| 2006年5月 | |||||||||||||||||||||||||||
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2006年5月30日 ●リゾーミング・リゾナンス昨日に続き、目隠しをして闇の中に固有のクオリアを探った。 そして、探し当てた自分独特のクオリアの動きがからだの一部から始まり、他の部位へじょじょに伸展していく、リゾーミング・ボディになる練習をした。 そして、闇の中で他の生きものに出会えば、不触不離の距離でまさぐりあい、その生き物特有の動きを探り、つかむことができればじょじょに自分のからだの一部から伝染が始まる。 ただ、これだけのルールで1時間動くに任せた。 今日はイスラエルのシャニ、シバニ、イタリアのジャダ、そしてタイのタナンポールというメンバーだ。今年はじつに多くの生徒が病に倒れていて日によって顔ぶれが大幅に変わる。 しばらくすると、興味深い現象が生じた。目隠しをしているので、自分が触れた相手が誰だかもなかなか分からない、ましてその生きものがどんな特有の動きをしているのか認知するまでにかなりの時間がかかる。だが、しばらくすれば触れあっている二人の間で動きのクオリアの縮合が起こり、二人の動きが混ざり合った新しい動きを共有することになる。そして、それに触れた他の人々もゆっくり時間をかけてそのクオリアに伝染されていく。そして、しばらくすればまた群れのどこかから新しいクオリアの動きが始まり、群れ全体にゆっくり伝染していく。昔からディレイ・インフェクションと呼んでいる現象だ。そのディレイが目隠しをしているおかげでごく自然に起こる。これは新しい発見だった。そばから見ていると飽くことがなく、いつまでも誰かが面白い動きをからだの闇の中から見つけ出し、群れに伝染していく。昔からこんなリゾーミング・リゾナンスとでもいえる群れの動きを現出したいと思っていた。その道筋が闇の中から浮き上がってきた瞬間には驚かされた。待てば回路の日よりあり。思い描いたイメージを長年把持し続けていると、いつか実現する日がやってくる。どんなに時間がかかってもね。このリゾームのイメージなど、94年に踊りを始めたとき以来のものだから12年かけて発想から実現までのみちをゆっくり成熟してきたものだ。 |
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2006年5月29日 ●闇の中に原生感覚をまさぐる生体にとってもっとも原生的な感覚とはなんだろうか。それは、からだの闇を探るのに、もっとも重要な感覚でもあるだろう。 視覚や聴覚はかなり高度な感覚器官だ。そんな高度な器官がない生き物がたくさんいる。アメーバや粘菌には、たぶん運動と体感が一体となった体動感覚だけがありそれで世界と自己の関係を認知しているだろう。かれらの水準にまでおのれをどうすれば切り詰めることができるか。今日はその練習を試みた。
闇の中に、生体の動きをまさぐる感覚を開くことが、日常体が忘れている原生的体感を取り戻す端緒になる。頭を捨て、からだの動きに対する感覚しかない、アメーバかなにかになりきったつもりで行うのがいい。 |
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2006年5月27日 ● 共振劇場からの遠い道程5月第3週の終わりのサブボディ=コーボディ劇場は、イタリアのジャダ、インドのラグー、タイのタナンポール、日本のマユミの4人がすばらしい共振振りを見せてくれた。 ソローデュオーソローデュオーソローデュオートリオー最後は30分のグループ即興で終わりを見出すという、今週あたりから定着してきた<序破急>を採用した。月初めからあらゆるレベルでの共振に焦点を当ててきた成果がここになって加速度的に出てきた。生徒のからだが、場の中に起こっているごく微細なクオリアのゆらぎに、自分の中、外を問わず、ほんとうに繊細な耳を澄まして聴き取ることができるからだに変成しているのがみえた。サブボディのソロとソロをつなぐデュオの部分が、とくに練習をしたわけでもないのに、過飽和溶液の中でできていく結晶でもみているかのような美しさを見せてくれた。 さらに、4月から続けているマユミのからだは、この世とあの世の間でゆらぐとても大きな山のような奇妙な雰囲気と共に動けるからだになっていた。ほかの人が恐ろしく感じていたほどだ。 とうとうここまで来た。いままでの一週間や二週間のワークショップでは決して起こらなかったからだの変成が起こりだした。からだごと変わるには、やはりそれなりの時間がかかるのだ。その世界には心底感動させられた。 だというのに、終わった後、これは想定内のこととでもいうかのようにさほどうれしさがこみ上げてこない。じぶんでも少しそれが不思議だった。 「どうしたというのだい、サブボディ君?」という問いを預けて眠った。 すると今朝方、サブボディは一生懸命もう次のステージに向かって走り出していた。 目覚めると、夜中中かけて、この間から作ろうとしている、サブボディメソッドの図解ツアーの原稿をせっせと作り上げているではないか。 しかも、それはもう、サブボディ劇場での共振などはまるで入り口付近の出来事だとでも言うかのような、遠い射程をもったものになっていた。 人間が今の意識優先の意識を捨て、微細なクオリアの共振に耳を澄ますことができる人々を育成し、できるだけ多くの生活場面でそれを発揮していけるような態勢を作る必要がある。 人と人の間の生命共振や、からだの間に起こる共振を、踊りの場だけではなく、さらに深くあらゆる生活の場で推し進めていくことができるような人が生まれてこなければならない。 その行く手の遠さからすれば、今実現していることなどほんの坑口に差しかかったに過ぎないことが、一目瞭然である。それを予感して喜べなかったのだ。喜んでいる暇などないとでも言うかのように、課題が次から次へとせきたててくる。 昔、舞踏仲間の竹ちゃんから言われたことがある。「りーさんは欲かきだから」と。見破られていたのだあの頃から。いつも前のめりに生き急いでいた。この姿勢は死ぬまで変わらないのだろう。 |
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2006年5月25日 ● 共振リップル劇場今日は、今月初めて、すべての西洋人生徒がインド特有の下痢と、練習疲れで欠席して、インド人のラグー、日本人のマユミ、タイのタナンポールとアジア人だけのクラスになった。 突然、アジア人特有のじっくりとした味わい深い共振がじわじわと伝わっていく共振場が出現した。 共振リゾーミングボディ。一つのクオリアがからだの一部からはじまり、まるでからだを侵食していくかのようにクオリアのさざなみが全身に波及していくからだになる。 すると、それに共振するほかのサブボディのからだにもよく似たさざなみが立ち、ほかのサブボディもそのクオリアのさざなみに浸食されて変成していく。からだのあらゆる部分から変成が始まり時間がたつと共に、体全部が、そして、場のすべてが一つのクオリアのさざなみに染まっていく。そしていつの間にか、別のサブボディのからだのどこかから侵食し始めた異界のクオリアが顔を出し、場のすべてがいつのまにかそのさざなみに染まっていく。こういうからだになれば、放って置いても、いつ果てるとも知れぬ万華鏡のような変成が起こり続ける。その中で全体の<序破急>の成就を全員で見出していく。 今週から来週にかけてはこのマルチ多次元変容が起こるからだへの変成を進める。同時に生徒は自分自身のサブボディ十体を見出し育てていく。作りかけの十体を高度な共振場のるつぼに放りこんで、海千山千の十体に鍛えていく。 振付と即興の間でいつも高度にゆらぎつづけ融即が起こる。 長年の課題だった振付と即興の関係がとうとう解けた。この両者は共振場でゆらがせつつ相互に鍛えあう関係が一番よいのだ。 このなかで、生徒一人ひとりの固有の十体が育ち、鍛えあげられていく。 鍛え上げられた十体間に、無数の変異を持つ伝染や貫入や連結が起こるリゾーム場となる。長年求めてきたサブボディ=コーボディのリゾーム劇場が少し先に見えてきた。ここから先が、つらい時間のかかるプロセスとなるのだが。その長い変成の時間に堪えられるサブボディを時間をかけて育てていくしかない。俺の仕事は緒に就いたばかりだ。 |
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2006年5月23日 ●苦あれば楽あり苦あれば楽ありとはよく言ったもので、なにか大きな障害にぶつかったあとに、それ以上の大きな感動がやってくる。 今週は初日に一人の生徒が、美意識のエッジにぶつかって、やめていった。マリカについで二人目だ。醜い動きはしたくないといいつつ何とかがんばってきていたイスラエルのシャニだが、その日の練習のテーマだった、からだが萎えたりしていくプロセスに美など感じることはできないといって止めた。小さい頃からバレエやダンスを習ってきた彼女は、まるで自分が学んできたすべての美意識がこの日の練習で否定されているように感じたのだろう。自我から強力なブレーキがかかったようだ。まだその時期が来ていないのだろうと、休学として受け取ったが、こたえた。醜い動きなどしたくないといってからも、何とか食いついてもっとも熱心に授業に出ていた生徒だったからだ。 生徒のサブボディが機嫌よくプロセスをたどれなかったときは、サブボディに問題があるのではなく、すべてサブボディの産婆である私のプロセスの助長のしかたに問題があったのだと捉え返すしかない。サブボディとは胎児であり、胎児がうまく生まれなかったといってそれを胎児のせいにすることは絶対にできないからだ。 よくよく反省してみれば、その日はわたしが風邪を引いていて、あまりからだを動かす気になれなかった。だから、いつも朝たっぷり時間をかけているゆらぎ瞑想などを使った調体(サブボディ・コンディショニング)の時間をたっぷりとらず、いきなり、上に伸ばした腕が力を失って落ちてくるプロセスに自分の美を発見せよというリーディングをしてしまったことが原因だった。まだサブボディモードになっていない日常体が、日常の意識のまま萎えていく身体に美を発見しろといわれてもエゴは反発するばかりだ。いつも調体に時間をかけているからこそ、生徒のからだも日常モードからサブボディモードに変容でき、その後のプロセスを受け入れることができるのだ。そういうごく基本的なことをこの日の朝おろそかにしたことが原因だったと分かった。サブボディの産婆となるには一瞬も気を許すことができない。 自全瞑想 それで今日は朝からたっぷり時間をかけて、自分のからだの闇に聴き入った。からだの闇には無数の隠れたサブキャラクターが棲んでいる。それらの一つ一つに出会うことからはじめた。 たとえば母を思う。母に対する無数の自分があることを思い出す。母に寄添いたい自分もいれば、母のなかのだめな部分を反面教師として捉えている自分もいる。時には自分を支配しようとしてくる母に激しく反発する自分もいれば、母の優しさを素直に受け入れられる自分もある。そういうすべての自分に出会い、それを自全の中の一員として認めることから出発する。そしてじょじょに友達になっていく。踊れろ時が来ればそれを踊る。 今週は第3週だから、深い自分のサブボディに出会うために、もっと厳しいゆらぎ瞑想にもいざなった。 インドに来て誰もが最初に体験するのは、町にあふれている無数の障害者の群れだ。らい病やその他で不自由なからだを地にこすりつけながら移動して、金品をねだる人々だ。もう先進国ではめったに見られなくなった光景だけに誰もがショックを受ける。 最初に反応するのは、それを見て心を痛め目を閉じてしまう自分だ。それも自分として認める。目を閉じることだけではどうにもならないことに気づく自分もいる。それも自分として認める。時にはしつこくいざりよって来るこれらの人すべてがうっとおしくそこから逃げ出すか、一掃してしまいたくなる自分もいる。それも自分のなかの一員として認める。そして、これらの人に対してなにかしたいと感じている自分もいる、それらすべてが自分なのだと受け入れること。なにもかもそこからはじめる。 サブボディの世界ではそれらの間にリーダーを作る必要はない。それぞれが自分なのだ。それらのすべての自分を踊ることだ。 からだをゆらがせながら、そういう自全に触れる瞑想をたっぷりした後、今日は、からだの一部の状態を少し変えるだけで、どんなキャラクターが現われるかをからだの闇に聴いた。 胸をほんの少しすぼめることで出てくるキャラクター、あごをゆるめ口をだらりとあけることで出てくる人格、片足をほんの少し折っていびつなからだに潜むキャラクター、からだの一部を折り曲げることで出てくるやつ、斜めにすばやく目を動かす眇めから導かれる人格、などなどだ。 今日の20分間のセルフ探体は、このようにからだの一部の状態を変えることによって出てくる違うさまざまなサブボディに出会い、それを踊りにすることとした。 共振するサブボディたちの舞い また、見つけたサブボディのうち、自分ひとりで踊りたいサブボディと、ほかの人とコミュニケーションしたいサブボディとにわけ、ソロ-デュオ-ソロ-デュオ-トリオと繋いでいくことにした。生徒達のリゾナンス能力がかなり高まってきているので、もうそろそろこれができるだろうと見たからだ。 やってみると、今日の生徒達はかなり深いところまで潜り、それぞれに奇妙なサブボディを次から次へとつかみ出してきた。おまけに月の初めから内に半分、外に半分開く透明なからだになると、いい続けてきたおかげか、とても敏感にほかの人のからだの深部で起こっていることに耳を傾けることができるようになっている。みごとなサブボディコーボディシアターが実現した。これがサブボディ学校3週目のからだだ。信じられないようなかそけき共振を捉えて動けるからだに変成している。その美しさに心底感動させてくれた。生徒自身も自分のからだの闇の深層にうまく下りることができた日は収穫の喜びが大きい。苦あれば楽あり。すべてのものはいつもゆらいでいる。苦があったからとて、それにとらわれていても仕方がないし、楽を見た後には必ずまた次の苦がひかえている。これがタオなのだ。タオをタオのままに受け入れる以外ない。
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2006年5月20日 ●異界ゆらぎの歩行・灰柱の歩行から、異界ゆらぎの歩行へ 灰柱の歩行は、そこにわずかな差異を持ち込むだけで、無限の変幻への可能性を秘めている。 燃え尽きて灰柱になったからだをただ、できるだけ静かに運ぶのが灰柱の歩行の元型だ。 さらに、あちらの世界からもさまざまなクリアが顔を出そうとし、こちらの世界からもこちらの世界のクオリアが出現の機会をうかがっている。開畳したいと望んでいるクオリアたちの可能性がはちきれんばかりにたたえたからだ。これが舞踏の巣の歩行だ。ここにはごくわずかの差異しかない。そのわずかな差異を感じとれ、実現できるからだが微細体だ。 ・リゾーミング・リゾナンス ゆらいでいるうちにいずれかのクオリアが優勢になり、開畳してくる。 なにかのクオリアのサブボディが出現しかけると、それをすばやく察知したほかのサブボディたちが微妙な共振を始める。すぐ共振するものもあれば、しばらく様子を見てからおもむろに共振を始めるサブボディもいる。五月雨状に共振が始まり、やがて中心となるサブボディの序破急を読みながら、いっせいに共振を始める<急>にいたる。 ひとつのサブボディへの共振が終われば、別のサブボディが異次元のクオリアを開畳し始める。また、五月雨状の変化が場の全体を覆っていく。 これがリゾーミング・リゾナンスだ。 よほど、繊細で微妙なクオリアのゆらぎに反応できるからだに変成する必要がある。そして、自他のサブボディの間に区別がなくなることが必要である。どこからはじまろうとサブボディの世界に自他や内外の区別はないのだ。 ・からだの変成に時間をかける そこまで変成できるのにずいぶん時間がかかる。いままでの一週間コースの時間性の中では、絶対に不可能だったものが、一ヶ月コースの時間性の中でようやく時熟しつつある。 おそらくこの後、私は、一ヶ月では無理で、三ヶ月かかる変成、三ヶ月では無理で一年かかる変成、一年では無理で三年かかる変成に取り組んでいくだろう。からだの変成にはからだ特有の時間がかかる。その変成を望み、その時間に堪える生徒が世界中から集まってくれてはじめて可能になることだ。 この一ヶ月の時間でどんな予期せぬ変成が起こるか、生徒のからだ自身に起こることと、それへの驚きだけが、私の仕事を前に進める力になってくれるだろう。 |
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2006年5月19日 ● 高性能共振体への変成わたし達のサブボディは内外の微細なクオリアの変化に対応していつも微妙に揺れている。そういうからだになると、ほかの人のからだに起こっている微細な変化にも微妙に共振が起こっているのをキャッチできるようになる。 2週目の最後に目にすることが出来たのは、そういう高性能な共振体に変成した生徒達の姿だ。 今日はどんなルールも定めず、ただ自分のからだに聴いて起こっている共振にそのまま従うというサポートの仕方でサブボディ=コーボディ劇場を行った。 一週間自分のサブボディになりこみつつ、ストレンジ関係劇場やリゾーミング共振劇場などさまざまなコミュニケーションの経験を積んできた体は、何が起ころうとビビッドに対応できるようになっている。 人と人のからだの間に起こりうる限りなく美しく面白い出来事がここに実現されている。 自分の中の影の部分と友達になったサブボディは、ほかの人の影の部分とも恐れずかかわりを持つことが出来る。 醜い動きなどしたくない、そんなものを見るのも嫌だとたじろいだ日もあるけれど、何だ、恐れるほどのことはなかったのね。誰もがそう感じている。エッジというものはひとたびのりこえてしまうと、何であんなものに囚われていたのだろうと不思議になる。 サブボディは本当によい乗り物だ。サブボディに成りこむことさえできれば、自我がたじろぐさまざまなエッジも難なく越えてしまう。からだの闇の自全を旅するにも世全(世界の全体)を旅するにもこれ以上のものはない。 やがて、迎える第3週、第4週で、自全の全体が震える序破急の<急>、鮮深響の<響>の段階まで進む。そこには、透明離見、透明覚、世界ウオークなどさらに深い課題が待ち構えている。ここから先が正念場だ。 |
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2006年5月17日 ●共振力と固有力今週は各人のサブボディ間のさまざまな共振力を深める試みを続けている。 今日は、からだのもっとも原始的な感覚である運動=体感チャンネルを開くことから始め、そのほかのチャンネルとどう関係しているかをからだに聴きながらすこしずつ開いていった。プロセスはいつものようにすこしずつ使うチャンネルが変わっていく微分増幅法を使った。
いやあ、今日は大変な面白いサブボディ=コーボディシアターになった。 午前中だけでここまでいった。各人が自分固有の動きを見つけたサブボディに変成した後は、さらに他のサブボディとの共振によって、どんどん変異の次元数が増し、複雑怪奇な動きが出てくる。同時に幾人もの人とからだの違った部位が共振し、違ったチャンネルで別の人と共振することで、一時に使っている次元数が飛躍的に増大する。 自分のサブボディを早く見つけた人ほど、他との共振にも積極的に出て行くことができ、さらに複雑度をまして強力なサブボディに変成していく。体調を壊して欠席した人は、自分のサブボディがまだ強固に見つかっていないと、他との共振にもさほど積極的に出て行けない。他との関係に入ればなんだか自分を見失いそうに感じられるのだ。これに対し、自分の固有性の核をしっかりつかんでいれば、他との共振によって、それをさらに多様化できるのがからだで分かる。この面白さをひとたび知ってしまえばもう、怖いもの知らずのサブボディになれるのだ。 この固有力と共振力のよい相乗作用を見つけると、練習は俄然面白くなる。それまで味わったこともない、まったく違った自分が出てくるのだ。今日の終わった後のみんなの疲れきった顔がどんなに輝いていたか。感動ものだった。 |
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2006年5月16日 ● リゾーミングの威力どうやら、サブボディとリゾームは深い関係があるらしい。 リゾームーミングとは、わたしが10年ほど前から使っている造語で、からだの一部からなにかのクオリアによって変形しだし、それがじょじょにからだの他の部位にまで広がって、ついには体全部がメタモルフォーゼすることをあらわす。 今日はこのリゾーミングの練習をたっぷり行った。 とくに、ディレイ・テクニックを使って、ゆっくりした時間の中でからだに起こる変成に聴きこむよう指導した。ときにサブボディはそれ特有の変容時間を持っているからだ。とてもゆっくりしていたり、とてもすばやかったりする。 するとその後のいつもの20分間のセルフリサーチの後、生徒のからだから出てくるサブボディに著しい変化が現われた。あるものは一つのサブボディからじょじょに時間をかけて別のサブボディに変容していくプロセスをじっくり見せ、あるものはからだのなかから十いくつもの違ったキャラクターのサブボディが次から次へと躍り出してきた。 あるものは、自分のなかから普段見知った厄介な影のキャラクターだけではなく、見知らぬキャラクターが次から次へと出てくるのに驚き楽しんで引き出してきた。あるものは、自分の秘密の影のキャラクターが、みんなに共振されるとまったく感じが変わってしまったという。そう、誰もがそれに激しく驚く。自分だけが持っている秘密の影だと思っていたものがほかの人に通じてしまうなんて、という驚きだ。 なにかが引き金をひいたらしい。からだの一部の開き具合や、テンションのありかたをほんの少し変える、目つきや息の仕方をほんの少し変化させる、その変化がが次の部位へ伝わっていくという体感がおそらくからだの中に眠っていた多くのサブボディに火をつけ目を覚まさせたのだ。 今日はおまけに、一人が踊るときに、周りの人は自分のからだに起こる共振に耳を傾けながら、すこしずつからだの一部からひとつのチャンネルで共振が始まり、共振する部位やチャンネルが増加していくという伝染リゾーム(インフェクチャス・リゾーム)でサポートした。すると、周りの人のからだからもサブボディの変幻に影響されて、新しいサブボディが刺激されて出てくる現象も起こりだした。サブボディとコーボディの新しい相互作用がでてきた。 少しずつ変幻が増加していくというプロセスは、ひも共振やクオリア共振の変化のしかたにぴったりマッチしているため、サブボディの変容を導き出しやすいのだ。 何年も前から無意識で握り締めてきたものらが、ここに来て深いつながりを開示し始めた。 リゾーム、クオリア共振、伝染、リゾーミング、ディレイ・テクニック。サブボディとコーボディ。すべてがひも共振を媒介としてつながっていたことが明らかになってきつつある。わけも分からないまま握り締めていたものはすべてそれに深く関係していたのだ。 |
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2006年5月15日 ●伝染リゾームへ世界に開かれたからだとななにか。ありとあらゆる次元からの共振を察知し反応できるからだへメタモルフォーゼすること。 今週は、先週一人ひとりが作ったサブボディの動きのあいだに多次元的な相互作用が始まり、マルチ次元で共振するサブボディに鍛えられていくプロセスをたどる。 からだのありとあらゆる次元を開くとはなにか。 1.サブボディは多次元を変容流動し続けている。 まず、内と外に半々に開くことだ。内に50%、外に50%耳を澄ます。(これはここに限らず、生きる上でもっとも大事なことのひとつだ。内に51%傾くと外がどこかで感じられなくなる。外に51%開くと内側からのクオリアを何がしか逃してしまう。) 2.八覚すべてを徐々に開いていくこと。一つ一つのチャンネルで伝染が起こり、じょじょにすべてのチャンネルが共振してうごきだすまで。運動チャンネル、体感チャンネル、映像チャンネル、音像チャンネル、感情チャンネル、関係チャンネル、世界像=自己像チャンネル、思考チャンネルのすべてで共振できるマルチ共振サブボディになること。そして、 3.からだの一部が、ほかの人のサブボディの動きに共振しだす。その隣の部位も、どんどん伝染されていく。やがてからだの全部が伝染されるまで。 4.伝染リゾーム劇場 誰かひとりが、サブボディの踊りを始める。ほかの人のからだの一部がそれに伝染して動く。じょじょに伝染される部位が増えていく。伝染される人も増えていく。やがて全員に伝染し、みんなでひとりのサブボディの動きの序破急をシェアして動く。ひとりが終われば、別の人が踊りを始める。同じように少しずつ伝染が広がっていく。 長い間到達目標にしていた伝染リゾームの動きだ。それがようやく目の前で実現しつつある。はじめてこれに接する生徒は、なんて美しい光景だろうと見とれてしまう。それほど感動的な出来事なのだ。仲間のサブボディの動きが、みんなさまざまなエッジにぶつかり、苦しみながら、それを越えて、本当にからだの中からつかみ出してきたものであることを知っている。それがほかの人のからだにさざなみのように伝わっていく。吸い込まれていくように共有の動きになっていく。サブボディとコーボディの神秘的な融即が起こり始めたのだ。誰もがこれに感動せざるを得ない。
2006年5月14日 ●マルチ共振体へ今月は、生徒のからだに起こる変化をじっくり聞き込みながら、できるだけゆっくり進もうとしている。いままでで一番ゆっくり進もうとしているのに、第一週目の二日目に、体感チャンネルの三界トラベルをガイドした後、あらゆる体感の経験を使えるようになる、そして、ほかの人の個性的なサブボディのクオリアとも自在に共振できるようになると、ガイドしていくと、なんと驚くべきことに、長い間ワークショップでの到達目標だったInvent & Infectが一挙に実現した。 Invent & Infectとはわたしが公演とワークショップを通じて世界を周り始めた1998年ごろに、着想したもので、参加者各人が自由に自分の動きをInvent(発明)し、かつ自在に他の人の動きにInfect(伝染)されるというグループ即興のルールだ。もっとも制約が少なく、かつ自動的に面白い動きが出てくるルールとして考案した。だが、なかなかそれが実現しなかった。「自由に動きを発明しろなんていわれるのが一番難しい」とよく参加者から苦情が帰ってきた。 それが、それから8年経った今、サブボディメソッドによって各人が自分の下意識領域からどんどんユニークなサブボディの動きをつかみ出してくることができるようになった。 それだけでも大きな変化なのだが、さらにサブボディ同士の共振性を思い切り開くことによって、念願だったInvent & Infectの動きが自然に出てくるところまできた。 もっともゆっくり進もうとしている今月に限ってなぜこんなことが起こるのだろうと不思議だったが、ゆっくりからだに聴き入り、生徒のからだの変化の速度を聞きながらサブボディへの変成を促してきたのが効を奏しているようだ。だが、長年の目標にたった二日目に到達してしまって、この先いったいどこまで行くことになるのか空恐ろしくなった。 だが、サブボディの世界の深さは無限だ。 最初の1週間が終わった先週の金曜日には、ユニークなサブボディが8体出揃った。 今週はこのサブボディの間にマルチ共振が起こるよう練習で導いて、サブボディ間にInvent & Infectが起こるマルチ共振劇場を実現していこう。 マルチ共振とは、その名の通り、ひとつのサブボディのからだの各部位と他のサブボディのからだの各部位の間に、あらゆるチャンネルでの共振現象がおこるからだに変成することである。 これは次のようなリップル(微分増幅)で変成を進める。
5月の第1週で、各人が自分のサブボディを見出した。ユニークで奇妙な動きをするサブボディが8体ある。この8体間にマルチ共振が起こっていくのが第2週だ。
自分の外側の世界とマルチに共振できるからだとなるには、内側のからだの闇をも存分に駆け巡り、あらゆるクオリアを探し出し、共振によって自在に引き出してくることができるからだに変成する必要がある。内と外の区別など実はないのだ。すべてのクオリアはただ共振しあっている。 |
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2006年5月12日 ● 人体が近づくときの体感共振数年前にやっていた、相手のからだの領域に入っていく、エンタリングというボディ・コミュニケーションを久しぶりにやった。昔のノートを読むと、やはり当時から、人体が他の人体に近づき、一定の距離に入ると感じる独特の体感に注目していたことが分かった。すっかり忘れていたのだ。そのとき起こっていたことは、人体が他の人体に近づくときに自然に起こる体感クオリアの共振現象だったのだ。いまはその共振を、微分増幅技法という、すこしずつ感じるクオリアをずらしていく技法が深まっているので、なにをやっても昔とは比べ物にならないくらいスムーズに生徒のからだが変成していく。だてに年を食っていないことが分かった。
なぜだか知らないが、この練習をやっていると楽しくなってくるのは、体感クオリアが共振しだして騒ぎ出すからなのだ。今日の生徒を見ていても、みんなのからだがとても喜びだすのがよく分かった。嬉々とした表情でやっている。 今日の一週目の最終日のサブボディ=コーボディ劇場は、サブボディの踊りに対し、ほかのみんなが自由に共振してサポートするというルールなしのルールでやったが、ここまでボディ・コミュニケーションの枠を外す練習を体験していると、からだから自在な即興がどんどん出てくるからだに変成していて心底楽しめたようだ。 (→その様子を、写真ジャーナルで見る) |
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| 2006年5月11日 ●「醜い踊りはしたくない」というエッジ 今日から、それぞれの十体を探索する作業に入った。参考にわたしの衰弱十体を見せた。「これはわたしの十体に過ぎない。きみ達は自分独自のサブボディ十体を自分のからだに探すように。」 一月コースのじっくりした時間性の中で始めてこういうことができるようになった。1、2週間のコースでは絶対に不可能だった時間性だ。やはり、短期コースから長期コース主体に切り替えてよかった。いままでなぜうまく十体練習を組み入れることtができなかったのかがやっと分かった。 だが、一日の終わりに、昨日までとても熱心に取り組んできたイスラエルの二人が、アグリーな動きはしたくないという。やっても自分じゃなくただ演じているだけという感じがするという。当然のからだの反応だろう。とくに醜いものをすべて社会の外に追いやった近代西欧型社会で育った若者の当然の反応だ。 私は今日こう答えた。「健康なからだが醜い崩壊寸前の動きなどしたがらないのは当然だ。私のからだもいやがるときがある。ただ、なぜかは分からないけれど、私のサブボディがそういう醜く壊れかけた動きをしたがる。私もたしかにからだにきついので嫌なのだが、踊りたがるサブボディにからだを貸さないわけにも行かないので、踊るに任せてきた。だが、醜く惨めな動きほど、世界の果ての不幸な人々とも強い共振する力を持っているのだ。インドやアジアの町にはからだの不自由な人やこじきがあふれているが、街頭で踊るとき彼らも私の踊りを見て笑ってくれる。だがもし、バレエやモダンダンスのような強く美しい動きを見せれば、醜く動けない人を威圧するだけになる。そういう動きは自らは気づいていないが、弱者を威圧する醜さを持っているのだ。 私のサブボディは世界と共振したいという。そしてまた実際自分の中の地獄から天国までのすべてを踊ると世界と共振している、えもいわれぬ喜びを感じることができる。それは何物にも代えがたいものだ。だから、わたしはしんどいが醜く歪んだ動きをしたがるサブボディにからだを貸し出し続けているのだ。」 「それと、もうひとつは<序破急>だ。醜く凝り固まった踊りの後に、ふっと息が抜ける動きを入れると、本当に救われる思いがする。谷深ければ山高し、というわけで、すべては<序破急>によって決まる。」 マリカと同じ疑問だ。今回はわたしのいうことがイスラエルの二人によく伝わっただろうか。明日からの彼らの反応でそれはわかる。だが、からだで分かるまでには時間がかかるのだ。 |
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2006年5月10日 ●人体間の内向体感チャンネルを開く からだに起こる微細な体感クオリアの変化を、どこまで微細に感じ取れるからだになるか。微細な内向的体感チャンネルを開くにはよい訓練がある。 ペアになり、一人がもう一人のからだに手を近づけていく。そのとき受け手は自分のからだにどんなクオリア変化が起こるかを注意深く聴く。人間のからだの一部が近づいてくるクオリアには人はとても敏感である。 最初は広げた手のひらをゆっくり胸に近づけていく。次は人差し指だけを突き出した鋭い手が近づいてくる。次は羽毛タッチの手、続いて握りしめた拳骨を近づけていく。さらに奇妙な顔、異様で挙動不審なからだなどさまざまなクオリアが近づいてくるのを聴く。人によって過敏さは違うが、結構面白い体感が得られる。 (この練習への生徒の反応について、共振日記のほうで触れました。→共振日記を読む。) 第8週目の記録 |
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| ●共振体になること 人生に何が起こってもいいのさ。それを踊れさえすれば。踊ることで乗り越えられれば、どんな不幸も踊りの種に転じる。サブボディはマジックなんだ。 人生に起こるありとあらゆることに共振できるからだになること。なにがいいとか、悪いとか、日常の自我の言葉で判断しないこと。自我の言葉を脱ぎ去ること。 すると、とてつもなく面白い世界が広がるのさ。 サブボディ学校を開いてから、いろんな変な人が世界のどこかの国からやってきて、とても変な踊りをつくる。そのすべてに共振できるからだになっていく。ここにいればそんなべらぼうなことが起こる。 私は先生ではない。一介のサブボディの産婆なのだ。一日中、生徒のからだからサブボディが生まれようとする気配に聴き入っている。眠っていても聴き入っている。それがとてもいい。すべてはタオだ。タオに聴き入るしかない。すこしでも耳が鈍ればサブボディは流産してしまう。そうなればすべて産婆である私の責任だ。今年になっても、何人かのサブボディが流産してしまうのを見送らざるを得なかった。自分の未熟さに痛苦に満ちた思いをした。それが修行だ。手痛い失敗だけがもっとも大事なことを教えてくれる。失敗を恐れていては前に進めない。失敗から学べなければ進もうという気にさえなれない。 |
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●サブボディに開きたいチャンネルを尋ねる
サブボディはいくつものチャンネルを変えながら、いつも私たちの小さな自我に、自全(自分の全体)に向かおうとさせている。自全からのメッセージを夢や身体症状や、ふとよぎる思いやビジョンなどのかたちで届けようとしている。きっと、自我から離れ、自全に帰ろう、帰ろうと言ってきているのだ。 とても疲れているときは、からだを動かす気になれないときがある。 今週の参加者は、南インドからの5日にも及ぶ長旅で疲れ、おまけにみんなインド特有の下痢にやられ、げっそりとしていた。すぐ横たわりたがるのでどれほど疲れているかが分かる。そんなときは横たわりたいからだに任せ、眠りたければ好きなだけ眠るのがいい。そして、眠りと現の境を揺らぎながら、サブボディに聞いてみる。 「今日はどんなチャンネルを開きたい感じだろうか。動きのチャンネルかい? もしそうなら、ゆっくりからだを動かしながら、いろんなクオリアを味わうことにしよう。もしそうでなければ動かなくていいよ。」 そして、からだに聴いてみる。すこしでも動き出せば動くに任せてついていく。でも、疲れているときはたいがい動きだそうとしない。 「じゃあ、開きたいのは体感チャンネルだろうか? もしそうなら、からだを動かさないままいろんなクオリアを味あわせてくれるかい?」 そう尋ねてからだからの反応を見る。からだにいろんなクオリアが湧いてくるようなら、今日は体感チャンネルの日だ。からだのあちこちに湧いてくるいろいろなクオリアをじっくり味わっていく。ぞくっとしたり、重くなったり、ふやけてきたり、固まってきたり、など、ごく微細なサブシグナルを捉えて増幅して味わう。もしからだから何も感じられなければ、次にすすむ。 「では、ビジュアルチャンネルを開きたいだろうか? そうならいろんな映像をみせてくれないか?」 目の前にいろんな映像が湧いてくれば今日はサブボディが映像チャンネルを開く日だ。映像が連れて行ってくれる世界を存分に楽しむ。うまくいけば別世界旅行ができる。で、それもはじまらなければ、 「オーディオチャンネルだろうか? 息の音に耳を澄ますから、なにか音像を楽しませてくれるかい?」 息の音を聞いていると、呼吸音と声との境にからだからなんらかの体腔息声が上がってくるときがある。それはサブボディが 音像チャンネルを開こうとしているシグナルだ。どんどん励ましていろんなこれまでに出したことのないような音を探して出してみる。からだを動かしたくないときでも音像は開くことがある。一緒にいる人同士で共振できたらなおいい。サブボディが開く音像チャンネルは底なしに面白い。言葉など通じない外国人同士でも、言葉以前の体腔息声は世界共通だ。サブボディには国籍も文化の違いもないのだ。文化に触れて国民に教育されてしまう以前に胎内で活動し始めたのだから。それでも、声も出したくない日もある。 「では、感情チャンネルだろうか? ならばいろんな感情のクオリアを味わいたいんだけれど」 そう頼むと、いろんな感情が湧き上がってくる日がある。喜怒哀楽といった大きな感情ではなく、言葉では区別できないような微細な感情のあやを味わう。よくよく味わえば、感情には無数の細かいひだがあり、どこまでも微妙な情趣を楽しむことができる。でも、なかなか感情が動かない日もある。そういう日は関係チャンネルに進む。 「誰かとの対人関係チャンネルを開きたいのだろうか? もしそうなら、誰かとの関係をいろいろ味わってみようか。」 誰か知っている人でも知らない人でもいい。人でなくて想像上の生き物との関係でもいい。これはサブボディがもっとも楽しんで展開するチャンネルだ。想像上のイマジナリー・クリーチャーとのとんでもない関係を想像して遊ぶ。いろんなちょっかいを出してきたりいたずらを仕掛けてくる。そのイマジナリー・クリーチャーが自分のからだを勝手に動かしたり、からだの中に入ってうごめき始めるとさらに面白くなる。誰もが持つサブボディのいちばんひょうきんな面が出てくる。それも出ないようなら、世界チャンネルだ。 「世界像=自己像流のチャンネルを開きたいんだろうか? もしそうなら、いろんな世界像を味わわせてください。」 目の前にジャングルが広がったり、深海などいろんな世界のイメージがわいてくるようなら、どんどんその世界に入っていく。月世界でも別世界もでどこでもいい。調子のいい日なら銀河旅行を楽しめる。だれでもSF作家の一面を持っているものだ。それも出てこない日なら、どうするかって? 最後の思考と気づきのチャンネルだ。 「では、思考チャンネルを開いて、なにか気づかせてくれようとしているのだろうか?」そういう日はたいがいからだが重く、不快な感じがどこかでするものだ。そのかすかな不快感の味を味わっていると、それが何かに気づかせてくれようとしているのが分かることがある。意識的な自分が見落としている重大なことが、そのかすかな不快感の影に潜んでいる。もし、そのメッセージを受け取れたら、もうけものだ。その種の気づきが、サブボディからの最大の贈り物だ。 ――夢と現の境で、以上の問いをうつらうつら繰り返すこと。そのうち必ずどれかのチャンネルが開いてくるので、安心して待つといい。これまでいくら待ってもどのチャンネルも開かなかった生徒は一人もいない。そんなことなどしたくないと部屋を出て行った人は別だけれど。誰にも下意識の世界に触れることへの抵抗がある。日常の自我から離れられず、恐れて出て行く人がたまにある。それはし方のないことだ。サブボディは自全に向かおうとしているのだけれど、自我の抵抗が大きくてできない状態が長く続く場合もある。こういう私自身、50歳の時点まで、強固な意識をどうにも処理できず、制御できないままだった。たった4年前だ。はじめて自己催眠をかけることに成功したのは。それまではとても疑い深い自己意識のままからだの闇の中の、見知らぬところへ入り込むことを恐れていた。だから、私の場合、強情な自我意識を止めるために日本を離れ、ヒマラヤまで来て、サブボディメソッドを創りだす必要があったのだ。私が自全に出会うためには、こんなに手がかかる自我意識に囚われていた。自我の厄介さを知っているだけに、私が今やっていることへのさまざまな抵抗がでてくるのがよく分かる。ミンデルのいうエッジだ。ミンデルからエッジについて学んでいなければ、私はもっともっと混迷していただろう。ミンデルはユングと共にかけがえのない先達だ。 |
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●サブボディスクール・各コースの修得単位と内容
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