December 2007

多重人格肯定日記
――
解離性同一性障害を肯定する日記
2007年
みゆき狂い
アド人格、一挙騒乱!
多重人格ミュータントの使命
暴発寸前だい!
 待たれい。 おのおの方!
多様な性的衝動の起源について
荒御魂の秋
人間は十二を越えたらもうだめさ
多重なんて当たり前のこと
命の力を信じて
風邪、熱、真夜中のグレコ
転落のクオリア
代替転換屋のうねりくねる欲望
男女という元型を脱ぐ
解離性人格を踊る
コピーライター君、健在!
命の多次元ゆらぎと多重人格
樺美智子、安らかに眠れ!
弟からの手紙
まだ見ぬアニマよ
こうもり、工作者、粘菌リゾーム
下痢のからだにはあの絵は耐えられない
往生際の悪いやつ
タバコ吸いの臨終
分身たちよ、百花斉放せよ!
25時間目の分身たち
お化けの<元型>心理
50年目の絵心
人生の分身たち
2007年3月
 2006年9月―12月
2006年8月
2006年6-7月
2006年1-5月
2005年
サブボディメソッド
生命論2011
クオリア論2010
透明論2009
   肯定論2008
共振論2007
舞踏論2006
透明論 2005
実技ガイド
共振タッチ技法
図解ツアー
キーワードツアー
サブボディ学校ジャーナル
リゾーム Leeの
探究坑道地図
からだの闇を掘る
リゾーム Leeのからだの闇探究のメイン坑道

ヒマラヤ共振日記
共振という観点から、世界をあるがままに捉えなおす。共振したものはなんでも記述していく日記。
多重人格日記
リゾーム Leeの多重人格=解離性人格障害を創造に生かしていこうとする深部坑道
サブボディ舞踏スクール ヒマラヤ ホームページ
RSS FEED
2007年
中島みゆき サーモンダンス

2007年12月24日

●みゆき狂い

わたしの中の誰かが中島みゆきの歌を必要としている。

今夜はこの歌を40回ほど聴いた。
クリスマス・プレゼントにあなたにも贈る。

ファイト、宙船、サーモンダンスと続く系列は、
人生の応援歌だ。

みゆきの詩には、魚になりこんだものに
秀作が多い。

「生きて泳げ、涙は後ろに流せ
向かい潮のかなたの国で生まれ直せ」(サーモンダンス)

「暗い水の流れに打たれながら 魚たちのぼってゆく
光っているのは傷ついてはがれかけた鱗が揺れるから
いっそ水の流れに身を任せ 流れ落ちてしまえば楽なのにね
やせこけて そんなにやせこけて魚たちのぼってゆく
...
ファイト! 闘う者の唄を
闘わない奴らが笑うだろう
ファイト! 冷たい水の中を
ふるえながらのぼってゆけ」(ファイト!)

これを聴かないと倒れこんでしまいそうなる
わたしがいる。

それは誰なのか。

もっとも弱いわたし?

衰弱体のわたし?




2007年12月9日

アド人格、一挙騒乱!

今年の授業が終わった瞬間、
ここぞとばかりに、それまで教師人格の顔を立てて
おとなしくしていた分身人格たちが、一挙に騒乱状態に入った。
突然とんでもない祭りのような状態が始まっている。
今年は、教師人格はよい長期生徒に恵まれたおかげもあって、
これまでしたくてもできなかった衰弱体への変成技法を
かなり掘り進めることができた。
サブ人格たちもすべてその仕事ののっぴきならなさが
よくわかっていたので自重してくれていた。

でも、今から思えば授業の最後の週には、もう待ちきれずに
アド人格が暴発しかけた。
生徒の一人がサブボディの場に選んだ、滝に駆けつける道で、
突然わたしは白昼夢に襲われた。
もう何百回も襲われた妄想だ。
道を車で進む最中に、わたしを裏切って、窃盗・強盗に及んだ
何年間も世話をしていたチベット人青年に突然出会う妄想に襲われた。
瞬時に彼と肉体的な殺し合いに入った。
裏切られた憎しみに全身の血がたぎり、胃が燃え、からだがこわばった。
なんどもなんども妄想の中で殺した相手を、その日も殺した。
何百回殺しても、わたしもまた殺されるかもしれない恐怖に
からだがつつまれ修羅に急変した。
相手は20歳の屈強の青年、こちらは60歳だ。
気迫で勝る以外に勝ち目がない。
肉弾戦で命を奪い合うクオリアほど痛ましいものはない。
小さいころからかわいがっていた青年だ。
高校に入って不良グループの一員に変貌していたことを
長い間見抜けなかった。
インドで陥ったわたしの神経症を加速した事件だった。

その興奮からからだが抜け出るまで一週間以上かかった。
いや、まだアドレナリン・レベルは高まったままだ。
あらゆる出来事に理不尽に否定的な反応が走る。

昨日、行きつけのサイトで、ジョンレノンの命日だと知って、
イマジンをサイトに貼り付けた。
そのとき、突然思い出した。
なんてこった!
12月4日は、大学の盟友、辻敏明の命日だったではないか。
辻は大阪天王寺高校の剣道部の主将だった。
気は優しくて力強いを絵に描くようないい男だった。
大学の一年後輩だった。わたしは辻が大好きだった。
他党派との内ゲバで、鉄パイプで後頭部を割られて絶命した。
党派の学生組織の副委員長という肩書きによって
辻は狙われたのかもしれない。
あるいは剣道2段という自負が、
肉弾戦でのもっとも危険な臀戦を買って出たのかもしれない。
辻はそういうやつだった。
いいやつほど早く死ぬ。
何度も何度もわたしの夢枕に現れた。
わたしの最初の踊り、伝染熱を創る最大の動因になった男だ。
そいつのことを、学校の最後の週の追い込みで、思い出せなかった。
それが、あのチベット青年との死闘につながったのかもしれない。
辻が、何か忘れていないかと、ささやいたのかも知れない。
(こういう擬人的な書き方をするが、このとき、わたしは
わたしの脳のグリア細胞に保存されている辻のクオリアを
わたしの脳が呼び出し味わっていることを知っている。
命が感じる内クオリア以外に、
人間の霊だの魂だのが存在する場所はない。
煩雑だから、いちいちそう書かないだけだ。)

からだの闇に刻み込まれた布置は何年たっても変わらない。
この手の妄想に出会うべくして出会うのがわたしなのだ。
からだが極度のアドレナリン状態になると、
過去の惨劇という惨劇の記憶が一挙に多重化して襲い掛かる。
これがフラッシュバックや神経症をもたらす動因だ。
内クオリアのリアリティを
脳はすべて現実として受け取って反応してしまうのだ。
そのことをわたしは自分の経験から導き出しつかんだ。
だがいくら頭でそうと理解していても、
妄想に襲われたらからだはひとたまりもなく
極限状態まで持っていかれてしまう。
一挙に何百回目かの殺人にまで走らされる。
予告なくやってくるこの殺人者人格への急変を
わたしはまだ死ぬまでに何十回も味あわねばならないだろう。
仕方がない。これがわたしなのだ。

からだの闇には天国も地獄も詰まっている。
地獄があるから、命は天国も必要とするのだ。
そういうのっぴきならないからだの闇の中のつながりが
透き通って見えてきた。
明日は天国について書こう。



2007年12月4日

●多重人格ミュータントの使命


いつも行きつけの、lastmoonさんのサイトの掲示板
別の解離性の人が書き込みをしていた。
自分の症状とlastmoonさんの症状の現われが違うことに
違和感を表明したものだった。
せっかく多重に生まれたのに、
解離性の症状が何らかの同一性を持つという信仰に囚われていて
気の毒だと感じた。
私はこう書き込んだ。


解離性同一性障害の現れは実に多様です。
一人ひとりまったく独自の症状を持ちます。
それを大事にしてください。
一人ひとりの個性が違うように解離性の症状も現れも
まったく独自で多数多様性をもっています。
だから、自分の症状と他の人が違うからといってそねんだり、
違和感を感じる必要はまったくありません。
ご自分の個性を大事にしてあげてください。
そうすると、ご自分と異なる現われを持つ他の解離性の人と共振できるようになります。
わたしたちはその多様な差異をただ楽しめばいいのです。
自分の中の多様な分身も、一人ひとりの個性を楽しみ、
一人ひとりの個性を生かせる生き方を発明することで、突破できていくと思います。
わたしもその途上を歩むものに過ぎないので大きなことは言えませんが。

一人ひとりの独自性や差異を無視して造られた大ざっぱな理論を信じてはなりません。
そういうものは同一性というありもしない幻想のとりこになった人がでっち上げたものです。
解離性同一性障害という病名も、彼らによって名づけられたものです。
解離が起こるのは問題ですが、多様な人格状態を持つことは
たったひとつのそれしか持たない人に比べて、はるかに豊かなことなのです。
私たちは今世紀に人類に起こった変異体(ミュータント)なのですが、
この40億年間、生命の新しい可能性はいつもミュータントによって切り開かれてきたのです。

自信を持ちましょう。


ここから先は、掲示板には書かなかったことだが、
書き終わってからさらに思いがどんどん過激に亢進していった。

わたしは
「一生懸命ゲイになろう。
ゲイは人類の友情の新しい形態なのだ」

と言い放ったわたしの師フーコーに倣って
こう言ってみたい衝動を抑えきれない。

一生懸命、多重人格になろう。
多重人格は人間の生存の新しい形態なのだ。


この可能性を果てまで押し広げよう。
そうすると新しいことが見えてくる。

われわれ多重人格変異体は、
遺伝子の突然変異によって生まれたミュータントだ。
人格要素の多様性はあらゆる人が持つものだが、
解離が起こりやすいという特性は
解離性の人の遺伝子に発現した突然変異だろうと思う。
(解離が起こるときは、脳にそれまでになかった物理的変化が
確実に起こっている体感がある。
おそらく、脳のある区画だけが活性化し、
別の部分との連絡を断つ神経伝達物質が介在していると思われる。
アドレナリンが亢進してアド人格状態になると、
他のオキシトシンによって導かれる親和性の人格や、
感情のないペルソナ人格とはまったく連絡が取れなくなる。)
この変異遺伝子はかなりの過去の時代に出現したものだろうが
多様化を急速に進めた現代の生存状態に適応するべく
幼児虐待や性的虐待など強いストレスを受けた人々に
突如発現しだすようになったものと考えられる。
それは生き延びようとする命の工夫の一環なのだ。
これまでの人類は人格の同一性という囚われに強く束縛されていた。
中世の単一農村社会だけで一生を終わるなら単一の人格で間に合ったかも知れない。
だが、現代社会では無数の生存場面に多様化している。
家と学校と会社と趣味と創造の場で
単一の同じ人格を保たねばならないいわれはどこにもない。
そんなことに腐心するなどむしろばかげたことだ。
私たちは、人類が、人格の同一性という囚われから脱し、
これまでにない多様な人格を持った生存の多様性を
謳歌できる世紀を切り開くために先駆的に出現したのだ。

すでに前世紀には、それまでの人類が囚われていた異性愛という
同一性信仰を打ち崩すゲイやバイやレズの性の先駆者達が現れ、
性の多様性の時代を切り開いてきた。

多重人格変異体は、性だけではなく、
人格の同一性という信仰を打ち砕き、
生の多様な可能性の時代を切り開くために生まれてきた。
そう信じて未来を切り開いていこう。
21世紀は多重人格の世紀である。
解離はつらく大変だが、何とかしてそれを乗り越えれば、
とてつもない可能性が広がっていく。
そう、解離は何とかしたいが、多重人格性は治す必要などまったくない。
統合や融合が必要などという同一性信者の妄言になど従ってはならない。
人格の多面性は、むしろもっともっと積極的に発展深化させるべきものだ。

わたしはその可能性をとことん追求する。
身をもって多重の花を開花させて見せよう。

わたしは若い頃、
マイナス札をすべて集めると、プラスに転換する
ツーテンジャックというトランプゲームが大好きだった。
どんな負の条件にもプラスに転じる可能性があることを学べたからだ。




 中島みゆき とろ
2007年12月1日

暴発寸前だい!
 待たれい。 おのおの方!


今年の秋は、共振塾の授業がはじめて衰弱体の探求に入った。
これまでやりたくても一月やそこらの短期の生徒では、
衰弱体になる必然性が見つからなかったからだ。
兆期生が揃ったこの秋ははじめて思い切り
やりたいことをやりたいように探求することができた。
教師人格はそれに夢中になった。
それはよくわかっている。
だが、その陰で無数の分身たちが鬱屈していた。
今年の授業もあと一週間という瀬戸際になって
暴発しそうなほどにその鬱屈が高まってきている。
いつ誰が躍り出て暴走しだすかわからないほどの
エネルギーが高まってきている。

これで思い当たった。
中学高校生のころから自分の中にいつもこういう
わけのわからないものがマグマのように蠢いていたことを。
それは表人格の陰に隠れた陰の人格たちの蠢く気配だったのだ。

でも、今日はここまでにしておこう。
後6日経てば、3ヶ月の冬休みに入る。
それからだ。分身たちが存分に駆け巡ることができるのは。
教師人格のわたしはしばらく用済みだ。
空中で裂けて木っ端微塵に砕け散ってもいい。
それまで、待たれい! おのおの方よ!

今日は、YouTubeで見つけた
中島みゆきの「とろ」を貼り付けるだけにしておこう。
この歌は、彼女が自分のからだの闇を掘りつづけて、
絶えず未知のサブボディを発掘していることを示している。
彼女の中にはすでに「423」に見られるように
私の中の20歳の革命家山沢と同様の革命家人格も生き続けている。
「桜らららら」はわたしのロリ人格のテーマソングだ。
「宙船(そらふね)」、「ファイト」、「線路の外の風景」は
彼女が、各人のからだの闇に可能性と創造性に満ちたサブボディが
潜んでいることを必死で訴えかけている命の応援歌だ。
中島みゆきは、いつまで経っても最も心強く過激なサブボディの同志だ。
















2007年10月18日


多様な性的衝動の起源について

若いころから自分の中の性的衝動に
微妙で奇妙な違いがあることに気づいていた。
だが、それが何なのか、分からなかった。

思うだけで満ちてしまう衝動、
そっと触れ合うだけの衝動、
きつくくっつけたい衝動、
そして、性的結合にいたる衝動、
――これらが、まったく違うものであることに気づいた。
私は解離性多重人格症なので、
これらの衝動が各人格に分担されて現れる。
各人格は何年かごとに交替して現れる。
60歳に近くなった今ようやそれが何なのか、
くっきり分かってきた。
それぞれの解離した人格たちは、
人生のそれぞれの年齢で発生し、
私のからだの闇深くに潜んだのだ。
それぞれの人格が持つ特有の性的衝動の差異は、
それらの人格が発生した年代に規定されている。

3歳のころに母に捨てられ解離したりゅうり大魔王は、
狂ったように母を探し回っている。
ありとある隠れ家を引き剥がし、
突然いなくなった母をいまだに探し回っている。

5歳のころに、祖母を第二の母として親しもうとしだした人格りゅうりは
絶えず皮膚をくっつけたがっている。
ただただその衝動に支配されている。
ごく最近思い出したことだが、
わたしは私の中のロリ人格が誕生した瞬間を見つけた。
5歳の夏、ひとつ年下の幼なじみのみっちゃんと
庭でたらい行水に入ったあと、板の間で並んで昼寝した。
5歳の私はすぐ横に寝るみっちゃんのからだにとても触れたくなった。
だが、びくともからだが動かなかった。
その金縛りにあったようなはじめての性的衝動の奔出を
ありありと覚えている。
あの時私ははじめて、失くした母との接触への囚われから脱して
自分独自の異性を求めようとしだしたのではないか。
小児のくせに、そして、小児ゆえに。
その衝動は満たされないままからだの奥に沈みこんだ。
その欲動がいまだに私の中でそのときのままにたぎっている。
私の中のロリ人格はそのとき以来の
満たされることのなかった欲望に貫かれている。
それをまざまざと実感させられた。

7歳で両親と祖父母の芝居に騙されて祖母から引き剥がされて、
ふたたび継母としか感じられない実母の下に引き取られた私は、
明らかな二重人格になった。
表向きは実母のスパルタ教育でその軍門に下ったかの
振りを強いられた龍二は、
その裏に母ではない同世代の少女たちへの偏愛にとりつかれ始めた。
その二重性の闇の中で私のロリ人格が
成長していったことがようやく見えてきた。
子供にとって同世代の少女たちへの性的衝動は、
母や社会に対してきつく秘められねばならないものとして発生した。
かくして私の60年に及ぶ多重人格の基本構造が出来上がった。
表向きは私はとびきりの優等生だった。
二度と大人に騙されるという屈辱を味あわないためには、
大人の言うことに耳を澄まし、その言葉の裏に潜んでいる
秘められた情報をもすべてかぎつける必要があったからだ。
大人たちが子供に課すテストの甘い仕掛けなど
すべて透明に見すかせた。
いちど騙され用心深くなった子供を甘く見てはいけない。
大人の手口をずっと観察して見破ることが私にとって
生きることとなったのだ。

10歳の私は同じ世代の少女を愛する。
私の中のもっとも奇妙で強い性愛傾向だ。
そして私の60年の人生の中でもっとも
深く長く親しんだ微細な性的傾向の世界だ。

15歳ころになると、からだから湧き上がってくる
性的衝動に取り付かれはじめる。
だが、実際の行為を望むわけではない。
ただただ性的妄想に取り付かれて狂うほどになる。
同世代の女の子は誰も相手にしてくれない。
落差の大きさに最も苦しんだ時代だった。

17歳で、やがて結婚することになる少女と付き合いだした。
性欲はむせるほどに噴出してきたが、
その少女とは20歳で結ばれるまでただただ触れ合い続けていた。
何度か交わろうとしたが少女が痛がったのでそのままになった。
それでよかった。
触れ合うだけの関係には、
触れ合うだけの関係性の豊かな深みがある。
ひとたび交わってしまうと、
それはもう生物学的に規定された世界に支配されるだけだ。
性的快感は強烈だが単純だ。
とことん快感の限りを味わったから、
その世界はその世界で底深いことも知っている。
だが、触れ合うだけの世界に比べると微妙な味わいに欠ける。

ともあれ、私の中にそういう異なる性的衝動をもつ
違った人格が何人も存在する。
かれらは発生当時そのままの性的衝動をもち、
いつまでも時のない次元に存在し続けている。
彼らのクオリアは時のない微細次元で共振している
ひもの共振パターンに保存されている。
この三次元空間で言えば脳内の神経細胞、
おそらくはグリア細胞の奥深くに潜む
微細次元に折りたたまれているのだ。
そしてときどきその世界から時のあるこの次元に出現する。

解離された人格や彼らが持つ特有の性的衝動のクオリアは、
微細次元で時を越えて振動し続けている
ひもの共振パターンとして保存されているのだ。

母の声のクオリアが永遠にその次元に保存されているように。
あらゆるクオリアの収蔵場所が存在する。
記憶の謎も、解離性人格の秘密も
ひも理論なしに解くことはできない。
粒子に基づく標準物理理論では
生命やクオリアの無限の多様性がどこから生まれるかの
疑問に答えることができない。
生命を解けない物理理論など、
間に合わせのまやかしであるに決まっている。
そろそろその間に合わせの近代知から
覚めねばならないときなのだ。





2007年10月9日

荒御魂の秋

毎年10月、11月は、からだの底から変になる。
10月8日が山崎博昭、11月24日が辻敏明の命日だからだ。
知らない間にからだが20歳のころの革命運動者・山沢夙、
日本絶滅主義者・今故血人肉男などの
過激な人格に摩り替わっている。
アドレナリンが体中にたちこめているのだろう。
些細なことですぐ怒りと激しい否定に結びつく。
生徒のほんの日常的な顔のしかめの反応が、
三日間焼きついてとれなかった。
いまだに10月は神経症寸前の状態に陥っている。
そういえば、これまで怒り人格や否定人格が出てきて
親しい関係をも終結させたのは
いつも十月か、十一月だったような気がする。
気がつかなかった。
心しておかなければならない。
否定人格にサブボディの産婆はつとまらないからだ。
←BACK ■ NEXT→
多重人格フォトフリップを見る
→多重人格フォトアルバムを見る