| 2006年3月 | ||
| 第3週目の記録 | ||
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2006年3月28日 ●共振回路が開いてきた3週目に入って、毎日クオリア共振に耳を澄まし続けてきたことがようやくからだに染み込んできた。自分のからだを流れるクオリアがどんな微細さで周りの人や、自然と交感して震えているか、自分の皮膚と皮膚、ほかの人との皮膚の間で共振に聴き入ると、自然にからだが反応するようになってきた。新しく今週から来た人も、3人の3週目のからだに共振してすぐそれになじんでいく。クオリアの共振性は強い伝染力をもっている。意識をうまく鎮められると誰でもすぐクオリアの共振にききいることができるのだ。今週参加したアメリカのアンヤは、インドの旅行中に、去年サブボディワークショップに参加したアイルランド人に出会ってここのことをあらかじめ聴いていたので、心身の準備もできているようだ。伝言もひとからひとへの共振の一種だ。共振がさざなみのように伝わっていく。 ●共振離見を開く離見とは、外部からビデオカメラアイのように、自分の踊る姿を見ることではない。当然それも含むが、本質は踊り手と見所の間に成立している共振を離見することだ。 カメラアイのような、共振力のないヒューマノイド化した、意識の目にはこの共振は映らない。だが、踊り手ならば誰でもからだで知っている。 世阿弥の花伝書の<序破急>論にも、彼にとっての上客が能に遅れてやってきたときの、<序破急>の微調整の仕方が書かれている。そのように<序破急>とはいつも見所との共振の具合を聴きつつ、微妙に伸び縮みさせて最適の共振が成り立つよう制御していくものなのだ。 今日のクラスでは、想像上の見所との共振を離見しつつ、進めた。生徒たちの踊りに世界への広がりが出てくる。同時に意識が介入する危険も増える。踊りは透明離見と意識との闘いを克服しなければならない。 ●もっともみすぼらしい動きを絶妙の序破急で見せるいいかい、ここが肝腎な点だ。動きは最も人間から遠い、みすぼらしいものであればあるほどいい。ダンスにはわかっていない点だが、かっこいいすばらしい動きは、動けない弱者を威嚇するのだ。世界との共振はそこで断たれる。健康者以外は排除された近代という井の中の社会の見世物だ。世界と共振するためには、最も強い共振力をもつ、もっとも弱く瀕死寸前の動きをからだの闇からつかみ出さねばならない。そして、それを最高の<序破急>で見せるのだ。一言で言えば、それがサブボディ舞踏の極意だ。 ●共振するサブボディがコーボディなのだ自分固有のサブボディを掘り下げていくとそれがいつの間にか、コーボディ(共身体)に転化しているのに驚く。これが踊りで起こる最大の不思議だが、いまでは、サブボディの中でも深い、人間から遠いサブボディほど根源的な共振力を持っていて、すぐにも他のサブボディと共振してコーボディに転化するのだという道筋が透明に見えてきた。 劇場名を、長いがサブボディ=コーボディ劇場と呼んできたのは、この両者がリゾーム状に相互転化するさまが透明に見える場としたかったからだ。それが普段の練習で出てくるようになれば、いつでも公演を打てる態勢が整う。だが、まだまだあわてないでじっくり踊りを育てていけばいい。今が一番楽しい時期だ。 |
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| 2006年3月27日 ●最深のサブボディを探る 3週目を迎えた。今週は恒例の午前中の胎道体験からはじまり、、午後はいきなり、最深のサブボディに触れるという課題に進んだ。 からだの闇に潜り、もっとも人間から遠い、もっともみすぼらしいサブボディのクオリアを探す。そして<序破急>を聴きながらそのサブボディになりこんで踊る。そうすることで、世界の果ての不幸と共振することができるからだに変成する。 からだの闇に耳を澄ますと、じつにさまざまなクオリアが聴こえる。そのほとんどのシグナルは一瞬かすめて去っていく。さっとよぎる体感、なにものかの気配、ふとかすめる感情、かすかな思い、ひとりでに動き出すかすかな振るえ、などなどだ。その中からもっとも人間から遠いもの、人間的でない動きを探る。胎児の頃に見ていた下等動物の動きの夢を思い出す。自分の奥底に潜んでいるできそこないの影の人格、弱弱しく、みっともないもの、見苦しいもの、ほとんど死に瀕しているものであればあるほどいい。 そういう一見もっともみずぼらしいサブボディこそ、最強の共振力をもっている。これがわたしの発見だ。地球の裏側の不幸とさえ共振する力をもつ。 思えばわたしが衝撃を受けた1970年の土方巽の舞踏は、水俣病で苦しみつつ死んでいった多くの死者と共振していた。その共振力がわたしをここまで運んできた。その衝撃波は今なお生きて続いているのだ。踊るならばそういう踊りを踊れ。5000年も続く衝撃波を生み出せ。これがサブボディメソッドの本懐だ世界で最深の舞踏技法だと、自認するゆえんだ。 |
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第2週目の記録・2006年3月24日 ●クオリアの海と共振するからだになるクオリアは、おそらくひも理論におけるひもの共振と同じ超高速の共振によって生成し、変容流動している。(これについてくわしくは別項の共振論をごらんいただきたい。) それが成り立つまでに現実世界のクオリアの変容流動に応じて感覚神経細胞の捉えた内容が変化してしまえば、認知の根本をなす一連の神経細胞ループの同時連結発火が成り立たないからだ。意識が働くためには、かくも大掛かりな連結発火が必要となる。だが、そのために意識はクオリアの変容流動という現実からは疎外されざるを得ない。意識は決してクオリアが絶えず共振によって変容流動しているという現実には触れることができないのだ。 私たちは、意識を静め、下意識と意識が等価につりあう透明心身状態になってはじめて、われわれが絶えず泡立ちゆらいでいるクオリアの海に漂っているという実相に触れることができる。われわれが胎児だった頃から、ずっとそれは続いている。だが、意識を得たとたんすっかりそれに気づかなくなってしまっているだけなのだ。 サブボディ舞踏学校では、まず、なによりわれわれがこのクオリアの海に漂っていることを実感する鋭敏なからだに変成することが最初の課題となる。 毎朝、自分のきもちのよい方法でからだのゆらぎに聴き入り、意識を静めることから始めるのはそのためだ。二週目に入り、ようやくそれがどういうことなのかが、からだで分ってくる。なかなか一週間ではからだで分りにくいようだ。去年までのような一週間単位の旅人相手のワークショップでは、どうもうまくいかないという壁にぶつかっていた。クオリアゆらぎの海の存在がからだで分るには、からだ自体が胎児の頃の胎感を思い出さなければならない。それに長い時間がかかる。これはどうしようもないことだ。 ●離見とはなにか世阿弥が絶えず強調し続けたことの一つに離見がある。最初の頃は、単に自分の踊る姿を外側から見ること。とりわけ見所(観客)の目にどう映っているかを、見所の目になってみることだと思っていた。それだって初期の頃は大変なことなのだが、離見とはそんな単純なことではなかったということが後になって分ってきた。離見とは舞踏手と見所の間で起こっているクオリア共振の様子をつぶさに離見し、その共振をコントロールし続けることなのだ。 今日の授業で初めてそれを指導することができた。じっさいに見所の前で舞踏を踊るときに、見所のサブボディ・クオリアとどのように共振しながら、踊りの<序破急>を現前化しているかを、つぶさにたどった。すると、<序破急>にもまた新しい定義が必要なことがからだから浮かび上がってきた。 ●序破急とはなにか<序>とは、見舞共振の観点からいえば、見所のなかで流れているクオリアと、舞踏手の踊りのクオリアの間にどのようにして最初の共振を起こさせるかというテクニックなのだ。見所の注意を踊り手が開示しようとする異次元のクオリア流にいかに引き寄せ、注目させ、引き込むかという一大事なのだ。開畳しようとしている異次元が現われてこようとする兆しをいかに匂わせつつ秘め続けるかという一個矛盾した<秘兆>が<序>の技法の要となるのはそのためである。 <破>とは、異次元が開畳する瞬間である。その瞬間、見所のサブボディもまた、一挙に踊り手の異次元の世界に引きずりこまれねばならない。そこにいたる緊張にみちた共振が<序>の段階で発動寸前にまで高められていなければならない。そして、<破>においてはその最適の間合いと、開畳する異次元がそれ以前の世界に対して示す異様さ、珍しさという異様な落差をもって見所舞踏手もろともにまっさかさまに異次元に落ちていく。そこで舞踏手は見所総体のサブボディをわしづかみにして異次元に落下していくのだ。 <破>は、いくつかのチャンネル転換、次元転換を経る。その度ごとに、見舞共振の具合をいつも離見し、最適の間合いで次の<破>への共振を導いていく。 最後の<急>は、舞踏手が最後に開畳する異次元に、見所一体となって転生する。そこはおそらくは死の世界、あるいは死の世界と同格の異時空である。そこで見舞一体となってこの現実世界への臨生のまなざしを共有する。見所のサブボディもまた、異界・他界の住人となって、死者のまなざしで自分の住むこの世に相対するのだ。 <序破急>という言葉を覚えてから、舞踏の<序破急>が分るまでに何十年もかかった。 |
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2006年3月23日 ●いかにからだの闇へ降りるか今日はじっくりからだに聴き入ることからはじめた。 座位でからだを回しながら、自分にとってもっとも気持ちのよい速度と大きさを探り当て、下意識モードの心身状態になって、からだの闇に耳を澄ませていく。 まず、どんな短いサブシグナルがやってくるか。映像イメージ化、ささやきか、体感か、……それで、自分の開いているチャンネルを知ることができる。 それから、そのサブシグナルが出てくる、もう一つ下層の闇に降りていく。安全欲や、快適欲、つながり欲、自己実現欲など生存諸欲求が渦巻いているあたりだ。その領域ではいつも安不安、快不快、係不係、全不全、活不活といった根底的な生存クオリアがゆらいでいる。そのクオリアのざわめきを聴く。 そして、さらにその下方に、自分から解離されてしまった、トラウマや、深層記憶、影の人格、解離分身、ノット・ミー、などのくぐもりが封印されている最下層の暗がりがある。自分が感じたサブシグナルがそれら最下層のくぐもりと共振するのを探る。それらもっとも醜くみすぼらしいサブボディが、じつは世界の果ての不幸とさえ共振できるもっとも深い共振力をもっているのだ。 一人の生徒から、先週以来、このクラスで、そういうものに触れそうになることがよく起こる。そのときどうしたらいいのか? と質問された。 そう、それはもっとも重大な問題だ。 私の答えは次のごとくだ。 1 それこそ君のサブボディだと気づく。 2 サブボディを自全(自分の全体)の一員だと認め受け入れる。たとえ、どんなに醜い、みすぼらしい変なものであろうとだ。 3 そのサブボディと友達になる。長く付き合っていく。 4 そのサブボディになりこんで踊る。 5 踊った後かならずきちんとサブボディを沈静化して日常体にもどる。 6 じょじょにそのサブボディの癖が分ってくる。 7 踊りの世界に解放されると、暴発する危険は少なくなる。 8 それでも暴発しかけたときは、ここにいる全員で抱きしめる。 ――以上が、今私が見出している答えのすべてだ。それでもどうにもならないときは、相談してほしい、一緒に何とかしよう、と答えた。 実際、私は今日までたった一人でサブボディの棲む暗がりに下りて旅をしてきた。先導者が見つからなかったからだ。ずいぶん危険な目にあってきた。思いがけぬ殺意に満ちた自分の解離分身が激発してきたこともある。自分を殺害しようとする衝動に駆られたこともある。とんでもない予期せぬことが起こる。ユングも何度も無意識に食われかけたと危機を語っている。先導者なしにこの世界に降りることは絶対に勧められない。自殺行為だからだ。でも、うまく沈静化する技法を身につけつつ、少しずつ降りていけば、これほど創造の可能性に満ちた豊かな世界もまたとないのだ。危ないスレスレ、生死ギリギリの細い一線だけがある。サブボディ技法とはその一線上を降りていく技法なのだ。 ●舞踏の巣を秘めるその後、灰柱になって、からだの灰の粒子の隙間から、自分の暗がりにうごめいていたサブボディが出てこようとしては、出て来れないのを感じて歩く、<舞踏の巣>の歩行をした。 20分の個人での探体ののち、サブボディ劇場に入った。だれかが微細に動き始めるとその動きに全員で共振した。すると、今日はすべてのサブボディが舞踏の巣に一挙に変容した。ほんのちいさなゆらぎの中に各人のサブボディがあらゆるチャンネルからほとばしり出ようとしてうごめいている。別の次元へとからだごとズレかけてはゆらいでもどってくる。みんなとうとうなにかをつかみ始めたのだ。開校以来8日目で、ここまで来た。生徒のからだが、味わいの深い多層な闇と交感するからだに変成し始めた。共振しながら、私のからだはよろこびに打ち震えていた。 |
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2006年3月21日 ●触覚チャンネルを開く今日は触覚チャンネルを開く、三界トラベルを行った。
内向触覚チャンネルを超回復したダンサーは強い。何にでも触れることができ、何にでも触れられることができる。おまけに連日の六道ゆらぎで生と死の間に触れる訓練を続けている。生徒の想像力の幅が思い切り広がり、弾けていくのを見るのは楽しい。 ●動きの間隙に異次元の秘兆を埋め込む今日のサブボディ舞踏劇場は、一挙に生徒の動きが多彩になった。ベースになる体感チャンネルに加え、アイチャンネル、情動チャンネル、そして、触れ・触れられるチャンネルが開いている。<序破急>を聴いて、最適のタイミングで次の次元が開畳する<破>の間合いを捉える。そして、一つのちいさな動きの中に異次元が開畳してこようとする気配を秘める。無数の異次元開畳の<秘兆>をはらんだ舞踏へ仕上げていくことが明日以降の課題となる。日ごとに超濃密な舞踏が仕上がっていく。毎日が楽しみだ。だが、まだ急ぐまい。まだ始まって7日目だ。まだまだ開いていないチャンネルがある。人によって、ここから先が時間がかかる。あまりに奇妙な世界へ急速に入っていくので、気味悪くなって、自我からストップがかかるのを感じる生徒も出てきた。ミンデルの言うエッジに直面しているのだ。きつくなるのはこれからだ。誰もが自分のエッジに直面し、それを超える長い迂回路をたどる自分との闘いに入らねばならない。自我の限界に直面するときに何が起こるか、ここでは海千山千の経験をもつミンデルという先達がいることがなんと助けになることか。感謝。 |
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| 第2週・2006年3月20日 | ||
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●舞踏学校がひとつスタートしたサブボディ舞踏スクールが今日からスタートした。とうとう、舞踏学校を一つ作ったのだ。 年間を通じて述べ20人の受講予約が入っている。今月の生徒は次の6人だ。 東京から参加したフィジカル・アーティストの沙羅は、小さいときから習っていたバレエやモダンなどのダンスをそぎ落として舞踏の中にもっと深いものをつかみだしたいという。 静岡から参加のヒロは、レイブ・ダンスパーティをネットで検索していて、たまたまサブボディ舞踏にぶつかった、ダンスワークショップなど受けるのは初めてだが、自由に踊れて面白そうだから来たという。カナダのピエールルックは、コンタクトインプロ畑のプログラマーだ。英文サイトに載せたセオリーをよく読んでいて、自分の中の未知なクオリアに触れ新しい自己を発見したいという。ブラジルのモニカは、山田せつ子や、室伏などのワークショップをブラジルで体験しているなかなかの舞踏マニアだ。イスラエルのダンサー・ケレンは、ダライラマのティーチングを聴くために来たが、ここを知って急遽参加してきた。サブボディホールそっくりの建物を少し前に夢に見たという。それと、去年から引き続き参加のデンマークのシャスキアの計6人だ。来るべき人が来てくれたという感じだ。ここで舞踏学校を開いていれば出会うべき人と出会うことができ、そういう人らと踊りを深めていくことができる。一番やりたいことをいちばんやりたいやり方でやること。そういう環境がようやくできあがった。 初日は、からだの闇を流れるクオリアに耳を澄ますことに焦点を当てた。それがいちばん大事なことだからだ。 朝から、さまざまな方法で胎児時代に感じていたからだのクオリアをからだが思い出すように取り組んだ。胎児時代に感じていたクオリアは想起できる記憶としては残っていない。察知できないものをからだの闇に探す。誰もがそれに戸惑っている。だが、目に見えるものなどを探しても何もでてこない。見えないものの中からつかみ出すもう一つの鋭い感覚を磨くのがここでの作業だ。 今日から、からだの闇でさまざまなクオリアが波立ち始めることだろう。それは夜不思議な夢になって噴き上げてきたり、明け方の半眠半覚状態でビジョンとしてやってくるだろう。それを?まえることだ。 この学校の最初の課題は、毎日からだの闇に耳を澄ます習慣を作り、からだの闇の不可視のものを聴く鋭い耳をつくること。まずはこれである。余計なものが聴こえてこないここヒマラヤだからこそできることだ。 2006年3月14日 ●<序破急>の力2日目:自分のからだの闇でうごめく自分固有のクオリアを見つけ出し、それが開畳してくる<序破急>を聴くようにアドバイスする。<序破急>を入れるだけで、とたんに踊りにメリハリが出てきた。<序破急>の魔法の力。ほんの少し<序破急>に配慮するだけで、こんなにもちがうのだ。 今日の<序破急>は以下のごとくだ。
ブラジルのモニカは、2ヶ月のインドの旅がここで一つになったという。クオリアと序破急という初めてのコンセプトを、消化するのに難航して、自己探求の20分は真っ白になっていたという。ヒロもまだなにか戸惑っている。だが、クオリアと<序破急>とは踊りのエッセンスの中のエッセンスだ。そう簡単に飲み込めるものではない。時間をかけてからだに染み込ませていくことだ。 午前中にやったヒューマン・オーシャンの浮遊胎感から人間子宮の体験がみんなにとって印象強かったようだ。それは、8年前にベネズエラで発見したものだ。さらは人それぞれのクオリアに、それぞれの<序破急>があると感じたという。自己と他者を客観視できる目を持っている。カナダのピエールもなかなか奇妙な踊りを出してきて面白くなってきた。イスラエルのケレンはなにか怒りに似た情動がからだの中でうごめき始めたという。出生体験は深い生物的怒りにつながっている。それが呼び覚まされている。 最後のサブボディ舞踏劇場では、今日は隣の人がフォローイング・サポート、その両隣がフォーカシング・サポートをした。それだけでもうかなりメリハリができ見れる劇場になっている。今回の参加者は皆勘がいい。さすがにヒマラヤまで来るだけの人たちだ。 |
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2006年3月15日 今日は午前中は、数珠体のボディクオリア(体感・体像)への変容から、クオリアストーミングへ進んだ。
午後は、おなじく数珠体から、原初ウオーク、そして、獣体への変容に入った。ボトムからの動きと、頭からの動きを瞬時に切り替える。 そして、最後のサブボディ舞踏劇場は、これまでに身につけたいくつかのボディクオリアを、誰かが変えていくというルールで30分の即興劇場とした。
●ワームホール体験ブラジルから参加のモニカが、わたしの名前のリゾームは、ドゥルーズ・ガタリと関係あるのかと尋ねた。そう彼らは私のフェバリットだというと、彼女もフーコー、ドゥールーズを愛読しているという。彼女は私のサブボディ舞踏メソッドに感銘し、ブラジルに招待したいという。 ブラジルと日本で、おなじ書を読み、しかも舞踏をする人と出会い、深く共振できるとは、まるで地球の裏側とワームホールでつながっていて自在に行き来しているような不思議な体感を覚えた。以前にも、ダンスリゾームとして世界中を公演とワークショップをして周っていたときも、同じワームホールをくぐっていた。日本、タイ、インド、ハンガリー、フランス、オランダ、ベネズエラなど行く先々の人々と、時空を超えて共振している体感の中にいた。これがクオリアのもっとも大きな特徴だ。多数多様な多次元が共振で繋がっている。思えば私を根本から変えたのが、このワームホール体験だった。地球の裏側に私の生き方に根っから共振してくれる人がいることを知ることほど、それまで囚われていたものから解放してくれるものはない。1998年に世界を踊り歩き始めたのも、ベネズエラのデビッド・ザンブラーノや、スペインのサンチャゴ、フランスのマーク・トンプキンら存在の底から共振できる人たちと出会ったからだ。世界中にそういう人らがいっぱいいることを知った。このワームホール体験ほど、それまで自分が囚われていた日本の狭い関係世界が偶然のものに過ぎないことを教えてくれるものはなかった。私は軽々と日本での関係をすべて脱ぎ去ることができた。友人知人、親族家族、地縁血縁、世代年代、すべて偶然降りかかってきたものに過ぎない。私はそれらをザアッと流れる水の上衣のように脱ぎ捨てた。そんなものらに囚われることをやめて、好きなところで一番好きなことを好きなやり方でやりながら生きていこう、そう決めた。一度しかない人生だ。悔いを残してはいけない。――きみもそうだと思わないかい? |
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2006年3月17日 ●微細体へ普通の日常体の動きのサイズとスピードを1とすると、その10分の1のサイズとスピードの世界に入る。するとそこは気功や太極拳の世界だ。そこからさらに100分の一の速度とサイズに縮小する。そこから先が微細体(サトルボディ)の世界だ。さらに1000分の一まで縮小する。もう殆ど目に見える動きはなくなる。だが、私たちのからだはそこで起こることを極精密に察知できる微細な体感クオリアを持っている。この100分の1から1000分の一の世界が微細体の世界だ。サブボディも普段はここに棲息している。 一つの舞踏の動きの中には、無数の微細なクオリアの変化が織り込まれている。それを感知し、コントロールできる微細な神経を鍛える必要がある。普段の日常生活ではまったく無視され、飛び越えられているささいなクオリアの変化だ。はじめて体験する生徒には、まず、そんなものがあるということ自体が信じられないようだ。見えないものを手探りで探す。これがからだの闇を掘り進むときの常態だ。この闇の探険家になるには、まず、このあてどなさに慣れる以外ないのだ。 |
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2006年3月19日 ●クオリアには二種類ある昨日試みた、微細なクオリアに耳を澄ますことが生徒にとって、なぜあんなに難しかったのか。 一晩疑問を下意識さんに預けいていると、いつものように明け方答えが返ってきた。 クオリアには二種類あるというものだった。 下意識が開いたクオリアの共振変容が活性態になったクオリアと、共振変容が不活性なクオリアとだ。 意識状態が強いときは、意識が働くために、外部世界からの五感の刺激を受け取り、一次感覚野から、高次野を経て、前頭葉などに刺激を伝達し、認知するまで実に多くの脳細胞(ニューロン)を同時に連結発火している状態にとどめ置かなければならない。そのために上位ニューロンから下位ニューロンに、発火状態を継続するように刺激が降ろされる。それによって、下位ニューロンで発生したクオリアは他のクオリアと共振して変容することがないように瞬時だが固定される。このため、意識状態ではクオリアの共振変容は抑止されている。 意識にしてみれば、これは重大なことだろう。入ってきた感覚情報をもとにそれを統合して判断している最中に、もとの情報が別のものに変容してしまっては困る。意識の下す判断が根本からゆらいでしまうからだ。 だが、言語意識を静め、下意識と意識が等価につりあう状態になると、意識はいちいち一次感覚情報を固定する必要はなくなる。そうすると抑制を解かれたクオリアは持ち前の共振力を発揮して、自在に共振し変容していくことができるようになる。この状態がクオリアの共振活性態なのだ。 昨日の練習では、初めて微細クオリアに耳を澄ますという課題に出会った生徒が、その存在を信じられず、疑いの意識状態が静まらず、クオリアを共振の非活性態にとどめていたために、微細クオリアに触れることができなかったのだ。 このクオリアの二様態に気づいていくこと。そして、毎日かならずクオリアが共振活性態となる状態へ、意識を静めていく方法を生徒自身が身につけられるようにすること。さし当っていま直面している重要な課題はこれだ。この意識の壁を乗り越えなければどこへもいけない。 |
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●衰弱体から衰弱十体へ
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