2018

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からだの闇を掘る
 
 

2018年8月23日

 

ヒマラヤ20年目の報告               リゾーム・リー

 

北インドのヒマラヤ山麓ダラムサラに来て今年で20年になった。

なぜ、ヒマラヤに来たのか。

日本にいてはからだの闇に耳を澄ますことができなかったからだ。情報が多すぎて、いのちの声がかき消され、いくら聴こうとしても聴こえなかった。静かな環境の中にいのちを解き放ち、いのちが何を求めているのかに耳を澄ましたかった。

1998年にそれまで住んでいた京都の住居を畳み、それまで作っていたダンシング・コミューンというアーティストのネットワークで知り合った世界中の振付家・ダンサーの友人のつてをたより、世界各国で公演とワークショップの旅を始めた。ほぼ3年で20カ国ほどを回った。その旅の中で訪れたダラムサラの町が気に入った。山以外何もなかったからだ。山腹の土地を30年契約で借り、サブボディ共振塾という舞踏学校を建設した。開校して今年で13年目になる。卒業生は延べ千人を超えた。

ここでは毎朝、からだをゆらいだりふるえたり、ゆっくり動かしながら瞑想し、からだの闇に耳を澄ますことのできる心地よい下意識モードのからだ(サブボディと呼ぶ)になることからはじめる。

古典的瞑想ではからだを結跏趺坐などに固定するが、ここではからだは動きたいままに任せる。十分に気持ち良い下意識モードになると、からだのなかから、忘れていた意外な動きが次から次へと出てくる。それがサブボディだ。

サブボディは、いつどこでも他のサブボディと連結・分離自在なリゾームなので、ほかのひとと共振して動いたり、一人の動きになったりする。

そういういのちの共振だけで踊りを共創するのが、共振塾の特徴だ。

固定的な振付家や演出家の存在は不要だ。そんなものはいのちの持つ無限の創造力に比べれば、限りなく小さい。いのちの創造力をフルに開くためには、個人の力を押し広げすぎないことが重要だ。舞踏はもともと自我や自己の表現ではない。そんなものを「吐き出す代わりに呑み込んで、岩の目で睨み返す」(『病める舞姫』)、それが土方が求めた生命の舞踏だ。

ここでは徹底的に人間を脱ぎ、自己を脱ぎ捨てる。いのちからいのちへ伝わる生命共振舞踏を創出するために、それは欠かすことができない。こんなことは、日本や西欧の情報洪水にまみれた心身では気づくことができなかった。

ただただ毎日いのちに耳を澄まし、「何が一番やりたいんだい?」と尋ね続けて20年。ようやく、日常思考を止め、ただいのちに耳を澄まし続けるという生命共振技法を見出した。それは世界中の誰でもがからだひとつで芸術創造を生きることができるようになる画期的な技法だ。これから世界中に広げていきたい。さいわい世界やインド各地から多くの若者が入学を志願してくるようになった。

だが、いまわたしたちはこれまでにない危機に直面している。彼らの多くは若く貧しく、学費を払うことができない。去年まではわたしが若い頃働いて得た貯金で、学校の赤字を補填してきた。だが、その個人的資金も今年で底をついた。ここからさき、もっと多くの若者を受け入れ、一歩踏み出していくためには、あなた達の後押しで奨学金制度を設けることが欠かせない。伏してごご支援をお願いします。

詳細は、サブボディ共振塾 生命共振芸術基金サイト(構築中)を御覧ください。

 

 

 

 

 

2018年8月8日 

<Xによる還元と再生>と<脱領土化と再領土化>

 夏期集中コースでは、さまざまな実験を行っている。
アダムは土方巽の変容技法<Xによる還元と再生>とドゥルーズ=ガタリの<脱領土化および/または再領土化化>との密接な共振を見出し、夏期集中コースでシェアした。
思いがけぬほど豊かで柔軟な変容が次々に生まれた。
革命的な発見だった。
彼のsite「舞踏マニュアル」から引用し、読者の方々とも広く共有したいと思う。
共振塾の授業の理想形は、だれかひとりの産婆によってガイドされるものではなく、
全員が産婆となり、共同研究者となって多彩な実験が試みられることにある。
すこしずつその理想に近づくことができている。



<還元と再生>

「地層に身を任せ、それが提供する機会を試して、有利な場所を見つけ、脱機械化の潜在的な動きを見つけ、可能な飛行ラインを見つけ、それらを体験し、セグメントごとに強さの連続性を試し、いつも新しい土地の小さなプロットを持ってください」 - ドリューズとガタリ

「Xによる還元と再生」は、土方巽が『静かな家』その他で頻繁に使用した変容技法であり、リゾーム・リーによって更に展開深化されている。「身体のさまざまな能力が増したり、減ったり、助けられたり、拘束されたりする。」すなわち、任意の要素を削減し、逆に再生することによって、心身の変化や動きが無限に変容される。

動きはさまざまな方法で変更できる。何らかのクオリアを選んで増幅または縮退します。スピード、サイズ、密度、体重、年齢、流動性、柔軟性、強さ、人間性、感情、狂気/奇妙さ、美しさ、強さ、存在感、健康、自我などの要素を選択し任意のしかたで増減する。

<脱領土化と再領土化>

ドゥルーズとガタリにとっては、還元と再生は、脱領土化と再領土化になる。
たとえば、わたしたちの日常体のからだや空間は自我によって領土化されている。
これは私の腕、これは私の領域、これはわたしの足跡。。。
脱領土化とは、からだの一部がそれを脱し、ノマドのように国境を超えて動き出す。
誰かの足が私の顔に張り付いたり、私の顔がだれかの腹に生えてきたりする。
領土を去ったり、別の形で再領土化する事もできる。両方とも、領土を作り直したり拡張したりすることも考えられる。

上記のドゥルーズの見解を参照すると、日常のからだは、ツリー的な階層的秩序によって社会的にまたは習慣的に既に固定化されているか、標準化されているものである。
その階層秩序をノマドのように脱することが脱領土化である。
目を例にすると、まなざしは、重度に脱中心化されると、土方の言う「目腐れ」になる。
強度の連続体は、これらの目の感触/質を確かに変える温度、臭気、色などの集中的な差異/特性の無限の変更であり得る。

演習1:1から10

参加者は運動パターンを見つけ、1人は速度、強さ、人間性などの修飾語(Xの1つ)のリストを表示します。それぞれ1〜10が呼び出されます。特性の最小値を1に、最大値を10とする。人間の場合は1人が最も少なく、10人が最も人間である。

演習2:二重性

スティックの音によって、参加者は本質的に1または10だけを利用して、問題のXの極性の反対のものから切り替えます。

演習3:時間による削減(全体の場合)

それが振り付けされているかどうか、あるいは自由共鳴かその間で、5分か10分かかります。その後、もう一度やり直すが、2分に短縮してから、1分、30秒、10秒、5秒に短縮する。
グラデーションシステム

グラデーションでは、あなたの動き/内部状態と多かれ少なかれX(柔軟性)の間を行きます。柔軟性の1つの瞬間(またはその欠如)につかまってはいけませんが、それらの間で移動してください。

例:還元および再生グラジエント:柔軟性





アダムのサイト「舞踏マニュアル」を見る

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 Cobody Dreaming Share
2018年8月8日 

<コーボディ ドリーミング シェア>

  とうとう、長年探し求めていたからだの闇に潜んでいるコーボディを掘り出し、シェアする技法が見つかった。20年あまりの試行錯誤の末のことだ。
鍵は調体方法にあった。

1. コーボディ ドリーミング シェアのための調体

さまざまな秘膜距離で共振する。
それだけで忘れ去られていたコーボディクオリアをからだが思い出してくれる。
・胞衣秘膜―触れるか触れないかの距離で共振する。いのちがさまざまな群れや共振体であった頃を思い出す。
・子宮秘膜―羊水の中の双子の胎児となる
・母体秘膜―個人距離で共振する
・世界層の秘膜―遠く離れたいのちとの共振を思い出す
・接合共振―強く押し合って深く触れ合う

2.コーボディ ドリーミング

からだの一部に耳を澄まし、いのちが群れだった頃のクオリアを思い出す。
いろいろな場所の中から、コーボディのクオリアにもっともふさわしい地形を選ぶ。

3.コーボディ ドリーミング シェア

からだの動きと言葉で、自分のコーボディのクオリアをガイドする。
他の人はそれにからだごと従う。

たったこれだけのことだった。
これだけでみんなのからだから次々と忘れていた群れの動きがあふれるように出てきた。

1. 皮膚の目コーボディ: リー
2. 奇妙なキャタピラ: アダム
3. 単細胞器官: リラ
4. クラゲ: クリス
5. 鳥の歌: ピウ
6. 蜜蜂の群れ: リンダ

わずか一日でこんなに収穫があった。もしこれを二週間に一度くらいの頻度で続けていけば、一学期の間に多数多様なコーボディの動きを全員の共有財産にすることができる。
来期の塾生は幸いだ。かつてない豊かな環境でそれぞれの創造を楽しめる。
こんな大きな可能性が一挙に開いたのは20年ではじめてのことだ。


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2018年7月24日


死者の技法と いのちの技法




「死者は静かに、しかし無限に変身する。」

「死者になることは生命になることに似ている。」
「人間の条件をすべて捨てることだけは忘れないでください。」


土方は、これらの言葉をしばしば弟子に言った。
土方舞踏は死者の芸術であり、また、いのちになる技法とも等しい。
わたしたちはヒマラヤで20年間それを研究しました。そしてとうとう、生命共振舞踏から生命共振芸術へこの技法を展開する秘密の通路を発見することができた。

方法は簡単だ。ただ日常思考を停止し、かすかなクオリアに耳を澄ます傾聴モードに移行するだけだ。
今日、わたしはこれらの重要ないくつかの点、思考を止めるとはなにか、それを行う方法、なぜ思考を止める必要があるのか​​を、ガイドしたい。

日常思考は、毎日同じクオリアを反復している

我わたしたちが日常モードでいるときは、あなたが「わたし」を感じる各瞬間ごとに、無意識裡に自分を支える無数の肯定的なクオリアを呼び寄せ、繰り返し自己の同一性を補強している。
まず、各瞬間ごとに繰り返されている「自己感」、「自己クオリア」を点検してください。
「私は強い」、「私は健康だ」、「私は優しい」、「私は、これについては多くの経験を積んできた。」、「私は、これについては経験が浅いが、何とかやり切れるだろう.....」、「私は....」,「私は.....」
瞬間ごとに私たちはすべての良いクオリアを繰り返し、自我ストーリーを強化し続けている。
ひっきりなしにそうしていないと、自分からはぐれてしまう惧れがあるかのように、反復し、確認し、強化し続ける。
「私」と感じるたびに、無意識の無数の反復が続き、あなたのアイデンティティを無意識裡に維持し続ける。
同じクオリアを繰り返し続ける反復の中に、珍しい他のクオリアが入り込む余地はない。それらはあらかじめ締め出されてしまっているのだ。
これが、日常の思考が生命の創造性を失ってしまった理由だ。自己同一性が、クオリアとクオリアの意外な出会いを阻害してしまっているのだ。

繰り返しの瞬間を狩れ!

だから、いのちの創造性を取り戻すために、最初に必要なのは、日々の無意識裡の反復に目ざとく気づき、止める訓練です。

自分ではありきたりになっているよく知られたクオリアが繰り返し始める瞬間に気づき、それを止めてください。
(きみは自己同一性を強化するために必要だが、創造性には不必要なんだ。邪魔をするからね。)
もし、これができるようになれば、その後、あなたからだの闇は、ひっきりなしにクオリアとクオリアが出会って見知らぬクオリアを生み出す、とても不思議な創造のるつぼに変わるのに驚かされるでしょう。

生命の創造性とは何か?

自我が自己の同一性を反復強化するのに必要がない他のクオリアは、すべて表向きの存在から消し去られ、サブボディ=コーボディとしてからだの闇の奥深く沈み込む。
それらはすべていのちがうまく共振することができなかった一見奇妙なクオリアばかりだ。

サブボディ=コーボディには奇妙がクオリアが詰まっている!

サブボディ=コーボディに潜んでいるのは主に次のようなクオリアたちだ

・いのちがうまく共振することができなかったクオリア
・周縁化されたクオリア
・ 解離されたQualai
・忘れ去られたクオリア
・出てくるのを禁じられたクオリア
・自我がこれは無視してよいと認知したすべての負のクオリア
・取るに足りないとみなされたクオリア

これらの無巣のクオリアが、自我化から解離され、からだの闇にサブボディ=コーボディとして潜んでいる。

それらのクオリアを自由に共振させる

一見取るに足りないクオリアばかりに見える。
ところがどっこい、クオリアの力はその共振性にある。
それらの奇妙なクオリアとからだの各部、からだの声、視覚的な妄想、忘れていた夢、想像などと自由に共振が始まるまで、調体をつづけ、出てくる動きを探求してください。
もしからだの闇に潜んでいた何かのクオリアとからだのどこかが共振して一つになると、とても独特の珍しい懐かしい感慨を伴った新しい踊りが出てくるだろう。
そうだ! それがあなたのサブボディだ!
どんどん珍しいクオリアたちをからだの各部に通し、共振を増幅させていきます。
生命の創造性の秘密はクオリアの共振にある。
クオリアとクオリアは自動的に会い、新しいクオリアが勝手に生れ出てくる。これがいのちの共振による創造力の秘密です。

才能はまったく必要ない。むしろ邪魔だ

クオリアの共振委人間の意思や能力はまったく関係しません。クオリアたちはただただ見知らぬクオリアと共振し、新しいクオリアがつぎつぎと産み落とされる。
それはあなたの夢が意識とかかわりなく自動的に現れるのと同じだ。
サブボディ創造には個々人の特別な才能はまったく必要ない。むしろそれは邪魔をする。もしあなたが自分の知性に自信を持っていれば、それは止められることにありとあらゆる抵抗をし続けるだろう。
体力に自信があったり、習い覚えたからだの動かし方が身についていいればそれらも、ことあるごとにサブボディを乗っ取り、習い覚えた動きに吸収しようとするだろう。そういう持てるモノが少ないほど、自由なサブボディがでてきやすい。

誰もが世界でたったひとりの芸術家になる!

死者の技法は、わたしたちが「人間』の条件をすべて投げ去って、死者になりこみ、
静かにしかし無限に変容していく技法だ。それはいのちの技法と実は同じだ。

ここまでが、サブボディ共振舞踏と、生命共振芸術の坑道の入り口までの案内です。
あとはこの坑道をご自分でたどって楽しんでください。
大丈夫、世界中に多くの仲間がいる。
出会えばすぐに楽しい奇妙な共振が起こるだろう。
生命共振にはどんな境界もない。
地球上をあふれんばかりの生命共振で満たそうではないか。




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からだの闇を掘る
2018年7月22日

 

日常体はなぜ創造性をなくしたのか?
サブボディはなぜ無限の創造性を持つのか?


スリランカで、舞踏論日本語版を書き終えた。

日本語で舞踏論を書きぬく中で、サブボディ技法の根幹の論理が透明に浮き出てきた。


サブボディが日常的な自己から解離されてからだの闇に潜まねばならなくなったのは、サブボディがこの世界とうまく共振できないクオリアを抱えていたからだ。

日常体はうまく共振できるクオリアばかりを集めて、無限回繰り返して、

じょじょに強固な自我を育てていく。

わたしは強い、わたしは親切だ、わたしは品が良い、云々と自己肯定できるクオリアを集めて自己同一性という物語を編む。そして、日々同じ自分という物語を反復し強化に努める。

そこから漏れ落ちたクオリアはすべてサブボディ=コーボディとしてからだの闇に追いやられる。そこは、たった一度だけ経験しかけて、この世に受け入れられないことを知って、そのクオリアを二度と繰り返すことのないまま、からだの闇の奥深く沈み込む。


だから、サブボディに出会うには、

1.うまく共振できなかったクオリアを探る。

2.一度も繰り返されたことのないクオリアを見つける。

3.それが嵩じて、こわばりや凝結、癖、心身の何らかの不自由などの<癇>のクオリアに成長してくぐもっているかもしれない。


この三点を重点的に探ることがとりわけ重要だ。


サブボディと日常体との分岐点をつぶさに観察して、ようやくこの解に出会うことができた。

土方巽が収集した多くの癇のクオリアをからだに落としているうちに、その共通点が自然と体に染み込んできた。

ドゥルーズもこの理解を助けてくれた。


「まだ一度も反復されたことのないもののなかに、未来の創造の可能性が埋まっている。」(『差異と反復』)


ドゥルーズは、「私」や自我や同一性が、無限回同じものを反復して着用していることを鋭く見抜いた。それらは着古されたものばかりでなっている。新鮮なものはそこには何もない。日常体が創造性から疎外されているのは、同じものを反復しているからだ。

これで、なぜ日常体が芸術や創造から疎外されているのかの理由も闡明された。

からだの経験からは分かっていたが、論理的には説明できなかった。

ドゥルーズ、ありがとう。


なかなか理解しがたかったが、伊達に無用な論理を振り回しているだけではなかったんだね。


これで、普段のサティ(微細なクオリアに耳を澄ましてえられる気づき)のポイントにも、一つ加わった。
今までは、言語思考が芽生えたときに、鋭く気づき、それを停止することを重視していた。
感情や情動に捕らえられたとき、それをすぐにそのまま発現することを止め、呑み込み、からだの中で新しいクオリアに発酵するのを待つ。
そういう大きい傾性に従うのではなく、あるかなきかの不快なクオリア、いのちがうまく共振できないクオリアに耳を澄ます。
これらに加え、同じクオリアを反復しているときにも、それに気づきただちに停止することだ。 人生は短い。同じものを反復し続けて歳をとってはたまらない。
いっときもその繰り返しに陥るのを止め、上記三点に耳を澄まし続けることだ。
24時間下意識モードになって耳を澄まし続ける。 これが日々創造性にあふれた人生を送る極意だ。
土方は下意識のからだになりこみ、癇のクオリアを発見した。
ドゥルーズは日常体を批判し続けることで、この解に至った。
思えば両者と格闘し続けて半世紀が経った。 そしてようやく両者が一つになった。
どちらも人類に新しい創造をもたらそうとしたものだ。つながっているのは当然だ。
だが、そのつながりの論理を見出し、共振によって一つになるのを発見したのは、これがはじめてのはずだ。
日常意識と下意識のからだを自在に行き来するツリーリゾームという技法を探求してきたことの小さな成果がようやく得られた。
わたしたちはさらに深く、からだの闇のクオリアとからだの動きとの間の妙なる間、
クオリアと言葉の間の妙なる間に耳を澄まし、下意識のいのちに馳せ降り、動きや言葉の世界に馳せ上がる道を探求し続けるだろう。
それは誰にでもできる、生命共振芸術を世界に広め、誰もの人生が芸術に転化する輝かしい道を開くだろう。
ようやく行く手が開けてきた。



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2018年4月22日

せぬ隙という花

 

土方巽の<頭蓋内舞踏>、世阿弥の<せぬ隙>

土方は「静かな家」で繰り返し、頭蓋内だけの舞踏について書いている。

「手の恋愛と頭蓋のなかの模写は断絶してつながっている。」(10節)

「手のなかへの求心的な恋愛を頭蓋のなかにすっかり置き変える。」(26節)

これは、手の求愛の踊りをただ頭蓋内だけで踊るという舞踏譜だ。

そとにはなにも動きとして現れない。

世阿弥もまた、せぬ隙について書いている。

「見所の批判にいわく、「せぬ所が面白き」などということあり。

これは、シテの秘するところの安心(内心の心遣い)なり。

まず、二曲(舞と音曲)をはじめとして、立ちはたらき・ものまねのいろいろ、ことごとくみな身になすわざなり。

せぬ所ともうすは、その隙なり。このせぬ隙はなにとて面白きと見る所、これは、油断なく心をつなぐ性根なり。

舞を舞止む隙、音曲を謡い止む所、その外、言葉・物まね、あらゆる品々の隙ひまに、心を捨てずして、用心をもつ内心(心の奥での心づかい)なり。

この内心の感、外に匂いて面白きなり。」

さらに言う。

「この心(内心のはたらき)をば、人に見ゆべからず。もしもし見えあ、あやつりの糸の見えんがごとし。返す返す、心を糸にして、人に知らせずして万能をつなぐべし。かくのごとくならば、能の命あるべし。」

(『花鏡』 応永31年、世阿弥晩年の書)

せぬ隙は、世阿弥が晩年に会得した妙花の境地だ。 

この文章からは、世阿弥の晩年には、せぬ隙を「面白し」と味わってくれる、高度な観客層が育っていたことが伺える。

能や舞踏はそれを楽しんでくれる観客層とともに育っていく。それが生命共振だ。

わたしたちも、いかに現代の観客と共振し、かれらを生命共振の世界に引き込んでいくかを探求する必要がある。


フラマン劇場

先週末、古い塾生のジオが来て、彼女の長年のテーマである、フラマン劇場を現在の塾生とともに共創した。フラマンとは、立てないクオリアを命がけで立ち、動けないを踊る土方舞踏における最弱の衰弱体である。

今年目指している「病める舞姫」世界や、「はくせいの春」、「陰気な空気」などの衰弱体による劇場の共創においては、全員が自我や自己表現を脱いで、いのちにならなければ実現できない。

だが、今期の長期生はすべてフラマンになりきって踊っていた。それはとても美しかった。共振塾史上はじめての光景だった。

3月以来のいのちになる苦行の成果が出始めた。

来週からは、土方の「頭蓋内の舞踏」、世阿弥の「せぬ隙」という、内心の舞踏技法の血肉化を目指そう。そのごくごく微細なクオリアに耳を澄ます世界からどんな共振リゾームが巻き起こるか。

これまでどうしてもできなかった実験がようやく可能になってきた。 




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クオリアとひも理論 
2018年4月15日

  クオリアとひも理論 


私は20年以上にわたってからだの闇の中のクオリアに耳を傾け続けてきた。
そして、クオリアは人間だけではなく、すべての細胞生命が共振しているもので、
それはおそらく微細次元におけるひも理論のいうひもの共振パターンの違いによって生まれているだろうという仮説を得た。
その仮説をあなたと共有し、あなたからのフィードバックを聞きたいと思う。
なぜなら、これはわたしにとって長年の最大の謎の一つだからです。



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いのちのリズム
 
静かな家と病める舞姫の通底本質
 
静かな家と病める舞姫の通底本質


静かな家と病める舞姫は、言葉や表現は異なるが、同じことが書かれている。
土方巽は、最も大事なことを最初に凝縮する癖がある。
それぞれの第1章に、通底するエッセンスが込められている。
この講義はこの最近の発見をシェアしようとしたものだ。

“Quiet House” original text

 

  

1. “The Red God”

A girl who plans an evil deed in the rain

Keep Floor Face throughout the whole time

Obsess with Salmon Face compulsively

Stuffed spring

Nest of Forest (*1), Nest of Eyes (*2), a moth placed on a wooded board (*3)

A vaporized candy maker or the Christ drawn as a Samurai warrior

A fine spider’s thread that runs on the forehead

Beggar

Cat Waist

Behind World

Garbage disposal place

When I rubbed a mirror, there was a swaying shadow of flower

A fragile sound collapsed in a shed

Can Factory (*5)

Regenerate a reduction by X (*6)

Behind the mirror

"Sick Dancing Princess”

1st chapter

 

[1 The method of clouding* the body]
* obscuring 

[Thinned down waist smoke bugs])

"Hey look at them! 
Insects are alive without breathing. 
Look! The thinned down waist smoke bugs have come walking this way. Surely there could be a bug at the middle, reincarnating into something.”
I've been brought up with the method to obscure the body, participating in such as observations I overheard. 

[Shrink and attentiveness]
All because, shrink and attentiveness of old man which knew the uselessness of body had been wandering about me.

[Strange brightness and something shady]

Also the boy as me suddenly became stupid without any intention, and kept like a strange brightness but only just barely alive. And yet, my eyes fell into something shady as if they were cursed, I had an excessive curiosity towards such nameless things as lead balls or string. I was forced to work in the eyes like a spy, guessing that the lead ball and string must be pretending to rest.


 Common Essence of Quiet House and Sick Dancing Princess
 

“Quiet House” original text

 

  

1. “The Red God”

A girl who plans an evil deed in the rain

Keep Floor Face throughout the whole time

Obsess with Salmon Face compulsively

Stuffed spring

Nest of Forest (*1), Nest of Eyes (*2), a moth placed on a wooded board (*3)

A vaporized candy maker or the Christ drawn as a Samurai warrior

A fine spider’s thread that runs on the forehead

Beggar

Cat Waist

Behind World

Garbage disposal place

When I rubbed a mirror, there was a swaying shadow of flower

A fragile sound collapsed in a shed

Can Factory (*5)

Regenerate a reduction by X (*6)

Behind the mirror

"Sick Dancing Princess”

1st chapter

 

[1 The method of clouding* the body]
* obscuring 

[Thinned down waist smoke bugs])

"Hey look at them! 
Insects are alive without breathing. 
Look! The thinned down waist smoke bugs have come walking this way. Surely there could be a bug at the middle, reincarnating into something.”
I've been brought up with the method to obscure the body, participating in such as observations I overheard. 

[Shrink and attentiveness]
All because, shrink and attentiveness of old man which knew the uselessness of body had been wandering about me.

[Strange brightness and something shady]

Also the boy as me suddenly became stupid without any intention, and kept like a strange brightness but only just barely alive. And yet, my eyes fell into something shady as if they were cursed, I had an excessive curiosity towards such nameless things as lead balls or string. I was forced to work in the eyes like a spy, guessing that the lead ball and string must be pretending to rest.


 
Xによる還元による「はく製の春」の共創
 2018年4月6日

Xによる還元による「はく製の春」の共創

土方巽が、「静かな家」で創造した<はく製の春>の世界は、Xによる還元という土方独自の変容技法を応用することによって共創することができる。

たとえば、全員が粗大な動きを削減すると、 "はく製の春"という死物による世界が生まれる。
速度を落とすと、超緩速の動きの世界になる。
声を削減するとサイレントシャウトの世界を共創することができる。
このように、<X還元技法>を使って日常見慣れた人間の動きから任意の要素を差っ引くことによって、多様な舞踏世界を生み出す実験をシェアした。

今月、共振塾ではこの世界共創技法に焦点を当てる。
さて、どれほど意想外な世界が生まれ出るか。
新しい実験はつも楽しみだ。



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 <鮮深必>探体技法
 2018年4月3日

<鮮深必>探体技法

耳を澄ますー動くー耳を澄ます

いったい何に耳を澄ますのか?
からだの闇の探りかたとはなにか。
わたしたちが下意識モードになってからだの闇に耳を澄ますと、まずなんだか判然としない非二元クオリアの雲に出会う。夢とも記憶とも幻想とも想像力とも判別できない非二元クオリアがただただ変容しながら流動しているのに出会う。
そうだ。24時間明晰夢を見続けるようなものだ。そのなかからじょじょに次のようなクオリアが析出してくるだろう。

<鮮=新奇なクオリア>

十分な調体によってサブボディモードになる。内に半分外に半分耳を澄ます透明な共振体になり、世界中のどんな未知のクオリアでも共振できる心身状態を創り出す。
そして、これまでであったことのない新鮮なクオリアに出会ったら、からだごとそれに乗り込んでいく。
どんな奇妙な動きが出てこようと判断なしにただからだからだで従う。これらの新鮮なクオリア群が創造の資源となる。
新奇なクオリアの中にはたくさんのバリエーションがある。チャンネルごとに耳をそばだてるべきポイントを紹介しよう。

<体感チャンネル>
・気になる体感
・なんとなく心地よくない体感
・目新しく珍しいクオリア
・しつこい身体症状
・秘腔、秘液、秘膜のクオリア

<運動チャンネル>
・自然に出てくる動き
・今まで知らなかった新鮮な動き
・つねに未知の動きを探る
・秘関、秘筋、秘経を開く
・今までしたことのない姿勢で斬新な部位を動かす

<視覚チャンネル>
・瞬間的な幻想
・気になる夢
・頻繁に訪れる妄想

<聴覚チャンネル>
・勝手に出る声
・不意の体腔音
・誰かのささやき
・懐かしい歌
・ 動物、植物、鉱物から聞こえる啓示

<情動チャンネル>
・ あるかないかの不快感
・内臓からのメッセ-ジ
・忘れていた幼年期の気持ち

<人間関係チャンネル>
・関係妄想
・母または父との記憶
・アニマ・アニムス幻想

<世界=自己チャンネル>
・未知の恐怖
・よくわからない心地悪さ
・逃げ出したい衝動
・忘れられない悪夢

<思考チャンネル>
・癖・中毒・習慣
・循環的な思考
・いわれのないこだわり
・自我のあらわれ
・超自我の指図
・隠されていた関わりの気付き
・突然のひらめき
・24時間のクオリア思考

<深=深淵につながるクオリア>


・自分の知らない深淵への神秘的なつながり
・なんとなく気になる姿勢や動き
・なぜか分からないが、自分の秘密につながるような動き

<必=必然のクオリア>

・自分の全体・いのちの全体が強く共振して震える
・この踊りこそ私だという感じ
・自分の知らない秘密と出会う
・無性に探りたくなる深淵
・いのちに「この踊りを何千回でも踊れるか?」と尋ねる。もしいのちから「もちろんさ!」という答えが返ってきたらそれはいのちにとって必要な踊りだ
自分の世界=自己イメージが根本から変わってしまう踊り

いのちにとって必然の踊りに出会い、それを踊るとからだの闇の深いこんがらがりが少しだけ変わる。いのちは不透明だっったそれが再編集される。
それこそいのちにとってもっとも根本的な治癒になる。
ひとつのこんがらがりが解ければ、すぐさま次のもっと深い闇にぶつかる。だからこれは永遠に続けるしかないプロセスだ。

耳を澄ますー動くー耳を澄ます

からだの闇に耳を澄ますー姿勢、速度、からだの踊り場、密度などをすこしずつ変えながら動くーそして耳を澄ます。
動きながら微細な変化に耳を傾け続ける。
新奇な、深い、必然のクオリアに耳を澄ます。
これはからだの闇を探る永遠の旅だ。



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2018年3月28日

土方巽はツリーリゾームの稀代の魔術師だった

今年は今週から土方の「静かな家」の共同研究を始めた。
去年までのわたしのガイドに替わって、長期コースの塾生が1章ずつ受け持って共同研究を進める。
初回のアレックスは、まったく新しいリゾーム的な方法を編み出した。
私は去年まで、わたしが囚われていた段階的な成長理論による方法でガイドしていた。
1)まず音読する、
2)不明な意味の説明、
3)からだで読む、
4)自分なりの応用・発展という具合だ。
十年もそれを続けると飽きてくる。
今年はあらゆる方法で従来のツリー的な方法を破っていこうとしている。
アレックスは意味など説明せずに、いきなり、ひとことずつ非常にゆっくりと読んでいった。他の人は目を閉じそのことばをからだの闇で共鳴させる。それはとても面白い実験になった。
すでに共同研究者たちは自分固有のクオリア雲を3週間にわたって収集し、それをからだのまわりにクオリアの雲のようにまとう体になっている。だから土方の言葉は直接それと共振してさまざまに響く。それに耳を澄ますいい時間が生まれた。

第1章の副題は「赤い神さま」だ。
アレックスは、「レッド」と読む。他のものはそれぞれがシェアしている赤のクオリアを思い浮かべて味わっている。つぎに「神様」と読む。これも文化によって違いはあれ、それぞれの神のクオリアを思い浮かべている。
そのつぎに、「赤い神さま」と読むと、誰もそれがなにか思い浮かべることができない。初めて耳にする意外な言葉だからだ。だれもが混乱して、赤い神さまってなんだ? と虚空に問うている。いやおうなく<訳のわからないクオリア。にぶつかるしかない。
それがまさしく土方の目的そのものだった。わたしたちのいのちはいつもわけのわからないものに突き動かされている。私は毎日の調体で、「誰かがあなたの頭から空につながる糸を動かす」と言い続けている。その「誰か」が誰であるかなど、誰も知らない。「赤い神さま」とはその訳のわからないものを指す。
 その「赤い神さま」が「静かな家」の隠れた主人公なのだ。土方はそれを『病める舞姫』では、「空気中に棲む見えない大きな生きもの」と呼んでいる。いつもそれが人々を動かすのだ。
舞踏とはそのような未知の、不可視のクオリアを踊るものだ。それが「生命の舞踏」の本質である。
今日みんなはその本質的な謎に深く触れたことだろう。

「舞踏譜による舞踏」ふたたび

静かな家の朗読を聞きながら、それにしても、と私は思った。
土方とは、クオリアと言葉の間を自在に行き来する、なんという稀代の魔術師だったのだろう、と。かれはまさに、いまわたしたちが探求しようとしている非二元リゾームであるクオリアと、二元論的な言葉のツリー世界とを行き来する’ツリーリゾーム技法の名手だったのだ。
わたしたちは今その技法を探求しようとしているが、なんと土方は50年も前に、遥かにその道を突っ走っていたのだ。
土方の直接の弟子たちは皆、何箱ものダンボール箱いっぱいの舞踏ノートを書いた。それがみな土方が紡ぎ出した魔術的な舞踏譜の何万語ということばの記録である。

直接の弟子たち全員がその謎と秘密に満ちた舞踏譜のことばと格闘し、必死に共振しようとしたであろう。なんという豊かな経験だったろうか。
土方の死後、そのような稀代の魔術師はまだ現れていない。わたしには土方のようなことばの能力はまったくない。いのちが感じるクオリアをユニークな言葉に置き換えることができない。その代わりに、わたしは土方自身が下意識モードのからだになって、いのちの無限の創造性に触れた方法を見つけ、ガイドすることができる。それによって共振塾の塾生はみな飛び抜けた創造を毎週繰り広げている。
だが、望むらくはいつか、土方のようなクオリアと言葉を結びつける特有の力を持った塾生が現れんことを、とおもう。そうなれば、土方の時と同じように、「舞踏譜による舞踏」が再びこの世に出現するだろう。そのときは日本語ではなく、英語などの国際的に共有できる言葉によるものになるだろう。


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2018年3月11日

混沌、非二元、リゾーム


7年目の3.11フクシマディだ。
あの日多くの人が混沌の中に突き落とされた。
生き方が根本的に変わった人もいるだろう。
共振塾では毎年今日、あの日味わったと同じように、何が何だかわからない
からだの闇の混沌に真っ逆さまに落ちていく。
そして、かすかな生命共振に耳を澄ます。
太平洋の海底でいまも漏れた放射能に侵されて奇形化している小さな命になりこむ。
この混沌とはいったいなになのか。

 

汝の魂はなおも、踊る星を産むための混沌を孕んでいるか?」 フリードリッヒ・ニーチェ

 

踊る星を産むための混沌

 何度読んでもいい言葉だ。この言葉が15歳のわたしのこころを鷲掴みにした。この事件によってわたしはわたしになった。

そして、その後何十年も永劫回帰のように、わたしのからだの闇でこだまし続けた。
若い頃はいくつもの職場や職業を転々としたが、そのつど、この混沌をこぼさないように細心の注意を払って大事に運び続けた。それを詩や文章にしようとも試みたこともあったが、うまく行かなかった。だが、じっとそれに耳を傾け続けてきた。

そして、45歳のとき、とうとうわたしの踊る星は、ほんとうにからだからとびだして踊りだしてしまったのだ。わたしはからだごと踊り手に転生した。その後もからだの闇の混沌を何より大事なものとして耳を澄まし続けている。

この不透明な混沌をすこしでも透けて見えるようにすること。また、からだ(脳心身のすべて)で起こっていることが透けて見えるようなからだになることが、わたしの終生の課題となった。

土方巽はこの混沌をからだの闇と呼び、その闇を毟り続けて次々と舞踏を生んだ。

古代仏教では、無(Nothingness)や空(Emptiness)、道教ではタオ(Tao)と呼ばれた。ギリシャ・ローマ世界ではウロボロス、中世錬金術ではユニテやプリマ・マテリア(始原のもの)とみなされた。それらはすべて、なにがしかの色や味や価値がつけられ、各文化における共同幻想になっている。

この混沌を表す非二元というもっとも中性的かつ普遍的な言葉に触れたのは、20年前にヒマラヤに来てからだ。

若い頃は、ただ混沌としてしか感じられなかったものも、いまでは少しだけ透明になって、

<非二元かつ多次元の生命共振>と捉えることができるようになった。これが何十年かの苦闘の少しの生長だ。

それ以来、ヒマラヤで非二元のからだの闇の旅を続けてきた。はじめはなにも分からない手探りの旅だったが、十年以上続けているうちに、非二元とは、からだの闇の生命共振クオリアそのものだ、ということが腑に落ちてきた。呼吸やストレッチ、ゆらぎ震えなどを使って、下意識モードになり、非二元の生命共振に触れる方法も年年クリアになってきた。それが数々のサブボディ調体技法だ。

ヒマラヤの共振塾では、この下意識界を変容流動する生命共振クオリアに、耳を澄ましてそれにただただ従う。それだけでこれまでになかった動きや踊りがからだの闇からどんどん転げ出て来くる。

非二元多次元クオリアの雲(クラウド)をまとう

今年は特に春先から、これまでのサブボディ技法を、根底から覆すような、革命的な変化が起こっている。わたしのなかでこれまでわたしを捉えていた二元論的な知識やプログラム、段階論的教育論などのドグマの囚われが消え、わたしは毎日なにも考えずに練習場に入る。そして、時間をかけて塾生たちと調体を続けているうちに、どこかかから次の練習方法が訪れる。

わたしは24時間からだの闇に耳を傾け、先週の塾生の踊りで感じた、次はなにかというクオリアを思い出し、からだのまわりにクオリアの雲のように漂わせている。そのクオリア・クラウドから、もっとも面白い探体方法や練習方法が湧き出てくる。

上の絵は、とあるシャーマンのあり方を描いている。彼の周りには祖先の人々の叡智や経験が雲のように分厚く漂っている。シャーマンとはこの祖型的なクオリアの雲をまとい、絶えずそれと共振しながら、現実世界での最適解を探る技能をもつ人のことだ。

(わたしの母は5回変わったが、第二の母(血の繋がりのない祖母)は、地域の人が死んだ家族に会いたいとき、その死者を召喚し成り込むシャーマンだった。

わたしが彼女から受け継ぎ、一歩だけ踏み込んだのは、シャーマンにとっての祖型的なクオリアの代わりに、あらゆる次元のクオリアをからだのまわりにまとう技術だ。土方巽はそれを「病める舞姫」で<からだのくもらしかた>と呼んでいる。かれも秋田の老人から学んだのだ。

言語的な意識を介しないで、ただ下意識モードになって感じられる何ともつかないもやもやとしたクオリア、それでいてそこから無数の新しいクオリアが立ち現れ、しかも無限に変容し続けるクオリアの流れ、この混沌そのものを指して、古来、人は非二元、無、空、タオ、ウロボロス、始原の一など、無数の名を付けてきた。多くの人を惹きつけてやまない、よほど魅力があったのだろう。そのうち、古代の人々は神や仏という、その闇をコントロールする存在を、人間以外の想像界にこしらえ上げた。その神や仏を中心にこしらえ上げたピラミッド型の階層秩序が宗教となった。

それら昔の人とわたしたちとのほんの少しの違いは、わたしたちはなんの意味付けも価値づけもせずに、ただクオリアの無限変容する流れを感じ、からだごとそれに従い、そのクオリアを踊る、という点だ。

そこがいのちの持つ無限の創造性の宝庫だということに気づいたからだ。そこでは生命共振のクオリアが出会い、たえず新しいクオリアが日々刻々と生まれている。わたしたちはそれに静かに耳を澄ますだけでいい。思考を止め、耳を澄ますだけでいい。

これまでの時代では、ごく少数の限られた人だけが創造力を開く極意に触れ、その人々が芸術家や、踊りの世界では振付家と呼ばれた。

だが、いまはもはや誰もが無限の創造力に触れることができるのだから、もう特別な振付家や演出家は要らない。そんな自分だけが見つけた創造力の秘密を隠し、独占して威張っているケチな人。それはもはや死すべき存在だ。

わたしたちは、自分が見つけた最善のものは直ちに共有する。そして互いの創造性をフルに発揮できるような共同の産婆になる。これが古いツリーシステム、ピラミッド状の階層秩序を乗り越え、食い破る未来の秩序、リゾームだ。

リゾームには上も下もない。内と外の区別もない。あらゆるものが自在に共振し、連結し、いつでも自由に分離する。クオリアは分離や連結するたびに新しいクオリアを生む。そのクオリアに従うだけで、どんどん面白い動きが出てくる。

 そしてそれを誰彼なく共有しようとする。

近代では、ごく少数の人がこの創造の宝庫に触れ、その方法を自分だけの秘密にして、振付家や演出家などを名乗った。振付家が踊りを創造し、踊り手はただ振付家に振り付けられて踊る。今もそうしている人々は多い。

だが、そんな時代は間もなく終わる。

だれでも、意識を止め、下意識モードのからだになり、無限のクオリア流動に従うだけで、いのちのもつ無限の創造性を身につけることができる。

これまでのピラミッド型の階層秩序に変わって、全員が創造者となるリゾーム型の共創方法が見つかり、ヒマラヤではもう20年もその実験を続けてきた。

まだまだ入り口の試行錯誤のなかにいるが、無類の可能性を秘めている。わたしたちのサブボディ舞踏ビデオの購読者は一万人を超え、やがて一千万の視聴数をも突破しようとしている。この見たこともない奇妙な踊りへの支持が世界中で拡がっている。

未来はリゾームの世紀だ。



2018年3月4日


明日から新学期が始まる。ヒマラヤは春の陽気に包まれている。
この冬中かけて、英語版の「The Butoh」と、日本語の「舞踏論」の執筆を続けた。
あいにくコンピュータがクラッシュして、日本語版は第三部が未完成のままになった。
英語版に比べ、倍ほども分量がある。英語では書けないことがこんなにあったのだと自分でも驚いた。
そのなかから、新学期にふさわしい記事が見つかったので紹介する。
土方が終生続けてきたこと、そしてわたしが毎日やっていることだ。
わたしの師ミンデルや、フォーカシングのジェンドリンもこれを24時間続けていた。
その、いのちに耳を澄ます方法をシェアしたい。


命の語法

命から意識へいつもかすかなメッセージが届けられている。
それは意識の語法とは異なる。
言語を使わないで伝わるものだから、言語に慣れきった意識にはつかみにくい。
だが、ひとたび命の語法を会得すればつねに命とコンタクトすることができる。
私が外部からの言語情報の外圧のないヒマラヤで、探求してきたのはこの命独特の語法に耳を澄ますことだ。
いくつか確かなものが見つかっているのでご紹介しよう。

からだのなかのもやもや

朝目覚め前にからだのなかのもやもやとした体感を探る。
すると、そこには一晩中命がやっていた仕事の残り香りが漂っている。
夜中に命がする仕事は、その日に起こった新しい体験のクオリアを整理することだ。
新しい体験はひとまず脳の海馬というところに保存される。
そして、一晩かけてそれらの一時記憶のうち長期記憶として保存するべきものと、廃棄するものに振り分けられる。
どういう仕組みでその選別が行われているのか?
眠っている間におそらく命はその日に得た新しいクオリアと過去に保存した内クオリアとをひとつひとつ突き合わせどういう共振が起こるかを試している。
そして既存の内クオリアとは異なる新鮮な共振が起これば、それは<新鮮なクオリア>として特定のグリアに永久保存される。
そしてこの新鮮なクオリアに対し、既存のグリア一つひとつと突き合わせが行われる。
夢の中でさまざまな映像やストリーリーが展開されているのは、この突き合わせ作業で起こっている出来事の反映だ。
そして、その新しいクオリアと既存の内クオリアとの間で、強い共振が起こればその新しいグリアと既存のグリアとの間にニューロンの分枝が形成される。
それが奇妙で新鮮な体感として明け方のからだのもやもやのなかに漂っているあの独特の
クオリアだ。
もやもやのなかにこの<奇妙かつ新鮮なクオリア>を見つければ、それをつかんで離さないことだ。
しばらくからだの闇のなかで揺すぶっているとそれがどんなものかが浮かび上がってくる。
それは新鮮な気づきや発見をもたらしてくれる。
<新奇なクオリア>
これが命からの第一の語法だ。

新しく長期保存された新入りクオリアは、だが、それ以外の無数のクオリアとはまだ、
密接な関係確立していない。
それは<どことなくしっくりこない>とか、<落ち着きの悪さ>という
つかみにくい奇妙な体感として感じられる。
明け方のもやもやの体感の中に、
この<落ち着きの悪さ>のクオリアが見つかれば、
それは新しいクオリアが創発された証拠である。
それはまだ定住して周囲と確かな共振を確立していない。
よい共振を探ろうと変容流動し続けている。
落ち着きの悪さのクオリアをからだの中で転がしていると
そのうちその新参クオリアが保存されている内クオリアと
新しい共振を創発することが多い。
この<落ち着きの悪さ>が命からの第二の語法だ。

以上は一時記憶から長期記憶に変換されるプロセスでのかすかなクオリアだ。
命の仕事は、だが、それだけではない。
もっと根底的に、昼間の意識がなにかに囚われて行っていることに対し
命が違和感を感じたときは<なんとなくそぐわない>とか、<かすかな不快感>のクオリアを発する。
ーこれが共振する生命からの第3の語法だ。
それは何かのクオリアと何かのクオリアが
うまく共振していないことを知らせるクオリアだ。
ここには根底的な命からのメッセージが含まれている。
命はいつもあらゆるクオリアとうまく共振する方法を探っている。
共振欲こそ命にとってもっとも根源的な欲望なのだ。
命から発する、<かすかなそぐわなさ>や、
<何ともいえない不快感>のかたちで届けられるものこそ、
もっとも大事な命からのメッセージである。
フォーカシングのジェンドリンがいう「フェルトセンス」や、
ミンデルの「センシエント」は、すべてこの命の語法に耳を傾けようとするものだ。
このかすかな不快感をつかんだら握りしめて手放さないことだ。
ごくごくかすかなものだが、このメッセージを解くと、
大きな発見に至ることが多い。

毎夜見る夢のなかでは、さまざまな映像やストーリーや
ビジョンとして現れてくる。
だが、夢の具体的な映像やストーリーは
その日に蓄積された一時記憶を長期記憶に変換するかどうかの
より分け作業の最中にアトランダムに古い内クオリアと結びつけられ
保存するかどうかの線上で発生したものなので
偶然の産物であることも多い。
夢を見たら、その夢の特異な映像やストーリーばかりではなく
その夢に漂う体感クオリアをつかんで、
からだの中でしばらく頃がしているとそのまま消えていくか、
前記の三大クオリア、
<新奇さ>、<落ち着きの悪さ>、そして
<かすかな不快感>のどれかに帰着するかする。
この三つは命にとって大事なものだから、
忘れないように握りしめてからだの闇で揺すり続ける。
するといつしかそれと共振するクオリアが見つかって
何を言おうとしているのかが解けてくる。

数十年、命の技法を解こうとしてきた。
ようやくみっつばかりの少しは確かなことを
つかみ出すことができるところまできた。
それらは酷似しているので見分けにくいかもしれないが
あえて分別する必要はない。どちらにせよ、
<なにかのクオリアとなにかのクオリアがうまく共振していないクオリア>である。
共振を求める生命にとって祖型的な不快感に属するものだ。
からだの中にそれまでになかった感じ悪いものが感じられたら
それこそ創造の大チャンスだと思えばいい。

このいのちの語法に耳を澄ます作業を続けながら、ときどき、前項で紹介した土方の見つけた<癇の花>のクオリアを読み返してください。すこしずつ、共振が深まっていくだろう。



舞踏論   土方巽に捧げる

明日から新学期が始まる。ヒマラヤは春の陽気に包まれている。
この冬中かけて、英語版の「The Butoh」と、日本語の「舞踏論」の執筆を続けた。
あいにくコンピュータがクラッシュして、日本語版は第三部が未完成のままになった。
英語版に比べ、倍ほども分量がある。英語では書けないことがこんなにあったのだと自分でも驚いた。
そのなかから、新学期にふさわしい記事が見つかったので紹介する。
土方が終生続けてきたこと、そしてわたしが毎日やっていることをシェアしたい。


第228章 いのちの語法

前項で紹介した<癇>のクオリアは、いきなり探そうとしても無理だ。
それは、長年いのちに耳を澄まし続けているうちに、じょじょに出会っていくものだ。
そして、そのなかのどれかが、自分にとってのっぴきならないものだということが分かってくる。
土方もおそらく、そのようにして、ついに<癇>のクオリアに出会い、そのとりこになったのだ。
ここでは毎日どのようにしていのちに耳を澄ますか。その方法について紹介しよう。

命の語法

命から意識へいつもかすかなメッセージが届けられている。
それは意識の語法とは異なる。
言語を使わないで伝わるものだから、言語に慣れきった意識にはつかみにくい。
だが、ひとたび命の語法を会得すればつねに命とコンタクトすることができる。
私が外部からの言語情報の外圧のないヒマラヤで、探求してきたのはこの命独特の語法だ。
いくつか確かなものが見つかっているのでご紹介しよう。

からだのなかのもやもや

朝目覚め前にからだのなかのもやもやとした体感を探る。
すると、そこには一晩中命がやっていた仕事の残り香りが漂っている。
夜中に命がする仕事は、その日に起こった新しい体験のクオリアを整理することだ。
新しい体験はひとまず脳の海馬というところに保存される。
そして、一晩かけてそれらの一時記憶のうち長期記憶として保存するべきものと、廃棄するものに振り分けられる。
どういう仕組みでその選別が行われているのか?
眠っている間におそらく命はその日に得た新しいクオリアと過去に保存した内クオリアとをひとつひとつ突き合わせどういう共振が起こるかを試している。
そして既存の内クオリアとは異なる新鮮な共振が起これば、それは<新鮮なクオリア>として特定のグリアに永久保存される。
そしてこの新鮮なクオリアに対し、既存のグリア一つひとつと突き合わせが行われる。
夢の中でさまざまな映像やストリーリーが展開されているのは、この突き合わせ作業で起こっている出来事の反映だ。
そして、その新しいクオリアと既存の内クオリアとの間で、強い共振が起こればその新しいグリアと既存のグリアとの間にニューロンの分枝が形成される。
それが奇妙で新鮮な体感として明け方のからだのもやもやのなかに漂っているあの独特の
クオリアだ。
もやもやのなかにこの<奇妙かつ新鮮なクオリア>を見つければ、それをつかんで離さないことだ。
しばらくからだの闇のなかで揺すぶっているとそれがどんなものかが浮かび上がってくる。
それは新鮮な気づきや発見をもたらしてくれる。
<新奇なクオリア>
これが命からの第一の語法だ。

新しく長期保存された新入りクオリアは、だが、それ以外の無数のクオリアとはまだ、
密接な関係確立していない。
それは<どことなくしっくりこない>とか、<落ち着きの悪さ>という
つかみにくい奇妙な体感として感じられる。
明け方のもやもやの体感の中に、
この<落ち着きの悪さ>のクオリアが見つかれば、
それは新しいクオリアが創発された証拠である。
それはまだ定住して周囲と確かな共振を確立していない。
よい共振を探ろうと変容流動し続けている。
落ち着きの悪さのクオリアをからだの中で転がしていると
そのうちその新参クオリアが保存されている内クオリアと
新しい共振を創発することが多い。
この<落ち着きの悪さ>が命からの第二の語法だ。

以上は一時記憶から長期記憶に変換されるプロセスでのかすかなクオリアだ。
命の仕事は、だが、それだけではない。
もっと根底的に、昼間の意識がなにかに囚われて行っていることに対し
命が違和感を感じたときは<なんとなくそぐわない>とか、<かすかな不快感>のクオリアを発する。
ーこれが共振する生命からの第3の語法だ。
それは何かのクオリアと何かのクオリアが
うまく共振していないことを知らせるクオリアだ。
ここには根底的な命からのメッセージが含まれている。
命はいつもあらゆるクオリアとうまく共振する方法を探っている。
共振欲こそ命にとってもっとも根源的な欲望なのだ。
命から発する、<かすかなそぐわなさ>や、
<何ともいえない不快感>のかたちで届けられるものこそ、
もっとも大事な命からのメッセージである。
フォーカシングのジェンドリンがいう「フェルトセンス」や、
ミンデルの「センシエント」は、すべてこの命の語法に耳を傾けようとするものだ。
このかすかな不快感をつかんだら握りしめて手放さないことだ。
ごくごくかすかなものだが、このメッセージを解くと、
大きな発見に至ることが多い。

毎夜見る夢のなかでは、さまざまな映像やストーリーや
ビジョンとして現れてくる。
だが、夢の具体的な映像やストーリーは
その日に蓄積された一時記憶を長期記憶に変換するかどうかの
より分け作業の最中にアトランダムに古い内クオリアと結びつけられ
保存するかどうかの線上で発生したものなので
偶然の産物であることも多い。
夢を見たら、その夢の特異な映像やストーリーばかりではなく
その夢に漂う体感クオリアをつかんで、
からだの中でしばらく頃がしているとそのまま消えていくか、
前記の三大クオリア、
<新奇さ>、<落ち着きの悪さ>、そして
<かすかな不快感>のどれかに帰着するかする。
この三つは命にとって大事なものだから、
忘れないように握りしめてからだの闇で揺すり続ける。
するといつしかそれと共振するクオリアが見つかって
何を言おうとしているのかが解けてくる。

数十年、命の技法を解こうとしてきた。
ようやくみっつばかりの少しは確かなことを
つかみ出すことができるところまできた。
それらは酷似しているので見分けにくいかもしれないが
あえて分別する必要はない。どちらにせよ、
<なにかのクオリアとなにかのクオリアがうまく共振していないクオリア>である。
共振を求める生命にとって祖型的な不快感に属するものだ。
からだの中にそれまでになかった感じ悪いものが感じられたら
それこそ創造の大チャンスだと思えばいい。

このいのちの語法に耳を澄ます作業を続けながら、ときどき、前項で紹介した土方の見つけた<癇の花>のクオリアを読み返してください。すこしずつ、共振が深まっていくだろう。



 
 けむり虫の態変 リゾーム・リー
 2018年1月14日

長い囚われからの寛解

長年囚われていた母への愛憎から解き放たれて、これまで見えなかったことが少しずつ透明に見透かせるようになってきた。
わたしが今のわたしになることができたのは、災難や苦境を含むあらゆる出来事を体験したからだ。とりわけ、幼少時に母から離れて、土地のシャーマンだった祖母と過ごすことができたことは、いまのわたしの根幹をなしている。アニミズム的な世界の見方もすべて祖母から学んだ。土方の幼少時のアニミズム体験に深く共感できるのもその御蔭だ。両親がわたしを手放してくれた体験がなければサブブディ技法も生まれることはなかったし、もともと舞踏家などになろうとはしなかったに違いない。いまはなき両親祖父母に尽きせぬ感謝が湧いてくる。
囚われから脱け出すのに60年以上もかかったことになるが、どんなに遅れても遅くてもここにたどり着くことができただけ、幸いとしなければならないだろう。
次の課題はいまだつきまとっているアニマと性愛の幼児的退行の謎だ。これも何年かかるかわからないが、謎が深ければ深いだけ、解きがいもある。解けたとき何が起こるか、見当もつかないが楽しみが増えた。


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 赤兒のけむり虫 リゾーム・リー
 2018年1月7日

突然の変化

わたしは、3歳から7歳にいたるまで、突然両親がわたしの前から消えた傷に長い間囚われていた。老年に達した今に至るまで、消えた母に対する怒り、悲しみ、寂しさ、憎しみ、そしてどこへも行き場のない愛着などが縺れ絡んだくぐもりに取り憑かれていた。頭ではかれらにのっぴきならない事情があったことを理解しても、不意に吹き上げる情動の噴出をどうすることもできないでいた。
しかし、先週の金曜日、突然の変化が起こった。
いつもの産婆役を離れ気楽に参加している冬期コースで、産婆のパメラは40分間の目隠し歩行をガイドした。実に豊かな40分間となった。
暗闇の中を歩いているうち、突然垂直に切り立つ岩の壁に触れた。校舎の石壁だと気づいたがその瞬間、小さい頃母あるいは父が私に語った話が蘇ってきた。ライオンは赤兒を鍛えるためにわざと崖の下に突き落として育てるという話だった。
その次に庭に放置されている自転車と出遇った。
はじめて自転車に乗れるようになった9歳の頃の寺の境内、隣町に母のミシン内職で造った衣服を届ける中で、悪ガキ共に囲まれて乱闘になった記憶、市電のレールにタイヤが挟まってあやうく轢かれそうになった記憶などなどが蘇ってきた。
不思議なことに、暗闇の中の旅でわたしはそのライオンの物語通り、わたしの幼児時代のすべての経験を受け入れることができた。わたしに厳しい環境を与えることでわたしを鍛えようとしてくれたのだと、両親に対する感謝の気持ちが湧いてきた。
先週の金曜日、私は庭でそれを踊った。階段を転がり落ちて、そこからまたよじ登った。子供時代のわたしが出遇った様々な試練を踊った。小さな自転車と踊っていると見知らぬアニマとのデュエットになった。母ばかりでなく女性とうまく付き合えない関係の絡みもまたわたしにとって試練の場だったのだ。

こうしてゆっくりと、わたし幼児期のトラウマから解き放たれていっているようだ。わたしはいま68歳、なんという長い年月がかかったものだが。からだの闇のなかではなにかが少しずつ動いている。


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 2018年1月1日

40億年目の、新年おめでとうございます

今日は生命誕生以来40億年目の新年です。
海のそばで生まれ育ったわたしは、ヒマラヤに20年棲み続けているいまも、
ときどきしきりに海が恋しくなります。
そして、わたしたちのいのちがいつも原初の海を体内にたたえて生きていることを思います。わたしたちのからだは100兆個の細胞からなりますが、
各細胞は細胞内に原初の海をたたえて生き続けています。
アメーバやバクテリアとおなじように。
とくに、生命のための重要な仕事、たとえば受胎から誕生の過程や脳の活動は、
いまなお原初の海と同じ組成をもつ羊水や脳髄液を離れて行うことはできません。
水を介して、100兆個の細胞がかれらの秘密の方法で共振していることに耳を澄ましてください。
新年の最初の日に、からだのなかのいのちの原初の海に耳を傾けるのも悪くはないと思います。
おびただしい情報と格闘している「人間」としての毎日から離れて、
からだのなかの水にしばし耳を澄ましてください。
わたしたちがいのちであることを思い出させてくれるでしょう。

明けましておめでとうございます!

2018年元旦

リゾーム・リー

 
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