July 2007
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2007年7月31日

サブボディ=コーボディー シアターと異次元開畳


上のビデオを見てもその片鱗だけは分かるように、
サブボディ=コーボディー シアターの展開のしかたは、
異次元開畳という独特のものとなる。
それは、ひとつの夢から別の夢へつながっていく
ときのように、ひとつの次元から知らぬ間に
異次元が開畳されていく。
からだの闇のクオリアの流れをできるだけあるがままに
からだで捉えようとすると必然的にこうなる。

共振日記にも書いたが、それをことばで表そうとすると、
吉岡実のような暗喩と異次元転換に満ちた詩になる。
絵画で異次元開畳を描こうとしたのがマッタだ。
音楽ではわたしの伝染熱という踊りのために
私自身が10年ほど前に編曲した音楽を聴いてもらえればよく分か
る。
異次元開畳は、誰でも知っている夢の展開法だ。
命はいつもこのように多次元を変容流動している。
意識を止めさえすれば誰でもそれに気づける。
そこが創造の宝庫であることもすぐ分かる。
人類は自分が持てるこの宝庫の遣いかたを
随分長い間知らずにすごしてきた。
もったいないことだと、思わないかい?


2007年7月28日

●リゾームになること


リゾーミング・テクニックということばは、
自分でもまだ詳しくはよく分からない技法の呼び名として
1998年ごろから使い始めたものだ。
上のビデオにあるようなそのころ創った自分の踊りの
独特の技法を指していた。
だが、なにが独特なのか、
本人にもまだ気づくことはできていなかった。
日本で、タイ、インド、ハンガリーをはじめとする東欧諸国、
フランスをはじめとする西欧諸国、べネズエラと、
その年以降世界のあちこちのワークショップで磨き上げていった。
自分でも、何を作り出そうとしているのか全貌が見えないまま
リゾーミング・テクニックは少しずつ厚みを増していった。
行き詰ったときはいつも自分の踊りそのものが
盟友として貴重なアドバイスを届けてくれた。
そう、このテクニックは私ではなくわたしのサブボディが
創りあげたものだ。
わたしはただその書記役を勤めたに過ぎない。

それから10年たつ。
リゾーミングとは何か?
よやく自分で自分にかけた謎を十年かけて解けるところまできた。

今ようやく、

リゾーミングとは、心身をリゾーム化していく技法である

と、簡潔に定義できるようになった。
リゾームになるテクニック、そういってもいい。

その特徴は、つぎのいくつかの点にある。

1.差延微分

ひとことでいうと、リゾーミングとは、
からだの一部からなんらかのクオリアへの変成が始まり、
隣接部位への伝染を通じて全身心に波及していくものだ。

からだの闇は、非二元かつ多次元に変容流動している。
それを一度に見せても何が起こっているのか分からない。
多次元で複雑に変容流動しているものを、たったひとつのかすかな
始まりから捉え、そのプロセスをできるだけゆっくり遅延し、
かつできるだけ細かく分割して、変化をじっくり味わいつつ見せる。
そうすることで、からだの一部から変成が始まり、
隣接部位への伝染を通じて全身心に波及していく。
そして、ついには折りたたまれていた異次元が開畳する。
その異次元開畳プロセスにできるだけ詳しく付き従い、
透明に見せるのが差延微分技法だ。

2.セブン・リゾーム


からだの底から変成が始まるボトムリゾーム、
頭から始まるトップリゾーム
からだの内部からはじまるセンターリゾーム、
手足の先端から始まるエッジリゾーム、
からだの底や内部から始まったリゾームが途中で外力の力を受けて
たわめられるチャームリゾーム、
頭や手足からのリゾームが途中で外力によって
妨げられゆがめられるストレンジリゾーム、
からだのあちこちからランダムに起こるランダムリゾーム、
からだが瞬間的に一気に変成するトータルリゾーム、
などいくつかの経路に分けて練習することができる。
(じっさいには、これらのいくつもの経路が多次元的に絡み合っているが、
その前に、低次元的に分割して把握する必要がある。)

3.八覚(エイトチャンネル)リゾーミング

からだの闇の多次元時空で変容流動しているクオリア流が
出現してくるとき特定のチャンネルを通じて現れる。
したがってリゾーミングは、主要な八つのチャンネルを通じて現れる。

からだの闇のサブボディはチャンネルに分化する以前の
未分化なクオリア流として変容流動している。
だが、それが合意的現実界へ現れるときは、意識にもそれと分かる
単一のチャンネルのクオリアに変成・縮退して出現する。
そこで、全チャンネルの丸ごとクオリアが、
ひとつのチャンネルに縮退するという変化が起こる。
だから、同じクオリアが夢に現れたり、身体症状として現れたり
サブボディの動きとして出てくることが起こるのだ。
この主要な八つのチャンネルで起こるリゾーミングを捉え、
制御するのが八覚リゾーミング技法だ。

4.ツリー・リゾーム変換

サブボディ流はひとつのチャンネルに現れたかと思うと、
べつのチャンネルに姿を変えて立ち現れる。
意識の目にはめまぐるしく変容しているかに見えるが
サブボディにとっては、たんに本来のまるごとクオリアとして
流動しているだけなのだ。
ただ、意識にとっては単一のチャンネルを通じてしか
認識できないために、そう見えるだけなのだ。
だから、リゾーミング・テクニックでは、
単一のチャンネルの動きだけではなく、
それがいくつもの別のチャンネルに変容流動するさまを見せることによって
はじめて、それが全体としてどんなまるごとクオリアの動きなのかを
伝えることができる。
リゾームの多次元流動世界を、低次元に拘束された
合意的現実の世界に翻訳して見せるのが
リゾーミング・テクニックだといえる。
だから、サブボディになるとは、リゾームになること、
リゾームの多次元論理を、低次元拘束を受けたツリー言語に
翻訳することのできるツリー・リゾーム論理の使い手になることなのだ。

5.異次元開畳


サブボディ舞踏の特徴のひとつは、異次元開畳という、
独特の転換技法にある。
それは、夢がいつのまにかひとつのシーンから
別のシーンに移り変わっていくように、
ひとつの次元のなかに降り畳まれていた別の異次元のクオリアが
微細な予兆にはじまり、じょじょに解かれ、展開しくるように出現する。
この多次元変容流動をそのままに伝えるために見出されたのが
異次元開畳技法だ。
以上のリゾーミングのテクニックをすべて駆使できるようになると
この異次元開畳を実現できるようになる。

6.透明覚と透明体

以上のすべての技法を身につけると、からだの闇のなかで、
それまで不透明な闇に閉ざされていた、
からだと下意識と意識の間で起こっていることが
すべて透き通って見えてくる。

激しく異次元を転換する自分のサブボディ舞踏を実際に踊りながら、
からだ、下意識、意識のすべてを含む自分の全体で起こっていることが
透明に見えている状態がやってくる。
それが透明覚だ。
そして、そこで起こっていることを、見ている見所とのあいだの
共振離見をも含めて、
すべてを透明に見せることのできるからだになったとき、
それが透明体への変成だ。
どれだけ時間がかかるか分からない。
まだ、誰も到達したことのない境域だ。
たゆまず進むこと、それ以外にいえることは何もない。
私自身その長い途上にあり、いつ透明体に到達できるかなど
まったくの五里霧中なのだから。





2007年7月25日

意識という催眠状態

ニ週目に入った生徒から、いつまでたっても
思考チャンネルが出てくるのを制御できないが
どうすればいいかという悩みの相談を受けた。
そう、思考は下意識モードに入る上で、最大の障害となる。
「日常体は意識という催眠状態にかかっているのだから、
その催眠を解くという発想の転換をするとよい」と答えた。

私も長い間そうだったのでよく分かるが、
意識や思考は自らを失うことを極度に恐れている。
自らの主導権を失うことを。
私自身、10代の終わりからずっと自己催眠に興味を持ち
技法を学び、自分にかけようと試みてきたが、
ずっと失敗し続けてきた。
意識の警戒心が強すぎて、胡散臭い世界に入ることを
押しとどめていたのだ。
自己催眠に成功したのはなんと50歳を過ぎて、
ヒマラヤに来てからだ。
門前進という人の『入門自己催眠法』(誠心書房)
という本を頼りにある日、ゆったりしたいすに座って、
「ゆったりする。ゆったりする。1.2.3……」
と唱えると、すっと入れた。
手が挙がる、と心の中で念じると、
ゆっくりゆっくり腕が上がっていった時には、
自分の意識に革命が起こったことを知った。
生まれて初めて、意識が下意識に主導件を譲り渡した瞬間だった


一度味を覚えると、すぐにでも入れるようになった。
下意識モードは心地よい体感の流れに満たされていて
その一度味わうともう帰りたくなくなるほど心地よいものなのだ


その後、からだの闇を探検する中で、
下意識には、創造性や、共振性や、自己治癒力など、
生命として大事なものがいっぱい詰まっていることを知った。
そして、もっとも大きな気づきは、
むしろ日常の意識状態のほうが、
簡便な二項論理や、三次元的空間意識、一次元時間意識という
低次元の合意的現実に拘束されている、
集団的な催眠状態にかかっていると
みなしたほうが正しいことに気づいた。
実際の宇宙には上も下もないのに、合意的現実に拘束された意識

上下の観念から離れることができない。
いい悪いなど誰にも決めつけられないのに
意識はそれに囚われている。
命は40億年もの以前からとぎれなく続いているのに、
自分個人の命だけを大事に考えている。
敵味方、自分と他人、知識の差異、能力の差異など
すべて自他を敵対化することによって成り立つ資本主義教育に
刷り込まれたものなのにそれから逃れることができない。
すべての二項論理は人類が危険に満ちた先史時代を乗り切るため

編み出した簡便な判断法に過ぎないのに
いまだにそんな低次元拘束に囚われたままだ。
三次元空間や、一次元時間というのも合意的現実という
幻想の中にしか存在しないもので、
物理学のひも理論ではすでにこの宇宙が
11次元の多次元世界であることを解明しつつある。

合意的現実しか現実と認めることができない日常意識こそ
深い催眠にかかっているのだ。
そのことをいくら認識してもしすぎることはない。
そのように、自分の意識と下意識の関係を変えていくしかない。
意識は単に下意識のからだで起こっている
非二元かつ多次元の出来事に耳を澄ます
聞き役に徹することが大事だ。
それからだ。すべてが始まるのは。

サブボディメソッドは、リスニングから始まる。



2007年7月23日

懐かしい2対3のリゾーム即興


サブボディ共振塾7月第1週目の
サブボディ コーボディ劇場のコーボディ(=グループ)パートは、
二人と三人の群れに分かれる2対3のグループ即興を行った。

2対3のグループ即興はなつかしい。
10年ほど前、当時京都で開かれていた桂勘さんの
舞踏クラスで何百回もやったものだ。
やったものだけにわかるが、個と群れの関係が
奇妙にずれて、とても面白い独特の味がある。
竹千代毬也、小番潤、グレッグ、おきょん、清子、千里などが
常連のメンバーだった。
そのうち何人かは今も踊っているはずだ。
元気だろうか?

いまは、たんなる2対3だけではなく、序破急を次のようにつけて
高度化してある。
2対3リゾーム即興と呼ぶゆえんだ。

序の部分は、5人がよく似た動きを共有しあい、
タイミングを見つけて、破の部分で、対照的なクオリアを
共有しあう2人対3人の二つの群れにに別れる。
ダンサーはどちらかの群れに入るが、
フレキシブルにこちらの群れからあちらの群れへ移ることができる。
群れと群れは奇妙なコミュニケーションの関係を持つ。
急の部分では、ふたたび5人の群れに帰り、
5人で終わりを見つける。

ダンサーは以上のルールをいつでも
フレキシブルに破ってもいいので
観客側から見ればそんなルールで動いているとは
分からない仕掛けになっている。

この日は合計60分の即興となった。
体調の悪い一人と、Leeが音像共振を受け持った。
サブボディボイスと、手作りの原始的な楽器で音をつけた。

月の初めの段階で、この2対3即興を経験しておくと、
月の終わりのほうで行う完全自由即興のときに
2対3的なフォーメイションが出てきたりして即興に
深い群れの味が出てくる。
同時に完全即興の中で、ダンサーは自分のソロを出す
タイミングを見つけて踊りだすまでになる。

2対3のビデオは、Katsと麻里子のソロと並んで、
それぞれ数分に編集してYouTubeにアップロードした。
サブボディとはなにか? コーボディとは何か?
そろそろ、ビデオを通じて世界にお伝えできるようになってきた。
どうか、お楽しみください。

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2007年7月23日

4. 現幻転換(Real/Imaginary Change: RI Change)

命はいつも、現実に触れ合っている外界のさまざまなクオリアと、
リアルタイムに共振すると同時に、
内部に蓄えられた内クオリアとも、二重に共振している。

これを体感するのに、よい練習がある。

静かに座る。どんな姿勢でもいい。
はじめは背骨をまっすぐ立てて座る。
あらゆる細胞が重力の方向を感知しているのを感じる。
重力に抗してからだの姿勢を保つために、
各部の細胞がどんな努力をしているかを感じる。
その体感をじっくりと味わう。
つぎに少しからだを斜め前に傾ける。
からだの各部の努力の仕方が微細に変わるのを感知する。
背中の筋肉が前以上に緊張し、それとバランスを保つために
ほかの部位の状態も微妙に変化しているのを感じる。
もとのまっすぐな姿勢に戻る。
からだを傾けていたときのクオリアを思い出す。
また、斜めに傾こうとすると、その斜めのクオリアを思い出して
からだが前もって準備するのを感じる。
このように、からだに蓄えられた内クオリアは
常に現在の外クオリアと二重に作動していることをつかむ。
これがクオリアの現幻二重性である。

リゾーミング・テクニックとは、この内外のクオリア、
現幻クオリアを
コントロールする技術である。

現幻二重のクオリアを一度にすべて味わおうとするのは難しい。
まず、からだのどこかの一点で微細な内クオリアが立ち上がる
かすかな始まりを捉えて味わうことだ。
それから、その内クオリアが、動きや映像や音像、情動などとして
外に現れてくるプロセスを、千ほどの小さなプロセズに刻み、
一つ一つを味わいつつ流れに従い、増幅していく。
そうすると、自分にとってもほかの人にとっても
何が起こっているかがはっきり見える。
リゾーミングが、コミュニケーションのための技法でもあるのだ。

今日は、この現幻クオリアを味わう瞑想と練習をしたのち、
目隠しガイドで庭を歩いた。
実際に出あうクオリアと、命がからだの闇から立ち上げる
内クオリアの二重性を味わうには、この闇歩きが一番よい。
一ヶ月目の生徒には、内クオリアの流れをつかんで
そこから自分の動きを見つけ出すこと、
二ヶ月目の生徒には、現クオリアと、幻クオリアとの間の
転換を使って動きの序破急を見出すこと、という課題を与えて
いつもどおり20分の探体に入った。
一ヶ月目の生徒も、今日は内クオリアの流れに
クリアに触れることができたという。
ようやく、ここで起こっていることの内実に触れ始めた。
内クオリア遣いになれれば、サブボディへの
最初の関門はくぐったことになる。







2007年7月21日

ソロが仕上がってきた


サブボディ共振塾7月第1週目の
サブボディ コーボディ劇場。
6月から2ヶ月目のKatsと麻里子は、
転換のバリエーションが突然豊かになり、
十数分のサブボディソロをほぼ完成させた。

それぞれ数分に編集してYouTubeにアップロードした。
サブボディとはなにか?
ビデオを通じて少しずつお伝えできるようになってきた。
どうか、お楽しみください。

ビデオを見る

Katsは夜寝る前に、サブボディさんに、
自分の未解決の課題を解いてくれるようお願いして眠ると、
明け方、サブボディさんから、四つの転換パターンを
告げる示唆を受け、早速書き留めたという。
じょじょにサブボディさんとのコミュニケーションの
こつがつかめてきたようだ。

それでも、ダンス歴十数年の彼らでも、
ここまでに5週間かかったことになる。
初心者には、一ヶ月では短すぎることが分かった。
来年からはコースの最短期間を
これまでの1ヶ月からもっと長期にする必要がある。

コーボディパートは、
5人が、5人の群れから、2対3に分かれ、また最後に5人に返り
終わりのタイミングを全員で見つける、60分即興で行った。
2対3のグループ即興は面白い。
その面白さの片鱗はビデオのCobody編でお楽しみください。


踊りにサブボディボイスの体腔音声と、
手づくり楽器による音像共振が
加わって厚みが増してくる。

まるごとクオリアのサブボディ=コーボディ劇場へ、
後一歩のところまできている。

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2007年7月20日

転換その3 能受転換(Active/Passive APチェンジ)

転換の第3は、能動的に動く、アクティブ・モードと、
他の力で動かされるパッシブ・モードとの間の転換だ。
この転換を続けていくと、
自分を踊らせているのがほんとうは誰なのかが
分からなくなってくる。
最初はだれも自分で踊っているつもりだが、
他の力で動かされていることを感じて動くと
本当は自分ではない誰かが自分を動かしていると
感じられてくる。
だが、なにものかが自分を動かしていると、
感じようとしているのは自分なのだ。
だが、いったい自分とはなにか?

実際は、サブボディ世界には自己と他者、
内側と外側の区別などない。
踊っていれば、自分を踊らせているのが、自分であれ、
他の力であれ、そういう区別などどうでもよくなる。
それが自他無分別のサブボディ=コーボディ世界だ。

この練習には、調体(コンディショニング)の段階から
あらゆるチャンネルを通じて、
じょじょに受動体モードに入っていく
つぎの調体を行うとよい。

1.あらゆるチャンネルで、動かされるクオリアを味わう

からだの一部が他の力に動かされる。
まずは体底(仙骨あたり)から順に、
さまざまな方向のさまざまな強さの力を受けて動かされる。
腹、背、胸、首、頭、顎、鼻、目、耳など
あらゆる部位がさまざまなものに動かされる。
物理的な力で動かされるだけではない。
さまざまなチャンネルは実はすべて外界からの
影響によって動かされている。
クオリアはもともと受苦的なのだ。
重力、光、音、すべての五感の感覚は受苦的である。
腰が誰かに突かれる。
背中を思い切りどやされる。
肩にそっと母の手が置かれる。
首が誰かにつままれる。
胸に槍が刺さる。
石が腰に当たる。
耳に蚊が飛び込む。
顎が誰かに引っ張られる。
目に真っ赤なマグマが近づいてくる。
鼓膜が大音響で潰される。
舌が釣針で引っ張られる。
誰かに抱きとめられる。

2.悪魔に脳みそがかき混ぜられる

悪魔が頭蓋骨に穴を空け、そこから金属棒を突っ込んで
脳みそをかき混ぜる。
――言語中枢をかき混ぜられて、ことばがめちゃくちゃに出てくる
――記憶中枢をかき混ぜられて、あらゆる時代の記憶が一時によみがえる。
――情動中枢をかき混ぜられて、無数の情動が次々と入れ替わる。
――体感中枢をかき混ぜられて、すべての体感が入り混じる。
――動きの中枢をかき混ぜられて、ランダムな動きに衝き動かされる。
――世界像=自己像中枢がかき混ぜられて、とんでもない世界像が入り混じる。

……この練習を続けていると、じつはいつも無数のクオリアが
脳内で渦巻いていることに気づかされる。
その渦巻きを増幅するだけでだれでも、それらの
潜在的なクオリアを活性化することができる。
脳とクオリアの秘密に触れることのできる練習だ。

3.能動と受動が交錯する

なにかをしようとすると、なにかに邪魔されてできない。
いいたいことがあるのに、いえない。
立ち上がろうとすると、内側から気力がくじけていく。
障害物にぶつかりつつ、やりたいことを追求していく。
七転び八起き、七転八倒の目にあう。
なにかをしようとしているうちに、やろうとすることが摩り替わってしまう。
やろうとすることを自分で邪魔してしまう。
無理難題を強いられ、無理だけどでもやって見ると決意する。

……などなど、能動と受動の交錯図からは、
無限の人生模様が浮かび上がる。
本当は能動であることそのものが幻想なのだが
意識はそのことを知らない。
そのずれが、能受転換の味を深める。
能受転換には、人生の不条理が詰まっている。

2007年7月18日

転換その2 反性転換 (Opposite Change :OPチェンジ)

転換の第二は、反対のクオリアに転換する、反性転換だ。
反対といっても、サブボディの世界は、日常界とは違って、
上下、内外など二次元的な境界で仕切られている世界ではない。
非二元であると同時に、ひとつのクオリアに対し、
無数の反対のクオリアが存在する多次元世界だ。
からだの闇を掘るにも書いたが、
この非二元かつ多次元というサブボディ世界の特徴が
だれにもはっきりつかめるのが、この
反性転換である。

反性転換の練習方法は、ふたり、グループ、ひとりと
いろいろな方法がある。
まずは、二人での練習からはじめるとよい。

1.二人での反性転換

ひとりが好きなように動く。
もうひとりは、その動きと同質のクオリアで動き関わる。
分かりやすいように、同じ速度、
同じ距離を保って関わるとよい。
これが<序>だ。
<破>において、
それぞれが反対のクオリアで動くように転換する。
ひとつの動きに対して、無数の反対のクオリアの動きが
ありうることがいやおうなく分かる。
ある動きを速いと捉えれば遅い動きが反性になるが、
その動きを高い動きと捉えれば低い動きが反性になる。
閉じていると捉えれば、開かれた動きが反性になる。
やってみればわれわれは、無限の反性がある
多次元世界に生きていることが分かる。
頭ではなく、からだごとサブボディの多次元世界に飛び込める。
<急>で、ふたたび二人が同じクオリアの動きに同化し、
終わりのタイミングを見つける。

反対のクオリアの動きに身をもって飛び込んでいくと同時に
<序破急>をからだでつかむ練習になる。

2.群れでの反性転換

5人で1グループになる。
<序>は5人が同質のクオリアで動く。
ひとりずつ場に入っていくとよい。
<破>では、2人対3人の二つの群れに別れ、
二つの群れは常に反対のクオリアで動く。
群れのメンバーはフレキシブルに入れ替わってもよい。
二つの群れ同士はできるだけストレンジな関係を持つ。
<急>では、5人が同じクオリアの動きに入って
終わりのタイミングを見つける。

これだけのルールで、自然に予期せぬ面白い即興が生まれる。
どのパートも、個人がどうしようとして、どうなるものでもない。
いやおうなく群れの論理に叩き込まれる。
考えている暇などないので、思考と自我を消し、
とっさに出てくる動きにからだごと身を投じることのできる
即動体になるよい練習になる。
リゾームになる、もってこいの練習だ。

3.一人での反性転換

以上の練習を経て自分ひとりのソロの動きに、
上と同様の<序破急>を取り入れる。
<序>は、同質の動きが続く。同質から同質への緩やかな転換をつなげる。
<破>で、異質な動きへ、反性転換を連続する。
だが、決して同じような転換はしない。
違った性質の反性転換をつないでいく。
動きのボキャブラリーを増やすのによい練習になる。
どんな違った反性転換がありうるか。
それはこれから毎日の練習でひとつひとつ身に着けていく。
全部で20種以上の反性転換を身に着けることができる。



2007年7月16日

転換の研究

7月コースが始まった。
6月から続けている3人と7月から入学した
新しい3人との6人のクラスだ。
今月はいつも以上に
たっぷりゆらぎ瞑想に時間をかけ
初日から深いレベルのサブボディモードに導いた。
先月は、週の最初はなかなかサブボディ・モードに入れずに
思考チャンネルやジャッジメント、クリティークが出てくるのに
悩まされた人が多かったからだ。
午前は、ゆらぎを使った調体(コンディショニング)
午後は、百丹三元ゆらぎから、灰柱の歩行、
歩きながらの生命遡行瞑想、大洋ゆらぎへとつないだ。

転換その1 静動転換(Stillness/Movement SMチェンジ)

そして、20分の探体に入ると、
一月目の生徒には命に聴きながら自然に出てくる
原生的な動きを自由に探すこと、
二ヶ月目の生徒には、
静止と動きの間の自分なりの転換のタイミングを
発明するという課題を与えた。
同じ練習をしていても
探体、創体の際に課題の違いによって
二重のプロセスに分かれるという区分けがついた。

二ヶ月目の生徒には、今月は毎日違った転換の課題を与えて、
多数多様な転換技術を磨く月にするつもりだ。

とくに今日の
静止と動きの間の転換のタイミングは
固有の踊りの美がそこから生まれるといって言い過ぎではないほど
重要なものだ。
踊りの中のどこかに重たい静止があると
すべての動きが引き立つ。
短い静止は動きにリズムを与え、
違った味わいをもたらす。
あるいは動きが静止の一瞬に
かけがえのない輝きを与える。
静止と動きは絶えず照らしあっている。

静止と動きの間のタイミングには
無数のバリエーションがありうる。

動きと動きの間の長い静止、
気が遠くなるほどの静止、
短い静止、
瞬間的な静止、
急激な静止、
じょじょに時間が凝固していくような静止、

静止のあとのじっくりした動き出し、
突発的な動き、
意表をつく動き、
さりげない動き、

すべての美は静止と動きの間で生まれる。
美とは珍しさなのだ。
見たこともない静動転換を発明せよ。

優れた静止と動きの間の転換が
たとえようもなく味わいが深いのは
静止と動きの間にあるものは、
死と生との間に横たわっている深淵だからだ。

そういう深淵が垣間見えるような静動転換を
生涯に一度くらい踊ってみたいものだ。

いくら工夫してもきりがないほど深い課題だ。




千の高原 ミルプラトー
生徒の創造New

リゾームになれ、
たったひとつの秘密になれ。

蜜蜂の群れ、モグラの穴、伝染熱となれ。
あらゆるものと連結し、直ちに断絶できるからだとなれ。
繰り返すな。無限の多様体を変奏せよ。
飛ぶ肛門、高速の膣、死者のまなざしとなれ。

からだの闇に、もっともみすぼらしい動きを探せ。
もっともか弱い声音、いまにも壊れそうな顔、
生死のあわいでゆらいでいる感情、
人間からずり落ちていくからだを掘れ。


エネルギーを高めたサブボディは、
それぞれがプラトー(高地)となり、
リゾーム状に自在に連結・分離しつつ、
増殖・伝染によって世界にはびこり、流れとなる。

始めも終わりもなく、両岸を侵食し、
真ん中で速度を増す流れとなる。


2007年7月15日

千の高原 ミルプラトー 40突破


サブボディ共振塾の一ヶ月コース以上を修了し、
自分固有のサブボディ舞踏を創始した生徒の数が40を超えた。
デザインを一新し世に送る。

千の高原とは、
ドゥルーズ=ガタリによって提出された
活性度を高めたリゾームが次元数を増して
高原状に盛り上がっていく
世界変革の新しいイメージを指す。

そうだ。ドゥルーズ、ガタリ、
あの世からも見えるだろう。
きみらが1970年代に夢見た
千のプラトーがとうとう実際に
この世に姿を現しつつある。
30年もかかってしまったけれどね。

世界はここから確実に変わっていく。
世界でもっとも自由な変形力を持った
サブボディ=コーボディが出立し、
神出鬼没の活動を見せるだろう。
ツリーの世界に風穴が開け、
生命共振のさざなみが
きみのまちかどにも
伝わっていくだろう。


千の高原トップへ

2007年7月13日

はじめての実験劇場

90分の全員による即興のなかで、
自分の創ったサブボディの動きをはじめるタイミングを見つけて踊る、サブボディ=コーボディ劇場の実験をはじめることができた。
わずか一ヶ月の練習でここまでこぎつけることができたのは
サブボディ共振塾開校以来はじめてのことだ。
即興と振り付けの境界を取り去り、
もっともフレキシブルで、かつ深みのある即興、
あるいはリアルタイム・コレオグラフを求めて
これを実現することに長年こだわってきた。
結果は見てのお楽しみ。
何が違うのか、読者がご自分で味わってみてください。
また、今月から、従来の体腔を使って出す
サブボディ・ヴォイスにくわえ、
原始的な楽器による音像共振も加わった。
少しずつ厚みが増し、これまでまだ世界に現れたことのない、
まるごとクオリアのサブボディ=コーボディ劇場が実現されていく。
そうだ、これを実現するためにこれまで生きてきたのだ。

上のグループ・パートのビデオに加え、
各生徒のソロパートのビデオも編集が終わり、
アップロードされた。
このページでもおいおい紹介していくが、
すぐ見たい人は下記のリンクからどうぞ。


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2007年7月6日

●サブボディ=コーボディはリゾームだ。


サブボディ共振塾 6月コースが終了した。
サブボディ共振塾6月第4週目のサブボディ コーボディ劇場では、
90分の完全自由即興の中に、各自が自分のサブボディを発揮する最適タイミングを見つけて踊る、世界でもまだ例のない高度なリゾーム劇場が実現した。
これまでのサブボディボイスによる音像共振に加え、
原始的な楽器による音像共振も加わった。
わたしたちの秘密はたった一つ。
生命共振あるのみだ。
それだけで、これらすべての世界の可能性が開ける。


サブボディとコーボディはどこで切って、
どこでつなぐこともできるリゾームだ。
サブボディからコーボディへもいつどこでも連結し変容できる。
生徒のからだがここまで変幻自在になってきたのは
はじめてのことだ。この先どこまで行くのか楽しみだ。


2007年7月4日

<急>にいたるいくつかの道


序破急の<序>と<破>は、どうやら、
どの生徒も身に着けかけてきた。
だが、急が見つからないと悩む生徒が多い。
そう簡単に見つかるものではない。
わたしがこれが自分の<急>だという踊りに出会ったのは、
踊りを始めてから5年もたってからだ。
わたしの場合は、だれの支援も受けることができなかった。
序破急を教える人は日本にも世界にもいなかった。
だから、5年もかかったのだ。
ただ、いまなら、それぞれの<急>にいたる道を
すこしは明確に支援することができる。
いくつかの道がある。
ひとつめから見ていこう。
(序破急についてくわしくは、実技ガイドの「序破急」、
「<序>秘兆」、「<破>異次元開畳」、「<急>命に転生」など
を参照してください。)


1.揉み寄せの<急>


<序破急>の<急>とはなにか。
世阿弥は言う。

「急と申すは、挙句(=最後)の義なり。
その日の名残(=別れ際)なれば、限りの風(終末にふさわしい趣き)なり。
破と申すは、序を破りて、細やけて、色々を尽くす姿なり。
急と申すは、またその破を尽くすところの、名残の一体なり。
さるほどに、急は揉み寄せて(=変化を多くして)、乱舞・はたら き、
目を驚かす気色(けしき)なり。」
『花鏡』

「ことさら、挙句(=最後)急なれば、揉み寄せて(=テンポを早め、畳みかけて)、手数を入れて(技巧的演技を集中させて)すべし。」
『風姿花伝』

「万曲の面白さは、序破急成就の故と知るべし。
もし、面白くなくば、序破急不成就と知るべきなり。
恐らくは、なおこの心、得ること如何(いかん)。
奥蔵心性を極めて、妙見に至りなば、これを得べきか。
(どうすれば、この心を得ることができるのか。
心の奥底にひそむ根源の性まで極め尽くして、不可思議の悟りを得れば、
序破急の要諦を体得しうるかも知れない。)」
『拾玉得花』

一つ目の<急>にいたる確かな道は、揉み寄せの<急>だ。
手数を尽くして、持てる技のかぎりを出して畳みかけていく。
すべて出し切れば、自分にとっても見る人にとっても、
最後まで踊りきったという終わりのクオリアを、
共有することができる。
これは、努力しだいで誰にも到達できるもっとも確かな道だ。
下記の、2、3、4の<急>に至るまでは、
揉み寄せを練習して、身に着けてほしい。

2.世界像=自己像チャンネルにいたる<急>

踊りの<序>から<破>にかけては、
さまざまなチャンネルをへめぐっていく。
体感チャンネル、動きのチャンネル、映像、
音像、情動のチャンネル、関係像のチャンネル……と。
そのたびに、新しい次元が開け、自全のなかのさまざまな
未知の次元を開畳していく。
それが、自全を旅するサブボディの踊りだ。
そして、その旅は、最後に世界像=自己像のチャンネルに
いたることで、極致にいきつく。
世界=自己チャンネルは、単チャンネルとは違い、
最大の複合チャンネルだ。
それではクオリアがまるごとクオリアとなって
多次元の厚みを増す。
謎のすべてがそこで結びつく。
なぜ、ここまで踊ってきたのか、
世界チャンネルの踊りにいたれば、
何度も何度もそれを踊ることだ。
それを続けていけばいつの日か謎が解ける。
その謎は踊り続けることによってのみ透明化する。
これが自全と世全に至るサブボディの旅の<急>だ。

3.命に転生する<急>


衰弱体の踊りができるようになれば、
異界の死者に転生することで、<急>に至る。
健全なからだと自我の執着を脱ぎ捨て、
他界の住人に転生する。
そのとき踊り手は、個としての生命ではなく、
類としての生命に転生する。
死体となってはじめて、届けることのできる
まなざしがある。
臨生のまなざしだ。
生者の世界は、輝かしいクオリアに満ちている。
死者はそのクオリアと共振することができない。
生あるものだけがクオリアと共振することができる。
だが、生者はそれを忘れて、
何か楽しいことでもないかと劇場へ足を運ぶ。
その生者たちに突きつける。
そこで生きろ!
そここそが君があらゆるものを創造できる場所だ。

土方巽が晩年のソロで
ひたすらそのメッセージを届け続けた。
その臨生のまなざしの意味は
愛弟子の芦川羊子にさえ理解されなかった。
だが、受け取るべき人には確かに届いたのだ。

4.幾万回踊れるかと問う。

その踊りが<急>であるかどうかは
命にこの問いをぶつければすぐ分かる。
「この踊りを幾万回でもおどれるか?」
もし、命が「然り!」と答えれば
それは紛れもないきみの<急>の踊りだ。
踊り続けたまえ。
それを踊るのがきみの使命だ。



共振塾ジャーナル
2007年7月
サブボディとコーボディの不思議な混淆
男女という元型を脱ぐ
内向思考チャンネルとはなにか?
サブボディ=コーボディー シアターと異次元開畳
リゾームになること
意識という催眠状態
懐かしい2対3のリゾーム即興
4. 現幻転換
ソロが仕上がってきた
3. 能受転換
2. 反性転換
転換の研究
1. 静動転換
千の高原 ミルプラトー 40突破
はじめての実験劇場
サブボディ=コーボディはリゾームだ
<急>にいたるいくつかの道