March 2015
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サブボディ共振塾ジャーナル
 
2015年3月31日

魔女变化

からだの闇には無数の元型や祖型的なものが棲んでいる。
共振塾では、塾生の誰かがそれを踊りたいときには
全員であるいは数人でそれをシェアする。
何も考えずに直ちに共振する。
この日は石から獣、そして魔女に変化するというものだった。
それらは皆ユングが発見した集合的無意識層にひそむ元型群だ。
そしてその下層にはさらに祖型的な情動や体動・震えや怯えやこわばりなどが潜んでいる。
屈託なくそれらをシェアすることほど面白いものはない。
土方は書いている。

「からだから引き上げている祖型めいたものが、ときときとした気品に混じって消えていった。」 (『病める舞姫』第二章)


そう、命にとって祖型的なものは、得も言われぬ気品がある。
自我や表現のような下品なものとは全く別の味わいがある。
舞踏を踊る幸せの一つはおそらくこんなところにある。



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2015年3月30日

ズタズタに引き裂かれた神さま

『病める舞姫』で、土方少年は世界からありとあらゆる攻撃を受ける。
噛まれ、侵食され、呑み込まれ、食べられ、連れ去られ、脈を取られ、
ついには輪郭を失ったからだになるまで延々と続く。
あたかも、これらの体験の深さこそが、
世界に喰われ続けて、魂もからだも引き裂かれてしまった人々と一体化するほどの共振力と比例するのだといわんばかりに。
土方はそれら『病める舞姫」の主人公ともいうべき人々を
ズタズタに引き裂かれた神さまと呼んでいる。

[16 ズタズタに引き裂かれた神様]

どこの家へ行ってもズタズタに引き裂かれた神様の一人や二人はいたし、どこの家の中にも魂の激情をもう抑えきれない人が坐っていて、あの懐かしい金火箸を握って金切り声を出して叫んでいた。
腑抜けになる寸前のありったけの精密さを味わっているこれらの人々を、私は理解できるような気がして、眺めていたのだろう。

[17 人間である根拠はもうまわりの方からも崩れていた]

 確かに、めざとく見つけ出したものなどは、こういう状態に較べれば、おおかたは破損され、型の亡骸でしかないものだろう。人間である根拠はもうまわりの方からも崩れていたから、私が考えなくてもいいように眺められたのだろう。


塾生たちは、先週末これらさまざまな引き裂かれた神さまに成りこんで踊った。
自分の人生ではじめてそれらの人々に出会った瞬間の衝撃を思い出して。
言葉を覚える前の、まだ自他の分化にとらわれてしまう前の一瞬だけ、
わたしたちは自他を超えた瞬間的に一体化してしまうほどの生命共振を体験する。
もうほとんどの人はそれを忘れ去ってしまっているだろうけれど。
言葉を覚え、自他の分化という近代の常識に囚われてしまう前の
まだ溶けたり震えたりする心身に成りこむことが大切だ。
もうわれわれは頭では『病める舞姫』に書かれているような
非二元的な生命共振を理解することができない。
だが、下意識のからだ、サブボディやコーーボディは、
いとも簡単に自他を超えて命のあらゆる状態になりこむことができるのだ。



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2015年3月29日

餓鬼

『病める舞姫』研究が進み、塾生もそこに登場する
さまざまな生命共振を踊りだした。
・空気中に棲む見えない大きないきもの
・魂の引き裂かれた神さま
・煤け姫
・けむり虫
などをはじめ、これから無数のからだの闇に棲む
元型や祖型を踊り続けていくことになるだろう。
もっとも重要なことは、他の塾生の誰かが求めることにはすべて
疑問なく成りこんでいく柔軟性だ。
近代のわたしたちが愚かにも縛られてきた自我や自己を脱ぎ、
自分であるとかそうでないとかがどうでもよくなる地平まで行くには、
どんなコーボディにもほいほい成りこんでいく共振塾で過ごすことが
もっとも役に立つ。
ここは未来の人間になるための煉獄なのだ。



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2015年3月24日

見えない背後世界をまとう 

3月の第2週、塾生はそれぞれの不可視の
背後世界を共創して、その中で踊った。
重力が変容する
背後霊が近づいてくる
顔が海藻になり変容する
山が崩壊する
などなど。
不可視のクオリアを踊ることは、
すこしずつ『病める舞姫』の世界に入っていく
準備運動のようなものだ。
そこは見えないいのちの微細な共振で成り立つ
近代人の知らない世界だから。



 
2015年3月22日

「暗黒のアンクール」 ハイメ 

ハイメは、アンクールを見舞った悲劇への共振を踊った。
彼らは昨年の前期の同期生で、多くのデュオを踊った仲だ。
だが、いまその片割れであるアンクールは、
インドに残存するもっとも邪悪なツリー(階層秩序)システムである
カースト制度の罠にかかり、獄中にある。
世界中の古い塾生もアンクールの悲惨に共振してほしい。
わたしたちは、人類を閉じ込めてきたあらゆるツリー状の(階層秩序的)権力や、人を分け隔つあらゆる境界が死滅するまで踊り続けるだろう。
リゾームになれ!
たった一つの秘密になれ!



 
2015年3月15日

生命の多次元共振カオスで踊る

踊りの深みは、どれだけの見えない背後世界と
共振しえているかにかかっている。
ソロで踊るか、群れで踊るかにかかわらず、
不可視の背後世界をはらんでいない踊りは寒い。
自己表現だのという近代の自我の妄執に付きまとわれている。
いのちの舞踏とはそんなものではない。
かすかなかすかなしかし無限に多次元的な生命共振を踊るのが
いのちの舞踏だ。
どのようにしてそれを訓練するか。
今年の共振塾は最初からまっしぐらにそれを行っている。
冬のインドリゾーミングツアーで発見し、
磨きぬいた数々の新技法を試している。
自我を消し、自己を止めて、
不可視の背後世界を踊る訓練を積む。
すり抜けや絡みぬけが頻繁に起こる中で踊る。
<間・背後で踊る>という新しい技法は、
土方巽の言う<自他分化以前の沈理の世界>へ入るためのものだ。
気がつけば誰かが足元や背後をすり抜け踊っている。
考える暇など一秒もない。
踊りは瞬間的な生命共振なのだ。
一瞬先に何が起こるかわからない多次元カオス、
自他を超えたリゾーム流動にからだを置き続けることによってのみ、
踊りは近代の思考や判断やちっぽけな自己表現などから
いのちのリゾーム的多次元共振そのものへ磨かれ鍛えられていくのだ。

幸いなことに、今年から、4年目のジオが半分授業をガイドしてくれることになった。
わたしが半分、ジオが半分の授業を産婆としてガイドする。
ジオがガイドする時間はわたしは踊り手に戻ることができる。
10年ぶりにリハビリを兼ねて、一日中踊っている。
踊り手のからだは、産婆に比べて千倍ほど面白い。

だが、問題がひとつ出てきた。
一日中踊ると、疲れてとてもじゃないがサイトに記事を更新できない。
新しい技法は次から次へと毎日のように生まれてくる。
だが、それらは共振塾で踊るだけで、言葉にしている暇はない。
読者の皆さん、申し訳ありませんが、今年のサイトの更新はこれまでに比べて
減少するとおもう。
もし、ほんとうに学びたい方は、ヒマラヤへおいでください。

たまたま、何人かの申込者がキャンセルで、
今年の春は1-3ヶ月の短期生を募集しています。

お問い合わせ、お申し込みは、subbody@gmail.com




2015年3月11日

なぜ衰弱体になる必要があるのか?―3.11生命共振記念日に

強くありたいという自我の習癖を脱ぎ捨て、
限りなく弱くなること。
衰弱したいのちになること。
弱くなればなるほど、
強い自我がまたぎ越してきた、
弱り切ったいのち、侵され憔悴しきったいのち、
壊れかけたいのち、死に瀕しているいのち・・・
らの、微細にふるえる癇の花に気づくことができる。
自分もまた、おなじく微細に震えているいるからだ。
そう、「自分」の強さと、共振力が反比例していることに気がつく。
そして、世界中の悲惨が国家や自他をこえて、
ひとつにつながっていることに。
生きとし生けるものがひとつのいのちであることに、
からだが目をさます。

土方巽も、1968年の伝説的なソロ、
「土方巽と日本人ー反乱する肉体」を踊り終えて、
周囲は賞賛の嵐が吹き荒れ、門下生が日本中から詰め寄せてくる中、
はっと気がついた。
こんな強い英雄的な踊りをしている限り、
からだの闇に棲む死んだ姉さんは、振り向いてもくれないことに。
夢枕に立った姉さんのささやきが聞こえたのだ。
「くにおちゃん(くにおは土方の幼名)、
お前が踊りだの表現だの無我夢中になってやっているけれど、
表現できるものは、何か表現しないことによってあらわれてくるんじゃないのかい。」

そういってそっと消えていった。

「ぐったりしたこころ持ちにならなければ、
人の行き交いはつかめぬものらしい。」


『病める舞姫』に記された一行は、
その土方の人生の転回を語っている。

強い舞踏から、衰弱体舞踏へ。
自分を表現しようとすることから、
表現しないことによってはじめてあらわれてくる
生きとし生けるものの、死に瀕する「癇の花」との共振へ。

誰にも転回はある。
3.11がその転回になった人も多い。
思い出そう。
もっとも悲惨な目にあったときのいのちの震えを。
あらゆるいのちが微細にしかし限りなく多彩に震えていることへの気づきを。
わたしたちが掘り抜くべき未踏の坑道の入り口がそこに開いている。
その坑口を降りるか、またぎ越すかはあなた次第だ。

だが、毎年の3月11日は、
その坑口の存在に気づかせてくれる
今に生きるいのちの共振記念日なのだ。


マハラシトラ
ムンバイ
 
2015年2月28日

 ドナとコーボディ at ムンバイ ビーチ

15名で出発したインドリゾーミングツアーは、
ラジャスタンのラクダキャラバンのあと、ウエストベンガルに向かった
コースのほか、いくつかのグループにわかれた。
オランダのバンストーグループは、子供連れで南の海辺へ移動した。
その中でホンザが、オーロビルから、プネのパフォーマンスに合流し、
ドナやアロンは、最後のムンバイで再合流した。
ドナは、ムンバイの海岸で最後のパフォーマンスをした。
ドナのソロのあと、リーが絡んでデュオを踊り、
その後ムンバイワークショップの参加者らが合流して踊った。
3ヶ月に及ぶインドリゾーミングツアーの最後を飾る
舞踏リゾームとなった。
ありがとう。
つぎの冬も私たちはここに来るだろう。
ラクシカは来年2月に2週間のワークショップフェスティバルの一環として
ムンバイに私たちを招待してくれた。
その他、インド南部の主な都市、チェンナイ、バンガロー、プネ、ケララなどの踊り手やオーガナイザーともつながりができた。
これこそこのツアーのもっとも大きい収穫のひとつだ。



 
2015年2月21日

 リゾーミング・ワークショップ in ムンバイ

ムンバイでのワークショップは、インドリゾーミングツアー最後のものとなった。3ヶ月に及ぶツアーで磨き続けてきた新しい技法のすべてを統合・凝縮した。
それは一言で言えば、いかに日常の心身を脱ぎ捨てて、未来の人間・リゾームになるかという新しい実験だ。
日常の意識や判断を止め、からだの闇に耳を澄ます。
そこで触れるごくかすかなクオリアにからだごと乗り込んでいく。
それがサブボディ・コーボディだ。
その時点でこれまでのわたしは、サブボディとコーボディの便宜的な区別に囚われていたが、一切その区別をなくした。
下意識の世界には、日常世界のような二元的な区別がない。
下意識のからだ=サブボディは絶えず何かと共振しており、
それ自体でコーボディなのだ。
その非二元世界へ、からだごともんどり打って降りていくことが肝要だ。
この旅で実験を繰り返してきた、<間・背後で踊る>と、<すり抜け>に重点を置いた。
サブボディは幼少期に親や教師からの選択的非承認や無視の眼差しにあって、からだの闇深くにくぐもり、隠れて生き延びてきたものたちだ。
その人たちにもっとも出てきやすい踊り場を提供するのが、この新しい技法の狙いだ。
●人と人の間や背後で踊る。
●足元や脚の間、部屋の隅など大通りを歩く日常体が普段行かない場所で踊る。
●他の人のからだのいろんな部位と絡みつき、すぐさますり抜ける。
簡単にいえばこれだけだ。
だが、これによってたった二日間という短期間だったにも関わらず、
かつてないほど豊かなサブボディ・コーボディが次から次へと出現してきた。
わたしにとっても予想外の驚くべき成果だった。
もちろんそれに先立って、すこしは十体の練習もした。
●ボトム体
●傀儡体
●気化体
●原生体
●獣体
●植物体
●異貌体(=くぐもり体)
●その他
などだ。
これによって、参加者は、
からだの闇にはなんでもありだ、と動きの中で体得し、
しかも善悪正誤の判断抜きで、ということを徹底したので
素直に自由になってくれた。
インドリゾーミングツアーでつかんだもっとも重要な新技法が
大きな解放の力を発揮することを確認できた。
ありがとう、ムンバイのみんな。
これで新学期を心置きなく迎えることができる。
ラクシカさんは、来年2月にムンバイで行われる
二週間の国際ワークショップのイベントにも招待してくれるという。
よろこんで引き受けた。
つぎの冬のインドツアーは、どうやら南インドの各地、今年訪れた
ムンバイ、プネをはじめ、チェンナイ、オーロビル、バンガロー、ケララなどを巡回するものとなりそうだ。
インドに共振ネットワークがどんどん広がっていく。
未知のエネルギーを秘めたインドの今後が楽しみだ。



 
2015年2月10日

 ムンバイ・ワークショップ

シブのワークショップをこの1月に催してくれたムンバイのラクシカさんが、リーのワークショップも開いてくれることになった。ありがとう。


プネ
 
2015年3月3日

 「奇形による癒やし」ーインドの新聞記事のまっすぐさ 

プネでの舞踏公演には多くの新聞社が取材に来た。
何本ものインタビューも受けた。
翌日の朝刊の第一面に載せた新聞社もあるほどだ。
おおむね、彼らの姿勢はわけがわからない異文化からきた
舞踏というものをなんとか理解しようとする率直さにあふれていた。
中でも”Healing with Deformity"(奇形による癒やし)と題した記事は
深い理解と共振にあふれていた。
記事(英文)を読む

そうだ、わたしたちは、もつれ、ねじれ、壊れて奇形化した多くの
サブボディ=コーボディを踊った。
からだの闇に長年隠れ住まざるを得なかったサブボディたちは、
みな小さな暗い場所に縮こまって身を潜めているからだ。
しかも、それらが自他を越えて、からみ合いつつ変容流動している
リゾーム状のカオスをそのまま踊った。
それがスネーハルの、バニヤンツリーのリゾ―ム度を更に増幅した
インスタレーションと一体になって動き出し、時空が一変した。
だが、それに「奇形による癒やし」と題する記事を書くには、
わたしたちの踊りを見て、記事を書いた人のからだの闇のなにかが、
動かされたという生命共振の事実なしには出てこない言葉だろう。
なんと素直な魂を持った記者だろうと驚いた。
舞踏に対する既成概念に汚され、自分の中の醜いものから目をそらす
いまの日本や欧米の新聞にこんな直截な生命共振そのものの言葉が
載ることなど考えられない。
インドにはまだまだ希望が潜んでいる。
だがわたしたちは、インドだけにとどまっているわけにはいかない。
このインドリゾーミングツアーで獲得したリゾーム舞踏の衝撃力を
更に磨いて欧米や日本に再上陸するだろう。
その日をお楽しみに!




 
2015年2月18日
 
これが舞踏リゾームだ! in プネ

スネーハルのインスタレーションで踊った共同舞踏公演は、
三ヶ月に及ぶインドリゾ―ミングツアーの最終を飾るにふさわしいものとなった。
場に生えるインド特有のバニヤンツリーが、
無限に増殖する幹と根と気根を延ばすリゾームの典型である上に、
それに接続されたスネーハルのあらたな根と気根の網の目に、
さらに分離連結自在なリゾームと化した踊り手のからだが連結変容するという
これまでにない多次元非二元のリゾームを実現することができたからである。
ここまで多次元化重層化できたのは共振塾史上はじめてのことだ。
いや、おそらく人類史上はじめての達成であろう。
これこそインドリゾ―ミングツアーで探し求めていた
「舞踏リゾーム」の今後を指し示す光明となった。
リゾームとは、ツリー=階層秩序に縛られた現代人の思考と行動から解放された
未来の人間を探る今日的形態である。

多くを語るより写真を見ていただければ一目瞭然だ。
さらにバルンが撮ったすぐれたビデオもやがて編集・アップロードされるだろう。
お楽しみに!


 
 
拡大するには ここをクリック
Pune Mirror 14 Feb. 2015
 
 "Gone To Grass" Snehal Dott
2015年2月11日

 スネーハルの新作リゾーム世界に感激!

去年、アンク―ルとアグがコラボレートしたスネーハルさんの
今年のプネ・ビエンナーレ出品作を見て心底驚いた。
長年探し求めてきたこれぞリゾームだという世界が見事に現前していたからだ。
会場になったキャンパスに円形に生えていた
5本のバニヤン・ツリーの根っこや気根に
わらで作った新たな根を接続し、地に潜り、別のところから顔を出すというリゾームそのものの生態をいきいきと創りだしていた。
足を痛めてプネでは踊れるかどうか心もとなかった私だが、
それを見て足の痛みなど嘘のように吹っ飛んでしまった。
ここで踊らねばリゾーム・リーじゃない。
その夜は興奮して次から次へと踊りのイメージが続出した。
プネのワークショップは予定通り今日から始まった。
その最終日に、ホンザ、アンネリそしてワークショップの参加者とともに
これぞリゾームの踊りだというのを具現したいとおもう。
そればかりではない。
3年後に予定している日本ツアーにも
スネーハルや夫の写真家バルンとともに、
この作品を持ち込んでそこで踊りたいという夢も立ち上がった。
まだなんのあてもないが、強く願えば望みは叶うものだ。
どこからか支援の手を差し伸べてくれるのを心待ちに待つ。


ジャークハンド
ジャムディ
 
2015年1月31日

 インドの世阿弥

カルカッタから西へ、ジャークハンドのジャムディという村の伝統的なマスクダンス「ショウ」の拠点を訪れた。
指導者のアダール・クマール氏の父が1971年に地元に伝わる伝統的な踊りを統合し、振付も定着し他踊りは、国際的な評価を得、日本への2回の公演ツアーを含め、24回のヨーロッパツアーの実績がある。
私たちはその家の衣装倉庫に8日間滞在し、毎夜の練習と、最終日の2日間に渡る深夜から朝まで続く、近隣の村の広場で行われた祭典に参加した。
竹で作られた演舞場、わらを敷いて作られた客席に集う老若男女と踊り手の交感を見ているうちに、わたしは千年のタイムスリップを体験した。
観阿弥世阿弥が各地の伝統芸能・猿楽や田楽を統合して能を確立した時代さながらの風景が広がっていたからである。
しかも催しは観阿弥世阿弥時代と同じく、2つのグループの競技形式で行われた。アダールのグループは観世座同様、百以上もあるショウダンスグループの中の競合を勝ち抜いて、今日の地位を築き上げたのだ。
世阿弥も一時は栄華を手にしたが存命中には後継者も将軍家の保護も失い、一座破滅の憂き目にもあっている。芸能の厳しさを目の当たりにする思いだった。
ショウダンスは、アクロバチックな空中回転系の技と大きなマスクを特徴とする、インドでも珍しい踊りである。
練習ではわずか7歳の男の子も空中回転を見せるなど裾の広さに驚かされた。
だが、衣装をつけた本番で、もっとも驚かされたのはアダール氏のソロである。
さながら室町時代の観阿弥・世阿弥が舞っているかと思えたからである。彼が登場するやいなや場の雰囲気が一変した。彼の踊りは観阿弥・世阿弥もそうであったろうように、神々になりきり、一歩一歩が風格と気品を添え、世阿弥がいう幽玄の域に達しようとしていた。
アクロバチックな踊りだけでは最初は人目を引いてもやがては飽きられる。観阿弥も猿楽などのアクロバチックな踊りを取捨選択して申楽へ統合しただろうが、世阿弥はさらにその生涯で何度ものそぎ落としを行っている。
それは舞踏において、当初の人目を驚かす暗黒舞踏の荒っぽさから、力任せの技をすべて封印し、衰弱体に結晶させた土方巽の歩みとも重なる。
有名な世阿弥の『二曲三体論』では次のように条件付きで肯定されていた、力動風などの荒っぽい動きは、後年評価が変わる。

「力動風 勢形心鬼
これは力を体にしてはたらく風なれば、品あるべからず。
心も鬼なれば、いずれもいかつの見風にて、面白きよそほひ少なし。
しかれども、曲風を重ね、風体を尽くしたる急風に一見すれば、
目を驚かし、心を動かす一興あり。
さるほどに、再風はあるべからず。心得べし。」
ここでは、力動風を品がない、一公演で繰り返して用いてはならないと戒めながらも一応時には序破急の変化を与えるものとして容認されている。
だが、後年には

「当流には心得ず(三道)」、
「力動なんぞは他流のこと(佐渡書状)」
と、
原則的に禁止されるに至った。

今後、アダール氏の踊りが、そしてジャムディのショウグループがどう変わっていくか。わたしはかれらが固有の美を研ぎ澄まし、やがては世阿弥によって複式夢幻能人して完成された日本の能をも脅かす存在になる日が来るのではないかと、勝手に夢見ていた。
そして、問われていたのはむろんわたしの踊りである。
この先どこへ行くのか。
いったいいのちは何を踊りたいのか。
このインドリゾ―ミングツアーで問いかけ続けてきたいのちへの問が
まだ答えを見出していない事実にぶつかった。
まあ、焦るまい。サブボディさんはいつもわたしが眠っている間に
素晴らしい答えを見つけ出してくれる。
今回もサブボディさんを信じて眠りにつくことにしよう。



西ベンガル
ケンドリ
 
2015年1月23日

 風狂のバウル音楽がからだを駆け抜けた

カルカッタ出身の塾生の強い勧めでケンヅリ フェスティバルを日程に入れたが、
実は行ってみるまでバウルが世を捨てた風狂の吟遊詩人たちの音楽であることさえ、知らなかった。
シャンティニケタンではアルカの友人でバウルミュージッシャンのウットムのボイストレーニングのワークショップも受けたのだが、ただのベンガルの民謡だと思っていた。
行ってみて驚いた。
ベンガル地方各地から何千人という吟遊詩人が集結し、聴衆は何万人にも上った。
300年の伝統があるという。
バウルとは「風狂」という日本語に近い。
大半はスピーカーで拡声する今風のコンサートになって老若男女が歌い、奏で、熱心に聞き入っていた。
だが、わずかな伝統を重んじるグループは、
電気やスピーカーを使わず、
ろうそくの明かりだけを囲む少人数のグループで共振し、魂の解放に焦点を当てるやり方を選んでいた。
そうだ。バウルは共振音楽でもある。
一人が得意の楽器を持って歌い出すと、
仲間がそれぞれの楽器で共振して一つの音楽を共創する。
まるでわたしたちのノマドリゾームと自由共振のパフォーマンスのやり方によく似ていた。
おまけに不思議なことに、わたしがもっとも気に入ったそのバウルのグループには、なんと日本の女性が四人も参加していた。
その一人に経緯を伺ったが、三年前に東北大地震のあと自分の生き方を見つめなおすためにインドに渡り、バウルの魅力に触れてそのままハマりこんだという。
「ここ一箇所だけでインドのすべてを学べるので」とも語っていた。
それだけ特別の深い経験ができる特別の時空のようだ。
現世を放棄した吟遊修行者というあり方は、河原者芸能者として<死者>に成り込む舞踏とも一脈通じるところがある。

(以下はユネスコの世界遺産のサイトの「バウルの歌」から転載)
「彼らの信仰は、ヒンズー教や仏教、ベンガルのビシュヌ派、イスラム教のスーフィーの影響を受けつつも、それらとはまったく異なるものです。彼らは、いかなる既成宗教やカースト制、特別な神々、寺院・聖域にも属さないと言われています。彼らが大事にするのは、神が棲む所として人体を重要視します。バウルは、音楽や詩だけでなく、こうした既成の慣習からの脱却という点においても称讃を受けています。」
http://www.accu.or.jp/masterpiece/04apa_jp.htm
思いがけない出会いだった。
わたしは二晩バウルの風狂の音楽の一粒一粒を丹念にからだの各部に通した。
脊髄ひとつひとつ、関節ひとつひとつに違った多様な方法で音を通し続けた。一晩それをやった挙句、からだが透き通るほど自由になった。見ているひとにはトランスに入っていると見えたという。
この経験を参考に、来期の授業ではバウルを始めとするインド音楽を使った新しい調体法を見つけようとおもう。
わたしにとっても新しいからだの窓が開く体験となった。



カルカッタ
 
2015年1月15日

 ひとつのいのちー共同公演 in カルカッタ

ワークショップが終わったあとの日曜日、
わたしたちはカルカッタのプロセニウムアートセンターという小劇場で、
共同公演を行った。
ワンネスと銘打ったワークショップの成果が問われる公演だったが、
全員がベストの踊りとアイデアを出し合い、すべてが奇跡のように
一つになるめったにない公演となった。
たった一週間のワークショップでここまで持ってこれた経験は
わたしにとってもはじめてだ。
生涯記憶に残るものとなるだろう。
観衆も非常に喜んでくれ、カルカッタのアートサイトには
「舞踏―痛みの美しさ」と題した記事で紹介された。
ひと月前に出会って、ラジャスタンでは多事多難なツアーを続けてきたメンバーも、ようやくここに来てひとつの世界を共創できるまでになった。


 
2015年1月15日

 ひとつのいのちー共同公演 in カルカッタ

ワークショップが終わったあとの日曜日、
わたしたちはカルカッタのプロセニウムアートセンターという小劇場で、
共同公演を行った。
ワンネスと銘打ったワークショップの成果が問われる公演だったが、
全員がベストの踊りとアイデアを出し合い、すべてが奇跡のように
一つになるめったにない公演となった。
たった一週間のワークショップでここまで持ってこれた経験は
わたしにとってもはじめてだ。
生涯記憶に残るものとなるだろう。
観衆も非常に喜んでくれ、カルカッタのアートサイトには
「舞踏―痛みの美しさ」と題した記事で紹介された。
ひと月前に出会って、ラジャスタンでは多事多難なツアーを続けてきたメンバーも、ようやくここに来てひとつの世界を共創できるまでになった。


 
2015年1月15日

 ひとつのいのちー共同公演 in カルカッタ

ワークショップが終わったあとの日曜日、
わたしたちはカルカッタのプロセニウムアートセンターという小劇場で、
共同公演を行った。
ワンネスと銘打ったワークショップの成果が問われる公演だったが、
全員がベストの踊りとアイデアを出し合い、すべてが奇跡のように
一つになるめったにない公演となった。
たった一週間のワークショップでここまで持ってこれた経験は
わたしにとってもはじめてだ。
生涯記憶に残るものとなるだろう。
観衆も非常に喜んでくれ、カルカッタのアートサイトには
「舞踏―痛みの美しさ」と題した記事で紹介された。
ひと月前に出会って、ラジャスタンでは多事多難なツアーを続けてきたメンバーも、ようやくここに来てひとつの世界を共創できるまでになった。


シャンティニケタン
 
2015年1月18日

 サブボディ・ソロの統合ー in シャンティニケタン ワークショップ

シャンティニケタンでのワークショップの最終日、
各自はそれぞれのソロを思い思いの場所で時間無制限で統合した。
その二日後のカルカッタでの共同舞踏公演「ひとつ」は
このソロ統合の作業が土台になった。 
全員がアイデアや希望を出しあって決めた
サブボディ―コーボディの構成の中で、
一人10分に凝縮して踊った。


 
2015年1月13日

 村の土方巽少年に学ぶ

ワークショップの会場の劇場村は、日本の水田地帯と同じ風景が広がる美しい村の中にあった。
そこはさながら、土方巽が幼少期を過ごした戦前の秋田の農村の情景そのものであった。
子どもたちは道端に穴を掘り、道路を建設し、子どもたちの王国の
創造者として君臨していた。
土方巽が『病める舞姫』で、台所の流しで蠢くミミズを眺めながら、
「少年のわたしは事物を捏造する機会を狙っていたのかもしれない。」
という土方少年そっくりの無限の創造力を羽ばたかせている少年少女に出会った。
そうだ。
わたしはまだなにものにもとらわれていない、
「ただ生きているだけみたいな」いのちの輝きを放っている
彼らに学びたくてここまで来たのだ。
わたしたちは彼らにまじりリゾーム状に地下で連結するトンネルを掘り、
橋を架け、レンガを紐で引っ張って自在に道路をつくり、
建物を建設する少年たちにまじって時を忘れて遊んだ。
そのあと、わたしは気づいた。
そうか、わたしたちの世界という概念が根底から変わらねばならないことに。
先進国に育った人々は、あまりに今日の情報化された世界概念だけに囚われているからだ。だが、世界にはまだこんないのちの無限の創造力の輝きに満ちた世界が広がっているのだ。

 
 ワンネスワークショップ in シャンティニケタン

カルカッタの友人、アルカが準備したワークショップは、
カルカッタ郊外の大学町シャンティニケタンの劇場村で開かれた。
シャンティニケタンとは『平和の国」という意味で、
この大学を開いた詩人タゴールの信念に基づいている。
タゴールは、生と死の間で詩を書いた。
死はより大きなひとつのいのちに帰るものだと捉えていた。
それはサブボディメソッドが、個々人や国別に分割された『人間』を脱ぎ、
いのちになろうとするのと、共時的に共振している。
わたしはカルカッタの日本人宿サンタナの本箱にあったタゴールの詩を読み、
私たちのやっていることの偉大な先達だと感じた。

ワークショップでも、お互いのもっともやりたいことや、
希望や問題をシェアしあい、
他の人の問題を自分の問題として受け取るということから始めた。

劇場村は、日本の水田地帯と同じ風景が広がる美しい村の中にあった。
私たちは劇場村の内外で踊り、地元の村人や子どもたちと交流した。
その模様はまた後日紹介します。
 
 
 
 
サブボディ共振舞踏ワークショップ in シャンティニケタン

カルカッタのダンサーアルカが準備してくれたワークショップ。

カルカッタ郊外のテパンタル劇場村 シャンテニケタン、西ベンガル
1月5日から9日 
参加 食費宿泊込みで一日 1500ルピー 
インドリゾーミングツアー
 
ラジャスタン
 
India Rhzoming tour 1 Rajasthan Highlight 
2015年1月1日

新年おめでとうございます 
インドリゾ―ミングツアーより


ラジャスタンのジョドプールでコアメンバーは小グループに分かれ、
あるものは当初の予定通りジャイサルメールの砂漠に向かい、あるものは南のカルナタカに進路を取り、予約していた切符でカルカッタ入りするもの、外国に移動するものらに分散した。
それぞれ異なる新年を迎えた後、1月のカルカッタまたは2月のムンバイで再合流する。
国外に出たものらも来年の共振塾に帰ってくる。
1月半ばにはノルウエーからアンネリが合流する。
分離連結自在がリゾームだ。
起こることすべてを受け入れその中で最適の共振パターンを見出すのがいのちだ。
さてこの後どうなるのか、知るものは誰一人いない。


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2014年12月31日

青い街ジョドプールで踊る


10日間のラクダキャラバンの後、一行は青い街で知られるジョドプールについた。
途中ロメスが右半身麻痺になって倒れるなど不測の事態に見まわれ、
ロメスは五日間病院に入院し、リーは看病のためにキャラバンを離れた。
幸いロメスの症状は当初の診断の脳内血管出血による片麻痺から、
CTスキャン、血液検査、MRIなどの診断の後、片麻痺よりは一段軽い
脳血管障害という病名が下された。
5日間の指圧・マッサージ・リハビリテーションの結果、
ロマスはなんとか歩行可能になり、
ダラムサラから彼の家族が迎えに来て、
故郷のマッダプラデシュに向かった。
ロメスの不測の事態で直面したことは「からだの闇」の別項『いのちの脆さ』に書いた。

一行はジョドプールに中心に建つ古く大きな砦で踊り、
青い街の路上や家で踊り、街を見下ろす巨岩の上で踊った後、
いくつかの小さなグループに分かれて、
それぞれジャイサルメールやオーシャンの砂漠、
南インドのカルナタカなどに分散し、
新年早々にカルカッタあるいは
2月のムンバイで再合流することになった。
自由に連結し自在分離するのがリゾームだ。
ノルウエーのアンネリは来年1月中旬のサンダーバンから合流する。
幾人かのメンバーは来期の共振塾に参加する。
ともあれ再会までしばしの別れだ。



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2014年12月30日

干上がった湖底で踊る

キャラバンの途中、水が干上がり、複雑な湖底の地形を見せる枯れ湖に出会った。
さっそくその近くに野営し、日没時とあくる朝の日の出の時刻にそこで踊った。




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2014年12月28日

いかに部族の人々と共振するか

ラバリ部族の人々とはじめてであったとき、
コアメンバーはそれぞれの仕方で彼らと打ち解けようとした。
女性ダンサーはラクダ御者の妻から習ったラジャスタンダンスを
彼女とともに踊り、
パメラは持っていた甘い干し果物を子どもたちに配っている。
ヒンドゥー語を話すデバンジャリは、私たちが何者か、説明している。
女性軍の踊りに加わらず、遠巻きに見ていたをぢこが
村人のリクエストで踊り始めた。
誰にもわかるようなマイムを多用した大道芸だ。
人間にとって言葉の説明なしにわかる普遍的な動作や仕草がある。
つかむ、運ぶ、落とす、走る、逃げる、怯えるなどなどだ。
それらを踊りに交えれば誰にも見るだけで何が起こっているかがわかる。
さすがにストリートパフォーマンス歴15年だけあって
をぢこは滑稽な動作を交えて子どもたちのやんやの喝采を受けた。
どんな序破急で近づいていけば、受け入れてもらえるのか、
少数部族の人々が外部社会に対し、どんな深いおびえやおそれを
抱いて生きているか、全員が深く学んだと思う。
あくる日の調体では、これらのアビエやおそれを共有し、
人間にとって普遍的なマイムを交えた踊りを創ってみるようガイドした。
出会う異文化、異部族、自然、街頭、劇場を問わず、
あらゆる場所で踊り、共振を深める技法を磨くのが
このツアーの一つの眼目だ。
お互いの問題を互いにシェアし、学び合い、問題を解決していく
よい機会となった。




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2014年12月24日

ラバリ部族と出会う

ラクダキャラバンをはじめて4日目の朝、
ラクダ御者が突然道をそれて小さな部落に入っていった。
ラバリ部族のセツルメントだった。
かれらは一度インドからカザフスタンに移動した後、
数百年前にインドに戻ってきた生粋のノマド(遊牧民)だ。
いまは各地のセツルメントに定着している。
部落に入るなり、いきなりアロンの笛とともにホンザが踊りだした。
よぼよぼの仙人風の踊りだ。
一体何が始まったのかと、村人は好奇心とおそれで緊張して見守っている。
ドナは赤ん坊を連れておどり、デバンジャリも踊っている。
わたしも土の上を転がって踊りだした。
おそらく村人の踊りの概念をはみ出していたのだろう。
やがて斧を持った若者を中心にやめろと言い出した。
子供が怖がっているじゃないか、と。
ラクダ御者もまず座ってお茶でも飲んでから始めるようにと
言っているという。
そこでひとまず仕切りなおしだ。
ヒンドゥー語を話すデバンジャリは、私たちが何者か、説明している。
アヤはラバリ特有の腕輪をした女性に話しかけ、
腕輪をしているのはラバリ族の既婚女性だけであり、
同時に刺青も施すことを聞き出した。
朝のキャラバンを始めたばかりだったのと、
御者はこういう部落は道中に他にもあるというので、
昼食を食べた後またキャラバンに戻った。
今から思えば、この部落で数日滞在して、部族の人々と
もっと深い交流を図るチャンスだった。
先を急いだばかりに、この後どんな不測の事態に見舞われることになるか、この時はまだ誰もしらなかった。




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2014年12月23日

ラクダキャラバン始まる

思い出は砂の国から始まる
思い出せないことも砂の国から始まる


―高校時代の友人で詩人の佐々木幹郎が何十年か前に送ってきた詩だ。
なぜか、心の底に引っかかっていたが、
まさか自分が実際に砂の国に来るとは予想もしていなかった。

砂ばかりの国で、果たして思いだせもしなかった
どんなサブボディが、からだの闇から這い出してくるか。
砂漠の中の美しい湖の町プシュカルから、
青い街で知られるジョドプールまで、
十日間のラクダキャラバンが始まった。
ラクダ4頭、ラクダ車3台、御者6人、メンバー15人という態勢だ。
はたして砂漠のノマドの民と出会えるのか、
出会えたとしてどういう踊りが生命共振を引き起こすことができるのか。なにもかも未知の旅だ。



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2014年12月14日

砂漠の朝の美しい共振

ようやく15人のコアメンバーすべてが揃った今朝、
ベースキャンプ近くの砂漠で朝の調体を行った。
近くに住む住人家族が総出で眺めに来た。
わたしは『病める舞姫』の舞踏歩行の練習を予定していたが、
ただちに誰にもわかる同じパターンで共振する練習に切り替えた。
大きな円形にひろがり、真ん中までだれかが独特の仕方で動き始める。
それを全員でコピーするというものだ。
すると、それを理解した小さな子供がまず、砂の上を転がりだした。
わたちたちはただちにそれを真似して転がった。
続いて踊り好きそうな女性がラジャスタンダンスを始めた。
朝の調体はたちどころにラジャスタンダンスの講習会に変わった。
ダンスは瞬間共振だから、世界中どこへ行ってもからだで通じ合える。
きさくな砂漠の民といかにからだで共振するか、先行きが見えてきた。
踊りのあとわたしたちは彼女らの家にチャイ・パーティに招かれた。
若い夫はラクダのツアーガイドをしているという。
何人かはラクダに乗せてもらった。
女性たちは、ラジャスタン衣装で着飾った。
彼との交渉で、今週水曜から12日間のラクダツアーが即決した。
一人一日食費込みで200ルピー、手頃な値段だ。
湖の町プシュカルの次の地、青い町で知られるジョドプールまで、
砂漠の民の村から村へのノマドツアーはこうしてはじまろうとしている。
2週間後にその模様をお届けできるまで、
しばしインターネットともおさらばだ。


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2014年12月14日

ホンザ、ドナとコーボディ 
プシュカル2 ラジャスタン

プシュカルのベースキャンプ近くで、
ホンザは大きな木の切り株、
ドナは無数の気根をもつ大樹で踊った。
明日から十日間、次の地ジョドプールまで
砂漠の民の部落から部落を歴訪するラクダキャラバンが始まる。
十日後にまたご報告します。


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2014年12月12日

プシュカル ラジャスタン1

ラジャスタン最初の地・プシュカルについて5日経った。
野営地に6つのテントを張り、メンバーは毎日踊る場所を見つけ、さっそく踊り始めた。
山上のヒンドゥー寺院へのラクダ馬車が通る路上で踊り、
美しい湖の周辺や、親切な近所の民家にチャパティパーティーに招待され庭で踊った。
15人のコアメンバーのうち、13人が揃い、あと二人の合流を待って次の地へ移動する。まずは順調な滑り出しだ。
 

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2014年12月10日

デリー舞踏祭

第2回舞蹈祭は終了した。
すぐに私たちは夜行バスでラジャスタンのプシカールに向かった。
野営地を見つけようやくインドリゾーミングツアーが始まった。
続報をお楽しみに!

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