August 2006
←BACK  ■  NEXT→
共振塾ジャーナル
2006年8月
生命共振というご馳走のあじわいかた
闇の灰柱
静寂体になる
自全風呂探体法
胎内ゆらぎ探体法
思いがけぬサブシグナルを捉える
原初体感瞑想・歩行
半眠半覚瞑想
リップル共振技法の繊細さ
2006年8月
                         
2006年8月30日

生命共振というご馳走のあじわいかた

生命と生命の間で起こっている生命共振について
からだで知っていくには、いくつかの段階を踏んでいく。
人間のからだには、各段階でいろんなご馳走が用意されている。

まず、ゆらぎ瞑想をたっぷりして、意識を休ませることが第一だ。
ところが、日常体で精神労働ばかりしている人は
、腰の筋肉が椅子座位のために凝り固まっている人が多い。
そこで、腰周りの硬結をゆるめる準備運動をいろいろつくった。
きょうからそれをいろいろ試みている。
骨盤内の仙骨と腸骨、仙骨と第五腰椎などの
関節周りの腱や筋肉を緩め、活性化するために、
三次元方向にいろいろ動かす。
すると、腰周りの硬結が緩み、
腰を回すと腰周りからからだ全体へゆらぎが立ち上るからだになる。
これが通り出してはじめて、
からだを伝う快感に触れることができる
。からだをいろいろな流れが通る快感を味わえるようになるのが、
サブボディモードに入るまず第一のご馳走である。

第二段階は、目隠しをして、原生感覚がよみがえってくる快感を味わう。
目隠しをしてゆっくり姿勢を変えてみる。
目が見えなくても、
生命体は自分がどんな姿勢をしているかは
からだで分かっている。
日常体ではその感覚を忘れてしまっているが、
目隠しをして耳を澄ましていると、
だんだんからだが闇に慣れてくる。
だがこれは人によりさまざまだ。
今日の生徒は、「脚が見えない」と声を発した。
脚がどこでどんな姿勢を取っているかが、
感じられないというのだ。
長年椅子に座り続けて精神労働に精を出してきた人だった。
とくにここ2年ほどは寝食を忘れて、
大学院で精神的な作業に打ち込んできたという。
人間のからだには、大変なことが起こるものだ。
生徒に合わせてじっくりゆっくり原生感覚を取り戻していく
固有のペースをつかむ必要がある。
ご馳走もひとにより実際に味わえるまでに
時間がかかる場合もある。

三つ目のご馳走は、生体間の細胞共振だ。
目隠しをしたまま、
自分の両手を5ミリメートルほどの距離に近づけて、
両掌が感じているものに耳を澄ます。
それから、からだのあちこちに掌を移動して聴く。
だれでも、人肌から伝わってくる少しのぬくもりと
そのゆらぎによって、
生命体であることを感じ取ることができる。
床などがぬくもっていても
無生物からは生命特有の微細なf分の一ゆらぎは立ち上らない。

それから、ほかに人のからだに不蝕不離の距離で触れる。
からだの輪郭を闇の中にさぐり当てていく。
これにも個人差がずいぶんある。
からだのいろんな部位をあいてのからだに触れて咸じる。
じょじょに原生感覚がよみがえってくる。
慣れてくると、目が開いているとき以上に、
相手のからだと自分のからだの形も動きも
より深く感じえられるようになってくる。

最後のご馳走は、そして、
自分のからだがほんとうに人と触れうことを喜んでいることに気づくことだ。
生命が他の生命と共振したがっているという、
これまで見過ごしていた生命観に気づくことだ。
いつまでも飽きないで
闇の中に相手のからだをまさぐり続ける快感に
酔いしれるまで続ければいい。

この快感を一度知れば
もう二度と手放す気になどなれない。
それほど深い慰めと楽しみを与えてくれる。

未知の国に入っていくには、
おいしいご馳走が必要である。
私自身思い返せば、ずいぶんこの
はじめて知る未知のご馳走に
助けられてここまで来た。
忘れかけていたそのことを
思い出すことができた。


2006年8月15日

闇の灰柱

コースのはじめには、目隠しをして動くプログラムを入れる。
生命体としての原生感覚を取り戻すには、日常意識が頼っている視覚を閉ざすことが必要だからだ。

今日は、じっくり呼吸とゆらぎで意識とからだを休めた後、目隠しをして灰柱の歩行に入った。


1.闇の灰柱

円形の練習場の壁際から、目隠しをして灰柱で歩き出す。

真ん中辺でほかの誰かに出会うと、不触不離の皮膜の距離(12センチメートル)で互いに相手のからだのクオリアを闇の中にまさぐりあう。手のひらだけではなくからだ全体で味わいあう。

たっぷり味わったら、離れて再び壁に向かって灰柱で歩く。

2.サブボディからのサブシグナルをとらえる

闇の中を歩いていると、実際に五感が受けるその場のクオリアと、闇の中に想像上で咸じるクオリアとが混ざり合う。その両者を半々に保つ。

すると、両者が絡み合って、じつにさまざまな体感クオリア、体像クオリアがうごめきだす。それらのすべてに聴き入る。それらすべてをサブボディからのサブシグナルとして受け取る。最初は受け取り認知するだけで、まだ増幅しない。サブシグナルのままからだに保って運ぶ。

3.四方八方のサブボディを運ぶ

まずからだに耳を澄まし、体内からのサブボディのサブシグナルを運ぶ。つぎに外側の世界からもサブボディのサブシグナルを受け取る。空中を漂うサブボディ、背後からささやくサブボディ、からだをつたうサブボディなどなどをつれて歩く。

4.底丹田のサブボディを運ぶ

さらに、地下の世界に潜むサブボディが、地面の下から引っ張ったり突き上げたりするのを受けとめる。地下の千のサブボディを引きずって歩くと、何十倍も重いからだになり、山を運ぶような重い歩行になる。ひざを曲げず、すり足で進む。目隠しをして原生感覚がよみがえってくると、いくらでも想像が膨らんでいく。目隠しとそれを外したのと、適宜交互にやるとよい。

5.サブボディが暴れだす

からだの闇からさまざまなサブボディが外に出たいとシグナルを強めてくる。からだのさまざまな部位がさまざまな方向にうごめき始める。それらをすべて受け止めて歩く。無数のサブボディが体のあちこちから飛び出しそうになる。それらをすべて制御しつつ歩く。からだ中に巣食う無数の舞踏の巣を運ぶ。

6.ついに表に出てくる

耐え切れないところまで保つと、自然にサブボディの動きがあふれ出てくる。どんな動きでもいい。もっともからだが引かれていく動きに身を任せる。灰柱からゆっくり別の低い姿勢にまで変わり、また灰柱の歩行に戻ってくるまでの動きを20分間の自己探体の時間に見つける。

今日は、フランスでサーカスをやっているというジュリーが参加した。
フランスにはシアターやサーカスの学校が多くある。だが、そこでの教育は意識に偏重したものばかりで、下意識の創造性を解放することに焦点を当てたサブボディメソッドのようなものはない。
ジュリーも、今日はまったく新しい体験で、意識を制御するのは難しいけれど、自分の中から知らなかった動きがどんどん出てくるのには驚いたと興味に目を丸くしていた。

2006年8月13日

●静寂体になる

いよいよ、明日から8月コースを迎える。
今月はこれまで以上にじっくりゆっくり進めるつもりだ。
いままで、細心の注意で授業プロセスを準備してきたつもりだったが、
まだ、ひとによっては急ぎすぎだったことが分かった。
今月は、火曜、木曜の週2日を共振タッチに当て、残る週3日で
サブボディ探索の作業を進めることにした。
そして、いままで、またぎこしていた
静寂体への変成からはじめる。
それは、 わたしにとっての最初の十体であった。

なぜかは分からないが、
とにかく静まり返ったからだにならないとだめだと直感した。
それから、私自身が、静寂体へ変成できるまでに
ずいぶん何年もの時間がかかったことをすっかり忘れていた。
静寂体は、日常体から離れる第一歩だったのだ。
それが私の初心だった。
このプロセスを丁寧にたどることをぶっとばして、
先へ急ごうとしていたのが
大きな間違いだった。

初心忘るべからず。

あたうかぎりゆっくり時間をかけて、
静かなからだになり、日常意識、日常体から離れる。

そして、微細なクオリアゆらぎを聴くことのできる静寂体に変成する。
――これが一切の変成の始まりなのだ。



1.静寂体になる


座位あるいは立位で、最小呼吸を用い
もっとも静かなからだ(静寂体)になる。

そして、からだ(脳心身すべてをさしてこう呼ぶ)
に起こるクオリアゆらぎに耳を澄ます。

どこまで微細に、クオリアのゆらぎを聴き分けられるか、
その違いを味わうことができるか、
ただただそれに聴き入っていく。

やることはそれだけである。
言葉にも動きにもしない。
ただからだで咸じる。

からだのフィジカルな動きを最小にする。
どんなに静止しようとしても
生体はいつも微細にゆらいでいる。
フィジカルな動きを止めても
クオリアがゆらいでいる
クオリア止めても
生命がゆらいでいる

その極限の静寂体になったとき
フィジカルなゆらぎなのか、
クオリアのゆらぎなのかの
区別がつかなくなる帯域が現れる。

ただ生きているというクオリアから、
現在の私たちが感じている多くのチャンネルのクオリアに
分化してきた生命40億年の歴史の中でもっとも古いのが、
体感チャンネルから体動チャンネルが分化していくプロセスだ。

からだで感じていることと、からだの動きを感じることの、
微妙な間(あわい)のクオリアを味わう。
これは体感流と体動流のあわいに耳を澄ますことだ。

そしてからだを動かすことと、からだを動かすイメージをいだくことの
微妙な間(あわい)のクオリアを味わう。
これは体動流と、体像流のあわいに耳を澄ますことになる。

ごくごく微細な差異だが、
根本的に違うものであることをからだで納得できるまで聴き入る。


これが、8月コース第1週の課題だ。
からだの繊細さが日常体から微細体に変わらねばならない。
からだで分かるとは、
からだで起こっていることと、
それを捉える神経のありどころが変わることだ。

大脳頭頂野の第一次運動野と、
第一次体感野の関係が、

原生的な微細さを取り戻さねばならない。

ここをすっ飛ばして粗大な日常体のままの
体感と体動の大雑把な関係を保ったままで
先へ進むことは絶対にできない。

いままで、2,3週目で落伍していった生徒のことを考え続けてきた。
彼らには、第1週で以上のことがうまく伝わっていないまま
23週へ入ってしまったのが間違いだった。
1週で風邪や下痢で休んだり、
出席していてもからだに入っていなかったりしていたのを、
サブボディの教師であり産婆である私が見落としていたのだ。
恥ずべきことだ。
そして、それらの人には大変すまないことをしたと思う。

未知の世界へ入るとき、道案内人が案内している人々に
その世界に入る準備が十分できていることを
確認できなければ失敗する。
誰だってからだに十分の準備ができていないまま
未知の世界に入ることは
からだが拒否してしまうのだ。

サブボディの教師が最も多くのことを学ぶのは
なぜだかうまくいかなかった生徒のケースからだ。
彼らのことを考え続けていると、
ある日何が足りなかったのかが見えてくる。
サブボディ・メソッドがここまで緻密なリップルを
刻んで、スムーズな導きができるようになってきたのは
すべて彼らから学んだからだ。
ブダペストのエバ、
チェンマイのジェイ、
ベネズエラのマリア、
日本の美紀、さわ実、
そして、ダラムサラの多くの生徒たち、
君らからわたしはいつも無理な
大きなステップを押し付けていたことを学んだ。
そして、いま少しだけ小さなステップを刻むようにした。

リップル技法が出来上がるまでには、
長い年月と経験と
経験の繰り込みプロセスを必要とする。


2006年8月10日

自全風呂探体法




八覚各チャンネルごとに、自全内のありとあらゆるクオリアを味わいつくす

1.ゆらぎ瞑想

まず、ゆらぎ瞑想からはじめ、じょじょに意識レベルを落していく。

腰を回し、腰から上体へさまざまなクオリアがさまざまなルートで流れるのを咸じる。

そのうち気持ちがよくなってきたら、口をぽかんと開け、口腔内の快感をフルに咸じる。口腔は内臓につながり、からだ全体のぬめりが感じられるようになる。

自分を人間ではなく大きいアメーバ、ウミウシかアメフラシであるかのように思うといい。ゆったりと生命を咸じて蠢いている大きな原形質の塊、それが自分だと。

この自分の全体の中を流れているクオリアのすべてを味わう。これが自全風呂だ。まずは、八覚のチャンネルごとに自全風呂に入っていく。

2.体感自全風呂

ありとあらゆる体感を片っ端から味っていく。腰があったかい……、肩が軽い……、眉間が痒い……、背筋が寒い……、脚が重い……、などなどだ。一人では思いつく体感に偏りがあるので、何人かで円陣になって座り、一人ずつ思いつく体感を口に出して言い、それをみんなでシェアしていくといい。からだの隅々でまともな体感から奇妙な体感まで味わいつくすと次のチャンネルへ移る。

3.体動自全風呂

これは円陣になって、ひとりずつ異なる部位で違うクオリアの動きをして、それをシェアするといい。ゆらぎ、振るえ、うねり、痙攣し、衰え、死ぬ、……さまざまな部位でさまざまなサイズ、速度で、思いつく限りの動きをする。ほぼ味わい尽くしたら、次へ移る。

4.映像自全風呂

目に浮かぶささやかな映像を増幅して語る。黄色い流れに包まれる……、水がざわざわと押し寄せてくる……、光のシャワーを浴びる……、人によりでてくる映像イメージはじつにさまざまだ。それを味わいつくす。

5.音像自全風呂

およそ人間の体から出てくるありとあらゆる音を出し合う。死者のささやき、瀕死の声、だみ声、鼻声、ホーミー、舌打ち、のど鳴らし、重低音、かすれ声、ヘゲモゲラ言語(無意味語)、甘え声、などなど、これもみんなでバリエーションの限りを尽くす。

6.感情自全風呂

ぽかんと開けた口の形をわずかに変えると、違う感情のクオリアが湧いてくる。顔の筋肉は微妙な感情のクオリアと結びついている。それをくまなく味わう。だらんとしたり、ぴくぴくと震わせたり、しかめたり、もわもわとしたり、崩れたり、ひきつったり、さまざまなクオリアを存分に味わいつくす。

7.関係自全風呂

これも円陣でひとりひとり思いつく限りの妙な関係クオリアを示してシェアしていく。うれしい人と出会う、いやなやつに出くわす、恐ろしい怪物にちょっかいを出す、いじめられる、いじめ返す、のけものになる、孤独に浸る、隠れ家に逃げ込む、石になる、やたらと触手をのばす、ひとびとを癒す、癒される、……思いつく限りの奇妙な関係クオリアにどっぷり浸る。

8.世界=自己像風呂

快適極まりない世界像から耐え難い世界像まで、さまざまな世界像に浸っていく。誰がどんなひどい世界像だしてくるか、とんでもない世界像を思いつくかも興味深い。自全と世全を味わえる。

9.思考・気づき風呂

以上の八覚風呂をはしごした後、20分の自己探体(セルフリサーチ)において自分ひとりでゆっくり浸る。自分が思いつかなかったクオリアはどれか、何が新鮮だったか、からだにしみこんだのは何か、それぞれを味わい直してみる。それらを味わいながら、からだに聴いてみる。さあ、そうしたいかい?とたずねる。サブボディは微細なサブシグナルで応えてくるから、それに乗り込む。

10.<鮮深響>技法

探体においては、いくつかのクリアな指標を参考にするとよい。

からだが味わいたい新鮮なクオリアに乗り込んでいくのが<鮮>のクオリアだ。サブボディは好奇心に満ちている。まずはからだが新鮮だと感じられるものはすべてやってみるといい。

そのうち、なんだかわけが分からないけれどどこかで自分の深いところにつながっていそうな感じがするものにぶつかる。それが<深>のクオリアだ。それに乗り込むと自全のなかの深いところへ連れて行ってくれる。

これだ!この体感を味わいぬきたかったのだ!と感じられるものに出会ったら、それぞ<響>のクオリアだ。それに出会えたら今日は幸運だ。めったに出会えるものではないからだ。からだ全体で味わえばいい。自全の天地が共振する序破急の<急>になりうる踊りが見つかるかもしれない。

2006年8月5日

胎内ゆらぎ探体法

共振タッチでくつろぎ、胎内で感じていたゆらぎに身を任せる。半眠半覚のあわいのからだに泡立ってくる微細なクオリアを味わいつつ、動けない微細クオリアを最弱の衰弱体に探る。

7月コース、第3週の最終日は、腹部へのリゾタッチから入った。ふたつの生命共振を感じつつ、腹部をさする。へそからじょじょに大きな円を描きつつ30回ほど、最大限までいったら、また30回ほどでへそまで円を縮小する。ついで、腹部の切診。中指を中心とした三指で心、胆、胃、肝、脾、腸、膀胱、腎に触れる。

そののち、足をゆすり、両足の裏を腹部につけて座り、呼吸を送りつつ共にゆらぐ。このとき3週目の生徒達は深いトランスに入っていった。

半眠半覚のあいだを行きつ戻りつする。眠りに吸い込まれそうになったり、またそこから引き返してきたりと、覚睡の境界線でゆらぐ心地よさを味わう。限りない快感に包まれる。

からだ全体が、心地よく痺れたような夢心地に誘われる。

(ノアムは、病室で麻酔を受けたような感じだったという。イダムも言葉ではいえない心地よさを味わったという。)

日本人なら、大概の人が味わったことのある電車の中で居眠りする快感だ。この心地よさは、眠りと覚醒を往復するだけに使うのはもったいない。

 

その間にこそ、全生命史のクオリアが詰まっている。

動けないクオリア、

動こうとしても動きにくいクオリア、

動き出しそうになるクオリア、

と無限の諧調があり、

こんなに密度の濃い領域はまたとないほどである。

うつらうつらは生命クオリアの宝庫なのだ。

無限に味わい深い生命クオリアの坑道が縦横に走っている。

 

この胎内冥界ゆらぎともいえる暗冥境で、からだの奥からでてくる動きを探る。

灰柱から、さらに全身をゆるめて最弱の衰弱体に変成する。全身の細胞という細胞がどんな微細なサブシグナルにもゆらがされるもっとも繊細なからだとなる。

内に半分、外に半分開く透明覚を開き、どんな微細なサブシグナルをも逃さず、つぎつぎとそのサブシグナルにからだごと乗り込んで増幅していく。

心技体がひとつになり、もっともかそけきクオリアを味わい分けられるからだになるまで、時間をかけて生成変化していく。

増幅といっても、速度もサイズもことさら拡大する必要はない。小さなかそけき動きのクオリアのまま、ただ多次元に赴くにまかせてゆらぎ漂いつつ、微細な微細なクオリアのわけめを掻き分け味わいつつ変容流動していけばいい。この日は全員が冥界をまさぐり歩いているような動きが一時間も続いた。

まるで時のない、微細ゆらぎの異次元に全員が移行したかのような光景だった。

 

かろうじて残っている最低限の意識で、自分の感じているチャンネルを次々と切り替え、八覚にまわしていくといい。それだけが意識に求められる役どころだ。サブシグナルを感じて、ひとつの動きが出てきたら、たとえば息を吸ってからだを膨らませたり、からだから出てくるかすかな息声に聴き入り、誰かがささやく咸じを捉えたりする。するとまた、感情や関係チャンネルにつながっていく。誰かが冥界から訴えかけているような響きがあればそのクオリアを全身で味わう。すべてのサブシグナルがどのチャンネルにも自在に回り込み、そのつど新鮮な息吹が吹き込まれて変容流動を続けていくのが分かるだろう。

2006年8月4日

●思いがけぬサブシグナルを捉える

毎日午前と午後のクラスオ終わりに、生徒から今日の印象を聞く。

今日はナタリーは「いろんな葛藤があって、闘っていた」といい、イダムは今日は「難しかった」といった。

「それこそサブボディからのサブシグナルなのだ。それを踊ればいいんだ。なにかとなにかがぶつかっている咸じ、それをからだで十分に増幅すればなにかが出てくる。難しいと感じれば、その咸じをからだで動いてみる。すると、なにかもっと分かりやすい形で問題が浮かび上がってくる。どんなことでも、ふと心をよぎったことでも、サブシグナルをつかまえて踊ればいいんだ」

――これまで、サブシグナルというと、なにか体感のようなものとだけ捉えていたようだ。いうまでもなく、私の説明不足だった。どんなことでもいい、心と体を瞬間よぎっていくものはすべてサブボディからのサブシグナルなのだ。

どんなチャンネルに現れてくるか分からないから、サブシグナルを逃さず捉えられるようになるまでには、年季がいる。わたしももっと言葉を尽くして伝えていかねばならない。

もったいないことに、きょうまで生徒はいろんな重要なサブシグナルに出会っていたのに、私の注意不足で生徒にそれを捉えて踊ることを促すことができていなかった。「難しい」などという感想がかえってくると、それを否定的なことと捉えて、「まだまだ意識が静まっていない証拠だね。もっとふっ買う瞑想していこう」などと間違った答え方をしていた。

この道で成熟するのは実に大変なことだ。見過ごしてしまうサブシグナルがあまりに多い。ここ当分は、サブシグナルのあらゆる現われに特に注意していこう。

どんなチャンネルに現われてきたサブシグナルでも、からだのチャンネルに翻訳できる。どんなかすかな思いでもふとかすめた感情でも、からだの動きにすることが出来るのだ。このことの可能性をとことん追求していこう。

ミンデルはサブシグナルのことを、「一瞬のフラート」という言い方をする。ふらーととは、ふと、とか、思いがけず、とか、かすめる、とかという語感を持つ。ミンデルは本当にこの道の先達だ。こんど「クオンタムマインドとヒーリング』という本を読み出して心底それを思った。出す本ごとに、ミンデルのドリームボディという概念は踊りだして、サブボディに無限に近くなってくる。


2006年8月2日

原初体感瞑想・歩行

原初生命体がもっていた、原初生命のクオリアを思い出し、咸じて動く。

 

●原初体感瞑想

1.目隠しをしてゆったりと座りゆらぎ瞑想に入る。一呼吸ごとに自分がどんな姿勢をしていて、からだの各部でどんなクオリアが感じられているかに耳を澄ます。呼吸、からだのふくらみ、内呼吸、温感、重さ、筋肉・関節の緊張と緩み具合、体液の味わい、それらのクオリアがどう変化しているかを聴く。

2.姿勢を変える。そのときに起こるクオリアの変化、影響、脈絡を聴く。脚を伸ばしたり、ひざを立てたり、手を突いてからだを支えたり、横になって片足を胸の前でかかえたり、四つになったり、中腰になったり、さまざまな姿勢になるたびに起こるクオリアの微細な変化やからだへのひろがりをキャッチし味わう。

3.立ち上がり、目隠しをしたまま、ひとつの窓かドアのところまで見当をつけて進む。見つけたら戸を開け、外界の空気を吸いこむ。外の音や風を味わう。からだのクオリアとの共振を咸じる。

4.じょじょにそれらすべてをからだに起こっているひとつのこととして統合して捉える。細目のチャンネルに分化する以前のからだに対する統合的な原生体感が目覚めてくる。目で見なくてもからだと周囲の間で起こっているすべてのことが手に取るようにわかるようになる。
 

 

●原初体感歩行

(原初体感瞑想より続く)1.目隠しをしたまま外界を旅する。最初眼を開け、5~10分で行き付ける歩行コースを確認し、なかほどの一箇所にコップに水を入れて置く。目隠しをして想定したコースを原生感覚を全開して歩く。さまざまな想像や妄想が闇の中から立ち上がってくるのを味わう。目当てのコップを見つけたら、水を飲み、一服して気を落ち着けてから残りのコースをたどって帰る。

2.庭の両端に二組に分かれる。両方の組から一人ずつ目隠しをして相手に向かって歩きだす。中ほどで相手を見つけると不触不離の皮膜の距離で相手のからだの各部のクオリアを味わう。闇の中にからだをまさぐりあうデュエット。数分後、皮膜タッチのデュエットを続けながら、どちらか一方自信のあるほうが自分の出発した地点まで相手をいざない、戻ってくる。

3.部屋に戻り、目隠しをして灰柱になって歩く。じょじょに足裏、膝、腰をゆるめもっとも弱い立ちかたになってゆらぐ、衰弱体の歩行に移行する。闇の中のさまざまな魑魅魍魎にからだをいたぶられながら歩く。

4.20分間の探体に入る。統合的な原生感覚を保ったまま、からだの闇から立ち上がってくるサブボディの序破急を探る。

2006年8月1日

 

半眠半覚瞑想

1.半眠半覚状態に入る

サブボディは意識と下意識の境界線上でゆらぐとき、あるいは、半眠半覚状態のとき、もっともよく活性化する。

一日中いつでも、サブボディからのその傾向を示すサブシグナルを感じれば、事情が許す限り直ちに座るか横になり、うとうとしながらサブボディの微細なクオリアを味わう。

2.大きい自己と小さい自己

覚醒中の意識は小さい自己、半眠半覚状態のサブボディは大きい自己、すなわち自全(自分の全体)なのだ。

3.自全サブボディの<自全ぬめり>

3.サブボディは、ぬるぬる、もやもや、とろとろとした手触りがする。そして、いつもゆっくりどこかへ動こうとしている。この<自全ぬめり>をつかむのがサブボディ界にはいる極意だ。

4.独特の多次元傾向性

サブボディのゆらぎはいつも何らかの傾向性をもつ。微細で多次元の傾向だから、なかなかつかみにくい。だが、それが独特の多次元傾向性というものだ。三次元界の単純な傾向のように、XYZ軸いずれかの方向へ進んでいくというようなわかりやすいものではない。常にあらゆる次元と共振して多次元にゆらいでいる。あそこへもここへも行きたがっている。上記の<自全ぬめり>とこの独特の<多次元傾向性>を捉えることができれば、灰柱や衰弱体が俄然面白くなる。

5.多次元微細ゆらぎに耳を澄ます

呼吸でからだが膨らむ。からだの部位のどこか、たとえば腰の辺りと頭の血管がわずかに充血するのを咸じる。酸素を得た細胞たちが活性化してびりびりした信号を発して喜んでいる。脚が重くなる。喉元にある血液成分感知器官が血液成分がわずかに酸性化したり、粘性が増した傾向を捉え、すこし変な気分になる。血圧が微細に変化している。からだの一部が温かくなる。温かさもいつもゆらいでいる。口の中の粘液を感じる。耳の奥で別の音が鳴っている。これらの個別のクオリアは、すぐ全体のどろりとした<自全ぬめり>の中に溶け込んでいく。

1から5を十分に味わう。

 

リップル共振技法の繊細さ

(ここから先はサブボディ産婆コースの研究生用に記す)

6.自他のサブボディに成りこんで聴く

自全ぬめりに中には、自分ひとりのサブボディだけではなく、ほかの人のサブボディも含まれている。これが自他未分化なサブボディ界の特徴だ。たとえば私は、毎日生徒のサブボディの体感にもなりこむ。3週目を迎え、今どういう状態になっているか、次はどこへ進みたがっているだろうか。これら自他の自全ぬめりの微細なゆらぎを聴いていると、そのうちふと何かを思いつく。大概は練習を次の段階に進めるアイデアだ。

7.湧き出る着想をメモする

アイデアが湧いてきたらすぐ書き留める。手元にいつもメモかノートを置いておく。小さなアイデアは小さなメモ帖に、長くなりそうな着想はノートに書き分けると良い。このメモも明け方訪れた着想を半眠半覚状態で記している。すぐ書かないと忘れてしまうからだ。

8.サブボディが求めている鮮深響を聴く

サブボディはいつも新鮮さを求めている。面白いと感じたらとことんいくが、それが感じられないと動かない。ある段階では、もっと深みのあるクリアに興味を示す。なんだか知らないが自分の深いところにつながっていそうな気配がすると、いやでも引き込まれていく。

生徒のサブボディはいまいちばん何を求めているだろうか。一人ひとりのからだになりこんで感じてみる。次は何か、自全・世全のどの次元に降りていきたがっているか。何に触れればもっとも新鮮に、あるいは深みを咸じて喜ぶだろうか。

生徒のからだになりこんで、そのからだをいくつかの練習プランにくぐらせてみる。

たとえば、共振タッチではじめるのがいいか。乞食瞑想から入るかそれとも始原生命瞑想か。呼吸から入るか、からだほぐしからがいいか。目隠しをして原生体感を思い出すか。皮膜の距離で生体共振を感じなおすか。

いずれも、日常体にとっては、とんでもなく突拍子もない異次元だから、無理にはいけない。生徒達のサブボディがそこへ行きたがっているというサブシグナルをつかんでそれを増幅する以外ない。

そのサブシグナルが出てこなければ、別の回り道をたどって、別のリップルを刻む。さざなみのように心地よく少しずつ変化していくプロセスなら、どんなサブボディにも無理なくたどれる。

9.自他半々の状態を保つ

生徒だけではなく、常に自分のからだにも聴く。自分が一番実現したいことはなんだろうという自問を発しからだに聴きこむ。自分に50パーセント、他人に50パーセントきっちりつりあうように耳を澄ます。自他のどちらかに偏っていはいけない。どちらかが窮屈になる。サブボディは窮屈さを最も嫌う。自分のなかにその傾向性が感じられないときに、ほかから強いられていると感じてしまうとこわばって動けなくなる。

10.日常体との接点

土日の休みの後は,特に慎重を要する。土日の休みの間に日常界にたっぷり触れた生徒のからだが粗大なことのみに反応する日常体に戻ってしまっている場合があるからだ。土日の間も、朝夕のゆらぎ瞑想、調体、灰柱の一本ぐらいは最低でも自分で続けるよう指導する必要がある。

11.月曜の練習メニュー

休みの後の月曜日は、まず、リゾタッチから入り、心地よく日常意識と日常体を鎮め、ゆらぎ瞑想や体底呼吸から、自分が子宮内の胎児だったころを思い出す胎内遡行瞑想か、始原生命の動けないクオリアになりこむ始原生命瞑想などから始める。

目隠しをして、生き物としての原生感覚を取り戻す練習も効果的だ。目隠しをしたまま動き、人に出会えば皮膜の距離で生体共振を味わう。とにかく、心地よさのリップルを次から次へ刻むことだ。

それらを生徒の反応を見ながら、持続時間を調整し、最適の流れを創っていく。

すべての練習は一期一会の共振から生まれる即興作品だ。うまく進めばとんでもないところまでいける。

 

12.リップルの反応サブシグナルに耳を澄ます

始まりから終わりまで、ひとつの練習から次の練習へ、心地よく共振するリップルを繋いでいけた日はよい一日になる。どんな不思議な世界へいざなわれようと、生徒の多くが満足する。

それができるためには、サブボディの教師は自分が提起するひとつの練習が生徒のからだに十分染み込んだかどうかを、じっくり吟味した後、次に進む。染み込んでいなければ次の練習との間により細かいリップルを挿入して様子を見る。急いではならない。自分の予定などに囚われてはならない。からだ中のすべての細胞が生徒のサブボディと共振するコーボディに変成してはじめてサブボディの教師になれる。

13.どこまで微細なシグナルをキャッチできるか

それに反して、一日の終わりの感想を交換するときに、「今日は難しかった」という生徒がいれば、その日の練習の導入で、意識を鎮める調体が不十分だったという証拠だ。サブボディの教師は、自分がそれを見落としていたことに気づき、次はその生徒がまだ十分にサブボディモードに入っていないというサブシグナルをキャッチしようと目を光らせなければならない。動きがわずかに重くなったり、顔がわずかに翳ったり、姿勢が固定したり、余所見をしたり、席を外したり、とサブシグナルは無意識の日常行為やしぐさに形を借りて現われる。暗闇のなかにささいなサブシグナルの気配を察知する猫の目を鍛え続けねばならない。あいては、なにしろ本当に微細な微細なサブシグナルだ。見落とそうとすればいくらでも見落とせる。だが、それではサブボディの教師になることはできない。