サブボディ共振塾ジャーナル
2011年4月30日 

  

背後世界を共創する群れ

  

「静かな家」に取り組み始めて最初の週末、
生徒たちは第一節の「赤い神様」からそれぞれに共振する一行を選んでからだに落として踊った。
そして各人が自分が踊りたい背後世界や異世界をコーボディの動きとして他の生徒に振りつけた。
土方の舞踏譜からとったものもいれば独創したものもいる。

鏡の裏で無言の叫びを上げる背後霊、
通り過ぎる二次元の亡霊、
這い回るフラマン(瀕死者)の群れ、
森の巣、
意味もわからず不快に押し合う観客、
必死に何かを待ち続ける怒りの薗
はく製の春、などだ。


とくにピラーのプールのシーンで突然押し合いへし合いに巻き込まれた観客は
驚いただろうが辛抱して耐えてくれた。
Xによる還元と再生という土方の沈理を学んだ生徒たちは
早速それを応用して何かの要素をマイナスした衰弱体の群れによる異世界を創りはじめた。
そしてその独自の背後世界をまとって踊る。
先週の固有夢劇場でコツを掴んだ生徒たちは、他の踊り手への振り付け力も難なく身につけていく。
X還元という土方の沈理はおどろくべき創造力をもたらしてくれる。
自分の踊りだけではなく無数の背後世界や異次元にむかって創造の可能性が爆発的に広がっていく。
すべての生徒にとって他の生徒の想像に応じて衰弱世界を共創する融通無碍さを身につけていくことは
楽しくてしようがないようだ。
自分の想像力を全開するだけではなく、他の人の想像世界にもからだで共振できるからだになること、
フレキシブルな異世界の共創能力を持ったリゾームの群れ、これが今年創り出したいもののひとつだったが、
二ヶ月でもうものになりかけはじめた。
二年前はここまでで半年かかった。
今年はもっと遠くまでいけそうだ。
いや、半年かけてもここまでのグループにはならなかった。
とんでもないフレキシブルな群れが生まれ出つつある。
互いの世界にからだごと入り込んで創りあえる群れなんて、
この世にこれまで存在したことはない。
いったいこの先、何が可能になるのだろう。
わくわく、ぞくぞくだ。


2011年4月26日 

  

固有夢のノマド劇場

  

木曜日にカングラフォートで固有夢を踊った生徒たちは、
金曜日、さらにそれぞれの固有夢の踊りを学校周辺の地形で練りこんだ。

この一週間で、一挙に踊りが濃くなった。

固有夢は生命にとっていつかは解かなければならない謎の巣なのだ。

人はみな踊らなければならない踊りを持つ。

それに出会うために共振塾で学ぶ。

固有夢をめぐる踊りはそれに至る坑口である。

ここからもう逃れることのできない長い坑道がつづく。

次週からはいよいよ土方巽の最後のソロ

「静かな家」の舞踏譜への取り組みが始まる。
そこでわたしたちは土方の必然に出会う。
自分の必然を探るプロセスと、土方の必然に出会うプロセスは共振している。
自分を掘る坑道が深まれば、やってくる出会いも深まるのだ。
この週、生徒たちは自分の夢だけではなく
互いの固有夢の世界に互いに入りこみあって踊った。

自他分化以前の非二元の沈理の世界へ降りていく準備が整ってきた。

 

ここからさきは必然の踊りへの坑道。

生命の舞踏への道だ。

 

 

 

 


2011年4月26日

「静かな家」への取り組みが始まった。


共振塾ではいよいよ今日から「静かな家」の研究にとりかかった。
新学期が始まって7週目で、ここまで辿りつけたのは、
共振塾始まって以来の驚異的な速度だ。
いままでは学期の終わりにようやくここまで来た。
その分、今年は一年かけてじっくりこれに取り組むことができる。
一行一行に土方の踊りの精が詰まっている。
今日は初日なので、第1節のほんの数行を解きほぐしただけなのに、
生徒のからだの闇が共振して急に微細な味わい深い踊りが出てきた。
どこまで掘れるか、生徒の踊りがどこまで研ぎ澄まされるか、
なにもかもはじめての試みだが、底知れない楽しみがはじまった。
どうかこれからの一年を見守っていただきたい。



 

カングラ固有夢劇場

2011年4月22日

 

 

生涯で見た最も怖い夢、

なんども繰り返し観る夢、

忘れたくても忘れることのできない夢、

人は皆生命に刻まれた固有の夢をもつ。

固有夢あるいは原生夢と呼ぶ。

今週は生徒全員がそれを踊った。

群れのからだで互いの夢の世界に入り込み、

一週間かけて固有夢劇場を創った。

木曜日には近くのカングラフォートという中世インドの遺跡に出かけて、

自分の夢の場面に似合う地形や布置を見つけて踊りを創った。

夢のクライマックスシーンは生徒が互いに入り込み

一緒に創った。

普段雲に隠れているヒマラヤ連山がこの日は美しい姿を現して

生徒たちの踊りを見守ってくれた。

 

2011年4月22日

深くてうれしいジオのフィードバック


韓国のジオがこの5週間の体験のフィードバックを書いてくれた。
彼女はもともと優れたライターなので、共振塾での体験をとても的確に書いてくれている。
踊る人はからだの動きのチャンネルだけが開いていて、口下手なのが常で、
ダンサーでかつライターというのはごくごくまれな存在だ。
誰もがこんな体験をしただろうが、ここまで書けた生徒ははじめてだ。
ジオは自立した女性の居場所のない韓国に居たたまれず、
自分のアイデンティティを探してアジアの長い旅を続けてきた。
そして、舞踏と宿命的な出会いを果たした。
子供のためのボランティアなどをしてきたからか、
驚くほど深い共振力を持った人だった。
おまけに風貌がこれまでに出会ったどんな日本人の舞踏家よりも舞踏顔をしていた。
おそらく彼女は生涯を舞踏に生きることになるだろう。
こういうよい出会いが生まれることほど生きていて嬉しいことはない。
ドゥルーズの忠実な弟子であるわたしは、彼が示した未来の倫理、
よい出会いを生みだすために生きているのだと言っていいほどだから。


Amazing Resonance for 5 weeks ---Gio

Actually,I can't tell you how I've been feeling.

Oneday (after starting this course) I dreamed. In the dream, i was changing my clothe in front of the mirror. The first clothe was nice, but some times later I changed again. I saw me through the mirror. I wore a beautiful clothe, the most beautiful...

It looked like an unique coat really nice. It's fitting for me, most fitting...

I said in the dream, "It's really fitting for me, most suitable!!"

Sometimes  I think of that dream. I feel like to take off, change clothe, wear new clothe, these days doing butoh.

Some one said to me about "[empty house] which the wind and air go and come easily". I imagine that my body become like empty house.

and I'm searching so many faces, so many bodies, so many sounds…

So many stories of body…from ancient times to now…

From other life to my life…

 

Amazing Resonance!

 

As I said when I went to Cambodia I had some strange feelings.

Why they live there (on the big river)? Why they stay on the street begging?

Why I'm walking passing them without doing together something?

Why I live in Korea at this time?

What relationship between them and me or you and me or me and even street dogs ,small trees, wild flowers…

 

Now I think, maybe it's resonance. I read some words like this.

"Sympathetic resonance"!! Anyway now I'm looking for various resonance through body.

Resonance will be one of the most important word in my life like a solidarity of various life in society.

You said " life resonance" Yes, life resonance.

Also the resonance with other students was amazing.

With deep emotion really I love their subbody.

 

And…Qualia!!

 

Too many Qualia! In our life… Can see can feel or can't see, can't feel…

In my case strong Qualia was in some memory.

One day you said "Close your eyes, and walk forward to your past life"

I was walking but suddenly I couldn7t walk.

I didn't want to see my past. I hesitated to go.

But, sometimes later, following your direction, I was walking in the unconscious condition. You said "Ask your life"

Yes, I did, and I waited for some answer.

And… you know what happened! My body answered for my asking.

My body remembered many things. Really amazing moments!!

The memory of the body!! I followed my body.

Sometimes I forget "I", erasing ego slowly.

When I gave up ego maximumly, there was a new world.

It's the greatest moment. I felt like "meditation of body"

I had an amazing experience in the vipassana.

But it's not enough to keep equanimity in my mind and to observe my body.

I want to express my pressure through body.]I want to comminicate our pressure in the social system… looking for the hidden "I" or nothingness.

 

Subbody methods

 

The methods were enough to help me to look for hidden "I".

It made me relax extremely and dissolved me.

Amazing methods to research skin,, bone,, joint,, all of inside.

Yes, I can be everything. It was enough to make me shiver.

Do you know? Why I started this traveling. I wanted to be born again.

You remember? One day I was baby in the new world…

I love some deep darkness beyond the line between darkness and light.. between happiness and sadness.

This body is wearing too many clothes. So heavy!!

I'm taking off one by one. Someday I'm wearing wind, darkness, some eyes and other creatures.

It's new road in my life. I've never thought about this, but I don't fear. I'm falling in love with subbody.

Coming back soon.

Just I'm thinking of the date.

Which is better? This September or next March for one year course.

Of course I want to come back as soon as possible.

Thanks a lot!!!

                                                                    Gio

 

2011年4月19日

路上の自伝・ジオ 

韓国のジオは、長く自国をでてアジアを旅していた。
何かを探して、どこか、誰か、出会うべきものに出会うために。
そして、昨年秋のヒマラヤ舞踏祭に参加して感銘を受け、今年の入学となった。
ビザの都合で一時帰国するが、またやってくるという。
舞踏のなかでからだを通じて生命に問い続け、生命からの答えを待った。
彼女の生命は彼女のからだを通じて答えを彼女に伝えた。
それが彼女の今年最後の踊りになった。
彼女は最後の日、次の詩をみんなに配った。
これを読んで、からだで味わってほしいと。
それから、私たちはこの路上を彼女と一緒に旅し始めた。
何度も何度も同じ穴に落ちながら・・・
それは誰にとっても忘れ難い旅になった。


I walk down the street
There is the deep hole in the side walk
I fall in.
I am lost..i m hopeless.
It isn’t my fault
It take forever to find a way.
I walk down the same street.
There is a deep hole in the sidewalk.
I pretend I don’t see it.
I fall in again.
I can’t believe I m in the same place.
But it isn’t my fault.
It still take long time to get out.
I walk down the same street
There is a deep hole in the sidewalk.
I see it is there.
I still fall in…it’s a habit.
My eyes are open.
I know where I am.
It is my fault.
I get out immediately.
I walk down the same street
There is a deep hole in the sidewalk
I walk around it.
I walk down another street..

"Autobiography in the five chapters"
(The Tibetan book of living & dying)


『チベットの死者の書』にでてくる有名な詩だ。
わたしもなんどもなんども同じ転び方をしてきたので、
この詩には深い感銘を受けた。
まさか、生徒のガイドでまたこの道をたどることになろうとは思っても見なかった。
この詩のあと、ジオは彼女の舞踏譜を読みながら歩いた。
彼女は詩人でもあるのだ。


1.
Make a big standing circle.
Close your eyes and calm down with your breathe.
Calm down.. Calm down in the deep silence.
And slowly walk as you like, not so fast.

2.
I’m walking.. Walking for somewhere.
Walk and walk passing friends, strangers, buildings, trees..

Suddenly some strange feeling appears on my arms and between legs.
I feel like to pull from every direction, right side left side above head under the feet, even the front side.
Pulling me more and more..

Finally I can’t move.. anymore.


Open third eyes.
Look around!
Ah.. This world is so different from mine.
Where am I?
Beyond the time and the space..
What happened?

Oh! I’m dead. I’m on the end of life.
Look above!
My soul is looking at my dead body in the ceiling.
My body and Soul.. We’ll never come together again.
My dead body is looking at my soul on the border between former life and further life.. in a big chaos.


3.
I want to move.
But I still have attachment to former life
My mother, father.. family, friends and happy memory.
The memory of former life.. starts to appear under my feet like a motion picture.

4. POEM
[Autobiography in FIVE CHAPTERS] _ “THE TIBETAN BOOK OF LIVING & DYING”



5.
Now I’m out of all senses.. eyes ear nose tongue…
Sound smell taste.. every feeling and thinking..
My body is empty and slowly melting
Bones and muscles go back to the soil
Mucus goes back to the water..
And all of my body goes to the fire and somewhere.

Now
I take off old body
And wearing new air, wind or flower or animals or human or something else.

With new cloths I’m enjoying resonance with other body in the new world.



 

序破急を共創する

2011年4月16日

今年の授業が始まって5週間になった。
毎週末続けているサボボディ・コーボディ劇場も5回目となり、
生徒はじょじょに、その日の公演全体の序破急を自分たちで創れるようになってきた。
今週も生徒全員が自分の踊りたい場所を見つけて踊り、他の生徒が自由に共振するという
ノマド劇場方式で行った。特に今日は最初、エレノワから始めるという以外は
どんな順番も決めなかった。
次にどこで何が起こるのか、誰にもわからないストレイ(迷子の)ノマド劇場だ。
でも、この間、生徒は公演全体の最適の序破急を一瞬一瞬その都度創っていくという訓練を受けてきた。
自分の踊りと場所が最も映える場所とタイミングを見つけることが
同時に公演全体の最善の序破急を創ることになる。
共振塾では特権的な振付家が構成演出をするという方式を取らない。
そういうのはもはや過ぎ去ろうとしている「人間の時代」に属することだ。
次代の生命の踊りは、踊り手一人ひとりが生命となって
すべての創造・公演の序破急をからだで創りだしていく。
最高度の創造性を身につけたリゾームに変成することが目的だからだ。

今日の収穫は、公演が始まってエレノワがプールから、ホールに移行し、
ジョナサン、シブと続き、ナターシャが裏庭で踊った後、
ピラーが突然空で踊りだしたことだ。
それまでの水辺次元の空間移動に慣れていたわたしたちは、
突然垂直視線の移動を体験した。
それを見上げた瞬間誰もがあっと驚いた。
それはとても新鮮な視線方向の転換になった。
ついで、アクシがホール入口で踊った後、
カツが突然、庭でおしりを出してしゃがみ込み
インド式の水を使った大便の動きをし始めた。
これもまた、傑作な転換になった。
こういう新鮮な転換技法を実践の中で創出し、味わい身に付けていくこと。
十二人全員が一年間の経験を通じてどこまで成長するか、楽しみだ。

今週はさらに、コーボディの群れでいかに世界変容を創りだしていくか、
ハードトレーニングに入る。
これは今月半ばから土方さんの「静かな家」を学ぶための
予行演習でもある。
そこはとんでもない非二元=多次元変容世界だから、
生半かな準備では入っていけない。
生命が持つとびっきりの共振力と創造力を全開しておく必要がある。
生命の共振力と創造力をあわせて共創力という。
未来の人間は共創力から始まるだろう。


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森の顔を重層する

2011年4月13日


夜寝る前にサブボディさんにお願いして眠りにつく。

「次はなんでしょうか?」

生徒のからだの闇から毎日出てくるサブボディとコーボディを味わっているうちに眠ってしまう。

朝目が覚めると、サブボディさんが今日の練習メニューを創り上げてくれている。

今朝のメニューは「目腐れと森の顔」だった。
まさしく生徒に今もっとも必要なドンピシャのタイミングの練習となった。

 

目腐れ

 

まずは、顔面の深層筋をすべて三次元方向に動かす練習をしたのち、

二人組になって30センチ離れて向きあって座る。

それから、互いにじょじょにさまざまな目を創造して共振する。
各5分間見つめあい、パートナーをどんどん交代していく。

1.まずは透明な目になって見つめ合う。透明な目とは見開いているが焦点がどこにもあっていない目だ。
見るのではなく、目に入ってくるものすべてを受け入れる目だ。
このまなざしで5分間見つめ合ってパートナーを交替する。

2.透明な目で見つめ合っているうちに、子供の頃の記憶を思い出す。
パートナーの目の中に相手の子供時代のクオリアをみつけて共振する。これも5分間。
今日は以下すべて5分間ずつ行った。

3.眇目で見つめ合う。斜めの目は、からだの闇に隠れている異貌の自己と関わっている。
 パートナーの異貌体と共振する。

4.上目下目端目で見つめあう。下目で見下ろしていると膨張した自我が、
上目で見上げていると卑屈な自我が出てくる。
端目で見つめ合うと互いに不信感が増幅される。

5.背後世界を感じ、背後霊のクオリアを相手に伝える。互いの背後世界と共振する。

6.背後に千万の死者を感じる。パートナーの背後の千万の死者をブッタの慈悲のまなざしで見つめ共振する。
ブッダの表情は西洋人によってブッダスマイルなどと呼ばれているが、
それはスマイルなどと呼ばれるような薄っぺらいものではない。
六道すべてを経巡らねばならない人間の業全てを引き受けようとするぎりぎりの生命共振のまなざしなのだ。

7.さらに輪になって歌舞伎目、8.流し目を練習。

9.最後に前後の動線を辿りながら、目腐れの目を序として歩き始め、背後世界のシグナルをキャッチし、
それが目に浮かび上がってくる瞬間を破の序とし、
さらに破の破、破の急と他界からのまなざしでこの世を見つめながら前進する。
そして、急で観客とひとつになる極限まで増幅した後、後退し異界に去る。 
これを午前中の締めくくりとした。

 

森の顔

 

午後からは森の顔だ。

森の顔の師となる縄文杉やウィルソン杉などの古木の写真を見る。

無限のクオリアが長い年月の間に重層され積み重なっている生命の多次元世界こそが森の顔の師なのだ。

その深みに負けないような多次元クオリアが重層された顔こそが森の顔なのだ。

午後も、午前と同じく、顔面の深層筋をひとつずつ三次元方向に動かす練習をしたのち、

二人ペアになって見つめあい、共振しながらさまざまな顔に変容した。

 

1.顔の深層筋のひとつが母の顔と共振し、どこか似てくる。相手はパートナーの母の面影に共振する。
つぎつぎと互いに別の顔面筋が父、祖父母、祖先の面影を浮かべ、消えていくのに共振する。

2.同様にお互いの異貌の顔を浮かべ共振しあう。

3.原生動物の表情を浮かべ共振する。

4.各人の出自の文化の古層に潜む元型が顔面に浮かび出る。
アフリカ以外の5大陸から集まった生徒たちは互いの背後の文化の多様性に触れ共振した。

5.傀儡体となって向き合い、互いの背後世界のシグナルを運び、共振する。

6.衰弱体となって向き合い、衰弱の度合いを深めていく。

7.最後はこれら全てを縦走する森の顔となって、午前中と同様に、自分の選んだ前後動線を歩く。

8.12人の生徒が互いのソロをつなぎつつ、全体の序破急を創造していく、
サブボディ・コーボディ劇場を共創した。

 

目腐れと森の顔の練習はここ数年続けてきたが、今年でほぼ完成域に近づいた。

言葉では説明しきれないほど深く豊かな練習になってきた。
深みとはなにか、そんなこと言えるわけはないが、
おおまかな方向は細分化と重層化を進めていく中にあることだけは確かだ。
人間の日常はそれと正反対の粗大で単純な思い込みや幻想に囚われている。
生命はそういう狭い共同の幻想から自由に実にあらゆるクオリアと多次元的に共振している。
細分化と重層化は人間を脱ぎ生命に近づいていく不可欠に道なのだ。

  

 

 

マックロードガンジのノマド劇場
 
ノマド劇場、ストリートへ
20114月10
 さ迷うノマド劇場
 
非二元域に入る
20114月10

「死者は静かにしかし限りなくその姿を変えるのだ

彼等は地上のものの形をほんのふとした何気なさで借用することも珍しくない。」(舞踏譜『静かな家』土方巽)



先週の移動するノマド劇場は今週になってはじめから終わりまで全員が群れを変容させつつ移動し、
そのなかでそれぞれの生徒が群れのコーボディからサブボディに変容するという迷えるノマド劇場に進化した。

「ミツバチの群れ、入り乱れるフットボールのモーグル、トアレグ族の集団、もぐらの穴、伝染熱。
飛ぶ肛門、反転する膣。」 (『千のプラトー』 ドゥルーズ・ガタリ)


十人でこれをやるのははじめてなので一応順番は決めておいたが、
ほんの少しタイミングを逃すと、別の人が先に始めてしまい
世界の布置が瞬時に変わってしまう。
今週の生徒は、そういう不安定に群れと個が相互転化し変転流動する世界で踊った。

このノマド劇場はドゥルーズ・ガタリの『千のプラトー』にある分裂病者の挿話にちなんで
「砂漠で迷子」と呼んでここ十数年間、追求してきたものだが、
今週のそれが終わったとき不意に冒頭に引いた土方の言葉を思い出した。
そうか、これこそ、生徒たちが
静かにしかし限りなく姿を変える死者となって、
土方舞踏の世界をからだで体験していることになるのだ、と気づいた。
サブボディ技法は、当初は土方の舞踏技法からは独立して生まれ、
むしろフーコーやドゥルーズの影響下に、未来の人間のあり方として探求してきたものだが、
ここに来てとうとう土方舞踏とひとつになってきた。
こんな思いがけない奇跡のようなことが起こるのも、
生命がただ共振している非二元世界の特徴だ。
そこでは群れと個の境界も、世界と自己の分裂も消える。
土方の言う
自他分化以前の沈理の出会いの関係とはこのことだ。
その非二元世界をからだで体験する方法をここ十数年探求してきたことになる。
何度も何度も強烈な土方の影響から脱却しようとしては引き戻され、
その度に衰弱体の必然に出会い、見逃していた気化体に気づかされ、ボトムの深さを教えられてきた。
今度は自他分化以前の非二元世界でひとつになった。
この旅はどこへ行こうとしているのだろうか。

 

 
移動するノマド劇場
20114月7

今年の共振塾は例年にない速度で進んでいる。
いつもの年なら6月頃になってようやく実現するノマド劇場が
始まって3週目の金曜日にもう実現されてしまった。
ひとりひとりの生徒が思い思いの場所でソロを踊り、ひとつの場所から
次の場所へ群れになって移動していく。
観客もそれに応じてついて動く。
群れになったり個になったり、せわしなく状況が変わっていく。
次の場所はどこになるのか、だれも知らない。

移動する群れの中で固有のサブボディが生まれ、そして群れに帰っていく。

今年の生徒は共振によって移動するノマド劇場のなかで踊りはじめた。

 

絶えず、他の生命と接合と分離を繰り返すこと。

いつ何時でも群れになり、かつ群れから分離する用意ができていること。

からだのどこからでも他の生命との共振が起こり、それを増幅できること。

群れと個の往還の中から、絶えず新しいサブボディとコーボディが生み出されてくる。

そのすべてを味わい、成り込み、楽しむこと。

 

ノマドやリゾームの理念は1960年代にドゥルーズとガタリによって発見された。

それは同時代にフーコーによって予言された「人間の終焉」のあとに来る

新しい生命の可能性を指し示すあり方だった。

人間を脱ぎ、群れと個を自在に往還する創造性に満ちたリゾームになること。

だが、こういう実験はまだ誰も実地に試みたことがない。

これこそ生命の隠れた創造性をとことん引き出す道なのだ。

生命の可能性を果てまで味わう世紀の実験場が今ヒマラヤに生まれつつある。

 

 

 Fragile stone / Jonathan
 
壊れやすき石・ジョナサン
201143

ヒマラヤロックガーデンでジョナサンは大きな岩陰にうずくまった。
静けさを岩に学んで静まり返った。
おそらく胎児の頃の夢を思い出していた。
不可視の布置に突き動かされてただゆらぐからだになった。
健康な強い人間のからだを脱ぎすててはじめて
かすかな生命の震えるクオリアをまとって踊ることができる。
それは結構辛いことなのでなかなか脱げるものではない。
衰弱体に変成する修練は始まったばかりだが、
3週間でここまで来た。
来週から本格的な衰弱体への変成を学ぶ。
もっともっと多くの人間的なものを脱ぎ捨てていく。
この後どんな変化が起こるか。
何ヶ月かあとのからだと比べてみてください。


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地形と布置の現幻二重を踊る

201141


第3週の4日目の昨日は、近くのロックガーデンに行った。

すでにホールでの練習で自分のサブボディの簡単な序破急を見出している生徒は、

それを練習ホールという抽象的空間から、外界の自然の中の地形の変化の中に置き、
そこで生命が共振するからだの闇の布置を見つけ、そこで踊った。

はじめての土地の岩や流れに出会って、その強烈な物理的なクオリアの向こう側に

自分固有の不可視の布置を見つけてそれと共振して踊ることは

ずいぶん高度な課題である。

少数の生徒は物理的な地形の向こうに布置を読み取りそれを踊ることに成功したが、

物理的な地形の強烈な今ここのクオリアに囚われて不可視の布置を踊ることができない生徒もいた。

特に川の流れとか、人のコンタクトは強烈である。

それらと出会うと現実世界の強烈な序破急に連れ去られてしまう。

物理的な地形と自分の生命だけが共振して生成する布置との違いを混同してしまうのだ。

わたしも長い間この混同に混惑させられていた。

そこで最後に岩と芝生の地形に散らばって「不可視のものとだけ踊れ」

という全員での即興を練習した。

これでいい。

こうした実験と経験の中から、

舞踏という異世界との共振の中で生まれる生命の創造が

どういうものか徐々にからだで分かってくる。

三次元空間や四次元時空で人間を表現して踊る

ダンスとの微細だが根本的な違いはここにあるのだ。

 

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April 2011
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