September 2007

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多重人格肯定日記
――
解離性同一性障害を肯定する日記
2007年
人間は十二を越えたらもうだめさ
多重なんて当たり前のこと
命の力を信じて
風邪、熱、真夜中のグレコ
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解離性人格を踊る
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命の多次元ゆらぎと多重人格
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弟からの手紙
まだ見ぬアニマよ
こうもり、工作者、粘菌リゾーム
下痢のからだにはあの絵は耐えられない
往生際の悪いやつ
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共振という観点から、世界をあるがままに捉えなおす。共振したものはなんでも記述していく日記。
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リゾーム Leeの多重人格=解離性人格障害を創造に生かしていこうとする深部坑道
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2007年

2007年9月11日

「人間は十二を越えたらもうだめさ」

「あの~、川のほうへいくにはどういけばいいんですか?」
庭に面した練習場で瞑想していると、
不意に日本語でそう問いかける人がいた。
日本人旅行者が学校の敷地に迷い込んだらしい。
その顔が母に似ていたので、あわてて正しい道に案内して
直ちに分かれようとしたが、
その女性が『ありがとうございます』といって
つくり笑いをするときにほおに浮かびあがる皺が
母そっくりのところに出た。
ぎょっ。
――間に合わなかった。
その瞬間、母のクオリアが
すっかりわたしを浸してしまった。
母の笑顔、母の声色、母の匂いにまでむせ返った。

母のクオリアは常にわたしの命の周りの
時のない微細次元で共振し続けているに違いない。
ちいさなきっかけひとつでただちに命は
それらの微細次元のクオリアとアクセスし、
すごくリアルなままいもずる式に出てくる。
(この仮説についてくわしくは『クオリア論』第6章「クオリアの非時性」を参照のこと)

しばらく、なぜ、その人をあわてて遠ざけたのか、顧みてみた。
顔に浮かぶ社交用ペルソナ笑顔の皺がそっくりだった。
年のころは30代。
ちょうどわたしが母と再び暮らし始めて2,3年経った時期だ。
そのころわたしは10歳。
母が30歳代だったころの一切のクオリアがあふれかえってきた。
幼少期に祖母の元に預けられていたわたしは7歳で再び
母と暮らすようになったが、
当初は継母としか感じられなかった。
2,3年経ったその頃は、ようやく継母の母にも
慣れてきかけていた頃だったのだろうが、
ときおり家のなかに漂う母の女臭さにだけは
我慢ができなかった。
それは次のような思い出と絡み付いている。
女狂いの父に負けず、母もその頃からしきりに
婚外交渉を広げ始めた。
所属していた山口誓子系の俳句の句会にしょっちゅう出かけた。
海南市だったので、漁船に乗って網を引く漁をみたり、
島巡りなどをしていた。
わたしも何度か連れて行ってもらった。
「花いばら島汚さずに男女去る」
覚えていたはずの母の句だが、初句は定かではない。
とにかく母と男が島を訪れた。すんでのところで
性交にはいたらなかった、という句だ。
だが、母が句会で遠出する日に限って、
全国への行商で家を空けていた父が帰ってきて、
大喧嘩になった。
「まんがわるいのよぉ~」と何度も泣く母を見た。
だが、その頃、一度母は堕胎した。
離れの便所に処理し切れなかった後産が
気味悪く置かれていたのを
目の当たりにしてしまったことがあった。
後年になって母から直接聴いた話では
何人も男がいたという。

ともあれ、そんなことがあって、
女臭い女性は、大の苦手になった。
物理的な匂いも、女っぽすぎる態度も
どちらもただただ瞬時に遠ざけの対象になった。
10歳の頃、母の女臭さへの厭悪が刷り込まれたわたしは
成熟した女性を愛することができなくなった。
わたしのロリータ人格の起源だ。
その直後わたしのロリ人格が10歳頃の生存感覚を
持ち続けているらしいこともからだの闇に感じた。
母への満たされぬ愛憎が、当時の同級生だった
10歳くらいの少女に投射され、転移したのだろう。
ロリの起源はどうやら母への愛憎に直結している。
ロリ人格が子供っぽいのも、
人格年齢を10歳と捉えれば腑に落ちる。
これまで何度も母を踊ろうとしたが、うまく行かなかった。
それもそうだ。母を思うだけで強烈な愛憎のクオリアにむせ返る。
60歳に近くなった今でも母のクオリアは扱うことができない。
10歳ころのわたしに退行してしまうからかもしれない。
あるいは、母にまつわるさまざまな性的人格はすべて
隠微な対なる関係の現場にしか出てこようとしない。
創造の舞台のような日のあたる場所を好まないところがある。
吉本隆明が「対幻想は共同幻想と逆立している」といったのも
この辺のことと関係しているだろう。
このままでは死ぬまで母は踊れないままかも知れない。
一生、自分からは触れも制御もできないクオリアもあるのだ。
どうも、わたしの性的嗜好性には
10歳ころの年代に凍結してしまった部分があるらしい。
前からうすうすは分かっていたが、今日の不意の訪問者が
如実にそれを告げ知らせてくれた。

『人間は十二を過ぎたらもうだめさ』

――清水哲夫のこの一行はわたしが若い頃から
なぜか好きで無限回口ずさんだ詩句だった.
ロリとは何の関係もない詩句だが、
いつのまにか自分の中のロリ人格が妙に共振して
あたかも自分のテーマソングに取り入れていたことに気づいた。



2007年9月7日

多重なんて当たり前のこと

いつも愛読している「ほぼ日刊イトイ新聞」に
糸井重里と中島みゆきの対談が連載されている。
そこで、中島みゆきが
自分の中のいろんな自分について語っている。


中島 特に「夜会」のときなんかそうですけれども、
“書いてる中島さん”は
“歌う中島さん”のことを
あんまり気遣ってないときがありますね。
で、それが入れ替わって、
今度は舞台上の中島さんになったときに憤りますね。
「なんだこれは?!」って。
「なんでこんなものわたしが覚えなきゃなんないんだ!」
って。一人で喧嘩してます。
(「夜会」とは中島さんが1989年に始めた、
 通常のコンサートとはちがう形式の音楽劇のことです)

糸井 前にぼく、「夜会」の楽屋を訪ねたときに、
真っ先に訊いたことがあって。
寝そべってスタートしたときが
あったじゃないですか。

中島 演出の中島さんが
「寝そべったらいいんじゃない?」
って言うんですねぇ。
「寝そべってみて、中島」
って軽く言うんですよ。
そしたら歌う方の中島さんがやってみて、
「寝そべって歌ってみろよ、おーい!」
って言うんですよね。ぶはははは。うーん。


中島みゆきほど自分のからだの闇をくまなく旅して回って
実にいろんな自分を見つけてきた歌手はいない。
実に千変万化する無数の人格がいる。
中島みゆきの長いファンなら誰でも知っていることだ。
そんな彼女にとっては自分の中に
いろんな分裂した自分がいることくらい当たり前のことなのだ。
何もことさら解離だなどという必要もない。
受け入れればいいだけのことなのだ。
そしてそれを創造の糧にすればいい。
何人もいる方がよほど多彩な創造ができる。

解離性同一性障害などと名づけられて
同一性を回復しなければならないと思い込まされて
苦しんでいる世界中の人に伝えたい。
そんな馬鹿なことなどする必要はどこにもない。
そんなことをするのは、ホモのひとがヘテロのまねを
しなければならない必要などどこにもないのと同じだ。
多重の人はたくさんの自分をただただ全部受けれ、
有利に活用すればいいだけなのだ。
人より何倍もの資源を持っていると思えばいい。
普通の仕事などではなく、自分なりの創造をやりぬく
人生を勇気を持って切り開けばいいだけなのだ。

わたしの手助けが必要な人がいれば、
いつでも受け入れる準備ができているよ。
全力で支援するさ。

何しろこの病気に限っては都合60年付き合ってきた。
そしてようやく自分の中の暴れ馬どもをようやく制御することに成功しかけている。
(このさき、どんな波乱があるかは分からないけどさ)
この病気に無知な同一性患者の医者などに自分を任せてはいけない。
ホモの人がヘテロの人にからだを預けて治してくれと頼むことが
馬鹿らしいのと同じだ。
自分の特異性を信じてやることが一番大事なことなんだ。
われわれは人類が多様化されていく旗手なのだ。




2007年9月2日

命の力を信じて

いつも訪れているlastmoonさんのサイトが
長いこと更新がなくなっていたので、
案じていたが、昨日久しぶりに更新されて、
結婚後、生まれてくるかもしれない新しい命のために
続けていた薬を止め、就職した新しい環境で
周りの人が自分を嫌っているという妄想に
襲われているということだった。

この妄想にはわたしもずいぶんやられて
何度も何度も死にそうになったことがある。
人ごととは思えずに、
lastmoonさんのサイトの掲示板に下記の投稿をした。
がんばってくぐり抜けられることを祈ります。


lastmoonさま

しばらく更新がなかったので、なにか
異変が起こっているのではと案じていましたが、
就職して新らしい問題と闘っていらしたのですね。
結婚して新しい命のために
薬を止めたと知って感動しました。
よほど苦しいだろうに、自分の苦しさより
生まれてくる命のためにその苦しさと闘おうとする
lastmoonさんの命の決断をとても貴重なものだと思います。

すごい妄想に襲われているようですね。
薬を止めた副作用の可能性があると思います。
わたしも思い返せば、ヒマラヤで学校建設のストレスから
極度の神経症に襲われたことがありますが、
そのときも長年続けていた睡眠薬のがぶ飲みを止めた
直後だったことに気づきました。
わたしが医者から処方されていた睡眠剤は、たしか
情動不安を引き起こし、暴力的発作に囚われるという
報告が相次いでヨーロッパではすでに何年も前に禁止されていた
のに、日本ではその後も長く野放しにされていたという
悪名高いハルシオンという睡眠剤でした。
飲み続けて副作用が出る薬を、急に止めるとどんな副作用が出る
のかは未知です。薬剤会社は患者を未知の結果の生体実験に使っ
ていることになります。
わたしが襲われた神経症状も、周りのインド人の大工さんや
左官屋さんがわたしの意向を受け入れず、自分たちの利益ために
延々と工事を引き延ばしているという妄想でした。
その妄想はわたしの場合、激しい暴力的な発作を伴う怒り発作と
なって襲いかかってきて、何度も周りの人を思わず殺しかけたこ
とがあります。
他人に対する殺意がこみ上げるときは、すぐその殺意は自分にも
反転し、学校の14メートルの屋上から飛び降り自殺する発作に
何十回も襲われ、怖くて屋上に上れませんでした。
他殺衝動も自殺衝動も寸前のところで思いとどまれたので
今なお殺人者にも自殺者にもならずにすみました。
これらの妄想の根っこは、私たちが胎児だったころに
子宮収縮が始まり、永遠に続くかと思われる苦しみに直面したと
き胎児が異変を察知し、悪いことを推測した体験をなぞっている
ことにあるので、防ぐことはできません。
lastmoonさんが今陥っているように、これは妄想ではなく現実だ
という確信に襲われれるのも、妄想そのものの特性です。
わたしも底までその妄想に囚われ、逃れることができませんでし
た。
いまなら、見ず知らずのインド人の大工さんがわたしを憎んだり
、陥れようとするなどあり得ないと分かるのですが、当時はまっ
たく周りの人がみんな悪人に見えました。
つらいでしょうが、これに耐えてくぐり抜けてください。
薬の影響はかならず、そのうちからだから抜けます。
どんなひどい妄想もかならず過ぎ去ります。
わたしは自分の体験からそれを学びました。
一生続くことは絶対ありません。
自分のからだの命の力を信じてください。

ではまた。



彼女の職場がどんな職場か分からないが、
日本の職場で働く人は多かれ少なかれ、現代の敵対的な自我に囚われている。
これは現代世界の人が無意識のうちに帯びている拘束だ。
神経症に襲われたときは、目の前の人の些細なしぐさにも、
潜在している無意識の対立的なクオリアに反応して
「理由もなく嫌われている」という妄想が生じるのは避けられない。

わたしの場合、日本の労働者に比べたらはるかに牧歌的なインド人の大工や左官屋さんにさえ
敵意を感じて、妄想を抑えられなかったのだから、日本ではなおのことだ。



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