June 2007
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| 2007年6月30日 ●はかなく、つたなく、しどけなきもの 松岡正剛の千夜千冊のバックナンバーを読んでいると、 懐かしい記述に出会った。 「 もうひとつのことは、ちょっと重大な指摘になる。「千夜千冊」のなかでも十指に入る指摘であろう。 話は「もののあはれ」につながるのだが、いまは切り離して見てもらえばよい。 宣長には、情というものについて、「はかなく児女子のやうなるもの」が本来のものだという確信があった。この確信が画期的だった。『排蘆小船』や『石上私淑言』での独得の言いっぷりをさす。 たとえば、「ただしくきつとしたるもの」は人情の本質をあらわさないというのだ。キッと虚勢をはるのは本質的ではないという。それは世間の風に倣ったもので、宣長には無縁だというのだ。そうではなく、「しごくまつすぐに、はかなく、つたなく、しどけなきもの」こそが人間の本来の本質だというのである。 これは驚くべき思想である。「はかなく、つたなく、しどけない」なんて、まさにフラジリティの根本に迫っている。 」 (松岡正剛の千夜千冊992夜『本居宣長』小林秀雄より) わたしは20代の頃、本居宣長を読みふけっていた時期がある。 そのとき触れた宣長の核心を松岡が引用してくれていた。 ながいこと思い出しもしなかったことばだが、 わたしの底流で流れ続けていたことを思い知らされた。 本居宣長の、人の心の本質は雄雄しさや正しさ、 きっとしたものにはなく、「しごくまっすぐに、はかなく、つたなく、 しどけなきもの」にこそあるということばは わたしの心をわしづかみにした。 宣長の師の賀茂真淵は「ますらお心」と言ったが、 まさにその対極を示した。 20代のわたしはそれに共振し打たれた。 おそらく、自分の中のますらお心で、反戦反政府の革命運動に賭身していた 20歳の頃の傾向と正反対のものを自分の中に発見しつつあったために 宣長のこの思想が響いたのだ。 そしていま、自我や意識ではなく、 下意識のサブボディの世界をへめぐるとき、 その宣長のことばの深い意味が染み渡ってくるのを感じる。 いのちはいつもゆらいでいる。 全世界と共振しているからだ。 クオリアはつねに「はかなく、つたなく、しどけなく」ゆらいでいる。 そのフラジャイルなクオリアのゆらぎにこそ、命の真実がある。 命の中には硬いものもやわいものもある。 自分の中の、きっとしたもの、硬いもの、正しいものは、 そんな命のあるがままのゆらぎを 超自我や、自我の社会的関係意識が硬直させたものである。 宣長はきちんとその傾向をつかんでいた。 彼が取り出した「もののあわれ」とは 生命共振の微細さそのものだった。 松岡の記述は、わたしが忘れていた このことを思い出させてくれた。 |
| 2007年6月27日 ●国家というこころの麻酔薬 先進国の人は他国の死者と共振する力を失った。 なぜか? 長い間、国家に囲われて生きていると、 国家の注ぐ精神への麻酔薬を吸いすぎるのだ。 幼少の頃どんな純粋な魂を持っていた少女だって 国家ボケして醜い日本人に成り下がってしまう。 そういういたましい悲劇を何度も目撃してきた。 国家は、その外側の人間を 自国内の人間より値打ちのないものという扱いをする。 その扱いに慣れてしまって、共振する心をなくすのだ。 その結果、国家の起こす戦争で他国の人の命を奪うことを 平気に感じる感性が育てられている。 3年前のインドネシア津波がアジア各地を襲った日、 わたしはたまたま南インドのチェンナイにいた。 近くの漁村が津波に飲み込まれ一万人以上の人が亡くなった。 宿のテレビに釘付けになってみていたが、 先進国の報道振りに耐えることができなかった。 日本の放送は日本人だけの安否をことのほか大事そうに報じ、 インドやインドネシアの死者のことなど、 命とは思っていない扱いだった。 ドイツの放送もフランスの放送もそうだった。 まるで自国民だけが人間で、アジアの民など、 虫けら以下のように扱っていた。 これはそれより何年か前の南米での事件のテレビ報道に接した 中島みゆきが、やはり同じことを感じてつくった歌だ。 「わたしの子供になりなさい」というアルバムの 最後に収められた「4・2・3」という歌だ。 「この国は危ない 何度でも同じあやまちを繰り返すだろう 日本と名の付いていないものにならば いくらだって冷たくなれるのだろう 」 と彼女は危険信号を発している。 ほんとうに危ない。 この歌を聴いてほしい。 中島みゆき「4.2.3.」 そして、上の写真アルバムをじっくり眺めてほしい。 目を背けたくなるのは当然だ。 でも目を背けても国家があるかぎり戦争は起こる。 他国の人の命をわがことのように感じられるかどうかが問題なのだ。 もし感じられないとしたら、 君の心はどこかでヒューマノイドのように歪んできていないか? それでも人間の心と言えるのかい? 国家から注ぎ込まれた毒が回ってきているのではないか? チェックして見てほしい。 「中島みゆき 4.2.3.」で検索すると、 いくつかの発言がひっかって来た。 その中で、最も的確に捉えていたのが下記の文章だった。 「 曲名の「4.2.3.」は、フジモリ大統領が人質救出のために武力を行使した日付を日本時間で表現したものである。すなわち、それは(一九九七年)四月二三日だった。歌詞をたどると、あの日の朝、彼女はコンサート・ツアーの旅の宿で眠れぬ一夜を過ごし、何気なくテレビのスイッチを入れた。[中継]という文字が画面に出たかと思うと、爆風が吹きつけてきた。 四ヵ月間も見慣れた白く平たい石造りの建物から炎と噴煙が上がる。身を潜め、這い進み、撃ち放つ兵士たち。 誰が何を伝えようとしているかだけでも知ろうとする彼女の耳に届くのは「日本人が救けられました。人質が手を振っています元気そうです笑顔です」という、嬉々としたリポーターの興奮した声ばかり。画面には、担架に乗せられて、胸元に赤いしみが広がる(政府軍の)兵士が公邸から運びだされる姿も映っているのに、それに触れる一言の言葉もない。いらだちがつのり、彼女は歌う。 あの国の人たちの正しさを ここにいる私は測り知れない あの国の戦いの正しさを ここにいる私は測り知れない しかし見知らぬ日本人の無事を喜ぶ心のある人たちが何故 救け出してくれた見知らぬ人には心を払うことがないのだろう この国は危ない 何度でも同じあやまちを繰り返すだろう 平和を望むと言いながらも 日本と名の付いていないものにならば いくらだって冷たくなれるのだろう 慌てた時に 人は正体を顕わすね あの国の中で事件は終わり 私の中ではこの国への怖れが 黒い炎を噴きあげはじめた 4.2.3.…… 4.2.3.…… 日本人の人質は全員が無事 4.2.3.…… 4.2.3.…… 「作詞:中島みゆき」 あの事件を考えるうえで、すぐれた、的確な歌詞だと思う。事件のさなかにあっても事後にあっても、ここまでの言論がマスメディアに載ることはほとんどなかった。 」 (現代企画室 大田昌国) 現代企画室というところでは、ボリビアの先住民の 映画上映などを企画しているようだ。 ボリビア先住民の映画情報を見る 貴重な活動だ。がんばってほしい。 |
| 2007年6月24日 ●生命は死者とも共振する 先進国の人々が他の国の死者と共振する力を失って久しい。 イラクやアフガンで何人死のうと、すべてテレビドラマより 遠い出来事になっちまっている。 まして、ベトナム戦争や、第二次世界大戦の記憶は、夢幻のように かき消されようとしている。 誰だいったい、戦争の悪夢をもう一度繰り返して 一儲けしようとたくらんでいる死の商人とその政治番頭は? そして、その国家を支えているのは誰なんだ? 1967年10月8日に、アメリカのベトナム戦争への支持を 表明しにサイゴンへ行こうとした日本政府代表佐藤首相の ベトナム訪問を阻止しようとして、 反戦派の学生が羽田空港に押し寄せた。 その戦いの中で高校大学の同級生だった山崎博昭が 警官隊に虐殺された。 その前日、首相官邸前で、エスペランティストの 由比忠之進さんが焼身自殺をした。 二人の死は、他国の死者に生命共振し、 個人的生から類的生へ転生した。 戦争を遂行する国家の存在をいつまでも許していてはならない。 それを支持する欺瞞的な市民の自我をも許してはならない。 ここに、由比忠之進さんの肖像とともに、 ドイツ国家によるアウシュビッツの死者、 日本国家による南京大虐殺の死者、 アメリカ国家に抗議するベトナムでの焼身自殺の死者の写真を掲げる。 胸痛む写真ばかりだが目をそらさずに見つめてほしい。 (わたしも胸つぶれる思いでこれらの写真を集めた)。 君の生命はこれらの死者と共振するだろうか? ただ、きみの命に耳を澄ましてほしい。 こういう死を許してはならない。 なかったことにしてもならない。 国家とそれを支持するを許してはならない。 自分の生命に共振する力がまだ生きているかどうか、 かえりみてほしい。 死者と共振する力を失ったらおしまいなんだ。 フォトアルバムを見る ちょうど、今日、 いつも読んでいる「ゆめるぎ」さんのブログでも 戦争の死者について書かれていた。 共振の意を表して、ここに一部を引用させていただきます。 「 累々と重なる死体の写真を見て衝撃を受けたのは、12歳でした。 第二次世界大戦の惨たらしい写真集です。 行軍途中の兵隊は力尽きて倒れ、 屍は腐敗し白骨となり、 侵略しようとした国の土に帰してしまうという 皮肉な写真が映し出されていました。 銃も刀も錆びて朽ち果て これも異国の土になろうとしていました。 累々と積み重なる人毛の山の写真を見たのも、同じ頃でした。 「夜と霧」のアウシュビッツ強制収容所の写真です。 ユダヤ人というだけでガス室で殺されてしまった人達の頭髪です。 何の罪もないユダヤ人は 看守の手の行方が右か左かによって 強制労働かガス室送りかが決まりました。 ドイツではユダヤ人への非人間的行動を認め 繰り返さないための証として アウシュビッツ強制収容所→を残しています。 ところが 日本では 沖縄での集団自決→の文章が 日本軍が関与したことでないことにするために 教科書が書き換えられました。 戦争に対する国の責任逃れとも言える行為です。 」 ゆめるぎさんのブログを読む あまりに少数だけれども、戦争や国家に反対するサイトは存在する。 少数だけれども、共振するたびにそれを増幅していくことで、 やがては世界に響く音響になりうるのです。 5000年かけて、国家と自我と戦争を無化すればいいのです。 5000年かければきっと実現する。 |
| 2007年6月21日 ●加藤登紀子と山崎博昭 そうか、知らなかった。加藤登紀子が山崎の死にささげて歌ってくれていたことを。 加藤登紀子のサイトtokiko.comの「歌いつづる自分史」の第12回に、次のような文章があることを知った。 「 新人賞が決まる直前、私は、銀巴里の先輩、工藤勉さんに誘われて彼のリサイタルにゲスト出演していた。 「さようなら」という歌を、このコンサートで、うたったことを今でも異様なほど覚えている。 そして忘れもしない銀巴里に出演していた67年10月8日の夜、羽田近くの高速道路で学生が一人殺されたというニュースが飛び込んで来た。直接の関係は何もなかったけれど、私は気持ちを抑えることができなかった。 「死んだ京大生、山崎博昭くんに捧げます。」とコメントして歌った「さようなら」。 途中からは涙があふれて、歌えなくなった。その時伴奏のピアノを弾いていた、エミール・ステルンは、私のあふれる涙を両腕で抱きとめるように美しいピアノを弾きつづけてくれた。何の迷いもなくそのピアノに身をゆだねた数分の嵐を今も忘れることができない。 この羽田事件は、68年の佐世保闘争へ、世の中を大きくゆさぶる導火線となった。そして私の人生の流れを帰る大きな伏線でもあった。もちろん、その時には知るよしもないけれど……。」 そういう時代だった。 これから一年半後の冬、わたしたちは大学をバリケード封鎖し無期限ストライキに突入した。 そのころすでに自分のテレビ番組を持つようになっていた加藤登紀子は、京大全共闘代表として、わたしたちを何度も彼女の番組に招待し、好き放題勝手にしゃべらせてくれた。よくもまあ、あんなことが可能だったかと思うが、そういう時代だったのだ。 番組後、加藤は当時作ったばかりの『一人寝の子守唄』を楽屋で歌って聞かせてくれた。 彼女の歌うシャンソン『美しい五月のパリ』は、わたしの20代、30代の頃最も多く無意識に口ずさんだ歌だった。 山崎に代わって、40年後のありがとうを、お登紀さんに伝えたい。 上のビデオは、1967年ベトナム反戦羽田闘争の記録。 高校・大学の同級生山崎博昭はこのデモで警官隊に虐殺された。 内ゲバで死んだ学友辻敏明、橋本憲二とともに、 山崎はわたしの踊りの真の舞い手である。 当時の学生運動のビデオを見る もっと読む |
| 2007年6月7日 「増殖する俳句歳時記」から。 和泉香津子 赤ん坊のかなしみ移る赤ん坊 保育所や小児科の待合室で隣り合わせた赤ん坊の一人が泣き始めると、じっとその様子を見ていた近くの赤ん坊の目が潤み、真っ黒な瞳にみるみる涙がせりあがってくるそんなシーンが想像される。言葉がまだ話せない赤ん坊だからこそ、喜び、怒り、苛立ち、といった感情はストレートに伝わるのだろう。風邪のように、かなしみが「移る」と表現したところに発見がある。夜泣きしている赤ちゃんも抱っこしているお母さんがイライラしているとよけい激しく泣く。赤ちゃんは柔らかい身体全体に感情を探知するアンテナを持っているみたいだ。掲句の中心になるのは「赤ん坊」という初々しい生命体に宿る「かなしみ」という感情だろうが、ひらがな書きのこの言葉に漢字を当てるとしたらどれだろう。漢和辞典を調べてみると「哀」は心に哀れさを生じさせる感情で反対語は「楽」になっている。「悲」はものに感じて心がせつなく思う気持ち、不幸などに遭って泣きたくなる気持ちで反対語は「喜」になっている。赤ん坊の状態を思うと、どちらも当てはまるようにも思うが、「悲しみ」が近いだろうか。今まで母親の胎内にしっかり抱かれていた赤ん坊にとっては一人で寝かされることもかなしみの種なのだろうか。おしめも濡れていない、ミルクもやったばかりの赤ん坊が理由もなく泣き出すのは空漠とした世界に生み落とされた心細さに耐えかねて泣いているのかもしれない。『現代俳句12人集』(1986)所載。(三宅やよい) 毎日訪れている「増殖する俳句歳時記」の今日の句は、 まさしく自我のない赤ん坊が持つピュアな生命共振性を くっきり切り取っているものだった。 誰もが持っていたこの命の共振性を、 いつどのように失っていったのか、 あなたは覚えていますか? 「増殖する俳句歳時記」を読む |