多重人格肯定日記
解離性同一性障害を肯定する日記
2008
←BACK ■ NEXT→
多重人格肯定日記
――
解離性同一性障害を肯定する日記
2008年
30代の仕事魔君
すぐ涙ぐむ、か弱い人格群
水狂いの帰還
いくつかのからだのモードについて
2007年12月
2007年10月
2007年9月
2007年3月
 2006年9月―12月
2006年8月
2006年6-7月
2006年1-5月
2005年
サブボディメソッド
生命論2011
クオリア論2010
透明論2009
   肯定論2008
共振論2007
舞踏論2006
透明論 2005
実技ガイド
共振タッチ技法
図解ツアー
キーワードツアー
サブボディ学校ジャーナル
リゾーム Leeの
探究坑道地図
からだの闇を掘る
リゾーム Leeのからだの闇探究のメイン坑道

ヒマラヤ共振日記
共振という観点から、世界をあるがままに捉えなおす。共振したものはなんでも記述していく日記。
多重人格日記
リゾーム Leeの多重人格=解離性人格障害を創造に生かしていこうとする深部坑道
サブボディ舞踏スクール ヒマラヤ ホームページ
RSS FEED
2008年
●●● 2008年3月29日

仕事魔君とは誰か?

授業が始まれば大人しくからだの闇に帰っていってくれるものと
思っていた仕事魔君が居座っている。
サイトの構成に関するアイデアを次から次へと考案する。
サイトのフレームページの作成や描画ソフトでイラストを描いたりという仕事ができるのはわたしの多数多様な人格状態のうち仕事魔君だけだということをいいことにして、
一向に鎮まろうとしない。

授業がはじまるとわたしは、常に意識を鎮め、
生徒のサブボディのからだにもぐりこんで、次に何を発しているかに耳を澄ます。
一日中その状態を続ける。
寝る前には下意識にお願いして、次の課題を見つけてもらう。
それをするには、毎夜同じ時間に寝て、同じ時間に自然に眼が覚める
自然な睡眠-覚醒リズムを維持しなければならない。

ところが、仕事魔君が勢いづくのは夜の25時間めに入ってからなのだ。
おまけに、いったん止めていたタバコも再び吸いはじめた。
夜仕事が済んだ後はは若い頃の仕事の合間に手慰みにしていた
スパイダソリティアのゲームをひとしきり続ける。
これはいったい何なのだ?
仕事魔君は、20代前半から踊りを始めた45歳まで、
25年間もわたしのなかの主人格として君臨していた。
いや、主人格となったのは30代の半ばかも知れない。
20代の頃はまだ、25時を過ぎてから、時代の暗渠に潜り、
不可能な国家の死滅を志向して狂簡のときをすごしていた。
だが、無限の時間を懸垂状態ですごすことはできない。
いつのまにか、自分が力を入れているのか力を失っているのかが不分明になり、
そのまま気を失う、仕事に倒れこんだのが30代のある時期だったろう。
それからの少なくとも十年間だ、この仕事魔君が君臨していたのは。
踊りを始めてから十年以上も出番がなくて闇に潜んでいたが、
サイト作りという場を見つけて、よほど娑婆に出てこれたのがうれしいのだ。
サブボディの産婆としての生活には大きな差しさわりがあるのだが、
わたしは仕事魔君をわたしの一員として受け入れることにした。
わたしのからだの闇に住み、いっときは主人格だったこともある
仕事魔君を通じて日本などの高度情報社会に生きている人々のことを
もっと知ることができることに気づいたからだ。

仕事魔君とはいったい誰か?

難しい仕事に取り組むのを喜びとしている。
だが、その反面、意識が興奮しすぎて、過熱状態になった脳を休めるために、
タバコ、コーヒー、酒(はいまはもうなめるほどしか飲めなくなったが、
30代の頃は毎夜ボトルを一本開けていた)、ゲームなどの、
ありとあらゆる手段を必要とする。
意識状態を長時間続けることは、どこか無理があるのだ。

30代のはじめ、わたしは80キロ近くまで太り、
足の親指がガラスに刺されるように痛む通風、
心臓に五寸釘を打ち込まれるような激しい痛みに襲われる狭心症、
そして、一日に200本も吸うタバコで、
咳をすると十円玉ぐらいの真っ黒なコールタールのようなものが肺から出てきた
。肺がんの寸前だったろう。
そして酒と睡眠薬によってしか眠れなくなった脳と体。
一日に20時間もぶっ続けでパソコン画面に向かうことで、
後頭部の筋肉が硬結し、激しい筋緊張性頭痛に見舞われていた。
脳が過熱して眠れないから、30代はハルシオンなどの睡眠薬を酒と共に呑んで、
自分を酔い潰すことによってはじめて浅い眠りにつくことができた。
放っておけば一日の周期が26時間となって、2時間ずつずれていく。
今から思えば、まるで生命体としての自然なあり方が完全に狂っていた。

唯脳論の岸田秀によれば、
人間とは生命体としての本能が壊れてしまった存在だという。
若い頃は自分のあり方に照らしても、人間とはそんなものだろうと受け入れていた。
だが、今は、人間に対する彼のその捉え方は、
意識と無意識の分断が固定化された近代西洋社会の
人間像から出発した彼の師のフロイドと同じく、
生命本能が壊れている状態を人間として捉えるのは
完全に間違っていることを知った。
それは異常な状態なのだ。
その異常さを果てまで増幅すれば30代の仕事魔になる。
だが、西欧や日本など現代社会に生きる人々は程度の差はあれ、
生命体としての自然なあり方からずれてしまっている。
自我と意識状態を優先させる状態が異常なのだ。
みんながずれているから分からなくなっている。

30代の頃は自我と意識を保持した状態以外に
人間のありようがあるなどとは知らなかったが
、ヒマラヤへ来て意識を下意識と同じればるまで鎮め、
両者が等価に釣り合う透明覚状態に入れることを見出した。
すると、生命は、いつも微細に周りの世界と共振して振るえていることが分かる。
その微細な共振をいつも感じ続けていると、
生命体として少しでもおかしくなったときは必ず、
微細な変化の兆候に気づくことができる。
風邪や腹痛のごく初期状態に陥ることはよくあるが、
そこでからだを休め、意識=下意識=からだ=生命のすべてで、
その異変とたたかい取り組む状態に入ると、
からだの叡智がかならずその異変を治してくれる。
そのやり方で、ここ数年は病気にかかったことがない。
30代の頃あんなに多くの成人病の軍団に襲われたのは、
からだや下意識のことをまったく顧みずに、
自我と意識のままに生きていたからだ。
わたしの中にある30代の自我意識人格・仕事魔君と、
現在の踊り手としてのわたしの間の落差から、さまざまなものが見えてくる。
苦しいがこの二重状態を続けることで、
二つの存在状態の違いがよりいっそう透明になってくる。
しばらくはこの状態を持ちこたえてみよう。
わたしの中の人格構造が、
なにか大きな地殻変動を起こしはじめているのかもしれない。



2008年3月9日

30代の仕事魔

2年前に作って以来、長らく更新していなかった
『サブボディワールド イラストガイド』のリンクが切れていると
熱心な読者からの要望があったので、昨日重い腰を上げて、
修復作業をした。
失われていたイラストを古いハードディスクから探し出して貼り付け、
文章も現在のものに訂正し、
壊れていたリンクを修復する作業にかかった。
すると、その過程でとんでもないことが起こった。

わたしがサイトに書き付けている文章は、
下意識のサブボディから届けられる言葉だ。
毎朝の意識を消し瞑想やゆらぎから出てくる動きにふけるなかで、
からだの闇から出てきた気づきが出てきたときだけ、
瞬間意識にバトンタッチしてすばやく書きとめ、
すぐ忘れてまたゆらぎに戻る午前中の日課が終わった後、
午後からメモをみて、サイトに書き込んでいる。

だが、なれない描画ソフトでイラストを描いたり、
ホームページ作成ソフトで何十ページもの
フレームページのリンクを張ったりという作業は
とても膨大な注意力と根気が必要な仕事なので
下意識モードではできない。
全大脳細胞を意識モードに覚醒し何時間も連続して
活性化し続けなければならない。
大脳をできるだけ休ませる下意識の
サブボディモードに慣れたからだには、
この切り替えがとても苦痛で、
自らすすんでする気にはまったくなれないので
二年間もほったらかしにしていたのだった。

だが、もう春の開校も一週間後に迫ってきたので、
今しか修復のチャンスはないと取り掛かった。

日本語と英語サイトに同じものを載せているので、
日本語だけの場合の倍以上の手間がかかる上に、
途中、作成ソフトのバグが出て、1ページだけどうにも
リンクが働かなかったりして、思いのほかてこずった。
この日だけは、ゆらぎにふけることを止めて
朝から取り掛かったのだが、作業は深夜にずれ込んだ。
からだのあちこちからきしきしと痛む悲鳴が立ち始めた。

すると、夜の十二時を過ぎた頃から、人が変わったように
その単純なのに注意力だけ要る仕事を淡々と進め始めた奴がでてきた。
タバコを一晩に何箱も吸い続け、秒単位で仕事を進める
30代の頃の仕事にのっとられていた私だ。
30代の頃、わたしは当時できかけのビデオや、ビデオカメラ、
コンピュータや、ワープロのマニュアルからカタログまでを作る仕事を
企業から一人で請け負って飯を拾っていた。
ビデオが発明され、各社が競うなか、東芝とサンヨーが世界ではじめて
2時間録画機能に成功したVコード方式という今は消えた技術から始まって、
ソニーのベータ方式、ビクターのVHS方式との争いに移り、
VHSの勝利に終わる十年間があった。
その次は、まだワープロの液晶が1行しか表示できなかったころから
今の全画面サイズになるまでの十数年間、
その戦争のような仕事を続けていた。
狭い業界内でしか知られていないが、
実際、負け組みになった企業の担当者からは
その都度何人も自殺者が出た。
みんな命と引き換えに仕事をしていた時代だった。
高度経済成長と引き換えに、水俣やイタイタイ病、
四日市喘息などの産業公害で多くの人命が奪われていった。

ゆうべ突然、その30年前の、覚えのある特有の体感がよみがえってきた。
一日に二十時間も仕事に没頭していた仕事魔人格に、
昼間の私からいつのまにか摩り替わったのを知った。
仕事魔は、ふだんゆっくりゆっくり時を過ごす踊り手のわたしとは正反対の
秒刻みの時間性の世界に住む。
出てくると30代の頃のコピーライターの私と同じパターンで猛烈に仕事をする。
公害と引き換えに、
日本経済がすさまじい高度成長を遂げていた頃だった。
ビデオや、ビデオカメラや、ワープロなどが次々と発明され、
それに携わる技術者はみな気が狂ったように仕事にふけっていた。
「毎日逆立ちして100メートル疾走をしている」
という当時技術者から聞いた比喩がまったくピタリと言い当てていた。
何十社もの激しい生き残り競争の渦中にあった。
はじめた当初は、小手先三寸だけ動かして、最小限の飯だけ拾おうと
考えてコピーライターとなった私も、
いつしかその渦巻きに呑み込まれていたのだ。
45歳でその仕事で自分を失っていくことに耐え切れなくなり、
踊り手に転生するまでは、日々自分が失っているものが
どんなに大事なものであるかも知らなかった。

踊り手になって以来、わたしは十年間コンピュータを触らなかった。
ウインドウになって以来、昔のベーシック言語のコンピュータから
まったく使い勝手が変わってしまったのと、
意識を鎮め、からだに聴く生活に切り替わったからだ。
サイトを作りたいと思っても、そんなことができる自分は
どこにもいなくなってしまっていた。
マニュアルを読むのが不快になり、一行も読めなくなった。
何年間かサイト作りの課題の前で足踏みしていたが、
3年前サブボディ舞踏学校を開校する直前、
突然その仕事人格が現れて、たった三日でこのサイトを立ち上げてくれた。
そして、すぐからだの闇に戻っていったのだが、
その後も深夜ときおり、踊り手としての私が眠りに就く瞬間に
突然新しいアイデアを持って現れて、わたしのからだをのっとり、
サイトをあれこれ更新していった。
2年前に「イラストガイド」を作った作者も、
この仕事魔人格だったことをいまになって思い知った。

仕事魔人格は完全に意識の人だ。
脳細胞全体を何十時間もぶっ通しで加熱させ、嬉々として仕事を続ける。
特有の仕事ハイになるのだろう。
ときおり過熱しすぎて脳が機能しなくなると、
マスターベーションをして脳の熱を冷ます。
そして、すぐ机に向かうのだ。

夕べはたしか2時ごろには体力が尽きて、
作業は続けられなくなったのだが、
久々に過熱した脳はすぐには元には戻れない。
マスターベーションをする体力も残っていなかった。
おまけに人格の切り替え機にいつも起こる頭痛と共に
先日書いた「か弱い人格群」もゆらぎ出てきて、
悲しい情動や、やけっぱちの退廃や、
わけの分からない心身状態に陥った。
「か弱い人格群」は仕事人格の裏に
ぴったり息を潜めて隠れ棲んでいたのだ。

仕事魔は、コンピュータの前から離れず、
ウインドウズに組み込まれている、「スパイダー・ソリティア」という
トランプゲームを延々とし始めた。
おい止めろよ、明日に差し障る、という踊り手の私の声など無視して、
なんと朝の6時までそれを続けた。
こんなことはここ十数年なかったことだ。
スパイダーソリティアは、20代の頃、
広告プロダクションに勤めていたとき、
仕事の合間に気晴らしにやっていたトランプゲームだ。
あのころもこんなふうに無為に時間を潰していた。
仕事のなかで自分を失う退廃に耐えていたのだ。
その悲しみがよみがえってきた。同時に、
何時間も続けていると、コツがわかって少しずつ上達していく。
そのわずかな快感が、彼を捉えていた。
仕事魔はそのわずかな快感と引き換えに、自分を失い続けていた。
今もあの国では、何人もの若者がそうして見失い続けているだろう。

おかげで今日は完全休養になった。
ちょうど来週11歳の誕生日を迎えるリングリが
弟のチングリと遊びに来てくれた。
誕生会の用意の買い物に付き合い、
久しぶりに町に出てくつろいだ。
それでようやく生き返ることができた。

もう二度とフレームページなどの新規作成などはするまい。
いつもサイトの更新を手伝ってもらっている
近所の高校生のバブルが、いまは大学受験勉強のため
バイトを休んでいるから、仕事魔自身がやる以外なかったのだ。
だが、60のからだに徹夜は毒過ぎる。

だが、仕事魔がときおり出てきてくれたおかげで、
このサイトができた。
ありがとう、30代の私よ、仕事魔君よ。
わたしのからだの闇でゆっくり休め。



2008年3月3日

すぐ涙ぐむ、か弱い人格群

この冬、授業がない間は、授業期間中の中心になる
教師人格の人格統合力を衰えるに任せていたので、
自分の中の30ほどの人格がいれかわりたちかわり出てきていた。
自分の中にどんな奇妙な人格たちが潜んでいるかは
もうほとんど分かってきたから、
どんな奴が出てきても驚かない。
冬の間のヒマラヤでは、まるでゆらぐ湯気のようにしょっちゅう
いろんな人格状態の間でゆらいでいることができた。

だが、今日、もう春学期の生徒の第一陣が到着した。
新学期まであと二週間あるとゆったりしていたが、
突然、対社会的に対応できる教師人格中心の
人格構成に戻らなければならなくなった。
からだの闇でゆらいでいた人格群が
ぞろぞろとからだの奥深くのひそみに帰っていく。
自全のなかの民族大移動のような流動的な事態が起こってきた。
最近なんだかからだの奥で変なことが起こっている感じが
まといついていたのは、その大変動の予感のせいだったようだ。

教師人格以外は対社会的な対応がうまくできない
幼少期に起源を持ち解離された子供人格が多数を占める。
彼らは、対人関係や、体調や、気候など、
ほんの少しのストレスにも圧迫されてすぐ涙ぐんだり、
心細い気持ちに囚われたりしている。
ほとんど社会とかかわりを持たず自閉的な妄想を育てている。
ひとつのことがうまく行かないと、代替案を探し回ろうとする
代替転換屋もひんぱんに出てくる。
すべて人目には触れないひそかな世界での出来事だが。

ひとつ気づいたのは、かれらのゆらぎに触れていると、
大昔からなじみのある傾向ばかりであることだった。
だが、解離性が大規模に表面化する以前の頃は、
かれらを自分のなかの人格状態だとは承認していなかったのだ。
いまはそれらを人格群として捉えているが、
学生時代やコピーライターの仕事をしていた頃は、
そういう人格状態のうごめきを察知するやいなや、
「自分の中の弱い心」としてすぐ自罰し、
抑圧して、切り捨てていたことに思い当たった。
その頃も涙ぐみそうになったり、
日と恋しさにやりきれなくなったり、
誰かに触れたくなったりすることは頻繁にあったことを
思い出した。そして、瞬間的に抑圧していたことも。
そうしなければ、反政府運動や、賃仕事のリーダーとして
やっていけなかったのだ。
ヒマラヤに来て以来、そんな抑圧をする必要がなくなった。
そこで、長年抑圧され、薄暗い地底に封印されていた彼らが
噴出してきたのが、50代になってからの
解離性同一性障害の勃発につながったようだ。
最初は記憶が飛んだり、人格転換を自己コントロールできない
不測の事態の連続に驚かされたが、
いまではわたしはそれで自分の中の隠された、
か弱い人格群に触れることができて本当によかったと思っている。
もともと革命の現実性の確信もないのに革命運動をやったり、
文才もないのにあの日本経済の高度成長期に25年もコピーライターで
飯を食いつなごうとする表人格を維持すること自体に無理があったのだ。

思えば若い頃は瞬時に否定し去らねば自分が持たないと思っていたが、
いまは、「ああ『か弱いさん』けなげに生きているのね」と、
すんなり受け入れることができる。
ここまで来るのに60年かかっていることを思えば
その時間のかかりかたに愕然とするが、
それくらいかかるものなのだ、
自分のサブボディの布置が変わるということは。

もっとも、いまでも踊り手としての才能もないのに踊りをやり、
その教師までしている。
ただ、わたしが気づいたのは、わたしではなくサブボディに耳を澄ませば
命ではいつも何がしかの創発が起こっているということだ。
かすかなかすかな兆候にしか過ぎないが、
それに耳を傾け、促し、全身で応援すると毎日小さな創造が続く。
その発見だけを他の人に伝えたくて教師を続けている。

いまでは、彼ら「か弱いさんたち」はかれらの居場所を知っている。
授業中でも、踊りの中ではいくらでも出てきていいことも知っているから、
突発的に出てきて困らせるようなことはしなくなった。
少しずつ自全の中の布置が変わっていっている。
落ち着くまでにはまだまだ長い時間がかかるのだろうが、
ようやく今迄の人生で一番自然な状態に近づいている気もする。

もっとも、こういうときが一番危ないことも知っている。
一番予測不能の事が起こりやすいのが、安心しきったときだ。
そういう注意深さもついてきた。

さて、今年はどんな展開になるのだろう。
まだまだ未知の人格が潜んでいて
わたしをのっとる事件が起こるのだろうか。
それともこのまま多数多様体として安定していくのだろうか。
予測できないことが起こることこそが面白い。
そういう余裕も出てきた。
いつ覆されて泣きを見るかもしれないが。



『多重日記』をもっと読む


2008年2月22日

水狂いの帰還

なんと長い間深い地層に人知れず潜んでいたことだろう。
わたしは20代の後半から30代にかけて水に首ったけだった。
その頃、社会に背を向けて、水の中の透明な生き物をずっと眺め続けていた。
京都の木津川・桂川・宇治川の三川が合流して淀川になる土地に住んでいたので、
水の生態系がとても複雑で面白かった。
毎年雨季が過ぎると、河原のあちこちにワンドと呼ばれる大きな水溜りができた。
そこは淀川水系の淡水魚の稚魚の天国だった。
毎日小さな網を持ってまだ幼い子供を連れて稚魚をすくいに出かけ、
それを二本の90センチ水槽で飼育していた。
淀川水系には500種ほどの淡水魚が棲むが、
そのうち200種ほどは実際に掬って飼育した。
魚の稚魚は数ミリの透明体で、大きさきさによって
食べることのできる微生物が限られていた。
彼らのためにミジンコやその子供、さらにミジンコの食べ物となる
植物プランクトンなどを生育する池を庭に掘り、
絶えず顕微鏡で観察を続けていた。
顕微鏡で見るそれら微生物の透明な世界は、まったくの異次元で、
うつくしい舞いをするノロというプランクトンや、
空恐ろしい形相の原生動物、
ミジンコの愛嬌のある動き、透き通った淡水えび、
ワムシや淡水クラゲのひょうきんな泳ぎ、
ラッパムシにツリガネムシらが、その頃のわたしの友だった。
彼ら、あまりに透明な水の中の生き物達と共振しながら、
わたしはその頃一心にからだの中の太古の闇を探っていたのだ。
十数年続いたその水狂いの生活の間に共振した小さな生き物達は、
踊りを始めて以来ずっと自分のからだで踊り続けてきた。
わたしのなかに棲んでいる無数の原生体を発掘し続けることから
わたしの踊り手としての人生が始まった。

長い間その世界から離れていたが、
今年の冬、庭の片隅にプールを造ったことから、
突如その三十年前の水狂いのわたしが帰ってきた。
プール用に雨水をろ過して使うためと、プールの水を循環ろ過るために、
三つのろ過槽を作った。
このろ過装置はわたしの水狂いの日々の最大の格闘の場だった。
ろ過装置に発生する硝酸バクテリアや亜硝酸バクテリアが、
生物の排泄物を消化し、きれいな水に替えてくれる。
だが、その管理を少しでも間違うと、
ろ過層は逆にさまざまな微生物の格好の棲息現場となる。
インドの水には、見知らぬアメーバやバクテリアが棲んでいて、
彼らに対する免疫のない外国人は激しい下痢に襲われる。
これまでに体験したことのないアメーバとの深い関係が始まる。
わたしの自全の深層で長いこと眠っていた水狂いが起きだして活動をはじめた。
いまはネットで、世界中のろ過装置を研究できる。
上から水を漉す伝統的な方式の他に、下から漉すもの、
横から漉す方式などさまざまな方式が生まれている。
これから長いろ過狂いの日々が続きそうだ。
アメーバやバクテリアほど手ごわい相手はいない。
なにしろ、彼らはその形のまま40億年を生き抜いてきたのだ。
人間などの新参者になかなか歯が立つ相手ではない。
彼らに相手をしてもらえるだけで幸せだ。
わたしの中の水狂いは、再び生きる場を得て、感涙にむせいでいるのがわかる。
踊りをするからだにこういう科学者系・エンジニア系の人格が割り込んでくると、
実に具合の悪いキメラのようなからだになるのだが、仕方がない。
自分全体を引き受けて生きることはわたしの本懐だ。
2008年2月13日

いくつかのからだのモードについて

ステップイーグルの旅立ちを眺めながら、
ここ数日は午前いっぱいを屋上で過ごしている。
空を眺めながらイーグルのからだにずっとなりこんでいる。
何が彼らを飛び立たせるのか?
早春になり温かい日が続くと、かれらの細胞内で眠っていた
即時遺伝子が蠢きだし、長い渡りに耐えるからだに造り替える。
高度10000メートルの零下数十度という極寒の中を
何千キロも飲まず食わずで渡っていける
極度の戦闘状態のような鋼鉄のからだに変成するのだ。
だから、今日が旅立ちと決まった鷲の飛び方は一目で分かる。
何の迷いもなく高度8000メートルあたりまで舞い上がり、
その高度に達すれば、一直線に東に向けて滑翔飛行に入る。
地磁気や地形や空気の匂いなどの総合的な外クオリアに、
生命記憶の内クオリアが強く共振する方角が一点だけある。
その方向にただ向かえばいい。
それがからだで分かる、という感じがわたしにも共振できる。
その潔さは、見ているだけで胸を打つ。
その鋼鉄のような飛び方に比べ、
まだ飛び立つ日に熟していない鷲の飛び方は
ふらふらと所在無げだ。
いかにも調整中です、といわんばかりのゆらぎに満ちている。
からだのモードがまるで違うのが飛び方で分かる。

動物には大きく分けて交感神経モードと、
副交感神経モードの区別がある。
だが、微細にからだのクオリアを聴き続けていると
交感神経モードにも多様な程度の差異があり、
副交感モードにもさまざまに細分化される多様性があることが分かる。
闘うか逃げるかののっぴきならない最高度の戦闘状態から、
鷲など渡り鳥にとっての渡りモード、
余裕のある闘争モード、警戒モード、
やや緊張しているモードなど、
興奮にも無数の階梯がある。

副交感モードのからだでも、
食欲モードと性欲モードではまるで違う。
休息や瞑想モードにも深浅の差異が無数にある。
意識状態にも、言語モードが活性化しているとき、
人間関係の中で自我が発動されているとき、
静かにからだに耳を澄ませられているとき、
など、下意識モードとの間に無数の階梯がある。
下意識のサブボディモードにも、
どのチャンネルが開いているかで大きな違いがある。
からだの体感クオリアがよく感じられるとき、
ひとりでに動きが出てくるとき、目がよく動くとき、
息や声や音像流が出てくるとき、情動が沸き立つとき、
関係像が入り乱れるとき、世界像と自己像がどんどん変わるとき、
何らかの欲望に突き動かされているとき、
自分が欲望に動かされていることが透明に見えるとき、
など実にさまざまだ。

四六時中わたしは、自分の心身のモードの微妙なたちゆらぎに
聴き入っている。
毎日やっていることのほとんどすべてがそれだといっていいほどだ。

解離性のサブ人格を数多く持つわたしには、
これらの一般的なモード変化のほかに
独特の解離人格モードが存在する。
親しい人との別れを体験して悲しまないために
感情を凍結するヒューマノイドモード、
わずらわしい大人の社会的出来事から逃れるために
自然とのみ親しむ鳥吉、魚助、石麻呂、苔丸などの
自然逃避モード、
成熟した女性を感じず、関係を遠ざけるロリモード、
そして、命を賭けた闘争状態のからだに
突如過剰に入りこんでしまう修羅モード、
その他名づけられない微妙なモードがまだまだいくつかある。
そして、学校の授業がある時期は、
ここ数年これらの人格分裂状態を統御する教師人格が
強く立ちはだかってきた。
いままで、これらの解離した人格状態はいきなりわたしをのっとるように現れてきたが、ここ数年は教師人格が強固に立ちはだかっているのと、透明覚を絶えず働かせているおかげで、
それらの交替の出来事がかなり透明に見透かされるようになって来た。
これらの解離した人格状態が現れやすい契機を生活の中から
限りなく排除したことにもよるが、最近は解離人格にたやすく
のっとられることも少なくなった。

だが、どんでん返しはいつも油断の中心で起こる。
昨日あるほんの小さな出来事があっただけで
わたしの心は突如感情を閉ざしたヒューマノイドモードに
急転換して自分でも驚かされた。
まるで太平を夢見ていた世で時限爆弾が発火したかのような出来事だった。
そのきっかけとなった出来事は秘めて書かない。
わたしの心の最大の弱点がそこに存在することだけは確かだ。
はじめて知った驚きに、とてもまだそれについて考える
心の準備ができていない。
こういう問題はいきなり触れずに、
じっくり遠巻きにして温めておくのがいい。
取り組める準備ができれば自然に取り組んでいくものだ。
それにしても、からだの闇には、
見覚えのない怖い秘密が詰まっている。
少しでも侮れば死と破滅があるのみだ。



●●●

多重人格フォトフリップを見る
→多重人格フォトアルバムを見る