| 2007年10月 |
| 2007年10月28日 ●サブボディとは自分の全体に至る営みなのだ サブボディ=コーボディになるとは、 自分の中のすべてを引き受けてそれになりこむことだ。 見掛けがどんなに一見美しくなくても、 見る人が自我や既成概念を捨てることができれば 自分の全体を肯定しようとする命の営みには 誰しも共振してしまうだろう? もっと読む |
2007年10月24日 ●衰弱クオリアの探求 極微細な細胞のふるえに聴く 生命にとって、生と死の間でゆらぐ衰弱クオリアほど 深い味わいのあるものはない。 衰弱体の核は自分独自の衰弱クオリアをみつけることだ。 よほど自我意識を止め、普段またぎこしている 微細なふるえに耳を澄ますことが、その第一歩になる。 今日の授業は、フロアに寝て、 背中に感じる冷たさに聴き入ることからはじめた。 まだ寒くはないが、朝の木の床に微細な冷たさを感じたからだ。 よくよくその冷たさに耳を澄ませば、 背中が少しふるえているのに気づく。 その微細なふるえに従い、少し増幅すると からだ中に微細なふるえが伝染していくことも分かる。 それから、呼吸に聴く。 鼻の入り口に冷たい空気が触れると、 やはり鼻の粘膜は少しふるえている。 冷たさは一つ一つの細胞にとって やはり大事件なのだ。 こうして、少しずつからだに起こっている微細なふるえや ゆらぎに気づいていく。 これが、衰弱クオリア探求の入り口だ。 衰弱クオリアをからだに通す ・背筋を伝う悪寒 風邪を引きかけのときによく味わう、 背中を走るゾクッする震えを思い出し増幅する。 ・呼吸が消えていく 普段している呼吸の仕方を忘れる。 呼吸がじょじょに瀕死者のそれになる。 ・背中を支える意欲を失う まっすぐに立っていようとする意志がなくなる。 じょじょに背骨がたわんでくる。 ・目の力を失う 見ようとするのに見えない。 むしろ暗がりに中に妙なものが漂いだす。 いまここのクオリアと どこでもないクオリアが混じりだす。 時のない世界にはまり込む。 ・四肢が縮みだす 手足が震えつつ縮んでいく。 時々はねじれあらぬほうへ向く。 ・立とうとして立てない 脚腰が支える役目を忘れる。 生まれたての哺乳類や孵化したての昆虫のように 立とうとするがまだ立ちかたが分からない。 ・脚が消えていく あるはずの脚がいつの間にかひとつなくなっている。 片足だけでどう歩けるというのか。 ・足先が凍りつき落ちている いつの間にか足先もない。 凍傷でこぼれていったようだ。 ・はらわたが腐る 内臓が腐っていく。 見ると、一部が腹からこぼれ出ている。 悪臭がひどい。 ・皮膚がこぼれ落ちる 疱瘡に罹ったのか、乾きすぎたのか 皮膚の塊がボロ、ボロッとこぼれ落ちていく。 ・脳みそがかき混ぜられる 誰かが脳みそに金属棒を差し入れてかき混ぜる。 さまざまな体感が走る。 点でばらばらの動きができてくる。 視覚も聴覚も情動も混ざり舞う。 ひとつの衰弱クオリアを育てる 以上のような衰弱クオリアを次々とからだに通し、 自分の命にとってもっとも響くクオリアを見つけ 丁寧に育てていく。 それが自分固有の衰弱体の芯になる。 |
2007年10月23日 ●羊水クオリアに出会う 今日は長期生のアンスケによる一日授業を受けた。 触覚のタッチチャンネルを開いていくものだった。 1.目隠しをしてモノに触れる ペアになり、一人が目隠しをして、教師が用意した モノに触れる。 目隠しをした人は最初それに自分の手で触れてから、 ペアの相棒が、そのモノをさまざまな仕方で からだに触れてくるのを感じる。 2.自分が受けたクオリアを相手に与える さらに、自分が受けた触感のクオリアを 目隠しをした相手に与え合う、と進んだ。 わたしが触れたモノは、ヘチマのような風呂でからだを 洗うスポンジのようなものだった。 それがからだに触れるたび、私は幼少期以来入ってきた 銭湯を思い出した。 それから日本中で入った500以上の温泉の記憶、 外国での温泉、トルコ風呂、サウナ、スチームバス アロマ風呂などの記憶が次から次へ噴出してきた。 それぞれの風呂特有の温度まで思い出した。 さらに相棒から受ける触感のリズムが変わると、 海で泳いだ記憶に変わって行った。 特に沖縄宮古島の珊瑚礁で、イソギンチャクと共生する クマノミに出会ったことが思い出された。 手を出すとからだをすりつけ、小さな口で吸い付きにくる。 その小さなキスの感触がからだじゅうに広がった。 無数のクマノミにキスされながら、漂っていた。 それから四国沖で遠泳している最中、 カツオの大群に出会った。目の前から何百匹という群が 一直線に向かってくる。 案なのにぶつかられたら大変だと逃げる余裕もなく 瞬間にカツオの群は紙一枚の差で私のからだをすり抜けていった。 さらに、沖縄の沖でとても透明な海を泳いでいたとき、 海底にサメの姿を見た。必死で泳いで逃げた。 そのとき、相棒が私のからだに異様な刺激を与えてきたのか、 それをきかっけにパニックは増大し、 いつの間にか私は大きな鯨に食べられていた。 胃の中で転がされ、腸に運ばれていったとき、 すでに私のからだの一部は消化されてなくなっていた。 だが、腸の粘膜の柔突起に触れると、 ちょうどクマノミのキスと同じような快感を味わった。 3.目隠しをして庭に出て動く 目隠しをしたまま、生徒は庭に這い出て行った。 教師はときどき、何かで触れてくる刺激を与えて回っていた。 水滴が雨の始まりのように降りかかる感触が新鮮だった。 その闇の中で出てくる動きを探った。 4.モノの形をからだの各部位で描く 午後からは、やはり目隠しをして何かのモノに触れ、 そのモノの形をからだの一部で描いた。 一つ描くと生徒の間でモノを回し、つぎのモノに触れる。 肘で描き、足の小指の第4関節で描いた。 新鮮だったのは、鎖骨で前ではなく背後空間に描く感触、 立って、想像上の尻尾で地中に描くクオリア、 そして、からだ全体でモノを描いて モノになりこんでいくというもの。 この三つのクオリアはまったく新しいものだったので からだに新鮮な快感が起こった。 もっとあったのだが、省略する。 以上の体感の後、自己探体に入った。 5.自己探体で出会ったもの わたしは、海中でクマノミの小さな口でキスされる体感と 鯨の内臓内で味わう柔突起に触れる体感がそっくりなことに 驚いて何度も味わった。 すると、この動きなら何時間でも続けられそうだという 底知れない快感が生まれてきた。 そのとき、気づいた。 そうか、この動きを次の踊りの序にすればいいのだ、と。 2000年以来私は新しい踊りを創っていない。 それまでの急な転換に告ぐ転換でつなぐ、わたしのそれまでの 踊りのリズムに倦み、全然別の踊りのリズムを探り始めたのだが なかなかじっくり長く続けられる動きに出会えなかった。 私の命は飽きっぽくすぐ飽きてしまうのだ。 だが、今日であったクマノミと鯨の体内クオリアは いつまででも続けられそうな極楽のクオリアを与えてくれた。 おそらくそれは胎内にいたころの羊水のクオリアだったのだろう。 一つの踊りの中で、天と地のクオリアすべてを旅しようとすれば 一方ではこういう極楽のクオリアがなければならない。 それがあってはじめてそこから どんな地獄にでも転生していけるのだ。 今日の授業はそういう大きなことに気づかせてくれた。 私の59回目の誕生日への何よりの贈り物となった。 |
| 2007年10月15日 ●衰弱体への変成技法 衰弱体のクオリアを時間をかけて からだにしみこませていく訓練法が とうとう見つかった。 今週はこれに専念する。 なんのことはない。 からだは衰弱体をよく知らないというところから 出発する必要があった。 1.衰弱十体三元 だから、毎日、からだのあらゆる部位(百丹)を できるだけ小刻みに三次元方向に震わせる訓練をする。 これまでに見つかっているあらゆる十体の動きをしながら 百丹でこの衰弱三元を行う。 粘菌衰弱三元、 原初衰弱三元、 獣衰弱三元、 龍衰弱三元、 海星衰弱三元、 傀儡衰弱三元、 ヒューマノイド衰弱三元、 異貌衰弱三元、 などなどだ。 ただただ続ける。 訓練が大脳皮質の運動野から小脳にしみこみ、 自転車に乗る技能と同じように 無意識に出てくるところまで続ける。 まずは体感と動きのチャンネルでの訓練、 これが基礎の基礎だ。 2.生死のあわいでゆらぐ命になる 同時に大事なのが、絶えず日常の自我や自己を鎮め 命になる瞑想を続けることだ。 命にならなければ、衰弱体になりこもうというような とんでもない志向性は出てこない。 思考チャンネルが出てこないようになって、 命が死と生の間でゆらいでいることが、 からだで実感できるようになることが、 衰弱体になりこむ条件だ。 3.最小限の動きに限定する そして、三つ目は、動きを局限することだ。 手を上げる、足を運ぶとか、からだを傾けるとかの、 ごく限られた動きの中に、 百丹で八覚六道三元の無限の内外クオリア変容を味わいつつ、 それをできるだけ微細かつ精妙に振付けること。 動きすぎると、動きにとられて、 衰弱体の微細精妙な振り付けはできない。 4.百丹八覚六道衰弱三元 最初はからだの各部(百丹)において、 体感、動きのチャンネルからはじめ、 やがて映像、音像、情動、関係、世界=自己像チャンネルで、 微細に衰弱三元ゆらぎが起こるように内外クオリアのゆらぎを広げていく。 各チャンネルで、ゆらぎ、ふるえ、うねり、ショック、壊れ、萎みの 六道ゆらぎが最弱の規模で起こるように試みる。 この四つが身につけば誰にも自分の衰弱体を創造することができる。 十余年、この一点を目指してからだの闇を掘り抜いてきた。 その長い坑道がとうとうほぼ貫通した。 これについてきてくれた生徒のおかげだ。 |
| 2007年10月9日 ヒンドゥーの遺跡で踊る 共振塾から一時間ほどのところに カングラフォートというインドの古い城の遺跡がある。 そこへ一日出かけて、 気に入った場所を見つけ、サブボディを掘り出した。 こういう古い歴史のある場所で踊ると かならずもろもろの元型が立ち上がってきて 囚われかける。 元型は時に創造を励ますかに見えるが かならず一定枠に閉じ込めようとする 強い力を及ぼす。 創造とは何か? 元型と闘いぬいた末にようやく 答えがみつかる。 生徒のサブボディを捉えようとしている元型と その力に対する各生徒の抗いを 読み取ってほしい。 今月の写真をもっと見る 今月のビデオを見る |
2007年10月9日 ●非時の次元へ 今日はピラーが調体をガイドした。 メインは、いろいろな匂い嗅いで、連想して出てくる 内クオリアを旅するというものだった。 わたしが嗅いだのはレモングラスか何かの草の匂いだった。 そのクオリアとともにゆらいでいると、 5歳から10歳ころの友達の顔が次から次へと浮かんできた。 ペアを組んだカツが、「カラスと一緒に帰りましょ」の童謡を 高い子供の声で歌っていたのにもつられて、 なんと50人いた小学校のクラスメイトすべてに会った。 好きだった女のこのことはいつも思い出しているが 50人すべてというのははじめてだ。 橋爪くんという友達とけんかして 彼が私の腹にアッパーカットを打ち込んだときの姿が スローモーションで浮かんできた。 そのとき、普段おとなしい橋爪くんが、 こんな面も持っていたのかと、 (おぬし、やるな)と内心驚いたことも そのときの心の動きそのままにありありと思い出した。 どこにいったいこんな50年前の心の動きのクオリアまで こんなにありありと保存されているのだ?! ニューロンなどではあるはずがない。 ニューロンは始終いろんな用途に使われていて、 こんな微細な記憶がそのまま残るとは考えられない。 内クオリアはおそらく最近注目されいてる グリア細胞のどこかに保存されている。 時のない微細次元で振動し続けているひもそのものが そっくりそのまま保存されているに違いない。 そして、今日のようなきっかけがあると そっくりそのまま時を超えて再現されるのだ。 |
| Dead Fever / Rhizome Lee 1998 |
| 2007年10月7日 ●カングラフォートと永運院 ダラムサラから1持間ほどのところに、 カングラ・フォートという古いインドの城の遺跡がある。 先週は生徒とそこに出かけ、 一日気に入った場所を見つけそれぞれのサブボディを掘り出した。 ヒンドゥーの遺跡とサブボディ。 さてどんな踊りが押し出されて出てきたか。 お楽しみください。 Leeの代表作のひとつ「デッド・フィーバー」は YouTubeの使用規定に触れて削除されたため、 別カメラのバージョンで再編集しアップロードしました。 死んだ山崎がからだに入ってきた踊りです。 京都黒谷の永運院で踊りました。 同じ裸なので今度も削除されるかも知れません。 それまでにご覧いただければ幸いです。 |
| 2007年10月5日 ●カツの調体・リップル技法 今日は4ヶ月目に入ったカツに午前中の調体ガイドをまかせた。 週末は各生徒が一週間の自分のサブボディをひとつにまとめる。 だから、できるだけ全チャンネルにまたがる包括的な調体がいい。 カツは見事にそれをやってのけた。 記録しておくに値する美しいものだった。 1.石ころのクオリア 静かに座り、日常の意識と自我を鎮める。 手のひらに小さな石ころを乗せてそのクオリアに耳を澄ませる。 2.命のクオリア もうひとつの手で隣の人に触れ、命のクオリアを聴く。 石のクオリアと命のクオリアを聴き比べる。 命とは何かを問う。 3.卵を育てる 石ころを床に置き、その上に鶏のめんどりのように座って 卵あるいは種を暖めていると想像する。 ゆっくりからだの底からゆらぐ。 4.生命体が入ってくる やがて、卵が孵り、生命体がからだの底から入ってくる。 少しずつからだ全体に広がっていく。 からだ全体を暴れまわる。 口から舌を出して外界を味わう。 5.生命体がしぼむ その生命にとって酸素は毒だった! 生命体がからだの中で壊れつつしぼんでいく。 やがて消失してしまう。 6.声の六道 からだの底からゆらぎだし、それが呼吸となって立ち上がってくる。 ゆらぎ、ふるえ、そして、さまざまな声がうねりだす。 最低音域の声から、最高音域まで、 最小の声から最大の声まで、 ふつうの声からもっとも奇妙な声までの振幅でうねる。 ショックを受ける声。 壊れていく声。 萎み消えていく声。 7.眼の六道 眼がゆらぐ。 眼が振るえる。 獣目がうねる。 眼が驚愕する。 ヒューマノイドの眼になり、眼が壊れていく。 眼が消える。 8.情動の六道 インドの古典ダンス・バラナチアムでは 9つの情動の元型がある。 それらの間をゆらぎつつ、情動の階調をあじわう。 平和、愛、同情、不思議、英雄的、ユーモア、嫌気、怒り、恐れ・・・ 最小のゆらぎから、交じり合い最大強度の情動まで、味わいつくす。 9.関係の六道・背中の眼 立ち上がり、頭の後ろに眼があると想像する。 背中の目で人を探す。 愛する人を見つけ背中で触れ合う。 背中で抱き合っていると、別人だと判明する。 その人を突き飛ばし離れる。 するとその人が壊れ萎んでいく。 その人の死を見守る。 10.世界像=自己像の六道・腰の眼 骨盤に眼が生える。 腰の眼で世界を見る。 さまざまに世界像が変転し、自己像も移り変わる。 ――ざっと骨組みだけ紹介した。 この日のカツの調体は、漣のようにクオリアが 自然に変化していく<リップル>が実にうまくできていた。 それがよくできていると、サブボディは もっとも微細なゆらぎから、もっとも急激な天変地異まで 心地よくどんな破天荒な世界にでも導かれていく。 <リップル>を制すれば、下意識を制することができる。 それを身をもって示した上出来の調体だった。 5人の他の生徒も賛辞を惜しまなかった。 |
| 共振塾ジャーナル |
| 2007年10月 |
| サブボディとは自分の全体に至る営みなのだ |
| 衰弱クオリアの探求 |
| 羊水クオリアに出会う |
| 衰弱体への変成技法 |
| ヒンドゥーの遺跡で踊る |
| 非時の次元へ |
| カングラフォートと永運院 |
| カツの調体・リップル技法 |