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2017年12月11日

第15回舞踏祭の収穫その1

微細リスニングと図地兆リゾーミング
(からだの内外のかすかな気配に耳を澄まし、じわじわと変容する技術)

この記事は今年の成果を踏まえ、来年以降の方向を探ろうとするものだ。

生命共振クオリアが時空を超えて共振する性質に基づいて、
生命共振舞踏のなかで、わたしたちは無限に
人間概念の拡張
空間概念の拡張
時間概念の拡張

を踊ることになる。
その技法が
微細リスニングと図地兆リゾーミングだ。

日常意識の思考や判断を止め、サブボディ(下意識のからだ)モードになり、
耳をすますと、からだの内外にごくごく微細なクオリア共振が起こっていることに気づく。そのクオリアに身を委ねて動かされるのがサブボディ共振舞踏だ。
踊りや演劇の空間では、図と地の相互転換が起こる。
通常のダンスや演劇の中で、演者と観客の共振において、焦点が当たっている部分が図であり、非焦点化されている部分が地となる。(図1)


図1 図(Picture)と地(Ground)は焦点の当て方によって転換する。

だが、見えないものとの生命共振を踊る舞踏においては、可視的な空間だけではなく、不可視の背後世界との共振がもっとも大事な要素となる。
舞踏手が不可視の微細な背後クオリアに耳を澄まし、そのクオリアとの共振が徐々に濃度を増し、ついには物理的な動きとなって現れるプロセスを微細に見せる技法が
図地兆リゾーミングである。(図2)


図2 舞踏では物理的な図と地にとどまらず、不可視の背後世界の微細な生命共振の兆し(Signs)に耳をすまし、変容する。


リゾーミングとは、日常世界における脳心身の幻想のツリー構造、すなわち、意識が身体をコントロールするという二元論的階層秩序を脱ぎ捨て、
脳心身を百千の部分に細分化し、任意の部分が任意のクオリアと自由に連結分離しつつ共振するリゾーム状のからだに変容することからはじまる。
そして、任意の部分が不可視の背後世界のクオリアのかすかな兆しと共振を始め、それが増幅されてついには物理的なからだの動きになって現れるまでの潜在的なプロセスを踊るのが
図地兆リゾーミングである。

これは舞踏独自の技法であり、古典ダンスや現代ダンスにない特徴である。
土方巽はこれを彼独自の「
Xによる還元とその再生」という変容技法として確立した。Xには任意の要素を代入することができる。
たとえば、Xに重力を代入すれば、からだが徐々に重くなる、あるいは軽くなる。サイズを代入すればだんだん小さくなる、あるいは大きくなる。
X
にはあらゆるものを代入できる。性を代入すれば男性の体から男性性が削減され、じょじょに女性に変容する。知性を代入すればじょじょに獣じみてくる。密度を代入すればじょじょに固形化し石になる。あるいは逆に液状化し、気化していく。などなどである。
土方巽はこのX還元技法を駆使して最後のソロ「静かな家」を踊った。
また、最後の著書『病める舞姫』において、生命が不可視の背後世界と共振する事例を無数に「痴呆になる寸前の精密さで」記述した。

これらの技法によって、空間概念は、
日常的に縛られているただの物理的3次元空間から、
クオリアが共振している非二元かつ多次元空間へと拡張される。
時間概念は、過去から未来へ線形に進む物理的時間から、
過去も未来も交錯するクオリア共振の時間へ拡張される。
これらの多次元時空を踊ることよって、人間概念もまた、
日常の規範に縛られたからだから、
宇宙の中のものすべてに無限に変容しうる多次元共振体へと拡張される。

今期の共振塾では、この微細変容技法や図地兆リゾーミング技法をシェアしようと目論でいたが、途中で
<ドリーミング・シェア><リゾーミング・シェア>などの新技法が発見され、それに注力したので十分には展開できずに終わり、来期の課題として持ち越された。
ただ、踊り手に意識化されていたかは定かでないが、アレックスとサンテリのデュオ「下方へ」や、サンテリとコーボディによる、「ボトムレスネイチャ-」において、この微細生命共振技法による静かなしかし無限の変容の片鱗を垣間見ることができた。まだその入り口に達したばかりだが、今回の舞踏祭のおおきな収穫の一つである。

来期2018年はこの微細リスニング、
図地兆リゾーミング技法やX還元技法の身体化を期初から準備していくつもりだ。それが塾生全員によって血肉化するまで共有することができれば、これまでにない舞踏を共創することが可能になるだろう。

 
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 Gille Deleuze and Felix Guattari
 
 Tatsumi Hijikata
 2017年11月22日
<生成変化(なること)>と<Xによる還元と再生>


土方舞踏における<成りこみ>


<成りこみ>は、舞踏の根幹だ。

そして、土方巽が発見した<Xによる還元と再生>は、<成りこみ>のためのもっとも根本的な技法だ。土方巽は彼の最後のソロのための舞踏譜「静かな家」に無数の成りこみ事例を書き込んでいる。

少女になる。
剥製の春になる。
背後世界になる。
無限に変容する死者になる。
狂った男=子供=獣になる。
気化したからだになる。
キメラになる。

...等々。これらはほんの一部にすぎない。

舞踏譜のほとんどすべての文章は、
<成りこみ>の無数のバリエーションからなる。
そして、彼は、
<Xによる還元と再生>という方法によって、あるものから別のものへ自由自在に変幻し続ける。
<Xによる還元>は、通常の人体からある要素を削減することを意味する。
Xは何でもかまわない。それによって<Xによる還元>はあらゆる存在・非存在に成りこむことのできる普遍的な変容技法として完成した。

例えば...

少女になるということは、男のからだから性と年齢を差っ引くことを意味する。
剥製の春になることは、すべての生きとし生けるものから生気を削減することを意味する。
背後世界になるということは、目に見える日常世界からすべての可視的な物質性を削減し、不可視の存在に変容することを意味する。
死者になるということは、生きたからだからいのちを差っ引き、無限の変容体に変成することを意味する。
狂った男=子供=けだものになることは、通常の心身から正気と年齢と人間性を差し引くことを意味する。
気化したからだになるということは、人間の肉体からすべての物質性を削減することを意味する。
キメラになることは、人間のからだから統一性・同一性をなくし、からだの各部分が多様なものに変成することを意味する。

このような説明を最後の一文まで続けることができるが、もういいだろう。
あとはあなた自身で行なってみてください。

『千のプラトー』における<成りこみ(生成変化)>

ジル・ドゥルーズとフェリックス・ガタリはふたりでこの本を書いた。
この本にも、
<成りこみ(生成変化)>が溢れている。
訳者は「生成変化」という硬い訳語を使っているが、英語では「生成変化」も「成りこみ」も等しく「Becoming」と訳される。

この本の核心は、
リゾームになることだ。
リゾームとは階層秩序的な
樹木に反するもので、任意の点で自由に接続し、どこでも柔軟に分離することができる非中心的かつ変幻自在な多様体だ。
現代の人間は多くの制約にとらわれている。リゾームになることはそれらの制約から解放され、完全に自由になることを意味する。
リゾームは、この本が書かれる前年にミシェル・フーコーが予言した「人間の終わり」のあとの、未来の人間の萌芽形態でもある。

これを見て、フーコーは、「未来の世紀はドゥルーズのものになるだろう。」といった。

この本に出てくる多数多様な<生成変化(成りこみ)>を見てみよう。
リゾームになるには、多数多様な事例が必要になる。
なぜなら、リゾームは多様体であり、
多様体は非常に多くの入り口を持つものだからだ。

リゾームになる
狼になる
群れになる
変則者になる
動物になる
子供になる
女性になる
多様体になる
分子状のものになる
知覚できないものになる


土方舞踏との驚くほどの相似を見ることができるだろう。はじめて読んだとき、これはまるで舞踏の教科書ではないかと驚いた。そして、これらの<生成変化(成りこみ)>もまた、土方の<Xによる還元>と同じ方法が駆使されていることもわかるだろう。

リゾームになるとは、樹木(階層的秩序や二元論的思考)にとらわれたわたしたちの関係から樹木(=階層的秩序や二元論的思考)的なものを、差っ引くことを意味する。
狼になるということは、あなたの人格から人間的なものを差っ引き、忘れていた野生を思い出させることを意味する。狼はそれ自体で一匹でも群れであり、単独であることと群れであることの間を自在に行き来することができる。
群れになることは、あなたから個人であるという思い込みを削減し、わたしたちが類としてひとつのいのちでもあることを思い起こさせてくれる。

これらの<生成変化(成りこみ>>はすべて、
少数派になることであり、多数者への生成変化はありえない。
これもまた、土方とドゥルーズ=ガタリの驚くべき共通点である。
わたしたちは男にならず、将軍に成りこむこともない。
もしそうなれば、階層的な樹木の世界に逆戻りしてしまうからだ。
わたしたちは先生や教師と呼ばれるものにならず、振付家のような固定した指導者になることもない。
そうなればその存在自体が旧来の樹木状階層秩序を支えてしまうことになるからだ。それを知らない「よい教師」や「よい指導者」面をしている人々があまりにも多い。

ドウルーズ=ガタリの
<多様体になる>は、土方巽の<キメラになる>とまったく同じだ。
<知覚できないものになる>は、土方の<背後世界になる>や変幻自在の<死者>になると同様の生成変化である。

彼らが接触したことは一度もなかったが、
1968年という地球規模で起こった生命共振の波が彼らを同じ地平に運んでいった。
これは生命共振の奇跡であった。
同じような生命共振は近い将来に再び起こるにちがいないだろう。
現代に生きる誰もが、急速に膨張する高度情報化によって影響を受け、人類史上はじめての規模で等しくいのちが侵蝕されているからだ。




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これが共振リゾームだ! 
 2017年11月14日
なぜ<共振リゾゾーム>なのか?

「人間」という思い込みを脱いで、いのちになること。
そうすると、いのちがもっともその本来の輝きを放つのは、どういうときかに気づくことができる。
自我や自己への囚われが、それに気づきにくくしているからだ。
わたしはいつもいのちに尋ね続けてきた。20年以上同じ問いをいのちに尋ね続けてきた。
「ほんとうにいちばんやりたいことは何なのかい?」
いのちはほんとうにやりたいことをしているときにだけ、
輝きを発揮する。
いのちに耳を澄まし、そのかすかな傾性に従うこと。
いのちは、監督や振付家、教師などの階層秩序に支えられた権力や、経済的・政治的な事情などに強いられることを好まない。
いのちはそれらの外的な力だけでなく、内側から駆り立ててくる自我や自己の衝動などに引きづられることも好かない。
自我は、現代における最大最強の元型である。
わたしたちはたえず、どのようにして脱自し、自我の囚われからみずからのいのちを解放するか、瞬間ごとに気を配り続ける必要がある。
いのちは、それら内外の力のどちらにも囚われず、透明になることによってはじめて、その無限の創造性、固有性、共振性を発揮することができる。

この十数年間の試行錯誤の中から見つかった
<共振リゾーム>は、それを実現するもっとも理想的な方法のひとつだ。
<共振リゾーム>は、ただ生命共振をつうじてすべてを共創する仕組みだ。
そこには固定された指導者やリーダーはいない。中心も上下もない。
わたしたちはひとりひとりが狼のようにたった一人でも生き延び、創造し、自由に連結し、柔軟に分離することができるリゾームになる。
群れの中の誰かが、固定した役割なしに、ときに率先し、ときに促進し、ときに従うという、柔軟な役割転換をこなすことによって共創する。

それはとてもかんたんな仕組みだが、いのちの無限の創造性を開くことができるものだ。
<共振リゾーム>を体験したひとは、そのなかでだれもがとびきりのいのちの輝きを見せていることに気づく。
まだできかけの幼稚な段階だが、これを一緒に育て深めていこう。
わたしたちの未来はこの道の先にある。

いのちの同行衆よ。ヒマラヤに来たれ!



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狼になる アダムとコーボディ
 2017年11月12日
狼になれ!
ミツバチの群れ、モグラの穴、
リゾームになれ!

アダムからメールがきた。

ドルーズの『千のプラトー』を読み進むうち、第2章の「狼になる」に、とても興味深いコーボディのイメージ"を見つけた、と下記の文が書が書かれていた。

「私は周りの群衆の端にいますが、私はそれに属しています。私は四肢、手、足のいずれかで群れにくっ付いています。私は群れの周辺が私がいることができるる唯一の場所であることを知っています。私は自分が群れの中心に引き込まれれば私は死ぬだろうし、私が群れを離れてもやっぱり死んでしまう。どちらにもならずに群れの端っこにとどまることはとっても難しい。群れの動きは予測不可能であり、リズムに従わず、渦巻き、北へ、そして突然東へ、群衆の誰も他の人との関係で同じ場所にとどまっていない。これはとても高い緊張感を必要としますが、それは私に暴力的で眩しい恍惚を与えてくれます。」(29ページ)


私は返信した。

「何という偶然だろう!
この<ある分裂病者のとびきりの夢>の一節はちょうどきみに推めようとしていた箇所とまったく同じだ。
ここにはサブボディとコーボディの最も深い秘密と謎がある。
私は20年間「砂漠で迷子」と名付けてこの謎に取り組んできた。
きみもぜひこの謎に他の人々をガイドしてください。
だれもが興味深い豊富なヒントを得るだろう。
『千のプラトー』は、もっとも興味深い舞踏のテキストのひとつだ。わたしはそう信じている。」


先週末のサブボディ=コーボディ劇場では、
一つ前のサンテリのソロが終わるやいなや、アダムと他の踊り手たちが、突如狼の群れになって庭に踊りだし、さまざまな場所を駆け巡った。
まさに予測不可能の経路を走り、空間を拡げ続けた。
終わるなり、わたしは思わず叫んだ。
「これこそ正真正銘の<共振リゾーム>だ!
とうとう、やったね!」


世界が踊り始め、リゾームに変わっていくわたしの長年の夢がが実現しようとしている!





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森の木も、地下では菌類やバクテリアに媒介されて、
リゾーム状に共振している

 2017年11月6日
ツリー・リゾーム技法

二元論的な階層秩序であるツリーから、中心も上下もないリゾームへ移行し、そしてリゾームからツリー世界へ戻ってくる道は無限にある。その移行を促進し、技法化するのが、ツリー・リゾーム技法だ。
私たちは今週それについて共同研究を始めた。これは共振塾の歴史の中ではじめての試みだ。

ツリーに囚われるのでもなく、リゾームにこだわるのでもない。
両者を自在に行き来することができてはじめて、ほんとうの自由が身につく。

世界中の科学者が二元論的なツリーの虜になっている今、世界でわたしたちだけがこの冒険を行っている。

わたしたちは調体によって下意識モードになり、ツリーとリゾームの間の変換に関する忘れられた記憶を思い出し、シェアする。
踊りの中で、リゾーム的なカオスから、ツリーが析出してくる過程を捉え、美に転化する。
それをソロ、デュエット、トリオ、そして様々な数のコーボディで研究する。以下のようにだ。

<ソロのツリー・リゾーム>

粘菌やけむり虫のような混沌とし​​た動きから、特定の物質の形や、機械的な動きなどのツリーが析出し、かつまたリゾームに変形していく。

<デュエットのツリー・リゾーム>

からだを細分化し、任意の部位が相手の任意の部位と共振したり、くっついたりするリゾーミング・デュオや、コンタクトインプロ、エアーコンタクトインプロなどの混沌とした共振パターンのデュオから、ツリー的なユニゾンに変貌していく過程を踊る。デュオの中でツリーとリゾームを自在に往還する技術を身につける。これが完成すればおそらく最強のデュエット技法となる。

<サブボディ=コーボディのツリー・リゾーム>

混沌としたコーボディの動きからライン、スクエア、サークル、ボックス、タワーなどのような特定のツリー状のコーボディに変化し、またツリーからリゾーム状のコーボディへ自在に行き来する。

思考においても、動きにおいても、わたしたちはツリーとリゾームの両方の世界を自在に行き来する技法を身につけつつある。

10年以上前から、実現したいと思っていた技法がようやく全員で実験し、シェアすることができるようになった。
そう、世界ではじめて可能になったのだ。







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November 6, 2017

Tree-Rhizome method

There are infinite patterns to shift from Tree to Rhizome , and Rhizome to Tree.
We investigate in the infinite possibility of it this week.
It is the first experiment to research it in the Subbody history.
We become subconscious mode and remeber the forgotten memories of the transformation among Tree and Rhizome.

We research with subbody and cobody in the interesting transformation among Rhizome and Tree and share it each other.

We can research it in the Solo, Duet, Trio and various numbers of cobody.

<Tree-Rhizome in the Solo>

Transform from chaotic movement as slime mold, smoke bug, and so on to an appearance of Tree shape, for example a solid shape or mechanical movement as Tree like a Kugutsu body and so on.

<Tree-Rhizome in the duet>

Find a surprising moment to change from chaotic pair movement like as rhizoming duo or contact and air contact improvisation to a unizon.
And break the unizon as Tree to Rhizome resonance duet.

<Tree-Rhizome in the subbody=cobody>

Shift from a chaotic cobody movement to a special Tree resonance pattern of cobody as line, Squer, circle, box, tower and so on, and break it to another Rhizoming cobody.



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 箱に入れられたからだ ハンス ベルメール
 2017年11月3日

本当の癒やしとは何か

サブボディ舞踏の根幹は、からだの闇にもつれ、くぐもり、凝りかたまっているものらに、サブボディ=コーボディという動きと形を与えてひとつひとつ解き放っていく作業だ。
ベルメールの箱に閉じ込められたからだの絵がそれをイメージするのに役に立つ。数えきれないほどのサブボディが、からだの闇の狭い場所に押し込められている。いのちは非二元かつ多次元に共振しているから、互いにもつれ、凝り固まり、つながり合ってしまっている。そのなかのひとつだけを解放することなどできない。少しずつ、複雑な絡まりの一部ずつ解き放ってやるしかないのだ。からだや心の一面だけに働きかけるもろもろのヒーリング技法がその場しのぎのものにしかならないのはそのためだ。

絡まりのあるものは、個人の下意識のサブボディとしてだけではなく、集合的無意識域のコーボディとも関連し、ひとつにこんがらがっている。サブボディとコーボディを区別できないのはそれによる。個人で踊るだけでは足りない。さまざまな群れと個の変容を踊る必要がある。結ぼれの根源は個人史起源のものだけではなく、700万年の人類史、そして、40億年の生命史とも絡み合っているからだ。それらはサブボディ・コーボディとして踊り解いてやらなければならない。からだの闇にくぐもっているクオリアに耳を澄まし、ひとつひとつからだに聴きながらほどいていく。解ける順番は頭で考えても分かるわけがない。サブボディたちが一番よく知っている。

テーマより、モチーフを。モチーフより、クオリアを!

近代の踊りは、頭でテーマを考えて、それに従って踊るという狭い了見の中に閉じ込められてきた。頭で思いついたテーマなどは、このからだの闇に沈んでいる多次元クオリアのもつれなどに関わることなくその上空をかすめ去るだけだ。なぜ、テーマなどから踊ってはいけないのか。見かけの美しさや目新らしさだけでは命に響かないからだ。テーマ思考を捨て、命に耳を澄ます。なんらかの志向性をもつクオリアの傾性がモチーフとなる。だがモチーフにとらわれても踊りは部分的なものになる。モチーフも捨て、ただ非二元多次元で共振しているかすかなクオリアに耳を澄ます。思考を止めてそこからはじめることによってだけこの超絶に複雑なからだの闇を一挙に全部解き放つサブボディ・コーボディが、ひとつひとつよじれ返しによってこのもつれた闇の箱から立ち上がってくる。十体・二十体が必要なのはそのためだ。それを花秘謎にまで精錬する。命にとってもっとも共振しやすいかたちやタイミングは命だけが知っている。それが生命の舞踏なのだ。



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 2017年11月3日

土方巽と同質の追体験方法の発見

『病める舞姫』に取り組み続けて、5年になる。
闇の中を手探りで転びつつ歩を進めてきた。
ようやく今年になって、見出された
<ドリーミング シェア>、
<リゾーミング シェア>、
<ドローイング シェア>

などの新しい技法を使って、土方が『病める舞姫』を書いたときと同じ下意識モードのからだになり、彼と同じように忘れていた幼少期の潜在記憶を思い出し、からだで共創しながらシェアし合う方法が見つかった。

これは土方と同質の方法でクオリアの変容流動を味わう、
とてもいい体験になった。
去年までのように『病める舞姫」の超難解なテキストに取り組むばかりではなく、自分でからだの闇のクオリア流動をそのまま言葉にしようとすると、その言葉は二元的な論理的な言葉ではなく、いわば<クオリア言語>とも言うべき、クオリアの特徴を色濃く保つもっとも基礎的な言葉で表出されることがわかる。
そしてそれらのクオリア言語は明確な主語述語などの文法にとらわれず、主体が自在に変容して変容していったり、突然場面が変わったりという、『病める舞姫』同様に自在変容することもからだでつかめた。

そう、ついに私たちは、長年探し求めていた
<ツリー=リゾーム技法>をからだで深化することのできる場に出会ったのだ。

からだの闇のリゾーム的なクオリア流動の非二元世界と、ことばによるツリー的な階層秩序の世界とを自在に往還する<ツリー=リゾーム技法>を活用しない限り、この二世界を旅することはできない。
各塾生が固有の舞踏譜を創造し始めたのも、この<ツリー=リゾーム技法>の実践的な展開だ。
<ツリー=リゾーム技法>は、実際に自分がからだで追体験し、仲間の体験を行き来しながら共創する実践的な体験なしに、言葉で説明することは不可能だ。
(いつかは可能になるだろう。だが、それまでにゆうに十年はかかることは間違いない。)


ヒマラヤへ来たれ!
本当に豊かないのちの探求をしたいひとはここに来て、からだの闇をともに掘り進めよう。



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 2017年11月2日


固有の舞踏譜を書く

これまで土方巽の舞踏譜「静かな家」と「病める舞姫」に取り組んできた。
今週、わたしたちは、それぞれ独自の舞踏譜の作成を始めた。
土方の舞踏譜をからだで読み、出て来るサブボディのクオリアを言葉に置き換えて書き始めた。
ちょうど昨日、これまでのサブボディーコーボディのクオリアをすべてビジュアルチャンネルに変換して、サブボディ絵画を描いたばかりだったので、こんどはそれを言語に置き換えて書き出すのも抵抗なく行うことができた。

特に、「静かな家」の<急>の部分である25、26、27節には、静かな家のエッセンスとも言えるもっとも濃密なことばが書き込まれている。自在跳梁、密度を運ぶ、Xによる還元と再生、自他・内外の境界を超える非二元域など、ありとある重要な精髄が込められている。ごくごく短時間にすべてのクオリアを踊る世阿弥の言う
<揉み寄せ>の急の最適見本がそこにある。

25 (悪夢)

 

悪夢こそはこの裸体なのだ

 1、虫やらミショーの顔やら、少女と馬の顔やら、

  電髪の女やら、馬鹿の顔やら、ボッシュが描いた人物の顔やら、

  助けてくれと嘆願する手やら

 2、犬と花と影とトントントンと跳ねる虫

 

26 奇妙な展開のさなかで

 

 1、手のなかへの求心的な恋愛を頭蓋のなかにすっかり置き変える

 2、神経が棒になり、棒が乞喰になった。乞喰が旗を振っていた、

  それは大きな鳥であった。

 3、首が馬の首になってのびると、指のゴムものびた。

  その作業のさなかに、点の眼と視点が変えられた。

  Xによる還元と再生にさらされていたのだ。

  その時は、背後に爪がザックリとささり、ゆくえははぐれて育ち、

  新たな還元により、小さなマイムがそこに誕生していた。

 4、内部が外部へあふれ出し、あふれ出していったものが仮面の港へ

  帰ってくる。仮面は森のなかへ船出をするのだ。

 5、額の風、額はとらわれている。手の葉、植物の軌跡を走り、私は、

  ついに棒杭の人となっていた。

 6、深淵図の中で、全ての事象の午前一時のなかで、柳田家の孔雀は完成される。

 

27 皮膚への参加

 

 1、小さな頭蓋のなかの小さな花、それはそれは細い細い視線、

  神経は、頭の外側に棒を目撃した、

  その棒を額で撰り分けている視線。

 2、小さな顔で歩く盲はまるでサルのようだ。猿の頭に落雷。  

  頭の中に小さな花が咲く、糸つむぎの唄が聞え出す。

 3、引きのばされる老婆は一枚の紙になるだろう。

  老婆はその紙の上に蛾のように乗っかるだろう。

 4、武将は女王になり、女王は関節の箱におさめられるだろう。

  その箱のなかからの生まれ変わりがフーピーという踊り子である。

 

固有の舞踏譜を作るという試みは共振塾の歴史の中ではじめてのものだ。去年までのわたしの言葉に対するコンプレックスのために閉ざされていた可能性がはじめて開かれた。なんと長い間わたしはそれにとらわれていたことだろう。
去年あたりから何かが変わりはじめ、これまでの長い氷期の氷が溶け始めた。ゆっくりと言語チャンネルを開くことができるようになってきた。

固有舞踏譜の成果は目をみはるものがあった。各踊り手がおそらく濃密な舞踏譜とそれによる振り付けを創り出しつつあるようだ。

これまでの古い塾生には申し訳ないことをした。わたしの限界によって塾生たちの創造性まで制限されていたのだ。
しかし、これはどうしようもないことだ。自分の限界を克服し、新しい地平を開くには非常に長い時間がかかる。


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 2017年11月1日


カフカと土方巽


「きみと世界との闘いでは、世界に支援せよ!」 F.カフカ

「私は通常問題に自分を喰わせることによってそれを解決する」
F.カフカ


わたしが若い時分に影響を受けたフランツ カフカの2つのことばを紹介しよう。
ひとつめのそれは、昔評論家の加藤典洋が、彼の書名にしたものだ。そのときはその意味をうまくつかめなかった。
若いわたしは世界と自分との間に分割線を引き、つねにその線のこちら側に自分を置くという、自我の習性に囚われていたからだ。
今になって、上の2つの言葉は同じ態度を意味していることが腑に落ちてきた。
慣習的な自他や自分と世界の間に分割線を引くという幻想に囚われている限り、問題を根本的に解決することはできない。最大の問題はその二元的な分割線に囚われていることだからだ。
二元論的な幻想の分割線を消し、その両側に自在に行き来すること。
そして、どちらの側からも踊ること。
自分への囚われを脱ぎ、自分を脅かし、喰おうとする世界や問題の側から踊ること。
それによって、自我や自己という現代最大の元型の支配から透明に離れ、すべてをいのちの共振として受け止めることができるようになる。

それがカフカが見つけた解決策だった。
彼は世界を支援して世界の側からとことん彼を攻撃した。
彼は自分の問題に彼を食い散らすに任せたのだ。
それは二元論的な「人間」の囚われを脱ぎ、非二元かつ多次元的な生命共振への根本的な移行だった。

この方法で、彼は彼の小説、「変身」、「城」、「審判」などの傑作を生み出すことができた。

これは「静かな家」を踊り、「病める舞姫」を書いた土方巽にも共通する生き方だった。

近代社会の『人間』という妄想を脱ぎ、訓育された自他の区分や幼稚な自己と世界の対立という二元的幻想を脱ぎ捨てて、あるがままの生命共振を透明に踊る。それが生命の舞踏なのだ。
今期は、10月までにほぼすべての必要な技法を共有することができたので、生命共振に集中する奇跡的な二週間を持つことができている。
共振塾の歴史の中でもはじめてのことだ。
はじめてもっともやりたいことに専念できている。
だが、いったいいままでのわたしは、それを怠って何にとらわれていたのだろう。


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聖域 カロッタ山
 2017年10月27日

二ヶ月統合

今日は、10月コースの最終日、塾生はこの二ヶ月間の探体=創造のすべてを統合する。
かつてなく濃密だったこの二ヶ月の要点を振り返ってみよう。

1.リッスン、ムーブ、リッスン
2.内に50%、外に50%耳を澄ます
3.内外の何者にもとらわれない透明な心身になる
4.灰柱の歩行-死者になりそのからだを静かに運ぶ
5.虫の歩行ーからだのどこかが未知のクオリアによって影響を受け、動かされる。それが全身にまで発展していく
6.寸法の歩行ー非連続の連続
7.けむり虫の歩行ー微細な震えやゆらぎが変成途上の輪郭のないからだを運ぶ。
8.原生体ーもっともゆっくりした傾性に従い、固有のいきものに変成する
9.異貌体ー見知らぬ隠された人格になる
10.獣体
11.植物体
12.傀儡体
13.気化体
14.祖型 -虫のおびえ、鳥のおびえ
15.元型 ー集合的無意識から立ち上る魑魅魍魎
16.序破急
17.鮮深必
18.図地兆
19.花秘謎
20.Xによる還元とその再生
21.踊りの血液
22.ドリーミング シェア
23.協同産婆
24.リゾーミング
25.タメ
26.脱思考・脱判断
27.共振リゾーム
28.サブボディ=コーボディの非二元域へ
29.脱自
30.いのちになる ーいのちの無限の創造性・固有性・共振性を開く


たった二ヶ月でこれだけの新旧技法を共有し得たのは、はじめてのことだ。
残る11月丸一月を未知の課題の実験に使うことができる。
おそらく、塾生とともに土方の『病める舞姫』中の微細な生命共振を
<共振リゾーム>によってからだに落としていくなどの
新しいチャレンジが相次ぐだろう。
それはすべてこの20年間いのちがもっともやりたいことであったにも関わらず、できなかったことだ。
それがはじめて具体化する。
かつてなく、心躍る秋だ。


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 2017年10月25日

<リゾーミング シェア>

調体7番 リゾーミングは、リゾームになる調体だ。
頭脳ー神経ー身体の動きという日常体のツリー構造の幻想を脱ぎ、からだを千千に細分化し、そのどこからでも任意のクオリアと共振することによって変容が始まるからだになる。
一つの細部から始まった変成はつぎつぎと他の部分に伝わり、ついには全身が変成するプロセスを詳細に見せる。
このリゾーミングは、<タメ>と同じく、一つの踊りの中でもっとも大事な部分に使われる。大事なクオリアは、通常よりもはるかに微細に細分化して、変成が進むプロセスを詳細に見せることで、観客や世界とより深く共有することができる。

去年までは、ここまで止まりだった。だが、ことし、わたしたちはサブボディ(個々人)のリゾーミングから、コーボディのリゾーミングに展開する練習方法を見つけることができた。
<リゾーミング シェア>と名付けられたそれは、幾つかの段階からなる。

<リゾーミング シェア>

1.それぞれが、自分固有のリゾーミングを探る。

2.車座になってそれをシェアする。ひとりがある部位から始まるリゾーミング変成のプロセスを見せ、他はそれをコピーする。
さいごに最初の人から次の人へ、クオリアをパスし、イニシエーターを交替する。

3.鳥の群れのようなスォームで、シェアする。
他人に背を向けた群れの先頭の人が自分のリゾーミングを開始し、他がそれに従って動く、先頭が頭の向きを変えると、別の人が鳥の群れのリーダーになる。

4.ランダム<リゾーミング シェア>
自由共振のなかで、だれもがそれぞれのリゾーミング変成を試みる。そのなかで、もっとも面白いと感じられた動きを誰かがコピーし始める。この役割を促進者(プロモーター)と呼ぶ。促進者が、だれが率先者であるかを決めるのだ。そしてそれに他の人々が従うことによって、おおきな傾性が生まれ、世界が変化していく。

5.<共振リゾーム>へ
この傾性を共振によって共創することで、徐々に世界を変容させつつ展開していくのが<共振リゾーム>である。<リゾーミング シェア>の段階的発展から、自然な<共振リゾーム>が生まれてくる経路がようやく発見されたことになる。


<リゾーミング技法>
はこれまでヒマラヤでひっそりと探求されてきた秘密の変容技法である。
それが今年になって個人の技法を超え、
<リゾーミング シェア>を通じて、<共振リゾーム>を共創していく道筋がようやく見つかった。
これによって踊りの世界は特別の振付家や演出家なしに、踊り手の間の生命共振だけで面白い踊りの序破急成就が生み出されていく可能性が開かれた。
それは、やがて、踊りの世界での実験を経て、生命共振を通じて世界を変えていく大きな実験の雛形となるだろう。

これはこれまで20年以上も探し求めてきたものだ。技法の発展はこのようにとても時間がかかる。20年に一度くらいしか創発なんて起こるものではない。

しかし、それは何百万年もの間に一回しか起こらない突然変異によって、これまでの生命進化が展開してきたのと同様である。
それを探し求めていれば、いつか必ず、重要な展開が生まれる。必死でそれを探求しつつ、そのタイミングの到来を我慢強く待つことだ。







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幸せな40億年の命
 
 40億歳のいのち、おめでとう!
 2017年10月23日

いのちになろう!

いのちになろう!
いのちとして生きよう!
あらゆる生きとし生けるものは、40億歳のいのちだ。
わたしたちのからだを構成する100兆個の細胞はすべて、
40億年間生き延びてきたいのちだ。
40億年といういのちの叡智と比べると、
わたしであるか、そうでないかというようなことにこだわるのは、
自分自身をとてつもなく矮小化することだ。
自我だの自己だのにまつわる問題はたいしたものではない。
たとえわたしたちが一生その囚われから逃れられない存在であるとしても。
そういうちっぽけな自分を脱ぎ、
無限の死と再生を含む40億年のいのちとして生きる道を探そう。




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 2017年10月21日

いのちの共振を踊れ!

いま、ようやく、わたしたちは生命の舞踏とは何か、率直に言うことができる場所に到達した。

いのちは共振である。
いのちはあらゆる境界を超えて、すべてのクオリアと共振している。
人と人は共振し、人と物が共振し、人と見えない背後世界との間でいのちは微細に共振している。
それはとても微妙だが、日常の二元論的思考を止めると、かすかにそれを感じることができる。
共振には主体も客体もない。共振はどちらからともなく同時に起こる。

そのすべての共振を踊れ!

いのちの共振を踊ることで、わたしちは自我を脱いでいのちになることができる。

いつも、ただただ微細な共振への気づきに耳を澄ます。そして、感じ取られたかすかな生命共振を微細なディテールや、部分の動きとして踊る。

同じ共振パターンで共振することもあり、異なる共振パターンや、反対のパターンで共振することもある。

すべては共振だ。
間違いを恐れることはない。
いのちは非二元域で共振している。
そこには正解も間違いもない。

ただ、すべての共振を踊る。
それだけでいい。

これを通じて、かつてない共振美を開くことができる。
自信を持ってこれを楽しもう。




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 2017年10月20日

陰気な空気ー生命共振を通じた微細な世界変容の共創

『病める舞姫』には、人と物、人と人、人と見えない背後世界の間の微細な生命共振を通じて世界が異様に変容していく事例に満ちている。
わたしたちはこれらの微妙な生命共振への気づきを深めることによってそれらの世界変容を共創することができる。
これは、土方が言った「そっとある陰気な空気に人は動かされる」という<陰気な空気>をサブボディ技法特有の共振リゾームによって世界変容を共創するプロセスでもある。

次の舞踏譜はこれを練習するためのものである。
もっとも肝心なことは踊りの中で、踊り手、物体、背後世界の間のごくごく微細な生命共振に気づき、それに耳を澄ますことにある。

陰気な空気

1.けむり虫の歩行
2.ランダム変容
3.共振する静物になる
4.ランダムなけむり虫の歩行
5. からだだけの密談
6.ランダム変容
7.壁になる
8.ランダム変容
9.中腰で祖型的なものを引き上げる
10.元型の妄想と闘う煤け姫
11.転石
12.ランダム変容
13.ヒューマンウォーク
14.ヒューマノイド
15.システムエラー
16.溶け落ちて粘菌
17.スターフィッシュ
18.特定の形に盛り上がる粘菌
19.けむり虫
20.箱に入れられるコーボディ
21.大きな樹へ
22.動く森へ
23.獣の群れ
24.静寂
25.けむり虫
26.消失


実際の踊りの共創の中で、生命共振を通じて無限にこれらの変奏が可能である。
常に生命共振に耳を澄まし、
新しい共振パターンを発明せよ。




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 2017年10月19日

<ドリーミングシェア>、『病める舞姫』に出会う

今週から、『病める舞姫』の共同研究が始まった。
これまでの方法は、まず、難解なテキストの意味を把握するための読みを共有し、次にじぶんのからだで、書かれていることを実際に行いからだで理解する<ボディ・リーディング>に進むという方法で研究してきた。
だが、今年から、もうひとつ新しい方法が加わった。<ドリーミング・シェア>だ。
これは自己催眠技法をつかって、下意識モードになり、それぞれの人生で味わったもっとも奇妙で、気味の悪い、神秘的な体験を、忘れられた記憶の中から掘り出すという作業だ。
そして、その世界を言葉と動きを使って共創する。
すると、この日、各サブボディのからだの闇から、「病める舞姫」と同じような気味悪い世界が次から次へと出現してきた。

これまで『病める舞姫』の探求と<ドリーミング シェア>はまったく別個に進められてきた。だが、この日突然それが一つになった。奇跡的な瞬間だった。
そうだ。実は<ドリーミング シェア>の方法は、土方巽が「病める舞姫」を書いたのとまったく同じものだったのだ。

土方は一人で部屋を借りて缶詰状態に自分を置き、彼しか知らない秘密の方法で下意識モードになり、元藤夫人と少数の弟子を呼び、口述筆記を始めた。その原テキストは非常に混沌としたものだった。彼は彼のからだの闇内部のクオリアの変容流動をそのまま語ったからだ。それは明確な主語や述語を持たない、文法破りの文章だった。土方はそれを友人の有名な詩人高野喜久雄に託した。最小限の手を入れて読めるものにしてくれと頼んだ。
高野が手を入れた文章に、土方は都合二回に渡って著者校閲をして訂正している。 一回目は毎月の劇場誌に投稿するとき1977年4月-12月)で、二回目は書籍として出版したとき(1983年)だ。それによって現在わたしたちが読むことができる最終的なテキストが出来上がったというわけだ。(これについては、中村文昭の「病める舞姫のオリジンをさぐる」という詳細な研究がある。後に触れることになるだろう。)

ともあれ、この間わたしたちが探求してきた<ドリーミング シェア>の方法は、土方が原文を述べたのとまったく同じものだった。元藤夫人にかわって、ここではわたしが各サブボディが語る言葉を筆記したが、それは土方が口述筆記させた原テキスト同様主語述語の区別も文法もはっきりしない<クオリア言語>そのものだ。
しかし、わたしたちの下意識ではほとんどすべてのクオリアを共有しており、サブボディは共振力に満ちているので、どんな奇妙なクオリア言語にも、ただちに共振することができる。<ドリーミング シェア>の中では、サブボディはただちにコーボディになり、コーボディはサブボディになる。そこは自他区別のない非二元世界なのだ。

今年は、第15回ヒマラヤ舞踏フェスティバルに向けて、この方法を深めながら各自の踊りを共創するつもりだ。それは土方巽にとっても未踏の舞踏だった「病める舞姫」世界がはじめてこの世に出現する奇跡的な舞台となるだろう。




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 これがスターフィッシュローリングだ!
 2017年10月12日
スターフィッシュ ローリング



何という偶然!
この日の朝、デヴィッドザンブラーノのフライング・ロー技法を
久しぶりに学び、その一環にスターフィッシュ・ローリングをやったばかりだった。
ふと、フェイスブックを見ると、このビデオがすきかも、と表示されていた。
あたりまえだが、わたしがやってみせたそれよりはるかに見事なわざを見せてくれていた。
そうだ。自分が教えるだのという思い上がった教師エゴを脱ぎ捨てれば、
自然のなかいたるところに優れた舞踏教師に出会うことができる。




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追悼 山崎博昭 50年目の10月8日 
 
 2017年10月12日

いかに未来をひらくか-死者山崎との50年


畏友、山崎博昭は50年前の10月8日、ベトナム反戦運動の中で死んだ。
わたしは毎年10月8日にはバッハの作品番号1008無伴奏チェロ曲をかけ、山崎とともに踊り続けてきた。
その踊りは数々に変奏し、下記に掲げるような踊りになった。
50週年を迎える今日、あらたにわたしは人生を振り返ってみた。

未来からの目

舞踏は死者の国に身をおいて、他界からこの現実世界を見る。
「見えることが腐る地点からしか姿を表さぬもの、本当に生命を開くことは、屍になることにむしろ似ている。」(土方巽)
世阿弥は離れたところから常に自分を見続ける。離見と呼んだ。
土方はこれを「森の巣だ。目の巣だ。」と呼んだ。
わたしはこれらに加えてもう一つ、<未来からの目>で自分を見る。
現在を、現在の問題がすべて解決された未来からの眼差しで見る。するとこの現在にいかなる問題が解決されないまま残っているか、そして、いかなる解決の兆しが生まれかけているか、が見える。

わたしはこの「未来からの目」を思想家埴谷雄高から学んだ。埴谷は土方舞踏に「胎内瞑想」を見て取った人だ。いや、埴谷だけではなく、1960年代当時の日本の思想家や運動家はみなこの目を共有していた。
詩人谷川雁はつぶやく。
「ああ、未来の国家それだけのこと」
吉本隆明も絶えずこの目を保持していた。そして最終的に
『アフリカ的段階』において、非二元かつ多次元的に変容流動する人類のアニミスティックな原初的なこころのあり方にたどり着いた。そのこころはわたしたちのあらゆる心的現象の深淵に眠っており、それとの交流を回復することが未来につながる希望であると。
その同時代に生きた土方巽もまた、彼独特の方法でそれを探った。
「人間はまだ神話的秩序や歴史的秩序、これから来る未知の秩序の百万分の一も触れていない。」
「自他の分化以前の沈理の出会いの関係の場へ下降せよ。」
「舞踏はそういう関係の根へ降りていく作業なのです。」


「自他分化以前の沈理の出会いの場」とは、吉本が到達した「アフリカ的段階」のこころ、非二元かつ多次元的に共振し、変容流動する生命共振クオリアの世界に等しい。

リゾームの萌芽

わたしはいつもいのちに問いかけ続けてきた。
「なにが一番したいのかい?」
「どんな世界で生きたいのかい?」
いのちは応える、言葉ではなく、ふとした気配や夢見を通じて。
「とんでもないほど面白い世界で生きたいな。
すべてのいのちが思う存分弾けることができるような世界で。」
「ツリーじゃなく、リゾームがいいなあ。」
この世界はそれを抑制するあまりに多くの制約に満ちている。
一言でそれらを束ねれば、この世に蔓延するあらゆる位階制秩序、ドゥルーズ=ガタリはそれをリゾームに対立するツリーと呼んだ。
リゾームは哲学者ジル・ドゥルーズが発見した未来社会の萌芽形態である。あらゆるいのちがなにものにも束縛されず、あらゆる境界を超えて自由に連結し、自在に分離する。中心もなく、上下関係もない。

じつは、ツリーが存在するのは、この人間世界だけである。
人間社会以外の世界はすべてリゾームである。
マクロの宇宙には、中心も上下もない。
ミクロのひも共振の世界も完璧なリゾームである。
ひも理論によれば宇宙に存在するものはすべて極小サイズの振動するひもの共振パターンの変化によって生じる。
あらゆる振動するひもは他のひもと自由に連結し、2が1になり、すぐさま3に分離する。たえず変容流動しているから、数えられる数が存在しないドゥルーズはおそらくひも理論を知らなかっただろうが、ひも共振のミクロ世界はまさしくリゾームそのものである。
そして、いのちが共振するクオリアもまた、この無限に変容する共振するひもからなる。

人類がこの数千年間でこしらえあげてきた国家、政治、宗教、法、経済、道徳、情報管理システム、価値判断は、すべてこの二元論的なツリーに囚われている。
わたしはこれらの国家をはじめとするツリーが死滅していく未来から現在を見る。

瞬間ごとのリゾーミング

サブボディ共振舞踏がヒマラヤでこの20年探求してきたのも、そういうリゾーム的世界を実現する道だった。
この20年の過程で、自他や内外、世界と自分との境界を超えて変容流動する「共振リゾーム」や「ドリーミングシェア」の方法を見つけ出した。

そして、踊りを共創する現在の一瞬一瞬に、リゾーム的な自由な生命共振をぶち壊すツリー的な傾性が出てきたらその瞬間ごとにそれを消滅し、リゾームの可能性の萌芽を見つけ、それを支援し増幅してきた。わたしはこの一連の仕事を<リゾーミング>(リゾームになること)と呼んでいる。
舞踏共創のような限られた世界にも、振付家や演出家のような既存の権威にあぐらをかく人々が存在する。わたしや共振塾生の自我もときにはその影響を受け、他者を自分の思いのままに動かそうとする自我やリーダーシップが現れる。自分に反するものは皆殺しにする政治家や将軍のような傾性に囚われることさえある。
わたしたちはここヒマラヤで常に内に50%、外に50%耳をすまし、なにものにもとらわれない透明瞑想を続けているので、それらの傾性が出てきた瞬間にそれに気付き、ただちに鎮静化する。
そして、将軍のようなツリーではなく、リゾーム的な別の方法を見出す。
瞬間ごとに生まれるツリーを消し、リゾームになろうとしてきた。
それはいのちの本源にかえる道なので、いのちにとっては気持ちのよい道だ。
リゾームの中ではあらゆるいのちの創造性が弾け、固有の世界変容が次々と生まれ、それを生命共振によって共創し続ける。

ヒマラヤから外へ

これまで20年人里離れたヒマラヤの共振塾で創造を磨いてきたわたしたちは、いよいよヒマラヤから外に出、各地の社会との共振を実現しようとしている。
これまでの狭く閉ざされた時空での舞踏創造から、各地の社会との関わりの中でリゾーム的な生命共振のありかたを世界に拡散しようとしている。
すでにこれまでにも、数次にわたるヨーロッパツアーやインドツアーの積み重ねの中で、生命共振の可能性を探る実験を続けてきた。
そしてそれは新しい生命共振アートの共創ツアーに生まれ変わろうとしている。

新たな生命共振の課題

行く手にはまだまだ未解決の幾多の課題が横たわっている。
各地域の人々にとって舞踏のような未知の、一見グロテスクに見える踊りが、いかに人々とのビビッドな生命共振を実現することができるか。工夫や創造の余地は無限にある。
ときにわたしたちは、かつて能が発見した「謡い」のような舞踏歌を謡い、観客の深層から舞踏が開く異次元に巻き込んでいく実験もその一つだ。
ときに狂言のような滑稽劇も役を果たすかもしれない。
各地域の地元の音楽家や美術家、インスタレーションなどとの共振によって、リゾーム的な生命共振のネットワークをインドや世界に拡げていく。

瞬間ごとの<脱政治>、<脱ツリー>

そして、いたるところで、あらゆる場面で<脱政治>、<脱ツリー>を敢行する。
踊りやコラボレーションやその制作過程で、中心や主人公や上下関係が生まれそうになる瞬間に<脱中心化>、<脱自>、<脱ヒエラルヒー>を実現して、リゾームに転化していく。
こうすれば、今わたしたちが囚われ、脱出不可能と感じられている階層秩序や政治からするりと脱け出ることができるのだよ、と<リゾーミング>のやりかたを見せ、共有していく。
それが第二段階の世界リゾーミングツアーだ。
これまで無菌のヒマラヤで20年探求してきたリゾーミングの実験を、地域社会との接点の中で具体化していく。
これは、ただかすかな生命共振を通じて、世界を変えていく方法だ。

今や、情報の宣伝や軍事的暴力をつかうあらゆる政治的手法は、この半世紀で完成された強大な情報管理システムによって、完全に無効化され、息の根を止められている。
だが、政治ではなく、ピュアな生命共振は、どんな情報システムの管理の網の目をすり抜け、その輪を拡げていくことができる。
これは、一見もっとも迂遠に見えて、その実もっとも確実な世界を変えていく道である。
共振塾の卒業生は、この20年で1000人以上がヒマラヤから世界各地に飛び立ち、各地で独自な生命共振の輪を拡げている。
やがてそれは第2世代、第三世代に受け継がれていくだろう。
未来は生命共振の中にある。

生命共振アートに支援を!

これが50年前のベトナム反戦闘争の中で死んだ畏友・山崎博昭とともに歩んできたわたしの現在だ。
ここにわたしの20年間の踊りを掲げる。
すべてその作者はわたしの中の死者・山崎博昭、辻敏明、橋本憲二たちだ。

伝染熱 大阪 1998 
死者熱 京都 1998 

暗黒熱 ブダペスト 2000   
開畳熱 インド 2001 
山崎、生まれ変われ! ポーランド 2014 
山崎、石もてわがからだを撃て!リゾーム・リーインド2015 
● ひとつ in カルカッタ インド 2015

● 境界を超えて 車椅子舞踏 リゾーム・リーとコーボディ ハンガリー 2015 
バニヤンツリー・リゾーム リゾーム・リーとコーボディ インド 2016

眠れ山崎、睡れ山沢!リゾーム・リー ポーランド 2016 
行方不明者たち リゾーム・リー インド 2017 


わたしは今、山崎たちとともに未来を拓こうとしている。
生命共振だけの力で世界を生きやすい世界に変えていく道だ。
もしあなたのいのちが、少しでも共振してくれれば、
いくらでもいい、支援をお願いしたい。


<支援金送り先>
口座名 普通口座 岡龍二
銀行名 三菱東京UFJ銀行 三宮支店
店番―口座番号 462 – 33383192

<支援金の使い道>
● インドに新しい生命共振アートのネットワークを創る
インド共振アートツアー
●障害者との境界を超えて生命共振アートを共創する
車椅子舞踏プロジェクト
●インドや第三世界の貧しい若者が生命共振アートを学ぶのを支援する若者支援プロジェクト
● 世界中に生命共振アートのネットワークを拡げる
世界生命共振ツアー
●ヒマラヤ共振塾の舞踏祭を支援する
サブボディ共振舞踏祭プロジェクト

ただいま、これらの活動を紹介し、寄付をお願いする
ドネイションサイトを構築中です。
完成次第、ご連絡いたします。


ご支援いただけた方は、下記までメールでお知らせください。

subbody@gmail.com

お礼に、リーの新著『生命共振としてのクオリア』を
献呈させていただきます。




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伝染熱 リゾームリー 大阪 1998
 ビデオ講義 シリーズ
 
静かな家の舞踏イメージ 
 
舞踏の豊かな定義
 
ミシェル・フーコー 
 2017年9月15日

 "私が誰だか聞かないでください。

私の中の複数の人が、すっかり顔を消すために書いている。

残りの人たちにも、私同様に誰だかたずねないでください。"              - ミシェル・フーコー

 

  透明になる

 

人間の死滅を宣言したフーコーは、もちろん自分のことを、

何らかの人格だの性質だのを持った「人間」として扱 われることを拒んだ。

からだの闇には社会に向けている表層人格だけではなく無数の傾性がある。

それら複数の傾性がリゾーム状に連結分離しながら、混合=協同して書い ている。

自己をいまだに「人間」だと誤解している多くの質問者が、

フーコーを自分自身同様の「人間の中の誰か」というラベルを貼ろうとするのがたまらなかったのだ。

フーコーは人間の条件をすべて脱いで、
そうではないなにか、「人間以後のなにものか」になろうとして生きた。

それを名付ける言葉はまだない。

ニーチェのように「超人」などと呼ぶことはおこがましい。

フーコーは名付けないまま死んだ。フーコーの盟友ドルーズとガタリは、

「リゾーム」というあり方を発見した。
それはさまざまな現代の「人間」の条件を脱いで、

「人間以後の未来の人間」に生成変化していく途上のあり方を指している。

彼らの弟子であるわたしは、その途上を生きているので、

「リゾーム」という名前を受け継いだ。

からだの闇から踊りだすサブボディやコーボディは、単一ではなく、数えられないものである。

つねに変容し、他のサブボディやコーボディに自在に連結・分離し変容し続けている。

定まった顔も居所もなく、中心も辺境もない。

まさしく、サブボディ=コーボディはリゾームなのだ。

フーコーにおいては、複数の人が顔を消すために書いていたように、

私たちにとっては、十体以上のサブボディ・コーボディが出入りしながら透明になるために踊る。

 

透明さとは、内側にも外側にも束縛されていないことを指す。

自我や自己の衝動に支配されることも、外側の誰かや見えない力に囚われることもない状態を意味する。

だが、そうなるためには、からだの闇の無数の不透明なものを踊り尽くす必要がある。

 

よじれ返し 

 

よじれ返しは、サブボディ共振舞踏の根幹の技法だ。

生命はその歴史の中で、さまざまなものによって、抑えつけられたり、ねじられたり、曲げられたりする。

それがからだの闇に、くぐもりや結ぼれ、しこり、囚われとなって潜んでいる。

傷やトラウマとなったり、解離された人格になる場合もある。

総じてそれら全体を生命にとっての<よじれ>と呼ぶ。

創造とはそれらからだの闇のよじれを材料に、

それをからだごと<よじれ返し>て、踊りに転化することだ。

サブボディ・コーボディはすべてこのよじれ返しを通じてからだの闇から躍り出てくる。

 

生命にとってのっぴきならない創造を共有する 

 

40億年の生命史を通じて、生命は多くの創造的発明を積み重ねてきた。

生命の3大発明はおそらく、酸素呼吸の発明、光合成の発明、多細胞共振の発明に尽きるだろう。

これらすべての発明は、よじれ返しによって生まれた。

今の私たちは酸素呼吸ができるので、酸素に親しみを感じているが、

生まれたばかりの原初生命にとって酸素ガスがもつ強い酸化力は強烈な毒以外のなにものでもなかった。

原初生命は酸素の脅威から逃れるために、最初の十億年は水中や地底など、

酸素ガスと安全な距離を保てる場所で しか生存できなかった。

これが<よじれ>だ。

生命はこのよじれに何億年も耐え続けたが、

ついに三十億年ほど前にプロテオバクテリアが、

ついに酸素からエネルギーを取り出す、酸素呼吸のしかたを発明した。

これが<よじれ返し>としての生命の創造だ。

他の単細胞生物は、プロテオバクテリアと細胞内共生をすることによってその大発明をシェアした。

これが<よじれ返し>の共有だ。

ブロテオバクテリアはやがて細胞内器官としてのミトコンドリアに変化し、

現在の地上生物の全細胞内で生き続けている。

 

わたしたちのサブボディ共振舞踏の創造は、

この酸素呼吸の発明に比べればおどろくほど小さいかすかなものだ。

だが、それが生命が抱え込んだ<よじれ>を、<よじれ返し>た創造である限り、

いくら小さくても生命にとってシェアする値打ちのあるものだ。

 

<よじれ返し>の創造の連続によって透明な生命になる

透明になるとは、内側の問題にも外側の問題にも拘束されないことを意味する。私たちは、内部のおおきな<よじれ>である自我や自己、
自分の個性や性格だとみなされている小さな<よじれ>、
社会や国家の共同幻想に囚われた階層意識やナショナリズムという<よじれ>、
セクシュアリティの<よじれ>など、すべての<よじれ>を<よじり返し>、
創造に転化することによって、はじめてそれらから自由になることができる。引用したフーコーの短い文でかれは、
<顔>という一語に、上で述べた「人間」の条件のすべてを含意している。

からだの闇の中の多くの束縛から解放されるために、

わたしたちは無限の<よじれ返し>による創造を続けるしかない。

私たちの生は<透明な生命>になるための長い旅なのだ。

なぜ、透明なのか

わたしはここ何十年も透明ないのちになりたいともがいてきた。
だが、いまだに毎秒毎秒不透明ななにものかに囚われている。
それほど、透明になることはむずかしい。
からだの闇には無際限の不透明な傾性がうずまき、
瞬間ごとにわたしたちを捉え、支配しようとしてくる。
自我や自己、欲望などの見やすいものから始まり、
得体のしれないものが渦巻き、瞬間ごとにわたしたちを乗っ取ろとしてくる。
だからこそ、毎秒毎秒それらの不透明なものを捉え、
そこから逃れることが必要なのだ。
からだの闇に耳を澄まし続け、それらすべてを踊ろうとすること。
それはわたしにとってのっぴきならない生き方である。




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第14回国際ヒマラヤ舞踏祭 2017

 
 行方不明者たちの消息 リゾーム・リーとコーボディ
 2017年8月7日

わたしの中の行方不明者たちよ

わたしのからだの闇に行方不明になったわたしの破片が棲んでいる。
ごくたまに出てきて驚かされる。
この舞踏祭でそれら行方不明者たちの消息を探し始めた。
塾生たちの最後の踊りの背後に隠れて、
背後世界とこの世を往還しながら探った。

だが、本当のところ、自分でも何をしているのか、
まったくわからなかった。
ただ、なぜか、そうざるを得ないここ数年の
サブボディの衝動に従っていただけだ。


<背後で、間で、下で、上で踊れ>

なぜか、ここ数年わたしは舞台の中心で踊る踊りをする気がまったく失せ、
塾生の背後や、脚の間や、からだの下や上など
尋常でない踊り場を探り続けてきた。
それは新しい舞踏を発見することにつながるかもしれない
というかすかな予感があった。
それから2ヶ月たった今、この夏のユーラシアツアーの最中に
もろもろの忘れ去っていた子供の頃の自分に次々と出会う経験をした。

一人目の行方不明者

はじまりはハンガリーの車椅子ワークショップをガイドするダラに従って
水のクオリアを運んでいた最中、突然、わたしが3歳の時、ジェーン台風に
見舞われて玄関のガラス戸を内側から畳で押さえていた祖父が
強風で舞い上がった板に頭を直撃された。
その祖父を血みどろになりながら台風の中病院に担いで運んでいる
父が憑依してきた。
「境界を超えて」と題する車椅子舞踏の最終パフォーマンスでその
血まみれの祖父を運ぶ父を踊った。

二人目の行方不明者

二回目の行方不明者との遭遇は、ブダペストのワークショップの中で、
<ドリーミング・シェア>をしていた古参のエバが、
子供時代に母や彼女に対して暴力を振るう父に抗う踊りをおっどった時、
不意に、同様の体験をした9歳のわたしの、
父に蹴られて吹っ飛び縁側から転げ落ちる母を前に、為す術もなく
眺めるしかなかったわたしの胸の中で固まって石のようになった
悲しみに出会った。
その悲しみの石はいまだに触れば血を吹く生々しいものだった。
その悲しみの石をいまだに踊れていないことに気づかされた。

三人目の行方不明者

三回目の遭遇は、ハンガリーのオーゾラフェスティバルで日本の
マ・オームという二人組のコンサートを聴いている最中に起こった。
最初そのアンビエントな演奏を聴いた瞬間、聴きたくないという衝動が
こみ上げてきて、その場から離れようとした。
だが、我慢して、なぜこの音楽に対してそんな衝動が出て来たのか、
自己催眠をかけて耳を澄ました。
すると、10歳のとき、毎日のように和歌山海南の浜辺に行って
夕日の沈む海を眺めて続けている自分の姿が浮かんできた。
その演奏はキゴンギと電子ギターによって、
寄せては返す海の潮騒をかすかに変奏しながら繰り返すものだった。
その潮騒の音楽に導かれて、海を眺めている10歳の自分に出会ったのだ。
でも、なぜか、その自分は長い間忘れ去られていた。
なぜ、その自分を忘れ去っていたのか、さらにからだの闇に耳を澄ました。
すると、12歳の時、わたしの一家は海南市から大阪へ夜逃げするように
引っ越したのだが、そのとき同時に海南の浜辺は
石油コンビナート建設のために埋め立てられていた。
子供の頃から毎年潮干狩りをしたり泳いだりしていた
大好きな浜が消えてしまうことに堪えられない悲しみを抱いた。
その後、二度と海南市には足を運ぶことがなかった。
そして海を見ていた10歳のわたしは、まるで自殺をしたかのように
記憶から消去されてしまっていたのだ。

四人目の行方不明者

4回目の忘れ去っていたわたしの少年に出会ったのは、その二日後だ。
オーゾラフェスティバルでの最終公演の前夜、
なぜ10歳のわたしは毎日海を眺めていたのか、探っていると、
突然、夜中に隣室で父母が話す内容にショックを受けた記憶が蘇ってきた。
「実は兄が龍二をもらいたいと言ってきている。」と父が話している。
十人兄弟の二番目だった父は、長兄の営む洋服店で働いていた。
「龍二を養子にして、医大を卒業させて医者にしてくれると言う。
明日なんとか龍二を説得してくれないか。」父が母に頼んでいた。
(まさか、母がそんなことに協力するはずはないだろう)
と思いながら寝入った。
だが、その翌朝、朝食の最中に母が微笑みながらやさしく話し始めた。
「龍二、いい話があるの、おじさんの家に養子にいかない?
大学にも通わしてくれるし、お医者さんにしてくれるというの。
どう、行ってみない?」
(両親とも、俺を売り飛ばそうとしている!)
ショックを受けたわたしは大声で嫌だと泣き叫んだ。
ちゃぶ台をひっくり返すほどの勢いで泣いた。
人生で泣いた記憶はそれが最後のものになった。
それ以後のわたしは誰にも心を閉ざし、
一人で海を眺めるしかない少年になったのだ。

忘れ去っていたわたしの少年に次々と出会わされた。
「行方不明者たちの消息」を踊ったあと、わたしの中のサブボディさんは
夜を徹してその消息を訪ね続けていたのかもしれない。

これから、わたしはそれらの行方不明になってしまった自分の破片を
ひとつひとつ呼び寄せ、ひとつのいのちに統合する踊りを踊るという
課題に向かおうと思う。
それらの外傷体験によって、引き裂かれバラバラに解離してしまった
わたしをもう一度全生としてのいのちにつなぎ合わせるために。

ユニバーサルな癒やしや美

ハンガリーで行動をともにしてくれていたダラと話す中で
ある時、彼女の言った<ユニバーサルな癒やし>ということばに、
(そんなものは俺の中に皆無だな)と気づいた。
<ユニバーサルな癒やし>というような発言は数々耳にするが、
その度、(ケッ、そんなものはまやかしにすぎない)と
これまでのわたしは耳を貸そうともしなかった

舞踏はおのれの受けた傷を掘り、
世界でたったひとつの創造に転化することによってのみ、
その傷から解放されることができる。
それが真の癒しなのだ、と信じ続けていた。

それによって、自分のトラウマと格闘し、それをユニークな踊りに
転化する踊りを創造することができた塾生が何人もいた。
ただ、それだけではあまりに狭いのではないか、という
自分に対するかすかな疑念が確かに存在していることも知っていた。
そして、わたしのような解離を持たない彼女は、
まっすぐなまるごとのいのちなのだと感じた。

もしわたしが、破片状に砕け散った自分の中の行方不明者たちを
すべて呼び戻し、ひとつのいのちに統合することができれば、
そのときこそ、ユニバーサルな美や癒やしというこれまで
触れることのできなかった課題に取り組むことができるかもしれない。
それがこれからの残りの人生における課題になるだろう。
ここではまだ書けないが、解離性同一性障害(多重人格障害)を
かかえるわたしはそれを独力で克服し、
新しいいのちに生成変化しなければならない。



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Netherlands
 
Ramesh, forever! / Rhizome Lee and cobody 
 2017年7月14日

ロメス、永遠に!


ロメスの訃報を聞いて一週間後、ロッテルダムの森林公園でロメスを踊った。
ロメスと過ごした20年間の、数々の思い出が溢れかえってきた。
なかでも、ラジャスタンの砂漠で、突然脳出血を発症した瞬間のロメスの体感が
わたしのからだにのりうつってきた。
死者を踊るのはこれで何回目だろう。
盟友・山崎、辻、橋本、太平洋戦争の死者、アウシュビッツの死者、
デリーの路上の見知らぬ死者、フクシマ3.11の死者・・・。
踊ることを通じて死者とわたしはひとつになる。
わたしのからだの闇は死者たちでいっぱいだ。まるで彼らの遊び場だ
こうして少しずつ、死者の国へ近づいていく。



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  ありがとう!
古い塾生からロメスを惜しむ多くの声が寄せられた。

Simon Thakur

Simon Thakur 
Sorry to hear this Lee. He was a wonderful presence at the school.

Ikuko Dhasa

Ikuko Dhasa
 言葉が見つかりません。あまりに沢山の想い出がありすぎて。「一家に一人ロメスが欲し
い」なんて冗談を言っていた私です。ポテトパランタは、最高だった。
同じ時間を過ごせたことに心から感謝し、御冥福をお祈りしますイグ

 I can not find a word. There are too many memories.
It is me who was jokingly saying "We want one Ramesh in every family." Potato prantha was the best. I am sincerely grateful that I could spend
the same time and I pray for the souls

Vishal Choudhary

Vishal Choudhary
 This is so sad , and heart less ,,

Gadu Schmitz

Gadu Schmitz 
Ramesh was a wonderful friend, care taker and healer
at Subbody Butoh School. He treated every student with such care
that we often took him for granted. It is hard to imagine Subbody
School
without Ramesh. I love him as my brother. Ramesh, rest in
peace.

Czap Gábor

Czap Gábor :-(

Sara Pons

Sara Pons 
Ohhh Ramesh, beautiful image come to my mind thinking about him!

Chiara de Bona

Chiara de Bona 
ohh Ramesh....beautiful presence! rest in peace!

Natasja de Lange

Natasja de Lange 
Ramesh rest in peace I will always remember you <3

Monika Smekot

Monika Smekot 
OH NO!!!! what a sad news! what a loss for the planet. Such a gentle
and sweet soul! He was a beautiful being! ve Lots of
love for his family... beautiful kids and wife. Thank you Lee for
introducing me to Ramesh! Dear Ramesh I hope you are free from pain
now and planning your come back to earth... we need good strong and inspiring spirits like yours!!!!!

Aymon Barrio

Aymon Barrio
 You left an imprint in our hearts. Teacher. Sweet soul. Hard worker.

Christine Jaroszewski

Christine Jaroszewski ❤️

Markus Gross

Markus Gross 
Om
shanti Ramesh it was a peasure to see your essence of beeing!

B Anneli Türva

B Anneli Türva 
Beautiful Ramesh! You left only good memories.

 

十 をぢこ

をぢこ インドでは何度もロメスに救われた
ありがとうおやすみなさい

 I was saved by Ramesh many times in India. Thank you and sleep
well! Wodico Tsunashi

 Nikhil Dev

Nikhil Dev This is so sad..i m so sad to hear about this..we have
worked together for a long time..rest in peace Ramesh, you will always
be remembered.

 Monuj Saikia

Monuj Saikia So Sad...RIP...

Elly Hermanussen

Elly Hermanussen Rhames teach you resonativity and you Rhizome
Lee
, showed me the meaning of Life Resonance Art. I am very
greatfull for
that! It means a lot to me! A beautiful Gift. Thank You so much!

 Lakshika Pandey

Lakshika Pandey Lee is this is so beautiful... allowing yourself to
ive
the sensations of different lives ..... celebrating life in its entirety
including death.... connection prevails through deep sensations....
gratitude for being this wonderful person that you are..lots of warm
affection.

 Silas Valentine

Silas Valentine Yeah buddy! A beautiful butoh for Ramesh. He
watches and smiles for you man.

 

 
 
 2017年7月10日

咸と癇➖ふたつのKAN

世阿弥の咸、土方巽の癇。
どちらもまれにしか使われない文字だが、
二人にとっての美の根幹をなす概念だ。

世阿弥の咸

花、面白し、珍し、妙花と、
歳を追って究極の美を追求してきた世阿弥は問う。
「能には、花、面白、珍などの心のはたらきを超えて、
思わず「はっ」と動かされることがある。
心のはたらきなくしていのちが動かされるとはこれなんぞ?」
彼はそれを表すのに、通常の感(Feel)からあえて心を差っ引いて
<咸>という言葉を当てた。
咸とは心のはたらきを超えていのちからいのちへ伝わる
生命共振そのものだ。

感(Feel)➖心(Heart)=咸(Life Resonance 生命共振)

というわけだ。
彼は若年の40代に書かれた『花伝書』における
花、面白、珍という美の定義を、
晩年にはそれらの(おぉ、花が咲いた! 面白い! 珍しい!)という
心のはたらきを超え、言葉にはできぬ究極の美を妙花と呼び、
現世と他界のあいだを往還する複式夢幻能を確立した。
世阿弥は、その根底にいのちからいのちに直接伝わる
<咸>(生命共振)をすえた。
美の本質は生命共振にありと捉えたのだ。

土方巽の<癇の花>

一方、若年の頃のさまざまな暗黒舞踏の実験を経て、
衰弱体舞踏の創生に取り組んだ晩年の土方巽が
最終的に到達した美は<癇の花>と呼ばれる。
癇の花とは、世界とのさまざまな生命共振の積み重ねによって
衰弱し、世界とうまく共振することができなか唸った不具の心身が、
たまゆら放つ究極の美を指す。
「岩の蝉の目」など、
癇の花の事例として挙げたことばがそれを指し示している。
「舞踏は表現ではない。生の感情や情動をそのまま表現するのではなく、
いったんそれを呑み込む。
そして咀嚼し、美酒にまで醸成されるのを待つ。
待って、待って、ここぞというときに岩に沁み入った蝉の目で睨み返す。
それが生命の舞踏なのだ。」

『疱瘡譚
(1972)において、疱瘡に身を喰い破られたいのちの
瀕死の動きとも言えぬ蠢きによってそれを踊った。
『夏の嵐』(1973)、『静かな家』(1974)における「少女」のソロで、
長年の間踊ること能わなかった死んだ姉との合一を踊った土方巽は
そのなかでほとんど地を這うがごとき、
生と死のあいだのかすかな最後の身悶えによって、<癇の花>を踊った。

透明な生命共振の美

世阿弥の<咸>といい、土方巽の<癇の花>といい、
どちらもことばを絶した生と死の間でゆらぐいのちの姿の中に、
いのちからいのちへ伝わる<生命共振>としての究極の美を発見した。

現代のわたしたちは、いったいいかなる形で生命共振の美を
創出することができるのだろうか。
いのちに問うことだ。
何がいちばんしたいかい?
どんな困難に出会っているかい?
何を求めているのかい?
いのちのかすかなふるえやゆらぎのなかにその答えは詰まっている。
いのちに耳を澄まし、かすかなクオリアにしたがって動く、
そして耳を澄ます。

耳を澄ます。
動く。
そして耳を澄ます。

この単純な傾聴の繰り返しのなかに
きたるべき微細生命共振技法の種が胚胎している。



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 2017年6月27日

師・ロメス、安らかに眠れ

わたしにとって生命共振の最大の師であったロメスが亡くなった。
享年48歳。脳溢血だった。
3年前の第1次インドツアーで、脳出血により片麻痺となって以来、
何度も危機を乗り越えてきた強靭な生命力の持ち主だったが、
さすがのロメスもとうとう力尽きてしまった。
ロメスは共振塾建設時以来、15年間、わたしの共振の師として、
そして片腕としてわたしを支え続けてくれた。
ロメスは、人の態勢をみてその人が何を欲しているかを直ちに察して、
瞬間的に手を差し伸べてくれる体読術を見につけていた。
それで何度救われたかしれない。
わたしがある時期から<生命共振>こそ人生でもっとも大事なもの
ではないかと思いはじめたのも、
ロメスの持って生まれた共振力の美しさに触れたからだ。
ロメスは亡くなっても、生命共振は永遠に生き続ける。
死してなおわたしの師であり続けるだろう。
ロメス、長い間ほんとうにご苦労様。
安らかにねむってください。


ロッテルダムにて
リゾーム・リー




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ユーラシア共振舞踏ツアー 2017

 
 今年も7月17日からハンガリーで身障者から学ぶ車椅子舞踏ワークショップ
 2017年6月18日

身障者の身振りから学ぶ

「師土方巽は言った。

舞踏家は身障者の身振りから学ぶ必要がある。

彼らはけっして不自由なのではない。

自分の一挙一動に無自覚な健常者の方が、
実は狭小な身体観の虜なのであり不自由なのだ。

弟子たちはこの教えに従い、屈曲した痙攣的な動きを踊りに持ち込んだ。
それが暗黒舞踏の基礎となった。」(中嶋夏)

 

そうだ。

この夏のツアーでシェアしようとしている、微細傾聴技法は、

身障者の人々が、ひとつからだを動かすごとにからだに耳を澄まし、

何が起こったかを捉え、次の一挙手一投足に集中する。

まさしく彼らに学ぶ技法なのだ。

 




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 癇の祝祭 ゴルカ、リーとコーボディ
 2017年6月11日

これがいのちのリゾームだ!


わたしたちは、自分が人間であると思いこむことによって、
もろもろの人間的錯覚に囚われる。
近代社会では、強いものが良く、弱いものは悪い、健康が善で病気は悪、
健康が美しく、障害は醜い。

それらの錯覚はまた、上と下、中心と周縁をもつ
二元論的な階層秩序のツリーシステムに囚われている。

だが、そんな幻想はただただ近代数世紀の人間が創り出して
自ら囚われ苦しんでいる幻想にすぎない。

日常的な思考を鎮め、からだに耳を澄ませば、そんな錯覚は消え去る。
からだじゅうにある100兆個の細胞は、
みな40億年間の生命史のなかで蓄えてきた生命共振クオリアによって
地球上のあらゆる生命と共振している。
そう。ただ共振しているいるのだ。
生命共振には健康と障害、国境をわかつ境界はない。
それどころか、人間と他の生命を分かつ境界さえない。
すべてのいのちが苦しみ、喜び、ただただ分け隔てなく共振している。

この踊りは、第14回国際舞踏祭ヒマラヤの最終日に公演された。
踊りてはみな内なる癇(うまく共振できないクオリア)に耳を澄まし、
癇(障害)のサブボディ=コーボディを踊った。
そうだ、いのちになれば自分と他者という人間的境界も消える。
サブボディはそのまま共振するコーボディとなる。
これこそあるがままのいのちではないか。

いのちにはツリー状の階層秩序などない。
その反対のリゾームが現出した。
リゾームはいつどこでも自由に連結し、また分離することができる。
未来社会の萌芽形態である。
いや、ただいのちのあるがままの生きようを取り戻すだけだ。
わたしはいつか地球上に生命共振があふれる日が来ると信じている。

ゴルカはわたしのマイクの声をアレンジし、彼の音楽と融合させた。
ここからマイク音声と音楽を差っ引けば、ただの共振塾の授業風景だ。
そこではわたしだけではなく、<ドリーミングシェア>によって
だれかが下意識の出来事を喋りながら、それを動きで共創する。
この実験は2015年ドイツのExit舞踏祭以降3年間続いている。
3年目にしてようやく、いまわたしたちはこれが古来からの能における
謡曲のような要素をもつ新しい舞踏様式に成長しつつあることに気づいた。
この実験はじっくり育て深めていくつもりだ。



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 A Girl / Tatsumi Hijikata 1973/
 

 「少女」のソロを踊っているとき、土方は何をしているのか?


「微細リゾーミング技法」の発見


からだに微細なクオリアを通すカンチェンのさまざまな実験を行い、カンチェン、スローカンチェン、サトル・リソーミングカンチェンへと深めていく。

1)カンチェン(Kanchen):からだのさまざまな部分に多様なクオリアを通す。ふるえ、ゆらぎ、うねり、ショック、崩壊、死などの六道クオリアをはじめ、からだの周りに蓄えてきたクオリアクラウドのクオリアをランダムに通す。

2)スローカンチェン:超緩速でカンチェンを行い、一度にからだの一部分にだけ特定のクオリアを通し、瞬間ごとにからだにどういう変化が起こっているのかに耳を澄ます。

3)微細リゾーミングカンチェン
特定のクオリアがからだのある部分から隣接した部分に伝染し、動きの連続のなかに特定の傾向が生まれていくプロセスをじっくり踊り、そのつどからだに起こっている変化に耳を傾ける。

この実験の第3段階に達したとき、突然大きな気づきが訪れた。(そうか、「少女」を踊りながら土方はずっとこの作業を続けていたのだ!
わたしは土方巽の最期の舞踏「静かな家」に織り込まれた前年の「少女」のソロを長年探り続けてきた。
そしてこの微細リゾーミングを行う中で、ようやくこれが土方巽自身が「少女」を踊りながらやっていた作業だと気付くことができた。
小さなシーケンスや動きのたびに、彼は物理的な動きの外クオリアと「カン工場」ということばで象徴化された記憶や夢や想像などの内クオリアとの間に起こっている微細な生命共振に耳を傾けていたのだ。
そして、最終的に土方は彼が捉えた微細な生命共振クオリアのすべてを「静かな家」の舞踏譜として定着した。
上のビデオを注意深く見て、彼が
からだといのちに瞬間ごとに耳を澄ましている営為を共有すること。じょじょに動きと舞踏譜の共振関係に気付くことができるようになるだろう。
遅くなったが、もしこれを踊り手が身につけることができれば、1ヶ月後に迫った今年のヒマラヤ舞踏祭の踊りは一変するに違いない。
ひとつの技法がからだに染み込み、体得することができるまでには時間がかかる。
だが、何年かかろうと、この態度は身につけるに値するものだ。




 2017年5月11日

相手の問題を“他人事とせず、わがこと”する

今年、わたしたちが試みている
<相互産婆>は、すでにわたしの指圧の師・遠藤喨及氏のが創ろうとしているタオサンガにおいて早くから取り組まれている。
幾度もトライしては挫折し、そしてまた挑戦しようとしている。そのなかで何がもっとも大切なことなのかが、浮かび上がってきている。
<他者をケアするコミュニティ>を共創するということだ。

遠藤: 僕が創りたかったのは、他者をケアーする修行コミュニティの場
だったんです。そのような「場」は、そのグループの成員一人一人に、少なくともお互いをケアーする心と行動がなければ生まれません。

-- そうですね。

遠藤: 
他者をケアーするにおいては、

1)相手の問題を“他人事とせず、わがこと”すること。

2)肯定的関心をもって、相手に問いかけること。

3)相手の気持ちを想像し、共感しながら話を聞くこと。

の3つが基本になります。


実にそのとおりだ。
だが、これを実現するには、多くのエッジを乗り越えなければならない。
今年の共振塾はこれをともに乗り越えていくという課題に直面している。



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 2017年5月11日

透明離見

無数の外部からの目、内奥からの目によって絶えず自分を透明に離見する。確認すべき主な点は次の通り。

1. 重畳の禁

無意識のうちに重複する動きをしているときは、直ちに止め、いままでやったことのない動きを発明する。これは絶えざる創造性を開く秘伝だ。

2. 習慣を破る

慣習的な腕の位置、いつものような脚の位置を許してはならない。絶えず、それを破り、新奇な姿勢での動きを試みる。

3. 秘蔵クオリアを探る

からだの闇の秘膜、秘腔、秘液、秘筋、秘関を開き、からだのまわりに蓄えたクオリアのクラウドと、からだの微細なディテール、部分、全体像との微細な共振をからだに通す。

4. 微細管理技法

からだの各細部に、さまざまなクオリアを通す。それらの部位が相異なる方向に、異なるリズムで、異なるクオリアによって微妙に動かされる。
<スロー・カンチェン>、<超緩速(サイレントスピード)>、<タメ>、<図地兆>、<密度を運ぶ>、<自在跳梁>などの微細管理技法すべてを駆使する。

5. 十体を開く

あらゆる体位、あらゆる密度で自分固有の<十体>を駆使工夫して自在跳梁する。自分のサブボディだけではなく、おたがいのコーボディを共創する中で、静寂体、原生体、獣体、植物体、異貌体、傀儡体、ボトム体、気化体、衰弱体、などの十体すべてを開く。

6. 相互産婆

上記の点をすべて開くことができているか、自分とほかの人たちに等価に耳を澄ます。そして、
相手の問題を他人事とせず、わがこととして受け止め、それを解決する調体・探体を発明し、シェアする。
わたしたちが共創しようとしているのは、
お互いにケアすることのできる未来のコミュニティなのだ。

7 透明になる

上記の点をたえずチェックしながら、次第に<半受動・半能動>、<半分外・半分内>、<50%追随・50%発明>、<50%下意識・50%透明覚>を通じて、心身の透明度を増していく。
これらが、
<サブボディ=コーボディ共創>にいたるための、<透明離見>による絶えざる確認事項だ。



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 鎖 サンドロ・マサイ /
 2017年5月4日

すべての不可視の鎖を踊れ!

この一本気な舞踏はわたしたちのいのちへの貴重な贈りものだ。
彼は可視化された鎖と踊った。
シンプルだが、とても純粋でまっすぐだ。
この鎖は、世界のすべての鎖の暗喩であり象徴だ。
この踊りに触れると誰でも、わたしたちのいのちが様々な不可視の鎖に縛られていることに気づかされるだろう。

そう、現代のわたしたちはなんと多くの目に見えない鎖に縛られていることだろうか。
わたしたちのいのちはそのすべてを踊ることによって、それらから解き放たれる必要がある。
現在わたしたちはインターネットを通じて巨大な情報に縛られている。
インターネットの情報は、この世界を支配し、管理しようとする者らによって日々刻々コントロールされている。
いのちは外側だけでなく、内側にも縛られている。
自我や自己、自己同一性の幻想に縛られ、自己史の特殊性に縛られている。
自我や自己は、国家、宗教、法律、道徳、禁忌、およそすべての共同幻想と相補的に支え合っている。
わたしたちは、内的な未知の傾向、欲望、衝動、願い、悪夢、習慣、中毒などに囚われている。
それらはからだの闇の深い領域に棲む多くの元型や祖型的なものと関連している。
われわれはそれらすべてから透明になる必要がある。
透明になるとは、外にも内にも囚われないことだ。
わたしたちは透明ないのちになるために、それらすべてを初期化する必要がある。
内なる束縛や外なる制約のすべてから解放されるために、それらと格闘し踊りに転化する必要がある。

昨日、わたしたちが拘束されていて、解決する必要があるクオリアを10個見つけて踊るように塾生をガイドした。
さまざまに味わい深いソロが続出した。
また、それに続くコーボディ・シェアでは、かつてない新鮮な世界を共創した。
わたしの最初のソロ「伝染熱」は、20年前のわたしが囚われていた10個の問題を踊ろうとした。のべ百回以上踊るうちに、すこしずつそれらの拘束は消えていった。そして、それまで気付かなかった新たな困難に直面することになった。
からだの闇の旅は、より深い問題に直面し、それを創造に転化する無限のプロセスだ。
透明ないのちになるために、この旅は死ぬまで続けるしかないだろう。

ともあれ、このビデオには、ひさびさに動かされた。もっとも大事なものを思い出させてくれた。
ありがとう! いつかいっしょに踊ることができれば、と思う。
この踊りをfacebookで紹介してくれた、世界中で活躍中の古い塾生アダム・コーアンにも深謝!



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こわれやすい石 ジョナサン 
 2017年5月2日

スロー・カンチェン

昨日午後、カンチェンの動きをシェアしようとした。
カンチェンとは、土方巽の舞踏譜「静かな家」に名のみ記されているもので、
実際のところは不詳である。
ただ、床を這う瀕死のフラマンの動きや、超緩速の動き、脚が気化するフロアテクニック、気化するからだ、低くしゃがんだ姿勢の、花摘みや洗濯など灰娘の動きなど他の知られている動きを差し引くと、残る可能性は座位と立位の間で、細かくふるえながら上下する動きに絞られてくる。
もし、精確な意味をご存じの方がいればご教示願いたい。
とりあえず、中間位のフラジャイルなからだの各部をさまざまな微細なクオリアが通過してふるえながら上下する動きと仮定しておく。
ところが、多くのダンサーたちは幾分速い速度のふるえを通したために、
最初は心地よくその動きを楽しんでいたが、数十分の探体の後に、稽古場にもどると、なんと全員が眠りこけていた。
どうやら、心地よい振動をからだに通し過ぎると、まるで列車の振動に共振して眠くなるように、催眠効果があるらしい。
そこで、今日は速度を極端に落として、ひとつひとつのふるえやゆらぎをからだの各微細部に通す、
スロー・カンチェンを試みた。
上のビデオのジョナサンの動きのように、じっくりからだに耳を澄ましながら動く。
すると、これは疲れもせず、眠くもならず、逆にひとつひとつの動きを味わいつつ、それによる微細な心身の変化を克明に味わえることがわかった。
うごきながら、これはこれまでに経験したどの動きに比べても、より鮮明に透明覚を開くことができるものだった。
より正確に言うと、
下意識半分、透明覚半分のもっとも望ましい透明状態が可能になる。
長年求め続けてきた透明体へ続く坑道がやっと見つかった。
ここしばらくはこの坑道を掘り進めたい。



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消失するものよ! リゾーム・リー
 2017年4月28日

消失するものよ! リゾーム・リー

三歳のとき、突然母が消えた。
父親が芸者を孕ませ、その罰金に住んでいた家屋を売り払って、
両親は和歌山から大阪に夜逃げした。
わたしひとり祖父母のもとに残された。
おそらく、三歳のわたしは泣き続けたことだろうが、いつしか祖母を第二の母として慕うようになった。
七歳のとき、母と慕っていた第二の母・祖母が消失した。
祖父母のもとから、騙されて実の両親のもとに送り返された。
その二度の母の消失がわたしを「わたし」にした。

それ以来、非在するものはわたしにとってもっとも共振するのが苦手な対象になった。
いったい、いつか消えるかもしれないものと、どうすればうまく共振することができるのだ。
すべての女性はいつか消えてしまうものであるという強い固定観念がわたしに刷り込まれた。
愛の失敗者としてのわたしの自己史はそうしてはじまった。

そのうちわたし自身もまた、消失するようになった。
人は自分が世界から扱われたしかたをもとに、自分を扱う方法を学ぶ。
そして、世界を扱い返す術を身につけていく。
わたしは幾重もの消失の術を覚えた。

ひとつめの術は「のっぺり」だ。
若い頃、友人の一人が言った。
「りーさん、話しているとき、ときどき顔がのっぺりとなってるよ。自分で知ってる?」
友人たちと談笑しているときに限らず、道を歩いているときも、
ときどきわたしのこころは無表情な「のっぺり」とした顔を現世に残して、異世界に遊び出ていたらしい。
若年の頃のこの体験は、のちに下意識モードの心身・サブボディの発見に繋がった。

第二の消失の術は、存在ごと消えることだった。
さまざまな関係から、わたしはある日を堺に忽然と消えるようになった。
若い頃から続いていた友人たちとの関係から消え、職場から消え、
十年続けたトライアスロンのグループから消え、二十年続けた家族から消え、
京都で出会った踊りの仲間たちとの関係から消えた。
いつもある日突然二念なく関係を絶ち、日本から消え、
世界の他の国で踊り、ヒマラヤに移住することになった。

第三の消失の術は、<脱自>だ。
共振塾で産婆稼業をはじめた。
世界からやって来る共振塾生たちのからだの闇から、サブボディ=コーボディが誕生するのを手伝う仕事だ。
だが、サブボディが生まれ、ある程度まで生長すると、今度は産婆役のわたし自身が邪魔者になる日が来る。わたしがいないほうが、生まれでたサブボディが自立してより自由に創造性を発揮することができる瞬間がかならずやってくる。
これまでの十数年の経験のなかでは、その瞬間はたいがい期末の舞踏祭を迎えるころにやってきた。
その瞬間を見計らって、わたしは脱自し、産婆役を停止し、消失する。
深淵に直面した塾生の中で激しい生死の葛藤が繰り返される。
関係はすべて共振だから、わたし自身、何人ものサブボディの誕生の成否と共振している間に
、生死の間を行き来する、チベット仏教でいう<バルドー>のような非在の存在になってしまうのだった。

今年は春先から、例年にないペースで塾生の創造性は爆発し、
なんと四月の半ばから、覚えのある<バルドー>が始まった。
これまでは、これが何であるかわからず「世界チャンネルの魔」とも呼んでいた。
創造性が深まると誰もが非二元の深淵に近づき、悪夢や忘れていたトラウマが情動の嵐となって吹きすさび、睡眠や心身の体調の異変に見舞われる。
産婆とは塾生たちのそのすべての異変をからだで受け止め、魑魅魍魎が跋扈する日夜をともにする存在だ。
生半可なものではない。
塾生のクオリアの乱流は、わたし自身の思いがけないトラウマの噴出となって一身にふり掛かってくる。

先週から、すでに奇妙な事態が起こりだした。
くわしくは別項に譲るが、その結果、今年は例年よりはるかに早く、
先週から週末恒例の公演の運営を塾生に任せるようにした。早々と産婆役を降りはじめた。
この分だと、五月の早い内にわたしはすべての産婆役を終えることになるだろう。
幸い、3月はじめから単独の産婆ではなく、相互産婆になるよう訓練を積んできた
。塾生たちが相互にお互いのサブボディ=コーボディの誕生を支え合い、助け合う仕組みだ。
それでなくとも全員が自分のからだの闇から噴出する創造の嵐にいっぱいいっぱいになっている。
そのうえ今年は他の人のそれにまで関わらねばならない。
きついだろうが、この難関を超えることが未来の関係への通路だ。
未来から自分を透視する新しい透明離見を身に着け、
落伍者なく後一月半、過ごせることを願う。

上の踊りは、塾生相互のサブボディ絵画と共振して踊ったときのものだが、
期せずして長年の宿敵である<消失するもの>と格闘する踊りになった。
わたし自身もはや踊る以外に降りかかる問題を解決する方法がないところにまで追い詰められている。
産婆を降り、踊り手として生き直す年になるかもしれない。



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 2017年4月18日

深層探体8番 衰弱8チャンネルクオリアを通す
 
固有の衰弱体を発見するためのからだの坑道の掘りかた。
からだの各部、内臓や背骨や微細な深層筋にさまざまな
衰弱クオリアを通す。

身腐れを通す
し腐れを通す
目腐れを通す
声腐れを通す
情腐れを通す
間腐れを通す
世腐れを通す
自腐れを通す
思腐れを通す

これらのクオリアをランダムに通している間に、
物理的な動きのクオリアと、
記憶や夢などの内的なクオリアが一つになる瞬間がある。
その瞬間を狩る。それがきみ固有の衰弱体の踊りになる。
それを見つけてからだ、衰弱体の必然性を探るのは。
なぜ、衰弱体なのか。
その探求の中で、土方巽の必然と共振し、
ひとつになることができる。




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 2017年4月16日

無限共振体に向けて

かすかなふるえ、
かすかなゆらぎ、
かすかなねじれ、
かすかな衝撃、
かすかなこわばり、
かすかな消失

これらのクオリアをからだの任意の各部に通す。
何気ない気軽さで、ランダムに、透明に通す。
さらにはこれらのクオリアが混合した複雑なクオリアを通す。
通しているうちに、なんらかの物理的な動きのクオリアが、
忘れていた固有のクオリアとひとつに合体することがある。
その瞬間を狩る。
その一つに結晶したものだけが自分固有の舞踏だ。
からだのほんの細部の踊り、部分の動き、
ときにからだ全体に及ぶこともある。
ときにはそれをあらゆるチャンネルのクオリアとともに通す。
さまざまな呼吸とともに、音楽のリズムやメロディーとともに、
映像的なイメージとともに、情動や顔の表情とともに、
関係とともに、世界イメージとともに通す。
そして自分独特の踊りを狩る。

これからは全員がそれら固有の創造を溜め込み、
それらの動きを生み出す調体法を発明し、シェアしていく。
一年これを続ければ、大きな財産になるはずだ。
共同研究者とは、その富を生み出し受け継ぐもののことだ。

「生命の舞踏」を踊るには、いのちになる必要がある。
いのちになるために、わたしたちはいのちから学び続けねばならない。いのちとはなにかを。
いのちには何の意志も、方向性もない。
ただ生きる。ただすべてを受け入れ、共振している。
無限の共振性はいのちのひとつの属性だ。
いのちは地上のあらゆるクオリアを受け入れるしかない。
受け入れた上で、最適の共振方法をいのちがけで探る。
それがいのちの流儀だ。



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ストレンジ カフェ 
 2017年4月16日

固有の衰弱体を発明する

脊椎ランダム三元


脊椎のひとつひとつの関節や秘筋が、身にまとうクオリアのクラウドに共振して三次元方向にランダムに揺れ動く背骨を磨き上げる。
それがおそらく究極の舞踏体である<多次元共振体>を築く基礎になる。
土方が発明した数々の舞踏体、衰弱体、気化体、削減体、巣窟体、縮まりと気配りの歩行、からだのくもらし方などなどはすべて、一括りにすればすべて<非二元多次元共振体>として捉えることができる。
そのための身体管理の基礎が、脊椎ランダム三元だ。
もっとも深い深層筋が不可視の背後世界に共振するからだを時間をかけてつくり上げる。そういうからだがきたるべき『生命の舞踏』を踊るためにに必要である。共振塾はそのための場所だ。
3月以来何度か脊椎三元の調体を繰り返してきたが、
ようやくそれを踏まえて、自分なりの衰弱体を発明する塾生が生まれだした。
上の「ストレンジ・カフェ」でウエイトレス役をやっているリラは、脊椎を始め
体中の関節がランダム方向にずれるからだを発明しようとしている。
まだ、荒削りだが、これを磨いていけば固有の衰弱体に育つ。
願わくば全員がからだの闇を掘り、固有のからだを掘り出すことに成功されんことを。

第二段階の<共振ヨガ>


そのために、どんな調体と探体を積み重ねていくか。
この4月は、相互共同産婆として、自分が見つけた固有の調体を共有してい
く、第二段階の共振ヨガに進もう。
まずは一日5分から始め、じょじょに時間を延長して、自分固有の世界にほかの人をガイドしていく固有調体を発明する。1時間かけて、午前いっぱいをかけて自分固有の世界をいかに共創するかを工夫する。
これを経て、無類の共振力をもった創造者が誕生するのだ。





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 2017年4月14日

個人神話と世界神話

木曜日、長期コースと短期コース合同でカングラフォートを訪れ、熱帯雨林の中で踊った。

<ドリームシェア>、<原生夢劇場>、<相互産婆>、<下意識=透明覚>を通して、わたしたちは<サブボディ=コ―ボディ>に変成する。
それらを通じて、いったいわたしたちは何をしようとしているのだろうか。
おそらく、わたしたちが切り開こうとしているのは、個人神話と世界神話の混沌とした統一を共創することのできる地平なのだ。
古代の人々は国の神話と地方神話を共創した。だが、現代では、誰もそんなものをつくらない。なぜなら、膨大な情報洪水がわたしたちの脳を浸潤し管理しているためだ。
それを克服し、思考を止め、情報洪水の束縛から解放することによって、わたしたちは斬新な個人神話と世界神話の混沌を共創することができる。
それはおそらく個人の変化と世界の変化のかすかな始まりなのだ。



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 2017年4月12日

<Xによる還元と再生>を実際の創造過程でいかに使うか

昨日、私たちは、次のような原生夢、人生で見たもっとも印象的な夢を思い出し、シェアし、共創した。

ハンガリーベルトコンベア
固体の錯覚
ダリの家
記憶に直面する
分離と復讐
シャープ
サルの攻撃
ケイト
てんとう虫
動きの中の沈黙

幾人かは実際に見た原生夢の代わりに<明晰夢(下意識モード半分、透明覚半分で見る白昼夢)>を共有した。

また、土方の「原生夢」と「明晰夢」の料理の仕方を「静かな家」3-10章で学んだ。彼は原生夢の材料を<Xによる還元と再生>技法によって、自在に料理し創造に転化した。

私たちは原生夢からもっとも豊かなクオリアを手に入れた。それらは生命からの贈り物であり、創造の源泉である。
これらのソースを統合して<透明覚>と<Xによる還元と再生>技法を使って無限に変奏していくのが実際の創造だ。
土方は次のようなX還元の応用例を示している。

 
(馬肉の夢)

私は素っ裸で寝ている、そうして馬肉の夢をみた
  ゆくえは何処へ行ったのか?
  狂王は箱におさめられる
  箱のゆくえは細かい解体につながっている
  髪毛の踊りる
  船
  Xによる還元と再生

  目の巣について

羅漢


トンボ
虫のワルツを踊る髭、すなわちワルツの髭

グニャ、グニャの猫
ゆくえのグニャグニャ
  これら全ては船の部分を構成している

  鼻毛ののび太鳥と箱になった鳥
  これらもまた船が化けたものである。
  あるいは解体された船としてもながめられよう
  私は遠い葉っぱや身近なナッパをみて飛ぶ
  これらがカン工場で嗅いだものである


すべてのクオリアは、サイズ、密度、速度、次元数などを変更して変化させられている。

馬肉の夢 - 行方 - 箱に入れられる狂王 - 細かい解体 - 髪の毛のダンス - 船

船のような大きな建造物から、髪の毛の踊りや、消えていく行方のような不確かなものに、寸法、密度、速度、次元数などを変換することによって、無限の変容をもたらすのが<Xによる還元と再生>の技法だ。

創造のプロセスではからだを動かしながら、X還元や再生のすべてのバリエーションを試し、踊りこむ。3月からからだの各部に収集し続けてきた<クオリアのクラウド>を思い出し、原生夢と混合し、新しいクオリアが生まれるのを待つ。それらから何らかの要素を差っ引いてどんどんX還元と再生をからだで体験する。

動いている間に、からだの動きと自分固有のクオリアがひとつになる瞬間を見つける。それが見つかればそれは世界でひとつのきみ固有の踊りとなる。

これまでの期間にからだの各部に蓄えてきた<クオリアのクラウド>そして原生夢や明晰夢を材料に<透明覚>と<X還元>技法を駆使して、今日からようやく本当の創造プロセスに入ることになる。



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 2017年4月10日

透明になるための<共振リゾーム>

今日、4月から参加した新しい人のためにこれまでに共有したすべての基本的な共振技法を復習し、シェアした。
<合わせ離れ>:共振技法の基本の基本
<合わせ>:同じ共振パターン:鏡、円盤、追従
<離れ>:異なる共振パターン:密度の違い、位置の対照、高さの差異、速度のコントラストなどを共創)
これらのパターンを使用して、様々な人数での共振パターンのバリエーションをシェアした。
デュオ:同じクオリアのシェアまたは、異なるクオリアのコントラスト。その相互変異。
トリオ:1:2、0:3, 1:1:1のフォーメーションで、同一または異なる共振パターン。その相互移行。
カルテット:2:3(デュオとトリオに分かれ、それぞれのグループで同じクオリアを共有し、グループ間のコントラストを共創する。いつでも他のグループに移行できる。)
任意の数:m:n(踊りてはいつも一人、またはm人、n人の数のグループに属し、上のすべての共振技法を使って変容する。)
<共振リゾーム>:上のすべての共振技法を統合するのが<共振リゾーム>である。基本は常に、半分は伝染、半分は発明によって動く。50%内に聞き、50%外に聞く。透明な離見によって、つねに最適の動き、位置、タイミングを見つける。
これらの基礎技法を全員でシェアして、明日からはさらに遠くへ向かうことができる。
今日の発見は、<共振リゾーム>とは、これらのあらゆる共振技法を統合したものだという新しい定義と、<共振リゾーム>は透明になるための必須の訓練だという発見だ。


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 2017年4月10日

ツリーリゾームの透明離見

究極のサブボディ=コーボディは、個人神話と世界神話が重層し、絡み合い、格闘するものになるかもしれない。
今年の新技法<ドリーミングシェア>の実験は、
そういう非二元かつ多次元の生命共振世界を共創することにある。

その過程で、わたしが共有したいのは、
わたしたちが囚われている自他の壁を超えて、
<他者を本当にわがこととして感じられるようになるにはどうすればいいか>という見果てぬ夢のような課題である。
それはわたしにとって、現在の世界を未来の目から見るということを意味する。わたしはこの
<未来からの目>を埴谷雄高から学んだ。すべての問題が解決された未来社会から現在を見ることによって、何が問題になっているのかが透明になる。解くべき問題は自我であり、国家であり、二元論的な拘束である。

日常生活の中では、わたしたちは個々人の枠にくっきりと分断されている。だが、下意識世界では自他の境界がなくなり、リゾーム状に混淆している。それが<サブボディ=コーボディ>であり、<ドリーミングシェア>であり、<共振リゾーム>だ。

その世界とツリー状の合意的現実世界を自在に往還するための技法が
<ツリーリゾーム技法>である。
Xによる還元技法を駆使して、次元数を自在に変換する必要がある。常に、いかに自分が二元論的思考の枠にとらわれているか、いないかを透明化するのが、もっとも大切な離見となる。
自分が何かを思うとき、いつもそれは二元論の自他分離の枠に囚われた見方なのか、そうでない非二元=多次元共振なのかを透明に離見すること。
これができなければ、どこへもいけない。
透明離見はここから外の別の世界へいく切符なのだ。

この個人神話と世界神話の絡み合いの共創を通じて、全体としてどういう世界を生み出したいのか。
どこへ行きたいのか?
それはただカオスでいい。リゾームのカオスがより集まり、うねり、高まり、プラトーとなってどこかへ動いていく。
それだけでいい。それだけですでに何かの始まりなのだ。




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 2017年4月7日

X還元シェア

土方の「Xによる還元と再生」技法を使って、それぞれの削減体を見つけた。
日常体から、何かを差っ引く、それが削減体だ。
土方の数々の衰弱体は、Xによる還元技法によって生み出されたものだ。
ここではすべての塾生がそれぞれのX還元世界を創造する。
それを分かち合い、ノマド・リゾーム(Nomad Rhizome)によって移動しながらそれぞれの削減世界を共創した。
粗大な動きを差っ引いた
微細動の世界、速度を差っ引いた超緩速の世界、柔軟性が差っ引かれた崩壊体の世界(癇の花の世界)、おおくは微細すぎて言葉では言い表せないものが多いが、さまざま<剥製の春>のバリエーションが次々と生まれてくる。
粗大な動きが差っ引かれると、互いの共振も微細レベルになる。
もっともっと耳を澄ませなければ聞こえない。
目や耳では追いつかない。いっそそれを閉じて、大きな額の目をひとつ。第三の目とは、すべての皮膚や秘膜が目になり耳になるということだ。土方はこれを
<皮膚への参加>と呼んだ。

じょじょに、未踏の生命の舞踏へにじり寄っていく。





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舞踏論   土方巽に捧げる

第26章 X還元と再生



Xによる還元と再生は、

土方が長年のからだの闇の旅から掴み出した沈理の精髄である。

異次元のほとんどすべての奇妙な現象をこの一語で管理できると言っていいほどだ。

そこは生命共振の非二元多次元世界なので、三次元や四次元の低次世界では

ありえないとみられていることがいとも容易に起こる。

次元を超え、時空を超えてあらゆるものが別のものに変容し

絶えず変転している。

 

「静かな家」第2節で土方が強調した重要事項―

 

2 重要

 

「死者は静かにしかし限りなくその姿を変えるのだ

彼等は地上のものの形をほんのふとした何気なさで借用することも珍しくない。」

 

死者の変容の自在さを統括する論理もX還元と再生である。
X
は任意の要素でいい。

だが、なんでもいいと言われると想像できないのが私たちだ。

このX還元と再生は八つのチャンネルに分けて捉えるとその全貌がくっきり浮かび上がってくる。

還元と聞くと難しいが、なに算数のマイナス記号だと捉えればいい。

粗大な日常体から、どういう要素を取り除くと(X還元すると)、

どういう衰弱体ができあがるか。
そして差し引いた要素を加えてもとに戻すのが再生だ。
この可能性は無限である。

各チャンネルごとのX還元してできあがる衰弱体のサブボディと

それが群れになったコーボディを次の表にまとめてみた。
この坑道はまだ掘りはじめたばかりだが、無限に深く豊かだ。
サブボディとコーボディの無限の創造の泉だ。
すでに今年の生徒たちは無限のバリエーションを生み出し始めた。

衰弱体を調理するためのレシピ一覧表として味わっていただきたい。

 

チャンネル

X還元

(日常体から何を

マイナスするか)

還元された

衰弱Subbody

還元されたサブボディが群れになる
衰弱
Cobody

からだ

粗大なからだ(粗大身)

微細身

灰柱

気化体

魂 

微細身の群れ

灰柱の群れ

流れる霧

人間の粗大なサイズ

ボトムボディ

箱に詰められたからだ

転石

三次元からマイナス1次元

2次元のからだ

紙、板、壁、粘菌

剥がれる壁のポスター

三次元からマイナス2次元

1次元のからだ

棒、杭、柱

棒杭の林

 

動き

粗大な動き

微細な震え、ゆらぎ、

灰柱の群れ 

速度

微速動、超スローモーション

微速動の群れ 

動きそのもの

動けないからだ
静止

傀儡 

傀儡の群れ

動きの管理力

不随意な動き,

手ぼけ、ヨイヨイ

フラマン

ヨイヨイの群れ

ビジュアル

 

見る目

目腐れ

目の巣

複眼

秘膜

目腐れの群れ

オーディオ

 

人間の発声

12音階音楽

 

体腔音

ヘゲモゲラ言語

死者の囁き

 

サイレントシャウトの群れ

 

発声

サイレントシャウト

サイレントシャウト

情動

人間の表情

床の顔

森の顔

動く森

人間関係

社会的役割

家族役割

性別

年齢

間腐れ

沈理の出会い

宿命的出会い

間腐れの群れ

世界像・自己像

人間

自己

自我

民族

国家

無限変容

生命共振

変容世界

異次元開畳

元型

元型創造

自在元型群

思考

思考

言語

二元論的判断

共同幻想

生命の気づき

 

 

 

 

 

 





 
 
 2017年4月3日

サブボディ技法、静かな家、病める舞姫の大統合

サブボディ技法: 調体5番、秘膜(胞衣層、子宮層、母体層、世界層)
静かな家
目の巣だ。森の巣だ。板の上の蛾
    
:額を走る蜘蛛の巣(ディテールダンス)
     猫の腰(部分の動き) 
     乞食(身体イメージ)
     背後世界

病める舞姫:からだのくもらし方
     :からだの無用さを知った老人の縮まりや気配り
     :うさん臭いものやのろわれたようなものに視線が転んでいき、名もない鉛のたまや紐などに過剰なほどの好奇心を持ったりした。鉛の玉や紐はやすんだひりをしているのだと、スパイのような目を動かすのであった。


これらはみな一つのこと、いのちの微細な共振を踊るための技法である。
日常的な粗大な思考を止めれば、いのちがいつもさまざまな視えないもの、微細なものに脅かされ、浸潤されてふるえていることに気づくことができる。

とりわけ、未踏の舞踏の書である『病める舞姫』には、そのような微細な生命共振の事例が、「痴呆になる寸前の精密さで」収集され、綴られている。

病める舞姫をおどるとは、そのような現代では忘れ去られてしまった微細な生命共振を踊ることだ。

4月第一週のきょうは、スタジオ中に胡散臭いものや呪われたようなものを周辺から収集し、天井から吊り下げ、床に転がし、そこで踊った。不可視のものをまずは可視化して、からだの微細な共振性を取り戻す訓練だ。

これらの微細な生命共振クオリアを、からだの秘膜各層に、散りばめ、クオリアのクラウドとしてまとうのが、土方が老人たちから学んだ
<からだのくもらし方>であり、<縮まりと気配りの歩行>であった。
静かな家で確立された
<微細管理技法>はそれらの共振を、大中小(身体像、部分、ディテール)に分けて管理する技法である。

からだの闇の探鉱25年めにして、ようやくこれまで別個に探求してきた技法が根っこのところでひとつになっていることに気づくことができるようになった。ここを掘ることが、普遍的な
<生命の舞踏>の深化につながるだろう。




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 2017年4月3日

共振の力、全開!

今年の新しい実験の数々は、総合すると<共振力>に結晶する。

<ドリーミング シェア>
<共振ヨガ>
<透明覚を開く>
<相互産婆>
<二重操作>
<共振リゾーム>
<微細管理技法>
<離見>


などなど、すべての実験が多次元的に共振して、3月末の舞踏公演に結実した。
互いの夢を共創するという
<ドリーミング・シェア>を続けてきたことによって、週末の公演で、誰かの夢を手軽にシェアすることで、ユニークな舞踏劇場が次から次へと生まれてくるようになった。
3月第4週の金曜日の定例舞踏公演は、合計12公演、
述べ2時間半に渡るものになった。
5つのソロ、デュオ、トリオ、クワルテットがそれぞれ1つずつ。そして2つの全員によるドリーミング・シェア劇場と多彩な公演になった。
踊りのレベルが例年なら5月末の舞踏祭直前の状況に等しい。
3月時点での過去最大の収穫だ。多くの観客が詰め寄せ、楽しんでくれたようだ。
この自由共振のただ中で、<透明離見>を開き、絶えず最適の場所で、最高の動きができるように、訓練すること。これが次の課題だ。

<24時間のサブボディ透明覚>

4月は、創造技法の共同研究に取り掛かる。

土方巽の『静かな家』、『病める舞姫』を二大テキストに、
<序破急>
<鮮深必>
<花秘謎>
<図地兆>
<合わせ離れ>
<呑み込み>
<タメ>


さらに、<ドリーミング・シェア>で予想外の体験に巻き込まれることで、
ほとんどの人が忘れていたトラウマを思い出し、突然それに襲いかかられる
<エッジ>を体験することになるだろう。
これをみんなで解決する<共振エッジワーク>の実験も必要になるだろう。
そして、
<24時間のサブボディ透明覚>
<脱自>
<いのちになる>
<いのちの神話の共創>

などなどの課題に挑戦していくことになるだろう。
4月の第1日は、今までに例のないことだが、3月の体験の
フィードバックを分かち合う話し合いの日にしようかと思う。
あまりの多くのことが同時に進行しており、たまには何が起こっているのかを
頭で理解しておくことも、悪くはないだろう。
とりわけ、
<透明覚>と<意識>の差異を誤解している人が多いようだし。
すこしはスッキリさせてみよう。




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 2017年3月29日

異世界共創の実験

ここ二十年の土方研究を通じて発見したことの核心が見えてきた。

その第一は、生命が日常世界とは異なる不可視の背後世界と共振していること。
その背後世界は、からだの闇の底深くに刻印されている祖型的な体動や情動、あるいは元型的なイメージが、個人的な原体験や原生夢のクオリアと非二元かつ多次元共振することによって成り立っている。
根本的に合意的現実であるこの日常世界とは異なる論理によって動いている異次元世界であること。
土方はそれを
「沈理の関係」と呼んだ。
あるいは
「深淵図」、「無窮道」とも呼んでいる。
ニーチェは
「混沌」と呼んだ。
わたしは説明的に
「非二元・多次元共振世界」という言葉を使っている。
名称はどうあれ、それこそが生命のもつ創造力の源であること。
土方が開こうとしたのは、だれもがからだの闇に秘め持つ
そういう生命の無限の創造力の源泉であったこと。
おそらく土方自身でさえ意図も予測もしていなかったに違いない。
期せずして、『病める舞姫』の未踏の舞踏が開こうとしたのは、
そういうとんでもない創造力の未知の宝庫、パンドラの匣だった。

そして、20年目にしてようやく、その箱の蓋をどうすれば
安全に開けることができるかが、わかってきた。
その一部をご紹介しよう。

調体八番<細> 微細な異界共振クオリアのシェア

日常意識を止めると、いのちがいつも微細なクオリアと共振し、
ふるえたり、伸縮したりしていることを感じることができる。
これらは、不可視の異界との共振クオリアでもある。
土方が切り開いた衰弱体舞踏とは、これらの異界共振クオリアを踊るものであった。
今日は一日かけて、八覚各チャンネルの、微細生命共振クオリアをシェアした 。

それらは通常の日常体の健康で粗大な動きをすべて止めたときにはじめて現れる。

体感チャンネル <身腐れ>クオリア
ゾクッ、びくっ、ゴワッなど、期せずして訪れる微細体感。

運動チャンネル <し腐れ>クオリア
ピクッ、グニュ、ふわ~など、勝手にはじまる微細な動き

映像チャンネル <目腐れ>クオリア
オヤ?、もわ~、ヒャー、など、見えるはずのないものを見ている目

音像チャンネル <声腐れ>クオリア
シャワシャワ、ヒソヒソ、ヒュー、など、異界から聞こえてくる、またはからだから出 てくる息声、体腔音

情動チャンネル <情腐れ>
ピキッ、モゾッ、ヌメ―など異様な情動が顔に出て来る。

人間関係チャンネル <間腐れ>
ストレンジな仕方で愛しているという。二重拘束(ダブルバインド)された仕方で人に関わる。

午前中は関係チャンネルまでの微細クオリアをシェアし、20分間の自由共振劇場を行った。これまでにない面白い展開になった。

世界チャンネル <世腐れ・自腐れ>

午後からは自己催眠を経て、各自の世界チャンネルの
<ドリーミング・シェア>を行った。もう今月数回目になる。

共創し、シェアした世界変のクオリアは以下のとおりだ。

カラのからだ・満ちたからだ
世界に踏みつけられる
地球
生命のオーケストラ
逃げ水
こそばし怪獣
動くイス
第三の目
共振言語
月が落ちる


これらの世界イメージの断片を毎週少しずつ積み上げ、共有しながら蓄積し続けている。
この<ドリーミング・シェア>の実験を積み重ねてきて、それが少しずつ本人さ え知らなかったからだの闇の深部をさぐる手立てになっている手応えを感じる。
はじめてのことなので、この先これがどうなるかはまだわからない。
だが、これまでにない複雑多彩な世界共創の体験にまることは間違いない。
実験の醍醐味は、何がどうなるか分からないところにある。
だが、同時に確実に狙い通りの、かつてない変化が各自のからだの闇で起こっ ている。わくわくする事態だ。




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 2017年3月28日

「虫の歩行」と「病める舞姫」

20年さまざまな国でのワークショップや共振塾の各学期ごとに、
繰り返し『虫の歩行』をやってきた。
20年目にして、突然、虫とはどんなクオリアの象徴あるいは暗喩だったのか、
という気付きがやってきた。
虫とは、いのちが背後世界や死者の世界などの異界と交信する
共振するクオリアのシンボルであったのだ。
『病める舞姫』には、いのちがさまざまな背後世界から脅かされ、
侵蝕される有り様を「痴呆になる寸前の精密さで」記述されている。
晩年の土方は、新規に団員を募集するワークショップの練習舞踏譜として『虫の歩行』を書いた。そこに、病める舞姫で探った異界との交信クオリアのすべてを<虫>の一語に凝縮し、象徴させたのだ。




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 2017年3月27日

毎朝、自分固有の調体を探る習慣を創る

毎朝、最初にすることは心身を鎮め、静寂体になることです。
そして、からだの闇に耳を澄ませることのできる状態に持っていきます。
日常的な自分は、思考や情報や感情や判断に囚われています。
それらすべてを可能な限り鎮めます。
そしてからだの隅々にまで耳を傾けます。
すると、どこかに凝りやこわばりがあるとか、かすかな痛みがあるとか、うまく耳を済ませられない部位があることに気付きます。
その部分に操体呼吸で、新鮮な空気を送ってください。
息を吐きながらその部分をストレッチします。
最大に伸びたところでその部位に呼吸を送り、しばし息を止めます。そしてどっと息を吐くとともに、<にょろ>の動きによって流動性を取り戻します。
これらの調体によってからだ中の問題が消失するまで毎朝続けます。
この技法を会得し、毎朝適切な調体をする習慣が身につくと、
一年中最高の体調を保つことができます。
その最高の状態の心身を共振塾の稽古場まで持ってくるようにしてください。

これが相互産婆の第一歩です。




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 階層秩序の妄想
 2017年3月26日

すべての階層秩序は人間がこしらえあげた妄想である

いのちに「ほんとうに何が一番したいんだい?」と問い続ける。
毎日ほんのすこしずつ、自分の中でそれを邪魔していたものが見えてくる。
あらゆる
ツリー(階層秩序)的な思考がそれである。
それをひとつひとつ拭い去っていく。
日に日にわたしのわたし自身である度合いが深まっていく。
それは
リゾーム度が深まっていくことでもある。

共振ヨガについて書いているとき、
古典的なヨガや現代めかした商業ヨガが、
ひとしく<チャクラ>というツリー状の妄想に囚われていることに気づいた。
いや、そんなことはずっと前から存じている。
古典的なタオにも、上丹田、中丹田、下丹田、底丹田などの
ツリー状の階層秩序をもった妄想がある。
それを脱しなければ駄目だということに気づいたのだ。

すべての階層秩序は人間がこしらえあげた妄想である。

このことはいくら強調してもしすぎることはない。
自然や宇宙には何らの階層秩序も存在しない。
それが存在するかのように信じられているのは、人々が
自然や宇宙に人間の<階層秩序妄想>を投影し、その投影に沿って自然像や宇宙像をこしらえ上げたからに過ぎない。
明確な階層秩序があると理解した方がすっきりするという心的傾性にわたしたちは取り憑かれている。
日常意識にとって不分明なものや捉えがたいものの存在を許すことができないのだ。
だから、トップに一神教的神や、阿弥陀如来や大宇宙大明神などを祭り上げて、
分かりやすくしたいという無意識の傾性に押し流されてしまうのだ。
これが
すべての宗教を支配してきた闇だ。
朗らかにそれらを透明に脱ぎ捨てること。
未来への通路は、階層的な妄想によって塞がれている
、ということに突然気づいたのだ。

古い塾生の中にも、宗教に取り込まれかけている人がいる。
なにものにも囚われないという透明さを失いつつある人が。
わたしが透明さとは何かを、端的に述べ伝えることのできなかった時代の塾生かもしれない。
ごめんなさい。今頃になってこんなことを言って。
これはあなたたちへの伝言が遅れたことの謝罪の手紙だ。



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 2017年3月26日

レゾナンスヨガ(共振ヨガ)

昨年から始めたことに、毎朝の共振ヨガがある。
かつてはわたしか、ほかの産婆が毎朝の調体をガイドしていたが、
一人ひとりが自分や仲間のサブボディ=コーボディの誕生を助け合う
相互産婆に生長するために、全員がそれぞれ短い調体を工夫し、
それをシェアするようになったのが始まりだ。

意識を鎮めて自分のからだの各部に耳を澄まします。
どこかにこわばりや痛みがありますか?
からだのなかで感じられない部分はありませんか?
こわばりや痛みを感じる場合、またはあなたがうまく感じることができない場合は、その部分に息を送りふくらませます。
その問題をどうすれば解決できるか、姿勢や動きを工夫して見つけませ。。
その動きや姿勢をほかの人にガイドし、共有します。各自が自分のからだの問題を解決するための動きやポーズをシェアし合います。
伝統的なヨガや他のボディワークに従ウノではなく、各自が毎朝、自分のベストのコンディショニングを発明して、それを共有します。
それが<共振ヨガ>、<レゾナンスヨガ>です。

二重操作

ほかの人のコンディショニングを共有するとき、
なにもしないでそれに従おうとすると、自我が起き出して、
批評や否定的な判断を始めることがある。
あるいは退屈してそれに囚われることも起こる。
その自我を鎮めるために編み出されたのが
二重操作だ。
50%は、その動きや姿勢に精確に従い、共有しつつ、もう50%は自分のからだの闇に耳を澄まして、からだの一部に別のクオリアの動きを付け加える。
あなたのからだが同時に異なる二重のクオリアと共振している状態を創りだす。
これは50%外に、50%内に開いている透明なからだの状態にもっていくトレーニングでもある。
この二重操作を身につけると、共振ヨガを行いながら退屈に囚われることはないだろう。

他の人と一体化する

ほかの人の毎朝の調体、コンディショニングを共有するとき、その人のからだに入り込み、そのひとがどのようなしこりや囚われを解決しようとしているのか、
共感的想像力によって、内側から感じてみてください。
これは自分の問題だけに囚われるのではなく、お互いのサブボディ=コーボディの誕生を助け合う
相互産婆になり合うための訓練でもあります。



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 2017年3月25日

24時間の産婆

今年のわたしはかつてないほど産婆として絶好調だ。なぜか理由は分からないけれど。
他の年と比較して塾生のからだの闇によく耳を澄まし続けることができている。
一日24時間中、塾生たちのサブボディ=コ―ボディをなめまわすように思い出し、半眠半覚のドリーミングモードで「次は何だろう?」といのちに聴き続ける。すると面白いように毎日、わたしのサブボディは新しい実験の目覚ましいアイデアを思いつく。
この間毎日のように『からだの闇』を更新続けているのがその記録だ。
この好調をすべての塾生と共有したいと思う。 今年から共振塾は従来の学校がもつ「教師 - 学生」というツリーシステムの革命をはじめた。すべての塾生は共同研究者としてお互いのサブボディ=コ―ボディの誕生のためのよき産婆となり合う。未来社会の萌芽形態でもある舞踏リゾームになることを夢見ている。



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 <祖型ドリーミングシェア>
 2017年3月24日

<祖型ドリーミングシェア>

私たちは20万年前にアフリカから移住し、世界に拡散した人類の先祖たちの経験を瞑想し、追体験しつつ共創した。
この旅行は非常に難しく、危険や災害に満ちたものだったろう。それらの苦難のクオリアは祖型や元型としてからだの闇に刻印されている。
祖型は元型よりもさらに深い領域に刻印されている体感だ。
元型には、幽霊、怪物、地獄、神のようなイメージがある。
だが、祖型はイメージを持たず、ただ恐怖、震え、閉塞などの原始的な身体感覚として刻印されているものだ。

今日私たちは、近くの川の河原で<祖型ドリーミングシェア>を行い、それぞれの世界を動きで共創した。
シェアしたクオリアは次のとおりだ。

- 砂漠で迷子になる
- はじめての内部に入っていく
- モンキーバトル
- ハワイ島を見つける
- 音楽を見つけるタコ
- 体が溶け落ちる
- 岩の子宮の上の十の胎児
- 小さな動物がヒマラヤを登る
- 蛇の舌が私に触れる
- 川の音に耳を澄ましている岩になる


わたしたちは、今年毎週のように、これらの原像を異なる方法で共有し蓄積していく予定だ。学期末や年末にそれぞれの共創作物としてこれらの経験は統合されるだろう。
どんな個人神話や非二元多次元の深淵図が踊られることになるか、今から楽しみだ。



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"少女 土方巽 1973 
 2017年3月21日

衰弱体の微細管理技法

土方巽の「静かな家」への取り組みが始まった。
最初の節で彼は、からだの微妙な揺れやふるえを制御する秘密の技法を書き記している。

「額を細かい蜘蛛の糸が走る
乞食
猫の腰
背後世界」
『静かな家』


彼の発明した衰弱体は、一見外から見るとただ、からだの様々な部分がランダムに揺れたり、ふるえたりしているように見える。
わたしにも、そうしか見えなかった。
しかし、この舞踏譜を読むことで、彼にとって、それらの微細な震えや揺れは、この秘められた技法によって透明に管理され、振り付けられていたことがわかった。
彼が発明したのはからだを3つのレベルに分けて管理するテクニックだ。
ディテールダンス (額を走る蜘蛛の糸)、
パートムーブメント(猫の腰)、
ボディイメージ(乞食)、
そしてそれらはそれぞれに不可視の背後世界と共振しているという構図だ。

私たちはこれを
微細管理技法(以前はDPWB技法)と名づけ、共有する。
この技法は、非二元・多次元に共振しているいのちの真実に近づこうとした土方が切り開いた人類の共有財産だ。広く共有されていくことを願う。
3月25日 自註

第一稿でわたしは、この稿を次のように結んだ。
「おそらくこの技法は彼は最後のソロのための舞踏譜に書き記したのみで、芦川羊子以外の弟子に教えることもなかった。
この秘密の技法は、古い舞踏家たちに発見されることもなく、長い年月が流れた。
今わたしたちはこの技法を共有し深めていくことができる。」

すると、Facebookで、舞踏の大先輩玉野黄市兄から、次のような教示があった。
Koici Tamano舞踏家:正朔氏はこれに、かなり近いことを行っているようですが、、どうなんでしょう?
日本を離れて20年、寡聞にして、正朔氏のことを知らなかったわたしは、
Youtubeで、彼のビデオを見て、上のように訂正し、玉野兄に返信した。
玉野さま 貴重なご教示ありがとうございます。勉強させていただきます。正さく氏については、見たことがありませんでした。今回ビデオで見たところ、たしかにおっしゃる通りだと思いました。狭い見聞で失礼なことを書き散らしてしまいました。慎んで訂正させていただきました。今後と最寄速ご教示お願い致します。Lee拝」
Koichi Tamano 「正朔氏は土方先生晩年のお弟子さんです。働き盛りの青年なので、おおいに働きかけると良いと思います。」
玉野さん、重ねて感謝します。

下欄で、舞踏家・正朔氏のビデオを紹介する。
土方巽の衰弱体の微細なからだの管理技法を継承し、深めようとされている貴重な踊りだ。読者諸氏も大いに学んでほしい。


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Dance Medium 舞踏公演vol.1 / The Invisible Forest 見えない森-part1 
 
追随、促進、率先  
 2017年3月21日

追随、促進、率先


自由共振劇場を展開するにあたって、
普段は意識されない3つの役割がある。
率先は、自分で動きを創造することだ。
ダンサーなら誰でもできる。
だが、うまく追随できる踊り手は極めて少ない。
なかんずく、誰か他の人の動きに追随することが全体のダイナミックな
展開を促進する契機になることを知る踊り手となると、極めて少ない。
今週から、新共振スタジオの短期コースが始まったので、
サブボディホールは長期生だけになった。
この機会に、一年あるいは一期をかけて、
わたしの長年の夢を共有したいと、この練習を始めた。
夢とは、振付家なしに、あたかも優れた振付家が振りつけたかのような
めくるめく展開が自由共振によって生まれてくるような深い共振技法を
共有した集団性を生み出したいというものだ。

2対3

この追随者と促進者の役割を頭だけで理解するのは難しいので、
やり慣れた2対3の練習を通じて、からだで否応なく追随せざる得ない状況を作り出した。
2対3とは、5人の踊り手が2人と3人に分かれ、それぞれの組の内部では
同じ動きを共有し、相手に対してはそれぞれ対照的なコントラストを創り出す。
踊り手はいつでも相手の組に移ることができる、という簡単なルールで、即興するものだ。
これは内に50%、外に50%開く透明なからだを修練するのに
うってつけの練習である。
そして、動きを通じて、追随者と促進者の役割が自然と身についてくる。

振付家を超えて

わたしは、現在わたしたちが探求している共振技法を身に着けた踊り手が
世界に羽ばたいていけば、現代の踊りの世界のツリー状の階層秩序の頂点に居座っっている振付家という存在など、すぐさま消えてなくなってしまうと信じている。
そんなものはもう必要ないのだ。
これは長い間、うまく人に伝えることができないまま、からだの闇でくすぶっていた夢だ。
ようやく少しずつ伝えることができるようになってきた。
今わたしたちは、未来社会の萌芽形態を共創しているのだと。
この小さな変化も、いま進行している共振塾革命の一環であろう。



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21 March, 2017

Follow, Promote and Initiate

In the free resonance theater, there are three important role.
To initiate original movement is easy for the creator.
Most important is to follow and to promote.
Through following the others, you can promote a world change.
Second and third follower can be promotor of a specific resonance pattern; for example, wall, line, circle, swarm, forest, stone garden, monster, box, rolling stone, and so on.

At first, we start to learn to be follower, and find that it shifts to the promotor, in a specific timing.

2:3

5 dancers separate into two group of 2 persons and 3 persons which resonate with same resonance pattern, and both group co-create contrast each other. Dancer ca nshift from a group to other group at any time. That's all. The rule is simple, but taste is fun and deep.
This is my one of the favourite practice that 20 years ago we did it a lot with Katsura Kan.
"2:3" is good exercise to learn to be Transparency that open inside 50%, outside 50%, and not bound by anything.
Also good to learn the <Follow, Promote and Initiate>.

Beyond the "Choreographer"

2:3 can be grow up to m:n, and finally to the <Rhizonant Rhizome> that is half Infect, half Invent, or 50% follow, 50% Initiate. Dancer can be any number, any resonance pattern. Just through resonance we co-create the beautiful developement of Jo-ha-Kyu as if it looks a choreograph by an excellent choreographer, without them.
This is the aim of <Resonant Rhizome>. I believe that we don't need the role of the choreographer who sits on the top position of Hierarchy system. We can vanish it through the Life Resonance.
This is my hidden dream that could not tell others clearly for long years.




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キメラ
 2017年3月20日

二重操作


非二元かつ多次元共振体にむけた新しい共振技法を紹介しよう。

わたしは、他の人のコンディショナーを受けるとき、いつも半分は正確にそれに従いつつ、もう半分は自分固有のクオリアをそこに重ね合わせることをしていた。
そうすることで、四六時中意外な、重層的でより複雑なクオリアに出会うチャンスが生まれる。
今年は共振塾で春から、この技法を紹介しシェアしている。

結果として、からだの一部が特定の生き物であり、他の部分は別ものであるキメラまたはモザイクができあがる。

クオリアが他のクオリアに会うと、即座にまったく新しいクオリアが生まれる。 クオリアのこの性質こそ、その無限の創造性の秘密だ。

この二樹操作を楽しめるようになれば、一日24時間が楽しい創造の時間に変わる。そして、じょじょに非二元かつ多次元共振体へと変成を遂げていくことができる。
この<二重操作>は、土方巽の「病める舞姫」や「静かな家」を学ぶためのいわば準備運動のようなものだ。
なぜなら、その世界は想像を絶する非二元かつ多次元変容に満ちているからだ。


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実技ガイド
調体法6  六道ゆらぎ
 
六道ゆらぎを通じてさまざまな異界と交感するからだになる


私たちの命は、実にさまざまなものと共振している。
重力や空気や光や音や風など、環界のさまざまな要素と交感しているのは見やすいが、それだけではない。
思い出せない夢や遠い生命記憶や死んだ人のクオリア、
意識できないからだの傾性など、
多くの不可視の異界のクオリアと共振している。
それが生命の実態だ。
調体六番では、六種の動きを通じて、さまざまな異世界と交感し、
多数多次元の異界に開かれたからだに変成する。

まず、からだのあらゆる部位に、下記のふるえ,ゆらぎ、うねり、ショック、潰れ、死のクオリアを順々にあるいはランダムに通していく。
その物理的な動きのクオリアが、何らかの記憶のクオリアと強く共振し、ひとつになる瞬間を待つ。それをその日の発見として、名前をつけ、からだの闇に保存する。それらのクオリアの蓄積が、やがて<からだをくもらす>技法につながっていく。
いつも、からだのまわりの秘膜各層に多数多様な固有クオリアを溜め込み、着込んでいく。即興で踊るときも、振り付けを創るときも、それらからだにまとう固有クオリア群との共振が思わぬ動きを誘い出してくれる。

1 ふるえ(Vibration)
細胞生命は微細な震えによって、環界と共振している。
細胞のさまざまな震えに成り込む。
すると、大地の微細な振動や、空気の振動にも共振していることがからだでつかめる。
そしてそれら外界と共振する外クオリアは、
細胞内に保存された内クオリアの記憶とも瞬間ごとに共振している。
震えは実に多彩な生命共振の現れである。寒さのふるえ、見えないものへのおびえのふるえ、意欲や期待の前触れとしてのふるえ、などさまざまな震えがある。その微細さを感じ分けながら、身体のどこかの部位のその日の固有のふるえをを見つけ、蓄えこむ。
そして、
さまざまなふるえの微細さを踊り分けることのできる身体に変成していく。これは自分で時間をかけて築き上げていくしかない。
やがて内外のクオリアにこだわらず、
何かひとつの傾性のみに囚われることのない透明なからだになる。

2 ゆらぎ(Sway)
ふるえがさまざまな時間を孕むと波長が伸びゆらぎになる。
生命は心地よいゆらぎによってあらゆるものと共振している。
命のゆらぎをたっぷり味わう。
固形物のゆらぎ、体液のゆらぎ、呼吸のゆらぎ、
そよ風やせせらぎのf分の1ゆらぎ、
記憶や夢が消えていったり、思い出されたりするゆらぎ、
そして、現世から異界に気化していくゆらぎ。
ゆらぎは
不可視の異世界への通路でもある。
気化するからだは、多彩なゆらぎを身につけることからはじまる。
多数多様なゆらぎをからだの各部に通していく。毎日、新しいゆらぎのクオリアが見つかるまで続ける。

3 うねり(Wave)
あらゆる生き物は固有のうねりを持つ。
アメーバのうねり、イモムシのうねり、蛇のうねり、獣のうねり、
伸びて行く植物のうねり、・・・それらはまた、原初の海のうねりとも関わっている。
からだの中の原生的な生き物のうねりが不意に出てくる瞬間をあじわう。
からだの闇には実にさまざまな命のうねりがひそんでおり、
命が経てきた
さまざまな生物種のうねりに続いている。
その日のいのちがもっともよく共振できるうねりをみつけ、からだに刻印する。

4 ショック(Shock)

細胞生命は、命が40億年の間に受けたさまざまなショックを記憶している。
原初生命がごくごく微細だったので、ほんのわずかな刺激でも巨大なショックとして受け取った。
雨粒、埃、虫などの小さな刺激から、波、風、石、地震、雷、火事、親父に至るまで
あらゆる刺激を受けて、それに動かされるクオリアを味わう。
生命をとりまく異界からのシグナルの多くは、ショックとしてやってくる。
やがて、命が受けたショックならどんなものでも受け入れることができるからだになる。
命はそれらの衝撃をすべて体験し、乗り越えて生き延びる術を発明してきた。
命の底しれない智慧を味わうことができる。
ショックのクオリアは、いのちにとって世界変容のクオリアにつながっている。分娩時の子宮の収縮、保護者の突然の消失、天変地異、などなど
世界変容と自己変容が同時に引き起こされるクオリアを探る。

5 崩壊(Collapse)
強い衝撃や刺激・圧力がが続けば、体の一部は壊れ復元性を失う。
へし折れ歪んだ不自由なからだになっても、なお命は生き延びようとする。
制限された動きの中で、なんとか生き延びる道を発明するのだ。
命にはこの無限の発明力が備わっている。
不自由の極みまで押しつぶされたからだになって、
そこから、どんな動きが発明されてくるかをあじわう。
そして、不自由なまま死んでいった同胞の苦しみとも共振する。
不具のからだ、障害をもつからだこそ、深い生命共振美である
<癇の花>の土台となるものだ。

6 死(Die)
最後は死だ。死は命が最も身近に感じているクオリアだ。
百兆個あるからだの細胞のうち毎日何百万もの細胞が死に、
新しく誕生している。
生死の淵でゆらぎ、たえず死の淵から帰ってくる。
そして、あるとき、往ったきりになる。
死の側から、この世を見つめる
この世が共振に満ち、ゆたかなクオリアに満ちていることが感じられる。
わたしたちはもともと、40億年の悠久の命から、
ほんの百年足らずの命を借り着している存在だ。
死ぬ前に、命に自分の創造の限りを返す。
それができたら笑って死ねる。
それが生死の序破急成就だ。




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文部大臣賞授賞時の記念写真、中央イスが細江英公、
その向かって左が土方巽
 2017年3月15日

祝!伝説の土方巽写真集「鎌鼬」復刻

伝説の写真集「鎌鼬」が復刻された。
「鎌鼬」の出現は、世界にとってひとつの事件であった。
いや、ひとつの事件の始まりだった、というべきか。

「細江英公がわたしを有名にした
それは写真だからであった
東京ガスの巨大な球体の上で 材木置場のラワン材の上で
砂浜で、波打ち際で、海底でも わたしは転ばされて
ただそこに置かれていることの感動を
この写真家から教わったのである」

「細江英公と私」 土方巽


1969年、日本の大学という大学の学生が無期限バリケードストライキを決め、街頭に棍棒を持ってベトナム反戦、日本政府打倒のデモを繰り返していた時期、
細江英公著、土方巽写真集「鎌鼬」が出版された。
デモの帰り道、本屋の店頭に山積みされた写真集を開いたときの
からだの火照りをわたしは忘れることができない。

異様な男が東北の田んぼを駆けていた。
農夫たちに担がれ、老婆たちを笑わせ、
子供の前で空に舞い上がっていた。
藁を干す木杭の上でうずくまっていた。
(なんという男がいるものだ!)
わたしは息を呑んだ。

土方が踊ることで、故郷秋田の地が瞬間、劇場に変容した。
(そうか、世界中どの場所でも、劇場に変えることができるのだ。)
わたしが写真集「鎌鼬」から教わったのは、時間空間を瞬間的に劇場に変容する術だった。

それから50年後の今、わたしたちが世界中の山や海で、街頭で、ノマド・リゾームや共振リゾームを踊り続けているのは、その変容術を世界と共有するためだ。


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 2017年3月14日

いかに元型を踊るか

下意識の深い領域を旅していると、災害や天変地変などの世界イメージや生き物のイメージのさまざまな元型に遭遇する。
天国、地獄、神、女神、悪魔、モンスター、キメラ、幽霊、精神、妖精、エンゲル、偉大な母、賢者、英雄、トリッキー、アニマ、アニメ、少女、少年、赤ちゃんなど。すべての共同幻想は元型である。
原始時代の祖先たちの艱難辛苦な体験は、わたしたちのからだの闇の深部に刷り込まれ得、<元型>となってあらゆる人類に共有されているクオリア群となった。
C.G.ユングはその領域を「集合的無意識」と呼び、その内容を元型と名づけた。元型には無限のバリエーションがある。

注意事項

元型はわたしたちを鼓舞し、勇気づける一方、憑依するほどの強いエネルギーを持っている。元型を踊るとき、わたしたちが妙に力づけられた気になるのはそのためだ。だが、もっとも留意しなければならないのは、ひとつの元型に束縛されてしまわないことだ。刻一刻と、透明覚を開いてその憑依から身をかわし、逃れる必要がある。
<自在跳梁 Jumping Wild>はその囚われから逃れ出る重要な技法だ。
ひとつの身体イメージから別のイメージへ、次から次へと変容し続け、ジャンプしつづけることだ。

土方は最後のソロのための舞踏譜「静かな家」に次のように記している。

「死者は静かにしかし限りなくその姿を変えるのだ。
彼等は地上のものの形をほんのふとした何気なさで借用することも珍しくない。」


「静かな家」の25-27の<急>の節は、もっとも美しい自在跳梁の舞踏譜となっている。



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 2017年3月13日

生命共振に焦点を当てる

共振タッチと指圧の精神は
生命共振です。
"私"があなたに何かをするという日常的な人間の錯覚を脱ぎ、わたしたちのいのちの間で起こっている共振に焦点を当てます。
わたしの指圧の師・遠藤喨及さんは、「
共感的想像を開け」と言った。遠藤さんの師であった増永静人氏は、「生命の原始感覚を回復せよ」と記している。

生命共振はとても微細なもので、なかなか気づきにくいものだが、それはわたしたちの間のあらゆる現象の基礎になっている。
指圧だけでなく、舞踏を踊るときも生命共振がもっとも重要なものだ。
わたしたちは常にそれに焦点を当て、わたしたちが縛られている日常の二元論的幻想に縛られた "わたしがあなたになにかをする"という主体幻想から脱する必要がある。
起こっていることのすべてを共振として受け止め直す
長い訓練がわたしたちに必要だ。
わたしたちが目指しているのは、
「自分であるとかそうでないとかということは、大した問題じゃない」という未来の地平であるからだ。
現代のわたしたちの日常の心は、あまりに「自分が、自分が、、、」という自己感にのみ占領されてしまっている。
それを脱ぎ去ること。
自己と他が半分半分に釣り合っている透明な状態で生きること。
自己にも他にも囚われることがない透明な生
なんとすがすがしいことだろう!



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 2017年3月12日

これが非二元かつ多次元共振だ


上の図を見てください。
これは、ひも理論におけるひものもつ無限の共振パターンを表すもっとも優れたイメージの1つだ。
そこは予期せぬ共振に満ちている。
この世界にルールはまったくない。
次の瞬間にどこで何が起こるか、誰も知ることができない。
もちろん、いくらかの類似の共振パターンが繰り返されてもいる。
しかし、同時に、それ以外の共振がどこにどのような異なる共振パターンで起こるか、知ることができない。
これが、ひもの非二元かつ多次元共振である。
ひも理論によれば、宇宙のすべては、ひもの共振パターンの変化によって生成される。
ひもの共振パターンは無限にある。
クオリアもまたこのひもの無限の世界に共振している。
現代の創造者はクオリアの専門家にならねばならない。
情報の専門家にはなる必要がない。
共振塾でわたしたちは、クオリアの無限の共振パターンを一緒に研究し、それぞれの創造の必然性に応じて、たったひとつの共振パターンを固有の美として見つけだす。

このクオリアの非二重かつ多次元共振の世界がわたしたちの場であり、
そこに固有の花、秘密および謎を創り出す。
おそらくきみはクオリア共振の目もくらむような無限の自由に直面するだろう。そして、そこに世界でたったひとつの共振パターンを見出す。
それが創造だ。
創造とは、世界ではじめての共振パターンをみつけ、それに命を吹き込むことだ。




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 2017年3月11日

透明覚へ

随分昔から探求しているのに、
なかなか他の人と共有することができなかった。
それが
透明覚だ。

踊っている最中に、これが透明覚か、と実感したことがある。
だが、それをことばで伝えることがなかなかできなかった。
ことばで言おうとした途端に、何か別物にすり替わってしまいそうで
うまく言えないまま、この二十年を過ごしてしまった。
だが、この二十年の逡巡には根拠があった。

透明覚は、書くこと、知的に解き明かされることによって
闡明されるものではなかった。
現代的な「知性」とは、根本的に違うものだということが、
この二十年で少しずつ分かってきた。

書くことへのこだわりに囚われていたのだ。
透明覚は、書くこと、頭で理解することの正反対のものだ。
現代の分別的知性のように、ひとつひとつの部分を分析し、
理解することによって全体的な把握に近づこうとするものではなく、
あらゆるものをからだごと、いのちとしてまるごと瞬間的に統握するものだ。


同時に、透明覚の統合的な把握は、なにものにも囚われていないことだ。
内側からのなにかにも、外側からのなにかにも、縛られていないこと。


生命共振には内も外もない。
対象と自分が分断していることを前提にした二元的知性の幻想を脱ぎ、
生命共振としてひとつになっているまま、あらゆるものを透明に統把するのが<透明覚>ではないか。


それはわたしの最初の経験どおり、
踊っている最中にだけ訪れる状態なのかもしれない。
ともあれ、今年はこれまでの禁を破って、最初から
踊る中で透明覚を分かち合うことを目指す。
まったく新しいチャレンジが次々続々湧き上がってくる。



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 からだの闇に棲む元型をいかに踊るか
 2017年3月9日

からだの闇に棲む元型をいかに踊るか

今週は、人間の祖先の歴史を追体験するサブボディ=コーボディ探体を行った。
ここ十数年、この人類の祖先の体験をからだで辿り直す探求を続けているうちに、からだの闇に棲む<元型>がどのようにして形成されてきたのか、少しずつからだの腑に落ちてきた。
人類の祖先は700万年前チンパンジーから種を分かち、アフリカ大陸で長い石器時代の歳月をかけて、原生人類にまで進化してきた。
およそ20万年前、アフリカの気候が変化し、人類の先祖は食糧危機に見舞われ、アフリカから脱出しなければ生き延びることができないほどの危機に直面した。
「出アフリカ」の長い旅が始まったのだ。
「出アフリカ」の移住は数次にわたってあったと見られ、祖先たちは、アフリカから、アジア、ヨーロッパ、オセアニア、アメリカなど他の大陸にいたる長い艱難に満ちた旅を体験した。
それは凶暴な肉食獣、多くの災害、洪水、地震、火山、津波、戦乱などに満ちたものだったに違いない。
これらの苦難の経験が、元型として、C.G.ユングによって集団無意識と呼ばれたからだの闇の深部に刻印されることになったのだろう。
とくに、地獄、太母、悪魔、幽霊、キメラなどの元型は、民族の違いを超えてすべての人類のからだの闇に刷り込まれている。

からだの闇の深部の探体を行うと、多数多様な元型に出会うことがしばしば起こる。
元型はときにはわたしの共創をより豊かに、ダイナミックに彩ってくれる。
しかし一方で、元型はとびきり強い支配力をもつ。
もし元型のひとつに囚われてしまえば、
たちまちわたしたちは創造の自由と柔軟性を失ってしまう。
そういう人に数え切れないほど出会ってきた。
おそらく、ユングもそうだったのだろう。
かれは次のような異例の強い言葉で元型にとり憑かれる危険を警告している。
「元型に取り憑かれてしまった人は、例外なく悪魔に陥ってしまう。」

では、どうすればその危険を避けることができるのだろうか?
土方巽の「静かな家」に書かれている
<自在跳梁(Jumping Wild)>がその鍵を握っている。
ひとつの元型に縛られルノではなく、ひとつのボディ・イメージから、別のイメージへ、自在に飛び移り、変容していくことによってのみ、その危険から身を守ることができる。

『静かな家』の冒頭に彼は記している。

「死者は静かにしかし限りなくその姿を変えるのだ。
彼等は地上のものの形をほんのふとした何気なさで借用することも珍しくない。」


今期、わたしたちはこの技法をじょじょに深め、
じっくりと共有していくことになるだろう。


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 これがクオリアの非二元かつ多次元共振だ
 2017年3月6日

クオリアの非二元・多次元共振

クオリアは、いつも非二元かつ多次元の領域で共振している。それをことばで説明するのは難しい。代わりにそれに関わりそうないくつかの映像を見せることができる。
あなたが自分のからだで、自分固有のクオリアの変容流動を踊るときにだけ、クオリアの非二元かつ多次元共振とはどのようなものであるかをからだの腑に落とすことができるだろう。

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 クオリアが言葉になる前の見えない闇を探る
 2017年3月2日

クオリアとからだとことばの間


来週から今年度の共振塾が始まる。
インドツアーでの<ドリーミング・シェア>の実験が
どういうことであったのか、少し透明にみえてきた。
そのなかではわたしたちは各自のからだの闇を変容流動するクオリアに耳を澄まし、からだの動きとともにそれを言葉で喋りながら、
それぞれの神話的な世界を共創する方法を見つけた。
そのとき分かち合ったことばは、いのちが共振するクオリアから
ダイレクトに立ち上ってくるとても特殊なものだった。
下意識のからだの闇を流れ変容するクオリアがことばになる、
そのもっとも原始的な現場に逢着したのだ。

今年は、このクオリアとからだ(体感と動き)、そしてことばとの間を自在にいききする
<ツリーリゾーム技法>を探る。
去年までのわたしは、微細なクオリアに耳を澄ますことに集中するあまり、ことばや情報から、できるだけ遠い安全な距離を保とうとしていた。
日々無言を貫いた。

だが、もっと自由な振る舞いがありうることに気づいた。
今年のインドツアーで実験を続けた<明晰夢シェア><ドリーミング・シェア>では、日常的な意識を止め、下意識界で、全チャンネルのクオリアが非二元かつ多次元に共振し、変容流動するサブボディの想像力を全開する。
微細な体感や動きのクオリアが変容流動するありさまを、からだの動きで追いながら、同時にことばで叙述する。そのことばはクオリアからまっすぐに立ち上ってくるクオリア言語だ。クオリアが情報化してしまう一歩手前の生のサブボディ言語だ。
クオリアが言葉になる前の、からだの動きや体感から分化する以前の非二元の闇を探る。
そこはソシュール言語学ではシニフィエ(そのことばによって意味されるもの)と名付けられた闇だ。言語学者はその闇にからだで降りていく探検をしない。だがわたしたちはその暗がりを、ことばからクオリアの生成変容現場へ向かって降り、またクオリアからことばが生まれてくる階梯をたどり、昇降を繰り返す長い旅になるだろう。

いままで触れることのできなかったその領域を塾生とともに探索する方法が見つかったのは嬉しいことだ。
ことばを使えば、かつてのわたしのように、
それにとらわれてしまうおそれもある。
サブボディモードで静まりかけた自我を呼び起こし、
自我の衝突も起こりやすくなるだろう。
情報言語に侵蝕されることも起こる。
危険に満ちた闇の坑道だが、それらの危険を排する方法を工夫しつつ、
この坑道を掘り進もうと思う。



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 写真は主に、土門拳『昭和の子供たち』より
 2017年2月28日

ただ生きているだけみたいな奇妙な明るさ


いったんわたしたちはこの『昭和の子供たち』のからだのような 「ただ生きているだけみたいな奇妙な明るさ」を放つ透明ないのちにならなければならない。
それが 土方巽の『病める舞姫』の世界に分け入るために、どうしても欠かせないと思えた。
3年前に インド共振舞踏ツアーを思い立って出かけたのはこのようなからだに出遭うことを企図していた。
日本や西欧ではもはや消え去ってしまったこういう透明ないのちそのものの輝きを放つからだに、インドのどこかで出会えるのではないかと。
第1回目のインドツアーでは、道端で遊ぶ子供たちの写真を撮りまくった。
そして、3回目の今年のツアーではついに、わたしたちのからだの闇の奥深くに、このようないのちそのもののからだが潜んでいることを発見した。そしてz下意識モードになって、ことばとからだの動きで追うことで、全員で個人的かつ集合的無意識の世界の出来事を共創する方法を見つけた。
それが
<明晰夢シェア>(簡単には<ドリーミング・シェア>)と呼ばれる技法だ。
明晰夢とは、ミンデルに学んだ醒めたまま見る夢だ。
そここそがいのちの無限の創造性の宝庫が眠っている場所である。
そこに漂う奇妙なクオリアのダンスにからだを預け、少しずつひとりひとりのからだの闇に秘められた個人神話の世界を共創し、磨き抜く。
ことしは塾生とともにこの鉱脈に沿った坑道を掘り進む。
楽しい旅になりそうだ。


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 2017年2月22日

<ドリーミング・シェア>


「ことばはわたしにとってとっても重要、でも全然重要じゃないの。」

去年夏のヨーロッパツアーで、ワークショップの参加者の一人が
発した言葉によって、わたしの中の何かが変わった。
一見矛盾にみえる2つのクオリアがそこに不思議もなく同在していた。

(そうか、そうなんだ。そのとおりだ!二元論の呪縛から逃れるには、こういう正反対の態度が平気で同居するような柔軟さが必要なのだ。)

わたしは自分が長年、ことばに対して強いコンプレックスに囚われていたことに気付かされた。
「言葉なんか覚えるんじゃなかった」
荒地派の詩人田村隆一の詩句を思い出す。
若い頃詩や小説を書こうとしたが、自分が書いたものは、
常にどこか違うと、自分の心身と言葉の間がいつもきしんでいた。単に、うまく自己表出する能力に欠けていただけなのだろうが、いつも、書かれたものよりも、書けないことの方に、より重要なものが潜んでいると感じていた。
おまけに、20代から40代の半ばまで、コピーライターと編集の仕事で飯を拾って過ごした。
その25年にわたる経験の中で、コピーライタ―的な指示表出言語が染み付いた。
そこでは、矛盾する言葉が同在するなど許されない厳密な二元論に従わねばならない世界だった。
そんなわけで、ヒマラヤに棲みはじめて以来、思考や言葉を止め、言葉にならないからだの闇の微細なクオリアに耳を澄ます修業を続けてきた。
その作業をつうじて、からだの闇に流れるクオリアをからだの踊りに転化するサブブディ技法を創ることができた。
だが、これまでは偏執狂的に言葉を排してきた。そのなかで
クオリアと言葉の間を自由自在に往還する<ツリーリゾーム技法>を鍛え上げるという課題は、常にわたしの前にあった。
だが、実際にどうすればいいか、実現の方法がなかなか見つからなかった。
それが、上記の参加者のことばを契機に、(ことばを使うのも、使わないのもどっちもありなのだ)と気づき、去年の共振塾最終日での自己催眠技法を使った<混沌シェア>の発見に繋がった。

第3次共振舞踏ツアーでは、カルカッタ、タムクール、バンガロー、ゴアなど各地のインド人の参加者とともに、その実験を全面展開した。
続けるうちに、それは自己催眠を使わないでも、従来の調体・探体のなかで、からだの動きとともに想像力を全開して、ことばで情景を語りながら動き、それを他の塾生と共振しながら共創する<明晰夢シェア>へと発展していった。
はじめてこれを経験したホンザは、まったく新しい体験だ!と驚いた。
当初は<混沌シェア>、<ジャーニーシェア>などと区別していたが、すべて
<明晰夢シェア(Lucid Dreaming Share)>に統一することにした。これまで20年も続けている<原生夢劇場>と区別するためだが、現場では簡略化して<ドリーミング・シェア>と呼んでいる。
原生夢は実際に見た印象深い夢、明晰夢は半眠半覚の下意識モードで想像力を全開して見る夢だ。ついにどちらの夢からもそれを共創する道が開かれた。

ワークショップ参加者の何気ない不思議なことばへの共振から、長年のことばへのこだわりが解けはじめ、この技法の実験世界が開かれた。
この突破口から、<クオリアとことばの間の不思議な変容プロセス>を探求するという、この冬書いた『生命共振としてのクオリア』では、まだ展開できなかった課題を塾生とともに実践的に探求していく坑道がみつかった。今年は楽しくなりそうだ。

「明晰夢」という言葉は、ミンデルの『24時間の明晰夢』に負っている。それについては別稿にゆずる。



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 2017年2月22日

クオリアとことば


「ことばはわたしにとってとっても重要、でも全然重要じゃないの。」

去年夏のヨーロッパツアーで、ワークショップの参加者の一人が
発した言葉によって、わたしの中の何かが変わった。
一見矛盾にみえる2つのクオリアがそこに不思議もなく同在していた。

(そうか、そうなんだ。そのとおりだ!二元論の呪縛から逃れるには、こういう正反対の態度が平気で同居するような柔軟さが必要なのだ。)

わたしは自分が長年、ことばに対して強いコンプレックスに囚われていたことに気付かされた。
「言葉なんか覚えるんじゃなかった」
荒地派の詩人田村隆一の詩句を思い出す。
若い頃詩や小説を書こうとしたが、自分が書いたものは、
常にどこか違うと、自分の心身と言葉の間がいつもきしんでいた。単に、うまく自己表出する能力に欠けていただけなのだろうが、いつも、書かれたものよりも、書けないことの方に、より重要なものが潜んでいると感じていた。
おまけに、20代から40代の半ばまで、コピーライターと編集の仕事で飯を拾って過ごした。
その25年にわたる経験の中で、コピーライタ―的な指示表出言語が染み付いた。
そこでは、矛盾する言葉が同在するなど許されない厳密な二元論に従わねばならない世界だった。
そんなわけで、ヒマラヤに棲みはじめて以来、思考や言葉を止め、言葉にならないからだの闇の微細なクオリアに耳を澄ます修業を続けてきた。
その作業をつうじて、からだの闇に流れるクオリアをからだの踊りに転化するサブブディ技法を創ることができた。
だが、これまでは偏執狂的に言葉を排してきた。そのなかで
クオリアと言葉の間を自由自在に往還する<ツリーリゾーム技法>を鍛え上げるという課題は、常にわたしの前にあった。
だが、実際にどうすればいいか、実現の方法がなかなか見つからなかった。それが、去年の共振塾最終日での自己催眠技法を使った<混沌シェア>の発見に繋がった。

第3次共振舞踏ツアーでは、カルカッタ、タムクール、バンガロー、ゴアなど各地のインド人の参加者とともに、その実験を全面展開した。
続けるうちに、それは自己催眠を使わないでも、従来の調体・探体のなかで、からだの動きとともに想像力を全開して、
ことばで情景を語りながら動き、それを他の塾生と共振しながら共創する<明晰夢シェア>へと発展していった。
当初は<混沌シェア>、<ジャーニーシェア>などと区分していたが、面倒なのですべて
<明晰夢シェア>に統一することにした。現場では<ドリーミング・シェア>と簡略化して呼んでいる。

ワークショップ参加者の何気ない不思議なことばへの交感から、長年のことばへのこだわりが解けはじめ、この技法の実験世界が開かれた。
この突破口から、<クオリアとことばの間の不思議な変容プロセス>を探求するという、この冬書いた『生命共振としてのクオリア』では、まだ展開できなかった課題を塾生とともに実践的に探求していく坑道がみつかった。今年は楽しくなりそうだ。

「明晰夢」という言葉は、ミンデルの『24時間の明晰夢』に負っている。それについては別稿にゆずる。





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 ジャングルの中のアンツ農園
 アンツ農園の夜
 2017年2月2日


不可視のものへの祖型的な畏怖



「まだ一度も繰り返されたことのないものに出会うことによって、
あたらしい生の可能性を開くことができる。」

『差異と反復』のなかのジル・ドゥルースの言葉を思い出す。
日常の自我や自己は毎日無数回同じクオリアを繰り返す。
そして「自分」という幻想のアイデンティティを確認し続け、
無意識裡の反復によって自己を補強する。

だが、南インドの深いジャングルのなかで一週間過ごしている内に
参加者の心身が変わってきた。
ワークショップでも、毎日違った坑道でからだの闇に潜り、
まだ一度も繰り返されてないクオリアを掘り続けた。

人生を遡行する歩行
祖先へ遡行する歩行
異貌の自己を探す探体
何ものかに動かされる半受動体
超緩速で動く探体
傀儡になる探体
原生夢世界の共創


などなどの日々の調体・探体メニューはすべて
<まだ一度も繰り返されたことのないクオリア>を探りながら
<意識では思い出せないものをからだで思い出す>
プロセスの一環だった。

一週間を通じて<繰り返されたことのないクオリア>を探る方へ探る方へと
調体・探体を散りばめ、非二元多次元的にいざない続けた。

からだと動きと言葉の散りばめ技法

ミルトン・エリクソンの催眠療法の秘密を彼の弟子たちが分析した書の中に
<散りばめ技法>というのがある。
催眠療法中の患者との会話のなかに、患者が忘れていた記憶や、
気づくことのできないクオリアに気づけるように、
エリクソンがいかに巧みに言葉を散りばめていたかを
テープの記録から取り出している。

サブボディ技法の調体・探体の特徴は催眠療法のように言葉だけではなく、
からだの動きを通じて、頭では思い出せなくても、
からだから自然に出てくる動きの中に忘れていた記憶を探ることにある。
タムクールではそれをまわりの自然と触れて出てくる祖型的な畏怖とともに、
<まだ一度も繰り返されたことのないもの>を探ることにピッタリ照準が合った。

深い自然の闇が祖型的なものの想起を支援

深い沈黙の夜に、樹々のそよぎにまじって風が運んできる見知らぬ野生動物の咆哮は、
まさに忘れていた人類の祖先たちの見えないものへの畏怖を駆り立ててくれた。

自然を訪れるだけではなく、
野生の自然の中で寝ることの大事さに気づいた。
自然は昼間と夜ではまったく表情を変える。
夜の深い闇の中にざわめく、<不可視のクオリア>こそ
祖型的なものの重要な源泉なのだ。

ヒマラヤへ帰って、今年は一度まわりの自然の中で一晩か何晩か過ごす授業を取り入れよう。
近くの山岳少数民の家に民泊するのもいい。

『病める舞姫』は、不可視のものへの祖型的な畏怖に満ちている。
夜の闇こそ、訳の判らないものへの畏怖の源泉なのだ。
夜の暗さを消し去った現代都市の暮らしがもっとも忘れているもののひとつがそれだ。

南インドのジャングルに来てようやくそれに気づくことができた。
タムクールのジャングルから近くの大都市バンガローに移動して、
その対比に驚かされた。
バンガローは、カルカッタ、チェンナイ、ムンバイに次ぐインド第4の大都市で、
IT企業の拠点にもなっているだけ合って西洋化が進んでいる。
バンガローの子どもたちとのワークショップを行うと、
もう日本や西欧の子どもたちと同じくらいに心身が都市化してしまっている。
その対比の凄さによって気付かされたとも言える。


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