2017

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からだの闇を掘る
 
 癇の祝祭 ゴルカ、リーとコーボディ
 2017年6月11日

これがいのちのリゾームだ!


わたしたちは、自分が人間であると思いこむことによって、
もろもろの人間的錯覚に囚われる。
近代社会では、強いものが良く、弱いものは悪い、健康が善で病気は悪、
健康が美しく、障害は醜い。

それらの錯覚はまた、上と下、中心と周縁をもつ
二元論的な階層秩序のツリーシステムに囚われている。

だが、そんな幻想はただただ近代数世紀の人間が創り出して
自ら囚われ苦しんでいる幻想にすぎない。

日常的な思考を鎮め、からだに耳を澄ませば、そんな錯覚は消え去る。
からだじゅうにある100兆個の細胞は、
みな40億年間の生命史のなかで蓄えてきた生命共振クオリアによって
地球上のあらゆる生命と共振している。
そう。ただ共振しているいるのだ。
生命共振には健康と障害、国境をわかつ境界はない。
それどころか、人間と他の生命を分かつ境界さえない。
すべてのいのちが苦しみ、喜び、ただただ分け隔てなく共振している。

この踊りは、第14回国際舞踏祭ヒマラヤの最終日に公演された。
踊りてはみな内なる癇(うまく共振できないクオリア)に耳を澄まし、
癇(障害)のサブボディ=コーボディを踊った。
そうだ、いのちになれば自分と他者という人間的境界も消える。
サブボディはそのまま共振するコーボディとなる。
これこそあるがままのいのちではないか。

いのちにはツリー状の階層秩序などない。
その反対のリゾームが現出した。
リゾームはいつどこでも自由に連結し、また分離することができる。
未来社会の萌芽形態である。
いや、ただいのちのあるがままの生きようを取り戻すだけだ。
わたしはいつか地球上に生命共振があふれる日が来ると信じている。

ゴルカはわたしのマイクの声をアレンジし、彼の音楽と融合させた。
ここからマイク音声と音楽を差っ引けば、ただの共振塾の授業風景だ。
そこではわたしだけではなく、<ドリーミングシェア>によって
だれかが下意識の出来事を喋りながら、それを動きで共創する。
この実験は2015年ドイツのExit舞踏祭以降3年間続いている。
3年目にしてようやく、いまわたしたちはこれが古来からの能における
謡曲のような要素をもつ新しい舞踏様式に成長しつつあることに気づいた。
この実験はじっくり育て深めていくつもりだ。



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 A Girl / Tatsumi Hijikata 1973/
 

 「少女」のソロを踊っているとき、土方は何をしているのか?


「微細リゾーミング技法」の発見


からだに微細なクオリアを通すカンチェンのさまざまな実験を行い、カンチェン、スローカンチェン、サトル・リソーミングカンチェンへと深めていく。

1)カンチェン(Kanchen):からだのさまざまな部分に多様なクオリアを通す。ふるえ、ゆらぎ、うねり、ショック、崩壊、死などの六道クオリアをはじめ、からだの周りに蓄えてきたクオリアクラウドのクオリアをランダムに通す。

2)スローカンチェン:超緩速でカンチェンを行い、一度にからだの一部分にだけ特定のクオリアを通し、瞬間ごとにからだにどういう変化が起こっているのかに耳を澄ます。

3)微細リゾーミングカンチェン
特定のクオリアがからだのある部分から隣接した部分に伝染し、動きの連続のなかに特定の傾向が生まれていくプロセスをじっくり踊り、そのつどからだに起こっている変化に耳を傾ける。

この実験の第3段階に達したとき、突然大きな気づきが訪れた。(そうか、「少女」を踊りながら土方はずっとこの作業を続けていたのだ!
わたしは土方巽の最期の舞踏「静かな家」に織り込まれた前年の「少女」のソロを長年探り続けてきた。
そしてこの微細リゾーミングを行う中で、ようやくこれが土方巽自身が「少女」を踊りながらやっていた作業だと気付くことができた。
小さなシーケンスや動きのたびに、彼は物理的な動きの外クオリアと「カン工場」ということばで象徴化された記憶や夢や想像などの内クオリアとの間に起こっている微細な生命共振に耳を傾けていたのだ。
そして、最終的に土方は彼が捉えた微細な生命共振クオリアのすべてを「静かな家」の舞踏譜として定着した。
上のビデオを注意深く見て、彼が
からだといのちに瞬間ごとに耳を澄ましている営為を共有すること。じょじょに動きと舞踏譜の共振関係に気付くことができるようになるだろう。
遅くなったが、もしこれを踊り手が身につけることができれば、1ヶ月後に迫った今年のヒマラヤ舞踏祭の踊りは一変するに違いない。
ひとつの技法がからだに染み込み、体得することができるまでには時間がかかる。
だが、何年かかろうと、この態度は身につけるに値するものだ。




 2017年5月11日

相手の問題を“他人事とせず、わがこと”する

今年、わたしたちが試みている
<相互産婆>は、すでにわたしの指圧の師・遠藤喨及氏のが創ろうとしているタオサンガにおいて早くから取り組まれている。
幾度もトライしては挫折し、そしてまた挑戦しようとしている。そのなかで何がもっとも大切なことなのかが、浮かび上がってきている。
<他者をケアするコミュニティ>を共創するということだ。

遠藤: 僕が創りたかったのは、他者をケアーする修行コミュニティの場
だったんです。そのような「場」は、そのグループの成員一人一人に、少なくともお互いをケアーする心と行動がなければ生まれません。

-- そうですね。

遠藤: 
他者をケアーするにおいては、

1)相手の問題を“他人事とせず、わがこと”すること。

2)肯定的関心をもって、相手に問いかけること。

3)相手の気持ちを想像し、共感しながら話を聞くこと。

の3つが基本になります。


実にそのとおりだ。
だが、これを実現するには、多くのエッジを乗り越えなければならない。
今年の共振塾はこれをともに乗り越えていくという課題に直面している。



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 2017年5月11日

透明離見

無数の外部からの目、内奥からの目によって絶えず自分を透明に離見する。確認すべき主な点は次の通り。

1. 重畳の禁

無意識のうちに重複する動きをしているときは、直ちに止め、いままでやったことのない動きを発明する。これは絶えざる創造性を開く秘伝だ。

2. 習慣を破る

慣習的な腕の位置、いつものような脚の位置を許してはならない。絶えず、それを破り、新奇な姿勢での動きを試みる。

3. 秘蔵クオリアを探る

からだの闇の秘膜、秘腔、秘液、秘筋、秘関を開き、からだのまわりに蓄えたクオリアのクラウドと、からだの微細なディテール、部分、全体像との微細な共振をからだに通す。

4. 微細管理技法

からだの各細部に、さまざまなクオリアを通す。それらの部位が相異なる方向に、異なるリズムで、異なるクオリアによって微妙に動かされる。
<スロー・カンチェン>、<超緩速(サイレントスピード)>、<タメ>、<図地兆>、<密度を運ぶ>、<自在跳梁>などの微細管理技法すべてを駆使する。

5. 十体を開く

あらゆる体位、あらゆる密度で自分固有の<十体>を駆使工夫して自在跳梁する。自分のサブボディだけではなく、おたがいのコーボディを共創する中で、静寂体、原生体、獣体、植物体、異貌体、傀儡体、ボトム体、気化体、衰弱体、などの十体すべてを開く。

6. 相互産婆

上記の点をすべて開くことができているか、自分とほかの人たちに等価に耳を澄ます。そして、
相手の問題を他人事とせず、わがこととして受け止め、それを解決する調体・探体を発明し、シェアする。
わたしたちが共創しようとしているのは、
お互いにケアすることのできる未来のコミュニティなのだ。

7 透明になる

上記の点をたえずチェックしながら、次第に<半受動・半能動>、<半分外・半分内>、<50%追随・50%発明>、<50%下意識・50%透明覚>を通じて、心身の透明度を増していく。
これらが、
<サブボディ=コーボディ共創>にいたるための、<透明離見>による絶えざる確認事項だ。



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 鎖 サンドロ・マサイ /
 2017年5月4日

すべての不可視の鎖を踊れ!

この一本気な舞踏はわたしたちのいのちへの貴重な贈りものだ。
彼は可視化された鎖と踊った。
シンプルだが、とても純粋でまっすぐだ。
この鎖は、世界のすべての鎖の暗喩であり象徴だ。
この踊りに触れると誰でも、わたしたちのいのちが様々な不可視の鎖に縛られていることに気づかされるだろう。

そう、現代のわたしたちはなんと多くの目に見えない鎖に縛られていることだろうか。
わたしたちのいのちはそのすべてを踊ることによって、それらから解き放たれる必要がある。
現在わたしたちはインターネットを通じて巨大な情報に縛られている。
インターネットの情報は、この世界を支配し、管理しようとする者らによって日々刻々コントロールされている。
いのちは外側だけでなく、内側にも縛られている。
自我や自己、自己同一性の幻想に縛られ、自己史の特殊性に縛られている。
自我や自己は、国家、宗教、法律、道徳、禁忌、およそすべての共同幻想と相補的に支え合っている。
わたしたちは、内的な未知の傾向、欲望、衝動、願い、悪夢、習慣、中毒などに囚われている。
それらはからだの闇の深い領域に棲む多くの元型や祖型的なものと関連している。
われわれはそれらすべてから透明になる必要がある。
透明になるとは、外にも内にも囚われないことだ。
わたしたちは透明ないのちになるために、それらすべてを初期化する必要がある。
内なる束縛や外なる制約のすべてから解放されるために、それらと格闘し踊りに転化する必要がある。

昨日、わたしたちが拘束されていて、解決する必要があるクオリアを10個見つけて踊るように塾生をガイドした。
さまざまに味わい深いソロが続出した。
また、それに続くコーボディ・シェアでは、かつてない新鮮な世界を共創した。
わたしの最初のソロ「伝染熱」は、20年前のわたしが囚われていた10個の問題を踊ろうとした。のべ百回以上踊るうちに、すこしずつそれらの拘束は消えていった。そして、それまで気付かなかった新たな困難に直面することになった。
からだの闇の旅は、より深い問題に直面し、それを創造に転化する無限のプロセスだ。
透明ないのちになるために、この旅は死ぬまで続けるしかないだろう。

ともあれ、このビデオには、ひさびさに動かされた。もっとも大事なものを思い出させてくれた。
ありがとう! いつかいっしょに踊ることができれば、と思う。
この踊りをfacebookで紹介してくれた、世界中で活躍中の古い塾生アダム・コーアンにも深謝!



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こわれやすい石 ジョナサン 
 2017年5月2日

スロー・カンチェン

昨日午後、カンチェンの動きをシェアしようとした。
カンチェンとは、土方巽の舞踏譜「静かな家」に名のみ記されているもので、
実際のところは不詳である。
ただ、床を這う瀕死のフラマンの動きや、超緩速の動き、脚が気化するフロアテクニック、気化するからだ、低くしゃがんだ姿勢の、花摘みや洗濯など灰娘の動きなど他の知られている動きを差し引くと、残る可能性は座位と立位の間で、細かくふるえながら上下する動きに絞られてくる。
もし、精確な意味をご存じの方がいればご教示願いたい。
とりあえず、中間位のフラジャイルなからだの各部をさまざまな微細なクオリアが通過してふるえながら上下する動きと仮定しておく。
ところが、多くのダンサーたちは幾分速い速度のふるえを通したために、
最初は心地よくその動きを楽しんでいたが、数十分の探体の後に、稽古場にもどると、なんと全員が眠りこけていた。
どうやら、心地よい振動をからだに通し過ぎると、まるで列車の振動に共振して眠くなるように、催眠効果があるらしい。
そこで、今日は速度を極端に落として、ひとつひとつのふるえやゆらぎをからだの各微細部に通す、
スロー・カンチェンを試みた。
上のビデオのジョナサンの動きのように、じっくりからだに耳を澄ましながら動く。
すると、これは疲れもせず、眠くもならず、逆にひとつひとつの動きを味わいつつ、それによる微細な心身の変化を克明に味わえることがわかった。
うごきながら、これはこれまでに経験したどの動きに比べても、より鮮明に透明覚を開くことができるものだった。
より正確に言うと、
下意識半分、透明覚半分のもっとも望ましい透明状態が可能になる。
長年求め続けてきた透明体へ続く坑道がやっと見つかった。
ここしばらくはこの坑道を掘り進めたい。



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消失するものよ! リゾーム・リー
 2017年4月28日

消失するものよ! リゾーム・リー

三歳のとき、突然母が消えた。
父親が芸者を孕ませ、その罰金に住んでいた家屋を売り払って、
両親は和歌山から大阪に夜逃げした。
わたしひとり祖父母のもとに残された。
おそらく、三歳のわたしは泣き続けたことだろうが、いつしか祖母を第二の母として慕うようになった。
七歳のとき、母と慕っていた第二の母・祖母が消失した。
祖父母のもとから、騙されて実の両親のもとに送り返された。
その二度の母の消失がわたしを「わたし」にした。

それ以来、非在するものはわたしにとってもっとも共振するのが苦手な対象になった。
いったい、いつか消えるかもしれないものと、どうすればうまく共振することができるのだ。
すべての女性はいつか消えてしまうものであるという強い固定観念がわたしに刷り込まれた。
愛の失敗者としてのわたしの自己史はそうしてはじまった。

そのうちわたし自身もまた、消失するようになった。
人は自分が世界から扱われたしかたをもとに、自分を扱う方法を学ぶ。
そして、世界を扱い返す術を身につけていく。
わたしは幾重もの消失の術を覚えた。

ひとつめの術は「のっぺり」だ。
若い頃、友人の一人が言った。
「りーさん、話しているとき、ときどき顔がのっぺりとなってるよ。自分で知ってる?」
友人たちと談笑しているときに限らず、道を歩いているときも、
ときどきわたしのこころは無表情な「のっぺり」とした顔を現世に残して、異世界に遊び出ていたらしい。
若年の頃のこの体験は、のちに下意識モードの心身・サブボディの発見に繋がった。

第二の消失の術は、存在ごと消えることだった。
さまざまな関係から、わたしはある日を堺に忽然と消えるようになった。
若い頃から続いていた友人たちとの関係から消え、職場から消え、
十年続けたトライアスロンのグループから消え、二十年続けた家族から消え、
京都で出会った踊りの仲間たちとの関係から消えた。
いつもある日突然二念なく関係を絶ち、日本から消え、
世界の他の国で踊り、ヒマラヤに移住することになった。

第三の消失の術は、<脱自>だ。
共振塾で産婆稼業をはじめた。
世界からやって来る共振塾生たちのからだの闇から、サブボディ=コーボディが誕生するのを手伝う仕事だ。
だが、サブボディが生まれ、ある程度まで生長すると、今度は産婆役のわたし自身が邪魔者になる日が来る。わたしがいないほうが、生まれでたサブボディが自立してより自由に創造性を発揮することができる瞬間がかならずやってくる。
これまでの十数年の経験のなかでは、その瞬間はたいがい期末の舞踏祭を迎えるころにやってきた。
その瞬間を見計らって、わたしは脱自し、産婆役を停止し、消失する。
深淵に直面した塾生の中で激しい生死の葛藤が繰り返される。
関係はすべて共振だから、わたし自身、何人ものサブボディの誕生の成否と共振している間に
、生死の間を行き来する、チベット仏教でいう<バルドー>のような非在の存在になってしまうのだった。

今年は春先から、例年にないペースで塾生の創造性は爆発し、
なんと四月の半ばから、覚えのある<バルドー>が始まった。
これまでは、これが何であるかわからず「世界チャンネルの魔」とも呼んでいた。
創造性が深まると誰もが非二元の深淵に近づき、悪夢や忘れていたトラウマが情動の嵐となって吹きすさび、睡眠や心身の体調の異変に見舞われる。
産婆とは塾生たちのそのすべての異変をからだで受け止め、魑魅魍魎が跋扈する日夜をともにする存在だ。
生半可なものではない。
塾生のクオリアの乱流は、わたし自身の思いがけないトラウマの噴出となって一身にふり掛かってくる。

先週から、すでに奇妙な事態が起こりだした。
くわしくは別項に譲るが、その結果、今年は例年よりはるかに早く、
先週から週末恒例の公演の運営を塾生に任せるようにした。早々と産婆役を降りはじめた。
この分だと、五月の早い内にわたしはすべての産婆役を終えることになるだろう。
幸い、3月はじめから単独の産婆ではなく、相互産婆になるよう訓練を積んできた
。塾生たちが相互にお互いのサブボディ=コーボディの誕生を支え合い、助け合う仕組みだ。
それでなくとも全員が自分のからだの闇から噴出する創造の嵐にいっぱいいっぱいになっている。
そのうえ今年は他の人のそれにまで関わらねばならない。
きついだろうが、この難関を超えることが未来の関係への通路だ。
未来から自分を透視する新しい透明離見を身に着け、
落伍者なく後一月半、過ごせることを願う。

上の踊りは、塾生相互のサブボディ絵画と共振して踊ったときのものだが、
期せずして長年の宿敵である<消失するもの>と格闘する踊りになった。
わたし自身もはや踊る以外に降りかかる問題を解決する方法がないところにまで追い詰められている。
産婆を降り、踊り手として生き直す年になるかもしれない。



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 2017年4月18日

深層探体8番 衰弱8チャンネルクオリアを通す
 
固有の衰弱体を発見するためのからだの坑道の掘りかた。
からだの各部、内臓や背骨や微細な深層筋にさまざまな
衰弱クオリアを通す。

身腐れを通す
し腐れを通す
目腐れを通す
声腐れを通す
情腐れを通す
間腐れを通す
世腐れを通す
自腐れを通す
思腐れを通す

これらのクオリアをランダムに通している間に、
物理的な動きのクオリアと、
記憶や夢などの内的なクオリアが一つになる瞬間がある。
その瞬間を狩る。それがきみ固有の衰弱体の踊りになる。
それを見つけてからだ、衰弱体の必然性を探るのは。
なぜ、衰弱体なのか。
その探求の中で、土方巽の必然と共振し、
ひとつになることができる。




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 2017年4月16日

無限共振体に向けて

かすかなふるえ、
かすかなゆらぎ、
かすかなねじれ、
かすかな衝撃、
かすかなこわばり、
かすかな消失

これらのクオリアをからだの任意の各部に通す。
何気ない気軽さで、ランダムに、透明に通す。
さらにはこれらのクオリアが混合した複雑なクオリアを通す。
通しているうちに、なんらかの物理的な動きのクオリアが、
忘れていた固有のクオリアとひとつに合体することがある。
その瞬間を狩る。
その一つに結晶したものだけが自分固有の舞踏だ。
からだのほんの細部の踊り、部分の動き、
ときにからだ全体に及ぶこともある。
ときにはそれをあらゆるチャンネルのクオリアとともに通す。
さまざまな呼吸とともに、音楽のリズムやメロディーとともに、
映像的なイメージとともに、情動や顔の表情とともに、
関係とともに、世界イメージとともに通す。
そして自分独特の踊りを狩る。

これからは全員がそれら固有の創造を溜め込み、
それらの動きを生み出す調体法を発明し、シェアしていく。
一年これを続ければ、大きな財産になるはずだ。
共同研究者とは、その富を生み出し受け継ぐもののことだ。

「生命の舞踏」を踊るには、いのちになる必要がある。
いのちになるために、わたしたちはいのちから学び続けねばならない。いのちとはなにかを。
いのちには何の意志も、方向性もない。
ただ生きる。ただすべてを受け入れ、共振している。
無限の共振性はいのちのひとつの属性だ。
いのちは地上のあらゆるクオリアを受け入れるしかない。
受け入れた上で、最適の共振方法をいのちがけで探る。
それがいのちの流儀だ。



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ストレンジ カフェ 
 2017年4月16日

固有の衰弱体を発明する

脊椎ランダム三元


脊椎のひとつひとつの関節や秘筋が、身にまとうクオリアのクラウドに共振して三次元方向にランダムに揺れ動く背骨を磨き上げる。
それがおそらく究極の舞踏体である<多次元共振体>を築く基礎になる。
土方が発明した数々の舞踏体、衰弱体、気化体、削減体、巣窟体、縮まりと気配りの歩行、からだのくもらし方などなどはすべて、一括りにすればすべて<非二元多次元共振体>として捉えることができる。
そのための身体管理の基礎が、脊椎ランダム三元だ。
もっとも深い深層筋が不可視の背後世界に共振するからだを時間をかけてつくり上げる。そういうからだがきたるべき『生命の舞踏』を踊るためにに必要である。共振塾はそのための場所だ。
3月以来何度か脊椎三元の調体を繰り返してきたが、
ようやくそれを踏まえて、自分なりの衰弱体を発明する塾生が生まれだした。
上の「ストレンジ・カフェ」でウエイトレス役をやっているリラは、脊椎を始め
体中の関節がランダム方向にずれるからだを発明しようとしている。
まだ、荒削りだが、これを磨いていけば固有の衰弱体に育つ。
願わくば全員がからだの闇を掘り、固有のからだを掘り出すことに成功されんことを。

第二段階の<共振ヨガ>


そのために、どんな調体と探体を積み重ねていくか。
この4月は、相互共同産婆として、自分が見つけた固有の調体を共有してい
く、第二段階の共振ヨガに進もう。
まずは一日5分から始め、じょじょに時間を延長して、自分固有の世界にほかの人をガイドしていく固有調体を発明する。1時間かけて、午前いっぱいをかけて自分固有の世界をいかに共創するかを工夫する。
これを経て、無類の共振力をもった創造者が誕生するのだ。





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 2017年4月14日

個人神話と世界神話

木曜日、長期コースと短期コース合同でカングラフォートを訪れ、熱帯雨林の中で踊った。

<ドリームシェア>、<原生夢劇場>、<相互産婆>、<下意識=透明覚>を通して、わたしたちは<サブボディ=コ―ボディ>に変成する。
それらを通じて、いったいわたしたちは何をしようとしているのだろうか。
おそらく、わたしたちが切り開こうとしているのは、個人神話と世界神話の混沌とした統一を共創することのできる地平なのだ。
古代の人々は国の神話と地方神話を共創した。だが、現代では、誰もそんなものをつくらない。なぜなら、膨大な情報洪水がわたしたちの脳を浸潤し管理しているためだ。
それを克服し、思考を止め、情報洪水の束縛から解放することによって、わたしたちは斬新な個人神話と世界神話の混沌を共創することができる。
それはおそらく個人の変化と世界の変化のかすかな始まりなのだ。



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 2017年4月12日

<Xによる還元と再生>を実際の創造過程でいかに使うか

昨日、私たちは、次のような原生夢、人生で見たもっとも印象的な夢を思い出し、シェアし、共創した。

ハンガリーベルトコンベア
固体の錯覚
ダリの家
記憶に直面する
分離と復讐
シャープ
サルの攻撃
ケイト
てんとう虫
動きの中の沈黙

幾人かは実際に見た原生夢の代わりに<明晰夢(下意識モード半分、透明覚半分で見る白昼夢)>を共有した。

また、土方の「原生夢」と「明晰夢」の料理の仕方を「静かな家」3-10章で学んだ。彼は原生夢の材料を<Xによる還元と再生>技法によって、自在に料理し創造に転化した。

私たちは原生夢からもっとも豊かなクオリアを手に入れた。それらは生命からの贈り物であり、創造の源泉である。
これらのソースを統合して<透明覚>と<Xによる還元と再生>技法を使って無限に変奏していくのが実際の創造だ。
土方は次のようなX還元の応用例を示している。

 
(馬肉の夢)

私は素っ裸で寝ている、そうして馬肉の夢をみた
  ゆくえは何処へ行ったのか?
  狂王は箱におさめられる
  箱のゆくえは細かい解体につながっている
  髪毛の踊りる
  船
  Xによる還元と再生

  目の巣について

羅漢


トンボ
虫のワルツを踊る髭、すなわちワルツの髭

グニャ、グニャの猫
ゆくえのグニャグニャ
  これら全ては船の部分を構成している

  鼻毛ののび太鳥と箱になった鳥
  これらもまた船が化けたものである。
  あるいは解体された船としてもながめられよう
  私は遠い葉っぱや身近なナッパをみて飛ぶ
  これらがカン工場で嗅いだものである


すべてのクオリアは、サイズ、密度、速度、次元数などを変更して変化させられている。

馬肉の夢 - 行方 - 箱に入れられる狂王 - 細かい解体 - 髪の毛のダンス - 船

船のような大きな建造物から、髪の毛の踊りや、消えていく行方のような不確かなものに、寸法、密度、速度、次元数などを変換することによって、無限の変容をもたらすのが<Xによる還元と再生>の技法だ。

創造のプロセスではからだを動かしながら、X還元や再生のすべてのバリエーションを試し、踊りこむ。3月からからだの各部に収集し続けてきた<クオリアのクラウド>を思い出し、原生夢と混合し、新しいクオリアが生まれるのを待つ。それらから何らかの要素を差っ引いてどんどんX還元と再生をからだで体験する。

動いている間に、からだの動きと自分固有のクオリアがひとつになる瞬間を見つける。それが見つかればそれは世界でひとつのきみ固有の踊りとなる。

これまでの期間にからだの各部に蓄えてきた<クオリアのクラウド>そして原生夢や明晰夢を材料に<透明覚>と<X還元>技法を駆使して、今日からようやく本当の創造プロセスに入ることになる。



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 2017年4月10日

透明になるための<共振リゾーム>

今日、4月から参加した新しい人のためにこれまでに共有したすべての基本的な共振技法を復習し、シェアした。
<合わせ離れ>:共振技法の基本の基本
<合わせ>:同じ共振パターン:鏡、円盤、追従
<離れ>:異なる共振パターン:密度の違い、位置の対照、高さの差異、速度のコントラストなどを共創)
これらのパターンを使用して、様々な人数での共振パターンのバリエーションをシェアした。
デュオ:同じクオリアのシェアまたは、異なるクオリアのコントラスト。その相互変異。
トリオ:1:2、0:3, 1:1:1のフォーメーションで、同一または異なる共振パターン。その相互移行。
カルテット:2:3(デュオとトリオに分かれ、それぞれのグループで同じクオリアを共有し、グループ間のコントラストを共創する。いつでも他のグループに移行できる。)
任意の数:m:n(踊りてはいつも一人、またはm人、n人の数のグループに属し、上のすべての共振技法を使って変容する。)
<共振リゾーム>:上のすべての共振技法を統合するのが<共振リゾーム>である。基本は常に、半分は伝染、半分は発明によって動く。50%内に聞き、50%外に聞く。透明な離見によって、つねに最適の動き、位置、タイミングを見つける。
これらの基礎技法を全員でシェアして、明日からはさらに遠くへ向かうことができる。
今日の発見は、<共振リゾーム>とは、これらのあらゆる共振技法を統合したものだという新しい定義と、<共振リゾーム>は透明になるための必須の訓練だという発見だ。


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 2017年4月10日

ツリーリゾームの透明離見

究極のサブボディ=コーボディは、個人神話と世界神話が重層し、絡み合い、格闘するものになるかもしれない。
今年の新技法<ドリーミングシェア>の実験は、
そういう非二元かつ多次元の生命共振世界を共創することにある。

その過程で、わたしが共有したいのは、
わたしたちが囚われている自他の壁を超えて、
<他者を本当にわがこととして感じられるようになるにはどうすればいいか>という見果てぬ夢のような課題である。
それはわたしにとって、現在の世界を未来の目から見るということを意味する。わたしはこの
<未来からの目>を埴谷雄高から学んだ。すべての問題が解決された未来社会から現在を見ることによって、何が問題になっているのかが透明になる。解くべき問題は自我であり、国家であり、二元論的な拘束である。

日常生活の中では、わたしたちは個々人の枠にくっきりと分断されている。だが、下意識世界では自他の境界がなくなり、リゾーム状に混淆している。それが<サブボディ=コーボディ>であり、<ドリーミングシェア>であり、<共振リゾーム>だ。

その世界とツリー状の合意的現実世界を自在に往還するための技法が
<ツリーリゾーム技法>である。
Xによる還元技法を駆使して、次元数を自在に変換する必要がある。常に、いかに自分が二元論的思考の枠にとらわれているか、いないかを透明化するのが、もっとも大切な離見となる。
自分が何かを思うとき、いつもそれは二元論の自他分離の枠に囚われた見方なのか、そうでない非二元=多次元共振なのかを透明に離見すること。
これができなければ、どこへもいけない。
透明離見はここから外の別の世界へいく切符なのだ。

この個人神話と世界神話の絡み合いの共創を通じて、全体としてどういう世界を生み出したいのか。
どこへ行きたいのか?
それはただカオスでいい。リゾームのカオスがより集まり、うねり、高まり、プラトーとなってどこかへ動いていく。
それだけでいい。それだけですでに何かの始まりなのだ。




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 2017年4月7日

X還元シェア

土方の「Xによる還元と再生」技法を使って、それぞれの削減体を見つけた。
日常体から、何かを差っ引く、それが削減体だ。
土方の数々の衰弱体は、Xによる還元技法によって生み出されたものだ。
ここではすべての塾生がそれぞれのX還元世界を創造する。
それを分かち合い、ノマド・リゾーム(Nomad Rhizome)によって移動しながらそれぞれの削減世界を共創した。
粗大な動きを差っ引いた
微細動の世界、速度を差っ引いた超緩速の世界、柔軟性が差っ引かれた崩壊体の世界(癇の花の世界)、おおくは微細すぎて言葉では言い表せないものが多いが、さまざま<剥製の春>のバリエーションが次々と生まれてくる。
粗大な動きが差っ引かれると、互いの共振も微細レベルになる。
もっともっと耳を澄ませなければ聞こえない。
目や耳では追いつかない。いっそそれを閉じて、大きな額の目をひとつ。第三の目とは、すべての皮膚や秘膜が目になり耳になるということだ。土方はこれを
<皮膚への参加>と呼んだ。

じょじょに、未踏の生命の舞踏へにじり寄っていく。





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舞踏論   土方巽に捧げる

第26章 X還元と再生



Xによる還元と再生は、

土方が長年のからだの闇の旅から掴み出した沈理の精髄である。

異次元のほとんどすべての奇妙な現象をこの一語で管理できると言っていいほどだ。

そこは生命共振の非二元多次元世界なので、三次元や四次元の低次世界では

ありえないとみられていることがいとも容易に起こる。

次元を超え、時空を超えてあらゆるものが別のものに変容し

絶えず変転している。

 

「静かな家」第2節で土方が強調した重要事項―

 

2 重要

 

「死者は静かにしかし限りなくその姿を変えるのだ

彼等は地上のものの形をほんのふとした何気なさで借用することも珍しくない。」

 

死者の変容の自在さを統括する論理もX還元と再生である。
X
は任意の要素でいい。

だが、なんでもいいと言われると想像できないのが私たちだ。

このX還元と再生は八つのチャンネルに分けて捉えるとその全貌がくっきり浮かび上がってくる。

還元と聞くと難しいが、なに算数のマイナス記号だと捉えればいい。

粗大な日常体から、どういう要素を取り除くと(X還元すると)、

どういう衰弱体ができあがるか。
そして差し引いた要素を加えてもとに戻すのが再生だ。
この可能性は無限である。

各チャンネルごとのX還元してできあがる衰弱体のサブボディと

それが群れになったコーボディを次の表にまとめてみた。
この坑道はまだ掘りはじめたばかりだが、無限に深く豊かだ。
サブボディとコーボディの無限の創造の泉だ。
すでに今年の生徒たちは無限のバリエーションを生み出し始めた。

衰弱体を調理するためのレシピ一覧表として味わっていただきたい。

 

チャンネル

X還元

(日常体から何を

マイナスするか)

還元された

衰弱Subbody

還元されたサブボディが群れになる
衰弱
Cobody

からだ

粗大なからだ(粗大身)

微細身

灰柱

気化体

魂 

微細身の群れ

灰柱の群れ

流れる霧

人間の粗大なサイズ

ボトムボディ

箱に詰められたからだ

転石

三次元からマイナス1次元

2次元のからだ

紙、板、壁、粘菌

剥がれる壁のポスター

三次元からマイナス2次元

1次元のからだ

棒、杭、柱

棒杭の林

 

動き

粗大な動き

微細な震え、ゆらぎ、

灰柱の群れ 

速度

微速動、超スローモーション

微速動の群れ 

動きそのもの

動けないからだ
静止

傀儡 

傀儡の群れ

動きの管理力

不随意な動き,

手ぼけ、ヨイヨイ

フラマン

ヨイヨイの群れ

ビジュアル

 

見る目

目腐れ

目の巣

複眼

秘膜

目腐れの群れ

オーディオ

 

人間の発声

12音階音楽

 

体腔音

ヘゲモゲラ言語

死者の囁き

 

サイレントシャウトの群れ

 

発声

サイレントシャウト

サイレントシャウト

情動

人間の表情

床の顔

森の顔

動く森

人間関係

社会的役割

家族役割

性別

年齢

間腐れ

沈理の出会い

宿命的出会い

間腐れの群れ

世界像・自己像

人間

自己

自我

民族

国家

無限変容

生命共振

変容世界

異次元開畳

元型

元型創造

自在元型群

思考

思考

言語

二元論的判断

共同幻想

生命の気づき

 

 

 

 

 

 





 
 
 2017年4月3日

サブボディ技法、静かな家、病める舞姫の大統合

サブボディ技法: 調体5番、秘膜(胞衣層、子宮層、母体層、世界層)
静かな家
目の巣だ。森の巣だ。板の上の蛾
    
:額を走る蜘蛛の巣(ディテールダンス)
     猫の腰(部分の動き) 
     乞食(身体イメージ)
     背後世界

病める舞姫:からだのくもらし方
     :からだの無用さを知った老人の縮まりや気配り
     :うさん臭いものやのろわれたようなものに視線が転んでいき、名もない鉛のたまや紐などに過剰なほどの好奇心を持ったりした。鉛の玉や紐はやすんだひりをしているのだと、スパイのような目を動かすのであった。


これらはみな一つのこと、いのちの微細な共振を踊るための技法である。
日常的な粗大な思考を止めれば、いのちがいつもさまざまな視えないもの、微細なものに脅かされ、浸潤されてふるえていることに気づくことができる。

とりわけ、未踏の舞踏の書である『病める舞姫』には、そのような微細な生命共振の事例が、「痴呆になる寸前の精密さで」収集され、綴られている。

病める舞姫をおどるとは、そのような現代では忘れ去られてしまった微細な生命共振を踊ることだ。

4月第一週のきょうは、スタジオ中に胡散臭いものや呪われたようなものを周辺から収集し、天井から吊り下げ、床に転がし、そこで踊った。不可視のものをまずは可視化して、からだの微細な共振性を取り戻す訓練だ。

これらの微細な生命共振クオリアを、からだの秘膜各層に、散りばめ、クオリアのクラウドとしてまとうのが、土方が老人たちから学んだ
<からだのくもらし方>であり、<縮まりと気配りの歩行>であった。
静かな家で確立された
<微細管理技法>はそれらの共振を、大中小(身体像、部分、ディテール)に分けて管理する技法である。

からだの闇の探鉱25年めにして、ようやくこれまで別個に探求してきた技法が根っこのところでひとつになっていることに気づくことができるようになった。ここを掘ることが、普遍的な
<生命の舞踏>の深化につながるだろう。




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 2017年4月3日

共振の力、全開!

今年の新しい実験の数々は、総合すると<共振力>に結晶する。

<ドリーミング シェア>
<共振ヨガ>
<透明覚を開く>
<相互産婆>
<二重操作>
<共振リゾーム>
<微細管理技法>
<離見>


などなど、すべての実験が多次元的に共振して、3月末の舞踏公演に結実した。
互いの夢を共創するという
<ドリーミング・シェア>を続けてきたことによって、週末の公演で、誰かの夢を手軽にシェアすることで、ユニークな舞踏劇場が次から次へと生まれてくるようになった。
3月第4週の金曜日の定例舞踏公演は、合計12公演、
述べ2時間半に渡るものになった。
5つのソロ、デュオ、トリオ、クワルテットがそれぞれ1つずつ。そして2つの全員によるドリーミング・シェア劇場と多彩な公演になった。
踊りのレベルが例年なら5月末の舞踏祭直前の状況に等しい。
3月時点での過去最大の収穫だ。多くの観客が詰め寄せ、楽しんでくれたようだ。
この自由共振のただ中で、<透明離見>を開き、絶えず最適の場所で、最高の動きができるように、訓練すること。これが次の課題だ。

<24時間のサブボディ透明覚>

4月は、創造技法の共同研究に取り掛かる。

土方巽の『静かな家』、『病める舞姫』を二大テキストに、
<序破急>
<鮮深必>
<花秘謎>
<図地兆>
<合わせ離れ>
<呑み込み>
<タメ>


さらに、<ドリーミング・シェア>で予想外の体験に巻き込まれることで、
ほとんどの人が忘れていたトラウマを思い出し、突然それに襲いかかられる
<エッジ>を体験することになるだろう。
これをみんなで解決する<共振エッジワーク>の実験も必要になるだろう。
そして、
<24時間のサブボディ透明覚>
<脱自>
<いのちになる>
<いのちの神話の共創>

などなどの課題に挑戦していくことになるだろう。
4月の第1日は、今までに例のないことだが、3月の体験の
フィードバックを分かち合う話し合いの日にしようかと思う。
あまりの多くのことが同時に進行しており、たまには何が起こっているのかを
頭で理解しておくことも、悪くはないだろう。
とりわけ、
<透明覚>と<意識>の差異を誤解している人が多いようだし。
すこしはスッキリさせてみよう。




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 2017年3月29日

異世界共創の実験

ここ二十年の土方研究を通じて発見したことの核心が見えてきた。

その第一は、生命が日常世界とは異なる不可視の背後世界と共振していること。
その背後世界は、からだの闇の底深くに刻印されている祖型的な体動や情動、あるいは元型的なイメージが、個人的な原体験や原生夢のクオリアと非二元かつ多次元共振することによって成り立っている。
根本的に合意的現実であるこの日常世界とは異なる論理によって動いている異次元世界であること。
土方はそれを
「沈理の関係」と呼んだ。
あるいは
「深淵図」、「無窮道」とも呼んでいる。
ニーチェは
「混沌」と呼んだ。
わたしは説明的に
「非二元・多次元共振世界」という言葉を使っている。
名称はどうあれ、それこそが生命のもつ創造力の源であること。
土方が開こうとしたのは、だれもがからだの闇に秘め持つ
そういう生命の無限の創造力の源泉であったこと。
おそらく土方自身でさえ意図も予測もしていなかったに違いない。
期せずして、『病める舞姫』の未踏の舞踏が開こうとしたのは、
そういうとんでもない創造力の未知の宝庫、パンドラの匣だった。

そして、20年目にしてようやく、その箱の蓋をどうすれば
安全に開けることができるかが、わかってきた。
その一部をご紹介しよう。

調体八番<細> 微細な異界共振クオリアのシェア

日常意識を止めると、いのちがいつも微細なクオリアと共振し、
ふるえたり、伸縮したりしていることを感じることができる。
これらは、不可視の異界との共振クオリアでもある。
土方が切り開いた衰弱体舞踏とは、これらの異界共振クオリアを踊るものであった。
今日は一日かけて、八覚各チャンネルの、微細生命共振クオリアをシェアした 。

それらは通常の日常体の健康で粗大な動きをすべて止めたときにはじめて現れる。

体感チャンネル <身腐れ>クオリア
ゾクッ、びくっ、ゴワッなど、期せずして訪れる微細体感。

運動チャンネル <し腐れ>クオリア
ピクッ、グニュ、ふわ~など、勝手にはじまる微細な動き

映像チャンネル <目腐れ>クオリア
オヤ?、もわ~、ヒャー、など、見えるはずのないものを見ている目

音像チャンネル <声腐れ>クオリア
シャワシャワ、ヒソヒソ、ヒュー、など、異界から聞こえてくる、またはからだから出 てくる息声、体腔音

情動チャンネル <情腐れ>
ピキッ、モゾッ、ヌメ―など異様な情動が顔に出て来る。

人間関係チャンネル <間腐れ>
ストレンジな仕方で愛しているという。二重拘束(ダブルバインド)された仕方で人に関わる。

午前中は関係チャンネルまでの微細クオリアをシェアし、20分間の自由共振劇場を行った。これまでにない面白い展開になった。

世界チャンネル <世腐れ・自腐れ>

午後からは自己催眠を経て、各自の世界チャンネルの
<ドリーミング・シェア>を行った。もう今月数回目になる。

共創し、シェアした世界変のクオリアは以下のとおりだ。

カラのからだ・満ちたからだ
世界に踏みつけられる
地球
生命のオーケストラ
逃げ水
こそばし怪獣
動くイス
第三の目
共振言語
月が落ちる


これらの世界イメージの断片を毎週少しずつ積み上げ、共有しながら蓄積し続けている。
この<ドリーミング・シェア>の実験を積み重ねてきて、それが少しずつ本人さ え知らなかったからだの闇の深部をさぐる手立てになっている手応えを感じる。
はじめてのことなので、この先これがどうなるかはまだわからない。
だが、これまでにない複雑多彩な世界共創の体験にまることは間違いない。
実験の醍醐味は、何がどうなるか分からないところにある。
だが、同時に確実に狙い通りの、かつてない変化が各自のからだの闇で起こっ ている。わくわくする事態だ。




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 2017年3月28日

「虫の歩行」と「病める舞姫」

20年さまざまな国でのワークショップや共振塾の各学期ごとに、
繰り返し『虫の歩行』をやってきた。
20年目にして、突然、虫とはどんなクオリアの象徴あるいは暗喩だったのか、
という気付きがやってきた。
虫とは、いのちが背後世界や死者の世界などの異界と交信する
共振するクオリアのシンボルであったのだ。
『病める舞姫』には、いのちがさまざまな背後世界から脅かされ、
侵蝕される有り様を「痴呆になる寸前の精密さで」記述されている。
晩年の土方は、新規に団員を募集するワークショップの練習舞踏譜として『虫の歩行』を書いた。そこに、病める舞姫で探った異界との交信クオリアのすべてを<虫>の一語に凝縮し、象徴させたのだ。




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 2017年3月27日

毎朝、自分固有の調体を探る習慣を創る

毎朝、最初にすることは心身を鎮め、静寂体になることです。
そして、からだの闇に耳を澄ませることのできる状態に持っていきます。
日常的な自分は、思考や情報や感情や判断に囚われています。
それらすべてを可能な限り鎮めます。
そしてからだの隅々にまで耳を傾けます。
すると、どこかに凝りやこわばりがあるとか、かすかな痛みがあるとか、うまく耳を済ませられない部位があることに気付きます。
その部分に操体呼吸で、新鮮な空気を送ってください。
息を吐きながらその部分をストレッチします。
最大に伸びたところでその部位に呼吸を送り、しばし息を止めます。そしてどっと息を吐くとともに、<にょろ>の動きによって流動性を取り戻します。
これらの調体によってからだ中の問題が消失するまで毎朝続けます。
この技法を会得し、毎朝適切な調体をする習慣が身につくと、
一年中最高の体調を保つことができます。
その最高の状態の心身を共振塾の稽古場まで持ってくるようにしてください。

これが相互産婆の第一歩です。




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 階層秩序の妄想
 2017年3月26日

すべての階層秩序は人間がこしらえあげた妄想である

いのちに「ほんとうに何が一番したいんだい?」と問い続ける。
毎日ほんのすこしずつ、自分の中でそれを邪魔していたものが見えてくる。
あらゆる
ツリー(階層秩序)的な思考がそれである。
それをひとつひとつ拭い去っていく。
日に日にわたしのわたし自身である度合いが深まっていく。
それは
リゾーム度が深まっていくことでもある。

共振ヨガについて書いているとき、
古典的なヨガや現代めかした商業ヨガが、
ひとしく<チャクラ>というツリー状の妄想に囚われていることに気づいた。
いや、そんなことはずっと前から存じている。
古典的なタオにも、上丹田、中丹田、下丹田、底丹田などの
ツリー状の階層秩序をもった妄想がある。
それを脱しなければ駄目だということに気づいたのだ。

すべての階層秩序は人間がこしらえあげた妄想である。

このことはいくら強調してもしすぎることはない。
自然や宇宙には何らの階層秩序も存在しない。
それが存在するかのように信じられているのは、人々が
自然や宇宙に人間の<階層秩序妄想>を投影し、その投影に沿って自然像や宇宙像をこしらえ上げたからに過ぎない。
明確な階層秩序があると理解した方がすっきりするという心的傾性にわたしたちは取り憑かれている。
日常意識にとって不分明なものや捉えがたいものの存在を許すことができないのだ。
だから、トップに一神教的神や、阿弥陀如来や大宇宙大明神などを祭り上げて、
分かりやすくしたいという無意識の傾性に押し流されてしまうのだ。
これが
すべての宗教を支配してきた闇だ。
朗らかにそれらを透明に脱ぎ捨てること。
未来への通路は、階層的な妄想によって塞がれている
、ということに突然気づいたのだ。

古い塾生の中にも、宗教に取り込まれかけている人がいる。
なにものにも囚われないという透明さを失いつつある人が。
わたしが透明さとは何かを、端的に述べ伝えることのできなかった時代の塾生かもしれない。
ごめんなさい。今頃になってこんなことを言って。
これはあなたたちへの伝言が遅れたことの謝罪の手紙だ。



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 2017年3月26日

レゾナンスヨガ(共振ヨガ)

昨年から始めたことに、毎朝の共振ヨガがある。
かつてはわたしか、ほかの産婆が毎朝の調体をガイドしていたが、
一人ひとりが自分や仲間のサブボディ=コーボディの誕生を助け合う
相互産婆に生長するために、全員がそれぞれ短い調体を工夫し、
それをシェアするようになったのが始まりだ。

意識を鎮めて自分のからだの各部に耳を澄まします。
どこかにこわばりや痛みがありますか?
からだのなかで感じられない部分はありませんか?
こわばりや痛みを感じる場合、またはあなたがうまく感じることができない場合は、その部分に息を送りふくらませます。
その問題をどうすれば解決できるか、姿勢や動きを工夫して見つけませ。。
その動きや姿勢をほかの人にガイドし、共有します。各自が自分のからだの問題を解決するための動きやポーズをシェアし合います。
伝統的なヨガや他のボディワークに従ウノではなく、各自が毎朝、自分のベストのコンディショニングを発明して、それを共有します。
それが<共振ヨガ>、<レゾナンスヨガ>です。

二重操作

ほかの人のコンディショニングを共有するとき、
なにもしないでそれに従おうとすると、自我が起き出して、
批評や否定的な判断を始めることがある。
あるいは退屈してそれに囚われることも起こる。
その自我を鎮めるために編み出されたのが
二重操作だ。
50%は、その動きや姿勢に精確に従い、共有しつつ、もう50%は自分のからだの闇に耳を澄まして、からだの一部に別のクオリアの動きを付け加える。
あなたのからだが同時に異なる二重のクオリアと共振している状態を創りだす。
これは50%外に、50%内に開いている透明なからだの状態にもっていくトレーニングでもある。
この二重操作を身につけると、共振ヨガを行いながら退屈に囚われることはないだろう。

他の人と一体化する

ほかの人の毎朝の調体、コンディショニングを共有するとき、その人のからだに入り込み、そのひとがどのようなしこりや囚われを解決しようとしているのか、
共感的想像力によって、内側から感じてみてください。
これは自分の問題だけに囚われるのではなく、お互いのサブボディ=コーボディの誕生を助け合う
相互産婆になり合うための訓練でもあります。



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 2017年3月25日

24時間の産婆

今年のわたしはかつてないほど産婆として絶好調だ。なぜか理由は分からないけれど。
他の年と比較して塾生のからだの闇によく耳を澄まし続けることができている。
一日24時間中、塾生たちのサブボディ=コ―ボディをなめまわすように思い出し、半眠半覚のドリーミングモードで「次は何だろう?」といのちに聴き続ける。すると面白いように毎日、わたしのサブボディは新しい実験の目覚ましいアイデアを思いつく。
この間毎日のように『からだの闇』を更新続けているのがその記録だ。
この好調をすべての塾生と共有したいと思う。 今年から共振塾は従来の学校がもつ「教師 - 学生」というツリーシステムの革命をはじめた。すべての塾生は共同研究者としてお互いのサブボディ=コ―ボディの誕生のためのよき産婆となり合う。未来社会の萌芽形態でもある舞踏リゾームになることを夢見ている。



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 <祖型ドリーミングシェア>
 2017年3月24日

<祖型ドリーミングシェア>

私たちは20万年前にアフリカから移住し、世界に拡散した人類の先祖たちの経験を瞑想し、追体験しつつ共創した。
この旅行は非常に難しく、危険や災害に満ちたものだったろう。それらの苦難のクオリアは祖型や元型としてからだの闇に刻印されている。
祖型は元型よりもさらに深い領域に刻印されている体感だ。
元型には、幽霊、怪物、地獄、神のようなイメージがある。
だが、祖型はイメージを持たず、ただ恐怖、震え、閉塞などの原始的な身体感覚として刻印されているものだ。

今日私たちは、近くの川の河原で<祖型ドリーミングシェア>を行い、それぞれの世界を動きで共創した。
シェアしたクオリアは次のとおりだ。

- 砂漠で迷子になる
- はじめての内部に入っていく
- モンキーバトル
- ハワイ島を見つける
- 音楽を見つけるタコ
- 体が溶け落ちる
- 岩の子宮の上の十の胎児
- 小さな動物がヒマラヤを登る
- 蛇の舌が私に触れる
- 川の音に耳を澄ましている岩になる


わたしたちは、今年毎週のように、これらの原像を異なる方法で共有し蓄積していく予定だ。学期末や年末にそれぞれの共創作物としてこれらの経験は統合されるだろう。
どんな個人神話や非二元多次元の深淵図が踊られることになるか、今から楽しみだ。



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"少女 土方巽 1973 
 2017年3月21日

衰弱体の微細管理技法

土方巽の「静かな家」への取り組みが始まった。
最初の節で彼は、からだの微妙な揺れやふるえを制御する秘密の技法を書き記している。

「額を細かい蜘蛛の糸が走る
乞食
猫の腰
背後世界」
『静かな家』


彼の発明した衰弱体は、一見外から見るとただ、からだの様々な部分がランダムに揺れたり、ふるえたりしているように見える。
わたしにも、そうしか見えなかった。
しかし、この舞踏譜を読むことで、彼にとって、それらの微細な震えや揺れは、この秘められた技法によって透明に管理され、振り付けられていたことがわかった。
彼が発明したのはからだを3つのレベルに分けて管理するテクニックだ。
ディテールダンス (額を走る蜘蛛の糸)、
パートムーブメント(猫の腰)、
ボディイメージ(乞食)、
そしてそれらはそれぞれに不可視の背後世界と共振しているという構図だ。

私たちはこれを
微細管理技法(以前はDPWB技法)と名づけ、共有する。
この技法は、非二元・多次元に共振しているいのちの真実に近づこうとした土方が切り開いた人類の共有財産だ。広く共有されていくことを願う。
3月25日 自註

第一稿でわたしは、この稿を次のように結んだ。
「おそらくこの技法は彼は最後のソロのための舞踏譜に書き記したのみで、芦川羊子以外の弟子に教えることもなかった。
この秘密の技法は、古い舞踏家たちに発見されることもなく、長い年月が流れた。
今わたしたちはこの技法を共有し深めていくことができる。」

すると、Facebookで、舞踏の大先輩玉野黄市兄から、次のような教示があった。
Koici Tamano舞踏家:正朔氏はこれに、かなり近いことを行っているようですが、、どうなんでしょう?
日本を離れて20年、寡聞にして、正朔氏のことを知らなかったわたしは、
Youtubeで、彼のビデオを見て、上のように訂正し、玉野兄に返信した。
玉野さま 貴重なご教示ありがとうございます。勉強させていただきます。正さく氏については、見たことがありませんでした。今回ビデオで見たところ、たしかにおっしゃる通りだと思いました。狭い見聞で失礼なことを書き散らしてしまいました。慎んで訂正させていただきました。今後と最寄速ご教示お願い致します。Lee拝」
Koichi Tamano 「正朔氏は土方先生晩年のお弟子さんです。働き盛りの青年なので、おおいに働きかけると良いと思います。」
玉野さん、重ねて感謝します。

下欄で、舞踏家・正朔氏のビデオを紹介する。
土方巽の衰弱体の微細なからだの管理技法を継承し、深めようとされている貴重な踊りだ。読者諸氏も大いに学んでほしい。


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Dance Medium 舞踏公演vol.1 / The Invisible Forest 見えない森-part1 
 
追随、促進、率先  
 2017年3月21日

追随、促進、率先


自由共振劇場を展開するにあたって、
普段は意識されない3つの役割がある。
率先は、自分で動きを創造することだ。
ダンサーなら誰でもできる。
だが、うまく追随できる踊り手は極めて少ない。
なかんずく、誰か他の人の動きに追随することが全体のダイナミックな
展開を促進する契機になることを知る踊り手となると、極めて少ない。
今週から、新共振スタジオの短期コースが始まったので、
サブボディホールは長期生だけになった。
この機会に、一年あるいは一期をかけて、
わたしの長年の夢を共有したいと、この練習を始めた。
夢とは、振付家なしに、あたかも優れた振付家が振りつけたかのような
めくるめく展開が自由共振によって生まれてくるような深い共振技法を
共有した集団性を生み出したいというものだ。

2対3

この追随者と促進者の役割を頭だけで理解するのは難しいので、
やり慣れた2対3の練習を通じて、からだで否応なく追随せざる得ない状況を作り出した。
2対3とは、5人の踊り手が2人と3人に分かれ、それぞれの組の内部では
同じ動きを共有し、相手に対してはそれぞれ対照的なコントラストを創り出す。
踊り手はいつでも相手の組に移ることができる、という簡単なルールで、即興するものだ。
これは内に50%、外に50%開く透明なからだを修練するのに
うってつけの練習である。
そして、動きを通じて、追随者と促進者の役割が自然と身についてくる。

振付家を超えて

わたしは、現在わたしたちが探求している共振技法を身に着けた踊り手が
世界に羽ばたいていけば、現代の踊りの世界のツリー状の階層秩序の頂点に居座っっている振付家という存在など、すぐさま消えてなくなってしまうと信じている。
そんなものはもう必要ないのだ。
これは長い間、うまく人に伝えることができないまま、からだの闇でくすぶっていた夢だ。
ようやく少しずつ伝えることができるようになってきた。
今わたしたちは、未来社会の萌芽形態を共創しているのだと。
この小さな変化も、いま進行している共振塾革命の一環であろう。



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21 March, 2017

Follow, Promote and Initiate

In the free resonance theater, there are three important role.
To initiate original movement is easy for the creator.
Most important is to follow and to promote.
Through following the others, you can promote a world change.
Second and third follower can be promotor of a specific resonance pattern; for example, wall, line, circle, swarm, forest, stone garden, monster, box, rolling stone, and so on.

At first, we start to learn to be follower, and find that it shifts to the promotor, in a specific timing.

2:3

5 dancers separate into two group of 2 persons and 3 persons which resonate with same resonance pattern, and both group co-create contrast each other. Dancer ca nshift from a group to other group at any time. That's all. The rule is simple, but taste is fun and deep.
This is my one of the favourite practice that 20 years ago we did it a lot with Katsura Kan.
"2:3" is good exercise to learn to be Transparency that open inside 50%, outside 50%, and not bound by anything.
Also good to learn the <Follow, Promote and Initiate>.

Beyond the "Choreographer"

2:3 can be grow up to m:n, and finally to the <Rhizonant Rhizome> that is half Infect, half Invent, or 50% follow, 50% Initiate. Dancer can be any number, any resonance pattern. Just through resonance we co-create the beautiful developement of Jo-ha-Kyu as if it looks a choreograph by an excellent choreographer, without them.
This is the aim of <Resonant Rhizome>. I believe that we don't need the role of the choreographer who sits on the top position of Hierarchy system. We can vanish it through the Life Resonance.
This is my hidden dream that could not tell others clearly for long years.




Read more "Practice Guide"

 
キメラ
 2017年3月20日

二重操作


非二元かつ多次元共振体にむけた新しい共振技法を紹介しよう。

わたしは、他の人のコンディショナーを受けるとき、いつも半分は正確にそれに従いつつ、もう半分は自分固有のクオリアをそこに重ね合わせることをしていた。
そうすることで、四六時中意外な、重層的でより複雑なクオリアに出会うチャンスが生まれる。
今年は共振塾で春から、この技法を紹介しシェアしている。

結果として、からだの一部が特定の生き物であり、他の部分は別ものであるキメラまたはモザイクができあがる。

クオリアが他のクオリアに会うと、即座にまったく新しいクオリアが生まれる。 クオリアのこの性質こそ、その無限の創造性の秘密だ。

この二樹操作を楽しめるようになれば、一日24時間が楽しい創造の時間に変わる。そして、じょじょに非二元かつ多次元共振体へと変成を遂げていくことができる。
この<二重操作>は、土方巽の「病める舞姫」や「静かな家」を学ぶためのいわば準備運動のようなものだ。
なぜなら、その世界は想像を絶する非二元かつ多次元変容に満ちているからだ。


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実技ガイド
調体法6  六道ゆらぎ
 
六道ゆらぎを通じてさまざまな異界と交感するからだになる


私たちの命は、実にさまざまなものと共振している。
重力や空気や光や音や風など、環界のさまざまな要素と交感しているのは見やすいが、それだけではない。
思い出せない夢や遠い生命記憶や死んだ人のクオリア、
意識できないからだの傾性など、
多くの不可視の異界のクオリアと共振している。
それが生命の実態だ。
調体六番では、六種の動きを通じて、さまざまな異世界と交感し、
多数多次元の異界に開かれたからだに変成する。

まず、からだのあらゆる部位に、下記のふるえ,ゆらぎ、うねり、ショック、潰れ、死のクオリアを順々にあるいはランダムに通していく。
その物理的な動きのクオリアが、何らかの記憶のクオリアと強く共振し、ひとつになる瞬間を待つ。それをその日の発見として、名前をつけ、からだの闇に保存する。それらのクオリアの蓄積が、やがて<からだをくもらす>技法につながっていく。
いつも、からだのまわりの秘膜各層に多数多様な固有クオリアを溜め込み、着込んでいく。即興で踊るときも、振り付けを創るときも、それらからだにまとう固有クオリア群との共振が思わぬ動きを誘い出してくれる。

1 ふるえ(Vibration)
細胞生命は微細な震えによって、環界と共振している。
細胞のさまざまな震えに成り込む。
すると、大地の微細な振動や、空気の振動にも共振していることがからだでつかめる。
そしてそれら外界と共振する外クオリアは、
細胞内に保存された内クオリアの記憶とも瞬間ごとに共振している。
震えは実に多彩な生命共振の現れである。寒さのふるえ、見えないものへのおびえのふるえ、意欲や期待の前触れとしてのふるえ、などさまざまな震えがある。その微細さを感じ分けながら、身体のどこかの部位のその日の固有のふるえをを見つけ、蓄えこむ。
そして、
さまざまなふるえの微細さを踊り分けることのできる身体に変成していく。これは自分で時間をかけて築き上げていくしかない。
やがて内外のクオリアにこだわらず、
何かひとつの傾性のみに囚われることのない透明なからだになる。

2 ゆらぎ(Sway)
ふるえがさまざまな時間を孕むと波長が伸びゆらぎになる。
生命は心地よいゆらぎによってあらゆるものと共振している。
命のゆらぎをたっぷり味わう。
固形物のゆらぎ、体液のゆらぎ、呼吸のゆらぎ、
そよ風やせせらぎのf分の1ゆらぎ、
記憶や夢が消えていったり、思い出されたりするゆらぎ、
そして、現世から異界に気化していくゆらぎ。
ゆらぎは
不可視の異世界への通路でもある。
気化するからだは、多彩なゆらぎを身につけることからはじまる。
多数多様なゆらぎをからだの各部に通していく。毎日、新しいゆらぎのクオリアが見つかるまで続ける。

3 うねり(Wave)
あらゆる生き物は固有のうねりを持つ。
アメーバのうねり、イモムシのうねり、蛇のうねり、獣のうねり、
伸びて行く植物のうねり、・・・それらはまた、原初の海のうねりとも関わっている。
からだの中の原生的な生き物のうねりが不意に出てくる瞬間をあじわう。
からだの闇には実にさまざまな命のうねりがひそんでおり、
命が経てきた
さまざまな生物種のうねりに続いている。
その日のいのちがもっともよく共振できるうねりをみつけ、からだに刻印する。

4 ショック(Shock)

細胞生命は、命が40億年の間に受けたさまざまなショックを記憶している。
原初生命がごくごく微細だったので、ほんのわずかな刺激でも巨大なショックとして受け取った。
雨粒、埃、虫などの小さな刺激から、波、風、石、地震、雷、火事、親父に至るまで
あらゆる刺激を受けて、それに動かされるクオリアを味わう。
生命をとりまく異界からのシグナルの多くは、ショックとしてやってくる。
やがて、命が受けたショックならどんなものでも受け入れることができるからだになる。
命はそれらの衝撃をすべて体験し、乗り越えて生き延びる術を発明してきた。
命の底しれない智慧を味わうことができる。
ショックのクオリアは、いのちにとって世界変容のクオリアにつながっている。分娩時の子宮の収縮、保護者の突然の消失、天変地異、などなど
世界変容と自己変容が同時に引き起こされるクオリアを探る。

5 崩壊(Collapse)
強い衝撃や刺激・圧力がが続けば、体の一部は壊れ復元性を失う。
へし折れ歪んだ不自由なからだになっても、なお命は生き延びようとする。
制限された動きの中で、なんとか生き延びる道を発明するのだ。
命にはこの無限の発明力が備わっている。
不自由の極みまで押しつぶされたからだになって、
そこから、どんな動きが発明されてくるかをあじわう。
そして、不自由なまま死んでいった同胞の苦しみとも共振する。
不具のからだ、障害をもつからだこそ、深い生命共振美である
<癇の花>の土台となるものだ。

6 死(Die)
最後は死だ。死は命が最も身近に感じているクオリアだ。
百兆個あるからだの細胞のうち毎日何百万もの細胞が死に、
新しく誕生している。
生死の淵でゆらぎ、たえず死の淵から帰ってくる。
そして、あるとき、往ったきりになる。
死の側から、この世を見つめる
この世が共振に満ち、ゆたかなクオリアに満ちていることが感じられる。
わたしたちはもともと、40億年の悠久の命から、
ほんの百年足らずの命を借り着している存在だ。
死ぬ前に、命に自分の創造の限りを返す。
それができたら笑って死ねる。
それが生死の序破急成就だ。




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文部大臣賞授賞時の記念写真、中央イスが細江英公、
その向かって左が土方巽
 2017年3月15日

祝!伝説の土方巽写真集「鎌鼬」復刻

伝説の写真集「鎌鼬」が復刻された。
「鎌鼬」の出現は、世界にとってひとつの事件であった。
いや、ひとつの事件の始まりだった、というべきか。

「細江英公がわたしを有名にした
それは写真だからであった
東京ガスの巨大な球体の上で 材木置場のラワン材の上で
砂浜で、波打ち際で、海底でも わたしは転ばされて
ただそこに置かれていることの感動を
この写真家から教わったのである」

「細江英公と私」 土方巽


1969年、日本の大学という大学の学生が無期限バリケードストライキを決め、街頭に棍棒を持ってベトナム反戦、日本政府打倒のデモを繰り返していた時期、
細江英公著、土方巽写真集「鎌鼬」が出版された。
デモの帰り道、本屋の店頭に山積みされた写真集を開いたときの
からだの火照りをわたしは忘れることができない。

異様な男が東北の田んぼを駆けていた。
農夫たちに担がれ、老婆たちを笑わせ、
子供の前で空に舞い上がっていた。
藁を干す木杭の上でうずくまっていた。
(なんという男がいるものだ!)
わたしは息を呑んだ。

土方が踊ることで、故郷秋田の地が瞬間、劇場に変容した。
(そうか、世界中どの場所でも、劇場に変えることができるのだ。)
わたしが写真集「鎌鼬」から教わったのは、時間空間を瞬間的に劇場に変容する術だった。

それから50年後の今、わたしたちが世界中の山や海で、街頭で、ノマド・リゾームや共振リゾームを踊り続けているのは、その変容術を世界と共有するためだ。


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 2017年3月14日

いかに元型を踊るか

下意識の深い領域を旅していると、災害や天変地変などの世界イメージや生き物のイメージのさまざまな元型に遭遇する。
天国、地獄、神、女神、悪魔、モンスター、キメラ、幽霊、精神、妖精、エンゲル、偉大な母、賢者、英雄、トリッキー、アニマ、アニメ、少女、少年、赤ちゃんなど。すべての共同幻想は元型である。
原始時代の祖先たちの艱難辛苦な体験は、わたしたちのからだの闇の深部に刷り込まれ得、<元型>となってあらゆる人類に共有されているクオリア群となった。
C.G.ユングはその領域を「集合的無意識」と呼び、その内容を元型と名づけた。元型には無限のバリエーションがある。

注意事項

元型はわたしたちを鼓舞し、勇気づける一方、憑依するほどの強いエネルギーを持っている。元型を踊るとき、わたしたちが妙に力づけられた気になるのはそのためだ。だが、もっとも留意しなければならないのは、ひとつの元型に束縛されてしまわないことだ。刻一刻と、透明覚を開いてその憑依から身をかわし、逃れる必要がある。
<自在跳梁 Jumping Wild>はその囚われから逃れ出る重要な技法だ。
ひとつの身体イメージから別のイメージへ、次から次へと変容し続け、ジャンプしつづけることだ。

土方は最後のソロのための舞踏譜「静かな家」に次のように記している。

「死者は静かにしかし限りなくその姿を変えるのだ。
彼等は地上のものの形をほんのふとした何気なさで借用することも珍しくない。」


「静かな家」の25-27の<急>の節は、もっとも美しい自在跳梁の舞踏譜となっている。



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 2017年3月13日

生命共振に焦点を当てる

共振タッチと指圧の精神は
生命共振です。
"私"があなたに何かをするという日常的な人間の錯覚を脱ぎ、わたしたちのいのちの間で起こっている共振に焦点を当てます。
わたしの指圧の師・遠藤喨及さんは、「
共感的想像を開け」と言った。遠藤さんの師であった増永静人氏は、「生命の原始感覚を回復せよ」と記している。

生命共振はとても微細なもので、なかなか気づきにくいものだが、それはわたしたちの間のあらゆる現象の基礎になっている。
指圧だけでなく、舞踏を踊るときも生命共振がもっとも重要なものだ。
わたしたちは常にそれに焦点を当て、わたしたちが縛られている日常の二元論的幻想に縛られた "わたしがあなたになにかをする"という主体幻想から脱する必要がある。
起こっていることのすべてを共振として受け止め直す
長い訓練がわたしたちに必要だ。
わたしたちが目指しているのは、
「自分であるとかそうでないとかということは、大した問題じゃない」という未来の地平であるからだ。
現代のわたしたちの日常の心は、あまりに「自分が、自分が、、、」という自己感にのみ占領されてしまっている。
それを脱ぎ去ること。
自己と他が半分半分に釣り合っている透明な状態で生きること。
自己にも他にも囚われることがない透明な生
なんとすがすがしいことだろう!



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 2017年3月12日

これが非二元かつ多次元共振だ


上の図を見てください。
これは、ひも理論におけるひものもつ無限の共振パターンを表すもっとも優れたイメージの1つだ。
そこは予期せぬ共振に満ちている。
この世界にルールはまったくない。
次の瞬間にどこで何が起こるか、誰も知ることができない。
もちろん、いくらかの類似の共振パターンが繰り返されてもいる。
しかし、同時に、それ以外の共振がどこにどのような異なる共振パターンで起こるか、知ることができない。
これが、ひもの非二元かつ多次元共振である。
ひも理論によれば、宇宙のすべては、ひもの共振パターンの変化によって生成される。
ひもの共振パターンは無限にある。
クオリアもまたこのひもの無限の世界に共振している。
現代の創造者はクオリアの専門家にならねばならない。
情報の専門家にはなる必要がない。
共振塾でわたしたちは、クオリアの無限の共振パターンを一緒に研究し、それぞれの創造の必然性に応じて、たったひとつの共振パターンを固有の美として見つけだす。

このクオリアの非二重かつ多次元共振の世界がわたしたちの場であり、
そこに固有の花、秘密および謎を創り出す。
おそらくきみはクオリア共振の目もくらむような無限の自由に直面するだろう。そして、そこに世界でたったひとつの共振パターンを見出す。
それが創造だ。
創造とは、世界ではじめての共振パターンをみつけ、それに命を吹き込むことだ。




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 2017年3月11日

透明覚へ

随分昔から探求しているのに、
なかなか他の人と共有することができなかった。
それが
透明覚だ。

踊っている最中に、これが透明覚か、と実感したことがある。
だが、それをことばで伝えることがなかなかできなかった。
ことばで言おうとした途端に、何か別物にすり替わってしまいそうで
うまく言えないまま、この二十年を過ごしてしまった。
だが、この二十年の逡巡には根拠があった。

透明覚は、書くこと、知的に解き明かされることによって
闡明されるものではなかった。
現代的な「知性」とは、根本的に違うものだということが、
この二十年で少しずつ分かってきた。

書くことへのこだわりに囚われていたのだ。
透明覚は、書くこと、頭で理解することの正反対のものだ。
現代の分別的知性のように、ひとつひとつの部分を分析し、
理解することによって全体的な把握に近づこうとするものではなく、
あらゆるものをからだごと、いのちとしてまるごと瞬間的に統握するものだ。


同時に、透明覚の統合的な把握は、なにものにも囚われていないことだ。
内側からのなにかにも、外側からのなにかにも、縛られていないこと。


生命共振には内も外もない。
対象と自分が分断していることを前提にした二元的知性の幻想を脱ぎ、
生命共振としてひとつになっているまま、あらゆるものを透明に統把するのが<透明覚>ではないか。


それはわたしの最初の経験どおり、
踊っている最中にだけ訪れる状態なのかもしれない。
ともあれ、今年はこれまでの禁を破って、最初から
踊る中で透明覚を分かち合うことを目指す。
まったく新しいチャレンジが次々続々湧き上がってくる。



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 からだの闇に棲む元型をいかに踊るか
 2017年3月9日

からだの闇に棲む元型をいかに踊るか

今週は、人間の祖先の歴史を追体験するサブボディ=コーボディ探体を行った。
ここ十数年、この人類の祖先の体験をからだで辿り直す探求を続けているうちに、からだの闇に棲む<元型>がどのようにして形成されてきたのか、少しずつからだの腑に落ちてきた。
人類の祖先は700万年前チンパンジーから種を分かち、アフリカ大陸で長い石器時代の歳月をかけて、原生人類にまで進化してきた。
およそ20万年前、アフリカの気候が変化し、人類の先祖は食糧危機に見舞われ、アフリカから脱出しなければ生き延びることができないほどの危機に直面した。
「出アフリカ」の長い旅が始まったのだ。
「出アフリカ」の移住は数次にわたってあったと見られ、祖先たちは、アフリカから、アジア、ヨーロッパ、オセアニア、アメリカなど他の大陸にいたる長い艱難に満ちた旅を体験した。
それは凶暴な肉食獣、多くの災害、洪水、地震、火山、津波、戦乱などに満ちたものだったに違いない。
これらの苦難の経験が、元型として、C.G.ユングによって集団無意識と呼ばれたからだの闇の深部に刻印されることになったのだろう。
とくに、地獄、太母、悪魔、幽霊、キメラなどの元型は、民族の違いを超えてすべての人類のからだの闇に刷り込まれている。

からだの闇の深部の探体を行うと、多数多様な元型に出会うことがしばしば起こる。
元型はときにはわたしの共創をより豊かに、ダイナミックに彩ってくれる。
しかし一方で、元型はとびきり強い支配力をもつ。
もし元型のひとつに囚われてしまえば、
たちまちわたしたちは創造の自由と柔軟性を失ってしまう。
そういう人に数え切れないほど出会ってきた。
おそらく、ユングもそうだったのだろう。
かれは次のような異例の強い言葉で元型にとり憑かれる危険を警告している。
「元型に取り憑かれてしまった人は、例外なく悪魔に陥ってしまう。」

では、どうすればその危険を避けることができるのだろうか?
土方巽の「静かな家」に書かれている
<自在跳梁(Jumping Wild)>がその鍵を握っている。
ひとつの元型に縛られルノではなく、ひとつのボディ・イメージから、別のイメージへ、自在に飛び移り、変容していくことによってのみ、その危険から身を守ることができる。

『静かな家』の冒頭に彼は記している。

「死者は静かにしかし限りなくその姿を変えるのだ。
彼等は地上のものの形をほんのふとした何気なさで借用することも珍しくない。」


今期、わたしたちはこの技法をじょじょに深め、
じっくりと共有していくことになるだろう。


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 これがクオリアの非二元かつ多次元共振だ
 2017年3月6日

クオリアの非二元・多次元共振

クオリアは、いつも非二元かつ多次元の領域で共振している。それをことばで説明するのは難しい。代わりにそれに関わりそうないくつかの映像を見せることができる。
あなたが自分のからだで、自分固有のクオリアの変容流動を踊るときにだけ、クオリアの非二元かつ多次元共振とはどのようなものであるかをからだの腑に落とすことができるだろう。

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 クオリアが言葉になる前の見えない闇を探る
 2017年3月2日

クオリアとからだとことばの間


来週から今年度の共振塾が始まる。
インドツアーでの<ドリーミング・シェア>の実験が
どういうことであったのか、少し透明にみえてきた。
そのなかではわたしたちは各自のからだの闇を変容流動するクオリアに耳を澄まし、からだの動きとともにそれを言葉で喋りながら、
それぞれの神話的な世界を共創する方法を見つけた。
そのとき分かち合ったことばは、いのちが共振するクオリアから
ダイレクトに立ち上ってくるとても特殊なものだった。
下意識のからだの闇を流れ変容するクオリアがことばになる、
そのもっとも原始的な現場に逢着したのだ。

今年は、このクオリアとからだ(体感と動き)、そしてことばとの間を自在にいききする
<ツリーリゾーム技法>を探る。
去年までのわたしは、微細なクオリアに耳を澄ますことに集中するあまり、ことばや情報から、できるだけ遠い安全な距離を保とうとしていた。
日々無言を貫いた。

だが、もっと自由な振る舞いがありうることに気づいた。
今年のインドツアーで実験を続けた<明晰夢シェア><ドリーミング・シェア>では、日常的な意識を止め、下意識界で、全チャンネルのクオリアが非二元かつ多次元に共振し、変容流動するサブボディの想像力を全開する。
微細な体感や動きのクオリアが変容流動するありさまを、からだの動きで追いながら、同時にことばで叙述する。そのことばはクオリアからまっすぐに立ち上ってくるクオリア言語だ。クオリアが情報化してしまう一歩手前の生のサブボディ言語だ。
クオリアが言葉になる前の、からだの動きや体感から分化する以前の非二元の闇を探る。
そこはソシュール言語学ではシニフィエ(そのことばによって意味されるもの)と名付けられた闇だ。言語学者はその闇にからだで降りていく探検をしない。だがわたしたちはその暗がりを、ことばからクオリアの生成変容現場へ向かって降り、またクオリアからことばが生まれてくる階梯をたどり、昇降を繰り返す長い旅になるだろう。

いままで触れることのできなかったその領域を塾生とともに探索する方法が見つかったのは嬉しいことだ。
ことばを使えば、かつてのわたしのように、
それにとらわれてしまうおそれもある。
サブボディモードで静まりかけた自我を呼び起こし、
自我の衝突も起こりやすくなるだろう。
情報言語に侵蝕されることも起こる。
危険に満ちた闇の坑道だが、それらの危険を排する方法を工夫しつつ、
この坑道を掘り進もうと思う。



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 写真は主に、土門拳『昭和の子供たち』より
 2017年2月28日

ただ生きているだけみたいな奇妙な明るさ


いったんわたしたちはこの『昭和の子供たち』のからだのような 「ただ生きているだけみたいな奇妙な明るさ」を放つ透明ないのちにならなければならない。
それが 土方巽の『病める舞姫』の世界に分け入るために、どうしても欠かせないと思えた。
3年前に インド共振舞踏ツアーを思い立って出かけたのはこのようなからだに出遭うことを企図していた。
日本や西欧ではもはや消え去ってしまったこういう透明ないのちそのものの輝きを放つからだに、インドのどこかで出会えるのではないかと。
第1回目のインドツアーでは、道端で遊ぶ子供たちの写真を撮りまくった。
そして、3回目の今年のツアーではついに、わたしたちのからだの闇の奥深くに、このようないのちそのもののからだが潜んでいることを発見した。そしてz下意識モードになって、ことばとからだの動きで追うことで、全員で個人的かつ集合的無意識の世界の出来事を共創する方法を見つけた。
それが
<明晰夢シェア>(簡単には<ドリーミング・シェア>)と呼ばれる技法だ。
明晰夢とは、ミンデルに学んだ醒めたまま見る夢だ。
そここそがいのちの無限の創造性の宝庫が眠っている場所である。
そこに漂う奇妙なクオリアのダンスにからだを預け、少しずつひとりひとりのからだの闇に秘められた個人神話の世界を共創し、磨き抜く。
ことしは塾生とともにこの鉱脈に沿った坑道を掘り進む。
楽しい旅になりそうだ。


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 2017年2月22日

<ドリーミング・シェア>


「ことばはわたしにとってとっても重要、でも全然重要じゃないの。」

去年夏のヨーロッパツアーで、ワークショップの参加者の一人が
発した言葉によって、わたしの中の何かが変わった。
一見矛盾にみえる2つのクオリアがそこに不思議もなく同在していた。

(そうか、そうなんだ。そのとおりだ!二元論の呪縛から逃れるには、こういう正反対の態度が平気で同居するような柔軟さが必要なのだ。)

わたしは自分が長年、ことばに対して強いコンプレックスに囚われていたことに気付かされた。
「言葉なんか覚えるんじゃなかった」
荒地派の詩人田村隆一の詩句を思い出す。
若い頃詩や小説を書こうとしたが、自分が書いたものは、
常にどこか違うと、自分の心身と言葉の間がいつもきしんでいた。単に、うまく自己表出する能力に欠けていただけなのだろうが、いつも、書かれたものよりも、書けないことの方に、より重要なものが潜んでいると感じていた。
おまけに、20代から40代の半ばまで、コピーライターと編集の仕事で飯を拾って過ごした。
その25年にわたる経験の中で、コピーライタ―的な指示表出言語が染み付いた。
そこでは、矛盾する言葉が同在するなど許されない厳密な二元論に従わねばならない世界だった。
そんなわけで、ヒマラヤに棲みはじめて以来、思考や言葉を止め、言葉にならないからだの闇の微細なクオリアに耳を澄ます修業を続けてきた。
その作業をつうじて、からだの闇に流れるクオリアをからだの踊りに転化するサブブディ技法を創ることができた。
だが、これまでは偏執狂的に言葉を排してきた。そのなかで
クオリアと言葉の間を自由自在に往還する<ツリーリゾーム技法>を鍛え上げるという課題は、常にわたしの前にあった。
だが、実際にどうすればいいか、実現の方法がなかなか見つからなかった。
それが、上記の参加者のことばを契機に、(ことばを使うのも、使わないのもどっちもありなのだ)と気づき、去年の共振塾最終日での自己催眠技法を使った<混沌シェア>の発見に繋がった。

第3次共振舞踏ツアーでは、カルカッタ、タムクール、バンガロー、ゴアなど各地のインド人の参加者とともに、その実験を全面展開した。
続けるうちに、それは自己催眠を使わないでも、従来の調体・探体のなかで、からだの動きとともに想像力を全開して、ことばで情景を語りながら動き、それを他の塾生と共振しながら共創する<明晰夢シェア>へと発展していった。
はじめてこれを経験したホンザは、まったく新しい体験だ!と驚いた。
当初は<混沌シェア>、<ジャーニーシェア>などと区別していたが、すべて
<明晰夢シェア(Lucid Dreaming Share)>に統一することにした。これまで20年も続けている<原生夢劇場>と区別するためだが、現場では簡略化して<ドリーミング・シェア>と呼んでいる。
原生夢は実際に見た印象深い夢、明晰夢は半眠半覚の下意識モードで想像力を全開して見る夢だ。ついにどちらの夢からもそれを共創する道が開かれた。

ワークショップ参加者の何気ない不思議なことばへの共振から、長年のことばへのこだわりが解けはじめ、この技法の実験世界が開かれた。
この突破口から、<クオリアとことばの間の不思議な変容プロセス>を探求するという、この冬書いた『生命共振としてのクオリア』では、まだ展開できなかった課題を塾生とともに実践的に探求していく坑道がみつかった。今年は楽しくなりそうだ。

「明晰夢」という言葉は、ミンデルの『24時間の明晰夢』に負っている。それについては別稿にゆずる。



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 2017年2月22日

クオリアとことば


「ことばはわたしにとってとっても重要、でも全然重要じゃないの。」

去年夏のヨーロッパツアーで、ワークショップの参加者の一人が
発した言葉によって、わたしの中の何かが変わった。
一見矛盾にみえる2つのクオリアがそこに不思議もなく同在していた。

(そうか、そうなんだ。そのとおりだ!二元論の呪縛から逃れるには、こういう正反対の態度が平気で同居するような柔軟さが必要なのだ。)

わたしは自分が長年、ことばに対して強いコンプレックスに囚われていたことに気付かされた。
「言葉なんか覚えるんじゃなかった」
荒地派の詩人田村隆一の詩句を思い出す。
若い頃詩や小説を書こうとしたが、自分が書いたものは、
常にどこか違うと、自分の心身と言葉の間がいつもきしんでいた。単に、うまく自己表出する能力に欠けていただけなのだろうが、いつも、書かれたものよりも、書けないことの方に、より重要なものが潜んでいると感じていた。
おまけに、20代から40代の半ばまで、コピーライターと編集の仕事で飯を拾って過ごした。
その25年にわたる経験の中で、コピーライタ―的な指示表出言語が染み付いた。
そこでは、矛盾する言葉が同在するなど許されない厳密な二元論に従わねばならない世界だった。
そんなわけで、ヒマラヤに棲みはじめて以来、思考や言葉を止め、言葉にならないからだの闇の微細なクオリアに耳を澄ます修業を続けてきた。
その作業をつうじて、からだの闇に流れるクオリアをからだの踊りに転化するサブブディ技法を創ることができた。
だが、これまでは偏執狂的に言葉を排してきた。そのなかで
クオリアと言葉の間を自由自在に往還する<ツリーリゾーム技法>を鍛え上げるという課題は、常にわたしの前にあった。
だが、実際にどうすればいいか、実現の方法がなかなか見つからなかった。それが、去年の共振塾最終日での自己催眠技法を使った<混沌シェア>の発見に繋がった。

第3次共振舞踏ツアーでは、カルカッタ、タムクール、バンガロー、ゴアなど各地のインド人の参加者とともに、その実験を全面展開した。
続けるうちに、それは自己催眠を使わないでも、従来の調体・探体のなかで、からだの動きとともに想像力を全開して、
ことばで情景を語りながら動き、それを他の塾生と共振しながら共創する<明晰夢シェア>へと発展していった。
当初は<混沌シェア>、<ジャーニーシェア>などと区分していたが、面倒なのですべて
<明晰夢シェア>に統一することにした。現場では<ドリーミング・シェア>と簡略化して呼んでいる。

ワークショップ参加者の何気ない不思議なことばへの交感から、長年のことばへのこだわりが解けはじめ、この技法の実験世界が開かれた。
この突破口から、<クオリアとことばの間の不思議な変容プロセス>を探求するという、この冬書いた『生命共振としてのクオリア』では、まだ展開できなかった課題を塾生とともに実践的に探求していく坑道がみつかった。今年は楽しくなりそうだ。

「明晰夢」という言葉は、ミンデルの『24時間の明晰夢』に負っている。それについては別稿にゆずる。





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 ジャングルの中のアンツ農園
 アンツ農園の夜
 2017年2月2日


不可視のものへの祖型的な畏怖



「まだ一度も繰り返されたことのないものに出会うことによって、
あたらしい生の可能性を開くことができる。」

『差異と反復』のなかのジル・ドゥルースの言葉を思い出す。
日常の自我や自己は毎日無数回同じクオリアを繰り返す。
そして「自分」という幻想のアイデンティティを確認し続け、
無意識裡の反復によって自己を補強する。

だが、南インドの深いジャングルのなかで一週間過ごしている内に
参加者の心身が変わってきた。
ワークショップでも、毎日違った坑道でからだの闇に潜り、
まだ一度も繰り返されてないクオリアを掘り続けた。

人生を遡行する歩行
祖先へ遡行する歩行
異貌の自己を探す探体
何ものかに動かされる半受動体
超緩速で動く探体
傀儡になる探体
原生夢世界の共創


などなどの日々の調体・探体メニューはすべて
<まだ一度も繰り返されたことのないクオリア>を探りながら
<意識では思い出せないものをからだで思い出す>
プロセスの一環だった。

一週間を通じて<繰り返されたことのないクオリア>を探る方へ探る方へと
調体・探体を散りばめ、非二元多次元的にいざない続けた。

からだと動きと言葉の散りばめ技法

ミルトン・エリクソンの催眠療法の秘密を彼の弟子たちが分析した書の中に
<散りばめ技法>というのがある。
催眠療法中の患者との会話のなかに、患者が忘れていた記憶や、
気づくことのできないクオリアに気づけるように、
エリクソンがいかに巧みに言葉を散りばめていたかを
テープの記録から取り出している。

サブボディ技法の調体・探体の特徴は催眠療法のように言葉だけではなく、
からだの動きを通じて、頭では思い出せなくても、
からだから自然に出てくる動きの中に忘れていた記憶を探ることにある。
タムクールではそれをまわりの自然と触れて出てくる祖型的な畏怖とともに、
<まだ一度も繰り返されたことのないもの>を探ることにピッタリ照準が合った。

深い自然の闇が祖型的なものの想起を支援

深い沈黙の夜に、樹々のそよぎにまじって風が運んできる見知らぬ野生動物の咆哮は、
まさに忘れていた人類の祖先たちの見えないものへの畏怖を駆り立ててくれた。

自然を訪れるだけではなく、
野生の自然の中で寝ることの大事さに気づいた。
自然は昼間と夜ではまったく表情を変える。
夜の深い闇の中にざわめく、<不可視のクオリア>こそ
祖型的なものの重要な源泉なのだ。

ヒマラヤへ帰って、今年は一度まわりの自然の中で一晩か何晩か過ごす授業を取り入れよう。
近くの山岳少数民の家に民泊するのもいい。

『病める舞姫』は、不可視のものへの祖型的な畏怖に満ちている。
夜の闇こそ、訳の判らないものへの畏怖の源泉なのだ。
夜の暗さを消し去った現代都市の暮らしがもっとも忘れているもののひとつがそれだ。

南インドのジャングルに来てようやくそれに気づくことができた。
タムクールのジャングルから近くの大都市バンガローに移動して、
その対比に驚かされた。
バンガローは、カルカッタ、チェンナイ、ムンバイに次ぐインド第4の大都市で、
IT企業の拠点にもなっているだけ合って西洋化が進んでいる。
バンガローの子どもたちとのワークショップを行うと、
もう日本や西欧の子どもたちと同じくらいに心身が都市化してしまっている。
その対比の凄さによって気付かされたとも言える。


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