June-August  2008

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ヒマラヤ共振日記
2008年6-10月
2008年10月3日

国家の終わりと、自我の終わり

今回アメリカのリーマンなどの金融破綻をめぐる記事をいくつか読んだがみな甘いと感じた。
ただひとり、いつも訪れている蕩尽伝説さんのブログにもっとも的確な指摘を見た。
こういう遠くまで見えている目が少なくなった。
深く共振したので長いが全文掲載する。引用は緑色で示す。

恐慌前夜

まだ恐慌なんかじゃない、そんな酷くはならないヨ、ことはもっぱら金融にかかわり、実体経済はさほど傷ついてない、世界恐慌の再来だなんて、まさか!

——と言いくるめようとする向きもあるようだけど、そうした人たちって、今回の危機をたんなる金融や経済の問題としてしか考えていない。

当面の危機を切り抜ければ、さほど時を置かず、ふたたびマネーが世界を潤沢に潤すようになるだろう。わが世の春が、パックス・アメリカーナが戻ってくるはずだ、わが青春は不滅ですう、というわけだろう。

てか、ウォール街の秩序が元に戻ったら万事OK、バンバンザイなんすか? おいおい、この期におよんで元通りになんか、なるわきゃないだろ(笑)覆水盆に返らず、とも言う。一度崩れた秩序は決して元に戻らない。

サブプライム危機は、主に80年代以降アメリカ主導で築きあげられてきた金融世界秩序への信認を失わせた。誰もがヘンだ、ヘンだ、と疑っていた手品のタネがバレてしまった。こんなちゃちなタネをどんだけ高度な数学的手法で誤魔化してたんだよ!と、一同呆然である。厳密きわまりない数学的手法により成されるペテンというものが世には多々あるわけなのだ。アメリカでは科学は真理に仕えず、もっぱら錬金術に利用される。

かくして、いまや問われているのはアメリカという国家と文明への信認そのものだ。それは日本のバブル崩壊なんかと容易に比べられる次元のものじゃない。たんに土地神話が崩壊したんじゃなく、そもそもシステムへの信頼自体が失せたのだ。

まだ失業者の数はさほどじゃない、周囲への影響も大したことない、私たちは大恐慌の時代ほど無策じゃない、と唱えたところで空しい。いま疑われているのはマネーそのもの、世界資本主義の仕掛けそのものだ。問われているのは、これまでのアメリカ主導の世界秩序そのものである。

たんに経済が問題ではなく、政治が、ひいては文明が問われている。この点を看過するかぎりで、あらゆる施策は的外れに終わるだろう。

米下院が金融安定化法案を否決して、「まさか!」「バカじゃないの!」という非難が世界中で湧き上がっているが、いうまでもなく議員さんもたんなるバカじゃない。ウォール街の紳士方、途方もない超格差社会の頂点に君臨するお歴々へのアメリカ人民の憎しみは深い。退職金500億もらって辞めるようなシャチョさん達のクソの後始末を、なんでオレらの血のにじむ税金でやらなきゃなんネ!と怒り心頭に発している。怒って当然だ。こうなったら諸共に引きずり下ろしてやる!ぐらいの気分なんだろ。

だから下院の否決はたんなる気まぐれや偶然なんかじゃない。議員たちが世間知らずの田舎者の集団だからじゃない。議長が女で、押しが効かなかったからでもない(笑)

そうじゃなく、これは今のアメリカが落ち込んでいる深い分断状態を如実に示している。経済の論理により支配される格差社会アメリカへの草の根の反乱である。国が分断され、いわば内乱が生じている。だから、あの法案はそう簡単にまとまらないだろう。今後も対応が後手後手に回らざるを得ないだろう。オバマが大統領になったところで、葛藤はいや増すばかりだろう。

これが容易に解消されると思ったら大間違い。いや正確に言えば、この断絶は決定的で、乗り越えられない。9・11から始まったアメリカの自己解体が行き着くところまで行き着こうとしている。それが金融危機という形を取っているにすぎない。

たんにアメリカの金融システムが破綻に瀕しているというより、アメリカという国家がこれまで隠蔽してきた国家内の葛藤、もはや糊塗しようもない軋轢が明るみに出され、差異が誰の目にも歴然とし、国自体を解体させつつある。

このことを誰も言わない。たんにカネの問題と思っている。でもカネとモノこそが戦後アメリカの繁栄のいしずえだったんだから、カネが崩れればモノもなく、すべては砂上の楼閣のごとく崩れる。もとより心なんて、とうに失ってしまった。

そんなわけで、アメリカ主導の20世紀型世界秩序がきわめてドラスチックなかたちで眼前で崩壊しつつある。いわばベルリンの壁が崩れた時と同じような変化が起きている。これは世界恐慌がどうたらとか言うより、はるかに深刻で深甚な出来事である。世界全体が揺らぎ、動き、変わりつつある。金融危機はその象徴にすぎない。

にもかかわらず、ほとんどの人たちがたんにシステムを復旧すればいいだけのように考えている。パソコンの不具合を初期化して直すように。

あいにくクラッシュしたのはマザーボードである。というか、システムを支えていた信頼自体が崩れたのだ。そのことが見えてない。世界は信頼により支えられる。いいかえれば相互信頼という精神的基礎のないところに、いかなる人間的秩序も成り立たない。この真実を明らかにするのが恐慌という事件である。

それがなんであれ、ひとつのシステムが崩れて、それが元通りになることはない。復旧は不可能で、新しいシステムが構築されるほかない。いわば世界新秩序が要請されているのだが、その構築には多大な労力と時間が必要とされるはずで、最低でも今後10年は混沌とした状態がつづくだろう。もう地球温暖化がどうたらとか言っておれなくなる。発展途上国への援助どころじゃない。地域紛争を止めうる権威や権力が弱まれば、どんなことが起きても不思議じゃない。10年で何とかなりゃいいが、下手すれば人類の存続自体が危うい。

♪ 親亀コケたら子亀もコケた~の類いで、アメリカのサル真似に終始してきた、戦後日本の体制も根本的に解体されよう。すでに世情はアナーキー化してるのに、相も変わらず政治は空転するばかり。なにかもっと致命的な惨事が起きそうな予感がしてならぬ。」


そうなのだ。今世界で起こっているのは、こういう一連の歴史的転換の一コマ、一コマなのだ。

『多重日記』のほうにも書いたことだが、

現代とは自己破綻寸前の国家と、自己破綻寸前の自我が、ゆらゆらとつりあっている時代だ。
だが、もうすぐそれも終わる。

(『多重日記』には、その硬貨の両面のうち、自我の破綻について触れた。ここでは世界の破綻について触れる。)

アメリカを中心とする世界体制を支えてきた嘘がすべて透けて見える時代になった。
歴史のことだから、<もうすぐ>が何十年か何百年かは、いまは図れない。
だが、破綻の兆候があらゆる場面で明るみになってきた。
経済はもっとも正直だから、ビビッドに反応してこけた。
だが、壊れているのは経済だけではない。
戦争政治も同時にそれを支えてきた嘘も、もはや覆い隠せなくなっている。
アメリカの軍事産業と、そのおこぼれにありつきたい日欧の亡者だけが戦争を欲しているのだ。
社会心理はもっと微妙だが、共同幻想がこけるときの勢いは経済の比ではない。
ベルリンの壁も、スターリン主義国家の擬制も歴史でいえばいわば一日で消えたのだ。
現在のアメリカや日本の国家の擬制も消える日には一日で消える。
そして、現代の共振を忘れ、壊れた自我によって生きるのではない、
新たな生の可能性を求める人々が増えてくるだろう。
1968年にも同様のことが世界同時に起こった。いまのようにインターネットなどない世の中でさえそうだった。
今日ではインターネットを通して生命と生命の間に見えない共振が起こっていることが世界同時に透き通って見える。
世界中で同じ傾向のある事柄がどんどん起こっていくだろう。
それはこれまで覆い隠されてきた自己破綻寸前の国家と、自己破綻寸前の自我をめぐるものだ。
国家と自我の間に横たわる経済や社会の広範囲な領域で、この進行性の自己破綻はますます加速度的に明らかになっていくだろう。
そしてある日、歴史はぱたりと変わるのだ。
まるで大きな日めくりがまくれるようにくっきりと。


2008年8月17日

中島みゆきの異界転生

中島みゆき 「サーモンダンス」
中島みゆき 「ファイト!」 1993年ライブ
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夜が更けると決まって中島みゆきの「サーモンダンス」を聴きたくなる。
鮭は死と再生に向かって生まれ育った川を遡る。
その異界に転生していく姿がことのほか美しく捉えられている。

「まだ遠い まだ遠い まだ遠いあの国まで
たくさんの魂が待っている

生きて泳げ 涙は後ろへ流せ
向かい潮の彼方の国で 生まれ直せ」

そうなのだ。これは異界に転生していく中島みゆきの衰弱体の唄だ。
それがみごとに人生の応援歌に昇華している。
衰弱体の舞踏もまたまだない生のありようの発見へ人々を励ましていくものだ。
わたしもまた、人生最後の踊りを準備する時期に入っている。
中島みゆきの「サーモンダンス」はその私を励ましてくれる。
ここには無限のヒントが詰まっている。
彼女の魚の歌には優れたものが多い。
鮭の姿は、名作「ファイト!」では、つぎのように捉えられていた。

「暗い水の流れに打たれながら 魚たちのぼっていく
光っているのは傷ついてはがれかけた鱗が揺れるから
いっそ水の流れに身を任せ 流れ落ちてしまえばよかったのにね
やせこけて そんなにやせこけて 魚たちのぼってゆく

ファイト! 闘う君の唄を
闘わない奴等が笑うだろう
ファイト! 冷たい水の中を
ふるえながらのぼってゆけ」

北海道出身の彼女にとって川を捨て身で遡り異界に転生してく鮭の姿こそ
彼女自身を励ましてくれる無上の師だったのだ。
秋田出身の土方にとって、畳の上で瀕死の魚のようにのたうつ
寝たきり病人の蠢きが後の衰弱体の手本となったように。

私にとってそれは何か?
きみにとってそれは何か?

衰弱体の採集という課題は、自分の人生を根っこからひっくり返して探しまくることだ。
生と死の間でふるえる命の姿には誰だって出会っているものだ。
日常意識の眠りから醒めて、もっとも深い記憶を掘り出すことだ。


2008年7月
2008年7月8日

アインホア フォトギャラリー2




スペインの写真家アインホアさんによるサブボディコーボディ劇場
6月クラス第3週の写真を

お楽しみください。

Visit Ainhoa's website: Made in India


2008年7月3日

アインホア フォトギャラリー


スペインの写真家アインホアさんは今月もサブボディコーボディ劇場の写真を
精力的にとり続けてくれている。
光と踊りが切り結ぶたった一度の輝きの瞬間を捉える腕はさすがのものだ。
お楽しみください。

Visit Ainhoa's website: Made in India


2008年6月
2008年6月22日

育子の初パフォーマンス


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共振塾のもっとも長い生徒の一人である育子から札幌での初公演が決まったと連絡が入った。



「ご無沙汰をしています。戻って二ヶ月です。忙しい毎日です。時間を作って、ホームページをみています。私も初パフォーマンスが、決まりました。来月20日です。20分です。緊張しますね。でも、どんな事が自分に起こるか、楽しみでもあります。今、プールに通っています。水のなかは、おもしろいです。パフォーマンスが終わったら、またメールします。仲間達によろしくお伝えください!」

どんな公演になるか楽しみだ。



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2008年6月8日

アインホアさん連日の撮影

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先週は生徒の3ヶ月のサブボディを統合するサブボディ・コーボディ劇場が連日続いた。

近くのヒマラヤ山腹のどこかの場所を選んで生徒がソロからグループパートまでのすべてを
構成・振り付けする。
他の生徒も連日違った作品を踊ることになった。
生徒にとっても強行軍だったが、写真家のアインホアさんもまた連日撮影に参加してくれた。
その一部の写真は彼女のブログにすでに掲載されている。
力強い共感的共振だった。
命にとって共感的共振ほどうれしいものはないのだ。

アインホアさんのサイトを見る:Made in India

2008年6月2日

プールでの初即興をスペインの写真家が撮った


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スペインの写真家アインホアさんが、先週末の恒例のサブボディ コーボディ劇場を訪れて、写真をとってもいいかいと尋ねた。
もちろんOKだ。
命やサブボディには肖像権も著作権も無関係だ。
そんなものは日常界の経済にしか関係しない。
本当の創造は、命が行うものだ。
資本制経済の都合などとは何の関係もない。
生命史上の重大な創造や発明は、酸素呼吸を発明したプロテオバクテリアにしろ、光合成を発明したシアノバクテリアにしろ、創造が命の共有物だということをよく知っている。偉大な創造者は著作権など主張しない。創造が人類への贈りものであることを知っているからだ。
命は無限に創造し、共振する。
そういう存在だ。

先週のサブボディコーボディ劇場は共振塾の庭で個々の生徒のサブボディからはじまり、コーボディ即興へ移行しできたばかりのプールになだれ込んで終わった。
アインホアさんはプールの中の即興を多くの優れた写真に収め、彼女のサイトの掲載してくれている。
写真家に限らず、音楽・美術などどんな分野の人との共振に向かってもわたしたちは開かれている。
サブボディコーボディ劇場は、3月から11月の毎週金曜日原則3時半から行われる。ときに学外へ場所を移すので、希望者は前もって問い合わせてください。

無限の共振力を磨くことが、これから芸術や創造を志す人に問われている。
ダラムサラにきて、君自身の共振の仕方を発明せよ。

アインホアさんのサイトを見る:Made in India