July 2007
| 2007年7月31日 ●ロベルト・マッタと異次元開畳 夢は異次元開畳する。 サブボディ舞踏も異次元開畳する。 異次元を描いた画家は多いが、 異次元開畳そのものの現場を描いた画家は わたしの知る限りロベルト・マッタが筆頭だ。 いくつかの絵を紹介する。 だれもが思い当たるだろう。 こんなふうに異次元が次から次へと開いていくように ひとつの夢は別の夢へ移っていく。 夢はリゾーム原理で動いている。 命が営んでいるクオリアの多次元共振の世界は 無限の創造性に満ちている。 サブボディ・メソッドはこの下意識の世界の 展開原理を捉えることによって形成された。 これさえすれば誰でも自分の下意識の 無限の創造性を発揮できる。 世界で唯一無二の創造者として生きるのだ。 |
| 2007年7月7日 ●生命の欲動を聴く からだの闇を歩こうとすると、欲望や欲動、 フロイドがリビドーと呼んだものを避けて通ることができない。 サブボディスクールでは、からだの闇に耳を澄ませ、 微細なクオリアを見つけて踊りに増幅していくことから始めるが、 その場合でも、比較的扱いやすい体感、運動、映像、 音像チャンネルから始め、 そのチャンネルのクオリアをコントロールするすべを身に着けてから、扱いにくい情動や感情チャンネルに進む。 欲望はさらにそれより扱いが難しい。 人をまるごとわしづかみにして連れて行く力を持っているからだ。 情動を制御できるようになってから、1年コース以上のクラスで はじめて取り組むことにしている。 だが、その準備は今から始めなければならない。 自分にとっても難しい領域なので後回しにしてきたが、 とうとう欲望について取り組まねばならないときがきたようだ。 意識の下部、からだの闇深くでは、 暗く不透明な生命の欲動がうねり、とぐろを巻いている。 欲動は八つのチャンネルに表れる分別界のクオリアよりも はるかに多次元流動的で、分節的なことばでは捉えがたい。 からだ全体でその欲動になりこみ 感じ取っていくしかないものなので、 なかなか文章になどできない。 ことばにしたとたんにうそになることが分かる。 だが、なかには、微妙でことばにしにくいことを うまくことばに置き換えている人もいる。 そういう人との共振を通じて、 少しずつことばにしていく道を見つけていくことができるかもしれない。 松岡正剛『千夜千冊』第三百二十六夜 ルイス・トマス『人間というこわれやすい種』に、 生命について微妙な深く共振する記述があった。 ニューヨークの癌センターへルイス・トマスに会いに行く話から始まる。 「 2度にわたった対話で印象に残ったのは、トマスが地球上の全生命は一つの生命によく似ているんじゃないかと見ていること、「私というアイデンティティ」がかなりあやしいものだと見ていること、ヒトは植物と共生しているんじゃないかという見方、……などだった。 」 このくだりでこのトマスという人が命について 根源的な思考をしている人であることが分かって好感を持った。 そして、次のくだりだ。 「 では人間という種は何をしようとしているのか。 トマスはそこを考える。そして次のように綴る。 ヒトを本性の深いところから衝き動かしている特徴は、役にたちたいという衝動であり、たぶんこれは私たちのあらゆる生物学的な必然性のうちで最も根本にあるものだろう。 私たちはこの衝動の使いかたを間違え、意味をとりちがえ、これを自己愛と混同し、さらにこれを欺こうとさえする。しかしこれは私たちの遺伝子のなかにあるのだ。 このメッセージには、「人間はフラジャイルである」ということと「人間は自分以外の何かの役にたちたい」ということとを、ダイレクトにつなげたメッセージである。わかりにくいといえばわかりにくいかもしれないが、そこがルイス・トマスの独壇場なのだ。 」 トマスが触れている「ヒトを深いところから衝き動かしているものが、<役に立ちたいという衝動>でり、たぶんこれはわたしたちのあらゆる生物学的な必然性の上で最も根本にあるものだろう」 ――この一節が深く心に食い込んだ。 この<役に立ちたいという衝動>について、 これはいったい何なのだろう、と瞑想した。 からだに聴き、命に聴いた。 それは類への衝動なのだ。 ――命はそう答えてきた。 トマスのいう<役に立ちたいという衝動>は、 わたしがこの間取り組んでいる 生命と自己の関係という文脈に落とせば、 個としての自我の欲求ではなく、 個が類としての生命全体に対して、何かをしたいという 衝動なのだというつながりが浮かび上がってきた。 個の命の中には、自己を繰り広げたいという欲望だけではなく、 類に転生したいという願望がある。 それが役に立ちたいというかたちで現れるのだ。 ドゥルーズは「自己を繰り広げすぎないこと。 差異や多様性を肯定すること」という未来の倫理を述べた。 その向こうには類としての命という地平が拡がっている。 そこは従来宗教の領分だった。 仏教の利他という思想、慈悲、コンパッションもその衝動の表れだろう。 キリスト教の愛もそうなのかもしれない。 それらの宗教はこの傾向を宗教的な到達目標や、 倫理的な当為へと祭り上げてしまったが、 そうする必要はどこにもない。 命のかすかな傾向性に耳を傾けていると、 ただの命に個を超えて、類へ向かおうとする かすかな傾向が息づいているのが感じられる。 命には宗教的な境地や、 スピリチュアルな上空へ行く必要などない。 ただの命それ自体に、個を超え類のために創発していく 傾向が備わっているのだ。 そういうものを感じているのはわたしだけなのだろうか。 だれもそれを感じると指摘しないのは、 自我が強いとその命の微細な傾向性がマスキングされて 聴こえなくなるということなのではないか。 この暗冥かつ微妙な課題をめぐっては、 安易に何かをいえそうもない。 わたしのトラウマである、母を拉っし去った 宗教への憎しみにも触れ、ちりちりと傷み出す。 ケン・ウィルパーに代表されるような、スピリットを実体化し、 リベラルな神と結び付けようとする現代の神学ツリーを 再び解体しなければならないという課題がわたしをせっつく。 闇は深く、時は短い。 ここしばらく、さらに命に聴く瞑想と からだの闇に坑道を掘る作業を続けていくつもりだ。 |
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