June 2006

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クリオネのからだを見ていると、外界と内界の間で震えるような共振が起こっていることが総て透き通って見える。下意識での出来事も消化管の具合もなにもかも透明に踊って見せること。透明体になるとはこういう存在に転生することなのだ。

2006年6月25日

●共振力を失ったヒューマノイドの地球

奥歯が痛むので、最近土曜日は歯医者に通う。この辺鄙なヒマラヤ山ろくの町に似合わず、近代的な歯科用診察装置一式を揃えているデンタルクリニックだ。よほど儲かっているのか、歯科医師は危険なほど太っている。この国では太ることがステータスなのか。階級によって体格がまったく違う。

そこの近代的な診療ロボットのような器具を満載した診察台に横たわるといつも土方の「金属棒で魂をかき回される」体感クオリアと共振して、私のサブボディは毎回土方の舞踏譜を呼び出して解読をし始めるのだった。それについては「舞踏論7」で書いた。必要なので導入部を少し引用する。

「不思議なことに、歯医者に行くたび、診察台の上に横たわると、土方巽の舞踏譜の一節が浮かんでくる。あの歯科医特有の無機的な設備と土方になんの関係があるのだろう。それが、3度目の今日になって、初めて歯医者の近代的な診察台の装置がなぜ土方を呼び出したのかが突然腑に落ちた。

機械の棒で操作される魂の中心

機械がつくるさびしい関係を告知せよ」

気味悪く光る金属棒で頭の中の魂がかき回される土方の人生体感が、歯医者の診察台の上で味わう微細なドリルだのバキュームだので頭蓋内をかき回される体感にそっくり共振したのだ。

秋田で生まれ、秋田で育った土方が東京に出てきたとき、そこで出会うあらゆるものが、まるで魂をかき回し操作する金属棒のように感知されたのだ。モダンダンスのセオリーも、都会の冷たい人間関係も、すべてが土方にとっては金属棒だった。こんなさびしい人間関係に平気な都会の人間は、すでに機械の棒で魂が操作されているに違いない。

少年期和歌山で育ち、思春期に初めて大阪に住むようになった私も、これと同じ体験をもった。和歌山のあのちいさな海辺の町の暖かい人間関係の世界が人間の世界なら、大阪のこの無表情にすれ違うだけのさびしい人間関係に堪えられる人々とはいったい何なのだ。

金属棒の感触が混じっている奇妙な人間たち――まるでエイリアンの国に紛れ込んだかのような、異邦人体験を味わった。

そしてさらに恐ろしいことには、その後40年も大阪京都で暮らすうち、知らぬ間に私の脳や胸の一部も金属棒にすりかえられていた。

私の母は他人の不幸もまるで自分のことのように感じて苦しむことのできる共感力を持っていたが、都会暮らしを続けるうち私はいつしか心が他人の不幸に共感して動かなくなっていることに気づいて驚いた。

今の社会とは人間をヒューマノイド化してしまう装置なのだ! わたしが日本を脱出してヒマラヤに移住した最大の動機はたぶんそれだったことに今頃になって気づいた。」

 

今日はそこからさらに遠くへ思いが伸びていった。

 

局部麻酔を打たれ、診療が終わると奥歯が一本根から抜かれていた。日本にいるとたぶん脳みそに麻酔を打たれて心が抜き取られていくのだ。そして、コンピュータやテレビのデジタル情報にだけ反応するヒューマノイド人間に変成していく。だが、一億人が一斉に変成し続けているから誰も気づかない。日本だけではない世界中の何十兆もの人々が一斉に変成していっているのだ。

 

●インド洋津波とヒューマノイドテレビ

一昨年のインド洋で大津波が起こった翌日私は南インドのチェンナイという町に着いた。当時病んでいた神経症を癒すために海辺で泳ぐつもりだったのだ。だが、海辺の町はおびただしい死者の埋葬と救援活動でひっくり返り、すべての海辺は閉鎖されていた。

チェンナイのホテルのテレビに釘付けになった。なにか私にできる手助けはないかを探した。だが、外国人の私にできることなど何もなかった。連日テレビでは世界各国のテレビが衛星放送でニュースを報じていたが、その内容に驚いた。日本のテレビは日本人の、ドイツの放送はドイツ人の、フランスはフランス人の死者や安否についてだけ必死の声で放送し、その何千倍もの死者を出しているインドネシアやインド人の死者については一顧だにしなかった。まるで自国民以外は虫けらか埃に過ぎないかのように扱うヒューマノイドテレビが先進国の先進国の人々の心に日々働きかけている。こんな毒を毎日吸わせられていたら、先進国の人間がすべてヒューマノイドになってしまうのも当然だと思って愕然とした。

日本人では私の知る限り中島みゆきが、津波ではないが別のテロ事件の報道について感じた同様の危惧を表明している。「私の子供になりなさい」というアルバムの「423」という長い曲で、自国民だけを人間扱いする報道に対し「この国は危ない」という警鐘を発している。わたしが何十年も彼女の唄を聴き続けているのは、こういう本当の人間の声が聴けるからだ。

ヒューマノイドの国のヤポノイドたちよ。そこにいすぎては危ない。すっかりヒューマノイドに変成してしまう前に、ヒマラヤに来なさい。人生編み直し可。今から生き直すのだ。

日本はもはや日出ずる国などではない。アジアきってのヒューマノイド=ヤポノイドに変成させられる監獄島なのだ。

アジア一豊かなモノに囲まれて騙されて、もうだれも自分の自全にさえ気づけなくなっちまっているじゃないか。人としてのほかの国の人の不幸に共振する心さえなくしてしまっているではないか。

ヤポノイドたちよ、その島を出よ。最後の気力や体力まで奪われてしまう前に。

2006年6月20日

生命論から肯定論へ

生命についてからだの闇に聴きこむ作業を続けながら、いろいろな心身障害に苦しみながら生きている方たちのサイトをずっと毎夜訪問し続けてきた。そこにもっとも深い真実が口をあけて存在しているからだ。健康な人のサイトは面白くない。どんなことを書こうとそこには、自我の恣意的ないい加減さが漂う。それに引き替え、心身を病む人たちは必死だ。必死に直ろうと七転八倒している。それがどんなにみっともなくとも、そうでしかありえない人間の本当の姿がある。やはり人間は苦しみに直面したとき真実の姿を搾り出すようにして生き始めるのだ。

 

そんな中で、私自身も本当に何を一番生きたいのかが、すこしずつ明らかになってきた。長年いつも一番自分のしたいことをしたい場所でしたいやり方でやるということを追求してきた。そして、毎年少しずつ微調整して、本当にやりたいことに中の核心にじりじりと近づいてきた。今年になって、舞踏論から始まり、共振論、肯定論と急速になんかが私の中できりきり舞いしながらさらに微細なやりたいことの核心に舞い落ちていった。今日書きなおすことができた、サイト冒頭の『サブボディとはなにか』という短い文章に、それを結晶させることができた。

 

とうとう本音の中の本音に触れることができ始めた。いよいよ俺という生存も、序破急の<急>、鮮深響の<響>に接近してきた。還暦を前に、この地点まで来ることができたことがうれしい。俺は自分の人生に嘘をつかなかった。20歳の頃に抱いたもっとも美しい、もっともウブな私の理想をきちんと実現できるとばぐちにまでこぎつけた。

あとはもう潮まかせ、風まかせでいい。タオの流れにのったのだから。

2006年6月9日

生命とはなにか

生命とはなにか?

いよいよ、このもっとも深い問いへ向かって坑道を掘るときが来た。これまでも、生命がもっとも深い謎だった。だが、いったい、生命にどう取り組めばいいのか、長い間分からなかった

この間のヒマラヤ体験と、舞踏学校の経験のなかで、すこしばかり、そのとっかかりをつかむことができた。といっても、わたしではなくサブボディさんが見つけたものだ。

サブボディさんが見つけたのは生命に至るみっつの坑口だ。

①生命はゆらいでいること

②生命は共振していること

③生命は原生感覚によって触れられること

いずれもほんのヒントでしかないが、これだけヒントをもらえれば誰だって旅立てるというものだ。

その一つめのとっかかりから、書いていこう。

ひとつめのとっかかりは、生命とはいつもゆらいでいるという感触だ。

生命を聴くという瞑想を毎日続けてきた。生命とはなにか、私の中のどこにあるのかも分からないまま、命に耳を澄ませてきた。

何年か続けているうち、自分の中でなにやらいつもゆらいでいるものの気配が感じられるようになってきた。このゆらいでいるものの気配こそ生命からやってくるものではないか。おぼろげだが、このゆらぎに聴き入っていくとなにかつかめるかもしれない。そう思ってからは、毎日生命ゆらぎを聴くという瞑想を続けてきた。

私の瞑想の仕方は、いつも腰を回したり、からだをその日のもっともきもちのよいやりかたでゆらがせながら、からだに聴き入るというものだ。からだを止める古典的な瞑想法とは異なる。それはわたしが踊り手だからだということもある。からだをわずかにゆらがせていると、もっともいいからだの状態になりやすい。からだのいい状態とは、いろんな動きが次から次へと出てくる超流動状態のことだ。磁石の超伝導状態のようなものだ。動きの発想が出てくるのに何の抵抗もなくなる状態が時々やってくる。そのやってきかたを観察しているうちに、いまのゆらぎ瞑想の方法にたどり着いた。


2006年6月7日

 

●二大お気に入りサイトが衣替え

 

ヒマラヤから毎日読むサイトの一つ、糸井重里の「ほぼ日刊イトイ新聞」が8周年を迎えた。ホームページとしてのあり方を考え直し、解体し立て直すという。楽しみだ。元はといえばこの「サブボディ舞踏スクール ヒマラヤ」を去年の秋始めたときは、ビジュアルをブライアン・グリーンの、「エレガントな宇宙」を参考にして組み立て、記事内容のつくりかたは、真ん中に毎日更新していく欄をもってくるという「ほぼ日」のやりかたを途中から取り入れた。

作る前はもっとリゾーム的なイメージがあったのだが、つくり進める半年のうちにさまざまな縦穴、横穴が貫通して十分リゾームになりつつある。それなりに満足できるものになってきたところだが、まだサイトとブログの最適関係がつかめない。だから、「からだの闇を掘る」で、同じ内容、デザインでブログとホームページの使い勝手や機能性の微細な差異をつかむ実験を始めた。「ほぼ日」は<ゴキゲンを創造する、中くらいのメディア>をめざしてきた。ここはちいさな、だが深い穴を振る場所だ。だが「ほぼ日」が大改造するとなると、たぶんこちらも大きな影響を受けるに違いない。糸井重里のことだからきっと面白いものに仕上がるに違いない。いまから楽しみだ。

もうひとつ、毎日訪問するのが、詩人清水哲男の「増殖する俳句歳時記」だ。こちらもちょうど10周年を迎える。10周年を契機に予定通り終わり、秋から新企画を発進させるという。清水さんの一行の時評を読むだけで、日本のことが分かる貴重なサイトだっただけに、すこしさびしくなるが、こちらも秋からが楽しみだ。

2006年6月6日

●この世のありのままの姿

 

この世界の本当の姿とはどんななのか。ひも理論が言うように総てのものが極微のひもの共振パターンからできているとして、そのひもは実際どのように振動しているのか。

11次元で共振しているスーパーストリングの動きにサブボディが迫る。

今日からはじめた「サブボディ アートギャラリー」では、11次元の謎に可能な限り2次元の絵画で肉薄しようとしてみた。

 

でもこれを書いているのは、実際に微細多次元を含む11次元で共振しているクオリアそのものであるサブボディが書いたものだ。だから、何がしかは本当さを含んでいるはずだ。

 

この世をありのままの姿で見る、透明なまなざしを得る、というのは2000年も前にできた仏教の基本的な考え方だ。 

2000年経ってはじめて、仏教者以外のものも、その視点の重要さに気がついた。仏教者以外のものとは、ほかでもない私のことだ。

 

私は仏教から多くのものを得ている。だが仏教者ではない。

この問題についてはいまだによく考えきることができないままだ。

いましばらく保留しておくしかない。

タオからも多くを得ている。だが、タオイストではない。

この問題もまた、考え切れていない。

ただ、私は総てをからだの闇に聴く態度を貫いている。

 

サブボディ者なのだ。

サブボディ者とはなにか。

サブボディに起こることだけを信じるもののことだ。

意識に起こることには間違いが多い。

取り違えや囚われ、こだわり、思い過ごし、……。

サブボディは考えずただ共振する存在だから、意識の陥るそういう錯誤から自由だ。

たぶん、何も信じようとしなかったわたしが、唯一信じられるものとして出会ったのが、サブボディだったのだ。

2006年6月3日

●インドラの珠網

西宮紘の『多時空論』という本に、インドラの珠網についての解説がある。

ひも理論そっくりの発想だ。少し、引用しよう。

「華厳宗十玄門の一つに因陀羅網境界門という法門がある。因陀羅すなわちインドラ神の住む宮殿の大広間には、無数の宝珠をその結び目に連ねた網が掛かっている。このインドラの珠網の一個の珠にはすべての珠が映っており、その映っているすべての珠の影の一つ一つに総ての珠が映り、あるいは一個の珠は総ての珠に映る、というように無数の珠は重々交映している。そして、このインドラの珠網のように、生起する総ての現象は互いに映じあって無限であるというのである」

珠をひもに置き換えれば、まさに、ひも理論が推測する宇宙の成り立ちとそっくり同じことを予言している。

これを予言したひとは、人間が感じるクオリアの仕組みについてよほど深く踏み込んだに違いない。クオリアについて探究すればするほど、この<重々交映>という関係が浮かび上がってくる。

クオリア共振の世界は、主語述語、主体客体といった区分のない世界だ。共振はどちらが主体ということがなく、ただ同時に生起する。わたし達がなにかの光景を見て感動するとき、その光景からの光が先にあるのでも、私たち自身が先に存在するのでもない。光が届いた瞬間にただ同時に共振は起こるのだ。このことの真実の深さが分かるまでずいぶんかかる。主体客体という自我の陥っているとらわれから解放されるのは並大抵のことではない。

ただ、透明になれ。
自分の中で起こっていること総てを認めること、総てのサブボディとともに踊ること。それがどんなに妖怪じみた見掛けをしていたとしても。自全の中で起こっていること、自全と世全の間で起こっていること総てが、透き通って見えるからだになれ。

透明な心身になれたとき、この主体なき共振の美しい世界が君の目に映る。

サブボディスクールは、透明になるための修行の場なのだ。

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