サブボディ共振塾ジャーナル
 

2011年10月31日

命の味わい

10月の最後の週、生徒たちはほぼ全員30分のソロを踊った。
無限に変容する死者の技法とは、命の全域をくまなく旅する踊りを創ることになる。
見ていて息を抜く隙がないほど密度の濃い踊りが出来上がってきた。
踊りの味わいが人間のというよりは非二元かつ多次元に共振している命のそれに近づいてきた。
命の味わいは言葉では言いようのないほど深い。
とうとうここまで来たのだと、感慨がこみ上げる。
自我や自己を脱ぎ、ここまでからだの闇を掘り抜くことがどんなに苦しいことか、
私にはよくわかる。
いつなんどき、思いがけぬエッジ・クオリアに見舞われるかわからない。
毎日誰かが耐え切れずに泣きに来る。
わたしはただただその苦しさに共振する。
これから一ヶ月、最後の正念場を迎える。
すべてのサブボディ、コーボディのつつがない誕生を祈るばかりだ。


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からだの闇を掘る
 
 

2011年10月30日

剥製体とヘリオガバルス

1968年、土方巽は「土方巽と日本人―肉体の叛乱」という伝説的な舞踏公演を行った(ビデオ上)。

この年、日本は反戦、反公害、反安保の街頭行動と、各大学をバリケード封鎖する大学闘争が吹き荒れていた。
日本ばかりではなく、フランス、ドイツ、アメリカなど世界各国の若者が管理社会に対する異議申し立てに立ち上がっていた。
土方の舞踏はこれらの若者の動きと共振した大パフォーマンスとなった。
だが、その後土方はひたと沈黙する。
からだの闇に潜り、からだの闇に棲む死んだ姉に耳を澄まし続けた。
姉はさまざまな啓示を彼に与えた。
「くにおちゃん、あなたは土方巽と日本人と題して踊ったけれど、その日本人て誰? 
私はその日本人には含まれないの?
私だけじゃない。戦争で死んでいった多くの人たちは? 
公害で苦しんでいる水俣の人たちは? 
そして黙ったまま耐え続けている多くの民衆は? 」
土方自身が気づいていた。
(そうだ俺の踊りはまだ、死者や、生きたまま苦しみに耐え続けている日本の民衆を背負いきっていない。
どうすれば、彼らの命と共振できる踊りにまで深めることができるのか?)

彼は午前中いっぱい、二階の個室に閉じこもり、
死んだ姉と同じように神を伸ばし、着物を着て瞑想に瞑想を続けた。
瞑想といっても伝統技法のように座り続けたのではない。
死んだ姉が立ち上がれば、彼が転ぶというような、複雑奇怪な死者との共振に身を委ねた。
そのなかで、後に衰弱体と呼ばれるこれまでにない死者の技法を編み出し、
1970年から、新しい衰弱体の舞踏を創出し始めた。
「ギバサ」、「売ラブ」、「すさめ玉」、「疱瘡譚」、「なだれ飴」、などを東京、京都で連続公演。
そして、1973年6月、京都で「夏の嵐」、9月には「静かな家」を東京で公演した。
「静かな家」は彼の最後の自作品への舞台出演となった。
静かな家のビデオは、彼の死後NHKで放送された特別番組に一部が紹介されただけで、いまは見ることができないが、
同年の夏の嵐における彼のソロ「少女」はいまDVDで見ることができる(ビデオ下)。
土方巽全集に収録されている「静かな家ソロのための覚書き」から、
彼は夏の嵐における「少女」ソロパートを、静かな家のメイン・モチーフに使っている。

雨の中で悪事を計画する少女

そして、1968年の「肉体の叛乱」ノ踊りももまた、
静かな家における「狂王」、あるいは「ヘリオガバルス」として登場している。

深淵図には複眼よりもむしろ皮膚への参加に注目されねばならない。

   ただ一回のヘルオガバルスがある、

   耐えるもの―それはめくるめく節度の別の顔であった」


彼はそれを1968年当時のように原寸大の肉体で踊ったのではない。
からだの一部、額や指先のかすかな震えや、それが頭蓋の中に転写された不可視の動きとして
サイズを最小限に縮減して踊った。
それが静かな家における
「xによる還元と再生」の技法だ。
そして、彼は何千年も耐えに耐えて生き死にしていった民衆を「剥製体」として踊った。
耐えに耐え、ただ一回きり爆発するものこそ民衆である。
ヘリオガバルスもまた、民衆が一回きり見せる姿なのだ。
今年、何千年ぶりにヘリオガバルスとなったエジプト、リビアの民衆のように。

はくせいにされた春」


1、耐え忍ぶ剥製のとほうもないきたならしさ

 2、牛と木のワルツがふるえている

 3、鏡をこすると背後からゆれる花影があった

 4、ふるえている

民衆ばかりではない。狂王としてのおのれも死んだ姉も剥製体となって現れる。
剥製体として目の中の繁みのなかで彼は姉と一つになる。

「剥製体として繁みの中にいる少女
繁みとクモの巣のなかの少女と狂王
目の中の繁みのなかの少女と狂王
こういう部分に関わる体で嵐の襲来をまちうけている、
まるで嵐がくる事を予感した子犬や、スプーンやホタルのように。」

そうだ、土方はついに自分を踊るばかりではなく、
死者も民衆も踊ることのできる舞踏を発見したのだ。
それが衰弱体の舞踏であった。
衰弱体は、静かな家のなかで、ここに見た
剥製体、あるいは気化体、ベルメールなどの傀儡体、
箱に詰められた体底体(ボトム体)、いくつものクオリアを身にまとうキメラ体、
無数のクオリアで穴だらけになった巣窟体などとして、無限に変容する。
それが死者の技法なのだ。


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2011年10月27日

水辺のノマド

10月の3週目の週末、生徒たちは近くの温泉の出る川辺に出かけた。
それぞれに自分のお気に入りの場所を見つけ、踊りを創った。
水辺ではどこか、この世と他界がかすかに共振し、入り交じっているようなところがある。
特に、古いヒンドゥ寺院の聖域となっているこの河原は、
黄泉の世界に続く三途の川の河原の雰囲気が濃く漂っている。
上流の川辺には多くのヒンドゥ教の死体焼き場があり、その灰はそのまま川に流される。
インドの川は生命が死に帰り、また新たな生命に生まれ変わる循環の場所なのだ。
無限変容する死者になる技法を学んできた生徒たちには、
それぞれの背後世界や深淵に触れるうってつけの場所だ。

Googleのピカサを使って写真を編集していたら、いつのまにかYoutubeにアップロード出来る機能が
できてるのに気づいた。
どんな出来なのかわからなけれど、どちらにもアップして見ました。




2011年10月16日

透明ノマド コーボディ

共振塾ヒマラヤは、Lee抜きで、2週目を迎えた。
長期生のKatsをはじめ、各生徒が交互に産婆として毎日の授業をガイドしている。 
週末の金曜日、恒例のサブボディ・コーボディ劇場では 生徒たちは透明なノマドの群れになった。

透明になる

「透明」とは、内と外に半分ずつ開かれたからだになることを指す。
内側の自我や自己にも、外側の他者にも、囚われることなく
命のおもむくままに動き、変容できるからだになる。
「透明体」になることは、踊りを始めた十余年前から一貫して私のひそかな究極の理想であった。
なぜ、透明さにこだわるのか、自分でもよくわからないままそれを追い求めてきた。
そして、同様に、なぜこんなにこだわるのか自分でもわからないまま、 
土方の「静かな家」に取り組み続けてきた。
今週の生徒たちの踊りの写真を見ながら、 
わたしは透明さへの無意識的な志向に導かれて、
土方の「静かな家」に踏み込んできていたことに気づいた。

「死者は静かにしかし限りなくその姿を変えるのだ 彼等は地上のものの形をほんのふとした何気なさで借用することも珍しくない」 (『静かな家』第2節)

この一年、「静かな家』を学び、<死者の変容技法>を学んできた生徒たちのからだが
いつのまにか、ずいぶん透明になっているではないか。 
しずかにしかし無限に変容する死者になるとは、 
まさしく、長年追い求めていた透明体になることだったのだ。
透明になるとは、自我や他者を消すこととは少し異なる。
踊りの中にはいろんなものが出てくる。 
自我や他者のみならず、見知らぬ元型や、 ほかの生き物や人物がのりうつってくることもある。
出てくるものはすべて踊るに値するものだ。
大事なのは、だが、それらに囚われないことなのだ。 
からだの闇から出てくるものすべてを踊りつつ、
自我にも自己にも他者にも元型にも憑依にも囚われない、 それが<透明さ>だ。 

<ノマドの群れになる> 

もうひとつは、絶えず変容するノマドの群れになることだ。
単独のサブボディは、絶えず多数のコーボディに変容し
、 いつでも群れから離れて、単独に戻る。
それがリゾームだ。 そして、自在に移動するリゾームは、同時にノマドとなる。 
命の世界では、一と多の間に仕切りがない。
個と群れは、二元論のいうように別概念ではなく、 命の相の違いにほかならないのだ。
ノマド劇場とは、自在に踊る場所を変えながら、 
個と群の間を行き来し、 共振のし方を発明し合いながら踊る実験の場である。 
10月に入って、一年間積み重ねてきたものが、生徒たちのからだの闇で発酵し、
重合し、多層化して、どんどん複雑で多次元かつ非二元なものへと成長してきている。
共振塾を離れた日本から、それが確認できるのはうれしいことだ。 
もう、私なしでも十分うまくやっていける。 
毎日が、「死ぬにはもってこいの日」となる。 

おっと、今はそうは行かない。 
インドビザの申請が、年々難しくなってきて、 
この難儀さが頭のなかにかすがいのように打ち込まれている。
通常なら3日で出るはずの就学ビザが、もう2週間も足止めになっている。

なぜ、私の居場所を決めるのに他の誰かの許可を求めねばならないのか。
これは、命にとって根源的におかしいことではないのか。 
人間だけが自分たちが創りだした桎梏に囚われて生きる存在である。
法、宗教、国家が現代でもなお残るそれら桎梏の代表である。 
だが、同時にそれらが桎梏であることに気づけば、 ただちに廃棄することもできる存在だ。
過去の時代の人々は、その時代に特有の共同幻想的な桎梏、 
様々なタブーや、植民地主義や、奴隷制度にとらわれて生きていた。
その時代の人にとって、それらがなくなることは想像を超えたことであったろう。 
同様に、現代の人は国家や法や宗教が死滅した世界を想像することができない。
だが、歴史のなかで、タブーや植民地主義や奴隷制度は、 ある日嘘のように力を失い死滅してきた。 
それと同様に、国家も死滅する日が来る。 
想像力や想像力を制約するこの不自由な囚われの源を解き明かすまでは、 
まだ、死ぬわけにはいかない。

(この記事は、「共振塾ジャーナル」として書き始めながら、 
途中で私の個人的な探求である「からだの闇を掘る」の内容に移行した。 
どちらにも掲載することにします。)


Student Midwife Week 1: 10/3-10/7/2011


カラビヤウ世界

今週から約一ヶ月、生徒一人一人がサブボディの産婆になり、
他の生徒をガイドして行く。

月曜日はカツが「憑依体」のコンディショニングをした。自分の意志で動く
のではなく、「動かされる」というクオリアに身をまかせる。ペアになり、
さまざまなチャンネルを開きながら、お互いのクオリアに動かされていく。
この日の最後には「憑依体」のコボディになった。

火曜日の朝はアクシがお互いを抱きしめながら、母と赤子のクオリアで揺ら
ぐというコンディショニングをした。その後、「カン工場」を死者として旅し、
お互いのクオリアをシェアした。午後にはジョナサンが手を極度にスローに動かす
というエクササイズをした後、想像の世界を手で触れ、
なぞりながら作り出すという練習をガイドした。この日は「メスカリンの手」
というコボディをした。なんとも不思議な世界が飛び出した。

水曜日はヘスリが骨盤に重点をおくコンディショニングをした。そして、
レゾナンス・タッチでお互いをリラックスさせた。その午後には、ジオが
「ふるえ」を重点としたコンディショニングをし、お互いの「ふるえ」
のクオリアをシェアした。その後、卵(または箱)の中からふるえながら孵化し、
「フーピー」になるというコボディをした。

木曜日はナターシャが足の下から根がはり
それが石や障害物を掻き分けてのびていくというコンディショニングをした後、
それを今度は自分の人生に置き換えて、人生の内の三つの障害物を探し、
それを掻き分けながら「人生を踊る」というセルフ・リサーチをガイドした。
そして、そのクオリアを灰柱の歩行をしながら分かち合い、
その後お互いの「人生の踊り」を五分間で踊るという練習をした。
皆とても深い所まで行っていて、中には泣き出す生徒もいた。ごごはかつが
「Xの還元と再生」をテーマにした練習をガイドして、「Xの還元と再生」
のコボディをやった。お互いの「X」
クオリアを常に還元または再生しながらコボディをやるという手法で、
サブボディ同士の奇妙な関係がたくさん生まれた。

金曜日はカツが「ひも原理」を説明した後、一人一人がカラビ・
ヤオ空間の写真をその日の師としながら、セルフ・リサーチへともっていった。
今日の課題も一時間のソロを作りまた洗練するというものだった。
午後三時には毎週一度のパフォーマンス。今日は、各人が自分の次元を開きながら、
カラビ・ヤオ空間のように交わりコボディを作っていうというやり方で、
二時間近く皆踊った。

週の初めに感じた「リーがいなくて大丈夫だろうか?」
という不安を吹っ飛ばすような充実した一週間だった。
やはり一年コースの生徒がここまで出来るようになったのも、
リーのサブボディの産婆としての忍耐強い努力の成果だというべきだろう。

 

 
October 2011
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