November 2006

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2006年11月21日

悲の飽和

若いころから私は、
自分があらゆる感情に強いという
妙な自信を持っていた。
どんなことが起ころうと耐えられる、
乗り越えることができる、
だから何事にも恐れないという
妙な力みを持って生きていた。

それが、自分のもろさを自分に対してさえ
覆い隠す空威張りの鎧であったことが
知れたのはいつのことだったろうか。

ある日突然私は自分がもう
これ以上は一滴も悲しみを
味わうことさえできなくなっているのを知った。
悲しみを味わいそうになると
その予感とともに私の心は凍り付いて
動かなくなってしまうのだった。

おそらく小さいころから味わってきた
悲しみがある日突然存在としての
飽和の量に達してしまったのだ。
それ以上一滴でも悲しみを味わってしまえば
死んでしまう。
そういう恐れによって私の命は
悲しみの受容を停止したのだ。
それ以後一切の悲しみを味わったことがない。
その前に私は人の心を無くして
閉じてしまうからだ。

これは感情の解離と呼ばれる。
サイトで知り合った解離性障害の人々の
多くがこの、感情の解離や感覚の解離に悩んでいる。
だが、今のところ私にはどうすることもできない。
つらいがただこれ以上壊れるのを
食い止めることで精一杯だ。

まだ人の死に目にもそうそう出会ったことがなった
中学生のころが懐かしい。
15,16,17と
死を恐れることもなくいくらでも
死地へ、死地へと自分を駆り立てていった。
無限回敗北しても、失恋しても
へこたれずに生きていけるバイタリティがあった。

むやみに強がっていたのだ。
自分が限界ぎりぎろのところで
無理してがんばっていたのを知らなかった。
ある日突然切れてはじめて知った。
人間はあまりに傷つきすぎてはいけないことを。

壊れる寸前でかろうじて
自分を保って生きている。
余裕がまるでない。
ほんの些細なことに壊れかける。

私の指圧の師遠藤喨及氏も、
生徒の生返事に傷つくといっていた。
西洋人の生徒が「OK」と受け答えするだけで
傷ついていた。ちゃんと「Yes」と受け答えするように
しつこくいっていた時期があった。
どうしたことだろうと、当時はいぶかったが
自分が教師になって始めてその気持ちがわかるようになった。
無断欠席、生返事、さまざまな個人的要求、
生徒は平気でぶつけてくる。
そのいちいちがやけにコタエル。

「いつもでもあると思うな、俺。」
と、先日糸井重里が書いていた。
俺たちはみなそういう世代になってしまった。
だが、子供は天真爛漫に
容赦なく暴力的に泣きわめく。

子供の泣き声にひどく傷つく。
俺には泣くことに関して
思い出すこともできないトラウマがあるようだ。
単身爛漫に泣く子がそばにいると殺したくなる。
このことだけは考えたくもない。
それくらいひどい。

2006年11月19日

ドリーミング・アップ

その昔、自分には指圧師になれないと、
断念するにいたった出来事があった。

ミンデルの書物で読んで知識だけはあった
<ドリーミング・アップ>
のプロセスに自分自身が巻き込まれていることに
気づかされる体験だった。

とても苦い体験だが、
透明になるためには、
自分の下意識とからだで起こることは
すべて見通せるようにならなければならない。
つらいがこれも修行だと思って、
抉剔してみる。
ときには自分にこういう生体解剖のような
荒業も施さねばならない。
透明体になる修行は
時として生易しいものではない。

<ドリーミング・アップ>とは、
<投影>によく似たプロセスだ。
投影は自分の中の影やアニマなどの
劣等要素や元型を
ほかのひとのうえに投げかけ、
その投げかけた影とかかわるものだ。
自分が投影した自分の中の劣等要素に対し
憎んだり、争ったりするものだ。

これに対し、
ドリーミングアップとは、
ほかの人を自分のドリーミングの世界に引き入れて
その夢・妄想の世界の住人として育て、
その育てた対象とかかわるものだ。
片思いの恋は多かれ少なかれ
このドリーミングアップの要素を持つ。

実は私は若い頃常にこのドリーミングアップした
片恋妄想の世界にはまり込んでいた。
それでいつの間にか自分の思いは
現実の対象からはずれてしまうことが起こった。

その昔、腰を痛めた近所の
女性の友人に指圧の治療を
試みたときもそれが起こった。
指圧を受けているときその女性の顔に
十歳くらいの少女の面影が浮かぶ。
痛がったり、安心したりするとき
ひとはそういう下意識にしまいこんでいる
表情をあられもなくさらけ出してしまう。

私はその女性が垣間見せる
少女の気配に恋をした。
いかにもロリの私らしい。
自分の妄想のなかでその少女との
交情の世界を築き育てあげた。
それは現実のその女性とは掛け隔たったものだった。
だが、私自身にはその区別がつかない。
てっきりその女性に恋をしているのだとばかり思っていた。
だが、実際にその人に会うと
大人としての関係態度が発現されることなく
ただ、寄り添ったりするだけの
子供としての態度しか出てこないのだった。
ドリームアップする自分もまた十歳ほどの
少年に戻ってしまっていたのだ。

はじめはそれが奇異でしかたがなかった。
どうして、こういう態度しか取れないのだろう。
自分の健康な性欲はどこかへ行ってしまったのだろうか
といぶかった。
そろそろ、老いの兆候が気になりだす頃でもあった。

だが、ある日夢から覚める日が来た。
わたしが妙な妄想に陥っていることに気づいた
その女性自身からの、
適切な打ち切り反応によって
そのドリーミングアップの世界は費え去った。

そして、自分がドリーミングアップに陥っていたことに気づいたとき、
どっと疲れが出た。
吐き気がするほどの気持ち悪さと、
激しい眠気に襲われた。

解離性人格障害で、
人格交替が起こるときの
症状にとてもよく似た症状だった。
あるいはこのふたつは関係があるのかも知れない。

自分の中で妄想と現実が
シャッフルするトランプカードのように
激しい速度で入れ替わる。
そのあまりの落差に耐え切れなくなるかのようだった。
激しい頭痛、自分のからだではないかのような体感のずれ、
めまい、……指圧でいう、<瞑幻反応>にも似ていた。

おそらく、感じているクオリア流動に
異変が起こるのだ。
人間が咸じるクオリアは、
無意識裡にいつも
ひとつの現実感や自己感のもとに
統括されている。
でないと不安になる。

ドリーミングアップに気づくときや
解離された人格の交替が起こるときには
これらのクオリアセットを
そっくり取り替えないといけない。
ひとつの世界像とそのなかの自己像を
そっくり別のセットに入れ替えるのだ。

そのとき、意識と下意識、からだのあいだの
根本的な配置が換わる。
おそらくそれが瞑幻や、
離人感や金縛り体感など
ボディダブル現象の原因だ。

しかしまあ、
とんでもないことだよな。
下意識で起こることは意識にとっては
とびきり奇妙なことだ。
だが、下意識のリゾーム変容している
クオリア流にとっては、
夢の中と同じように、
人物が入れ替わったり、自分と他人が
入り混じったりすることぐらい
ただの日常茶飯事なのだ。

おまけに奇妙すぎることが相次ぐ。
さいわいわたしはもう
下意識世界に分け入って長い。
どんなみっともないこと、
みずぼらしいことが起こっていても、
それを自分の下意識界の出来事として
受け入れることができる。
こうして公表することも苦ではない。
こういうことすべてを乗り越えて
透明になりたいという思いのほうが
それを妨げる自尊心や羞恥心より強い。

いくらみっともなくても、
それにたじろがず、
平静に受け入れられるようになるまで
透明覚を鍛え続けることしかない。

日常分別覚であるツリーの論理と
変容流動覚としてのリゾームの論理の
両刀遣いにならなくてはならない。
でないと意識の世界と下意識の世界の
ふたつの世界を自在に往還できるようにはなれない。
ながい道のりだよな。
何百年かかるのだろう。

2006年11月13日

20人格ダンス

1998年に、はじめて自分のソロらしいソロ、
伝染熱を作った直後、
それに飽き足らず、
自分の中に潜んでいる20人ほどいるサブ人格たちすべてを
解放する踊りを創りたいと思った。
当時住んでいた京都市の古い民家を舞台に、
「家で踊る」と題して公演したとき、
その20人格ダンスに挑戦した。
だが、できなかった。
サブ人格たちはなかなか踊りだそうとはしてくれなかった。

それから世界各国で踊る旅を経て、
インドに移住したのち、
学校の建設途上で
そのストレスから完全に神経を傷めた。
自分の中からそれまで気づかなかった
暴力的な怒れる人格が暴発してくるようになった。
それまでからだの奥深く解離されていた人格が
時を経て現れだしてきたのだった。
からだが情動に囚われると、サブ人格は
理性では抑えきれない速度で噴出してくる。
神経を和ませるために
人から離れ、何ヶ月も南インドのジャングルや海にもぐった。
だが、解離された人格の制御ができるようになったわけではない。
少しだけ落ち着きを取り戻しただけだ。
わたしは完全な解離性同一性人格障害と呼ばれる
病気になった。

だが、この病名ほど気に食わないものはない。

この病名にはあきらかに
「同一性」を保つのが正常だという
今の社会の主流派の価値観がしみこんでいる。
同一性という命名によって
暗に否定されているのが
「多様性」だ。
人格のありかたは多様であるし、
多様であるべきだ、という
新しい価値観が否定されている。
だが、同一性など、
主流派たちの真っ赤な思い込みに過ぎない。
だれもが、ユング心理学で「影」と呼ばれた
劣等人格をサブ人格として
秘め持っている。
強力に抑圧しているから表に現れにくいだけなのだ。
その抑圧状態になれた人々が
その抑圧をよしとせずに
人格の多様性を生きている人に向かって
同一性への抑圧状態をあくまで正常であるとして
自分たちの価値観を押し付けているのが
今の世の中である。

わたしは、自分の多重人格を否定し、
統合したり、治療したりするのではなく
そのまま肯定できる道を探った。
今も探り続けている。

サブボディ学校を開校してからは、
授業の責任があるので、
サブボディの教師人格が表に立つようになった。
完全な一人モードの人格だ。
ただひとりでからだに耳を澄まし、
そこから聴こえてきたものから
毎日の授業を組み立てている。

今年の6月のクラスで、
ある日ふと生徒のひとりに
授業をまかせた。
前日に欠席した一人の生徒に
その日の授業から君が得たものを
欠席した生徒に教えるように行った。
その日は私も生徒の一人になった。

そして、生徒となって即興の動きを続けているうち、
からだが興に乗って、
見知らぬ人格が
次からつぎへと現れてきだした。
カメラマンのロメスがそれを克明に捉えてくれた。
後で自分で見て、
「そうか、こんなにいろんなやつが踊りだしてくれたのか」
と思った。
8年前に志した「20人格ダンス」が
いまようやくでき始めたのだ。
ここからさき、
この踊りがどうなるのかはわからない。
だが、もし
多重人格で苦しむ人がこれを見て
これなら私にもできそうだと思ってくれれば
それに勝る喜びはない。

うまくこの社会に適応できずに悩む人は
適応などせずとも、
芸術家として自由に生きていく道がある。

きみがもっとも君自身になれる生き方こそ
君が生きるべき場所なのだ。

あらゆる心身障害で苦しむ人に
その一言を伝えたいと思う。


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