ヒマラヤ共振日記
2008年5月
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2008年5月3日

リゾーム リゾナンス

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久しぶりにいい出会いがあった。
こんな日はうれしい。
Google 画像サーチでたまたまリゾームを検索すると、
上記の面白いリゾームの図と共に、
「Rhizome D&G」というサイトが見つかった。
読めば、リゾームに関する的確な英語の解説文があった。
わたしの英語の語彙ではリゾームについて説明するのは無理とあきらめていたが
替わりにどこかの国のリゾームの同志が、よい説明を与えてくれていた。

そのサイトからのリンクで、ドゥルーズ=ガタリの「千のプラトー」に関する
解説サイト「Fractacle Ontology」も見つかった。
リゾームとノマド、プラトーなどの言葉はもともと共振している兄弟のようなものだ
。先だっては、ノマド・ソウル・レコードの音楽家・ラッセル・ワルダーさんが、共
振してCDを贈ってくれた。時々こういうことが起こる。
リゾクラシーによる世界包囲網が、少しずつ生長していく。
リゾームの伝染と増殖はとどまるところを知らない。
死も衰退もないから、時間はかかるが、いつかは世界に繁茂するに違いないのだ。
これほど楽しい未来はない。
●●● 2008年5月1日

美しい五月   清水哲男
 

  唄が火に包まれる
  楽器の浅い水が揺れる
  頬と帽子をかすめて飛ぶ
  ナイフのような希望を捨てて
  私は何処へ歩こうか
  記憶の石英を剥すために
  握った果実は投げすてなければ
  たった一人を呼び返すためには
  声の刺青を消さなければ
  私はあきらめる
  光の中の出会いを
  私はあきらめる
  かがみこむほどの愛を
  私はあきらめる
  そして五月を。


若い頃五万回ほど暗唱した詩だ。
いきつけの「清水昶の新俳句航海日誌」に掲載されていた。
なぜこの詩に惹かれたのか。
わたしもまた、かがみこむほどの愛をあきらめた。
というよりわたしにとって愛はいつもあきらめるしかないものだった。
愛ほど、わたしにとって縁の遠いものはなかった。
いまだに愛を思うと気を失いそうになる。

わたしが幸せな日常生活ではなく、踊りを生きるしかなかったのは
このことと関係がありそうな気がする。


May 2008

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