September 2006
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共振塾ジャーナル
2006年9月
命の声を開く
闇のリゾーム
原生覚の宝庫を掘る
生きているクオリアとは何か
サブボディの味わい深さ
全生力育成の場へ
下意識の創造性・サブボディアート
生命としての原生感覚を思い出す
2006年9月
2006年9月22日

命の声を開く

9月第1週の5日目。
音像チャンネルを開く。
今月は初日から、
微細な命のクオリアを聴くことに集中している。
音像チャンネルもまた、
ただの人間の発声のチャンネルではなく、
命が発する根源的な声として開く。

今日の練習は次のとおりだ。

1.闇の灰柱一本
目隠しをして灰柱の歩行。
朝一番にこれを行って、
日常体からきっぱり切り替える。

2.体底呼吸
からだの底を締めて呼吸する。
体腔をすべて使って声を出すために
声の土台を作る。

3.音像の六道ゆらぎ
生死の境でからだからゆらぎだす
最低の体腔音声を聴く。
まずは、呼吸の音に聴き入る。

4.呼吸音に少しだけ喉のふるえが共振する。
かすかな、呼吸音と声との境目に耳を澄ます。

5.生き物の声がうねりだす
体腔全体を響かせて、
生き物がうなりだす。
その発生点に聴き入る。

6.命が何かとんでもないものに
出会ったときの反射音声
グゲッ、とか、ぶひっとかという
反応音。
危険や災害や死に出会ったときの声。

7.弱り果て、死に至る声
命が衰弱し、
死に瀕する境目で出てくる音声。

8.臨生する声
死者となった
自分のからだを通して
他界からの声が発せられる。
この生きた世界に
死の世界からの声を届ける。

9.無機物となった自分のからだに
最初の生命が息吹いてい来るときの声
新しく別の生命として再生する声。

10.いずれも、生と死の境界でゆらぐ音声だ。
これらの経験の中から
自分のサブボディにもっともふさわしい
ライフトーンを探る。
いちばん自分のもとにいられると感じられる声。

11.そこから、そのバリエーションを手繰り、
自全世界のあらゆる音声を旅する。

12.目隠しをして、20分間
闇の中に自分の命の声を探る。
もちろん、たった一回で
自分の命の声が見つかるとは限らない。
これは音像チャンネルを開いていく
長い旅の出発点なのだ。

13.音像を発する
タイミングを探りつつ、
今日のサブボディの動きを探る。

14.音像サブボディ劇場
一人ずつサブボディの動きを出す。
ほかの人はそのサブボディのからだに
なりこんで音像と動きで共振する。

――かなり略したが、ざっとこんな具合だ。
はじめてサブボディの音像チャンネルを開いた感動は
誰にとってもとびきり新鮮なものだ。
「生まれ変わった」とさえ感じる生徒もいる。

2006年9月20日

闇のリゾーム

毎朝、ゆらぎ瞑想をしながら、
微細なクオリアに耳を澄ましていく。
最小の呼吸、最小のゆらぎ、
最小の命のクオリアに聴き入る。
どんなに静かに座ろうとしても
生体はいつも微妙にゆらいでいる。
それが命のクオリアだ。

それから内呼吸を聴く。
外呼吸によってとりいれた
新鮮な酸素が血流によって
からだの各部位に運ばれる。
そのとき各部位をそっと伸ばして拡げてやると
毛細血管が開き、いっそう血流がよくなる。
新鮮な空気を受け取った細胞が
ざわめき喜ぶ声を聴く。
甘露流と呼ぶ甘い心地よさを味わう。
その甘露流を体の各部に回す。

次は生体共振を聴く。
自分のからだ、ほかの人のからだの
細胞と細胞がちかづくと
生体は共振して騒ぎ立てる。
微細な騒ぎだが、
静まったからだになればよく咸じられる。

目隠しをして、闇の中に
ほかの生き物のクオリアをまさぐり
生体共振を聴く。
いっそう鮮やかに
闇の中に共振のクオリアが
流れ出す。

今日は6人がその状態で庭に出た。
群れとしての共振を聴きながら
庭を横切り、
置いておいたコップいっぱいの
水を飲み干し、帰ってくる。
いつも自分自身と群れ全体を
配慮して歩く。

一人が迷子になると群れ全体が迷う。
その昔、ドゥルーズ=ガタリの『千のプラトー』で
とある分裂病者のこんな夢を読んだ。
「砂漠があるの。その中にうごめくひとつの群れ、
蜜蜂の大群、
入り乱れるフットボール選手かトゥアレグ族の集団。
私はこの群れの縁に、その周辺にいる――
でも私はそれに所属している。
私はそれに私の体の先端で、
片手か片足で結ばれているの。
私には、この周辺が私に唯一可能な場所で、
もしこの混乱の中心に引きずり込まれてしまったら
死んでしまうこと、でも同じくらい確実に、
この群れを手放してしまっても、
死んでしまうことが分かっている。
私の位置を保つのはやさしいことではなくて、
立っていることさえとても難しいほどなの。
なぜっていうと、
この生き物たちは絶え間なく動いていて、
その運動は予測不可能で、
どんなリズムも持っていないから。
群れをなす個体のどれひとつとして他の連中に対して
同じ位置にとどまったままでいない。
だから私も同じように絶えず動き続けている。
――こういったことはみんなひどい緊張を強いるけれど、
ほとんど目もく眩むほどの強烈な幸福感を
私にもたらしてくれるの。」

その数日後、当時知り合ったばかりの
スペイン人ダンサー、サンチャゴ・センペレの
ワークショップで、彼はこのテキストを読み、
砂漠で迷子になった
このような群れとして動けといった。
今日の闇のなかの群れの動きは、
何も言わずともあの
分裂病者の夢を思い起こさせる動きになった。

群れとは何か、そして、個とは?
私は自分が抱え込んだこの問いを忘れないために
自分の名前にリゾームという名をつけたほどだ。

リゾームになること。
群れでもあり、個でもある
かつてない存在になること。

「無意識それ自体がまずひとつの群れである」ように、
サブボディは、個でもあり、
同時にひとつの群れであるのだ。
群れと個をめぐる旅は続く。

リゾームになれ、
たったひとつの秘密となれ!

その昔日本を出るときに作った群れの
スローガンを思い出す。

あの群れも見事に飛び散った。
粘菌の胞子のように
世界のどこかで
繁殖の時期を待っているかも知れない。

2006年9月19日

原生覚の宝庫を掘る

からだの闇にはさまざまなクオリアが折りたたまれている。
とりわけ、背骨の間、仙腸関節、胸鎖関節、
頭頚関節、あご関節、手首足首の7つの小骨の間、
あらゆる指圧のつぼ、
筋膜と筋膜の間、などなどに、
無数の無意識化されたクオリアが眠っている。
そこに共振タッチや指圧などの
適切な刺激を与えると、
折りたたまれ、
長い間封印されていたクオリアが
むくむくとうごめきだす。
これらは原生的な感覚の眠る宝庫である。

足首の小骨の間では
お猿だった頃の感覚が眠りこけている。
目覚めれば足だって物をつかめることを思い出す。
面白いようにからだの原始記憶は蘇る。
仙腸関節や胸鎖関節から手足が動き出せば
獣の歩きが蘇る。
それからだ。
自分が今どんな姿勢でいるかが
目や頭で考えなくても
原生覚で自認できるようになるのは。

今日は一日からだをゆすりあい
上記の原生覚が折りたたまれている
からだの宝庫を指圧や
共振タッチで刺激しあった。

いまごろ生徒たちは
どんな夢を見ているだろうか。

2006年9月18日

生きているクオリアとは何か

秋学期がスタートした。
各国から6人が集まった。
これくらいの人数がいちばんやりやすい。
各人が発する微妙なサブシグナルに
くまなく目が届きやすいからだ。

今月わたしは授業を、
生きているクオリアとは何か
という問いからはじめた。
この問いを一ヶ月問い続けるように。
もしその答えが得られたら、
それとほかのあらゆる問題との
つながりを見出すこと。

どこまで可能かどうかは分からない。
ともあれ私はこの問いをめぐって
からだの闇に坑道を掘りぬいてきた。
そのひとつひとつの坑道に生徒を招待し
どこまで通用するか試していく。
生きるクオリアがどういうものかなど
言葉では絶対にいうことができない。
こうしてからだとからだの長時間かけた
ふれあいの中でかろうじて伝達可能か
不可能かの瀬戸際に立てる。
そういうものだ。

生きているというクオリアほど
精妙で味わい深いものはない。
その中でどれがいちばん根本的なのか、
それを探る。
こんな微妙なことが人と人の間で
伝達可能なのかどうか、
震えがくるほど刺激的な冒険だ。

ともあれ、9月の船は出航した。
これまでにない、美しい船出だった。

今日の授業内容は次のとおり。
(リンクをクリックすると、実技ガイドの詳しい説明に飛びます)。

1.からだをゆすって意識を休める調体
2.おなじくふたりで共振タッチをして意識を休める
3.ゆらぎ瞑想
4.目隠しをして姿勢を変え、
それを自認する原生感覚を開く
5.生体共振を味わう
まず、自分の両手の間の、自分の体との、そして、
ほかの人のからだとの間で起こっている細胞同士の
生体共振に耳を澄ます。闇の中で互いのからだをまさぐりあい、
それぞれの姿勢を認知する原生感覚を開く
6.闇の灰柱
目隠しをして灰柱の歩行をする。
からだにやってくるありとあらゆるクオリアを味わう。
重力、呼吸、空気、血流、情動ゆらぎ、風、音、光……
微細なクオリアを味わう。
7.闇のまさぐりあい
真ん中でであったほかの生き物のクオリアを味わう。
8.しばらくして、目隠しを取り、
30センチの距離を取って10分間見詰め合う
9.ふたたび闇の灰柱。次にであった人と、闇の中で
まさぐりあった後、5分間ステッキーアイコンタクトで動く。
ステッキーアイとは、見詰め合う視線がねばりつき
距離や速度が変わってもアイコンタクトをしたまま動くこと。
(ここまで午前の部)
10.(午後の部)一人が横たわり、
もう一人がそばに座りいのちのゆらぎを聴く。
ほかの人のからだに触れるもっといい触れ方とは何かを学ぶ。
11.灰柱の歩行
もっとも微細なクオリアに耳を澄ます
12.自全歩行
からだのなかからさまざまなサブボディが
表に出たがってくる息吹を聴く。
それらの気配をみんな引き連れて歩く。
13.20分間の探体を通じて、
今日のサブボディの動きを見出し、
1分間の踊りにする。
14.サブボディ=コーボディシアター
各人がみつけたサブボディの踊りをシェアしあう。
一人が踊ると、両隣の人が同じ動きで共振する。
他の人はウオームウオッチングで
インナーリゾナンスを咸じる。

最後の感想では、はじめての経験者にとって、
14のほかの人の動きに共振してフォローすることに
難しさを感じたようだ。

自我意識を完全に捨てないと
天心での共振はできない。
すこしずつ、それを学んでいく。
上場の滑り出しだった。

6人ともとても熱心にサブボディ舞踏を学びたいと
願って志願してきた人たちばかりだ。
実際、今日出てきたサブボディの動きは
初日からとても味わい深いものだった。
こういうサブボディの日々の誕生の瞬間を
ともにすることができるのは
サブボディの産婆冥利に尽きる。

2006年9月16日

サブボディの味わい深さ

生徒たちのサブボディ写真を
フォトフリック
に作り直している。

ひとりひとりのサブボディの表情は味わい深い。
みな何週間もかけてからだの闇にもぐり、
多くのエッジを超えて掴み取った自全の中の住人たちだ。
一人ひとりが限りなく懐かしい。

サブボディと出会うことができれば、
終生の友になりうる。
意識の自己を陰ながら助けてくれる
最も力強い味方となる。
わたしはわたしの伝染熱という踊り(ビデオを見る)を踊るサブボディに
何度人生を救われたか数え切れない。

2006年9月16日

全生力育成の場へ

明後日から、秋学期が始まる。
ちょうど定員ぎりぎりの12名の予約が入っている。
でも、予約金を取っていないので、
何割かはいつも予告なしのキャンセルとなる。
改善しなければならない点のひとつだ。

この秋のクラスは、
人間としての全体的な力、
全生力
の育成をめざす。

まず第一の重点は、
生体としての原生力をさまざまな面で回復し
身に着けることが、第一だ。
そのためのさまざな練習方法を
8月の間に見つけ出した。
自分のからだでいろいろ試して
さまざまな発見があった。
来周からそれを生徒のからだに
どこまで通じるか試していく。

現代人がさまざまな、
心身症、成人病などの現代病になったり、
人の心を失うヒューマノイド二なりかけているのは、
すべて原生力を失っているからだ
ということに気づいた。
意識優先の意識を身に着けることの代償に、
原生力をごっそり失ったのだ。

南インドの密林に住むヒルトライブの人々や、
この学校でカメラマン、コックとして働いている
中央インド出身のロメスを見ていると、
彼らがいかに生体として生き生きとした
原生力を保っているかがよくわかる。
動物的な勘ですべてを察知し、
少しでも感じが悪ければその場を即座に離れる。
いつも自分のからだの状態を把握している。
だから、知らないうちに病気になっていた
というようなことが起こらないのだ。

このほかにもロメスから学んだことは数知れない。
それはおいおい書いていこう。

原生力さえ回復すれば、
サブボディ下意識に詰まっている、
創造力、共振力はひとりでに現れてくる。
この三つを合わせると、
これからの人として重要な全体的な力、
全生力
を身に着けた人間になることができる。

自分の命を聴き、
他人の命ともいつも共振することができ、
創造によって絶えず自分を更新し、
自分の不調も他人の不全をも
癒して原生力を回復する力を持つ
全生力を備えた人間。

こういうひとが世の中に増えていけば
ずいぶん住みやすい世の中になるのではないか。
これからこの共振塾はそういう人を育成する
場となっていくことを目指す。

生徒同士で切磋琢磨して
互いの全生力に
磨きを掛け合う場へ。

これがこれから入っていく未踏の坑道だ。

なぜ舞踏学校でそこまで、……
という疑問を持つ人もいるかもしれない。

わたしにもよく分からないが、
自分がいちばん何をしたいかに耳を傾けていると、
どうやら、こういう方向へ進んで行きたいいらしいことが
だんだんはっきりしてきた。

舞踏とはこういう人間の全体性へいたる
秘密の坑道だったのだ。

そのためには課題が山積みしているけれど、
じっくりひとつずつ解決していくつもりだ。

いつもこういう闇を切り開いて生きてきた。
行く手の暗さには慣れている。

9月15日

下意識の創造性・サブボディアート

サブボディスクールでは、
生徒はゆらぎ瞑想などを通じて、
日常意識を止め、
意識と下意識が半々に釣り合っている
サブボディモードに入ることからはじめる。

そこで、下意識からの微細なサブシグナルをキャッチして、
自分固有のサブボディの踊りを創りあげる。
週末にはそのサブボディの世界を絵に描く。
誰のサブボディワールドも、思い切り固有で独自だ。
へぇー、みんなのからだの奥には
こんな面白い世界が埋まっているのだ、と驚く。
それで互いの世界がよりいっそう理解しやすくなる。
絵をイメージしながら、互いのサブボディの
踊りの世界にからだごと入って行けるようになる。

すべての人の下意識をうまく解放すると、
こんなに創造性に満ちた固有の世界が現れる。
新しい自分に出会い、
新しい生き方を発見することができる。

もし君が自分には芸術家のような創造性や
固有性などないと自己誤解しているとすれば、
それは君が意識の世界に自分を閉じ込めているからだ。
だが、君の下意識のサブボディは毎日
世間の常識的な発想の枠内を超えて
自由に飛び回っている。
意識をとめてサブボディに触れれば
だれもが創造的な生を送れるようになる。

サブボディスクール生徒が描いたサブボディ下意識ワールドの絵画と、
リゾーム Leeの多次元共振ギャラリーをフォトフリップにしました。
下意識の絵はもともと流動しているものだから、
動きの中で見ると新しい生命が息吹くようだ。

サブボディアートを見る
2006年9月6日

生命としての原生感覚を思い出す

人間以前の生命体としての原生感覚を磨きぬいていくこと、
これが練習の土台のなかの土台だ。
以前は意識を止めることに重点を置いていた。
もちろんそれが大事だが、
視覚が奪われて、
否応なく原生覚を開こうとすると、
意識を使っている余地などなくなる。
これのほうが無理なく意識を捨てられることに気づいた。


1.闇の灰柱
目隠しをして灰柱の歩行を行う。
フィジカルなからだはすべて燃え尽きてしまう。
崩れやすい灰柱に変成したからだを
できるだけゆっくり運ぶ。
からだに起こるクオリアをすべて咸じながら歩く。
重力、ゆらぎ、呼吸、軸足の作り方、
重心の移動の仕方、足の裏、皮膚、骨、
音、内臓、情動、感情、関係覚、……

微細なクオリアを拾いながら歩くと、
日常の意識状態とはいかにずさんなものかが分かる。
からだに感じられる微細なクオリアのほとんどを
見逃して生きていることに気づく。

つねにこの体感クオリアと共にある状態を保つ。
これが一本目の課題である。

2.闇の灰柱ゆらぎ
からだで感じられるクオリアのうち、
なにか気にかかるクオリアがあれば、
それを増幅して追求していく。
自然に出てくる動き、
ふと思いついた動きが
あればそれに従い、からだごと乗っていく。

3.闇の粘菌その1
目隠しをして脱力した粘菌アメーバのからだになり
壁際から中心部に向かってローリングで進む。
下肢がもう一方の下肢を越えるので、
骨盤から反転してローリングしていく。
真ん中辺で他の粘菌に出会えば
乗り越えるか、下に潜るか、
向きを変えるかして壁際まで進む。

4.闇の粘菌その2
脱力した粘菌アメーバになり、
水平、矢状、戸板の三次元方法への
粘菌ロールでゆっくり移動する。
他の粘菌に出会えば互いのからだに触れ、
味わいあい、出会った部位を押し付けあって
盛り上がっていく。
ふたつのからだを押し合って
立位まで盛り上がれば
ふたたび粘菌に溶け落ちていく。

5.闇のまさぐり
壁際から灰柱で真ん中まで進み、
ほかの生き物に出会えば
不触不離の皮膜の距離で
互いのからだをまさぐりあう。
手だけではなく全身の皮膚を開いて
触れ合わす。
頭と脚、胸と尻、顔と背中、……
無数の部位と部位が出会い、触れ合う。
皮膚の細胞が忘れきっていた
原生感覚を取り戻して
別物になるのを咸じる。

6.外闇のまさぐり
5の動きを外界で行う。
風、光、樹々のざわめき、鳥の声、……
一気にさまざまなクオリアが振りかかってくる。
そのなかで原生感覚の蘇りを
たっぷり楽しみ、味わい、からだに刻印していく。
そう、きみはいま原初生命体としての
原生感覚の世界に呼び戻されているのだ。