Mille Plateaux 00
Kazuo Ohno
(Japan)
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ラ アルヘンチーナ、私のお母さん

「ラ・アルヘンチーナ頌」 大野一雄と土方巽

「ラアルヘンチーナ頌」と「私のお母さん」は、大野一雄の代表作だ。
どちらも土方巽の振付け・演出による。
30余年をかけて交流した両舞踏家の魂の合作だと言える。
若い土方が20歳の頃はじめて東京に出てきた時、
大野一雄の公演を見て「劇薬ダンスだ」と驚いた。
大野一雄は南方の戦線から復員する途上、
多くの戦友が輸送船上で亡くなり、海に葬られた。
その度に船はボオーッと霧笛を鳴らした。
大野一雄はそれを聴きながら、海中に投じられ海の藻屑となり、
クラゲになった戦友の無念を思って、日本に帰ったら、
彼等のクラゲの踊りを踊ろうと心に決めたという。
若き土方が出会ったのはまさしく大野のそののっぴきならない踊りだった。
その後、両者は必然のように暗黒舞踏派を結成し、30年に及ぶ共闘を開始する。
1977年、大野一雄は人生の結節となる「アルヘンチーナ頌」の振付・演出を土方に依頼する。
「ラ・アルヘンチーナ頌」は第一部、第二部の構成を持ち、第一部は四つの章に分かれる。
1 ディヴィーヌ抄
2 少女
3 日常の糧
4 天と地の結婚、の4章だ。
土方は、冒頭に、彼の振付で大野一雄が踊った1960年の作品「ディヴィーヌ抄」を引用した。
「ジャン・ジュネの老男娼になってください」と土方が言った。
大野一雄が「なりましょう」といって、
客席から立ち上がって登場するその振付が再現された。
その踊りは、息子の慶人さんが、「一雄の真髄だ。いままでの中の、全部踊った中の
これはかけがえのない真髄です。」というほど見事なものだった。
まずそれを頭に持ってきて、客席から立ち上がって始まる。
そして舞台の上で死ぬ。
死んだ男娼は、シミーズ姿の少女になって転生する。
少女もまた、大野の踊りの花の中の花だ。
「生まれる前は男も女もなかった」とは大野の信念である。
男娼から少女へ、土方も大野も踊りの中でn個の性を生きようとした。
死と再生を繰り返しながら転生する生命を踊った。
そして、つづく「日常の糧」では、
裸体の一雄のからだをたっぷり見せる。
71歳の老ダンサーのからだそのものが花に転化する瞬間だった。
序破急の魔術師土方の振付の切れ味の鋭さに
大野一雄自身も踊りながら震え上がっただろう。
長年舞踏を共にしてきて知り尽くした両者だからこそ実現した奇跡だ。
そして、第一部の最後には大きなグランドピアノが舞台に運び込まれる。
「天と地の結婚」だ。
一雄はピアノの前に立ちただ静止する。
身じろぎもしない。
結婚は合一である。
天と地との、魂と肉体との、非望と創造との合一である。
バッハの平均率が鳴り渡る。暗転。
第二部のタンゴや花や鳥の踊りは、
「大野さん、好きなだけおやんなさい」と、
土方は大野の踊る魂を舞台に解放した。
死と再生が無数に交錯して、
「ラ・アルヘンチーナ頌」の序破急が成就した。
それは大野と土方の30年に及ぶ道行がひとつになった瞬間、
もうひとつの「天と地の結婚」だったと言える。
4年後の1981年、「私のお母さん」を上演。
母はアルヘンチーナと並んで、大野一雄のアニマの中のアニマだ。
土方はお母さんを象徴する小膳をお母さんになぞらえて、
お膳とのさまざまな関係を演出した。
だが、踊る中で大野はお母さんそのものになりこんでしまう。
あるいは死んだ母が大野さんにのりうつる。
憑依も共振現象であり、共振には主体も客体もない。
ただ、どちらからともなく起こってしまうものだ。
踊りの中で完璧な憑依体が実現した。
このふたつのどうしても踊らねばならない踊りを完成して、
大野さんはなにものかから自由になった。
この創造によって人生を成就したと言える。
悠久の命から借りたからだを使って、命に創造を返して、命そのものになった。
これほど見事な人生もまたとない。




大野一雄写真集 釧路 撮影・細江英公


この写真集は、大野一雄の強力な支持者の一人だった、
北海道釧路の宮田精神科医の追悼舞踏公演のもの。
私が京都に棲んでいた頃、若い友人であった宮田医師の長女の
宮田有香さんからそのビデオと写真集一式を頂いた。
有香さんは私の京都での公演の音楽を担当して助けてくれた。
有香さんの話によれば、
お父さんは精神病院の経営に疲れ自死なさった。
大野一雄は宮田医師の追悼にその病院で患者の前で踊り、
写真家・細江英光は、この追悼公演の撮影一切を引き受け、
広大な根釧原野に大野一雄を放って撮った。
命の出会いと別れ。
魂魄の写真集である。
宮田医師よ、安かれ!

 大野一雄に捧げる
2010年6月2日

生ける衰弱体への転生

大野一雄は百年をかけて、生きたまま衰弱体に変成した。
その見事な生涯に、いまさら何を言うことがあろう。
百年生きることはそうそう誰にもできるものではない。
大野一雄という奇跡とは何か?
大野さんとは、まず、舞踏にかけたその百年の生命存在だ。
私が44歳でそれまでの人生を止めて、舞踏家に転生しようとしたとき、
そのときすでに85歳だった大野さんの存在が私の転生を勇気づけてくれた。

魂に追いすがる

私は若いころ大野一雄の踊りが好きではなかった。
20歳で脳裏に焼き付いた土方の衝撃的な衰弱体に比べてしまっていたのだ。

80代の大野一雄が舞台に立つ。
右手を上げるのが彼の踊りの始まりの癖だ。
そして、彼の特長になっている大きな手から魂を飛び立たせる。
からだがゆっくり魂に追いすがるかのように動く。
何度見ても同じような踊りを繰り返すばかりにみえた。
今から思えばそれだけでもすごいことなのだが、
土方の衰弱体を過剰に追い求めていた私には満足できなかった。
だが、そのころからじっくりと大野一雄は
自分の踊りに劇薬を仕込んでいたのだ。

大野一雄が90歳を越えてなお踊り続けたとき、
奇跡が起こった。
大阪のトリイホールでそれを目撃した。
いつものように舞台に立つ。
右手を上げていく。
(また、いつものパターンだな)
そうつぶやいて半ば眠り始めたとき、
突然挙げかけていた腕が落ちた。
そして、その瞬間90歳の大野のからだが
これまで見たこともない形に褶曲し、
次の瞬間、からだの各部があらぬ方向へはじけた。
練りに練った始まりだった。
この一瞬の動きはよほど練習しないとできるものではない。
そして、何年間も常道的な動きを見せ続けることによって、
続けてみている観客を騙し、まるで催眠術をかけるかのように
リフレインのやすらぎに誘い込んできた。
そして、溜めに溜めて、
90歳ではじめてそんなどんでん返しを踊って見せたのだ。
私は驚かされた。このひとのどこにそんな
テーブル返しの情熱が秘められていたのだろうと。

その日の踊りは壮絶だった。
踊るからだがほとんど動けるか動けないかの境をさまよっていた。
魂においすがるからだという
いつもの構図はもうそこになかった。
たましいもからだの境界が消え、
幽界と冥界を行き来しゆらぎつづける踊りだった。
すでにどちらも他界に属していた。
ひとつの踊りが終わり、楽屋へ引き返すとき
何度も出口を間違えて舞台上をうろうろした。
これは生きた衰弱体以外の何者でもない!と心の中で叫んだ。
大野一雄は踊りながら生ける即身仏に転生する舞踏を発明した。
その百年の生涯をかけて転生して見せたのだ。

終わって出口で観客を送る大野さんのからだを
私はきつく抱きしめさせてもらった。
そのときいただいたものを私はヒマラヤに持ってきて、
からだに秘めて生きている。
60歳を超えて節々が壊れて痛みだし、挫けそうになる私を
からだの闇の大野さんは今も踊り、勇気づけてくれている。


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