March 2007

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2007年3月24日

万物の根源のひも共振

いやあ、とうとう万物の根源で共振しているひもの姿を、
じかに想像できるアニメーションを目にすることができるようになった。
Google imageで 'calabi yau'を検索すると、第一番目に
載っている図がそれだ。
”Higher Dimensions from String Theory
(ひも理論による高次次元)”
と題されたその美しい図は前から知っていたが、
右クリックで画像を保存しようとしてもできなかったので、
コピーガードがかけられているのだろうと
意地悪な作者を想像して憎んであきらめていた。

でも、共振論の「クオリアの乗り換え性」や、
クオリア論の「クオリアの生体浸透性」という
新しい重要な章をうまく説明するのに、
この絵以上に適切なものが見つからなかったので、
仕方がなく夕べ深夜に起き出して写真に撮ろうとした。
すると画面をしばらく撮影していると、
ぴくぴくと画面が変わるように見えた。
気のせいかと思ったが、しばらくすると
確かにさっきと形が変わっている。
「何じゃ、これは?!」
と驚いて何十枚も写真を撮り続けていると
やがて、急にもぞもぞと動き出した。
「ぎゃっ!!」
なんとそれは、、GIFの画像をつないだアニメーションだったのだ。

それを右クリックでダウンロードできたときは、
長く離れ離れになっていて会えなかった恋人に
再会するよりうれしかった。
ありがとう。作者のジェフさん。

ひも理論について>

物理学のひも理論(ストリング・セオリー)によると
この世界は、わたしたちがよく知っている
3次元の空間と1次元の時間からなる、4次元時空ではなく、
そのすべての空間の小さな点に、ビッグバン以来、
プランク長さ(1メートルのマイナス33乗=0.0000000000000000000000000000000001m)
という最小空間に小さく折りたたまれたままの
7次元の空間をあわせた11次元時空からなるという。
これまで陽子を構成する基本粒子と見られていた
クオークでもマイナス14乗程度だから、
ひもの小ささが実感的に想像できでないまでも、
とんでもない小ささだということだけは分かる。

ひもは、そのプランク長さの極微空間で
振動し、互いに共振している。
そのひもの共振パターンの変化によって
重力や光をはじめとする力やエネルギーや
あらゆる物質が生成している。

万物の根源が共振するひもからなっているとすれば、
命やクオリアなど、宇宙に生まれた非物質的なものも、
ひもの共振パターンの変化から生まれたと見るのが自然だ。
瞑想によって気づいた
命や命が感じるクオリアが万物と共振している
という直観も、さもありなんと腑に落ちる。

むしろ、万物の根源を粒子とみなす従来の物理学の標準理論や
現代社会の最大の共同幻想となっている
自我意識や国家意識が、共振を原理に含まないことのほうが
いびつな幻想であることもよく分かる。
社会的な人間観と、物理学の標準理論は互いに支えあっている
双子の誤解だったのだ。

現代社会の常識的な考え方は、
この共振するひもの意味を理解するとたんに
転覆されるだろう。
主流派の人々の長く強い抵抗にあうだろうが、
天動説同様、いずれ歴史の藻屑と消え去るものだ。

<この絵の見方>

11次元という時空間を、2次元の図に表すことは不可能だ。
この絵では、升目によって区切られた小さな場所で
それぞれのひもがつつましくパターンを変えながら
振動しているところまでが描かれている。
ここから先は、ひも理論を支えに想像力で補う必要がある。
まず、ひもの振動は、小さなサイズに縮んだり
最大サイズまで伸びたりして11次元で伸縮している。
――この絵では伸縮までは描かれていないので
それを想像力で補うことが必要だ。
そして、この絵では離れたところで振動しているが、
実際はそれぞれのひもは極微の距離で接しており、
互いに影響しあい密接に共振している。

満員電車の中で一人が動けば周りの人も
それに影響されて動かざるを得ない。
上の絵でもそれぞれのひもが
密接な距離で振動していることを想像すれば
ひもが共振しないではいられないことも
リアリティを持って感得できるだろう。

命が日光を受けて温まったりやけどしたりするのも
共振現象だ。
光を受けたことを細胞が知るのも
ひもの微細な振動部分である光のクオリアが
生体を構成する物質と命を生成しているひも共振に
影響を与えるためだ。
(くわしくは生命論を参照してください。)

万物は共振している。
すべてをそこから考え直すことが、
わたしたちに課せられている。

共振にはどちらが主であり従であるという区別は
まったくない。
主体と客体があるというのは
日常世界でだけ成り立つ思い違いであり、
そこから組み立てられた世界像は幻想に過ぎない。
この宇宙の共振原理を根源にすえて考え直さなければ
本当のことが何も分からない。
人類は宇宙や世界を長い間思い違えてきた。
だが、その幻想から解き放たれる日が近づいてきたのだ。

ジェフさんのアニメーションは、わたしたちに
なにが本当のことかを見通す、
想像力の手がかりを与えてくれる人類への贈り物だ。
すべての優れた創造は、
人類の共有財産となって永遠に生きる。

もういちど、ありがとう。

彼のサイトは、そのほかにも
古生代オルドビス紀の絶滅した化石の研究や
宇宙の写真や想像イラストからなる実に多彩なものだ。
あらゆる分野を超えて共振する感性こそ
優れた創造力を発揮するという見本みたいな人だ。
興味のある方は、ジェフのホームページから多彩に伸びる
リゾーム上のリンクをたどってみてください。
何日も楽しめること請け合いです。

またひとり、世界にリゾームの同志を見つけた。
これだから、生きるのがやめられない。
2007年3月15日

土方巽の『疱瘡譚』 


土方巽の舞踏の短いビデオクリップが
YouTubeにあるのを発見した。
1972年の『疱瘡譚』のなかのごく一部だが、
だれか有志が載せてくれたのだろう。
ありがとう。

これは映画監督の大内田さんが、
映像嫌いの土方を説き伏せて
たった一人で8ミリで撮ったものだ。

京都に住んでいたころ何度か
土方の映画の上映会をしたことがある。
そのころまだ存命だった奥さんの元藤さんが、
重い8ミリフイルムと映写機をかかえて
東京からわざわざやってきて上映してくれた。
「人に貸し出すうちにフイルムが切れ切れになってしまってねえ」と、
それ以後はご自分の手でしか
上映しなくなってしまったと語った。

土方の映像は貴重な人類の遺産なんだから、
フイルムが傷んでしまう前に早くデジタル化して
万人が見ることができるようにと、勧めたが、
その後作品の一部がCD化されたままで、
まだ完全な全体は人々が自由に見ることが
できるようにはなっていない。

土方の作った多くの舞踏作品のうち、
ほぼ完全な映像として残っているのは、
これと、DVDになっている『夏の嵐』しかない。
そして、この二つの映像作品を通じてのみ、
土方が最晩年に到達した衰弱体を見ることができる。

土方舞踏の真髄である衰弱体を理解し踊れる舞踏家が、
誰一人いなくなってしまった現在、
この映像だけがそれを後世に残せる手がかりなのだ。
誰が管理しているのか知らないが、
衰弱体どころか、
土方の舞踏を知らずにButohを心がけている人が多い現在、
早くネットに公開して世界の共有財産にしてほしいものだ。
優れた創造作品を私有して
ぐずぐず死蔵するなどもってのほかじゃないか。

土方の疱瘡譚の短い映像は
もうひとつYouTubeで見ることができる。
渋沢龍彦のビデオの一部に載っているものだけれど。

疱瘡譚を見る

もう一つ見る
2007年3月11日

土方巽と細江英公

土方巽は
細江英公がわたしを有名にした。
それは写真だからであった

と言った。

まさしく私も、細江の写真を通じて
土方の人となりにはじめて触れた一人だ。
いまはもう伝説となった写真集
『鎌鼬(かまいたち)』が発刊されたのは、
1969年。ちょうど大学闘争のさなかだった。
20歳の私は京都の大学近くの三月書房で、
その写真に食い入るように何度も見入った。
そのほとんどの写真が脳裏に焼きついた。

今年久しぶりに日本に帰ったとき、書店で
『鎌鼬』が40年ぶりに復刻されたのを知った。
それは入手できなかったが、鎌鼬の写真と、
もうひとつの『かさぶたとキャラメル』の写真が
収録された『写真家・細江英公の世界』を購入した。
それを見て驚いたのは、今回復刻された写真は、
40年の時を経て、私の脳裏の記憶とぴったり重なったことだった。
ごくごく細部まで私の脳裏には、
それらの写真が正確に焼き付けられていた。

その写真集は、土方が何十年も足を踏み入れなかった
郷里の秋田に帰り、田を駆け、田の杭に攀じ登り、
子供たちの前で跳んで見せ、
老婆たちの談笑の中に入ったものだった。
これまで、これほど土着の日本の風景の中で
生き生きと異色を放っている人間像を見たことがなかった。

その写真群を見たとたん電光石火の強力な火花が散るほどの
瞬間的共振が起こった。

美は瞬間的に共振し、永遠に残る。

どこに残るのか?
生命とクオリアの共振は、この粗大な4次元時空ではなく
物理学のひも理論で言う、
微細に折りたたまれた7次元空間で起こるのだ。
この微細空間には時の次元がない。
だから、一度起こったクオリア共振は、
時を超えて永遠に存在し続けるのだ。
私たち生命の脳は、その微細次元で共振するクオリアに
いつでもコンタクトすることができる。
50年前の感動でもそっくりそのままよみがえるのは
そのためだ。

今回若い人々にこの写真の存在を知ってもらいたくて
細江の写真集をカメラで複写し、サイトにアップするとき、
先日、中島みゆきの『宙船(そらふね)』のMP3ファイルを
アップしたときと同様、著作権問題と深く対決せざるを得なかった。
私が他人の著作物を著作者に無断でコピーしサイトに掲載するのは、
著作権法に触れる行為であるかもしれないことは
十二分に承知している。
この文章はある夜一気に書いたが、
私の中にも小市民的な人格が棲んでいて、止せ止せと言う。
再びこれを書いた戦闘的人格に交替するまで
何日も待たねばならなかった。

私はこの著作権について長年違和を抱いてきた。
それは芸術の世界とは根本的に違う経済世界の論理を
無理やり芸術に押し付けていると感じていた。
著作権は、著作者の経済的権利にのみ関わるもので
芸術の本質が引き起こす美の共振に関わるものではない。
経済法に、美の共振を制する権利などない。
両者は根本的に次元が異なる出来事なのだ。

いやしくも絶対的創出としての美を創造する芸術家ならば、
この美の共振の世界をこそ本質的な棲家とするものだ。
自らの作品がもつ美の共振の働きによって
複写され伝播されていく事態は、喜びさえすれ
制約などするものではない。
また、制約などすることができない出来事だということを
知っているはずだ。
万一、複写を制約しようとするならば、それはその人の
芸術家としての魂ではなく、芸術商人というその人の
資本主義社会における経済的人格が行うものに他ならない。
私が共振する中島みゆきや細江英公は、れっきとした芸術に
命をささげた人で、芸術商人ではないことを私は知っている。
私が芸術商人の作品などをコピーするわけがないことも自明だ。

私たちは、芸術が資本主義の中でどんどん商品化されて
やせ細っていく現実と立ち向かわねばならない。
著作権こそ芸術作品を商品化する装置の最たるものだ。
この資本主義の装置に脅かされて、
命が行う美の共振がどんなを縮小されてきたか。
芸術の美に共振しても、それは
ほかの人の所有物だ、などと自我が遠ざけ、
悲しく対立させられてしまう。
人々がもっている原生的な共振力はやせ細らされるばかりだ。

美が存在する次元は、経済社会などではない。
もっと広大な多次元のクオリア共振の世界だ。
そこに経済の論理が忍び込み支配しようとすることに対して
私たちはからだを張って闘う必要がある。

私は、私の命が誰かほかの人の作品の美に強く共振したときは、
すぐさまコピーして全世界に伝播する共振の媒介者となろう。
私たちの命が持つ原生的な共振力の守護者となろう。

美も命も超法規的存在である。
どんな法規にも絡めとられてはならないのだ。

自ら省みて直くんば、敵幾万ありとて吾行かん。
――誰の言葉か忘れたが、この中国の古聖と
私は共振してやまない。

この件に関して、ご異見、ご感想があれば
共振掲示板へお書き込みください。
誠心誠意お応えするつもりです。

2007年3月9日

命を鼓舞する中島みゆき


日本に帰ると毎回、中島みゆきのニューアルバムを
買うのを楽しみにしている。
今回も、30年来の盟友中島みゆき(勝手にそう決めている)が、
頑張り続けているのを知ってうれしかった。
ニューアルバム「ララバイSinger」に収められた『宙船(そらふね)』は、
危機に立つ日本人を励ます命の応援歌だ。

▼をクリックすると「宙船(そらふね)」を再生します。
もう一度押すと停止します。
(回線の都合で音質を悲しいまでに落とさざるを得なかった。
気に入った方はCDで生の声をお聴きください。)


  「1
   その船を漕いでいけ おまえの手で漕いでいけ
   お前が消えて喜ぶものに おまえのオールをまかせるな

   その船は今どこに ふらふらと浮かんでいるのか
   その船は今どこで ボロボロで進んでいるのか
   流されまいと逆らいながら
   船は挑み 船は傷み
   すべての水夫が恐れをなして逃げ去っても
   
   その船を漕いでいけ おまえの手で漕いでいけ
   お前が消えて喜ぶものに おまえのオールをまかせるな

   2
   その船は自らを宙船(そらふね)と 忘れているのか
   その船は舞い上がるそのときを 忘れているのか
   地平の果て 水平の果て
   そこが船の離陸地点  
   すべての港が明かりを消して 黙りこんでも

   その船を漕いでいけ おまえの手で漕いでいけ
   お前が消えて喜ぶものに おまえのオールをまかせるな

   3
   何の試験の時間なんだ 何を裁く秤なんだ
   何を狙って付き合うんだ 何が船を動かすんだ
   何の試験の時間なんだ 何を裁く秤なんだ
   何を狙って付き合うんだ 何が船を動かすんだ
   
   その船を漕いでいけ おまえの手で漕いでいけ
   お前が消えて喜ぶものに おまえのオールをまかせるな」

中島みゆきは命を鼓舞する稀代のアジテーターに転生しようとしている。
そうなのだ。思い出そう。俺たちの船は宙船(そらふね)だ。
上昇気流を捉えて舞い上がれ。
イーグルのように上空5000mに達すれば
君がどこで生きるべきかがくっきりと見える。

たまたま産み落とされた場所は偶然に過ぎない。
その地が効率主義の経済や、
小泉や安部ら軍国主義者に牛耳られて
君の命が消されそうになっていると感じたら
直ちにその国を捨てて出奔すればいい。
きみの手でこぐオール以外の力で動かされていると感じたら
その力を振り払うんだ。

今、インドにはおびただしいイスラエルの若者が滞在している。
アラブ人に対する強圧的な戦争政策を繰り返すばかりの
自国政府に嫌気をさして脱出してきている。
そのなかにはもうあの国には帰りたくないと
何年もアジアを旅している人たちもいる。

いやな国家などさっさと捨てればいい。
国家を捨てた人の交流と探索の中から
そのうち国家そのものを地上から放逐する道が
きっと見つかるに違いない。

いいかい。あらゆるものが変更可能だ。
たとえきみがそれにがんじがらめに縛られて
一寸たりとも身動きできないと感じられていてもだ。

アフリカから出て地球上に散開した人類史、
ヒマラヤを越えて旅立つステップイーグルが
それを教えてくれる。
みな自分の手でオールを漕いで転生したのだ。
息苦しければ旅立とう。
聴こえるか聴こえないかの命の声に
耳を澄まそう。

ひょっとしたら、きみの命は
ここにいては危ないと
悲鳴を挙げていないかい?


(この文は今月1日に書いたものですが、中島みゆきの歌を
どうしても聴いてもらいたくて、オーディオファイルを貼り込んで
再掲しました。)

007年3月1日

ステップイーグルの旅立ち

早春の晴れた日に、ヒマラヤでは
ステップイーグルの渡りが見られる。
特にここ、ダラムサラではよい上昇気流があるのか、
毎日何百羽という鷲が集まってきて、
おもむろに旋回しつつ上昇していく。
上空5000mほどの高度に達すると
しばらく旋回した後、イーグルは意を決したかのように
一路東に一直線に飛び立つ。
双眼鏡で見ていると、旋回上昇時のゆったり広げた翼から
突如わずかに首をすくめ、
両翼を少し縮めて高速滑空体勢に入る。
後ろを振り返ることもなくたった一人で旅立ち、
まっしぐらに東に向かう。
ネパールあたりまで飛んで、そこで
ヒマラヤを越え、モンゴルの大草原に移住するのだ。
その旅立ちの決意の瞬間は何度見ても
心深く揺さぶられる。

わたしもおそらくそのようにして日本を出てきたのだ。
今とは別の人格だったらしく、細かな記憶は何もない。
ただ、わたしではない何か大きな力に
突き動かされて日本を脱出した。
ここにいては命が危ないと感じたことだけは
からだの底に刻印されている。
ここは何か命が傷つけられる場所だと。

ステップイーグルも同じだろう。
6月になればここいらは連日の豪雨だ。
鷲が生きていける空ではなくなる。
何万年も昔から命の敵モンスーンを避けて
モンゴルの広大な大草原に渡り
夏中獲物をとり、仔を設けて
秋には帰ってくる習性が
彼らの遺伝子に刻み込まれたのだろう。

人類の祖先が生まれふるさとのアフリカを脱出し、
アジアーオセアニアや、シベリアーアメリカ大陸、
そしてコーカサスからヨーロッパへと3方向に散っていったときも
大きな気候変動によって生存環境が変わり、
ここにいては命が危ないという衝迫に突き動かされて
大移動を始めたに違いない。

インドから南アジアのスンダランドに渡った連中は、
その肥沃なデルタ地帯で農業を発明したにもかかわらず、
間氷期のスンダランドの水没に伴い、長い危険な航海を経て
オーストラリアやミクロネシアに旅立った。

シベリアに移動した部族は、過酷な気候と闘いながら
マンモスを追って氷結したメーリング海峡を渡り、
アメリカ大陸に散開していった。

ヨーロッパへ向かった連中は、
先住のネアンデルタール人との
何万年もの競合に打ち勝ち、
ピレネー山脈のふもとの洞窟に
ラスコー壁画に代表される新人の芸術の金字塔を記した。

すべて移動の根因は、ここにいては命にかかわるという
窮迫があったからこそ、行方も知れぬ旅に押し出され、
各地で新しい生き方を発明した。

ところが、今日本や他の先進国にいる人は
この<命が危ない>という感覚が
鈍くなってしまっているのではないか。
生まれた場所に囚われて
そこでどんなにいびつな生き方を強いられても
逃れることを忘れ、
ひどい場合は命からの危険信号である心身の障害に
侵されつつもなお生まれた場所に縛り付けられて
いっそう悪くしているのではないか。

実際わたしはこの一月にわずか十日ばかり
日本に滞在しただけで、
自分の命の声からはぐれてしまうほどの危機に見舞われた。
街やテレビや社会関係からくるおびただしい情報がからだにしみこみ、
ヒマラヤにいるときは聴こえていたはずの
命からのかそけき声がその雑音にマスキングされて
まったく聴こえなくなってしまっているのを知った。
自分の心身が命からはぐれて
とんでもない状態に陥っているのに
それに気づくこともできなかった、
十年前の自分のからだを思い出した。
こんな恐ろしいところだったとはと、愕然とさせられた。

ヒマラヤ共振日記
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広島忌
ロベルト・マッタと異次元開畳
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