August 2006
| 2006年8月31日 ●ダラムサラに新しい風 ダラムサラの長い雨期も、そろそろ下火になってきたか、 乾いた風が吹き始めた。 この乾いた風と共に、 2年間アメリカの大学院に留学していた ルンタ・プロジェクトの高橋明美さんが、帰ってきた。 アメリカからクレニオ・セイクレルのボディ・ワーカーたち9人を招いて、 チベット難民の中の中国の圧制に反抗して立ち上がって囚われた 政治犯の方のうち獄中での拷問によって 深刻なフラッシュバックなど重い後遺障害に悩む人たちを 治療するプロジェクトを持って、帰ってきた。 沈滞していたダラムサラの空気がにわかに活気付いてきた。 明美さんはその昔わたしがはじめてダラムサラをおとずれたとき以来 お世話になっている人だが、 やはりダラムサラにはなくてはならない人だ。 実はわたしも深刻な後遺症をもつ。 大学時代のベトナム反戦闘争や、 日本を変革しようとする革命運動の中で、 多くの親しい友人同志が斃れた。 警官隊との衝突で17歳で死んだ高校の同級生だった山崎博昭、 対立党派との内ゲバという暴力対立の中で、 鉄パイプで殴り殺された辻敏明、 その渦中でダンプに跳ねられ死んだ橋本憲二、 対立党派の軍事部隊に隠れ家のアパートの寝込みを襲われ、 鉄パイプで頭を砕かれて死んだ 私の属していた党派の最高指導者本多延嘉、 その他多くの親しい友人知人が命を落とした。 わたしの眠りの中にはかれらの死の瞬間が無限回立ち上がってくる。 山崎や、辻、橋本らの高校時代からの友人が 夢枕に立ち、語りかけてくる。 ”やあ元気かい”とあいさつする。 やがて夢の中で気がつく。 (あれ、君は死んだのじゃなかったのか?) ふと後頭部を見ると、銀色に光る合金で 壊れた頭蓋骨が補修されてある。. (やっぱりか……) 何年も続いた長い悪夢から、 わたしは伝染熱、死者熱という踊りをつくり 世界中で踊り続けることによって、 何とか解放された。 だが、インドに定住してから、 学校建設工事をめぐるストレスによって神経症になって以来、 不意にアドレナリンがからだ中に充満して、 激発憤怒発作を起こすようになった。 工事だけではなく、 インドのさまざまな官僚たちの不正に付き合わねばならない羽目になって、 わたしの中の正義感の塊のような山沢夙という革命家時代の人格が、 もう忍耐の限界を突破してしまったのか、 年中怒りっぱなしになってしまった。 ささいな刺激で過剰な憤怒発作を起こし 私を苦しめ続ける。 おまけに、世話をしていたチベット人少年がいつのまにか、 遊ぶ金欲しさに私の家に何度も盗みと強盗に入るようになって、 寝込みを襲われて死んだ本多延嘉の死霊がよみがえった。 毎夜忍び込むチベット青年を迎え撃ち殴り殺す、 あるいは殴り殺される 新しいアドレナリン発作妄想にとりつかれるようになった。 暴力的な過剰警戒だと、頭では分かっているのだが、 からだは止まろうとしない。 過剰警戒に囚われて終夜解放されない俺が現れた。 もう3年それが続いている。 おそらく、私が経験してきたあらゆる命にかかわるトラウマが縮合し、 胎児期に味わった恐怖とも結びついて、 固着してしまったのだと思われる。 おそらく、チベット人政治犯たちも 多くの友人同志が殺される中で生き残った人たちだ。 俺と同じかそれ以上のトラウマに悩まされているに違いない。 簡単に治るものとは思えないが、 アメリカから来たボディワーカーたちの腕は思いのほか確かだった。 少しでも傷が癒えることを願わざるを得ない。 私もちょうど、リゾナンス・ヒーリングを中心とする 第二サイト作りのために、 治癒とは何かについて、 根源的に考え直している最中だったので、 思わず深く共振することになった。 人生にはユングの言う、 こういう偶然の同時性(シンクロニシティ)の現象がときどき起こる。 この世に生起するすべての出来事は共振しているのだから 何が起こっても不思議はない。 すべては濃く薄くの差はあれ共振しつつどこかへ向かっているのだ。 明美さんの『ルンタ・プロジェクト』の簡単な解説は、 共振リンクのページで。 直接ホームページへ飛んで、 チベット人が受けた拷問などについて知るには、 ここをクリックしてください。 |
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2006年8月26日 ●山田氏からの手紙 「山田詩を読む・を読む」と題して山田氏からメールが来た。まず第一信。 「メールいただき、久しぶりにHPを拝見しました。 詩はこのように読まれたいものです。 「惑星ごっこ」はほとんど、 泥んこの干し柿の蔕のようになってしまうでしょうが、 時々思いがけない反応に出逢い、大喜びしています。 ひらがなとカタカナのルール違反は私の発明ですが、 やってみると面白くて、 人の気づかない犯行をかさねるようにこっそりやってきました。 犯行ですから言いふらすものではなく、 手口は隠さねばなりません。 同時にそれが露見することを期待もしていました。 今回初めて犯行現場を押さえられました。 この違反は一行に収まってしまうと何でもないようですが、 実は相当時間をかけています。 言葉の上皮が裂け中身(クオリア)がちろっと露呈してくる 効果的な組合せを探るのです。 こんなことが詩の楽しさ、喜びです。 私にとって詩は思想を語るものでも、 出来事を伝えるものでもありません。 そのことをあなたは気づいてくれたのでしょうね。 それにはここまでの時間が必要でした。 詩は厄介な代物、読み物です。」 つづいて二信。 「本にはなったものの、これまで詩界とは没交渉であったため、 見返られることもなく柿の蔕になってしまったようですが、 はるかインドからこんな反応が戻ってくるとは思ってもいませんでした。 「百日紅」は気に入っている作品です。 うまく纏まりすぎているとは思いますが。 イメージの展開があまりにうまくいったので、愉快になり、 にゃにや笑いなが書き上げたように記憶しています。 終末の宇宙のどこかを這って、 探すか逃げまわっている自分の姿がうまく浮きあがったかと思います。 漫画か劇画を描いているつもりで私は詩を書いています。 それは肉体のどこかで感じ、肉体で動き…その再現なのです。 舞踏って、漫画チックでもあります。 それに通じるおかしさ…の表現が私の詩です。 あなたの読み方はまさに的を射ていて、抜群に滑稽な読み方です。 現代詩がかつてこんなふうに読まれたことがあるでしょうか。 快哉//」 ようやく、作者にも届く読み方ができてきたようだが、 じつはここまでくるまでに25年かかっている。 30歳ごろに山田詩をはじめて読んだときは、 わたしが若くて、とんと読めなかった。 詩といえば谷川雁の絶対的に結晶した詩句を愛唱していたわたしには、 山田詩のような詩の味わいかたを知らなかったのだ。 日々ただただ微細なクオリアに聴き入ることだけをしていると、 ほかの人が微細なことに思い入れしていることに気がついてくる。 自分が微細なことに気づかない間は、 ほかの人がどんなに微細なことに気づいているかに気づくことができない。 そういうことだったろうと思う。 ただ、山田氏からの追伸で、 「百日紅」の制作年代について思い違いをしていたことが分かった。 ずいぶん古い作品だと思い込んでいたのだが、 2000年の作だということだ。 それは山田氏が脳出血に見舞われた わずか3年前ということになる。 「仮に親ゆびの姿が最後の姿だとしても 私には無論異存はない これほどふさわしい姿はないんや」 という覚悟は、ほぼ直前の予言だったのだ。 訂正させていただいた。 |
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2006年8月22日 山田さんの詩を味わう こういう読み方は舞踏家にしか思いつかないかも知れないが、 からだごとそこに入りこんで 「立てた親ゆびが 残暑がこんな暑いもんとはなあ
「仮に親ゆびの姿が最後の姿だとしても そう肯定すればいい。 山田氏はこの詩を書いた何十年か後に、 「仮にこれが最後の姿だとしても 片麻痺のからだにやってくる どこまで合わせようとしても、 百日紅の枝のささいな反りくりかえりでも からだが曲がっちまえば曲がったなりに生きればいい。 世間には美ではないと思われているところに美を発見すればいい。 1960年代後半、熊本県水俣の漁民のからだが 1970年、土方巽はその曲がりくねっちまったからだを踊った。 海に水銀を流し込んだ会社があったのだ。 そういうやつはな、味わえばいいんだよ 山田詩がここまで言っているのではない。 命は共振してさまざまな方向へほとばしる。 ……ほんのささやかな差異のクオリア、 この詩集には 詩人のおそらくは半ば無意識の そのためには読者も いや、この詩集が人々へのかけがえのない |
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2006年8月14日 山田克也さんが、詩集を編んだ。 去年の暮れに日本に帰ったとき、 山田さんの詩を味わうには、 山田さんの詩を始めて読んだときからもう25年以上経つが、 そう、そのトゲは25年間も私ののどに突き刺さったままだったのだ。 詩集はまず、次のように始まる。 「菜の花の咲き乱れた姿のままで このかラからという音が、聴こえてくるまで、聴けばいい。 カラからでもない。カらカラでもない。 私の場合、25年経ってはじめて 詩はこのように続く。 「舌の先にタネを拾って これも同様にやってみるといい。 かシッと噛みしめたとき、 山田さんは、この微妙な、 クオリアはいったいどこでこんなに そして、25年も経ってから、 思えば、不思議だ。不思議極まりないことだ。 |
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2006年8月12日 前回の「ひも理論は楽しい」で触れた妙間次元について再考する。これは私の共振論、生命論、クオリア論、透明論の基盤となる重要な仮説となるものだ。 ひも理論によれば、この宇宙のすべての質量やエネルギーは、微細な7次元を含む11次元で振動するひも(別名、弦、超ひも、スーパーストリング)の共振パターンによって生み出されているとする。 7つの微細な次元は、わたしたちの日常の目には見えない微細な空間に折りたたまれている。 では、まったくわれわれはその微細な次元の踊りに触れることはできないのかというと、そうではない。 わたしたち生命体は、みなクオリアを感じている。言葉として意識される以前に、からだの奥で感じられているさまざまなものの質感・体感・実感をクオリアという。そのクオリアは物質ではないが実在する。それは、粗大に拡大した4次元時空の物質やエネルギーとはまた違った時限に存在するものだ。粗大4時限でないとすると、それは見えない微細次元で振動しているひもの共振パターンによって生み出されていると考えるほかない。 だが、粗大4次元に存在する私たち生命体が、なぜ、微細界のクオリアを感じ、それを使って思考することができるのか。 実は、わたしたち生命体とは、粗大な4次元の物質世界と、微細なクオリアの流動する7次元微細界の両方にあいわたる存在である。両方の世界を行き来する力を持っているから、物質的存在でありながら、非物質のクオリアを咸じ、使うことができるのだ。 物質が属する粗大次元と、クオリアが属する微細次元とを行き来することのできる媒介次元が存在しなければならない。生命体とは粗大な時空間と微細界の間の微妙な妙間を行き来する力を持つことによって、生命を維持しているのだ。 わたしたちの日常意識が囚われている近代的科学意識は、物質が属する粗大時空間しか実在しないと思い込んでいるが、真っ赤な幻想だ。わたしたちは心が動いている繊細な別次元とも交感することのできる存在である。それを科学は証明できないから非存在としているだけだ。だが、誰もが心を使っているではないか。科学はいまだ物質と心の関係を解明できていない。 科学にも宗教にも囚われない透明な心になると、根本的に異質な粗大物質次元と、微細クオリア次元を結ぶ、媒介次元が存在することがわかる。私たち誰もがその媒介次元を通じて粗大=微細の両方の世界を行き来している。その媒介次元を<妙間次元>と呼ぶ。 ひも理論で提起されている11の次元は次のように細分化されうる。
――この4種類の次元が存在する。 4種類の次元のうち、日常世界に泥む意識は わたしたちはその程度に謙虚な態度を取ることが大切だ。 だが、下意識のこころやからだは、 意識されていないだけで、
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2006年8月3日 ひも理論ほど楽しいものはない。なぜって、それは宇宙の根源は踊っているひもからできているという考えだからだ。 しかもただの踊りではない。11次元の時空での踊りだ。想像もつかない楽しさだ。11のうち4次元はわたしたちの目の前にある3つの空間次元と、ひとつの時間次元からなるこのおなじみの4次元時空だ。 だが、それ以外の7つの微細次元がある。 ビッグバンの頃は、11の次元とも同じ最小の時空に封印されていた。それがビッグバンによって、4つの次元が無限に膨らみだした。あとの7つの次元は置いてけぼりだ。ひもはその次元でも踊り続けている。 ひも理論は、超ひも理論、超弦理論、スとリングセオリー、スーパーストリングセオリー、M理論などとさまざまな名前で呼ばれる。だが、基本はひとつだ。 この宇宙のすべての質量やエネルギーは、微細な7次元を含む11次元で振動するひも(別名、弦、超ひも、スーパーストリング)の共振パターンによって生み出されているとする。 だから、7つの微細な次元での踊りは、わたしたちの日常の目には見えない微細な空間で踊られている。 では、まったくわれわれはその微細な次元の踊りに触れることはできないのかというと、そうではない。 わたしたち生命体は、みなクオリアを感じている。言葉として意識される以前に、からだの奥で感じられているさまざまなものの質感・体感・実感をクオリアという。そのクオリアは、なんと見えない微細次元で振動しているひもの共振パターンによって生み出されているのだ。こんな途方もないことを言っているのは世界中でまだ私一人だ。 だが、アインシュタインの相対性理論も、最初はアインシュタインただ一人が思っていた理論に過ぎない。私の共振性理論も、ただ、最初にリゾーム Leeによって言い出された考え方だというに過ぎない。5000年もすれば教科書にも載らないただの事実になるだろう。 わたしたち生命体とは、粗大な4次元の物質世界と、微細なクオリアの流動する7次元微細界の両方にあいわたる存在である。 わたしたちの日常意識は、空間次元と時間次元しかないと思い込まされているが、それは真っ赤な嘘だ。わたしたりは心が動いている繊細な別次元とも交感することのできる存在である。その根本的に異質な粗大物質次元と、微細クオリア次元を結ぶ、媒介次元が存在しなければならない。 クオリアが粗大4次元のすべてをくまなく味わうことができるという事実に照らし合わせると、この妙間次元も4つの次元を持つと考えるのが妥当だと思われる。妙間次元は、粗大4次元の裏にぴったり張り付いて粗大次元のあらゆる出来事を、クオリアに翻訳してわたしたち生命体に届けているのと考えるのが最も無理がない。 したがって、ひも理論で提起されている11の次元は次のように細分化されうる。
この4種類の次元が存在する。4種類の次元のうち、日常世界に棲む意識はその半分の2種類の次元(時間と空間)しか知らない。 わたしたちはその程度に謙虚な態度を取ることが大切だ。 だが、下意識のこころやからだは、いつだって昼夜を問わず、妙間次元を通じて、微細界で振動し続けるクオリアと交感している。意識していないだけなのだ。 |
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2006年8月2日 古い友人の名前を検索しても誰も出てこない。みんなどうしているんだ? 岩脇正人、佐々木幹朗、太田俊明、北本修二、伊藤和男、伊藤啓志、山本望、下西知行、向千恵子、駒井史子、清水美恵子。児玉能理子、前田千代、今どこでどうして生きているのか? 浅田麻貴、倉持洋子、福島まり子、古後奈緒子、加藤頼子、加藤美樹、西嶋明子、竹千代毬也、山本清子、桂勘、福岡さわ実、ジョー、ジャー、ジェイ、ボー、コップ、カンゲ、生きているなら一報くれたし。切に望む。 高岡ひろ子、田牧頼子、福田孝行、大脇朝香、松丸勇次、松井純、山県広太郎、稲葉明夫、稲原明男、赤松英一、吉原健二、橋本利昭、熊倉清美、大庭朗、波多野渥子、駒野友香、ロジータ、アンドレア、チボー、マリア、サンチャゴ、ダヴィ、マーク、みんなみんなげんきでいるか? 山田克也、山田智也子、山田亜木、山田乙木、今村秀雄、片岡卓三、 黒子さなえ、森美香代、里見綾子、米井澄江、高橋明美、小川恭平、関西ナカノ、服部裕子もう、思い出せない名前も多い............... |
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