October 2007

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2007年10月
自我意識による濁り
原初生命に何が起こったか
死者熱の真の作者・山崎博昭に捧げる
大野一雄・生ける衰弱体への転生
2007年10月
2007年10月28日

自我意識による濁り


今週は生命論や透明論の領域で
新しい気づきがかなりあった。
久しぶりにそれらの論考を書き継ごうと
以前の記事を読み返してみた。

すると、過去の私の文章が至る所で、
余計な自我意識がでしゃばって、
記述を不透明なものにしているのに気づいた。
書きながら、半ば気づきながらも、
よく制御しえていない。
長年言葉から遁走し続けたツケが
今頃回ってきている。
だが、それは避けようがない迂回路だった。
言葉の世界から徹底して出ない限り
からだの世界に入ることはできなかっただろう。
これから遅ればせながら、文章を透明なものに
する修行をするしかない。

不透明さの第一の原因は、
自分が書くものの領域をうまく捉えていないことからきている。
それは思想なのか、科学なのか、文学なのか、
私には自分が書いていることの領域のあいまいさを
よく制御仕切れていない。
だから、共振性原理を、
妙にアインシュタインの相対性原理のような
数式に表現することを志向したり、
物理学のひも理論を無媒介に生命論に適用したりしている。

もちろん現代の科学者や哲学者が
誰一人ひも理論と生命論や脳科学の成果を
相互作用させようとしていない現在、
それら学者の囚われている学の境界を
越境することが私の行っていることの核心なのだが、
越境するには越境者独自の文体を必要とする。

それがいまだに獲得できていない。
これは下意識瞑想の非言語的リゾーム世界と
この現実のツリー世界とを自在に往還する
ツリー=リゾーム論理を
まだうまく獲得できていないことから来ている。

これは前人未到の課題なのだ。

道は遠く、すでにあたりは暗い。
だが、この暗がりを探る以外生きる道はない。
わたしはどこかでこの暗がりを探るのが好きなのだ。
好きでなければやっていけない。



2007年10月17日

原初生命に何が起こったか


今日、生徒のカツが一日授業をしたので、
私は生徒になった。
彼のガイドで、ストリングセオリーの解説を受けたあと、
灰柱で歩いているとき、突然
生命誕生まもないころの生命のひも共振のありさまが
とてもクリアなイメージで見ることができた。

生命記憶を構成する主役であるDNA以前の
RNA(リボ核酸)と細胞の主要物質であるたんぱく質、
そして、細胞の膜電位を発生するナトリウム=カリウムポンプ、
細胞内のクオリアを伝達するカルシウム・ウエーブ、
少なくともこれら五者が複雑に共振している映像だ。
ナトリウム=カリウムポンプやカルシウムウエーブも、
それらのイオンだけで電位が起こるのではなく、
それらを構成するひも共振が
細胞内のタンパクや核酸のひも共振と
共振することで電位が発生するさまが見えた。
そして、姿が見えないがこれらの共振ループを
維持・創発していこうとする微細次元における生命クオリアが
存在したはずだ。
発生する電位が生命の主役ではない。
それらすべての物質プロセスを維持・創発していこうとする
志向性こそが生命の本質だ。
それは粗大な物質次元ではなく、
粗大次元と微細次元を相わたる11次元の中に存在するものだ。

以上の像は残念ながら生命発生の瞬間ではなく、
おそらく生命発生から、何万年も試行錯誤を経た後に
定着した生命の持続と創発のひも共振パターンだ。
これら五者の共振が成立する以前の
より原初的な姿が何であったのかは、
現代の科学の探求がもっと進まないと
想像するにも手がかりがない。

RNA以前の生命記憶の媒体は何であったのか?
生命記憶が成立する以前の生命とはなんだったのか?
生命の本質である志向性の姿はまだ見抜くことができない。
それは可視的な物質ではないから
映像的に想像できるものではないのだ。
ここから先は、ひも理論の前進とともに、
未知に包まれているウイルスやプリオンのような
生命の前駆形態がもっと研究されるのを待つしかない。

*******************************

上図は、私が見たイメージにできるだけ近い図をネットから探した。
このような固形物ではなく、
これら五種類のひも共振パターンが超高速に振動しつつ、
11次元に複雑にいり組み合い、共振しているさまを想像してほしい。
そして、これらの共振パターンを維持・創発していこうとする
不可視の志向性が11次元的存在として生きていることを。
それが命なのだ。



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40回目の10.8だ。

山崎博昭、安らかに眠れ

死者熱
 
・リゾーム Lee

←バッハのジュッパチ・サラバンド BWV1008 
無伴奏チェロ組曲2番
山崎の命日には毎年この曲を聴きながら踊る。
今年はヨーヨーマの演奏をYouTubeでみつけた。

2007年10月8日

死者熱を踊っていたのは山崎だった

Leeの代表作のひとつ「死者熱」は、
YouTubeの使用規定に触れて削除されたため、
別カメラのバージョンで再編集しアップロードしました。
この踊りは、40年前の今日、
1967年10月8日、羽田弁天橋の
ベトナム反戦闘争で虐殺された盟友山崎が
私のからだに入ってできた踊りです。
1998年、京都黒谷の永運院で踊ったほか、
その後数年間、世界各国で踊り継ぎました。
狂ったように国から国へ、町から町へ
疲れを知らずに踊り続けられたのは
50歳の私ではなく、18歳で死んだ山崎が
私のからだを使って踊っていたからだ。

この踊りをその真の作者である山崎博昭の命日に
彼の霊前に捧げます。

もう安らかに眠っていいんだよ、山崎。
後はまかせてくれ。

この世から戦争と、戦争を遂行する国家をかならずなくしてみせる。
その道はもう見えている。






大野一雄写真集 釧路 撮影・細江英公


この写真集は、大野一雄の強力な支持者の一人だった、
北海道釧路の宮田精神科医の追悼舞踏公演のもの。
私が京都に棲んでいた頃、若い友人であった宮田医師の長女の
宮田有香さんからそのビデオと写真集一式を頂いた。
有香さんは私の京都での公演の音楽を担当して助けてくれた。
有香さんの話によれば、
お父さんは精神病院の経営に疲れ自死なさった。
大野一雄は宮田医師の追悼にその病院で患者の前で踊り、
写真家・細江英光は、この追悼公演の撮影一切を引き受け、
広大な根釧原野に大野一雄を放って撮った。
命の出会いと別れ。
魂魄の写真集である。
宮田医師よ、安かれ!

 大野一雄に捧げる

2007年10月1日

生ける衰弱体への転生

大野一雄は百年をかけて、生きたまま衰弱体に変成した。
その見事な生涯に、いまさら何を言うことがあろう。
百年生きることはそうそう誰にもできるものではない。
ただただ、おめでとうございますと、その奇跡を喜ばせていただく。

大野一雄という奇跡とは何か?


魂に追いすがる

私は若いころ大野一雄の踊りが好きではなかった。
何度見ても同じような踊りを繰り返すばかりにみえた。
80代の大野一雄が舞台に立つ。
右手を上げるのが彼の踊りの始まりの癖だ。
そして、彼の特長になっている大きな手から魂を飛び立たせる。
からだがゆっくり魂に追いすがるかのように動く。
それだけだ。
今から思えばそれだけでもすごいことなのだが、
土方の衰弱体を過剰に追い求めていた私には満足できなかった。
(モダンダンスじゃないか)とさえ嘯いた。
だが、そのころからじっくりと大野一雄は
自分の踊りに劇薬を仕込んでいたのだ。

大野一雄が90歳を越えてなお踊り続けたとき、
奇跡が起こった。
大阪のトリイホールでそれを目撃した。
いつものように舞台に立つ。
右手を上げていく。
(また、いつものパターンか)
そうつぶやきかけたとき、突然挙げかけていた腕が落ちた。
そして、その瞬間90歳の大野のからだが
これまで見たこともない形に褶曲した。
練りに練った始まりだった。
この一瞬の動きはよほど練習しないとできるものではない。
そして、何年間も常道的な動きを見せ続けることによって、
続けてみている観客を騙し、まるで催眠術をかけるかのように
リフレインのやすらぎに誘い込んできた。
そして、溜めに溜めて、
90歳ではじめてそんなどんでん返しを踊って見せたのだ。
私は驚かされた。このひとのどこにそんな
テーブル返しの情熱が秘められていたのだろうと。

その日の踊りは壮絶だった。
踊るからだがほとんど動けるか動けないかの境をさまよっていた。
魂においすがるからだという
いつもの構図はもうそこになかった。
たましいもからだも幽界と冥界を
行き来しゆらぎつづける踊りだった。
すでにどちらも他界に属していた。
ひとつの踊りが終わり、楽屋へ引き返すとき
何度も出口を間違えて舞台上をうろうろした。
これは生きた衰弱体以外の何者でもない!と心の中で叫んだ。
大野一雄は踊りながら生ける即身仏に転生する舞踏を発明した。
その百年の生涯をかけて転生して見せたのだ。

終わって出口で観客を送る大野さんのからだを
私はきつく抱きしめさせてもらった。
そのときいただいたものを私はからだに秘めて生きている。




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