サブボディ共振塾ジャーナル
 
蜘蛛の巣劇場
 
 
2016年3月31日

透明な自在跳梁舞踏へ


先週末は、3月コースの統合日だった。
今年の3月は、透明技法、ツリー=リゾーム技法、自在跳梁技法など
従来なら期末か年末になってはじめて学ぶ最深技法に
最初から触れた。
これまでわたしが囚われてきた老婆心元型・教師元型による
段階的教育論をすべて脱ぎ捨てて、もっとも大事な技法に最初から
導いた。
その成果は、かつてないほどの創造性と固有性・共振性の開花となって
現れた。同時にほとんどの生徒が未曾有の混沌と混乱に見舞われること
となった。
とりわけ、新入生よりも古い生徒のほうが、かつての授業とのあまりの違い
に驚いてたじろいだ。
わたしの変貌に自然なサブボディプロセスへの暴力的介入を感じて反発も
起こった。すべて覚悟していたことだ。
出会うあらゆる問題を全員の問題として共有し、ともに解決を探る共振
技法の共有によってすこしずつ乗り越えてきた。
来月はもっと深いエッジにぶつかるだろう。
もっとも深い喜びと苦しみは同時にやってくる。
それを乗り越えて、これまでの自分とは別の存在になること、
それが生きることだとしたら、このプロセスは避けようもない。




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2016年3月31日

世界共創のなかで秘密を運ぶ

今年の共振塾では、幾人かで踊るときはかならず
ひとつの踊りの序破急を全員で共創することに焦点を当てている。
誰かひとりが見つけたクオリアをシェアし、増幅することで
一つの世界が生まれる。そして別の世界へ変容していく。
いくつもの世界変容を共創するなかで、
同時に各自はおのれの謎と秘密を探り、深め、運んでいく。
常にコーボディでもありサブボディでもある。
始まりも転換も終わりもすべて生命共振によって共創する。
十数年サブボディとコーボディの間にある謎を探り続けるうちに
これが生命の舞踏だということにようやく気づいた。
なにが何か分からないまま動いているうちに
気づきはいつもあとから遅れてやってくる。
こんなものだ。
死ぬまでにどれだけのことに気づくことができるか。
おそらくあとほんの少しだけの気づきに違いなかろう。
なにか新しいことに気づいたときは、
すぐ翌日の授業でそれを塾生と共有する。
いきなりわたしの気づきを浴びせかけられる塾生にとっては
迷惑極まりない。
消化不良や下痢に見舞われていることだろう。
だが、それがわたしにできるたったひとつの贈り物なのだ。



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2016年3月27日
 

2つのライター 村上直樹


ライターが2つある。
ひとつは、紺色で小さいサイズ。火打石を歯車みたいなので擦るタイプ。
誰かにもらったような気がする。たしか、誰かにもらったんだ。「Peace」
の印刷。オマケで付いてくるもの。ピースは吸わない。
もうひとつはあとからやってきた。知らない言葉かたくさん書いてある。
ピンク色で、標準的な百円ライターのサイズ。指でスイッチを押し込むだ
けで、簡単に火をつけれる。それと、オイルの量がわかるのがいい。
ひとつめしかなかったとき、いつ火がつかなくなるかとずっと気にして
いた。
思いのほかもっているのだけど。

煙草を吸おうとライターを探すとき。無意識に、紺色のほうをとり着けか
ける。その動きを止めて、ピンクのライターを探す。つまり、紺色のほうが
なくなってしまってはいけないと、そうしたのだ。
そのときに、思い出すことがある。いつも、どっちを使えばよいかと考えた
ものだ。いつも、どちらを使ってもなにか違和感がある。わたしは、いまど
ちらを使うべきなのか、わたしとして。
とにかくいつも小さなことが気にかかってしまう。

平均をとって、お互いの寿命が一番長くなるように使えば、ふたつは長く
一緒にわたしの手元にある。わたしは、ものをどこへやったか忘れやす
いから、そういうとき、ふたつあれば見つかる確率が増えてストレスがな
い。なくしても、まだひとつある。それに、ちょっとかわいそうだし。
片方を使いきってしまえば、早くにライターはひとつになる。ものの数が
減って、部屋が散らからないし、ひとつのほうが認識がシンプルに済む。
認識がシンプルにならないのは、意外とストレスなのだ。それはやっぱり、
こういうことを考えなきゃいけないから。
わたしが、どちらにより多くストレスを感じるだろう。わたしは果たしてライ
ターを無くすだろうか?いまは自宅じゃないけれど、帰るまでになくさなけ
れば、ひとつのほうがいい。確率は?可能性をパーセンテージにしてみる?
予測で。
パーセンテージにして、それをなくしたストレスに掛けて、比較してみる?
そんなことできる?ほんとに?

だいたい、このようなこと。ふたつのライターの使い方について、いくつも
の情報があって、なにがよいのかわからない。そういうことがこのふたつ
のライターに渦巻いていて、ちくちくと、脳のなかで動き回る。それが煙草
に火を着けるたび、うっすらと感じられるものだから、納得がいかないわた
しの部分がどんどんと大きくなる。それがどんどんと広がっていく。残って、
自分がやっていない、という、きちんとやっていない、という意識が溜まっ
ていく。
そう、いつもそうなんだ、と思い出していた。
そうして、自分はきちんとやっていない人として、他人なりするべきことな
りに向かい合って、ほんとうに自信がないものとして、存在する。

とりあえず、わたしは、ピンクのライターを使って、火を着けて、今後も当
分はそうしようと思う。

かつて、そうであって、いま。
目の前のふたつのライターには、もう少し柔らかいものが感じられる。ラ
イターとライターの間に、なにか繊維状のものが行き来しているような。
この目の前のふたつのライター。
それらが変わったのではない。わたしが変わったのだ。わたしが変わっ
て、それで、ふたつのライターも変わったのだと思う。

ひとつひとつのこと、部屋がちらかりやすくなったり、ひとつだけになって
認識しやすくなること、それらがアメーバみたいにうにょうにょと動いてい
るのだと思う。わたしの状況、いる場所、機嫌、昨日なにをしたか、明日
なにをするか、そういうことで、全部変わっていくものだ。
だから、これが善いなんて決まらない。そうすると、すこしラクだ。

わたしは、自分の周囲のいろいろな物事で変わっていって、このふたつ
のライターも、またそうで、そのことをわかってあげようと思う。
このふたつのライターが示すこと、わたしに感じさせること、それを受け取
って、わたしは態度を示す。そのことで、ふたつのライターのアメーバは、
いろんな状況に触れる。そのことをわたしは見てあげようと思う。そうして、
まわりの様々なことと、うまくいったり、ちょっと不便があったりする。
それから、また、わたしの態度も変わる、というものだ。わたしもまた。

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ヒマラヤロックガーデンで世界変容を共創する 
2016年3月27日
 

世界変容を共創する

先週の木曜日はインドのホーリーという祝日、
誰もが顔に色粉を塗りつけあって楽しむ。
わたしたちも共振塾から一時間のヒマラヤロックガーデンで一日遊んだ。
一人が自分にとってもっとも印象的な世界像あるいは世界変化の
クオリアを率先し、他のみんなでその世界を共創する。
その世界のなかでほかの誰かがサブボディを踊り出す。
他のみんなはそのサブボディを支えるために、同じ共振パターンか
異なるパターンで世界変化を共創する。
場所から場所へ移りながら踊っていると、
好奇心満開のインドの少年たちが輪になって見守りだした。
わたしたちは何も言葉では説明しないが、
だんだん、からだからからだへの生命共振が起こりだして
最後まで一緒に楽しんでくれた。
終わったあとある青年は、「とても感動を受けた」と塾生に一人に伝えた。
そう、たった一人でも深く共振してくれる人がいればその公演は
大成功だったといえる。
わたしたちはからだとからだの、いのちといのちの間の新しい
共振の仕方を世界中に撒き散らしているのだ。



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2016年3月18日
 

透明な踊りに向かって


今年の共振塾は、半数が古参、半数が新入生と
半々のバランスなので刺激し合い進捗が早い。
内に50%、外に50%耳を澄まし、何にも囚われない透明さを
保つという課題を共有している。
誰もが瞬間ごとにバランスを崩しては建てなおさなければならない。
それによってはじめて、ツリーの簡明さとリゾームの混沌を自在に往還
できるもっとも豊かな創造の扉が開かれる。
いのちからいのちへ透明に響き伝わる生命の舞踏を踊ることができる。
この課題の重要さに比べれば外のことなど何ほどでもない。



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 リバイバル・シリーズ

古い時代の共振塾ビデオは、別のアカウントに投稿されていたため、
見るのに不都合でした。現在すべてのビデオを明度・コントラスト
などを改善して、現在のアカウントに移行中です。
この機会にお楽しみください。

 
 
Sayaka & Cobody collaboration at Himalaya  
 
A Beggar's Dream _ Xavi  
 
Ancestral Part 2_Chiara_  
 
Approaching the Twilights Ozerk Sonat (Turkey)  
 
Fallen From Grace Odile  
 
Picking the darkness Igu いぐ・闇毟り  
 
Rock Uterus _Gadu  
 
Hanging on the cliff _ Silvian (Holland)
 
Josefa_between_Xavi  
 
Requiem for a dream _ Pit  
 
Steps _ Ricardo  
 
まだ人間だと知らなかった頃 ケスリ  
 
遠い森 きよこ 共振塾2009 
 
 
過去5年のフクシマ共振劇場

共振塾は毎年3月第一週に、新学期を迎えるので、
新入生は否応もなく、フクシマへの生命共振から始めることとなる。
最初の頃は、災害そのものへの共振だったが、
5年目になると、太平洋全域に広がった放射能汚染という、
人類史上例のない大災害によって海洋の小生物の、特に幼生が襲われている
奇形化という見えない生命の危機への共振に焦点を当てることとなった。

人間のサイズで生きている限り、こんな微細な生命共振は大股で跨ぎ越されてしまう。
自我に囚われ情報に囲繞されていると、感性が粗雑になりすぎてしまうのだ。
だが、意識を鎮め、生命のかすかな震えに耳を澄ますと、
かれら微細な生命が見舞われている運命に共振せざるを得ない。
ヒマラヤの山奥でのわたしたちの踊りが日本や先進国の人々に伝わるには
恐ろしい時間がかかるかもしれない。
だが、ここから始めるしかないのだ。
 
2016年3月11日
 

5年目のフクシマ共振劇場


共振塾の新学期が始まった。
いつも通り新学期の第1週目に、フクシマ災害の5周年記念日を迎え、
わたしたちはひとつの命として、生命共振を踊った。
この5年の間に、フクシマから漏出した放射能は太平洋全域に広がり、
か弱い海中生物たちの幼生を容赦なく襲っている。
若いころ、水中微生物の繁殖と観測を行っていたわたしには、
その痛ましい光景がありありと目に浮かぶ。
わたしの若いころの水は、まだ公害に汚染されていただけだったが、
それでも無数の幼生たちが突然変異に襲われ、奇形化していた。
化学汚染に比べて何億倍も強烈な催奇形性をもつ放射能に出遭えば、
おびただしい奇形の発生は免れない。
今日わたしたちは、その未曾有の災難に見舞われている
海底の弱小生物たちへの生命共振を開き、
奇形化している海中小生物に成り込むことから、
5年目のフクシマ共振劇場を始めた。
奇形化した生きものになって踊りながらわたしは
予想もしなかった、不思議な自由の感覚を味わっていた。
そうだ、これは新しい可能性の始まりなのかもしれない。
奇形や不具という人間界の差別を超えて、あらゆる生きものが
一つの命として共振する世界の始まりにつながるかもしれないと。





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インド共振舞踏ツアーの国際旅団
各地のオーガナイザー・サポーター



Devanjalee (Bangalore), Gorka (Arzentine), Honza(Netherland)

Janhavi
(Pune), Kaeridwyn (Auloville), Kaska (Poland)

Lakshika
(Munbai), Mago (Korea), Pamela (Mexico),


Ram
(Kerara), Sati, (Gio) (Korea), Snehal (Pune),


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March 2016
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