April 2006
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  2006年4月
秘密の変成の場所としての学校
自我を止めると共振が聴こえる
カラビヤウゆらぎ
ポールのミル・プラトー
原生感覚を開く
オリジナルクリーチャーへの変成
マリカの左手が踊りだした
サブボディは自全に向かっている!
ミル・プラトー開始
いかに共振体になるか
サブボディというものの発見
世界で最も創造的な場
内向チャンネルを開く
なぜサブボディはこんなに面白い<破>を編み出せるのか
2006年4月
第7週目の記録

秘密の変成の場所としての学校

サブボディ学校のコースと内容を下記のように変更した。舞踏者を育成することから、サブボディ共振メソッドを学んで自分の生き方をより深く変えていくことに重点が移動している。サブボディとは、私達のちいさな自己から自分の全体(自全)に向かっていこうとする創発的なプロセスだということがじょじょにはっきりしてきだしたからだ。サブボディ舞踏を創るのはその中核的プロセスであるが最終目的ではない。

初心者コース 1ヶ月
(サブボディ共振メソッドを学んで、下意識界を旅し自分の全体に触れて、世界と共振している自分独自の踊りを創ってみたい人向け)

創造者コース 3ヶ月
(共振理論に基づく創造者として生きる方法を学び、創造者としての自分に変わりたい人向け)

共振者コース 1年
(サブボディ共振技法の全体を学び、共振を基本とした新しい生き方を始めたい人向け)

産婆者コース 3年
(サブボディ共振技法を深く身につけ、ほかの人がサブボディを見つけ、共振に気づいていくことを助けるサブボディの産婆となる生き方を深く探究したい人向け)

総じて、これまでの舞踏学校から共振を基にした新しい生き方を学ぶ場所という性格が強くなりました。自分の生き方を真剣に考えている人は一度サイトをじっくり旅してみてください。きっとあなたの生き方を見出すヒントが見つかります。

3
月から、長期コースと1週間コースを併設してきた。ここは旅人がおとづれる土地だから、サブボディに興味があり、どうしても体験したいが、来週のフライトで帰る予定だというような人が結構多いため、旅人向け一週間の体験コースを設けていた。

すると、長期コースの人と短期コースの人が同時期に並存することになる。これにはメリットとデメリットがある。メリットは、短期コースの人が長期コースの人にいい意味で共振し、見習うことで、早期にサブボディとはどういうものかの概要がつかめることだ。

だが、デメリットのほうが大きかった。短期コースの人が長期コースの人を見よう見まねで見習い、同様の動きを搾り出そうとすることによって、からだにじっくり聴きこむ作業がかえって疎外されてしまう弊害があった。

また、長期コースの人が自分の独自のペースを見つけてサブボディを育てていく時間性が、短期の人向けの促成栽培的な時間に影響されることで、その独自のじっくりした時間のなかで見つけたサブボディを育てていくことに集中しにくくなる弊害が出た。このデメリットのほうがはるかに問題だと実感した。私自身一見うまく進んでいるように見える長期の人には安心し、右も左も分からない短期の人の世話に追われることで、長期の人がぶつかっているより深い問題にビビッドに対応できなかった。

5月からは、幸い一ヶ月コースの予約者が10人近くある。この人たちが一月かけてサブボディを見つけ育てていく時間性をメインにしよう。短期の旅人コースを受け入れるのはしばらく停止することにする。1週間だけの人が参加するとどうしても1ヶ月かけてじっくりからだの闇に聴き込み、サブボディを探し、育てていこうとする人の時間を損なってしまう。

私自身、もう1週間でサブボディの何たるかを伝えるというような無茶な荒業に取り組まなくても済むことになる。世界を各国あたり数日間のワークショップと公演で回っていたころの性急な時間性からもうそろそろ自分を解放してやろう。下意識に潜り、からだのことで変化が出てくるには独自の時間がかかる、その固有の時間性を大事にしよう。ここヒマラヤに拠点を設けた意味はそういう落ち着いた時間性を大事にすることにあるのだ。そして、からだのことには1ヶ月ではなく3ヶ月、3ヶ月ではなく1年、1年ではなく3年、年ではなく10年……と、長い時間がかかることを理解し、そのじっくりした自己変成の時間をたどろうとする人たちに来てもらえるようにしよう。学校とはもともと人がそういう秘密の変成を遂げる場所なのだ。

自分が本当にやりたいことはなにかをからだに聴き続けていると、微妙なゆらぎの中から新しい方向が浮かびあがってくる。今回のコース内容の微妙な変更もからだに聴き続けている中から出てきたものだ。私ではなく私の全体がこの方向に進みたがっている。


●自我を止めると共振が聴こえる

自我意識を止めること。すべてはそこから始まる。自我は共振しない。私は私、他者は他者という垣根の世界に閉じこもっている。だが、自我を止めてからだの闇に耳を澄ますと、下意識域でからだと一つになっているサブボディがほかの命や世界と共振しているのが聴こえてくる。

もっともか弱い、ほとんど泣き崩れそうな、消え入りそうなクオリアを探す。みすぼらしいクオリアほど強い共振力をもっているのだ。

そのクオリアをからだの中でゆらしてみる。腰をゆっくりまわし、からだに最も気持ちのよいゆらぎをみつける。そのゆらぎにか弱いクオリアを乗せてゆるがせる。

呼吸と共にそのクオリアが少しふくらんだり、しぼんだりするのが分るだろう。萎んでいくときにそのクオリアに注目する。少し別のクオリアに変化していないかい?

その少しの変化を次の呼吸で増幅する。すると、また別のクオリアがからだから立ち上る。クオリアとクオリアは類似によって共振する。この類似の連想を使ってどんどん別のクオリアを膨らませていく。最初のクオリアからずいぶん違ったクオリアがからだの闇から立ち上っては消えていく。今週はこのカラビヤウゆらぎをメインに、さまざまなクオリアが立ち上るからだに変成する旅にガイドする。

 

カラビヤウゆらぎ

(図は、フランスのCG画家コロナさんによる。ご好意で自由に使わせていただいている。)

新しい生徒に上のカラビヤウの図を見せる。「これなんだと思う? 当ててごらん?」 たいがい見当も付かないようだ。

「原子核は陽子と中性子でできている、その陽子や中性子はさらに小さい三つのクオークという素粒子でできている。その素粒子はまた、もっとちいさな振動するひもでできている」というひも理論を紹介する。そのひもはこの4次元だけではなく、小さく折り畳まれた7次元を含めた11次元で振動している。そのひもの共振パターンの変化で、この世のあらゆる物質や力ができているという説なんだ。私はクオリアもまたこのひもの共振パターンの変化から生まれていると思う。

このひもは11次元を縮んだり伸びたりして振動している。11次元だから想像を超える複雑なかたちになる。その無限の複雑さが、私たちのクオリアの無限さとちょうど対応している。このほかにはクオリアの無限さに対応するものなど考えることができない。実は上の図は11次元のうち6次元しか扱われていない。しかもそれを二次元の図に簡易的に示しているだけだ。じっさいの複雑さは想像を絶する。

今日は、そのひもを想像しながら、いろいろなクオリアを膨らませてみよう。そういって先ほどの一呼吸ごとに違ったクオリアをふくらませる練習に入る。

最初は座位で、生命ゆらぎからはじまって、五欲、八覚に色々チャンネルを変えながら膨らませていく。

次に立ち上がって、からだの体感や動きをふくらませる。からだに湧き上がった体感や動きから、一呼吸ごとに別のそれにどんどん転換していく。さらに音像や映像、感情や関係、世界像と自己像のチャンネルへと転換していく。初めてやっても、からだの中からこんな色々なものが次から次へ出てくることにみんな驚く。すべての人間のからだの闇には生まれながらにして無数のクオリアが詰まっている。ただ、これまではその適切な開き方が見つかっていなかっただけだ。

サブボディメソッドの、八覚理論や、微分増幅技法によって、それがうまく導かれて開かれていくことを毎日ここで実践している。みんなでやれば人間のからだはもともと共振できるようになっているからすぐからだで分る。ごちゃごちゃ説明する必要などない。からだの闇の偉大さに毎日感嘆する。たぶん世界で最初の、からだの闇のクオリアを開く実験がここでなされている。

第6週目の記録

 ポールのミル・プラトー

ポールは、ノルウエーからアジアまで、1200ccのバイクで疾駆してきた。ロシア、ヨーロッパ、トルコ、イラン、パキスタンなど無数の国境と砂漠を越えて、インドにやってきた。ノルウェーでは日本の文楽のような操り人形師をしているという。

彼の踊りは、何ものかがサブボディ内でひしめき、せめぎあう激しいセルフコンタクトを見せた。まるで、自分のからだを操り人形のように扱う、生粋の人形師だった。

3週目に彼は<序破急>の極意の何ほどかをつかんだ。それまでのうちにこもるばかりの息苦しい踊りの中に、ふいと別次元からの風を引き入れるようになり、とつぜん鮮やかな展開を見せるようになった。

<序破急>以外にもサブボディメソッドから、多くのものを学んだという彼はしばらくヒマラヤ山中を走って後、ノルウエーに帰り、また操り人形劇場にもどり、しばらくして中国、南米まで走破する計画だという。またきっと来るよといって颯爽と走り去った。

共振力とエネルギーを高めたミル・プラトーは、とどまることを知らず、あらゆるボーダーを越えて増殖し伝染していくだろう。よい出会いだった。

ポールの個人創造を見る

  生感覚を開く

<生き物にとって、もっとも原生的、原始的なクオリアとはなんだろう。そして、それを使いこなすコツとは?>

私は自分にとってもっとも課題となっていることは、すべて寝る前にサブボディ(下意識身体)さんに質問して眠りに付く。すると、サブボディさんは夜を徹してどこやらを探し回って、最適の答えを翌朝には出してくれる。私のサブボディメソッドはすべて、こうしてサブボディさんからの示唆によって創られたものだ。

今回の質問はちょっと厄介だったので最適解まで到達するのに二日かかった。でも、今朝方、夢うつつの中で、サブボディさんがなにやらからだを固くして説明している情景をみた。そこでからだにすごく力が入っているのが感じられた。わたしもあなじようにからだに力を入れてみた。とたんに分った。

そうか!

からだを動かし、自分のからだを感じるという体動チャンネルが生き物にとってもっとも原生的なチャンネルなのだ。それはアメーバなど原生動物の身になればすぐ分ることだ。映像や音像のチャンネルは彼らにとって持ちたくてももてるわけがない。だが、すべての生物は自分のからだの動きとその体感を感じるクオリアはもっている。それがもっとも基本的なクオリアであることに気づいた。

昨日ポールがシーアネモネ(イソギンチャク)のオリジナルクリーチャーに変成したリアルな動きが目に浮かんだ。そうだイソギンチャクたちにも体動チャンネルはある。アメーバはそれをもっと原始的な形で持っているだろう。

今日の練習は、このもっとも原生的=原始的な感覚を開くことに絞った。

朝から全員にタオルを配って目隠しをしてからだに聴きこんだ。はじめは恐る恐る動いていた人たちもじょじょに闇に慣れてくる。さまざまな体位で動く。そのうちの誰かが動きを止め、ほかの人はその人を探す。手触りだけで仲間を弁別する。見つけたら手触りや、色々な刺激を与えて、その生き物の素性を探る。次は全員が息の音を出しながら動くなか、誰か一人を探す。仲間を息の音だけで弁別する。次は呼吸音と体腔息声のあわいの息声を出し合う中、誰か一人を探す。見つけたら、つついたりさまざまな刺激を与えてどんな生き物なのか確認する。

つぎは、いよいよ外界に出る。ペアになり一人が目隠し、もう一人がガイドする。ホールの周りは、さまざまな地形になっている。草地や、割りかけの薪が散乱する土地、石段、白砂を敷き詰めた竜安寺型の石庭、荒地などなどだ。そこを目隠ししたままはだしでたどる。スタッフのロメスの手も借りて、ときどきガイドがスイッチする。目隠ししている人は今誰が自分をガイドしているかも分らないままガイドされる土地に踏み込む。

これは新鮮な体感を呼び起こす。誰もがだんだんわくわくしながらたどるようになる。闇の中で野外に出ることで足裏感覚、原始感覚がよみがえる。

20分の闇の旅を終えて帰ってくるや否や、昨日の固有サブボディ=オリジナルクリーチャーの動きをさらに発展させて、さまざまな事件に遭う動きを創っていく。闇の中で得た原始的な体感がそこに織り込まれる。

午後からはさらにさまざまな予期せぬ別次元から襲ってくる事件に遭遇する練習をたっぷりした後、<序破急>をつくっていく。一つの目のオリジナルクリーチャーが予期せぬ事件に遭遇して難儀する。そのうち第二の想像上の生き物に変成する。そこにさらに第二の、第一の災難を超える突拍子もない災難がふりかかる。二週目三週目の生徒はその後その生き物の衰弱・崩壊・臨死・臨生までたどる。

今日のサブボディ災難劇場はじつに面白い<序破急>が出てきた。人のからだの闇にこんな面白いものが詰まっていることを見るのは毎回の産婆冥利に尽きる。今週の参加者のマユミは、自力整体の技能を持つ。彼女の世界でもクライアントに動いてもらうことはあるが、型のある動きだった。こんなに自由なそのひとのからだから出てくる動きを解放させる道があると、はじめて知った。こういう動きこそその人を真に癒すのではないかと感じたという。

そうだ。これは野口晴哉さんが編み出した活元運動という自発的な動きを、さらにもっと創造的な下意識を引き出して深めているものだ。下意識の創造性をここまでからだの動きとして引き出せているメソッドはまだ世界に類例がない。飛び切り面白い世界が現出してきた。

ここまで来れたのは、まだこのジャーナルにくわしく紹介していないが、一人ひとりのサブボディの動きに他の人が、呼吸音と体腔音のあいだでゆらぐ、原生的な息声で共振することで、分厚い共振場を作り出せてきたことが大きい。そのうち音像ジャーナルも作って、紹介するつもりで録音もしているのだが、写真・ビデオをアップするだけで手一杯でまだ手が回らない。そのうち出てくるのでご期待ください。昔から、踊りのときの音楽として、胎内音のようなものを使いたいとずっと思ってきた。聴診器で録音したこともあるがうまく聴こえなかった。なんのこたあない。人間の声になる以前の体腔息声など、こつさえつかめば極簡単に誰でも出せるのだ。


●オリジナルクリーチャーへの変成

すべての人のからだの闇には太古の生き物の記憶が刻印されている。それを解き放つことでサブボディへの坑口がみつかる。だれもが世界でひとつの自分だけの踊りの創始者になれる。そして人類のもっとも大きな共有財産である私たちのクオリアを少し多彩にすることができる。 

まだ自分が人間であることなど知らなかった、胎児の頃に子宮内で見ていた夢を思い出す。お互いのからだに耳をつけ、心音、呼吸音、内臓音などを聴きあう。そ
れは胎児の頃に毎日聞いていた人生最初の音楽体験である。その胎内音を聴きながらどんな夢を見ていたのか。みんなで一つの大きな人間子宮になって10ヶ月の胎児生活を追体験する。たった一つのアメーバのような単細胞から、蛆虫のような無脊椎生物となり、やがて背骨ができて魚の形となる。両生類、爬虫類を経て、哺乳類にメタモルフォーゼしていく。そのプロセスは三木成夫が深く研究している(『胎児の世界』中公新書他)。三木は生命記憶という概念を使う。私たちの生命には5億年の地球生命の進化の歴史が刻み込まれている。私たちが感じるクオリアの中には、それらの生命記憶も含まれているだろう。いろいろな段階の生物の動きや独自のタイミングを対体験してから、自分のサブボディにとってもっともしっくりくる生物に変成する。

いつもの20分の自己探体の時間のあと、各自がそれぞれのオリジナルクリーチャ(固有生物)になりこみ、全員でそれをシェアした。ポールはシーアネモネ(イソギンチャク)になった。からだごとその体感になりこみ、気持ちよさそうに揺れている。ときどき他の魚がちょっかいに来るのに対応する。からだが微細な触手になりきっている。

マリカは鳥の雛。上を向いてくちばしをパクパクしている。体を探っているとなんだか背中の肩甲骨あたりが翼になりたがっているような体感を得たという。

今日から参加のマユミは、
Raviという名の象になった。ものぐさそうに起き出して辺りを徘徊する。なかなか象の体感をよくつかんでいる。

もう一人の新参加者マキは、なにか得体の知れない想像上の生き物から鳥へ変容した。ちいさな単細胞からの変容の体感がからだに新鮮だったという。

午後からはさらにそれらのオリジナル・クリーチャークオリアをいろいろからだの中でゆらがせてその一生の体験へと深めた。

灰柱から、舞踏の巣、そして、自分独自の生き物に変成し、その衰弱・崩壊、できる人は臨死・臨生までを踊る。なにから何まで自分の体から探し出してきた踊りだから、今日はなかなか新鮮な体感を得たと、ポールもマリカも言う。これは去年までは初日か二日目にやっていたことだが、2,3週目にやるというタイミングがいいのかもしれない。先週までは結構ハードな、最深サブボディの探究というような狭いところへ追い込んでいたから結構きつかった。今週はサブボディがなかなか伸びやかだ。長期コースを設けたおかげでこういう練習メニューの<序破急>にさまざまなうねりを設けられるようになってきた。

第5週目の記録

マリカの左手が踊りだした

オランダから来たマリカは、左手がかわいい赤ん坊の手をしている。明るい気立てのよい娘だ。そのマリカが創っていた自分の踊りを、4日目に急に退屈だと言い出した。マリカの踊りは膣から皮膚がまくれ上がり、子宮が外界に露出するからだになり、悪夢に追いかけられるが、足が動かないというけっこう濃い踊りを創っていた。それが退屈だと。

「そうか。じゃあ、いよいよ、その左手が踊りたがっているんだよ、左手に聴いてごらん」といった。来週から取り組めばいいと思っていたが、そのときは意外と早くやってきた。

マリカは、大きな動きの後、左手の踊りを始めた。小さな手の甲がぴくぴく動くたびにこころの底から揺さぶられる。人間にはちいさなものをいとおしく思う感性が刻まれているのだろうか。そして、最後にはその手を口の中に入れ始めた。小さい頃からずっとそうし続けていたという。その踊りを創ってからなにかのつっかえが降りたのだろうか、マリカは半時間ほど泣いた。マリカのその踊りがもたらす強さは一緒にいたほかの生徒を強くゆさぶって、もっと深い踊りを探さねばと、突き動かしたようだ。今週はみんなの踊りが日ごとに急速に味わいが深くなっていった。マリカの不自由な左手の踊りにはなんという力が秘められているのだろう。

世の中の偏見のまなざしに長い間堪えハンディキャッパーという境遇に押し込まれてきたマリカのからだには強烈なくぐもりのクオリアが詰まっている。それは、こんなふうにある日世界の中心で踊りだして、世間から受けてきたものを世界に投げ返すことが必要なのだ。

世界中の心身障害者の方に呼びかけます。

ヒマラヤへ来て、サブボディ舞踏を創りませんか。あなたが抱えもつ差異の深い味わいを世界に投げかける踊りを。かたちや機能がどんなに違っていても、それはわたしたち人間すべてが分かちもっている差異のひとつに過ぎない。私たちは互いの差異を味わいあうことで限りなく豊かになれる。差別されるいわれなどどこにもない。

それどころか、大きな違いを持った人ほど、人間界のクオリアを豊かにする大きな価値を持つのだ

そのことに自信を持とう。とびきり味わい深い強烈な踊りを創って見せることで世界中の偏見のまなざしをひっくりかえしていこう。

サブボディ技法とは、わたしたちが抱えているマイナスとされている札を、すべて一挙にプラスの札に転化する生存の技法なのです。


●サブボディは自全に向かっている!

舞踏生から出てくる見逃しがちなサブシグナルによくよく聴き入ってみると、からだの闇の新しい局面にさしかかるごとに、そのエッジの前で立ち止まり見知らぬ世界に入らぬよう引き止めるちいさなエゴと、好奇心に満ちた、自全に至ろうとするサブボディの間で両価的にゆらいでいることが分る。そして、サブボディとはいつも自全になろうとして流れている志向性を持ったからだの闇の胎動なのだということがだんだんはっきりしてきた。

そう、誰のからだの中でも、自分の全体に触れてみたいという衝動と、やめておけと引き止めるちいさな自我とが同居している。

からだの闇への旅の途上に、先週生徒から出てきたサブシグナルを検討してみよう。(私はこのサブシグナルとエッジという考えをアーノルド・ミンデルから学んだ。ミンデルがいなければサブボディメソッドはいまだに完成していなかったろう。感謝!)

<笑い>

笑いはいつも両価的だ。ポールが悪夢の中で自分のペニスをつかんで食べる動きをした。マリカもアンドレアも笑った。面白い!私もやってみたい! けどできない、恥ずかしい……など実に両価的なクオリアが笑いには含まれている。笑いはいつも意識と、下意識のゆらぐあいだから立ち上る。

<怖れ・ためらい>

ここから先は危険だ、変な世界だから行くなと引き止める衝動は誰もが感じる。それが出てきたら、それを認め味わってみることだ。すると、行くなという一色ではなく、行きたいという好奇心もあることが分る。自分のなかに行きたい好奇心があるから、それを引きとどめようとする衝動が立ち上るのだ。

<新鮮>

膨らんで萎む動きにマリカはなにかを感じたようだ。こういう羊水ゆらぎ的な動きへの新鮮な快感は誰もが胎道Ⅰ期の体験に関連して味わうものだ。

<退屈>

創ってきた自分の踊りに退屈を感じたと4日目にマリカは言った。そういうときこそ新しい深みへつながる動きをからだが欲しているときだ。私は左手が踊りたくなっているかどうか聴いてごらんといった。

<深>

なんだか分らないが、それが自分の深みにつながっているような気がするときがある。<鮮深響>のうちの<深>とよぶ未知の快感だ。からだの中の甘い体感が、奇妙なものに変わる瞬間に妙なものを感じたと、マリカもポールもいった。そう、それは胎道Ⅱ期の子宮収縮が始まる異変を察知したときの、根源的クオリアなのだ。だれでもこの羊水天国の終わりを告げる異変のはじまりのサブシグナルには敏感だ。

<腕しゃぶり>

マリカが見せた左腕の腕しゃぶりは、自分独特の赤子時代のクオリアにつながる坑道だ。それをたどる道で色々な忘れていたものにぶつかる。

<赤子泣き>

マリカは左手の踊りを創った後、20分間泣きつづけた。なにかつっかえが降りたのか、完全に赤子時代のクオリアにふけっていた。これらも、<深>のサブシグナルの現われだ。

<苦痛>

自分の腕が顔に張り付いて取れないというセルフコンタクトの動きを、ポールはもう2週間ずっと続けている。それがよほど自分の深みにつながる体感をもたらすのか、あくことなく探究し続けている。からだに未知の異変が起こり、もてあそばれつつ苦痛の中に放り込まれていくという体験は、われわれが皆通ってきた胎道Ⅲ期の、子宮収縮が無限に続くかと思われる恐怖体験につながっている。出口なしの底なしの恐怖。そこから生物学的怒りも湧き上がってくる。その動きを追求している中、行き詰ったら、別の動きやチャンネルに転換すればよい。<破>から<破>へとサブボディが渡って行くときは、からだの闇に自全に至る道を模索しているときだ。存分に探し回ればいい。

<不興>

今日は自分の踊りに何も感じられなかったと、5日目の終わりにマリカは言った。なにかまだ違う。私がぴったり来るのは、このタイミングじゃない。マリカはそういう感覚に実に鋭い。その疎外感を感じたら、もっとあれこれ探って、ぴったり来る動きや間合いを探って見つけるチャンスだ。自分のサブボディが本当にやりたい動きを見出すまでその探索は続けられる。

<美しい世界に帰りたい>

ヨーロッパのダンサーの多くは必ず途中で引き返したくなる。なんでこんな醜い動きばかりしなくちゃなんないの、と呼びかける自我の声だ。でも、この中になにか私の知らないもっと本当のものがありそう、とも感じて引き裂かれる。

<別の自分になってしまいそう>

最後はこの恐れが私たちを引き止める。これ以上進めば未知の自分になってしまいそうになる。それは誰しも怖い。自分は普通の人のままでいい、と立ち止まる。でも創造者として生まれ変わろうとする、創造的サブボディの勢いに身を任せて、最後のエッジを乗り越えると、多くの人が、生き方が変わってしまう体験をする。創造者として生きることの味をひとたび覚えればもう止められない。ダンサーやパフォーマーになるのだと決めて、このサブボディ・ホールを後にした人も多い。

あるいは、自全に触れて、新しい自分としての生き方を模索し始める人もいる。先月の沙羅は、パフォーマーとしての自分と日常の自己との分裂が統合されて、自分にとって今までのようなパフォーマンスをしていく意味が見失われてしまったという。もう一度深く、踊る意味を問いかけなおしていることだろう。

<急>そして<響>

ある一つの踊りを見つけることで、生き方が変わってしまうようなサブボディに出くわすことがある。その踊りなら何万回でもできそうな気がする。それが<急>のサブボディだ。自分の中の天地が鳴動する<響>の境地でもある。それが見つかれば、その人は生涯の踊り手として生まれ変わる。その踊りは生涯の盟友となる。ことあるごとに、さまざまなものを教え続けてくれる。私にとって、「伝染熱」、「死者熱」、「赤子落とし」、「感染後」という踊りはそういう、自己にとって盟友となった踊りである。私のサブボディメソッドのすべては、伝染熱サブボディがことあるごとに示唆し、導いてくれたものだ。舞踏学校創成へ続く、私の後半生の可能性を開くすべてがあの短い踊りに詰まっていた。

 

●ミル・プラトー(舞踏生の変成 千の高地)開始

最初の一ヶ月コースの修了生、沙羅のサブボディ舞踏を写真とビデオに撮り、彼女の文章と共に「ミル・プラトー」の1ページにまとめた。これを皮切りに生徒の創造がどんどん蓄積されていこう。それが千の高地となり、リゾームの連結・増殖を繰り返して世界を浸潤していくだろう。根底的な変革がはじまったのだ。世界は共振の予感に震え始めている。

 

リゾームになれ、たったひとつの秘密になれ。
蜜蜂の群れ、モグラの穴、伝染熱となれ。
あらゆるものと連結し、直ちに断絶できるからだとなれ。
繰り返すな。無限の多様体を変奏せよ。
飛ぶ肛門、高速の膣、そしてただちに死者のまなざしとなれ。


からだの闇に、もっとも醜い、みすぼらしい動きを探せ。もっともか弱い声音、いまにも壊れそうな顔、生死のあわいでゆらいでいる感情、人間からずり落ちていくからだを掘れ。

サブボディ舞踏学校では、こういう変成の訓練をつむ。
最低のものを肯定し、それに最高の<序破急>を与えることで、美に転形する。ひといろのクオリアに染まらず、わたしたちの世界を多様なクオリア共振で満たす創造的なサブボディとなる。

エネルギーを高めたサブボディは、自他の境界をやすやすと超え同時にコーボディともなる。それぞれが超伝導状態のプラトーとなり、リゾーム状に自在に連結・分離し、増殖・伝染によって世界にはびこり、流れとなる。

始めも終わりもなく、両岸を侵食し、真ん中で速度を増す流れとなる。


ミル・プラトー(舞踏生の創造)を見る

●いかに共振体になるか

先月は、いかに最深のサブボディを見つけるかに焦点を当てた。今月はそれも追求しつつ、同時にいかに世界やほかのサブボディと共振できるからだになるかを探究している。

どうやら分ってきたことは、みすぼらしい最低の動き、生死の境をさまよう最低の声、弱弱しい感情の振るえほど、深く共振できるようだ。大きい日常体の動きや、かっこいい動きにも確かに共振することができる。だが、それはうわべの共振になりやすい。だが、死にそうなクオリアに共振するとなると、心身の底から共振しないとできない。共振の深度が違うのだ。そして、ささやかで微妙なクオリアほど、わたしたちの微細な共振性を開いてくれる。どこまでも人間のクオリア共振は細やかに、微妙なニュアンスのゆらぎや震えまで共振できるようになる。

今月は、アルゼンチン、ノルウエー、オランダ、アメリカ、韓国と、異なる大陸の人が集まっている。みんな長く外国を旅したり、生まれた国以外で住んでいるコスモポリタンだ。各人が積んできた経験が、クオリアのゆらぎの味わいを深めてくれる。
みんな毎日遭遇するからだの闇の未知の世界にたじろぎつつ、恐る恐る探究を進めている。その恐る恐る闇に入っていく感じまで共有できているので、なんとか乗り越えていけるようだ。そう、未知の闇に触れるのが怖いのは自分だけじゃないことを知るだけで、すこし安心して、エッジに立ち向かっていけるのだ。

第4週目の記録/2006年4月

サブボディというものの発見

サブボディ舞踏学校で、下意識のもつ創造力をここまでうまく開くことができたのはなぜだろうか?

やはり、鍵はサブボディというものの発見にあった。
サブボディとは、下意識とからだが一体化したものだ。

これまで、フロイドもユングもその弟子の心理学者たちも、みな下意識や無意識をからだから切り離して存在しているものと取り違えてきた。

だが、それらは不可視のものだから、夢や神経症や身体症状といったかたちで噴出してきたものから媒介的に推測するてだてしか持っていなかった。

だが、わたしがからだの闇に見出したのは、下意識は下意識界ではからだと一体化したサブボディになっているという発見だった。そして、そのサブボディは、とても創造的なので、うまく導いてやれば創造界にその魅力的な姿をくっきり現すということだった。

精神分析者みたいに、病気として現われたゆがんだ形の下意識と接するのではない。個性的な創造力にあふれた下意識の最高の姿と接することができるのだ。

踊りというきわめて可視的なかたちで下意識の世界を透明に見ることができるようになる。

サブボディ舞踏を創造することによって、本人が自分の下意識も含めた自全(自分の全体)のすがたに対面できるのはもちろん、もし、サブボディを<序破急>技法によって美にまで昇華する方法を身につければ、自分のサブボディをほかの人に伝達することができるようになる。言葉など使わないから、それこそ国境を越えて世界中の人々が交信しあうチャンネルを持つことになるのだ。

これは人類にとって画期的なことだと思いませんか?

2006年4月4日

世界でもっとも創造的な場

ここはおそらく世界でもっとも創造的な場のひとつだろう。人々のサブボディがもつ創造的な可能性がほんとうに100パーセント発揮されている。

この世のあらゆる創造の天才が無意識裡に身につけていた創造の秘密をとうとう解くことができた。生徒のからだから毎日のように生まれてくる、とことん面白くて深い味わいのサブボディを見ているとつくづくそう思う。

ただ、サブボディを信じ、それに耳を澄ませるだけでいいのだ。そんな簡単なことだが、実現するまでには長い年月がかかった。サブボディは胎児のようなものだから、うまく生まれてくるには産婆がいる。

わたしは日々生徒のからだの闇に耳を澄まして、胎児の様子を聴く。まだまだという日もあれば、今日のようにどっとあふれてくる日もある。サブボディの出産現場に立ち会えるのは産婆冥利に尽きる。時々は死産の日もあるけれど。昔はわたしはまだこれに立ち会う覚悟ができていなかった。無理に他人の下意識を刺激したりすれば、とんでもないことになるのではないかと恐れていたのだ。だが、ここ数年の神経症と解離性障害の体験で自分の下意識から解離されていた怪物たちが噴出してくるのを体験した。わたしの解離されていたサブボディは母と第二の母だった祖母を失った怒りに狂い、きわめて暴力的な衝動に取り付かれていた。盲目的な殺意と、自死の衝動に震えていた。だが、そういうもっともたちの悪いサブボディでさえ、それを自分の全体の中の一員として認め、場を与えてやればじょじょに落ち着いてくることが分った。まだそれを踊ることは出来ていないが、暴発して暴れだすことは制御できるようになった。万一生徒からそういう危険なのが飛び出してきても思い切り抱きしめてやればいいことも体得した。暴力的な分身は、ただ、抱きしめてもらえなかったから暴れだすのだ。

2006年4月3日

日常体の粗大身を止める

開校以来4週目に入った。

今週はいきなり、日常体の粗大身を停止して、サブボディの微細なクオリアが聴こえてくる微細身の状態に入っていくようガイドした。

いつものように、ゆっくり腰を回すところからはじめる。自分の一番心地よい速度と大きさを探りながら、まわしていく。

そして、最も心地よいまわし方を感じることができ始めたとき、突然、超スローで、ちいさなゆらぎに切り替える。すると、すでに心地よくなっていたからだは、日常の意識モードから、下意識モードに切り替わる。その証拠は、あらゆる微細な体感が一挙に多彩な繊細さで感じることができるようになることだ。意識モードでは八覚のうち一度に一つのチャンネルしか受け止められないが、下意識モードではその制限がなくなる。同時に全身のどこかに甘くて心地よい体感が漂いだす。わたしはそれを甘露流と呼んでいる。その甘露を一つの部位から別の部位へ広げるようにからだをごくわずか動かす。すると甘露は全身を満たすように広がっていく。

内向チャンネルを開く

続いて、次々と八つのチャンネルの内向チャンネルを開いていく。私たちは誰しも八つのチャンネルを持っている。映像、音像、体感、動き、感情、人間関係、世界像=自己像、思考の八つだ。それぞれのチャンネルには、実際の外部世界に対応する外向チャンネルと、想像上のクオリア流を味わう内向チャンネルとがある。人により、時と場合により、そのどれかが使えたり使えなかったりしている。今日の練習は、そのうち粗大で強力な外向覚ではなく、微細でおぼろげな内向覚だけに焦点を当てて開いていく。

――これが去年まではうまく導けなかった点だ。それで粗大な外向覚と微細な内向覚を同時に開いてしまっていたために、サブボディといっても粗大なダンスのようなものが出てきがちだったをどうしようもなかった。今年は違う。強力な外向覚が開くのを抑え、微細な内向覚だけを開く。その方法が今年はじめてクリアになってきた。

・内向映像チャンネルを開く

目に映る外向映像の中に、想像上の映像クオリアが揺らぎ出るのを捉える。たとえば、ある空間を見つめているとそこになにか変な生き物のまなざしが浮かび上がる。そのまなざしと見詰め合うと内向映像流のチャンネルに入れる。顔を動かすとそのまなざしも付いて動く。目の端でにらみ合ったり、正面から見つめあったりする。あるいは、白目になって闇の中に浮かび上がる映像と戯れる。外向の視界と内向の視界のちょうど間を見つめながら、斜め上から斜め下にすばやく視線を走らせる。するとじょじょにからだの奥深く隠されていた影の人格がにじみ出てくる。その人格に合わせて、すこしずるい表情をしたり、にやっと笑ったり、何もかも見透かしているぞという顔をする。……などなど、実に多彩な方法がある。それで感じられる微細で妙なクオリアをたっぷり味わう。

内向音像チャンネルを開く

呼吸をしながら、そこに人間の声になる以前のさまざまなニュアンスのクオリアを聴きとり、増幅する。顔の形、呼吸のリズムを変えると実にさまざまのニュアンスで体腔からでてくる息声のクオリアのゆたかなバリエーションが感じられる。それを楽しむ。からだを動かしながら声を出すと、体腔息声とからだの動きが共振しあっているのを感じることができる。

内向感情チャンネルを開く

声が開くと、それは内向感情のクオリアと響きあっている。日常体の意識では喜怒哀楽愛憎など大まかで粗大な感情しか感じないが、それを止めると、じつに微細な諧調を持って多彩な感情のクオリアがからだの中を流れていることを感じとれるようになる。顔を自由に歪め、からだをひねりつつ、でてくるさまざまな情動や感情のさざなみを味わいつくす。

・内向関係チャンネルを開く

具体的な人間関係ではない、想像上の生き物とのかかわりを感じる。目の前の空間にさまざまな奇態な生き物が現われてはちょっかいを出してくる。からだを触られたり、いたぶられたり、からかわれたりする。そいつとしばらく存分にやりあう。そいつは形を変え、君のからだの一部を自由に操りだす。自分の意志ではないのにからだの一部が別の場所にくっついてしまったりする。想像上の自己コンタクトが起こりだす。やがてそいつはわたしのからだの中に入って自由に動き出す。からだに別の生き物に忍び込まれたり、乗っ取られたりする。

・内向世界像=自己像チャンネルを開く

最初は胎内にいると想像する。君はちいさな胎児だ。羊水に揺られて気持ちよくゆらいでいる。やがて子宮が収縮を始める、異様な異変に驚く。だが、とどめようもない。出口なしの苦痛を味わう。いつまで続くか分らない恐怖に叩き込まれる。生物学的怒りが出てくる。死にたくないと、必死で頭をねじって出口を探す。ようやく狭い胎道にもぐりこむ、死と再生のぎりぎりの苦痛と恐怖を乗り超えて、君は産み落とされる。

やがて、世界像は最初の子供部屋に変わる。君はその世界の王様だ。

そして、学校、社会、国、地球と君の世界像が変わるたびに、君の自己像も変化していく。そのクオリアの変化をたっぷりと味わう。さらに、自分の想像上の世界像の中にいる自分を味わう。砂漠や熱帯雨林、深海や大空の上、土の中などどんな世界にいる自分も想像できる。

・内向思考チャンネルを開く

外部の世界について、習い覚えた人間的な思考をめぐらすのではない。内向思考はからだから湧き上がってくる気づきを捉えることだ。ほのかな示唆、さっとよぎる思い、突然の直観、思い付き、ひらめきなどのかたちをとる。ときどき深い気づきが立ち上ることがある。目の前が突然明るくなり、霧が晴れて見通しがよくなる。古来から、悟りやエンライトメントと呼ばれてきた現象だ。からだの声を聴き続けていればしょっちゅう起こることだ。ことさら舞い上がらずにそっと受け止めればいい。自分に対するさりげない褒美として。

――今日はここまでにした。この後各自が自分のからだの闇に聴き入り、もっとも深いサブボディのクオリアを捉え、シェアしあった。もっとも醜い弱弱しく奇妙な動きほどいい。それを捉え抜群の<序破急>で見せること。今週は初日からなかなか微妙ないい動きが出てきた。

イギリスのダンサー、タミーは去年参加したドイツのサンバオからの紹介できた。想像以上にワイドレンジで驚いたが、からだ中の分子が共振するのを感じたという。同時に今まで隠れていた情動流がうごめき始めたとも。これが初日度とすると、この後一体どうなるの? きついけどとてもいい方法だと分ったという。

ノルウエーのパペットシアター(文楽)役者のポールは、自分のからだからなにかが流れ出ていったのを感じたという、これで明日からもっと深くへ潜れそうだと。

沙羅は、今日はとてもすんなりサブボディの世界に入れたという。4週目に入って不安も少なくなり、からだの闇に潜るコツがからだに染み込んできたようだ。

先週まで参加していたヒロが今週は休むという。どこかでエッジにぶつかっているようだ。エッジを克服するにはひとにより場合により時間がかかる。サブボディの産婆にとって、時間だけはどうすることもできない。ただサブボディ自身が生まれ出たくなる時を待つしかない。

(注:私はチャンネルについての基本を、ユングとアーノルド・ミンデルから学んだ。ユングは4つ、ミンデルの基本チャンネルは6つだが、私は必要上8つに分けて使っている。ミンデルのチャンネルについての考え方は『プロセス指向心理学』(春秋社)を参照されたい。)

2006年4月4日

なぜサブボディはこんなに面白い<破>を編み出せるのか?

いよいよ生徒のからだの闇から、<破>の動きが続々出てきだした。

サブボディ舞踏をやっていて、各自のからだから次々とはっとする<破>の動きが出てくる瞬間に出会うほど、心躍ることはない。何で一体、サブボディって、こんなに抜群のタイミングで面白い<破>の動きを見つけてくることができるのだろう?

まえまえから不思議に思っていたが、その答えはきっと、サブボディは意識のような既成概念に囚われていないから、一つの動きの次にどんな動きが出てきたら最も面白いかを、幾千万の可能性の中から見つけ出すことができるからだ。その点意識は、遅い動きの次には速い動きを、軽い動きの後には重い動きを、とか二次元的な反対物しか思いつかないから、出てくるものが詰まんないのだ。

だから、生徒のからだから面白い突拍子もない動きが出て出したら、意識モードではなく、サブボディモードに入れている証拠になる。安心していい。なかなかいい調子で進んでいる。快調すぎて、怖いくらいだ。この学校は一体どこまで深まっていくのだろうか?