そこでひもと命は他の粒子の10の33乗倍から10の40乗倍というという
想像もつかない高エネルギーで共振しているのだ。
不思議なことに命はその微小な次元のクオリアを自在に呼び出し味わうことができる。
今回10代の頃の記憶に帰るのは十数年ぶりのことだ。
一つだけ今までと変わったのは、
今回は昔のままの命の微細なゆらぎがそのままに感じられるようになったことだ。
自分だけではなく相手の少女の心のクオリアもふるえゆらいでいたことが
はじめて透明に微細に感じられるようになった。
それをそのまま味わうことだけが大切だということが分かった。
何日か前に書いたように、ありえなかった過去の可能性を意識であれこれ想像したり
ことばでああだこうだと判断することではない。

あるがままの命のふるえとゆらぎをそのまま透明にあじわうことだけが大事なのだ。
そのゆらぎ以外に命の実態などないからだ。

今回のスモーカーに導かれての過去への旅は、
それを知るためにつれ戻されたようだ。
●●● 2008年7月29日

青年人格の噴出

今週は深夜ずっと、タバコ人格が居座り夜更かしを続けている。
睡眠不足でへとへとになっているが、
夕べは深夜3時ごろ、落眠寸前のからだが
突如昔の文集や日記を読み返し始めた。
おそらく昨日やってきた気づきを確かめたかったのだろう。
17歳のころの初恋と失恋の時期の詩と日記群十数冊を一気に読んだ。
17歳のころのクオリアがからだに満ち、
ありありと当時の感情の起伏がよみがえってきた。
実際に起こったことは本当にどうしようもなく
そうしかありえなかっただろうと納得した。

そのまま明け方から授業時間までぎりぎりに寝て、クラスに入った。
驚くべきことが起こった。
今週は毎朝、2ヶ月目になる生徒に、
毎朝誰かひとりが20分間の調体をガイドするように言ってあった。
ところが今朝は誰もが躊躇して始めようとしない。
突然、いつもとは違う激しい口調で、
「全員がいつでも調体できるようにスタンバイしておくこと!」
と叱り、生徒を一人ひとりを人差し指で指弾し、
「スタンバイ! スタンバイ! スタンバイ!」となじった。
全員ぎょっとした。
私も驚いた。相手を指弾するのは私の学生運動時代の癖だった。
今朝がたからの17歳のからだがそのまま出てきたのだ。
あわてて、(いまじゃない、いまじゃない。夜出ておいで)
となだめて引きこもらせた。
だが、その後の指圧の時間でも、全体のリズムに従えない生徒を叱り付けたりした。
産婆人格は、決して叱るということはしない。
まったく人が変わってしまっていた。

私の青年期の小さな自我は、自分にも友人にも少しでも甘いところがあると
激しく否定し合うなかで、戦闘的な自己形成を遂げてきたものだ。
ヘーゲルの「意識は他者の死を追求している」という『精神現象学』の
規定そのままのむき出しの自我だった。

昔の自分は死んでもなくなりもしていないのだ。
40数年を経て、突然息を吹き返し、60歳のからだをのっとった。

終わりのミーティングで、生徒にそのことを説明するとみんな笑って了承してくれた。
からだの闇の謎は深い。
計り知れないほど深い闇だ。


●●●
2008年7月28日

周縁化されていた記憶

不意に気づいた。
三日前に書いた「初恋の惨劇」の中で、
初恋の少女と妻と私の共通の友人だった女性Sが言った
「あんたが一番ひどいことをした。Mさんにも、Kさんにも」という言葉を
生まれてはじめて、そうかもしれないと思った。
あの日記にはじめて言葉として書いた少女の発言のひとつひとつが
頭の中で反響している間に、それらが共振しだした。
淡い付き合いが消滅した後で少女が私に言った
「好きだった。現在形に言い直してもいいわ」という言葉は、
本当だったのかもしれないと気づいたのだ。
それまで私は、その言葉をまともに検討したことがなかった。
受け入れることができずに、聞き流したまま解離され周縁化されていたのだ。
30歳のころに再会したときに聞いた、
「わたしは好きな子の前ではいじけてしまうの」という言葉も
思い返せば、なぜ彼女が私を選ぶということができなかったのか
という事実に響いてくる。
そうだとしたら、ほんとうに一番ひどいことをしたのは私に違いない。
60歳になるまで、わたしの小さな自我は、
その事実を受け入れることができなかったのだ。
小さな自我はただただ自分を守ることにだけ汲々として、言い訳し続ける。
どうしようもなかったのだという、私の認識も、自己保身そのものだ。
自分の幼年期体験のトラウマを口実にして、
事実を受け入れることから切り抜け続けてきたのだ。

思い返せば、そのときばかりではなく、
いつだって相手の女性がほんの少しでもゆらいだり、遠ざかったりする気配を見せると、
私は瞬時も我慢できずに気持ちがさめて、後ずさりしはじめてしまうのだ。
まるでけっしてゆるがない大地か宇宙のような愛という幻想を
追い求め続けてきたドンキホーテ。
それどころか、相手が余りにゆるがず、いつまでも私に執着し続けると
相手を蹴飛ばし痛めつけてでも、その正体を暴こうとして、最終的には追い払う。
なんという性悪なのだ。
そのじぶんの性悪さに気づかず、いつも相手か幼年期体験のせいにしてきたからこそ
いつまでも愛にめぐり合うことができなかったのだ。
呆れるほどの馬鹿。

初恋のときでも、私がめまいにゆるがず、粘り強く請い続けることができていたら、
少女は私の元に戻ってきてくれていたのかもしれない、
という想いがふとよぎった。
そんな可能性があったかもしれないという想念など、
いままで一度もやってきたことはなかった。
過ぎたことは過ぎ去ってしまったことと、振り返ることなどなかった。
もちろん、当時の私は当時の私でしかなかったのだから、
ありえなかった仮定には違いないけれど。

この気づきを、いまここの現在にどう生かすことができるか。
それが問題だ。
愛を実現するには、私自身がゆるがない愛になるしかないのだ。
この気づきを生かす機会など、再びやってくるのかどうか、知れないけれど。

ヘーゲルが哲学とはミネルバの森のふくろうと同じで、
日が暮れきってから、飛び立つものだといったように、
大事な気づきは、人生が暮れきってから到達するものなのだ。

自我を消していくプロセスでは、こういうふうに自我が自己保身のために解離し
周縁化していた都合の悪い事実の記憶がよみがえり
過去を再構成して受け入れ直すことが起こる。




「多重日記」をもっと読む


●●● 2008年7月27日

たいはい君


60歳にもなって、30年ぶりに深夜までタバコを吸い続けている。
夜更かしと、酒とタバコ、生まれてはじめてはまった
スパイダソリティアというwindows備え付けのトランプゲーム。
早く寝なければからだに毒だというダンサーや教師という
基本人格の制止に耳も貸さず、深夜までただただそれを繰り返していると、
まざまざと若い頃にからだにしみこんでいた退廃がよみがえる。
タバコを吸う人は、この退廃に向き合えといっているようだ。
ヒマラヤへ来てからあまりに整然と自分を整理しすぎていたようだ。

20代、30代とただただ私は退廃していた。
革命運動の挫折の後、生きるすべを見失い、
ただ次々やってくるおびただしい興味や偶然に翻弄されていた。
情事、裏切り、笛つくりと笛吹き、旧石器づくり、水晶掘り、めどのない国家論、
高山植物育て、海もぐり、魚育て、エコロジー、性犯罪者の記録の収集、
子供のための人形つくり、絵本描き、エロ本漁り、
登山、スキー狂い、水泳、ジャズダンス、自転車、トライアスロン、人妻との情事、
一升酒、200本のタバコ、睡眠薬、16歳の少女との情事、
そんな退廃の果てに、とうとう見つけたのが舞踏だった。
踊り手になったとたん、それまでの暮らしが前世のそのまた前世のことのように
掻き消え忘れ去っていった。

これらの退廃の何が問題だったのだろう。
今から思えば、じぶんがあまりにじぶんの小さな自我に囚われて、
あらゆるものとの共振を忘れていたことだ。
生命からあまりに遠ざかっていた。
退廃の本質は非共振なのだ。
ニーチェはデカダンスの本質はニヒリズムにあるといった。
美しいイデアと、下俗な現実というプラトニズムという二元思考がその根底にあると見た。
私は長くその考えの影響下にあったが、今の私はそこからもう一歩踏み出している。
現代のデカダンスは、生命を忘れたディゾナンスにある。
人々は自我とそれと相補的な国家という幻想に囚われて、
生命の共振を忘れ去っていることにある。

自分の中に厳然としてある退廃に付き合って、ようやくそれが見えてきた。
この退廃はいまの世界の人々と通底し、共有しているものだ。
これを忘れては、なぜここまで退廃しているのかが見えない。
能力や金力やコネなどの権力を持てる者は、自分の既得権の確保に汲々としている。
弱いものに共振することができないのは、自我と国家に囚われているからだ。
いじめが起こるのは、社会から受ける小さな自我への圧迫に堪えかねているからだ。
いじめる側は自分の中のおびえや醜さを、いじめの対象に投射し、
外在化されたじぶんの小さな自我の醜い姿に猛り立つじぶんを抑えることができない。
小さな自我に囚われていると、それが透明に見透かせない。
私もまたそうだったから、よく分かる。

タバコを吸い続けていると、ときどきとんでもない感情が湧き起こる。
エッジにぶつかり、苦しんでいる生徒を見ると、
助けるどころか、産婆どころか、いじめたくなる自分が出てきて驚いたことがある。
「君はいったい誰だ?」
小さな自我にこころがのっとられていた瞬間だった。
からだの闇で起こることの暗さは底しれなく深い。
この文章でも<自我への囚われ>と<生命共振>というような単純な二分化で、
済ましている私の意識の二元論への囚われから抜け出す道を掘らなくてはならない。
じぶんが嫌悪し、否定する対象のなかにこそ、じぶんの問題が潜んでいるのだ。
だが、ここから先がきつい。もうどこにも先例はないからだ。
頼りはからだの闇のリゾームだけだ。
私はまだまだ、この退廃君と付き合い、学び続けなくてはならないだろう。

たいはい君という重要な要素を周縁化しないために、以前作った色分け表
新しい欄を付け加えることにした。

アド人格群(山沢・今故・憤怒) ●●●
ロリ人格を含む性的人格群
仕事師人格群
絵描き人格
か弱い人格群
自然派人格群(苔丸・鳥吉・魚輔)
テーブル返し・代替転換屋
原生夢人格群
生命龍
退廃群(グレコ、スモーカー)
踊り人格・教師人格・産婆  多重日記以外の記事に登場

ほんとうはもう、人格状態という捉え方ではどうにもならない。
これもまた単純な二元論による分類だからだ。
からだの闇はもっととらえどころのないリゾーム状態だ。
だが、これに替わる捉え方がまだ見つからない。

表を作り変えるために古い日記を読み返してみると、
退廃君に気づいたのは今回がはじめてではなく、
以前にも出てきていたことが分かった。
風邪、熱、真夜中のグレコ」という記事で、グレコと命名までしていた。
また、「原生夢人格群」に分類されている転落のクオリア
退廃君と密接に結びついている。
深層で通底しているところがある。
これが人格群がツリーではなく、リゾームであるゆえんだ。
それにしてもじぶんのことなのに、忘れっぽくなったものだ。

もうひとつ、この日記を読み返してみると、
去年にも一度、初恋のことを書いた記事に出会った。
代替転換屋のうねりくねる欲望」という記事だ。
このとき書いた代替転換屋という巨大な解離人格について
おとといの記事ではすっかり忘れていた。
やはりどこかでアルツハイマーが始まっているのかなあ。
今残っている記憶も遅かれ早かれ少しずつ崩壊してくのだろう。
そのことを覚悟しておこう。
記憶の縮退は悲しいが、それを
自我や自分を透脱することを、肉体の側から支援してくれているのだと捉えればいい。
それまでに隠れている問題を解決してしまえばいいのだ。
間に合うかどうか分からないけれど。
間に合わなくても自分では気づかないから、それはそれでいいのだ。


●●● 2008年7月25日

愛の墓場の旅

しつこく居座り続けるタバコを吸う人に問い続ける日々が続く。
「何のために出てきたのだい?」
じょじょに彼がいざなおうとしている国に恐る恐る入っていく。
そこはおびただしい愛の失敗の歴史にあふれている場所だった。
ここ数日、それぞれの愛が壊れる瞬間の生々しいクオリアがよみがえってきた。
からだの闇には数え切れない愛の失敗と痛恨が詰まっている。
愛の墓場。
思い出したくもないのはもっともだ。
すべての記憶が身を切るように痛い。
痛みながらも、わたしは愛の墓場を掘り起こし始めた。
今の私なら昔より少しはましなかたちに生き直すことができるかもしれない。
そこが未踏の隠された宝の埋まっている場所かもしれない。
わたしは自分をからだの闇の冒険者として空勇気を奮い立たせた。

初恋の惨劇。

17歳のときわたしはひとつ年下の少女に恋をした。
毎日の夕暮れをその少女の家のそばの町を歩き続けた。
鉄でできた鈍い色の川が流れていた。
ある日その少女と少し離れた町にある印刷屋に一緒に出かけた。
私は高校の文芸部部長だった。
たくさんいた美しい夢のような詩を書く人々は
校内名うての不良の私が入部したとたんいつの間にか消えてしまった。
部員は私のことを知らなかった下級生のその少女一人。
ふたりで文芸部の文集を編集し、印刷屋に赴き、一緒に校正をした。
その帰り道、とうとう私は告白した。
「僕はね、好きになった娘の住む町をほっつき歩くくせがあるんだ。」
「……」
「その町の名はね、大阪市○○区赤川一丁目8番地……」
瞬間彼女の頬が真っ赤に染まった。
その頬の赤みが差した瞬間、わたしの胸も激しく躍った。
しばらく黙って並んで歩いた。
ふたりの腕の周期が合って、瞬間手が触れた。
触れ合ったまま歩き続けた。
その後の記憶はほとんどない。
ただ仲よくできてきた文集を配ったり、
読書会を主催したりしていたのだろうと思う。
幸福な記憶はいつのまにか仔細が消えてしまうのだ。
私はその娘と淡い恋仲になったものとばかり思っていた。
しばらくして私の当時の親友が私に告白した。
「実は俺も彼女に恋をしている」と。
彼は高校の社会科学部の部長で、
私も彼女も、このあとで来るすべての登場人物もそこに属していた。
社研部とはその高校の反体制分子のたまり場だった。
「そうだったのかい。何なら彼女にそういえばいい。
彼女がどちらかを選んでくれるだろう。」
わたしはフェアを装ってそういった。
だが淡い幸せのさなかにいる彼女が私を選ぶだろうことは疑いもしなかったから、
そう言えたのだ。
三人で会った。
私の友は泣きながら激しい想いと悶々と苦しんできた日々について語った。
話し終えると、私は予定通りに尋ねた。
「で、どちらを選ぶ?」
思いもかけない答えが彼女の口からほとばしりでた。
「選ぶことなんて私にはできません。
私は人様を選ぶことができるほど値打ちがある人間じゃないの」
わたしの淡い期待はガラガラと崩れた。
強烈なめまいに襲われて立っていられなかった。
信じて疑わなかった世界がこんなにもろくも掻き消えてしまうとは。
今から思えばそのとき私の幼児期体験の内クオリアが共振してぶり返したのだ。

3歳のある日母が目の前から掻き消えた。
夢の中で私は必死に母を捜し続けていた。
捨てられたネズミになったかのように猛速度で走り回っていた。
3歳児にとって母とは宇宙そのもののような存在だったろう。
だが、宇宙は消えるものなのだと、3歳の私に刷り込まれた。
その後預けられた祖母を次第に母のように慕うようになった。
3歳から7歳まで私は祖母にすがり付いて生きた。
だが、その祖母も7歳のとき忽然と消えた。
春休みのある日、祖母に連れられ住んでいた和歌山市から
父母と弟が住む大阪の家まで連れて行かれた。
私は用心していたが、弟たちと遊ぶ隙に祖母はこっそりいなくなった。
またしても私の宇宙が崩壊した。
星から落ちる夢を見続けるようになった。
一緒に暮らすようになった母を私はもはや母とは感じられなかった。

彼女が選べないと言ったとき、
またしても私は信じていた宇宙が瞬時に壊れるめまいの中に叩き落された。
しばらく三人で交互に付き合う三角関係の日々が続いた。
ある日、高校の文化祭の夕方、彼女に一緒に帰ろうといった。
「だめなの。きょうはもうあの人とデイトすると約束してしまったから」
またしてもめまいの中に陥った私は、彼女から離れ、反射的に別の少女Kをデイトに誘った。
社研部の中でそれまで友達として付き合ってきた少女だった。
二人きりで話してみると、意外に魅力的な感性を持った娘だと分かった。
その日以来、三角関係が四角関係に移行した。
私は初恋の少女Mと少女Kの魅力の間でゆらぎ続けた。
実際、二人ともとびきりの個性と魅力の持ち主だった。
それが私が人生で何度となく陥る四角関係の第一回目の始まりだった。
私の関係の原基には、母と祖母という二つの宇宙の間を
ドッジボールのように受け渡される体験が刻印されている。
どちらの世界も信じることはできない。
いつか消えるものだと用心していなくてはならない。
その体験の意味を自分の人生でも繰り返し味わい続ける運命をたどることになった。
初恋の少女も私と友人との間で苦しんでいたのだろう。
ある日、一緒に帰る道で彼女は、「今日は家に帰らない」と言った。
6月の梅雨の真っ最中のしだ降る雨の日だった。
まるでかけおちしようという誘いのように聞こえた。
私の高校の文芸部には、在学中に駆け落ちした水川真という伝説の詩人の先輩がいて
私も彼女も彼の詩を愛読していた。
だが、無一文だった私たちには駆け落ちどころか雨宿りする場所さえもなかった。
一晩中、ひとつの傘に肩を寄せてずぶぬれになって歩き続けた。
彼女を守ることも、愛することも何もできなかった。
そのどうしようもなさが私たちの幸せの頂点だった。
あくる日学校で、彼女は家から連絡があって、
職員室に呼び出された、と言いにきた。
反射的に私は、「俺と一緒だったと言うととんでもないことになるから、言うなよ」と言った。
私はそのときすでに札付きの不良で、彼女を巻き込みたくないと直観的に判断したのだが、
ただ、そのときの私の態度は愛する力のある者の態度でないことだけは確かだった。
私は全身を無力感に浸されていた。
彼女とはそれ以後距離が遠ざかっていった。
彼女はその後私でも、私の友人でもない別の男と付き合いだした。
校内一の色男だった。見せびらかすように学校中を並んで歩いていた。
あんなやつと付き合う女だったのかい、と私は冷ややかに眺めていた。
私は私でもうその頃は、その後私の妻となることとなった、
もうひとりの少女と付き合うようになっていたのだ。
だいぶたってから、文芸部室で顔を会わせたとき、彼女は不意に言った。
「好きだった。現在形に言い直してもいいわ」
衝動的にキスをした。歯がぶつかった。
学生食堂で一緒に食べた、うどんの味がした。
それ以外の記憶はない。
(だが、そんなこと今頃言われてももうどうしようもないじゃないか)
と思ったのだろうと思う。
だが、彼女のことはそれ以後もずっと謎として残った。
私のことが好きだったら、なぜ選べないなどといったのか。
彼女には、尊大な口ぶりで人を翻弄する面と、
妙に自己卑下している正反対の面があった。
私とつくった文集に彼女は『ノミのサーカス』という詩を書いていた。
文集はなくしたが何度も読み返したので空で覚えている。
「ノミは必死で跳んで見せます。
これ以上飛べない高さまで跳んで見せます。
でも誰も喝采しない。」
というものだった。
自分をノミに譬えているのは分かった。
だが、なぜノミなのか?
その謎はその後の私の人生を支配した。

その後私は20歳で、もうひとりの少女Kと結婚した。
彼女も職場の男と結婚した。
仙台で暮らしていたが、相手の金の始末が悪くて離婚して大阪に帰ってきた。
その後も彼女に言い寄る多くの男たちと付き合っていると友人から聞いた。
私の友人は彼女に翻弄されながらも粘り強く彼女と付き合い続けていた。
私が抱え込んだ彼女という謎を解くのは私でなくても、私の友人でもいいと思っていた。
20代の日々、私は家庭を離れ一人暮らしをしていた時期がある。
深夜一人で飲めば、25時間目を過ぎた頃必ず彼女が現れて架空の会話をし続けていた。
当時の秘密のノートに膨大な会話録が残っている。
顔はなかったが、彼女独特のシニカルな口ぶりがほかの誰でもないことを告げていた。
結婚の現実とは別の幻のもうひとつの世界で私は彼女と会い続けていたのだ。

だが、30歳になる頃、私の友人はとうとう彼女をあきらめた。
もう男遊びに我慢できなくなって別れたと聞いた瞬間、
ではあの謎はいったい誰が解くのだとめまいがした。
翌日私は彼女に電話して酒場で会った。
長年会いたくて仕方がないのに会うことを禁じていた人だった。
会うなり胸に手を入れた。ひんやりと静まり返っていた。
一挙に10年の隔離の時間が掻き消えて、親密だった頃の距離に戻った。
彼女は長くしまっていた彼女の秘密を語った。
その秘密はここでは書けない。
だが8歳の少女が、自分には責任のない事件のために
自分にはもう人並みの値打ちがなくなったのだと思い込ませるに十分の事件だった。
8歳のときに刷り込まれたけがれの意識が、彼女の自己像を著しくゆがめてしまったのだ。
反面、彼女は言い寄る男をもてあそぶことで、
自分の子供時代に受けた傷に復讐していたのだ。
力のない子供時代の自分を力ある大人がもてあそんだように、
彼女は周りの世界を翻弄することで世界との関係を反復することによって
世界を再編集し続けたのだ。
毎日職場の誰かが家と職場の間を送り迎えしてくれていると言った。
そういうアッシー君とは別に、心で好きな人もいると言った。
「なぜその人と付き合わないんだい?」と尋ねると、
彼女は諦めの面持ちで言った。
「好きな子の前では私はいじけてしまうの」
もう自分のこの厄介な性質については検討しつくしたけれど
どうしようもないの、という明晰な自己把握だった。
彼女の尊大さと、反面の自分は値打ちのない人間だという自己卑下の謎がすべて解けた。
論理的には。
だが、心の謎はもっと深い。
「長くつきあってね」とその日の別れ際彼女は言った。
「うん、長く付き合おう」
「これは、ひめごと」
「そう、ふたりだけのひめごと」
ほとんどからだの交わりに至りかけたけれども至りはしないまま、
私たちは長い付き合いのはじまりの希望を抱いて別れた。
十数年ぶりに初恋の時の不幸な別離と今との時間が
二人の間で反復したひめごとという言葉のなかでつながった。
ひめごと、というのは高校生時代に私たちが
愛読した太宰治の小説のなかの言葉だった。
別々にたどってきた時空を超えて私たちは
「ひめごと」という秘密の符牒への共振の中で昔の親密さの中に帰ったのだ。

だが、あくる日彼女は別れた友人に私と会ったと電話した。
友人から妻の友人Sに私と彼女が会ったことを告げる電話があった。
その共通の友人Sは高校時代の四角関係のことをみんな知っていて、
つねづね、私がMさんにもKさんにも一番ひどいことをしたという意見を唱え続けていた。
その私がまた事件を振り出しに戻すようなことをするなんてと、
私と彼女が会ったことを憤ってそのことを妻に告げた。
妻はそれを知って打ちのめされた。
私は彼女に電話でなじった。
「どうして俺と会ったことを別れた友人に告げたのだい?」
「だって、私とあなたが今頃会うことになるなんて、何がどうなっているのか、
わけが分からずに、こんがらがってしまって……」
たしかにそのこんがらがりようは私にも分かった。
私にさえわけがわからなかったのだ。
私は彼女と会ったことで妻を傷つけたことに堪えることができなかった。
私は一人暮らしを終え妻と子が住む家に帰った。
彼女とはそれっきりになった。
なぜ、私には愛についてなにごともこううまくいかないのかという
より深い謎が胸の底に沈殿した。
私は愛の失敗者だ。
初恋の彼女も、結婚した妻もついに幸せにすることができなかった。
その後に付き合った女性も誰一人愛し切れなかった。
私はまぎれもない愛の失敗者だ。
愛が何か、愛するとはどういうことか、いまだに知らない。
私はその事実を受け入れる。
当時の私には愛をめぐっていつもやってくるめまいを透明に見透かす力がなかった。
今なら自分がこうむった幼少期のトラウマと愛のめまいの共振関係が透けて見える。
なぜ、愛する人を信じることができないのか。
幸福の頂点でいつも地獄を覚悟し宇宙をなくす不安に震えていたのか。
彼女のトラウマと、彼女のこうむった自己卑下の関係も見える。
彼女が好きな子の前でいじけてしまうのも
、当時の彼女にとってどうしようもないことだったことが分かる。
それらは本当にどうしようもなかった。
今の私なら過去のその都度の愛の失敗の場面において、どうすればよかったのか、
昔よりは多少ましな道が見える。
だが、過去の私は今の私ではない。
16歳の彼女にも16歳の力しかなかった。
私たちの愛は失敗すべくして失敗し続けたのだ。
私はそれらのどうしようもなかった過去のすべてを受け入れる。
今まで切り捨てて受け入れることができなかった過去を
受け入れることができるようになったことは大きな変化だ。
しつこく居座り続けたタバコを吸う人が導こうとしたのは、
この小さな癒しに至る道だったのだろう。

過去の惨劇にもぐって行き当たったことは、問題は過去にではなく
今ここでどうしうるのか、というかたちで解くしかないと言うことだ。
私はいま人生最後の愛を生きようとしている。
50歳も年下の少女をもう5年にわたって愛そうとしている。
道はいままででいちばん暗い。世間的にはほとんど不可能の愛だ。
初恋の彼女が負ったような傷を負わせることなく、どういう愛がありえるのか。
その少女を幸福にする愛とは何か、今の私には具体的な未来はまだ何も見えない。
一縷のほとんど不可能な生命共振が時を超えて成り立つ可能性だけが感じられる。
だが、かたときも予断は許せない。
可能性と見えているものが私の幻に過ぎないかもしれない。
ついに愛の失敗者のまま終わるのか、最後にどんでん返しができるのか。

「人は恋と革命のために生まれた」
17歳の私を人生に導いた太宰治の言葉が、いまだに私を未踏の愛と革命に駆り立てる。


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●●● 2008年7月20日

ヘビースモーカーの襲来

今月に入ってからタバコを吸う人が訪れて私の中に居座り続けている。
今年二度目のおいでだ。
この冬にやってきたときは、コンピュータワークと日本での雑用で
神経が高ぶり、仕事師人格が出てきたのだと思いなしていた。
実際春の入学シーズンを過ぎると、いつのまにかからだの闇に帰っていった。
だが、今月は一月あまりもネットがつながらず、コンピュータからも遠ざかっていた。
だから、あきらかに仕事師ではない。30年間の禁煙を押して出てくるには
なにか別の理由がありそうだ。
ずっとタバコを吸う人に、「きみは誰?」、「どこから来たの?」、「何の用で出てき
たの?」と問いかけ続けてきたが、応えはなかった。
それが、ある日練習が終わって、ベランダで一服したとき、不意に気づいた。
タバコをすっていた10代、20代、30代のころの自分を掘れということなのか、と

そういえば私は、踊りを始めてからそれ以前の自分を切捨てすっかり忘れ去っていた。
思い出そうにも前世のそのまた前世のようにしか感じられなかった。
そして、すっかり、ないものとして忘れかけていた。

だが、それらの忘れられたクオリアはずっとからだの闇の底で
出てくる日を待ち構えていたのだ。
最初に過去からよみがえってきたのは、
1998年の「伝染熱」のときだ。10代の革命運動をしていたころの
山沢夙が、死んだ山崎や、辻、橋本らのからだごと乗り込んできて
一気に「伝染熱」を創った。そして、その勢いで世界に飛び出し、
2003年まで「死者熱」、「暗黒熱」などの一連のシリーズを踊り回った。

今年プールを造って20年ぶりに好きだった泳ぎを再会すると、
水の中で水泳友達のことをよく思い出すようになった。
30代から、40代半ばまでの水泳、トライアスロン時代の
自分のからだとも再びつながりが生まれた。

だが、10代から20代、30代半ばまでのタバコを吸っていた
高校、大学や、コピーライター時代の自分は思い出したくもないと
切り捨てていたことに気づいた。
どうやら、タバコを吸う人は、その忘れられた自分からの
亡霊のような使者なのではないか?

その時代の日記は厚さの合計が1メートルを越すほど膨大に残っている。
これまでにすこし読み返しても、どのページにも苦い思い出や、
行き場のない焦燥ばかりが詰まっていて
二度と読み返す気にはなれなかった。
だが、このタバコを吸う人が、こんなに頑固に何度も押しかけてきて
しつこく居座り続けるのは、そのころの記憶を掘り返せば見落としていた
宝物が見つかるというしらせなのかもしれない。
宝が見つかるかどうかはともかくとして、自分の全体に触れ合うには
その時代の自分を切り捨てたままでは嘘になる。
なかなか、気が進まないが、やはりもう一度掘り返して
自分の全体を再編成する必要がありそうだ。

これまでのからだの闇探鉱の経験でも、
もっとも気の進まない、顔を背けたくなる不快な領域に
もっとも重大な気づきが埋もれていることは知っている。

やれやれ、今度はきつい坑道掘りになりそうだ。
何せ1メートルの日記だ。
その中には若年のころの、何度かの三角関係や
裏切りや、憤怒、傷つけ、傷つけられた古傷がかさぶたをかぶったまま
残っていて、それに触れるとまだ赤い血が噴出すに違いない。
からだの闇掘りは、血まみれの仕事だ。

**************

数日前にここまで書いて寝た。
その夜さっそく悪夢と幻聴に襲われた。

私の机の下に潜るとゴミと砂だらけだ。
昔の妻が「あんたはクリーンアップすると言ったじゃないの!」と
言って泣きながらなじっている。
ああ、またこれか。
夢の中でその頃自分が縛られていた理不尽な状況のすべての布置を思い出した。
頭の中で、何分かおきに鋭い炸裂音がして強い衝撃波がからだを走った。
脳細胞の一部が弾けて砕け散ったかのような体感だ。
頭のなかでいつもの地虫の鳴く声に加えて、蚊が耳元で飛んでいる幻聴が続いている。
三種の幻聴混合合奏だ。
奇妙なタコの足のような生物の幻覚も見える。
幻覚なのか夢なのか判然としない。


目覚め際、あ、この人は今はもう私の妻じゃないのだ、と思った。
それにしてもこの炸裂音はいったい何だ?
タバコを吸っているせいで脳に異常が起こっているのか。
指先がかすかにしびれている。
あの炸裂音の連続は脳に必ずや物理的な異常を伴っているはずだ。
俺もこうして死んでいくのか。

夜風を吸おうとベランダに出ると。
誰かがプールの下の藪を懐中電灯を照らしながら何かを探索している。
こちらも懐中電灯を照らして、「こらっ、何しとんじゃい!」と怒鳴った。
何度か盗みに入った知り合いの青年が再来したかと
「イシ! 叩き殺すぞ!」と怒鳴ったが反応がない。
よく見ると向かいの山の電波塔の光が
プールの温水ソーラーパネルに反射していただけだった。
だが、怒鳴ったおかげでオドレナリンが噴出して、からだが激昂モードになった。
脳細胞死が起こっているのではないかと、死を覚悟した。

タバコを吸う人よ。毎夜こんな悪夢や悪夢や幻聴に直面しろというのか。
今はまだそのときではないのではないか。
とても堪えられるものではない。

プールの下から大勢の男たちが口々に何かをわめきながら攻めあがってくる
幻覚もやってきた。

とても自らすすんで入っていくべき世界ではない。
だが、私のなかで解離しているクオリアが
どんなものであるのかだけは見当がついた。

あの炸裂音は脳内の解離壁が崩れる音なのかもしれない。
あるいは解離されていたクオリア群が大挙してやってくる前兆なのか?


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●●● 2008年6月5日

水中で起こるからだの変化

今日生徒のシシーの水中調体の授業を受けた。
水に触れていくときのからだの変化を注意深く聴きながら水に触れていった。
からだが水に触れた途端、なにかが決定的に変わる。
これまであまりに水の中の生活が長かったので忘れていたが、
水の中で起こっていたのは根源的なからだの布置の変化なのだ。

水の中で揺らいでいると、意識ではなくからだじゅうの細胞が水の中にいたころの
生命記憶を思い出す。
特に水中調体のあと、露天風呂でウォアツ(Water+Shiatsuの造語で、アメリカ人が創始した水中ゆらぎ指圧)を受けているときに劇的な変化を感じた。
もっとも変わるのは、性的なからだではなく、無性的なからだになることだ。
水中で揺らいでいた単細胞時代も、胎児時代もわたしたちは性的ではなかった。
だが、成人して以来わたしたちはあまりに性的な刺激や情報に囲まれて
あまりに深く性的なものに囚われている。
水の中の揺らぎは細胞が水中時代のふちを思い出し、
性的囚われの状態からわたし達を解放してくれる。

というのは、ウォアツは去年まではときどき行っていたのだが、
今年に入って生徒の人数が増えたことも合ってやることはなくなっていた。
だが、その背景で、わたしの性的人格がロリに傾くと
成人女性のからだに触れることができなくなるという事情があったようだ。
一緒に露天風呂に入ることができなくなる。
今日生徒と一緒に入ったのは久しぶりだった。
そして、いかに今年のわたしがロリに囚われていたかを如実に知ったのだ。
かすかな兆候なので、こういう変化がないとなかなか分からない。

からだが性的な囚われから解放され、透明な生命共振モードになると
一挙になにかが楽になる。
シシーの水中調体とウォアツでそのことを知ることができた。
生命にとって水の大いさを思い知る一日になった。
これはこれから水中での授業を探求していく上で大きなヒントになりそうだ。

●●● 2008年5月15日

産婆と水守

どうやらわたしのついの仕事は産婆と水守になりそうだ。
サブボディの産婆と、もうひとつは
今年の冬12.5メートルプールを庭の隅に作った。
3月からヒマラヤの雪解け水をためだして、5月現在ようやく60センチほどたまった。
最初は思い切りアオコが湧いて濃い緑になった。
砂フィルターごときでは漉しきれない。
漉すより太陽エネルギーを得て、増殖する力のほうが強いのだ。
仕方がないので塩素を巻くと瞬間的に真っ白い白濁液に変化した。
ナチスよりひどい何兆という生命を瞬時に奪ったホロコーストだった。
次ににわか雨が流入して泥水に変わった。
インドの乾季は空中に砂塵が濃く舞っていて、
小雨が降ると泥をかぶったようになる。
毎日毎夕プールの床に沈んだ砂塵をモッブでゆっくり集めて掃除するのが日課になった。
これが結構楽しい。
死ぬまでこのインドの水の守をして付き合っていこうと思う。
雨季になると、インドで二番目に雨量の多いダラムサラの気違い水と格闘する羽目になる。
家が大河の中洲にあるかのような流れに見舞われる。
プールにも容赦なく流れ込むだろう。
何度か泣かされるだろうが相手にとって不足はない。

わたしはとことん水が好きなようだ。
20代から十数年間、水槽に淡水魚を飼って毎日眺めていた。
透明な稚魚や川エビや淡水クラゲが好きだった。
30代から44歳まで水の中で暮らした。毎日数時間泳ぎ続けた。
踊りを始めて今年まで15年間、
水泳で付いた筋肉をそぎ落とすために好きだった泳ぎを自ら禁じていたが、
もうこれ以上落とすと危ないところまで衰えた。
あとはこのよぼよぼのからだを最低限維持していけばよい。
毎日30分ほど泳ぐともう息が切れるがそれでちょうどよい。
15年ぶりの水との付き合いが始まった。
泳ぎの後の独特の全身の心地よい疲れが返ってきた。
なんとも懐かしい疲れ心地だ。
泳ぎ終わると水際で夕食をとる。
ポンプで循環している砂ろ過装置の水音は水ならではのゆらぎがあって、
どんな音楽より命がほぐれる。
今日は月が出ていた。
水に映る月を掬う禅の公案を思い出していた。
公案は解くためのものではなく、解けない謎に直面するためのものだ。
わたしの公案は命という公案だ。
もっとも解き難く、もっとも解き甲斐がある。




●●● 2008年4月22日

リゾクラシーな革命

夜中に仕事をする仕事師さんは、
とうとう夕べは一晩でタバコ2箱を吸うようになった。
限界だった。
からだのほかの60兆の細胞が騒ぎ出した。
口が苦くなり、息切れしだした。
毎日曜日に会う子供たちも、先週は縁日に出かけてふとタバコを口にすると
9歳のチングリから「向こうで吸ってくれ」と不快な顔で言われた。
リングリにも意外な顔をされた。(え?まだそんなもの吸っていたの?)
彼らの声が聴こえなくなっているとしたら問題だ。

でも、一番の問題は、先週末のサブボディ・コーボディ劇場で
生徒のサブボディに共振できずに、自我の判断に囚われてしまったことだ。
一人の生徒がコーボディ劇場の中で動けなくなり、
頭をかかえて壁に向かってうずくまり動かなくなってしまった。
そのしぐさが人間的だったので、わたしは「自我が出てきている」と勝手に決め付けて、
苦い顔で見ていた。
公演としてはもっともぶち壊しになる行為なので、その日サブボディの振付に集中して、
コーボディ練習を省いたのがこうなったと後悔していた。
いずれもわたしが善悪好悪の二元論的判断に囚われてしまっていた。
わたしの自我が出ると、生徒のサブボディに共振できなくなる。
かれがなぜうずくまってしまったのか、それにはそれなりの理由があるはずだ。
だが、そんな微細なことに耳を澄ますことができなくなってしまっていた。

やはりあまりに仕事師の意識人格に引きずられすぎて、
産婆としての仕事がおろそかになる段階にまで食い込んできたということだ。

以上すべての多様な要因で、からだじゅうの細胞が、おそらくそれぞれに共振しつつ、
決まったのだ。今日がタバコの止め時だと。
リゾクラシーな決定だった。
わたしがいやだった、単一の強い意志による決断で禁煙に踏み切るというのではなかった。、
タバコを吸う人格をわたしの中の誰かが指導統制する形で止めるのはいやだったが、
そうではなく、ある日突然、からだじゅうで決まった。
からだじゅうの60兆の細胞が共振してそうなった。
ごくごく静かな革命だった。
会議も議論もあったわけではない。ただからだの細胞たちが共振して決まった。
中心はどこにもない。宣伝機関もない。
ただ、そう決まったことは誰もが同時に知っていた。

タバコ吸いさんも、「リゾクラシーなら、仕方がないなあ」と受け入れてくれた。

人間とはこんなにも物語を必要とするものなのか、と愕然とした。
リゾクラシーという、あまりにもわたしにうってつけな言葉がたしか前日の夢の中で見つかった。
それによる革命なら仕方がないと、タバコ吸いさんはやすやすと引き下がった。
というより、このリゾクラシー革命を体得するために、
タバコ吸いさんは出てきてくれていたのかも知れない。
ふしぎなしずかな革命だった。
あの何から何までニセモノのデモクラシーという幻影に死を宣告するために、
それに替わる確固としたイメージが必要だった。
デモクラシーは、その発祥のギリシアでは、奴隷制の上に立った市民権をもつものらだけの
議論で物事を決めるというシステムだ。
あらかじめシステムにたてつくものらはそこから締め出されている。
近代でも、国家に忠誠を誓う限りで市民権が与えられる。
日本での在日韓国人や、米国での越境メキシコ人たちに市民権はない。
そのくせ自らを自由平等博愛のニセのイデオロギーで飾り立てる。
とんでもないニセの制度がデモクラシーだ。
ディープデモクラシーという言葉はあったが、
不徹底で気に入らなかった。
デモクラシーだの民主主義だのをあたかもいいものだと思い込んでいる人にであうと、
節穴ではないかと覗き込まないではいられなかった。
これほどみやすいニセものもないと思えたからだ。
ともあれ、それに替わるものがやっと見つかった。

<リゾクラシー>
それは、<Rhizo-cracy>であると同時に、<Reso-cracy>でもある。
なんと共振とリゾームは、日本語にすれば最初の二語は同じ発音なのだ。
まるで手品のようだ。
わたしは、この概念を発明するために、
20代以降の暗渠を延々と泥をすすって生き永らえてきたのだ。
見つけるまでに40年かかったが、これでもう未来の革命のイメージは出来上がった。
ただ、みんなで徹底して嫌がればいいだけだ。
国家や戦争を嫌がればいい。
それだけで必ずなくなる日が来る。
人類全体がある日突然それに気づく。
とりわけか弱い女子供たちが本気で嫌がればいい。
まだまだ本気さが足りないのだ。



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●●● 2008年4月17日

リゾームLeeとツリーLee

なぜ、今年になって15年ぶりに<仕事師>さんが出てきて、
例年のように速やかにからだの闇の居場所に帰らずに居座っているのか、
そのわけがとうとう分かった。
わたしのツリーリゾーム論を身をもって推進させるために出てきてくれたのだ。

今朝、生徒の一人が新入生のために、百丹三元の図を描いて教えていた。
昨夕のミーティングで、さっぱり分からないという新入生の要請に応えてのものだった。
わたしは不思議に感じた。
わたしはサイトにはいくらでもイラストを掲載しているのに、
授業の現場でのわたしは、からだではやって見せても、
白板に図解することはなぜかする気になれなかった。
それをやった途端、意識モードの戻ってしまうのが不快だったからだ。
そこで気がついた。
リゾームLeeは、からだを通じて教えることはできるが、図解はしようとしない。
サイトにイラストを掲載しているのは、別の人格<仕事師>さんだったのだ。
自分の中に奇妙かつ微妙な裂け目がある。

もうひとつ気づいたのは、昼から、胎道を遡行する瞑想に入る前に、
受精後の受精卵がたどる道を新入生に見せるかどうか迷ったときだ。
図解イラストなどを見てから、胎内を遡行する瞑想に入ると、
何をやっているのか、意識にはよく分かるが、
意識に残るイラストに囚われて、よい瞑想状態に入ることが難しくなる。
見せるとすれば、別の機会にするべきなのだ。
ツリーの意識世界とリゾームの下意識世界の間の
もっともよい微妙な相互作用を見出すのがわたしの実践的な仕事なのだと気づいた。
イラストを描く仕事師さんは、この仕事を促進するために出てきてくれたわたしの重大なかたわれ、
<リゾームLee>に対して<ツリーLee>と呼ぶべき双子のかたわれなのだ。
この双子の間の相互作用が絶妙な呼吸で交わされるとき、
ツリーリゾームの論理は実践的に進展する。
今年の冬休みに、透明論を観念的な文字だけで、書こうとして頓挫したとき、
わたしはこれは日々の実践の中で解決されるべきものだと気づいて、
授業の中にその解決を探ってきたが、まさしくそれを遂行するために
<ツリーLee>さんは、<リゾームLee>の最高のコンビになる。
そんなことに気づかず、いままで、踊り手の<リゾームLee>は、
仕事師さんを嫌がっていた。
たしかに30代の嗜癖に囚われてタバコはぷかぷか吸うし、
サイトにアップロードする待ち時間を待ちきれずに、
コンピュータゲームに興じてはまり込み昔同様の夜更かしをする。
生徒のあらだになりこむどころか、
自分のからだに対してさえ配慮できない嗜癖に囚われた小さな自我の持ち主なのだ。
からだに悪いことばかりするのだが、コンピュータを使いこなすのは、
踊り手の<リゾームLee>には無理なので、したい放題にしていた。

だが、わたしにとってもっとも重大な課題を遂行するために
<リゾームLee>のほかに<仕事師>=<ツリーLee>を必要としているのだ。
わたしはこの二人を統合したとき、はじめて自分自身になれるのかもしれない。
どのようにそれが可能なのかはまだ分からない。
タバコを意志的に禁じるのはしたくない。
両者をうまく統制できないいまの無政府状態のほうが自分らしいと感じる。
超自我的に禁じるのではなく、<ツリーLee>がみずからそれを自然に放棄する
ようになるのを待つしかない。
おそらく、この間「からだの闇」と「多重日記」の区別が薄れてきたのも、
統合前夜の、あと薄皮一枚残したところにさしかかっているからかも知れない。
そのときは、「からだの闇・多重日記」と改名してふたつの日記をひとつにしよう。

まだまだ、ロリとその他の性的人格の分裂というおおきな課題も残っているから
そう簡単にはいかないかもしれないが。
<ツリーLee>と<リゾームLee>の統合とは、
意識と下意識の統合という課題に相当するだろう。
その次は、多岐に避け果てた欲望の統合という課題に直面するのだろうか。
生きている間にそれを解決することなど可能なのだろうか。
それとも、無理やりひとつに統合するのではなく、ドゥルーズのいうごとく、
「n個の性」を生きるというリゾームになる道がありうるのだろうか。
いよいよわたしの人生のもっとも深い謎に直面する日が近づいてきた。


●●● 2008年4月6日

からだの闇の布置の変動に耳を澄ます

重大なことに気づいた。
からだの闇は非二元・多次元世界だから、
そこを探るには、日常界とは別のものさしで見なければならない。
からだに耳を澄ますとき、具体的なメッセージではなく、
意識と下意識と生命の間の布置のかすかな変化に聞き入ることが大事だ。

布置とはなにか、大変に言うことが難しいが、
からだの闇の中の意識と下意識と生命との間の力関係の変化や、
おおきなうねりの変動の感じに耳を澄ますことだ。
マグマの変動のようなものとしてイメージするのが視覚化しやすい。
視覚化してしまうと、実際の不可視の多次元変容流動を、
低次元変換してしまうことになり、
フロイドのような古典力学的な単純化に陥りやすいが
それを用心しつつ使うしか今のところ仕方がない。

実際そこで起こっている布置の変動から、日常世界へ現れてくるときは、
影やサブ人格の形をとって現れてくるかに見えるが、
それは日常界のまなざしで捉えているからだ。
実際、解離した人格が日常世界へ予告もなしにどんどん噴出してきた数年前は、
それら一つ一つの現われを数えられる人格として捉える必要に迫られていたが
最近人格の現れ方が随分変わってきた。
なにか、下意識の見えないうねりのようなものが変わってきていて
ぬらりくらりと現れてくる。
もう突出した形ではなくなってきたのは、
おそらく、すべてわたしの自全の中の要素だと自認したからだ。
自全の中に生まれてきたすべての要素は、
一見どんな欠陥を持っていても否定せず、日常世界の判断で汚さず、
生まれてきたままに住まわせることがなにより大事だと覚悟を決めたからだ。

ここから先、下意識を探るには、
これまでのように「人格」というような数えられる日常界の論理を適用していてはだめだ。
もっと、多次元変容流動世界に即した、数えられないもの、
多数多形に変容する布置のうねりのようなものとして捉える必要がある。
これは、じつに捉えにくい。数も形もないものだからだ。
ただ、なにかうねりやぬめりのようなものが変容流動している。
耳を済ますとそれだけがわずかに感じられる。
ここから再出発するしかない。

今日は幼年期からの布置のうねりを図にしてみた。
すると、母に育てられていた頃のクオリアのうねりが、
母から切り離されたときにからだの闇に伏流していることがよく分かった。
祖母に育てられていた頃は甘えたの一人っ子として育てられていた。
祖父によく「内弁慶外ねずみ」と言われていた。
母の元に引き取られたとき、その甘えたのわたしは存在を許されず、
からだの闇に伏流して、表向きはかしこいにわか長男として自我を形成していった。
だが、甘えたのか弱いわたしもまた、確実にからだの闇で棲息を続けていた。
それが60歳になっても、布置の変動によってときどき現れてくる。
ロリや、アドも、苔丸・魚輔・鳥吉ら自然に親しむうねりも同じだ。
30代の仕事師は踊りをし始めてから、踊りを妨げる意識人格として
毛嫌いされからだの闇に潜んでいたが、
とうとう今年からどうどうと現れて、仕事をする代わりにタバコを吸い出した。
それも、自全のなかの全メンバーをなるだけ否定しないように
踊り人格からの圧迫が少なくなったからだ。
そして、だんだん、「人格」という解離された形から、
もっと形のないものに変容しつつある。
もういくつの人格というような算数で捉えられるようなものではなく、
多次元変容流動そのものを捉える新しい論理が必要とされている。
サブボディメソッドの「図地兆」もその試みのひとつだ。
フロイドやゲシュタルト心理学のバローズは、
二項論理に囚われた近代の意識の病理を対象としたために、
みずからも「意識と無意識」、「図と地」という二項論理に囚われていた。
だが、そんな二項論理は日常意識の囚われの中にしかない。
からだの闇は二項や三項どころか無数の次元が上下も左右もなく絡み合っている。
これを解くには、従来の二項論理ではない論理が必要とされる。

ここから先は荒唐無稽な試論だ。
未完成だが、覚え書風に書き留めておく。

<Superlative>という概念

二項関係は、<Relativity>で捉えられる。わたしとあなたという日常世界から
アインシュタインの相対性理論、
すなわち物質とエネルギーのE=mc2という相対的な関係まで、
二項論理で何とか処理できた。
だが、陽子の中に三つあるとされるクオークの動きがいまだに捉えられないのは
この三者論理を捉える<Trilative>な論理がいまだにないからだ。
クオークのような三者関係の次元を捉えるには、二項論理の寄せ集めではなく、
<Trilativity>という別次元の論理が要る。
クオークはじつは3ではない。時に2に結合し、1に連結しすぐに離れる。
ひも共振の世界には数えられる数というものがない。
絶えず各瞬間ごとに変わっているものを数えられるわけがないからだ。
だからもう従来の数式が意味を持たなくなる世界だ。
E=mc2という二項論理では、
絶えず数も形も変わるひも共振の世界を解明できないのだ。
世界中のひも理論研究者が現在突き当たっている壁もそこにあるだろう。
かれらも必死で探しているだろうが、まだ数式のない数学を完成させていない。
中沢新一の三位一体論は、そこに切り込む数少ない斬新な試みだ。
だが、<Trilative>な論理でもそれ以上の多次元には通用しない。

ひも理論の11次元のような多次元世界を捉えるには、
<Superlativity>と呼ぶべき、超高次元独自の論理が要る。
<Trilative>さえ未完の現在からすれば気が遠くなる。
いまのところその謎は下意識の布置の変動を捉えるときのような
うねりやふるえやぬめりのような、数値化できないクオリアを
味わいつつ探っていくしかない。

言語ではなく、クオリアを使ったまったく新しい探求方法を発明することが急がれている。

この多重人格日記も、「人格」というような言語で捉えられるものではなく、
もっとからだの闇の深層のうねりをあるがままに捉えていく方法を見出す以外
深まりようがないところまで来た。
布置を捉えるという課題が浮かび上がって来たにはそういう背景がある。
からだの闇を透明に見るという課題と、宇宙の謎を解くという課題は
驚くべきことに同じ困難を前にして足踏みしている。
一見荒唐無稽に見えるが、
この二つの領域が密接に関連しているのは考えれば当たり前のことだ。
生命という最大の謎がこの両者に相渉っているからだ。

この間、多重日記とからだの闇との双方に分類するしかない、
今日のような気づきの記事が増えてきたこともそれに関係している。
そのうち二つの日記を統合するべき日が来るかも知れない。

やがては(何百年か、何千年先か分からないが)、
生命論と宇宙論が大統合される日が来る。
からだの闇はその日を首を長くして待っている。
いったい闇をこんなに不透明にしているものは何なのか?

それよりももっと不思議なのは、
この世の人はなぜ、自分がわけの分からない欲動に衝き動かされたり、
理由もなくあるものを好み、あるものを毛嫌いするというような
自分の不透明さが気にならないのだろう?
なぜ、だれもこの不透明さを解こうとしなかったのだろう?
どうして、できの悪い大雑把な二項論理などに囚われた
意識なんぞで我慢していられるのだろう?

この謎を解くことのほうが大事なのかもしれない。
この謎はなぜ、この世の人がろくでもない国家などの存在を許しているのか、
という謎につながるからだ。
仕事師をからだの闇から出てくるに任せたのはこの謎に取り組むためだ。
ヒマラヤでサブボディの産婆になってしまったわたしより、
仕事師のほうがまだしも現代社会の人々との深い関連をたもっているからだ。

幾人ものわたしを呼び出すことは、なお大きな役割を持っているようだ。
そのかぎりで、この「多重日記』も存在の意義を持つだろう。


●●● 2008年3月30日

創造的思考の逆説

毎日意識を鎮め、下意識モードで過ごす。
授業がある3月から十二月までは、基本的に毎日をできるだけ下意識モードで過ごす。
それがサブボディ共振塾の教師人格としてのわたしの毎日だ。
教師といってもなにかの知識を教えるのが仕事ではない。
生徒の中で生まれかけているサブボディの誕生を手助けする産婆となることが使命だ。
サブボディの産婆となるためには、自我意識を捨て去り、
生徒の中で生まれかけているサブボディの胎動の気配に耳を澄まし、
最適のタイミングで誕生を助ける必要があるからだ。
タイミングを間違えたサブボディは水子となって流れてしまう。
この状態に移行するには時間がかかる。
今月は冬休み中に堂々と出てきだした<仕事師>人格が、
なかなか退去しようとしないので、意識モードのわたしと
下意識モードのわたしが二重状態を続けている。

今年はこの状態を受け入れざるを得ず、かつ積極的に受け入れる覚悟なので、
産婆としてはやりにくい面が随分あるのだが、何とかやりくりしようとしている。
ただ、この二重状態を続けていると、はじめて、
下意識モードと意識モードの自分の状態の違いがくっきり見えてきた。

下意識モードのときは、何も考えないで、ただ命に何がしたいのかを尋ね続ける。
それだけで次から次へと新しいことに気づく。練習方法など
もこれまでにないアイデアが毎日生まれてくる。
わたしが意識で用意したり、準備することはごく大まかなことだけで、
具体的な細目はすべて下意識のサブボディが創造するに任せる。
生徒の状態の変化に微細に対応するだけで、じつに変化に富んだ局面が生まれる。
自我意識が強くてなかなか鎮められないい生徒、いきなり忘我状態に入れる生徒、
自我を鎮めるこつをつかんでサブボディになりこもうと努力する生徒、
そのプロセスのずれの間の葛藤、などさまざまだ

それに応じて、自分のサブボディをそれぞれの深度で探る授業と、
生命共振を通じてコーボディになる授業との按配だけで、無数のパターンが生まれる。
この按配が一番難しく、興趣が尽きない。
こういう仕事は意識モードでは絶対にうまく行かない。
わたしの自我意識がでてきて、自分でどうこうしたいということを、
生徒に押し付ようとするとサブボディはかならず反発して引っ込んでしまう。
サブボディの自発的な創造性をうまく引き出せないとしたら、
いつもかならず、教師の自我が邪魔しているのだ。
これまでの経験からそれだけは痛いほど重々学んだ。

わたしが仕事師の意識モードでいる時間は、
まったく授業の創造的なアイデアなど生まれてこない。
仕事師さんはただせっせと仕事を進めるだけだ。
もちろん、サイトの改造などは仕事師さんの課題だ。
30年間のコピーライターや編集者としての経験は伊達ではない。
そのおかげで、このサイトもはじめた3年前に比べると随分多彩になってきた。
コンピュータは典型的なツリーシステムだが、
それを使ってわたしのからだの闇のリゾーム状態に近づけるのが出発当初からの課題だ。仕事師さんは、この課題の難しさに惹かれて出てきてくれたのだと思う。
そこに夜中に出てくる無数の分身たちがてんでに絵を描いたり、
音や映像を入れよとしたりする。
おかげで迷路が複雑になりすぎて、自分でも全部たどれるか、
たどれないかのぎりぎりの状態だ。
昨日のように、ひとつの日記の記事一覧を作るだけで、
随分ツリー状の見通しがよくなる。
リゾーム的多様化混沌と、ツリー状のパースペクティブのよさとのバランスが難しい。

この二重状態のなかで、だんだんすごいことが分かってきた。
意識モードになるとは、自由なクオリア思考を止めることなのだ。
与えられた課題を解決するために、もてるだけの知識を総動員してことに当たるが、
それだけでは、創造的アイデアは生まれない。
どこかで気を失って、異時空をさまよう時間が必要だ。
その瞬間下意識モードに入って、自由なクオリアとクオリアが出会う
下意識のクオリア思考によって創発が生まれる。
創造的な資質が要求される仕事を長くしている人は
そのコツをからだで覚えているに違いない。
コピーライタ時代のわたしのやり方は、まず、ある領域のデータをすべて集め、
脳内をその未消化な情報で満杯にする。そして夜中の25時を過ぎて
、半ば朦朧とした意識状態で仕事を続けていると、
どこからか、アイデアや解決策がやってくる。
風呂やトイレ、散歩の最中に出てくるときもある。
今から思えば、おそらく創発が生まれるときは
瞬間的に下意識モードに入っていたのだろう。
そのころの意識はそのことに気づいていなかった。
下意識や無意識とは、意識には意識できないものだからだ。
だから、ずっと、自分が考え出したと思い込んでいた。
意識はそういうふうに下意識さんの仕事も自分の手柄だと
勘違いしてい上がってしまうところがある。

下意識のクオリア思考は、意識の枠組みから外れて、外から入ってきた外クオリアと
生命に記憶された内クオリアが自由に出会うことだ。
意識状態のときは、日常で定められた回路しかニューロンは通らない。
そこでは演算や分析、すでに固まった自分の考えをなぞることはできるが、
クオリアとクオリアの自由な出会いは制限されている。
ところが、睡眠中の夢や、瞑想中の下意識モードに入ったときは、
ニューロンは、新しく体験したクオリアと、これまでに保存されている内クオリアとを、
ランダムにぶつけ合わせ、何らかの面白い反応が起こったクオリアを、
既存の内クオリアとの関連ある場所に長期記憶として保存する。
夢が荒唐無稽な出来事に満ちているのは、睡眠中の脳が、
クオリアとクオリアを無限に出会わせているからだ。
眠らぬまま意識を鎮めて、このクオリアとクオリアとの出会いを奨励するのが
下意識モード、サブボディモードの特徴だ。
だから、醒めたまま無限の創発が起こる。
下意識の創造性を解放するとはこのことだ。
ユングはこの下意識の創造性に気づいていた。
だが、まだそれを万人にどう解放できるかの具体的方法までは及ばなかった。

ほんとうに創造的な思考をするためには、意識を止める必要がある。
止めてただ耳を澄ます役割に徹する。
下意識がなにか創発した瞬間に飛び出してそのアイデアを記録する。
この意識のディレクターという定位置からリスナーと書記の役割への後退が鍵だ。
そうすることで、意識優先の意識状態とは異なる、
創造性に満ちた<透明知>の地平が開く。
こんなことに気づくまで、60年かかった。

わたしが育った戦後日本の教育者や知識人の中には、
こんなことを教えてくれる人がただ独りもいなかった。
世界の現代思想者の中にもいなかった。
近代西洋の意識優先の枠組みにみんな閉ざされていたのだ。
自我と意識を堅く保持するもの、それが「人間」だという悪夢に囚われていたのだ。
最近、人類学の中沢新一が、この枠組みを破って、古代の流動的知性と
、近代的意識とを統合して、新しい<知>の地平を切り開こうとしている。
今後どう切り開いていけるかが問題だが。
彼もまた、その新しい知の様式を「言葉と物』で予言したミシェル・フーコーの弟子なのだ。

(この記事は、「からだの闇」と「多重日記」の両方にまたがる内容な
ので、両方に記載する。二つの坑道はいたることろで交錯しだしてきた。)



●●● 2008年3月30日

少しだけ風通しが

多重日記の左欄を、記事見出しで検索できるように改造した。
いうまでもなく、こんな仕事は仕事魔君しかできない。
同じ、あるいは良く似た人格状態を色分けしてみた。

アド人格群(山沢・今故・憤怒) ●●●
ロリ人格を含む性的人格群
仕事師人格群
絵描き人格
か弱い人格群
自然派人格群(苔丸・鳥吉・魚輔)
テーブル返し・代替転換屋
原生夢人格群
生命龍
踊り人格・教師人格・産婆  多重日記以外の記事に登場

かなり大雑把な色分けしかできなかった。
人格群は重なり、複雑に交錯し、変容し続けている。
たとえば性的人格状態には随分ゆらぎの幅があるが、
それらはみなピンクにするしかなかった。
アド人格も多数いるがすべて赤にした。
仕事魔は、以前の記事ではコピーライター君とか
システマとか仕事師と呼ばれている。
胎内時代や乳児時代に起源を持つ人格状態は、
もっとも変容流動が激しく変幻自在なので言葉でピンで止めることも、
色分けすることも事実上不可能だ。
その多次元ゆらぎの実際の模様は微妙過ぎてとても言葉では書き留められない。
上の色分けはかなり強引に二元論的に単純化せざるを得なかった。
それらを無理に区分するのは、ほとんど二元論の暴力だ。
だがそれでも、そのおかげで、この4年間の人格状態の変移が
随分すっきりと見通せるようになった。
同じ系統の人格状態も年によって呼び名が変わっている。
その出て来かたにも随分ゆらぎがある。
からだの闇は多次元に変容流動している。

大雑把な言葉による記録でも透明化には随分役立つ。
リゾームをツリーに変換することは、多次元を低次元に単純化することだが、
パースペクティブを分かりやすくするには、今のところこの方法しかない。
この区分は非二元かつ多次元なリゾーム状のからだの闇を
二元的に低次元変換したものだと、分かっておく必要がある。
これが両方の世界を行き来し、透明化するためのツリーリゾーム論理なのだ。

そのときどきで書けていることと、書けていないことがある。
これは自分ではよく分かっている。
ロリ人格とその他の性的人格の間で激しい葛藤が存在するが
両者とも言葉の世界には出てこようとしない。
一回だけ、ロリ人格が真夜中に出現して、自分が性的主人格だと
クーデターのように宣言したことがあったが、たちまち明くる日に
別の人格に見つかって削除された。

ともあれ、無数の人格状態が交錯しつつ変容している。
仕事魔さんの作業なしには、この風通しはつくれなかった。

踊りを始めて十年間、下意識を尊重するあまり、
意識人格であるこの仕事魔さんを憎み、排除し続けていたことが
大きな問題だったことがようやく分かった。
意識と下意識のよい関係が見出される必要がある。
仕事魔という呼び名にはまだ、踊り人格からの嫌悪がこもっている。
名前を仕事師と呼びかえ、自分の中の一員としてちゃんと承認し処遇したい。
タバコを吸う性癖が問題だが、それはこれからの課題だ。
これはわたしにとってはここ十年間でもっとも大きな革命かも知れない。



●●● 2008年3月29日

仕事魔君とは誰か?

授業が始まれば大人しくからだの闇に帰っていってくれるものと
思っていた仕事魔君が居座っている。
サイトの構成に関するアイデアを次から次へと考案する。
サイトのフレームページの作成や描画ソフトでイラストを描いたりという仕事ができるのはわたしの多数多様な人格状態のうち仕事魔君だけだということをいいことにして、
一向に鎮まろうとしない。

授業がはじまるとわたしは、常に意識を鎮め、
生徒のサブボディのからだにもぐりこんで、次に何を発しているかに耳を澄ます。
一日中その状態を続ける。
寝る前には下意識にお願いして、次の課題を見つけてもらう。
それをするには、毎夜同じ時間に寝て、同じ時間に自然に眼が覚める
自然な睡眠-覚醒リズムを維持しなければならない。

ところが、仕事魔君が勢いづくのは夜の25時間めに入ってからなのだ。
おまけに、いったん止めていたタバコも再び吸いはじめた。
夜仕事が済んだ後はは若い頃の仕事の合間に手慰みにしていた
スパイダソリティアのゲームをひとしきり続ける。
これはいったい何なのだ?
仕事魔君は、20代前半から踊りを始めた45歳まで、
25年間もわたしのなかの主人格として君臨していた。
いや、主人格となったのは30代の半ばかも知れない。
20代の頃はまだ、25時を過ぎてから、時代の暗渠に潜り、
不可能な国家の死滅を志向して狂簡のときをすごしていた。
だが、無限の時間を懸垂状態ですごすことはできない。
いつのまにか、自分が力を入れているのか力を失っているのかが不分明になり、
そのまま気を失う、仕事に倒れこんだのが30代のある時期だったろう。
それからの少なくとも十年間だ、この仕事魔君が君臨していたのは。
踊りを始めてから十年以上も出番がなくて闇に潜んでいたが、
サイト作りという場を見つけて、よほど娑婆に出てこれたのがうれしいのだ。
サブボディの産婆としての生活には大きな差しさわりがあるのだが、
わたしは仕事魔君をわたしの一員として受け入れることにした。
わたしのからだの闇に住み、いっときは主人格だったこともある
仕事魔君を通じて日本などの高度情報社会に生きている人々のことを
もっと知ることができることに気づいたからだ。

仕事魔君とはいったい誰か?

難しい仕事に取り組むのを喜びとしている。
だが、その反面、意識が興奮しすぎて、過熱状態になった脳を休めるために、
タバコ、コーヒー、酒(はいまはもうなめるほどしか飲めなくなったが、
30代の頃は毎夜ボトルを一本開けていた)、ゲームなどの、
ありとあらゆる手段を必要とする。
意識状態を長時間続けることは、どこか無理があるのだ。

30代のはじめ、わたしは80キロ近くまで太り、
足の親指がガラスに刺されるように痛む通風、
心臓に五寸釘を打ち込まれるような激しい痛みに襲われる狭心症、
そして、一日に200本も吸うタバコで、
咳をすると十円玉ぐらいの真っ黒なコールタールのようなものが肺から出てきた
。肺がんの寸前だったろう。
そして酒と睡眠薬によってしか眠れなくなった脳と体。
一日に20時間もぶっ続けでパソコン画面に向かうことで、
後頭部の筋肉が硬結し、激しい筋緊張性頭痛に見舞われていた。
脳が過熱して眠れないから、30代はハルシオンなどの睡眠薬を酒と共に呑んで、
自分を酔い潰すことによってはじめて浅い眠りにつくことができた。
放っておけば一日の周期が26時間となって、2時間ずつずれていく。
今から思えば、まるで生命体としての自然なあり方が完全に狂っていた。

唯脳論の岸田秀によれば、
人間とは生命体としての本能が壊れてしまった存在だという。
若い頃は自分のあり方に照らしても、人間とはそんなものだろうと受け入れていた。
だが、今は、人間に対する彼のその捉え方は、
意識と無意識の分断が固定化された近代西洋社会の
人間像から出発した彼の師のフロイドと同じく、
生命本能が壊れている状態を人間として捉えるのは
完全に間違っていることを知った。
それは異常な状態なのだ。
その異常さを果てまで増幅すれば30代の仕事魔になる。
だが、西欧や日本など現代社会に生きる人々は程度の差はあれ、
生命体としての自然なあり方からずれてしまっている。
自我と意識状態を優先させる状態が異常なのだ。
みんながずれているから分からなくなっている。

30代の頃は自我と意識を保持した状態以外に
人間のありようがあるなどとは知らなかったが
、ヒマラヤへ来て意識を下意識と同じればるまで鎮め、
両者が等価に釣り合う透明覚状態に入れることを見出した。
すると、生命は、いつも微細に周りの世界と共振して振るえていることが分かる。
その微細な共振をいつも感じ続けていると、
生命体として少しでもおかしくなったときは必ず、
微細な変化の兆候に気づくことができる。
風邪や腹痛のごく初期状態に陥ることはよくあるが、
そこでからだを休め、意識=下意識=からだ=生命のすべてで、
その異変とたたかい取り組む状態に入ると、
からだの叡智がかならずその異変を治してくれる。
そのやり方で、ここ数年は病気にかかったことがない。
30代の頃あんなに多くの成人病の軍団に襲われたのは、
からだや下意識のことをまったく顧みずに、
自我と意識のままに生きていたからだ。
わたしの中にある30代の自我意識人格・仕事魔君と、
現在の踊り手としてのわたしの間の落差から、さまざまなものが見えてくる。
苦しいがこの二重状態を続けることで、
二つの存在状態の違いがよりいっそう透明になってくる。
しばらくはこの状態を持ちこたえてみよう。
わたしの中の人格構造が、
なにか大きな地殻変動を起こしはじめているのかもしれない。



2008年3月9日

30代の仕事魔

2年前に作って以来、長らく更新していなかった
『サブボディワールド イラストガイド』のリンクが切れていると
熱心な読者からの要望があったので、昨日重い腰を上げて、
修復作業をした。
失われていたイラストを古いハードディスクから探し出して貼り付け、
文章も現在のものに訂正し、
壊れていたリンクを修復する作業にかかった。
すると、その過程でとんでもないことが起こった。

わたしがサイトに書き付けている文章は、
下意識のサブボディから届けられる言葉だ。
毎朝の意識を消し瞑想やゆらぎから出てくる動きにふけるなかで、
からだの闇から出てきた気づきが出てきたときだけ、
瞬間意識にバトンタッチしてすばやく書きとめ、
すぐ忘れてまたゆらぎに戻る午前中の日課が終わった後、
午後からメモをみて、サイトに書き込んでいる。

だが、なれない描画ソフトでイラストを描いたり、
ホームページ作成ソフトで何十ページもの
フレームページのリンクを張ったりという作業は
とても膨大な注意力と根気が必要な仕事なので
下意識モードではできない。
全大脳細胞を意識モードに覚醒し何時間も連続して
活性化し続けなければならない。
大脳をできるだけ休ませる下意識の
サブボディモードに慣れたからだには、
この切り替えがとても苦痛で、
自らすすんでする気にはまったくなれないので
二年間もほったらかしにしていたのだった。

だが、もう春の開校も一週間後に迫ってきたので、
今しか修復のチャンスはないと取り掛かった。

日本語と英語サイトに同じものを載せているので、
日本語だけの場合の倍以上の手間がかかる上に、
途中、作成ソフトのバグが出て、1ページだけどうにも
リンクが働かなかったりして、思いのほかてこずった。
この日だけは、ゆらぎにふけることを止めて
朝から取り掛かったのだが、作業は深夜にずれ込んだ。
からだのあちこちからきしきしと痛む悲鳴が立ち始めた。

すると、夜の十二時を過ぎた頃から、人が変わったように
その単純なのに注意力だけ要る仕事を淡々と進め始めた奴がでてきた。
タバコを一晩に何箱も吸い続け、秒単位で仕事を進める
30代の頃の仕事にのっとられていた私だ。
30代の頃、わたしは当時できかけのビデオや、ビデオカメラ、
コンピュータや、ワープロのマニュアルからカタログまでを作る仕事を
企業から一人で請け負って飯を拾っていた。
ビデオが発明され、各社が競うなか、東芝とサンヨーが世界ではじめて
2時間録画機能に成功したVコード方式という今は消えた技術から始まって、
ソニーのベータ方式、ビクターのVHS方式との争いに移り、
VHSの勝利に終わる十年間があった。
その次は、まだワープロの液晶が1行しか表示できなかったころから
今の全画面サイズになるまでの十数年間、
その戦争のような仕事を続けていた。
狭い業界内でしか知られていないが、
実際、負け組みになった企業の担当者からは
その都度何人も自殺者が出た。
みんな命と引き換えに仕事をしていた時代だった。
高度経済成長と引き換えに、水俣やイタイタイ病、
四日市喘息などの産業公害で多くの人命が奪われていった。

ゆうべ突然、その30年前の、覚えのある特有の体感がよみがえってきた。
一日に二十時間も仕事に没頭していた仕事魔人格に、
昼間の私からいつのまにか摩り替わったのを知った。
仕事魔は、ふだんゆっくりゆっくり時を過ごす踊り手のわたしとは正反対の
秒刻みの時間性の世界に住む。
出てくると30代の頃のコピーライターの私と同じパターンで猛烈に仕事をする。
公害と引き換えに、
日本経済がすさまじい高度成長を遂げていた頃だった。
ビデオや、ビデオカメラや、ワープロなどが次々と発明され、
それに携わる技術者はみな気が狂ったように仕事にふけっていた。
「毎日逆立ちして100メートル疾走をしている」
という当時技術者から聞いた比喩がまったくピタリと言い当てていた。
何十社もの激しい生き残り競争の渦中にあった。
はじめた当初は、小手先三寸だけ動かして、最小限の飯だけ拾おうと
考えてコピーライターとなった私も、
いつしかその渦巻きに呑み込まれていたのだ。
45歳でその仕事で自分を失っていくことに耐え切れなくなり、
踊り手に転生するまでは、日々自分が失っているものが
どんなに大事なものであるかも知らなかった。

踊り手になって以来、わたしは十年間コンピュータを触らなかった。
ウインドウになって以来、昔のベーシック言語のコンピュータから
まったく使い勝手が変わってしまったのと、
意識を鎮め、からだに聴く生活に切り替わったからだ。
サイトを作りたいと思っても、そんなことができる自分は
どこにもいなくなってしまっていた。
マニュアルを読むのが不快になり、一行も読めなくなった。
何年間かサイト作りの課題の前で足踏みしていたが、
3年前サブボディ舞踏学校を開校する直前、
突然その仕事人格が現れて、たった三日でこのサイトを立ち上げてくれた。
そして、すぐからだの闇に戻っていったのだが、
その後も深夜ときおり、踊り手としての私が眠りに就く瞬間に
突然新しいアイデアを持って現れて、わたしのからだをのっとり、
サイトをあれこれ更新していった。
2年前に「イラストガイド」を作った作者も、
この仕事魔人格だったことをいまになって思い知った。

仕事魔人格は完全に意識の人だ。
脳細胞全体を何十時間もぶっ通しで加熱させ、嬉々として仕事を続ける。
特有の仕事ハイになるのだろう。
ときおり過熱しすぎて脳が機能しなくなると、
マスターベーションをして脳の熱を冷ます。
そして、すぐ机に向かうのだ。

夕べはたしか2時ごろには体力が尽きて、
作業は続けられなくなったのだが、
久々に過熱した脳はすぐには元には戻れない。
マスターベーションをする体力も残っていなかった。
おまけに人格の切り替え機にいつも起こる頭痛と共に
先日書いた「か弱い人格群」もゆらぎ出てきて、
悲しい情動や、やけっぱちの退廃や、
わけの分からない心身状態に陥った。
「か弱い人格群」は仕事人格の裏に
ぴったり息を潜めて隠れ棲んでいたのだ。

仕事魔は、コンピュータの前から離れず、
ウインドウズに組み込まれている、「スパイダー・ソリティア」という
トランプゲームを延々とし始めた。
おい止めろよ、明日に差し障る、という踊り手の私の声など無視して、
なんと朝の6時までそれを続けた。
こんなことはここ十数年なかったことだ。
スパイダーソリティアは、20代の頃、
広告プロダクションに勤めていたとき、
仕事の合間に気晴らしにやっていたトランプゲームだ。
あのころもこんなふうに無為に時間を潰していた。
仕事のなかで自分を失う退廃に耐えていたのだ。
その悲しみがよみがえってきた。同時に、
何時間も続けていると、コツがわかって少しずつ上達していく。
そのわずかな快感が、彼を捉えていた。
仕事魔はそのわずかな快感と引き換えに、自分を失い続けていた。
今もあの国では、何人もの若者がそうして見失い続けているだろう。

おかげで今日は完全休養になった。
ちょうど来週11歳の誕生日を迎えるリングリが
弟のチングリと遊びに来てくれた。
誕生会の用意の買い物に付き合い、
久しぶりに町に出てくつろいだ。
それでようやく生き返ることができた。

もう二度とフレームページなどの新規作成などはするまい。
いつもサイトの更新を手伝ってもらっている
近所の高校生のバブルが、いまは大学受験勉強のため
バイトを休んでいるから、仕事魔自身がやる以外なかったのだ。
だが、60のからだに徹夜は毒過ぎる。

だが、仕事魔がときおり出てきてくれたおかげで、
このサイトができた。
ありがとう、30代の私よ、仕事魔君よ。
わたしのからだの闇でゆっくり休め。



2008年3月3日

すぐ涙ぐむ、か弱い人格群

この冬、授業がない間は、授業期間中の中心になる
教師人格の人格統合力を衰えるに任せていたので、
自分の中の30ほどの人格がいれかわりたちかわり出てきていた。
自分の中にどんな奇妙な人格たちが潜んでいるかは
もうほとんど分かってきたから、
どんな奴が出てきても驚かない。
冬の間のヒマラヤでは、まるでゆらぐ湯気のようにしょっちゅう
いろんな人格状態の間でゆらいでいることができた。

だが、今日、もう春学期の生徒の第一陣が到着した。
新学期まであと二週間あるとゆったりしていたが、
突然、対社会的に対応できる教師人格中心の
人格構成に戻らなければならなくなった。
からだの闇でゆらいでいた人格群が
ぞろぞろとからだの奥深くのひそみに帰っていく。
自全のなかの民族大移動のような流動的な事態が起こってきた。
最近なんだかからだの奥で変なことが起こっている感じが
まといついていたのは、その大変動の予感のせいだったようだ。

教師人格以外は対社会的な対応がうまくできない
幼少期に起源を持ち解離された子供人格が多数を占める。
彼らは、対人関係や、体調や、気候など、
ほんの少しのストレスにも圧迫されてすぐ涙ぐんだり、
心細い気持ちに囚われたりしている。
ほとんど社会とかかわりを持たず自閉的な妄想を育てている。
ひとつのことがうまく行かないと、代替案を探し回ろうとする
代替転換屋もひんぱんに出てくる。
すべて人目には触れないひそかな世界での出来事だが。

ひとつ気づいたのは、かれらのゆらぎに触れていると、
大昔からなじみのある傾向ばかりであることだった。
だが、解離性が大規模に表面化する以前の頃は、
かれらを自分のなかの人格状態だとは承認していなかったのだ。
いまはそれらを人格群として捉えているが、
学生時代やコピーライターの仕事をしていた頃は、
そういう人格状態のうごめきを察知するやいなや、
「自分の中の弱い心」としてすぐ自罰し、
抑圧して、切り捨てていたことに思い当たった。
その頃も涙ぐみそうになったり、
日と恋しさにやりきれなくなったり、
誰かに触れたくなったりすることは頻繁にあったことを
思い出した。そして、瞬間的に抑圧していたことも。
そうしなければ、反政府運動や、賃仕事のリーダーとして
やっていけなかったのだ。
ヒマラヤに来て以来、そんな抑圧をする必要がなくなった。
そこで、長年抑圧され、薄暗い地底に封印されていた彼らが
噴出してきたのが、50代になってからの
解離性同一性障害の勃発につながったようだ。
最初は記憶が飛んだり、人格転換を自己コントロールできない
不測の事態の連続に驚かされたが、
いまではわたしはそれで自分の中の隠された、
か弱い人格群に触れることができて本当によかったと思っている。
もともと革命の現実性の確信もないのに革命運動をやったり、
文才もないのにあの日本経済の高度成長期に25年もコピーライターで
飯を食いつなごうとする表人格を維持すること自体に無理があったのだ。

思えば若い頃は瞬時に否定し去らねば自分が持たないと思っていたが、
いまは、「ああ『か弱いさん』けなげに生きているのね」と、
すんなり受け入れることができる。
ここまで来るのに60年かかっていることを思えば
その時間のかかりかたに愕然とするが、
それくらいかかるものなのだ、
自分のサブボディの布置が変わるということは。

もっとも、いまでも踊り手としての才能もないのに踊りをやり、
その教師までしている。
ただ、わたしが気づいたのは、わたしではなくサブボディに耳を澄ませば
命ではいつも何がしかの創発が起こっているということだ。
かすかなかすかな兆候にしか過ぎないが、
それに耳を傾け、促し、全身で応援すると毎日小さな創造が続く。
その発見だけを他の人に伝えたくて教師を続けている。

いまでは、彼ら「か弱いさんたち」はかれらの居場所を知っている。
授業中でも、踊りの中ではいくらでも出てきていいことも知っているから、
突発的に出てきて困らせるようなことはしなくなった。
少しずつ自全の中の布置が変わっていっている。
落ち着くまでにはまだまだ長い時間がかかるのだろうが、
ようやく今迄の人生で一番自然な状態に近づいている気もする。

もっとも、こういうときが一番危ないことも知っている。
一番予測不能の事が起こりやすいのが、安心しきったときだ。
そういう注意深さもついてきた。

さて、今年はどんな展開になるのだろう。
まだまだ未知の人格が潜んでいて
わたしをのっとる事件が起こるのだろうか。
それともこのまま多数多様体として安定していくのだろうか。
予測できないことが起こることこそが面白い。
そういう余裕も出てきた。
いつ覆されて泣きを見るかもしれないが。



2008年2月22日

水狂いの帰還

なんと長い間深い地層に人知れず潜んでいたことだろう。
わたしは20代の後半から30代にかけて水に首ったけだった。
その頃、社会に背を向けて、水の中の透明な生き物をずっと眺め続けていた。
京都の木津川・桂川・宇治川の三川が合流して淀川になる土地に住んでいたので、
水の生態系がとても複雑で面白かった。
毎年雨季が過ぎると、河原のあちこちにワンドと呼ばれる大きな水溜りができた。
そこは淀川水系の淡水魚の稚魚の天国だった。
毎日小さな網を持ってまだ幼い子供を連れて稚魚をすくいに出かけ、
それを二本の90センチ水槽で飼育していた。
淀川水系には500種ほどの淡水魚が棲むが、
そのうち200種ほどは実際に掬って飼育した。
魚の稚魚は数ミリの透明体で、大きさきさによって
食べることのできる微生物が限られていた。
彼らのためにミジンコやその子供、さらにミジンコの食べ物となる
植物プランクトンなどを生育する池を庭に掘り、
絶えず顕微鏡で観察を続けていた。
顕微鏡で見るそれら微生物の透明な世界は、まったくの異次元で、
うつくしい舞いをするノロというプランクトンや、
空恐ろしい形相の原生動物、
ミジンコの愛嬌のある動き、透き通った淡水えび、
ワムシや淡水クラゲのひょうきんな泳ぎ、
ラッパムシにツリガネムシらが、その頃のわたしの友だった。
彼ら、あまりに透明な水の中の生き物達と共振しながら、
わたしはその頃一心にからだの中の太古の闇を探っていたのだ。
十数年続いたその水狂いの生活の間に共振した小さな生き物達は、
踊りを始めて以来ずっと自分のからだで踊り続けてきた。
わたしのなかに棲んでいる無数の原生体を発掘し続けることから
わたしの踊り手としての人生が始まった。

長い間その世界から離れていたが、
今年の冬、庭の片隅にプールを造ったことから、
突如その三十年前の水狂いのわたしが帰ってきた。
プール用に雨水をろ過して使うためと、プールの水を循環ろ過るために、
三つのろ過槽を作った。
このろ過装置はわたしの水狂いの日々の最大の格闘の場だった。
ろ過装置に発生する硝酸バクテリアや亜硝酸バクテリアが、
生物の排泄物を消化し、きれいな水に替えてくれる。
だが、その管理を少しでも間違うと、
ろ過層は逆にさまざまな微生物の格好の棲息現場となる。
インドの水には、見知らぬアメーバやバクテリアが棲んでいて、
彼らに対する免疫のない外国人は激しい下痢に襲われる。
これまでに体験したことのないアメーバとの深い関係が始まる。
わたしの自全の深層で長いこと眠っていた水狂いが起きだして活動をはじめた。
いまはネットで、世界中のろ過装置を研究できる。
上から水を漉す伝統的な方式の他に、下から漉すもの、
横から漉す方式などさまざまな方式が生まれている。
これから長いろ過狂いの日々が続きそうだ。
アメーバやバクテリアほど手ごわい相手はいない。
なにしろ、彼らはその形のまま40億年を生き抜いてきたのだ。
人間などの新参者になかなか歯が立つ相手ではない。
彼らに相手をしてもらえるだけで幸せだ。
わたしの中の水狂いは、再び生きる場を得て、感涙にむせいでいるのがわかる。
踊りをするからだにこういう科学者系・エンジニア系の人格が割り込んでくると、
実に具合の悪いキメラのようなからだになるのだが、仕方がない。
自分全体を引き受けて生きることはわたしの本懐だ。
2008年2月13日

いくつかのからだのモードについて

ステップイーグルの旅立ちを眺めながら、
ここ数日は午前いっぱいを屋上で過ごしている。
空を眺めながらイーグルのからだにずっとなりこんでいる。
何が彼らを飛び立たせるのか?
早春になり温かい日が続くと、かれらの細胞内で眠っていた
即時遺伝子が蠢きだし、長い渡りに耐えるからだに造り替える。
高度10000メートルの零下数十度という極寒の中を
何千キロも飲まず食わずで渡っていける
極度の戦闘状態のような鋼鉄のからだに変成するのだ。
だから、今日が旅立ちと決まった鷲の飛び方は一目で分かる。
何の迷いもなく高度8000メートルあたりまで舞い上がり、
その高度に達すれば、一直線に東に向けて滑翔飛行に入る。
地磁気や地形や空気の匂いなどの総合的な外クオリアに、
生命記憶の内クオリアが強く共振する方角が一点だけある。
その方向にただ向かえばいい。
それがからだで分かる、という感じがわたしにも共振できる。
その潔さは、見ているだけで胸を打つ。
その鋼鉄のような飛び方に比べ、
まだ飛び立つ日に熟していない鷲の飛び方は
ふらふらと所在無げだ。
いかにも調整中です、といわんばかりのゆらぎに満ちている。
からだのモードがまるで違うのが飛び方で分かる。

動物には大きく分けて交感神経モードと、
副交感神経モードの区別がある。
だが、微細にからだのクオリアを聴き続けていると
交感神経モードにも多様な程度の差異があり、
副交感モードにもさまざまに細分化される多様性があることが分かる。
闘うか逃げるかののっぴきならない最高度の戦闘状態から、
鷲など渡り鳥にとっての渡りモード、
余裕のある闘争モード、警戒モード、
やや緊張しているモードなど、
興奮にも無数の階梯がある。

副交感モードのからだでも、
食欲モードと性欲モードではまるで違う。
休息や瞑想モードにも深浅の差異が無数にある。
意識状態にも、言語モードが活性化しているとき、
人間関係の中で自我が発動されているとき、
静かにからだに耳を澄ませられているとき、
など、下意識モードとの間に無数の階梯がある。
下意識のサブボディモードにも、
どのチャンネルが開いているかで大きな違いがある。
からだの体感クオリアがよく感じられるとき、
ひとりでに動きが出てくるとき、目がよく動くとき、
息や声や音像流が出てくるとき、情動が沸き立つとき、
関係像が入り乱れるとき、世界像と自己像がどんどん変わるとき、
何らかの欲望に突き動かされているとき、
自分が欲望に動かされていることが透明に見えるとき、
など実にさまざまだ。

四六時中わたしは、自分の心身のモードの微妙なたちゆらぎに
聴き入っている。
毎日やっていることのほとんどすべてがそれだといっていいほどだ。

解離性のサブ人格を数多く持つわたしには、
これらの一般的なモード変化のほかに
独特の解離人格モードが存在する。
親しい人との別れを体験して悲しまないために
感情を凍結するヒューマノイドモード、
わずらわしい大人の社会的出来事から逃れるために
自然とのみ親しむ鳥吉、魚助、石麻呂、苔丸などの
自然逃避モード、
成熟した女性を感じず、関係を遠ざけるロリモード、
そして、命を賭けた闘争状態のからだに
突如過剰に入りこんでしまう修羅モード、
その他名づけられない微妙なモードがまだまだいくつかある。
そして、学校の授業がある時期は、
ここ数年これらの人格分裂状態を統御する教師人格が
強く立ちはだかってきた。
いままで、これらの解離した人格状態はいきなりわたしをのっとるように現れてきたが、ここ数年は教師人格が強固に立ちはだかっているのと、透明覚を絶えず働かせているおかげで、
それらの交替の出来事がかなり透明に見透かされるようになって来た。
これらの解離した人格状態が現れやすい契機を生活の中から
限りなく排除したことにもよるが、最近は解離人格にたやすく
のっとられることも少なくなった。

だが、どんでん返しはいつも油断の中心で起こる。
昨日あるほんの小さな出来事があっただけで
わたしの心は突如感情を閉ざしたヒューマノイドモードに
急転換して自分でも驚かされた。
まるで太平を夢見ていた世で時限爆弾が発火したかのような出来事だった。
そのきっかけとなった出来事は秘めて書かない。
わたしの心の最大の弱点がそこに存在することだけは確かだ。
はじめて知った驚きに、とてもまだそれについて考える
心の準備ができていない。
こういう問題はいきなり触れずに、
じっくり遠巻きにして温めておくのがいい。
取り組める準備ができれば自然に取り組んでいくものだ。
それにしても、からだの闇には、
見覚えのない怖い秘密が詰まっている。
少しでも侮れば死と破滅があるのみだ。



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