Mille Plateaux 53
Anna
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囚われのドレス / アンナ

●●● 12 June, 2008

IT'S LIKE TAKING OFF.

IT IS LIKE TAKING OFF ALL COSTUMES, ALL IDEAS, ALL EXPECTATIONS FOR FUTURE, TAKING OFF HABITS & MASKS & PRIVATE STORIES OR ... OFFICIAL STORIES. AND FINDING ESSENCE IN ORDER TO LIVE.

IT IS SOMETHING VERZ BASIC. IT IS LIKE A TOUCH, LIKE TO GIVE SOMEBODY YOUR HAND. AS ONE CLEVER MAN SAID - THIS HAND IS NOT CLEAN. BUT ... THIS IS THE WARMNESS OF THE BODY. SO ... SOMETHING VERY BASIC. SOMETHING INTIMATE.

I'M GOING THROUGH THIS. MEMORIES, MY OWN AND MY MOTHER'S MEMORIES & ALL GENERATIONS BEFORE, THROUGH EVOLUTION, NIGHTMARES AND ALL WALLS I HAVE INSIDE OF ME, SO MANY WALLS, AND THROUGH ALL CHILDREN'S FACES I HAVE INSIDE OF ME, ALL OLD PEOPLE'S I WAS FOLLOWING SO THEY ARE INSIDE OF ME, ALL DEAD INSECTS I WAS COLLECTING SO THEY ARE INSIDE OF ME ETC. ETC. ETC.

I'M GOING THROUGH ALL THINGS I'M CARRYING, THINGS WHICH BUILT ME.

AND I HOPE ONE DAY I WILL BE JUST NAKED.
HERE YOU CAN BE NAKED LIKE A CHILD, I KNOW THAT.
AT THE END, I BELIEVE, EVERYWHERE YOU CAN BE.

Anna (After three months)


2008年6月11日

脱ぐということ

脱ぐということは、私の人生のメインテーマだった。
30代の終わりに、子育てを切り上げ私は作りかけの家族を脱いだ。
ひとりのからだになった。そのからだは無数の成人病の巣窟だった。
20代、30代と観念のみに重きを置いた生き方の残骸だった。
私は私の病の根源に巣食っていた観念を脱いだ。
若いころから観念を通じて付き合ってきていた友人関係をすべて脱ぎ捨てた。
何も考えずに水泳、登山、スキー、自転車、トライアスロンと
からだの世界に踏み込んでいった。
15年間からだを闇雲に動かし続けた。いつのまにか屈強の鉄人のからだになっていた。
わたしは24時間続けて泳ぐことができた。
だが、屈強なからだは競うためにある。ある日突然競い合う快感こそ社会から刷り込まれた毒だと気づいてすっぱりやめた。
屈強のからだを脱ぐと、その下からようやく自分の踊りのからだに出会った。
15年間に作り上げたからだを、15年間好きな水泳を禁じることでようやく衰弱体を踊れるよぼよぼのからだになった。

ヒマラヤへ来て10年かけて自我を脱ぎ続けた。
自我は日ごろから自分に対する無数の物語を作っている。「私はいい人間だ」、「親切でやさしい」、「正義を愛する」、……無数の美しい物語という幻想で自我は自分を飾り続けている。
言語を止めることでその自我物語の妄想から自由になれる。
自我を脱ぐことではじめて自分の全体に触れることができる。
自我の底には見知らぬ無数の生き物が棲んでいる。
学校の建設で体験したインドと日本の文化ギャップからくる3年間の不条理に耐えかねてそれまで知らなかった命の深層に出会った。
あまりに不条理な圧迫が続くと命は神経症となって爆裂しようとする。
そのとき胎児時代の最後の、永遠に続くかと思われる子宮収縮の苦痛に、「わたしを殺そうとするものは殺す!」という最初の生物学的怒りが共振するのだ。
怒りの深層がその胎児記憶に由来するものであることを思い知った。
無差別殺人に走る人はみな、この胎道V期の生物学的怒りにまで追い込まれた人であると深く共振できるようになった。

今私は自我だけではなく、自己を脱ごうとしている。ユングの言う全体としての自己だ。
自己はユングにとっては全体であり、人生の到達目標だったが、ユングは西洋に規制されていた。
自己さえ脱がないと生命になりきれない。自己を脱いでただ震えている微細な単細胞の命になりこむことでようやくからだの闇の実相に触れることができる。
そこは非二元かつ多次元共振の世界だ。
この世界はたまねぎの皮を剥くような単純な構造ではない。多次元が錯綜する未知の構造を持っている。自己を脱げば命に至れるわけではない。そのそも自己を脱ぐことは至難の業だ。
脱ぐことがより深い闇をまとうことになる。
おそらくこの自己と世界と生命の探求で私の人生の時間は尽きるだろう。だが、それで十分だ。
このからだの闇には、幻想的な自己から、性的な欲望の謎、生命の傾性と創造性の秘密までの、最も解きがたくかつ魅力的な闇が詰まっている。
この闇と格闘し、つきあうためにわたしは生まれた。このために死ぬ。
アンナもまた生命にいたるまで余計なものを脱ぎ続ける生を送り続けることになるだろう。
それは始まったばかりなのだ。





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