December 2006
| 2006年12月25日 ●朋あり遠方より来る、また楽しからずや ヒマラヤインドのようなところに住んでいると、 孔子のこの言葉の重みと味がよくわかる。 日本と大陸では遠方といっても 十倍も百倍も遠さの桁が違うのだ。 長い間音信不通だった友が ひょっこり尋ねてきてくれることほどうれしいものはない。 しかもこんなとんでもなく辺鄙なところへだ。 2006年のクリスマスは 人生で一番うれしい日になった。 サイトに時々昔の友が訪れてくれることもうれしい。 私たちは1970年の直後ほぼ全国に散開して以来、 ほとんど会うこともなかった。 それぞれがそれぞれの生の鬱屈のそこに沈み 語らい合う言葉もなかった。 それが今頃になってGoogleに 今はもう使っていない昔の私の名前を打ち込んで 検索してくれる友がいる。 私たち団塊の世代はいまそろって還暦を迎えようとしている。 私は1970年の直後、冗談で 「次は養老院闘争で会おう」 といって同志たちと別れた。 誰かの結婚式の席上だった。 それがもう現実の時間となってきた。 人生の流れ去る時間はなんと速いものか。 (ここから先は昔の友への秘密の伝言) 古い友よ、もしこれを読んだら 近況をお知らせください。 私たちが死に果てる前に、 もうひとっ走り、何をしなくちゃならないか、 意見を交換しよう。 そして、気の合った仲間だけで、 この世にもう一泡吹かせてやろうではないか。 もう、そんなことが現実に可能だとは 俺も信じてはいないけれどね。 |
| 2006年12月9日 ●晩秋のカングラ平野から、ヒマラヤを遠望する 今年の授業がすべて終わった翌日、 大雪になりヒマラヤも白く冠雪した。 晴れるのをまって、下界に降り、 前から撮りたいと思っていた ヒマラヤの遠景を撮りにカングラ平野に出た。 下は奄美大島と同じ緯度なので 冬でも暖かい。 トンボや蝶が飛んでいる。 ちょうど稲の刈り入れの後だった。 サブボディ学校は北インドヒマラヤ連山の中心部の山腹、 標高1500メートルのところに位置している。 |
| 2006年12月4日 ●いったいどうなっちまったんだ、日本よ! いつもお邪魔している清水哲夫さんの「増殖する俳句歳時記」から、 彼が書いている記事を引用する。 「 阿部宗一郎 白鳥来る虜囚五万は帰るなし 作者は1923年生まれ、山形県在住。季語は「白鳥」で冬。遠くシベリアから飛来してきた白鳥を季節の風物詩として、微笑とともに仰ぎ見る人は多いだろう。しかしなかには作者のように、かつての抑留地での悲惨な体験とともに、万感の思いで振り仰ぐ人もいることを忘れてはなるまい。四千キロの海を越えて白鳥は今年もまたやってきたが、ついに故国に帰ることのできない「虜囚(りょしゅう)五万」の無念や如何に。ここで作者はそのことを抒情しているのではなく、むしろ呆然としていると読むのが正しいのだと思う。別の句「シベリアは白夜と墓の虜囚より」に寄せた一文に、こうある。「戦争そして捕虜の足かけ十年、私は幾度となく死と隣り合わせにいた。いまの生はその偶然の結果である。/この偶然を支配したのは一体何だったのか。人間がその答えを出すことは不可能だが、ひとつだけ確実に言えることは、その偶然をつくり出したものこそ戦争犯罪人だということである。/戦争を引き起こすのは、いついかなる戦争であろうとも、権力を手にした心の病める人間である」。いまや音を立ててという形容が決して過剰ではないほどに、この国は右傾化をつづけている。虜囚五万の犠牲者のことなど、どこ吹く風の扱いだ。そのような流れに抗して物を言うことすらも野暮と言われかねない風潮にあるが、野暮であろうと何だろうと、私たちはもう二度と戦争犯罪に加担してはならないのだ。それが、これまでの戦争犠牲者に対しての、生きてある人間の礼節であり仁義というものである。まもなく開戦の日(12月8日)。『君酔いまたも征くなかれ』(2006)所収。 (清水哲男) 」 最近の日本のことはよく知らないが、 どうもお寒い限りのようだ。 本当のことを言う人がほとんどいなくなってきているように思う。 サイトを歩いても、清水哲夫さんか、 前にも引用したゆめる樹さんのサイトぐらいからしか、 今の日本の現状を危惧する本当の声が聞こえてこない。 あとのひとたちはみんな白い腹を見せて浮き上がってしまったのか、 当たり障りのないことにしか触れない。 分かっていないはずはないのに 右傾化に抵抗するようなことをいうと、 野暮扱いされて、食べていくのに差し障るのか、 嫌われるのが怖いのか。 そうだとしても、だからといってみんなで揃って口をつぐんでいるのは あんまりじゃないか。 恐ろしい傾向だ。 第二次世界戦争前もこんな風潮だったのではないか。 私には政府の右傾化そのものよりも、 それを見て何も言おうとしない人ばかりに なってしまったことのほうが恐ろしい。 いったいこの国はどうなるんだ? |
| 2006年12月3日 ●村上春樹とサブボディ アメリカに留学していた友人から、 村上春樹がボストンの大学で講演した話を聞いた。 校外の道路まで長蛇の列ができるほどの人気だったそうだ。 村上はどういうふうに自分の小説を作っているかについて 次のように語った。 「私は毎朝地底の暗い国に潜りそこをいろいろ探検する。 そしてそこで何かをつかまえる。 その地底の国から帰ってきて、そこで見つけたものを文章にする。 だから、自分の小説の本当の作者は自分ではない。 自分はその地底で何かをつかまされたものを書いているだけだから。」 それを聞いて、なんとそれはサブボディそのものじゃないかと 合点がいった。 私も長年村上の小説を読み続けている。 近年になればなるほど村上の描く世界は 多次元が奇妙に連結する度合いが激しくなってきている。 私の知る下意識=サブボディの世界の構造にあまりに似ているので 親近感を感じていたが、なるほど同じ作業をしていたのだ。 毎朝闇の国に潜るというところと、 そこで掴んだものを書いているだけだから 本当の作者は自分ではないという体感までそっくりだ。 彼の作品の中では、『世界終わりとハードボイルドワンダーランド』が、 まず、下意識世界の多次元連結構造に正面から取り組み始めた。 読んでいたころは単なる二世界がパラレルに対応しているという テクニックのひとつだろうとしか思っていなかった。 だが、その後、『ダンスダンスダンス』で、 昔のいるか旅館と近代的に立て替えられたドルフィンホテルが、 内部のエレベーターでつながっているというあたりから、 これは、ひょっとしたら? ・・・・・・と思い始めた。 『ねじまき鳥クロニクル』になると、それがいよいよはっきりしだした。 深い井戸が、ノモンハン事件と底通しているという設定だった。 まさしく下意識や夢や神話の世界そのままの構造を持ち始めた。 この手法をものにすれば一挙に自由になれる。 現実の規則に縛られることなく小説世界を自在に創造できるようになる。 その分、これが下意識世界だと気づかない人には、 狐につままれたような奇妙な感じを与えるものになってきただろう。 『海辺のカフカ』になるともうこの下意識世界の多次元流動変容構造が 自由自在に使われている。 時間も空間も越えて、あらゆるものが連結し、共振している。 村上はこの微細な共振するクオリアを ものの見事に捉えていることがよくわかる。 私が下意識世界の構造を解く最初の探検家かと 思っていたがなんと村上はもっと先から取り組んでいたのだ。 彼もまた下意識世界構造に精通した一流の専門家である。 この世界の構造さえ捉えることができれば 人は誰でも創造者になることができる。 それを文章にするには少しばかり才能がいる。 だが、文章にできなくても、もっと使いやすいチャンネルはいっぱいある。 自分のからだを動かすだけで独自の世界を創造することができる。 それがサブボディダンスのいいところだ。 特別な才能が不要である。 ともあれ、今日は妙なことから 村上春樹と深く共振していることを発見した。 長い読者だったのに、今日まで はっきりとは気づいていなかった。 意識にとって死角や内視盲点になっていることは このようにかくも多い。 |
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