March 2007
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2007年3月
2007年3月31日


サブボディ生成現場で考える

上下、内外、善悪、正邪、貴賎などの二元論理、
階層原理(ツリー思考)が常識となっている日常世界と、
上下も自他も心身の区別もない非二元かつ
多次元を変容流動しているサブボディのリゾーム世界を
とりだすためのリゾーム論理と、
その両者を行き来するツリーリゾーム論理を
見出そうと長年探求してきた。
だが、それは思考チャンネルだけで考えようとしても
無駄なことがわかった。
そうではなく、生徒が自分のサブボディ
=下意識のからだの世界に潜って取り出してきた
サブボディの動きをいかに全面的に開花していくか
というサブボディ共振塾の現場こそが、
またとないそのリゾーム論理探求の
現場でもあることに気づいた。
まさしくそこはまぎれまない非二元かつ多次元変容流動
世界で生きているサブボディの動きに
じかに触れることのできる場所であるからだ。
こここそがわたしの現場なのだ。


世界像=自己像を自在往還する

週末はいつも、
自分の命に何がしたいのかを問いかける。
朝から瞑想して、うつらうつら
思い浮かぶことをノートに書き並べていった。
まず、一番ホットな関心は
3週目に入って、形を取り出してきた
生徒のサブボディダンスが、つぎに
どんな次元に膨らんでいきたいとしているかを
生徒のそれぞれのサブボディの中に入って
感じ取ることだ。
生まれようとしているサブボディの鼓動を聴くこと、
それがサブボディの産婆としての第一の仕事だ。
その作業の中では、わたしの自我はどこかへ
消えてしまう。自他も内外も心身もない世界で
ひたすら共振し続ける。

すると、来週一番に各人にアドバイスする
内容が次々と浮かび上がってくる。
3年目になる育子は、悪夢の体験を連ねた
長いサブボディダンスを作った。
信司は、運動会前の緊張と、
実際に走り出したときになぜかうまく
走れないという夢の体感から発するサブボディを
つかみ出してきた。
スイスのゼンタは、各チャンネルを開いて
ディープな味わいの多彩な踊りを作って見せた。
(これらは、来週中にはビデオを
アップできる予定だ。)

一人ひとりへのアドバイスを書き連ねていると、
そこにひとつの共通項が浮かび上がってきた。
たとえば、育子には、
今週は悪夢に追い詰められおびえている
夢の中の自己像をつないで踊りを創った。
来週は、誰がその悪夢を見させているのかを
感じてみることから始めるようにという
アドバイスが出てきた。
そして、悪夢に追い詰められる自己像だけではなく、
自分を追い詰めいている世界像のほうにも
なりこんで踊りをつないで見れば
その全体像がさらにはっきり
透明に見通すことができるようになるはずだと。
信司にも、
自分に緊張を与えている側の力のクオリアを感じ、
そこにからだごとなりこんで、
どんな動きが出てくるか、
試みてみるようにというアドバイスが出てきた。

その悪夢を見るのは自己像と世界像をもつ
自分だが、その夢を見させているのも
自全の中にいる夢の創造主なのだ。
夢の創造主は自己像も世界像も混在して変容流動している
自全のもっと深層領域に棲んでいる。
その創造主になりこむ。
自己像と世界像はいつも一体となって
変容流動している。
その両方の世界を自在に往還する力がつけば
自全の闇を透明に見渡すことへの大きな力になる。

先行者ミンデル

これは、わたしの最大の師、
アーノルド・ミンデルの手法のうちにもあるもので、
何かから圧迫を受けている体感がすれば
ときにはその自分を押してみるほうの力に
なりこんで、クライアントにミンデルのからだを
押してみなさいという場面がたびたび出てくる。
サブボディの世界では主客が入れ替え可能なことに
気づかせてくれた。

ミンデルのプロセスワークの用語では、
夢の世界は、「ドリームランド」、
夢を見させている力をもつエッセンスの世界を
「ドリーミング」と呼んで区別している。
「ドリーミング」は、ユングが「無意識」と呼んできたものだ。
このドリーミングの世界には、主体と客体の区別はない。
観察者と観察される対象の間に識別できる分離はない。
無意識に棲む「夢の創造主(ドリームメーカー)」の力が
吹き込まれることを「ドリーミング」と捉えている。

「夢の創造主」という用語はいかにも
キリスト教文化圏の元型に囚われているので
なるべくなら使いたくないが、
今は、ほかに適当な言葉が見つからないので
ミンデルに敬意を示してその用語を借りておく。

もう少しミンデルの説明を引用しておこう。
「ドリーミングは、夢の源である。
ドリーミングはセンシェントな、前言語的な体験である。」
「明晰な注意力(ルシディティ)とは、
日常生活に生起するドリーミングの傾向に
注意を払うことを意味する。
もし、あなたが「それ」に気づくならば、
すなわちもしあなたが明晰ならば、
あなたは「それ」の感覚や傾向をイメージ、
動作、ダンス、その他あらゆるものに展開することができる。」

――ミンデルの近著『プロセス指向のドリームワーク』の
この一節を読んでびっくりした。
まさしくミンデルもサブボディダンスを呼び出すことと
同じことをやろうとしている、と。
初期の『ドリームボディ』のころからすると、
出す新著を読むごとに、
サブボディに近づいてくるとひしひし感じるてきたが、
この著作になると、もうサブボディダンスを
取り出すのと同じプロセスがそっくり現れてくる。
もともと同じ領域を探求してるのだから
似たようなことになるのも当然かも知れない。
『クオンタム・マインド』では、彼の出身地である
量子力学の世界にとどまっていることが少し残念だったが、
近著の『身体症状に<宇宙の声>を聴く』では、
とうとうストリング・セオリー(ひも理論)にも触れだした。
共振原理にも、ミンデルは気づいている。
ミンデルは、本当に世界で一番頼りになる
からだの闇を掘る先導者である。
わたしが孤独に掘り進んでいるからだの坑道で
ふと立ち止まれば、すでにミンデルが掘った
堀り後があるのがわかり、孤独でないことを知る。

わたしが使ってきた「微細なサブシグナル」という言葉は、
ミンデルは「センシェントな傾向」と呼んでいる。
「透明覚」は、「明晰な注意力」にあたる。
こういう相同性を発見するたびにわたしは力づけられる。
わたしも「かすかな傾向」を感じるように、
という説明のしかたを、今年から取り入れた。
すると生徒もよりくっきりと感じ取れるようになった。

ミンデルも、幾万ものクライアントとの経験の現場で
考え続けていることがわかる。

さて、共振塾の現場に戻ろう。

スイスから来たセンタは、
長年ドイツのダンスシアターで
ダンサー、振付家としてやってきた経験をもつ。
サブボディメソッドも、来る前から
熱心にサイトで読んできてくれている。
それでも、ここで体験する
からだのうちのサブシグナルに耳を澄まして
そこから踊りを創りだす経験はまったくの
初めてだという。
新しい経験を、一日も休まず、
積極的にからだで消化しようとしてくれている。
彼女には、彼女にとって大きい
世界像であるダンスシアターという世界像に
立ち向かってみるようにという
アドバイスが出てきた。
近代の劇場は、観客と踊り手がくっきり
二つに分かれている。
そのシステムに対し、
いまの自己像はなにを感じているか、
そこから劇場という世界像と
自分の作り出したサブボディという自己像との間に
どんな関係が生まれるか、
それを踊ってみるようにいうつもりだ。

わたしは、長い間近代の劇場形態以外の
方法が見つからないか、長い間模索してきた。
いまは、生徒のサブボディとコーボディの間に
生成する共振関係を、観客のいない、
空間で試行してきた。
だが、そのうち劇場に観客を呼ぶ形態について
模索している最中だ。
金曜日ごとの最後のサブボディ・シアターに
生徒の友人を招待することを
続けてきたのもその一環だ。

少数でもダンサー以外の観客がいると
生徒のからだは微妙な変質を受ける。
微細な緊張が生まれる。
それをどうプラスの力として組み込んでいけるか、
そして、かつてない踊り手と見所が共振する
劇場のかたちを発見・創造できるか。
ここから先は、今年以降の課題となる。

もちろん、そのためには
生徒のサブボディそのものが
観客との間で生起する共振をすべて透明に見通して
踊りに繰り込む力を十分にもつことが必要だ。

第4週はその課題に向けての、
離見や世界ウオークという練習が用意されている。









2007年3月30日

体底呼吸から八覚リゾーミングへ

3週目の最終日。
体底呼吸も第1週の第1ステージから第3ステージに入る。

体底呼吸の第0ステージは、
ただただ自分の呼吸を感じ、観察する。
ボトムはどう動き、腹筋、横隔膜、
胸はどう動いているか。
鼻口のどは何を感じているか。
呼吸を仔細に眺めつつ楽しむ。

体底呼吸の第1ステージで
呼気を吐ききるとともに、
体底を締めはじめる。
体底とは、肛門周りの筋肉と、
4つに分かれている腹筋の最下部だ。
そして、それを緩めると同時に
空気が自然に入ってくる。
最初はこれを繰り返す。

体底呼吸の第2ステージでは、
体底を緩めるとともに、
空気を仙骨から脊髄に沿って送りあげていく。
首、頭、額、目、鼻へ
口に来るとともに呼気をはじめ、
再び体底を締めはじめる。
タオでいう小周天の動きだ。
空気が送られた部位と対話する。
「今日の調子はどうだい?」
固まっていれば膨らまして新鮮な
空気を送る。
やがて、八方小周天に移る。
水平の大時計を床の上に想像する。
自分はその中心にいる。
前が12時、後ろが6時だ。
6時から吸い上げ、12時に吐きおろすのが
小周天だ。
それを7時の方向(斜め後ろ)から吸い上げ、
1時に吐き下ろしていく。
順次、8時―2時、9時―3時と一周する。
からだの各部の調子を聴く。

体底呼吸の第3ステージでは、
息を吸い始めるときだけ
体底をゆるめ、すぐまた締めはじめる。
呼気のときも吸気のときも
体底は締め続けている。
そして、からだの下部から順次
上部に吸った空気を送りあげる。
下腹部、腹部、胸部、上胸部、首、頭へと
じょじょに空気を送る。
送る空気とともに内臓の各部の調子を聴く。

体底呼吸の第4ステージは、
逆に胴体の各部は動かさず、
体底の開け閉めだけで呼吸する
最小呼吸だ。
これは、衰弱体や死体になりこむ
第4週以降の課題となる。

今日は第4ステージの体底呼吸につなげて
体底からの八覚リゾーミングに入った。
この流れは今日が初めてだが、
流れがとてもよい。
難しいボトムからのリゾーミングに
やすやすとつなげていくことができた。
新しい発見だ。

体底からの八覚リゾーミング

リゾーミングとは、体の一部から
微細な変化が始まり、じょじょに隣接部に
そのクオリアを広げていく技法だ。
今日は体底から各チャンネルのクオリアが
体底呼吸とともにからだをゆっくりと
立ち上っていく。

1.体感チャンネルのボトム・リゾーミング

体底呼吸の体底を締める体感を、上げていく。
体底から下腹部を締め、腹部、胸部、首、頭と
じょじょに緊張させていき、
最終的に体全部がこわばるまでいく。
これがボトム・リゾーミングだ。
そして、緩める。
次々に異なる体感クオリアを
ボトムからリゾーミングで通していく。
重さ、暖かさ、冷たさ、軽さ、などなどだ。
クオリアはいつも共振しているから
重いとか、暖かいと思うだけで
からだの各部が反応し変化していく。

2.運動チャンネルのボトム・リゾーミング

体底から、六道ゆらぎの動きが
ボトム・リゾーミングで徐々にあがっていく。
六道ゆらぎとは、微細な6種類の動きである。
一つ目は、微細なゆらぎ。
かすかなゆらぎが体底からはじまり、
1で書いた順番にじょじょに上部に広がっていく。
二つ目は、微細な震え。
体底から震えだし、上部に広がっていく。
左右の震え、前後の震えを広げていく。
三つ目は、うねり。
体底に小さな蛇が忍び込み、脊髄をうねりくねりながら
這い上がっていくと想像するとやりやすい。
すべての生き物は固有の生体のうねりを持っている。
ミミズ、青虫、尺取虫、くらげ、アメーバなど、
さまざまな生物の固有のうねりを
背骨で味わいながらあげていく。
これに習熟すると、
あらゆる生物になりこむことができるようになる。

3.音像チャンネルのボトム・リゾーミング

今日は映像チャンネルを飛ばして
音像に移った。
はじめに、体底呼吸の吸気とともに
のどとからだを完全に緩めていく。
人間の声を出す習慣的な緊張から
喉を解き放つ。
そして、聴こえるか聴こえないかの
かすかな体腔から出る呼吸音からはじめ
徐々に自分固有の体腔音に増幅し味わっていく。
この自分のからだのもっとも基本的な
体腔音を解放できるととても気持ちがよい。
そして、体腔音と、口腔が共鳴して鳴り出す。
さらに鼻腔や副鼻腔も共鳴しだす。
体腔や口をいろいろにくねらし動かすと
さまざまな変化が起こる。
しばらくその多彩な変化を味わいつつ
からだが赴くままにでてくる音を楽しむ。

4.情動チャンネルのボトム・リゾーミング

音像流を解放すると、そこに微細な情動や感情の
クオリアが共振して動き出すのを
キャッチすることができる。
顔やからだをいろいろに動かし、
情動流のおもむくまままに
体腔音と体や顔の動きを広げていく。

5.関係チャンネルのボトム・リゾーミング

情動がうねりだすと、
自然と対人関係像流も伴いだす。
だれかとの諍い、想像上の生き物との支離滅裂な会話、
ふざけあい、口論、いたずらされたり、仕返したり、
赴くままに関係像流を遊ぶ。

――ここまでの練習をすると、
からだの闇は活性化し、無数の予期せぬ
クオリアが現れてくる。
それを捕まえ、従い、増幅していく。
今日はその動きと、これまで3週間で出てきた動きを
可能な限りすべてつなげてみることを
生徒にうながした。

ボトム・リゾーミング技法を使うと、
それまで関係ないと思われていた
個別の動きが微細なサブシグナルから、
異次元を開畳してすべてつながっていくことが
体験できる。
生徒は午前30分、午後1時間の自己探体の時間で
これまで出てきたサブボディをつなげて見せてくれた。
今編集中の今日のビデオを近日中にアップする
予定にしているから楽しんでほしい。
今年の3月コースはレベルが高い。
3年目になる育子と、ドイツのプロフェッショナルダンサー
・振付家のセンタによい影響を受けて、
信次、ダナ、マリア、ダミアンらも
ユニークなサブボディ世界を開示しだした。

来週4週目は、さらにこれらのサブボディを
世界にたったひとつの踊りへと
磨き上げていくことになる。


2007年3月28日

各チャンネルの<元型>に触れる

今日は目隠しをして裸足で学校の周りの
さまざまな場所を歩く<闇歩行>の練習からはじめた。
パートナーにガイドされつつ、
30分間、闇の不安と闘いながら、
さまざまな未知のクオリアに触れていく。
生き物が持つ原生的な感覚が目覚めてくる。
見当のつかないものに触れると、
闇の中で下意識の想像力が弾ける。
無数の幻影が立ち上る。
そのときさまざまなチャンネルに
ユングの言う<元型>が忍び込む。

ユングは、彼の患者が囚われる
自己像の元型に主に注目して、
影という下位人格元型、
老賢人、童子、母、トリックスター、
そして、アニムス、アニマなどの関係像元型を
世界の神話や民話の研究を通じてつかみ出した。
それらは、民族を超えた
人間の集合的無意識から立ち上り、
わたしたちを深く捉える力を持っている。

だが、そればかりではなく、
わたしはからだの闇を掘る中で、
元型はあらゆるチャンネルに現れることに気づいた。

世界像チャンネルでは、地獄や天国、楽園や酸土、という
典型的な世界像の元型があらゆる民族にある。
体感チャンネルに訪れる金縛りや
幽体離脱という体感も元型のひとつだ。
運動チャンネルには、戦いや浮遊、飛翔の元型。
映像チャンネルには、光と闇、デジャブ(既視感)や
その逆のジャメブ(未視感)の映像元型。
音像チャンネルには、何者かからのささやき、
神からのお告げ、死者からの誘いなどの音像元型。
情動チャンネルには、喜怒哀楽愛憎嫉妬などの
典型的な感情元型。
関係チャンネルには、白馬に乗った王子様、
ボーイ ミーツ ガールなどのラブストーリー元型、
怨霊、権力、迫害など無数の関係元型。
ハリウッド映画はそれらの元型を巧みに利用している。
そして、思考チャンネルはもっとも現代に普遍的な
二元思考の元型が忍び込む。
上下、善悪、正邪、貴賎、敵味方。
それらはすべて、遺伝子に刻まれた人類史の遺産だ。
日常世界にも元型の支配は満ちているが、
病気や不安に襲われたとき、それらは
力を増してとりついてくる。
ときにそれらはわれらを力づけるが、
創造力を食い殺し、決まりきったパターンの中に
取り込もうとする。
下意識の創造力を解放していくサブボディの旅では
かならず、この元型と対決しなければならない
瞬間がやってくる。

今日はその課題に挑戦した初日だ。
生徒は闇の中にさまざまな元型(のようなもの)
に触れたという。
「今迄で一番強烈で新鮮な体感を経験した」
と口々に言う。
その経験がどんなに膨らんでいくか、
元型との対決を通じて
生徒がどんな固有の創造を切り開いていくか、
これからが楽しみだ。


2007年3月27日

ドリームボディになる

今日は各人固有の原生夢の世界に入っていった。
夢見るからだをアーノルド・ミンデルは
ドリームボディと名づけている。
リームボディとサブボディは
切っても切り離せない兄弟だ。
もともと同じからだの闇=下意識から出てくるものだ。
両者にはほんのわずかの差異がある。
夢の場合は体が動かない。映像チャンネルだけで見る。
これに対しサブボディはそれにからだの動きを与える。
全チャンネルを開いて、
からだごと夢の世界に乗り込んでいくのがサブボディだ。
ドリームボディにからだを貸し与えるのが
サブボディだといってもいい。
逆にドリームボディ-夢とは、
からだを動かさずに映像チャンネルだけで見る
サブボディ劇場である。

1.静かに横たわり、半眠半覚状態になって瞑想する。
からだの闇から立ち上がってくる
眠りに落ちる寸前のからだの心地よい快感や
からだを駆け巡るさまざまな微細なクオリアを味わう。
そのなかで、自分にとっての原生夢を思い出す。
何度も繰り返し見て忘れることができない夢や、
これまでの人生で見た一番ひどい悪夢など、
だれでも一つか二つは持っている強烈な夢が原生夢だ。
とりわけその夢の中の世界像や味わった体感を詳しく思い出す。
2.その夢の中で味わう体感や世界像や、あらすじをメモに書く。
3.半眠半覚のまま、床を脱力して転がる。
自分ではなく、何かに動かされている体感を思い出す。
4.二人で並んで交互に乗り越えながら転がる。
ほかの世界がドリームボディに乗りかかってきたり、
運ばれたりする体感を味わう。
5.全員で並んで転がりヒューマンオーシャンになる。
最後尾の一人がヒューマンオーシャンの上に乗り上げ
順々に運ばれる。夢の世界でたゆたう体感を味わう。
6.全員が重なり合ってヒューマンマウンテンになる。
下の人が頂上に乗り上げ、また沈んでいく。
全員でわけの分からない多次元世界に巻き込まれている
夢の多次元的な体感を楽しむ。
7.疲れたら、ヒューマンマウンテンのどこかに
心地よく休める場所を見つけて静まる。
8.そして、一人が自分の悪夢を語りだす。
語り終えると夢の中の自分の体感を味わいつつ動き出す。
9.ほかの人は主人公の体感か、
夢の世界の事物かになりこんで一緒に動く。
10.一人が終えたら次の人に夢に入る。
11.全員の夢がすんだら、30分間の自己探体に入る。
12.今日語った夢の体感から出てくる動きを探す。
ほかの夢も思い出したらその夢の動きともつながりを見つける。
13.見つけた夢の動きを動きを、ほかの人に見せあう。
ほかのひとはそれをあたかも自分の夢の
続きであるかのように見、体の中に沸き起こる共振を味わう。
14.すべて終わったら、
半眠半覚瞑想をしながら、夢に問う。
きみはどこから来たんだい? 
そして、どこへ行こうとしている? 
わたしに何を告げたいのかい?
すぐに答えが返ってこなくていい。
このサブボディプロセスの最後になってはじめて
なんらかのつながりが明らかになる。
あるいは、何年も後にふと気づくことがある。

原生夢はわたしたちの創造の宝庫だ。
なによりも忘れられない強烈な体感が伴うのがいい。
すべてが自分の命の、あるいは自全の創造物だ。
それを材料に無数の多彩なサブボディダンスを
見つけていくことができる。
そのプロセスをサブボディとなってたどりぬくことで、
自全の未知の領域を旅することができる。
見知らぬ自分と友達になることができる。


2007年3月26日

即興共振するからだを開く

三週目となった。
土日に生徒の一部は日常生活に戻る。
月曜はなかなかサブボディ・モードに入りにくい。
午前中は長い生命遡行瞑想から始めた。
その詳細は、実技ガイドと生命論を見てほしい。
そこから、生命が40億年の間にたどってきた
さまざまな原生的なクオリアをたどりなおす。
当初の生命はまったく動けなかった。
ただ、生き続けるというクオリアのみを保持していた。
そこから、呼吸を発明し、動きを発明し、
他の細胞との共生によって、多細胞として生きる
道を切り開いてきた。
だが、世代の交代のときは
いつも最初の単細胞に戻る。
わたしたちの生は、単細胞生命の相と、
多細胞の相を往還しつつ、
40億年間の無数の世代交代を経てきた。
そのプロセスで経験した重大なクオリアはみな
遺伝子の中に刻み込まれている。
その中から、今の自分にもっとも深く響く
クオリアを見つけてなりこむ。
その動きはその人のサブボディダンスの
もっとも原生的な相を支えるものとなる。

午後からは、三人一組になって、
真ん中の一人が自分の原生的なクオリアを思い出しつつ。
他の二人がさまざまな外界からの刺激を与える。
真ん中の一人は、それらのクオリアに反応しつつ
生命がたどってきた幾多の経験を思い出す。
それぞれの生き物はそれぞれの世界を見つけ
常に新しい生き方を発明してきた。
世界像と自己像はそこでひとつのものとして生まれる。
水中生物の世界像と自己像、
穴居生物の世界像と自己像、
それら多彩な世界像のなかの
独特の生のクオリアを味わう。
周りの二人は、真ん中の生物が体験している
クオリアをシェアしつつ、外界からの
幾多の思いがけない刺激となってふりかかる。
時に火山や地震、時に嵐、ときに他の生物となって
思いがけない刺激を与える。

一人の生徒はこの経験から
「自分の心をのぞくことができた」という。
べつの生徒は、
「からだが自然に反応して動き出すのをつかめた」という。
こういう自我から出てきたのではない動きや心の動きを
知ることがサブボディに触れることになる。
毎日、おたがいのこういう微細な気づきを
交換できるようになってきたことがうれしい。

この三人インプロの体験を経て、
一日の最後に、その日見つけたサブボディの動きをシェアしあう
サブボディ=コーボディ劇場では、
周りの人はサブボディに自由に共振して即興する
フリーインプロビゼーションで
共振することができるようになった。
なんの決まりもなしに
即興共振するからだが少しずつ開いてきた。
実に多彩なサブボディと、
コーボディの動きを楽しめるようになっていく。
コーボディとは、共振しているサブボディだ。
別物ではない。
そのことがだんだんリアリティをもって
からだの腑に落ちていく。
より深い相へ降りていく3週目の
今日はまずまずの滑り出しだ。


2007年3月24日

情動から元型との対決へ

3月の第二週は、八覚チャンネルのうち、
体感運動映像音像、そして、
情動チャンネルまでを開いていった

情動は、からだの生体反応領域と、
意識をつなぐメインパイプだ。

情動はほかのさまざまな心身チャンネルの
クオリアが絡み合っている複合チャンネルだ。
だから、いきなり情動チャンネルに
触れようなどとしてもだめだ。
それと絡み合っているほかの
チャンネルをも同時に開いていく中で
はじめて情動チャンネルに
アクセスすることができる。

23日の金曜日は、百丹三元ブロックという手法で、
からだの各部に折りたたまれている
情動クオリアを解いていった。
百丹三元ブロックはさらに次のようなさまざまな練習が、
さざなみのように相互作用していくことによって、
折りたたまれた情動に触れることができる。

1.百丹三元ゆらぎによって各部への微細覚を開く。

2.体底呼吸によって、普段は意識されていない
からだの深部からの微細な感覚に聴きこむ。

3.喉の日常的緊張を解き、動きとともに
人間以外の体腔音が自然に出てくるからだに解き放つ。
音像チャンネルを開いて、からだから出てくる
野放図な体腔音に従っていると
自然に情動もそれに伴って動き出すのが分かる。

4.目の三元。普段使わない斜め方向や
内部の闇を見つめる目の動きに連れて、
深部に折りたたまれているサブ人格に触れる。

5.百丹三元ブロック―リリースによって、
からだの各部の緊張に折りたたまれている
微細なクオリアをキャッチする。

6.微細な体感クオリアが、無意識の情動を揺り動かし、
意識が感知できる感情へ転化して、
顔の表情やからだの動きに立ち上っていくプロセスを
透明に見透かす。

7.そのプロセスを無数の細かいプロセスに
細かく切り刻み(微分)、
それぞれの細かいクオリアの差異を
十分に味わいながら少しずつゆっくり発現させていく(差延)。
この差延微分の方法を使うことによって、
情動を急速な即時反応的な回路ではなく、
大脳皮質をゆっくり通る遅延回路を通って
発現させることができる。

情動反応には、大脳皮質を通らない即時反応回路と、
大脳皮質を通る遅延回路があることが知られている。
(ジョセフ・ルドゥー『エモーショナル・ブレイン』1996)

差延微分の方法は、即時的な反応経路ではなく、
さらに通常の遅延回路でもなく、
そのプロセスを細かく刻んで微分し、
ひとつひとつのクオリアの差異を
あらゆるチャンネルを通してじっくり味わいながら、
ゆっくり情動が発現していくプロセスを
透明に見せるからだになるまで訓練を積む。
並大抵のことではないが、
生徒はともあれトライした。

まるごとクオリアの動き

20分の探体の後、
出てきたサブボディの動きは
これまでにない実に多彩な味わい深いものとなった。
チャンネルがひとつだけの動きは味が薄い。
さまざまなチャンネルが統合して
まるごとクオリアの動きになったとき、
深い味わいのある踊りが現出する。

ある生徒は、
「目を斜めに素早く動かしていると、
自分の中に見知らぬサブ人格がいることを知った。」という。
ある生徒は、
「体のあちこちに情動をせき止めているブロックの存在に触れた」という。
西洋でダンサーとして長く活動してきた生徒は、
「これまでは振付けられたからだの動きだけで踊ってきた。
そのときも動きから情動が付随してくるのは感じていたが、
今日はじめて情動や顔の動きから踊りだせる快感を体験した。」
という。

情動回路の解放には注意が要る。

世には、抑圧されている情動を
ただただ解放するのがいいと誤解して、
叫びまくらせる療法などもあるが、
それは人間の心身の多次元にわたる精妙な
仕組みへの気づきに導くことがない。
おまけに重大な副作用をもたらす。
叫んで興奮し、アドレナリンモードになったからだは、
免疫回路を停止させる。
その隙にビールスやがん細胞の増殖が活発化する。
そういう隙を作っていはいけないのだ。
アーノルド・ミンデルもそういう療法を厳しく戒めている。

人間のからだを、排気筒が詰まったエンジンや
機械のような粗雑なものとの類推で
理解することはできない。
入力・出力というようなコンピュータ概念で
類推してもならない。
悪いところがあると、
その症状を抑える薬を大量に服用させる
現代医学に頼ってもならない。

人間の心身はそれらの粗雑な見方では
捉えられない多次元を玄妙なしかたで変容流動している。
その玄妙さに畏怖することを忘れてはならない。

自分の中の超複雑な精妙な過程を
すべて透明に見ていくことから、始めねばならない。
病気を引き起こしている自分が
いのちの持つ原生力からどれほど遠ざかっているかを
自覚すること。
自己治癒力や創造力や共振力など
大事な力が折りたたまれている原生力を
いかに取り戻していくか。
その基本的な視点が必要だ。

さて、来週の三週目からは、
もっと深いところに降りていく。
生存から立ち上る欲望や、コンプレックスや、
トラウマや、悪夢の根源では、
いつもユングの言う集合的無意識と、
その現れであるさまざまな元型の問題にぶつかる。
ユングは自己像の元型だけに注目したが、
元型はさまざまなチャネルを通じて襲い掛かり、
わたしたちの創造力や創造力を
規制のパターンに封じ込めようとする。
いよいよ、あらゆるチャンネルでの元型との対決という
未曾有の課題に立ち向かうことができるようなところまで来た。

この週末はその準備に取り掛かろう。


2007年3月23日

今学期が始まって二週間になった。
世界各国から集まった生徒たちが、
二週間、瞑想とからだの闇に潜って
サブボディをつかみ出す練習の結果、
そろそろユニークなサブボディが産声をあげ始めた。
人間の創造的下意識にひそんでいるものの
多彩さ・豊かさに日々驚かされる。

今日はヒマラヤの尾長ハゲワシと、
マヌカンという白毛のサルが練習場を覗きに来た。


2007年3月22日

思考をいかに止めるか

今日はこれまでの微細な体感の聴きこみに加えて、
その体感を増幅していくときに
背後の空間や上空の空間
床空間への入り方を練習した。
からだの中にはさまざまな方向への微細な傾向が
詰まっている。
それらを安全に解放していくために
必要なテクニックだ。

これには、デビッド・ザンブラーノの
フライング・ローテクニックや
コンタクト・インプロヴィゼーションの
安全な4インチの空間にからだを滑り込ませていく
テクニックが有用だ。

それらを練習した後、20分の探体に入る。
出てきた動きは床やあらゆる方向の次元に拡がっていく
多彩なものとなった。

終わった後、生徒から次の質問があった。
「20分間の探体で、からだに聴き込んでいるとき
いつの間にか、思考が始まっている。
これをどうすればいいのか?」

それは、とても自然なことだ。
思考は無意識的に立ち上がってくる。
そのとき、こういえばいい。
「きみ=思考はわたしの自全のなかの
重要な一員だ。よく知っている。
でも、今は出番じゃない。
いまは、体感へのリスニングに集中するときだ。
また、あとで必要になるからそのときにね。」

でも、押さえつけるばかりでは
思考は止まらない。
思考にほかの余裕のないほどの仕事を与えることが
最大の対処法だ。
からだから聴こえてくる体感を微細に聴き分ける
仕事を与えるのがいい。
これは難しいがやりがいがあるから
思考も一生懸命取り組んでくれる。

<鮮深響>に集中する

探体において、重要な仕事は、
<鮮深響>のシグナルを見つけることだ。
思考チャンネルにこの仕事をお願いする。

まず、思考チャンネルに、いま感じている
サブシグナルのうちから
新鮮な快感を伴うもの、これまでに味わったことも
見たこともないというサブシグナルを見つけさせること。
それが、<鮮快>だ。
<鮮快>は、探体の最初の入り口として
もっとも普遍的なものだ。
いのちはいつも新鮮なものを求めている。
それに出会えば喜んで追求しようとする。

つぎの段階は<深快>だ。
体験するクオリアのうち、
なぜか理由は分からないが
なぜか気になる、自分の深いところに
つながっていそうな気がするものに出会う。
これは、自全のなかのより深い位相に
導いてくれるものだから大事にする。
<序破急>の<破>に導いてくれるものが
この<深快>になる。

さらに、探っていくと、
放っておいても体全体が興に乗り、
自全の全体が震えだすものがある。
これが<響快>だ。
それを見つけると、<序破急>の<急>にいたる
入り口が見つかる。

最初は区別つきにくいかも知れないから、
思考にはそれを味わい分ける仕事に専念してもらう。
すると、余計なことを考え出す暇がなくなる。

実際の練習では、つぎから次へと
これまでに見知らぬ新しい課題を
こなさねばならないようにプログラムを組んでいるので
思考が入る余地は少ない。
だが、一人になってサブボディを探ろうとすると
ときに思考が立ち上がる。
そのときにこの<鮮深響>を思い出して、
思考にお願いするのがいい。
明日は、<鮮深響>に取り組む練習をとりいれよう。
このごろは、生徒からの質問が
次の日の課題を教えてくれる。
それはいまサブボディがどんな状態にあるかを
告げてくれるものだからだ。


2007年3月20日

胎内瞑想から共振タッチへ

今日もいつものように、ゆらぎ瞑想からはじめる。
なぜ、ゆらぎ瞑想からはじめるのか。
微細な生命ゆらぎの中にあらゆる要素が
小さく折りたたまれて詰まっているからだ。
そこから、あらゆる次元へ広がっていくことができる。

今日は、心地よいゆらぎを見つけて
その中でたゆたいながら、
この心地よさはどこから来るのか。
命に問いかけていった。
おそらく、母親の子宮の中にいたころのクオリアが
呼び覚まされているのだ。
胎内でゆらいでいたころのことを思い出す。
まだ、自分が人間であることなど知らなかったころのことだ。
自我もまだない。
ただ、母体と胎児はひとつの生命共振の中にたゆたっていた。
どんなクオリアの夢を見ていたのだろうか。
どんな音楽を聴いていたのだろうか。
それを思い出すには、よい方法がある。

●体内音を聴く

一人が横たわり、もう一人はその腹部に耳をつけて
体内音に聴き入る。
内臓の不規則な流動音、ほぼ規則的だが
生命ゆらぎのリズムでゆらいでいる心音、
呼吸音などが聴こえる。
もっと、微細に耳を澄ませば、
血流の気配も聴き取れる。
体内にはさまざまなリズムの
生体音楽がいっぱい詰まっている。
これがわたしたちにとっての最初の音楽だった。
10ヶ月をこの心地よい生体音楽とともに
共振していたのだ。

●生命共振に身をゆだねる

今日はここからリゾナンス・タッチ(共振タッチ)に
自然につながっていく回路が開けた。
一人が横たわり、もう一人は、
そのそばに大腿と大腿を触れ合って座る。
それだけで、大腿部が生命共振を感じ取る。
生体ならではの温みとゆらぎに触れるだけで
わたしたちの中の何かが大きく変わる。
手のひらを相手の腹部に近づけて
手のひらのざわめきに聴き入る。
手の細胞が腹部の細胞と共振してともにゆらぎだす。
一つ一つの細胞もまた呼吸し、消化し、排泄しいてる。
微細だが、みな立派な生命活動をしている。
その微細な波動に聴き入る。
手が勝手に最も心地よい共振はどうで震えだすのに任せる。
からだ全身でその心地よいバイブレーションをシェアする。
本質は生命共振だから、フィジカルな振動は最低限でいい。

今日は仰臥の姿勢と伏臥の姿勢で共振タッチを行った。
さらに、背中と背中をつけた姿勢、
腹と腹をつけた姿勢で生命共振を体全体で聴きあう。
命とは何か、先週クラスに入ったころは
何が命なのか、雲をつかむような感触しかなかった
生徒が、今日は命をとてもクリアに
感じることができるようになったという。

2007年3月20日(生徒の質問に答える)

情動を制御できるか?

午後からは、映像チャンネルを開く一連の練習を行った。
単細胞だったころの生命が体全体でいかに
光を捉えていたか、から、
生誕、成長、衰弱、死にいたるまでの
さまざまな映像チャンネルの出来事を
体験しなおす。
詳細は長くなるので省くが、
ものを見ながら共振する心を失う
ヒューマノイドになる体験や
内向的な映像チャンネルのコントロールができなくなって
外部からさまざまな妄想が忍び込むプロセスや
他のイメージに憑依されるプロセス、
そこから回復して、あらゆる奇妙な映像体験を
すべて自由に使いこなせるようになる
透明化のプロセス、
衰弱して臨死、臨生のまなざしに至るプロセスなど
とても内容の濃い映像体験の旅だ。

その練習の後、いつものように20分の
自己探体の時間に入る。
今日の生徒からも、次から次へ
ユニークで印象深い動きが出てきた。
動きにじょじょに自然にこみ上げる
情動が混じってくると一挙にリアルに
分厚いクオリアの動きになる。

終わってから、生徒の一人から
無数の情動がこみ上げてくるが
これを止める方法はあるのか、
という質問を受けた。

なんというとんでもない問いだ。
私自身何十年取り組んでもそんなもの見つかる訳がない。
そんな方法があるなら教えてほしいくらいだ。
ただ、せいいっぱいのところで次のように答えた。

「情動が止まれば生命も止まる。」
情動研究家のアントニオ・ダマシオもそういっている。

おそらく情動は生命からのもっとも大事な
クオリアを脳に伝える媒体である。
からだの状態の変化に応じて
命は自然な生体反応をする。
それが情動となり無意識のからだに立ち上る。
情動を動きを脳が察知したとき、感情に転化する。
心身のブロックがなければそれは自然に顔に現れる。
だが、日常体はその回路を多くのところで
ブロックしてしている。
無視しているのだ。
その無視しているプロセスのすべてを透明に
見透かせるようになることがまず大事なことだ。
いのちとからだと下意識と意識の間で起こっていることを
すべて透明化できるようになること。
それだけではまだ情動を制御することはできない。

情動の通り道には二つあることが知られている。
もう一人の有名な情動研究家である
ジョゼフ・ルドゥーによれば
体から立ち上る情動刺激は、視床で受け取られた後、
大脳皮質へ送られ、そこで認知・判断などの
クオリア変換を経た後、扁桃体に送られ、
情動反応としてからだに伝えられる
「高位の道」と、
皮質を経ずに視床から直接扁桃体に送られる
ショートカットの「低位の道」があるという。
高位の道を通れば大脳皮質での判断処理が入るので
細かな反応ができるが、ショートカット経路に比べれば
倍ほど時間がかかる。
ショートカット経路は、反応速度は速いが
大脳の判断抜きなので粗雑な反応になる。

わたしたちが情動の囚われるときは
この短絡経路が状態依存的に開き
決まりきった反応に陥ってしまう。
この回路が開けば、
意志や意識では絶対にとめることができない。
それより素早くからだが反応してしまうからだ。
わたしは神経症発作で激怒に囚われたとき
この過程をどうにかできないか、あれこれの仕方で
試みたが不可能だった。
ただ、状態依存的な反応を引き起こすような要因から
無限に遠ざかる以外にないことを知った。

ただ、ひとつだけ効果があるかもしれないという訓練方法はある。
それは、微分差延の方法だ。

微分差延技法

微分差延は、
不可視のからだの闇と可視的な動きの間で
起こるすべの出来事をできるだけ細かいプロセスに微分し
それをできるだけ引き伸ばした時間経過のなかに
解き放つ技法である。

からだの底でなんらかの情動を引き起こす
生体反応のサブシグナルをキャッチすることからはじめる。
それが体底から、腹部の中へ情動クオリアとなって
立ち上る。まずそのプロセスをできるだけ
ゆっくりした速度に変換して感じ取る。
そして、腹部から胸へ、情動が感情に転化して
意識の知るところになるプロセスをさらにゆっくり
見せる。細かな変化をできるだけ細かく
微分して逐一追っていく。
感情が胸元から首を伝って顔の一部を変化させる。
顔の一部から始まった感情の表出も
できる限りに微分してじっくり変化させる。
同時に体全体のあり方も変わっていく。
怒りなら怒りにからだの一部か捉えられて
凝り固まっていく。どこかから震えだす。
そしてやがてからだ全体がひとつの情動に捉えられて
大きく動き出すまでの過程を見せていく。
実際には言葉に変換できない微分変化のプロセスをたどる。
以上のことは練習を積めば、誰にでもできるようにアナル。
それは踊りとしてみても、何が起こっているのかが
誰にも見える透明なものになる。
このプロセスを習い性になるまでからだにしみこませる。
反復練習でからだに叩き込む。

この修練を積めば、踊り手として習熟すると同時に、
余分な情動エネルギーをたとえゆっくり引き伸ばしたかたちでであれ
ともあれ発現させてやれるので、情動エネルギーが溜まらないという
効果があるかもしれない。
抑えられた情動エネルギーがたまらずに出てくるのが
止められない発作を引き起こす可能性が高いからだ。
もうひとつは、
からだの即時反応が起こりそうになったとき
習い覚えたこの微分差延技法に無意識裡に
素早くスイッチを切り替えることができるかもしれない。
うまくいけば実生活でも役に立つかもしれないし、
無理かもしれない。
意識ではどうにもできないことだから
下意識さん頼みだ。
下意識がどこまで成長するか。
その可能性は未知である。
わたしはこれまで自分の下意識さんの
驚くべき可能性に驚かされ続けてきた。
今回も驚かせてほしいと思っている。
だが、私自身まだこの修練の途上にあるから
ここから先はなんともいえない。

ただ、生徒から質問が出てきたからには
そのうち、この練習に取り組んでいくことになるだろう。
その生徒もおそらく噴きあがる
情動の嵐に往生しているのだ。
ここは助け合いの場でもある。
私自身力不足であることは重々承知している。
ただ、もっとも可能性がありそうな方法に
生徒とともに挑戦していくことができるだけだ。

ただ、実生活では、先にも書いたとおり、
自分の中で起こるプロセスを透明に見透かし、
その状態依存的な反応が起こる可能性のある
契機を生活の中から徹底して取り除くことが
もっとも実際的な解決だ。
わたしはそれを自分に適用して
たった一人で暮らすようになった。


2007年3月19日

クオリアの共振性に気づく

命はいつも回りのすべてのものと共振している。
日常意識を鎮め、
微細なクオリア(命が感じているすべてのもの)
に澄ます耳が研ぎ澄まされると、
それらが、共振によって生起していることに気づく。
主体が、客体を感知するというのは
日常意識が囚われている幻想に過ぎない。

この幻想から解放されるために
今日は自分が地球上に生まれたばかりの
単細胞の原初生命であるという瞑想からはじめた。
どんな単細胞生物も多くのクオリアを感じることができる。
重力のクオリア、日光のクオリア、空気のクオリア、
音の振動、化学物質のクオリア、……
どの方向が地球の中心であり、
太陽の日差しはどこから差しているか、
空気の味はどうか、風を受けているか、
水に動かされているか、
食物になる分子のクオリアに触れているかどうか、
生命に害のあるクオリアが近くにあるかどうか、
など、バクテリアやアメーバのような生物でも
すべて感じとっている。
わたしたちは数十兆の細胞からなるが
それぞれの細胞はそれぞれにクオリアを感じている。
わたしたちが肺呼吸によって取り入れた酸素が
血流によって各細胞に届けられると、
各細胞は新鮮な酸素を得て少し活気付く。
静かに呼吸しながらこの内呼吸に聴き入ると
各部の細胞が酸素を得て元気付くのを感じ取ることができる。
すべてのクオリアは、
主体が感じようとして感じる客体ではない。
主体や客体などない相互作用によって生じている。
そしてそれらはいつもゆらいでいる。
少し元気になったり、元気をなくしたり、
といううゆらぎだ。
今日のテーマはそのからだの闇で生起している
命の共振ゆらぎを捉えることに絞った。

ある生徒は、朝学校へ来る道では心身の調子が悪く
今日は見学かと覚悟していたが
命のゆらぎに聴き入っていると、
調子が悪いのも命のひとつの状態であることを知り
そのゆらぎを聴き入っているうちに
調子が戻ってきたという。
自分の調子の悪さが、命のゆらぎから
切り離されてばらばらだったことに
起因していることに気づいたという。

灰柱でかすかにゆらぎながら
ただただ、命があらゆるものと共振し
感じ取っているクオリアをそっと受け止める。
そして、多くの些細なクオリアを感じ取り、
もっとも印象的なクオリアに従い、全身で増幅していく。
いくつかを育てていると、
なぜだか分からないが、あるクオリアが
自分の深いところにつながっていることに気づく。
そういうクオリアをみつけて
今日のサブボディの動きにまで育て上げていく。

<序破急>の<序>と<破>を見つけて
ひとつのクオリアの世界から
別の次元のクオリアが開畳してくるタイミングを見つける。

二週目に入ると、瞑想で日常体を鎮めるこつがつかめてくる。
より微細なサブシグナルをキャッチできるようになる。
ある人はさまざまな幼年期の記憶がカラー映像で
浮かび上がりすぐ消え去っていくのを楽しんだという。
ある生徒は長い間胸に感じていたしこりを感じたという。


それらの印象的なクオリアはきっと
命からの何らかのメッセージを告げるものだから
大切にキープしていく。
そのメッセージは言葉を通じてではなく、
自然に出てくる動きや、夢や、ふとした体感が
つながりあってチャンネルを超えたサブボディに
育ちあがったときに
それが何であるかをクリアに教えてくれる。
サブボディ・クラスはその気づきにいたる旅である。



2007年3月16日

異次元開畳――<破>の美


今年最初の一週間は、
下意識のサブボディワールドからの
かすかなサブシグナルをキャッチして
サブボディの動きを見つけていく
<序>の部分に専念するつもりだったが、
今日までの4日間で生徒がほぼそれを会得したので、
今日は<序破急>の<破>を見つける段階に進んだ。

下意識ではさまざまなクオリアが
いつも多次元を変容流動している。
その中からたった一つのクオリアを見つけて
大切に増幅していく。
かすかなサブシグナルの兆しを捉え、
それが近づいてきて可視的な動きになって
発現する。
そのプロセスが<序>となる。
それをきちんと捉え、見せることができると
可視的な世界と不可視の下意識世界の間で
何が起こっているのかが
誰にとっても透き通って見える。

そして、そのクオリアを最大限にまで
増幅していく。すると、まったく違った次元から、
全然別のクオリアのサブシグナルが聴こえてくる。
それをすかさず捉えて新しい次元を開畳していく。
それが異次元開畳だ。

不思議なことにサブボディワールドでは
あらゆる転換がこの異次元開畳の形で起こる。
踊りにおける転換といえば、
通常のモダンダンスなどでは、
速度の転換、ポジションの転換、
動きのクオリティの転換などにとどまる。
それらはすべて3次元空間や
4次元時空における転換だ。
だが、日常世界と、下意識世界を往還する
サブボディの世界では、そんな転換にとどまらない。
根本的に違った次元が開くのだ。
ひとつの次元の動きをしている中で
下意識のサブボディは、常に次にどんな次元が開くと
面白いかが見えている。
だから、とんでもない驚きをもたらしてくれるのだ。

今日も一日の終わりに自分の見つけた動きをシェアしあう
サブボディ劇場では、
生徒がみな驚くべき面白い転換を見せてくれた。
まだ一週目だからと、カメラでの撮影を
控えたことを悔やんだくらいだ。
誰のサブボディも、
この転換の美学を生まれながらに持っていることに
改めて驚かされた。。

サブボディの持つ底知れない創造力の豊かさに
驚かされることは、実に教師冥利に尽きることだ。

生徒にとっても、リゾーミングテクニックと
この異次元開畳の極意を会得すれば鬼に金棒だ。

2007年3月15日

リゾーミング・テクニック

わたしがリゾーミング・テクニックを見出したのは、
もう十数年前になる。
それ以後ワークショップでそれを伝えようとしてきたが、
つい去年の秋まで、それをうまく伝えることができなかった。
もどかしくて仕方がなかったが、
私自身リゾーミング・テクニックの本質を
捉えることができていなかったからだと気づいた。

リゾーミング・テクニックとは、
からだの一部で捉えたサブボディからのかすかな
サブシグナルを大事に増幅していくものだ。
そうすることによって、その人の不可視のからだの闇と
可視的なからだの間で何が起こっているのかが
透明に見え出す。

からだの闇の中には無数のサブボディが変容流動している。
それをそのまま見せてもただの混沌を見せることになり
だれにも何が起こっているのかわからない。
コミュニケーションが成り立たないのだ。
リゾーミング・テクニックは、
その無数の動きの傾向の中から
たったひとつのサブシグナルを選び、
それを大事に可視的な動きにまで増幅していくものだ。
それは、コミュニケーションのために、
なくてはならないテクニックだ。

その伝え方を発見したのは、ごく小さな偶然による。
去年の秋、練習場に朝日が差し込んで
心地よい陽だまりができていた。
そこへ片足の先を置くと
自然にぬくもってくる。
ああ、これなら誰でも
からだの一部からひとつの
体感クオリアが始まり、それを
他の部位にも伝播していくという
リゾーミング・テクニックの要点がからだでわかる、
と気づいたのだ。
案の定、生徒の足先を陽だまりにおいて、
そこから温もりの体感クオリアがからだ全体に
拡がっていくプロセスを実体験してもらえた。
これが分かれば、あとはさまざまな
クオリアに応用すればいいだけだ。

今日も何日か続いた春の嵐が収まり
練習場に暖かい日差しが差し込んできた。
さっそくリゾーミング・テクニックの
練習を行った。
基本が分かれば、あとは
輪になって、ひとりひとり
からだの一部で何らかのクオリアを
捉え、それをからだ全体に広げていく
というのをやって、それを共有していく。

これだけで、生徒が見つけだすサブボディの動きが
とてもクリアになる。
まずは、よいスタートを切れた。
始まりの<序>の極意の一部をつかんだことになる。
来週から、<序破急>をもって展開していくことを
伝え始めればいい。
ありがとう、ひだまりさん、だ。

2007年3月14日

サブボディという宝庫が開く

今日は今年の三日目だが、生徒のからだから
無数の動きが出てきた。
また、粘菌のように地べたを這いながら
喉を解き放つと、体腔から
ユニークな音像がほとばしり出てくる。

百丹三元三元ゆらぎの練習によって
限られた動きに封印された日常体が、
見事に爆砕されていく。
もともと百丹三元や、三元ゆらぎの練習は
人間社会の日常生活に有用な動きだけに
訓育された日常体に
あらゆる次元方向の動きの可能性を知らせるために
見出されたものだが、こんなに爆砕力があったとは
あらためて思い知った。

おそらく、ことしの授業では
日常体への囚われから脱するために、
ゆらぎ瞑想によってサブボディモードに入るのに
じっくり時間をかけ、
命にどんな動きが出てきてもいいのだよという
メッセージをたっぷり伝えているのが
功を奏しているようだ。

ひとりの生徒は、次々とさまざまな動きや
音像が出てくるままに任せていると、
知らず知らず涙が出てきたと言う。
悲しい涙じゃなく、うれしい涙だった、と。

私の姿勢にも、
用意した授業プログラムを押し付けるのではなく
もっと微細に生徒のからだの開かれ方に
聴き入ろうとする変化が出てきた。

去年の今頃はちょうど舞踏論を書きついでいたこともあって
舞踏とはなにかという概念に私自身縛られていた。
それに追いすがろうとしていたために
生徒のからだの闇から出てくるものを
その概念で律しようとする狭さがあった。
今年は、からだの闇からでてくるサブボディの未知の動きこそ
舞踏より深いものではないか、
もっと秘められた創造的な可能性に満ちたものとして
見つめようとしている。

何が余計なもので、なにが大事なものなのか、
年を追う毎にはっきりしていく。
そして、サブボディという人類の創造性の宝庫を開く道が
じょじょに明快になっていく。

2007年3月13日

生命共振に触れる

二日目の今日は、火曜・木曜の
共振タッチ(リゾタッチ)の日だ。
リゾタッチは、生命共振を直接体験する技法なので、
一日おきにこれを学び、からだの闇の奥の
未知のサブボディに触れるストレスから、
自分で自分を癒せる力をつけるためにも
ぜひとも必要なものだ。
何が起ころうと、生命共振に触れることが
最も強い快癒力を発揮する。
それは、日常体の奥に奥に折りたたまれている
生命の原生力を解放する。
生命の原生力には、自己治癒力や
共振力、創造力など大事な力が
すべて詰まっている。
現代人はどうしてこんな大事なものを
封印させられて生きるようになってしまったのか。

生命はそれを取り巻くあらゆるものと
共振しているが、とりわけ
生命と生命は特別に共振しあっている。

それを感じることができるようになるには
まず、日常体と日常意識を鎮める必要がある。
日常体は生命共振のような微細なクオリアに比べて
はるかに粗大な刺激にのみ反応するように
チューニングされている。
そのチューニングを解き放つ必要があるのだ。

1.日常体を鎮める

ゆらぎ瞑想などを通じて、できるだけ
静かなからだになる。
すると、命やからだが感じている
微細なクオリアのゆらぎに気づくようになる。
ゆらいでリラックスしているうちに
からだの一部に気持ちのいい感じを見つけたら
それをゆらぎに乗せてからだのほかの部位にも拡げていく。
えもいわれぬいい気持ちにからだ全体が包まれたら
それはサブボディモードに入ったしるしだ。

2.生体共振を感じる

一人が横たわり、その傍らに座る。
太ももと太ももをぴったりつけて正座するのがいい。
片手を相手のへその上にかざす。
相手のことを物質的な肉体ではなく
生命であることを思う。
生命体の中はさまざまなゆらぎやふるえに満ちている。
大きな動きは呼吸や心音だが、
ひとつひとつの細胞もまた内呼吸し、
さまざまな波動で活動している。
相手にかざした手が十分に静まっていれば
それら生きた細胞群の営みが奏でる
さまざまなざわめきが感じられるはずだ。
そして、その手の細胞が生体からの波動に共振して
ざわめきだすのも感じられてくる。
距離を近づけて、不即不離の距離で
もっとも手のひらの感じる生体共振のざわめきが
鋭敏に感じられると思う。
その生命共振に聴き入る。
そして、それらの中からもっとも心地よい振動に
身を任せていく。ときに従い、ときに少し増幅したりして
もっとも心地よいリズムを見つけて
その波動に自分のからだの底から共振する。
やがて両手を相手のからだに添えて
最も心地よいかすかなバイブレーションを共有する。
からだのいろんな部位に移っていく。
部位ごとに聴こえてくるざわめきがわずかに違うことを味わう。
腹は腹の、脚は脚の、頭は頭の、固有の感じがするはずだ。
十分に生命共振を感じたら、触れていた手を1cmほど浮かしてみる。
それでも同じように手は生命共振を保っている。
さらにもう少し離れてみてもそれは変わらない。
二人の間で生命共振のつながりが強く共有できた証拠だ。
その共振を保ちながら、相手のからだから離れ、
役割を交替する。

3.指圧の原理も生命共振である。

指圧は、二つの生命のあいだでの
生命共振を踏まえて、経絡やツボという
特別鋭敏な部位を押すことによって
からだの奥で眠っている生命の原生力を
呼び起こすことにある。
物理的な身体に対する物理的な圧力などによって
治療が起こるのではない。
それを通じて両者の原生力が活性化し
眠れる自己治癒力の働きを目覚めさせることによって
奇跡とも見える治癒が起こる。
経絡指圧を創始した増永静人氏や、
タオ指圧の遠藤喨及氏はそのことを的確につかんでいた。
分別意識ではなく、原始感覚を目覚めさせ、
生命と生命の間の共感が本質であることを
繰り返し強調している。
リゾタッチ技法は彼らから学んだ
生命共振を誰にでも感じられるように
メソッド化したものだ。
指圧の極意を身に着けるには長い経験を要するが
生命共振を直接感じ、共有するなかで
生命の叡智・原生力を呼び覚ますという
確かな坑口だけは掘り抜くことができた。
後は長い修練だ。

2007年3月12日

生命に問いかける

今日から、第3期・サブボディスクールが始まった。
初日は、日常体を鎮め、生命にあいさつすることからはじめた。
今日の日常体ほど、生命から遠ざかった生活状態はない。
生命の持つ叡智も神秘も、それに畏怖する心も失ってしまった。
心身症や、さまざまな近代病や、近代人が持つ
原因不明の息苦しさはそこに起因している。

ゆらぎ瞑想を通じて、
先進国で生活していた日常のからだと意識を休める。
休まってきたら、自分の命にあいさつしてみる。
私の命さん、今日は元気かい?
たぶん、命からは何も反応が返ってこないだろう。
それでいい。

ただただ、自分の命に問いかける。
何が一番したいのかい?


生まれてきたからには、一番したいことを
一番したいやり方でやっていいんだよ。
人生で一番大事なことはそれを見つけることだ。
だから、毎朝、毎日、機会あるごとに
この問いを命に問いかける。
一月も続けていればそのうち何かが返ってくる。
夢を通じてか、ふとした気づきか、
誰かからの言葉か、何らかのチャンネルを通じて
必ず返ってくる。

この学校に入った人は、ほかの何をつかまなくても
この命との応答の仕方さえ見つけてくれればそれでいい。
私は生きるうえで一番大切なことを手渡せたことになる。

2007年3月11日

日常体からサブボディへの旅

下意識や下意識のからだであるサブボディは、
チャンネルが未分化な混沌世界を流動しているが、
日常体や日常意識はいくつものチャンネルをもつ。
からだチャンネル、運動チャンネル、映像チャンネル、
音像チャンネル、感情チャンネル、人間関係チャンネル、
世界=自己チャンネル、思考チャンネルなどである。
これら八つが主要チャンネルである。
日常体はいつもこのうちひとつのチャンネルにしか
集中することができない。

そして、あらゆるチャンネルには、
外界の対象と相互作用して生まれるクオリア共振を
捉える外向チャンネルと、
外的対象なしにクオリアそれ自体が共振しあって
働く内向チャンネルがある。
たとえば、体感チャンネルでいえば、
からだに日光が当たって暖かいと感じ、
風を受けて涼しいと感じる外向体感チャンネルと、
こころで暖かいと思うだけで
ぬくもりを感じられる内向体感チャンネルがある。
静かに座ってからだの奥の微細な体感の流れを探るのも
内向体感チャンネルだ。
運動チャンネルでは、実際に床を踏んだり押したりして
その反作用を受けて動くときの外向運動チャンネルと、
重さのクオリアを感じるだけでからだが重い動きになる
内向運動チャンネルがある。
実際に動く前に動きをイメージし予行演習するのも、
内向運動チャンネルの働きだ。
あらゆるチャンネルにこのような外向チャンネルと、
内向チャンネルがあり、意識的にか無意識的にか
両者は助け合って働いている。

日常体の習慣のなかでは、この16のチャンネルのうち、
得意チャンネルだけが肥大し、苦手チャンネルは閉じている。
意識的に制御できないチャンネルの偏りを持つのも
日常体の特徴のひとつだ。

静体技法で16のチャンネルを開く

サブボディメソッドの静体技法では、
この合計16の主要チャンネルをひとつひとつ
区別して自覚的に開けるようになることからはじめる。
すべてのチャンネルを開いて、
あらゆるチャンネルからアプローチできるようになることが、
チャンネルのないサブボディ世界に触れる
条件になるからだ。
たいてい誰でもいずれかのチャンネルが十分開いていない。
とくに、内向チャンネルの多くは
無自覚なまま閉じていることが多い。

最初の一ヶ月は、まずすべてのチャンネルを
開くことを学ぶ。
自分にとってどのチャンネルが得意チャンネルであり、
どれが苦手チャンネルであるかを知ることが
自分を知る第一歩になる。
そして、ひとつひとつのチャンネルごとの
サブボディの動きを見つけ
からだごと乗り込んでいくことに絞るのがいい。

16のチャンネルのサブボディは、
からだの闇の無チャンネルの世界を旅する
いわば、16種類の乗り物だ。
サブボディは、無チャンネルの多次元世界と、
チャンネルに分化した日常意識の世界を
自在に往還できる乗り物なのだ。
ここは、日を追うごとにこの乗り物の運転技術を
身に着けていく教習所でもある。

●動きのなかではあらゆるチャンネルが混交・重合する

これに対し、からだを動かしながらサブボディを探るのが
動体技法である。
動いているからだにおいてはすべての瞬間に、
体感チャンネルと運動チャンネルが同時に働いている。
そして、主要8チャンネルのあいだでもすばやい
切り替えと重合が起こっている。

動きながらでは、静体技法のように、
内外チャンネルの微細な違いなどを
ひとつひとつ区別する余裕などない。
それが、動体技法のよいところだ。
意識の出る幕が少なくなる。

動くからだ、動体の中の、
この内向・外向チャンネルの重合性と
各チャンネルの混交性が、
やがて、チャンネルが未分化で、
無チャンネルのサブボディ世界に入る
扉を開いてくれる。

この動くからだの特殊性に取り組んでいるのが、
瞑想だけでは触れられないサブボディ流動の多次元世界に
入ることができるサブボディ・メソッドの特徴だ。

サブボディメソッドは、
静体技法と動体技法を組み合わせながら、
すこしずつ、日常体から、
創造的なサブボディへの変成を準備していく。
今年はこのプロセスをじっくり時間をかけて
たどっていくことからはじめるつもりだ。


2007年3月8日

動かない日常体をほぐす

日常体のもっとも大きな囚われのひとつに、
動かないというのがある。
まったく動かないのではない。
限られた動きしかできないのだ。
おそらく乳幼児のころから、
日常世界に適応できる動きができればほめられ、
日常世界からはみ出る動きは親や教師から
冷たく無視され、時にはさげすまれ、
制止されてきた長い成育史が日常体を
限られた動きの中に閉じ込めてしまったのだ。

だからもちろん、非日常的な自由な動きを示す
サブボディからのかすかなシグナルなどは
日常体の中では無視され、遠ざけられ
周縁化されてしまっている。

サブボディメソッドにおける動体技法は、
まず、からだに日常世界で許される動き以外の
あらゆる動きが可能であることを
思い出させることからはじめる。
いきなり自由に動けといっても
どう動いていいか分からないから、
最初はごく小さな動きから始めるのがいい。
ごく小さな動きも日常意識では注意されることがなく、
下意識の管理下におかれているものだ。

1.できるだけ静かなからだになる

微細な動きをするためには、
まず、静まることが大切だ。
静を知らなければ動が何であるかわからない。
そして、不動もまた動きであることを知る。
最初はなかなか静かなからだになれないものだ。
それでいい。徐々に慣れてくる。
慣れれば即座に静まれる。
そうなれば、静寂体を身につけたことになる。

2.できるだけ小さくゆらぐ

からだの各部があらゆる方向にかすかにゆらぐ。
慣れるまでは、水平、矢状、戸板の三次元方向にゆらぐよう
意識的にゆらいで見る。
日常体は、どれかの次元方向には対応できるが、
どれかの次元方向の動きは忘れているものだ。
新しい可能性に触れるとからだは必ず
新鮮な快感を覚える。
この<鮮快>がこれからの長い旅の、
最初の相棒になってくれるはずだ。

3.ふるえる


からだの各部が小さくふるえる。
あらゆる次元方向にふるえてみる。
自分ではなく何か別の力によって
ふるわされていると感じると
より面白くふるえることができる。
予想もしない体感をあじわうはずだ。

4.うねる

からだの各部がかすかにうねる。
うじ虫や蛇の動きだ。
あらゆる次元方向にうねり、くねる。
しばらく続けていると
からだの原始的な生命感がよみがえってくる。
各動きを<鮮快>を感じられるまで続ける。

5.ひきつる

突然、短い動きがからだを走る。
突き動かされたり、驚かされたり、
予期せぬ動きに見舞われる。
不随意の感覚を楽しむうちに、だんだん、
自分のからだではないように感じられてくる。

6.こわれる

からだの一部が自由が利かなくなる。
弱り、衰え、不自由になっていく。
自分ではなく誰かに動かされる。
地球の重力が突然重くなる。
全身がばらばらになっていく。
死を眼前に感じる。

7.滅びる

からだの一部が死んでしまう。
無機物に変成していく。
気味の悪さが伴う。
じょじょに全心身が死滅する。
死体となってこの世にまなざしを向けてみる。
生きたまま死を味わうことで、
生きているとはどういうことかが分かる。

8.ランダムになる

1から7を繰り返す。
繰り返すたびに、動きのサイズが大きくなる。
間合いや順番がランダムになる。
自分ではなく誰かに動かされているからだになる。
からだに対する日常的な自我の制御が消える。

9.ほかの人の動きが移る

ほかの人の動きが目に入ったら、伝染されてみる。
さらに自分の意志で動くのではなく、
誰のものでもないからだになっていく。

10.動き以外のチャンネルが開く

動きながら、映像チャンネルや、音像チャンネル、
感情チャンネル、関係チャンネル、
世界チャンネルなどを開いていく。

――ここから先のチャンネルの開き方は、
3月6日の「静体技法と動体技法」に書いたとおりだ。
そちらを参照してほしい。

自分ひとりでやるときは、想像上の生き物に
動かされていると想像するのがいい。
やがてそいつが仲のよい友達になってくれる。


2007年3月6日

静体技法と動体技法

日常体を鎮め、サブボディモードに入っていく方法に、
静体技法と動体技法がある。

静体技法は、ゆらぎ瞑想などを通じて
限りなくからだを鎮めていく。
日常体が対応する粗大な刺激に対し
サブボディが使うクオリアは
何万分の一以下というかすかなものだ。
日常体を限りなく鎮めることでそのかすかな
サブシグナルをキャッチできるようになる。

これに対し動体技法は、
日常体が行わないような動きをどんどん行っていく。
日常体はごく限られた動きしかしないという
囚われの中にあるからだ。
その囚われを脱するようにあらゆる奇妙な動きを試みる。
動いていると<からだが思いつく>ということが起こる。
ふとこんな動きをして見たいという動きの思いつきだ。
それに直ちに従う。どんな動きでもいい。
奇妙奇天烈であればあるほどいい。
それにからだごと乗り込んでいって楽しむ。
そして、動きの中で次々と別のチャンネルを開いていく。
動きながら映像チャンネルを開く。
獣目になって獲物を捉えたり、逆ににらまれたり、
内部の闇を覗き込んだり、闇のゆらぎをみつめたりする。
これも日常体が行わないような目の動きを楽しむ。

つぎに、音像チャンネルを開く。
からだを楽に動かしながら、
体腔いっぱいに空気を吸い込む。
そして、のどをリラックスさせ、
体腔から自然に出てくる体腔音声を楽しむ。
日常体の人間の声や歌ではなく、
それ以外の音や声がいくらでも出てくるのを楽しむ。

そうしていると感情チャンネルにつながる。
出てくる体腔音声が、奇妙な情動や感情と共振する。
死者の声に聴こえたり、苦しみもがく末期の声に聴こえたり
何かとのいさかいの気配を帯びてきたりする。
つられて出てくる感情に乗り込んでみる。
するとまた思っても見なかった展開になる。
意外性を楽しん出さらに乗り込んでいく。

感情の動きは当然人間関係チャンネルにつながる。
誰かとつながりたいのにつながれなかったり、
誰かとのかかわりの世界が広がったりする。
見たこともないような想像上の奇妙な生き物との間に
これまで体験したこともないかかわりが生まれていく。
思わぬちょっかいを出されたり、邪魔されたり、
予期しないことが次々と起こる。

さらに世界像=自己像チャンネルが開く。
周りの世界がとつぜん変貌する。
狭まってきたり、液化していったりする。
世界像の変貌に自己像の変貌が対応する。
泳いだり飛んだりする生き物にきみは変わる。

そこまで行ったら、もう何もかも自在になる。
多次元変容流動するサブボディの世界に入ったのだ。
あらゆるチャンネルから別のチャネルへ自在に移っていく。
さらにチャンネルなどの制約が消えて
チャンネルに分化する以前のクオリア流動を楽しめるようになる。
クオリアの超伝導状態ともいえる世界が開く。
そこでは、からだの内外という仕切りや、
自他という境界、心身の区別、類と個の違いなど
日常世界のありとあらゆる境界が消えていく。
クオリアの世界にはもともとそんな仕切りなどない。
それは日常世界の幻影に過ぎないからだ。

まあ、ここまで行けるには時間がかかるかもしれない。
先進国の空間ではあまりに周りからの
既成概念の制約がきつすぎて自由にはなれない。
私自身ですらたった十日の日本滞在で
心身が変になってしまったほどだから。

ヒマラヤに来ればそれらの日常体の制約から
遠ざかることができる。
新しい世界に触れようとするには
長い旅と手間暇がかかるものだ。

去年の春のクラスでは、
サブボディ舞踏の世界に導くのに急ぎすぎて
その前提となる日常体からの離脱の手順を
生徒のからだに入って丁寧に導けなかった。
私自身が日常体から脱したプロセスは、
死に物狂いで無我夢中だったので
その手順をうまく取り出せていなかった。
ここへ来ていきなり日常体を止めろ
自我を停止せよと言われても誰にもできるものではない。
赦してくれ、ヒロ、シャニ、マリカ、……
わたしはまだサブボディの産婆として未熟だったのだ。

今年は去年の経験を踏まえて
先進国での生活でがんじがらめになっている
日常体への囚われを、少しずつ解き放っていく手順を
生徒のからだに入りつつ、一緒にじっくりと探るつもりだ。


2007年3月5日

オメールの多次元世界

オメール(イスラエル)は、去年11月のコースを終えた後、山の山荘に籠り、絵を書いた。しばらくしてその絵を持ってきてくれた。ほかの生徒はみな授業中にそれぞれのサブボディワールドの絵を描いたのだが、オメールはその日欠席していて描けなかった。どうしてもこの絵を見せたいということだった。


小さいころから現在に至るまで、本当の自分の顔などほかの人に見せたことがない。いつも仮面をかぶって生きてきた。人に言えない悪いこともしてきたしね、というオメールは、からだの闇にもぐり、いくつもに分断された自分の全体世界を旅し、未知の自全を探索し続けた。本当の自分が何かなんていつの間にかわからなくなってしまっていたよ、でもなかなかおもしろいやつもいるもんだと、週を追うごとにさまざまなサブボディ世界を開き、はらわたをつかみ出し、どぶに首を突っ込み、木にぶら下がり、と、実に多様な彼自身の分身を踊って見せた。
彼の絵もまた、踊り同様に見事にその多次元世界を現している。
彼の絵と、彼がコースが終わった翌日に見た夢の話を掲載します。
そのサブボディワールドの多彩さ、味わい深さをお楽しみください。
わたしが人々のサブボディ世界の多彩さユニークさを引き出し、
紹介することに情熱を傾けているのは、
誰のからだに闇にもそれぞれユニークな創造的サブボディが
息づき、うごめいていることに気づいてほしいからです。
それに気づくだけで、とてつもなく面白い人生が開けます。         

 
Free Image Hosting at www.picturetrail.com
クリックすると、この絵の拡大画像を見ることができます)

以下は授業の終わった日にオメールが見た夢。
Clueとは小さな紙切れに記された手がかり、ヒント。
庭のどこかに隠されたそのヒントの紙切れを次々に探すという夢だ。
彼が体験したサブボディ・コースが、
彼にとってどんなものだったかをよく示している。

One of many strang dreams
while doing butoh course


I dreamt about the four of us Peter AnaLuiza Monika and me looking for master Lee in his garden.
He is planting clues whit each clue that we find we understand something and also we learn how to search for the next clue
There are ten signs and with each one we discover its getting harder to find the next .
The last one is realy diffrent to find. .So the four of us split up each one looks in his own way. We know that it should be hanging on tree or somthing like this.
Finally I find it on the out side of the hedge. The bush that bordors the entrance path. I stand start reading it when Monika sees it that I found it. she join me and the others too. While reading the last sign we realize that we are dead. As we digest the news Rmesh comes with a plate with toast and palak (spinage). We digest the food and the news together

                       Omer (Israel)

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共振塾ジャーナル
2007年3月
サブボディ生成現場で考える
世界像=自己像を自在往還する
先行者ミンデル
体底呼吸から八覚リゾーミングへ
各チャンネルの<元型>に触れる
ドリームボディになる
即興共振するからだを開く
情動から元型との対決へ
思考をいかに止めるか
胎内瞑想から共振タッチへ
情動を制御できるか?
クオリアの共振性に気づく
異次元開畳――<破>の美
リゾーミング・テクニック
サブボディという宝庫が開く
生命共振に触れる
生命に問いかける
日常体からサブボディへの旅
動かない日常体をほぐす
静体技法と動体技法
オメールの多次元世界