September 2007

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ヒマラヤ共振日記
2007年
ミクロな生命のダンス
追悼! 長井健司氏
堀川久子の舞
桂勘のワークショップ
明日の記憶
ブレードランナー・ファイナルカット
ピタールの流動覚
気づきとアイデア
ある詩人からの手紙
広島忌
ロベルト・マッタと異次元開畳
生命の欲動を聴く
はかなく、つたなく、しどけなきもの
国家というこころの麻酔薬
生命は死者とも共振する
加藤登紀子と山崎博昭
赤ん坊のかなしみ移る赤ん坊
ヒマラヤのバブル経済?
このフレアがいい
太陽のコロナ爆発を踊る
桂勘 タイムマシン
静かな共振生活
命からの苦い便り
ミンデル、共振原理を理解する数少ない一人
糸井重里の、とても本当さ
共振ゆらぎの暮らし
生命について
チョ・スンヒ事件に共振する発言。一人だけ
覆い隠された無意識の人種差別
殺人者の心と共振する
トビに学んだ共振原理
共振するひもたちよ!
万物の根源のひも共振
土方巽の『疱瘡譚』
土方巽と細江英公
命を鼓舞する中島みゆき
ステップイーグルの旅立ち
 2007年
2007年10月5日

●ミクロな生命のダンス


なにげに、科学ビデオサイトで見つけた。
近頃の科学アニメは面白くなってきた。
まるで生死の間でゆらぐサブボディダンスのようだ。
わたしたちのからだでは日々こういう攻防が
繰り返されている。

微細な想像力を鍛えるには、こういう
ミクロな世界の映像を見ながら、さらにそれが
はるかにミクロなひも共振パターンの変化によって
生起しているさまを想像することだ。

命とは何か?
命が発生した瞬間のひも共振に何が起こったのか?
わたしのなかではひもレベルでの
生命発生の瞬間の映像がほぼできあがってきた。
毎日のようにそれを見て、少しずつ修正している。
この映像をほかの人と共有できたら、
命とは何かが誰にも一目で分かるようになる。
からだがもうひとつあれば自分でアニメを作るのだがなあ。


科学ビデオサイトを見る

この科学アニメを制作したサイトを見る

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追悼 長井健司氏
2007年9月28日

追悼! 長井健司氏

昨日、ビルマの軍事政権に反対する市民・僧侶のデモを
取材中の映像ジャーナリスト長井健司氏が、
治安部隊に至近距離で銃撃され死亡した。
ビルマにはこの冬訪れたばかりだった。
彼が撃たれたスーレパゴダ寺院の街路は私も何回も通った。
スーレパゴダ寺院はヤンゴンでは人々が昼寝したりする
もっとも安心できる憩いの場所だった。
この冬も、ホットメールやヤフーメールなどは
軍事政権によって使用不可能になっていたが、
今、ビルマは軍事政権によって
インターネットが完全封鎖された。
見られて都合の悪い弾圧情報を国外にもらさないためだ。
情報の密室国家となったビルマで、
これから何が起こるのか、
口コミを含むあらゆる方法で伝え合い、
国家の密室を開いていく必要がある。
銃によって本当のことを覆い隠せるとする
軍事政権の妄想は打ち破らられねばならない。

サイトを検索すると、すでに国内外のビルマ人たちが
弾圧・抵抗情報を発信する活動を始めていることが分かった。
次のサイトに、ビルマからの草の根情報が掲載されている。

Mizzima News

ko htike's prosaic correction


明日も晴れ



2007年9月20日

堀川久子の舞

Youtubeを散策していると、
懐かしい堀川久子さんのビデオがアップロードされていた。
久子さんとは、9年前にベネズエラの
国際クリエイター・ミーティングという催しで、
2週間共に過ごした。
世界中から集まったダンサー・振付家が
それぞれ独自のワークショップを交換するという催しだった。
彼女の正統舞踏的なワークショップから
随分学ばせてもらった。
このビデオを見ても、ただのゆらぎから、
いきなり異次元の異様な存在に変貌していく、
序から破への転換が見事だ。
彼女は憑依体系の自己制御ができる天性の舞踏家だ。
ベネズエラで見せたわたしの裸の伝染熱をみて、
「顔があれだけ変容できるんだったら、からだもできるはず。
いまは動きにからだが盗られている」
と評してくれた。
わたしの当時の踊りに対するもっとも的確な批評だった。
こういう命の親切を受けると一生忘れることがない。
ありがとう。
あれから私も精進してようやく憑依体を自分の十体に
加えることができるようになりました。
久子さんがいまだに健在なことを知って喜びが満ちた。

この催しにはベネズエラ出身の親友の
デビッド・ザンブラーノが招いてくれた。
他にはマーク・トンプキンや、
コンタクトインプロの創設メンバーの一人リサ・ネルソン、
そして、ヨーロッパ、南アメリカ各国を代表する振付家たちが集っていた。
そこでわたしは50歳の誕生日を迎え、
胎児の世界とこの世を往還するワークショップ技法を完成し、
リゾームへの変成を遂げた。
忘れられない催しだった。







上の写真をクリックすると、ワークショップ情報を表示します。


2007年8月18日

桂勘のワークショップ

桂勘は、土方巽を除けば、わたしのただ一人の舞踏の師だ。
1994年から97年にかけて、わたしは彼とともにインドネシアをはじめ、
ハワイ、韓国、タイ、シンガポールの合宿・公演に連続参加した。
その中で、舞踏の精神の根幹のようなものを彼から受け継いだ。
それは、近代の思考の外側で脈脈と受け継がれてきた、
普遍的な生命感覚のようなものだ。
ことばで言うことは難しいが、
恐らくそれは今のわたしの生死ゆらぎをめぐる授業内容にも
色濃く影響を落としていると思う。

久しぶりに勘さんから活動内容の知らせを受け取って、
そのことに気づいた。

命というのはこうして脈々と受け継がれていくものなのだ、と。


2007年9月17日

「明日の記憶」

夏学期と秋学期の間の一週間の休みに、
「明日の記憶」という映画をDVDで見た。
広告業界で働く男がアルツハイマー病でじょじょに
壊れて行く不可逆的なプロセスとその恐怖を、
主役の渡辺謙と妻役の樋口可南子がよく演じていた。

アルツハイマーは数年前に極度の神経症に陥ったとき、
わたしも自分の脳が萎縮し脱落していくさまを
妄想し、ありありとその恐怖を味わった。
わたしの神経症は突然の怒りの激発に囚われ、
殺人または自殺の衝動に駆られるほどの
激怒に見舞われてしまうものだった。
激怒すれば体全体が極度の交感神経モードの闘争状態になり、
その都度おびただしい脳神経細胞が死ぬことが知られていた。
そして、免疫システムは完全停止し、どんなささいなビールスや
細菌の影響を受けてしまう無防備状態のからだになる。
激怒発作に囚われるたびに寿命が数年ずつ縮んでいくことを
実感していた。

ヒマラヤ・インドなので、病院もなく、かかる気もなかった。
デリーの病院まで出ても微妙な症状を
英語で伝えられるはずもなかったからだ。
数年前はまだ、脳細胞は二度と再生しないという
旧説が信じられていた時代で、書物を読めば読むほどに
救いようのない死の淵に吸い込まれていくようだった。
アルツハイマーで脳細胞が死滅して減少していくことは、
この映画でもあったように、
「ゆっくり死んでいけ」ということと同義の
底なしの恐怖を味わった。

だが、数年前に、脳細胞が再生されることが発見された。
わたしが愛読するロッシも、「精神生物学」に続く新著
「The psychobiology of Gene Expression」で、
脳細胞がどのように再生されていくかを
最近の知見を入れてくわしく述べている。
まだ日本語に翻訳されていないので、
わたしはそれを英語版で読んだ。
それによれば、脳細胞の神経生長を促すのは、
①斬新さ(Novelty)、②神秘さ(Numinosum)、③ ①②とともに
からだをさまざまのしかたで動かすこと――であった。
それらが神経細胞の生長を促進することが、
多くの研究者の実験で明らかになっている。

わたしは、その記述に飛びついた。

斬新さ、神秘さ、からだの運動――サブボディを探り、
からだから出てくる動きに身を任すことには、
この三つ要素に満ちている。
もし自分がアルツハイマー症にかかっていたとしても、
壊れていくより多くの脳細胞が再生するように
生きればいいことに気づいた。
まさしく当時のわたしは生き延びるために
サブボディ・メソッドを必要としたのだ。

その後、いまは神経症は嘘のように去った。
脳の調子も生涯でもっとも創造的な状態が続いている。
アルツハイマーの恐怖に追われて、
サブボディ・メソッドの実践一筋に打ち込んできたことが、
脳神経細胞の生長や、新しいネットワークの生成を
促進していることが良く分かる。
絶えず新しい発見が相次いでいるからだ。
そのとき、おそらく脳神経細胞間の新しいネットワークが
生まれているに違いない。

もし、読者にアルツハイマーその他の脳神経の失調で、
悩んでいる方がいたら、だまされたつもりで、
サブボディ・メソッドを試してみることをお勧めする。
これほど斬新で不思議な動きが自分のからだの闇から
次から次へと出てくる神秘に触れられるものは他にないと思う。
サイトのビデオや写真を一目見ればお分かりだろう。
サブボディ・メソッドを実践することは、
ぶっちぎりの脳神経細胞の生長を促進すること請け合いです。

大野一雄さんが、アルツハイマーに侵されながらも、
後一月で百歳と言う長寿まで生き続けられているのも、
踊り続け、死滅する以上の脳細胞の再生と生長を
達成してきたからかもしれません。



2007年9月13日

「ブレードランナー・ファイナルカット」

リドリー・スコットは、執念の男だ。
人が本当になにかを創造しようとするとき、
世界から押し寄せてくるもろもろの元型の重圧を受ける。
彼はハリウッドという、元型の巣窟で
元型の力に囚われた苦い体験を噛み締め、
何十年もかけてぎりぎりの対決を繰り返し、
今もなお、じりじりと押し返し続けていることを知って
とても勇気付けられた。

「ブレードランナー」はわたしが最も繰り返し何度も見た映画だ。
リドリー・スコットが、1982年に、
「ブレードランナー」を初監督作品として創ったときは、
周囲の圧力で彼がほんとうに作りたかったものとは、
まるで別の作品となってしまった。

この映画は、フィリップ・K・ディックの
『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』
というSF小説を原作としている。
西暦2020年、遠い天体で人間にはできない危険な仕事に
従事していた人間そっくりのレプリカント数体が脱走し、
地球に逃げ込む。
それを追い詰めるのが
ブレードランナーと呼ばれるレプリカント狩りだ。
リドリー・スコットはディックが創ったSF作品という異次元の中に、
もうひとつの異次元を開畳し、
ユニコーン(一角獣)が走る夢のシーンを挿入させたかった。
実際に撮影まで済ませていたがあまりに謎に満ちていすぎると、
まわりの資金筋の圧力でカットさせられた。
「物語をこれ以上複雑にするな」という圧力だ。
「観客に理解しがたい複雑難解な謎を入れると興行的に失敗する」
という資本の論理に屈せざるを得なかった。

わたしはそのカットされた一角獣が走るシーンを
インターネットで見つけてダウンロードしたが、
とても夢幻的で美しいシーンだ。
こんな美しいシーンを創造しながら、
断念せざるを得なったスコットが
どんなに深い鬱屈を抱え込んだか想像に余りある。
このシーンは、「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」
という原作者ディックの問いかけに対し、
映画監督スコットがメタファー映像で応えたものだった。
(そうだ、見るとすればこんな夢に違いない)と、
原作のディックに伝えたかったのだ。
それが監督の原作者に対する仁義というものだ。
デッィクもスコットも夢のメタファー言語による応答法を
よく知り尽くした作家だ。
だから美しい夢幻的シーンによる原作者と監督の
応答が可能になったのだ。
だが、貨幣に憑かれた制作筋が、そんなスコットとディックの
夢のメタファーによる応答など理解しようとしなかったのは当然だ。

そればかりではなく、
映画の根本的な<序破急>にも手が加えられた。
当初とはまったく別のハッピーエンドの
ラストシーンに作り変えざるを得なかった。
ハリウッドが大衆を操作する定番である<元型>に
屈せさせられたのだ。
「スコット君、私たちはすでに膨大な資金をこの映画のために投資してしまったのだよ。映画とは投資した資金を何倍にもして回収する商品システムなのだ。その資本の賭けを君のような青二才の感傷で台無しにされたくないのだ。」
こういう圧力に屈して、現代の人間の創造性はことごとく潰されていく。
日々何万もの若者が創造者から追従者に転落させられていっている。
映画だけに限らない。
あらゆる芸術に対する多くの助成金制度が存在する。
わたしが日本を脱出するきっかけになったのがこれだ。
日本で国際的に活動しようとすれば、膨大なお金がかかるので
その資金援助を受けなければやっていけない。
だが、それを受けようとすれば、この世の制度とはこのように芸術を育成するよいものなのだという不可視の黙契のようなものを飲み込まざるを得ない。
そして、創造が持つ破壊の牙を抜かれるのだ。
日本や欧米の芸術界は、牙を抜かれた狼の運動場になっている。

彼はよほどこの元型の圧力に屈したのが堪まらなかったのだろう。
その後「エイリアン3」や「トータルリコール」などのSF大作を成功させ、
有名監督の地位を手に入れた後に、
1992年の、カットさせられたシーンを入れた
「ブレードランナー・ディレクターズカット版」や「最終版」を作ってきた。
だが恐らく、それもまだ彼の意を満たすものではなかったのだろう。
1982年の初演以来、25年目になる今年のイタリアの映画祭では、
25年目を記念して、新しい撮影シーンをも加えた
「ブレードランナー・ファイナルカット版」を上映し、
大喝采を受けたというニュースを読んだ。
「MTVを見ていて、ようやく今の時代の感性が
わたしを受け入れてくれる素地ができてきた
と感じて踏み切れた」とスコットは語っている。
人が本当に新しいものを創造しようとするときは、
全世界からの無数の元型の圧力との対決を強いられる。
最初はそれに封じ込められながらも、
何十年もかけてじりじりと押し返し、
25年後にはじめてその圧力を押し返しきった。
スコットは25年かけて、一度は元型の悪魔に売り渡した
創造魂を、もう一度自分のものに取り返したのだ。

創造は、当初は本人にも何なのか分からない
ほんのささいなこだわりとしてやってくる。
なぜだか分からないがこうしたい、これが欠かせないと感じる。
踊りの中でも訪れる。
そのかすかな手がかりを握りしめることだ。
何十年かかるか分からないが、いつかそれが開花し、
現実のものとなって、発芽する日が来る。

わたしにとっても、この9月に湧き上がってきた
「アウシュビッツ」の構想は、わたしのからだの闇で
長い間世界からの圧力に耐えて身を潜めていたものが、
なにかのきっかけで外界に躍り出てきたものだと言う気がする。
この先何年かかるか分からないが、
ライフワークとしてゆっくり創りこんでいきたい。
死者の踊りをせずに、舞踏などする意味がない。
それは自分では分かっていたつもりだが、
その過激さにからだはひるんで、
生徒の前では授業が萎んでしまっていたことを思い知った。

からだの闇のなかで出会うエッジは
いくつ越えても次々と新しいエッジが登場してくる。
後になればなるほど手ごわいエッジに直面する。
とうとう<死>だ。
死のクオリアをいかに制御しうるか。
命にとってこれ以上の手ごわい相手はない。
だが、四つに組むにこれ以上たのもしい相手もまたない。
わたしの命は今、生涯の、
そして恐らくは最後の好敵手に出会ってわなないている。


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2007年9月10日

ピタールの流動覚

ピタールは、父親のロメスとともに
共振塾の料理、清掃、カメラ撮影をこなしてくれる
重要なスタッフだ。
絵が好きでよく描いているが、
ピタールの描く絵にはいつも驚かされる。
絵など習ったこともないのに、ピカソと同じような
立体派的な複数の視点で描く絵が多いことだ。
もともと、近代絵画の歴史で出てきた
一点から見たパースペクティブで描く絵よりは、
多数の視点が混在している把握のほうが
自然な見方なのではないかと思わされる。
学校に行っていないからもともと持っている
クオリア流動覚が壊されずに保存されているのだ。
近代の教育が人間に与えたものと
人間から奪ったものと、
どちらが大きいのか、いつも考えさせられる。

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2007年9月1日

気づきとアイデア

一週間の授業が終わると、
ただちに深い瞑想に入る。
終日は生徒のサブボディに入り込んで、
次に何を望んでいるか、どんな練習をすれば
それが出てくるか、に耳を澄ます。
今月は定員きっかりの10人の生徒がいるから
目先の課題だけで目いっぱい時間がかかる。
だが、一週間の区切りが付くと土日は、目先の課題から
思い切って離れる。
遠ければ遠いほどいい。
これまででよかったのは、
40億年の命になりこむ瞑想と、
ひも共振のひもに成りこむ瞑想の二つだ。
どちらも自己や自我などというせせこましいものに
囚われないまったく自由な気づきを与えてくれる。
日常次元に囚われた視点ではなく、無数の多次元を流動する
意識の変容状態になるのが一番いい。
すると、とてもいい気づきが訪れてくれる。
それまで関係がないと思っていたことの
見えない関係が見えてくる。
(ああっ、あれとこれは同じものを違った側面から捉えていたも
のだったのか、とか、そういえばAもBもCもそうじゃないか)、
とかの形をとることが多い。

毎日読んでいる糸井重里の「ほぼ日刊イトイ新聞」に
面白い記事が載っていた。
糸井と任天堂の岩田社長の対談で、
「アイデアというものはいろんな問題を一度に解決するものだ」
という発言に出会った。
(ああ、これと同じだ。
娑婆の人は、下意識からの気づきのことを
アイデアといっているんだ)と、思い当たった。
わたしも十数年前まではコピーライターだったので
同じ業界にいたのだが、
もうすっかりその世界の用語すら忘れていたのだ。
コピーライターやディレクターの世界では
無限にアイデアが求められる。
だが、当時は下意識に聞く方法など知らなかった。
だから、ひたすら脳髄を追い詰めていた。
四六時中考え続けているとおそらく、
真夜中の25時を過ぎた頃、
思考能力が限界に突き当たる閾値のあたりで
知らない間に下意識モードに入っていたのだ。
アイデアが出てくるときは、自分が考え出すのではなく
どこかからやってくるという形で訪れる。
そのアイデアがひょっこり訪れてくる感じを思い出した。
あのころも考えてアイデア出していたのではなく、
日常状態の脳を極限まで追い込むことで
我知らず下意識モードに入っていたのだと今になって分かった。
当時の意識は、意識の基部に下意識のクオリア流が流れているな
ど知らなかったので、自分の手柄にしていただけなのだと。
実際下意識の世界の旅を続けていると、
意識とは、意識できるものしか知らないので、下意識領域での出来事を
すべて自分の手柄だと捉えていることが実に多いことに気づく。
(なんだか知らないうちにそうなっていた)という感じが伴うものはすべて
下意識の行いを意識が受け入れたことなのだと。

思考の極限を超えると、
脳はツリー状の日常思考の拘束から離れ、
本来のリゾーム状の多次元を流動している
クオリア流に出遭うのだ。
アイデアはそこからやってきていた。

ひとつの次元に囚われていないから、
その次元の問題の解を別次元から見つけることができる。
彼らが「アイデアとはいくつもの問題を一度に解決するものだ」
と言うように、別次元から見ると複数の個別問題が、
同じ原因をめぐって発生していたことがわかるのだ。

じっさい、今朝はサブボディさんから、
これまでにない授業と公演のやり方の示唆を受けた。
とてつもなく面白い。
それは来週末の公演に結果としてお見せできることになると思う。