January 2009
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サブボディ共振塾ジャーナル
2009年2月
2009年2月27日

生徒への手紙

これから入学しようとしている生徒、そして、
すでに一定期間を修了して自分でからだの闇を掘っている生徒たちへ。
去年までの衰弱体サブボディの探求の成果を踏まえ、
今年以降のからだの闇のサブボディとコーボディの区別がなくなる領域への
新しい旅の準備について書いておきます。

移動期間中の夢の体感

新学期を迎え、生活環境が大きく変わるこの時期にからだの闇に何が起こるか
つぶさに観察してください。
とりわけ、住み慣れた地域からインドという異なる文化の地へ、
そしてさらに辺境のヒマラヤへ移動する長い旅の間に
からだは無意識裡に交感神経が活性化し、異質な環境への警戒を高める。
アドレナリンが充満した非日常モードになる。
これは避けることができない自然過程だが、
日ごろは味わえない非日常モードのからだに何が起こるか、つぶさに観察するいい機会だ。
見知らぬ景観や文化、人々の暮らしやとりわけ目つきなど、
日常とは異なる経験に接すると、からだの闇深く眠っていた非日常的なクオリアが活性化し、
旅の途上での経験と共振し、からだの闇の布置が大きく変動する。
それが普段とは異なった夢や体感になって現れる。
とりわけこれから入学する共振塾で何が起こるか、
期待と不安に満ちた夢や体感が渦巻く。
旅の準備期間からそれは始まり、移動期間中の夢や気づきにつながる。
とりわけヒマラヤへついた初日に見る夢の体感を深く味わってほしい。
そこにはあなた独自の胎内体験、乳幼児期の家族体験に始まる人間関係の体験とトラウマ、
人類が500万年の歴史の中で味わった群れと個をめぐる無数の体験、
それらが普遍的無意識界に結晶した元型が渦巻きながらたち現れてくる。
それがこれから一年続くからだの闇の旅のプロローグだ。
今後のサブボディ・コーボディプロセスの基調音になる重要なクオリアに触れるかもしれない。

静寂体になり、微細覚に切り替える

重要なのは、日常的な情報処理のレベルではなく、
日常の言語意識を止めたときにだけ感じられる、
はるかにかすかなサブシグナルに耳を澄ますことのできるからだに切り替えることだ。
ふっとかすめる体感、
何気なくでてくるしぐさ、
不意に感じる予感、
夢、
白昼夢
誰かの言葉など、
どんなチャンネルを通じてやってくるか、予測できない。
しかもこれらサブシグナルは、
日常体にとってはシグナルとはみなされないノイズのようなかすかなかすかなレベルのクオリアだ。
それらのサブシグナルはからだの闇の状態の変化を伝えてくる。
ことばになる以前のからだの雰囲気、
映像や音像になる前のクオリア、
はっきりとつかめない体感、
徐々に満ちてくる生命傾向や欲動、
普段わたしたちはそれらを雑音のようなものと受け取って気にも留めない。
だが、そこに最も重要な命からのメッセージが潜んでいる。

日常意識レベルに比べ百万倍も微細な、しかもマルチチャンネルのクオリアに
耳を澄まし続ける微細覚を鍛え、育てる準備を整えてほしい。
日常の関係や情報にまつわる意識をすべて止め、
静まれる限り静まる静寂体になることからはじめること。

自我や自己から離れ、開かれたからだになる

からだの体感と動きのチャンネルを全開することがサボボディ・コーボディメソッドの特徴だ。
それはは生命にとってもっとも原初的なチャンネルであり、
人間にとってもっとも高度な、自己像と世界像チャンネルとも通じている世界だからだ。
ことばを使って考えるだけでは決して触れ得ない生命共振の世界に私たちは降りる。
あらゆチャンネルを全方位に開いて、すぐにからだの動きに転換できる
フレキシブルな状態を一年中持続することだ。
自分のからだの闇だけにこだわるのではない。
ほかの人のからだの闇から出てくる動きにも、
すぐ真似したり対応したりできる軽快さ。
自己にとらわれない身軽さを今年は学ぶ。
ぶっちぎりの楽しいことが起こる一年にするつもりだ。


実際、毎年毎年これまでに体験したこともない危険と希望に満ち満ちているような
面白い人生でない限り、生きる値打ちがない。
60を過ぎてますますその志向が過激になってきた。


2009年1月
2009年1月10日

Katsから疑問の手紙と、サブボディ・コーボディの共振


Lee先生へ、

こっちに帰ってきて、やっと何とか落ち着きました。今回は前のときと違って、あまり大きなカルチャーショックはなかったですが、やっぱりなんか違うなという感じが強いです。毎年帰ってくるたびに、この国に対しての共感が薄れてきているような...

この前のメールに、今回の共振塾は「なんか物足りなかった」と書いたことが自分の中で引っかかっています。やはり、Cobodyがなかったせいなのか、もともと閉鎖的な性質が出てきていたのか、世界中からサブボディー舞踏を学びに来ている人達とあって、誰とも知り合えなかった自分が不思議に思えて仕方がない。言葉でつながることを拒んでいたのはいいにせよ、Cobodyなしではそれ以外の繋がりがもてなかったというのも事実です。でも、どんなに衰弱体になっても、自分ひとりでは何の意味もないんじゃないか?という気がして仕方がない。

サブボディーに入れば入るほど、ほかの人の自我に対してのイラつきが強くなる。特に西洋人の自我は不快でしょうがなかった。でも、そう感じているのは、おいらの排他的な自我なんだろうか?そこがやっぱり引っかかってるんですよ。産婆になろうとすれば、この自我を受け止めようとする隙間を心の中に作らないといけない。だから、産婆になる訓練がもっと必要なんです。

後、パフォーマンスって何のためにするんだろう?今回の共振塾では、本当にただ揺らいでいるだけでよかった。逆にパフォーマンスをすることに対してイラつきさえ覚えた。サブボディー舞踏を突き詰めていくと、何かを作るとかパフォーマンスをするということ自体がいらなくなるんじゃないのかとさえ思えてくる。パフォーマンスをするという行為自体が、自我のなせるわざのように思えてきて、おいらは何のために舞踏を踊っているのか?という疑問が強く現れてきてます。

また九月までの九ヶ月いろいろ考えて見ます。

Kats

Katsのサブボディにわたしのサブボディも共振していた

Dear KATS

そうです。今年の授業が終わった後、ちょうど、わたしも同じことを感じました。
今年は8月までは、サブボディとコーボディのバランスをうまく保って、今までにない衰弱体による微細共振の練習をかなり積み重ねることができていたのですが、9月に4人の3ヶ月生を迎えたとたん、また一から出直さざるを得ず、3ヶ月でサブボディとコーボディの両方は無理と断念して、急遽サブボディの方へ急ハンドルを切ったのでした。
おかげで、生徒一人ひとりはソロの創出に追い込まれることとなり、ソロとしてはかつてない深みのあるものが沢山生まれ出てきました。それは今年のならではの収穫だったのですが、でも、コーボディ共振の達成を犠牲にすることになりました。
それがきみにとっても、何かが足りないと感じさせたものだと思います。
私も終わった後、何か間違ったことをしてしまった気がして、一時は校名をサブボディからヒマラヤリゾナンススクールに変更しようかと真剣に考えたほどです。
それはまた無理すぎると思いなおしましたが、なんにせよ、サブボディとコーボディのバランス・融合をどう図っていくかは、いまだに未解決の課題です。今年はもう3ヶ月生はなくなるので、一年単位でじっくりこれに取り組むつもりです。
きみも今年のクラスでいろいろ試してみてください。

もうひとつ、サブボディモードになればなるほど、自他のささいな自我に触れるだけで傷つきやすくなります。最初はそれに驚かされ、防御反応が出てきますが、やがてそれに慣れると、傷つきやすくなったのは、より一層微細な生命共振レベルに近づいたのだと、よいこととして捉え返せるようになります。
今年の冬はわたしは微小な原初生命になりこむ瞑想を続けていますが、原初生命はいつもささいな変化にも生死を左右されてゆらいでいた、その境位に近づけるのです。といっても、私も多くの新入生と出会う新学期にはズタズタになります。傷つきやすい赤剥けの肌のまま、自我に付き合い、その痛みに耐えることはとてもできませんから、他の人と適当な距離をとるなどリトリートをうまく編み出す工夫が必要になります。自我の思考や判断や感情の表出の激しさに比べ、生命クオリアのふるえは千万分の一もか弱いひそかなものなのですね。そのレベル差をはっきり認識すると、対応策もめざす方向も次第にはっきり見えてきます。おそらくこれは、強い自我の主張を仕込まれ続ける近代西欧型の社会のあり方を、根本的に変更する以外解決の道はないのです。自我がどんなに無作法な、出来損ないのものかに気づき、みんなが傷つきやすい生命として生きることができるようになるまで、この問題に耐え続けるしかありません。どうすれば生命共振が可能になるか、命に問いつづけてください。まあ、ここから先は未知の課題です。ぼちぼちと歩んでいきましょう。
三つ目の課題、パフォーマンスについて、私は長いこと模索してきましたが、どうやら創りださなければならないのは、今の劇場公演のかたちではなく、こじんまりとした小さな場所で、誰もがサブボディにもコーボディにもなれるようなかたちを創出していかなければならないのことが、はっきりしてきました。
フォーカシングのジェンドリンは、全米にChangesという、互いの内面のかすかなふるえに耳を澄ましあうネットワークを創りだしています。それを言葉を通してではなく、からだとその動きで共振・交感しあえるような場を創り上げることが今後の課題だと思います。
今年から週末のサブボディ・コーボディシアターの町貼りポスターを廃したのもその一環です。
コンタクトインプロのジャムにも通じます。コンタクトはただ、フィジカルな交通が主になるのですが、あれにサブボディ・コーボディが出てくるようになれば面白くなります。アメリカにはいろいろと参考になり、学べる試みがいろいろあると思います。まあ、いろいろと突破口を模索てください。
日本には、コンタクトと共振タッチを一体化したような、野口晴哉さんの活元運動があります。いっときは一万人規模の集会にまで発展したのですが、彼の死後、いまは小規模なものになって日本各地で続いています。これが一番近いかも知れません。私が全生や共振を学んだのは彼からなのです。

(ここまで書いてから、デリーまでビザの更新のために、5日間旅に出ました。
その旅の中で思わぬ進展がありました。)

パフォーマンスではなく、リゾナンスと呼ぼう。――夜汽車の中でうとうととしていると、サブボディさんからそんなアドバイスがやってきました。きみのパフォーマンスに対する違和感への共振が下意識でここまで発展したようです。突飛だけれど、これを今年から採用するつもりです。後は、劇場と言う呼び名も、よりぴったりとした名前が見つかるといいのですが。

もうひとつは、デリーの宿で、灰柱で微細細分化の練習を続けていたとき、不意に衰弱体のさらに向こう側にいたる、透明共振体への変成の練習方法がいろいろ浮かんできました。各生徒が動きの無限細分化を続けながら、ほかの人の動きに従ったり、取り入れたりする練習を取り入れると、自然に自我や自己ではなく、内外からの微細シグナルに等価に共振するからだに無理なく移行していけることに気づきました。そのほかにも、従来サブボディ練習として行ってきた、他人の描いた絵の中に入るのも、サブボディとしてではなく、コーボディとして踊りこむなど、いろいろ共振につながる練習が創案できました。細い細い坑道ですが、今年は一年がかりでこの坑道を生徒とともに掘り進めようと思います。一年コースの生徒が何人かいるので、じっくりと生徒間のサブボディ・こーボディ共振が醸成されていくプロセスを共有できると思われます。その共有プロセスが生まれることを基盤に、それを生徒同士のグループリサーチという形での探体技法を発見することが今年の私にとっての新しい課題としてやってきました。従来以上にコーボディと産婆になる練習の比重が高まりそうです。
これまでのサブボディの練習はすべてコーボディのそれに転化できる可能性があります。カツもアメリカのクラスでいろいろ実験してみてください。そして、秋からは、きみも10ヶ月目になりますから、他の生徒のサブボディ・コーボディの産婆コースに入るつもりで備えてください。

長くなりました。とても収穫の多いデリーへの旅でした。きみのメールのおかげです。離れていても、生命は深くしずかに共振を続けているのですね。
あるいは、この現象は、サブボディ・コーボディは人格など超えて同じことを感じて共振していることの証しなのかもしれません。共振塾では同じサブボディ・コーボディプロセスを体験しているのですから、コーボディが共振しているサブボディであるという仮説が正しければ、コーボディが各人に同じサブシグナルを送ってくるのも当たり前のことになります。ユングが取り組んだ共時性(シンクロニシティ)の根拠も案外この辺にあるのかもしれません。人類は無意識や集団的無意識、とりわけ微細な生命共振現象についてまだほんのわずかも解明していないのですから、どんな不思議なことが起こっても驚くにあたりません。あらゆることをまだ未解明の共振という観点から眺めると、新しい発見がどんどん生まれます。ともあれとても興味深い体験でした。今年のUSAクラスがうまくいくことを祈っています。

ではまた。

Lee


腐食行  / リカルド


I will follow this infinite path / Ricardo

      Words cannot describe my perceptive process. The ego's impulses suppress our relationship with the world. Slave's within ourselves the body develops from certain tension's.
The encounter with the body has been in my case a constant struggle and at the same time an immense pleasure.Navigating through the dark ocean that is our consciousness and descending from a profound being. There is a state of struggle that appears to be accentuated during sleep.
A bitter sweet knowledge who's consequences I cannot calculate at this moment. In the last six months I have felt fortunate to have learned a method that has given me the tools to enter the darkness of body. I convinced I will follow this infinite path, to where ever it may lead.

2009年1月5日

リカルドの苦難と乗り越え


リカルドは、大柄なダンサーだが、まるで修行僧のようなとろこがある。

彼はこの半年、おびただしいほど厄介なエッジに直面し続けていた。

強い自我、グループになれない傾向、自己欺瞞に気づいて考え込む性質、習い覚えたコンタクト・インプロやコンテンポラリーダンスのダイナミックな動き、持ち前の立派な健康的なからだ、彼の持つすべての資質がすべて、舞踏の真髄である衰弱体を身につけるには大きな障害となって立ちはだかった。彼は練習中エッジにぶつかるたび、その場にいられず、ひとり場を離れた。そして、ひとりで瞑想していた。わたしはそれを傷ましくも、見守り続けた。他人からアドバイスを受けて解決するより、自分がぶつかったエッジは、自分ひとりで直面して乗り越える術を身につけることが重要だからだ。

彼の原生夢は、高いところにいて、そこから飛び降りなければならない定めにあるというものだった。そして、ながい逡巡ののち、決死の思いでそこから飛び降りる。私が小さいときに見た、自分が住む星から飛び降りなければならないという原生夢にそっくりだった。

そして、彼の半年のプロセスはまるでこの夢のように進行した。

 

彼は最後の公演の2週間前まで、大きな動きを脱ぎ捨てられなかった。すでに他の生徒の多くが衰弱体を身につけかけていたにもかかわらず。彼はそのことに気づき、自分が囚われている問題に直面するため、さらに一人で長い時間瞑想する姿を見るようになった。

そして、最後の最後に、彼が見せた踊りは彼の持ち前の大きなからだごと、衰弱し、よろよろと歩き続け、よろけいざるものだった。彼の大きな立派なからだがそのままで、命がけで突っ立つ死体になってうごめいた。苦労の末、ダンスや自我を投げ捨てて、ついに衰弱体に変成し遂げたのを、わたしは感動的な面持ちでみた。習い覚えたダンスを苦労してそぎ落としたそこには、彼の原生夢の中でただただおびえ震えている命の姿が克明に浮かび上がっていた。 踊りが終わった後、わたしは彼を抱きしめた。半年間、突き放して見守り続けたことへの思いがすべてこめられていた。

 

リカルドよ、このまま、この道を歩み続けよ。きみはすでにもっとも困難なエッジに真向かい、それを乗り越える術を身に着けたのだ。もう恐れるものはない。そしていつの日にか、ヒマラヤに帰って来い。次はサブボディの産婆に変成するという、今年よりもっと困難な次のステップが待っている。自我の放棄をもっと徹底できなければ、ほかの人のサブボディが生まれるプロセスを手助けすることなどできないからだ。だが、きみにはその課題も乗り越えられるはずだ。

 

 

2009年1月1日

新年のゆらぎ瞑想

こんな辺鄙なヒマラヤのサイトまでよくぞお越しくださってありがとうございます。
瞑想三昧からでてくるとんでもない発想ばかりしかお届けできませんが、
ことしもよろしくおねがいします。


年頭に当たって、下意識のサブボディモードに入る方法をご紹介します。
一度入り込めば、その面白さ、奇怪さのとりこになって、
もう後戻りはできなくなるほどの豊饒な世界です。
心身が世事から解放されたこの冬休み、
もうひとつ別の世界を旅してみてはいかがでしょうか。
お試しいただければ幸いです。


静かな一人きりになれる場所を見つけて座ります。
あぐらなど楽な姿勢で。
息を吸いながら背筋を伸ばします。
空から頭につながった糸で背骨が空に吊りあげられていくとイメージすると気持ちよく背骨が伸びます。
伸びきったらハァーッと息を吐いてください。口からでも鼻からでも結構です。
吐くとき、糸に吊らされた背骨はそのままで、その他のからだ中の細胞が地球の中心に向かって落ちていくと感じて脱力します。
これを数回繰り返すだけで、ぐんと心身が楽になったのにお気づきでしょう。
(時間がないときは、この呼吸と脱力だけでも一挙にリラックスできます。
自分がなにかに緊張しているなと気づいたとき試して見てください)。


静かに長い呼吸をしながら、船にのっているとイメージします。
自分ではなくて船が前後に揺れるのでからだがゆらされるにまかせます。
大きな時計の中心に座っているとして、はじめは12時-6時方向にゆられています。
そのうち船のゆらぎが1時-7時方向に変わるので、
からだもそれにつられてゆらぎの方向が変わります。
2、3回繰り返したら、船のゆらぎが2時-8時方向に変わっていきます。…
気持ちよい速度と振幅で、順次時計にそってゆらぎが変わっていくのに従います。
一周するころには、時計の方向にしたがうのが面倒になってくることでしょう。
そうなったらランダムなゆらぎに移ります。
からだのゆらぎたいままの速度とおおきさにまかせてください。
しばらく続けていると、持ちのよい体感がからだに満ちてきます。
その心地よさに心身をあずけてゆらぎつづけます。
そのうち、顔も緩んできます。
口をだらんと開けたくなればそうするに任せます。
目の方向がだんだん上に移り、白眼になってうつろに虚空をさまよいはじめます。
続けていくと、えもいわれぬ快感がからだを駆け巡りだします。
からだ中をめぐっている心地よいながれをあじわいながらゆらぎつづけてください。
日ごろは気づかないからだのいろんな場所のいろんなかすかな感じにきづくようになります。
こわばっていたり、緩んだり、温かく感じたり、寒くなったり、
重くなったり、軽くなったり、ごくごくわずかだけれどいつもからだの感じはかわっているのに気づくと思います。
心地よい感じがからだじゅうで感じられるようになったら、
突然ゆらぎの速度と大きさを十分の一に落とします。
からだの中のかすかな体感がもっと微細に、しかも多彩に感じられるようになります。
それをこころゆくまで味わってください。
味わっているうちに楽しくなってきます。
からだの中にこんなにいろんな感じの変化が刻々と起こっていたなんて!
そう、そこはとても味わい深い劇場なのです。
ときには忘れていた昔の体感がよみがえってきたり、
思い出せなかった記憶がよみがえってきたりします。
浮かんでくるものをたっぷり味わいます。
からだの闇の中で繰り広げられているゆらぎの劇場の観客になったつもりで楽しんでください。
もし、からだが動きたくなったら、どんな動きでもそれに心身を預けてついていってください。

それがサブボディです。
毎日これをすこしずつ続けていくと、毎日サブボディの様子が違うのに気づきます。
ときには、思いがけない気づきをもたらしてくれたり、
思いがけない創造をもたらしてくれたりします。
ひとたびサブボディに出会えば、生涯の友達になります。
サブボディは忘れている命からのメッセージを届けてくれる使者なのです。
命とひとつになれるまでお続けください。


もっといろいろ続けたくなったら、このサイトの「実技ガイド」を開いて見てください。
最初のほうにいろいろな楽しみ方が載っています。
お楽しみください。

ではよい新年を!

                                         ヒマラヤから
                                         リゾーム Lee

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