多重人格肯定日記
解離性同一性障害を肯定する日記 2006
←BACK ■ NEXT→

 2006年
2006年12月9日

多重人格は多次元の創造性を切り開く

からだの闇の下意識の世界は、
恐ろしく複雑な多次元を連結・流動している。
からだの闇を掘り進め、旅をすればするほど
そのことが分かってくる。

その世界は中沢新一が言う「対称的な流動的知性」の世界でもあるし、
村上春樹が切り開いてきた、異次元がつながり共存する世界でもある。
その世界はこれからの人間の知のかたちを先取るものだ。

これからの人間は、三次元や二元論に囚われた
近代的な自我意識の世界を脱ぎ捨てて
創造的な下意識を開放して生きるべきだ。

これまでの近代的な意識と、
創造的な下意識の両方を使いこなせるようになると、
人生の幅が何倍にも広がる。

私が自分の中の多重人格障害にこだわってきたのも、
多重人格の世界がどこかでこの人間の新しい知の形態と
つながっていることを直観していたからだ。

多重人格の人は、それによって
この社会の規範とうまく寄り添えないことに
苦しみながらも、
驚くほど豊かな多次元を共存させて生きている。

誰でもいいが、多重人格の人のサイトを
のぞいてみればそれが分かる。
たとえば私がいつもお邪魔している
L'eclosionのlastmoonさんは、
主人格のNさんは、音楽演奏の才能があり、
副人格のKanoさんは優れた絵の才能を持っている。
その絵も数限りない異なるタッチを駆使されている。
Lastmoonさんの婚約者の風さんのサイト
「かぜつうしん」のkaze hitorigoto memo
Kanoさんの驚くべき多彩な絵が掲載されている。

だが、今年私はこれがLastmoonさんだけの
特殊例ではないことを発見した。
下意識の多次元の世界には
誰でもこういうマルチチャンネルの創造性が詰まっている。
意識では気付けないし、
堅くブロックされているから出てこれないだけなのだ。
多重人格の人は多重人格障害がきっかけで
かえって自分の中のさまざまな可能性を
先駆的に開くことができているひとなのだ。

サブボディ共振塾の生徒は、
少しの期間、創造的下意識を開く訓練を受けるだけで
誰もがからだと動きのチャンネルのほかに
映像チャンネルと音像チャンネルを開いて、
とても創造的な映像世界と音像世界を創出する。

彼らが描く多彩な映像世界の豊かさと、
創造する音像世界のユニークさを知ると、
私の言うこともまんざらうそではないことが分かるだろう。

いまはまだ、映像チャンネルの
サブボディアートのページしか作れてないが、
サブボディボイスという新しいジャンルを今年は開くことができた。
からだのなかのさまざまな体腔音を組み合わせれば
世界にまだない音楽世界を開くことができる。
それは世界の未開民族の音楽とも共振する
深く懐かしいクオリアに満ちている。
私たちはみな10ヶ月の間
母の胎内で母親の体の音楽を聴き続けて育った。
心音、呼吸音、血流音、胃腸音、口腔音、鼻腔音などなど。
来年になれば生徒が創造するすばらしくユニークな
音像世界をビデオでお目にかけることができるだろう。


2006年11月21日

悲の飽和

若いころから私は、
自分があらゆる感情に強いという
妙な自信を持っていた。
どんなことが起ころうと耐えられる、
乗り越えることができる、
だから何事にも恐れないという
妙な力みを持って生きていた。

それが、自分のもろさを自分に対してさえ
覆い隠す空威張りの鎧であったことが
知れたのはいつのことだったろうか。

ある日突然私は自分がもう
これ以上は一滴も悲しみを
味わうことさえできなくなっているのを知った。
悲しみを味わいそうになると
その予感とともに私の心は凍り付いて
動かなくなってしまうのだった。

おそらく小さいころから味わってきた
悲しみがある日突然存在としての
飽和の量に達してしまったのだ。
それ以上一滴でも悲しみを味わってしまえば
死んでしまう。
そういう恐れによって私の命は
悲しみの受容を停止したのだ。
それ以後一切の悲しみを味わったことがない。
その前に私は人の心を無くして
閉じてしまうからだ。

これは感情の解離と呼ばれる。
サイトで知り合った解離性障害の人々の
多くがこの、感情の解離や感覚の解離に悩んでいる。
だが、今のところ私にはどうすることもできない。
つらいがただこれ以上壊れるのを
食い止めることで精一杯だ。

まだ人の死に目にもそうそう出会ったことがなった
中学生のころが懐かしい。
15,16,17と
死を恐れることもなくいくらでも
死地へ、死地へと自分を駆り立てていった。
無限回敗北しても、失恋しても
へこたれずに生きていけるバイタリティがあった。

むやみに強がっていたのだ。
自分が限界ぎりぎろのところで
無理してがんばっていたのを知らなかった。
ある日突然切れてはじめて知った。
人間はあまりに傷つきすぎてはいけないことを。

壊れる寸前でかろうじて
自分を保って生きている。
余裕がまるでない。
ほんの些細なことに壊れかける。

私の指圧の師遠藤喨及氏も、
生徒の生返事に傷つくといっていた。
西洋人の生徒が「OK」と受け答えするだけで
傷ついていた。ちゃんと「Yes」と受け答えするように
しつこくいっていた時期があった。
どうしたことだろうと、当時はいぶかったが
自分が教師になって始めてその気持ちがわかるようになった。
無断欠席、生返事、さまざまな個人的要求、
生徒は平気でぶつけてくる。
そのいちいちがやけにコタエル。

「いつもでもあると思うな、俺。」
と、先日糸井重里が書いていた。
俺たちはみなそういう世代になってしまった。
だが、子供は天真爛漫に
容赦なく暴力的に泣きわめく。

子供の泣き声にひどく傷つく。
俺には泣くことに関して
思い出すこともできないトラウマがあるようだ。
単身爛漫に泣く子がそばにいると殺したくなる。
このことだけは考えたくもない。
それくらいひどい。

2006年11月19日

ドリーミング・アップ

その昔、自分には指圧師になれないと、
断念するにいたった出来事があった。

ミンデルの書物で読んで知識だけはあった
<ドリーミング・アップ>
のプロセスに自分自身が巻き込まれていることに
気づかされる体験だった。

とても苦い体験だが、
透明になるためには、
自分の下意識とからだで起こることは
すべて見通せるようにならなければならない。
つらいがこれも修行だと思って、
抉剔してみる。
ときには自分にこういう生体解剖のような
荒業も施さねばならない。
透明体になる修行は
時として生易しいものではない。

<ドリーミング・アップ>とは、
<投影>によく似たプロセスだ。
投影は自分の中の影やアニマなどの
劣等要素や元型を
ほかのひとのうえに投げかけ、
その投げかけた影とかかわるものだ。
自分が投影した自分の中の劣等要素に対し
憎んだり、争ったりするものだ。

これに対し、
ドリーミングアップとは、
ほかの人を自分のドリーミングの世界に引き入れて
その夢・妄想の世界の住人として育て、
その育てた対象とかかわるものだ。
片思いの恋は多かれ少なかれ
このドリーミングアップの要素を持つ。

実は私は若い頃常にこのドリーミングアップした
片恋妄想の世界にはまり込んでいた。
それでいつの間にか自分の思いは
現実の対象からはずれてしまうことが起こった。

その昔、腰を痛めた近所の
女性の友人に指圧の治療を
試みたときもそれが起こった。
指圧を受けているときその女性の顔に
十歳くらいの少女の面影が浮かぶ。
痛がったり、安心したりするとき
ひとはそういう下意識にしまいこんでいる
表情をあられもなくさらけ出してしまう。

私はその女性が垣間見せる
少女の気配に恋をした。
いかにもロリの私らしい。
自分の妄想のなかでその少女との
交情の世界を築き育てあげた。
それは現実のその女性とは掛け隔たったものだった。
だが、私自身にはその区別がつかない。
てっきりその女性に恋をしているのだとばかり思っていた。
だが、実際にその人に会うと
大人としての関係態度が発現されることなく
ただ、寄り添ったりするだけの
子供としての態度しか出てこないのだった。
ドリームアップする自分もまた十歳ほどの
少年に戻ってしまっていたのだ。

はじめはそれが奇異でしかたがなかった。
どうして、こういう態度しか取れないのだろう。
自分の健康な性欲はどこかへ行ってしまったのだろうか
といぶかった。
そろそろ、老いの兆候が気になりだす頃でもあった。

だが、ある日夢から覚める日が来た。
わたしが妙な妄想に陥っていることに気づいた
その女性自身からの、
適切な打ち切り反応によって
そのドリーミングアップの世界は費え去った。

そして、自分がドリーミングアップに陥っていたことに気づいたとき、
どっと疲れが出た。
吐き気がするほどの気持ち悪さと、
激しい眠気に襲われた。

解離性人格障害で、
人格交替が起こるときの
症状にとてもよく似た症状だった。
あるいはこのふたつは関係があるのかも知れない。

自分の中で妄想と現実が
シャッフルするトランプカードのように
激しい速度で入れ替わる。
そのあまりの落差に耐え切れなくなるかのようだった。
激しい頭痛、自分のからだではないかのような体感のずれ、
めまい、……指圧でいう、<瞑幻反応>にも似ていた。

おそらく、感じているクオリア流動に
異変が起こるのだ。
人間が咸じるクオリアは、
無意識裡にいつも
ひとつの現実感や自己感のもとに
統括されている。
でないと不安になる。

ドリーミングアップに気づくときや
解離された人格の交替が起こるときには
これらのクオリアセットを
そっくり取り替えないといけない。
ひとつの世界像とそのなかの自己像を
そっくり別のセットに入れ替えるのだ。

そのとき、意識と下意識、からだのあいだの
根本的な配置が換わる。
おそらくそれが瞑幻や、
離人感や金縛り体感など
ボディダブル現象の原因だ。

しかしまあ、
とんでもないことだよな。
下意識で起こることは意識にとっては
とびきり奇妙なことだ。
だが、下意識のリゾーム変容している
クオリア流にとっては、
夢の中と同じように、
人物が入れ替わったり、自分と他人が
入り混じったりすることぐらい
ただの日常茶飯事なのだ。

おまけに奇妙すぎることが相次ぐ。
さいわいわたしはもう
下意識世界に分け入って長い。
どんなみっともないこと、
みずぼらしいことが起こっていても、
それを自分の下意識界の出来事として
受け入れることができる。
こうして公表することも苦ではない。
こういうことすべてを乗り越えて
透明になりたいという思いのほうが
それを妨げる自尊心や羞恥心より強い。

いくらみっともなくても、
それにたじろがず、
平静に受け入れられるようになるまで
透明覚を鍛え続けることしかない。

日常分別覚であるツリーの論理と
変容流動覚としてのリゾームの論理の
両刀遣いにならなくてはならない。
でないと意識の世界と下意識の世界の
ふたつの世界を自在に往還できるようにはなれない。
ながい道のりだよな。
何百年かかるのだろう。

2006年11月13日

20人格ダンス

1998年に、はじめて自分のソロらしいソロ、
伝染熱を作った直後、
それに飽き足らず、
自分の中に潜んでいる20人ほどいるサブ人格たちすべてを
解放する踊りを創りたいと思った。
当時住んでいた京都市の古い民家を舞台に、
「家で踊る」と題して公演したとき、
その20人格ダンスに挑戦した。
だが、できなかった。
サブ人格たちはなかなか踊りだそうとはしてくれなかった。

それから世界各国で踊る旅を経て、
インドに移住したのち、
学校の建設途上で
そのストレスから完全に神経を傷めた。
自分の中からそれまで気づかなかった
暴力的な怒れる人格が暴発してくるようになった。
それまでからだの奥深く解離されていた人格が
時を経て現れだしてきたのだった。
からだが情動に囚われると、サブ人格は
理性では抑えきれない速度で噴出してくる。
神経を和ませるために
人から離れ、何ヶ月も南インドのジャングルや海にもぐった。
だが、解離された人格の制御ができるようになったわけではない。
少しだけ落ち着きを取り戻しただけだ。
わたしは完全な解離性同一性人格障害と呼ばれる
病気になった。

だが、この病名ほど気に食わないものはない。

この病名にはあきらかに
「同一性」を保つのが正常だという
今の社会の主流派の価値観がしみこんでいる。
同一性という命名によって
暗に否定されているのが
「多様性」だ。
人格のありかたは多様であるし、
多様であるべきだ、という
新しい価値観が否定されている。
だが、同一性など、
主流派たちの真っ赤な思い込みに過ぎない。
だれもが、ユング心理学で「影」と呼ばれた
劣等人格をサブ人格として
秘め持っている。
強力に抑圧しているから表に現れにくいだけなのだ。
その抑圧状態になれた人々が
その抑圧をよしとせずに
人格の多様性を生きている人に向かって
同一性への抑圧状態をあくまで正常であるとして
自分たちの価値観を押し付けているのが
今の世の中である。

わたしは、自分の多重人格を否定し、
統合したり、治療したりするのではなく
そのまま肯定できる道を探った。
今も探り続けている。

サブボディ学校を開校してからは、
授業の責任があるので、
サブボディの教師人格が表に立つようになった。
完全な一人モードの人格だ。
ただひとりでからだに耳を澄まし、
そこから聴こえてきたものから
毎日の授業を組み立てている。

今年の6月のクラスで、
ある日ふと生徒のひとりに
授業をまかせた。
前日に欠席した一人の生徒に
その日の授業から君が得たものを
欠席した生徒に教えるように行った。
その日は私も生徒の一人になった。

そして、生徒となって即興の動きを続けているうち、
からだが興に乗って、
見知らぬ人格が
次からつぎへと現れてきだした。
カメラマンのロメスがそれを克明に捉えてくれた。
後で自分で見て、
「そうか、こんなにいろんなやつが踊りだしてくれたのか」
と思った。
8年前に志した「20人格ダンス」が
いまようやくでき始めたのだ。
ここからさき、
この踊りがどうなるのかはわからない。
だが、もし
多重人格で苦しむ人がこれを見て
これなら私にもできそうだと思ってくれれば
それに勝る喜びはない。

うまくこの社会に適応できずに悩む人は
適応などせずとも、
芸術家として自由に生きていく道がある。

きみがもっとも君自身になれる生き方こそ
君が生きるべき場所なのだ。

あらゆる心身障害で苦しむ人に
その一言を伝えたいと思う。


2006年9月10日

システマなしでもやれた

システマティックな思考はできなくなった。
だが、その代わりにリゾーム的な思考を
本能的に展開するだけで、
なんとかフォトフリックのアップロードはできた。
試行錯誤と、本能的な勘だけで
やり切れるものだった。
ロスは多かったが、
もう一度システマを呼び出すことに
比べればお安い経費だ。

たぶん、システマを維持していくためには
日本に住み大量の書物や雑誌から最新の情報を
仕入れ続けなくてはならない。
維持経費が高くつくのだ。

2006年9月8日

●行方不明のシステマ

どうも変だと思っていたが、
自分の中からごっそりいなくなったやつがいる。
システマティックに仕事するやつが消えてしまったのだ。

きのう、いつも巡回している友人のサイトで、
面白いフォトブックを作れるサイトの情報を知り、
やってみると面白いので一気に二種類作った。
その後、眠る前に、これを各ページごとの頭に
違った写真や絵で、
違った見せ方をすれば楽しくなるだろうなと、
思いついた。一連の計画をして寝たのだが、
さて今日起きてみると、いったいそんな質面倒くさいこと
誰がするの? という問題が起きた。
自分の中にそういうシステマティックな仕事をするやつは、
完全にいなくなってしまっていたのだ。
どこを探してもいない。

そういえば、去年透明論を書くときも、
たくさんのメモに書いたさまざまな発想があるのだが、
それをすべて統合する仕事をするやつは
ついに現れなかった。

サブボディは、なにかそのとき
興味のあることには一気に向かうが、
それ以外の積み重ねたり、整理したり、統合したりという
作業は一切できなくなっている。
10代から40代のはじめまでは、
そういう仕事を苦にせずこなすやつが確かにいたのに。
むしろ得意だったのに、
いまは、完全に姿も形もない。

どうやら、サイトの頭の写真ブックは
昨日作ったのだけでしばらく我慢するしかないようだ。

そのうち、また下意識さんが気が向くときを
待つしかない。
だが、あの有能なやつは
どこへ行ってしまったのだろう。
いまどこにいるのだろう。
「システマ」と名づけた。

仕事をしていてもどこか自分のバランスが悪く、
うまくやれなくなってきていたのは
システマがいなくなったせいだったのだ。
思いついたことを勢いに乗って
どっとするやつは残っている。
だが、緻密なシステマテックな
裏づけ仕事はもうとれない。
俺は思いつきと勢いだけの人間になっちまった。

自分の中の仕事師は、単一の人格ではなく
いわば、軍団をなしていて、
いろいろなやつがいたことが分かってきた。

先日、全員を肯定するのだ、と
いきまいてみたが、
自分の中から消えてしまったやつには
どうすることもできない。
どこかでひっそり生きていてくれたら
いいのだが。

9月4日

日記タイトル、サブタイトルを変更しました。私の態度表明です。

多重人格を肯定する日記
――一人のサブ人格も否定してはならない。統合する必要もない。
なんとしてでも、このまま多重として生きていく道を切り開くのだ。
 解離性同一性障害を肯定する日記


2006年9月4日

触れてはならないクオリア

この数日異常なまでにアドレナリンが亢進している。
血圧、脳圧、動悸が激しい。
すぐさまキレルからだになっている。
いくつかのアドを刺激する事態が重なったからだ。
8月の小泉首相の靖国参拝への憤りを書いてしまったこと。
チベット人政治犯への拷問後遺症プロジェクトに関連して、
昔の政治運動の中での友人たちの死を思い出したこと。
(これが軽率だった。
まだまだそれに触れる力は生まれてなかったのだ。)
それらの件でアドが出やすいからだになってしまっていたのか、
今日はこれまでインドで散々な目にあっている
電話回線の工事の遅れに手もなく
堪忍袋の緒が切れかけた。
詳しくはもう書き連ねない。
書けば余計に腹立たしくなるから。

ただ、これらのアドの亢進の中で、
私の人生のすべての悲惨なアド体験が
ひとつにつながってしまっていることに気づいた。

3歳で母に捨てられ
必死の思いで母を探している私がいる。
ものすごくすばやく狂気のごとく探しまくっている。
これがもっとも触れることができないクオリアだ。

20歳の前後、何人もの友人が虐殺された。
これもまた触れてはならないクオリアだ。
触れればいまだに赤い血を噴き出す。
35年も経つのに、
まったく癒えてなどいないのに気づかされた。

3年前のインド神経症のときは、
工事の遅れがいつまで延びるのか分からないことが
神経を痛めた。
そのとき、胎児時代のふたつの
アド体験がぶり返したのだ。

ひとつは、子宮収縮が始まって
いつ終わるか分からない恐怖に叩き落された体験だ。
それがインドの工事の果てしない遅れと共振して
よみがえってきた。

もうひとつは、
私が母の胎内にいた頃突然浴びせられた
母の激しい狂気のような悲怒のホルモンだ。
私にはひとつ年下の腹違いの妹がいる。
つまり私が母のおなかの中にいた頃
父は外に女を作り子を設けていたのだ。
それを知った母が何度泣いたか数え切れまい。
その度に胎内の私に分け知れぬアドレナリンが注入された。
胎児の頃から私はアドレナリン漬けだったのだ。

いま、何かに刺激されてアドの激発発作が出ると、
これらの58年間のクオリアが一気に吹き出して
渦巻き吹き荒れる。

アドが異常に亢進したからだで、
私には何が現実で何が過去のクオリアか区別がつかなくなる。
クオリアの幻現二重性に手もなくやられてしまうのだ。

以上がフラッシュバック発作の内訳だ。
何年かかけてほぼ透明に見通せてきた。
だが、分かることと制御できることはまったく別だ。
からだの底から持っていかれてしまうからだ。

いま取りうる対処法は
触れてはならないクオリアに
うかつに触れないことだけだ。

これから対処できることは、
触れてはならないものに
触れないテクニックを見出すことだ。

ここから再出発するしかない。
ここんところ好調だったので
油断してしまった。

”油断大敵”を
からだの底に銘記しよう。

2006年9月2日

暴暴のアドの嵐

吹き荒れる。暴暴の嵐に吹きまくられる。
なぜだか、夕べ夜深、急激にアドが高まって
アド人格が吹き荒れた。

夕べは、治癒とは何かを根源的に考えようとしていた。

アメリカから、チベット人政治犯の
拷問後遺症を治療するために、
ボディワーカーたち9人を連れて帰ってきた
ルンタプロジェクトの高橋明美さんの
企画とあわせて、治癒とは何かを
考え直そうとしいてたはずだった。

サイトで検索しても
治癒とは何かを本質的に問うている人など
見つけられなかった。
星の数ほどヒーリングやセラピーの
サイトはあるのに、だれひとり、
治癒とは何かを問いきらずに済ましているのにあきれた。

これだから、昔から
本能的にヒーリングや癒しなどという
ムード的な世界に触れることが
いやだったのだ。

人間にとって、
どうある状態がいい状態なのかを問えば、
問題となる症状がなくなって、
いまの社会に適応できるようになるだけでいいとは
言えないことに気づくはずだ。

だが、そのことはいい。今はおこう。
私はその問いを根源的に問い詰めるつもりだ。
だが、それよりも自分のなかの嵐を
何とかすることが先決だ。

チベット人の受けた拷問のことに関連して
ゆうべはずいぶん昔のことが思い出されて、
サイトのいろんな日記に、
昔死んだ友人たちのことを書き込んだ。
それが、私を暴暴のアドの嵐の世界に連れ込んだのか。

夜中私はまるで世界を滅ぼしたくなるほどの
怒りに見舞われていた。そして、自分をすこしでも
邪魔するものを遠ざけようとした。
危険だ。見境がなくなる。
だが、これは私がもはや
ありとある対人関係場と関わらない
リトリートする必要があることを告げている。
学校で生徒に教えるのだけはいい。
そこでは私は最も安定していられる。
だが、それ以外の関係はすべてやばい。

アドを解発し、亢進させる要因に
転化する危険がある。
とりあえずそういうものに
触れないで済む環境を確保しなければならない。

1週間前にも、夜中サイトサーフィンをしていると
日本の馬鹿な首相の靖国詣でに関するいくつかの
記事に出くわした。その夜中中私のサブボディは
日本の首相とアメリカの大統領がいかに
軍事産業の過剰生産物を戦争で消費するかという
死の商人たちの走狗になりさがっているかを
書き続けていた。そして、目覚めると
わたしは真っ赤な怒りで燃えるアド人格によって
占拠されていた。
些細なことにすぐ憤怒発作が起きた。
ベランダから崖の下のほうが騒がしいので
見ると、インド人の地主のじいさんが
人を使って樹を切り倒し、
よその牛が入ってこないように柵を作ろうとしいた。
だが、その樹を伐られるとまた、2年前のように
うちの地盤が地滑りを起こしてしまう。
大きな声を出して、樹を切るなと制止した。
だが、大声を出した瞬間、
昔の戦闘状態のからだに連れ戻された。
何度も生き死にの境の乱闘をくぐってきた
からだが目覚めたのだ。
地主の爺さんはなにやら説明しようとしにきたが
戦闘状態のからだに取りつかれてしまっていた。
わたしはもう取り付くしまもなく
憤りを激発させるだけの戦闘機械に
変貌してしまっていた。
その激発発作が治まるのに三日あまりかかった。
その間中なにも仕事ができず
えさ台にくる小鳥たちと、向かいの山で草を食う
牛や山羊だけをを見てすごした。

今回の発作も治まるまで何日かかかるだろう。
8月は、ラダック地方の豪雨のため
そこで足止めを食った予約していた生徒が
すべて9月に振り替わってきたので
この機会に第二サイトをと思って取り掛かっていたが
なかなかそうは問屋がおろさない。
むしろ、からだの中の嵐が暴暴と吹き荒れだした。
そういえば、30代の頃から
何度もこの嵐に見舞われた。
そのたびに何年も、鳥や魚や高山植物や水晶や笛に夢中になる
呆けた暮らしをすることで嵐が治まるのを待った。

かれら幾多の<癒し人格>たちも
本当になくてはならない存在だった。
そうなる以外生き続けられなかった。
いまもそうだ。
日々癒しに癒す。
だが、アドを亢進する要因は
人間世界にはいくらでも転がっている。
どこで生きても完全な隠遁などありえない。
アドの嵐よりも癒す力のほうが
いささかでも勝らねばならない。
至難の業だ。

だが、アド発作はできるだけ避けねばならない。
アドの過剰はからだに毒だ。
過剰なアドレナリンが充満したからだになると
免疫や消化作用などは一切ストップしてしまう。
血圧が以上に高まり、
憤怒で脳圧が沸騰して脳溢血寸前の状態になる。
火照りすぎてまったく使い物にならないからだになる。
終わるとぐったりして動けなくなる。
発作の度におそらく寿命が3年ぐらいずつ縮まる。

だが、これ以上静かな場所など
もう雪の中しかないのだ。


2006年9月1日

妙間の生

この世の現実では生きる場を与えられなかった
生の衝動はどこへ行くか。
私の中のロリ人格をはじめとする数々の影の人格たちは
どこで生きているか。
彼らは社会に対する表人格の裏面に
ぴったりと張り付いて息を潜めて生きている。
そして、表人格がほとんど眠りに落ちる瞬間だけ、
たまゆら躍り出て深夜の非時非空をさまよう。
彼らはいわば現実でもない非現実でもない、
そのあわいの妙間次元に生きている。
そういうやたら狭苦しい場所に
追い込まれてなお生を保っているのだ。
人がもし、自分の中の一見立派な表人格よりも、
これらの影の人格のほうが
より本当の自分であると感じたらどうなるか。
この世の現実では生きることを許されない非望の生は、
苦し紛れにこの世の合意的現実が唯一の現実ではなく、
その裏面の妙間の次元こそより本当のリアルな世界だとして、
そこに生の場を求めるしかないのだ。

実は芸術が時代を超えた美を見出すときは、
常にその妙間次元に生きざるを得ない
芸術家がそれを生んできた。

土方巽もまた、
この世のきらびやかな合意的現実の生など
とうに偽者だと確信していた。
彼はからだのなかに死んだ姉を住まわせた。
比喩ではなく実際に何年もの間、
午前中は死んだ姉の着物を着、髪を長く伸ばして
姉のからだに潜り込む時間をすごした。
世の人から見ればまことに奇矯そのものだろう。
その何年もの姉のからだへのなりこみが、
土方の最後の時期の衰弱体の舞踏
『夏の嵐(1973)』の「少女」というソロに結晶した。

もう踊りらしいものは何もない。
土方はただ異界とこの現の世界との間の
妙間を出たり入ったりして見せただけだ。
そして、その妙間次元からのまなざしを
観客に向けて容赦なく浴びせた。

「オマエタチガイキテイルツモリノ世界コソ
ニセモノノ現実デハナイノカ?」

受け取れるものにはその土方のまなざしが
語るものを受け取れただろう。
不幸にして受け取ってしまったものは、
否応なくその妙間の魔力に吸い寄せられるように
舞踏家として生きるほかなくなる。

世阿弥の能もまたこの現の現実と、
非空非時のあわいの妙間次元で演じられた。
彼が発明した複式夢幻能は
みな妙間を行き来する構成を持つ。
世阿弥もまた、
一般の人が属する日常の現実では
人として生きることを許されなかった河原者だ。
若年の世阿弥が道長の寵愛を得て、
公式の場に出ていることを
「河原者の分際で」とそしる貴族の日記もある。
さまざまな目で見られたことだろう。
世阿弥はいちいちそんな俗物のまなざしに応えはしなかった。
ただ、彼らが属していると信じているこの世の現実の向こうに、
複雑精妙な妙間の次元が存在することを実際に開畳してみせた。
それによって、日常人が属す現実の底板を割り、
転覆して見せたのだ。

この世の合意的現実では生きることを
許されなかった存在だけが妙間を切り開き、
この世ならぬ美を開畳することができる。

わたしのロリ人格もまた
この世では生きることを許されない。
だが、生まれてしまったのだ。
生まれたからには、何とかして生きるしかない。

私は私のロリ人格を、何があろうと擁護する。
生まれ落ちてまもなくの間に母に捨てられ、
祖母からも捨てられるという経験をしたものは、
もう大人の女性を信じられなくなる。
私と同じ体験をすれば100パーセントが
ロリになるしかないと確信する。
生命はおのれの生存を脅かしたもののことは
生涯忘れることがない。
それをのんきに忘れては生き延びられるはずがない。

私はわたしの自全のすべてを肯定する。
だが、この世で生きることが許されないとしたら、
妙間次元を発見してそこに潜り込むしかないのだ。

自全はこの合意的現実と妙間次元に
あいわたって存在している。
複雑多岐な多次元的構造をもつ。
その多次元世界の仕組みを解明しぬくことも
私の仕事だ。

この世に生を受けた誰もが
抹殺されることなく生きていける道を私は探る。
たとえ、解離性同一性障害の人々のなかに存在する
影の人格たちであったとしても、
彼らもまた、生まれる必然性があって生まれてきたものたちだ。
その存在を否定されてはならない。
いくつもの人格に分裂してしまっていても、
一つ一つの人格はひとつの生命なのだ。
殺されたくはない。
殺してはならない。

これからの世界はそういう
人としての痛みが理解できる
人々によって築かれなければならない。
誰もが多様な心身障害の苦しみを
理解し分かち合えるようにならなければならない。

 

2006年9月1日

ロリ人格ふたたび

サイトの共振掲示板に、アメリカで舞踏を追求しているkatsさんから、「ロリ人格」についての書き込みがあった。まさか、わたしのこんなびびしい面にまで感応してくれる人があろうとは思わなかったので、感激した。

 

Lee さんへ、
ご無沙汰してます。ちょっとショーがあったりしてしばらく忙しくしていました。このところずっと、あの「ロリ人格」について考えていました。すべてを肯定するという行為をする中で、やはりロリ人格みたいな厄介な人格を肯定するのが一番難しいですね。でもそれをしないとただのきれい事になってしまう。

誰にでも多かれ少なかれロリ人格はあると思うんです。子供の中にある純粋なものに惹かれる衝動(性的なものも含めて)と、その純粋なものを壊したい衝動は、人の闇の中にいつでも蠢いている物なのではないでしょうか。しかしそれを認めることは、常識やモラルで縛られた僕たちにとってとても難しいことですね。かといって抵抗できない子供を性的に虐待または殺害することが自然だとは言いがたい。対外人は、こういう感情を心の奥底に収めて置けるものですが、やはり中にはこのコントロールが出来ない人が居る。逆に感情を抑えようとすることで、歪んだ形で出てきてしまうのではないでしょうか? 人の欲望を薬で治すことなんて出来ない。でも誰も傷つけずにこの人格が健康的に開花できる場所がこの地球にあるでしょうか? 

Kats

Katsさんからの問いかけは重い。

そうだ、誰も傷つけずにこのロリ人格が健康的に開花できる場所はこの地球上にはない。それが問題だ。

この世には、宮崎勤、新潟の少女誘拐者、無数のロリ犯罪者が輩出する。被害にあった少女は、殺されなかった場合でも、心身に深い傷を負って、解離性同一性障害その他の障害をもつ人間となって一生を送らねばならない。

そういうことをしてはならない。
私の中のロリ人格はそれをわきまえている。自分はこの世に出てはならない存在であることを、出生のときから知っている。

だが、私の中にロリにしか反応できない人格が存在する。
この世に生まれてきたものにはみな、
生まれてくるだけの必然性を持っている。
だが、いったい、彼はどう生きればいいのか。

この世ならぬ非現実の次元に生きる場所を見出すしかないのだ。

彼はいつも隠れ家に隠れて生きてきた。
私の中のロリ人格は、決して自ら表には出ず、
表に出ている人格の真裏にぴったり張り付いて存在する
影の生き方を見つけた。

その生き方の秘密については、
彼の生存に関わるので、これ以上は言えない。

だが、私の中の表人格のすべてが、
ロリ人格の隠れ家になっている。
表人格が招待したわけではない。
ロリ人格が勝手に忍び込む術を発明したのだ。

人間はこの地球上の四次元だけではなく、
別の次元で生きることもできる存在だ。
社会に対し堂々と顔を出す以外の
生き方をしなければならない人格たちもいる。

それはそれは涙ぐましい存在の仕方だが、
仕方がないと思っている。

この人たちが生き抜くために
対社会的ペルソナ人格が生まれ、
これらの反社会的人格の生存を守ったのだ。
だから、対社会人格と反社会的人格は
ユングの言うように相補的存在なのだ。
正反対の性格だが互いに相手を必要としている。

妙間次元を追求することは、
ロリ人格がどこで生きているのかを解明することでもある。

そう、わたしの自全のすべてが存在しうるためには
11次元の異空間がどうしても必要なのだ。

私にとって妙間次元の探求は生きることそのものだ。
だが、思えば世阿弥の能はすべてこの
現の世界と幻の世界との間を行き来する
妙間次元で演じられている。

世阿弥もまたこの妙間でしか生きられない
自分を持っていたに違いない。

あるいは、河原者ながら、道長にもてあそばれることで世間に出た
若年の秘密の苦悩がそこに隠れているかもしれない。

土方巽もまた、死んだ姉のからだに何年間も潜り込み、
かつて誰も入ったことのない妙間次元で踊った。

妙間にしか生きられないものだけが
時空と非時非空のあわいで震える
ぎりぎりの妙間の美を見出すのだ。

2006年8月31日

噴きあがるトラウマ

ダラムサラの長い雨期も、そろそろ下火になってきたか、
乾いた風が吹き始めた。

この乾いた風と共に、
2年間アメリカの大学院に留学していた
ルンタ・プロジェクトの高橋明美さんが、帰ってきた。
アメリカからクレニオ・セイクレルのボディ・ワーカーたち9人を招いて、
チベット難民の中の中国の圧制に反抗して立ち上がって囚われた
政治犯の方のうち獄中での拷問によって
深刻なフラッシュバックなど重い後遺障害に悩む人たちを
治療するプロジェクトを持って、帰ってきた。

沈滞していたダラムサラの空気がにわかに活気付いてきた。
明美さんはその昔わたしがはじめてダラムサラをおとずれたとき以来
お世話になっている人だが、
やはりダラムサラにはなくてはならない人だ。

実はわたしも政治犯であり、深刻な後遺症をもつ。
大学時代のベトナム反戦闘争や、
日本を変革しようとする革命運動の中で、
15,6才のころから政治運動にかかわっていた私は、
高校・大学の運動のリーダーだった。
そのなかで多くの親しい友人同志が斃れた。
警官隊との衝突で17歳で死んだ大阪大手前高校の同級生だった山崎博昭、
対立党派との内ゲバという暴力対立の中で、
鉄パイプで殴り殺された京大生、辻敏明、
その渦中でダンプに跳ねられ死んだ立命館大学の橋本憲二、
対立党派の軍事部隊に隠れ家のアパートの寝込みを襲われ、
鉄パイプで頭を砕かれて死んだ
私の属していた党派の最高指導者、本多延嘉、
その他実に多くの親しい友人知人が命を落とした。
わたしの眠りの中にはかれらの死の瞬間が無限回立ち上がってくる。
山崎や、辻、橋本らの高校時代からの友人が
夢枕に立ち、語りかけてくる何年もの長い悪夢から、
わたしは伝染熱、死者熱という踊りをつくり
世界中で踊り続けることによって、
何とか解放された。

だが、インドに定住してから、
学校建設工事をめぐるストレスによって神経症になって以来、
不意にアドレナリンがからだ中に充満して、
激発憤怒発作を起こすようになった。
工事だけではなく、
インドのさまざまな官僚たちの不正に付き合わねばならない羽目になって、
わたしの中の正義感の塊のような山沢夙という革命家時代の人格が、
刺激を受けてよみがえり、
過剰な憤怒発作で私を苦しめ続けた。

おまけに、世話をしていたチベット人少年がいつのまにか、
遊ぶ金欲しさに私の家に何度も盗みに入るようになって、
寝込みを襲われて死んだ本多延嘉の死霊がとりついた。
毎夜忍び込むチベット青年を迎え撃ち殴り殺す、
あるいは殴り殺される新しいアドレナリン発作に囚われるようになった。
暴力的な過剰警戒だと、頭では分かっているのだが、
からだは止まろうとしない。
過剰警戒に囚われて解放されない俺が現れた。
もう3年それが続いている。
おそらく、私が経験してきたあらゆる命にかかわるトラウマが縮合し、
胎児期に味わった恐怖とも結びついて、
固着してしまったのだと思われる。

おそらく、チベット人政治犯たちも
多くの友人同志が殺される中で生き残った人たちだ。
俺と同じかそれ以上のトラウマに悩まされているに違いない。
簡単に治るものとは思えないが、
アメリカから来たボディワーカーたちの腕は思いのほか確かだった。
少しでも傷が癒えることを願わざるを得ない。

私もちょうど、リゾナンス・ヒーリングを中心とする
第二サイト作りのために、
治癒とは何かについて、根源的に取り組んでいる最中だったので、
思わず深く共振することになった。
わたしはいきのびるために、トラウマの発生と
トラウマから解放される仕組みについて解明せざるを得ない。
そして、もし、その解明がほかの人にも役に立つかもしれないならば
それを公開する義務が私にはある。
人生にはユングの言う、
こういう偶然の同時性(シンクロニシティ)の現象がときどき起こる。
この世に生起するすべての出来事は共振しているのだから
何が起こっても不思議はない。
すべては濃く薄くの差はあれ共振しつつどこかへ向かっているのだ。

(この記事は、共振日記と多重日記のどちらにも載せた。
タイトルや細かい記述は多少変わっている。)

2006年8月11日

ネズミと威張り大名

主人格が眠りにつくと同時に、深夜出没して、妙なことを行う。

別の人格がサイトに投稿した記事を消して回ったり、

大事なものの隠し場所を変えて、

結局行方不明にしてしまったり、

何をするか分からない。

もちろん、なにか意図あって、

良かれと思ってやっていることだとは、分かるが、

結果が怖い。

隠した本人がいなくなってしまうのだ。

どこに隠したという記憶とともに。

 

解離性の問題は、別人格が出てきて行ったことを、

自分の中の他の部分が把握できない点にある。

それ以外は、自分の中にたくさんの傾向や要素があるという

単に多彩で豊富な人格要素を持つという

プラス面のほうが多いのだが、

この記憶が断続するという問題が

厄介だ。

 

はじめて、記憶が飛んだときには

パニックに近くなった。

それまでは、どんなけったいなことをやっても

かならず把握できていた。

それが、2000年ごろ、

威張り大名と名づけた人格に

夜中に急にのっとられたとき、

まったくそれを統御できなかった。

夢の中の光景のように

俺はそばからそれを見ていた。

威張り大名は

なにか自分が正当な評価を受けていないことに

いらだっているようだった。

威張り散らし、怒り散らし、挙句の果てに

当時一緒に暮らしていた女性を追い出してしまった。

夜中に布団や家財道具を当時住んでいた部屋から運び出した。

家主のおじいさんが妙な面持ちで見守っていた。

一晩寝てから、朝目覚めたとき、

なぜそばに寝ているはずの女性がいないのか理解できなかった。

そして、時間がたつにつれ、

じょじょに夕べ自分がやったことがおぼろげに思い出されてきた。

何者かによってわたしはのっとられた!と気づいた。

その瞬間の気色悪かったことといったらない。

いったい何が起こったのか? 

それがおそらく、多重人格障害発症の瞬間だった。

2006年8月11日

テーブル返し

最小の幼少期人格のりゅうり大魔王系列の一人。

幼いころ、自分が安全だと思って乗っかっていた土台が、テーブルごとひっくり返された経験を持つ者は、長じてから自分が扱われたと同じしかたで世界を扱おうとする。

人々が安心して乗っかっているテーブルを、ひっくり返して見せたくなるのだ。1989年にソ連、東欧諸国を襲った社会革命のように、ひとびとが信じていた土台のすべては転覆可能であることを、わたしは今の西洋先進世界の人にも示したくて仕方がない。

これまでも踊るときに、畳や戸板の下からそれをひっくり返して登場したことが何度かある。庭に薪が積んであるとその底から踊りだしたくなる。

芝生を掘り返してその下にもぐったこともある。

ひとつの動きをしているなと見せておいて、突如まったく質の動きを出して、見る人を驚かしたくなる。これらの演出は皆、私の中の<テーブル返し>が仕組んだものだ。最も幼いこの人格が私のなかの最大の演出家であった。

これまでに出会ったダンサーの中で、わたしと同じようなテーブル返しの資質を持った人に出会って驚いたことがある。

1990年代の終わりにダンスリゾームというグループで世界を公演して回ったとき、同行衆として参加していた福岡さわ実がこのテーブル返しの天分を持っていた。さわ実のエイリアンという歩行法、トッケイアイと名づけた、タイによくいるオオトカゲのように、まぶたを瞬間裏返す術など、見る人を驚かせる術をつぎつぎと発明した。

世界を驚かせることができない踊りなんてする価値がないと彼女は信じていた。

いまは、ヨーロッパのエミヨ・グレコという人のダンスカンパニーに所属して、ヨーロッパのモンスターという異名を取っている。いまも世界中の人々の乗っかる価値観のテーブルをあの手この手でひっくり返ししつづけていることだろう。

思うだに痛快なことだ。

2006年8月9日

ロリ人格

一人モードのアド人格の裏面にぴったり張り付いているのが、ロリ人格だ。
この人格はアド人格以上に人目にさらすことはない。
自分の中の人目に触れないもっとも奥の部屋で生きている。

穢れをしらないおさない少女の透明さだけがわたしの愛の対象となる。

それ以外のものはなんの役に立たない。不透明だからだ。ロリ人格の私は大人の女性に対し何の魅力も感じられない。ゲイの人同様、性的には嫌悪しかいだけない。

この過激な透明さへの傾き、これがロリの本質だ。それ以外のものは目に入らなくなる。少なくとも美とはみなされなくなる。美意識の根源的視野狭窄、これがロリの病いだ。

生まれてから幼少期を通じて親しんできた和歌山の路地空間の世界から、7歳のときに引き剥がされた。ロリはその路地の世界の住人だ。その路地の世界が俺の人生の胎内空間なのだろう。

この美意識には手をつける気がしない。60年もからだの闇にかかえ続けてきたものだ。私の中の血肉となっている。大人の女性を愛することができないのだから、問題人格ではある。だが、私の中でもっともいとおしいのがこの人格だ。わたしの本質とさえいる。

出現の由来もいまでは、ごく納得できる。母と祖母という二人の大人に騙されてとんでもない目に遭ったわたしは、大人の女性に対し、気を許すことができなくなった。いずれお前も何かたくらんでいるのだろうというような、根源的不振のまなざしでみてしまうのだ。

あらゆる多重人格状態には生まれる必然性があった。そして、この世に生を受けたものは生かしてやらなければならない。

解離性同一性障害者は、同一性という共同幻想の患者である主流派社会の医師や学者が言うとおりに、統合などしてはならない。それは殺人行為だということを彼らは知らないのだ。今人類は大きく変わろうとしている。多重人格も可能性に満ちた人生のオプションのひとつになりつつあるのだ。人間の深みを知らないものどもに、多重人格をロボトミー手術させてはならない。

多重人格者は自分で自分の身を守るすべを発明しなければならない。
いくら辛くとも自立して、自分で生き延びる方法を編み出さねばならない。
生き延び方を発明し、その成果を分かち合うこと。
それで人類が豊かになる。
わたしたちはそのために選ばれたものなのだ。

かつて、ゲイのフーコーは、一生懸命ゲイになろう、といった。
ゲイは人類の新しい友情の形態なのだと。

わたしの多くのダンサーの友人はほとんどすべてゲイだ。

サンチャゴ・センペレ、デビッド・ザンブラーノ、マーク・トンプキン、……
彼らはゲイであることを誇りにさえして生きている。

フーコーはまた、「君がどういう性生活を送っているかいってみろ、君が何者か、それで分かる。」ともいった。
彼は多数の恋人を持ち、奔放に遊び歩いた。
アメリカ西海岸での快楽に満ちたゲイの享楽ぶりも隠さなかった。
むしろ、これからはドラッグも研究する必要があるといっていた。

わたしは、フーコーのように、一生懸命ロリになろう、という勇気はない。
むしろ、これは自分の中でもっとも人目に触れないところへ
そっと隠しておきたい傾向だ。
これが、人類の新しい友情の形だとも主張する気になれない。
やはり、どこか変なのだ。
だが、その変さを愛してやまない。
自分の中でもっとも変であるがゆえに最も愛している。

フーコーとは別に、
人間は自分なりに変になるために生まれたのだ
とさえいいたくなる。
恐れを知らず変になること。
自己実現とはそれを措いてないのではないか。

もちろん、宮崎勤のことを思うと、胸が痛くなる。
彼もロリ狂いだった。
幼い少女を誘拐し殺し、指まで食べてしまった。

ロリの暗さは、それが非対称的である点だ。
年齢差がありすぎて、愛しても愛し返されることのない愛だ。
ほとんど妄想の中でしか生きられない。
その愛されなさの妄想に耐え切れないと、宮崎勤のようになる。

殺されはしなくても、
幼児期に性的に犯された多くの女性は、解離性障害に陥る。
わたしの17歳のときの最後の初恋の相手の女性もそうだったことを後に知った。
サイトで知り合った多くの解離性の女性も多かれ少なかれ、性的虐待の体験者だ。

このロリが持たざるを得ない非対称性をどう考えればいいか、分からない。

発生期のゲイも非対称的だった。
ギリシャでも東洋でも日本でも、権力をもつ有力者が美しい若者を囲った。
若年の世阿弥が道長にかわいがられていた話は有名だ。
世阿弥はその非対称的な愛に傷ついている形跡はない。

光源氏に愛された若紫はどうだったのか。

相手を傷つけないロリの愛はありうるのか。

妄想の中だけで生きれば傷つけることもない。

それだけは確かなのだが。

ロリはわたしにとってもっとも解きがたい暗い謎のひとつだ。

2006年8月9日

アド人格

対人関係の場や、サイトなどの場にはなかなか出てこない人格がある。その一人がアド人格だ。今日は朝からなぜかアドが高まっている。

ほんの少しでも不快な刺激に触れ、からだの奥のアドレナリンが高まると、体全体が怒りやすいアド人格に持っていかれてしまう。

たぶん、アド人格は私の中の最も根源的な体験に根ざして生まれた。もっとも厄介な人格状態のひとつだ。

胎児期に母と父の激しい喧嘩の折りに、子宮から注入された母のからだのアドレナリンに侵された体験と、3歳のときに母から捨てられ、7歳のときに母と思っていた祖母から捨てられたときの地球が壊れるようなショッキングなアドレナリン体験とが三重に縮合して、私の安全欲求を根源から変えた。すこしでも変な気配を察知すると、いつも最高度まで緊張して危機管理にあたる人格が生まれた。人格というよりもっと根源的な存在の生体反応といったほうが近いかも知れない。

少しでも緊張させるような気配を察知すると、この生体反応が他の人格をすべて制して最高の指揮権を奪取し、危機管理をする。

国家でいえば非常事態宣言をしたクーデター政府が軍事力で権力を奪取する事態だ。それが自分の中で日々行われている。

悲しいことに、この反応は適切でないことが多い。ほんのささいな刺激にも、私の生体反応君は、最高度の防衛体制で固めてしまうのだ。

それが身を守るために必要だったというのはわかる。

幼いころに、母や、その代理の祖母から捨てられた体験を二度もすると、おのずからそうなることが理解できる。そして、その緊急生体反応を解くことはおそらくできないだろうことも理解できる。

ただ、それが出てくることが限りなく少なくなるように、環境を整え、刺激から遠ざかることによって身を守るしかない。

それで、俺はヒマラヤくんだりまで隠遁したのだ。だが、ここですらも安全圏ではない。

わたしがサブボディメソッドの全体系を必要とするのは、ひとえにこのもっとも厄介なアド人格をコントロールできるようになるためだ。
こいつが暴れだすと、自他に対し、見境なく否定の限りを尽くす。
からだと心の間で起こっていることをすべて透明に見えるようになりたいというような透明覚へのべらぼうな欲求は、こういう特別厄介なことでもないと出てこないだろう。

だが、こいつがいるおかげで、わたしはいつも自分でコントロールできることと、コントロールできないことの境界線上に立つことができる。
いつも最も困難な課題と直面して生きるしかない。
片一方で沸騰している脳髄の脇をすり抜けて、
微細に微細に分け目を掻き分けて降りていく。
アド人格が発生する現場を押さえるのだ・
簡単にできることではない。
十中八九は大概失敗する。いや百中九十九は失敗だ。いや、まだ成功したことはない。
いくら透明覚を開いても、気づくのはいつもアドがたっぷりからだを浸し、からだ全体がアドモードに変わってしまってからだから、最初の、刺激によって、一滴めのアドレナリンがからだにどのような変化を及ぼしていくかの始まりのクオリアをつかむことができない。
課題はここにある。
なにかうまい仕掛けで、最初の一滴のアドレナリンによる変化をつかめたら、そこから先どう逸らしていくかという、戦略が立てられるのだが。

これまでの戦略は、意識で気づく以前に透明覚で気づくことだった。

だが、今求められているのは、透明覚で気づく以前に、もっと敏感にからだで起こる変化を察知する別の感覚を開くことなのだ。

今週は舞踏スクールが休みなので、ほとんど一日を半眠半覚の状態で過ごしている。そして、すこしでもからだのなかの情報伝達物質の布置が変わったら、気づくようにしている。だが、今朝方のアドの突出には気づけなかった。おそらく眠っているうちにアドが高まってきていたのかもしれない。

あるいは、起き掛け、サイトのビデオページの作り方のアイデアが湧いたので、それを書き留めていた。それを書いている間に、知らず知らずアドが滲出していっていたのかもしれない。おそらくそうだ。

ビデオをアップするには、回線をADSLに転換する必要があるが、それがまたインドでは大仕事なのだ。インドの電話局の官僚どもとは、もう二度とかかわりたくない。仕事はしないわ、賄賂は要求するわ、あれほど頭にくる存在もまたとない。

だが、それを人に頼もうとしても、ここでは適当な人が見つからない。誰に頼もうと、今度はその人との葛藤が生まれる。

明け方、その予感によってアドレナリンが噴出してきていたのだ。気づけなかった。

自分のなかの解離された人格状態の発生現場を掘り下げるという作業は、まるで生きた自分のからだを細かく細かく生体解剖するような仕事だが、仕方がない。これしかたぶん多重人格をかかえて前向きに生きる方法はない。

自分の中の負のカードをすべてプラスのそれに転化して見せるという自恃だけが私を支えてくれる。

2006年8月3日

自全のいとおしさ

60歳にもちかくなると、30を超える人格たちのなまえをもう覚えていられなくなった。以前は微細な違いをすべて名前の違いとして把握できていたが、その人格たちはさらに微細に揺らぎ、交錯している。昔作った表はもう役に立たない。こんな多次元変容流動に追いつける言語を私はしらない。

だからもうみんな勝手にやっておくれ。大きくふたつに分かれていることだけは、はっきりしている。母を探している二人モードの系統と、母から独り立ちしようとする独りモードの系統だ。この系統は互いに激しく否定し合っている。殺しあおうとさえしている。それが私の不幸だ。二人モードにのめりこめば私の独りモードは生きていけない。独りモードが独占していると二人モードは出て来れない。だからその間隙を縫って無数の分身たちが跋扈する。みんな俺を何とかしたいと思って必死にやっているのだ。いとおしいではないか。

2006年8月3日

ひしめく分身たち

最近眠りぎわにひっきりなしにサイトが更新される。基本人格が眠りに入ったと見るや、昼間は地下に追いやられている分身たちが争って何かを思いつき、いくつもあるたくさんの日記のどれかに書き込もうとする。私はそれを許している。そのほうが面白くなるからだ。何がどう展開していくのか、自分でもまったく読めない。この読めなさが面白い。ついさっき、共振日記に忍び込んだのは誰なのだ。わたしは追求しない。いずれ自全の中の誰かだってことだけははっきりしている。私はこの自全の中のすべての要素を否定しないで生きていく方法を探る。そこにだけ世界中の解離性の人々が、そのすべての人格状態ごと救われる道がある。

同一性世界の住人である医者の言うような<統合>プログラムにしたがってはいけない。多重であることこそいいことなのだ。人類のまだない可能性を切り開く可能性を持つ。君のかかりつけの医者にはそんな可能性も創造性もない。

解離を肯定しよう。つらくてもこれは選ばれしものが感受しなければならないものなのだ。そしてまだ誰も知らない生き方を発明しよう。それがわたしたちの使命なのだ。

2006年8月2日

時と非時

幾人かのいつもよく読んでいる解離性サイトをひらいている方に、前回の「交替人格はどこに棲んでいるのか」の記事を書いたことをご連絡した。

早速、解離性WEBRINGを主宰されている、Sea-laさんから、ご丁寧なお返事があった。彼女は、解離性の症状は一人として同じ症状はないという持論をお持ちだ。わたしもそれには同感だ。サイトからうかがうだけでも、ひとりひとりじつに異なる。交替人格同士のコミュニケーションのあり方も、実にユニークだ。同性だけの人格群のケースもあれば、n個の性に渡っている人も多い。年齢層も実にさまざまだ。シーラさんの場合は、人格達は、ある日を基点に、この日から年をとることに決めると、その日から歳を取り出し、顔つきも変わってくるという。

交替人格と時の次元との関係は非常に微妙だ。表に現われていないときは時のない国に棲んでいるかに見えるが、時々この4次元時空にあらわれたときは、そこで立派に歳を取る。だからひとつの人格にいくつもの異なる歳の分身がいるようにも感じられる。

私の場合はどうだろうか。りゅうりは3歳のままの感情も持ち合わせているが、知らない間にずいぶん歳を取ってしまっている部分もある。おびえの感情に囚われるときだけは3歳のままだが、その結果怒りだし、周りの人に対して否定的な権力を振るいだすときは、57歳もの歳をとり、力もつけた男として振るうので、非常に他の人を傷つけてしまうことになる。このギャップに直面しても、りゅうりにはいったい何が起こったのか理解できないようだ。

ただ、今これを書いているわたしにはわかる。だが、これを書いているわたしとはいったい誰なのだ。さっきまで寝酒を飲んですやすやと眠りかけていたのに、俄然何かを思いついて起きだした男がいる。そうそう、シーラさんからの便りに、用語が難しくて理解しきれないという言葉があったので、「多重人格日記」に、グーグルのサイト内検索機能を使って、特殊な用語にリンクを張ろうとしたのだ。だが、インドの毎回のことで、モバイルからの接続はできないままだった。それで、この日記に戻って、何かを書きはじめたのだ。

この人格は新しい人なのかも知れない。夜中に起きだしてほかの人のサイトに書き込みに行く癖がある。なにかコミュニケーションを求めているのだが、なかなか適切な行動は取れない。中学生時代に好きな子ができても適切なアプローチをすることが出来なかったことに似ている。人恋しさ――こんなものが自分の中で生き残っていたことに気づいていなかった。

心当たりを見つけた。20代の終わりから30代の頃にかけて、わたしは夜寝る前に酔うごとに、幻想の国に住む少女を呼び出して会話を楽しんでいた。少女はユングの言うアニマだった。自分の中に棲む女性人格との会話だ。彼の行っていた「アクティブ・イメージ法」というのを自分で見つけてやっていたのだ。

その時の感じにどこか似ている。サイトで出会う解離性の人たちはどこかで私のアニマ像と共振する。生きにくい生を生きている人に私はいつもほれるのだった。母がそうだった。いまだに私は母への囚われから解放されていない。私を捨てたことを憎み、十分に愛してくれなかったことを恨んでいる。それだけ3歳や7歳の子供にとって母親とは大事な存在なのだ。60年経ってもまだ恨まれている。

この恨みのクオリアは、生々しい。

三つ子の魂百までと昔からことわざにも言う。

わたしはこの体験から、交替人格のクオリアが時間次元のない微細次元で永遠に振動し続けているのではないかといいう仮説を得た。

たわいもない幻だといわれればそれまでだけれど。

2006年7月30日

交替人格はどこに棲んでいるのか

多重人格のもっとも不可解な謎は、交替人格が表に現われないときは、いったいどこに存在しているのか、という謎だ。

現在のわたしは、ここ一年近く、独りモードと呼んでいる働き者が表に出ずっぱりで出続けている。昼間は共振塾で生徒に教え、夜はサイトを更新し、一晩中下意識さんがさまざまな未知の課題に取り組み、明け方の夢で成果を手渡してくれる。これまでの人生で決してなかったレベルで創造を続けていくことができているのは、起きている人格と寝ているときのサブボディ人格が緊密に連絡を取り合っているからだ。こんなことは57年の人生で初めてのことだ。

だが、数年前まで、ある女性と一緒に暮らしていたときは、この働き者の独りモードの人格は数年間まったく表に現われてこなかった。

替わりに、二人モードと呼んでいる、甘えたで、性的に親密な関係をいつも求めている3歳のときに母をなくして以来、母を探し続けているりゅうり系の人格が居座っていた。

この二人モードの人格はまるで仕事ができなかった。ただ、快感に浸ることだけが目的だった。あまりに創造的な仕事ができないことに、地下にいた独りモードの人格が業を煮やしていたようだ。というより、この二人モードにわたしが占領されていた何年間かは、まったくこの世に現われてくることができなかったので、ほとんど殺されてしまうかというほどの危機感をいだいていようだ。

女性と暮らしていた間にも、年に数日だけ女性が盆正月に里帰りしたりする間だけ、私は一人になり、その間は独りモードが出てきて、驚くほどからだの闇を掘る仕事が進んで驚いたことが何回かあった。そのころのわたしの創造性は、その年に数日だけ発揮されることでかろうじて生きながらえていたようなものだ。

私の人生は若いころから、いつも数年おきに、とてもストイックな<Sの私>と呼んでいた人格の時期と、エピキュリアンな快楽を追求する<Eの私>の時期とが数年交替で定期的に転換していた。それが今の独りモードと二人モードと読んでいる人格状態とぴったり一致している。

ただ、違いは、昔の<Sの私>と<Eの私>が交替していたころは、裏にいつももう一方の人格が張り付いていて、酔ったりするといつでも自在にもう一方の人格を呼び出すことが出来ていた。それが、ここ数年間、もちろん存在は知っていても、一方が表に出ている時期には他方は、かけらほども出てくることが出て来ることができなくなっている。

そこで、冒頭の疑問に帰る。いったい裏の人格状態は表に出て来れないとき、どこに存在しているのか? 

ひとつだけ手がかりは、裏に沈み込んでいるときは、まったく時間が経っていないということだ。裏人格は時のない国に棲んでいる。3歳のときに母に捨てられ必死で母を探し始めたりゅうりはいつまでたっても、探し続けている。温かいもの、自分を傷つけずにくるんでくれる子宮のようなものを捜し求め続けている。そこには時間次元がないとしか思えない。いつまで経っても当初そこに落ち込んだときに味わったクオリアがとてもくっきりと振動し続けている。

そこで、わたしは推論する。

現代の物理学のひも理論によれば、この宇宙はビッグバン以来三つの空間次元とひとつの時間次元だけが粗大に拡大して生きたが、あと7つの次元は拡大しないまま、極小のプランク長さという無限小のサイズで存在しているという。

そして、この11次元で振動する極小のひもの共振パターンが、宇宙に存在する質量やエネルギーを生成させているという。(ひも理論に関するくわしい説明は「共振論」をご参照ください。)

では、微細な次元にはなにが存在しているのか。

物理学者はなにも言わないが、わたしはわたしたちが感じているクオリア(質感、実感)は、この微細次元で振動するひもの共振パターンによって生み出されているものだと考える。そうするとすべてがうまく説明できるものとなる。

ひも理論によれば、この7つの次元には時間次元がなくて空間次元だけでできているという。

そう、クオリアが共振している微細7次元には時間次元がないことになる。

時のない微細次元で、一端生まれたクオリアは、変化しないまま、無限に共振し続けているのではないか。私たちが心を動かすとき、何らかの未知の仕組みを通して、この無限に振動しているクオリアとコネクトすることによって、さまざまなクオリアを生き生きとした状態で取り出しているのではないか。

それが、3つ子の魂百まで、といわれるように、昔の記憶やクオリアがいつまでも新鮮に変わらない根拠なのではないか。

もしそうだとすると、私の中の裏人格はいつもこの時間次元のない微細7次元の中でクオリアとして振動し続けているのではないか。

これは、私の実感に、ぴったり来る考えだ。

だが、私だけではなく、わたしがネットで知り合った多くの解離性同一性障害で苦しむ人たちの、日記や記述を読んでも、多くの人が子供時代に発生したままの人格を抱え込んでいることからも、類推できる。 

L'eclosionというLastmoonさんのサイトでは、婚約者の風さんによる『交代日記』という、lastmoonさんの交代人格たちをくわしく描写した記録がのっている。

昨日の記述には、lastmoonさんの初めて出てきた清美さんという人格自身がPCのメモに記述した記録がそのまま掲載されている。

その一節に、

でも中の底の方は時間が流れてないから
司も困ってる
方法がなくて、わからなくて 離れられない
下にいすぎる
し、出たがらない」

という記述があって、びっくりした。

やはり、lastmoonさんの交代人格である清美さんも、交代人格が棲む下の方は時間が流れていないことを知っているのだ。

多重人格者の、回復を目的とした日記 の鈴木澪さんも、生まれたときに存在していた基本人格の第一人格と、年齢不詳のやや幼さを感じさせる第二の女の子人格、第三の少年人格、第4の大人の女性人格と、人格状態が発生した時期の年齢のまま4つの人格状態を持っている。

アポロンの空 のアポロンさんも、無数の子供人格をもっている。それらの人格は、時間次元のない微細次元に存在し続けていると考えるときにだけ、なんとかうまく了解できるような気がする。

Petit Vanille の桜庭思織さんの交代人格も、日替わりで多くの年齢と性の異なる人格がでてきている。まるで、昔ドゥルーズ=ガタリがいった「n個の性を生きる」先進的な生を地で生きているような状態だ。彼らの多くも時間がどこかでストップしている。

シーラの塔のシーラさんのサイトには、交替人格のヒダカさんの描いたものとあわせて人格たちが棲む空間の地図inner mindが図示されている。その空間で時間がどうなっているかは図からはわからない。

このほか、ここでは紹介しきれないが、多くの解離性障害の方のサイトでは、さまざまな探索がなされている。 これからそれらの人々のサイトでつかまれている、交代人格たちの棲みかを、探って行くことにしよう。 クオリアが存在する、微細次元のどこかに、交代人格たちも棲んでいる。その手がかりが見つかるのではないか。もし、これを読まれた解離性の方が、交替人格たちの住処について、心当たりがあれば、BBS(共振掲示板)かメール(subbody@hotmail.com)で教えてくれると幸いです。

 

2006年7月6日

勇み足すれすれ

私の中に言葉だけで猛り立っていくものがいる。毎日更新している文章はまずはからだの闇から出てきたものだ。それを体感や動きで確かめるのが私の毎日だ。だが、そこで見つけたことを書こうとして書き出してのち、筆が走り出した瞬間にのりうつってくるやつがいる。そして、記述の流れを乗っ取って、ひとえに猛り立ち、勇み足をしていく。

ことなる心身障害者の間で、からだの闇のネットワークをつくり、互いの症状から解放されていく闘いを共有できないかと構想した「肯定論」を読み返してみると、至るところで、その勇み足が憑依し、かってに走りだしている。ろくに自分の多重人格も理解し切れていないのに、分裂病や、うつ病の人のことを自分が得ている小さな知見から推し量って決め付け、ずいぶん勇み足な発言をしている。これまでの人生の間中、ものを書くときにずっとこの勇み足が私に付きまとっていたように思う。自分の書くものにこいつが混じり始めるととたんに文章の味が悪くなる。自分でも書くことがいやになって、何度も筆を折ってきた。

これはいったい誰なのだ? いつも近くにいたのに、いまだに正体をつかんでいないとは、なんて頓馬なことなのだ。

自分がいいことをしていると思い込んだ瞬間にそれは取り付いてくる。そして、いけしゃあしゃあとずうずうしくなる。押し付けがましく、正義面をしだす。知らぬ間に、<正義>に、私の言葉が乗っ取られてしまっている。この世でもっとも嫌いなものが<正義>だったはずだのに、いつの間にかそいつが私の背後からのりうつって私を奪っている。クラインの壺に紛れ込んだかのような恐ろしいことが人生ではいくらでも起こる。こういう体験をずいぶんしてきたように思う。あの時も、あの時もあの時もそうだった。

しばらく、こいつと付き合ってみよう。いくら嫌いでも私の自全の一員だ。一概に否定するわけにもいかない。

そもそも、正しいとか、いいことというものは、クオリアの多次元変容流動の世界にはありえないものなのだ。ただ無数の差異があるだけの世界だ。そういう原則論を知っているはずなのに、書き言葉になぜそんなものが混じりこむのか。いいこととか、正義とかには人をしびれさせる麻薬のようなところがあるらしい。それにやられてしまうのだなきっと。ダンスの楽しさの中にもその麻薬がまじっている。スポーツもそうだ。

書き言葉は、自我肥大を生む。自分がなにかいいことを言ったり、したりしているという感覚が、知らぬ間に、自我の肥大カーブと共振しだす。風船のように自我が自信と錯誤で膨らんでいく。

<いいこと>をしているという思いが、<正しい>ことに変質するともう見るも無惨な醜態をさらしだす。偉ぶったり、強ぶったりしだす。そして、押し付けがましくなる。

自分の中のもっともか弱いもの、ひ弱で死に瀕しているものを忘れてしまう。大またですたすたとまたぎこしていく。

大またで踊るときは注意しなければならない。その一歩がどんな動けないクオリアをまたぎこしているかを、知っていなければならない。こんな大きなレンジの注意は、意識にできる仕事ではない。下意識の透明覚を開くしかない。

2006年7月5日

胎界起源の無数のサブボディたち

生徒ひとりひとりに自分がこの一月で受け取ったものをほかの人に伝え返す授業をやってもらったことを今日の「共振塾ジャーナル」に書いた。リバース授業と呼んでいる。

今日は生徒の導きに沿って、始原生命への遡行瞑想で、わたしたちが胎内でたった一つの単細胞であった時代に導かれて行った。

わたしは一心に原初の細胞になりこみ、生きているクオリアとはどんなものかをからだのなかに探り続けた。言葉にはならないが、なにやらからだの中でうごめいているものがある。そのうごめきに聴き入っているうちに、突然、なにやら異様なサブボディがうごめき出した。外界の騒々しさや、自分の胎内に入ってくる異様なクオリアに反応して、なにやらわけの分からないことをつぶやきだすサブボディが出てくる。これまで出したこともないような妙な声を出していると、声の異様さに導かれて、次から次へと違うサブボディが出てくる。何十分かそのサブボディが出てくるままに踊った。ありとあらゆるサブボディがほとばしり出るままに任せた。ほかの人とコミュニケートするのもいれば、一人で踊りたがるのもいる。実にさまざまだ。

じぶんでも驚くほど、からだの闇には、奇妙なサブボディがまだまだいっぱい詰まっている。その体験から、たぶん私の中からときどき顔を出す未知の人格は、おそらく胎児時代に起源を持つだろうということが分かってきた。

今日の胎児に遡行した体験では、外界のざわめきに一心に聴き入り、その異様なざわめきに反応しているサブボディの手ごたえが感じられた。

私の父は、わたしが母の胎内でまどろんでいたころ、すでに新地と呼ばれる赤線地帯に出入りし、別腹の妹をもうけていた。それを知った母との間で激しい応酬があったに違いない。その諍いはわたしが生まれてからも延々と続き、わたしが中学3年のころにとうとう離婚するまで続けられた。それが子供時代の環境だったから気がつかなかったが、胎児時代からそれが始まっていたとすると、胎児のわたしに対し、母の激怒や悲しみが、アドレナリンやその他のホルモンの急激な放出として、へその緒をつうじて体内に流れ込んで来たに違いない。私の中でうごめく起源が不明だった怒りや悲しみの人格たちの起源はおそらくその胎児時代の異変に発しているだろう。

その胎内起源のサブボディが、乳幼児期の体験を通じて、状態依存的記憶として固定・沈着したものが、解離された人格状態となったのではないか。そして、驚くべきことに、人格状態にさえならなかった無数のサブボディたちが、まだまだからだの闇のそこにうごめいていることを知った。今日の胎内遡行の体験でであった見知らぬサブボディたちは、おそらくまだ人格として現われてこない人格状態の素のような存在ではないか。

多重人格の人から、次々と人格状態が生み出されてくるのは、この胎界起源のサブボディたちが素になっているのではないか。

この記述を読まれた解離性障害の人がもし、思い当たることがあればお伝えください。わたしたちには、からだの闇を探るネットワークのようなものが必要です。それはあまりに深い闇で、しかもどこかであなたの闇と私の闇が連絡している、そんな奇妙な多次元を変容流動している闇なのです。

サブボディメソッドは、この胎内起源のサブボディを含め、自分の中に眠るさまざまな、解離されたノットミーや、サブ人格たちを踊りの場に呼び出し、一緒に踊っていくものです。それを通じ自分の全体(自全)に触れ、自全のすべての構成物を肯定し、友達になり、その中の垣根をなくしていくプロセスを育てます。

どんな惨めなみっともないサブボディでも、踊りの世界に最適の序破急をもって踊りだすタイミングさえ与えられれば、最高の踊り手になります。それが舞踏の序破急マジックです。

さまざまな心身障害に悩む人たちを含めた、世界中の人のからだの闇のネットワークをつくっていく、これは世界でも始めての試みです。共感する人の参加を持っています。

2006年7月1日

多次元を多重に生きる

わたしたちのからだの闇を探索すれば、そこは、わたしたちの日常意識が親しむ、三次元空間や四次元時空という低次元の世界とは似ても似つかない多次元変容流動世界だということが分かってくる。わたしはその興味深いからだの闇を掘りすすめて長い時間がたった。わたしはその世界で出会う面白い自分の中の分身たちと共に踊ってきた。かれらは下意識とからだがひとつになっているのでサブボディと名づけている。

ちょうど夢の中の出来事と同じように、かれらは誰かのように振舞っていたと思えばすぐ別のものに変容し、別の時空に移動している。多次元を自由自在に変容流動している存在なのだ。

この多次元変容流動世界は創造にとってはなくてはならない世界である。

私がかつて日常世界と深いかかわりを持って生きていたときは、自分の多重人格(解離性同一性障害)がでてくると色々問題になった。周りの人を驚かし、傷つけるし、また自分自身が十分傷ついていた。

だが、ヒマラヤインドに隠棲し、ここだけを舞台として踊りを創造する世界を生きはじめると、自分が多重人格(解離性同一性障害)であることが病気であるとは感じなくなった。それどころか、むしろ創造者としてはむしろ有利な資質であることが分かってきた。

自分の中から次から次へと違った自分が出てきて、違った味わいの踊りを踊りだす。踊りとしてみればこれほど面白いことはない。生徒の顔も自然に緩みだす。

だが、踊りの中ではいくら面白くても、日常世界に違った人格がどんどん飛び出してきては困る。周りが傷つくことに加え、多重である自分が徹底して傷ついてしまう。

わたしたちの周りの日常生活の論理は、支持者も多く、自らを疑うことがないだけに強く図々しく、<正しい、疑いない>こととしてその論理を押し付けてくる。

この無自覚な図々しさこそ、非日常の世界にまだないものを探ろうとする繊細な創造の精神にとって、最大の敵なのだ。まだないクオリア(質感・体感)を探すものは、支持者もなく自分の感性以外に何の根拠も持たない。いつも風前の灯のようなはかない存在なのだ。

そんなかすかなろうそくの炎のようなはかないものに対し、日常世界はブルドーザーのような論理を無自覚に押し付けてくる。

母は母の感情を当たり前のこととして子供に押し付け、妻は妻で当たり前のこととして夫を縛ろうとする。結婚前の女性は回り同様結婚したという自分の欲望を当たり前のこととして振りかざす。創造者の繊細の精神を知らないひとは、みんな赤ん坊が泣き喚くのと一緒の「赤ん坊権力」をブルドーザーのように振り回していることに気づかない。

日常の論理は一億の支持者を持つが、創造者の繊細な精神はいつも自分ひとりだ。一億対一のような、自明に不利な闘いをし続けてはならない。

すたこらさっさと逃げればいいのだ。別の生の次元へ。

それ以外に繊細の精神に自分を守って生きる道はない。

どうすればいいのか。私は答えを発見した。

日常世界への囚われからおさらばするのだ!

日常世界と創造世界を中途半端に行ったりきたりするのではなく、創造世界を中心に生きる生活を組織しなおせばいいのだ。

             
即興で踊ると何十人もの違った自分が次々と出てくる。からだの闇の中には、とんでもない顔をしてうずくまっているやつらが何十人もいる。ふくれっつらをしたやつや、ひょうきん顔のサブボディ。50年以上もうずくまったままだから、自分が何でくぐもってしまったのかなど、思い出せるわけもない。だが、顔やからだは50年前のままなのだ。

私はヒマラヤに自分の踊りを創造し生徒に踊りの創り方を教える学校を創った。ここで生きていると誰に迷惑をかけることもない。一人でいるときに多重人格のうち誰が出てこようと自由だ。昼間は踊りの人格リゾーム Lee。ここに無数のからだの闇にうずくまっていたノットーミー人格が躍り出てくる。夜は仕事師の人格がせっせとサイトを更新していく。私は子供時代から壁新聞や学校新聞や、文芸同人誌や、政治ビラや、文集をつくり続けてきた。これが主人格の龍二系列だ。昔、街角でビラをまき、町中にポスターやステッカーを貼りまわっていたのと同じ感覚で世界中のメッセージボードに活動を伝えて周る人格もいる。前科三犯の20歳の山沢夙だ。夜中に寝る前に、どこかのBBSにこっそりへんなことを書き込みに行ったりする人格が出てくる程度だ。3歳のりゅうり大魔王。まあ、たいした害毒をもたらすわけではない。

今の私は、瞑想と練習と授業の準備と学校で生徒と共に過ごす創造の時間がすべてだ。踊りの中の創造の世界にどんな変なわたしが出てこようと、生徒達は受け入れてくれる。もともと、自全の中のすべてを肯定し踊りの中に解放してやろうというのが私のサブボディメソッドだ。何が起ころうともそれがLeeの独特のダンスだと思ってくれるから。そして、遠い国からわざわざそのとびきり変な踊りの創り方を学びに来てくれている人たちだから。


私だけではない。日本や先進国社会の日常生活に傷つく人は誰でもここに来て新しい生き方を始めることができる。

多重人格の人はもともと多次元を多重に生きることの天性を持っている。

心身障害といわれる人ならみんながそれぞれの特性をもっている。

分裂症(統合失調症)のひとは、今の平均人とは違った仕方の想像力の広げ方を知っている。異次元を開くのが得意な人だ。

うつ病の人は、人並み以上に生命の波動に敏感で、今の社会生活の無理な波動に合わせようとして心身が変になってしまったのだ。この特性は、人々にとって自然な生命波動に耳を澄ませていくことの大切さを励まし、自分の内的な異次元の創造世界を作り出すことができる。

ここには誰もあなたの特性を否定する人はいない。多様な差異を楽しみ、その微細な差異に共振できる人ばかりだ。人間関係に敏感すぎて傷ついてきた人たちも、引きこもっているしかできなかった人たちも、それぞれに自分の世界にひとつしかない特性を肯定して伸ばすことができる。

どんなに自分に才能がない、自信がないと思う人でも、自分なりにからだや心を動かすことはできる。その動きに最適のタイミングを見出せば固有の美になるのだ。誰もが世界でただひとつの自分の踊りの創始者になることができる。

サブボディメソッドはからだに潜って自分の踊りを作り出す創造技法と、互いの生命に共振し力づけあう共振タッチの技法とからなる。このふたつを車の両輪のように回して、自分の生き方を見つけていく。そこでは、世界でひとつしかない自分の特性を創造に生かしていく道を見つけることもできるし、心身の障害に苦しむほかの人を助けることのできる力も身につけることができる。ここは肯定力を鍛える学校である。

 

ヒマラヤインドは物価が安いので、日本で1年暮らすお金で5年過ごせる。私は今、「ヒマラヤ共振村」というような互いに助け合う定住圏づくりを構想している。

そしてやがては世界中に肯定と共振のさざなみを広げていくのだ。共振塾の卒業者は、このヒマラヤだけではなく世界中の物価の安い地域に、互いに肯定する生き方を育てる拠点をつくっていくという生きがいに満ちた生をはじめることができる。はじめは小さい波でも、それが本当に今の人々に必要なものだということがわかれば自然に広がっていく。

さあ、ヒマラヤはこれから雨期だ。日本の長野のような涼しい季節になる。からだの闇にうち込むにはうってつけの季節だ。



2006年6月28日

「多重人格を創造に生かす――解離性同一性障害を肯定する日記」に改名

この日記をエキサイトブログからホームページ内に移管して、ようやく自分がやっていることの全体像が見通せてきた。

わたしは、自分の多重人格障害を、一般社会で言う治療の対象として捉えるのではなく、それを積極的に肯定し、創造に生かす道を切り開こうとしてきたのだ。

だから、多重人格を「解離性同一性障害」だなどととんでもない日常世界の価値観で規定されることを拒否する。アイデンテティ=同一性などというものは、それが有ってほしいと願っている、日常世界の主流派たちの世迷言に過ぎない。哲学の世界では、ドウルーズによって、40年も前に、ヘーゲル以来の「同一性」概念のインチキさは証明されている。いまや「同一性」などというありもしない概念をあたかもあるかのように詐称して患者に命名して苦しめているような不勉強な医者たちを教育しなおさなければならないときだ。

私はドゥルーズの差異の哲学、多様な差異を肯定する肯定の哲学を引き継いで、「解離性同一性障害」と診断され、規定され、否定されようとしている同病者たちのありのままを肯定して、自全のなかにあるすべての資源を創造の素材として、積極的に活用していける道を切り開く闘いを開始する。というより、すでにこれまで自分の20人格舞踏の創造や、「サブボディ共振塾」でやってきたサブボディ授業の本質がそれだったことに、ようやく気づくことができたのだ。

「行方不明者たちの日記」という名前はなぞめいていて好きなのだが、「多重人格を創造に生かす日記」に改名する。より直接的な名前のほうが、このサイトをはじめて訪れた人に対して親切だろうと考えたからだ。

多重人格は、この多様化している世界に適応するために人類が全体として新しい創発を行おうとしている試みの一環なのだ。

一昔前の農村のような単一社会なら、一生を一つの人格で通せたかもしれないが、人生80年となり、東西文化が融合し、世界旅行も手軽になりつつある現代社会では、その多様さに相応できる多様な人格をたくさん持っているほうが有利に生き抜けるのだ。それを証明することが俺の仕事だ。そして、それがよりいっそう生かされる「サブボディダンス」のような創造領域をどんどん切り開いていくこと。

ダンスだけではなく、絵画や、音楽でも、多重人格のほうが面白く味わい深いものがつくれるに決まっている。それは今のインターネットの世界で、一般人のサイトよりも、多重人格者をはじめとする心身に障害をかかえる人のサイトのほうがはるかに豊かで面白いことからも確証できる。芸術創造はより面白く味わい深いものがいつまでも生き残り、世界に伝わっていくものだ。

西洋を真似るだけの日本のモダンダンスやコンテンポラリーダンスが外国に伝わるためしはないが、独自の美意識を切り開いた土方の舞踏だけが全世界に広がったのを見ても、それは確かな話だ。

全世界の多重人格者たちよ、勇気を持って自分のすべてを肯定しよう、自信をもって自分の中のあらゆる資源を生かして未来の創造を切り開こう。

私の進むべき道が日々じょじょに明らかになってくる。自分を60年近くも取り巻いていた分厚い霧が晴れていく。迷いなき肯定は、なんと爽快なことか!

多重人格者諸君! 自分の中の多重な人格状態のすべてを肯定しよう、人格達の間の微細な差異を味わい抜ける繊細な感性は未来のものだ。昔の単一社会の人々には今わたし達が感知しているような微細な精神はありえなかった。単一社会で成立しいてた昔の「同一性」などという古代のまがい物にしがみつく鈍感な人々を私たちはむしろ笑い飛ばせばいい。

君のなかの微細な差異を好み、差異を味わい、差異を楽しもう。あらゆる差異の自己肯定からわたしたちの楽しい人生を始めよう。

サブボディ舞踏スクールホームページ |