Subbody

サブボディ共振塾ジャーナル

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共振塾ジャーナル
2007年4月
目を発明する
下意識の創造力を開く
内向映像チャンネルを開く・その1
生命共振瞑想
隠れクオリアを掘り出す
胎蔵体
透明体
六道ゆらぎ
クオリアは命と共振的に生成する
言語意識を止める
サブボディが分娩される瞬間
原生夢という宝庫
潔くダンスのからだを脱いだセンタ
多細胞共振体になる
悪夢の踊りから立ち上がる透明さ
異界転生者として生きる
クオリア遣いになる
八覚リゾーミング
八覚リゾーミング・ブロックアンドリリース
微速動八覚リゾーミング・ブロックアンドリリース
5年目の衰弱体
ストリング瞑想から世界像=自己像往還へ
2007年3月
2006年10-12月
2006年9月
2006年8月
2006年7月
2006年3月-6月
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生命論2011
クオリア論2010
透明論2009
   肯定論2008
共振論2007
舞踏論2006
透明論 2005
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サブボディ学校ジャーナル
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からだの闇を掘る
クオリア共振日記
多重人格日記
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2007年4月
2007年4月26日

目を発明する

(内向映像チャンネルを開く・その2)

昨日に続いて、映像チャンネル。
今日は目の使いかたのバリエーションを練習する。

1.ゆらぎ瞑想体底呼吸で意識レベルを鎮める

2.透明な目になる

内側と外側に50パーセントずつ開く。
何のテンション(緊張)も
インテンション(意図)もない透明な目になる。
第一頚堆と頭蓋骨の間の関節を緩め、
その関節だけを使ってゆっくり左右に頭を動かし
目に入ってくるすべてのクオリアを味わう。

3.透明な目で見つめあう

透明な目のまま、30センチほど離れて
ペアになって10分間見つめあう。
互いの間に生まれるすべてのクオリアを味わう。
互いのからだの闇に起こっているかすかな
さざなみに共振が起こることを感じる。

4.透明な目の間に起こる共振に従う

パートナーをチェンジし、また10分間見つめあう。
今度は互いの間に起こる共振にしたがって
それについていく。ゆらぎが起これば
互いにゆらぎ、姿勢が変わればそれに従い、
ただただ命と命の間の共振にしたがう。

5.透明な目の間に起こる共振を増幅する

再び、パートナーチェンジし、10分間見つめあう。
今度は互いの間に起こる共振を増幅していく。
動けだせば動き、かすかな表情がこみ上げてくれば
それを互いに増幅しあう。
さまざまな予期せぬことが生まれる。

6.任意のクオリアと共振する

一人になり、空間の任意の点に
何らかのクオリアを見つけそれと共振する。
想像でさまざまなクオリアを想定する。
生き物でも、熱でも、エイリアンでも
何でもいい。ありとあるものを想像して
それとの間に起こる反応に従い
目がどんどん変わっていくのを体験する。

7.動くターゲットと応答する

空間に想定していた点が動く。
虫や鳥や、動く壁などなんでもよい。
それとの間に起こる応答に従う。
相手によって獣目になったり、
強い力に圧迫されたり、押し返したり、
戯れたりする。それに応じて
目もめまぐるしく変わる。

8.背後の闇のクオリアと共振する

白目の灰柱になり、背後の闇を見つめる。
そこに生起するさまざまなクオリアと共振する。
死者や亡霊やとんでもないものの
クオリアを白目で見つめながら応答する。

9.死者の目となりこの世を見つめる

死者の目の灰柱になる。
自分で工夫して死者の目になる。
他界からこの現世を眺める目になり
ゆらぎながらこの世を見つめる。

10.異界ゆらぎのからだになる

異界との間でゆらぐからだになる。
他界に限らず、想像上の異次元とこの世の間で
ゆらぐからだになる。
万機を秘めた灰柱となってゆらぐ。

11.30分間の探体

以上の練習を自分で繰り返し、
さまざまな目を試しながら、
今日のサブボディの動きを探る。
自分固有のユニークなサブボディアイを発明し、
それを開くタイミングを見つける。
さまざまな試みで体験したクオリアのうち
命に「今日はどのクオリアの動きをやってみたいかを
問いかけ、そのクオリアの動きを増幅して
何分間かの動きを見つける。
3週間のうちに見つけたサブボディの
振り付けとのつながりが見つかれば
それに続けていく。

12.サブボディシアター

見つけた動きを互いに見せ合いシェアする。
人の動きを見るときは半眼になり、
外光で見るのが半分、後の半分は
動いているサブボディの中に入り
そのクオリアを内側から味わい共振する。

画竜点睛という言葉があるように、
サブボディがユニークな目の使い方を
覚えたとたんに一気に輝きを増す。
動いている本人自身も、
とたんに面白くなる。
とたんに外界との交通が開くからだ。
目の使い方を開くタイミングを
見つけるのはとても大事だ。



2007年4月25日

下意識の創造力を開く


内向映像チャンネルを開く・その1

映像チャンネルを開く練習に入った。
最初に内向チャンネルから開く。
内向映像チャンネルは誰もが持つが
それを自在にコントロールして
使えるようになるには、
外向映像チャンネルを通じて入ってくる
強烈な映像情報に比べ、
何兆倍も微細なシグナルを捉える必要がある。

ゆらぎ瞑想や体底呼吸で日常意識を十分に鎮静する。
(まずこれが大事だ。
これなしに以下のプロセスは起こらない。)

目を閉じ、まぶたの裏の闇を見つめる。
そこにかすかな光彩や光の流れが見えるだろう。
いつも見ているが意識には気づかない。
そのかすかな端緒をとらえ、その流れに従い
少しずつ増幅する。
からだや顔を自由に動かせば
内向映像もどんどん変化する。
その端緒をつかむこつさえ覚えれば、
静かにしていても、想像力のなかに蓄えられている
無数の映像クオリアが共振して踊り始める。
後はそれを楽しめばいい。
どんどん膨らんでいくはずだ。
自分固有のイメージが勝手に踊りだし、
無限に変容していくのを眺めていればいい。

20分ほどそれを楽しんだら、
それを絵にする。
自分の内向映像チャンネルの世界を
全部つぎ込むつもりで自由に描けばよい。

ときに左右対称や円対称の曼荼羅模様になることもある。
それは人類に普遍的な映像チャンネルの<元型>だ。
それを描いてもいいし、それから逃れてもいい。
要は自分のからだの闇から
そういう<元型>が浮かび上がってくることもあることを
透明に見すかすことだ。
あとは自全のワンダーランドを
楽しみながら旅すればいい。

描きあがったらみんなでそれを味わいあう。

誰もの下意識に折りたたまれている
創造力のバラエティの豊かさに驚くはずだ。
ただ、多くの人はその解放の仕方を知らないだけだ。
学校の美術教育でも教えない。
教師も上記のような方法を知らないからだ。
創造力が意識ではなく下意識に詰まっていること、
上記のようなその解放の仕方を知れば
楽しくて仕方がなくなる。
人生の味が根本的に変わる。
これは誰にもできることだから、
読者の方も試して見てください。

どんな絵がよくて、どんな絵がよくないというような
二項判断を脱ぎ去ることだけが重要だ。
だから、最初のゆらぎ瞑想などによって
二項判断に囚われがちな意識を
鎮静する手続きが大事なのだ。


今年のサブボディアートギャラリーを見る

去年のサブボディアートギャラリーを見る



2007年4月23日

生命共振瞑想

1. ゆらぎ瞑想

腰をゆっくり回し、もっとも心地よいゆらぎを見つける。
速度や大きさを変えて、
その日のもっとも気持ちよいゆらぎを味わう。
その心地よさの中で、自分の生命のクオリアを探る。
生命とは何か、自分の中のどこにあるのか、
誰も知らない。ただ、生命の手触りを探る。
生命の手触りらしきものに出会ったら、
生命にたずねる。
「何が一番したいのかい?」
この問いは毎日、思いつくたびに問いかけ続けるとよい。
始めは何の応答もない。
だが、いつかそのうち、思いがけない形で
その返答を受け取ることができる。

2. 生命遡行瞑想

よいゆらぎ心地に入れたら、灰柱の歩行に入り、
自分が40億年前にこの地球上に生まれた
最初の生命体になったことを瞑想しながら灰柱を運ぶ。
最初の生命はおそらくまったく動けなかっただろう。
ただ、まわりから生命の構成物質を吸収して
生き続けようとしていた。
その、まったく動けない原初生命の体感に成りこむ。
動けなくとも、多くのクオリアを感じることができた。
重力、太陽の熱と光、外界の水や空気の味、
周りの分子の味、
なにが生命維持に必要で何が危険か、
細胞の膜で微細なクオリアの違いを味わい分けて
生き延びてきた。

生命とはまず、
この生きようとする志向のようなものだった。
微細な物質の集まりに過ぎない
原初生命にどうしてこういう
生きる志向性が生まれえたのか
分からない。
だが、そのようなものなしに、それ以後40億年も
生命を維持し続けてこれなかっただろうことを思う。

最初の生命はおそらく嫌気性のバクテリアに近いものだった。
生命は最初は酸素ガスとは
うまく共振する方法を持っていなかったのだ。
酸素ガスは酸化力が高く、原初生命にとっては
むしろ猛毒だった。
原初生命はおそらく生体維持に必要な酸素を
酸化硫黄や酸化鉄のような
化合物を摂取することによって得ていたのだ。
また、原始大気は今のように
大気中に酸素が4分の一もあるような大気ではなかった。
酸素濃度はもっと低かった。
今のように自由に呼吸もできなかったことを
体感してみる。
なんという頼りない生存であったことかが分かる。

だが、あるとき、生命史上大きな創発が起こった。
シアノバクテリアが、日光のエネルギーを利用して
炭酸ガスを生産する光合成を発明した。
空気中からからだの構成成分となる炭素を得る
方法を編み出したのだ。
彼らは藍藻の仲間として原始海洋上に大繁殖した。
そして、何億年間も光合成の副産物である
酸素ガスを排出し続けた。
彼らの活動のおかげで、
今のような酸素濃度の高い大気が出来上がった。
やがて、シアノバクテリアは、他のおきなバクテリアに
食べられた。だが、食べられてもシアノバクテリアは
他の細胞内で生き続けることができた。
やがて、他の細胞内で共生して生きる方法を見出した。
原初生命が持つ驚くべき共振力によって
二つの生命がともに生きる方法を見出したのだ。
彼らは今の植物細胞内のクロロフィルとして
生存し続けている。
植物たちが生み出す酸素ガスのおかげで
わたしたちは生存をし続けられている。
それを思って呼吸をしてみる。
植物への共振と感謝を忘れて、
自己の利益のみを追求する生存方法を続けていては、
地球はふたたび生存困難な環境に戻ってしまう。

続く大発明は、プロテオバクテリアによるものだった。
大気中あるいは水中に溶解した酸素ガスを
直接摂取して利用する呼吸を発明した。
それによって、大気中でも生きられる
好気性バクテリアが繁殖するようになった。
彼らもまた、他のバクテリアによって食べられた。
だが、自ら酸素を摂取して呼吸できる彼らは
他の細胞内でも生き続けた。
そして、ミトコンドリアとして他の細胞内で
共生する道を見出した。
これもまた、生命のもつ共振力の賜物だった。
その創発のおかげで今のわたしたちの細胞は
内呼吸によって酸素を得ることができる。
それを思って呼吸してみる。
呼吸もまた生命の発明だったのだ。

3.細胞群体瞑想

 

ユードリナ属               ボルボックス属

これらの創発は、原初生命が現れた40億年前から
10臆年前までの生命の単細胞時代の
30億年間に起こったことだ。
だが、10億年前にとうとう単細胞同士が
共振して多細胞として生きる方法を発明した。
最初はおそらく、ユードリナやボルボックスのような
細胞群体として生きる過渡期を経ただろう。

灰柱の歩行で真ん中に集まってきたら、
それぞれが共振する群体になってみる。
生命の持つ原初的共振力を
わたしたちのからだはまだ覚えている。
共振するとなんともいえぬ心地よさが立ち上る。
生命や下意識はいつも
この共振の心地よさとともに生きている。
ためしに共振するのを止めてみれば
その心地悪さが感じられる。
わたしたちの日常の自我がどことなく
心地悪いのは共振を忘れているからなのだ。

その中で、単細胞たちが画期的な共振力を発揮して
とうとう多くの細胞がひとつの生命体として生きる
多細胞生物としてのあり方を発明した。
いったい単細胞が多細胞として協力して
生きることができるようになるまでは
どんなに多くの困難を乗り越える必要があっただろう。
それに成功するまでに生命が
30億年間も費やした時間の長さを
思えばその困難が少しは想像できる。
うまく共振できなくて滅んでいった試みも多かっただろう。
だが、この多細胞共振の発明によって
生命は、一挙に地球上のさまざまな環境で
さまざまな生存の仕方を創発して
爆発的な進化を遂げることが可能になった。
水中、土中、空中、陸上、へと
次々に生存領域を拡大していった。

今日はこの40億年の生命史のうち
単細胞時代から、群体をへて
多細胞として生きる方法を発明することにつながった
30億年間の生命の共振力の驚異を感じてみる。
600兆といわれるわたしたちのからだを構成する細胞は
いったいどのような共振力によって
ひとつになりえているのか?
からだの一部の細胞がいずれかの方向へ動くためには
その周りの細胞が一糸も乱れずそれを支え、従い、
協力し合わなければならない。
その神秘を思いつつごくわずかな動きを味わって動く。
どんなかすかな動きでもいとおしく感じられるはずだ。



2007年4月22日

隠れクオリアを掘り出す

4月コースも第3週目を迎える。
生徒の多くが、自分のからだの闇から探り出した
サブボディも、2,3分間の動きに育ってきた。
ここから先は、そのサブボディの振り付けをベースに、
それがまだ日常体のハビットやブロックに
閉ざされたままでいる次元を少しずつ開いて
微細に彫琢していくプロセスに入る。

日常体は、数々の黙契に閉ざされている。
人間の動きとはこんなものだと小さい頃から
教えられ、その制約の中に封印されている。
その封印を少しずつ解(ほど)いて
なまのサブボディを開示していく作業だ。

隠れ関節、筋肉、神経の封印を解く

わたしたちのからだは600兆以上の細胞が
群生する共振体である。
それらは、長い生命の発展段階を経て分化してきた。
からだの闇にはそれらの発展段階のすべての時期の
クオリアが刻み込まれている。
現在の人間の日常体はそのうちごくわずかしか
使っていない。
日頃使っていない関節や筋肉や神経を解くと
そこから見事に長い生命史のなかで刻印されてきた
多彩なクオリアが立ち上がる。
これまでも、
百丹三元、脊椎微細三元などで
からだの脊椎間の関節や、四肢の主な関節は
三元方向に動く練習を積み重ねてきた。
ここから先は、さらに微細な関節や神経を開く。

1.二十指の第3、第4関節を三元に開く

手指の親指の第3関節は誰もが動かすことができる。
他の四指の第4関節を、三元方向に動かす。
物理的にはほんの1ミリか、
それ以下のナノメートルしか動かない。
それでいい。
そこを動かそうとすると、退化しつつあるが
まだ存在する過去の生物段階の動きがほとばしり出てくる。
鳥や爬虫類や昆虫の動きが埋まっている。
あるいはからだのやみ深く封印されていた
not-meや、影や、解離されていた異貌の自己が顔を出す。

2.手首、足首の八つの小骨が踊りだす

さらにその付け根には手首の八つの小骨がある。
八つの小骨が三元方向に六道ゆらぎで動き出し、
他の部位はそれに従う、
手首、足首に秘められていた微細なクオリアが花開く。

3.肩関節、胸骨関節を固定する

肩関節を三次元方向に動かす練習は
百丹三元で行ってきた。
肩の位置を三次元方向のいずれかの極限位置で固定する。
胸骨関節も閉じるか開くかして
違った肋骨の形に固定する。
窮屈だがからだの体感が根本的に変わり、
その形で動いているさまざまな他の生き物や
想像上の生き物のクオリアがうごめきだす。
劣等人格が封印されたサブキャラクターも
出てくるかもしれない。

4.胸鎖、仙腸関節を開く

日常体は腕の付け根は肩関節であり、
足の付け根は股関節であるという誤解に閉ざされているが
動物としての腕の本当の付け根は、
鎖骨と胸骨の間の胸鎖関節である。
獣はみなここから動いている。
足の付け根も然り。股関節ではなく、
仙骨と骨盤の腸骨の間の仙腸関節である。
サブボディにここから三元方向に動き出しても
いいのだよと教える。
みずみずしい生き物の動きのクオリアが
ここには閉じ込められている。

5.顎、舌、口、喉、顔、首を三元に解く

人間としての知性的な顔立ちを保つために
日常体の顔は左右対称の位置に固定されている。
下顎の位置をあちこち極限まで変えれば、
異貌の自己が現れる。
舌の動きも解放する。
さまざまな生き物の舌になりこむ。
口、鼻、喉を変えれば、
違った生き物の体腔音が噴出す。
違ったリズム、異様な呼吸で声を出してみる。
その声が異次元に導いてくれる。

6.目を斜め・三元にただよわす

目もまた、水平左右対称の日常体の黙契から解き放つ。
斜め上下にすばやく動かすと、
ひょうきんな人格、ずるがしこい奴、
妙なことを思いつく発明家に豹変する。
目の裏側を見つめる。
闇の光彩を追う。
異界との間でゆらぐ目になる。
他界からのまなざしで見つめる。
自分のサブボディにふさわしい異貌の目を発見する。

7.脊髄関節を解く

これらの最も基礎になるのは、
脊髄の百丹三元と六道ゆらぎである。
その他の部位の隠れクオリアは必ず、
脊髄の隠れクオリアと結びついている。
それらのクオリアを制御する隠れ神経をよみがえらせる。

胎蔵体への変成

以上の習得には長い修練がいる。
だが、これらすべての隠れ関節、隠れ筋肉、隠れ神経を
解放できれば、万機をたたえたからだに変成する。
万機のクオリアをたたえたまま、任意の姿勢でゆらぐ。
異界とこの現実の間でふるえる一枚の薄膜になる。
なにが起こっているのか外からは見えない。
だが、無数の見たこともないクオリアが出てきたがっている。
それら自全内のすべてのクオリアを引き連れて歩く。
胎児期の胎像流や生命記憶のクオリアが
すべて秘められている。
胎蔵体と名づけた。
胎蔵体は次の透明体への基礎である。

透明体

胎蔵体の万機のクオリアをすべて制御し、
発現の最適速度とタイミングを身につけると、
即興の場であれ、振り付けの踊りであれ、
からだのどこからでも見たこともないクオリアが飛び出し、
その場に応じて即興的に無限変成する
極上のサブボディになる。
さらにサブボディの序破急、図地兆、
花と謎を開示する技法を身につければ
からだの闇で何が起こっているかを
透明に見せうるからだになる。

それが透明体への長い修練の道である。

続きを読む
4月21日

4月コースが始まって2週間が過ぎた。

各国から集まった生徒は、
自分の命に
「なにをいちばんやりたいの?」
と問いかけながら、
これまでにやったことも見たこともないような
奇妙なからだの動かし方をつうじて
からだの闇に折りたたまれている
かすかな命の息吹を探り続ける。

この探索から、一月後にどんなユニークな
サブボディが出てくるか、楽しみにしてください。

(追記)
3月コースの信次のビデオを編集しなおしました。

2007年4月15日

サブボディが分娩される瞬間

信次はここに来るまで、書物を読む暮らしに没頭していたという

共振塾のサイトを知ったのも、
アーネスト・ロッシの『精神生物学』
という書名を検索したところ、
真っ先にこのサイトが引っかかって出てきた事をきっかけとして
いる。
サイトのリンクページに掲載している人の本もほとんど読んでい
て、
あまりに読書傾向が似ているので気になっていたという。
ここで信次は本を捨て、
からだの闇の中で蠢くものの気配を手探りで探り続けた。
二週目の終わり頃に、
なんだかサブボディのようなものの気配に少し触れ、
本ではなく自分のからだの微細なクオリアを読むこつを掴んだ。
月半ばで、生徒固有の原生夢に成りこむ授業をしたとき、
信次は学校の運動会前の異様な緊張の夢に入った。
運動会で勝ちたい、勝たねばならない
という気持ちで満ち満ちている。
ところが、当日の出走直後からだが変になり、
思ったように動けなくなる。
いったいどうしたことだ?!と囚われているうちに
気がつけば他の子は皆ゴールインしているという夢だった。

信次はそれ以後の二週間、その原生夢の体感を探り続けた。
いつも外側からの見えない力との緊張の中にいる、
独特の世界像と自己像のきしみの体感を感じ続けて
ほとんど身動きもできない状態が続いていた。
何か、大きな殻に閉じ込められた卵の中のサブボディが
殻に抗って息づいていた。

最終日のサブボディシアターには、生徒の知人ら少数の人が
観客となって見に来た。
観客と自分との見せる=見られるという関係の中で
緊張は極点に達した。
踊り始めてしばらくはからだの声を聴き続けていた。
そして、突然大きな力に奮い立って「ようし!やるか」と
思い切り両足で地を踏んだ。あまりに強く踏んだ反動で、
バランスを失し後ろに転がった。
地がなにかを信次に伝えた。
「地と共振せよ!」
そう叫んだのかもしれなかった。
転んだ瞬間に何かが破れたという。
卵の厚い殻を破ってサブボディがこの世に出てきた。
信次のからだの中から、それまで見も知らなかった
異貌のからだが躍り出てきた。
瞬間的にいくつもの異様な形相がほとばしり出た。
と同時にそれまで殻に閉じ込められていたさまざまな情動が
あふれだしてきた。
情動が出てきたら、それを微塵に微分して味わいつつ動く
という授業を思い出したがそんな余裕もなかったという。
ありがとう、ありがとう、サブボディってすごい……
と声を立てて泣いた。
その場に居合わせた人は皆異様な感動に襲われた。
生まれてはじめてサブボディが分娩される
瞬間に立ち会えたのだ。
わけの分からない神聖な感動にその場が包まれた。

ビデオには命が感じている微細なクオリアのふるえまでは映らない。
ただ、分別の目ではなく裸の命になって見れば自分の中でも
何かが共振してふるえだすのが分かるはずだ。

信次はまた月を改めて再び来たいという。
そう、サブボディの自全の旅は始まったばかりなのだ。

信次のビデオを見る
2007年4月21日

六道ゆらぎ

静寂体になる

できるだけ静かなからだになる
微細な動きをするためには、
まず、静まることが大切だ。
静を知らなければ動が何であるかわからない。
そして、不動もまた動きであることを知る。
最初はなかなか静かなからだになれないものだ。
それでいい。徐々に慣れてくる。
慣れれば即座に静まれる。
そうなれば、静寂体を身につけたことになる。
ここでいうゆらぎとは、いわゆる動きではない。
静と動のあいだでゆらぐことである。
生と死の間、この時空の現実と非時非空の幻界との間の
どちらにも属さない妙間に棲む存在になることである。
このゆらぎの練習は、次の六つの種類に分けて身につける。
どのゆらぎも、三次元方向のいずれにも開いていく。

1.ゆらぐ

からだの各部があらゆる方向にかすかにゆらぐ。
つねにじぶんが制御できる最小のゆらぎを身につけていく。
慣れるまでは、水平、矢状、戸板の三次元方向にゆらぐよう
意識的にゆらいで見る。
日常体は、どれかの次元方向には対応できるが、
どれかの次元方向の動きは忘れているものだ。
新しい可能性に触れるとからだは必ず
新鮮な快感を覚える。
この<鮮快>がこれからの長い旅の、
最初の相棒になってくれるはずだ。

2.ふるえる

からだの各部が小さくふるえる。
あらゆる次元方向にふるえてみる。
自分ではなく何か別の力によって
ふるわされていると感じる。
ふるえの体感を味わう。
ふるえのクオリアは生命にとって
不可知の長い秘められた歴史を持っている。
予想もしない時代の生命の世界に連れて行ってくれる。

3.うねる

からだの各部がかすかにうねる。
うじ虫や蛇の動きだ。
あらゆる次元方向にうねり、くねる。
くねりとは、二次元方向のうねりに、
三次元方向の力が加わり
波動に螺旋がまじるうねりをいう。
しばらく続けていると
からだの原始的な生命感がよみがえってくる。
各時代の見知らぬいきものの体感がしみこんでくる。
各動きを<鮮快>を感じられるまで続ける。
なかには自分のサブボディに未知のつながりを持つ
<深快>に導かれるかもしれない。
そういううねり・くねりが見つかったら
大事にとっておく。

4.ひきつる

突然、短い動きがからだを走る。
生命が予期せぬ事件に出会ったときの
原生反応は、身を縮め危険から身を引くことだった。
突き動かされたり、驚かされたり、
予期せぬショックに見舞われる。
不随意の感覚を楽しむうちに、だんだん、
自分のからだではないように感じられてくる。
生命体が40億年を生き延びる間には
じつにさまざまな予期せぬ出来事に出会ってきた。
アクシデントに対する原生反応には、
生命の長い歴史が刻み込まれている。

5.こわれる

からだの一部が自由が利かなくなる。
弱り、衰え、不自由になっていく。
自分ではなく誰かに動かされる。
地球の重力が突然重くなる。
全身がばらばらになっていく。
死を眼前に感じる。
瀕死のクオリアにゆらぐ。
生命はいつも生と死のあいだでゆらいでいる。
600兆の細胞の今日身体である人間のからだでは
毎日何百万という細胞が壊れ、死に、また生まれ出ている。
死は生命にとっては恒常的な出来事のひとつなのだ。
衰弱体とは、この崩壊寸前のからだを
命がけで持ちこたえることである。

6.死の側から見つめる

からだの一部が死んでしまう。
無機物に変成していく。
気味の悪さが伴う。
じょじょに全心身が死滅する。
死体となって死の側から、この世にまなざしを向けてみる。
生きたまま死を味わうことで、
生とは何か分かる。
生の世界はまばゆいばかりのクオリアに満ちている。
生きとしいけるものはみなこのクオリアと豊かに共振している。
だが、死者はこのクオリアと共振することができない。
その落差の間で存在ごとゆらぐ。
自分でゆれるのではない。
なにものかが死体をゆらす。


7.六道ゆらぎ増幅


1から6をくりかえしつつ増幅する。
繰り返すたびに、動きのサイズが大きくなったり小さくなったりする。
間合いや順番がランダムになる。
あらゆるサイズ、方向、リズムの六道ゆらぎを味わう。
そのうちその日のサブボディにもっともふさわしい
ゆらぎが見つかる。
自分ではなく誰かに動かされているからだになる。

8.すべてのチャンネルで六道にゆらぐ

動きのチャンネルでの六道ゆらぎが身についたら、
映像チャンネルや、音像チャンネル、
感情チャンネル、関係チャンネル、
世界チャンネルなどを次々と開き、六道にゆらぐ。
映像チャンネルでは、
湯気や煙や泡などさまざまな視覚イメージが
六道にゆらぐことを想像しながらゆらぐ。
音像チャンネルでは、
体腔音が六道にゆらぐことから始める。
感情チャンネルでは、
たとえば悲しみと怒りの間でゆらぐ。
期待と落胆の間でゆらぐ。
名もない情動と表情の間でゆらぐ。

9.八覚内外向覚六道ゆらぎ共振

たとえば関係チャンネルでは、
ほかの人の動きが移る。
ほかの人の動きが目に入ったら、伝染されてみる。
自分ひとりでやるときは、想像上の生き物に
動かされていると想像するのがいい。
やがてそいつが仲のよい友達になってくれる。
生き物ばかりではなく、
外界の木々のゆらぎや風や音に共振してゆらぐ。
想像上の無数のゆらぎと共振してゆらぐ。

10.透明ゆらぎ

自分の意志で動くのではなく、
ただあらゆるものと共振しながらゆらぐ
誰のものでもないからだになっていく。
内外の境界も自他の境界もなくなった
透明なゆらぎに変成するまでゆらぎつづける。

宇宙はただただ、無数のゆらぎに満ちている。
宇宙そのもののゆらぎに転生する。
2007年4月18日

クオリアは命と共振的に生成する

クオリアがそれに似た他のもの、たとえば
情報やイメージと根本的に異なるのは、
それが命と共振的に生成するという点にある。
だから、情報はコンピュータなどの機械にも扱えるが、
クオリアは命にしか扱えないのだ。
機械は重力とも光とも相互作用しているが、
重力のクオリアも、光のクオリアも感じることはない。
それを感じることができるのは、
生命だけだ。
40億年前に発生して以来、
生命はあらゆるもののクオリアを
共振的に生成し続けてきた。

共振的生成という原理は
これまでの近代の知にはなかったものだ。
自我意識モードでいると、決して気づけない。
だから、意識モードで研究している科学者は
誰一人この事実に取り組んでいない。
だが、アーノルド・ミンデルだけはさすがだ。
最近の『Quantum Mind』や
『身体症状に<宇宙の声>を聴く』を読めば
この原理に気づいていることが分かる。
彼自身よほど深く下意識モードに
入る修練を積んできたことがわかる。

サブボディ・メソッドには、
誰にも<共振的生成>を実感できる
ひとつの実験がある。

何らかのクオリアが命に近づいてくる

ペアで行う。一人は座る。
もう一人が指先を鋭いナイフの形に尖らせてゆっくり
相手のからだに突き刺すように近づいていく。

1.鋭いナイフのクオリア

受け手の命は、それが指だと分かっていても、
ナイフに突き刺されるクオリアを増幅して
かすかな恐怖や痛みのクオリアをからだに感じる。
命がナイフに突き刺されるクオリアを
共振的に生成することが分かる。

2.フェザータッチのクオリア

次は、やさしい母の手になる。
フェザータッチの手がゆっくり近づいてくる。
命はお母さんに撫ぜられているクオリアを
共振的に生成して和む。

3.暴力的なこぶしのクオリア

こぶしになる。こぶしがゆっくり近づいてくる。
どんなにゆっくりしたスピードでも
命はそのクオリアを増幅して反応する。
からだが硬くなり、防御に備える。
ショックさえ予行的に感じる。

4.ストレンジな生き物のクオリア

パートナーが奇妙な生き物に変身して
ゆっくり近づいていく。
命は何が起こるのか分からず、
未知の恐怖に反応して、
さまざまなクオリアを生成する。

この実験ののち、ゆらぎ瞑想などで
サブボディ・モードになる。
何らかのクオリアの微細な端緒を
からだの一部でキャッチして、
その部位から体全体に波及させていく
リゾーミング・テクニックを用いて、
任意のクオリアを身にまとうことができることを知る。

このサブボディメソッドの変容技法に習熟すれば、
任意のクオリアに脳心身全体で成りこみ、
あらゆるものに変成することができる。

<成りこみ>の技法の理論と実践技法を
ほぼ解明することができたことになる。

昔「伝染熱」などの自分の踊りで起こったことを
人に伝え、教えることができるようになるまで
ちょうど十年かかった。
土方が<成りこみ>を生徒に振付けだしてから
数えると40年だ。
からだの時間とは、こんなものなのだ。
一朝一夕にはいかない。
だが、必ず進むのだ。



大脳皮質は6つの層からなる。

Ⅰ~Ⅲ層の言語活動を止め、Ⅳ~Ⅵ層の、感覚系と運動系だけが
活性化している状態を作り出すのが、サブボディ(下意識)モードである。
2007年4月17日

言語意識を止める

4月コースも二週目に入った。
第二週目からは、より深いサブボディモードに入る。
そのためには、言語脳の活動を最低限にまで低下させる
ことが必要となる。
生徒に二週目からは
最小限度しかしゃべらないように伝えた。
朝も、「おはよう」とことばを交わす代わりに
からだで共振を感じることにする。
授業中もことばでの質問を控えて
からだで感じ取ることに徹する。
さいわい、今月の生徒は全員インド各地で
ビッパサーナ瞑想を体験し、
10日間の無言の行を経てきているので、
抵抗なく受け入れてくれた。
(もちろん、無意識にことばを発してしまうことは
あい次いでいるが、第二週は第三週以降の
より厳格な無言の行への移行期間と位置づけ、
厳格な禁止はしない。)

右脳では、クオリアを使用して活動している。
クオリアとは、命が感じているものすべてのことだ。
人間以外のすべての生き物もクオリアを感じている。
(クオリアを理解していない脳学者は別の言い方をしている。
「全体的な把握をする」、「イメージで捉える」など。
だが、命とクオリアとの本質的な関係を捉えずに
脳の営みが分かるわけがない。)
そして、左脳の言語野でクオリアを言語に変換する。
わたしたちの脳は、言語を使用するときに
左右脳の連絡を膨大な量で行い、
大量のニューロンの同時発火を必要とする。

サブボディモードとはこの左右脳の頻繁な連絡を低下させ、
ただ、脳がクオリアを感じているままの状態に
なることを意味する。

わたしたちの大脳皮質は上図のように6層からなる。

第Ⅰ層は、汎用のワーキングメモリ、
第Ⅱ、Ⅲ層は左右脳の連絡、
第Ⅳ層は、感覚系
第Ⅴ、Ⅵ層は運動系である。

(図は、センタゴダイ(1978)による。西宮鈜『多時空論』より重引)

サブボディモード(下意識モード)とは、
大脳皮質の6層のうち、
第Ⅰ層から第Ⅲ層までの活動を低下させ、
第Ⅳ層から第Ⅵ層の、感覚・運動系のみが
うっすらと働く状態に保つことである。
言語機能が活性化すると、左右脳の連絡をはじめ、
6層すべての膨大なニューロンの同時連結発火を必要とするが、
それを低下させ、普段下意識が処理している、
かすかなクオリアのみを感じ取るようにする。
下意識は、意識状態に比べ、
格段に(おそらく何百万倍も)少ないニューロンの同時発火で、
24時間膨大な種類のクオリアを処理している。

何百万倍もの格差があるため、
ひとたび言語機能が活性化してしまうと、
マスキングによって、下意識が感じているかすかなクオリアを
感じ取ることはできなくなる。

ゆらぎ瞑想を通じて、思考チャンネルを休め、
体感、運動、映像、音像などの基本チャンネルだけが開いた状態に保つ。
それが透明心身状態にいたる基礎である。

おそらく、伝統的な瞑想や、自己催眠状態も、
微細な差はあれ、この下意識モードに入ることは共通している。
下意識モードにも、言語機能が少し低下した
いわゆるすこしぼんやりした状態から、
半眠半覚の朦朧状態まで、各種の程度差がある。
サブボディメソッドでは、まず、最初の
言語機能を低下させることからはじめる。

日常自我を去る

日常体では、無意識裡に言語脳が働く。
知らないうちに何かを考えていたり、
自己批判をしたり、善悪判断をしている。
これらの自我が頭をもたげてくる瞬間をチェックし、
その都度、なだめる。
「やあ、自我君、
君のことはよく知っている。
日常生活では、大事な役割をしていることもね。
でも、いまは出番じゃない。またあとで。」
と、そっと挨拶して別れる。
念を継がないことが、大事である。

自我が頭をもたげてくる仕方には、法則性がある。
いい・悪い、上・下、内・外、敵・味方、自分・他人、
などの二項論理が第一の特徴である。
二項論理は、複雑な多次元世界を変容流動しているクオリアを、
日常意識に分かりやすいように、
複雑なありようを、単純に二分して簡略化して世界を了解する仕方である。
その簡略化によって、日常世界は必要以上の複雑な思考なしに
営むことができる。
だが、多次元を流動するサブボディの世界に入り、
そこで起こっていることをありのままに触れるには、
この簡略化する二項論理は使いものにならない。

自我の第二の特徴は、無意識の言語思考を伴うことである。
すべての言語は、そのことばで意味するものと意味しないものを
区別する二項論理を基礎にしている。
わたし、ということばは、それ自体で、
わたしではないものを除外する二項論理によって成り立つ。
言語は骨の髄まで二項論理と一体化している。
したがって、言語で考えることを止めねばならない。

自我の第3の特徴は、
いつも暗黙裡に「わたし」という主体を前提としていることである。
「腹が立つ」と感じたら、それは「わたし」が、
わたしの意向に沿わない外界の出来事に腹を立てているのである。
「分からない」と感じたら、
それは「わたし」の日常的な思考法の枠外にある事柄に触れたため、
自我が拒否反応を示しているのである。
なにかを「言い訳」することばが立ち込めてきたら、
それも「わたし」を正当化し、日常的な安心を保つために
無意識裡に自我が行う常套行為である。

このような自我の表れをその都度チェックし、
「またきたね』と挨拶し、すぐさま別れる訓練を積む。
いくら訓練しても、自我は意識だけではなく、
無意識から頭をもたげてくるので、意識では制御できない。
ただただ、その都度気づいて、念を継がないことによってだけ、
自我に囚われることから免れることができる。

これは長い道だ。
とくに自我が、強い情動とともにこみ上げてくるときは、
意識では制御不能になる。
そうなれば、ただただ、
情動の原因となるものから遠ざかる以外にない。
日常生活の中から、情動を刺激する要因を
なくしていくように生活の再編集をし続ける必要がある。


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2007年4月13日

原生夢という宝庫

これまでに見た夢の中で、もっとも印象に残っている夢、
何度も繰り返し見た夢を原生夢と呼ぶ。
そこにはその人のもっとも固有のクオリアが詰まっている。
固有の体感、固有の世界像と自己像が凝縮されている。
サブボディにとっての、もっとも大きな導きの一つだ。

普段は2,3週目に行う、原生夢に入る練習
今月は1週目の金曜日にもってきた。
3月のコースのほとんどの生徒がこの原生夢から
サブボディ・ダンスの強いモチーフをつかみだした。
その可能性をもっと探りたかったからだ。
(詳しい内容は先月のジャーナルにも書いたばかりなので、
その記事か、実技ガイドの「ドリームボディ」を見てほしい。)

なにより、原生夢で味わう体感や世界像は、
世界でたった一つの、その人固有のものだ。
そこには、胎児期やそれ以前の生命の歴史で刻印された
原生的なクオリアが折りたたみこまれている。
どんなに奇妙なものでも
それを踊るときは、自分固有のものを
踊っていると感じることができる。
ある生徒は、原生夢の踊りを探る
30分間の個人探体の時間に、
とても自分であるという
安らぎを感じたという。
そう、そこはまさしく自分だけの
秘密の非時非空だからだ。
人は誰もがそういう秘密の次元を持っている。
だが、今の社会の日常では、そういう世界に入ることの
大事さがすっかり忘れられている。
だからこんなに、自分自身の命からはぐれてしまった
カラダばかりが右往左往しているのだ。
自分を取り戻すためには、
その自分固有の秘密の時空と親しく生きることが大事なのだ。
そして、その中で必要となる動きが独特なものであるほど、
必要とする動きやその他のチャンネルのテクニックを
自分で発明するしかない。
それがどんなものであるかは自分しか知らないのだから
誰に遠慮する必要もなく、自分独特のものを発明すればいい。
ある生徒は、ジブイリアニメの『千と千尋の神隠し』にでてくる
妖怪のようにするりと窓から外に出たいうイメージを持った。
自分独特のイメージで動けるようになるまでには
時間がかかるが、自分だけのテクニックを
編み出す時間だ、いくら掛けても惜しくはない。
サブボディダンスの世界には、
この世の定型的なダンスにないテクニックを
発明する余地が無限にある。
とくにサブボディの場合、
動きだけではなく、八つのチャンネルをすべて使う。
顔の動きや目の動き、体腔音の使い方、
関係像や世界像の創り方など、世の中のダンスには
まだないテクニックばかりだ。

ドリームボディになりこむ前に、
百丹三元ブロック・リリース」、
八覚リゾーミング」、
八覚リゾーミング・ブロック・リリース
などの練習をしておくのがいい。
からだの各部のどこでも、あらゆる次元方向に動けること、
どの部位からでも、からだ全体の動きを率先して
はじめていけること、どの部位からでも八覚のあらゆる微細な
クオリアのサブシグナルをつかんで八覚いずれかのクオリアを
リゾーミングで増幅していけること、
などをからだに覚えこませる必要があるからだ。
これらの練習を十分にした後のからだは、
日常体の規矩から解き放たれた、
みごとに味わい深い生命の動きに豹変する。
特に今週の生徒は、これまでに「ビッパサーナ瞑想」などの
経験を積んできた生徒が多く、
そこで体験したからだの各部を微細に観察していくという作業を
動きの中で、さらに発展した形で行えるので、
とてもいい自全の旅ができたと語った。
それもあってか、今日も1週目にしては、
なんとも濃い動きが続出した。
これから先どこまでいけるのかが楽しみだ。


2007年4月11日

潔くダンスのからだを脱いだセンタ

スイスから来たセンタは、
5歳からバレエ、モダンダンスを学び、
ニューヨークでも学び、
長年ドイツのダンスシアターで活躍している振付家・ダンサーだ。
それが、ここへきて、
それまで身に着けてきたダンスボディを脱ぎ捨てた。
こんなに潔く脱ぎ捨てた人は今までに知らない。
いくらダンスをそぎ落とそうとしても、
大概、無意識のうちに
からだに染み付いたダンスが出てしまうものだ。
センタは一瞬一瞬それをきびしく禁じていた。
からだの闇のか細い声を聴いて踊りにすることなど、
はじめての新鮮な経験だったという。
体感や情動のゆらぎや、からだから出てくる体腔音などから、
踊りを創る体験が楽しくて仕方なかったようだ。
終わってから聴けば、昔からやってきたダンスの世界では
いつも本当の自分はここにいないと
違和感を抱き続けていたという。
だから、ネットでここを見つけたときは、
きわめて精確に今の自分に
もっと見ふさわしい場所はここだ、
と共感したという。
サイトもよく読んで灰柱歩行など
かなりのことを自分で予行演習してきてくれた。
最終日に彼女が到達した動きは
ただただこの世と、別の異次元の間で
ゆらぎ、ふるえている薄膜のような
繊細で透明な踊りとなった。
ここで学んだメソッドをドイツで教えてもいいかと
たずねられた。
「もちろんだとも、著作権などサブボディの世界にはないからね。
大歓迎だよ」とこたえた。
もちろんたった一ヶ月では、入り口をくぐったに過ぎない。
また、近いうちに時間を作ってくるという。
待っているよ。センタ。

センタのビデオを見る

2007年4月10日

多細胞共振体になる

昨日は4月コースを単細胞瞑想から始めた。
ゆらぎ瞑想のなかで、
もっとも気持ちのよいゆらぎを見つけ、その中で、
自分の命に何が一番したいかを問いかける。
最初は命といっても自分の中のどこにあるのか、
どんな感触のものなのかも、分からない。
命とは何なのかも見当がつかない。
この問いは一月繰り返し問いかけ続ける。
一ヶ月のうちにはなにか重大な気づきがやってくる。

単細胞になる

単細胞瞑想の入り口は、
人間として誕生する以前の胎児時代の
自分になりこむことからはじめる。
まだ自分が人間だと知らなかったころから
わたしたちの命は息づいている。
胎児時代のことは意識はすっかり忘れてしまっているが、
からだは覚えている。
ゆらぎ瞑想が気持ちいいのは、
胎児のころ10ヶ月も心地よいゆらぎの中で
まどろんでいたからだ。
誰の命にもその心地よさは刻印されている。
胎児時代、わたしたちの命は、
受精直後の単細胞から、
生物の系統発生をたどりなおし、
さまざまな生物の形を経ながら
人間の胎児にまでたどりつく。
個体としての最初の単細胞以前も、
わたしたちの親やその祖先は皆
多細胞時代と単細胞時代を繰り返してきた。
それは30億年前までさかのぼれる。
そして、それ以前は完全な単細胞の時代だ。
分裂や連合によって命をつないできた。
最終的に40億年前の最初の生命にまでなりこむ。

最初の原始生命がどんなクオリアを感じていたかを想像し
それになりこみ感じてみる。
重力、光、空気、音、風、波、どんな単細胞生命でも
みなしっかり感じ取っている。
生命の増殖にに必要な食べ物となる分子と、
命に危険な分子も感じわけ、
ちゃんと危険から身を遠ざけてきた。
それができたからこそ、命は今日まで続いているのだ。

多細胞共振体としての生命

今日は、昨日の単細胞に続いて、多細胞生命になりこむ。
10億年前に生命は、多数の細胞が共同して生きる道を発明した。
それは生命史上最大ともいえる発明のひとつだった。
それ以後無数の生物の形態に多様化しえてきたのも、
多細胞が共振して生きる道を発明したことによっている。
そう、何らかの仕方でそれぞれの単細胞は、
一個の生命としても生きる画期的な方法を発明したのだ。
それは、生命共振によっていた。
互いに発する生命のリズムをキャッチし、
そのリズムに互いに同期し、共同する道を見出したのだ。
多細胞共振体となって以降の生物は、
内部に無数のシステムをこしらえ、
システムとシステムがさらに共振しあって
一個の全体的生命を維持することに成功してきた。
現在のわたしたちは、600兆の細胞からなる
膨大な共振体だが、生体内のさまざまなシステム、
消化システム、呼吸システム、循環システム、
免疫システム、内分泌システム、神経システム
などが絶妙の共振を見せて共振して生命を支えている。

まず、その叡智に驚くことだ。
畏怖なしに生命に触れることはできない。
からだの中の各個の細胞が
それぞれ別個の傾向をもって動きながら
なおそれらが共同している。

今日はまず、
百丹三元の練習で
からだの各部が三次元方向に動きうることを
からだで感じた。
まず、日常の制約から解き放ち、
各部がそれぞれに動く自由も傾向も持っていることを知る。
その上で、各部がどう動きたいか、
命の傾向に耳を澄ませながら蠢いてみる。
自分が人間であることなど忘れないとそんな動きに入れない。
そして、からだの各部がそれぞれどんなクオリアを感じて
動いているか、生きているかを味わう。

人間としての日常体の動きの大きさや速度を脱ぐ。
各部の多細胞がそれぞれに感じている微細なクオリアを
味わいつつ動く。
それはほとんどゆらぎやふるえやうねりなどの
些細な動きにしかならない。

人間のまなざしを脱ぐ
  サブボディ=コーボディ劇場


だが、それができれば、
その動きは生命としてとても味わい深いものになる。
今月の生徒はわずか二日目にしてそれに取り組み、
味わうことに取り組んだ。
人の動きを見るときも、人間のまなざしではなく
半眼の夢見心地で見る。
そこで動いているのは、ほかの人のサブボディでもあるが、
自分のサブボディでもある。
サブボディは同時に
共振するサブボディであるコーボディでもあることを知ることができる。
自己と他者という日常体の悲しい分別知を脱げる場所。
これがサブボディ=コーボディ劇場である。
自我に囚われた人間のまなざしを捨てたとき、
わたしたちは生命としての
共振のまなざしを回復することができる。




2007年4月8日

悪夢の踊りから立ち上がる透明さ

育子は、この3月コースのある夜、三本立ての悪夢に見舞われたという。
友人が死ぬ夢、女性が異形の生物を出産する夢など、
とても濃い内容だったという。
かつてより、人を殺める夢に襲われ続けている彼女は、
それらの悪夢に襲われおびえる自分と、
悪夢を見させている夢の創造主の世界に降り立ち、
襲い掛かる側の異貌の妖怪にもなりこんで踊った。
すると、どちらもわたしたちの命のゆらぎから
立ち上ってくるものであることが透明に透けて見えだした。

育子はここへ来はじめてから5年になる。
このプロセスには終わりがないが、
踏み込めば踏み込むほど、
自分の全体の闇が少しずつ少しずつ透明になっていくのが見える。
よい/悪い、美しい/醜いなどの日常世界の意識の囚われを外して見れば、
サイトの読者の方にもなにかが透けて見えるはずだ。
自全の旅は誰にとってもまだ始まったばかりだ。
だが、確かにここでは何かが始まっている。

育子のビデオを見る:

2007年4月6日

異界転生者として生きる

今年の3月コースは、かつてないところまで
踏み込むことができた。
サブボディの旅をした生徒が、
からだの闇から襲い掛かってくるエッジに
追い詰められながらぎりぎりの力で
立ち向かって行ったことが、
最終日のサブボディ劇場の
深い花と謎となって咲いた。

信次が、渾身の力で地を踏み、地に転がされることで、
一気にそれまでのためらいを振り切り、
自全を泳いだ。
感極まって泣いた。
ひとつのエッジが破れるとき、
わけのわからない情動がこみ上げる。
そういう普遍的な命の震えに触れると誰の命も共振する。
わたしの鬼の眼にも何十年かぶりに涙がにじんだ。
居合わせた誰もがそれに震撼させられた。

センタは、それまで長年生きてきた
ヨーロッパの自分のダンスを殺して、
ただただ、微細にゆらぐ命のクオリアを追いつめ踊った。

マリアは、ここ何日間かのブロックを跳ね除け、
石とテーブルと樹とのかかわりのなかで
つながり欲と自己実現欲が渦巻く、自全を踊って見せた。

育子は、第3週の悪夢に追い詰められるサブボディから、
第4週では、その夢の主に化身して、
追い詰められる自己像と、
追い詰める妖怪の世界像の双方に転生してみせた。
命のゆらぎの非二元世界に降り立ち、
そこから世界と自己の二元世界の双方が立ち現れる
微妙なクオリアのしるしをつかんで、
からだごと成りこんでいくクオリア遣いとなった。
「うまいぞ、うまいぞー、食らえぇー」と追い詰める姿は、
魔女の化身かと思わせた。
魔女や、シャーマンや優れた宗教者や芸術家は
みな屈指のクオリア遣いだったろう。
命が生死のほとりで震えているところまで
降りなければその力は得られない。

育子は人を殺めてしまう悪夢を見続けるという。
おそらく、殺人衝動とは、胎児期の生死の体験に根ざしている。
人間がなにかの事情で、
自分の命が殺されかけているという
強迫や妄想に追い込まれたとき、
その妄想のクオリアは、命の暗部に折りたたまれていた、
分娩体験の恐怖のクオリアと共振する。
グロフの言う胎内第3期の、子宮収縮が極まって
胎児が出口なしの生死の境に追い込まれたときの
生物学的な衝動のクオリアと共振して発生するものだ。
それまで10ヶ月、安穏だと信じていた母胎世界が
突然恐ろしい殺人機械に変貌する。
そのとき、胎児の命は、殺されるのはいやだと
それまでの安逸世界だった胎界の羊水膜を蹴破り、
母胎世界を殺してでも出ようとする。
誰もがこの胎界第3期を体験し、
からだの奥にそのクオリアを秘め持っている。
それを忘れていられるのは、たまたま、人生で二度と
そういう殺し殺されかける妄想の極限にまで
追い詰められなかったまでだ。
「心のよくて人を殺さずにはあらず」
機縁さえあれば殺したくなくても何千人でも殺してしまうものだ。
という歎異抄の親鸞の言葉はそれを告げている。
わたしは、インドでの学校建設のストレスによる神経症のさなかに、
得体の知れぬ殺人衝動に何度も見舞われた。
その殺人衝動は、
胎児期の命の生物学的衝動と共振して生起している
と捉えてはじめて、理解可能なものとなった。

わたしもまた、自分の命が
自らなじんでいた関係世界が、自分を殺そうとしていると
妄想させられるまで追い詰められたとき、
数多くの関係を殺して脱出してきた
殺人鬼であることを知っている。
自我は毎日それを言い訳するが、
ただただすべてを肯定するしかないのだ。
追い詰められれば命は、
無限回でも死地を脱出する殺人鬼となる。

自分の命が殺人鬼であることを受け入れ、
人間の衣をかなぐり捨てて、
異界の転生者となることによってのみ、
人々に日常の桎梏から飛び立たせる生の可能性を
告げるクオリア遣いとなれるのだ。



2007年4月5日

クオリア遣いになる

今日はたまたま、生徒のうち外国人がすべて
欠席し、日本人の育子と信次だけのクラスになった。
何年かぶりに日本語で授業を行った。
すると、日本語では普段英語の授業では言えない
微細なニュアンスまで伝えることができる。
いかにわたしの乏しい英語では大まかなことしか
伝ええていないかを痛感した。

だが、日本語でやったおかげで、
これまでにない微微細なクオリアを使いこなす
八覚リゾーミングの新しい段階に入ることができた。
この練習を身に着ければ、生命しか感じ、使うことのできない
クオリアを自在に呼び出し、からだごと成りこんでいける
<クオリア遣い>に変容する。
これまででもっとも深い練習を技法化することができた。


八覚リゾーミング

体底呼吸からはじめる。
体底を締めたとき、
そこに何らかのクオリアのかすかな兆候を感じる。
それを思い浮かべるだけで、
すでにからだは微妙な変容を始めている。
クオリアは瞬間共振するのだ。
そして、それを吸気とともにからだの他の部分に広げていく。
やがてからだのすべてがひとつのクオリアに満たされたら、
呼気とともにそのクオリアがからだから抜けていくのを感じる。
これを一呼吸ごとに八覚のいずれかのチャンネルでおこない、
つぎつぎに次のチャンネルに移っていく。
この練習は、これまでに3週間で行った、
呼吸、微速動探体、百丹三元、リゾーミング、
7つのリゾーミングなどの練習をすべて統合するものだ。
4週目の今日になってはじめて可能になる。

1.体感チャンネルのボトム・リゾーミング

息を吐ききり、体底を締める。
体底に体感チャンネルのなんらかのクオリアの
かすかな兆候を感じ取る。
たとえば重い、温かい、こわばっている、緩んでいる、
などのクオリアのどれかだ。
体底が重い、と思うだけでいい。
それだけで体底が重く感じられる。
そして、体底を緩め、吸気とともに
重いというクオリアを他の部位に広げていく。
からだ全部が重くなっていく。
そして、呼気とともにそのクオリアが
からだから抜けていくのを感じる。

2.運動チャンネルのボトム・リゾーミング

同様に、体底を締めると同時に
体底からなんらかのかすかな動きが始まっていく。
六道ゆらぎの順番に行うとよい。
ゆらぎ、震え、うねり、けいれん、壊れ、臨生の動き
を吸気とともに体底から立ち上らせていく。
そして、呼気とともにその動きがからだを通り過ぎていく。

3.映像チャンネルのボトム・リゾーミング

体底を締め、そこから何らかの映像イメージを思い浮かべる。
湯気が立ち上る、絹のショールがゆらめき上る、凍り付いていく、
虫が這い上がる、などなどお映像イメージが体底から
からだ全体に拡がっていく。
呼気とともにそのイメージが通り過ぎていく。

4.音像チャンネルのボトム・リゾーミング

体底になんらかのメロディーやリズムを持った
体腔内の音楽を感じる。
体腔音楽は外的音楽とは別の、生体内流動の音像である。
内臓の不規則な音、呼吸音、心音、血流音などの
総合された体内音楽がからだに満ちていく。
そして、呼気とともに抜けていく。

5.感情チャンネルのボトム・リゾーミング

体底になんらかの生体反応を感じる。
それがかすかな情動の色合いを帯びつつ
からだを立ち上る。
胸の辺りで意識にそれと分かる感情となり、
首から顔の表情、全身の動きへと広がる。
呼気とともにそれが抜け去っていく。

6.関係チャンネルのボトム・リゾーミング

体底に誰かとの関係のクオリアを感じる。
母、父、友、教師、隣人など
思い浮かべやすいクオリアからはじめるとよい。
慣れれば想像上の生き物や人物像との関係に発展させる。
吸気とともに、ひとつの関係クオリアに
からだ全部が満たされ、
呼気とともに過ぎ去っていく。

7.世界像=自己像チャンネルのボトム・リゾーミング

体底からひとつの世界像を思い浮かべる。
胎内世界、母子一体世界、家庭、学校、社会、
海中、密林、砂漠、異星など、任意の世界像でいい。
吸気とともに、その世界像と、
その世界の中の自己像になりこんでいく。
呼気とともにその世界は消えていく。

8.思考(気づき)チャンネルは、すべての作業の最後に
開いてくるので、ここでは練習する必要はない。

この技法を身につければ、
ありとあらゆる任意のクオリアを呼び出し、
それにからだごと成りこんでいくことができるようになる。
無敵のクオリア遣いへと変容する。
おそらく、今のところ、もっとも高度な練習のひとつだ。
ここまで来るには、これまで一月の練習をすべて
こなし、総合できるからだになる必要がある。

八覚リゾーミング・ブロック アンド リリース

八覚リゾーミングの次の段階は、
呼吸とともにひとつの八覚クオリアを
からだに広げていく過程で、
からだのどこかでそのクオリアが肥大し、
それに囚われることを思い浮かべる。
そしてそれにのり移られたからだになる。
からだの一部に折りたたまれているくぐもりが共振して
感じられたら、それを体験する。
そして、呼気とともにそのくぐもりが
抜け去っていくのを感じる。

ひとつのクオリアに囚われてしまうことと、
その囚われから解放されるクオリアを体験する。
ブロックか、リリースかの、
いずれかに、深い味わいを感じたら、
それにからだごと乗り込んでいく。
折りたたまれていた思わぬ自分の分身に出会うことができる。
そして、からだのどこからでも、
折りたたまれているクオリアを引き出し、
それに成りこんでいくことができるようになる。
そう、生命だけが感じ、使うことのできるクオリアを
自在に使いこなせる<クオリア遣い>に変成したのだ。

そして、最後に
あらゆるクオリアは時に自分を拉っしさるが、
時が来れば抜け落ちていくものであることに気づく。
この気づきのチャンネルが最後に開く。
もう、どんなクオリアに成りこもうとも
そこから引き返すことのできるからだになったのだ。


体位変換・八覚リゾーミング

上の練習は最初は座位で行い、
体底呼吸とともにボトムからリゾーミングが
始まることを練習する。
次の段階は、立位、中間位、臥位など任意の姿勢で
からだの任意の部位からひとつのクオリアが広がり、
からだ全部に及ぶ八覚リゾーミングを体験する。
体底から変容が始まるボトムリゾーム、
四肢の先から始まるエッジリゾーム、
腰や胸の丹田から変容が始まるセンターリゾーム、
頭から始まるトップリゾームなどが組み合わさっていくと、
これまでに味わったことも見たこともない、
面白い舞踏がからだの闇から立ち現れてくる。

微速動八覚リゾーミング・ブロックアンドリリース

さらに、ゆっくり微速動で姿勢を変えつつ、
そのプロセスを無数の細かい動きに切り刻み(=微分し)、
その一つ一つの動きの一瞬ごとに
八覚リゾーミング・ブロック・リリースを味わう。

1.寝転んで床の上をゆっくり転がる中で、
微速動八覚リゾーミング・ブロック・リリースを行う。

2.座位や低い姿勢から、
別の姿勢へゆっくり変化する中で
微速動八覚リゾーミング・ブロック・リリースを行う。

3.立位から、低い姿勢へ超微速動で変化しながら
(あるいはその逆の臥位から立位への変容)、
そのプロセスを微塵の細かい動きに切り刻み、
一瞬ごとに八覚リゾーミングを行う。

以上の練習方法で、1時間の探体を行う。
この探体ができるようになると、
練習プロセス自体が、すなわち、
思いがけない踊りに転化していくことに気づく。
探体即舞踏の境位にいたる。
いつどこでも、透明な舞踏が弾けはじめる。

その中で、自分の深いところにつながっていそうな
動きを見つけたら、その動きをしっかりからだに刻み込み、
何度も繰り返す。
同じ振り付けを何十回も違った状況の中で展開するうち、
そのサブボディは自分の盟友になる。
思わぬときに自分を助けてくれる生涯の友になる。


2007年4月4日

5年目の衰弱体

ひとりの生徒のサブボディが、衰弱体への変成を始めた。
この世とあの世の間で微妙にゆらぐからだが
現れ始めた。
ここへ来はじめて5年目になる育子だ。
この5年間ではじめてみせる劇的な変容だ。
先週の悪夢に追い詰められるサブボディが出始めたあたりから、
つぎはそれを死体で踊るように示唆してきたが、
こんなに早くサブボディが応答するとは驚きだ。
育子がこのクラスにきはじめた5年前の頃には、
わたしはまだ衰弱体への導き方など知らなかった。
ただ、生徒が自分のからだの闇から出てくる
必然的な動きをつかみ出すことだけを支援してきた。
3年前のワークショップのあたりから、
この輝かしいクオリアと共振に満ちた生の世界を
死者の目で眺めやる臨生のまなざしの練習を取り入れ始めた。
からだの各部があらぬほうにゆらぐ、
灰柱から、多次元ゆらぎのからだへと変成する技法も確立した。
だが、衰弱体への変成はサブボディにとって、必然的なときが
くるまでは課題とはならない。
型だけ教えて、その型が生きたからだに染み込んでいく
プロセスを待つというやり方があるのは知っているが
わたしはその方法をとらない。
衰弱体が孕む要素はあまりに多く、
そのすべてをこめうる型などないからだ。
それに、私自身のからだがもとより鋳型を受け付けない。
サブボディは鋳型に閉じ込められることを何よりも嫌う。
そのサブボディの自然につくよりほかに道はなかった。
鋳型の方法ではなく、
サブボディ自らが自らの必然として
これまで経験したことのすべてをかき集めて、
衰弱体を発明するときにだけ
これまでに誰も見たことのない
その人だけの衰弱体が現れる。
それこそ真の創造だ。
誰もがその創造の可能性を持っている。
自分の命にとってより深いクオリアを求めていけば、
生と死の間でゆらぐ衰弱体のクオリアに
行き着くのはひとつの必然である。
ただし、生涯のうちにその課題に触れ、
かつ挑戦することができる人はごく少数だ。
しかもその必然が時熟するには時間を要する。
たゆみない精進なしに到達し得ない。
土方巽でさえ戦後30年の歳月の果てにようやく
たどり着いた境地だ。
習い覚えたモダンダンスの自己解体と、
肉体の反乱にみる
動くからだの極限までの解放の後に始めて、
開示された異次元のからだだった。

ともあれ、2007年の4月4日は
ひとつの衰弱体が産み落とされた記念日だ。
4の4、死の死。
命がけで突っ立つ死体の誕生日としては
なんと似つかわしい日付けではないか。



2007年4月2日

ストリング瞑想から世界像=自己像往還へ

三月のコースも第4週目に入った。
せいとはこれまでに
ゆらぎ瞑想や、生命瞑想、内呼吸瞑想などを通じて
からだのなかで生きている個々の細胞が
感じている微細なクオリアに耳を澄ます
訓練をつんできた。

今週はさらに微細なレベルに聴きこんでいく。
はじめに、手持ちのカラビヤウ空間で
振動しているひも(ストリング)のイラストを見せる。
「これが今日のティーチャーです。」
多次元で振動するひもになりこんでからだを
日常体の制約からからだを解き放つ。
これにも随分の手数を踏んできた。
第1週は、からだの各部が三次元方向に
円を描いて動く練習からはじめた。
第2週はそれが、三次元方向に
クロスエイト(8の字が直角に交わる図)に
動く練習に進んだ。
第3週は、その動きが、
六道ゆらぎのバリエーションをもつ。
日常体のサイズや速度の動きではなく、
別次元の動きを体験する。
ごくかすかなゆらぎ、ふるえ、うねり、
けいれん、崩壊、臨死・臨生に至る。
そうしてじょじょに
日常体の束縛から自由になり、
異次元に出入りできるからだへと変容していく。
(実際にはこの練習ひとつでも
本当に身に着けるには何ヶ月、
何年もの練習が必要となるものだが)。

第4週は、八つのチャンネルで、
11次元で振動するひもになりこんで動く。
はじめからこんなことを要求しても誰にもできるものではない。
だが、ちいさなリップル(さざなみ)を重ねていけば
やがてからだは、ひも振動のレベルにまで
その自由度を広げていく。
振り返れば自分の日常体がいかに狭い制約に
閉じこめられていたかがよく分かる。
自分をそこから振りほどく長い旅だ。

今日はさらにこの後、
リゾーミングのバリエーションの練習を行った。
先週は体底からのボトム・リゾーミングの練習を行った。
体底呼吸とともに、からだの底から
微細なクオリアによる変化がはじまり、
じょじょに上部に伝わっていく練習だ。
リゾーミングにはこのほか、
からだのトップ(頭)から始まるトップ・リゾーミング、
からだの中心部から始まり四肢に差延していく
センター・リゾーミング、
四肢の先からはじまり、からだ全体に波及する
エッジ・リゾーミングなどがある。

そして、からだの任意の部分が任意の次元に動き出す
マルチディメンションの動きに発展させながら
40分の自己探体の時間に入った。

●世界像=自己像往還共振

午後からは、各人に個別のアドバイスをする。
悪夢に追い詰められる、
ドリームボディの自己像を踊った人には、
その自己像を追い詰めている世界像の方になりこんで
見ることをアドバイスする。
世界からの何らかの圧迫を感じている人には
どんな力が自分にこんな緊張をもたらしているのか
世界の力そのものになり込むことを勧める。
これらの世界像=自己像はともに
からだの闇の命の暗がりから立ち上っているものだから
任意に交換が可能なのだ。

といっても、そう簡単にからだがついていくわけでもない。
最後のサブボディ・コーボディシアターでは、
一人が自己像を動いているときは
何人かはその自己像になりこんで動き、
他の何人かは、世界像になり込んで動く。
今日はちょうど5人の出席だったので
2:3に別れて、常に世界像のグループと
自己像のグループが相関している劇場となった。

2:3という動きのルールは、
十年ほど前にアメリカの即興ワークショップから
学んだ好きなもののひとつだ。
それが、世界像=自己像の両チャンネルを開く
練習にうってつけであることを発見した。
どんな練習にもそれをする最適のタイミングがある。
最適の練習がさざなみのようにつながっていくように
按配するのがリップルメソッドだ。
そうすればもともと共振してるサブボディは
どこへでも無理なく展開していける。

この2:3の世界像=自己像相関を見て、
あるいは体験して、共振とはどういうものか、
ほかの人の動きに共振して動くことの
新鮮な体験とはなにか。
生徒の多くが新しい発見を手にしたと
感想を述べた。


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