September 2007
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2007年9月

2007年9月23日

モニカの衰弱体


ここ数ヶ月、毎月一週目は、からだの闇のなかの
もっとも原生的な生命傾向を聴いて、それに従う
原生体系のサブボディを見つけ、
二週目は、隠れ関節や眇めなどに潜む異貌の自己、
異貌体を探り、
三週目に、自分の闇だけではなく、命が共振するあらゆる
クオリアにからだを開いていく憑依体に変成する訓練を積む
というプログラムでやってきた。

だが、今月は、カツとアンスケが4ヶ月目に入る。
彼らは二人ともかなりの異貌体を発掘してきた。
今月は彼らには異貌体ではなく、
衰弱体への坑道に案内しよう。
長くかかる道程だが、今からはじめれば
十年以内にはものになるだろう。
そう思って振り返ると、
いままでの生徒の中で、ひとりだけ
衰弱体の歩行をこなした生徒がいることを思い出した。
去年の秋のポーランドのモニカだ。
YouTubeに載せた短いビデオにも出だしの本の数秒だけの
ショットだが、彼女の衰弱体の歩行を見ることができる。
もちろん、まだ初歩の衰弱体だが、
ここまでできたのはこの十数年で彼女ただひとりだ。
わたしが、よい教え方をまだ発見していなかったせいもあるが、
生徒自身に衰弱体をみずからすすんで受け入れる
素地が見つからないと、それを教えることなどとてもできない。
モニカは苦難に満ちた生涯と引き替えに
奇跡的な才能を発揮した生徒だった。





2007年9月19日

カツの本領・女形

Youtubeをサーフィンしていると、
カツのビデオを見つけた。
Nyngyouと題した作品だった。
面白い!
カツの本領はこの女形にある。
人形とは、この世に棲息を赦されない
異次元の存在であろう。
女形は、カツの異貌体のなかの異貌体である。
この筋をメイン坑道として掘り抜いていってほしい。

カツは、6月、7月とおびただしいほどの
異貌体をからだの闇から発掘した。
8月はその勢いが止まってスランプになりかけたが、
終わりごろ、胎児のクオリアが訪れて持ち直した。
本当は、6月、7月の勢いが異常だったのだ。
あれほど出てくることはめったにない。
9月になって、まったく別系統の原生体系の
サブボディが出現してきた。
9月コースの三日目の今日はそのほぼ全貌が躍り出た。
これで、メインの女形を中心に、
さまざまな副人格の異貌体(Hidden body)、
そして、原生体(Proto body)が出揃ってきた。
もうひとつの憑依体(Possessed body)系の
十体の探索という課題もあるが、それは急ぐことはない。
憑依体、衰弱体は最後の舞踏体だ。
そのときが来るのを待つしかない。
わたしももう7年時が熟すのを待っているが
まだ、そのときは来ない。
カツはまだ30代、これだけ見出せば、
ソロの振付でも即興でも当面は十分のメンバーだ。
あとは、これらを生死ゆらぎ、異界ゆらぎのなかに
自分がなぜ踊るのかをめぐって、どう統合するかだ。
今後が楽しみである。



2007年9月18日

どうすればクオリアが分かるか


新しい生徒から、クオリアとはなにか?
という質問を受けた。
命が感じているすべてのものだよ、
と答えたが、言葉で分かるものでもない。
今日の午後いっぱいを使って、
クオリアを感じ取る練習をした。

クオリアを知るには、言葉を使っていなかった時代の
生命に戻ることが一番だ。

1.胎児になる

そのひとつはまず、胎児に戻ることだ。
自分がまだ人間だと知らなかったころに、
命はどんなことを感じていただろう?

ペアになり、一人が上向きに横たわる。
もう一人はその腹部に耳をつけてからだの音に聴き入る。
胎児の頃、十ヶ月に渉って聴き続けた最初の音楽だ。
とても懐かしい。
これがクオリアだ。
このとき命が言葉なしに感じていることすべてがクオリアだ。

次に体勢を変える。相手の腹部に自分の腹部を当て
十字形に重なる。
クオリアは耳だけで聞くものではない。
命はからだ全体でクオリアを感じている。
呼吸や温かさや、微細な動きなどすべてを
命が感じ取って反応していることを感じる。

さらに、相手のからだに平行に重なる。
脚には脚を乗せ、腕には腕を乗せる。
ヒューマンベッドと呼んでいる、からだを完全に重ねる体勢だ。
これで、胎児期にからだ全体であらゆるクオリアを
感じ取っていた感じがよりよくつかめる。
重さ、温かさ、呼吸、ごく微細な動き、などに命が
ビビッドに反応していることがよく分かる。


2.原初生命になる

次にいいのは、最初に地球上に生まれた
原初生命体になりこむことだ。
目も耳もない、単細胞だ。
原初生命はからだ全体であらゆるクオリアを感じ取っていた。
薄い細胞膜を通じて、重力や光や、水の動きや、
食べ物や危険な毒物などすべてを感じ分けていた。
目はないから、太陽の光を受けると
からだが温かくなってなんだか動きやすくなることで
光のクオリアを受け取っていた。
水に動かされれば、動かされるクオリアを感じ続けていた。
氷河期になれば、凍りつくような寒さの中で、
活動レベルを落として、ゆっくり生きるすべを学んだ。
これらのクオリアはすべて遺伝子の中に書き込まれている。
そして、必要に応じて開畳して使う。
これら生命記憶となったクオリアは、
実際の物質的外界と触れて感じる外クオリアとは別に
生命は内クオリアとして、活用した。
なにか実際の行動を起こす前に、命の内部で
内クオリアだけを使って
予行演習をすることができるようになった。
内外のクオリアの二重性を使いこなせるようになったおかげで
生命はもう無駄な試行錯誤なしに
最適解を見つけることができるようになった。
どんな単細胞でも、単細胞時代の30億年間の生命記憶で
内外クオリアを使えるようになっている。

単細胞として、これらの内外のクオリアを感じながら
動いてみる。
じつに豊かな経験ができる。

3.ひもの気持ちになる

ひも理論(ストリング・セオリー)でいう、
微細なプランク長さの中で振動しているひもになりこむ。
命もまた、ひもの共振パターンからなるものだから。
生命を構成する共振するひもは、
いつも外部の無生物を構成するひもとも共振している。
そのひもになりこむと、
命が非生命(=死)と共振していることがよく実感できる。
ひも共振のうち、粗大な4次元の物質やエネルギーと
相互作用を持つクオリアが、外クオリアで、
物質やエネルギーとは関係なしに
命内部で感じている内クオリアは、
おそらく微細次元で共振しているひもからなる。
それを想像するのは、ぞっとするほど素敵なことだ。
だが、ひもになりこむには、
ひも理論にある程度親しまなければならない。
この世の4次元時空以外の11次元の微細次元など、
日常意識にはなかなか想像できるものではない。
まして、そのひもが命を構成しているなど、
サブボディ・メソッドにずっぽり漬からないと
はいっていけない世界です。
わたしだって何年もひもに成りこむ鍛錬の中から
今の気づきを見出してきた。
急がずゆっくりおいでください。

死者と共振する
アウシュビッツ
2007

死者たちが世界中から集まってくる。
戦争の死者、望まずに殺された死者たちが。
そして、われらのからだを通して踊りだす。
これがサブボディだ。
死者と共振する舞踏だ。

死者との共振を忘れた生きるものよ。
きみの皮膚の表皮は死せる細胞だと知っているのか?
生命は死との共振によって守られている。
自我や自己を去り
40億年の命になることで
はじめてそれが分かる。
生と死は常に共振しゆらいでいることが。

2007年9月7日

アウシュビッツ・死者の饗宴

8月コースの最終日が終わった。
8月は死者の国。
最後まで残った8人の生徒が一月かけて
死の歩行を創り出した。
銘銘の死体を舞台まで運び、
死体の山になる。
一人で歩くのではない。
世界中から百万の死者を引き連れてくる。
世界中の戦争の死者がアウシュビッツに集まって
異世界で異様な饗宴を始める。
一人が動き出すと、
死体の山がビクビクッと共振して動き出す。
八人が八人なりに懸命に自我をそぎ落として
サブボディソロを創った。
それは饗宴に添える小さな花束となった。

もちろん、死の歩行などといっても
技術的にはまだまだ生まれたばかりの赤ん坊並みである。
これから鍛え抜いていくプロセスが
若い人にとって苦難の道であることもよく分かっている。
だが、歩き始めたことは確かなのだ。

8月は死者の国。
8月の踊りは死者とともに踊る踊り。
――ここまでくるには、自我を去り、
自己さえも去り、40億年の命になることが必要だった。
生命になってはじめて
生命が死者とさえ共振することを知ることができる。
若い生徒とともに、こういう踊りをできるようになるには
私自身も長いプロセスをたどることが必要だった。
そうだ、ちょうど十年かかった。
それも、一日も休まず全力疾走を続けての十年だ。
だが、十年かければどんな不可能に思えることでも何とかなる。
十年一昔。
1998年10月、ベネズエラで
二週間ひとつ部屋で寝起きして
友達になったマーク・トンプキンと
互いの踊りの根拠を語り合ったことを思い出す。
マークはフランスの著名な振付家だが、
わたしが踊った伝染熱を見てよほど不思議だったらしい。
――どうしてあんなとんでもない踊りが創れるんだい?
と真剣に尋ねるマークに、わたしは答えた。
俺じゃないよ、創ったのは。
死んだ友人が勝手に踊ってくれるのさ。
――その踊りの創り方を他の人に伝えることができるかい?
マークのその問いにはNoとしか答えられなかった。
そんなことできるわけないじゃないか?
こんな憑依じみた奇妙なことを伝えるなんて。
だが、そのとき以来その問いはわたしのからだの闇に
深く潜行し、十年かけて発酵する時を待っていたのだ。

自我を止めて、生命になれば誰でも
自分の生命が死者と共振していることに気づくことができる。
その共振はあまりにかそけきクオリアだから、
意識が発火しているときはマスキングされて聴こえなくなる。
意識は百万のニューロンを連結発火させて、脳内に言語を
走らせなければならない。
いわば意識は大声で怒鳴りながら走る機関車のようなものだ。
死者にかすかに共振して自分の命が震えていることになど
気づくことができないのだ。
そういうことを突き止め、若い人にも意識を止める方法を
ガイドすることができるようにならねばならなかった。
しかも気持ちよくそれができなければならない。
それを見つけるのに十年かかったということだ。

ここまでくるのに十年。これからこの踊りを
ヒマラヤから世界に運び出すまでにまた十年はかかるだろう。
だが、かならず少しずつ世界に響いていくのは間違いがない。
戦争による殺され死は生命がもっとも嫌うものだからだ。
途中でわたしが倒れたら、
誰かの生命が後をついでくれるだろう。
おそらくそんな基盤さえできかけているのを感じる。
生命と生命の間の共振は、不可視だけれども
恐らくこの世でもっとも確かなものなのだ。




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