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| 2007年7月 |
| 2007年8月5日 ●サブボディとコーボディの不思議な混淆 サブボディ共振塾 7月第3週のサブボディ=コーボディ シアターの ビデオをアップロードしました。 ビデオを見る 3週目ともなるとサブボディとコーボディの 不思議な混淆が起こりだす。 自我に囚われた日常体を脱いで 下意識のからだに全脳心身で乗り込んでいく。 すると、命があらゆるものと共振している もうひとつの現実が顔を現すのだ。 |
| 2007年8月4日 ●男女という元型を脱ぐ 今週は転換の一環として、男女の転換を練習した。 アジアには、典型的な男舞の振る舞いと、 女舞の振る舞いとの違いがある。 インドネシアで出合った、 小さいころから民族舞踊にいそしんだ青年から、 手ほどきを受けた。 手のひらで空気を押さえるように、 親指方向に8の字型に回すのが男の舞で、 手の甲で風を受け流すように男舞とは反対方向に 肘から抜きながら8の字に回すのが女の舞だ。 脚の使い方にも同様の違いがある。 中東のベリーダンスでは、 骨盤を内へ内へと繰り入れるように回すことで女性性を強調する。 脚の踏み方の違いによって、からだに立ち上がる体感の流れも、 男舞と女舞との違いを感じ分けることができる。 私は昔、 「父は泣け、母は嗤えと云った」というタイトルの踊りを創ろうと 何年も取り組んだことがあるが果たせないままになっている。 女体へのなりこみの難しさのせいもあった。 お気に入りのドレスをあるときなくしてしまったショックのせいもあった。 男とは何か、女とは何かという底知れない問いに 迷い込んでしまったせいでもあった。 今ようやく、自分が突き当たっていた深い闇がなんであったのか 少しだけ透明に透けて見えてきた。 男女というのも私たちが囚われている<元型>だったのだ。 よくよくからだに感じ入れば、私たちの中には、 男と女以外に、子供とか幼児とか、赤ん坊とか、 胎児、老人、死者など、男女の枠に入らない性が無数に存在する。 それらは、未成熟な男女でもなく、役割を終えた男女でもない。 男女ではない別の性なのだ。 男と女の間には、無数の階庭がある。 男女の元型に囚われず、それら無数の性を生きること。 その昔、ドゥルーズとガタリが語った、 n個の性を生きよ、とはそのことだった。 その言葉を知ってから、十数年してそれが、 男女元型への囚われを脱ごうとするものであったことに気づいた。 男舞、と女舞の間には、無数の性の変幻がありうる。 胎児、幼児、少女、少年、天女、天使、老婆、老人、女形、男勝り、 ゲイ、レズ、ロリ、ショタ、バイ、サド、マゾ、各種のフェチ、 ――これらはすべてn個の性である。 自分が囚われている性を脱ぎ、 n個の性の踊りを発明せよ。 なんと楽しいことじゃないか。 すると、この課題はただちに私の 多重人格日記の領域と重なってくる。 私の30余の人格たちはそれぞれの性的嗜好性をもつ。 あるいは無性だ。 多重人格者はすでに世界に先んじて、 n個の性を生きはじめている人種である。 (この記事はどちらにも分類できるので双方に載せることにした。) 多重人格日記を読む |
2007年8月2日 ●内向思考チャンネルとはなにか? あらゆるチャンネルは、物理的な物質やエネルギーと 相互作用している外向チャンネルと、 内クオリアと共振している内向チャンネルの二つを持つ。 思考チャンネルの外向と内向の区別は見分けにくかったが、 今日、生徒から共振タッチを受けつつまろどんでいるときに 不意にすっきりした説明ができることにきづいた。 外向思考チャンネルとは、四次元時空や二元論思考に束縛された 低次元拘束を受けている。 これに対し、内向思考チャンネルとは、 それらの低次元拘束を受けず、 高次元で共振しているクオリアにそのまま触れることなのだ、と。 私たちの日常体は、合意的現実を 唯一の現実として受け入れている。 それは三次元空間、一次元の時間、そして二元論思考という 低次元拘束思考に囚われている。 ことばを使って思考すると、かならず、 不可視の二元論に拘束される。 ことばそのものが、二元論に拘束されているからだ。 すべてのことばはそのことばによって意味するものと、 意味しないものという概念の内部と外部の二元論に囚われている。 上・下、聖・俗、内・外、敵・味方、自己・他人、心・体、…… 日常意識はこれらの二元論に拘束されている。 日常思考はこの低次元に拘束されたままことばを使って思考する。 これが外向思考チャンネルの特徴である。 内向思考チャンネルは、外向思考とはまったく別の原理を持つ。 瞑想や自己催眠によって、外向思考を止める。 言語を使った日常思考の低次元拘束から身を解く。 すると、はじめて命があらゆるものと多次元で共振している もうひとつの現実に触れることができる。 それは非二元かつ多次元の世界だ。 その世界からのかすかなシグナルをキャッチすることができる。 命は、ひも理論で言う11次元の多次元時空で 無数のクオリアと共振している。 内向思考チャンネルを開くとは、 その多次元世界から届く気づきを受け入れることである。 頭を使って考えるのではない。 外的思考を止め、命があらゆるものと多次元で共振している もうひとつの現実に耳を澄ますだけでいい。 外向思考チャンネルを止め、 内向思考チャンネルを開くこと。 するとはじめて、内向クオリアを制御し、 自由に駆使することができるようになる。 低次元拘束から解き放たれると、命があらゆるものと 11次元で共振していることにじかに触れることができる。 下意識の創造性に満ちた無限の可能性が開く。 こればかりはやってみないとそのとてつもない おいしさは分からない。 世界でこの共振塾に来る人だけがそれを知ることができる。 大げさなようだがほんとうだ。 ここはとてもとてもとてつもない場所なのだ。 |
| 2007年7月31日 ●サブボディ=コーボディー シアターと異次元開畳 上のビデオを見てもその片鱗だけは分かるように、 サブボディ=コーボディー シアターの展開のしかたは、 異次元開畳という独特のものとなる。 それは、ひとつの夢から別の夢へつながっていく ときのように、ひとつの次元から知らぬ間に 異次元が開畳されていく。 からだの闇のクオリアの流れをできるだけあるがままに からだで捉えようとすると必然的にこうなる。 共振日記にも書いたが、それをことばで表そうとすると、 吉岡実のような暗喩と異次元転換に満ちた詩になる。 絵画で異次元開畳を描こうとしたのがマッタだ。 音楽ではわたしの伝染熱という踊りのために 私自身が10年ほど前に編曲した音楽を聴いてもらえればよく分か る。 異次元開畳は、誰でも知っている夢の展開法だ。 命はいつもこのように多次元を変容流動している。 意識を止めさえすれば誰でもそれに気づける。 そこが創造の宝庫であることもすぐ分かる。 人類は自分が持てるこの宝庫の遣いかたを 随分長い間知らずにすごしてきた。 もったいないことだと、思わないかい? |
| 2007年7月28日 ●リゾームになること リゾーミング・テクニックということばは、 自分でもまだ詳しくはよく分からない技法の呼び名として 1998年ごろから使い始めたものだ。 上のビデオにあるようなそのころ創った自分の踊りの 独特の技法を指していた。 だが、なにが独特なのか、 本人にもまだ気づくことはできていなかった。 日本で、タイ、インド、ハンガリーをはじめとする東欧諸国、 フランスをはじめとする西欧諸国、べネズエラと、 その年以降世界のあちこちのワークショップで磨き上げていった。 自分でも、何を作り出そうとしているのか全貌が見えないまま リゾーミング・テクニックは少しずつ厚みを増していった。 行き詰ったときはいつも自分の踊りそのものが 盟友として貴重なアドバイスを届けてくれた。 そう、このテクニックは私ではなくわたしのサブボディが 創りあげたものだ。 わたしはただその書記役を勤めたに過ぎない。 それから10年たつ。 リゾーミングとは何か? よやく自分で自分にかけた謎を十年かけて解けるところまできた。 今ようやく、 リゾーミングとは、心身をリゾーム化していく技法である と、簡潔に定義できるようになった。 リゾームになるテクニック、そういってもいい。 その特徴は、つぎのいくつかの点にある。 1.差延微分 ひとことでいうと、リゾーミングとは、 からだの一部からなんらかのクオリアへの変成が始まり、 隣接部位への伝染を通じて全身心に波及していくものだ。 からだの闇は、非二元かつ多次元に変容流動している。 それを一度に見せても何が起こっているのか分からない。 多次元で複雑に変容流動しているものを、たったひとつのかすかな 始まりから捉え、そのプロセスをできるだけゆっくり遅延し、 かつできるだけ細かく分割して、変化をじっくり味わいつつ見せる。 そうすることで、からだの一部から変成が始まり、 隣接部位への伝染を通じて全身心に波及していく。 そして、ついには折りたたまれていた異次元が開畳する。 その異次元開畳プロセスにできるだけ詳しく付き従い、 透明に見せるのが差延微分技法だ。 2.セブン・リゾーム からだの底から変成が始まるボトムリゾーム、 頭から始まるトップリゾーム からだの内部からはじまるセンターリゾーム、 手足の先端から始まるエッジリゾーム、 からだの底や内部から始まったリゾームが途中で外力の力を受けて たわめられるチャームリゾーム、 頭や手足からのリゾームが途中で外力によって 妨げられゆがめられるストレンジリゾーム、 からだのあちこちからランダムに起こるランダムリゾーム、 からだが瞬間的に一気に変成するトータルリゾーム、 などいくつかの経路に分けて練習することができる。 (じっさいには、これらのいくつもの経路が多次元的に絡み合っているが、 その前に、低次元的に分割して把握する必要がある。) 3.八覚(エイトチャンネル)リゾーミング からだの闇の多次元時空で変容流動しているクオリア流が 出現してくるとき特定のチャンネルを通じて現れる。 したがってリゾーミングは、主要な八つのチャンネルを通じて現れる。 からだの闇のサブボディはチャンネルに分化する以前の 未分化なクオリア流として変容流動している。 だが、それが合意的現実界へ現れるときは、意識にもそれと分かる 単一のチャンネルのクオリアに変成・縮退して出現する。 そこで、全チャンネルの丸ごとクオリアが、 ひとつのチャンネルに縮退するという変化が起こる。 だから、同じクオリアが夢に現れたり、身体症状として現れたり サブボディの動きとして出てくることが起こるのだ。 この主要な八つのチャンネルで起こるリゾーミングを捉え、 制御するのが八覚リゾーミング技法だ。 4.ツリー・リゾーム変換 サブボディ流はひとつのチャンネルに現れたかと思うと、 べつのチャンネルに姿を変えて立ち現れる。 意識の目にはめまぐるしく変容しているかに見えるが サブボディにとっては、たんに本来のまるごとクオリアとして 流動しているだけなのだ。 ただ、意識にとっては単一のチャンネルを通じてしか 認識できないために、そう見えるだけなのだ。 だから、リゾーミング・テクニックでは、 単一のチャンネルの動きだけではなく、 それがいくつもの別のチャンネルに変容流動するさまを見せることによって はじめて、それが全体としてどんなまるごとクオリアの動きなのかを 伝えることができる。 リゾームの多次元流動世界を、低次元に拘束された 合意的現実の世界に翻訳して見せるのが リゾーミング・テクニックだといえる。 だから、サブボディになるとは、リゾームになること、 リゾームの多次元論理を、低次元拘束を受けたツリー言語に 翻訳することのできるツリー・リゾーム論理の使い手になることなのだ。 5.異次元開畳 サブボディ舞踏の特徴のひとつは、異次元開畳という、 独特の転換技法にある。 それは、夢がいつのまにかひとつのシーンから 別のシーンに移り変わっていくように、 ひとつの次元のなかに降り畳まれていた別の異次元のクオリアが 微細な予兆にはじまり、じょじょに解かれ、展開しくるように出現する。 この多次元変容流動をそのままに伝えるために見出されたのが 異次元開畳技法だ。 以上のリゾーミングのテクニックをすべて駆使できるようになると この異次元開畳を実現できるようになる。 6.透明覚と透明体 以上のすべての技法を身につけると、からだの闇のなかで、 それまで不透明な闇に閉ざされていた、 からだと下意識と意識の間で起こっていることが すべて透き通って見えてくる。 激しく異次元を転換する自分のサブボディ舞踏を実際に踊りながら、 からだ、下意識、意識のすべてを含む自分の全体で起こっていることが 透明に見えている状態がやってくる。 それが透明覚だ。 そして、そこで起こっていることを、見ている見所とのあいだの 共振離見をも含めて、 すべてを透明に見せることのできるからだになったとき、 それが透明体への変成だ。 どれだけ時間がかかるか分からない。 まだ、誰も到達したことのない境域だ。 たゆまず進むこと、それ以外にいえることは何もない。 私自身その長い途上にあり、いつ透明体に到達できるかなど まったくの五里霧中なのだから。 |
2007年7月25日 ●意識という催眠状態 ニ週目に入った生徒から、いつまでたっても 思考チャンネルが出てくるのを制御できないが どうすればいいかという悩みの相談を受けた。 そう、思考は下意識モードに入る上で、最大の障害となる。 「日常体は意識という催眠状態にかかっているのだから、 その催眠を解くという発想の転換をするとよい」と答えた。 私も長い間そうだったのでよく分かるが、 意識や思考は自らを失うことを極度に恐れている。 自らの主導権を失うことを。 私自身、10代の終わりからずっと自己催眠に興味を持ち 技法を学び、自分にかけようと試みてきたが、 ずっと失敗し続けてきた。 意識の警戒心が強すぎて、胡散臭い世界に入ることを 押しとどめていたのだ。 自己催眠に成功したのはなんと50歳を過ぎて、 ヒマラヤに来てからだ。 門前進という人の『入門自己催眠法』(誠心書房) という本を頼りにある日、ゆったりしたいすに座って、 「ゆったりする。ゆったりする。1.2.3……」 と唱えると、すっと入れた。 手が挙がる、と心の中で念じると、 ゆっくりゆっくり腕が上がっていった時には、 自分の意識に革命が起こったことを知った。 生まれて初めて、意識が下意識に主導件を譲り渡した瞬間だった 。 一度味を覚えると、すぐにでも入れるようになった。 下意識モードは心地よい体感の流れに満たされていて その一度味わうともう帰りたくなくなるほど心地よいものなのだ 。 その後、からだの闇を探検する中で、 下意識には、創造性や、共振性や、自己治癒力など、 生命として大事なものがいっぱい詰まっていることを知った。 そして、もっとも大きな気づきは、 むしろ日常の意識状態のほうが、 簡便な二項論理や、三次元的空間意識、一次元時間意識という 低次元の合意的現実に拘束されている、 集団的な催眠状態にかかっていると みなしたほうが正しいことに気づいた。 実際の宇宙には上も下もないのに、合意的現実に拘束された意識 は 上下の観念から離れることができない。 いい悪いなど誰にも決めつけられないのに 意識はそれに囚われている。 命は40億年もの以前からとぎれなく続いているのに、 自分個人の命だけを大事に考えている。 敵味方、自分と他人、知識の差異、能力の差異など すべて自他を敵対化することによって成り立つ資本主義教育に 刷り込まれたものなのにそれから逃れることができない。 すべての二項論理は人類が危険に満ちた先史時代を乗り切るため に 編み出した簡便な判断法に過ぎないのに いまだにそんな低次元拘束に囚われたままだ。 三次元空間や、一次元時間というのも合意的現実という 幻想の中にしか存在しないもので、 物理学のひも理論ではすでにこの宇宙が 11次元の多次元世界であることを解明しつつある。 合意的現実しか現実と認めることができない日常意識こそ 深い催眠にかかっているのだ。 そのことをいくら認識してもしすぎることはない。 そのように、自分の意識と下意識の関係を変えていくしかない。 意識は単に下意識のからだで起こっている 非二元かつ多次元の出来事に耳を澄ます 聞き役に徹することが大事だ。 それからだ。すべてが始まるのは。 サブボディメソッドは、リスニングから始まる。 |
| 2007年7月23日 ●懐かしい2対3のリゾーム即興 サブボディ共振塾7月第1週目の サブボディ コーボディ劇場のコーボディ(=グループ)パートは、 二人と三人の群れに分かれる2対3のグループ即興を行った。 2対3のグループ即興はなつかしい。 10年ほど前、当時京都で開かれていた桂勘さんの 舞踏クラスで何百回もやったものだ。 やったものだけにわかるが、個と群れの関係が 奇妙にずれて、とても面白い独特の味がある。 竹千代毬也、小番潤、グレッグ、おきょん、清子、千里などが 常連のメンバーだった。 そのうち何人かは今も踊っているはずだ。 元気だろうか? いまは、たんなる2対3だけではなく、序破急を次のようにつけて 高度化してある。 2対3リゾーム即興と呼ぶゆえんだ。 序の部分は、5人がよく似た動きを共有しあい、 タイミングを見つけて、破の部分で、対照的なクオリアを 共有しあう2人対3人の二つの群れにに別れる。 ダンサーはどちらかの群れに入るが、 フレキシブルにこちらの群れからあちらの群れへ移ることができる。 群れと群れは奇妙なコミュニケーションの関係を持つ。 急の部分では、ふたたび5人の群れに帰り、 5人で終わりを見つける。 ダンサーは以上のルールをいつでも フレキシブルに破ってもいいので 観客側から見ればそんなルールで動いているとは 分からない仕掛けになっている。 この日は合計60分の即興となった。 体調の悪い一人と、Leeが音像共振を受け持った。 サブボディボイスと、手作りの原始的な楽器で音をつけた。 月の初めの段階で、この2対3即興を経験しておくと、 月の終わりのほうで行う完全自由即興のときに 2対3的なフォーメイションが出てきたりして即興に 深い群れの味が出てくる。 同時に完全即興の中で、ダンサーは自分のソロを出す タイミングを見つけて踊りだすまでになる。 2対3のビデオは、Katsと麻里子のソロと並んで、 それぞれ数分に編集してYouTubeにアップロードした。 サブボディとはなにか? コーボディとは何か? そろそろ、ビデオを通じて世界にお伝えできるようになってきた。 どうか、お楽しみください。 ビデオを見る フルサイズ スライドショーを見る |
| 2007年7月23日 ●4. 現幻転換(Real/Imaginary Change: RI Change) 命はいつも、現実に触れ合っている外界のさまざまなクオリアと、 リアルタイムに共振すると同時に、 内部に蓄えられた内クオリアとも、二重に共振している。 これを体感するのに、よい練習がある。 静かに座る。どんな姿勢でもいい。 はじめは背骨をまっすぐ立てて座る。 あらゆる細胞が重力の方向を感知しているのを感じる。 重力に抗してからだの姿勢を保つために、 各部の細胞がどんな努力をしているかを感じる。 その体感をじっくりと味わう。 つぎに少しからだを斜め前に傾ける。 からだの各部の努力の仕方が微細に変わるのを感知する。 背中の筋肉が前以上に緊張し、それとバランスを保つために ほかの部位の状態も微妙に変化しているのを感じる。 もとのまっすぐな姿勢に戻る。 からだを傾けていたときのクオリアを思い出す。 また、斜めに傾こうとすると、その斜めのクオリアを思い出して からだが前もって準備するのを感じる。 このように、からだに蓄えられた内クオリアは 常に現在の外クオリアと二重に作動していることをつかむ。 これがクオリアの現幻二重性である。 リゾーミング・テクニックとは、この内外のクオリア、 現幻クオリアを コントロールする技術である。 現幻二重のクオリアを一度にすべて味わおうとするのは難しい。 まず、からだのどこかの一点で微細な内クオリアが立ち上がる かすかな始まりを捉えて味わうことだ。 それから、その内クオリアが、動きや映像や音像、情動などとして 外に現れてくるプロセスを、千ほどの小さなプロセズに刻み、 一つ一つを味わいつつ流れに従い、増幅していく。 そうすると、自分にとってもほかの人にとっても 何が起こっているかがはっきり見える。 リゾーミングが、コミュニケーションのための技法でもあるのだ。 今日は、この現幻クオリアを味わう瞑想と練習をしたのち、 目隠しガイドで庭を歩いた。 実際に出あうクオリアと、命がからだの闇から立ち上げる 内クオリアの二重性を味わうには、この闇歩きが一番よい。 一ヶ月目の生徒には、内クオリアの流れをつかんで そこから自分の動きを見つけ出すこと、 二ヶ月目の生徒には、現クオリアと、幻クオリアとの間の 転換を使って動きの序破急を見出すこと、という課題を与えて いつもどおり20分の探体に入った。 一ヶ月目の生徒も、今日は内クオリアの流れに クリアに触れることができたという。 ようやく、ここで起こっていることの内実に触れ始めた。 内クオリア遣いになれれば、サブボディへの 最初の関門はくぐったことになる。 |
| 2007年7月21日 ●ソロが仕上がってきた サブボディ共振塾7月第1週目の サブボディ コーボディ劇場。 6月から2ヶ月目のKatsと麻里子は、 転換のバリエーションが突然豊かになり、 十数分のサブボディソロをほぼ完成させた。 それぞれ数分に編集してYouTubeにアップロードした。 サブボディとはなにか? ビデオを通じて少しずつお伝えできるようになってきた。 どうか、お楽しみください。 ビデオを見る Katsは夜寝る前に、サブボディさんに、 自分の未解決の課題を解いてくれるようお願いして眠ると、 明け方、サブボディさんから、四つの転換パターンを 告げる示唆を受け、早速書き留めたという。 じょじょにサブボディさんとのコミュニケーションの こつがつかめてきたようだ。 それでも、ダンス歴十数年の彼らでも、 ここまでに5週間かかったことになる。 初心者には、一ヶ月では短すぎることが分かった。 来年からはコースの最短期間を これまでの1ヶ月からもっと長期にする必要がある。 コーボディパートは、 5人が、5人の群れから、2対3に分かれ、また最後に5人に返り 終わりのタイミングを全員で見つける、60分即興で行った。 2対3のグループ即興は面白い。 その面白さの片鱗はビデオのCobody編でお楽しみください。 踊りにサブボディボイスの体腔音声と、 手づくり楽器による音像共振が 加わって厚みが増してくる。 まるごとクオリアのサブボディ=コーボディ劇場へ、 後一歩のところまできている。 フルサイズ スライドショーを見る |
| 2007年7月20日 ●転換その3 能受転換(Active/Passive APチェンジ) 転換の第3は、能動的に動く、アクティブ・モードと、 他の力で動かされるパッシブ・モードとの間の転換だ。 この転換を続けていくと、 自分を踊らせているのがほんとうは誰なのかが 分からなくなってくる。 最初はだれも自分で踊っているつもりだが、 他の力で動かされていることを感じて動くと 本当は自分ではない誰かが自分を動かしていると 感じられてくる。 だが、なにものかが自分を動かしていると、 感じようとしているのは自分なのだ。 だが、いったい自分とはなにか? 実際は、サブボディ世界には自己と他者、 内側と外側の区別などない。 踊っていれば、自分を踊らせているのが、自分であれ、 他の力であれ、そういう区別などどうでもよくなる。 それが自他無分別のサブボディ=コーボディ世界だ。 この練習には、調体(コンディショニング)の段階から あらゆるチャンネルを通じて、 じょじょに受動体モードに入っていく つぎの調体を行うとよい。 1.あらゆるチャンネルで、動かされるクオリアを味わう からだの一部が他の力に動かされる。 まずは体底(仙骨あたり)から順に、 さまざまな方向のさまざまな強さの力を受けて動かされる。 腹、背、胸、首、頭、顎、鼻、目、耳など あらゆる部位がさまざまなものに動かされる。 物理的な力で動かされるだけではない。 さまざまなチャンネルは実はすべて外界からの 影響によって動かされている。 クオリアはもともと受苦的なのだ。 重力、光、音、すべての五感の感覚は受苦的である。 腰が誰かに突かれる。 背中を思い切りどやされる。 肩にそっと母の手が置かれる。 首が誰かにつままれる。 胸に槍が刺さる。 石が腰に当たる。 耳に蚊が飛び込む。 顎が誰かに引っ張られる。 目に真っ赤なマグマが近づいてくる。 鼓膜が大音響で潰される。 舌が釣針で引っ張られる。 誰かに抱きとめられる。 2.悪魔に脳みそがかき混ぜられる 悪魔が頭蓋骨に穴を空け、そこから金属棒を突っ込んで 脳みそをかき混ぜる。 ――言語中枢をかき混ぜられて、ことばがめちゃくちゃに出てくる ――記憶中枢をかき混ぜられて、あらゆる時代の記憶が一時によみがえる。 ――情動中枢をかき混ぜられて、無数の情動が次々と入れ替わる。 ――体感中枢をかき混ぜられて、すべての体感が入り混じる。 ――動きの中枢をかき混ぜられて、ランダムな動きに衝き動かされる。 ――世界像=自己像中枢がかき混ぜられて、とんでもない世界像が入り混じる。 ……この練習を続けていると、じつはいつも無数のクオリアが 脳内で渦巻いていることに気づかされる。 その渦巻きを増幅するだけでだれでも、それらの 潜在的なクオリアを活性化することができる。 脳とクオリアの秘密に触れることのできる練習だ。 3.能動と受動が交錯する なにかをしようとすると、なにかに邪魔されてできない。 いいたいことがあるのに、いえない。 立ち上がろうとすると、内側から気力がくじけていく。 障害物にぶつかりつつ、やりたいことを追求していく。 七転び八起き、七転八倒の目にあう。 なにかをしようとしているうちに、やろうとすることが摩り替わってしまう。 やろうとすることを自分で邪魔してしまう。 無理難題を強いられ、無理だけどでもやって見ると決意する。 ……などなど、能動と受動の交錯図からは、 無限の人生模様が浮かび上がる。 本当は能動であることそのものが幻想なのだが 意識はそのことを知らない。 そのずれが、能受転換の味を深める。 能受転換には、人生の不条理が詰まっている。 |
| 2007年7月18日 ●転換その2 反性転換 (Opposite Change :OPチェンジ) 転換の第二は、反対のクオリアに転換する、反性転換だ。 反対といっても、サブボディの世界は、日常界とは違って、 上下、内外など二次元的な境界で仕切られている世界ではない。 非二元であると同時に、ひとつのクオリアに対し、 無数の反対のクオリアが存在する多次元世界だ。 からだの闇を掘るにも書いたが、 この非二元かつ多次元というサブボディ世界の特徴が だれにもはっきりつかめるのが、この 反性転換である。 反性転換の練習方法は、ふたり、グループ、ひとりと いろいろな方法がある。 まずは、二人での練習からはじめるとよい。 1.二人での反性転換 ひとりが好きなように動く。 もうひとりは、その動きと同質のクオリアで動き関わる。 分かりやすいように、同じ速度、 同じ距離を保って関わるとよい。 これが<序>だ。 <破>において、 それぞれが反対のクオリアで動くように転換する。 ひとつの動きに対して、無数の反対のクオリアの動きが ありうることがいやおうなく分かる。 ある動きを速いと捉えれば遅い動きが反性になるが、 その動きを高い動きと捉えれば低い動きが反性になる。 閉じていると捉えれば、開かれた動きが反性になる。 やってみればわれわれは、無限の反性がある 多次元世界に生きていることが分かる。 頭ではなく、からだごとサブボディの多次元世界に飛び込める。 <急>で、ふたたび二人が同じクオリアの動きに同化し、 終わりのタイミングを見つける。 反対のクオリアの動きに身をもって飛び込んでいくと同時に <序破急>をからだでつかむ練習になる。 2.群れでの反性転換 5人で1グループになる。 <序>は5人が同質のクオリアで動く。 ひとりずつ場に入っていくとよい。 <破>では、2人対3人の二つの群れに別れ、 二つの群れは常に反対のクオリアで動く。 群れのメンバーはフレキシブルに入れ替わってもよい。 二つの群れ同士はできるだけストレンジな関係を持つ。 <急>では、5人が同じクオリアの動きに入って 終わりのタイミングを見つける。 これだけのルールで、自然に予期せぬ面白い即興が生まれる。 どのパートも、個人がどうしようとして、どうなるものでもない。 いやおうなく群れの論理に叩き込まれる。 考えている暇などないので、思考と自我を消し、 とっさに出てくる動きにからだごと身を投じることのできる 即動体になるよい練習になる。 リゾームになる、もってこいの練習だ。 3.一人での反性転換 以上の練習を経て自分ひとりのソロの動きに、 上と同様の<序破急>を取り入れる。 <序>は、同質の動きが続く。同質から同質への緩やかな転換をつなげる。 <破>で、異質な動きへ、反性転換を連続する。 だが、決して同じような転換はしない。 違った性質の反性転換をつないでいく。 動きのボキャブラリーを増やすのによい練習になる。 どんな違った反性転換がありうるか。 それはこれから毎日の練習でひとつひとつ身に着けていく。 全部で20種以上の反性転換を身に着けることができる。 |
| 2007年7月16日 ●転換の研究 7月コースが始まった。 6月から続けている3人と7月から入学した 新しい3人との6人のクラスだ。 今月はいつも以上に たっぷりゆらぎ瞑想に時間をかけ 初日から深いレベルのサブボディモードに導いた。 先月は、週の最初はなかなかサブボディ・モードに入れずに 思考チャンネルやジャッジメント、クリティークが出てくるのに 悩まされた人が多かったからだ。 午前は、ゆらぎを使った調体(コンディショニング) 午後は、百丹三元ゆらぎから、灰柱の歩行、 歩きながらの生命遡行瞑想、大洋ゆらぎへとつないだ。 ●転換その1 静動転換(Stillness/Movement SMチェンジ) そして、20分の探体に入ると、 一月目の生徒には命に聴きながら自然に出てくる 原生的な動きを自由に探すこと、 二ヶ月目の生徒には、 静止と動きの間の自分なりの転換のタイミングを 発明するという課題を与えた。 同じ練習をしていても 探体、創体の際に課題の違いによって 二重のプロセスに分かれるという区分けがついた。 二ヶ月目の生徒には、今月は毎日違った転換の課題を与えて、 多数多様な転換技術を磨く月にするつもりだ。 とくに今日の 静止と動きの間の転換のタイミングは 固有の踊りの美がそこから生まれるといって言い過ぎではないほど 重要なものだ。 踊りの中のどこかに重たい静止があると すべての動きが引き立つ。 短い静止は動きにリズムを与え、 違った味わいをもたらす。 あるいは動きが静止の一瞬に かけがえのない輝きを与える。 静止と動きは絶えず照らしあっている。 静止と動きの間のタイミングには 無数のバリエーションがありうる。 動きと動きの間の長い静止、 気が遠くなるほどの静止、 短い静止、 瞬間的な静止、 急激な静止、 じょじょに時間が凝固していくような静止、 静止のあとのじっくりした動き出し、 突発的な動き、 意表をつく動き、 さりげない動き、 すべての美は静止と動きの間で生まれる。 美とは珍しさなのだ。 見たこともない静動転換を発明せよ。 優れた静止と動きの間の転換が たとえようもなく味わいが深いのは 静止と動きの間にあるものは、 死と生との間に横たわっている深淵だからだ。 そういう深淵が垣間見えるような静動転換を 生涯に一度くらい踊ってみたいものだ。 いくら工夫してもきりがないほど深い課題だ。 |
| 千の高原 ミルプラトー 生徒の創造<New> |
リゾームになれ、 たったひとつの秘密になれ。 蜜蜂の群れ、モグラの穴、伝染熱となれ。 あらゆるものと連結し、直ちに断絶できるからだとなれ。 繰り返すな。無限の多様体を変奏せよ。 飛ぶ肛門、高速の膣、死者のまなざしとなれ。 からだの闇に、もっともみすぼらしい動きを探せ。 もっともか弱い声音、いまにも壊れそうな顔、 生死のあわいでゆらいでいる感情、 人間からずり落ちていくからだを掘れ。 エネルギーを高めたサブボディは、 それぞれがプラトー(高地)となり、 リゾーム状に自在に連結・分離しつつ、 増殖・伝染によって世界にはびこり、流れとなる。 始めも終わりもなく、両岸を侵食し、 真ん中で速度を増す流れとなる。 2007年7月15日 ●千の高原 ミルプラトー 40突破 サブボディ共振塾の一ヶ月コース以上を修了し、 自分固有のサブボディ舞踏を創始した生徒の数が40を超えた。 デザインを一新し世に送る。 千の高原とは、 ドゥルーズ=ガタリによって提出された 活性度を高めたリゾームが次元数を増して 高原状に盛り上がっていく 世界変革の新しいイメージを指す。 そうだ。ドゥルーズ、ガタリ、 あの世からも見えるだろう。 きみらが1970年代に夢見た 千のプラトーがとうとう実際に この世に姿を現しつつある。 30年もかかってしまったけれどね。 世界はここから確実に変わっていく。 世界でもっとも自由な変形力を持った サブボディ=コーボディが出立し、 神出鬼没の活動を見せるだろう。 ツリーの世界に風穴が開け、 生命共振のさざなみが きみのまちかどにも 伝わっていくだろう。 千の高原トップへ |
| 2007年7月13日 ●はじめての実験劇場 90分の全員による即興のなかで、 自分の創ったサブボディの動きをはじめるタイミングを見つけて踊る、サブボディ=コーボディ劇場の実験をはじめることができた。 わずか一ヶ月の練習でここまでこぎつけることができたのは サブボディ共振塾開校以来はじめてのことだ。 即興と振り付けの境界を取り去り、 もっともフレキシブルで、かつ深みのある即興、 あるいはリアルタイム・コレオグラフを求めて これを実現することに長年こだわってきた。 結果は見てのお楽しみ。 何が違うのか、読者がご自分で味わってみてください。 また、今月から、従来の体腔を使って出す サブボディ・ヴォイスにくわえ、 原始的な楽器による音像共振も加わった。 少しずつ厚みが増し、これまでまだ世界に現れたことのない、 まるごとクオリアのサブボディ=コーボディ劇場が実現されていく。 そうだ、これを実現するためにこれまで生きてきたのだ。 上のグループ・パートのビデオに加え、 各生徒のソロパートのビデオも編集が終わり、 アップロードされた。 このページでもおいおい紹介していくが、 すぐ見たい人は下記のリンクからどうぞ。 もっとビデオを見る もっと読む |
| 2007年7月6日 ●サブボディ=コーボディはリゾームだ。 サブボディ共振塾 6月コースが終了した。 サブボディ共振塾6月第4週目のサブボディ コーボディ劇場では、 90分の完全自由即興の中に、各自が自分のサブボディを発揮する最適タイミングを見つけて踊る、世界でもまだ例のない高度なリゾーム劇場が実現した。 これまでのサブボディボイスによる音像共振に加え、 原始的な楽器による音像共振も加わった。 わたしたちの秘密はたった一つ。 生命共振あるのみだ。 それだけで、これらすべての世界の可能性が開ける。 サブボディとコーボディはどこで切って、 どこでつなぐこともできるリゾームだ。 サブボディからコーボディへもいつどこでも連結し変容できる。 生徒のからだがここまで変幻自在になってきたのは はじめてのことだ。この先どこまで行くのか楽しみだ。 |
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2007年7月4日 ●<急>にいたるいくつかの道 序破急の<序>と<破>は、どうやら、 どの生徒も身に着けかけてきた。 だが、急が見つからないと悩む生徒が多い。 そう簡単に見つかるものではない。 わたしがこれが自分の<急>だという踊りに出会ったのは、 踊りを始めてから5年もたってからだ。 わたしの場合は、だれの支援も受けることができなかった。 序破急を教える人は日本にも世界にもいなかった。 だから、5年もかかったのだ。 ただ、いまなら、それぞれの<急>にいたる道を すこしは明確に支援することができる。 いくつかの道がある。 ひとつめから見ていこう。 (序破急についてくわしくは、実技ガイドの「序破急」、 「<序>秘兆」、「<破>異次元開畳」、「<急>命に転生」など を参照してください。) 1.揉み寄せの<急> <序破急>の<急>とはなにか。 世阿弥は言う。 「急と申すは、挙句(=最後)の義なり。 その日の名残(=別れ際)なれば、限りの風(終末にふさわしい趣き)なり。 破と申すは、序を破りて、細やけて、色々を尽くす姿なり。 急と申すは、またその破を尽くすところの、名残の一体なり。 さるほどに、急は揉み寄せて(=変化を多くして)、乱舞・はたら き、 目を驚かす気色(けしき)なり。」 『花鏡』 「ことさら、挙句(=最後)急なれば、揉み寄せて(=テンポを早め、畳みかけて)、手数を入れて(技巧的演技を集中させて)すべし。」 『風姿花伝』 「万曲の面白さは、序破急成就の故と知るべし。 もし、面白くなくば、序破急不成就と知るべきなり。 恐らくは、なおこの心、得ること如何(いかん)。 奥蔵心性を極めて、妙見に至りなば、これを得べきか。 (どうすれば、この心を得ることができるのか。 心の奥底にひそむ根源の性まで極め尽くして、不可思議の悟りを得れば、 序破急の要諦を体得しうるかも知れない。)」 『拾玉得花』 一つ目の<急>にいたる確かな道は、揉み寄せの<急>だ。 手数を尽くして、持てる技のかぎりを出して畳みかけていく。 すべて出し切れば、自分にとっても見る人にとっても、 最後まで踊りきったという終わりのクオリアを、 共有することができる。 これは、努力しだいで誰にも到達できるもっとも確かな道だ。 下記の、2、3、4の<急>に至るまでは、 揉み寄せを練習して、身に着けてほしい。 2.世界像=自己像チャンネルにいたる<急> 踊りの<序>から<破>にかけては、 さまざまなチャンネルをへめぐっていく。 体感チャンネル、動きのチャンネル、映像、 音像、情動のチャンネル、関係像のチャンネル……と。 そのたびに、新しい次元が開け、自全のなかのさまざまな 未知の次元を開畳していく。 それが、自全を旅するサブボディの踊りだ。 そして、その旅は、最後に世界像=自己像のチャンネルに いたることで、極致にいきつく。 世界=自己チャンネルは、単チャンネルとは違い、 最大の複合チャンネルだ。 それではクオリアがまるごとクオリアとなって 多次元の厚みを増す。 謎のすべてがそこで結びつく。 なぜ、ここまで踊ってきたのか、 世界チャンネルの踊りにいたれば、 何度も何度もそれを踊ることだ。 それを続けていけばいつの日か謎が解ける。 その謎は踊り続けることによってのみ透明化する。 これが自全と世全に至るサブボディの旅の<急>だ。 3.命に転生する<急> 衰弱体の踊りができるようになれば、 異界の死者に転生することで、<急>に至る。 健全なからだと自我の執着を脱ぎ捨て、 他界の住人に転生する。 そのとき踊り手は、個としての生命ではなく、 類としての生命に転生する。 死体となってはじめて、届けることのできる まなざしがある。 臨生のまなざしだ。 生者の世界は、輝かしいクオリアに満ちている。 死者はそのクオリアと共振することができない。 生あるものだけがクオリアと共振することができる。 だが、生者はそれを忘れて、 何か楽しいことでもないかと劇場へ足を運ぶ。 その生者たちに突きつける。 そこで生きろ! そここそが君があらゆるものを創造できる場所だ。 土方巽が晩年のソロで ひたすらそのメッセージを届け続けた。 その臨生のまなざしの意味は 愛弟子の芦川羊子にさえ理解されなかった。 だが、受け取るべき人には確かに届いたのだ。 4.幾万回踊れるかと問う。 その踊りが<急>であるかどうかは 命にこの問いをぶつければすぐ分かる。 「この踊りを幾万回でもおどれるか?」 もし、命が「然り!」と答えれば それは紛れもないきみの<急>の踊りだ。 踊り続けたまえ。 それを踊るのがきみの使命だ。 |
| 2007年6月 |
| 2007年6月26日 ●異貌の自己への坑道 からだの闇にはおびただしいほどの、 異貌の自己が詰まっている。 ユングは影と呼び、サリバンはnot-me、 一般的にはサブ人格、副人格と呼ばれている者たちだ。 中には違った生き物の形をしているのもいる。 クラゲのように漂っていたいやつ、 アメーバのようにとろけたいやつ、 ……誰の中にもそういう微細な衝動がある。 彼らをいかに引き出すか。 いくつかの有力な坑道が見つかっている。 今週は生徒とともに、この坑道を掘り進んでいる。 生徒たちは毎日驚くほど多彩な異貌の自己を掘り出している。 1.隠れ関節を開く 人間の日常体には忘れられて使っていない 隠れ関節がいくつかある。 仙骨と骨盤の間の仙腸関節、鎖骨と胸骨の間の胸鎖関節、 手足の指の第四関節、顎の関節、 そして、それぞれの脊椎間の関節などである。 これらの忘れられた関節の間には、 やはり忘れられた隠れ人格や 隠れ生物のクオリアが封印されている。 小さい頃に一度だけ使って、 大人たちから選択的非注意のまなざしで扱われたため、 萎んでしまったnot-meたちである。 これらの隠れ関節を開いたり、閉じたりして 普段の位置よりずらしてやる。 他の力を受けてこれらの関節が動かされるクオリアを感じてもいい。 骨盤や胸を閉じたりすぼめたりすると、隠れていたサブ人格や、 サブ生物が息を吹き返してくるのが感じられる。 かすかなかすかなクオリアでしかないが、 そのクオリアに触れたら、従い、乗り込み、増幅していく。 次の端目や、息声と連動して増幅するのがいい。 2.端目を開く 目を斜め上下にすばやく動かす。 なにか素っ頓狂なことを思いつくやつ、 ひょうきんなやつ、など なにか見知らぬ人格の気配が感じられないだろうか。 目の端っこで見つめる。 黒目ではなく白目で見つめる。 極端な上目遣い、下目遣いをしてみる。 狡いやつ、人目を盗んで生きているやつ、 見下しているやつ、などなど別世界の住人が姿を現しだす。 じっくりと流し目を贈る。 体の動きと反対方向に目を流す。 不思議な情動が湧いてくる。 目を上に浮遊させて、白目になる。 死者の目になる。 異界の目でこの世を眺める。 さまざまな速度でこれらの目を生きてみる。 かならず、異貌の自己に出会える。 その異貌体になりこむ。 3.顔つき、息声を変える 1.2と連動して、普段はしない息遣いをする。 はあはあ、ぜいぜい、ひゅうひゅう、むぐむぐ…… 人間ではない異貌の自己の息遣いがよみがえってくる。 口元もひどく歪む。 思い切って異貌の顔になりこんでいく。 妙な声が出てきたら乗り込んでいく。 異貌の自己はいつも人間とは違った声で違った歌を歌っている。 一度始まればいつまでも続く。 楽しくなるに違いない。 それはずっと昔に置き去りにされてきた自分なのだ。 からだの闇にかがみこんだままの異貌の自己を掘り出してやれ。 世界中でここだけでしか掘っていない深層坑道だ。 異貌の自己は何人もいる。 何人と出会えるか。 何人と踊れるようになるか。 それが自全の旅なのだ。 |
| 2007年6月25日 ●動かされるクオリア 動かされるクオリアは、動けないクオリアと並んで、生命にとっ てもっとも深いクオリアのひとつである。 40億年前に出現した原初の生命は、まったく動けないか、ほと んど動けないかのどちらかであった。 その後も、10億年前に多細胞生物が出現するまでは、単細胞生 物時代であり、蠕動や鞭毛、繊毛など、ごく微細な運動器官によ って動けるのみだった。 40億年間のうちに、ありとあらゆる<動かされるクオリア>が 生命記憶に刻み込まれていった。 重力にもてあそばれ、風雨、嵐、波浪、潮流、雷、火山、地震, 、隕石の衝突、氷河期、他の動物の脅威などありとあらゆる予期 せぬ力に翻弄されてきたのが生命だ。 生命はそれらの予期せぬクオリアのすべてを体験し、生き抜いて きた。 それらのクオリアはすべて、遺伝子に生命記憶として刻印されて いる。 時に応じてそれらのクオリアが発現し、どんな不意のクオリアに も対応できるようになっている。 少々の事が起こっても、40億年間に蓄積されたクオリアの知恵 によってどんな生命も事態に対応できるのだ。 ●百丹受動 百丹三元と同様の手順で、仙骨から頭まで、そして、すべてのか らだの部位で、三元方向に不意に動かされるクオリアを体験する 。 百丹三元と同様、二つの8の字が直角に交差したダブルエイトの 動きに沿って、何か他の力によってあちこちの方角に不意に動か される。緩急、強弱もランダムに起こる。 百丹のすべてが終わった頃には、立派に<動かされるクオリア> に満ちたからだになっている。 自分が人間であることなど忘れ去る。 世界の中のどんなクオリアにも乗りうつられる、 媒体のようなからだになる。 これは十体の中の<憑依体>にいたる練習の一環ともなる。 舞踏とは、自分を表現するために踊るものではまったくない。 舞うのではなく、何ものかに舞わされる。 異次元世界の何ものかがからだに乗りうつり、 それが踊るのだ。 踊りを自己表現としか捉えられない西洋風のダンスとは この点が根本的に違う。 Butohを身体表現だと曲解している 修行の足りない自称舞踏家も多い。 舞踏とは、せまっ苦しい「人間」概念に囚われた 自己表現などとは桁の違う異次元世界に遊ぶ技なのだ。 |
| 2007年6月23日 ●透明なデュエット 長い間デュオをうまく導きだす道が見えなかった。 自分のからだの闇から彫り出すサブボディソロと、 それが溶け合うコーボディの群れの動きを追求することに 没入して、対の動きの世界にうまくアプローチできないでいた。 これまでにも、生徒がつかみ出してきたサブボディと サブボディを出会わせる試みは何度かしたことがある。 だが、下意識からいきなり対の場に放り出されたサブボディは 誰もが妙に日常体の男女の出会い神話に影響を受けてしまう。 だが、その闇が少し解けてきた。 何のことはない。ただ徹底して自我を止め、 生命共振だけを感じて動けばいいのだ。 これまでは、その自我の止め方がまだまだ不徹底だっただけなのだ。 ・まずは、自分が人間であることを忘れる。 ・後はただ、生命が共振するままに動けば、何が起こってもいい。 ・合わせ合わせ、合わせ離れ、離れ合わせの中の どれかのパターンを思い出すといい。 すべての共振はこれらのパターンのどれか、 あるいはその組み合わせに帰する。 ――透明なデュエットを導くにはこれだけで十分だ。 たったこれだけに到達するのに十年以上かかった。 サブボディは無性だ。 日常体の性から透脱している。 その透明さが味わえればいい。 日常世界に見られるデュオは あまりに日常体の性愛の物語に束縛されてしまっている。 男女の元型にたやすく憑依されている。 それがすべてをつまらなくさせる原因なのだ。 そんな世界はハリウッドかインド映画に任せておけばいい。 むろん、わたしたちが完全に性愛神話から透脱しうるわけではない。 性の闇はどこかで生命の闇に溶け込んでいるからだ。 だが、その闇にまつわる謎も含めて踊ればいい。 花と謎技法で言えばこの場合、 花が透明さならば、謎は性の闇になる。 花と謎はいつも一個二重の闇の、違った側面に他ならない。 今月の共振塾ビデオを見る |
2007年6月22日 ●からだの闇の不思議なつながり モンスーンの中で続けられているサブボディ共振塾ヒマラヤ。 生徒はさまざまな坑道からからだの闇に潜り、 日々多彩なサブボディをつかみ出してくる。 自分の中の驚くべき創造性を開きながら、 サブボディ世界を動きにし、絵に描き、 たがいの世界に動きや音像で入り込み合う。 すると、それぞれの自分だけの固有のものと思われていたサブボディ世界が、実は奇妙な通路で共振しあい、 コーボディにつながっている不思議に触れ始める。 その不思議は命とは何かという不思議とつながっている。 わたしたちは個体の命という観念に取り付かれているが、 本当はわたしたちの命は40億年前に発生して以来現在まで ただの一度も途切れていないのだ。 個体のからだは命にとってはただのいっときの乗り物で、 個体のからだを乗り換え乗り換えして命は続いてきたし、 これからも続いていくだろう。 個体にできるのはこの命に対し、 どんな発明を付け加えることができるかだ。 その贈り物によって、個体は類へと転生する。 わたしは自我や国家を無化する技法を発見した。 徐々にこの技法を普遍化して人類に贈ろうと思う。 国家が戦争を遂行し、おろかな自我がそれを支持している 構造を根本から改める方法が必要とされている。 そしてそれは可能なのだ。 |
| 2007年6月19日 ●共振とはなにか 命は共振している。 たえず、まわりの環境の無数のクオリアと共振し、 命がたどってきた歴史から得た無数のクオリアの記憶と共振している。 たが、命の共振を捉える、根源的概念を人間はまだ手にしていない。 あまりに長い間、主体・客体という二項論理に根ざす自我幻想に深く囚われてきたから、見失われてしまったのだ。 共振は、勝手に起こるもので、 自我や主体が起こそうとして起こすものではない。 だが、どんなことばにも不可視の主体が前提されていて、 勝手に起こっている共振をありのままに捉えることを妨げる。 わたしが、共振を感じると言ってしまってはもうだめなのだ。 どんな動詞にも主格が付きまとう。 この主格を、暗黙のわたしを、消さなければならない。 命はあらゆるものと共振しつづけている。 わたしがそれに気づこうと気づかまいと、 お構いなしに共振は起こっている。 わたしが感じようと感じまいと関係なく 命は共振を続けている。 共振に主格も客体もない。 これをうまく捉える言葉はまだ見つからない。 だから、当分は主語のあることばで我慢するしかない。 いかに共振するか。――こんな言い方は根源的に違うのだけれど、 今はこう言うしかないのです。 その点をご理解ください。 音像共振でも、動きの共振でも、 同じ原理が通用する。 合わせ合わせ、合わせ離れ、離れ離れ――この三つで 共振のバリエーションを、つかむことができる。 それぞれのチャンネル独特の次元数が異なるだけだ。 動きの共振においては、 位置、距離、速度、加速度などの次元が関わる。 音像の共振において、音の高さ(振動数)、リズム、音色などが関わっていたように。 サブボディの動きにどう共振するか 他のひとが動いている。その時空にいかに入っていくか。 クオリアを共有すればあらゆるかたちの共振が可能になる。 Ⅰ.基本は<合わせ合わせ> 動きのクオリアを共有することが肝心だ。 あとは、つぎのようなバリエーションのうちから、 命が共振したいままに従えばよい。 まず、共振の入り口は同じクオリアを共有することから始まる。 サブボディの動きになりこみ、 同じ姿勢、同じ速度、タイミングをシェアする。 距離は、至近距離から、中間距離、遠い距離をとりうる。 自我の強い人には、潔く自我を捨て他の人に同化するよい訓練になる。 この入り口を通らずに、つぎの道には進めない。 Ⅱ.<合わせ離れ>と<離れ合わせ> 1.位置――立位なら立位の同じ姿勢で共振する<合わせ>から、 違う姿勢で共振する<離れ>に向かう<合わせ離れ>。 その逆に、違う姿勢から徐々に近づいてきて、 同じ姿勢に入る<離れ合わせ>。 2.速度――同じ速度で共振する<合わせ合わせ>から、 違う速度、速い動きに対して緩速または静止で、 緩い動きに早い動きで共振する<合わせ離れ>、 あるいは<離れ合わせ>。 合わせていて、離れるタイミングを見つけるのが、<合わせ離れ>。 離れていて、合わせるベストタイミングを見つけるのが<離れ合わせ>だ。 どちらもそれが起こったときに微細な感動がこみ上げる。 3.距離――どんな距離で共振するか。 不即不離の間近の距離<合わせ合わせ>から、 中間距離を通って遠い距離まで離れていく<合わせ離れ>、 その逆に遠い距離から近づいてくる<離れ合わせ>。 どちらにも出会いと別れの特有のドラマが成り立つ。 Ⅲ.<離れ離れ>という多数多様多次元共振 以上の出会い系とは、根源的に異なる共振もある。 サブボディの動きとはまったく別の次元の別のクオリアの動きを対置する。 いや、対置さえしないこともありうる。 ただ、それとは別のあり方もありうるよ 、こうもありうる、こうもこうもありうると、ただただ別のありようを示す。 そういう共振もある。 ひとつの世界に別のクオリアを付加する。 それだけでもとの世界が豊かに多様になる。 宇宙の多様なものはすべて共振していることが分かれば、 1や、2の合わせ系、出会い系のような 見かけの近さや同一性によってだけではなく、 遠さによって共振することができるようになる。 差異によって、差異の多様性によって共振する。 ただただ異なるクオリアが多様になっていく。 生命には出来損ないなどひとつもない。 障害者という概念が無化されるまで進む。 ただただお互いの差異を味わい、多様性を喜び合う。 それが生命の真実なのだ。 そこまで行けて共振の底深いすべてが味わえる。 ほんとうの世界共創が始まる。 だが、まず、1、2の合わせと離れ系から学んでいってほしい。 自我を放棄する<合わせ>を知らずに、 差異だけ対置すると、自我と自我のたたかいになる。 自我を捨てることを学んではじめて共振のすべてに出会えるのだ。 |
| 2007年6月17日 ●音像共振による世界共創 これまで少しずつ試みてきた音像共振を、 今月は本格的に掘り下げ実用段階にいたる道を探る。 サブボディの動きは、動く本人が意識しているかしていないかに 関わらず、からだの闇のなかの音像クオリアの流れとともに動い ている。そこはチャンネルに分かれていない未分化な世界だから である。 からだの闇の流れを意識的に音像チャンネルで受け取れる人は、 音像チャンネルが開いていて、それを使える人である。 それに気づけず、音像クオリアをうまく使えない人もいる。 こういうわたしは生まれてから50年間音像チャンネルの開き方 、使い方を知らなかった。歌も歌えなかった。数年前に南インド のジャングルを歩いているとき、突然喉が開いた。それ以来だか ら、わたしにとってはもっとも未知の新鮮なチャンネルだ。それ だけにチャレンジのし甲斐がある。 音像チャンネルでからだ動きにどう共振していくか。 ここ数年探ってくるなかで、いくらか道が見えてきた。 Ⅰ <合わせ合わせ>という序の口 1.体腔の動きに音像で共振する まず、他の人のからだの動きを自分のものとして感じる。 薄目半眼で、夢の中の情景のように感じるといい。 その動きを自分の動きとして感じられたら、その人のからだの中 に入ってどんなクオリアを感じて動いているのか、成りこんでい く。 サブボディの内臓の動きに合わせて、自分の内臓も同じように動 かしながら、体腔音を出してみる。その音が動きとよく共振して いるようであれば、思い切ってその音と動きの共振を追求する。 体腔から出る音のバリエーションは無限であり、実にさまざまな 関わりの可能性が開けてくるのが分かるだろう。 2.ディテールの動きに共振してみる 次に指先や脚の動きなど、ティティールの動きに合う微妙な音を見つ ける。唇や目の動きなどに付いても面白い。 もともとひとつのものだから、からだの動きも体感も音像も情動も、 無限に微妙なニュアンスで共振できるのが分かるだろう。 最初は以上のように合わせ合わせで付けるのが基本である。 Ⅱ つぎに、<合わせ離れ>の付き方を学ぶ 合わせ合わせだけでは、時にうっとおしくなる。風通しが必要だ と感じたら、さっと離れる。 ときにからだの中に入り、ときにその動きの外側の世界になりこ む <合わせ離れ>の極意をつかむ。 サブボディがなにかと関わっているように感じたら、 関わっている相手になりこむ。 サブボディがどんな世界像の中で動いているかを感じて世界になりこむ。 サブボディが風を感じていそうであれば風、波なら波、重圧なら重圧と 、 外側の世界になりこむ。 サブボディが、動いている世界像を想像して共振することがで きれば、 その世界に何が付け加われば面白いか、命が共振するままに、 なんでも付加してその世界を豊かにしていけばよい。 それ が世界共創だ。 Ⅲ <離れ離れ>という多次元共振技法 共振は幅が広い。実は宇宙のすべては共振している。 もっとも距離が離れたもの同士共振を実現できれば、その世界の 奥行きが深まる。サブボディの動きとはまったく異質な音像次元 を対置する。無限に多彩多次元的な時空が広がる。サブボディ世 界はじつはこの多次元流動世界である。<離れ離れ>の共振を会 得するには、訓練が要るが、やがてはそこまで進んでほしい。 |
| 2007年6月16日 ●からだに聴く 6月の第1週が過ぎた。 最後の金曜日の午後は、自分でこの1週間に出会った さまざまなサブボディ間のつながりを見つけて ひとつにつなぐ自己探体の時間を1時間とった。 終わった後感想を聞くと、一人の生徒から 「1時間は長すぎた。頭からの考えが次々と出てきて まとまらなかった」という声があった。 その瞬間、わたしも長い間頭で考えすぎて、 失敗を繰り返していたことを思い出した。 その失敗は時をどぶに捨てるかのようなものだ。 頭ではなく、からだに聴くこと。 からだに耳を澄ますことのできる心身状態に自分で持っていくこと。 これが自己調体の課題である。 今月はこれを最初の獲得目標に掲げていたのに、 1時間の自己探体の前にそれを促すことを忘れていた。 生徒が順調に各チャンネルを開いて、新しい体験を広げているかに見えるときほど、落とし穴が待っている。 いかに自分で心身のいい状態をつくり上げていくか、 いくつかのポイントを記しておこう。 ①静寂体になる 第一段階はまず、日常意識と日常体を止め、からだの奥の微細なクオリアに耳を澄ますことのできる状態に持っていくことだ。 ●からだをほぐす・こころをほぐす からだのどこかに、凝りや滞りが残っているとそれが気になって からだに耳を澄ますことができない。 ゆらぎ、ゆすり、うねりなどの調体でからだを十分ほぐして、体の一部への囚われを消す。 ●意識を止める ・言語意識を活性化しない。――無意識的な思考が立ち上がってくるのに気づき、それに念を継がない。また、今度ねとさわやかに言語思考から別れる。 ・自我を発現しない。――難しい、とか分からないとか、自我は未知の領域に入るとき必ず不快な体感や不安感で引きとどめようとする。その自我が立ち上がってきたときも、「君のことはよく知っているよ。でも今はきみのときじゃない。」とさらっと別れる。 ・超自我を相手にしない。――誰の中にもシニカルな批評家や、絶えず善悪、正邪の判断をしつづける超自我、上位自我が棲む。彼らが出てきても、自我同様相手にしない。さらっと別れる。 いずれも、強く制止しようとすると逆効果になる。念を継がず、相手にせず、さらっと別れる極意を身につけることが大事だ。 ●からだに聴く 以上のことができてはじめて、からだの微細なクオリアのゆらぎを味わうことができる静まり返ったからだになる。 (註:からだというとき、物理的な身体のみを指さない。脳心身全体の状態を指してからだと言っている。下意識ではそれらは分かちがたいものだからだ) ②透明流動体になる からだの微細な声が聴こえ出し、それに従い、脳心身全体でそれに乗っていく。それができるようになると、次第に、内外、心身、自他、類個の境界が消失して、クオリアの透明な超伝導状態が出現する。その状態にいかに持っていくか。それが調体から探体へ、そして、透明体への課題である。 どのプロセスを省略してもうまくいかない。昨日うまく行ったからといって今日うまく行くとは限らない。からだの闇はいつも流動している。 その都度、その瞬間ごとに自分で一番いい方法を見つけられるようになること。絶えず注意していないと、無意識から立ち上るさまざまな障害につかまってしまう。だが、最初はそれらすべてを体験しぬく以外ない。意識と下意識の間には無数の落とし穴がある。落とし穴に落ちないと穴に落ちない歩き方や、穴からの這い上がり方は学べない。だが、いちど穴から這い上がれば、からだは二度と忘れることはない。 |
| 2007年6月13日 ●モンスーンとともに 夏学期が始まったその日にちょうど 激しい風雨とともにモンスーンの到来が告げられた。 雹が降り、芝生の上を面白いように跳ね上がって転げた。 今月は、アメリカで奨学金を得て6ヶ月のコースに入学したKatsをはじめ、 ニューヨークの舞踊大学に在学中の麻里子、 ボイスセラピストのアンスケ(ベルギー)、 イタリアのスミタ、イギリスのホリー、 先月から続けているオリン(イスラエル)と、 多彩な顔ぶれが集まった。 全員,かなり前から予約し、サイトも読み込んでくれているようで、 取り組み方が半端ではない。 それでも、意識を止め下意識のからだになりこむというのは そう簡単にできることではない。 はじめて触れる異世界に、意識からさまざまなブロックがかかる。 生徒は毎日その力とたたかってボーダーを越え新しい世界に入る。 日常自我のアイデンテティにない世界に入るときには かならず、激しい待ったがかかる。 「まて! そこから先はあぶないぞ」 「ばかげた真似はよせ!」 さまざまなよい悪い、正しい間違っているなど 二項論理のジャッジメント、難しいという感じ、 得体の知れない不安感、不快感などなど、 すべてエッジのなかまだ。 一日の終わりに生徒と今日の印象を交換する。 ジャッジメントや、難しいというエゴの反応が立ち上がってきたときには、 まだ、朝の調体で意識を鎮静化し、止めるのが不十分なしるしだと捉え、授業前の個人での調体にもっと時間をかけるよう促した。 すでにゆらぎ瞑想、ゆすり調体、体底呼吸、内呼吸といくつかの 調体法を伝えた。これらの中からその日の心身に一番会うものを見つけて鎮静化する方法を自分で見つけるように、と。 5月後半から続けてきて、3週目になるオリンが 「今日はじめて、ジャッジメントなしに動けた」と感動を述べた。 コングラチュレーション! そこから始まるのだ。 そういえば休みの日などわたしは朝から何時間も腰を回したり、 からだをゆすったり、新しいストレッチを考案したりと時間をかける。 これは毎日その都度繰り返さないとだめなのだ。 その入り口さえうまくくぐり抜ける方法を見つければ、 後はサブボディの創造性と共振性の宝庫が待ち構えている。 すでに三日目にして、 一日目は静寂体、 二日目の単細胞瞑想と からだの隠された関節に秘められているヒドン・クオリア探し、 三日目の今日は、 からだの一部から変成が始まるリゾーミング・テクニック、 <序破急>の<序>と<破>、 触れる触れられるのタッチチャンネルと進んできたが 、これにはじめて触れた生徒は、 これまで頭で踊りを作ってきたのがいかに狭いところでしか 発想していなかったかを思い知ったという感想を述べた。 それでも自分の下意識の創造性を開く前には、 激しいブロックが待ち構えている。 いつまで経ってもこのたたかいは終わらない。 わたしですら、自我や超自我に引きとどめられることがしょっちゅうなのだ。 「リー、止めとけ、それはやりすぎだ!」 「どうなっても知らないぞ!」 「自分でもまだ十分解明していないのに生徒を実験に使うな!」 あの手この手の倫理のかたちをとってストップがかかる。 自我も超自我も死ぬことはない。 だが、もう手口はあらかた知ったから、そう怖い相手でもない。 怖いのは時を選ばず噴出してくる未知の解離された分身たちだ。 彼らと知り合いになり、なだめるために、 わたしは毎日長い坑道を掘らねばならない。 (その模様は「多重人格日記」に記している) だが、それもまた楽からずや、だ。 |
| 2007年6月11日 ●5月のミルプラトー 5月コースの生徒が創ったサブボディのビデオ、写真を掲載した 個人別のミルプラトーページができました。 表紙の右側のビジュアルページ欄の生徒の 写真または名前をクリックすると、個人別ページへ飛べます。 サブボディのビデオだけまとめて見るには、ここをクリック。 写真のアルバムページへは、ここから飛べます。 ミルプラトーとは、千の高原という意味。 個と群れの間を自在に往還できるリゾームが たくさん集まって盛り上がり、 無数の高原状の地形を形成していくという 世界変容のイメージである。 わたしの師の一人である、ドゥルーズ=ガタリの著書名 「Mille Plateaux」から採った。 そう、すこしずつ、ほんの少しずつだけれど、 生命の共振を知るリゾームたちの共振の輪から、 世界は変容を始めていくのだ。 ミルプラトーの表紙へ |
2007年6月10日 ●もっとも微細なクオリアからはじめる この夏学期は、長期コースの生徒を迎え、 これまでにないじっくりとしたペースで進む。 それには、意識を最低レベルにまで鎮め、 命が感じているもっとも微細なクオリアに聴き入る 耳を育てることからはじめるのがよい。 そのためには、まず、日常体と日常意識を可能な限り鎮静化し、 命が感じている微妙なクオリアのゆらぎを味わえる 最もいい状態にもっていく方法を身につけることからはじめる。 わたしは先週の休みの間にこれまでに見出した練習体系の中から、 この目的に沿う調体法・瞑想法を吟味して再編集しなおした。 枝葉を切り捨て、もっとも大事なものだけを編集しなおすと、 もっとも微細なクオリアから感じはじめ動きはじめる リゾーミング調体や、六道ゆらぎ通しや、 世界像と自己像の微妙なずれを味わうなどという、 かつてないほど集中的な、かつ新鮮なものになった。 生徒にはこれらの中からその日の自分に合った調体法を見出す、 朝の日課を課すことにした。 毎朝の調子は微妙に違うし、その微妙さを聞き分けつつ、 その日の状態にもっともふさわしい調体法を 自分で見つけるのが基本だからである。 ことばになどできないレベルの自分の微妙な調子の変化は 自分自身でそのクオリアをキャッチするしかない。 こればっかりは、人に導かれたり、促されてではなく、 自分でそのときの自分にあったからだほぐし、こころほぐしを通じて、 鎮静化する方法を身につける以外ないのである。 それができない人が、催眠に頼ったり、瞑想塾へ入ったりする。 最初はそれも仕方がないかも知れないが、 最初から人に頼れば最後まで人に頼る傾向が残る。 ここでは、最初から自力でサブボディモードに入れるようになることをめざす。 サブボディは自立していることが条件である。 サブボディの世界には師弟関係などというヒエラルヒーは実は存在しない。 それらがあるかに装うあらゆる方法は欺瞞である。 さもなければ、下意識は暗示を受けやすいので、 容易に人に操られる。 そして、逆に意識にその危惧が残っている限り、いつまでも 覚醒し続けようとし意識を鎮静化できない。 意識を失うと人に操られるのではないかという 惧れがいつまでも、サブボディモードに入ることを妨げ続ける。 私自身、長年決して自己催眠にかかることができなかった。 それを妨げていたのは、以上の危惧だったのである。 そして、結局いつまでも日常意識を捨てられず、 命の声を聴くことができない。 それは逆に現代の常識的な日常体に囚われ、 自立できないことを意味する。 自立と非自立のこのパラドックスを超え、 人に頼らず、すべて自分でコントロールしつつ 最もよいサブボディモードに入る方法を見つけること。 自分の命の中で自然に起こるサブボディとコーボディの相互転移という 自我を捨てた後の最も美しい生命の透明な共振にまで降りていくためには 自分でその道を歩むことがどうしても必要条件になる。 それには、とにかく、もっとも微細なクオリアのふるえに耳を澄ますこと、 もっとも微細なクオリアを聴きわけ味わい分けること、 自分が感知できる微細さのレベルをどんどん深めること、 これがサブボディへの王道である。 遅々として進まないのはよく知っている。 これまでにない新しい発見に喜び勇む日もあれば、 いくつもの壁にぶち当たり、時にあせり、時にいらだつ。 だが、そうして進んでいくしかないのだ。 わたしはそのプロセスに耳を澄ます産婆となる。 わたしが介入しすぎないことが肝心なのだ。 |
2007年6月5日 ●生活のしかたを見つける 6月からはじまる3ヶ月以上の長期コースの生徒の課題は、これだ。 今まで、1ヶ月コースではとてもここまで手が回らなかったが、 もっとも大事だと感じていた課題にやっと取り組めるようになった。 1ヶ月しか参加できない人もこの機会に、 自分の生活の根本的なあり方を見直す まなざしを見つけてほしい。 この3ヶ月で、自分を最もよい状態にもっていくことのできる生活リズム、 日課、人や自然との接し方、コンディショニングのしかた、 自我の鎮めかたなどを含め、日々の生活を組織しなおすこと。 結局それを自分で見つけ、自分でその生活リズムを 実践するようになれること、 それが何より大事なことだ。 たった1月では、あっという間に過ぎてしまって 生活リズムの変革にまでは至れない。 学校でいっときのいい共振体験をしたり、 いい踊りが創れたとしても、 自分でそれを生みだす生活を創り、 持続できないと何も残らない。 これまでの生徒のなかには、 都会の暮らしの延長のように、 サブボディ学校が始まる前はヨガ教室に出、 終わったらチベッタンの音楽教室に駆けつけるというような 都会並みの忙しい生活を送った生徒もいた。 だが、かたやで意識を止め、下意識に入る授業に出て 終わるや否や、意識を使うクラスに出入りしていたのでは 結局何も身につかないまま、通り過ぎていくことになった。 週末のパーティに参加して、調子を崩してしまう生徒もいた。 そうではなく、休みの日や、授業時間以外の生活も 自分で管理し、もっともよいサブボディ状態にはいれるよう 自己コントロールできるようにならなければならない。 サブボディは24時間体制で働いているのだから、 24時間の生活リズムを自分で制御できるようになる必要があるのだ。 3ヶ月以上持続する生徒が一定以上増えてきて ようやくこの課題に取り組める下地ができてきた。 その代わり、ペースは少し落とす。 今までは一ヶ月にあまりに多くのものを詰め込みすぎていた。 からだの変容速度を聴きながらじっくり進んでいくこと。 それが可能になったのも、 3ヶ月以上の生徒が参加してくるようになったおかげだ。 どうもありがとう。 じっくりとからだの変容速度をともにできる生徒の群れなしに サブボディ共振塾はありえない。 |
| 2007年6月2日 ●透明なからだ 透明なからだとは、クオリアが駆け抜けていくからだだ。 命がさまざまなクオリアに共振していることが、 そのまま透き通って見えるからだだ。 自我意識を鎮めると、命が実にさまざまなクオリアに 瞬間ごとに共振し、共振がゆらぎ、変容していることが分かる。 それをそのままに、さまざまなクオリアが さまざまな速度で、さまざまな方向へ通り抜けていく。 それが見えるから透明なのだ。 いつも通り抜けていれば、 時に滞れば、滞ったことも透明に見える。 そんなからだに変成すること。 からだのもっともよい状態に、自分自身で もっていけるようになること。 それがサブボディスクールの生徒にとって、 当面の最後の課題だ。 からだの声に聴き始めた当初は、 からだに集中するあまり、からだに憑かれてしまうこともある。 からだの状態に振り回されるのだ。 とくにからだが沈潜したときにそこから抜け出せないことがある。 それを巧みに違うクオリアに切り替え、 からだに通す。 ほんとうは命も下意識も驚くほど多彩なクオリアと 絶えず共振している。 命が感じているままに、かすかなクオリアとの 共振をキャッチできればそれが可能となる。 5月コースの第4週最終日には、生徒自身が これまでに学んださまざまな調体法を使って 自分自身でもっともよい状態のからだに もっていくことを課題とした。 生徒はほんのすこしだけそれができかけてきた。 午前中のサブボディ・ソロに続き、 午後からの少数の観客を迎えての コーボディパフォーマンスでは、 互いのサブボディの動きの世界に 共振を感じるままに入っていった。 毎月のサブボディ=コーボディシアターはずいぶん味が違う。 サブボディ度が深まる月と、 コーボディ度が深まる月がある。 今月はサブボディ、コーボディというより、 生徒同士が自我を投げ捨て、 純粋な生命共振がほんの少しだけ 深まったことが見えた。 そして、終わるや否や、 わたしは、すぐさま深い眠りにつき、眠りの中で ここから先どこへ行きたいのか、 命との会話が始まった。 いつものことだ。ひとつの課題が少しでも達成されると、 その向かうに巨大な闇が姿を現す。 すべてのことは瞬間的に通り過ぎていく。 留まることがない。 これが命だ。 |
| 2007年5月 |
| 2007年4月 |
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