December 2007

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2007年

2007年12月25日

山田詩を読む・異次元世界の歩きかた

去年日本へ帰ったとき、
いつも居候させていただいている山田さんから
『ポヨン』と題する新しい詩集の草稿をいただいた。
この冬また日本へ帰る段取りをする時期になって
読み返してみた。
すると、この一年共振塾でやってきたこととの
面白いほどの共振性が立ち上がってきた。
そうかあ、わたしがからだで掘ってきたサブボディ世界を
山田さんは言葉で掘り続けていたのだ。
そう合点した。

山田詩については去年の8月に
第一詩集『惑星ごっこ』について感じたことを
書き記した(参照)。

そのとき気づいたことが二つあった。
第一点は、きがかりやこだわりを感じることは
何年でも握り締めてかみしめ続けていればいい。
時間がたてば分かる日が来る

―というものだった。
山田さんの詩にはときどき
ひらがな表記とカタカナ表記がぶれて混じる独特の言葉が出てくる。

「かラからと鳴った」
「かシッと噛みしめる」
「ブいぶい呻きながらのぼる」
「もうひとつの手の指をソろっとおなかに入れ」
....の類だ。
最初25年前に読んだときは「なんじだこれ?」と違和感を感じて
うまく受け取れなかった。
自我と自我がこすれあい、違和感だけが感知される、
そういう具合だった。
だが、25年間その違和感を抱きしまたまま山田さんと付き合い
25年ぶりに詩を読んでみると、いつの間にか違和は消え、
「かラから」も「かシっ」もその表記どおりの
微細なクオリアのゆらぎとともに受け取ることができるのに気づいた。
そうだろう、ここは「かラから」じゃなければ
ならなかったんだろうなあ、と感じた。
わたし自身が自分の自我の尖りが世界理解を妨げていることに気づき
それを寛恕させる時間が必要だったのだ。

去年気づいた第二点目は、詩の一番おいしい読み方は
詩句にからだごと成りこんでそのクオリアをからだで味わう
という極意だった。
これはここ十数年の舞踏の訓練のたまものだった。

「立てた親ゆびが
ますます反りくりかえってしまう
元に戻そうとしても戻らない
....
とんでもない始まりか破局だ
とでもいうようにまたさらにのけ反っていく」

わたしもそのように極限までのけぞってみる。
からだで味わうと、その詩の
世界像も自己像も同時に味わえる。

水俣病やダウン症児のからだの苦しみや喜びを
味わうにはそのゆがみになりこむことだ。
わたしは世界中の死者、不具者、障害者のからだに
成りこむ旅を続けてきた。
ゆがんだからだにはゆがんだからだにしか味わえない
独特の世界がある。
その固有性を理解せずに同情だけするのは
健常者の狭い傲慢だ。
なにも五体満足なだけが人間ではない。
人間はすでに多様性をもって生まれてくる。
その多様性のすべてを肯定し、
楽しみ味わえ会えばよいだけだ。

山田さんは、数年前に脳梗塞で半身片麻痺のからだになった。
不自由には違いないがそのからだと付き合いを深めると
そのからだでしか見えない独特の世界像=自己像が見つかる。
この新しい詩集草稿『ポヨン』で示されているのは、
その新しい宇宙像=身体像だ。
ひとつの固有の夢から開かれてくる世界をくまなく辿っている。
奇しくもその世界は、ヒマラヤで私が追求している
サブボディ(下意識のからだ)の世界と瓜二つだ。
サブボディとドリームボディは同じ命から出てくる
兄弟のようなものだ。
わたしがからだで追求してきた世界を
山田さんは言葉で追求してきた。
その場で消える踊りと違って、ことばの利点は後々まで残る点だ。
サブボディ・メソッドで読み解くと、
『ポヨン』は<異次元世界の歩きかた>とも言える
サブボディ=ドリームボディ世界への格好のガイドになる。
下意識世界に入るための、いくつかの坑口(坑道の入り口)が
きわめて明瞭にとり出されている。
われわれも山田詩に沿ってその世界へ入っていこう。



異次元世界への坑口① 形態変容

ポヨンは、一連の夢から始まる。
ゆめのなかで母親から車の鍵を受け取り、
車に向かう。

「車は子ネズミくらいの大きさでコオロギみたいな生きものだった」

わたしが近づくとそいつは
節足動物の身軽さでひょいひょいと逃げ出した。
わたしはそいつを台所まで追いつめる。

「ネズミといってもいいけど
その姿はまるで雲古の形というのがもっとも似ていた
その口におフクロがもってきてくれた鍵を差し込み右に回した
そのときそいつは嗽いするように喉をひくつかせ
胃カメラのように呑みこんだ」

「あんな生きものはみたことがない
...
大事なことはこの夢でポヨンと名づけるつもりの
奇怪なものと出会った
または手に入れたということである」

まさしく、山田氏はこのとき畢竟の盟友と出会っている。
ポヨンとはほかでもない山田さんの<ドリームボディ>、
=<サブボディ>そのものである。
終生の友とも敵ともなれる相手と。
要するにもうひとつの異次元世界の坑口を見出したのだ。
誰の人生にもこういうことがときたま起こる。
その世界へうまく入り込む方法を見つければ
そこが無限の創造性に満ちた宝庫であることが分かる。

『ポヨン』には、異次元世界を歩くとき、
覚えておけば役に立つ指標がいくつか登場する。
それはそこに下意識世界への坑口が開くという
目印のようなものである。
ひとつめの坑口は上の引用部分にもでてきた

車―ネズミ―コオロギ―雲古

という形態変容である。
誰の夢、誰の下意識でもこれが起こる。
夢の材料となる内クオリアが共振して震えているからだ。
クオリアとは命が感じているものの全てをさす。
感覚器官を通じて外界からそのつど得られる外クオリアに対し
命の内部に長期記憶として保存されているものを内クオリアと呼ぶ。)
そこは日常世界とはまったく別の法則が支配する世界だ。
それは人類の遺伝子に刻み込まれている。
こういう形態変容が起これば、ああ、いまから
異次元世界へ入ってくのだなあ、と楽しめばいい。
訓練をつめば目覚めながらその世界へ入ることもできる。
全ての芸術家は醒めて異次元世界の夢を見る達人だったのだ。


異次元世界への坑口② 体感変容

もうひとつの坑口は、類似した体感同士がつながっていることだ。
夢は本当は体感チャンネルで見ている。
近代的な意識にとっては視覚映像チャンネルが優先されているので
意識されにくいが、生命にとっては体感チャンネルのほうがもっと深い。
上の引用部分でも、視覚的形態だけではなく
なまめかしい体感がうねる。
「その口におフクロがもってきてくれた鍵を差し込み右に回した
そのときそいつは嗽いするように喉をひくつかせ
胃カメラのように呑みこんだ」

あるいは、

「ポヨンは鍵穴そのものかもしれない
人のからだには鍵穴のようなものが幾つかあって
そこにキーを差しこむとあーんと口みたいに開いて
ずるっとキーは奥まで達する
するとからだは震えだしやがて回転をあげていく
さあポヨン…」

なまめかしい官能的な体感だ。
セックスのような、あるいはそれ以上のなまめかしい生きた世界と
のっぴきならない交合をするときのような体感だ。
この体感変容こそ夢の世界のもっとも普遍的共通言語である。
こののちもこれがしばしば登場し、
どんどん異次元が開畳されていくのをみるだろう。


異次元世界への坑口③ 動体感覚

体感と並んで動いているからだ独特の
動体感覚も異次元への入り口になる。

「やっとキーを入れるところまで追いつめると
ポヨンの豹変に驚いてしまう
脚の痕跡など無くなってうずくまってしまうのだ」

「ポヨンに揺られてひょいひょいと運ばれる私が
車を運転しているようなつもりになってしまうのは
どういう分けなんだろうか
それがとてもいい気分で同時に車酔いの前のように
平衡感覚が変になってしまったりする時もある」

車を運転したり、性交したり、酔ったり、踊ったりするとき
私たちは異次元の入り口に差し掛かっている。
とくにいい気分になるというのが特徴だ。
そのとき私たちは気分がよければ
理屈に合わなくてもどうでもいいという気持ちになる。
踊るからだが異次元とつながっているのはそのためだ。
注意すれば普段呼吸するときも、寝入る瞬間にも
この心地よさを味わっている。
別世界への坑口はどこにもあるのだが
近代的な意識は大股でまたぎこしてしまいがちだ。
この詩集で扱われているような微細な体感や動体感覚に
気づけるようになるには長い訓練がいる。
その微細な世界に入るも日常世界にとどまるもきみ次第だ。


異次元世界への坑口④ 世界=自己変容

山田氏は片麻痺によって、
天気や気圧の微妙な変化を命が敏感に感じ取って、
過剰な防御反応をからだに惹き起こしてしまう
異変に苦しめられるようになった。
いくつかの詩篇でそれが捉えられている。

「言葉も記憶も
ちゃんと残ったのはよかった
けれど低気圧が海上を移動するのさえ
なぜ脳幹は察知してしまうのか
第二次(視床下部)中継点から皮質へ
過剰に処理された情報がとどけられ
あるいはありもしない情報が送りこまれ
防護のための過剰な指令が発信される
麻痺の半身は筋肉を硬め軋ませる
腕も掌も指も背も瀕死の魚たちを閉じ込めた網さながら」

命はこの用心深さがあったからこそ
40億年も生き延び続けてこれたのだ。
ひとたび生死の危機を体験した命は、
それに似た信号をキャッチするたびに
過剰な反応で身を守る。
わたしもインドでの神経症でこれを知った。
これはもう命がすることだから仕方が無い。
意識でそれを捉えても止められはしない。
ただ、命の神秘に触れて感嘆するしかない。

「もっとも脳幹のみの古い生命は
それをしも察知しなければならなかったはずである
目ばちこを出しながら
自転車で駆けずりまわっていた少年が
あの氷スイカを察知したように」

これを知ることによって私たちは、
幼年期の虐待や暴力のトラウマに苦しめられ、
解離に苦しむ人を理解することができるようになる。
そして、不用意にトラウマを与えない人に成長することができる。
この世には自分の自我を抑えられずに、
他人の命を傷つけてやまない人があまりに多い。
でも自分が不治の病になったときだけは気づくチャンスがくる。


異次元世界への坑口⑤ 異次元開畳のしかた

異次元が開くときは一種独特の開け方をする。

「そこにピンポン玉ぐらいの大きい蜘蛛が下りてきたなと見ていると
それが弾けて数え切れない数の蜘蛛の子が壁一面に四散した
蜘蛛の子を散らすというのはこれなんだ
一瞬の光景 みごとな現前だ
まるでそこはマジシャンのステージだった」

そうなんだ。
夢の異次元はいつもこういう見事な開き方で出現する。
この夢の異次元開畳の極意に学べば
いくらでも面白い舞台を創ることができる。
小説や詩の世界の展開もうまくなる。
誰の下意識の夢の世界もこういう創造性に満ちている。
降りていけばいいだけなのだ。

あるいはまた、次のようなひらけ方をすることもある。

「蜘蛛がポヨンにもっとも似ている ネズミではなくて
巣を走るようすから気づいた
ことに乗り心地とか…
(ポヨン=徐々に判明するはず)」

この最後の<徐々に判明するはず>という
時間性を持つのも特徴のひとつだ。
ポヨンがすでに車や生きものだけではなく、
母や幼年期の時空や、もっと深いものとも
遠く共振していることが暗黙裡には感じられている。
だが、まだ言葉にはならないという段階がある。
異次元が開畳するときには必ずこの段階を通る。
これが、<徐々に判明するはず>という独特の時間性だ。
うまい小説家や劇作家はそれとなく複線をしのばせる。
複線のテクニックが生きるのは、
この<徐々に判明するはず>という時間性による。


異次元世界への坑口⑥ 独特の指標

ひとつの異次元が開畳するとき、
それ固有の独特の指標から始まることがある。

『ポヨン』の中でもいくつかそれが現れる。

「うどん屋と豆腐屋は揚げで繋がっているのだ
うどん屋と神社の繋がりは分からない
生田の森とこの話は湯気と一緒に現れる」

ここでは湯気が指標となっている世界が登場する。
次は氷スイカだ。

「煤煙の帯が街の空を覆い
暑さは灰とともに人の上に被さってくる
自転車で走ったこの街の夏は
大盛りの氷スイカといっしょに現れる」

さらに、蝶骨。

「年に一度 登行のつもりだった武奈岳のみち
いくつかのコースが絡んで
蝶骨の入江に沈んでいる
それをたぐるだけで
燃える紅葉も雪の沢も風も水も岩も浮上してくる
いまこそ満ち足りた登行
失ったというよりも得たというべき」

もう登山できなくなったからだになってはじめて
命に保存されている内クオリアの
つながりの使い方に長けてくる。
蝶骨(=骨盤の腸骨)と仙骨の間の仙腸関節には
日常世界では忘れられているが、獣の動きにかえらねばならない
登山や闘いのからだの記憶が沈んでいる。
それをちょっと活性化するだけでいくらでもその世界に
入ることができる。
「失ったというより得たというべき」
というのはまさにその通りなのだ。
わたしも共振塾の授業で日常体が忘れているこれらの隠れ関節を開くと
ずいぶん多くのサボボディが生徒のからだの闇から出てくるのを見た。
からだを使わない山田さんがまるでユングの共時性のように
この隠れ関節の秘密を解いていたのには驚かされた。


異次元世界への坑口⑦ 母という結節点

からだの闇にはさまざまな多次元世界があるが、
それらが繋がる最大の結節点がある。
母親というクオリアだ。
山田氏のポヨンも、繋がりを追い詰めていくと
母にたどり着く。あるいはすべてが母から発している。

「鍵を持ってきてくれたのはおフクロだった」

「母がキーをもってきてくれたことについて
少しずつ気になりだした」

それから母に何かをねだって、斧で追いかけられた記憶に繋がる。
そして母の死。

「病室にはいると近親のものたちはほぼ集まっていた
ベッドを囲んで息をつめて見まもっている
進行していく有様 もう止めようもない成り行きだ
母のからだは生きたまま死に侵されていた」

「口にも鼻にも何本かの管が差しこんであった
母の手が動いた
管を外そうとしたようだ
 
 これはまるでポヨンの姿だ」

「その母は痕跡でしかない
ポヨンは痕跡でしかない母を乗せて
全て私は痕跡でしかない母に乗って」

そうだ。
ポヨンとの旅は必然的に母との旅に繋がる。
母の前で私たちの全てのクオリアは
胎児期の自他一体のクオリアに溶け込む。
そこが無数の異次元の入り口になり、
出口にもなるのは必須なのだ。


異次元世界への坑口⑧ 非時の次元へ

命が保存するクオリアは
時を超えて永遠に輝き続ける。

「そんなとき歌が聞こえた
...
聞き覚えのあるヒゴサヒゴドコサ…
おかっぱの少女三人(おかっぱに違いない)
....

わたしだけの夕焼けのにおうようなその場に
少女が鞠を突くその場に
私は居合わせる

なくなったものこそ在りつづける
それはわたしのなだけのこととは限らない
それが本来ポヨンなのだ フムフム」

命の蓄える内クオリアは時を超えて存在する。
その異次元世界にはいれば
わたしたちはいつもいまこことは別の光景の前に
居合わせることができる。

私たちは問う。
ここはいったいどこなのだ。
私たちはどこで生きているのか。

ポヨンは自ら変容しながらさまざまな世界に導いてきた。

おフクロ―鍵―車―ネズミ―コオロギ―雲古―蜘蛛―母―性―
幼年期時空―カエル―湯気―氷スイカ―原生生命感覚―手毬歌―蝶骨―山―海―蛸

最後の詩篇「毛さんの海」では、蛸壺から半身をずり出して
腰まで海にさらしている蛸のからだに同期していく。

「脚は遠くまで海を捉え
海の内側の丸味を撫でて
これっぽっちとは信じがたいと感じる
たくさんの吸盤は内側の見えもしない空を
ゆらゆら踊りながら見まわし
揺れて動いているともいえないのに
少しはゆれうごいているというしかないかと
戸惑いながら浸っている

そんなふうにそらはいつも気配に満ちていて
蛸は嘴と肛門と性器がいっしょにくっついた
脚のつけ根をずり出して腰まで海にさらして冷やしている」

これはもう衰弱体の極みの身体像であろう。

「けれど蛸にとって
じつに探索した海は
蛸壺のうちに満ちている
そこに蛸は浸って踊っていて
脚の疣は海とも空ともつかない信号を送る
蛸にも視床下部らしき核があって
虚ろな信号はまともな信号につくりかえられる
虚ろな信号は送るのが難しいので
太古の海のなかで 蛸にも
まともな信号を送るように決められているらしい
まともな信号を送るように…」

生命が保存する内クオリアは
虚ろな信号とまともな信号の間でゆらいでいる。
ゆらぎはときに生命を助け、ときに不都合をもたらす。
何が虚ろでなにがまともかは生命には分からない。
ただそのゆらぎの中で生命は創発する。
そのゆらぎの変異がこの『ポヨン』詩群という
異界探索の労作を生んだように。

命が秘め持つ内クオリアの異次元世界は、
うまくそこに出入りする方法を知れば
無窮の創造性の宝庫である。
誰もがその世界を持つ。
山田詩はその世界の歩き方を示したのだ。



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2007年12月22日

フォーカシングから学ぶ

ユージン・ジェンドリンが創始したフォーカシングは、
近年ずいぶん深化・展開されていることを知った。
わたしは日本にいたころ、初期の「フォーカシング」と
「夢とフォーカシング」を読んで学んだだけだったが、
今はサイトで、彼の主要論文が読めるようになっている。
日本語への翻訳も随時進んでいるようだ。

そのなかで、注目は、
「暗在性の哲学」「辺縁で考える」、そして、
「無条件の肯定的関心」の三点だ。

「暗在性の哲学とは、言葉になる以前の何かに関する哲学と説明されている。
言葉以前の何かとは、まさしくクオリア流動の世界に他ならない。
ジェンドリンのフォーカシングとは、クオリアの変容流動そのものに
フォーカスする技法だったことが明確になって、ジェンドリンの先駆性を再認識した。

辺縁で考える方法は、これもまた、わたしが追求しているツリー・リゾーム論理を
別の仕方で探求しているものだ。
それは、「既製の言葉や言い回しでは、語らんとすることを語ることは決してできない」
ということから出発し、既成の言葉を乗り越え、
新鮮な言語を生成していく方法が追求されている。

三つ目の無条件の肯定的関心は、わたしの肯定論と強く共振する。
心理療法においては、無条件の肯定的関心が何にもまして大事だ。
何がいい、悪いという分別的判断を捨てなければ命は開かない。
ジェンドリンは、この肯定的関心を注ぎあう、フェルトコミュニティを
実践的に生み出すなかで、この肯定的関心の理論を深化させてきたのだ。
アーノルド・ミンデルと並んで、ジェンドリンら、からだの闇に聴く先駆者が
いい仕事を進めていってくれていることを知るのはうれしいことだ。

「フォーカシング」の日本語ページを読む




2007年12月15日

なぜわたしはLeeと名乗るか?

その答えがここにある。
行きつけのIzanagiさんのブログは、
韓国ナショナリズム丸出しだが、
とても直裁な意見にあふれている。
日本人は、戦前の帝国主義的な罪の一切に
ほおかぶりをしている。
政府だけではなくマスコミもほとんど触れない。
日本人も忘れきった振りをしている。
わたしはそれを許せない。
だから、あえて日本で韓国名と取れる
「り」を名乗り始めた。
「りです」といって、相手の顔を見ればすぐ反応がわかる。
ほんの少しでも近づくまいとする疎遠感や、
見下すような雰囲気があれば鋭く感知する。
私の名前は刃物のようなリトマス試験紙なのだ。


欧州議会で旧日本軍の犯した従軍慰安婦性奴隷非難決議が賛成多数で可
決されました。



欧州議会で審議される従軍慰安婦性奴隷問題

欧州議会はユーロ4億8000万人の代弁機関です。

4億8000万人の怒りが日本政府に向けられたのです。

アメリカ、オランダ、カナダ、そして欧州議会が日本に対して従軍慰安
婦性奴隷問題の反省と解決そして対策を強く求めたのです。

これらの議決に対して無言を決め込んでいる日本政府は、崖っぷちに追
い込まれて身動きできないのが実情です。

日本政府は、非難決議が世界的に広まるとは考えてもいなかったようで
す。

日本政府が友好国と考えていた国が率先して非難決議を採択したことに
驚き、困惑している様子が見て取れます。

戦後半世紀以上経っているのに、未だに未解決で被害者の人権が犯され
続けている従軍慰安婦問題を、なぜ日本政府は解決しようとしないので
しょうか?

日本人に、人としての資質があるのなら、簡単なことです。

人間誰でも間違いを犯すものです。

間違いを犯したのなら真摯な態度で謝罪を行えば、許しを得ることがで
きまます。

しかし日本政府は公式な謝罪を行わず、口先だけの遺憾表明に留めてい
ます。

賠償問題も日本政府ではなく「アジア女性基金」からの慰労金のような
お金が被害者に渡されただけです。

なぜ日本政府は公式に謝罪と賠償を行わないのでしょうか?

旧日本軍の犯した従軍慰安婦性奴隷犯罪は、日本政府も公式に認めてお
り、争いの無い史実として確立されています。

しかし日本政府は謝罪しません。

賠償も頑なに拒んでいます。

口先だけの遺憾表明に騙され続けている被害女性の気持ちを察すると、
日本政府に対して怒りがこみ上げてきます。

このまま日本政府が沈黙を続けるのなら、この問題は国連に持ち込まれ
、全世界的な問題へと持ち上げられ、日本は大恥をかくことになります


最終的には国際司法裁判所に提訴され、被告席に座り、裁きを受ける事
になります。

若い女性20万人を強制的に拉致して、日本軍兵士の性奴隷として監禁、
そしてレイプしてもてあそんだ野蛮な民族日本人は、この世から消えな
くてはいけない民族です。

人類の敵 日本人 滅びなさい!


日本人は全員この声に耳を洗って傾けなければならない。
日本を滅ぼして国家の彼方へ出直さなければならないときなのだ。

Izanagiさんのサイトを読む


2007年12月12日

ネズミたちの還暦

来年がネズミ年で、1948年生まれの人が還暦を迎えるらしいことを
いきつけの「きっこの日記」で知った。
たくさんの同年齢の人の名が列挙されている。
同年だと知っていた人もあれば、
あれ?あんたも団塊だったの?というような人もいる。
きっこさんの労を借りて、引用しておく。
ただ同年に生まれてなんとなく懐かしいというだけの共振だけれど。
ここまでは一緒に生きてきた。その記念に。
やがて、この世代も猛然と死んでいく。
ここからさきは、だれがどのように死に向けて透き通っていけるかだ。
 


きっこの日記 2007/12/11 (火) 水の女 より

それで、ついでに、来年60才の還暦を迎える有名人を調べてみたら、すごくたくさんの人がいた。俳優は、岡本信人、あおい輝彦、柄本明、エド山口、篠ひろ子、前田美波里、丘みつ子、そして、ハリセンボンの太ったほうがネタに使ってる角野卓造とかがいた。そして、歌手は、森山良子、チューリップの財津和夫、都はるみ、五木ひろし、大川栄策、いしだあゆみ、沢田研二、黛ジュン、瀬川瑛子、前川清、錦野旦、谷村新司、大瀧詠一、井上陽水、山本コウタロー、そして、あたしの大好きなシーナ&ザ・ロケッツの鮎川誠さんも還暦を迎える。それから、落語家では、女性の乳頭(にゅうとう)の色が気になってジンジャエールな笑福亭鶴光を筆頭に、月亭八方や桂文珍もいる。そして、落語もできるし、俳優もやってるし、脚本を書いたり演出もやってるから、本職が何なのか分からないけど、高田文夫も還暦を迎える。

で、マルチな才能と言えば、劇作家で演出家のつかこうへい、詩人で小説家のねじめ正一、タレントでエッセイストの安藤和津、プロレスラーで政治家のザ・グレート・カブキ、ブラックバス釣りに飽きちゃったコピーライターの糸井重里など、ソーソーたる顔ぶれが並ぶ。他にも、本職が何なのか分かんない泉谷しげる、ヨネスケ、きたろう、オスマン・サンコンなどから、朝青龍問題でミゴトな決まり手の「手のひら返し」を披露した脚本家の内舘牧子に至るまで、たくさんの著名人が、来年、60才になる。

プロ野球界では、堀内恒夫、江夏豊、門田博光、山田久志、漫画家では、里中満智子、かわぐちかいじ、柳沢きみお、あとは、映画監督の市川準、声優で歌手の水木一郎、小説家のかんべむさし、宇宙飛行士の毛利衛、作詞家の来生えつこ、画家のヒロヤマガタ、カーレーサーの篠塚建次郎、騎手の岡部幸雄、バレリーナの森下洋子、ジャズ・トランペッターの近藤等則、天文学者の岡崎彰、メイクアップ・アーティストのトニータナカ、料理評論家の山本益博‥‥と、それぞれの分野での一流の人たちが並んでる。ま、中には三流の人も3人ほど混じってるけど、いちいちツッコミを入れてると長くなっちゃうから、ここではみんな「一流」ってことにしとく(笑)

‥‥そんなワケで、他にもたくさんの有名人、著名人が、来年、還暦を迎えるワケだけど、あたしが何よりも笑っちゃったのが、この中に、厚生労働大臣の舛添要一も名前を連ねてたってことだ。呆れ果てた公約違反で有権者をバカにしまくり、全国にブーイングの嵐が巻き起こってる大ウソつきのマスゾエも還暦を迎えるってことは、「ネズミ男がネズミ年だった」ってワケで、この、あまりにも直球ど真ん中のストライクで、あたしは、飲んでたコーラスウォーターが耳から噴射しちゃって、あとちょっとで中耳炎になっちゃうとこだったよ(笑)


有名人や権力者をおちょくるときにきっこの文体はもっとも冴えわたる。
それだけでも、すーーっとさせられるのがきっこの日記の魅力だ。
ここまで反骨精神を隠さないまま華麗に舞える人は珍しい。




2007年12月8日

ジョンレノン・イマジン


1980年にジョンレノンが暗殺されて27年になる。
若いころは、彼の「Love & Peace」というような
反戦運動は甘っちょろすぎると感じていたが、
天国も国家も所有も存在しないと歌う
イマジンの作詞をよくよく味わうと
根底的な世界変革の呼びかけになっている。
彼とオノヨーコが見かけの甘さに似合わず、
根底的な革命を志向していたことを再認識して共振を深めた。
米国政府から国外退去命令を出され、
危険人物視されていたのももっともだ。
彼の死は、CIAの「MK ULTRA」と呼ばれる方法によって
マインドコントロールされた人間に殺されたという疑惑がある。
真相は国家によって綿密に隠蔽されてしまっただろうが、
米国が人類史上最大の軍事力を保持する国家であり、
軍需産業のためには絶えずどこかで戦争を起こして
軍事力を消費し続けなければならないという
血に飢えた軍事資本の論理は隠しようがない。
暗殺の事実がどうあれ、私たちはジョンと同様
国家を廃絶しなければ戦争はなくならないという事実に
立ち向かう必要がある。
私は、かれが命を懸けて伝えようとした、
世界は変革可能であるという呼びかけに共振する。
味わってほしい。



Imagine there's no heaven
It's easy if you try
No hell below us
Above us only sky
Imagine all the people
Living for today....

Imagine there's no countries
It isn't hard to do
Nothing to kill or die for
And no religion too
Imagine all the people
Living life in peace....

You may say I'm a dreamar
But I'm not the only one
I hope someday you'll join us
And the world will be as one

Imagine no possessions
I wonder if you can
No need for greed or hunger
A brotherhood of man
Imagine all the people
Sharing all the world....

You may say I'm a dreamar
But I'm not the only one
I hope someday you'll join us
And the world will live as one


想像してごらん 天国なんて存在しないと
想像しようとすれば簡単だよ
僕達の下に地獄なんて無いんだ
ふり仰げば空があるだけさ
想像してごらんすべての人々が
現在を生きているんだと…

想像してごらん 国境なんて存在しないと
そう思うのは難しいことじゃない
殺す理由も、死ぬ理由もない
宗教なんてものも存在しない
想像してごらん すべての人々が
平和のうちに暮らしていると…

僕のことを単なる夢想家だと思うかもしれない
でも、僕ひとりだけじゃないんだ
いつの日にか 君も仲間に加わってくれよ
そうすれば 世界はひとつになるだろう

想像してごらん 所有なんて存在しないと
君にもそういう考えができるかしら
貧困になったり飢えたりする必要はない
兄弟同志なのだから
想像してごらん すべての人々が
この世界を分かち合っているのだと…

僕のことを単なる夢想家だと思うかもしれない
でも 僕ひとりだけじゃないんだ
いつの日にか 君も仲間に加わってくれよ
そうすれば、この世界はひとつになって動くだろう






ヒマラヤ共振日記
2007年
山田詩を読む・異次元世界の歩きかた
フォーカシングから学ぶ
なぜわたしはLeeと名乗るか?
ネズミたちの還暦
ジョンレノン・イマジン
80年代の愛聴盤に入っていた!
マオリ・Tuhoeの人々の闘い
ラッセル・ワルダーについて
ニュージーランドからの生命共振
老国語学者大野晋の慧眼に快哉!
堀川久子とホンシンガー
ベトさんの死を悼む
ミクロな生命のダンス
追悼! 長井健司氏
堀川久子の舞
桂勘のワークショップ
明日の記憶
ブレードランナー・ファイナルカット
ピタールの流動覚
気づきとアイデア
ある詩人からの手紙
広島忌
ロベルト・マッタと異次元開畳
生命の欲動を聴く
はかなく、つたなく、しどけなきもの
国家というこころの麻酔薬
生命は死者とも共振する
加藤登紀子と山崎博昭
赤ん坊のかなしみ移る赤ん坊
ヒマラヤのバブル経済?
このフレアがいい
太陽のコロナ爆発を踊る
桂勘 タイムマシン
静かな共振生活
命からの苦い便り
ミンデル、共振原理を理解する数少ない一人
糸井重里の、とても本当さ
共振ゆらぎの暮らし
生命について
チョ・スンヒ事件に共振する発言。一人だけ
覆い隠された無意識の人種差別
殺人者の心と共振する
トビに学んだ共振原理
共振するひもたちよ!
万物の根源のひも共振
土方巽の『疱瘡譚』
土方巽と細江英公
命を鼓舞する中島みゆき
ステップイーグルの旅立ち